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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十七章 デティフローア=ガルドラボーク
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583.魔女の弟子と天を掴む魔王の手


「この方こそがイージス国王直系の魔蝕の男児!バシレウス様になります!」


あれはもう何年前の事だったろうか。物心がつき始めたか…或いはそれより前だったか。まだ幼いバシレウスはいきなり地下深くに居を構えるネビュラマキュラ元老院の元へと連れて行かれた。まだ若く宰相として辣腕を奮い始めた頃のレナトゥスに連れられて。


「…………」


「おおこの子が、確かにネビュラマキュラの証たる白髪と赤目が発現している。イージスは良い子を産んでくれた」


呆然と立ち尽くすバシレウスを舐め回すように見るのはレナトゥス直属の上司である元老院の長フィロラオスだ。バシレウスの父イージスの叔父に当たる人物、自分から見れば大叔父に属する老人はニヤニヤと下卑た笑みを暗闇の中に浮かべる。


「バシレウス様は魔蝕の影響により頑強かつ精強な肉体を持って生まれております。その強度は先天的な超人…いや、或いはそれ以上です!」


「大当たりか、善哉善哉」


魔蝕の祝福を受けて生まれた子供は皆突飛な才能を持って生まれる。それが魔蝕当日に近ければ近いほど強力な物になる。とは言えその才能が発現して生まれるかは完全なランダム、おまけにその才能が人に扱える物かという物もランダムであり、かつ有用なものかもまたランダム。


その点で言えばバシレウスは大当たりだ、肉体面の強力さ…しかも歴代確認されている魔蝕の子の中でも最強格の素養を持っていると言える。それは神に選ばれし人間とまで揶揄される先天的な超人を遥かに超える規模の物だった。


「既にマレウス王国軍の一般兵以上の実力、未だ鍛錬を積んでいないというのにこの規模…育てれば如何程になるか私にも想像出来ません」


「それは良い、いずれはガオケレナに預け鍛錬を積ませるとしよう…今のうち日儂の方から根回しをしておく」


「それはありがたい!バシレウス様は特別です、我々で実現できる最大限の教育環境を用意するべきです」


「分かっておる、それで…『代償』は?」


魔蝕の子は突飛な才能を持つ、それは人智を超える物である代わりに…同時に何かしらの代償を孕んでいる場合が多い。例えばエリスならばゲームに関する運のなさ、例えばデティならば身長の成長がある時点から止まる…などだ。


そしてバシレウスの代償は。


「それが…どうやら人間らしさ、とでもいいましょうか。人間性が非常に希薄で…言葉もロクに喋らず、食事を与えても食器を使わず…まるで獣のような振る舞いをして…」


「ふむ…下品なのは頂けんが、まぁこの際人でなくても構わん。偉大なる始祖の思い描いた理想こそ絶対!究極の存在を製造する事こそが我等の悲願なのだ」


「はい!我等マレウス人が世界を制するのです!バシレウス様ならば我等の願いを叶えてくれるでしょう!」


「…………」


笑いフィロラオス、ニヤつくレナトゥス、二人の言っていることが当時のバシレウスには理解できなかった。ただ…気持ち悪いなと、小さな子供は目の前の大人達の気味の悪い期待に表情を歪めた。


「では早速」


「ああ、国王継承の儀を執り行おう。彼を『壺』へ入れる」


「ッ……」


そして、気持ちの悪い大人達の目が…こちらを向く。バシレウスという人間を見ず、その力だけを求めた気味の悪い大人達が、自分の都合のいい駒を欲して。


「ああ、そういえばバシレウス様には同じくイージスの血を引いた妹がいるのですが…」


「それは?魔蝕の加護は?」


「そもそも魔蝕の年に生まれていないので、何の才能も持ち合わせません」


「フンッ、イージスめ…勝手に子供を作りおったな。いい、それも壺に入れろ…バシレウスの良い餌になる」


「それもそうですね…バシレウス様、貴方は最強です。きっと継承の儀も乗り越えられるでしょう」


「魔蝕の祝福を受けた寵児よ、お前が…生き延びることを期待しているぞ?」


「…………」


そうして俺は、『壺』へと入れられた。そこに拒絶も拒否も意味をなさなかった。俺は生まれた時から壺の中に入る事を決められていた。


そして、こいつらにとって…都合の良い魔王になる事を、望まれていた。


別にそれはいい、他者の思惑も他人の願いもどうでもいい…そう、この時は思っていた。


この時は……。


…………………………………………


「おめでとうございますバシレウス様!国王継承の儀!やはりバシレウス様ならクリアすると思っていましたよ!今日より貴方が正式な王です!」


「……レナトゥス、テメェ…」


「おや?口が利けるようになったんですね、壺の中で成長したようで…驚きです。そう…仰天です!」


それから俺は壺の中で国王継承の儀を完遂し…再び外に出る事を許された。そうして俺は生まれて初めて訪れる王城へと通され、いずれ俺の私室になる部屋へと入れられ…久しくレナトゥスと会うことになった。


俺は国王継承の儀を終えた、国王になる権利を得た。そんな物別に欲しくもなかったが…。


「にいさま…」


「おや?後ろにいるのは…ええっと、記憶にない。誰か?資料を」


「…………」


すると俺の背後に立つちっぽけな存在が俺の裾を引っ張りウダウダ吐かす…こいつ、話しかけるなつってんのによ。


「話しかけんじゃねぇよレギナ、ウゼェ」


「にいさま…」


「レギナ…ああ!確かバシレウス様の妹の!…なんでそれがここに?」


「知らねぇ、ついて来た」


「私が始末しましょうかバシレウス様」


「ンな事より早く話を進めろよ…、さっきから聞いてりゃグチャグチャと。無駄な事ばっかり並べやがって…イライラするんだよ」


「おおっとこれは失礼」


「にいさま…わたし…」


「だから話しかけんなっつってんだろ!ぶっ殺すぞ!」


「うう…」


縋り付いてくるレギナを遠ざけるように手を払う、こいつはいつもこうだ、俺に関わるなって言ってんのにずっとずっと…ああ!イライラするッ!


「取り敢えずバシレウス様にはこれからこの国の国王に相応しい教育を受けていただきます。そしてイージスの死後正式に戴冠し国王として働く傍らマレウス・マレフィカルムに加入しセフィラとしてガオケレナ様の下で修行を…」


「ダルい、教育だの修行だの…馬鹿らしい、そもそも俺はこれ以上お前らの何かに従うつもりはない」


「そうはいきません、バシレウス様にはこれから魔女排斥の希望として、マレウス王国の柱として立派に育ってもらって…」


「ペッ!!」


ウダウダ言い続けるレナトゥスの足元に唾を吐く、俺は今日これを言いに来た、レナトゥスがなんか言ったらそれを否定してもうお前らに従う気はありませんと唾を吐き掛けるために。その為に俺は今日…ここまで来たのだから。


「…………」


レナトゥスは黙る、唾を吐きかけられ汚れたブーツをチラリと見ると、ニコッと笑い……手を開いて、その手で俺の頬をぶち抜くように平手打ちをしたのだ。


「ッッ!?」


そのあまりの威力に俺はバランスを崩し思わず足が横に出てしまう…こ、こいつ。俺を叩きやがったな…!


「これは教育です、痛みを以て知識を刷り込む。それが私のやり方です…そう、教育方針ですね」


「テメェ…!」


「いつまでもヘコヘコしてると思ったら大間違いだぞバシレウス、お前には自由も権利もない、ただ私の言うことを聞いて伽藍の玉座で笑っていればそれでいい。もう一度言うぞ?私の言うことを聞け」


「ックソ女がァッ!」


飛びかかる、このクソアマぶっ殺してやる。散々俺に好き勝手しておいて今更ぶっ叩いて言うことを聞けだのなんだのといいやがって、絶対許さねぇバラバラにしてやるッ!…と。


そんな意気込みと殺意を込めて一気にレナトゥスに向け飛びかかるが。


「フッ!」


「ぬぐっ!!」


レナトゥスは即座に動く、飛びかかった俺の首を掴むとそのまま地面に叩きつけ床を揺らす。その怪力とスピード、そして叩き込まれた痛みに俺は目を白黒させる。


「グッ…!がっ!」


「バシレウス様?王はいつ如何なる時も立ってないとダメですよ?ほらこんなところで寝てたら威厳が損なわれます…よッと!」


「がはぁっ!?」


そのまま胸ぐらを掴まれ無理矢理起こされると同時にレナトゥスの拳が俺の顔面を貫き、よろめいた所で俺の足を掴んだレナトゥスはそのまま俺の体を振り回し机の上に叩きつけ作業用の長机がへし折れ、更にレナトゥスは再び俺を掴んで引き起こし。


「ほらほら、いつもの余裕ぶった顔はどうされたんですか?生意気な口は?意気込みは?口だけですか?貴方は、ほらやってみなさいよいつもみたいにッ!」


「グッ!ゲェッ!?ガハッ??」


殴られ続ける、拳で杖で、文字通りの滅多打ちのタコ殴り、地面に俺の血が滴り壁に俺の血が伸ばされ…膝を突く。


マジかよこいつ、フィロラオスの機嫌取るだけのアバズレじゃねぇのか…?強えじゃねぇか、馬鹿強え…。


「グッ…な、なんなんだお前…」


「いいこと教えてあげましょう、私は既に第三段階に入っています。魔力覚醒も会得していない今の貴方では天地がひっくり返っても私には勝てません」


「ッ第三…段階…」


「私が憎いですか?私を殺したいですか?なら強くなりましょう。しっかり勉強して…真面目に修行して、私を殺せるよう頑張ってください…バシレウスサマ?」


そう言うなりレナトゥスは俺を張り倒し舌を出して笑う、こんな奴に…こんな奴に負けんのかよ…俺は。


いや、いや…!負けてねぇっ!


「さて、従う気になりましたか?今の貴方は弱いんですから私の言うことは聞いておいた方が…」


「ペッ…」


「………」


吐く、血の混じった唾を。倒れながらレナトゥスの足に…そして俺は口元をひくつかせ挑発するように笑う。それを見たレナトゥスは…もうさっきみたいに笑わない。


「まだ教育が足りないか…!」


そして怒りのままに俺を引き起こそうと手を伸ばし…来た!今だ!


「はぐっ!」


「なっ!?ぐっ!離せ!」


伸ばされた手に向けて口を開き思い切りレナトゥスの中指に噛み付く。あまりのことにレナトゥスも混乱し必死に俺を引き剥がそうと暴れるが…死んでも離さない。そのままドンドン顎に力を込め…そして。


「グゥッ!?ギャァアァアッ!!?」


噛みちぎる、レナトゥスの中指を。レナトゥスの血がダラダラと手の中から漏れ出て苦痛と激痛に悶え暴れ狂う。ザマァ見ろ…そう言わんばかりにバシレウスは舌を出しながら口の中のレナトゥスの中指をチロチロと立てる。


「バァカ…教育?してみろよ…」


「この…クソガキがァッ!!!!」


「ッッ…!」


そして、指を噛みちぎられたレナトゥスは怒りのままに杖を振り上げ……。







「これで分かりましたか?バシレウス様…」


それから、一方的な暴行は十数分に渡って続いた。手加減抜きの暴力はバシレウスに抵抗を許さず。


「カハッ…ゲホッ…ヒュー…ヒュー…」


「少々やりすぎましたが、貴方にはこれくらいで十分でしょう」


「にいさま!にいさま!」


血の泡を吹き、霞む目で倒れるバシレウスを見下ろすレナトゥスと、縋り付くように泣き喚くレギナ。そんな二人の声をぼんやりと聞きながら…バシレウスは歯噛みする。


「フンッ、三十分後に授業を行います。今の状態ではガオケレナ様の前に差し出すことも出来ん。まずはそれなりに仕上げねば…そう、調教だな」


「レナトゥス様!お怪我は…」


「問題ありません、それよりマクスウェルとオフィーリアを呼びなさい。アイツを抑えながら授業を受けさせるには腕っ節のあるやつが必要です…ああいや、オフィーリアは」


「はい、イージス王暗殺の任務に就いている最中で…」


そう言いながらレナトゥスは部下達を引き連れバシレウスの調教の支度を進める。血を吐くバシレウスなど捨て置いて、背を向け立ち去っていく。


「…ぐふっ…はぁ…はぁ」


結局、これかよ。壺の外に出ても…何にも変わりゃしねぇ。何処にいても…俺は、悪魔のままか。


「にいさま…おねがい…死なないで…わたしをひとりにしないで…」


「……………」


「にいさま…にいさま……」


チラリと視線をだけを動かす、相変わらず泣き虫が泣いている。全く…何度言えば…。


「俺は…お前の…兄…じゃ…ねぇ」


「にいさま…」


「だから……話しかけんな」


次に視線を向けるのはレナトゥスの消えた先だ。奴は俺を育てると言った、最強の俺を育てると…。気に食わないし、腹が立つ。だが事実としてレナトゥスは俺より強く、そんなレナトゥスより遥かに強いガオケレナが俺に修行をつけるらしい。


…何もかも気に食わない…腹が立って仕方ない。


けど……。


(今は、利用されてやる。お前らの都合のいい魔王でいてやる…けどいつか、いつか俺は…)


壺の中で芽生えた…一つの目的。バシレウスが命を絶たず今もここで生きている理由。


その為に…今は屈辱も甘んじて受け入れる、暴力を振るわれても折れない、俺は俺のままでいてやる…例え何が俺に降り掛かろうとも、俺は…俺は……。


絶対に最強の証明を…するんだ。


でなけりゃ…生き残った意味も…無い。


────────────────────


「はぁ…はぁ、メグさんがいない…アナスタシアの奴どこまで走ったんだ…!」


バシレウスから逃げ離脱したエリスは帝国から離れる為に全力で大帝宮殿内部を走っていた。もう戦いは終わりつつある、それでも未だ大帝宮殿内部は混乱の極致にある。


まだあちこちでとんでもない魔力の奴らが戦ってる、あれに巻き込まれたらエリスは死ぬ。それほどまでに強大な魔力が点在している。戦場のレベルが高過ぎる…直ぐにメグさんと合流しないと!


「はぁ…はぁ、何処に…」


だがメグさんが見つからない、アナスタシアが抱えて逃げたはずなのに何処にもいない。流石にあの状況でアナスタシアが裏切るわけもないし…クソッ!何処にいるんだ!


「ッ…何が来る」


そうこうしている間に、感じる。前方の曲がり角から何かが大量にやってくる…それも。


(雑魚じゃない!)


数が多い!その上に一人一人がバカ強い!なんだこれ…!なんの集団だ!?師団!?いや師団よりも恐ろしく強い!


「…見つけた、敵だ」


「ややっ!?」


曲がり角から現れたのは黒衣の集団、全員が仮面をつけ手元に鉄剣を持った不気味な集団だ、どう見ても味方じゃない…!しかも。


「死ね…!」


「チッ!」


襲いかかってきやがった。黒衣の剣士の一人がいきたり鉄剣を横にし一気に突っ込むように斬りかかる斬撃を放つ。それを籠手で防げば火花が飛び散りエリスの体は後ろへと浮かび上がる…そして。


「いってて…!」


衝撃が腕に走る、凄まじい威力の斬撃…それも今の速度、エリスでギリギリ対応出来るレベル。その実力は逢魔ヶ時旅団幹部のディランさんを遥かに上回る…。


つまり、こいつらは八大同盟の幹部より強い…!そんなのがこの規模で纏って行動してるって、なんなんだこいつら。


「何者ですか貴方達!」


「我らガオケレナ様直属、セフィロトの大樹戦闘構成員『禁断騎士団マルス・プルミラ』…その名を刻みつけ、覚えて逝け」


「セフィロトの大樹!?」


セフィロトの大樹ってダアトの…、ってかガオケレナ直属!?つまりこいつら敵の本丸!?いや来てるよな!ガオケレナが来てるんだもん!にしても…!


「フッ!」


「こ、この…」


一人の剣撃をなんとか籠手で弾きながらエリスは冷や汗を流す。強いのだ…マルス・プルミラの団員は、一人一人がエリスと同格かそれ以上の腕前だ。


強すぎる、これで戦闘員クラスだっていうのか!?こんなのに囲まれたらエリス達一たまりもないぞ!クソッ!


「よいしょっ!」


「むっ!?」


咄嗟に剣をかわしつつしゃがみ込み体を回し足払いを繰り出しマルス・プルミラ団員のバランスを崩すと共に。


「『煌王火雷掌』ッ!」


「ぐっ!?」


叩き込む、炎雷の拳を。ガラ空きになった胴体に…だが。


「中々にやる、それに古式魔術…魔女の弟子か」


(防がれた…!)


魔力で覆った腕でエリスの拳を受け止め爆発まで押さえ込み威力を殺した…それを一瞬で判断し一切の滞りも躊躇いもなく遂行する、凄まじい反射神経…いやそれを超えた歴戦の直感。


強い…洒落にならない、こいつら全員エリスより強い…!


「油断するなよ、魔女の弟子は既に八大同盟を一つ落としている、同盟の盟主は我等を超える数少ない存在…それが落とされているのだ」


「今の魔術は魔女レグルスの…ということはその弟子か、エアリエルを倒したとかいう…」


「エアリエルか…それは確かに油断出来ん」


(こいつら全員、エアリエルやガウリイルみたいな八大同盟最強の幹部と同格…か。参ったな、一人倒すだけでも命懸けなのに、見た感じ三十人近くいるぞ…)


底冷えする、こんなのがマレフィカルムの中枢にいるなんて。やばい…勝てるか?これ…。


「全員、魔力覚醒を使うぞ」


「応ッ!」


「いぃっ!?魔力覚醒!?全員!?」


その瞬間全員が魔力を逆流させ魔力覚醒の輝きを放ち始める。そりゃそうだ、エアリアル級なら使えて当然だ。


……これ、勝てないな。


「逃げます!」


「対象逃亡!追え!」


「応ッ!」


全員が覚醒を使いそれぞれの移動方で逃げ出したエリスを追いかけ始める。しかも全員これが速いのなんの、こっちはもう切り札のボアネルゲ・デュナミスを使い切ってるんだ、真っ向から戦って勝ち目があるとは思えない。


絶大に逃げる、逃げて生き延びる!


「『潜地影刺しの衣』ッ!」


「ぅぐっ!?」


しかし、エリスの影からぬるりと黒衣の騎士が現れエリスの脇腹に剣を突き立てる。幸いコートで貫通はしなかったがその衝撃はエリスの腹を突き抜け飛んでいく。


こいつ…影と同化するタイプの覚醒か!


「『拡大・十倍巨斬』ッ!」


「うっ!?」


そして怯んだエリスに向け一人の騎士が剣を振るい斬撃を放つが、それは虚空でまるで虫眼鏡にかけたように倍々に巨大化し瞬く間に廊下を引き裂く一撃と化す。それをなんとか転がって回避するが…。


(あっちは攻撃の巨大化…!)


「『一千本棘山地獄』ッ!」


「こっちは全身から針を…!」


「『界胞真赤炎耀』!」


「うわっ!?爆発!?」


とめどなく行われる攻撃に翻弄される、全身から棘を放ち発射する奴、目で見た無機物を爆破出来る奴、全員が全員覚醒しているからこそ行われる多彩な攻撃…それは着実にエリスの逃げ場を奪い。


「『紫咳悪神之吐息』ッ!」


「ッ!?ガス…!?」


もらってしまう、逃げて逃げて逃げ場を失った瞬間。髑髏の形をした紫のガスがエリスに降り掛かり、それをモロに喰らい吸い込んでしまう…すると。


「うっ…体が…重い…」


一気に体が重くなる、関節が痛い、喉がズキズキする…これ、風邪?あのガスを吸った人間を病気にする覚醒か…やばい、力が入らない。


「うぅ…」


「終わりだ、魔女の弟子」


逃げることもままならずエリスは黒衣の騎士達に囲まれる。これがガオケレナが抱える親衛隊…禁断騎士マルス・プルミラ…、強すぎる。エリス一人じゃなんとも出来ない。


というかこれ普通に絶体絶命だ、どうやって命乞いしたら助けてくれるだろうか、流石に死ぬ覚悟は出来てな──。


「おい、殺すな。こいつは…」


「ああそうだったな、バシレウス様の妻となる男だった。生捕りにするか」


「ゲッ…」


やばい、もっと最悪な話に転がったぞ。殺されるより嫌かも…。


「い、嫌ですエリスは…」


「『蛇王睨光・肉縛り』ッ!」


「イッ…ァ…」


その瞬間、一人の騎士が目から光を放つ。その光はエリスを包み…この体から自由を奪う。まるで蛇に睨まれたカエルのように体がピクリとも動かなくなり、その場に倒れ込んでしまう。


目で見た相手を拘束する覚醒か…こんなのもいるのか。


「よし、回収だ」


「ウッ…ア……」


まずい…連れていかれる、誰か…誰かいませんか…!誰か…。誰か助けて…!


「む……」


そんなエリスの祈りが通じたのか、黒衣の騎士が皆揃って廊下の奥を見る…すると廊下の奥から、…誰も来ない。誰もいない、なぜみんなそっちを見たのか…と思いきや。


『ギギィィイイイイイイッッ!!』


「死に晒せ怪物がッッ!!」


廊下の壁を突き破って何かが出てきた。まず最初に見えたのは巨大な怪物だ。蛸の脚、蟷螂の腕、蝙蝠の羽、熊の腕、馬の脚、虫の触覚、魚の鱗…それらをまるでランダムに、無秩序に組み合わせたような超巨大な肉の塊が廊下の天井をガリガリと削りながら壁を突き破り倒れ伏す。


そしてもう一人は…そんな怪物を殴り飛ばしているアーデルトラウトさんだ。


『ぃぃやりますね流石は将軍の一角、侮れませんぅ!』


「私は今何と戦ってるんだ、魔獣か?人か?」


肉の塊は巨大な上半身を起こす。そこには藍色の髪をダラダラと伸ばす化け物みたいな女が人語を話しながらアーデルトラウトさんと睨み合っている。


…まさかアーデルトラウトさん、アイツと戦ってるのか。あの将軍アーデルトラウトと戦ってそれなりの勝負が出来てるって、まさかアイツもダアトやバシレウスと同じセフィラの…。


『ワハハハハッ!でもこの程度じゃあ私は死にませんよッ!全部吹っ飛ばしてあげましょう『生命錬成』」


「チッ!また来るか!」



「まずい!ホド様が本気で戦ってる!急いで退避しろ!」


「巻き込まれるッ!」


ホド…と呼ばれた巨大な怪物が両手を広げた瞬間、あれだけ強かったマルス・プルミラが皆血相を変え蜘蛛の子散らすようにワタワタと逃げ始めるのだ。そして…。


「『百万大蝗行列ッ!」


全身から大量のバッタを波のように放ち一気にアーデルトラウトさんに向け放つ。それらはまるで何かに統率されたように一直線にアーデルトラウトさんに向かい、その体を一瞬で波の中に飲み込むと…。


「来るぞッッーー!!」


マルス・プルミラが叫ぶ…と同時に波のように廊下に敷き詰められたバッタが連鎖的に爆発を始め一瞬で辺り一面が爆風によって砕け散る。動けないエリスを抱えたマルス・プルミラ達は全員で固まって防壁を展開しつつ全力で離脱を始める。


これは不幸中の幸いというべきか、エリス一人では防ぎきれなかった大爆風を結果的にマルス・プルミラがなんとかしてくれた。…けどこのままじゃエリス…バシレウスのところに連れていかれてしまう。


「はぁああああああ!!」


『ギギィィ!!』


(アーデルトラウトさん…)


爆風を防ぎ切りホドと呼ばれた怪物に突っ込んでいくアーデルトラウトさん見送るようにエリスはマルス・プルミラに連れて行かれる。声が出ない…助けを求められない、アーデルトラウトさんもホドの相手で手一杯みたいだ…。


「ッ…前方から!」


すると今度はマルス・プルミラ達の進行方向の廊下を砕いて…同じく戦っている二人組が飛び出してくる。


「……やるな」


「ぐぶふぅ…将軍二連戦はキツいですねぇ〜…」


現れたのは大剣を構えるゴッドローブさんと仮面をつけた白髪の…なんだあれ、男?女?分からない、体つきだけで判別が出来ない。ともかく二人が戦っているんだ…それも凄まじい魔力を迸らせながら。


「け…ケテル様!」


「おや?マルス・プルミラの皆さんですか、援護は…無理そうですね」


すると仮面をつけた謎の人物…ケテルと呼ばれた存在はマルス・プルミラとエリスを見て色々察したのか、やや不満げにしつつもゴッドローブさんと相対する、その視線に釣られてゴッドローブさんもまたこちらを見て、絶賛誘拐され中のエリスを見て表情を変え。


「む、エリスが…やられたのか!待っていろ…すぐに助けに───」


「させませんッ!」


即座に助けに入ろうとしたものの、それを邪魔するように動いたケテルの牽制の一撃とゴッドローブさんが咄嗟に打ち払うように放った一撃がぶつかり合い…。


大地が揺れた。


「うぉっ!?」


あまりの衝撃に大地が水面のように畝りマルス・プルミラ達が揃って吹き飛ばされる。それだけ絶大な力と力がぶつかりあっているのだ、エリスもマルス・プルミラもただただ蹂躙されるしかない圧倒的な力。


ケテルも恐らくはセフィラの一人…ホドも同じくアーデルトラウトさんと戦っていたし、これが…エリス達がいる段階よりも上の世界の戦い…。


(これが世界最上位の戦場、魔女大国とマレフィカルムの最高戦力同士がぶつかり合う場においては…エリス程度じゃ、まだまだ蹂躙されるだけなのか)


強くなれたからこそ、今目の前で起こっている戦いのハイレベルさが痛感出来る。四年前はただ漠然と強いことしか分からなかった将軍達がどれだけ凄まじい存在か理解できる。


第三段階は現行人類が辿り着ける最終領域、それはつまりこの世界における最上位段階を意味する。ここに到達した者は…まさしく無敵と呼べる強さを持つ。


エリスがこれから行こうとしている世界は…こんな世界なのか。


(世界最強の将軍と、それと互角に張り合うセフィラ達…こんな中にエリス達は割って入れるくらい強くなれるのか…?)


分からない、分からないけど今は…。


「下層へと逃げるぞ!セフィラの戦いに巻き込まれたら我らとて危うい!」


今は…それどころじゃない、マルス・プルミラは砕ける瓦礫の上を走り廊下を砕いて下層へと落ちる。世界最上位の存在が戦う戦場に居たら命がいくつあっても足りない、今ここでセフィラと将軍が二組も戦っているんだから。


「ッ…早くバシレウス様の元へ向かう!邪魔する者は全て切って行け!」


「応!」


(うう、なんとかしなきゃ…でもどうすれば)


下層へ落ちたマルス・プルミラ達は再び廊下を走りバシレウスの元へ急ぐ。将軍以外なら全て斬って捨てられると確信している彼らはそのまま無人の廊下をひたすら走る…。


……将軍は第三段階に居る、それと互角に張り合えるセフィラもまた同段階にいる。第三段階とは即ちこの現行世界に於ける絶体の象徴だ。彼らこそ無敵の体現者だ。マルス・プルミラが避けていくのも分かる。


「…むっ、進行方向に一人…誰かいるぞ!」


「貴様!そこを退け!」


「……ん?」


だが…マルス・プルミラ達は失念していた。故に…。


「そこを退けと言っている!」


斬りかかってしまう。現行世界最強は確かに第三段階だが…それでも未だ、この世には…。


更に上の存在がいることを。


「退けェ─────」


「貴方が退いてください」


一人のマルス・プルミラが進行方向を塞ぐように立っていた存在に、背後から切り掛かった。その速度と鋭さはエリスでさえ反応出来るか怪しいレベルのものだった。


しかし、斬りかかられた存在はそんな物通用しないとばかりに剣を避けることなく、軽く…手で払うように手の甲でマルス・プルミラを殴りつけた…すると。


「ごはぁっっ!?!?」


「なっ!?」


吹き飛んだ、展開していた魔力防壁は粉砕され、着込んでいた鎧は砕け散り、叩かれた部位から大量の血をぶち撒けながらエリスの頭の上を通り過ぎて遥か彼方へと吹き飛んでいった。


その光景を見たマルス・プルミラ達は思わず立ち止まる。


「な…なんて事だ…」


あり得ない事だった、例え第三段階を相手にしても…こうも簡単にはやられないはずのマルス・プルミラが一撃で消し飛ばされた。


その事実に、全員が慄くと…同時に、マルス・プルミラを消し飛ばしたそれはメガネをクイッと上げながらエリス達を視認し。


「なんですか貴方達は本当に何処まで私をイラつかせれば気が済むんですか」


「ッ…魔女!?」


そこにいたのは…現行世界最強すら上回る、絶対者。


魔女…探求の魔女アンタレス様だった。


(アンタレス様!?なんでここに…)


「おやエリスさぁんではありませんかなんでそんなところにいるんですかって口が利ける状態じゃないみたいですね」


「ッ総員退避ッ!」


何故か廊下で突っ立っていたアンタレス様の存在を認識したマルス・プルミラの対応は早かった。即座に全員で転身し背後へ向けて走ろうとした。第三段階到達者とは比べ物にもならない第四段階最上位者たる魔女との接敵。


それは彼らが考えられる状況の中で最も最悪な状況だったからだ。しかし。


「待ちなさい」


そう言ってアンタレス様が指を鳴らすと、マルス・プルミラ達の逃げた先の廊下に分厚い防壁が展開され逃げ場を奪う。遠隔で、しかもこの速度と分厚さでの防壁展開。最早超常現象だ。


「返してくださいその子私の友達の弟子で私の弟子の友達でもあるんです」


「……逃亡経路は無しか、仕方ない」


逃げ場はもうない、それを悟ったマルス・プルミラは全員で剣を構える。魔女の魔力を前にして恐る事なく戦うことを考えられる時点で…この人達もまた超一級。


「飽和攻撃で隙を作る!最大火力を叩き込み一気に撃破を狙うぞ!」


「応ッ!」


「飽和攻撃で好きを作るってそれ魔力覚醒者に対する対応の仕方ですよね…ちょっとナメられ過ぎですかね私」


その瞬間、マルス・プルミラ達は四方に散開しアンタレス様を囲む。そして全方位から次々と覚醒を活かした攻撃を────。


「煩わしいッ!」


しかし、アンタレス様が一喝と共にその目を光らせる。比喩ではなく本当に眼光から電流のような何かが迸るんだ…多分魔力か何かだと思う。それは全方位に飛び散るように拡散し周囲のマルス・プルミラを照らし。


「んなッ!?」


「覚醒の強制解除だと…!?」


その眼光に晒された瞬間、マルス・プルミラ達が維持していた覚醒が強制的に解除される。あれは確か…前にも見たことがある、天番島に乗り込んできたメムに対してアルクトゥルス様が放った眼光、あれもまたメムの覚醒を強制的に解除させていた。


もしかして魔女様はある一定の実力以下の存在の覚醒を、強制的に解除できる技を持っているのか…!?そんな事まで出来るとか…ちょっと反則過ぎませんかね!?


「私…確かにステゴロは他に比べて弱いですが…それはあくまでただの殴り合いに限定した話…」


するとアンタレス様は人差し指、中指、薬指、小指、親指と折りたたむようにゆっくりと拳を握ると…ゆらりと揺らめくような魔力をその手に宿し、一気に腰ために拳を振り抜き───。


「殺し合いなら…得意です」


叩き出された拳はマルス・プルミラ達に触れる事なくただただ天鼓を叩くような轟音を鳴らし衝撃が世界に木霊する。それは透明な波濤のようにゆっくりと拡散し…爆発となって周辺のマルス・プルミラ達全てを吹き飛ばす。


「ガハッ…!?」


「ギャアッ!?」


「ッ…なんて威力の魔力衝撃だ!」


拳を振っただけでマルス・プルミラが十人単位で吹き飛んだ。けどあのパンチ自体はただの屁っ放り腰パンチだ、多分エリスのそれより若干弱い程度の…それがあの威力になったのは魔力を衝撃波として放ったから。


マルス・プルミラの魔力衝撃が鉄砲で、将軍のそれが大砲だとするならば、魔女様のあれは最早天災だ…嵐とか、地震とか、津波とか、そういう物が敵意を持って直接人間に叩き込まれるような、そんな果てしない威力と規模を感じる。


エリスから見れば将軍達はまさしく別格だ、だがそんな将軍達でさえ魔女様と同じ次元に立てているとは思えない。まさしく別次元の強さ…あり得ない強力さ、あれが魔女…魔女の魔力。


「はぁ相変わらず魔力闘法は効率が悪い上にチャチですねこんな技術に頼っている間は二流ですよ…ですがエリス」


(え…?)


チラリとアンタレス様はマルス・プルミラに捕まるエリスを見て…。


「これが今から貴方達が修め極めなければならない技術…その最高段位ですからよく見て学びなさい」


(アンタレス様…もしかしてエリスにお手本を見せるために)


「レグルスさぁんは魔力闘法を殆ど使いませんからお手本にならないでしょうなので私が魔女の魔力闘法を見せて差し上げますので仲間のところに戻ってキチンと伝えるように」


そう言いながらアンタレス様は得意の呪術を封じた上でエリスにお手本を見せるというのだ。この状況で…マルス・プルミラを相手にそんな事をする余裕さえあるのか、この人は。


「この…!我々を前に余裕だな魔女!」


「余裕?違いますね…貴方達は道端の蟻を踏み潰すのに余裕を見せるのですか?見せませんよね?これは余裕ではなくただただ無感情なだけですよ…なんの感慨も浮かばない」


「ふざけるなッ!」


一人の騎士が剣先に防壁を纏わせ更に鋭さと威力を増した一撃をアンタレス様に放つ…しかしその刃はアンタレス様に当たる事なく寸前でアンタレス様の防壁に防がれギリギリと火花を散らす。


「な、なんて硬さ…」


「硬いんじゃありません果てがないのです…エリス?よく見ておきなさい」


そう言いつつアンタレス様は軽く騎士に指先で突き魔力闘法にて黒衣の騎士を吹き飛ばす。


「魔術が練度によって実力以上の物が出せる技法ならば魔力闘法はその者の実力が直に出る戦闘技法です…魔力の扱いと魔力の量が物を言う単純極まりない戦い方」


「ぐぉっ!?」


「ただ単純極まるからこそ使い道の幅も広く自己個性の影響も受けやすい」


「がはぁっ!?」


魔力で軽く浮かび上がり、地面をスライドするように滑り指先で騎士達を突き吹き飛ばしていく。あれだけ強く、あれだけ極められていた黒衣の騎士達がまるで相手にもならない。赤子の手をひねると言うより…本当に目の前の蟻を踏み潰しているようだ。


「極・魔力覚醒への上昇条件の一つがこの魔力闘法の完全習得です…というより極・魔力覚醒を会得するなら魔力闘法を完全に会得しているようでなくてはならないと言ったところですかね」


「この…我々をナメるなッ!!」


「因みに我々魔女が魔力闘法を用いない理由は単純…効率が悪いからです魔力面でも労力面でも」


向かってくる黒衣の騎士に向けアンタレス様が迎撃の構えとして見せたのが…デコピンだ。それをピンッと弾くと共に魔力が弾け凄絶な爆風となって黒衣の騎士を吹き飛ばす。


「はぁ…ご覧の通り私は魔力闘法が得意な部類ではなくてですね…レグルスさぁんやカノープスさぁんのような方達ならもっと上手く使えるんですが…あの二人は魔力闘法が得意であると同時に魔術の腕前も凄いので魔力闘法を使うまでもないんですよねなので貴方達にとって魔力闘法は高みへ至る繋ぎの技術でしかないんですけれどそれでも極めておくに越したことはないのでしっかり練習しましょう」


相変わらず捲し立てるような物の言い方はやや聞き取りづらいものの、それでも今しがた見せてもらっている技術は確かにエリス達が持たない物、持たないからこそ得る必要がある物だった。


「さて…講釈は終わりです…そろそろ行きなさい」


パチリとアンタレス様が指を弾くと…。


「え?行きなさいってエリス体が…え!?あれっ!?」


「なっ!?拘束が…!」


エリスの体を縛っていた力が解け、ジタバタと暴れ拘束から脱する。凄い…何をされたか分からないけど助かった!まだ風邪の倦怠感は残ってるけど、これで逃げ出せる。


「メグちゃんと合流しなさい…メグちゃんはこの先の階段を登った先にいます」


「ありがとうございます!アンタレス様!」


「くっ!させるか!エリスを確保しろ!」


フラフラと千鳥足のような歩き方で逃げ出すエリスを捕まえようと黒衣の騎士達が動き出すが…。


「おっと行かせません…言っておきますが貴方達にとっての猶予期間も終わったのでここからは呪術解禁で行きます」


「なっ…」


スルリとエリスを守るように立ちグツグツと煮凝るようなドス黒い魔力を放ち黒衣の騎士達の行手を阻むアンタレス様。その威圧に思わず黒衣の騎士達は足を止め。


「魔女の弟子に手を出したのです…当然魔女の怒りを買う覚悟はしてあったんでしょう?」


「くっ!覚醒を!」


「ダメだ!使えん!解除されたというよりこれは…無理矢理覚醒その物を封じられているようだ!」


「なんという…これが魔女?ガオケレナ様と同じ…いや或いは、それ以上の…!」


「んふ…アハハハハハハハハハッ!全員死ね死ね死ねぇーッ!」


そしていきなり発狂したアンタレス様は全身から血の煙を噴き出し辺り一面を覆い隠すと…。


「『呪霧・黄泉戸楔之導』ッ!」


「グッ!がァッッ!?!?」


霧に包まれた騎士達が苦しみ出し、無理矢理口が開かれ中から光る玉のような物が這いずり出てくる…ってあれもしかして魂?え?魂無理矢理抜き出してるの?なんか…恐ろしげなことしてる。


は、早く先に向かおう…巻き込まれでもしたら大変だ。


「急ごう急ごう」


『アハハハハハハハハハ』とアンタレス様の狂笑が木霊する廊下を走るとアンタレス様のいうように上層へ向かう階段が見えてくる。あの先にメグさんがいるのか…。


「ッ…体が重い、熱い…」


嫌な汗が出てくる、覚醒が解除されてもエリスの体にはまだ病が残っている…傷や体力の消耗も相まってちょっと洒落にならない状態になりつつある。急いでデティの所に行って治してもらわないと…あれ?病気には治癒魔術って効かないんだっけ。ダメだ、頭が回らない。


「こっちに…メグさん…、あれ…メグさんですか?」


なんて言いながらフラフラヨロヨロ歩いていると…廊下の先に、誰かが横たわっているのが見える、そいつは…何か譫言を言って…。


「う…ぅ…メトシェラ…私は…」


エリスは近くに誰かが倒れているのを見かけて、慌てて駆け寄る。もしかしてメグさんだろうか…目が霞んでよく見えない。ともあれ近くに寄って確かめないと。


「メグさん…メグさんですか?…え…ええ!?」


「…ッ…貴方は……」


近寄って、そいつの顔を見て、確かめて、仰天する。


廊下の端で…壁にもたれかかるようにして倒れていたのはメグさんではなく…。


「ダアト…!?」


「エリスさん…?」


ダアトだった…知識のダアト。そいつが夥しい量の血を吐きながらその場で苦しんでいた。


こいつまでここに来てるなんて…いや来てるか、だって敵は最大戦力を連れてきてるんだ、ならマレフィカルム最強のこいつも来ていて然るべき。


「お前…ッ!」


「くっ…今一番会いたくない人に会っちゃいましたね…」


会ったのは東部以来、しかもあの時エリスはダアトに完敗を喫している。ここであったが百年目…今度こそ倒してやると病の気だるさも忘れてエリスは構えを取ると。ダアトもまた嫌そうに構えをとる…しかし。


「グッ…ゲホッゲホッ!ぐぶふっ…!」


「……ダアト?」


いきなりダアトは胸を抑え苦しそうにゲボゲボと口から血を吐くのだ、滝のような血はダアトの足元を濡らし、彼女はそのまま力無く再び横になってしまう。どう見ても普通じゃない…普通の人間がこんなに血を吐くわけないし、吐いたとしたらそれはもう普通ではない。どう見ても重傷を負っているようにしか見えない、彼女がこんな傷を負うなんて…。


なんか…やだ。ダアトは強いんだ、そんな奴がこんな…道端で死にかけてていいわけない。


「誰にやられたんですか」


「貴方の師匠にボコボコにされたんですよ…目と耳を焼き切られて地上に落とされました、まぁそのくらいの傷ならすぐに治せるんですが…それで結構消耗しまして…」


「治せる?再生能力まであるんですか?…じゃあその血は…」


「……言ったら見逃してくれます?今貴方と戦ったら本当に死にそうなので…」


「モノによります」


「正直な人だ…」


するとダアトは必死に壁を掴んで起き上がり、その場に座り込み再び壁にもたれかかり…自分の胸を触ると。


「貴方との戦いで。魔力覚醒を使わなかったでしょう。あれは貴方を侮っていたからじゃない…使えないんですよ、簡単には」


「前も言ってましたね、それ」


「ええ、私の体…魔力を外に出さないこの体は…魔力覚醒に適合しないんですよ」


エリスはダアトの側に寄りながら話を聞く。魔力覚醒が適合しない体…か、まぁ確かにダアトの体は少し特殊だ。そういうこともあるだろう…。


「私の体は魔力を必要以上に魂に取り込んでしまう。そのおかげで普通の魔力覚醒よりも出力が高い…ただの覚醒でありながら極・覚醒に匹敵する出力が出る。けど…その代償に、魔力覚醒を使うと魂にヒビが入る」


「ヒビが…?まさか魂が破損するんですか?」


「はい、魂と肉体はリンクしている。魂が傷つくと体も傷つく…しかも破損するのは魔力を取り込んだ魂の内部、つまり内臓が…その、割れちゃうんです」


こうやって喋ってる間にもダアトはゴボゴボと血を吐いて苦しそうにしている。そうか…エリスの覚醒のようにダアトの覚醒にも代償があるんだ。それもかなり重い…命に関わる代償が。


だから、エリスと戦ってる時も使わなかったんだ…。


「不健康極まりない覚醒でしょう…だから私は滅多なことがない限り覚醒を使わないよう、戒めている。けど…貴方の師匠はバカ強くてね、あんなのと戦うのはそれこそ滅多な事だったので…使用したのですが、いつも以上に動き過ぎてしまった、その上消耗も激しくて…」


「そういうことですか…」


「ほら、話したんですから…何処かへ行ってください。見逃して…くれるんでしょう?それともやりますか?」


「……………」


ダアトは霞んだ目でエリスを見る、見たところ相当な重傷だ。これは本当に動けなさそうだ…こんな、こんな代償を抱え、確実にハンデと呼べるような物を抱えて、こいつはあの世界最高の領域に至っているのか。


(エリスは……)


ダアトはエリスと同じ識を使う奴だ、いけすかないしこいつには絶対に負けたくないと思ってるし、次見かけたら確実に潰してやろうと考えていた。


けど…だからこそ思う、やはり…ダアトは凄いと。エリスはなんて恥ずかしい奴なんだ、ダアトはエリス以上の代償を抱えて生きているのにエリスより強い。だからこそ…倒したいんだ、だから。


「ダアト、これ使いなさい」


「え…?」


「エリスの友達…デティが作ったポーションです。スピカ様の物や師匠のポーションに比べれば若干見劣りするかもしれませんがそれ以外には負けない世界最高品質のポーションです、店売りの最高級品なんかじゃ勝負にもならない物です…これを使えば動けるようになるでしょう」


エリスは普段からポーションを数本持ち歩いている、それを使ってメグさんの回復も行った…その余りがこれだ。最後の一本…それをダアトに渡す。それを見たダアトは訝しげに目を歪め。


「何を考えているんですか、敵ですよ私は」


「はい、敵です」


「貴方も…結構傷ついているように見えますが」


「エリスはいいんです、この後デティのところに帰って治してもらうので。でも貴方はそういうわけには行きませんよね?ここは敵地ですよ、今の貴方じゃ帝国の一兵卒に見つかっただけで殺される」


「なら…万々歳でしょう、貴方にとっては…」


「そんなわけありません!エリスは貴方を倒したいんですよ!貴方はエリスのライバルです!こんな形で死なれたらエリスは…魔術を極めるのをやめてしまう自信があります。貴方には生きてほしいんです!エリスが貴方に追いつくその日まで!」


「…………なるほど、貴方が…魔女大国の王達から好かれる理由が…なんとなく分かった気がします」


ダアトは力を抜くように目を伏せ、そのままヨロヨロとエリスのポーションを握り…。


「なら、遠慮なく受け取ります…ですが恩には感じませんよ」


「構いません、貴方はエリスを東部で見逃したでしょう?だからこれはそのお返しです。寧ろこれで貸し借りなしです」


「フッ…アハハ、貴方と友達になりたかったですよ…エリス」


「嫌です、貴方はエリスのライバルですから」


「そうでしたね…では」


するとダアトは指先でポーションの蓋を弾いて遠慮なくグビグビとポーションを飲み…。


「ふぅ〜…だいぶ楽になりました…、流石は魔術導皇」


「でしょう?でももう戦うのはやめておきなさい。消耗までは戻ってないですから」


「かもしれませんね…。寧ろ下手に暴れて…また魔女の到来を招くのはごめんだ、もう二度とあれとやりたくない。ほんと恐ろしいったらない…死の擬人化とか、歩く災害とか、そう言う奴ですよあれらは」


そう言いながらダアトが見るのはエリスが昇ってきた階段、その向こうで暴れるアンタレス様の気配を感じて顔を歪める。余程怖かったのだろう…動けない状況で近くを魔女様が彷徨いてるのだから。


「じゃ、エリス行きますね」


「ええ、私も直ぐにマレウスに戻ります。またマレウスで会いましょう」


「はい!その時はエリスが貴方をぶっ潰します!」


「まだ無理だと思いますがねぇ〜?」


こ、こいつ…元気になった途端に腹立つ奴だな。まぁいいや、それもこいつのアイデンティティという奴だ、それより早く戻ろう、敵に見つかったらやばいのはエリスも同じ──。


「おやおや、これはこれは…あの知識のダアトが敵の施しを受けているとは。珍しい場面に出くわしたものだ」


「ッ…!?」


ふと、その場を離れようと歩き出した瞬間。気がつく…目の前に、白いスーツを着た壮年の男性が立っていることに。紳士的なヒゲ、黄金の片手杖をした…優雅という言葉が紳士服を着て歩いてるような、そんな男が。


初めて見る男だ、だが何故エリスは今こいつに対して…既視感を覚えている。


(こいつの顔…何処かで…!)


「金の髪に凛々しい面持ち、君が孤独の魔女の弟子エリスか…噂に違わぬ女傑ぶり、見ていて感動したよ。是非賛辞を送らせてほしい」


「貴方…何者ですか」


どこかで見た事ある顔…けれど該当する物は記憶にない、つまり帝国の人間じゃない。ならこいつは…。


「やめなさい!コクマー!」


「おっと、あまり大きな声を出さないでくれダアト」


「コクマー…?」


ダアトがヨロヨロと立ち上がりながら目の前の紳士を制止する。そしてその口ぶりから恐らくこいつは…。


「エリスさん…気をつけてください、こいつは知恵のコクマー…私と同じ、セフィラです」


「セフィラッ!?」


セフィラ…さっきまで居たあの怪物達?将軍と互角に張り合っていたマレフィカルム中枢組織の幹部…!こいつが…。


そんな風に戦慄しているとコクマーは大きく手を振って仰々しくお辞儀をすると。


「ご紹介に与った、知恵のコクマーと申す者。お初にお目にかかりますな?魔女の弟子エリス」


そんな風に礼儀正しく挨拶をしてくれる、しかしその挨拶から漂うのは紳士的な友好の意志ではなく…明確な敵意、エリスを殺すつもりだ…こいつ!


「コクマー…こいつ、貴方と同じセフィラって。…一応聞きますけど今のエリスが戦って勝てますか…?」


「天地が三回くらい回っても無理です、たとえ貴方が万全でも絶対に勝てません…!セフィラは八大同盟そのものを抑止する存在、つまり八大同盟より強いんです…!」


「そりゃ参りました…」


目の前に立つコクマーの体から漂う魔力は確かにただならぬ物だ…けど、恐ろしさ以上に目立つのはその異質だ。今まで感じたことがないタイプの魔力、いや…感じた事のない気配と言うのだろうか。


「貴方、人間ですか?」


「おや…」


「分かるんですかエリスさん」


エリスは警戒心を顕にしながらコクマーの前に立てば、コクマーは眉を上げダアトは驚いたように目を丸くする。分かるんですかって何もわからんから聞いてるんだが…。


「ンッ…アハハハッ!なるほど素晴らしい。これが識確の力かな?一眼で見抜かれたのは初めてだよ」


「流石の眼力です、エリスさん」


「いやなんにも分からないんです出来れば教えてほしいんですが」


「見たままですよ」


「見たままって…」


コクマーの体から漂う魔力は…とても、とてもとても『汚い』のだ。例えばエリスの魔力が青でダアトの魔力が黒だとするなら…コクマーの魔力は水に浮かぶ油膜のように虹色で気味が悪い。あんな魔力見たことがない、こうして立っているだけで色合いが変わっていく。


あれが意味するところがなんなのか、少なくともボーッとし始めた頭では理解出来ない。


「まぁ、何にしてもやはり私の見立ては正しかったようだねダアト。魔女の弟子の中でもエリスという存在は一等油断ならないと」


「殺しに来たのですか、彼女を」


「ああそうだ…と言って、君に何か不都合が?」


「あります、彼女を殺すのは私です」


「なら今ここでやればいい」


「今日は日が悪いのでまた後日」


「フッ、なら私が今ここで代わりにやってあげよう。大丈夫礼は要らないよ、君と私は友人じゃないか…」


一歩、コクマーが踏み出すとそれだけで空間が軋む。気味の悪い魔力が噴き出てこの廊下全域を圧迫し、壁が陥没し、天井が押し上げられ、床がヒビ割れる。凄まじい魔力だ…こんな絶大な魔力、魔女以外から感じたことがない…!


強ち嘘じゃなさそうだ、エリスが万全でも勝てないというのは…!


「やめなさい!」


「え…!?」


瞬間、エリスの背後で金属音が鳴り響く。慌てて振り向けばそこにはさっきまで目の前にいたコクマーが杖を振り下ろし、それをダアトが錫杖で防いでいた。全然…見えなかった。


「何故邪魔するダアト、裏切りかな?などと私にゲスなことを言わせないでくれ」


「言ってるでしょう、私は彼女の挑戦を受けた…私以外がエリスを殺す事を許さない」


「セフィラは元来対等な筈だろう、なら君の言葉に縛られる理由はないな」


「なら私も貴方に道を譲る理由もないですね」


「ダアト!?」


「エリスさん!貴方は私を倒すんでしょう!その為に私を助けたんでしょう!私はこう見えて義理堅い奴なんです!その気概を嘘にしない為にも今は逃げなさい!」


「ッ…!わ、分かりました!」


「おおっと、させないよ…ッ!」


慌ててフラつきながら走り始めた瞬間コクマーは全身を深く前へ押し出すように踏み込みダアトを弾き飛ばす。あのダアトが…弾かれた!?


「私の接近に気がつけないくらい消耗している君では私の相手は出来ないよ」


「グッ…コクマーッ!!」


「何事にも執着しない奴だと思っていたが…存外熱い奴だね君は。帰ったら酒を酌み交わそうじゃないか、その為にも今は───」


「クッ…!」


無理だ、逃げきれない、故にエリスはその場でクルリと反転し両手をクロスさせる…と同時に飛んでくるのはコクマーの拳。魔力を伴った拳が神速の勢いで叩き込まれる、それはそのままエリスの防御の上から叩き込まれ。


「ぎぃっ!?」


吹き飛ばす。真っ直ぐ矢のようにエリスの体は吹き飛ばされ廊下の奥の壁を突き破り、ゴロゴロと地面を転がる…。


「グッ…ぉげぇぇえ…!」


そして防ぎ切れなかった衝撃がエリスの胃を圧迫し血混じりの嘔吐が口から溢れ出る。単純な殴打だ、オウマがやったやつと同じ、何ら特別な攻撃ではない…けど。それを遥かに凌駕する威力なんだ…。


これがセフィラ…レベルが違い過ぎる、けど。


(なるほど、ダアトが最強なのは…確かなようです)


今の一撃、ダアトの一撃の方が遥かにヤバかった。エリスはそんな奴をライバルに指名したんだ…死ねないよ、こんなところで。


「ハッハッハッ、悪いね…君達若者の初々しいライバル関係に初老のおじさんが水を差すようで。だが私は心配性なんだ…君達がいつか手がつけられない存在になってマレフィカルムを滅ぼす予測がどうしても拭えない。君がここに来ていると聞いた時から…こうするつもりだった」


「コクマー…」


コクマーは杖を持って悠然と瓦礫を踏み越え、薄気味悪い魔力を漂わせ悪鬼のような威圧を放ちながら現れる。


「ダアトは君を生かせと言う、バシレウスは君を殺すなと言う、ガオケレナも君を評価する…敵方にこれ程までに侵食する君と言う存在は、間違いなく危険だ。だから私は仲間から謗られ様とも君をここで殺しておく…」


「エリスは死にませんよ、こんなところでは」


「良い自信だ、益々危機感が募るばかりだ。やはり君は危険かな…?」


パシンと音を立てて杖を手の上に置くコクマーがエリスに迫る、対するエリスにはもう抵抗するだけの力は残っていない…クソッ!アンタレス様!メグさんこっちに居るんじゃないんですか!メグさんさえ見つかれば…。


「エリス様!」


「ッ…!」


この声!今のはッ!


「『迅影』ッ!」


「むっ!」


瞬間、コクマーの近くに光の杭が打ち込まれ…物陰から何かが飛び出し、コクマーに一撃を加える。


「私の百連防壁が破られた…防御不可系の攻撃か!」


「エリス!あんた遅い!」


「アナスタシア!」


「エリス様!こっちです!」


物陰から飛んできたのはアナスタシア、そしてその物陰で壁に手をついて立つのはメグさんだ。口から血を吐いている物の、全身から血を流している物の、無事だ。


そうか、この部屋に隠れていたのか!いや遅いって待ち合わせしてたわけじゃないでしょ!


「あんたらが離脱出来たらそれであたしの任務完了なんだ!だから───」


「邪魔だッ!」


「ぐっ!?」


咄嗟に合流を促すアナスタシア、しかしアナスタシアの一撃を受けても尚大したダメージを受けていないコクマーはアナスタシアでさえ反応出来ない速度で動き、裏拳でアナスタシアを吹き飛ばす…。


「アナスタシアッ!大丈夫ですか!」


「…アナスタシア・オクタヴィウス、逢魔ヶ時旅団の幹部か…何故君がここにいる。そして私に牙を剥く、分かっているだろう…八大同盟の盟主ならまだしも幹部如きがセフィラには敵わないと」


アナスタシアがやられた、壁に叩きつけられ崩落した瓦礫の下に沈められた。息はあるが一撃で戦闘不能に追いやられた!まずい…この場で唯一戦えるアナスタシアが。


「エリス様!離脱します!早く───」


「おや…?」


その瞬間、離脱の為動き始めたメグさんが物陰から飛び出してくる。そしてそれを目で見たコクマーは眉を上げ…。


「えッ!?」


メグさんもまた動きを止める、コクマーを見て。その瞬間エリスは気がつく、コクマーを見た時に感じた既視感の正体に…それは。


(目が…同じ!)


メグさんの目とコクマーの目が同じなんだ、ラピスラズリの様な瞳孔と目の雰囲気が…同じ。その同じ瞳を持った者同士が見つめ合い、メグさんの冷や汗が…顎から床に滴る。


ワナワナと震え、指をコクマーに向け、彼女は震える口でこう述べる…それはエリスも耳を疑う様な…。


「お父様…」


「君は……」


お父様だと…そう言うのだ。お父様…メグさんのお父様って、あれだよね。


シュランゲの街を治めていた領主のウィリアム・テンペスト。そう…つまり、死人だ。


「何故…貴方が」


「…これは、数奇な場所であった物だ。まさか君が帝国にいるとは…」


「何故…ウィリアム父様がここにッ!」


メグさんは完全に混乱している、天涯孤独になったと思われていた彼女の前に…こうして死んだはずの父が現れたのだから。


だがおかしい、ウィリアム・テンペストはジズによって殺されたはず、あのジズが殺し損ねるなんてことがあるのか?仮にも世界最強の殺し屋だぞ、それが…なんで。


「エリス様!アイツは!」


「アイツは…セフィロトの大樹の幹部、知恵のコクマー…そう名乗っていました」


「コクマー…!?敵…でもどう見ても」


「ああ、私はウィリアム、ウィリアム・テンペストだ…愛娘よ」


「ッ……声も、同じ…じゃあ、でも…」


揺らぐ、メグさんの何かがグラリと揺らぐ。今まで常識として敷かれていた大前提…両親の死が覆る。死人だったはずの父が蘇り敵方の大幹部として現れた事態に、彼女は完全に呑まれてしまっている。


「貴方は死んだはずです!確かに!」


「いいや、実は…ジズに襲撃を受けたあの日。私は辛うじて一命を取り留めていてね…そこを我等が総帥に助けてもらったんだ。その恩義故に私は今ここにいる…」


「嘘だ!お父様はあの時確実に死んでいた!見間違えるはずがない!」


「だが私は事実としてここにいる、…ただ。セフィロトの大樹は秘密主義の組織でね、表立って私の生存を公表するわけにはいかなかった…私自身、愛娘は死んだと伝えられていたからこそ…君を探し出す、なんてことすらしなかった…悪かった、メグよ…寂しい思いをさせた」


「ッ……」


コクマーは表情を変え、優しげな…そして慚愧に満ちた顔で頭を下げ、今までメグさんを探す事もしなかった事を。セフィロトに命を救われ、それ以降行動を共にし、セフィロトより娘の死を聞かされていたが故に…探し出せなかったと。


その声と顔は…間違いなく親の物。


「だが、君がこうして生きているとは。そしてそれを知った以上私は君を手放せない…メグ、私と来なさい。私が君を守る…もう失わせたりしない」


「メグさん……」


「……………」


「また、親子で共に生きよう。失われた時を…家族としての幸せを、共に取り戻すんだ」


コクマーは手を差し伸べる。メグさんが…どれだけ家族を愛しているかエリスは知っている、だからこそ何も言えない。例えコクマーが敵だったとしても、メグさんの父ウィリアムがこうして生きていて、共に生きようと言っているこの場面で…口は挟めない。


「メグ…頼む、来てくれ…!」


そう、懇願する様に手を伸ばすウィリアム…しかし、メグさんは一歩後退り、首を横に振り。


「違う…違う、お前はお父様じゃない…」


それは、否定だった。自分に言い聞かせるような言葉ではなく…それは確かな確信を持った、否定。それを受けたウィリアムは悲しそうに眉を下げ…。


「何故だ!メグ…!」


「貴方が本当に私の父だと言うのなら…呼ばないからですよ、メグって…」


「何…?」


「私がメグと名付けられたのは…あなたの死後。私の本当の名はコーディリア!貴方が本当に私の父ならメグなどと呼ばず!コーディリアと呼ぶはずッ!お前は誰だ!」


そうだ…メグさんがメグと名付けられたのは帝国に拾われてから、ジズに拾われマーガレットと名付けられる前の名はコーディリア。つまり…ウィリアムが知っている名前はコーディリアであるべきなんだ。


なのに奴は開口一番『メグ』と呼んだ、コーディリアではなく…メグと。そう言われたウィリアムは困った様に首を振り。


「違うんだコーディリア、君は今メグと呼ばれそう名付けられていると聞いていたからこそ私はそれに合わせて…」


「ん?それおかしくないですか?」


ふと、ウィリアムが口にした言い訳がましい言葉にエリスは疑問を呈する。それはおかしいよ…矛盾してる。


「な、何かな?」


「貴方さっき言ったじゃないですか、『まさか君がここにいるとは』って…ここにいるのを知らなかったって言ってたじゃないですか。それにこうも言ってましたよね?『愛娘が死んだと聞かされていた』と…死んだと聞かされていた人間が改名したって話まで貴方は聞かされてたんですか?」


「………………」


「お前最初からメグさんを騙す気で…アドリブで喋ってただろッ!」


「……参ったな…、存外に勘がいい様だ。魔女の弟子を一人、始末できると思ったんだが…」


「ッ…お前」


ウィリアムはその慈愛に満ちた仮面を取り、ニタリと不気味に笑う。違う…アイツはウィリアムじゃない、メグさん父親なんかではない!


「違いますッ!そいつはウィリアム・テンペストじゃない!」


「ダアト…!?」


すると、エリス達が開けた穴を這いずる様にして現れたのはダアトだ。突如として現れたダアトにメグさんは驚きつつも…ダアトはそれを無視して、コクマーを見遣る。


「そいつの本当の名は『ゲマトリア・クロノグラム』ッ!他人の死体の中に潜り込み脳を貪り他者の力を蓄える怪物です!」


「ゲマトリア…、ウィリアムじゃない…いや、まさか!」


「ウィリアム・テンペストの死体を…シュランゲから持ち出し!ウィリアムの頭脳を得る為に!奴はその姿をしているんです!」


「ッ…そんな」


エリスは、そう言った事例に一つ思い当たる節がある。


アイン…いやアクロマティックだ、奴はアレクセイさんの肉体を内側から操って別人になりきっていた、つまりそう言うことは出来るんだ。だからまさかアインが今そこに…と思ったが、見た感じアインとは違う。


だってアインなら、エリスを見た瞬間正体を明かしながら飛びかかって来るはずだ。それをしないと言うことは別人…。


「…ダアト、ネタバラシをしないでクダサイ」


ニュルリとウィリアムの口元から…影が出る、影の様な…何かが。


「参りましたね…他人の頭脳を奪っても、記憶までは奪えない難点が…出てシマイマシタ。まさかこの体の肉親と出会うとは…」


「やはり…お父様じゃないな、お前」


「ええ、まぁ…再びご紹介にあずかりました、私…ゲマトリア・クロノグラムと申す者。ちょいと色々ありまして肉体が形を失ってしまいましてね。色々使えそうなこの体…拝借しました」


思い返せば、シュランゲ城に赴いた時…聞いた話では。城の兵士の死体はそのまま残っていたが。両親の死体はなくなっていたって話だったな…まさか、ジズが殺した後こいつが回収を…死体を、回収…?


ッ…まさか!


「お前!リーシャさんの墓荒らしたなッ!!」


リーシャさん!あの人も遺体がなくなっていた!まさかこいつが持っていったんじゃ……。


「ハァ?リーシャ?誰デスカそれ」


「あれ?別口?」


「私、死体のストックはしない主義デスノデ。死体の回収はここ十年してまセンガ…?」


え?じゃあまた別のやつが…なんなんだよ一体。


「ともあれ、もうウィリアムの体にも飽きて来マシタ。ですが…良い体が目の前に二つ」


「ッ…!」


「ここらで…頂いておこうかね?もっと戦闘向きの体が欲しかったんだ」


ゴクリと影を飲み込んだゲマトリアは…いや、コクマーはニタリとウィリアムの顔で笑いながらエリス達の体を狙う。やばい…何がやばいって…。


「メグよ、父に体を明け渡してくれ」


「お前…お前ェッ!」


メグさんが完全に冷静さを失っているッ!!


「お父様の体を返せッ!これ以上私の父を…家族をッ!弄ぶなぁぁああああああッッ!!」


「メグさん!落ち着いてッッ!!」


メグさんの芯にあるのは家族への愛だ、家族への愛一つで世界最強の殺し屋を倒してしまうくらいには愛情深い人だ。そんなメグさんからして…父の肉体を弄び父の顔を使って挑発するコクマーは何よりも許せない。


だが…だがそれでも、コクマーは強いんだ!


「孝行娘よ、さぁ来なさいッ!」


「うわぁぁああああああ!!!」


離脱に徹するべき彼女がそれさえも忘れるほどに怒りに溺れている、戦える体でもないのに…まずい、殺される!けどエリスはもう体が動かない、アナスタシアは戦闘不能、ダアトもなんとかしようとしてくれているが瀕死から戻ったばかりで体力もない。


やばい…これ、一番最悪の───。


「メグの父親だと?」


────否、忘れてはいけない。


…ここが何処かを。


「ありえんな、メグは…帝国の人間だ」


「ギャブッッ!?」


その瞬間天井を突き破って飛んできた影によりコクマーの体が押し潰され口から影の様な何かが漏れ出る。あのコクマーがダメージを受けている…エリス達より遥かに強いはずのあいつが、いやそれもそうだ…攻撃したのはエリスたちより強いコクマーよりもなお強い…。


「それは私が保証する、この帝国筆頭将軍のルードヴィヒがな」


「ッ…将軍…!」


ジズがメグさんの父を僭称する物ならば、コクマーがメグさんの父の顔を偽る者ならば、…或いは今この世で最もメグさんの父親足り得るのは…ルードヴィヒさんしかいない。


彼女を育て、その心を最も気にかける彼は、血は繋がらなくとも…父を名乗らずとも、最も親足り得るのだ。


「メグ!時界門で離脱!」


「ッ!将軍…はいッ!」


そしてそのルードヴィヒさんの言葉だからこそ、メグさんも即座に冷静さを取り戻しコクマーから離れ…。


「『時界門』ッ!エリス様!」


生み出される、時界門が。エリスから見て走って十秒ほどの距離で時界門が生み出される。


その瞬間…。


「ルードヴィヒィッ!君も私の標的なのだが…それより前に、魔女の弟子を!」


「させるか…!」


「エリスさん…ッ!」


動き出す、その場の全てが。ルードヴィヒさん、コクマー、ダアト…そして──。


「ルードヴィヒィィイイイッッ!!!」


「ッ…まさか!」


壁を突き破り、現れるのは血塗れの…。


「バシレウスッ!?」


「エリス…!?丁度いい…全てが!揃ってるッッ!!」


バシレウス…それがエリスを睨み笑う。


メグさんを守ろうとするルードヴィヒさん、エリスを守ろうとするダアト。


メグさんを狙うコクマー、エリスを狙うバシレウス。


エリスを待つメグさん、メグさんの元へ向かうエリス。


この場の全てが動き…始まるのだ、世界最強の強者達による。


最も長い十秒間が…。


……………………………………………………………


死を超越して…、ルードヴィヒを追い、この場に現れたバシレウスは今この場に全てが揃っている事実に、天運の巡りを感じる。


ルードヴィヒ、エリス、二人ともバシレウスにとって標的だ…だが同時にエリスがこの場から離脱しようとしているのを見て一瞬だけ考える、優先順位を…その結果。


「ルードヴィヒッッ!」


「貴様、死なんのか!」


ルードヴィヒを選ぶ、エリスはどうせマレウスに向かう、自分もこの後マレウスに戻る、ならそこでまた捕まえればいい。だがルードヴィヒに挑めるのは今しかない。今自分を突き動かす何かが…ルードヴィヒを狙えと囁いている。


その言葉に従いバシレウスはルードヴィヒに突撃する。


「逃がさないデスヨ…!」


そして同時にコクマーが動く、離脱しようとするメグとエリスを狙い、関節を無視した動きでルードヴィヒの足元を潜りエリス達目掛け飛ぶ、残された時間は十秒。されどコクマーにとっては十分すぎる時間となる。


「しまったッ!」


「余所見するなッ!」


一瞬、弟子を狙うコクマーに気を取られたルードヴィヒの隙を見逃さずバシレウスがルードヴィヒに蹴りを加える。当然防ぐものの…それ以外のことが出来ない。


コクマーが弟子達に向かう、接触を許せば弟子達は殺される、抵抗出来るだけの状態ではない。


「まずはエリス!お前からデスヨッ!」


「ッ…!」


コクマーが飛びかかる、エリスに…しかし。


「終の型…!」


それを許さぬ者があと1人、この場にいる。


「『流星』ッ!」


「グッッ!?!?ダアトォォオオ!!!」


「エリスさん!マレウスで必ず決着をつけましょうッ!」


ダアトだ、エリスにポーションを与えられたその時から、ダアトの目的はエリスとの決着に切り替わった。コクマーにその役目は譲らない…譲ってはならない、エリスがダアトをライバル視する様に、ダアトもまたエリスをライバルと見定めたのだ。


その一撃は一瞬でコクマーを捉え、百連防壁をぶち抜きコクマーの顔面を横から蹴り抜き進行方向をズラす…。


「何が起こってるいるんだ…!」


その様を見たルードヴィヒは一瞬混乱する、敵であるマレフィカルムがエリスを救った事実に。だが同時に痛感する…エリスという人間の持つ不思議な力を。


昨日戦った敵さえも味方に引き込む彼女の不思議な巡り合わせが、ダアトを動かしたのだ。弟子を守る者は今ここに自分だけではないことを感じ…視線をバシレウスに集中させる。


「フッ!その体で何が出来る!」


「ゲバァッ!???」


バシレウスの打撃を捌き叩き込まれるルードヴィヒの連撃がバシレウスに血を迸らせる。今のバシレウスは瀕死も瀕死…生きているのが不思議なレベルだ。魔力覚醒が不発に終わった消耗と純粋なダメージの累積。


それがなかったことにはならない、ただ意志一つで立っている。そこを挫くしかない…!


「俺は最強だァッ!!!!」


「その執念は何処から来るッ!」


本来ならば動けないはずのバシレウスが猛攻を仕掛ける、ここしかないとバシレウスは認識していたから、攻め続ける。自分の体力と残された時間から考えるにこれは最後のチャンス。


ルードヴィヒがバシレウスから一瞬目を離すと言う先程までならあり得ない状況により生まれた奇跡的な接近。これを活かせなければもう勝ち目はない。


「『魔王の鉄槌』ッ!」


「フッ!」


それでもルードヴィヒは強い、バシレウスの一撃を的確に捌き、返す刀に拳が飛んでくる。それはバシレウスが全霊で放つそれよりも強く、鋭く、速い。


「グッ…うっ!まだだッ!!」


それでも動く、最早理屈ではない。まるで龍の尾に食らい付き必死に離すまいとしがみつく鼠の様に、バシレウスは今この瞬間に固執しルードヴィヒに食らいつき続ける。


「うがぁぁあああ!!」


「執念一つで、よくやってみせるよ…お前も」


ルードヴィヒもバシレウスを格下と見ることをやめる、全盛期を過ぎているとは言え未だ人類最強を名乗る男に他の事をさせない程に、バシレウスの攻勢は凄まじく、意地と根性で一歩も引かず張り合って見せるのだから。


だがそれでも、未だ頂点に立つ者としてバシレウスの意志を上から押さえつける様に、ルードヴィヒは力を発揮し続ける。


(は、早い…見えない)


エリスはチラリとその攻防を見て…戦慄する。見えないのだ、二人の動きが、バシレウスの強さもルードヴィヒの強さもよく知っているつもりだった。だが知らない…エリスが知らないその先の領域で戦う二人の動きについていけない。


あまりにもレベルが高過ぎる、今自分には逃げることしかできない。


「オラァッッッ!!!」


「フンッッ!」


その瞬間バシレウスとルードヴィヒの拳が交錯しクロスカウンターの様に拳と拳が行き交う…が、バシレウスの拳は寸前で防壁に弾かれ、ルードヴィヒの拳がバシレウスの頬を深々と歪め…。


「ぐふっ…!」


一瞬、動きが止まる。バシレウスの体が悲鳴を上げたのだ、彼の人格に似て傲慢でプライド高い彼の肉体が『もう無理だ』と叫んだのだ。


そして、例え一瞬とはいえ…それを見逃すルードヴィヒではなく。


「『ローゼン・スピンドルトン』ッ!」


「ぐぶふぁっ!」


一閃、叩き込む拳がバシレウスの口の端から血を噴き出させ白目を剥かせる。魔力を用いたルードヴィヒ最強の一撃、それはバシレウスに耐えられぬ苦痛を与え、噴き出る血はバシレウスを動かす意志のように零れ落ちていく。


「『全魔穴・断絶』ッ!」


更に、拳の先から魔力を送り込みバシレウスの魔力の穴を塞ぐ様に断絶させる。一層、二層、三層…通常よりも更に多く、全力で断絶を行う…それは。


「カハッ…!」


封じた、魂から外部に出る全ての魔力の穴を。バシレウスの体から魔力が消失する、いやそれ以上に魂と肉体を完全に分離し隔離する。バシレウスの体から魂が消失したに等しい状態に陥り…それは即ち。


「バシレウスが死んだッ!?」


エリスが叫ぶ、既に走り始めて三秒が通過してからの出来事。この間に行われたルードヴィヒとバシレウスの攻防は一瞬の間に行われ、それをルードヴィヒが制したのだ。


「グッ…かッ…!」


「……………」


そして一秒、ルードヴィヒはバシレウスを注視する。そして確かに全ての魔力が余すことなく閉じ込められていることを確認する。奥の手を使っての確殺、これは如何にバシレウスといえど克服は出来ず…やがて呼吸が止まる、それを確認する。


「終わりか────」


その一言の後…時間は間延びし、遅延し、遅くなる…バシレウスの視界で、での話だ。


(クッ…ソ…、バカ強え…全然俺の手が届かねぇ…!)


倒れていく体、力を失い、魔力を消し去られ、意思さえも通じなくなった体が崩れていく。後ろに倒れる体がルードヴィヒから遠ざかっていく。手を動かして必死に掴もうとするが手が動かない。


今、目の前に、あれだけ望んだ物があるというのに…寸前で手が掴み損ねるんだ。


(ダメだ…これ、死ぬ…死ぬのかよ、こんなところで…)


デタラメいいやがって、レナトゥスも元老院も、何が最強の存在だ…全然届かねぇじゃねぇか。世界は…俺やあいつらが思ってる以上に果てしないじゃないか。


そうだ、世界には果てがない。自分が幼少期を生きた…あの暗く閉ざされた壺の中とは比べ物にもならないほどに、世界は広い。


(これが…限界か……)


目が霞む、もう二度と戻るまいと誓った闇の中へ意識が落ちていく。また壺の中に…戻ってしまう。


だがそう思えば、これでいいのかもしれないと耳元で誰かが囁く。自分の声によく似た声が諦めようとバシレウスを説得する。


元々自分は闇の中にしか居場所がない、人に生まれ損なった獣にしてはよくやった方だ。それがまた闇の中に戻るのだ、行くのではない…帰るのだ、あの闇の中に。


戻ろう…自分の居場所に、だってあそこには…待ち望んだ物が…。


『お前は…悪魔だ』


(ま…た………)


フラッシュバックする、闇の中の記憶が。


『お前は魔王だ』


(やめろ…)


こうして死が近づく都度、声は呪いの様に頭に響く。だが無理だ、この世界は広い、まだちっぽけだった頃のバシレウスが想像したよりも世界は広く、強い奴で溢れている。


ダアト、ガオケレナ、ルードヴィヒ、レグルス、ウルキ…全員俺より強い、俺より強い奴がいる時点で俺は最強じゃないんだ、最強でもないのに証明なんて出来ない。


それがわかっただけでもいい、帰ろう…もう…帰る。


『悪魔で、魔王だ。お前はこれからも多くの人を殺し続ける…世界を呪い、お前は呪われ続ける』


(……………)


帰る…帰るで、いいのか…。


『だからこそ、お前は…証明し続けなければならない』


(証明…俺が………)


闇の中は心地いい、あそこは俺が育った場所だ。闇の中にはきっとまだ俺が望んだ物がある…けど。


俺はまだ…出来てない、残されたものを…。


(…俺は………)


その瞬間、バシレウスの視界はルードヴィヒを見失い…過去を見る。





『お願い、死なないで…ひとりにしないで』


血まみれで倒れ伏す俺にしがみつく様に泣き喚く小さな女が、俺の生を望む。


けれど違う、思い違いも甚だしい。こいつは最初から一人なのだ。


『お願い…置いていかないで』


置いていくも何も、最初から何処にもいない。


『生きて…生きて、お兄さま…』


違う…違う、違うんだ…俺はお前の兄じゃない…俺は────。




「ぐッ…!」


「なッ…!」


バシレウスの足が、地面を捉える。魂を無くしたはずの体が。動かないはずの死人が…地を足で掴み、倒れる事を拒否する。


『お前は…』


(俺は…悪魔だ)


燃え上がる、血の熱を失い始めた体が燃える様に熱く滾り始める。


『お前は…』


(魔王だ…)


体が勝手に動き始める。起き上がり…瞳が光を捕まえて、ルードヴィヒを見据える。


俺は悪魔だ、魔王だ、呪い呪われる最悪の存在だ。分かっているそんな事は、何度も何度も何度も何度も何度も言わなくても分かってる…分かっているよッ!


そうさ!俺は厄災たるべくして生まれた男…そして。


『お前は────』


「俺はぁ…ッ!!」


背負う為に、生きているんだ…その為に俺は、例え身の程知らずでも、打ちのめされても、叩き潰され血を吐いて苦しんでも、言い続けなきゃならない…こう叫ばねばならない…!


『お前は最強だ』

「俺は最強だァッッ!!!」


何かに背を押される様に力を無くした体が前へ進み、吠え立て叫ぶ。魂を隔離された体が意思に反して動き続ける。その様を見たルードヴィヒは言葉を失い…。


(凄絶な覚悟一つで…死を超越した…!)


意志も折れた、魂も失った、体に力はなく魔力もなく、ただそれでも体にしがみつき続けた覚悟だけでシリウスの様に現世にしがみついた。


死を超越する程の覚悟、死を拒絶する執念、何がお前をそこまでさせる。何がお前をそこまで駆り立てる。理解が出来ない…だが。


(来る…!)


「魔力覚醒ッッ!!」


まだ終わっていない、そう確信したと同時にバシレウスが再び魔力覚醒を用いる。もう覚醒できるだけの体力が残っていないのに、魂を無理矢理燃やして魔力を作り、隔離された小さなスペースの中で覚醒を使い、一気に断絶を破壊し息を吹き返す。


「『エザフォス・アウトクラトール』ッッ!!」


「バシレウスッ!貴様ァッ!」


最早捨ておけない、誰も手が伸ばせないはずの天高く…神に最も近き最強の玉座に今…バシレウスは確かに手をかけている。捨ておけばやがて玉座を乗り越え天を超え…星に手を伸ばすだろう。


ここで殺さなくてはならない、そう確信したルードヴィヒは一歩…踏み込む。


「『テンプス・フギット』ッ!!」


「ッ…!」


バシレウスの体を叩くと同時に、バシレウスの時間を飛ばす。魔力覚醒を維持していられる時間を一気に消耗させる、それだけでバシレウスは終わる。対魔力覚醒最強の奥義には抗う術などない、魔術もなく時間をその場に取り留めておける者などいないように、時間の流れに逆らえる人間がいない様に…。


バシレウスの体の時が急激に進む……魔力覚醒が、潰える…筈だった。


「それはもう…見てんだよッ!」


バシレウスは天才だ、一度見ただけで技の詳細を見抜くことができる。そんな彼に…二度同じ戦法を使うべきではなかった。ルードヴィヒの時間を跳躍させる拳に合わせるようにバシレウスも拳を放つ。


逃げるのではなく敢えて迎え撃つ、そしてルードヴィヒの拳とバシレウスの拳がぶつかり合い、テンプス・フギットが成立し覚醒が飛ばされる…前に、バシレウスは想起する。


「ッここだ…ッ!!」


思い返すのは絶対の姿。バシレウスがいずれ食い殺し、踏み台にして進むべき…最終到達点の姿。


魔女レグルスが見せた…絶技。


「『展開』ッ!」


ルードヴィヒは強い、テンプス・フギットも神の如き御技と言える。だがそれでも…。


テンプス・フギットは…『現代魔術』だ。


「なっ…!?」


バシレウスに触れ、その時間を跳躍させようとしたルードヴィヒは目を剥く。出来なかった、テンプス・フギットが…成立しなかった、不発に終わった。


それが形になる前に解かれた…まるでこれは。


(レグルスの現代魔術無力化防壁ッ…!)


世界の誰もが再現出来ず、魔女達を以ってしてもレグルスだけの技と言わしめ、弟子にさえ伝えなかったレグルスだけの奥義…魔術無効化防壁。それをバシレウスは見た…ダアトの命懸けの献身により、見ることが出来た。


一度見た、二度見た、二度見たならば…彼ならば会得出来る。故にテンプス・フギットという現代魔術を完全無力化してみせたのだ。


現代魔術を完全に克服した…今日この日、現時刻を以てバシレウスはこの世に存在するありとあらゆる現代魔術使い…つまり、人類を…超えた。


「ッだりゃぁっ!!」


「ッ…!」


テンプス・フギットが不発に終わった以上、ルードヴィヒの行動は完全に無為に潰えた。これが意味するところは一つ…。


(反撃が来るッ!)


今まで反撃を許さず、一つとして傷を負わず、バシレウスを圧倒したルードヴィヒに訪れる、攻撃が不可避な状況…それはバシレウスが傷だらけで血を吐きながらも進み、意思が折れても覚悟で進み、執念により死さえも超越し…ようやくようやく勝ち取った一瞬の時間。


「ルードヴィヒィィイイイイイイイイッッッ!!」


「来るか…ッ!」


だがそれでも慌てない、慌てないからこそ彼は人類最強なのだ。反撃を許すならばそれさえも潰す勢いで二撃目を放つ。拳を握りバシレウスに向かう、ハジレウスもまた拳を振りかぶり血を吐きながら吠え立てる。


スピードならルードヴィヒが勝つ、腕の長さ、経験、直感、実力…全てにおいてルードヴィヒは勝る、故にこの撃ち合いを制するのはルードヴィヒだ…だが。


「魔女の弟子ぃいいいい!!!」


「ッ…メグさんッ!」


「しまった…!」


コクマーだ、ダアトに弾かれた彼がこのギリギリの瞬間になって動き出した。口から黒い闇の様な物を吐きながら極彩色の魔力を放ちながら凄まじい速度で向かった…エリスにではなくメグに。


ダアトが守るのはエリスだ、故に意識をエリスに集中させていたしほんの一瞬前までコクマーはエリスを狙っていた。だが…この寸前で標的を変えた。


「むッ…!」


そして、一瞬だ…一般的な人間が言う一瞬よりも何倍も何十倍も短い達人達にとっての刹那の時間。ルードヴィヒはそちらに意識を取られてしまった、メグの危機を前にそちらに意識がほんの少しだけ傾いた。


分け目だった、バシレウスはルードヴィヒだけを見ていた。他の何も構う事なく、マレフィカルムも魔女大国も関係なく、勢力図もこの場の誰の思惑も関係なく…ただただ、最強に固執した。


それが…分けた、運命を。


「ッ…!」


ルードヴィヒの拳は確かにバシレウスの頬を射抜いたが…血まみれの頬を拳が捉えきれず、滑った。ルードヴィヒにとってはあり得ないミスがここで起こった…それは意識がほんの少しだけ傾いたが故のミス…そして。


「俺は最強になるッ…!」


バシレウスの手がルードヴィヒにかかる、人類最強にかかる。


「俺は…最強をッ!」


そしてその手が、残った魔力を全て吐き出し。


「証明するッ!」


それはバシレウスが散々見てきた技、ルードヴィヒの断絶防壁。あれは真似出来ない、あんな繊細な技を使うにはバシレウスの気性は荒すぎる。だからこそ彼なりの形にかけた断絶防壁が放たれる。


それは全てを切り裂く斬撃、肉を裂き骨を絶ち鉄を割りアダンタイトさえも破壊する…防壁を対象に挟み込む究極の一撃…それがルードヴィヒに迫り。


「将軍ッッッ!!」


メグの叫びが木霊する。見てしまった…将軍の敗北、いや…違う。


───人類最強の陥落を。


「逃がさないぃぃいいいいい!!」


「メグさん!」


そして将軍に気を取られたメグにコクマーの手が迫る、エリスがメグに到達するのに後一秒かかる。だがメグに反撃出来るだけの体力も時間も…もう……。


「ぐんぬぅぅぅうぅっっっっ!!!」


「なっ!?」


その瞬間、壁際の瓦礫が爆裂し…中から飛んできたのは。


「アナスタシア!?」


「どぉぉぉおおりゃああああああああ!!!!」


口から、額から血を流し、両腕がへし折れぶら下がり、肉体の負荷を考えず行った跳躍により両足が砕ける…全てを賭けた最後の加速。それはエリスを捉え、メグに激突し…。


「お前ら逃すのが私の任務ッ!それを依頼したのはお前だろッッ!!だったら逃げるのを!生きるのを躊躇うなッッ!!」


「ッ…将軍!将軍ッッッ!!!」


そしてアナスタシアは自分ごとエリスとメグを時界門に叩き込み…、メグは…見る。


血溜まりの将軍と…その前に立つ、魔王の姿を。


戦いの終焉を…決着を─────。


……………………………………………………………



「うぇーい!トランプタワー」


「すごーい!アマルトとナリア君すんごーいっ!」


「えへへ、自信作です」


「何やってるんだお前達は…」


馬車内部でトランプを積み重ね山を作るアマルトとナリア、そしてそれを見てはしゃぐデティと…呆れるメルクリウス。暇だしエリスがいないし折角ならトランプしようよと提案した結果何故かトランプタワー作りを始めた弟子達は暇を持て余していた。


「エリスまだ帰ってこないのかな」


「何言ってんだよラグナ、まだエリスが出発して一時間も経って無いぜ?」


「つっても墓に供物するだけだろ?」


今魔女の弟子達は帝国へ旅立ったエリス達を待っていた。オウマの私物をリーシャの墓に備えるため一時的に戻っているんだ。とは言え用事はそれくらい、一時間もしたら帰ってきてもいいと思うんだが…。とラグナは悶々としているがそれをアマルトは笑い。


「エリス言ってたろ、帰りは夕方頃になるって。どーせ定刻でちょっと遊んだり飯食って帰ってくるって」


「えー、ずるい」


「まぁ役得っつーか、それくらいしてもいいだろ」


「エリスちゃんお土産買って帰ってこないかなー」


「帝国の土産といえばなんだ?アマルト」


「知らねー、同盟首長のお前の方が詳しいだろ」


そんな風に呑気に話ながらも、ラグナは天井を見上げ…。


「はー、どうにも胸騒ぎがする。早く帰ってこないか────」


そう、呟いた瞬間だった。


馬車内部にいきなり時界門が開き、そこから砲弾の様な勢いで何かが突っ込んで来たのは。


「ッッ!?何事だ!?」


「うぉぉっ!?ちょいちょい!どんな勢いだよ!」


時界門から突っ込んできたそれは本棚に激突し馬車を揺らし内部をメチャクチャにする。その勢いに弟子達は思わず立ち上がり…見る。


「メグ!?」


「エリス!」


「と…アナスタシア!?」


帝国に向かい、供物をするだけだったはずのエリスとメグが全身血まみれ傷だらけの状態で倒れ伏し、それを守る様に上に覆いかぶさるのは敵だった筈のアナスタシア。状況が理解出来ず混乱する全員を前にアナスタシアはいきなり上半身を上げ。


「メグッッ!!!閉じろッッ!!こっちに来るぞッッ!!」


「ッッ…!すみません…将軍!!」


閉じる、メグは腕だけを動かし…時界門を閉じ、ばたりと手を下ろして脱力する。


「……えっと」


「なんだこれ…何が起こってんだ…」


「なんだよその怪我!」


何が起こったか分からない弟子達、しかしそれを説明する余力はなく…エリスは体を引きずりながら立ち上がり…。


「デティ!」


「え!?あ!はい!」


「治療を!!急いで!!」


「う、うん!っていうか帝国に行ったんだよね!なんでそんな怪我してるの!?」


「いいからッッ!早く治療して帝国に戻らないと…戻ッ…ぐふっ…!」


「エリスちゃん!?エリスちゃん!!」


しかし立ち上がったエリスも、馬車に戻ってきて緊張の糸が解けたのか。そのまま白眼を剥き倒れ伏してしまう。既にアナスタシアもメグも意識がなく…ただただ混乱した弟子達だけが残される。


「お、おいおい…これどう考えても」


「ああ、…帝国で何かがあった。それも…エリス達じゃどうにもならないレベルの、退却するので精一杯の何かが…」


戦慄する、自分達の知らぬ場所で…とんでもないことが起こっていた事実に。


……………………………………………………………



「消えろッッ!!」


放たれる波濤が空間を穿ち世界を壊し目の前にいる全てを粉砕し消滅させる。それは不死の大樹も例外ではなく、その全てを跡形もなく消し飛ばし……。


「消えませんよぉおお!この程度じゃあねェッ!」


「フンッ!」


しかし、大樹は消えず…レグルスに向けて無数の黒枝が伸びその体を狙うが、吹き荒れる突風が結界となり枝葉細切れになり虚空へ消える。


……ここはレグルスの臨界魔力覚醒『天地開闢/乳海攪拌』の内部。天が荒れ狂い海が暴れ狂い大地が炎を噴き出す星の黎明を映す異世界。そこでレグルスは今…マレフィカルム総帥のガオケレナとぶつかり合っていた。


「アハハハハハハハ!!!凄まじいですねぇレグルス!貴方の臨界魔力覚醒は!」


「…キリがない」


臨界魔力覚醒を使う…とはつまり必勝を約束せねばならぬ状況、されどレグルスは未だガオケレナを滅せずにいる。それどころかこの異世界すらガオケレナに侵食され始めているんだ。


目の前に立つのは天を穿つ巨大な黒樹、天は黒の葉で覆われ、大地には塔のように巨大な根が這いずり地面を砕き、まるで世界が終わるのような光景を作り上げている。ガオケレナの体は無限に拡大を続ける、黒樹となったガオケレナの肉体は人の形を無くし…それにとらわれる心配がなくなった為ドンドン巨大化しているのだ。


私が全力の攻撃を行っても、全てを消しきれない。厄介な奴だよこいつは。


「私を殺すんじゃなかったんですか?レグルスぅ」


「…認めるよ、お前は強い。私にここまでさせたのは羅睺以来だ」


「おやおや認めてくれるんですかぁ!嬉しいですねえ」


「フンッ…」


これがマレフィカルム総帥か。こんな奴がまだ世界に残っていたとは…完全に誤算だ。だが…だからこそ放置出来ん!


「ギアを上げるぞ!ガオケレナッ!!」


「なら先手を打ちましょうッッ!!」


すると巨大な木は大きくその身を揺らし枝葉を集め…山のように巨大な拳を作り出すと共にこちらに向けてそれを大きく振るうのだ。それだけで空が割れ海が押し出され大地が砕ける衝撃波が発生する…が。


「───『天閃一条貫』ッ!」


レグルスの拳から放たれる一撃がガオケレナの巨大な腕を破裂させる。世界を焼き尽くす光を放ち腕を内側から崩壊させたのだ…だがこれだけじゃ終わらない、次が来る!


「あはは!『無限飽生』ッ!」


砕け散った腕の破片一つ一つがボコボコと泡立ち、その全てがガオケレナに変わる。その数をして一万五千、生命の魔女ガオケレナが一気に一万人に増殖しレグルスに向け津波のように殺到する。


魂の複製だ、ガオケレナは不死身故に魂を分割し増やす事ができる。増えたそれは分身というより新たなガオケレナとでも呼んだ方がいい程に膨大な魔力を持つ…しかもそれら一匹一匹が更に自分の体から新たな自分を作り出し、文字通り無限に増殖を始めるのだ。


キリがない…!


「チッ!」


『あはははは!待ちなさいレグルスッッ!!』


咄嗟に風に乗り加速しガオケレナの波から逃げる。逃げつつ全身から炎を放ち、雷を放ち、水を放ち、土を放ち、追い縋る分身体を消滅させるがキリがない、本当にキリがない、一匹残っていればそこから一気に増える!


ジリ貧か…!仕方ない、ここは賭けるか…一気に決める方に!


(む…レグルスが動いた、そろそろやばいですかね…)


一方ガオケレナの方も、顔色を変えていた…レグルスの火力は下手をすれば自分を消し去り得る程だ。しかもそんなレグルスがこれから全力の魔術を放とうとしている。


あれが撃たれたら終わる…十分時間稼ぎをしたし、そろそろ良いだろう。


「消えろ…『王星終焉』──────」


(来る!ここで仕留めたかったけど無理そうだ…ならここは一先ず退却しますか!)


ケタケタと笑いながら冷静に戦局を見据えたガオケレナは咄嗟に体を分割しそれを魔力で空間をこじ開け生んだ外への出口。臨界魔力覚醒の外側へと投げ飛ばし離脱を行い…そして。


…レグルスの一撃により世界が消える。臨界魔力覚醒内部全てを消滅させるレグルスの奥義『王星終焉』。宇宙最強のエネルギーであるガンマ線バーストを目の前で炸裂させ臨界魔力覚醒の強制終了と引き換えに敵対存在を消し去る奥義にて、この空間に残った全てを光に変え…そして。



「チッ!逃げられたか!」


プツン…と切れるように臨界魔力覚醒が消滅し、現実世界の空へと帰還したレグルスは海洋の真上を飛びながらガオケレナに逃げられた事を察する。


臨界魔力覚醒内部のガオケレナは消し去った、だがその寸前に自分のカケラを臨界魔力覚醒の外側へと投げ飛ばしてきたことに気がついたのだ。奴はカケラでも残っていればそこから再生する。


つまりレグルスは完全にガオケレナを殺し切るのに失敗したのだ。


「クソッ、奴め…最初から時間稼ぎのつもりで…。通りで全く攻めてこないわけだ」


ガオケレナは最初からここで決着をつけるつもりがなかった。奴ならもっとなりふり構わず戦えただろうにずっと受け手に回っていた。


ったく!不死身が耐久戦を仕掛けてきたら勝ち目がないだろうが!これなら虚空魔術で一気に消し去ってやればよかった!…しかし。


「………参ったぞ、ガオケレナと言う存在がいると言うのに、それに構っている場合ではなくなった…」


今、私が気にするべきはガオケレナではない。今回の一件で分かった事が一つ…私達にはマレフィカルムと戦っている暇はない。


ガオケレナは恐ろしいが…もっと恐ろしい存在が、この世の闇で生まれつつある。ガオケレナが作った大いなる厄災への流れが本格的に動き始めてしまった。


…このままでは、本当に大いなる厄災が起きてしまう。


「…カノープスに知らせに行かねば……」


ガオケレナが逃げたということは大帝宮殿にいる連中も退却を始めた頃だろう…エリスは無事逃げられただろうか。カノープスに話したいこともあるし…急いで戻るとしよう。


しかし、ガオケレナか…エリス達はマレフィカルムに勝てるのか?なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ…これは。


…………………………………………………………………………


「風向きが変わった」


「え?そうなの?」


マルミドワズの中心、大帝宮殿の一角で…彼は風を感じる。久しく見るシャバの空気を仲間達と感じながら…風向きが変わったことを直感で感じ取る。


「世界の風向きが変わった、絶対的な存在のうちの一つが消失し…世界はより混沌へと落ちた。絶対なき世に革命はない、あるのはただ対等な物同士の殺し合いだけだ…悲しきかな」


「タヴが言うならそうかもね、昔からそう言う直感は鋭かったし」


「私にはよくわからんや」


風を感じるのは、レハブアムによって檻から出された大いなるアルカナのメンバー…タヴ、ヘエ、レーシュ、そしてメムとアグニイグニ兄妹…それらが全員で収容所の壁に開けられた穴から空を見る。


自由の空を…そして彼らの足元には。


「あ、ありえない…私が…この私が…さっきまで檻に入ってた、古い時代の…魔女殺しに負けるなんて…」


ズタボロで、動くこともままならないレハブアムが倒れていた。彼はアルカナメンバー達と戦い力によって従わせようとした物の、タヴ達の熟練の連携を前に敗北し…逆に檻に入れられてしまったのだ。


つまり、アルカナ達は完全に自由の身となった。


「悪いなレハブアム、お前がいるマレフィカルムというのは…いや、この世界は実力主義なのだ。力によって従わせようとしたお前は…やはり力によって服従を強いられる」


「グッ…ま、待て…」


「待たん、我等の革命の行進はお前によって火蓋を切られた。最早止まらんさ」


そしてタヴは歩き出し…。他のメンバーも追従する。


「で?どうするのタヴ、またアルカナ再結成?それともマレフィカルムに戻る?私達は貴方についてくよ?」


「アルカナはもう死んだ、死んだものに縋っては革命も色褪せる、革命は常に次世代…新世代の為にある、古きを抱える必要はないし。マレフィカルムになどもう戻らん、我が復讐は…彼女が遂げてくれたしな」


「ってことは魔女排斥はもうやめ?」


「我らの意志は変わらない、だがもう奴らに手を貸すことはしない。我等はやはり我等のあり方を世界に示す必要がある…故に」


「どこに行って何をするかまではノープラン?」


「ま、まぁ…言葉や伝達方法を選ばず、俗的に言うなれば…そうだ、ノープランだ。これは予定や目的に対する革命だ」


「物は言いようだよね…」


「レーシュ様!きっとタヴ様には大いなる考えがある筈ですよ!」


「メムぅ…君はタヴの事心酔しすぎ、こいつ結構行き当たりばったりだよ」


目的はない、目的なである筈もない、生涯を掛けた魔女の過ちを示すための戦いはあの時終わったのだ。終わったことに固執するのは革命じゃない、革命は常に前を見る。


「我等はこれより野に降り、自由を謳歌する…そうだな、一先ず古巣に戻るか」


「古巣…ああ、サイディリアルの近くにある元アルカナ本部だね?でももうあそこには何もないと思うけど」


「だが、郷愁はある。一眼見ておきたい」


「そっか、なら目的地はマレウスに決定〜!」


「僕はなんでもいいから屋根のあるところで寝たいかなぁ」


「お供します!くぅ〜!またタヴ様と一緒に行動出来るなんて!」


アルカナは再び動き出す、アルカナとしての形も名前も失っても人がいる限り我等は我らたり得る、もう組織に固執する必要もないのだ…であるならば、好きに生きてもいいだろう。


…我が隣に、彼女がいないことだけが…心残りだが。


(シン……)


いつも隣にいた彼女の不在を悲しむ様にタヴは視線を横に向けると…。


「お前はどうする、我等と来るか?」


「……何?」


目を向ける、独房に。そこには他の囚人の様に『自分も出せ!』と叫ばず…ただ一人この喧騒に革命する女が一人いた。


「何故私を誘う」


「お前の目からは革命の光を感じる、お前となら一緒に行ける気がするが」


そこにいたのは…名をコーディリア。元ハーシェル一家No.6の女にして、ジズの死を起因とする自爆から唯一生き残った人物。メグと共に唯一生き残った空魔の教えを残す人間だ。


彼女もまたメグによってこの独房に収容されていた、そして…。


「いい、私はここにいる」


外に出る気はなかった、メグに負けた以上外に出ても意味はないし…ここでこうしていることが自分への罰なのだから。


「そうか、俺の誘いにも革命するか。いいだろう、その革命…殉ずるがいい、応援してるぞ」


「なんなんだお前…」



「ね?タヴは基本行き当たりばったり、インスピレーションで生きてるんだ」


「そ、そんなわけないですよ…」


コーディリアから目を背けたタヴは、自由の空が広がる世界を見て…浅く笑う。


「では行こう、我等の新たなる旅を始める」


「エリスに会いたいなぁ、今エリスどこにいるんだろう」


「はぁ〜、眠い…」


「どこまでもお供します!」


「我々アグニイグニ兄妹も共に行こう…」


「やったー!久々のシャバー!」


ここから、始まる。絶対なき世に、混沌なき世にあって革命を成す。魔女大国でもマレフィカルムでもない第三の存在として我等は動き出す。


願わくば、お前に会っておきたいが…それも風が決めること、或いはその風の決定に対しても革命し、我等はまたお前に巡り合わん…我等を打破せし革命の寵児エリスよ。


待っているぞ…。

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[良い点] >「おおこの子が、確かにネビュラマキュラの証たる白髪と赤目が発現している。“イージスは良い子を産んでくれた”」  元老院の男尊女卑意識が強過ぎる……本当にただの袋としか思っていないことがよ…
[一言] バシレウスとレギナの関係やダアトへの想い、メグの離別と色々感想があったけど全て革命おじさんに持って行かれた…エリスは革命の寵児だったのか、コーディリアも革命していたとは
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