外伝・逢魔ヶ時の始まり、終わらぬ友情
それは在りし日の記憶、脳にこびりついて離れない忌まわしき記憶。
『いいかオウマ、お前は必ずや帝国軍に仕官して立派な軍人として愛国を成し遂げるんだ』
幼き頃の俺の肩を掴んで父はいつもそう言っていた。父には軍人としての才能がなく士官学校の卒業すら出来なかった、その癖愛国心とやらは人一倍強く実家に戻って林業で生活する傍ら、毎日のように帝国軍の活躍を聞いて自分のことのように喜んでいる気味の悪い男だった。
『オウマ、貴方はお父さんの願いを叶えてあげて。帝国の人間に生まれたからには帝国軍に入り、皇帝の為に生きるのよ』
まだチビだった俺の肩を掴んで母は目を見ながらそう言った。母も人一倍愛国心の強い女だった、その癖自分は女だから帝国軍には入れないなんて言い訳をして士官学校にすら行かなかった。帝国のトップである筆頭将軍のマグダレーナが女であることから目を逸らしながら。
オウマ・フライングダッチマンの両親は愛国者だ、愛国心が強く魔女信仰が一層強烈な帝国にありながらオウマの両親は殊更愛国心が強かった。狂信と言ってもいいほどに。
そして二人は帝国軍に異様なまでの執着を見せ、我が子の道を一つに絞った。自分の息子は将来帝国軍に入る、保証するものは何もなくとも二人は常日頃からそう思っていた。
はっきり言って異常な一家だ、言葉で聞くだけじゃ分からないだろうがこんなテンション感で日常生活を送ってるんだ、頭がおかしいとしか思えない。
ただ子供ってのは単純な物で、両親の洗脳に近い教育は子供に強烈な感情を植え付けた。
愛国心?違う違う、帝国軍の神格化だ。幼いオウマにとって帝国軍とはまさしく光そのもの、幸せになるには帝国軍に入るしかなく、帝国軍に所属する事は喜びであり、帝国軍人とは神に等しい存在だと…。
幸いな事にオウマは両親に似る事なく才能を持っていた、しかもとびっきりの。ただ悲しいかな、それを唯一見ていた両親にはまるで才能がなく、帝国軍に憧れるわりに帝国軍人に何が必要とされるかも理解していなかったから子供の怪物級の才能に気がつくことがなかった。
ただ憧れるばかりで理解をせず、本質を見抜かずただ言葉尻だけを追いかける。これが…多分、最初の歪みの始まりだろうとオウマは後に思う事になる。
十数年の時が経ちオウマは帝国軍に入る為の士官学校に入学する事になる。しかも帝国各地に建てられた士官学校支部ではなく倍率が高く優秀な者しか入れない帝国首都にある士官学校本部に。オウマにはそこに入学するだけの才能があり、それほどの努力をしてきた…お陰で入学試験は二位の好成績を取ることができた。ちなみに…一位はジルビアとか言う女だったな……けど。
問題はそこじゃなかった。
「それじゃ、今日から実戦訓練を始めていく。士官学校生活で最初の実戦訓練は、何…難しい物でもない。ここにいる現役の帝国軍人さん達と組手をしてもらう。それだけさ」
入学して数日、学校で行われたのは現役の帝国軍人と戦いプロの実力を知る…という実戦訓練だった。いくら士官学校生とは言え入学して数日、この間まで役割も何もなく蒙古斑こさえてたガキ共はプロとの一対一での戦闘訓練にタジタジだった。
みんな投げ飛ばされ、押し倒され、叩き飛ばされ…プロとはこんなにも強いのか、こんなにも果てしないのか、自分達が目指す先はここなのか…と。そう感じる為の訓練。
「うっす、よろしく若人達よ!」
「一応我々もここの卒業生として、みんなには期待してるからね」
「思いっきり投げ飛ばしてやるから覚悟しろよ〜?」
訪れたのは三人の軍人。軍人とは言え一般兵で多分階級は中の下くらい。とは言え学生達からすれば雲の上の存在が目の前にいる。士官学校生達は皆生唾を飲み緊張を押し殺す。
「さ、この中で最初に誰が我々の相手をするんだい?」
そう聞かれても、皆答えない…そんな中で答えたのが。
「はいッ!」
「君は?」
「マルミドワズ士官学校生70255番!オウマ・フライングダッチマンです!」
「ほう、気合入ってるなぁ」
「よろしくお願いします!」
若かりし頃の…オウマだった。オウマは悦びに打ち震えていた、憧れの…神の如き存在である帝国軍人と対面出来たこと、この実力を帝国軍人に見てもらえる事、それが何よりも嬉しかった。
だから一番最初にこうして立候補して…前に出たんだ。
「よっし、軽く揉んでやるからかかってきなさい」
「いきます!」
そしてオウマは、憧れの帝国軍人との初の戦闘訓練に臨み…そして。
「や、やめやめ!訓練終了!」
「は?これだけ?」
終わった、時間にして一分と二十秒。オウマの足元には血の泡を吹く帝国軍人とそいつの口から溢れた歯のかけらが飛散していた。
勝ったのだ、それも呆気なく。殴り、蹴り、投げ、叩きつけ、プロの帝国軍人ならここから俺を難なく跳ね除け叩きのめすんだろうと信じてオウマは帝国軍人を殴りまくった。馬乗りになり何度も殴った、ここからどう逆転するんだろう、ここからすごい技を見せてくれるんだろう。
そう信じて…信じていた。しかし……。
「こいつ、本当に帝国軍人なんですか?…ちょっと弱すぎて話にならないんですけど、何かの…間違い…ですよね?」
「何言ってるんだ君は!訓練でここまでするやつがあるか!」
「担架だ!担架持ってきてくれ!…酷い、手の骨も足の骨も折れてる…」
「……………」
この時の感情はよく覚えていないが…例えるならそう、神の顔を見てしまった…そんな気分だったんだろう。
「すぐに医務室に運び込まないと…っておい!何するんだよ!」
俺がボコボコにした帝国軍人を運び込もうとする別の軍人の肩無言で叩きこっちを向かせ…。
「お前が俺の相手しろ」
「何言って…ぐぶぅっ!?」
「これっぽっちな訳ないだろ!?帝国軍人が!愛国の権化が!帝国を守る盾が!こんな…こんな弱いはずねぇだろッ!」
「ちょっ!やめ…ぐぅっ…」
「弱い…弱すぎる!何だよこれ!」
そこからはただ暴れ尽くした、目の前の帝国軍人をボコボコにし、止めに来た別の軍人も叩きのめし、仲裁に入ろうとした教官もぶっ潰し…この日の戦闘訓練はおじゃんになった。
…なんてことはない、オウマは天才だった…超が三つ四つ付随するレベルの天才だった。そこに帝国軍人への憧憬とこの程度では足りぬと言う妄信から来る鍛錬が彼を強くしていた…それこそ、並大抵の帝国軍人を遥かに凌駕する程に。
そのことを指摘する人間が近くにいなかった、父も母も…帝国軍人そのものを知らなかった。無知だ、無知から来る妄信がこの日…裏切られたのだ。
燦然と輝き光をもたらす神の顔を見たら…なんてことはない、俺と同じ人間だったんだ。
「マジかよ……なんだこれ」
この日オウマは憧れの存在の血の海に立ち、悟った。自分の信仰の儚さと帝国軍人の実態と…それが信仰に値する物ではないと言う現実を。
今まで自分にとって全てだったそれが、失われた。絶対が絶対ではなくなった…そう感じた瞬間オウマは父と母の言葉が途端に空虚に思え…虚しくなった。
その後教員よりお叱りの言葉を受けつつも、殴られた軍人からの仲裁もありなんとか退学は免れつつも…彼は既に情熱を失っていた。
自分が目指したものはこんな物だったのか、自分は何のために努力してきたんだ、こんな程度の存在なら目指す価値もない…と。
そう…意気消沈した彼は、夕暮れに染まり人気のなくなった校舎を歩き、彼と出会った。
「よう、お前オウマだろ?」
「は?」
そいつは、誰もいない廊下の壁にもたれながらをかけこちらを向かず、そう言った。
藍色の髪をした男、それも俺と同じ士官学校の制服を着た…生徒だった。いきなり声をかけられたこと、不躾に名前を呼ばれたこと、とにかく今は気が立っていて誰かに対して気が使える程の余裕もなかったから俺は舌打ち混じりにそいつを睨む。
しかしそいつは一切怯むことなく俺の前に立ち。
「お前に礼が言いたくてさ。待ってた」
「お前誰だよ…」
「ガラ悪ぃな、俺だよほら、今日一緒に授業受けてた…ほら!」
「知らねぇ、今誰かと話す気分になれねぇんだよ…イライラして」
「そう言うなよ、オウマ〜」
そう言ってそいつは俺の手に絡みついてきた、その行動に激怒した俺は咄嗟にそいつを突き飛ばそうと手で押し払ったのだが…。
「ッ…」
サラリと避けられた、プロの軍人でも突き飛ばせた動きなのにこいつは容易くそれを受け流しつつ俺から離れ、すぐそこの壁にもたれかかる。
怒りは一転、興味に変わった。プロの軍人以上の動きを見せるこいつに対して…俺は無視するのは勿体無いと感じてしまった。故に…聞く。
「誰だテメェ」
そう聞くと男はニッと笑い。
「俺はフリードリヒ。フリードリヒ・バハムート、お前が教官ボコボコにしてくれたおかげで午後の訓練は丸々中止で座学自習に変わった。昼寝の時間が出来て助かったよ、ありがとな?オウマ」
「はぁ?」
フリードリヒ…そう名乗った男の不真面目な態度にやや呆れながら俺は腕を組む。入学試験を受けた奴の名前は全て把握している、つまり同期の名前と順位は頭に入っているんだ。
フリードリヒ・バハムート…特にこいつの名前はよく覚えている、なんせ…。
「入学試験最下位のゴミじゃねぇか」
「い、言い過ぎだろ…」
フリードリヒ・バハムート…入学試験最下位のゴミ。座学、戦闘実技、双方共に失格スレスレの成績、だが魔術適正訓練と体力測定訓練では驚異的な記録を叩き出し『見込み有り』と見做されギリギリ合格を勝ち取っただけの男。
言ってみればただの体力バカ、練習にも授業にもやる気を見せない典型的な怠け者タイプ。相手にするのも馬鹿馬鹿しい。
「落ちこぼれが話しかけるなよ」
「なーに拗ねてんだよお前、今朝まであんなに好青年って感じだったじゃん。それともプライベートではイキっちゃうタイプ?」
「もう他人に対して気ィ使うのもバカらしくなっただけだ」
軍人たる物礼節を重んじる…親が俺を叱りつける時によく言った言葉だった。だが結局…それもただの両親の思い込みだったことがわかった。
もう軍人を目指す気力もない、目指さないなら礼節なんざクソ喰らえだ。
「まぁいいや、それよりお前強いなぁ〜!プロの軍人とマジでやり合って無傷じゃん」
「ついてくんな」
「いやぁいるもんだなぁ世の中には天才ってのが。お前みたいなのがいたら帝国軍の未来は明るいってもんだよな」
「はぁ…」
しかもなんかついてくるし、なんなんだこいつは。
「そんだけ強いなら、士官間違いなしだな。将来は軍人確定じゃん」
「軍人には…ならない。明日にでも退学届出して田舎に帰る」
「え!?なんで!そんなに強いのに」
「軍人目指す気になれなくなった。軍人は俺が思い描いていたような強い存在じゃない…神でもなんでもなかった」
「何言ってんだお前」
軍人は強くない、強くないと国を守れない、国を守れない奴は愛国者じゃない。いや…そもそもあんな奴らに守られているような国なんざ愛する価値もないのかもしれない。
今まで、ひたむきに頑張ってきたからこそ、自分よりも弱い存在に失望して…全部が裏帰ってしまった気分だ。もう目指す気になれない…そんな風に絶望していると、フリードリヒは。
「そんなもん、アイツらが弱いだけだろ」
「は?」
「そりゃ末端の兵も俺達学生から見りゃ強いかもしれない。けど上には上がいる、師団長や将軍…強いやつだっていっぱいいるだろ」
「そりゃ…そうだが」
「他より強いお前は、他よりももっと上見てもいいんじゃねぇの?」
「上?」
「例えば、将軍とか?目指せばいいじゃん」
「将軍か……」
確かに、今日現れたのは雑魚も雑魚…超雑魚だ。帝国軍のヒエラルキーの中でも最下層、威張れる相手が学生しかいないような末端兵だ。なら上にいる奴らは…。
例えばルードヴィヒ、現筆頭将軍であり人類最強の男。十代にして魔力闘法を極めた魔法の達人、あれは凄まじく強い、少なくとも俺よりも。
例えばゴッドローブ、ルードヴィヒと並んで称される帝国の剣。ルードヴィヒと同じ将軍であり今現在世界最強の格の実力を持つ男。…やはり俺よりも強いだろう。
例えばマグダレーナ、元筆頭将軍であり元人類最強。もう老齢ながら未だに凄まじい実力と皇帝からの信頼を勝ち取っている三十二師団最強の師団長。当然、俺より強い。
俺より強い奴はいる…そこは事実だ、されど帝国軍に軟弱者もいるのも事実。
フリードリヒが与えた言葉は俺に帝国軍への憧れを再燃させる物ではなかった…俺の気持ちは変わらなかった。しかし…。
「折角ならなっちまえよ最強に」
「………最強か」
代わりに燃え上がらせたのは野心。目的や目標を失った胸の中に宿ったのはオウマ自身の願いであり野望。父と母に影響されない新たな夢が膨らんだ。
悪くない響きだった、最強。目指してみるのも悪くないし何より自分が頂点に立ち帝国軍を叩き直してやるのもいいかもしれない。
「ニヤついてんな?」
「んなっ!見んじゃねぇ!」
「たははっ!まぁまぁ。いいじゃんか、それよりさ、これからどっか行って飯でも食いにいかねぇ?奢るよ、昼寝タイム作ってくれた礼として」
「いいよ、俺このまま寮行って寝る」
フリードリヒの言葉には不思議な力があった、下手に受け流せず受け止めさせられる不思議な力が。その言葉のおかげでまぁ学園を辞める気はなくなったが…だからと言ってつるむつもりはなかった。
しかし。
「お利口だねぇ、悪ぶっても優等生なとこは変わらないかー」
「なっ…」
「買い食い出来ないレベルの奴が悪ぶるなよ〜?」
「ッッざけんな!悪ぶってるわけじゃねぇ!」
「なら行こうぜ、飯」
「ああなんでも食ってやる何処にでも行ってやる!好きな場所連れてけッ!」
「へへっ、決まり〜!」
つるむつもりはなかったんだが…まぁこいつの言い方が腹立つのなんの。俺はあっという間に乗せられて、フリードリヒと飯を食うことになっちまった。
二人で飯を食ったらそこからはなし崩し…次の日も、その次の日も、そのまた次の日もフリードリヒは関わってくるようになり…気がつけば、俺は立派にこいつの友達になっていた。
…………………………………………………………………
それから数ヶ月、フリードリヒのダル絡みにも慣れてきた頃だった。アイツらと出会ったのは。
出会いのきっかけはそう、完全なる偶然。
「というわけで今日は軍人としての協調性を育む授業を行う」
教官が俺達の前に立ち、教室の黒板にチョークで白線を引きながら俺たちに向け語る。今日の授業は軍人としての協調性…だとよ。
「皆がこれからなるのは『軍人』だ、『軍』とは即ち『群』であり数多くの人間が所属する団体を指し軍人とは即ち軍の人だ、軍人も一人ならばただの人。帝国軍には今現在数百万の兵士が所属している、兵員の数ならアルクカースを上回る世界最大規模だ」
武装軍国家アルクカースは唯一帝国とタメを張れるカストリア最強の国だ。あの国は貴族全員が国軍顔負けの私有兵団を持ち合わせアルクカース国軍も洒落にならない人数の兵員がいる。だがそれさえも上回る規模を持つのが帝国だ。
それなりの地位を確立し確かな軍事力を持つ非魔女国家の兵力は凡そ五万以上十万以下である場合が多い。対する魔女大国の平均は百万以上、その中でも際立つのが帝国軍五百万以上、非戦闘員も加えれば一千万は行くと言われ、年々軍に加入する人間は増えている。世界最大最強の軍事力と言えるだろう。
「君たちはこの巨大な群体の中へと加わり、帝国軍という巨人を動かす細胞の一欠片になる。そんな中で最も許されない行為が独断専行、身勝手な行為だ、これは絶対に許されない。なのでみんなにはこれから団体の中で協調して行ってもらいたい」
「なんで俺見ていうんだよ…!」
教官はあからさまに俺を見ている、俺が他人と協調出来ないって言いたいのか?ナメんなよ、言われりゃ他人とでもタンゴ踊ってやるよ…!
「これより全クラスでランダムに、且つ相性が良さそうなメンツを五人一組に分ける。君達はそれらの共にそれぞれ言い渡された任務をこなしてもらう、いいなオウマ」
「だからなんで俺名指しなんだよ!」
「では今から組み分けをする、呼ばれた順に外に出ろ」
「聞けよ!」
と…言うわけで俺は協調性を育む授業を受けることになったのだが、暫く待って名前を呼ばれ組み分けを受けた先にいたのは…。
「オウマじゃん!」
「ゲェ、ここでお前と一緒かよフリードリヒ」
「そう言うなよ」
フリードリヒだった、ここ最近ずっと連んでるアホだ。そいつが俺の肩をグッと引き寄せ肩を組みながらニコニコ笑ってる、なんだこいつ、赤ちゃんかよ。
「なんで普段一緒にいるお前とここでも一緒にいなきゃいけないんだよ」
「だってお前俺しか友達いないじゃん。俺くらいしかお前を御せないって判断されてんだろ」
「御すってなんだよ!」
まぁ確かに俺にはフリードリヒしか友達がいない、対するフリードリヒには友達が大量にいる、下手すりゃ学園にいる人間全員と仲がいいんじゃ無いかと思う。俺には唯一の友達であるフリードリヒにとって、俺は多数いる友達の一人でしか無いと思うと何やら腹が立つが…ンな事でやきもきする段階ってのはもう過ぎてんだ。
こいつはほっといても俺に絡んでくるし、何か言っても他所で友達作ってくるんだから何しても仕方ない。
「で?俺とお前以外のメンバーは?」
「まだ来てないんじゃ無いか?」
『おーい!フリードリヒーっ!』
「と思ったら来やがった、アイツは…」
そうして俺達に合流したのは…青色の髪を持ったどデカい女だ、女なのに俺と同じくらいデカい、おまけに筋肉も隆々…なんだあれ。
「トルデ〜!お前もこっちかよ〜!」
「へへへ、おう!よろしくな!で?そっちの顔色悪いのは?死人?」
「テメェを死人にするぞボケが」
「バチ切れじゃん、怖くて笑うわ」
「ああ、こいつはオウマ。前話したろ?」
「ああ〜!教官殺した奴!」
「まだ一人も殺してねぇだろ、つーかお前は何話してんだよッ!俺の陰口でも利いてんのか!」
「いでで!してねぇよそんなのー!」
ギリギリとフリードリヒの首を腕で締め上げる、いや分かってるよ…こいつは他人の悪口を陰で言えるようなやつじゃ無い、けどなんか腹立つので締める。
「ゲホッゲホッ、死ぬかと思った」
「紹介しろ、フリードリヒ」
「暴君かお前は…、こいつはトルデ…じゃなくてトルデリーゼ・バジリスク。俺と同郷の幼馴染だ、まぁ所謂所の妹分ってやつよ」
「トルデリーゼ…」
俺とクラスが違うから顔を合わせた事はなかったが、こいつか。クラスで一番の腕っぷりを持ち俺と同じで教官との実戦訓練で教官殴り飛ばしたとか言う奴は。
「そう言うわけだ!よろしくな!オウマ!」
そう言ってトルデリーゼは俺に手を差し出してくるが…なんだよ、握手か?するわけねぇだろ、今さっき会ったばかりで仲良しこよしなんてごめんだね。
「ケッ、くだらねぇ」
「オウマ〜?協調性協調性」
「グッ!」
耳元でボソボソ呟くフリードリヒは何やらニマニマと笑ってる、こいつ…どこまで俺の事馬鹿にすれば!ああくそ!
「分かったよ!よろしく!トルデリーゼ!」
「トルデでいいぜ!オウマ!んー…アタシも名前をトルデって略されてるし、アタシもあんたの名前略していいか?」
「何処をどう略すんだよ…」
「オーマちゃん!」
「文字数多くなってんだろ、あと次それで呼んだらお前張り倒すからな」
「こいつ付き合い良いなフリードリヒ!」
「へへっ、だろ?」
こいつら全員ここで殺そうかな…。嘘だろ?今からこれと一緒に任務するの?無理かもしれない、俺は今初めて挫折を味わいかけているよ。だが残りは二人…頼むから残り二人はまともであってくれ。
そう祈りを込めてため息を吐いていると…。
「嘘でしょ、フリードリヒいるじゃん」
「あ?」
二人、現れる。紅の髪をしたつり目の気の強そうな女と…。
「えっと…この人達と?」
「かもね」
金髪の気の弱そうな眼鏡の女。感じ的に見るにこいつらが俺達の組みのメンバーってか?…女ばっかりかよ。
「お!ジルビアとリーシャじゃん!お前らも一緒の組か、こりゃあ楽しくなりそうだ」
「ジルビア…?」
ふと、聞き覚えのある名前に俺は目を鋭く尖らせる。ジルビアといえば入学試験で唯一俺を抜いた成績一位の女…目下のところ俺が抜かなければならない存在だ。そんな奴と俺が同じ組みだと?
丁度いい、なんて丁度いいんだ。ここで俺がジルビア以上の成績を出せば…それは俺がジルビアを超えたことになる。正真正銘…俺が一番になれる。ここらで一丁宣戦布告でもしておくか…そう思い俺は今しがたきた二人に向き直り。
「おい!」
「あ?」
「ひっ…」
声を荒げジルビアに宣戦布告しようと…声をかけたが。そこで気がつく…。
(どっちがジルビアだ…?)
目の前にいるのは気の強そうな赤髪女と気の弱そうな金髪女、どっちも俺のクラスじゃ無いからどれがジルビアか分からん。けど…多分あれだろ、赤い方がジルビアだろう。気の強そうな方がジルビアに決まってる。
そこで俺は赤髪の気の強そうな方の胸ぐらを掴み。
「ようやく会えたな…!会いたかったぜ?」
「は?何お前」
「俺はオウマ!入学試験でお前に負けたオウマさんだよ…覚えてるよな」
「ああ?知らんけど…つーか誰かを負かした覚えもないっての」
「俺なんか眼中にねぇってか…ナメやがってッ!」
「ナメてんのはお前だろ!何いきなり言いがかりつけてきてんだよ!ぶっ殺すぞ!」
「上等だ殺してみろやッ!テメェをここで殺せば俺が一位だ!」
挑発に重ねられる挑発、激怒に重なる激怒。俺と赤髪のジルビアは互いに睨み合い拳を握り取っ組み合いの喧嘩を始め──。
「あ!オウマって!入学試験で私の一つ下だった人だよね」
「え?」
ふと、気の弱そうな方がポンっと手を叩く。一つ下…私の?いや俺の上はジルビアしか…いや、いやいや、まさか…。
「お、お前は?」
「私はジルビア・サテュロイ。その…よ、よろしく…」
「お前が…ジルビア?」
え?こっちがジルビアなら…今俺が掴んでるのは?今俺をガチギレしながら睨んでるのは…?
「お、お前…誰?」
「私はリーシャ…リーシャ・セイレーンだよ。ジルビアに負けたオウマ君…!」
「リーシャ?…誰?」
「テメェその前に手ェ離せッ!」
リーシャ、そう名乗った赤髪はキレ散らかしながら俺の手を払いジルビアを守るように前に立つ。つまり何か?人違い?俺は…あんな気弱そうなのに負けたってのかよ…。
「オウマ、紹介するぜ?あっちの赤髪がリーシャ。こっちの金髪がジルビア、二人は同郷の幼馴染なんだよ」
「幼馴染二組の中に俺一人かよ」
「お前!ジルビアを傷つけるなら私が許さないからね!」
「り、リーシャちゃんやめようよ…喧嘩とか良く無いし」
「喧嘩じゃ無い、抹殺」
「もしかしたらもっと良く無いかも…」
リーシャとジルビア、それが俺たちのメンバーに入る。それを聞いて俺は『ジルビアに勝ってやるぞ!』という殊勝な気持ちを既に失っていた。脳裏にあるのは…。
(なんなんだあの女…)
リーシャに対する敵意だった、勘違いとはいえ俺に向かって真っ向から歯向かって来る女ってのはどうにも初めてだった。故郷には同年代のガキはいなかったし、この学園ではそもそも俺にビビらず話しかけてくるのはフリードリヒだけだった。
故に、女ってのは弱くてピーピー泣く…それこそジルビアみたいな奴ばかりだと思っていたら、リーシャ…アイツは違った。アイツだけは…。
「まぁ仲良くしようぜ!全員でよ!オーマちゃん!」
と思ったらトルデリーゼもいたな、女らしく無いやつ。まぁいい…俺は俺に喧嘩を売った奴は忘れない、リーシャ…この任務でお前に見せつけてやる、俺がどれだけ強いかを。
「リーシャ…テメェ、覚えてろよ…俺はお前を──」
「オウマ〜、協調性協調性」
「グッ…わーったよ!」
そうだった、これは協調性の任務だった。協調できないやつはそもそも失格…クソッ、しゃあないか。今は…とりあえず、仕方なく、やむおえず、渋々…仲良くしてやるとしよう、やんぬるかな。
…………………………………………………
『任務の内容はそれぞれの組みの性質によって変わる、補給部隊を志願する者には補給路確保の任務、整備班志願の者には整備局へ赴き仕事を…そして、前線での戦闘を望む者には相応の任務を。特に前線隊には命の危険もある任務を任せてある、心してかかるように』
どうやら、このチーム分けにもそれなりに理由があったらしい。ここに集まったのは全員腕っ節に自信がある奴らばかり、特に俺なんかは腕っ節にしか自信がない。それ故に割り振られたのは戦闘メインの任務ってわけだ。
任務と言っても名前だけそう呼んでいるだけで言ってみればガキの使い。俺達に渡された課題は何処何処の国に行って何々って街に辿り着くこと。戦闘なんて何処にも無い、単なる行軍任務だ。
しかもルートは予め指定されており本当にただただ人数を纏めて一緒に行動させるだけの簡易な任務だった。故に俺たちは帝国の属国であるロポック王国の帝国軍支部へ転移させられ、ロポック王国の端に街森の街コールへと向かわされる事となった。
の…だが。
「面白くねぇ…」
俺は支部で渡された地図を受け取り、その中身を見てため息を吐く。一応実地訓練に部類されるこの任務…多少なりとも面白いことでもあるかと思えばなんだ、支部と森の街コールは少し大きめの森を隔てた向こう側にあり…最速で行軍を続ければ二、三日で着く距離にあった。
なんだこのアホの考えた任務は、散歩かよ。
「何ため息吐いてんだよオウマ」
「見ろよフリードリヒ、この地図」
「んー?お…目的地ちっけぇ〜。ダッシュで行けば二分で着くんじゃね?」
「だぁな」
「こりゃあ楽勝かもなぁ」
フリードリヒと共に地図を見て任務の簡単さに辟易する。もう少し歯応えがあるやつを期待していた。既に俺たちは行軍訓練を済ませているし真面目に授業聞いてればアホでも出来るレベルの奴だった。
こりゃフリードリヒと言う通り直ぐに終わって…ん?
「なんだよ」
ふと、視線を横にやればジルビアを背に守るようにリーシャがこっちを睨んでいた。
「警戒してんだよ、いきなり淑女の胸触る変態を」
「ああ!?誰のこと言ってんだよ!」
「お前以外居ないでしょ、距離的に森の中で野宿は数回する…その間にジルビアのパンツ盗んだりするかもしれないし」
「テメェこの授業が何か分かってんのか?実地任務だ、怪我人は付き物だぜ?テメェをここでボコして学校に送り返してやってもいいんだぜ?任務中に落ちこぼれがヘマこいたってよ…」
「泣きべそかいて帰ることになるのはあんたの方かもよ」
「ンだとぉ…?」
「おいおいお前ら、まだ俺達一歩も進んでねぇのにいきなり仲違いすんな、そういうイベントは中盤辺りでやれ」
「チッ…」
「ジルビア、オウマに近づいたらダメだよ」
「リーシャちゃん…ちょっと口悪すぎかも…」
気に食わねぇ物の言い方をしやがるぜこいつは…こんなのと数日一緒にいなきゃ行けないなんて気分が悪いったら無いぜ…ったくよ。
ギロリと睨み合う俺とリーシャ…その様を諌めながらため息を吐くフリードリヒは。
(んー、任務内容的には楽勝かもだがオウマとリーシャの空気が悪いな。こいつらが多少なりとも仲良くしてくれたらやりやすいんだが…こういう時は、あれをするかな)
パッパッと仕方なしと手を叩くフリードリヒ、そして両手を頭の後ろで組み出来る限りなんにも考えてない顔をして…。
「よぉーし!じゃあ出発しようぜ〜!まずは役割決めだ!行軍隊長はオウマ!お前な!」
「は!?なんだよいきなり!」
「みんなを引っ張って先に進む言ってみれば切り込み隊長兼指揮者だ、お前に打ってつけだろ?」
「え?あ…まぁな」
「そんで隊長を補佐する頭脳派は…リーシャ、任せた」
「なんで私が!」
「ほら俺頭悪いし、お前あれじゃん?雰囲気がインテリ」
「ナメてんの…!?」
「まぁここだけの話オウマだけだと不安だから…な?」
「う…確かに」
コソコソとリーシャの耳元で囁き納得させる、そして。
「じゃあトルデは食料管理隊長!持ってきた食料が数日分持つよう計算頼む!」
「アタシが!?そういう計算苦手だけど…頑張る!」
「ジルビアは全体的なまとめ頼む、いろんな知識があるっぽいし困ってる奴がいたら力貸してやってくれ、トルデとかな」
「わ、分かった…頑張る」
「んで俺が!荷物持ち!頭脳労働は任せたぜ!みんな!」
「お前楽したいだけじゃねぇの?」
「たははー!んなわけんなわけ〜!」
「チッ、全く…お前はどこでも変わんねーよな。仕方ない…お、おい女、手を貸せ」
「何女って、リーシャだって言ってんじゃん…まぁいいや、とっとと終わらせよう」
「……んふふ」
早速地図を見てあれやこれやと進み方について話し合うリーシャとオウマを見て満足げに笑う。思った通り、この二人はこうしておけば喧嘩はしない。
オウマは付き合いがいいし真面目だからこういう風に無理にでも役割に当て込めておけば職務は全うする。リーシャはオウマと違って不真面目だから何かしら重大そうな仕事を任せておけばオウマを放っておけず結局二人で仕事をする。
仕事や役割と言うのは余計な事を考えさせない、特にこういう命のかかるかもしれない場面で私情を挟む程ふざけた奴らでも無い。なので余計な事を考えさせず取り敢えず仕事に集中させとけば万事OK。少なくともこれで安心出来るかな。
「ここをこう突っ切るぞ、そうすりゃ早い」
「バカ!指定ルート外じゃん!」
「ちょっとくらいいいだろ?このメンツなら問題ない、それにやるなら最速で行こうぜ」
「アンタねぇ…はぁ〜こういうのは柄じゃないんすよ〜」
(大丈夫…だよな?うん…多分)
若干オウマ主導になるのが怖いがまぁ…最悪の場合は俺とトルデで強引にルート修正すればいいし、いいか。うん…。
仲間内でのギスギスとか不和とか、そういうのが一番苦手だしそういうのが起こらないならなんでもいいや。
…………………………………………………………
「オウマ、道こっちだよ」
「おう、そうか」
それから俺達は移動を開始した。行軍と言っても簡易的な物でただ五人で森を突っ切るという簡単な物。フリードリヒから隊長に任命された俺はリーシャと共に道なき森の中を進んでいく。
森はルートが決められているとはいえ、舗装された道があるわけでもなく湿地的な森林の中を草木をかき分けて進むことになる。二、三歩歩いただけでも道に迷いそうなそれを恐れる事なく進む俺はリーシャの補佐もあって問題なく進めた。
「お前中々やるな、リーシャ。全然迷わねー」
「迷ってないかどうかは目的地につくまでわからんけどねー」
リーシャは常に地図を見て、手元のコンパスと懐中時計を細かに確認し時々上を見上げて太陽の位置を見て現在地を的確に割り出していた。そこに一縷の迷いもない、常に俺に方向修正の指示を出すリーシャの的確な声に…俺はすっかりリーシャの評価を改めていた。
「俺だって地図の大体の位置は把握しているし、歩数で距離も計算してる。このジャングルの中でも迷う事なく真っ直ぐ進めてるだけでも大したもんだよ」
「現在地が分からない状況だと真っ直ぐ進んでるつもりでも人間の体の構造的にも完全に直線に進むのは難しいらしいしね。こういう補佐が重要なのは分かってるだけだよ」
「お前、頭いいな」
「それ褒めてるのかねぇ。でもアンタもまぁ思ってたより素直に私の言うこと聞いてくれてびっくり、てっきり反発して言う事聞かないもんかと」
「この状況で我儘言えるかよ。道理が通ってるなら聞く、それだけだよ」
「そうかい、なら安心したよ」
俺だって我儘放題の子供じゃない、我を通すべき時とそうじゃない時の区別はつく、まぁ基準が人とは違うってのは分かってるがそれが俺なんだ、文句言われても変える気はないがな。
「にしても…実地訓練とは言え他国の領土の森を使えるなんて凄い話だよな」
「ん?んー」
ふと、俺はリーシャに雑談を仕掛けてみる、するとリーシャは。
「ロックル王国は帝国の支援で成り立ってる国だからね。湿地帯が多くを占めるこの国だと街を作る事もままならないしね、昔から国としてやっていくのは厳しい場所だった、そこを支えてやってんのが帝国なのよ」
「なんでケツ持ちなんかしてんだよ」
「帝国は全世界でこれをやってるの、経済的支援、武力的支援、物資的支援。現行世界の秩序維持が帝国の掲げる目標だからね。でもタダでってわけじゃない、支援を受けるなら帝国の属国に、軍の駐屯場の設置、有事の際の協力請求、それを引き換えに国家の支援を行うの」
「お前詳しいな」
「色んな本を読み漁ったからね、知識ばっかりはあるんですわ」
地図から目を離しピコリとウインクをするリーシャの態度に満足する、知識量も申し分ないし器量もある。こいつはいい、気に入った。
「おいリーシャ」
「なぁに」
「俺は将来師団長か将軍になる」
「好きにしなー」
「そん時はお前を俺の軍師にしてやろうか」
「はぁ?軍師?いいね、私軍師ポジション好きだし」
「マジか!なら!」
「でもお断り、私はそんなに偉くなるつもりはないから」
「は?なんで?」
「帝国の一兵卒になれればそれで満足ですから」
「………」
分からねー奴だな、帝国の一兵卒と言えばあの雑魚だぞ。俺が入学早々にぶっ飛ばしたあれだ。あれがいいのか?
「お前何のために帝国軍に入るんだよ、入るなら偉くならないと」
俺はリーシャの隣になるように速度を落としながら歩き、リーシャを見ると。リーシャはチラリとこちらを見る。
「偉くはならなくていいかな、私はただ…立派な帝国軍人になってさ、この国を守れるような人になりたいの」
「なんで?」
「この国が好きだから、いや…もっと言えばこの国の人たちが好きだから?故郷の父ちゃん母ちゃん、ご近所さん、それら諸々を色んな脅威から守りたい、世界は私達が思ってるよりも安全じゃないからさ…何かあった時こうしてればよかったと思えるような人にはなりたくないから」
「ふーん、じゃあ尚更偉くならねーと。一兵卒に守れる範囲は大きくないだろ」
「ならそれはアンタがやってよ、将軍になるんでしょ?」
「え?ああ!まぁな!」
(こいつの扱い方分かってきたかも…)
リーシャに囃し立てられちょっと嬉しくなる、俺は能力がある奴は好きだ、そんな奴に褒められたらいい気分になるに決まってる。にしてもそうか…国を守るか。
…俺はなんのために軍人になるんだろう。ただ漠然と頂点に立ってやると言う反骨精神で今もここにいるが、正直…前ほど軍人に魅力を感じてるわけじゃない。リーシャみたいに故郷の人達を守ってやろうと感じられる程故郷の奴等や両親にも愛はない。
なんのために俺は軍人になるんだ、なんのために俺は頑張るんだ。分からないな…。それもいつか見つかるのか、或いは……。
「ん?」
「…どうした?フリードリヒ」
ふと、全員分の荷物を持つフリードリヒが足を止め、周囲を見回す。そのただならぬ様子が気になり俺も足を止めると…。
「……なんか来る」
「は?」
そう、フリードリヒが呟いた瞬間だった…。
先頭を歩く俺達と、最後尾を歩くフリードリヒの間を…何か、巨大な影が高速で通過したのは…。
「なっ!?」
「何!?」
それは葉を舞わせ、折れた枝を突き飛ばし、超高速で一瞬だけ俺達の目の前に降り立つと…。
「ギギッ?」
「猿…!?」
猿だった、それも俺が知ってるような猿じゃない。デカい…俺の二倍くらいあるデカさの白毛の猿がこちらを見て笑った瞬間。
「ギギーっ!」
即座に飛び立つ、再び木をへし折り飛び立って俺たちの視界から消えるんだ…なんだあれ。
「なんだったんだあいつ、何もしないで俺たちの前から消えて…」
「違う!何もしてないわけじゃねぇ!ジルビアがいない!」
「何ッ!?」
フリードリヒの叫びに気がつき俺は即座に周りを見るが、いない…俺とフリードリヒに挟まれるように歩いていたジルビアが…さっきの猿が降り立った地点に居た筈のジルビアが、居ない!
「野郎か!」
即座に走り出し猿を追う。奴が何者で何をしたがっているかは分からない、だが奴の出現と同時にジルビアが消失した以上原因は奴以外に考えられない。そしてあの獣が人間攫ってお茶振る舞ったり歓待してくれるとは到底思えない。
このまま行かせるわけには行かなかった。故に俺は…。
「待てやクソ猿ッ!」
「ギギッ?」
「んんーっ!」
木を蹴り跳躍し枝の上を走り猿を見つける、するとその長い尻尾に巻かれ手足と口を拘束されたジルビアが涙目でこちらを見て叫んでいた。やっぱりあの野郎か…やってくれやがるぜ!
「人様を嘗めやがって…ッ!そいつ返せやッ!」
更に跳躍、同時に腰の鉈に手を当て障害物となる枝を切り早い最高速で猿を追う。仕留められなくてもいい、せめてあの尻尾だけでも切り裂けばジルビアは取り戻せる!
けど…。
「ギギーっ!」
(速え!なんだアイツ!)
凄まじい速さで猿も飛ぶ、手で枝を掴み足で枝を掴み人間には再現不可能な移動速度で森の奥へと消えようとするのだ。このまま足で追いかけてちゃ逃げられるッ!
こうなりゃ…。
「逃げんなっつってんだろッ!」
枝を切り払い、同時に切れた枝を蹴り抜き猿に飛ばす。しかし猿はその場でクルリとターンをして枝を避け。
「キキーッ!」
バカにするように枝の上に立ち尻を叩く…が。
「だから言ってんだろ…!」
「キッ?」
腕を振り抜く、今の枝は誘導…本命は、こっちだよ。
「人様を嘗めるなよ猿風情がッ!」
「ギーッ!?」
鉈を投げる、タイミングドンピシャ…スピード良好、取った!アイツの尻尾!ジルビアを返してもら───。
「ギギーッッ!!」
「なっ!?」
しかし猿はその瞬間口を開き、中から凄まじい赤色の波動を噴き出したのだ。それに触れた鉈と俺の体な炎に包まれ吹き飛ばされ…。
「ごはぁっ!?」
叩きつけられる、背後の木に。そしてへし折れる木と共に地面に落ちながら俺は…連れていかれるジルビアの顔を見て……。
「クソッ!待てや!」
「オウマッ!」
「大丈夫か!」
「リーシャ!フリードリヒ!」
「チッ、連れてかれたか…」
即座に俺を追いかけてくるリーシャ達が合流するが…その頃には猿の姿は消えており、…つまるところ逃げられた。最悪だ…隊員が1人連れ去られた。
なんなんだあの猿、口から火…いや燃える声を出しやがった。
「悪い…逃げられた…」
「一人で追いかけて…しかも魔獣相手に」
「魔獣?なんだそれ…あの猿普通の猿じゃねぇのか」
「あんた魔獣知らないの!?あ…いや、帝国にはいないし仕方ないか。私も見たの初めてだし」
するとリーシャは猿の消えた方向を悔しげに見つめ…。
「奴は魔獣…名を『シャーマモンキー』冒険者協会指定危険度Cランクの魔獣だよ。発火性の波動を操る魔術を使う厄介者さ」
「魔術!?俺まだ魔術使えねぇけど…ってことは俺猿以下?」
「何自信喪失してんの、ああ言う存在なんだよ。魔術を使える獣だから魔獣…それにしても最悪だ、ジルビアを攫われるなんて…」
「…すまねぇ、追いつけりゃそれでよかったのに…」
魔獣か、ただの獣だと思っていたんだが…見込み違いがあったから取り逃した、いや…俺が弱いからか、俺も魔術が使えれば…。
「…どうする、リーシャ」
「フリードリヒ…」
フリードリヒは視線だけを動かしてリーシャを見る、どうする…そう聞かれれば迷う。魔獣だ、魔術が使える獣だ、今ここにいる人間の中に魔術を使える奴はいない、魔力の扱いも出来ない。助けに行くにしても無事かも分からない。
「な、なぁ…この任務には監視役の教官が配置されてる筈じゃ?その人に言いに行けば…」
「トルデ…残念だがそれならさっき、そこにいたよ。動ける状態じゃなかったがな…多分あの魔獣にやられたんだろ」
「そんな…現役の軍人が…」
「Cランクだもん、討伐には冒険者が十人単位で必要な怪物…そしてここにいるのは」
ロクな武器も魔術も持たない雑魚四匹…、助けを求めに行こうにも監視役の軍人がやられてる、こりゃあ最悪だろう。軍人がやられてる時点でこの授業は完全に破綻し想定外の事態が発生している。続行は不可能と見ていい。
「俺達が取れる手は今すぐ支部に戻って軍部に報告することだけ、監視役がやられるような魔獣が出ること自体が想定外。いやそもそも魔獣が出ること事態想定外なんだ…でなけりゃもう少し武器を持たせる」
「でも…」
「リーシャ、気持ちは分かるけど…」
このまま行けば被害者一人が被害者五人に変わる、それは最悪の結末だ…だがなフリードリヒ。
「フリードリヒ…テメェ何賢ぶってんだ…お前はもっとアホだろ」
「へ?」
「助けに行くに決まってんだろ、トルデ…お前は今すぐ支部に戻って救援呼べ、俺とリーシャとフリードリヒでジルビアを追いかける」
「ちょっ、オウマ!お前…冷静になれよ」
「お前こそ冷静か?フリードリヒ。俺ぁこうして突っ立ってるだけでドンドン頭が冷えて冷静になって、考えてれば考えるほど攫われたジルビアが今どんな気持ちか…想像出来ちまうぜ。俺達全員で軍部に戻って救援呼んで、で?何をする?死体の回収か?今ならまだ間に合うかもしれないぜ」
「………確かに」
「俺達ぁ軍人だろうが…!軍とは群!個を切り捨てて群が成り立つかよ!」
ジルビアは助ける、アイツは気に食わないが死んで欲しいわけじゃない。寧ろこれから俺がアイツより優秀になって『参った!』と言わせるまで口が利ける状態でいてもらわにゃならんのだ。
だから助ける。理屈や理由はいくらでも吐ける…止まる気もない。今はそうするのが正しいと俺の体が言っているんだ。
「………オウマ」
「あんだよ」
するとフリードリヒは肩を叩き…。
「やっぱお前、俺が見込んだ通りの男だな」
「はぁ?」
「みんなお前を獣みたいだって言うよ、けど獣ってのは元来仲間意識が強いもんだ…そう言う奴こそ、頼りになると俺は思った。だから俺ぁお前をダチに選んだ」
「何言ってんだよ」
「お前、最高の軍人になれるよ。俺が保証する」
「…そうかよ」
「助けに行こう、群れに手を出されたんだ。仕返しをしてやらにゃならん」
フリードリヒは俺と肩を組みながらグリグリと拳を押し付けてくる。最高の軍人になるか…それがフリードリヒの軍人像なんだな、けど…まぁ、悪くないかな。
「よしっ!じゃあ行くぞ!トルデ。お前なら一人でも帰れるだろ?行け!」
「えぇーっ!なんだよフリードリヒまで、アタシも戦いたい…」
「バァカ、お前を信頼してるから頼んでんだ。お前の腕っ節なら道中熊が出ようが猪が出ようが突っ切れるだろ?」
「まぁ…」
「今単独で動けるのはお前だけだ、頼むぜトルデ」
「ああもう、分かったよ。…死ぬなよお前ら」
「勿論」
そしてトルデリーゼは名残惜しそうに何度か振り向きながらタッタカ来た道を戻っていく…さて。
「ジルビアを追いかけるぞ…!」
「つっても、あの猿どこへ行ったんだ?」
「それなら多分ここだよ」
「へ?」
そう言いながらジルビアは手元の地図を見て、指差す。そこには森の真ん中にある岩場が書かれていて…。
「シャーマモンキーは…というより猿型魔獣は雨風を凌げる巣を持つ場合が多い、そしてそれは往々にして洞窟や岩場である場合が多いって本で読んだ」
「お前…メチャクチャ詳しいな」
「そしてムーソンモンキーは…別名人攫い猿とも言われている。人を殺す事を目的とする魔獣にしては珍しく人を攫う、なんでか分かる?」
「冷蔵庫にしまって後で食べるとか?」
「んなわけないでしょフリードリヒ!…シャーマモンキーはね、ゴブリン種と同じで自己増殖機能を持ってる、つまり…繁殖出来る、同種以外とも」
「どういう意味…?」
「嘘でしょオウマ…ともかく説明するの恥ずかしいから言わないけど!ジルビアはまだ生きてる!少なくともまだ!だから急げば間に合う!」
どういう意味なんだ…?よく分からないが…。
「急ぐんだな!なら行くぞ!」
「おう!オウマ!行くぜ!」
「ああもう!ちょっと待ってよ!」
走る、急げってんのなら急ぐ。全力で走り落ちた鉈を拾い上げて草木を切り裂き進む。ここから岩場まで大した距離じゃねぇ…真っ直ぐ進めば直ぐに着く!これで間に合いませんでしたジルビアはなんか死んでましたとかだと格好がつかねぇ!啖呵を切った意味もねぇ!絶対助けて鼻高々にジルビアに自慢してやる!!
だから死んでんじゃねぇぞ!
……………………………………………………
「あそこか」
「どう見てもね」
「へぇー、ウチの寮よりいい感じじゃね?」
ザザっと茂みから三人で顔を出して俺たちは岩場にポッカリと開いた穴を見る。そこには奴の毛が散乱している…どう見てもあそこにシャーマモンキーがいる。
よし…。
「突っ込むぞ!」
「おっしゃ来たァッ!!」
「待てバカ共!あんた達行って勝てるんですかァッ!?」
「勝てる!」
「勝てるわけない!」
「じゃあどうすんだよ!」
「考えるんだよ単細胞!」
するとリーシャは持ってきた荷物をその場に広げて…。
「持ってきた荷物で武器になりそうなものを探す、丸腰でCランク魔獣の相手なんかできない…」
「つっても武器なんかないだろ」
広げられたのはサバイバル用品ばかり、水とか…マッチとか、あとは油…小麦粉、卵…それと調味料と干し肉、ロープにテント用の布…武器になりそうなのは精々サバイバルナイフくらいか?けど流石に武器にはならないだろ。
「あ、このロープどうだ?これでアイツの首をククッ!と括ってさ」
「無理、待って…待ってよ、昔こんな小説読んだことあるから」
「うーん、あ!卵あるぜ!小麦粉も!これがあればあれが出来るんじゃないか?オウマ」
「なに?」
「パン」
「お前黙っとけ、今そういう空気じゃねぇ」
するとリーシャは座り込んでポクポクと頭に指を当てて考え出す。…本当にこんなので思いつくのかね。
「……よし、組み立てた」
「何を?」
「ジルビア奪還作戦の概要」
「マジで!?」
「その前に聞くことがある」
するとリーシャは膝の上に手を置いて…ニタリと笑い。
「あんた達、死ぬ覚悟…ある?」
そう聞いてくるのだ。
……………………………………………………………
「ウキッウッキウッキ!」
「こ、来ないで!リーシャちゃん!助けて…!」
洞窟内部、シャーマモンキーに連れ去られたジルビアは全身を蔦で巻かれ拘束された上で…シャーマモンキーに迫られていた。最初は食べられでもするかと思ったが…どうやら違う、だが最悪なことには変わらない想像が脳裏に過ぎる。
「ウッキッキ…」
「ヒッ…」
そして、シャーマモンキーは嫌がるジルビアに手を伸ばし…。
「ウキ?」
「え?なにこれ…」
その時だった、洞窟内部に大量の煙が立ち込めたのは。しかもその煙は…目に沁みる、まるで木々が燃えるような白煙はあっという間に洞窟内を包み込み…。
「ゲホッ!ゲホッ!なにこれ…火事?」
「ウギギギ!ウッキャーッ!」
「ちょっ!置いてかないで!」
煙に怒るシャーマモンキーはドンドコ胸を叩きながら洞窟の外に出る。魔獣は元来巣を持たない、ただ進化の過程で巣を持つ動物を模倣し進化した魔獣はその限りではない、巣を持つ事を学んだ魔獣達は動物達の縄張り意識も模倣する。
故に自分の巣を荒らされたと認識したシャーマモンキーは激怒する。何かが自分の居城を荒らしたと。
「グギャーッ!」
そして洞窟の外に出たシャーマモンキーは怒りと共に吠えたて外に出ると…そこには。
「ウキャ?」
誰もいなかった、ただあったのは…焚き火。枯れ木と乾いた葉を重ねた焚き火が洞窟の前で焚かれ、その煙が洞窟の中に流し込まれていたのだ。
一体なにがと目を丸くするシャーマモンキーに…突如として影が差す。
「ウッキッ!?」
「こっちだ猿野郎ッ!」
降り注いだのは…巨大な岩に乗ったオウマだった、その手には木にナイフをくくりつけた槍を持ち…シャーマモンキーに飛びかかった。
「俺が相手だッ!」
「ゴギャッ!?」
岩でシャーマモンキーを押し潰しながらオウマは槍を構える…これがリーシャの作戦。…そうだ、奴が語った作戦だ。
『まず、このマッチで焚き火を作る。煙を洞窟内部に流し込みシャーマモンキーを外に誘き寄せる…と同時に洞窟の入り口上部に設置した岩を落としながら攻撃を仕掛ける。これでイニシアチブはこっちのモンだよ』
そう語るリーシャは続けるように語る。
『まずオウマの役目はシャーマモンキーを相手に陽動、簡易的な武器だけどこの槍で立ち回って。その間に私が煙に紛れてジルビアを助けに行く。それまでの間なんとか持ち堪えて…多分、岩を落とした程度じゃシャーマモンキーは死なないから」
「グギャーッ!」
「へへ、全然平気か」
岩を砕き怒りに満ちた顔で起き上がるシャーマモンキーは胸を叩きながらオウマを威嚇する。そこから漂うのは濃厚な殺意と怒り、そして身を刺すような危機感。今オウマは初めて実戦の中にいる。
「キャーッ!」
「よっと!面白えぇ…こういうのがやりたかったんだ」
叩きつけられるシャーマモンキーの拳をかわしながらオウマは笑う。通常…未だ士官学校生の身でありながら実戦に立つ者は少ない。学校で実戦の空気感を学び、恐怖を押し殺す術を学ぶ物だからだ。
故にオウマは未だその恐怖を押し殺す術を知らない。今彼は恐怖している。
「ゴァガガ!」
「ハッハーッ!こっちだよ猿野郎!さっきの機敏さはどうした!木が無けりゃただの木偶の坊か!」
恐怖は身を竦ませる、動きが鈍り本来の力を発揮出来ない、だが…今オウマにはそれが起こっていない。恐怖を感じている、死ぬかもしれないと思っている、それをあるがままに受け入れ…彼は今縦横無尽に駆けている。
何故か…それは。
(楽しい…ッ!)
いるのだ、時折。精神性があまりに戦闘に特化したものが。
相手を傷つけることに躊躇しない奴、戦いに喜びを見出す奴、血を見て性的興奮を覚える奴…そして恐怖を押し殺さず、恐怖を餌に戦える異常者。
オウマはその恐怖を餌に戦える異常者だ。平穏の中にあって退屈し、乱世にあって躍動する…天性の異常者、或いは乱世の猛雄。
(やっぱり俺の居場所はここだよ、戦いの中にいるべきなんだ俺は!)
「ゴァアア!」
「おっと!いけねぇいけねぇ、楽しんでるだけじゃダメだったな!こっちだ猿野郎!捕まえてみろよ!」
クルリと反転しオウマは走り出す、背を見せシャーマモンキーを挑発する。ついでに尻を叩いて森の方へと走るのだ、それを見た猿は当然…怒る。
「ゴァアアアアア!!」
「アハハハハハハ!」
リーシャはよく策を練ってくれた、やるべきことが明白な分考えることが少なくて済む。まず俺の役目は陽動、それはジルビアを助けに行くリーシャから離す役割であり…同時に。
「フリードリヒ!」
「おっしゃ来たァッ!!」
瞬間、飛んでくる。茂みの奥から…二つの投擲物、それは。
「ガァっ!?」
卵、茂みの奥に隠れたフリードリヒが投げたのだ。俺は猿をフリードリヒが狙いやすい位置へ陽動する役目!
『そしてフリードリヒは卵を投げて猿野郎の視界を潰す、そのあとはまぁ言わなくても分かるよね』
「よくやったフリードリヒ!」
「任せとけ!」
「ギャギャ!」
リーシャの作戦通り進む、フリードリヒは俺の援護に選ばれた、その理由は単純…リーシャ曰くフリードリヒという男は土壇場に非常に強い。『外せない』『失敗出来ない』『ミスしたら全部終わる』というタイミングで、笑って力を抜けるタイプのアホだからだ。
故にこいつは外さない、的確に卵が目に入り視界を塞がれたシャーマモンキーに対し俺は反転し一気にその首を狙って飛びかかる。
「グッ!ギギィッ!!」
「うぉっ!?闇雲に暴れやがる」
しかしシャーマモンキーもこれはまずいと思ったのか暴れ回り巣へと逃げようと動き出した。物の他危機感が強い、恐らくはこの森にいたのもそういう理由だろう、何かから逃げて…普通はいない森へと逃げてきた。
普通なら死ぬような状況を切り抜けた個体だから…ここでこんな行動が取れるのだ。
だが…リーシャはそれさえ読んでいた。
『フリードリヒの仕事は卵投げるだけじゃないよ、多分シャーマモンキーはやばくなったら逃げる…その逃げ道を潰すのがあんたの役目』
「オラァッ!」
更にフリードリヒは投擲する、それはシャーマモンキーの足元で弾ける…そうだ、投げたのは瓶、油の入った瓶だ。
「ゴァッ!?」
足を滑らせる、目の見えないシャーマモンキーでは対応出来ないアクシデントに滑って手を突く、それは今の状況では最悪のタイムロス…今なら取れる!!
「死ねやッ!」
「ッッ!!」
槍を持ち飛びかかる、が…シャーマモンキーはそれを見切る。目は見えない、だが研ぎ澄まされた直感がオウマの位置を見切り…振るう、尻尾を。
それは鞭のようにしなりオウマの体を打ち──。
「させねぇっ!」
「フリードリヒ!」
「ギギィャァッッッ!!」
しかしそこで飛び出してきたフリードリヒが鉈を振るい尻尾を一撃で両断する。これは作戦にはない、完全なアドリブ…だが。
(すげぇ鋭さの一撃だ…リーシャの言った土壇場に強いってのはマジか!)
「取れッ!オウマッ!」
「おうッ!」
踏み込む、尻尾を裂かれ苦しむシャーマモンキーの首目掛け…槍を携え進み…。
「さっきの返しだ!思う存分受け取れや猿ゥァッ!」
「グッッ!?」
貫く、槍がシャーマモンキーの喉を…。血が迸る、髄を裂く、悲鳴にもならない悲鳴が響く…と同時に。
「フリードリヒ!あれ!」
「受け取れ!」
槍を押し込み蹴りを入れ更に深く押し込みつつシャーマモンキーから離れフリードリヒからとある物を受け取る…と同時にシャーマモンキーが動く。
「グッグッ…ゴァァアアアア!!!」
叫ぶ、最後の悪あがきとして放つのは発火性の音。浴びた物を燃やす声を血みどろの口で放ちオウマを焼き殺そうと抵抗する…だが、そうだよ。
リーシャは読んでるよ、そこも。
『魔獣は簡単には死なない、喉を裂いただけじゃ死なない、だから…最後に魔術で抵抗する、それを逆に利用するんだ…燃やす声、お誂なのがあるよな?』
「バァカ…猿が、うちの軍師と知恵比べで勝てるわけねぇだろッ!」
「ゲァッ!?」
事前にフリードリヒから受け取り、投げ飛ばした物がシャーマモンキーの前で炸裂する。それは…布に包んだ大量の小麦粉。それがシャーマモンキーに当たり周囲に白い煙を放つ…と同時に燃える声が反応し、小麦粉を燃やす。
霧散した小麦粉、炎…この二つが合わされば何が起こるか、俺は知らなかったがリーシャ曰く小説じゃあ常套手段の現象らしい。
そう…粉塵爆発だ。
「ゴガァッッ!?!?」
爆裂する、酸素と混ざった小麦粉に引火し一気に膨張するように爆裂しシャーマモンキーの全身を焼き焦し吹き飛ばす…。
本来なら奴が声を発した瞬間に投げる手筈だったが、それじゃ遅すぎると判断し奴が声を発する前に投げておいた。だから顔面の目の前で爆裂が起こりシャーマモンキーの顔はもう…。
「ハァ…ハァ…クフフフ…もう終わりかよ」
「………」
もう終わりだ、大したこともない。にしてもこの実戦の感覚…すげぇ、最高だぜ。
「リーシャが遅い…手筈ならもう脱出してるはずなのに」
「は?」
ふと、フリードリヒの言葉に気がつき顔を上げる、そう言えばリーシャが出てきてない。まさか煙に巻かれて…。
「ッオウマ!フリードリヒ!」
「リーシャ!」
と思ったらリーシャが出てきた、ジルビアを抱きかかえて一緒だ…けど。
…その表情は安堵の顔じゃない、寧ろ。
「ごめん!ミスった!」
想定外の顔…。
リーシャが転がり出るように洞窟から出ると…同時に。出てくる…影が、一緒に。
「ギギッー!」
「ゴシャーッ!」
「ウッキー!」
「猿野郎!?まだいたのか!」
「やべぇ、三体はいるぞ!」
洞窟から出てきたのは先程倒したシャーマモンキーだ、それも追加で三体…それがまだあの洞窟の中にいたのだ、煙の中で隠れていたのだ。
「まさかこいつ…!」
フリードリヒは咄嗟に倒れた猿を見る。リーシャは言っていた、こいつは自分で繁殖が出来ると…本来なら自然発生しかしない魔獣なのにこいつは自己繁殖が可能、つまり。
「ご家族連れか!」
繁殖していたのだ、あの洞窟で既にガキをこさえていた!その事実を確認すると同時に冷や汗がドッと出る。一匹倒すのに精一杯だった、それが三体、もう種はない、作戦はない。
「ごめん!ここまで…読みきれなかった!」
既にリーシャも負傷している、あの狭い洞窟の中で猿三匹と相対する不測の事態にありながらジルビアを救出しただけでも大したものなのだが…そこまでだ、全身ズタボロ…酷い有様。
(まずい、これはもうどうしようもない!逃げるか…!?いや!ジャングルに入ればその瞬間シャーマモンキーの領域!逃げきれない!)
(野郎!まだいやがった!ちょうどいい!戦り足りなかったんだ!)
「ごめんッ…ごめん!フリードリヒ!オウマ…!ぜぇ…ゼェ…!」
既に作戦という名の魔法は解けた、ここからは不測の事態、アドリブでなんとかするしかない。だが退路を確認するフリードリヒと敵を見るオウマで連携にバラつきが生まれる。
「逃げて!二人とも!」
「んんっー!!!」
「リーシャッ!待ってろ!」
「あ!おい!オウマッ!」
突っ込む、フリードリヒの制止を振り切りリーシャの言葉を無視してオウマは走る、そしてリーシャを追うシャーマモンキー達はリーシャに向けて拳を振り下ろし。
「俺が相手だッ!リーシャ!テメェは逃げろッ!」
「あんた何を…!」
「っどりゃああああああッッ!!!」
拳に押し潰される前にリーシャを背後に投げ飛ばし庇うと共に、そのままシャーマモンキーに食ってかかる。
「ウギャォッ!」
「ごはっ!?」
しかし、その野太い腕によって殴り飛ばされオウマの血が舞う。さっきの戦いはリーシャの作戦によりイニシアチブを取れていたからこそ優位に戦えていただけ。
それがなくなれば歴然たる彼我の差が出る、当然だった。
「ウギギギ…」
「オッオッ…」
「くっ、ハァ…ハァ…」
殴り飛ばされた拍子に骨が折れた、肋骨が。口元から血が出る…だがオウマは笑う。迫るシャーマモンキー達に向け笑みを浮かべ。
「勝ったつもりか?ああ?」
「ウキっ…?」
ゴロリと落ちる、オウマを殴りつけたシャーマモンキーの拳が。殴られる瞬間鉈一つでシャーマモンキーの腕を切り落としたのだ。それほどの切れ味が鉈にあるわけじゃない…ただ、オウマから言わせれば何故か切れたとしか言えない威力が出たのだ。
「来いや猿ッ!皆殺しだッ!」
「やめてオウマッ!」
「リーシャ!待て!」
咄嗟にジルビアをフリードリヒに預け、オウマを助けに行こうとするリーシャ、だが既に時は遅く。
「ウギャギャギャギャッ!!」
拳を切り落とされ激怒したシャーマモンキー達が一斉に唸り声をあげオウマ目掛け飛びかかった、既に遅い…オウマは殺される、死の寸前にオウマはいる。助けに入ってももう遅い…だが。
「クハハハハハッ!」
(アイツ…笑ってる…!)
笑う、オウマは笑う、自分が死ぬことを理解しながらも己が今修羅場にいることを理解し、最大限の恐怖を食べ…肥大化する、オウマの闘志が。
それは赤黒い炎となって燃え上がり、死の前にいるというのに今オウマは己のアイデンティティを自覚し、吠え立てる。
「俺は俺だッ!殺せるもんなら殺してみろやッ!!」
「オウマッッ!!」
そして…燃え上がるオウマの体がシャーマモンキー達の拳によって視界から消えた…。
「やれやれ、若いのが…」
その時だった。一陣の黄金の風が吹き抜けたのは。
それは森から一直線にフリードリヒ達に向かい、脇をくぐり抜け、シャーマモンキー達に向かい…。
「ゴァッ!?」
「は?」
弾け飛んだ、シャーマモンキーが。あれだけ苦労したシャーマモンキー達の手足が、体の破片が、頭の欠片が、血の雨と共に爆裂し…吹き飛んだ。
やったのはオウマか?いや違う、そのオウマも呆気を取られている…やったのは、リーシャでもフリードリヒでもジルビアでもない。
新たに現れた…。
「全く、老いぼれに無茶させるんじゃないよ」
「あ、あんたは…」
そこにいたのは、スラリと背を真っ直ぐ伸ばした老婆だった。そいつは杖を軽く払いシャーマモンキーの欠片を踏み潰し、オウマ達を見遣る。こいつがやったのだ…そう認識した瞬間リーシャが述べる。
「まさか…マグダレーナ将軍ッ!?」
「なに!?マグダレーナって…人類最強の!?」
マグダレーナ・ハルピュイア…人類最強にして帝国の生ける伝説。たった一人で万軍に匹敵する、或いは凌駕するその実力から皇帝より直々に『万軍打破』の称号を賜った…帝国最強の象徴。
それがギロリとこちらを見て。
「言いたいことはいくつかある、まずあたしはもう将軍でも人類最強でもない、それはルードヴィヒに譲った。それともう一つ…あんた達まだ士官学生だろう、なのになんでこんなところで魔獣と戦ってんだい。あたしが来なけりゃ全員死んでたよ」
「え?いや…なんであんたがここに」
「聞かれたことに答えろッ!!」
「いでっ!?」
バゴーンと音を立てて杖でオウマの頭をドツキ叩くマグダレーナ。そのあまりの痛さにオウマは蹲り…。
「あ、あの…実地訓練の最中に私達友達が魔獣に攫われて…」
「ならなんで挑んだ、力もないのに戦いを挑むなんて馬鹿のすることだよ」
「でも…ジルビアが死ぬかも知れなくて…」
「あんたら軍人だろ、あんたら捕虜一人助けるために全軍突撃するのかい?アホだね、軍人失格、退学処分にしてやろうかね」
「うっ…」
言っていることは最もだ、ジルビアが死んだとしてもそれはジルビアの不慮、そして他の仲間の油断が招いた事。それで最も危険な選択肢をとり事実死にかけたのだ…何も言えないとリーシャは俯く。
だがマグダレーナはショボりするリーシャを見て、ため息を吐き。
「はぁ、全くよかったよ。転移場にあたしが偶然いて、飛び込んできた学生があたしに即決で簡潔に報告して、直ぐに飛び出すことが出来て…」
「飛び込んできた学生って…トルデか!」
「名は知らんよ、けど青髪の女だった」
「トルデだ!」
トルデリーゼだ、彼女が速攻で支部に戻り転移で帝国に帰還しマグダレーナを見つけて即座に報告してくれたんだ。お陰でマグダレーナがここに来れた…あの時トルデだけでも戻らせておいてよかったとフリードリヒは大きく安堵の息を吐く。
「よかった〜」
「フンッ、…この件は学校に報告するよ。当然実地訓練は強制終了、あんたらは今すぐ帝国に帰還しな」
「あ、あの…俺達、退学っすか?」
「さぁね、けど…まぁ。戦いぶりが立派だったことは伝えよう、なんたって軍人は強くなくっちゃね…」
「ってことは!」
「判断するのは学校さ…、ってわけだ、おいぼれはもう帰るよ。早いところあんた達も帰りなよ。それともおてて繋いで一緒に帰還してほしいかい?」
「い、いえ…支部はすぐそこなので」
「ん、なら早くしな。次またあの魔獣が出ても今度は助けないからね」
そういうなり、マグダレーナは帰っていく。一緒に同行はしないらしい。本当に咄嗟に出てきただけなのだろう、あの人他にも仕事があるだろうに…すぐに出てきてくれたということはそういうことだ。
(………あれが人類最強、いや…元最強か)
そんな中オウマは俯いて考え込んでいた。あれほどの力が自分にもあればと…それと同時に。
(それに比べて俺、まるっきりダメだったな)
勇んで戦って、結局ダメだった。リーシャの作戦がなくなり、フリードリヒの援護がなくなった瞬間、一撃でシャーマモンキーに吹っ飛ばされて。何もかも一人で解決したマグダレーナに比べて…自分は。
「…フリードリヒ、ジルビアお願い」
「あ、おい」
するとリーシャはジルビアをフリードリヒに任せ…。
「オウマ!大丈夫!」
「リーシャ…?」
「大丈夫そうだね…立てる?」
「…ああ」
俯き考え込むオウマの元へ駆けつける、そして手を差し出し…ギュッとオウマの手を握り。
「…ありがとね」
「何がだよ、助けてくれたのはあのババアだろ」
「ううん、あんただよオウマ。さっき私の事庇って前に出てくれたでしょ?」
「あれは…猿と戦りたかっただけで…」
「ジルビアが攫われた時も一番最初に動いてくれた」
「あれは…咄嗟に…」
「あんた、悪ぶってるし口も実際悪いけど…性根はそこまで悪い奴じゃないのかもね」
「…………」
「いい感じだったじゃん、流石は将軍を目指す男」
ギュッと引き寄せられ、オウマに肩を貸しニコリと笑う。その無警戒な笑みを見ていると…一つ、思うことがあった。
「リーシャ」
「何?」
「いい作戦だった」
「え?ああ…けど最後はダメだったけどね」
「それを言ったら俺はお前の作戦が無けりゃ猿一匹殺せなかった、お前がいなきゃダメだった」
「そう?あんたなら上手くやったんじゃない?」
「無理だ、リーシャ」
「ちょっ!?」
そして俺はリーシャの肩を掴み、縋るような気持ちで彼女の目を見て…、言う。
「リーシャ、やっぱり俺の軍師になってくれ。俺はずっとお前を隣に置きたい、お前がいれば俺はきっともっと強くなれるし、誰にでも勝てる…だから」
「……あんたね、私はそんな賢い女じゃないって、私はただ小説が好きで色々読んでるから引き出しがあるだけで…」
「それでもいい」
「…評価してくれてありがと、けどね…まだ将軍どころか軍人にもなってない男が偉そうなこと言わないの。だから…まずは一緒に軍人になろう?」
「……そうだな」
…なんか体よく断られた気がする。けど俺はもうリーシャを諦められる気になれない、こいつが嫌だと言っても俺はリーシャを手に入れたい。こいつがいれば…きっと。
「さ、行こう?」
「それが軍師の進言なら」
「うへぇ、怠ゥ…けどまぁそう言うことで」
そして、リーシャはオウマに肩を貸したまま歩き出す。フリードリヒも空気を読んで離れて歩く、支部に戻り帝国へ帰還するために。
「…あんたさ」
「なんだよ俺の軍師」
「その呼び方やめて…、…あんたさ?マジで将軍になるの?」
「ああ」
「凄いね、夢がはっきりしてて」
「そう言うもんだろ、だから士官学校にいる」
「そうかなぁ、実は私…迷ってるんだよね、夢が二つあってさ」
「なら二つ叶えればいい」
「そうもいかないよ、ただ私は軍人になりたがったジルビアを守るためにここに来ただけだから。けど最後はあんたに守られた…あの瞬間、誰かの前に立てる奴…そんな奴になりたくてジルビアと一緒に士官学校に入った」
「半端だな」
「半端も半端、ド半端よ。だからあんたに守られた…私も、私が守りたかったジルピアも」
リーシャは浅く俯き、悔しそうに拳を握る。叶えられる夢は一つだけ、そのうちの一つを諦めここに来た…友の夢を守る為に戦うと言う夢を叶えるために。なのに夢を捨ててまで選んだ夢も叶えられなかった、オウマがいなければ全部無駄になっていた。
そこが悔しかった、自分の覚悟がそれだけだと…突きつけられたような気がして。
「だからあんたには感謝してる、それと同時に…ちょっと憧れもした」
「そうなのか…?」
「うん、あんたみたいな軍人になりたい。誰かを守る為に戦える…この命を使える軍人に」
「……そうか」
「だからさ、一生懸命頑張ってうーんと努力してさ…」
グッと握った拳をリーシャは前に出し…オウマに向けると…。
「なろうぜ、二人で立派な軍人にさ」
そんな…太陽みたいな笑みで語るんだ、目標を。その眩しさに少しだけ瞼を動かしたオウマは、リーシャの言葉に答え…拳を合わせる。
「ああ、一緒に頑張ろう…俺の軍師」
「はははっ、軍人になったら考えてやるって。だから…頑張ろー!」
「ああ!絶対に軍人になって大成してやる!そん時はお前も一緒だ!リーシャ!」
「分かった分かった」
……これが、俺とリーシャの出会いだった。いや…俺達特記組最強世代と言われるメンツの…邂逅だ。
これから俺達は五人で切磋琢磨して生きていくことになる。いろんな訓練乗り越えて、五人でバカやって今回みたいに怒られて、夢を語り合ったり喧嘩したりしながらも一緒の学校で過ごし…学校を卒業してからも特記組として鍛錬に励み。
ようやく夢の軍人になってからも苦難続きで、それでも五人で力を合わせて頑張って…才能認められて、頑張って…頑張って…頑張って。
全て帝国という国のために…俺達は身を粉にして働いて…。
それで……………。
………………………………………………………………
「リーシャが…除隊処分……?」
それから、俺達が出会ってから十年以上の時が経ったある日だった。俺達は帝国軍人になり、相応の働きをして名が知れ渡り、特記組最強世代なんて呼ばれるようになって…いろんな任務に駆り出されて集まることもままならなくなったある日のことだった。
大帝宮殿の軍部司令室で…そんな話を、兵卒達から聞いたのは。
「え?オウマさん知らなかったんですか?」
「知らねぇ、今さっき帰ってきたところだ…ってかリーシャが除隊ってなんでだよッ!」
「ちょっ!掴みかからないでくださいよ!」
後輩の一般兵の胸ぐらを掴み上げ吠える、リーシャが除隊だなどとくだらない妄言を吐く奴はマルミドワズから叩き出してやると俺は怒りに満ちた顔で兵卒に迫る。
すると兵卒はやや辟易しながらも…。
「それが、リーシャさん…ジルビアさんと極秘任務に出てたんです。八大同盟の一角『退廃のレグナシオン』が帝国で裏取引してるって噂で、それを調査しに…」
「ああ!だったらアイツは大手柄あげたはずだろ!アイツがしくじるわけねぇ!」
「え、ええ。実際取引は中止出来ましたし幹部を複数人相手取って勝ったみたいです、八大同盟の幹部複数人相手にして勝つなんて…それこそ化け物級の強さだって、暫く帝国内でも噂が持ちきりで」
流石は俺の軍師、退廃のレグナシオンって言えば麻薬カルテルの大元締め。おまけに八大同盟として大量の戦力を保有する一大組織。そこの幹部を複数人も倒すたぁ流石の一言だ…が。
「なんでそれで除隊処分になんだよっ!!」
「だから首絞めないで!その戦いでリーシャさんが負傷したんです!それもかなり重度の!治癒で治しても腕の神経系に異常が出るって!もう前みたいには戦えないって!だから除隊を…」
「腕の神経に異常が出ても仕事はあるだろ!除隊『処分』つーことは誰かが!上が!リーシャを追い出そうとしてるってことだろ!」
「し、知らないっすよ。けど噂じゃ…ジルビアさんが優秀なリーシャさんを疎んで、これを機に追い出そうと───」
「死ねッ!」
「ぐぇっ!?」
くだらない事を言う後輩を投げ飛ばし壁に叩きつけると同時に走り出す。
ジルビアがそんな事するわけがないだろ、大方ジルビアを庇ってリーシャが負傷したからそんな噂話が蔓延してるんだ。このままじゃリーシャは軍を去り、それがジルビアの所為にされちまう…絶対止めないと。
しかしどうすればいい、…決まってる。除隊処分と言う決定を最終的に承認するのは誰だ、それをどんなタイミングであっても止められるのは誰だ。ルードヴィヒ…?違う、もっと上だ。
「陛下ッ!」
空間に穴を作り飛び込んだのはカノープス陛下がいつもいる玉座の間だ。そこに飛び出せば…そこには。
「む…?」
「オウマ…!?」
居た、カノープス陛下…そしてルードヴィヒ将軍。丁度全ての決定権を持つ二人が玉座の間に集っていた、誂えたような状況に俺は迷う事なく進み…手を広げ懇願する。
「オウマ!何をしにきた…許可なく立ち入っていい場所ではないぞ!」
「リーシャの件で、話をしに来ました…アイツの除隊の件です。あれ…どう言う事っすか」
「リーシャの件で?…何か言いに来るだろうとは思っていたが、やり方というものがあるだろう」
「手段を選んでる場合じゃないんっす!今軍内には同行してたジルビアがリーシャを嵌めたなんてデマも飛び交ってる!このままじゃジルピアも潰れちまう!一刻も早く対応してもらいたいんです!」
「そんな流言飛語が…分かった、そちらに関しては嘘偽りだと私の方から…」
「俺が言ってんのはリーシャの件を取り消してくれって話っすよッ!!」
俺を抑えるように前に立つルードヴィヒを避けてカノープス陛下の前に立つ、ルードヴィヒは軍のトップだ…が、実際はカノープス陛下の駒使いだろ。軍の最高総司令官はカノープス陛下だ…この人さえ説得すれば…。
「カノープス陛下…!リーシャが除隊される件、どうか取り消してもらえないですか…!」
「オウマ!陛下に直接口を利くな!リーシャの負傷の度合いは聞いているのか…?もう実戦での戦いは無理だ、長い長いリハビリ期間を要する。そんな人間をいつまでも軍に置いておけるわけがないだろう…!」
「使えなくなったから用済みだってのかよッ!アンタ!アイツがどんだけ頑張って軍に入ったか分かって言ってんのかよッ!」
「口を慎め!」
「慎まねぇっ!ここじゃ引けねぇ…陛下!アイツはまだきっと役に立てます!きっとリハビリだろうがなんだろうが乗り越えるッ!アイツだってまだまだ軍に居たいはずなんだ!だってアイツの夢は……」
「リーシャ・セイレーンの件は…我が直接判断した、除隊せよと」
「は…?」
ふと、俺に目を向けずカノープス陛下が呟いた。自分が直接判断したと…つまり除隊は、陛下の御意志だってのかよ…。
「なんで…!」
「リーシャには前線を離れてもらう、これ以上前線に居る必要はない」
「だから!なんで!」
「もう戦えんからだ、それ以上の理由が必要か」
「アンタ…もう少し、無いのかよ…リーシャに、軍人に対する…感謝ってもんがッ!!」
「オウマッッ!!」
咄嗟にカノープスに掴みかかろうとした俺をルードヴィヒは一瞬で制圧し地面に押さえつける、これが凄まじい力で全く抜け出せない…だが関係ない、もう関係ない!
「オウマ貴様!何をしようとした!事と次第では貴様もッ!
「俺も除隊にするのか!上等だやってみろ!だがな!カノープスッ!よく聞け!俺達軍人はな!テメェの国守る為に戦ってんだよ!小さい頃から訓練して!キツい演習乗り越えて!命張ってこの国守って!それでなんだ…戦えなくなったから用済みかッ!俺達ぁテメェの消耗品じゃ───」
「いい加減にしろオウマ!」
「グッ!?」
ルードヴィヒに頭を押さえつけられ強制的に黙らされる、しかし…吠えた俺の言葉にカノープスは大して反応を見せず。
「軍人が…国の為に尽くすのは当たり前のことだ。その事に対して感謝を求めるな」
「ッッ…お前ッ!」
「お前がどれだけ吠えようとも判断は覆らん、リーシャの傷が治らない以上…これ以上軍には置いておけん。彼女は責務を果たした」
責務を果たした…?もう用済みだと…言いたいのか!こいつはどこまで…どこまでも…!
「オウマ…もう終わりだ、お前…今回の一件、それなりの処分を覚悟しておけよ…!」
「…………」
「憲兵!こいつをつまみ出せ!暫く独房に入れて頭を冷やしてもらう!」
「……………」
何を言っても無駄だと悟った、ここで俺が何をしてもどれだけ言ってもカノープスは考えを変える気はない。あれだけリーシャが頑張って…八大同盟の幹部複数人も倒す大手柄挙げて…除隊だと。
もう何も考えられないと俯く俺は部屋に入ってきた憲兵達に腕を拘束され…歩かされる。
「オウマ」
すると、そんな様を見たルードヴィヒが…やや複雑そうにしつつ。
「お前の気持ちも分かる、だが除隊処分と言ってもリーシャを放り出すわけじゃない。彼女は他国の諜報任務に当たってもらう、軍人ではなくなるが…まだ帝国のために…」
「国からも追い出そうってか…つくづく、呆れるぜ…」
「違う!これは…」
「聞きたくねぇっ!言い訳がましい話しても結局事実は変わんねぇだろうが!」
事実は変わらない、リーシャが軍から…国からいなくなる。あれだけ頑張ろうと…軍人になる為に頑張ろうと言っていたのに。尽くす相手がこれかよ…。
この感覚はいつぞやも味わったことがある。神の顔を見た感覚、神聖視されていた存在の顔を見て…失望する感覚。俺達が漠然と従っていた存在は…その一存で軍人を使い捨てる、クズだったってことだ。
ルードヴィヒを黙らせ…俺は、…独房へと連れていかれる。
「オウマ…アイツ…」
そしてオウマが扉の向こうに消えるのを見たルードヴィヒは顔を歪め。即座にカノープス陛下の方を向いて頭を下げる。
「申し訳ありません陛下、奴には私の方から処分を下します…ですので」
陛下の怒りを買えば軍には居られない、奴はそれだけの事をした。一介の軍人風情が陛下の判断に口出しし剰え失礼な口を聞いた、これはとんでもない規律違反だ。だがオウマは前途ある若者…才能もあるし何より情熱もある。
あんな若者を失ってはいけない、だから自分がギリギリの裁量で処分を下し今回の一件を手打ちにしようと陛下に謝罪すると。
「良い、処分は要らん」
「え…?」
「奴は友の為にここに来て、お前に押さえつけられながら我に食ってかかった。それが自分の為であったならば我も許さなかったが、友人の為に自己を顧みず吠えるその様は我も好感が持てる物だった。よって今回の一件は不問とする…が、軍の規律も乱す行為だ、くれぐれも言外せぬよう憲兵や関わった者達にも言い含めて置くように」
「は、ハッ!お心遣い感謝致します!」
「我も同じ立場なら同じことをした、ならば咎めんさ」
陛下は無表情ではあったものの、オウマの気概を評価するように目を伏せていた。独房から出ても今回の一件は不問とする…がしかしそれはオウマにも周りの人間にも周知させない。軍の規律に違反したのは確かなのだから。
「しかしその…リーシャの件は」
「そこに関しては判断を覆すつもりはない、彼女は立派に役目を果たした…軍人としてのな。軍人が国の為尽くすのは当然だ、感謝はされぬし求められない…だが我は敬意を示す、故に…帝国から遠ざける」
「それは…」
「ああ、レグルスが動き出した。恐らくシリウスの策だ、近くシリウスと帝国の決戦が始まる…アガスティヤ建国以来最悪の戦いになるだろう、その時…果たして戦えないリーシャが黙っていられるか?友だけを戦わせともすれば死ぬかもしれない場所にいる状況で自分だけ戦えず後方にて心穏やかでいられるか?いられまい、あれだけ友思いの者が側にいるのだから」
「だからエトワールに…?」
「そうだ。リーシャはもう責務を果たした、これ以上軍に居ても死ぬだけだ…功績を成し遂げた者にそれはあまりにも酷だろう」
「なら…オウマにその事を説明すれば…」
「シリウスの件を一兵卒に話すと?シリウスが復活するかもしれないと…それは出来ん、今この状況で信頼出来るのは我にはお前達三将軍しかおらん。我等の動きをシリウスに悟られるわけにはいかん」
「も、申し訳ありません」
「恨むなら、恨めば良い。だがせめてオウマが将軍になった時は…我からこの件について説明しよう」
「御意…」
陛下は何もリーシャが用済みだからエトワールに追い出すわけではない、帝国が戦場になるから遠ざけるのだ。もう立派に仕事を成し遂げたリーシャに対して敬意を払うからこそ。
だがそれはオウマには言えない、きっとオウマは恨むだろう。陛下を…だがそれでも、シリウスという巨悪の前には心を砕く余裕さえない。
「…ルードヴィヒ」
「はい、いかがされましたか?」
ふと、カノープス様が手元に何かの資料を持ち…こちらに目を向ける。
「我はオウマを評価するぞ、だが奴の独断専行は…やや看過できんかもしれん」
「え?」
「オウマの名を口にしていて思い出したことがある、気になって昔の…学校時代の資料を今取り寄せた。お前も覚えがあるだろう?これ」
「これは…」
そう言って差し出されたのは、学校時代…オウマが士官学校に入ったばかりの頃起こった事件。実地訓練中に魔獣が乱入しあわや死者が出る大事件になりかけたところを…マグダレーナさんが救ったと言う。
「あの時のマグダレーナのオウマへの評価…『戦闘センスまでピカイチ、肉体面も精神面も申し分なし。されどやや闘争心が強すぎる点あり…暴走の可能性を思慮すべし』とな」
「暴走…」
「マグダレーナは部下を見る目はある、オウマを評価したからこそ暴走の可能性を考えた…そして、それが今現実のものになっている。さて、どうするか」
陛下はマグダレーナさんに絶大な信頼を向けている。マグダレーナさんが言うならばと陛下は考える。暴走の可能性とはまさしく今起こった事態そのままだ、奴は感情に任せて突っ込む上に思い込みが激しい。
放置すれば悪因となる、されど解消すれば…或いは将軍にもなり得る。陛下はそう評価する。
そこで…。
「うむ、やはり例の件を推し進めよう」
「例の…つまり天番島に?」
それは以前から陛下がオウマに対して考えていた施策。オウマという人間をより強い段階へと導く為の方策…それは。
「ああ、天番島のアンもかつては同じように出世欲に取り憑かれた女だったが前線から離れ天番島で落ち着いたからこそあれだけの存在になれた。ともすればオウマも天番島で落ち着きを手に入れれば或いは帝国を支える柱になれるやもしれん」
「それは…」
「賭けだ、だが放置していい問題でもない…奴を天番島に送れ。そして成長する事を祈る」
「…御意」
アンも昔はオウマのように、いやオウマ以上に出世欲に取り憑かれた女だった。されど天番島の温暖な気候で戦いの影もない空間で自己を見つめ、今は非常に落ち着いている。或いはオウマがその落ち着きを手に入れれば…そう考えていた。
そして今回の一件は陛下に天番島行きを決意させるに足るものだった。
故に…オウマを天番島に送る決断をした。
賭けだった、上手くいけばそれでよかった…だが。
賭けは…悪い方向にも転ぶから、賭けなのだ。
……………………………………………………
『オウマ・フライングダッチマンの第十一師団への昇格を通達。一週間後に天番島へ移動し十一師団へ合流されたし』
「…………」
三日間独房で過ごした俺の手元に届いたのは一通の手紙だった。つまり天番島へ行けという話、あんな何もない遠方に…俺は飛ばされる事になった。
「何が昇格だよ…左遷じゃねぇか…」
俺は自室で手紙を丸めてゴミ箱に捨てる。つまり…これが処分か…、俺もリーシャみたいに遠くへと放り投げられ…捨てられるのか。
「これが帝国の…皇帝のやり方かよッ!ふざけんなッ!!」
頭を抱え机の上にある物をぶちまけ吠える。何度も机に頭を打ちつけ…吠える。誰に聞かせるでもなく、誰にも届かない遠吠えを繰り出すオウマは蹲るように机に突っ伏す。
「戦えない奴は用済み、逆らう奴は捨てる…これが帝国軍か…」
天番島になんか行ったら…俺は一生あそこで飼い潰される。あんな場所で一生を過ごす為に俺は今まで頑張ってきたのか?あんな場所に行くために俺は…。
リーシャの件を止めようと皇帝に口を聞いたのは重罪だ、そこは分かる。だがここまで強硬的だとは思わなかった…そして、皇帝のやり方を身を以て体感した俺は…。
「…親父…お袋…」
想う、もう随分会ってない両親の顔を…望郷の心、なんて物じゃない、思ったのは。
『帝国に尽くせ!それが軍人の喜びだ!』
『陛下の御意志こそ全てに勝る!貴方は帝国の一兵として愛国を示すのよ!』
愛国に狂った両親の顔、思えば俺はアイツらに言われるがままに軍に入った。俺の人生は最初から…帝国に、皇帝に、魔女に縛られていた。魔女崇拝に狂った両親達によって…。
そして、誰かに言われるがままに漠然と過ごし、生きてきた結果がこれだ。己の人生という唯一無二の物を誰かに差し出した結果がこれなのだ。使われ、利用され、捨てられ…俺はそれでいいのか。
このまま天番島に行ってどうなる、あの気味の悪い両親みたいに何も知らず、知ろうともせず、蒙昧に生きて…愛国と魔女崇拝に縋って生きるのか。
否だ…断ずることが出来る、絶対などないこの世に於いて唯一絶対と断じることが出来る意志…それが己の決定だ。
「俺の人生は俺だけの物だ…もう誰かに縋ったり、振り回されたりするのは…ごめんだ」
軍服を脱ぐ…俺の人生は俺だけの物。俺がしたいようにしてしたいようにして死ぬ、それこそが理想だ、もう誰かに意思を押し付けられたりそれに従うのはやめる。
愛国など知ったことか、帝国兵がなんだってんだ、俺の人生にもう帝国も…魔女も介在させない。俺は俺の意志だけで生きていく。
「………帝国を抜ける」
もうこれ以上帝国に付き合うつもりはない、帝国兵でいる限り俺の人生に奴らが関わってくるのは自明。俺の人生にもうこれ以上奴らを介在させるつもりはない。だから帝国を抜ける…けどどこに行くか。
…そういえば以前、仕事先で出会った傭兵が居た。アイツらの所へ行こう、その前に…『退職金』でももらってからにするかな、この鬱憤を晴らすついでだ。
…ああ、いやその前に。
「リーシャに、みんなに会いにいくか」
意志は固まった、もう帝国に残るつもりはないし帝国に未練はない。だが…想うのは俺の友、フリードリヒ、トルデリーゼ、ジルビア、そしてリーシャ。
せめてアイツらが居てくれたら…そう思い俺はみんなの元へ向かう事にする。俺は今から帝国に喧嘩を売る、だがその前にせめて友達に声をかけてから…そう考えたオウマは。
「………………」
ふと、足を止め。壁にかけた軍服のポケットにしまってあった鉄のペンダントを取り出す。フリードリヒが気まぐれでみんなに買った鉄製のペンダント。
俺達の友情は、鉄のように硬く失われないと示すための友情のペンダント。それを静かにズボンのポケットにしまい、それだけを持って扉のドアノブを握る。
「あばよ…もう帰らねぇから」
そして自室の扉を開け、その部屋に別れを告げて…閉める。
その後彼は…その生涯で二度と、この部屋へと帰ってくる事はなかった。友から拒絶され、帝国内で暴れ、未曾有の大事件を起こし、傭兵達を束ね…世界最強の傭兵として八大同盟に加入し。
そして…彼は……………。