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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十七章 デティフローア=ガルドラボーク
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586.魔女の弟子と飽食の街


飽食の街ガラゲラノーツ…西部から中部をなぞるような道筋にある所謂商人が物品を運ぶ輸送ルート上にある街で、西部の農村や牧場、果ては漁港に至るまで全ての商品が一旦ここを経由することもあり古くから食を取り扱ってきた経歴を持つ街だ。


その様は華やかの一言。飲食店が立ち並び料理人が数多く在籍するのが美食の街ガーメットだとするならばこちらは食材が集まりそれを扱う商人達で溢れかえる街、とでも言おうか。


買っても買っても食べても食べても無くならない飽食の街。エリス達はとある事情にて食糧供給を受けられなくなったこともあり、今日のご飯を求めてガラゲラノーツへと向かった。


この街は凄いですよ、オレンジジュースの噴水、クッキーの家、牛肉がブロックのように積み重なり、道に生えてる雑草も何かしらの野菜と食を全面に押し出しているんだ。ここでなら食材が大量に手に入る。


なんせここは飽食の街、飽きるほどに食材が沢山あって────。




「何ぃっ!?食材が売り切ぇっ!?」


「は、はい…申し訳ありません…」


「こ、ここはガラゲラノーツだろ…飽食の街の!」


「は…はい、一応…」


「なんてことだ…」


「一応りんごはありますが…」


「い、要らん…」


メルクさんは頭を抱えて愕然とする。エリス達は今ガラゲラノーツに来ている、あれから半日かけて移動してようやくガラゲラノーツに辿り着き、こうして食材を求めて店にやってきたのだが…。


「ここも売り切れかよ…もう三軒目だぞ」


アマルトさんは苛立ちを露わにするように舌を打つ。そう…エリス達はガラゲラノーツに食材を求めて来たというのに、行く店行く店全てで『売り切れ』『臨時休業』『close』の看板ばかりを目にしている。


つまるエリス達は今、パン屑一つさえ手に入れられてないんだ。


「一体どういうことなのでしょう、確かに街の入り口には飽食の街との看板があったのですが…」


「食材の匂いひとつしないね、この街…」


「っていうか…この街、なんか全体的に活気がなく無いか…?」


チラリとラグナが街を見回すと…なんというか寂れている。オレンジジュースの噴水は止まり、街の名物クッキーの家は無くなり、道端には雑草一本生えていない。


前来た時はこんなんじゃなかったのに、今はまるで…食そのものがこの街から失せてしまったような、そんな感じがする。そんな有様だからか…街には活気がない、通行人も居ないし…寂れてる。


「アテが外れたんでしょうか…」


街を歩きながらエリス達は開いている店を探してトボトボと彷徨う。しかしそれでも最早開いている店もなく…。


「うぇー!エリスちゃんお腹すいたよー!」


「ごめんなさいデティ、でも本当に前来た時はもっと栄えてて…こんなはずじゃなかったんですが、エリスのリサーチ不足でした」


「いやエリスのせいじゃないよ、そもそもおかしい…ここが例え飽食の街じゃないにせよここまで食材が何もないなんてのは常軌を逸してる」


「普通の街とは思えん。何かあったとしか考えられないな」


「何かって…」


食べ物がないと言う状態ははっきり言って放置していいものではない、誰もがその状況を打開する為に動かなくてはならない。だがどうしてだろう…この街の寂れた感じは、そう言う生きる為に抗うというような熱さはなく、諦めに近い物を感じる。


「まさかソニアが買い占めてたとか?」


「あり得んな、アイツは暴君だが暗君ではない。食糧を買い占め民を困窮させれば逆に自身の地位を危うくさせることくらい理解している。自身に従う者には一定の対価を与えるのがアイツだ、それにソニアが買い占めていたとしても数日たった今もこの街に食料がないのは些か不思議だ」


「………」


「ん?どうしました?ナリアさん」


ふと、ナリアさんがエリス達とは別の方向を見ていることに気がつく。するとナリアさんは…。


「あの、ここって食糧を運搬するルート上の街なんですよね」


「そうですね」


「けどその食料を売りに来てる商人が…街には居ないように思えるんですが」


ふと、そう言われてみれば商人が…というより行商人がいない。居るのは元々街で店を構えている商人だけだ、他所から来た商人から沢山の食料を買い付け売りに出すのを仕事する、それがガラゲラノーツの一つの商業の形のはず。


行商人の姿がないから、店に食料が来てないのか?


「そもそもきてないんじゃね?ほら、最近大雨降ったし、それでどっかしらが崩落して足止め食ってるとか」


「いや、だとするなら全くないのはおかしい。多少残ってないと…たかだか数日で全部なくなるなんて」


「ラグナの言う通りです、事実エリス達が停めた馬車置き場にはエリス達以外の馬車が停まってました…つまり」


「行商人自体は来てる…?でもどこに」


ナリアさんが眉をひそめる、すると…丁度だった。エリス達の進行方向の向こう側から行商人とも思われる一行が、何やら不満げな顔をして歩いてくるのだ。


「あれでよかったんですかねぇお頭ぁ」


「言うんじゃねぇよう、でもなんだかなぁ…金さえ稼げればって思ってたが、あれはちょっとなぁ」


「あれ行商の人ですよね」


エリス達の前から歩いてくる行商人は既に商売を終えたのか、空の荷車を引いてブツクサ言っているのだ。一体何があったのか…考える前に動いたのは。


「どうかされましたか?」


「ナリアさん?」


ナリアさんだ、相変わらず心優しいと言うか…なんと言うか、困ってる人がいたら捨ておけないのが彼なんだ。エリスとメルクさんは互いに視線を合わせ他の弟子達より一歩早く、行商人に話しかけたナリアさんの元へ向かう。


「な、なんだいあんた達は、悪いがもう商品は残ってないよ」


「いえ、なんか不満そうな顔をしてたので…つい話しかけてしまいました」


「え?顔に出てたか?まぁ…商売先でちょっと嫌なことがあってな。まぁこう言うのも商売の一環さ。気にしないでくれ」


「そうですか…あの、実は僕達この街に食材を買いに来たんですが…この街には全く食材がなくて、何か知りませんか?行商人の方ですよね?」


「え?ああ…えっと」


その顔は何かを知ってる顔だった。この街を一つの川とするなら行商人は宛ら湧水。川全体が干上がったなら原因があるなら湧水に原因があると見る場合が多い…つまり。


「まぁ…知ってるよ。けどあんまり他言はしないでくれよ」


すると行商人は空の荷車をみて、今この街で起こっている異変について話し始める。やはり何かを知っていたか…話を聞いて正解だったな。


「俺ぁこの商売を始めて長い、西部の酪農家には顔が効くしこの街にも数えきれないくらい訪れたことがある。元々この街には沢山の食材が溢れて…食を取り扱う者としては天国みたいな街だったさ」


「けど今は…」


「ああ、…無い。この街の領主カトレア・ガラゲラノーツがいきなり街にやってくる食材全てを買い占め独占し始めたんだ」


「りょ、領主がですか?」


「ああ、街にやって来た行商人は必ずカトレアに顔を見せなきゃいけない、そこでカトレアは持って来た商品を強制的に全て買い占め、その上買った物を誰にも渡さない、文字通りの独占。行商人が持って来た商品は全部カトレアが買い占めるから街に卸す分もなくなっちまって…この有様なのさ」


行商人は申し訳なさそうに街を見る。本当は彼も街に卸してこの街の活気を取り戻してあげたいのだろうが…その卸す為の商品を全て領主カトレアが独占してしまった以上、街には食べ物が降りてこないんだ。ダムのようにカトレアが全てを堰き止めてる…ってわけか。


そこで首を傾げるのはメルクさんだ。


「ふむ、だが見たところこの問題は最近表出化した物ではないか?」


「え?なんで分かるんだい?」


「街の人の困窮具合的にさ、食べる物に困っているが飢えて苦しむほどじゃ無い…となるとここ数週間と言ったところか?だがだとするとカトレアは急にこんな凶行に走ったことになるが、理由は分かるか?」


「知らねぇよ、元々業突く張りなお人だったがここまでじゃなかった。二週間くらい前からかな、こんな馬鹿げたことを始めたのは…。この街は西部中の食材が一箇所に集まり中部に流入する謂わば入り口だ、そしてそのまま王都に渡る予定なんだが…それも全部カトレアが堰き止めちまってな」


「ってことはサイディリアルでも今食糧難が起こっているのでは…」


「サイディリアルは別にいいさ、西部からの食糧供給だけに頼ってるわけじゃないからな。精々市場の食糧の値段がちょいと上がるだけだろう。けどこの街はそうもいかねぇよ…近隣の街に買いに行っても大した量は売ってないし、何より収入源だった食料販売もままならないから金もない。金にも食い物にも困ってるのさ」


「……酷い」


「カトレアがなんでこんな事してるかは知らない、けどそう簡単にやめる気もないみたいだ。俺達行商人的には中部への通行許可証を出してるカトレアの機嫌は損ねたくないし…何より一応、金は払ってくれてるしな…唾飲むしかねぇのよ」


行商人は大きくため息を吐きカトレアの凶行に文句を言う。『この街の活気が好きだった』と語るのは本当なようで、今の寂れた様子を見て酷く心を痛めてるようだ。しかしかと言ってそれで意見を言っても変わらないだろうし、何よりそれでカトレアに嫌われたら今度は彼が飢える番だ。


立場的には何も出来ない…というのは心苦しいだろう。


「はぁ、何考えてるか知らないが、こんな馬鹿な事早くやめりゃいいのに。普通にやってるだけでも西部随一の金持ち領主になれてたんだからよ」


「すみません、ありがとうございました」


「いやいいよ、あんたら旅の人間かい?食料を求めてるなら中部に行きな。まだここより食い物があるだろうからさ」


「分かりました…」


そして行商人は再びため息を溢しながらエリス達の横をくぐり抜け立ち去っていく。カトレア・ガラゲラノーツ…それがこの食糧難の原因か。


領主である彼女のせいで、街は酷い有様だと行商人は語った…そしてその言葉の通り、チラホラと見える街の人達は…。


『はぁ、この間の大雨で上流の方が荒れちまって…殆ど魚が取れなかった』


『もう森の方に狩りに行くしかないのかな…けどあそこには魔獣がいるし』


『りんごと水だけじゃ生きていけないよ…一体どうすれば』


見るからに生気を失った人々が皆俯いて歩いている。みんなご飯をまともに食べれてないんだろう。


「こりゃあ酷いな、まるで紛争地みたいな有様じゃ無いか」


「みんな元気ない」


「健全な状態とは言い難いので、恐らくは領主カトレア個人の願望故の物と見られますね」


「…………」


みんなそれを険しい目で見る。中にはラグナやデティという為政者も居て、二人はこういう風に苦しむ民を作らない為に必死で働いて来たタイプの人だ。目の前で飢える民を見せられるのは辛いだろう、それが例え他国でも…だ。


そんな中で、エリスの足は勝手に動く…前へ歩み出て…とある場所へ。


「うぇえーん!お腹減ったよ〜!」


「おお、泣かないでおくれ…ごめんよ、何も食べる物がないんだ」


そこにいるのは一組の親子。痩せた男の子とやつれた母親が道端で泣いている。心苦しい…なんと心苦しいのか。


「ひぐっ、ひぐっ、お肉が食べたいよぉ、パンが食べたいよぉ、甘い物が食べたいよぉ…」


「ごめんね、ごめんね…」


そしてエリスは、泣いている男の子に駆け寄って…。


「君…」


「ひぐっ…お姉ちゃん、誰…?」


「エリスはエリスです」


「誰……?」


「旅人ですよ、それよりお腹空いてるんでしたね…それならこれをどうぞ」


そう言ってエリスは懐から紙の袋を取り出す、その中に入っているのは甘いクッキーだ、それもそれなりの量がある。それを子供に手渡すと…男の子の顔はパッと明るくなり。


「こ、これ…クッキー?いいの?」


「大丈夫ですよ、お腹の足しになればいいのですが…」


「ありがとう!お姉ちゃん!」


そして子供は笑顔で大口を開けクッキーを食べようとするが…直ぐに迷って、チビチビと小さく小分けにして食べ出すのだ。出来る限り長く…その味を楽しみたいから。


なんて悲しいんだ、なんて…なんて。子供がこんな…自分の欲を抑えてでもチビチビと小さく食べる姿を見ていると涙が溢れてくる。


「ありがとうございます旅のお方…なんとお礼を言ったらいいか」


「大丈夫ですよ…さて」


エリスはそのまま親子に別れを告げ、踵を返しながら仲間達の元へ向かう。みんなもなんとなくエリスが何を考えているか…理解しているようだ。


「エリスちゃん…」


「デティ、エリスが考えてる事…分かりますよね」


「うん、それに今のクッキー…」


「はい、デティがこっそり隠してた奴です」


「だよね…エリスちゃんがいつも持ち歩いている非常食を分け与えェェェエエ!?!?私の!?あれ私のだったの!?いつ持ち出したの!?あれ高いんだけど!?」


「そんな事はどうでもいいんです」


「うーん!私にとってはあんまり良くないかなぁ!」


エリスはみんなを見据える。これが天災故に食糧がないのであれば、エリスは涙を堪えて出来る限りの励ましの言葉を送る。これがその家庭個人の問題であったならばエリスは口据えのみに留める。


だがこれが…一個人の欲望によって引き起こされ、それによって関係ない子供が泣くようなのであれば…エリスがやることは一つ。


「みんな!」


「ああ、なんとかしようぜ。これ」


「はい!カトレアをこの世から消しましょう!」


「いやそこまで思ってない!」


「この街の地図屋を呼んでください、今日この日を持ってカトレア邸はこの世から完全に消滅するので!地図を書き換えてもらう必要があります!」


「何する気だよお前!」


「ぶっ潰してやるーッ!」


「落ち着けって!ラグナ!取り押さえてくれ!こいつほっといたらマジでカトレア邸に魔術ぶちかましかねない!」


「あ、ああ!」


ともかく弟子達の活動方針は決まった、ブラリと立ち寄っただけの街だが放置していい物でもない。カトレアによる独裁、それをやめさせる…それが今の目的となった。


……………………………………………………………


『楽』と言う言葉が好きだ、人は楽しむべきだ。人生とは長くて八十年、短ければ果てしなく短い。生まれ落ちたその時に人は泣く、であるならば死ぬ時こそは笑っていたいし笑っていさせたい。僕はそう思っている。


サトゥルナリア・ルシエンテス、今現在アド・アストラ勢力圏内にて絶大な人気を誇る彼とて昔からスターであったわけでもなければ順風満帆な人生であったわけでもない。


苦しい時期もあった、悲しい時期もあった、そう言う時はいつも寒かった。特に力のない子供時代は厳しかった、劇団も貧乏で食うに困ったこともある。外で豪雪が降る中を震えながら毛布一枚で寒さを凌いだこともある。


だからこそ、僕は『楽』が好きだ。楽とは即ち楽劇であり音楽であり芸術であり美術だ。苦しい時も悲しい時も僕は笑って舞台を夢見た。少しでも周りの人の苦しみや悲しみを和らげたかったから。


でも…同時に知っている。楽劇や音楽では…腹は膨れぬ事を、寒さを凌げぬ事を。芸術の非力を知っている。


『お腹空いたよ〜…』


『はぁ、ひもじい…』


『いつまで続くんだ…』


「…………」


僕たちは今ガラゲラノーツという街にいる、飽食などという名がつく街なれど、人は食に対して真に飽きを感じることはない。無くなれば恋しくなるし、辛くなる。


今この街の人達は飢えている。悪逆の領主カトレアの暴走により食を奪われ飢えている。皆涙している、苦しんでいる、聞こえてくるのはため息と嗚咽ばかり。


この中でも、僕は無力だと痛感する。僕に出来るのは演劇だけ…けれど演劇で彼らを真に励すことはできない。どれだけの名演をしようとも…腹は膨れぬのだから。


「ナリア?さっきからボーッとしてどうした?」


「へ?あ、はい…ちょっと、この街の景色を見て…色々考えちゃって」


メルクさんが声をかけてくれる、チクシュルーブでの戦いを乗り越えた彼女はより一層大きくなった。大きく高くなった視座は多くを見据える、以前にも増して落ち着きを手に入れたメルクさんは、僕のこの気持ちさえも身通しているようだった。


「最近、無力を痛感する事ばかりで…今回もそうです、僕はここにいる人達に対して、与えられる物が何もない」


実力面もそうだが、こうして世界を旅して自分の極めた分野が通用する場面があまりにも少ない事を実感した。エリスさんのように記憶力が豊かなわけでもデティさんのように魔術の才能があるわけでもない僕は、ひょっとしたらここにいていい存在ではないのかもしれないと。


分かっている、そういう話ではないのだと。僕は誰かを救えるからここにいるわけじゃないし、エリスさん達もそうだ。だがそれでも僕は…寒さに凍える人がいたら、『楽』の火を与えてあげたいんだ。それが無謀であれ、無茶であれ、なんでもだ。


「無力を痛感か…分からんでもない、だが気負うな。我々は神ではない、それになんとかする為に今我々は歩いているのだろう?」


「そう…ですね」


メルクさんのいうことは最もだが…やはり考えてしまう。自分に何が出来るかを、それともこれは考えすぎなのだろうか。悶々とした心地が晴れない、あまり煮詰めて考え過ぎてもいいことはないかもしれない。


まずは一旦…目の前のことだけ考えよう。


「なぁおい、俺達ぁ今カトレアって奴の館に向かってんだよな」


ふと、アマルトさんが腕を組みながらそんな風に声を上げる。そうだ、僕達は今カトレア・ガラゲラノーツという人物の館へ向かっている。方角は行商人達に教えてもらっている。だが…。


「この先に館なんて見えねぇけど」


「というか普通に行き止まりでございますね」


しかし僕達がたどり着いたのは街の奥。この街は巨大な岩壁を背にする形で出来ており、その岩壁から垂れる荘厳な滝はある意味この街のシンボルとも言えるだろう。


そう、街の奥までやってきた僕達の前にあるのは巨大な岩壁と滝だけだ。館があるようには見えない。事実としてエリスさんやラグナさんが左右を見回すがそれらしい施設はない。


これはどういうことだろうか、そんな風に足を止めて考えようとした瞬間…ネレイドさんが指を指す。


「あれじゃない?」


「へ?…え?嘘だろ…」


そう言ってネレイドさんがさした指は上へ上へと伸びている。それはほぼ垂直と言ってもいい程の角度で上を向き、天を指している。


その指に導かれるように上を見れば…確かに見えた、それは岩壁の上。巨大な滝の発生源付近に見える館の影。つまり…。


「上かよ!」


「うへぇ〜見てよあそこ坂道があるよ…」


「登れ…と」


ため息が聞こえる、誰のかは分からないが…誰でもいいだろう、多分全員が同じ気持ちなのだから。今目の前にある岩壁を登るよう促す坂道が視界の端に映る、つまるところカトレア邸はこの崖の上であり、彼女に話を聞くには上に行くしかない。


なんと不便な、あの行商人さん達はよく荷車を押してこの坂道を登れたな。という感心が先に来てしまうくらいの急勾配にやや呆れる。


「行きましょう!」


しかしそれで止まるエリスさんではない。彼女は子供の涙を見た時点で止まるという選択肢を選ばない。それをみんな分かっているからこそ彼女の勢いに任せているんだ。


エリスさんがもたらす推進力は凄まじく、僕達はエリスさんに引っ張られるように長い長い坂を登り館を目指す。


「ナリア君大丈夫?」


「ふぅ…ふぅ、大丈夫です!」


坂道を登っているとネレイドさんに声をかけられた。これでも一応鍛えてきたつもりだし今も鍛えているんだ。けれどそれでも身体的なスペックはやはりネレイドさん達には敵わないな…。


チラリとネレイドさんを見ると既にデティさんはネレイドさんの背中にセミみたいに引っ付いていた。それはそれで疲れないのだろうか…。


「見えてきた!」


「ようやくかよ…空きっ腹にこの重労働は効くぜ…」


そうして僕達は坂道を乗り越えようやくカトレア邸を目にすることになる。崖の上には大きな河川が一つ、それが滝として流れるその目前に白亜の館がデンッと鎮座する。


その館に評価をつけるなら、とても独善的な館…と形容しようか。白く塗られた壁は陽光を受け輝き、あちこちに散りばめられた黄金の細工はその美しさを際立たせる。それ単体で見ればとても美しくはあるが周囲には何もなくただ滝と空だけが調和する。


まるで自らを見せる為、自らのの権威を示すためだけのような美しさ。何処か寒々しい虚栄心のような物が滲み出すその館に、持ち主の性根のような物を見る。


(神経質そうな人が住んでるんだろうな)


館自体はかなり大きく、一般的な物の数倍はある。恐らく輸送の要点としての役割を持つ街を滑るが故にそれなりに金も稼いでいるんだろう。であるにも関わらず庭や壁面には汚れが見当たらない。かなり外面を取り繕うのに気を遣っている印象を受ける。


「たのもーう!」


「あ、おい!エリス!」


しかしエリスさんはそんな事も気にするまでもないとばかりにズカズカと門の前へと向かう。当然居るのは守衛だ、よく磨かれた槍を手に白い鎧を着た守衛が僕達を見るなり鎧の擦れる音と共に動き出し道を阻む。


「何者だ?ここがこのガラゲラノーツを守護せしカトレア・ガラゲラノーツ様の館と知ってのことか?」


「知ってます、エリスはそのカトレア・ガラゲラノーツに用があって来たんです」


「なんだと…?」


その瞬間、話がこじれる前に色々と察したアマルトさんがエリスさんの襟をグイーッ!と引っ張り後ろへと追いやると共に交代するようにメルクさんが前に出る。エリスさんは一度敵と認定すると当たりがかなりキツくなるところがある。


それが原因で問題が起きたこともある、なのでここは人と話し慣れているメルクさんが対応することとする。


「失礼、我々は諸国を漫遊し勉学に励む者でな。以前立ち寄った西部の街で西部で最も聡明な貴族はカトレア殿である…との言説を聞き及び是非ともお話を伺いたいとこの街を訪れたのだが」


「つまりカトレア様とお話ししたいと?」


「出来るだろうか、そちらの条件は出来る限り飲む。身元の証明が必要であれば…こちらで済ませられるだろうか」


そう言ってメルクさんは一瞬後ろに手を回すと、手の中で錬金術を行い…それを生み出す。知識にあれば如何なる形、材質、大きさ問わず生み出せる錬金術によって生み出されたそれを守衛に向けて差し出す。それは…。


「これは…理想卿賞勲…」


それはチクシュルーブの商人達が持っていたバッチだ、恐らくメルクさんはそれが何か知らない、ただチクシュルーブでの戦いでチラリと見ただけの物に過ぎないだろう。


だが、それを身につけていたのが商人で、それがなんらかの意味合いを持つ装飾品である事を察し。賭けに近い状態でそれを見せたのだ。するとどうだ、守衛の警戒心がみるみる薄れていくではないか。


「なるほど、理想卿チクシュルーブ様傘下の商人だったか」


どうやらあれはソニア御用達の商人、つまりヘリオステクタイト拡散の任を背負った商人達に与えられる勲章だったようだ。そして守衛やカトレア、この街の人間にはまだソニアが死んだ事、商人達がもう誰一人として生き残っていない事は知らされていないようだ。


当然と言えば当然、なんせチクシュルーブにいた人間はみんないなくなってしまった。サイディリアルに報告に行く人間もいないし、恐らくこの事態が全体的に広まるのは相当後か、或いはクルスの時のように隠蔽されるか…だろう。


「チクシュルーブ殿とは古い付き合いでな、彼女と共に経済について語り合った事もある。そんなチクシュルーブ様から西部で最も影響力がある貴族はと聞いたところここを紹介されたのだが…入れるだろうか」


カトレアもまた西部貴族。王貴五芒星たるソニアには逆らえない、故に守衛もまんまと門を開け───。


「それは出来ない、申し訳ないが帰っていただこう」


「何…?」


───ない、開けない。首を横に振り口にしたのは拒絶、断固たる拒絶。警戒はしないし身元も把握したがそれはそれとして入れることは出来ないと言うのだ。カトレアに話を通すまでもなく守衛が即決で拒否を選択した、つまりこれが意味するところは…。


すると…。


『おや?誰かしら?御客人?』


「む…」


門の奥から現れるのは、一言で言うなれば貴婦人。優美な歩みと麗美な佇まい、教養と意識を兼ね備え努めて優雅である事を誇示するように歩く華奢な足。ドレスを翻し現れた彼女に僕達の視線は一点に集う。


「カトレア様!」


「あれが…」


守衛は呼ぶ、カトレア・ガラゲラノーツの名を。つまりこの館で最も大きな顔が出来る人間でありこの街で最も好きに生きることが出来る立場であり、この場で最も重要な人物。


それが彼女…。


「ええ、ごきげんよう皆々様。私がカトレア・ガラゲラノーツ…この街、そして南西部を統括する貴族でございます」


「……なんかの冗談かあれ」


アマルトさんが眉をピクピク動かす、多分僕も痙攣させていたと思う。何故かって、それはカトレアの姿があまりにも…その、えっと…上手く言えないな。


姿形が醜いわけではない。長い金髪に切れるような目ははっきり言って美しく、プロポーションも自信に満ちるに相応しい整った物だ。美しいだろう…だが問題は格好。


ソーセージのネックレス、生ハムのドレス、グリーンピースのブレスレット、チーズのイヤリング、岩塩のヒール…身につけている全てが食品なのだ。まさしく飽食の権化みたいな格好に全員が絶句する。


「歩くピザかアイツは…」


「気持ち悪くないのかな…」


「ど、どう言う感性なんだ…」


これには流石の僕も言葉がない、だって変だもん…!


いや、あるいは美醜ではなくメッセージ性?自らを一目で飽食の街の領主であると示すための…いや分からない。


「こんにちわカトレアさん、美味しそうですね」


「ラグナ黙ってろ、そして涎を拭け」


「チクシュルーブ様の名前が聞こえたと思ったのだけれど、見たところ理想街とは関係のなさそうな人達ですね。全員粗野で…見るからに貧乏人ですし?」


「む……」


するとカトレアは守衛に守られながらも僕達に視線を向ける。卑しい物を見るような、侮蔑の視線。恐らくチクシュルーブの関係者と言う嘘は見抜かれたようだ、そして彼女はビーフジャーキーの扇を広げ自らを扇ぎながらくすくすと微笑む。


「魂胆は分かっています、文句を言いに来たのでしょう?大方貴方達は旅人で飽食の街の恩恵を貪りに来た蟻も同然の存在。ですが残念…私は決めたのです、もう飽食の街の慈善事業は終わりにしようと」


「終わりだと…?」


「ええ、今までは我々ガラゲラノーツ家の威光によりこの街に多くの食品が集っていました。我々はそれを中部へ送り届けサイディリアルに居る皆々様の生活に潤いを与える事が役目、その過程で出た端数を街に溢して貴方達のような旅人や街の人間が生きていけるよう施しを加えていたのです」


「つまり、飽食の街が栄えていたのは。ガラゲラノーツ家の人間が市井の者達に慈悲として持ち込まれる食品を分け与えていたから…と?」


「理解できまして?言ってみればこれは我が気紛れ。ですがそれももう終わり…私は決めたのです、小耳に挟んだ話では今空いていると言うではありませんか?東部の王貴五芒星の座が。完璧であるべき五芒星の一角が外れている、であるならばそこにはこのカトレア・ガラゲラノーツが座るべきでしょう」


「それと、市井に食品を降ろさなくなった理由と…独占する理由と、何の関係がある」


「食は金に勝る。金があれど人は飢える、金の価値が担保されるのは食べ物を買えるから、つまり食は価値の源流!そこを支配すれば私は容易くこの国を牛耳ることが出来るとは思いませんか!?」


浅はかと言えるだろう。つまるところ彼女は食べ物を独占しマレウス国内で流通される食べ物の数を抑え、食べ物そのものの価値を上げ…その価値ある物を多く持つ自分地位を同時に上げようとしているのだ。


その為に西部中の食べ物が集まるこの街を使って、その地位を使って、食べ物を独占。旅人や街人にも分け与えず自分だけでそれを消費していると。


頭が悪いと言わざるを得ない、それ以上に悪いのは人格か。


「市井に食べ物を降ろしても私の地位には繋がらない、ましてや市場に流して旅人に買わせたところで私のメリットは薄い、ならこれを私一人が独占しより高次の領域で取引する、チクシュルーブ様に献上したり、レナトゥス様に捧げたり、使い道はたくさんある」


「…………」


「そして西部中の食べ物を牛耳る私の存在はマレウスで肥大化していく。飽食卿ガラゲラノーツと呼ばれる日も近いと言う物です!オホホホホ!」


「それで!」


「む?」


咄嗟に口出ししてしまう。カトレアのミルクティーよりも甘い見立ても、他を顧みないやり方も、ワガママな理屈も、全てが納得の行く物ではなかった。何より彼女はその食べ物を装飾品として身につける無駄に浪費している、今彼女が身につけているそれは…街の人達が涙しながら欲している物じゃないのか…?


「それで…どうなるって言うんですか、王貴五芒星になって…それで、何が得られるんですか?」


「何が言いたいのですかこの小娘は」


「僕は男です!今…この街の惨状を見て心痛めた一人の男です、今街の人達は飢えています、このままじゃ死人が出る…貴方が一人で独占しているそれは、みんなが欲しがってる食べ物じゃないんですか…!」


「これは私の元に集った食べ物で、私が私の金で買った物。私が好きにしていいでしょう?」


「少しでいいんです、貴方が食べ物を使って地位を上げる事を否定はしません。だから買うのを少しだけ抑えて行商人の皆さんが街の人達に売る分を残してあげてください。みんなが食べる分を…少しだけでも」


「全部は取り上げていません、りんごと水を食べる事は許可しています。それで腹を満たせばいい」


「それだけじゃ人は生きていけません!だからお願いです!少しだけでも…!」


「ええい!くどいッ!」


その瞬間、カトレアの声に応じて守衛が槍を構え僕達を追い払うように鋒を向ける。その尖った鋒はまるでカトレアの心だ、何物も寄せ付けず、掴ませる事もなく、ただただ拒絶の如く向けられる…心そのもの。


「言ったでしょう、私は今の地位に甘んじるつもりはない。より上へ上がるこの日を待っていたんです、民や旅人に慈悲をかけるのは終わりです、何か食べたければ他所に行きなさい!」


「民なき王は王たり得ません!誰も訪れない街は街たり得ません!慈悲なき人は…人たり得ないのです!」


「喧しい!聞くに耐えない!こいつらを引っ捕らえなさい!」


「ッ…」


行商人も、民に食べものを分け与えられない事を悔やんでいた。民もそれを分かっているんだろう、行商人に文句を言う素振りはなかった。カトレアだけなんだ…自分勝手に振る舞っているのは。


耳を貸さず、口を閉ざし、目を覆い、それで得られる欺瞞の地位になんの価値があるのか。王たる輝きは魅せてこそ、見せてこそ、観せてこそ意味があると言うのに。


「ナリアさん」


その瞬間、敵意を露わにした守衛達を前に、それを上回る敵意と威圧を放ち全てを制止させるエリスさんは…鋭い眼光でカトレアを睨む。


「…え、エリスさん?」


「な…何かしら、貴方も何が言いたいのかしら?」


「…いえ、別に…かける言葉もないので、言いたい事もありません」


「なっ…!?」


「みんな、帰りましょう…ここに来たのは全くの無駄でした」


「だぁな、会話になんねぇんじゃしょうがない」


「ちょっと!?みんなー!」


エリスさんやラグナさんは呆れたように踵を返し去っていく。僕もまた去る…論で理解し合えないのなら言葉を交わす意味もない。残念ではあるが…カトレアは考えを変えるつもりはないらしい。


「ッ…!なんですかあの無礼者たちは!気分を害されました!オリーブオイルのプールを用意しなさい!全く!」


「あ、あの…連中はいいのですか?」


「構いません、クレーマーに構う暇はないのです」


そしてカトレア達もまた館へと返っていき、この話し合いは全く無為な物と終わった…いや。違う、決して無為などではなかった。何故ならば…つけたからだ、カトレアは。


「許せません、カトレア…独善的で、独裁的、あんなの間違ってます」


「ああ、少し分からせてやらねばならんかもしれんな」


僕達の…『行動力』に火を。何よりエリスさんの怒りに火をつけた。


エリスという人間は一度火がつくと決して止まらない、それが時に良い結果を生む事もあれば悪い結果を生む事もある、ラグナさんはそれを不確定因子と呼び、アマルトさんは不安因子とも呼ぶ。それだけ読みきれないのがエリスという人間の動き。


だがそれでも絶対と断言出来るのは、良い物であれ悪い物であれ、『結果』は出る…つまり、この街に何かしらの変革は生まれる事となる。


「エリス達でなんとかしましょう!カトレアの自分勝手を!子供が泣くこの街のあり方を…エリスが変えますッ!!」


そうして、僕達の新たな戦いが…飽食の街ガラゲラノーツでの戦いが始まった。


の…だが。


……………………………………………………………


「で、実際んところどうすんのさ」


「んー…」


それから僕達は街へと降りてどうするかを考えることとなった、作戦会議場は街の喫茶店。一応営業している物の飲み物は白湯、食べ物も生のりんごだけだ。それもりんごも数が限られているから八人で八等分したかけらを一つづつ齧る。


「どうするかな」


アマルトさんに聞かれたラグナさんが困ったように首を傾げる。目的は一つ、カトレアに食べ物の独占をやめさせる、だが口で問うてもあれはテコでも動かない。かと言って暴力でカトレアを殴りつけたとてこれもまた考えを変えさせるに至るかと言えば微妙なところ。


果たしてどうしたものかと全員で考える。


「にしてもふざけた女だ、カトレア・ガラゲラノーツ…何が食べ物を独占して自分の地位向上だ、そんな事無理だと少し考えれば分かりそうな物を…」


シャクシャクとリンゴのかけらを頬張るメルクさんは怒りのままに呟く。ふざけた話と言えばそれはそうだろう、何がどう巡り巡って食べ物を独占しただけで王貴五芒星になれるというのか。


確かに彼女が独占する事で食べ物の単価は上がる。だがそれだけだ、マレウス全体の食糧供給は西部だけで賄っているわけではない、北部も南部も、少ないながらも東部でも行われている。


だというのにカトレアの論説はあまりにも世情が見えていない。よく言えば世間知らず、悪く言えば思慮浅く視座が低い。自分の権限を好き勝手振るう言い訳に王貴五芒星を使っているとしか思えない。


「あの手の類は結局自分の好き勝手にしたいという欲が先にある。その後に理由づけが来る。今まではその理由づけがついてこなかったから抑制されていたが…クルスの死でそのタガが外れたんだろうな」


「食品を独占し、民にも分け与えず自らの財産とする…あまりにも短絡的だよ。彼女の権威の基盤はこの街だよ?それが衰弱すれば当然土台が崩れる。王貴五芒星に任命されたとしてもロクに領地運営も出来ないよ、あの調子じゃね」


「ある意味で、クルスの後継としてはお誂だな」


ラグナさん、デティさん、メルクさん、皆共に国を運営する者として怒りを隠せないようだ。いや王でなくてもあのカトレアの態度は憎らしい物だ、頑固に考えを変えず…頑なに自らの利益と財産を主張する。業突く張り者という評価はまったくもって正当な物と言える。


「けど実際んところ権威そのものはあるわけだろ?ここで俺達がアイツを囲んでみんなで棒で叩いて咎めても、またアイツは行商人から食べ物を買い占め独占するだろうぜ?あの手の奴は半端なやり方じゃ懲りない」


「助ける…という行為は、ただ今目の前にある問題を解決しただけでは助けるとは言いません。やるならもう二度とこんな問題が起きないようにしたいですね」


アマルトさんとエリスさんが深刻な顔で告げる。少なくとも僕達が取る手段は完璧でなくてはならない、僕達は一生ここにいてカトレアを戒めるわけにはいかない。だがこそ完全無欠の解決が求められる…だが。


「で、そこをどうするかって話だけど…正直何にも浮かばないよね」


「そうなんだよなぁ…参ったな」


やる事は決まってるが、何をするかは決まってない、そこにみんな悶々と考えを巡らせるが…何も見えてこない。当然僕も考えているが…やはり何も。


「………………」


「…え?」


ふと、メルクさんが僕を見ていることに気がついた。何か言いたいのだろうか…それとも何か、指摘が…。


『あんたいい加減にしてよ!』


『そっちこそ!』


「わわっ!?」


その瞬間、店の外で何やら怒鳴り声がするんだ。それもかなり…深刻な喧嘩の。僕は慌てて椅子を引いて立ち上がり店の外に出ると、そこには。


「魚を取ってきてくれるって言ったじゃない!今日も成果なしってどういうこと!?」


「だから川が荒れてたんだって!そもそも俺は漁師じゃなくて料理人だ!魚釣りなんてしたことないんだよ!」


「うちの子が空腹で泣いてるってのに何が料理人だ!!」


喧嘩だ、それも恐らく夫婦と思われる男女が店の前で胸ぐらを掴み合う喧嘩をしている。いやよく見たらこの夫婦だけじゃない。


『ちょっと!なんでこんな時に意地汚いことしてるの!』


そう叫ぶ婦人が居て。


『五月蝿い!ちょっとは黙ってよ!』


耳を押さえて叫ぶ少女がいて。


『この!お前さっきからずっと目障りなんだよ!』


道行く通行人に食ってかかる男性がいて…。


夫婦の喧嘩に触発されてみんな抑えていた物が噴き出ているんだ、苛立ちが怒りに昇華し、怒りをぶつける先をみんな求めているんだ。酷い有様だ…ラグナさんはここをまるで紛争地と語ったがそうじゃない。燎原だ…何も残らない燎原のようだ。


「貧しいってのは腹を空かせる、腹が空くと心も貧しくなる。人ってのは腹が減ってる時が一番優しくなれないもんだ」


「アマルトさん…」


「悲しいものですね、人の争いはいつも貧しさの中で生まれるとは帝国の賢者がかつて語っていました。因みに私のことです」


「メグさん…」


急いで外に出た僕を追ってみんなも外に出て、街の惨状を目にする。貧しいんだ…ただただ貧しい。お腹が空いて苦しくて悲しくて、心に隙間風が吹いている。それが寒さとなって心を冷たくする。


(酷い……)


それはやがて周囲に伝播する。喧嘩している人達を見ていたら…僕まで悲しくなってくる。みんな喧嘩したくてしてるわけじゃないんだ…ただただ貧しいから。


何も満たされないから、怒りが湧いてくる。理由も形もない空虚な怒りが場を満たす、それがやがて争いになるんだ…。


「ッ……」


今、彼らは満たされていない。お腹も心も、だから争う…ならば。


「メグさん」


「はい、なんでしょう」


「楽器…演奏できますか?」


「へ?」


そして僕は…僕の仲間達にお願いする。お腹と心が満たされないから争いが生まれる、僕の信条たる『楽』ではお腹は満たせない…だが。


心なら…満たせるかもしれない!


………………………………………………………


「もうお前らなんか知るか!」


「あんた!それ本気で言って……」


怒りが満ちる街、空腹が心を冷まし、人々に怒りの炎が充満するこの街で…さらにもう一歩、一線を踏み越えようとしたその時だった。


「ん…?」


響くメロディ、耳に浸透するような美しい音色が喧騒を一時的に掻き消し…否が応でも人々の目を引く、皆が一斉に視線を向ける先には凄い勢いでバイオリンを掻き鳴らす謎のメイド、そして…お立ち台に立つ一人の青年の姿があった。


「なんなんだアイツら」


「さぁ…」


それらを見た街人が一番最初に抱いたのは『更なる怒り』だ。こんな時になんなんだと、慢性的な空腹が苛立ちを催し、更に過敏になった聴覚には音色さえ棘となる。


うるさいから黙っていろ、喧しいから綺麗にしろ、チンドン屋はお呼びじゃない…そう叫ぼうとした、その声よりも前に…お立ち台に立つ青年、サトゥルナリアは静かに息を吸い…。


「ラーー……」


一息、口から音色を奏でる。目を瞑り祈るように、発せられたそれを声と認識する者はいない、街人達が感じたのは。


「なっ…!?」


「嘘…!?」


『美』である。人には三大欲求というものがある『食欲』『睡眠欲』『性欲』だ、これに勝る欲望は存在せず、これに優先されるものはなく、失われれば人は荒れ争う。これは人が人として成立し生誕したその時より抱える業である。


だが…一時的にそれを忘れさせる物を、人は作り上げた。それこそが美である。


今音色を奏でるサトゥルナリアの背に人々は美を見る、まるで一流の絵画の如き煌めきと精巧な彫刻にも勝る存在感を。


「ァ〜…ラーララ〜……」


「綺麗……」


楽譜無き演奏、情動のまま奏でられるサトゥルナリアの美は彼自身の心をより強く反映させる。それは即ち心を鎮め怒りを抑え共に『楽』の心を取り戻してほしいという祈り。魔術にも勝る奇跡は場を一気に包み込み、人々はただ呆然と享受することしか出来ない。


「ラララ〜〜……」


「ゴクッ……」


固唾を飲み、思わず注目する。既に言い争う者もなく…『うるさい』などと言える者もいない。


美で黙らせる、それは如何なる説得よりも強く人々を鎮め…そして。


「ラララ〜……コホン」


「ハッ…!」


演奏が止む、そこでようやく人々は気がつく。何をそんなに怒っていたのかと…何故思っても無いことを口にしていたのかと。美な腹を満たさない、だが満たされぬ心に潤いを与える事はできる。…落ち着く時間を与える事はできる。


サトゥルナリアの思惑通り、落ち着いた人々はやや居辛そうにしながらも…黙ることしか出来なかった。


「皆さん、喧嘩は…やめてください。今争うべきは…今あなたの前にいる相手じゃないって、皆さんも分かると思います」


「ッ……」


「お腹が空いているのは分かります。この街を取り巻く問題が何かも知っています…僕に出来るのは、歌を歌うことだけかもしれません、けれど」


聞かせる声…というのだろう。この場にいる全員が確かに聞き取れる声で、全員の心に届ける声でサトゥルナリアは語り、自らの胸に拳を当てて。


「僕達が!なんとかします!この街にかつての美を取り戻してみせます!だから…安心してください」


「安心…」


そう言われると、何も解決していないのに…まるで腰を落ち着けたような平穏が場に広がるのが分かる。ようやく落ち着ける…そんな安心感が胸に湧き出る。湧き出たと思わせる。


サトゥルナリア・ルシエンテスという男は『思わせる』と言う事に於いては、恐らく世界で最も高い技量を持つ者だ。そんな彼が今この場に巻き上がる怒りを鎮めたと思わせたのだから、安心出来ると思わせたのだから、言葉は水よりも心に染み込んでいく。


「う…、わ…悪かったよ…」


「い、いえ…私も…」


そして落ち着きを取り戻した人々は申し訳なさそうに相手は謝罪を述べ、急速に成長した怒りの炎は一気に鎮火され行く、その様を見たサトゥルナリアはホッと息を吐く。


…満たせたようだ、心を。僕が何かを与えたわけではなく、人々が芸術から何かを受け取ってくれた。至高の美術はただ在るだけで人々に『何か特別なものを得られた』と感じさせる物だ、その得られた充足感が一時的に人々の貧しさを和らげた。


金もない、食料もない、ただ貧しいこの生活の中にある特別感…それが力を持てた。けど…そんな物はその場凌ぎ、先程も述べたが美は腹を満たさない、腹が空いていれば再び心に隙間風は吹く。


また争いが起こる、争いが起これば…今度は同じ手では防げない。美とは初めて見たその時の感動が最も大きいのだから。


結局僕に出来るのは…これくらいで…。


「すげぇな、マジで歌で喧嘩を止めさせたぜ」


「うん…やっぱり、聖なるかな」


「え?」


ふと後ろを見るとアマルトさんやネレイドさんがパチパチと拍手を僕に送ってくれていた。確かに歌で喧嘩は止めたがそれは一時的で…。


「あの場で、俺達の中の誰かが止めに行ってもあの喧嘩は止まらなかった。喧嘩が止まらなければ街はもっと荒れていた、ただでさえ無政府状態なんだ、街全体を暴徒が荒らし回ってもおかしくない状況だった」


「そうですね、戦乱と言う大火はいつも足元で燻る火種から起こる物、ただの口喧嘩と侮ってはいけません」


「エリスさん…ラグナさん…」


「お前にしか出来ない事だったよ、ナリア。やっぱ流石だな」


ラグナさんに頭を撫でられ顔が熱くなる、そんな別に特別なことをした覚えはないが…それでも、僕に出来ることがあるならやりたい。そう思ってやっただけなのにそこまで褒められると照れてしまう。


「…ふむ、演劇のようだ」


「おや、どうされました?メルク様」


ふと、そんな一連の動きを見ていたメルクさんが自らの顎を撫でながらウンウンと頷く。


「まるで演劇のようじゃなかったか?今の。荒れる街を一人の青年が歌で救う…良い演目だったと思う」


「茶化すなよメルク、今のは演劇じゃなくてリアルだぜ?だから凄いんだろ?」


「そうじゃない、茶化してるわけでもな。だが真に迫る劇はある意味現実にも迫ると私は思う…ナリア君、君もそう思わないか?」


「え?ええ…演劇において現実味は大切な要因なので」


メルクさんに振られて僕は頷く。現実味があるから良い劇と言うわけでは無いがそれでも大切な要因である事に変わりはない。何かを伝えたい時、何かを見せたい時、重視するのは観覧客の皆様と劇をリンクさせる事。つまり現実を生きる人々に虚構の人々が語りかけるには現実味と言う説得力が必要で…。


つまるところ、まったくもって荒唐無稽な話だけが演劇ではないということだ。


「私は思うんだ、街を虐げる邪智暴虐の暴君によって民が泣く、それに怒りを覚える若者が暴君を戒める…これもまた演劇のようだと」


「かもしれないですね、帝国ではあんまり為政者に逆らう系の劇はやりませんがそれでも他国ではよく見られるジャンルかと」


「だろう?…じゃあこれが劇だとして、ナリア君。君はこの後どう話が展開すると思う」


「え?展開するって…もしかしてそれ、僕にこの一件の解決方法を聞いてますか?一応僕も考えてますけど全然浮かばなくて…」


「違う、それは現実の話だ。これが劇なら…と言ったろ?どう展開する」


「えぇ…?」


難しい事を聞いてくる。だがこう言う話で若者側が負けると言うシナリオはあまりない、そう言うジャンルの悲劇であったとしてもここまで状況に収集がつかない状態だとやっぱり暴君側は打ち倒されるだろう。


暴君とは言うがカトレアは王ではないから処刑されて革命が起きるって展開も無理筋だし…んー、やっぱり。


「勧善懲悪になるかと、神の怒りか…或いは正体不明の罰が降り、カトレアが懲らしめられ民が笑顔になる。そんな痛快な展開が一番いいかなって」


つまり、正義が悪を懲らしめ善のあり方を示す。良い老人が良い目を見て、悪い老人が懲らしめられる。エトワールにもよくある御伽噺のような展開が似合うのではないだろうか。


そうみんなに伝えるとラグナさんは顎に指を当て考え初め…メルクさんは大きく頷き。


「ならそれで行こう、今よりこの街は一つの舞台となりカトレア打倒という劇を演じ、その主演を君に任せる。ナリア君」


「え…えぇっ!?いやだからこれは劇だったらの話で…」


「いや、案外いいかもしれない。俺達は下手に色々考えすぎていた、ここは一発痛快に行った方が意外と丸く収まるかもしれねぇ」


「ラグナさんまで!無茶ですよ!」


「さぁナリア君!一旦現実のことは忘れて…あれがこれからどうなるか、この劇の先の展開を教えてくれ」


そう言いながらメルクさんは僕の肩を持ち、崖の上の館を指差す。って言ってもこれは劇じゃないし…いや、違う。


メルクさんは僕に任せてくれている、力になれないと落ち込んでいる僕にチャンスをくれている。そのチャンスを前に言い訳をして逃げたら僕にはもう悩む権利さえ与えられない。強くなりたいなら…飛び込むべきだ、火中にこそ望むべく物があるのなら…迷わず手を伸ばす。


そう言う覚悟を、あの雪降る夜にコーチに向けて述べ、僕は魔女の弟子になったのだから、メタい事言って冷めるのはやめよう。


「…これが劇なら…」


覚悟を決めて館を見る。崖の上にある館なんてなんともフィクションみたいじゃないか。そして守衛がたくさんいて、中にはみんなの求める食べ物があって、僕達はそれがほしくて…民がそれを欲して居て。


「ッ……」


浮かぶ、瞼の裏に一枚の絵画が浮かぶ。それはこの世に存在しない僕のイメージだけによって構成された一枚。


それは…月下を飛び、悪辣な為政者から宝を奪い、民に分け合う…義賊の姿。義賊、いいな…如何にも勧善懲悪だ。


よし…だったら。


「すみません、先の展開は浮かびません…」


「そ、そうか…なら……」


「ですけどタイトルは浮かびました、こういうのはどうでしょう皆さん」


そして僕は振り向きながら、めいいっぱいの勝利の笑みで告げる…。


「『月下の大怪盗ナリアール』…とか?」


「怪盗……フッ、いいな…それで行こう!」


自分で言っててちょっと恥ずかしくなったけど、いいじゃないか、小っ恥ずかしく気障ったらしく行こう。でなきゃ人は魅せられない。


これから開幕する演目は…かつてエトワールを騒がせた大事件の後日談。


『月下の大怪盗ナリアール』だ…!


………………………………………………………………


「全く気味の悪い若者でしたわね、もしや奴ら…私の食べ物を狙っているのでは…」


一方、オリーブオイルのプールに入り、先ほどの来客…魔女の弟子達を思い浮かべるカトレアは危機感を募らせて居た。


こうして食べ物を独占すれば反発が出ることは分かって居た、もしかしたら民が冒険者を雇い暴力的に私を貶めようとするかもしれないなど…容易に想像できた。


「フッ、ですが関係ありません…その為の支度はしてありますから、私仕事が出来るので」


だがそれも織り込み済み、既に私兵団を配備してあるし…何より。


「そうですよねぇ?貴方がいれば…どんな敵が来ても楽勝です。マレウス・マレフィカルムを統べし八大同盟の一角、至上の喜劇マーレボルジェ…その頭領さん?」


「………ええ、まぁ」


チラリとプールの外に目を向ければ。そこに立つのは血の赤の如き髪を持つ一人の女。彼女こそはカトレアの持つ全てのコネクションをフルで使い呼びつけた最大戦力。八大同盟マーレボルジェの頭領…。


「頼りにしてますわ、ルビカンテ・スカーレット」


「………怠い…」


ルビカンテ・スカーレット。マーレボルジェ頭領…またの名を『狂気譫妄』のルビカンテ。世界最悪の芸術家にして『血染めの街』などの作品を作った最強の外道は居心地悪そうに頭を掻く。


彼女がいればどんな敵が来ようとも無意味なのだ…私の地位は保たれる。なんでも来てみなさい……!

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