590.魔女の弟子と魔術の導者
それから一日が経った、カトレアから街のみんなに分け与える為の食材を盗み出し、街のみんなと食事をし、僕達は数日分の食材を分けてもらえることとなった。街の人達の分が無くなるのではと思ったが僕達に分け与えてなお毎日宴会をしても足りるだけの食材をカトレアは溜め込んでいたようだ。
もうすぐ新しい行商人が来るだろうしそこから食材を買い付け、また元のガラゲラノーツを取り戻していけるように頑張る…とみんなは言っている。
「なんだよあんたら、もう行っちまうのかい?」
「ええ、僕達は行くところがあるので」
「かっこいいなぁ、フラリと現れて問題を解決してまた新しい旅に。まるで冒険活劇の主人公ね」
そして、朝一番に僕達は街を発つ事となる。食材をみんなで馬車の中に運び込んでいると街の人達が揃って僕達にお礼を言いに来てくれた。数日は僕達を歓待したいと言ってくれた、それだけのことを僕達はしてくれたと。
「あんたなんだろう?怪盗ナリアールってさ」
「さぁ?どうでしょう」
「あんた達がカトレアを退治してくれなきゃ、きっとこの街はもっと酷い事になってたよ。本当に助かった。何回でもお礼を言わせてくれよ」
「いえいえ」
「これ、ウチで売る予定のバナナだ、やっぱこれも持っていってくれや」
「じゃあうちはパンを…」
「も、もう散々もらいましたから大丈夫ですよ」
次々と寄せられるお礼の品に一応断りを入れる。いやあればあるだけいいんだろうけど、必要な分はもらったし、これ以上もらったら流石に悪い。どうせ数日後にはメグさんの無限倉庫に新しい食材が追加されるんだ、それまで持たせられればいいんだから。
「そうかい…?こんなに急がなくてもいいと思うが」
「いえいえ、僕達は旅の身。一度根を下ろせば居着いちゃいますし、それは良く無いので」
「そうか…分かった、なら見送ろう」
「ほら、あんたも!」
そう言って街人達が挨拶するよう促したのは、彼らの背後に隠れるようになっていた人物…それは声をかけられると肩を震わせビクビクしながらも僕の前に出てきて。
「そ、その。申し訳ありませんでした…」
「いいんですよカトレアさん、でも今後はこういうのは勘弁してくださいね」
「はいぃ…、もう懲りました。食べ物の恨みがどれだけ怖いのかを…」
カトレアさんだ、あれから鶏に変えられた彼女はそのまま食べられて…ということもなく、散々脅されるだけ脅されてから元に戻してもらった彼女はすっかり意気消沈。今までの傲慢な態度はぽきりと折れて、今はある程度改心してくれたようだ。
ただ…。
「もしまたあんなことをしたら、次はチキンソテーにしちゃいますからね」
「コッ!コケェェ…」
「そ…そんなに怯えなくても大丈夫ですけど」
鶏から人間に戻ったのだが、やや性根がチキンになってしまったのは…まぁ、仕方ないという事にしよう。寧ろ傲慢なのよりこれくらいの方が丁度いいかもしれない。
『おーい!ナリアー!準備出来たぞー!』
「さて、それじゃあ僕達行きますね」
「はい…またよろしければ、この町に寄ってくださいませ。その時はチキンと…いえキチンとおもてなししますので」
「いいんですか?それじゃ、寄らせてもらいますね」
もうカトレアは大丈夫だろう、と街を離れる僕達は思うしかない。これでもまだ悪事を働くような根性ある奴には見えないからね、それに僕達には行くべき場所がある。だからこそ進み続ける必要があるのだ。
「アマルトが朝飯作ってくれてるってさ」
「それに館であったことも聞きたい、早く行こうナリア君」
「はい!それではさようならー!」
そして僕は、みんなの元へ向かう。新たなる旅…いや本来の目的地である南部の大都市『古都』ウルサマヨリを目指して…旅はまだまだ続いていくんだ。
だからこそ、この旅で…必ず強くなってやる、みんなを守れるくらい…もっともっと!
…………………………………………………………………
「マーレボルジェのボスが居たって!?」
「狂気譫妄のルビカンテがカトレア邸に…?」
「はい!アイツにエリスやられちゃって。ナリアさんが居なかったら危なかったですよ」
それからエリス達は暫く馬車で移動した後にお昼ご飯を開始しました。今日のメニューはトロトロ牛肉のビーフシチューです。ガラゲラノーツで分けてもらった食材は数日使っても余る量あるので変に節約する必要はない…むしろ余らす方が勿体ない、ということでテーブルの上には大量のシチューが並べられている。
それをみんなで囲みながら館で何があったかを話し合う。完全なる想定外…ルビカンテの襲来の件について。
「そんなデカい魔力があるようには見えなかったけど」
「エリスも識で認識出来ませんでした…が、そういう事なら納得ですね」
「精神体が肉体を飛び出して…他者の体を奪取し独自に動くか、聞いたこともない話だな」
ナリアさん曰く、あのルビカンテはルビカンテであってルビカンテではなく、その感情の一部が人間の体を奪って独自に動いていた者らしく物凄い端的に言うと人間じゃなかったらしい。
「精神が外に飛び出して、他人の体をねぇ…そんなのあり得るのかね」
「あり得るな」
「え?」
ふと、アマルトさんの言葉に応えるように口を開いたのはメルクさんだ。彼女は顎に指を当てて何かを考え…あり得ると言うのだ。
「そうなのでございますか?」
「ああ、マスターから聞いた事がある。特異な才能を持つ者の中には自らの魂を切り分ける事ができる者がいると、そしてそれは自らの魂を魔力として体外に排出し、意のままに操れるともな」
「自らの魂をって…出来るのかよ」
「だから特異な才能なのだ、デティ…理屈的にはあり得るのだろうか」
「んまぁ〜〜理屈としては分かる。けど理論としてはあり得ない。感情も魂の内部機能の一つだしね?魂を切り分けて分配ってのも分かる話ではあるけど、そもそも魂と肉体はリンクしてるんだよ?魂を切り分けたら肉体も切り分けられちゃうよ」
「まぁそうだが…」
「でも…先天的な魔力異常。ダアトみたいな生まれつき魂に異常を持つ人は、肉体と魂のリンクが異様に希薄な人もいる。それが魔力操作を極めれば…或いはそういうこともできるか。でもそれこそ数千年に一度の天才レベルじゃなきゃ無理だよ」
「数千年に一度の天才だから…八大同盟の盟主なのでしょう」
魔力異常、生まれつき魂に他者とは違う点を兼ね備えた者。それは時に平常な生活を奪うが一転すれば他者には真似出来ない絶技すら可能とする。エリスはそれを知っている、その例を知っている。
知識のダアト、生存率0%と言われる魔力閉塞症を患いながらも想像を絶する鍛錬の末遍く魔女殺しを凌駕する達人となったあの女。ルビカンテがもしダアトと同じく魔力異常を兼ね備えた天才であるならば…。
生まれつき魂と肉体の繋がりが薄い状態、それが一体どれほどのデメリットを及ぼすか想像も出来ない。だがそれを一つの技として昇華させているのなら…ルビカンテという存在は余程強いのだろう。
「ふぅーん、しかしあの場にいたのはルビカンテじゃないんだよな」
「はい、彼女は別の名前を名乗っていたんです」
「別の名前?」
「はい、聞いて驚かないでください?奴の名前は…」
「名前は…」
「グラッフィアカーネ・ヴァルコイネンなんです」
「グラフティがあのね、バリ濃いねん?」
「グラッフィアカーネ・ヴァルコイネン!!『蝋燭の生』の作者です!知らないんですか!アマルトさん!」
「絵画方面はどうにも弱いなぁ、知らない…メルク知ってるか?」
「ああ、持ってるぞ。真作をな」
「メルクさんが今持ってるんですか!?」
「最近絵画収集にハマってるんだ、今度個人的に美術館を開こうと思っている」
やいのやいのと話を始めるみんなを横目に、エリスはビーフシチューに目を向ける。ルビカンテは強いだろう、ナリアさんの話ではグラッフィアカーネ?って奴より数段は強い事になる。
あれより強いのだ…、エリスは奴に勝てなかった。明らかに他の八大同盟の幹部より強かった、それより強いのが数人いる組織。幹部陣の総合力なら間違いなく八大同盟随一だろう…なんせ幹部諸共ルビカンテ…頭領そのものなのだから。
果たしてそいつらと戦ってエリス達は勝てるのか…、しかもその上にはセフィラが……。
(…怖い、エリス達はこのまま進んでもいいのか…?)
この間からエリスは負け続きだ、負けることはいつもだけどここまで勝てる気がしない負け方はたくさんだ。これはまずい、負け癖がついている…けど。
怖い…とても。いつか取り返しがつかない事になるんじゃないかと…。
「エリス…?」
「え?」
ふと、ラグナに声をかけられ…そちらを見ると、彼はエリスの方を見てやや深刻そうな顔をしていて…ああ、そうだったな。
エリスはいつか、彼に言ったな。エリス達は誰一人欠ける事なくこの旅を終えると、エリスはエリス達の望む未来を勝ち取るんだと…彼に、他でもないエリスが。なら…エリスがここで下手に落ち込むことは出来ないな。
「なんでもないですよ、ラグナ」
「そっか……にしてもどえらい事になってきたな、三魔人と戦ってたと思ったら八大同盟とも…」
「冷静に考えたら…マレウスって魔境…だね」
「こんな狭い国にヤバい奴集まり過ぎだろ」
南部に向かう道行の中エリス達はその先の旅を夢想する。きっと簡単な物にはならないだろう、この先に待つのは化け物じみた力を持ったセフィラ達だろう。
けど…それでも止まらない、エリス達は進み続けるんだ…けど。
やっぱ不安だなぁ〜〜……。
………………………………………………………………
真っ赤な絨毯、年季の入った黒い本棚、蝋燭の灯りと窓から差し込む日差しが風光明媚な雰囲気を醸し出す館の一室にて、彼は徐に視線を動かす。
「む……」
片眼鏡を外し、机の上に置く。久しく動いていなかった魔伝に連絡が入った、仕事ばかりの人生でロクな交友関係を築いて来なかった私には友は無く、その上現役を引退した身故に仕事の話も舞い込まないはずなのにと彼は襟を正しながら読み耽っていた文献に栞を挟み、魔伝に舞い込んだ手紙を取り出し中身を見る。
「これは……」
「如何されましたかな?旦那様」
「アンブロシウスか」
手紙を開き中身を見た瞬間、部屋の扉を開けて現れたのはドアの上縁を少し屈んで避けて入ってくるほどの巨漢。頭頂部を避けるように禿げ上がった黒髪とは引き換えに長く垂れ下がった三つ編みの髭は胸元まで伸び。そしてその鍛え抜かれた肉体を見せびらかすように上半身には服を着ていない摩訶不思議な筋肉男…名をアンブロシウス。
山賊のような険しい瞳に野太い眉をピクリと動かして部屋の中にいる旦那様の様子を伺いながら、手元に持ったお盆を運び。
「魔手茶でございます、魔力活性を促す薬草が先日庭先で採れましたのでそちらを煎じて作りました」
「ん、ご苦労。助かる」
そんなアンブロシウスを使用人として扱う男は渡されたそのままグイッと一口で魔手茶を飲み、やや苦そうに目を閉じた後空になったティーカップを机に置き…再び手紙に目を落とす。
「そちらは?」
「ふむ、先程手紙が届いたのだが…気になる内容でな」
「旦那様にお手紙ですか?」
「ああ、しかも勅命だ」
「勅命…レギナ様ですかな?」
「いや、…古い友人だよ」
「友人…トラヴィス様にご友人などおられましたかな?」
「い…いるよ、一人二人くらい」
そう言ってアンブロシウスのご主人様…魔導卿トラヴィス・グランシャリオはため息を吐く。人は彼を魔術師を超えし『大魔術師』と呼ぶ、魔術師は彼を『魔術界最大の功労者』と呼ぶ、世界各地の有力者達は彼を『一千年に一度の天才』と称する。
数多の功績を残し、幼い魔術導皇を支え、魔術界をその剛腕一つで支えきった偉人…それがトラヴィス・グランシャリオだ。しかしそんな彼も長旅と仕事の日々が祟り右膝を悪くして以降活動を控え始め、つい先日…ようやく魔術界の重鎮としての肩の荷を降ろし、こうして故郷ウルサマヨリに戻り久しく帰っていなかった自宅である館に帰ってきたのだ。
それ以来各地で屯集していた書籍を読み耽る毎日を送っていたところに…興味深い手紙が送られてきた。
「どのようなご用件で?休養中の旦那様に代わりこのアンブロシウス…如何なる御用命であれ動きますが」
「魔女からの頼まれごとだ…それもスピカ様からのね」
「スピカ様の、懐かしい名前ですなぁ。白亜の城での毎日が思い出されます」
「ああ、そうだな」
トラヴィスとスピカは、これでもかなりの付き合いだ。非魔女大国の大公主と魔女国家の支配者という立場上の隔てりはあれど共に魔術界の未来を案じ、人の未来を憂う者同士話が合った。
スピカはトラヴィスの腕に絶大な信頼を寄せ、先代魔術導皇ウェヌス・クリサンセマムの教育係を任せ彼をアジメクに招いた事があった。伝統として魔術導皇には教育係がつけられるものであり、その世代で最強にして最優の魔術師が選ばれる決まりがある。
魔術導皇の教育係とはただそれだけで凄まじい名誉となる。なんせ魔術界の支配者の師と言う名を名乗る事を許され、魔術導皇に無条件で口聞出来る立場に立てるのだから。
そして古くから教育係は各分野から五人から十人の魔術師が選ばれる伝統を持つ…がしかし、トラヴィスの腕を信頼したスピカはトラヴィス一人にウェヌスを任せた。これは歴代でも類を見ない事態であり、そう言う点からもトラヴィスは歴史上でも一目を置かれる存在となれたわけだが…。
「もしかして、また教育係でしょうか?」
「まだデティフローア様は若い、先日会った際はまだ相手がいる様子もなかったし、その話は先だろう。何より…その時はきっと私以外の者が教育係に選ばれるだろう」
「果たしてそうでしょうかな」
アンブロシウスは目を伏せる、トラヴィスは認めないが…未だトラヴィスを超える魔術師は殆どいない。同じくかつて大魔術師を名乗ったケイト・バルベーロウは諸事情により除外するとして、唯一トラヴィスを超え得る魔術王ヴォルフガングは決して誰かに教えを与える男ではない。
魔術王候補のアリナ・プラタナスも未だ若く、教育係足り得るのは彼だけだろう。
「だが教育係と言えば…そうなのだろう。話はやや違うが似たようなものだ」
「なるほど、では…」
「ああ、久しく仕事だ。やはり私は動いている方が好きだ、アンブロシウス。直ぐに『魔仙境』の手入れを」
「畏まりました、しかし稼働させるのも数十年ぶり…一体どうなっているやら」
「君なら二日で元の状態に戻せるだろう?任せるよ」
「御意に」
アンブロシウスは静々と一礼するなりその身を煙に変えて窓の隙間に流れ消えていく。アンブロシウスはトラヴィスが最も信頼を置く男だ、ウェヌスの教育の際にも手を貸してくれたし、何よりトラヴィスが世界中を巡る大仕事をしている最中も静かに支え続けてくれた。
魔術師としての実力も超一級。彼に任せさえすれば魔仙境は完全に動かせる形になるだろう…後は。
「ふむ…」
「おや?お父様、如何されました?」
「む…おお、イシュキミリか。魔術理学院の方はどうした?今日は帰りが早いな」
ふと、扉の前を横切ったイシュキミリがトラヴィスの様子を気にして扉を開け中の様子を伺ったところ。真剣な顔で手紙を見る父を見て目を丸くしている。
イシュキミリ…トラヴィス・グランシャリオの一人息子であり、彼の後継として先日七魔賢の座を引き継いだ魔術界の麒麟児だ。その才覚はトラヴィスをして天才と言わしめる程であり、今現在魔術界の未来を担うホープとしても名高い男だ。
とは言え、普段は魔術理学院の下部組織所属の研究員としても働いている事もあり魔導卿の仕事までは押し付けられない為、未だ領主自体にはなっていない。こちらはトラヴィス自身の願い立てあっての話だ、若い頃から魔術界に貢献してきたトラヴィスだからこそ、息子のイシュキミリには若く精力に溢れた頃は自由な研究をしてほしい…と言う親の願いの押し付けだ。
普段は夜遅くまで帰ってこない筈のイシュキミリが陽の上がっている内に帰ってきた事に驚いたトラヴィスは息子の元へ歩き出そうとしてややバランスを崩し…。
「ああ、お父様。いいんです、俺が行きますよ」
「すまんなイシュキミリ。情けない父を笑ってくれ」
「いえ、その足は父が魔術界を支えた証。俺にとっても誇らしい物ですから、笑ったりしませんよ」
「そうか…それで、どうした」
「実は南部魔術理学院をこのウルサマヨリに移す計画が進んでまして、ほら私が働いている理学院直轄の研究施設、あそこですよ。ただ私が今その研究施設にいると…その、移設計画の邪魔だからって…」
「お前はいつもいつも、夜遅くまで研究に根を詰めすぎだ。こうなるぞ」
と言いながら悪くなった右膝を叩きながら近くに寄ってきたイシュキミリに笑みを向ける。しかしそうか、南部魔術理学院と言えば南西部の密林に一つ大きな支部が既にあった筈だ。
だが今後はウルサマヨリにある南部魔術理学院の直轄研究施設を本部扱いにする…と言うことか。
(しかし南部魔術理学院は随分長く遺伝子組み換え魔術の研究をしていた筈だ。そこが支部に降格になればもう遺伝子組み換え魔術は今までのように研究出来ない。捨てるのか?百年近くにわたって研究してきた遺伝子組み換え魔術を…それとも完成した?うぅむ、ファウストの奴何を考えているんだ)
魔術理学院は大魔術師トラヴィスでさえ迂闊にタッチできない領域だ、ただ南部の各地に転々と配置されている南部魔術理学院の直轄の研究機関でも遺伝子組み換え魔術の研究をしていることは知っていた。
ウルサマヨリにある理学院直轄の研究施設でも、そのような研究をしていた。だがそれをファウストは…魔術理学院の院長ファウスト・アルマゲストは捨てると公言するに近い事をやっている…何がしたいのか。
ファウスト…まさかとは思うが、お前はまだ……。
「父様?」
「ああいや、なんでもない。研究頑張れよ」
「はい、私は私独自の研究テーマを許されているので支部がこちらに移ろうとも変わりなく活動できます。父の名に恥じない魔術師になってみせます」
「私のことなんか意識しなくてもいいさ…」
「ただ移設に伴って暫く研究はお休みになるので、暫くこの家の方で過ごす事になりました。いいでしょうか…?」
「何言っている、ここはお前の家でもあるんだ。……む!」
「どうされました?」
ふと、考える。そうか…イシュキミリは暫くこの家で待機するのか、だとするとあれだな…なんか申し訳ない事をしたかもしれない。
「いや、すまん。実はこの館に客人を招いてしまった…」
「なるほど、でしたら私の方で歓待しますよ?しかし客人ですか…珍しいですね」
「ああ、…実は魔女の弟子達なのだ、つまり…」
「で、デティフローア様が…!?」
さぞ居心地が悪いだろう。なんせデティフローア様と言えば七魔賢の長であり魔術界の頂点だ、彼女が自宅に居ては心休まる物も休まるまい。折角の休暇に申し訳ない事をした…そんな自責の念に駆られる。
だが或いは…これは、丁度良いのかもしれん。
「居心地が悪いか…?イシュキミリ」
「え…え?いや…まぁ、エルドラドではまぁまぁ振り回されたので…ですが、父がもてなすと決めたなら私も手伝いますよ」
「そうか、分かった。では…」
「はい、おっと…それなら家の物をいくつか買い揃える必要がありますね。ちょっと行ってきます」
「お、おいイシュキミリ。別にそんなに慌てなくても…行ってしまった」
魔女の弟子が来ると聞いて、大慌てでパタパタと笑顔で部屋を出て行ってしまったイシュキミリを見送る。
イシュキミリ…お前は、魔女の弟子を前に…どのような対応するのだろうな。
…………………………………………………………
「ふぅ……」
そして、館を出てウルサマヨリの街に降りたイシュキミリは周囲を歩く街の人々の目を気にしながら大通りを歩く。トラヴィスに見せていたような柔和な仮面を捨て人知れずフードを被りながら裏路地へと回る。
ウルサマヨリは歴史ある街だ、幾度となく改築増築を繰り返したこの街の構造を隅々まで把握している人間は少なく、アジメクの皇都に次いで魔術師の多いと言われるこの街に於いて、他者に研究成果を取られたくない魔術師達が各々極秘に作り上げた隠し通路、隠し部屋というのは多々ある物。
老齢で死去した魔術師がその隠し通路の事を他者に教えずこの世を去るなんて事もこの街ではザラにある。故に一度裏路地に入り、そういう隠し通路を使って移動すれば…瞬く間に他人に見られない影の中へ入ることができるのだ。
事実イシュキミリもそれを利用している。裏路地に入り、不自然に壁に立てかけられたランプを引いて、近くに置かれた鉢植えを約八十度程右に回すと足元の石畳のうちの一つが迫り上がる。
その石畳をグイッと掴んで引っ張れば床の一部が外れ下へと続く階段が現れる。これはいつ誰が作ったのかも分からない隠し通路、独自研究の成果を盗まれたくなかった魔術師が勝手に街を改造して作った隠し通路のうちの一つ。この街にはこういう仕掛けが山ほどあるんだ。
イシュキミリはそのまま階段を降りつつ入り口を閉め。奥へと降りる。
地下通路内には灯りがない為暗視の魔眼を使いつつフードを脱ぎ、ジメジメと苔だらけの床を踏み締め奥へと歩く。ただ外出すると言って出てきただけだから直ぐに家に戻らなくてはならない。だから今は急ぎだ…。
早足で廊下を駆け抜け、その先にある研究室跡地…の壁にポッカリと空いた穴を踏み越えたあたりで、イシュキミリは声を上げる。
「お前達、いるな?」
その一言で、暗い路地に光が灯る。炎ではない、魔力を光に変換したような淡い青色の炎が壁に取り付けられたランタンの中から湧き出て周囲を照らす。
路地を越えた先にあったのは巨大な地下神殿。やや湿った石の床、年季を感じる石の柱、そして巨大な壁画がドンと目の前に屹立する広大な空間がそこにはあった。
ここが何かは分からない、先程の研究所の壁が崩落した結果いつものかも分からない地下神殿にぶつかってしまい、こうして誰も知らない巨大な空間が生まれたのだ。
そして、青白い光の灯る地下神殿内部にて屯するように集まっていた一団が、イシュキミリの言葉に反応し立ち上がる。
それは…。
「ハッ、こちらに…我らが魔術道王イシュキミリ様」
静々と一礼するのは、真っ白なローブを着込んだ一団、ただそれだけでこの街においては何者であるかを示すアイコンとなる。
白いローブ、それは魔術解放団体メサイア・アルカンシエルの制服。魔術を憎み、魔術根絶を目論む活動団体。このウルサマヨリでも積極的に活動する彼らの存在は街の人間達にも広く認知されている、もちろん…悪い意味でだが。
「今日はこれだけか?」
「皆方々に散って魔術反対の運動をしております」
「そうか、ご苦労」
そして、そんなメサイア・アルカンシエルを率いるのは…魔術導皇と対を成す存在。『二代目』魔術道王イシュキミリ・グランシャリオである。彼は大魔術師トラヴィスの後継として魔術界を支える傍ら、こうして裏では魔術根絶の運動の為に動いていた…いや、正確に言えば『魔術根絶の為に動いていると思っているのは最下層の末端だけ』ではあるのだが…。
「イシュキミリ様ぁ〜!どうしたんですか最近なんか疲れてるみたいですけど〜?あ!見ます?私の一発ギャグ」
「ミスター・セーフ…私が疲れていると思っているなら話しかけるな、君の話を聞いていると余計疲れる」
「そんなぁ〜!じゃあ私はセーフじゃなくてアウトって事ですか!?ミスター・アウトぉ〜っ!」
「…………………」
そんな中、他のメンバーとは異なり白いローブを着込まない者もいる。…例えば黒いタイトなスーツを着込みながらも頭部がダイヤル式の金庫と言う異形な肉体を持つこの男。
名をミスター・セーフ。イシュキミリに忠実な四人の幹部『四魔開刃』の一角『三刃』の名を預かる『陳腐』のミスター・セーフもまた強者の一人だ。例外的にイシュキミリの下に着く四人の幹部と一人の参謀…彼らだけはこのローブを羽織らず私服で動くことが許されている。
そんなミスター・セーフはイシュキミリに近づきその肩に手を置きながら馴れ馴れしく声をかける。セーフは実力面で言えば超一級だ、だが一転…人格の方は少々イシュキミリとは噛み合わないうるさいタイプ。出来ればこいつを真面目な話に関わらせたくないと思いつつもイシュキミリはセーフの言葉を無視する事にした。
「セーフがここにいると言うことは、他の『刃』は?出来れば共有しておきたい話がある」
丁度よかった、丁度今日ここに幹部である『刃』達を揃え話をするつもりだったから。普段はサイディリアルに本部を構えるメサイア・アルカンシエル達はとある事情により今この地下神殿を一時的な仮アジトとして扱っていた。
故に幹部達は外出していなければここにいる目算となっている。あのお喋り大好き散歩大好きなセーフがここにいるんだ、他の刃達もここに…。
「あの…あのあのあのあのあのあの、わわわわわ私もここにいますいますここにいますイシュキミリ様」
「アナフェマか…まぁお前はここにいるだろうなとは思っていた」
膝下まで伸ばした黒い髪、その隙間から覗く真丸の瞳孔。清潔感のない姿で木製の杖を手に前に出るのは…セーフと同じく『第四刃』の名を預かりし幹部、『崇高』のアナフェマだ。
アナフェマはガクガクと震えながらイシュキミリの前まで出て一礼するなりダクダクと口から涎を吹き出し始める。勿論、正気には見えない。
「アナフェマ…まさか」
「あ、あああ…ああああ!人が多い!人が沢山!わ…私、人に囲まれるの苦手で…く、く…く…く、狂うぅうううううううううううう!?!?!?」
「それはもう狂ってるようにしか見えないが」
狂うではなくもう狂ってるようにしか見えない様子でアナフェマは髪を掻きむしる。彼女も一応メサイア・アルカンシエルの一員として超絶した実力は持つ物の…これが極度の人見知りであり三人以上の人間に囲まれると発狂してしまうと言うお茶目なチャーミングポイントがあるのだ。
組織の長として常に人に囲まれているイシュキミリと会う時は基本この調子だ。実力はある、信頼も出来る、だがミスター・セーフ共々…なんというか、イシュキミリの頭痛の種とも言える色物だ、本当に…実力だけはあるんだ。
「アナフェマ、落ち着いて報告を」
「あぅっ!」
自らの額に指を当て頭痛のしそうなこの状況に耐えながらアナフェマに報告を促す。するとアナフェマに電流が走ったようにピタリと固まり。恥ずかしそうに照れ照れと頭を掻き。
「す、すみません…また取り乱しました。えっと…例の進捗の話ですよね」
「ああ、事態が少し動きそうなんだが。そろそろ始められそうか?」
「難しいです…そもそも研究職の数が圧倒的に不足しているので…。出来ても非常に限定的なものになるかと」
「限定的…分かった、把握しておく」
イシュキミリは親指の爪を噛みながら静かに長考する、思ったよりも計画の進行が遅い。下で働く研究職達に自分並みの優秀さと熱量を要求したのは良くないことだったかも知れない。出来るなら自分がそちらについて研究出来れば一番いいのだが…表の顔もある分そちらに没頭するわけにはいかない。
「引き続き研究を進めるよう伝えてくれ、もし資金が必要そうなら私が対応する…それと───」
「少年、本題はそこじゃないんじゃないかな?」
「ッ……」
まず一つ言っておく、イシュキミリは自分の配下である『四魔開刃』が苦手である。実力は評価するがその人間性が何処か自分と合わない事を理解している。
ミスター・セーフの喧しさ、アナフェマの面倒臭さ、どちらも苦手だが…恐らく、最も苦手とするのは、その二人の奥に座るこの女。
『第二刃』…イシュキミリがメサイア・アルカンシエルの会長に就任するよりも前からこの組織で『刃』を務めていた古株。こいつが…イシュキミリは苦手だ。
「マゲイア…お前も居たのか」
「おや?私が居たら悪いかな、折角南部に来れるって話だったんだ。お邪魔するに決まっている」
浅黒い肌、ルビーのような赤い髪、立ち上がればイシュキミリを上回る上背に水袋のような胸元が揺れる。その手には鐘のついた金の杖、露出の激しき服を着た悪女…それが『第二刃』マゲイア。
別名『人外』のマゲイア・ワンドエース…この組織を支える魔術師の名だ。彼女はゆらりと立ち上がりイシュキミリの前に立つなりその目を見て…。
「少年、君…何か我々に言わなきゃいけないことがあったんじゃないかな?でなければ君がこんなに焦ってここに来るわけがない」
「ああそうだ、伝えたい事がある」
「おんや!なんでしょうかイシュキミリ様!面白い話でしょうかね!」
「あわわわわわわわわわ!大きい声出さないでくださいセーフさん、あんまり大きい声出されると…く…く…狂うぅうううううう!!」
マゲイアに促されイシュキミリは静かに頷く、伝えるべき事…それは先程父より聞いた話。
「近々魔女の弟子達がこの街を訪れ、滞在するようだ」
「へぇ〜…」
「なんと!」
「狂う…」
マゲイアは胸を持ち上げるように腕を組み、イシュキミリの放った言葉を噛み締めるように目を伏せる。魔女の弟子達が来る、エルドラドで見たアイツらがここに来る。
奴らの実力はそこそこのものだ。なんせあのジズを真っ向から打ち倒してしまうくらいなのだ、八大同盟とも真っ向からやりあえるだけの戦力はあるのだろう。だがそれ以上に気になるのは…。
「用件は?」
「分からない、父が呼んだと思われるが…理由までは聞き出していない」
「ふぅん、ってことは私達が狙いじゃないのか」
「あ!じゃあじゃあ!はーい!ミスター・セーフの提案でーす!私行って全員殺してきましょうか?多分不意打ちなら全員殺れると思うんですけど」
「いや。その必要はない」
「え?なんでですか。不都合じゃありません?だって…ねぇ?こんな大事な時期に敵対者が街を彷徨くわけでしょう?邪魔…というかなんというか、マゲイアもそう思いません?」
「以前少年が魔女の弟子達から聞き出した奴ら狙いはマレフィカルムの壊滅だったはず。それは少年にとっても不都合だろう?ならここで消すのも吝かではないと思うのだが、君はそう思わないのかな?」
「思わない、…いいかマゲイア。敵が来たらまず最初にするのは敵対行動・排除行動というのは三流の考え方だ、そもそも敵味方という考え方事態がナンセンスだ」
「ほう、ならどうする」
「利用する、全てな…その為の支度をしてもらいたい」
「分かったよ少年」
「あと何度も言うが私はもう少年という歳ではない」
「分かったよ中年」
「殺すぞ、間があるだろう間が…!」
クスクスとマゲイアは揶揄うように笑う、本当に苦手だ。こいつは明らかに私を下に見ている、今の組織のボスは私でマゲイアはその幹部でしかない、…が。
(はぁ、師匠の口利きでなければとっくに追い出しているのに)
イシュキミリは辟易とする。イシュキミリの組織『メサイア・アルカンシエル』は元々彼が創立したものではなく、彼の師匠が率いていた組織だ、それを師匠から引き継ぎ今こうして運営している。
その時、…言ってみれば先代会長時代に組織を支えた二人の幹部がいる。そのうちの一人がマゲイアだ、こうして若作をしているがその実かなりの古株。下手に扱えばそのまま師匠の耳に届き面倒な事になる。
今師匠は組織を離れ大事な仕事をしている、お手を煩わすわけにはいかない。
「そう言うわけだ、ともかく基本的な動きは追って私が考える。お前達は一旦メサイア・アルカンシエルの支部に赴き待機をし、以前までの計画を遂行出来るよう尽力しろ」
「ん、任せたまえ少年」
「アイアイサー!からのアイアイターン!」
「く…狂うぅ…!」
「………それで、カルウェナンは何処へ行った?」
ふと、ここに集まった主要メンバーを前にイシュキミリは首を傾げる。本来はここにいるべきもう一人の男が見受けられない。
第四刃『崇高』のアナフェマ。
第三刃『陳腐』のミスター・セーフ。
第二刃『人外』のマゲイア・ワンドエース
そして…イシュキミリとそれを支える『参謀』に続くこの組織の最大戦力でありマゲイアと同じく古株に値する男…第一刃『極致』のカルウェナンの姿が無いのだ。
カルウェナンはこの組織最強の男だ、その実力はイシュキミリさえも上回り師匠から直々に愛弟子であるイシュキミリの保護を任されており、普段は自分から特に動くことのない彼がここにいない。その事実に何かとても嫌な予感を感じたイシュキミリは冷や汗を頬に伝わせながらマゲイアに問う…すると。
「カルなら鍛錬に出かけたよ」
「は?」
「南部に来るのは久々だと言っていたからね、大方この近辺の魔獣と手合わせをして修行がしたかったんだろう」
「ハァッ!?アホか!アイツ!」
「アホではない、ただ周りを鑑みないだけさ、私はもう慣れた」
「いや!南部には!この街には父様がいるんだぞ!カルウェナンは目立つ!もし父様にバレたら…どえらい事になるだろ!慣れるな!止めろ!」
「大丈夫、カルは強い。トラヴィス卿に見つかっても上手く逃げ果せるだけの力はあるさ」
…確かに、カルウェナンの実力はこの組織最強どころかマレフィカルム八大同盟の中でも六番目に位置する実力者だ。恐らくだが数分間だけならば魔女とも互角に渡り合えるだけの実力と経験がある。ならばマレウスでも最強格の実力者であるトラヴィスと戦っても無事離脱出来るだろう…。
だが!だが!そう言う話でない!
「今父に警戒されると動きづらくなるんだよ!今は警戒していないからこうして動けるが警戒し始めたら常に街中に魔力探知が張り巡らされる!あの人がどれだけめちゃくちゃな力を持っているか!お前もよく知っているだろう!マゲイア!」
「まぁ…確かにね、流石の私もトラヴィス卿とは真っ向から敵対したくはないな…」
「だろう、なら今すぐ連れ戻せ!セーフ!」
「えぇ、この中で一番目立つ私が行くんですか?」
「こう言う時ばっかり正論を言うな!」
「ァイアイターン…」
ともかくカルウェナンを連れ戻したら組織は暫く埋伏させる、計画が上手く進まないなら一旦切り替え魔女の弟子達の対処に当たる、そう…そうだ。
魔女の弟子が来ると言うことはつまり…奴も来ると言うこと。
(デティフローア・クリサンセマム…)
魔術導皇デティフローア…そして識確の力を持つエリス、この二人が私の手元に転がり込んでくるんだ。それはある意味脅威であり、私からすればそれは好都合にもなり得る。
上手く使う、上手く利用して…そして必ず。
復讐してやるんだ…『魔術』と言う概念に対して、陵辱のかぎりを尽くした復讐を。




