565.魔女の弟子と動き始めた歯車
準備に準備を重ねた…と言えるかは怪しいが、エリス達は各々が出来る五日間を過ごした。ラグナと共に修行をしたり、地下街に根回しをしたり、ご飯食べたり、ご飯食べたり、ご飯食べたりした。
そうして…遂に、五日目の朝がやってきた……。
「……来る」
ふと、秘密の拠点の中でデティは立ち上がり天を見上げる。気象予測魔術を朝から張り巡らせていたところ…確かに雷雲がこちらに迫って来ている事が分かる。既にチクシュルーブ中に大雨が降り雷が降り始めるのも時間の問題だ…。
「来ましたか?デティ」
「うん、もう雨が降り始めている。恐らく今日の夕頃からもっと酷くなる…きっと雷も降る」
「なるほど、というわけです。準備はいいですか?皆さん」
デティの話を聞いてエリスも準備を整える、拳を握り籠手を付け直し、荷物を最小限にし戦闘態勢を取る。今日が決戦だ、これから行われる戦いが終わるまでエリス達はノンストップで動き続ける事になる、落ち着く時は勝った時か…或いは負けて死ぬ時だけだ。
「僕も準備OKですよ…エリスさん……」
「ナリアさん…ごめんなさい、貴方に無理を強いて」
「いいんです、挽回…したいですからね」
彼には五日前から『とある作業』を頼んでおいた、ある意味今回の戦いで決め手になるのはナリアさんだ、つまり彼が所定の場所にたどり着けるかどうかが戦いの肝になるだろう。
まぁ、彼をその場所に導くのは別の人間が担うから、エリスが気にすることではないが…それでも心配だ。
「私達も準備いいぜ!」
「いつでもやってやるぜー!」
「遂に懲罰隊と全面戦争だな!」
「ルビーギャングズの皆さん…一応言っておきますけど目的は懲罰隊の撃破ではなく…」
「分かってる、地下の人間全員率いて地上に出て、そのまま理想街チクシュルーブを突っ切って街の外に出る事だろ?任せろって」
同じくルビーギャングズ…凡そ千人が雄叫びを上げる、その手にはシャナさんが用意した武器の数々が握られており、ただのチンピラ達にしてはやや心強い感じになっている。
エリス達の目的は懲罰隊の一斉確保から逃げる為奴等の包囲を突破して地上に出る事。そこを担うのがルビーギャングズの目標となる。
「もう一度、作戦の内容を確認しておきますよ…。まずエリス達はこれから一気に駆け抜けて懲罰隊本部を目指します、きっと一斉確保のために懲罰隊は人数を揃えている事でしょう、彼らと戦い包囲を突破して本部内にある階段を駆け上がり…チクシュルーブの居住エリアに出ます。その後ルビーは街で待機している協力者と共に理想街の警備を突破して街の外まで逃げてください、いけますね?」
懲罰隊と一戦やって、そのまま突破し階段を駆け上がり地上に出る。地上に出てもそこはまだチクシュルーブの中心地…安心は出来ない、しかもエリス達が付き合えるのは途中まで…エリス達はエリス達でレゾネイトコンデンサーやヘリオステクタイトをなんとかしないといけませんからね。
そこで地上に出てからはエリス達の協力者にルビー達の先導を行なってもらう。協力者というのは…ヴィンセント・ルクスソリスさんだ。あのヴィンセントさんも理想街に来ていたのだとラグナが言っていた。
ヴィンセントさんは一緒に来ていたパナラマの兵数十人と一緒にルビー達を先導する。昔彼なら任せられなかったが…まぁ、今の彼なら大丈夫でしょう。
「ああ、勿論だ。エリスさん達は?」
「エリス達はやる事があります、脱出は最後まで付き合えません」
「そっか…死ぬつもり、とかじゃねぇよな…また会えるよな」
「ッたり前でしょう、言っときますがこれはエリス達にとって通過点なんですよ。ソニアみたいなゴミカスと心中なんざごめん被ります」
「そっか!ならよかった!」
全くこの子は可愛いんだから!チューチューしちゃうぞ!こいつ!
でもまぁ、危ない橋なのは重々承知ですから。それでもやらなきゃ今の世界が崩れ…大勢が死ぬことになる。ともすれば大いなる厄災にも匹敵する大戦乱が起こるというのなら、魔女の弟子として看過できませんよ。
「さて、そろそろ行きますか…ん?あれ?」
ふと、これから行こうという時に…周りを見て、気がつく。
「シャナさんは?」
「え?あれ?確かに居ない…」
「ああん?あのクソババア…まさか一足先に逃げたんじゃねぇの?」
「………………」
いない、シャナさんが。その事に気がついたみんながやや慌てたように周りを見回す。確かに昨日まで居たのに今この大事な時になって見当たらないのだ…そりゃあみんな不安になりもする。
だがエリスは…。
「シャナさんは…仕方ありません、先に行きましょう」
「いいのかよ」
「モタモタしてたら作戦決行の時間に遅れます…これは地上と地下の両面作戦。地上組が動き出すのと同時に動かなくては意味がありません」
「た、確かに…でも」
『シャナ殿なら問題ない、彼女にも何か考えがあるんだろう』
「ッ……」
ふと、声が聞こえ…部屋の奥に皆の視線が注がれる。どうやら…『彼女』の方は準備が出来たようだ。
「準備OKですか?メルクさん」
「ああ、無論だ」
そこに居たのはメルクさん、いつもの同盟首長用のコートではなく、デルセクトの軍服を着ている。随分懐かしい格好だな…学園にいた頃には既に同盟首長の服を着てたから…。
エリスと一緒にデルセクトを冒険した時以来か。
「懐かしい格好ですね」
「だろ、決戦に赴くならこの服しかないと思い急ぎメグに頼んで取り寄せてもらったんだ。ソニアの悪を暴くなら…私も正義の姿を取るより他ないからな」
「それがメルクさんの正義なんですね」
「まぁな、さて…みんな、ここから正念場だ。はっきり言って命の保障はない…だが立ち止まれば間違いなく死ぬ事だけは断言出来る、故に足を止めるなよ…皆で生きて明日を勝ち取るには、硝煙を切り弾丸を飛び越えその先にある未来を勝ち取るしかない」
メルクさんは先導するように歩む、拠点の出入り口を目指して歩く。この戦いはソニアとの戦いだ、ソニアとメルクさんの戦いだ、ならば…その火蓋を切るのは。
彼女以外あり得ない。
「だから…取るぞ!我々の未来を!奴らの望む未来を押し退け我等の願いを押し通す!全員覚悟を決めろッ!作戦─────」
そして、扉を前にして、拳を叩きつけ錬金術により爆発を起こすと共に扉を吹き飛ばす。もう閉めることの無い扉を…吹き飛ばし、エリス達の戦いを…。
「───開始だ…!」
今、始める。
………………………………………………………………
「今日こそ、世界は浄化される」
エラリーは本部前にドカリと置いた執務机の上に座り、続々と本部から出てくる兵隊の行軍を見て恍惚とする。ようやくこの日が来た、世界の清潔度が向上し、子孫を残すべきでは無い劣等人達の殲滅を公然と行える日が…ようやく来たのだ。
「エラリー隊長、一斉確保の用意…完了致しました」
「ふむ」
既に執務室は片付けてある。唯一残った机も今こうして外に置いてある、つまり私はもう地下に囚われる事はない。地下での燃料補給の必要がなくなった以上もうこの地下はお払い箱だ。
私もようやく、外での執務に取り掛かれる。フレデフォートでの最後の仕事がこれだ…そう思えば今までのドブざらい如き仕事にも意味が生まれようか。なんて一人想いを馳せながらエラリーは仰々しくコーヒーの匂いを嗅いで、飲むこともなく机の上に置き。
「始めなさい、一人残らず捕まえ連れて行くのです」
「ハッ!総員!取り掛かれッ!」
そうして始まる、一斉確保。自堕落に生き他人の成果を貪る事しか出来ない人類を新たな時代の礎にし、魔女という不純物を取り除き…我々人類の純度は益々向上することになる。より先鋭化した文明が築かれ人の発展は新たなステージへと駆け上がることになる。
『な、なんだなんだ!?』
『懲罰隊が群になって…』
『うわぁああ!なんだ!俺は何もしてないぞっ!』
『いいから来い!抵抗する者は徹底的に痛めつけて連れて行く!』
『ひぃいいい!』
机の上に足を置いて、心地よい悲鳴を聞きエラリーは目を閉じる。素晴らしい…ずっと聞きたかったんだ、ゴミどもの悲鳴を。
「馬鹿な奴らだ、つくづく呆れ返るほどに馬鹿な奴らだ」
『や、やめて!連れて行かないで!』
『俺達は何もしてない!そんな…捕まるような事なんて!』
「自分達が何者か、忘れてしまったのか?何もやってない人間が…地下に落ちるか」
『も…もう殴らないで…』
『誰か助けてーっ!』
「ここに落ちてくる人間は、理想街チクシュルーブ及びマレウス国家法に違反したものだけ。犯罪を犯すか、期日までに借金を返せなかった者だけがここに来る。つまりここにいる時点でその者は全て『悪』なのだよ」
あちこちから上がる悲鳴にエラリーは独り言を溢す。
普通に生きている人間は、法など犯さない。普通に生きている人間は借金を放置しないし、そもそも借金さえしない。だがここにいる人間はどうだ?一時の楽しさに溺れて法を犯し、借金という制度を甘く見て放置して地下に落ちた。
それで…何もしてない?馬鹿らしい、ここはそもそも独房と同じなんだよ。
『私達は平和に生きていただけなのに…』
「そう、お前達は何も思う事なく自分の安全が無制限に担保されていると勘違いして生きていた。だがこの世には際限のない物など無い、その身の安全は常に誰かが身を裂いて作り出している物に過ぎない、それを無条件に与えられていると勘違いし…つけ上がり、法を破っても大したペナルティもないと考えたから…地下に落ちてきたんだろう」
『誰か!誰か助けてッ!』
『誰かー!』
「お前達はいつもそうだ、お前の為だけに一体どれだけの人間に迷惑をかけてきた?地下に落ちる前にお前達はどれほどの人間に迷惑をかけた、関係のない人間だけでは無い、時に親族、時に友人、時に公的機関に迷惑をかけ…、自らの信頼を自らで失墜させ、捨てられ遠ざけられ蔑ろにされ流れに流れ着いたここでもお前達は誰かの与える『安全』に期待し縋り付く…浅ましい上に見窄らしい!『安全』を与えられる領域に居ることが出来るのは!良識と常識を兼ね備えた『普通の人間』だけなのだよ!お前達のような他に迷惑をかける事を何とも思わないゴミでは無い!」
安全は、誰かが善意で与える物だ。法とは、万人を守る為の物だ。それを蔑ろにし当たり前の物だと切って捨て、折角用意された安全で平穏な生活をドブに捨て、都合が悪くなったらまた何かに縋る。
「劣等…劣悪…劣位…劣弱!お前達の存在は!人間社会にとって害悪でしか無い!一般常識さえ欠如し人の社会に悪影響しか及ぼさない人間はここで一掃する!人類に許された限りのある資源を浪費し、世界という名の狭い部屋で余分なスペースを取り、良識的な人々の生活を脅かすお前達を浄化すれば!人類は余計な枷を振り払いより高みへ行ける!劣等種はここで消えろ!それがお前達ゴミに許された…唯一の貢献なのだよ!」
『いやぁー!』
『やめてくれーッ!』
それこそがエラリーの正義、鉛の如く重く、鉛の如く黒い正義。人類の中から余計な物を消し去り純度を高める事こそが彼が求める正義。故に地下に落ちてくるようなゴミは一掃する。
劣等なる人間の叫びを聞いて悦に入るエラリーは人類の先鋭化を前に…うっとりと唇を尖らせる。
(このまま恙無く全てを終わらせれば、結果が出る。結果が出れば…ソニア様もオウマ団長も私の失敗についてとやかく言わない筈だ)
結果を出している限り自分は安全、粛清されることはない。何せ私は価値ある人間なのだから…私を切るような馬鹿な真似はしない筈だ。
次々と捕まる街の人達、この分ならアルフェルグ・ヘリオステクタイトの燃料は直ぐに溜まるだろう…後は、雷鳴を待つばかりか。
…………………………………………………
『うわぁあああああ!』
『助けてぇえええええ!』
『追え!全員捕まえろ!』
「っておい!エリスさん!街中大パニックじゃねぇか!話通してるんだろ!?私達は一致団結して懲罰隊と戦うんだろ!?街の人間が逃げ惑ってちゃみんなを外に連れて行けないぜ!」
「あ…あれぇ?」
エリス達はみんなで街中を走りながら…そこら中で響く悲鳴や捕まって行く人々を目の当たりにして困惑する、おかしい…エリスはキチンとこの六日間でみんなに言って回ったのに。
「エリスちゃんと言いましたよ!懲罰隊が街の人達を襲おうとしてるって!」
「でもみんなびっくりしてるみたいだけど…?」
「本気で受け取っていなかったのだろう。或いは受け入れて切れていなかったか…仕方ないさ、エリスも隠れながらで万全の仕事は出来なかったのだから」
「うう…」
確かにエリスは伝えても大丈夫そうな人に頼み、人伝てで話を広めてもらっていた。手配書が出ている以上エリスも公には動けないから。でもそのせいで十分に話を広められなかったのか、一部の人達は何かわかっていたような顔で応戦しているが…全体じゃない。全員でかからないと押し返せない!
参った、いきなり躓いてしまったぞ…ここからどうすれば。
「まぁともあれ、目の前で人が殺されようとしているのを黙って見ている訳には行かん!エリス!私と一緒に懲罰隊を蹴散らすぞ!デティは周りにいる人達の把握を頼む!ルビーとナリアは助けた人達の援護を!では…」
グッと足を曲げ…勢いを溜めながらメルクさんが見据えるのは道の中央で懲罰隊に引き摺られて行く人々…。
それに向け、一気に力を解放し────。
「行くぞッ…!」
「っ!?何者だ────ガフッ!?」
飛翔するが如き勢いで駆け抜けたメルクさんの掌底が的確に黒服の顎を射抜く、それは全身を鋼で覆うサイボーグたる逢魔ヶ時旅団にとっての唯一残った人の部分…脳を揺らし意識を奪う。
「ッ貴様メルクリウスだな!ここでお前を殺せば俺は一気に昇進を…」
「吼えた立てる大地、星よ 生まれ落ちたその形を変質させ 新たなる姿を私が与えよう…錬成『大錬土断崖・双屹』…」
更に周囲の黒服達が気がついて臨戦態勢をとった瞬間、指を鳴らしたメルクさんに呼応する様に街が変形し、左右から分厚い岩の壁が隆起し…目の前の敵を纏めて押し潰したのだ。
「ガハッ…!?」
「お前達は旅団の中でも新参だろう、悪いが雑魚を相手に戯れる時間はない」
そしてもう一度指を鳴らせば岩の壁は消失し、中から全身にヒビを入れバチバチと火花を吹く黒服達が倒れ込み…って。
「ねぇエリスちゃん、なんか今日のメルクさん強くない?」
「戦い方に迷いがありません、何か…殻を破ったような、そんな感覚を覚えます」
強い、いつもより数段動きが機敏で攻撃も重い。どうやら数日前の問答で何かを見出したようだ。鍛え抜かれた力と技に…心が追いついた。心技体が揃い…爆発的に実力を上げた、いや…これが本来メルクさんが持っていた実力か。
これはもしかしたら…あるかもしれない。
「メルクさん!一人で片付けちゃいましたね」
「すまん、飛ばし過ぎた。だが…なんだか今日は調子がいいんだ、このまま止まる事なく走り続けたい」
「はい、そうしましょう」
状況は悪いが勢いはある、なら考える暇もなく今は懲罰隊の本部を目指した方がいい。
「けどよ!」
しかし、攫われそうになっていた人を救助したルビーが追いついて来て。
「このまま本部に辿り着いても、街の人達を連れて行けないぜ!今街中は大パニックだ…心の準備ができてる奴もいるが、全体で見ればまだまだ少数…そいつらだけ連れて外に出ても、被害が出ちまうことに変わりはない」
「…………確かにな」
エリス達の目的は最初に話した通り勝つことでは無くみんなで脱出する事、今このままエリス達が地上を目指しても意味がないんだ。みんなで上を目指さないと…。
「今からでも街の人達に説明しましょうよ!」
「そーだよ!流石に目の前に危機が迫ってんだから本気にするでしょ!」
「……どうだろうな」
ナリアさんとデティは慌てて周りの民家を叩いて回って周りの住人達に説明をしようと動き出す、だが…メルクさんは目を伏せやや難色を示し…。
「もしもーし!失礼しまーす!」
「な、何かな…」
ふと、デティが叩いた扉の奥から家主と思われる男が顔を出して…。
「貴方見たでしょ!懲罰隊が私達を襲い始めてるの!だから早く脱出の準備をして!」
そう…デティが全力で叫ぶが。
「だ…大丈夫だろう、家の中にいれば…アイツらだって全員捕まえる気はないって」
「え…?」
しかし、返ってきたのは淡白な答えで……。
「懲罰隊が人々を捕まえているんです!早く逃げましょう!みんなで一緒に!」
一方ナリアさんは道行く人を呼び止めて避難を勧告するが…。
「こ…ここを出て、どこに行くの?…私達…もう他に行ける場所なんてないのよ」
「そ、それは…」
ナリアさんに返された言葉を聞いて、エリスはようやく理解する。これじゃあエリスがいくら声をかけても無駄だったと。
エリスは交流のある人に人伝てで頼んでいた…だから地下街の大多数を占める市民達の声を聞くことはなかった…故に気がつかなかった。ここにいる人達の感情…言い分…考え、それを理解していなかったから逃げないことに衝撃を受けたのだ。
つまり、ここにいる人たちが逃げない理由…それは。
「誰も現実を直視していない…」
「人間と言うのは、自然界で最も自己に降りかかる危険に対して鈍感な生き物だ。静寂と静止を安全と勘違いする者も多くいる。それに対して理屈を説いても…」
今目の前で他の人が捕まっているのに、家の中にいれば安全だと思う意味不明な自信。殺されそうなのにここを出ても行く場所がないという先を考えていない恐れ。他の住人達も今の状況が異様だと分かっているが…それでも心のどこかに生まれている『大人しくしていれば大丈夫』という認識が判断を誤らせている。
『い、家に戻ろう…今日はきっと懲罰隊の虫の居所が悪いだけだ』
『何日か前にそんな話を聞いたけど…全員捕まえるなんて事…嘘に決まってるわ』
『お、俺には関係ない俺には関係ない』
地下の人間達が、危機を前に選んだのは…逃げだ。現状を打破する行動では無く何もしないで時を待つという精神的な逃げを選んだのだ。エリスには理解できない精神構造…前に進まなくては生きる事が出来ないのに、どうして立ち止まって蹲る。絶対に助からないことはみんなわかってるのに。
「クソッ!おい!そこの奴ら!マジで懲罰隊に捕まるぞ!いいのかよ!殺されるぞ!」
「ヒッ!ギャングだ!まさかアイツらが懲罰隊を刺激したから…」
「い、急いで離れよう!」
「あ!おい!バカ!家に引きこもるな!出てこい!…くそっ!ダメだ…ダメだよメルクさん」
「誤算だった、人は誰しも現状を打破するために動ける物ではないのだ、地下に落ちてくるような堕落した人間は…特にな」
見誤った、地下に落ちてくる時点でここの人達は世間一般的にいうところのダメ人間。更生した人も中にはいるがそれでも大多数が借金を返さなかったり犯罪を犯したような人達だったんだ。
そんな人達が、じゃあ危機が迫ってるから動けますかと言えば…それはあり得ないのだ、だって動けていたら…そもそもここには来ていない。
「……置いて行くしか、ないのか」
ルビーが呟く、自分から生きようとしない人間は流石に助けられない。危機を前に動けない人間は連れて行けない…。だが…メルクさんは。
「それも人間だ、良し悪しでは語れんさ…助けよう」
「けどこんな事してるうちに何もかもが手遅れになるかもしれない!雷が落ちたら…終わりなんだろ!?」
エリス達には元より時間がない、だが置いてもいけない、されどここの人達は皆意地でも動かないだろう。そんな人達を相手に一人一人説き伏せて説得している時間なんてあるわけがない。
どうする、何かいい手はあるのか?ここにいる人達を一発で納得させて…みんな纏めて動かす方法なんて、そんなの……。
『ここにいれば安全なんだ』
『嵐が過ぎ去るのを待とう』
『嗚呼、恐ろしや恐ろしや』
「…ッ………」
そうこうしている間にみんな家に閉じこもってしまい…エリス達はただ何も出来ず、時間を浪費し─────。
『全員聞きなぁーーーーーーーッッ!!!』
「ッ…この声は!?」
ぐわんぐわんと地下の中を反響する巨大な声が辺り一面に響き渡る。喉が嗄れたような声がフレデフォート全体に届き、家の中にいる市民達の耳にも届き…皆が窓を開けて外を見る。
エリス達もまた声の主を探して周りを見るが…いない、声の主に心当たりはあるが姿がない、一体どこに…。
「ああ!あそこだ!」
すると、窓から顔を出した一人の市民が上を指差す…そこには地下の奥深く、エリス達が出て来た巨大な魔蒸機関の上に立つ一人の人影が存在しており…あれは。
「シャナ婆さん!?」
『この腐れゴミ共ッ!耳かっぽじってよく聞きな!アタシはシャナ!この地下街に住むクソババアさ!』
シャナさんだ、今朝から見かけなかったシャナさんが魔蒸機関の頂点に立ち、街全体を見下ろしながら拡声魔道具を使い街全体に語りかけているんだ。
…あんなところで、何をしてるんだ。そうみんなが口を開く中…エリスは笑う。
よし、上手くいったようだ…と、始まるぞ…正真正銘の『作戦』が。
『アタシはね!この街に来て数年!老骨に鞭打って整備士として汗水垂らして働いて来た!クソみたいな初心者に技術を教え!カスみたいな機材使って仕事して!地上の楽園を底から支えて来た謂わば影の功労者さ!全員もっとアタシに感謝してもいいくらいのね!』
「何を言って…」
『けどね!アタシを雇ってるチクシュルーブは!そんなアタシにロクな給料も払わなかった!ゴミの掃き溜めみたいな街に住まわせ酔っ払いの吐瀉物みたいな飯食わせ!数年もコキ使いやがった!もうこんな生活は真っ平だ!』
吠え立てるシャナさんに全員が呆気を取られる、市民も懲罰隊も…メルクさん達も。なんの話をしているんだ、今そんな話をしている場合か…というシャナさんは他の人に比べればまぁまぁいい家に住んで結構いい飯食ってた気がするが…。
『だからアタシは考えた!どうせたにもせず生きたってあと数年の命!そして残りの寿命もこき使われるだけ使われて生きるくらいならね!こんなクソみたいな街!全部ぶっ飛ばして死んでやろうってね!だから!』
そう言ってシャナさんがガツン!と足元の魔蒸機関を踏みつけると、その衝撃で魔蒸機関全体が震え、あちこちらから爆裂するように火や蒸気、光を噴き出し震え始め…。
『アタシが今までコツコツ開発した『魔力巡回装置』を内部取り付けた!これを取り付けられた機関は中でエネルギーが循環し外に出ずに溜まり続ける!つまり…爆発するのさ!分かるかい?大爆発だよ!地下全体をぶっ飛ばし崩落させる大爆発があと三十分でか巻き起こる!そうなりゃここにいる人間は全員死ぬね!アハハッ!いい様さ!』
「ば、爆発!?」
「嘘だろ…何考えてだよあのババア!問題増やしがやって!」
「…いや、まさか…」
『死にたくない奴は今すぐ逃げな!それとも…この地下に愛着があって一緒に死にたいって奴はご自由にどうぞ?まぁ…魔蒸機関の灼熱の爆発に吹っ飛ばされたら、痛いじゃ済まないだろうけどねッ!』
凶行、まさにトチ狂ったとしか思えない最悪の行動に出たシャナさんはその事を街全体に向けて怒鳴り散らした。あの言葉が嘘でないことは火を吹く魔蒸機関が説明している…つまり。
あと三十分で外に出ないと…みんな死ぬんだ。それを理解したからか…周りの民家の扉は勢いよく開かれ。
「ひいいい!シャナがトチ狂った!」
「もうダメだー!外に逃げるしかない!」
「嫌だ嫌だ!死にたくないッッ!!」
「お、おお?引きこもってた奴らがドンドン出てくる」
「やはり、シャナ殿はこれを狙って…!」
これだ、狙いはこれなのだ。現実を直視出来ず蹲る人達に向け無理矢理現実を直視させ叩きつける。流石に目の前で巨大機関が火を噴いていれば安全な場所なんてどこにもないって理解出来る。
つまり言葉では無く本能的な恐怖に訴えかけて外に逃すつもりなんだ!そこまで考えていたのか!シャナさんは!
「クソッ!シャナを撃ち殺せ!」
「しまった!懲罰隊が!」
しかし、それを前にして懲罰隊も黙っていない。皆一斉に火を吹く機関の上に立つシャナさん目掛け銃を向け一斉に掃射を始める。こいつら…シャナさんを殺すつもりだ!
「エリス!」
「はい!『旋風圏跳』ッ!」
咄嗟に飛び上がり近くの民家を蹴って加速し一気にシャナさんの元まで飛び、銃弾飛び交う中を飛翔する。
「カカカ!バカな奴らだね!アタシを殺したって機関は止まらない、いやアタシを殺せばいよいよ本格的に止められなくなるよ!まぁ死んでも止めないがね!」
「シャナさん危ないですよ!」
「おおエリス、やっぱり来てくれたかい。助かるねぇ」
「おしゃべりは後!エリスに掴まって!」
そしてそのままシャナさんの腰を掴み抱き上げると共にエリスは…。
「シャナさんを傷つけるな!『風神穹窿息吹』ッ!」
無数の風の斬撃を黒服達に向けて飛ばしシャナさんを狙う連中をまとめて叩き潰し安全を確保する。フンッ!ゴミ共が!
「助かったよエリス、それに…あんたがアタシの作った装置を取り付けるのを手伝ってくれたおかげで助かったよ」
「いえいえ、にしてもまさかこんなに上手く行くとは」
「カカカ!クズの扱いにゃ慣れてんのさ!」
エリスは…実はこの件を知っていた。そもそも街人達への説明に手応えがないことも理解していた、そんな中シャナさんから持ちかけられた…この話。
『機関内部に装置を取り付けて暴走させる。その手伝いをしてくんな』
と言って今まで作っていた装置の数々をエリスに手渡してきた。断る理由もないからエリスは一人機関の中に入り込みあっちこっちに言われた通り装置を設置したのだ。その結果がアレ…。
こうすれば話を聞かないバカ共も動くし…何より、ソニアの奥の手である『街のエネルギーを使ってヘリオステクタイトを発射する』と言う手段を防ぐことが出来る。
「今はまだ街の非常用エネルギーで稼働しているが、それも長くは持たないし何より大規模なエネルギー消費があっただけでショートしちまう。ヘリオステクタイトなんか発射も出来なくなる」
「最高の一手ですよ、シャナさん」
「だろう?ソニアはみくびったのさ。アイツの生み出した先鋭工業化は…アタシら影の技術者達の存在で成り立ってるって事実そのものをね。バカな奴だよ、アタシら技術者はソニアの金玉握ってるに等しいってのに」
「あはは、ソニアは女ですよ」
「比喩だよ、それよか脱出するよ!策士が策に溺れるのが一番間抜けなんだ」
エリスとシャナさんはフワフワと風を纏いながらゆっくりと地面を目指す。その際見える街の光景は…街全体で人の津波が起こり、一斉に本部を目指す様だった。
『そこを退けぇえええ!直ぐにあの巨大な機関が爆発するんだ!みんな死んじまう!』
『邪魔しないでぇええ!』
『このクソ懲罰隊が!お前ら死ぬのが怖くねぇか!』
まさしく暴徒、命の危機に瀕した民衆は一斉に走り出す。その手には木の棒や鉄の工具など武器にも満たない武器を持ち道を阻む懲罰隊と衝突している。
『くそっ!止まれ!止まらないか!』
『命知らず共め!蹴散らしてくれる!』
懲罰隊も新参ではあるものの世界一の傭兵団である逢魔ヶ時旅団のメンバーだ。民衆程度敵ではない、十人纏めてかかって来ても勝てるだろう。
『嗚呼クソッタレが、キリがないぞ…これ』
しかし、相手が百人ならどうだ?千人なら?万人なら…流石の傭兵団もこれには手を焼く筈だ。しかも…。
『ええいこうなったら!銃だ!銃撃で撃ち殺せ!一斉掃射だ!』
『バカ!迂闊に殺してヘリオステクタイトに乗せる魂の数を減らしてどうする!もし規定の数に満たなかったら…俺達が殺されるぞ!』
『う、じゃあこれどうするんだよ!』
傭兵団は迂闊に民衆を殺せない、なんせその魂は使用用途が定まっているからだ、だから銃などの武器の類は使えず殴って無力化するしかない。
だが、今の民衆は殴られようが蹴られようが構うことなく突っ込んでくる。
「勝てますかね、彼らは」
「相手を殺せない千人の新米傭兵団対十万人のど素人軍団…はは、見ものじゃないか」
…かつてラグナが言っていた。戦争において最も気を使うのは戦略や戦術、武器の質や洗浄の地形…などではなく、気を使うのは『死兵を作らぬこと』。つまり恐れを抱かぬ大軍勢を作らないことが戦争のセオリー。
今民衆は半ば死兵と化している。徴兵隊を恐れず背後の巨大機関から逃げるために目の前の全てを破壊するつもりで突き進んでいる。それに対して傭兵団は武器の類は使用出来ない…これはもう、止められない。
「欲をかいて悪人集めまくったバチが当たったね。さぁエリス!あんたも戦列に加わりな!一点を突破すれば自ずと懲罰隊は大崩れになる!」
「はいっ!シャナさん!」
シャナさんはこのことを読んでいた。今まで作っていたあの機械は魔蒸機関を爆破するためのものだったんだ。この人はどこまで考えて動いているんだ…!
そんな戦慄を味わいながらエリスはメルクさん達と合流して…。
「無事か!シャナ殿!」
「さっ!脱出だよガキ共!三十分後に外に出れなきゃ全員死ぬからね!」
「このクソババアァーッ!!!だがナイスだ!流れが向いて来たぜ!」
「懲罰隊もおおわらわだよ!今ならいける!」
「突っ込みましょう!」
「ああ!ルビー!君達は他の民衆を援護してやれ!デティ!倒れた人達を回復させてやってくれ!ナリア!魔術陣を書いた紙を民衆に配れ!…私とエリスで敵陣に穴を開ける!いいな!」
『おおー!』
一気に形成がこちらに傾いた、周りの民家から次々と凶器を持った民衆が飛び出し懲罰隊に飛びかかり押し倒して武器を奪っている。暴徒と化し全員で挑みかかっているから恐怖が麻痺しているんだ。
一度流れが出来てしまえば、大衆は自ずとそちらに流れる!これならいける!
「よっしゃー!お前ら!私に続けぇーっ!全員でこの街を出るぞ!外に!出るぞッッ!!」
『おお!ルビーギャングズだ!頼もしい!』
『ギャングが一緒なら怖いことはないわ!私さっき武器拾ったの!ぜひ使って!』
『男は前に!女は後ろから押せー!』
ルビーが先陣を切りメルクさんが用意した鋼鉄の棒を振るい民衆を勢い付かせる、他のメンバー達も散らばり各地の民衆達を援護し慣れない銃を使って懲罰隊が作る壁を削っていく。
「『遍照快癒之燐光』…ハイっ!これで全員癒しマスター!」
『き、傷が治った?まだ動ける!』
『死にたくない死にたくない!』
『そこ退け!』
『こ、こいつら…倒しても倒しても起き上がって…こんなのどうすれば、ギャアっ!?』
「ふはははーっ!さぁ我が手足となって戦えーッ!怪我しても私が治しちゃうもんねー!」
集団戦に於いて無類の強さを発揮するのが治癒魔術の存在だ、ラグナも戦争をする際真っ先に治癒術師やポーションを気にしたくらい戦況を左右する術系体が治癒魔術。
それを極限まで極め、治癒を辺り一面に振りまくことができるデティがいる以上民衆は倒れても倒れても動き続ける。この時点で力技による鎮圧は不可能となった。
「はいこれどうぞ、魔術陣です。相手に押し当てて『衝波陣』って叫べれば爆弾みたいに破裂しますよ、はいどうぞどうぞ」
『お、おう?そうなのか?』
『魔術陣が書いてあるわ…!これなら私でも使えそう!』
『いけー!叩きつけてやれー!』
そしてナリアさんが用意した魔術陣を大量配布し民衆は脅威的な武器を得る。止まらない、これにより全員が魔術師に匹敵する火力を得た、もうこれは…止められない。
「行くぞエリス!」
「はいメルクさん!」
そしてエリスとメルクさんは大通りの先頭を走り、特に懲罰隊の陣形が分厚いところに向け突っ込み…。
「星を染め上げし群青の羽よ、今一時この場に現れた我が敵を諸共流し、あらゆる穢れを地上より排せよ『錬成・蒼翼水波濤』ッ!」
「光を纏い 覆い尽くせ雷雲、我が手を這いなぞり 眼前の敵へ広がり覆う燎火 追い縋れ影雷!、紅蓮光雷 八天六海 遍満熱撃、その威とその意在る儘に、全てを逃さず 地の果てまで追いすがり怒りの雷を!『若雷招』ッ!」
『ぐぎゃぁあああああ!?!?』
放つ、錬金術によりう生み出された巨大な水の羽が大通りを一瞬で水浸しにし、エリスの若雷招が空間を席巻し全ての黒服達を引き裂き感電させ打ち倒す。もう手慣れたコンビネーション…エリスとメルクさんの戦い方で、穴を開ける。
「つ、強い!というかあれ…」
「メルクリウス!エリスも一緒だぞ!この騒ぎはやはりあの二人が原因か!」
「討ち取れーッ!メルクリウスとエリスの首を!せめて奴等の首級だけでもあげなくてはー!」
「おいおい聞いたかエリス」
「好都合ですね、エリスとメルクさんを相手に数を用意してくれるなんて、格好の獲物って奴です」
エリスとメルクさんの活躍を見た逢魔ヶ時旅団は、この事件の主犯をエリス達だと見定め集中砲火を浴びせにくる。他の通路を担当していた奴らまで呼び寄せて数を用意し総攻撃を仕掛けるつもりらしい。
だが好都合、今のエリス達にとっては一番都合がいい。なんせエリスとメルクさんのコンビは…。
「行くぞエリス!全員蹴散らすぞ!」
「どんな攻撃にも合わせるので遠慮なく暴れてください!」
…魔女の弟子の中で最も対多人数戦に特化したコンビなのだから。
…………………………………………………
「突如民衆が暴徒と化して反撃を開始!全フロアにて懲罰隊本部を目指し進撃中!既に我々は押さえ込まれ防戦一報!その上三割の兵士達は離反し勝手に戦線を離脱…戦況は最悪です!エラリー隊長!」
「バ…バカな…地下の人間が団結するなんてこと、あり得るわけが…」
ワナワナと震えるエラリーは次々と舞い込む報告に震え、右にズレたメガネを直す余裕もなく虚空を眺め口を開ける。こんなバカなことがあっていいはずがない…。
「エラリー隊長!東通りの部隊が完全に押し込まれました!もうすぐここに暴徒が流れ込みます!」
「隊長!南通り現在交戦中!何故か最新式の銃火器を装備したギャングが援護に加わり手がつけられません!発砲許可を!」
「北通りの部隊損壊!隊長指示を!」
「隊長!エラリー隊長!」
「あ…ああ、悪夢だ…これはきっと…悪い夢だ…こんなことがあるはずがない…」
頭を抱えポタポタと机の上に冷や汗を垂らしエラリーは蹲る、こんなことがあってていいはずがない、きっと悪夢なのだ。
地下の住人が団結することはないとエラリーは確信していた。自己中心的で問題を先送りにする気質を持つ地下の住人達に仮に一斉確保の件がバレても彼らは団結せず自分に言い訳をして勝手に丸め込まれるだろうと読んでいた。
だからソニア様は地下に十万と言う大人数を配置しながらそれを罰する部隊は千人程度で留めたのだ。本来ならこんな大規模な反乱など起こるはずがなかった、それが今…相手を殺してはならない状況で、かつ想定されていない以上の半狂乱の暴徒で街が埋め尽くされるなんて状態になってしまった。
エラリーは賢い男だ、この状況を収める手段など存在しない事などすぐに分かった…だからこそ絶望した。
「あ…ああ…、先日までに二度の失態を演じ、そして今日…これは…これはもう…はぁあああ…」
「エラリー隊長!西通りの進行が特に激しく────」
それもこれも、全部…全部…!
「──魔女の弟子メルクリウスとエリス、そしてこの一件の犯人シャナ・シードゥスの三人が率いる大軍勢が!もう目の前まで来ています!指示を…このままでは捕まえるどころじゃありません!」
「メルクリウス…シャナぁッ!」
ギリギリと怒りに満ちた目で前を見遣る。全て全て魔女の弟子とシャナのせいだ…やはり奴等は繋がっていたんだ!あの日!家に魔女の弟子達がいたんだ!私はあの時シャナを殺しておくべきだったんだ!
あの時見せた慢心が!全ての失態に繋がって…今この状況を…ッ!
「…隊長、どうか…どうか指示を…」
そうだ、全部全部繋がって………。
「隊長!」
「…………ッ」
全部…全部、私は…最初から………。
「……ブフッ!ククク…カカカカカ」
「隊長…?」
そう考え、エラリーは噴き出す。この最悪の状況で…クツクツと体を揺らし、蹲っていた体を起き上がらせ、椅子にもたれて歯を見せ笑う。
「フフッ…アハハッ!アハハハッ!!ハハハハハハッ!アハッ…ハハハハハハ!」
「隊長…何を…」
「ククク…どうでもいい」
「は?」
「もう全部どうでもいい!やめだやめだ!くだらない!考えるだに馬鹿らしい!」
「あ…ぅ……」
いつも綺麗に整えたオールバックの髪を崩し、ケタケタと笑うエラリーに部下は青褪め一歩引く、…乱心だ。
「フフッ…シャナが地下を爆破しようとし、住民が半狂乱になって地下で大暴れ、しかも魔女の弟子も一緒と来た。笑えるったらありゃしない、笑うしかないだろうこれは…どいつもこいつもクソの塊の癖しやがって、一斉にかかってくるんじゃねぇよ…」
「隊長…その…」
「ハハハッ!お陰で私の人生は終わりだ!輝かしいアンズリベンジ家再興計画も終わり!ソニア様からの信頼どころか逢魔ヶ時旅団内での地位もメチャクチャ、学もないような腐れ傭兵共に一生下に見られて生きていくんだ私は、このエリートの私が…クククク、何かの笑い話か?腹が捩れるよ全く…上出来だ、これがジョークなら…なぁ…」
するとエラリーは徐に立ち上がり、座っていた椅子を蹴飛ばし……。
「本当に…本当に…ッッ!!グッ!ガァっ!がぁあああああああああ!!クソッ!クソクソクソッ!クソがぁぁあああああああ!どいつもこいつも私の邪魔ばかりかしやがってッ!もうどうでもいい!計画も作戦も!何もかもどうでもいい!」
そして机を掴み、片手で持ち上げ投げ飛ばし、蹴飛ばした椅子を再度持ち上げ両腕で押し潰しぐしゃぐしゃの塊に変え地面に叩きつけ蹴り飛ばし何度も地団駄を踏み…そして、エラリーは前に出る、未だに戦いの続く…前へ。
「もうこうなったら、私の手で全員殺してやる!私の邪魔をする奴は全員な!全員バラバラに引き裂いてこの薄汚い街を奴らの棺桶にしてやる!」
「た、隊長!我々はどうすれば…」
「勝手にしろ指示待ち人間共!貴様らのような低脳な人間に一々指示をする手間が如何程か考えたことがあるか!この期に及んで自分で考えられんような劣等な低俗共など私はもう知らん!」
「え…えぇ…」
そしてエラリーはズカズカと怒りを露わにして魔女の弟子達のいる方へと歩いて行ってしまう。取り残された部下は呆れたような顔で沈黙した後…。
「………………」
指示を待つ他の兵士達の方を見て、一瞬視線を外し考えた後…。
「お、俺達も…逃げるか」
「そうだな…」
この街と…そして旅団の終わりを悟り、逃げることを選択するのだった。
………………………………………………………
「進め進め進め!あと少しで懲罰隊の本部!外への出口がすぐそこだ!」
『おおお〜っっ!!』
そして暴徒を率いるメルクリウスは一直線に懲罰隊の本部を目指す、自らが最前線に立ちエリスと共に走り続けて数分…ようやく。
「見えてきた!懲罰隊本部!」
見えてきたのだ、この進撃のゴールが…ならば。
「エリス、後は私達で大丈夫だ、君は君の持ち場に向かってくれ」
「…………」
エリスはこの後水楽園に向かい、そこのレゾネイトコンデンサーを破壊しに行かなくてはならない。コンデンサーの破壊は早ければ早いほうがいい…何せコンデンサーは幹部が守っているだろうからな。
この戦いには時間制限がある、ならばそろそろ行ってもいいはずだろう。そう思いエリスに視線を向けると。
「分かりました、後で会いましょう」
そう言って拳をこちらに突き出しウインクをして見せるエリスは足を止める。それに伴い私も足を止め…。
「ああ、後でな」
「はい、ソニアの企みを止めて…会いましょう、では!」
そうしてエリスは手を振りながら来た道を引き返し街の郊外、滝の方へと向かっていく。彼女ならきっと…逢魔ヶ時旅団に勝てるだろう、だから私も。
「さぁ行くぞ!最後の一押しだ!」
『おお〜!』
「目指すは地上の楽園!地獄から這い出ろッ!」
暴徒を勢いづかせる咆哮を上げ懲罰隊を押し退け突き進む…あと一押しで地上だ、大通りを席巻する人の波、それは一直線に懲罰隊の本部目掛け、押し流れ────。
「ぐわぁあああああ!」
「レイダン!レンドン!」
瞬間、足を止めた私に変わり先陣を切っていた二人のギャングが突如吹き飛び、宙を待って錐揉み地面に叩きつけられ…私達の勢いはピタリと止まることになる。
立ち塞がったからだ、兵士達の陣形よりも…分厚い壁が。
「行かせるわけがないでしょうが、全員ここで死ぬんですよ…私と一緒にね」
「テメェ…エラリーッ!」
「フンッ、クソ喧しいですよ」
エラリーだ、既に上着を脱ぎ去り純白に輝く躯体を見せつけながら冷徹な顔で眼鏡を掛け直し、本部の入り口を塞ぐように立ち続けていた。
やはり、奴が最後に立ち塞がるか…!
「エラリー…そこを退けよ、テメェはもう終わりだ!」
「ああ…終わりだよ、お陰様で!私の人生設計は何もかもご破算だよどうもありがとう!…全部テメェらのせいだよ、そんなお前らを…このままみすみす見逃すと思うか?」
「やろうってのかよ、デスクワーカーが…そんな機械の体に頼らなきゃ何もできねぇゴミカスが…」
「ゴミ?自己紹介かな?ルビー・ゾディアック…」
立ち止まる民衆によって出来た円形のコロシアム、その中心に拳を構えるルビーと両手をぶらりと下に降ろし脱力するエラリーが睨み合う。
「テメェはミュラーの仇だ…」
「はぁ、仇だ怨敵だのとくだらない。…すぐに後ろのギャング達も私をこう呼ぶようになるだろうな、お前の仇だってな…」
「やれるもんなら…ッ!」
瞬間、ルビーは踏み込み鋼鉄の棒を強く握り…。
「やってみろッ!ッんな!?」
一閃の如き横薙ぎ、エラリーの側頭部を狙った殴打が空気を引き裂き轟音を鳴らすが…振るったルビーが最も早く気がつく。
いない、エラリーが…消えた、いや消えてない。
「下だ!ルビー!」
「えっ!?」
「私がデスクワーカーですか、まぁ嫌いではありませんよ?執務も…ですが」
下だ、エラリーは踏み込みと共に大きく屈み横薙ぎを回避したのだ。そしてそのまま大きく畳んだ足を一気に押し上げ…拳を放つ、打ち上げ気味の拳がルビーの腹を打つ。
「ぐぶぉっ!?…ガッ…くっ!」
「勘違いしてませんか?私が何者か…私は傭兵ですよ。この薄汚い街の管理人などでは決してない。世界一の逢魔ヶ時旅団のNo.6…この座は諸先輩方の血と骨で組み上げ奪い取ったもの、そこら辺はデスクワークでは得られませんので…まぁそれなりに体を張ったのですよ」
「ゔっ…!」
強い、一撃でルビーが膝を突き胃液を吐いた。サイボーグによる肉体強化だけでは説明がつかない的確な一撃…それはまさしくエラリーと言う人間個人が持つ強さの証明。
伊達ではない、この地下エリアを任されるエリアマスターの実力は…八大同盟・逢魔ヶ時旅団で最上位に位置する男の力は。
「クソが…!テメェ…!」
「残念でしたね、仇を取るつもりでかかってきたのに…思ったよりも自分が弱かったせいでこの有様、これでは仇を取れませんね…えーっと…なんでしたっけ?貴方の元お友達の名前」
「ッ…お前ぇえええ!」
「フフッ、多少は溜飲も下がる言うものですね…っと!」
勢いに任せ、立ち上がり様に拳を振るったルビーだったが、それさえエラリーに読まれ、逆にその勢いに合わせるようなカウンターが飛んできて…。
最終的に、攻撃した側であるはずのルビーの顔面にエラリーの拳が叩き込まれ、鮮血が舞うと言う結果に終わる。
「ぐふぅ…!」
「他愛もない、何が懲罰隊とギャングは地下街を二分する勢力ですか。その頭領同士が直接ぶつかり合えば…こんなもんですよ」
「てめえぇええ!よくもルビーさんを!」
「許さねぇ!どこまで俺達をコケにすりゃ気が済むんだ!」
「ぶっ殺してやる!」
ルビーが倒れた、その事実を受けて周囲のギャング達は銃や熱伝導剣を手にエラリーへと挑みかかる…だが、ダメだ。
「や…やめろォッ!お前らの勝てる相手じゃねぇ!」
「フンッ…」
一瞬、エラリーの眼鏡が反射で白く染まる。それと同時に彼の四方はギャングに囲まれ───。
「最初から、こうしているべきでした」
「ごあぁっ!?」
砂塵を残す加速と共に、左方のギャングの腹に肘打ちを食い込ませ。
「知識や知恵を用いての鎮圧、それは相手方にも相応の知性を要求するもの」
「ぎぃっ!?」
地面が弾けるほどの加速を再度行い、今度は右方で銃を構えるギャングの顎に靴先を当てる蹴りを放ち…。
「あなた達には、そう言った知性は皆無でしたね」
「がぁっ!?」
消えた、かと思えば今度は後方のギャングが弾け飛び、メガネを直す仕草をしたエラリーの裏拳が僅かな煙を燻らせる。
「ですので…」
「ヒッ!?」
そして、前方のギャングの目の前に現れる。こうして並び立つと大人と子供、怯えた目をした子供と冷徹な目で見下ろす大人の構図が…まざまざと映し出される。
「う、うわぁぁぁあ!うわぁああああああ!!」
咄嗟にギャングは銃を連射する、目の前のエラリーに向け怒涛の勢いで鉛玉を放ちその胴に風穴を開ける…しかし。
「え…ええ」
開いた風穴はすぐに閉じていく、アルベドの原型たる存在を用いた無限修復機構…それがある限りエラリーにいくら傷をつけても無駄なのだ。
「知性もなく、暴力的な貴方たちには…私も暴力的に振る舞うべきでした。エリートの私がこんなミスをした理由が…私が知性溢れるエリートであったから…とは、嘆かわしい。劣等たる人類がこの世に蔓延っているせいで…私のようなエリートがその芽を潰されるとはッ!」
「ひぃィッ!?」
グッ!と音を立ててエラリーが拳を握り、一気にギャングに向け振り下ろし……。
もう、ここら辺でいいか…。
「引きなさい!」
「えっ!?」
「む…!」
瞬間、拳を前にしたギャングが後ろに吹き飛び…代わりに私が前に出てエラリーの拳を受け止める。襟を引いて後ろに突き飛ばしたのだ…あのまま受けていたら、最悪死んでいたからな。子供を死なせたら流石にエリスから失望されかねない。
「メルクリウス…お前が出るか」
「まぁな…おい!ルビーギャングズ!もう満足だろう…悲しいことだが君達の手ではエラリーを倒せない事がよくわかった筈だ!だから今は前に進むことだけを考えろ」
「メルクさん…私は…」
「ルビー、ここにいる人間を先導するのは君の仕事。そしてこいつを倒すのは…私の仕事だ」
エラリーの拳を弾き返し、手袋を付け直す。エラリーの相手は私がする…だからみんなは先に向かえと手でジェスチャーを送る。
「メルクさん…あんたここに残るつもりじゃ!」
「こいつを倒して私も上に行く…、その為にはここにいないとエラリーを殴れないからな」
「ここはあと十数分で爆発するんだぞ!」
「ならこの問答の時間を少なくしてくれ、一刻の猶予も争う」
「……ッ…!」
納得…はしてないだろうが、それでも飲み込んで貰わざるを得ない。悔しいがエラリーは強く…他の人間では手がつけらないのが事実。なら…他の人間まで私といる必要はない、全員で脱出してくれ。
「デティ、倒れたギャング達の治癒を。ナリア、他のギャング達と民間人の避難を」
「…うん、分かった。けど死なないでね」
「死なんさ、こんな前座を前にしてな」
「気をつけてくださいメルクさん…、さぁ皆さん!僕と一緒に外へ!出口はもう目の前です!」
「ックソがぁっ!メルクさん絶対死ぬなぁああああ!」
そうして、私以外の人間は全て…懲罰隊の本部を目指し走り出し、次々と本部の中の階段へと向かっていく。どうやら既にエラリー以外の部下は逃げ出してしまったようで、避難自体は容易に行えた…ただ。
「追わないのか?エラリー」
「フッ…」
エラリーは私を前に動かない、他の人間など眼中にないとばかりに。
「仕事の出来る男というのはね、タスクに優先順位をつけるものなのさ。その優先順位で…一番上なのがお前、というだけさ」
「………そうか」
「にしても君も残酷だなメルクリウス。君…敢えてギャング達が私に痛めつけられるのを見てから、助けに入っただろう。君ならルビーが倒れた時点で助けにも入れた、覚悟を決めるのに時間がかかったのかな?」
「違う、私と違って彼等は長くお前に苦しめられた。憎しみも一入だろう、だから…決着をつけさせてやりたかった、勝敗関係なく…やるだけやって結果を出させてやりたかったんだ。でなければ彼等は…次の人生を歩めない」
そりゃあ確かに直ぐに助けに入ることは出来たし、エリスなら即座に入っていただろう。だが…それをすればギャング達の憎しみや恨みはどこへいく。エラリーに苦しめられた時間は私よりもずっと長い、それを…ポッと出た私が全て掻っ攫えば禍根が残る。
だから戦わせた、無駄と知りながら…負けると分かりながら、戦わせたんだ。後腐れなく次の人生へ歩めるようにな。
「ハッ、次の人生…。無いんですよ彼らに次の人生なんて。分かりませんか?あの階段はロクス・アモエヌスの敷地内に繋がっている、今ロクス・アモエヌスは超厳戒態勢の真っ只中、武装した兵が大地を覆う絨毯のように待機している。そんな中にアイツらが出たところで…どうなるかなんて目に見えていると思うが」
「だから余裕なのか、だが残念だったな」
「…何?」
「私達は八人で魔女の弟子…地上にも私の仲間がいる。彼ならその辺をしっかりやってくれるさ…私は彼を信じてる、だから…」
腰を落とし、第一ボタンを外し…拳を握る。
「ケリをつけよう、エラリー。お前を倒し…私はソニアの所へ行く、前座はとっとと退場してもらおう」
「フッ…クククク、カカカ…アハハハハハハハハハ!面白い冗談だよ全く、本当に…面白いったら無いよ…本当にねェッ!」
爆破を目の前に控えた無人の地下街で向かい合う私とエラリー…その戦いは、この理想街での最後の戦いの…文字通り前座となる。
さぁ、後のことは頼んだぞ…みんな!
………………………………………………………………
バケツをひっくり返したような雨。土砂降りをそう形容することもあるが…今理想街を包む暗雲から降り注ぐ雨はまさしくそれと言えるだろう。
ソニア様がマレウス国家魔術により予測した雨雲の到来には一切の狂いもなく、今日この日…確かにチクシュルーブは巨大な雨雲により覆われ、足元は水浸し、雨脚の強さを理由にチクシュルーブは全面休業、これにより大多数の観光客は雨が来るよりも前に街を立ち去っていった。
そんな雨の中、傘も差さずロクス・アモエヌス前に並ぶ兵士達は来たる敵の到来に備える。今日この日…チクシュルーブはヘリオステクタイトを発射しマレウスという国を滅ぼし現行世界の文明を根底から覆す。
そんな大業を前に必ず阻止しようとする者が現れる筈だと…そうソニア様は語った。
「……おい」
「…来たか」
立ち並ぶ兵士達の中で、黒服を着た男達…歴戦の傭兵はいち早くその存在に気がつく。閉鎖されたロクス・アモエヌスの正面門を破壊し、雨のカーテンの向こうで誰かがこちらに向けて歩いてくる。
息をするだけで溺れるような豪雨を無視するようにそいつは…真っ直ぐとこちらに来る。雨のように…目の前の軍勢の脅威を無視して。
「………………」
現れたのは一人の男。赤髪の戦士ラグナ・アルクカースただ一人だ。対するは数万の理想街自警団…と呼ぶにはあまりに高度すぎる武装の数々をした軍隊。
勝負にはならない、そう考えるのはソニアに金で雇われた理想街の警備兵だけ…、それに紛れる逢魔ヶ時旅団は。
「うぉほっ…マジかアレ…」
「こりゃやばいな、アレはちょっと手に負えん」
「ああ、纏ってる魔力の量も纏わせ方も尋常じゃない。オウマ様に伝令を出しておこう、多分ここは突破される」
即座にラグナの力量が八大同盟の盟主に匹敵する物だと見抜き伝令を出す。そしてその伝令の動きを見たラグナはこの軍隊の中に逢魔ヶ時旅団の傭兵が一定数混じっている事を悟り…。
「…なぁお前ら、ここでヤベェ事やろうとしてるって話を聞いた。だから退いてくれ…俺は奥に行きたい」
喧嘩を売るように、軍隊を前に単独で啖呵を切る。ヘリオステクタイトの発射はさせない…サイディリアルにヘリオステクタイトは落とさせないし、今の世界を崩させはしない。そんな覚悟を秘めたラグナの言葉を受けた軍隊の答えは決まっている。
「ダメだ、お前は通せない…ここで死ね」
向けられる無数の銃口、あれ一つ一つが防壁を貫通し鉄板すら穿つ魔弾カスパールだ、流石に受ければ一溜りもない…が、ラグナは頭を掻いて。
「参ったな、ガウリイルを前に…消耗はしたくなかったんだが、仕方ない。なら押し通るぜ」
「言っていろ!総員!一斉掃射!」
「ッ…」
瞬間、暗雲に閉ざされ薄ら暗くなったロクス・アモエヌスの庭園に光が灯る。数十数百のマズルフラッシュが周囲を赤い光で照らしラグナ一人に向けて鉛玉の風が吹く。
されど、それを前にしたラグナは慌てる事なく目を見開き…。
「ッはぁっ!」
「なっ!?」
一気に突っ込んで来た、迫る銃弾の雨を目の前に突っ込んで来た。弾丸は防壁を砕き肉を裂くというのに…しかし。
「銃弾の軌道が変わってる!?馬鹿な!」
銃弾がラグナを前に若干動きを変え、ラグナに命中することなく空を切り背後へと飛んでいくのだ。防壁は無効化出来ているはずなのに…そう慌てる警備兵を他所に、傭兵達は。
「なるほど、滑らせているのか!」
直ぐにタネに気がつく。銃弾は防壁を無効化するわけではなくあくまで魔力を弾きその影響を受けないというだけ、だが言い換えれば魔力を弾いている時点で…影響を受けないというのは嘘になるのだ。
ラグナは防壁の角度と体の角度、そして銃弾の入射角を一瞬見切り、防壁の外円に沿うように銃弾を受け、防壁の外面に銃弾を滑らせ角度を少しだけ変えているのだ。
曲芸だ、こんな真似出来る人間がいることを想定すらさせない程の絶技…これによりラグナは敷き詰められた銃弾の雨に自分が入り込む隙間を作ったのだ。
そして、拳を握り魔力を集め…。
「『熱拳一発』ッッ!!!」
「ぐぉぁっっ!?」
弾き飛ばす、壁のように綺麗に整列した軍隊の一部をまるでスプーンで抉り取るように形を変え、数十人の兵隊を吹き飛ばし…悔しさに満ちた顔で拳を見る。
「クソッ!やっぱダメだ…まだガウリイルを壊せる程じゃない!」
この数日、彼はずっとガウリイルを倒せる拳の鋳造に勤しんでいた。技を磨き力を備え一撃を高める訓練をしていた…が、それは未だ結実の域にない。何かを掴みかけているのは事実なんだ。
だが…赤い電流を迸らせる自らの拳は、まだ真理を見出さない。もうガウリイルとの戦いが目の前だというのに…時間が足りなかった。
「クソッ!やれっ!絶対に押し止めろ!」
「やれるもんならやってみろ」
その瞬間ラグナは抉った軍列の中に踏み込み、自らを敢えて包囲させる…その一手で、封じられた。
「やられた…!」
歴戦の傭兵が叫ぶ、やられたと。ラグナにしてやられたと。
その答え合わせをするように周囲の兵達は思わず銃を下ろす。抵抗をやめたのか?違う、銃を下ろさずを得なかったのだ。
「魔弾カスパールだったか?それ、魔力防壁でも防げないしサイボーグの体も貫通するんだよな、威力が高すぎるせいで防げる物が何もない…だからこうやって包囲されちまえば、お前ら同士討ちが怖くて、迂闊に銃ぶっ放せないだろ」
ラグナは一人であると言う利点を最大に活かす。的が小さく迂闊に外せば後ろの味方に当たるかもしれない、さっきみたいに全員で撃てば全滅は免れない。
だから初手でラグナの接近を防ぐべきだった、それが出来なかった時点で…この戦いは。
「泥沼だ…」
傭兵が呟く、これはもう簡単には終わらない。被害も被ることが確定した…と。
「さぁ行くぜ…ッ!始めようや!お楽しみの時間をッ!!」
「クッ!前線部隊は熱伝導剣で応戦!銃撃班は高所からの狙撃に切り替えろッ!人数を活かして押し留めるんだ!」
「へぇ、判断が早え上に的確な奴がいるな…お前らだな!旅団は!」
「チッ!」
そこからの主導権はラグナが握った。一撃拳を振るえばその風圧と衝撃が無数の兵士を飛ばし、足を振るえば吹き飛んだ人間が砲弾のように周囲の人間を巻き込み、まるで人間災害だ。
そしてラグナはその過程で…。
「『熱拳一発』ッ!」
「ごはァッ!!??」
「…違うな、寧ろさっきより威力が落ちた。こうじゃないのか…」
試す、己の拳を。血が凍るような実戦の中で…急ぎガウリイル戦に備え技を研ぎ澄ませる。そうしている間にも整えられた戦列は崩れ…、この場は乱戦と化す。
「キィエエエエエエエ!」
「むっ!」
すると、乱れた軍列の中から一人の長身の男が両手に鎌を持って突っ込んでくるのだ、それにラグナも顔色を変え、両手で鎌を防ぎ火花が散る。
「お前、只者じゃないな」
「逢魔ヶ時旅団小隊長…『蟷螂斧』のグリサリュー!若手や実戦を知らない警備兵ではとても相手が務まらんと思ってな。お前も満足出来んだろう…こんな雑魚ばかりでは」
「へへへ、まぁな…ようやく強いのが出てきてくれて満足出来そうだ」
「私も…血が疼く!」
両手の鎌をクルリと回しカマキリのような姿勢で一気にラグナに飛びかかり、腕だけを動かす独特の戦法で超高速の掻き切りを繰り出すグラサリューに、ラグナは初めて足を後ろに引きながら受け手に回る。
(こいつ強え…!小隊長クラスでこのレベルかよ!)
逢魔ヶ時旅団は四年前のデルセクト戦でその数を半数近く減らしている。フォーマルハウト様とグロリアーナ司令の猛攻撃を受けて大多数が死んだのだ、だがそこを踏み越え生き残ったのはどいつもこいつも歴戦以上の超強者ばかり。
小隊長レベルでこの強さとは、ハーシェル一家よりも凄まじいかもしれん。
「ひょわぁっ!『ウインドスライス』ッ!」
「フッ!」
鎌の連撃に混じるように風の斬撃を加えるグラサリューを前に防壁を展開し攻撃を防ぐと共に、再び拳を握り…。
「『熱拳…」
「させるかッ!」
「ッと!?」
瞬間、背後から飛んで来た剛撃にラグナの体が揺らぐ。また新手が出てきた…!
「誰だ…!」
「逢魔ヶ時旅団小隊長『心眼』のジョラ…我が目は隙を見逃さぬ」
体の三倍はあろうかと言う巨大な鉄棍棒を握った女が、ギョロリと見開いた目を不気味に動かしラグナの背後に立つ、こいつも小隊長か…!
「お前の相手は、一般兵では荷が重いようだ…」
「何より、こんな美味そうな奴を戦争のせの字も知らない奴に任せるなんて勿体無い」
「逢魔ヶ時旅団の名を背負う者として、ここで引いてちゃ今後の商売にも影響が出るってもんだ」
「………なんだ、居るじゃねぇか。歯応えのある奴が!」
続々と軍列から現れる傭兵団にラグナはちょっと表情を変える、想定していたよりも手強い…ハーシェルの影上位層くらいを想像していたが…これはそれ以上だ。殺し屋と傭兵は違うって事か。
だが…抜けない程じゃ。
「やはり来たか…ラグナ、お前の動きは読みやすい…」
「イッ…マジか…!」
しかし、そうも簡単に行かないとばかりに…隊列の中から現れるのは。
「ガウリイル…もう出てくるのか」
「お前達が今日動くのは分かりきってたんだ…なら、勿体ぶる必要なんかないだろう」
ガウリイルだ…、小隊長達と一緒にガウリイルが出てきたのだ。いや…まぁそうだろう、一番強い奴が一番後ろに控えて全員やられてから出てくる必要はない。他の部下と一緒に戦った方がいいに決まってる…けど。
(参ったな、周りは雑魚ばっかじゃねぇ…こんなのと一緒にガウリイルを倒すの、いけるか?まだ拳が完成してないのに)
「さぁ、やるんだろう?ラグナ・アルクカース…なら相手になるぞ、逢魔ヶ時旅団がな」
こりゃあ…簡単には行きそうにないな。
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「あー、お客さん不運だねぇ。折角理想街に行こうってのに…今日大雨らしいよ。でも行くのかい?」
「…………………」
ラグナ達が戦いを始めた頃、マレウス西部の平原を行くチクシュルーブ行きの馬車の中…御者が馬車の中に乗り込んだ一人の客に対して聞いていた。
今日は大雨だ、遊びに行きたい気持ちは分かるがそれでも雨の中じゃ楽しさだって半減だろう。ならもう少し待ってからでも…と言いたかったが、馬車に乗った軍服の女はパラパラと本を読みながら黙って答えない。
「まぁ、金は貰ったから馬車は出すけど…今日はチクシュルーブも休業だよ、行っても楽しめないよ?本気で行くのかい?」
「構いません、出してちょーだいな」
「は、はぁ…」
こんな日に一体チクシュルーブに何をしに行くと言うのか。そう御者は頭を掻きながら席に乗り込み、馬の手綱を握り馬車を動かし始める。
にしても…。
「お客さん、ところで…その服って軍服だろう?けど見たことないデザインだな、マレウスのじゃないのかい?」
「……………」
本を読む軍服の女が着ている服は、少なくともマレウスの軍服ではない、見たことのない黒い軍服…身なりもそれなりにいい。一体何処の誰なのか…そう聞いても女は答えない。
もしかしたら聞かない方がよかっただろうか…。
「あーえっと…そのさ、チクシュルーブは休業だけど…」
「でも中には入れるんですよね」
「え?ああ…どうかは分からんけど、入れるとは思うよ?一応街だし…」
「ならいいかなぁ」
犬の牙のような歯を軽く見せ笑う女に、ますます不気味さを覚える。一体何をしに行くんだ…とよくよく女の手持ちを見てみると。
彼女の腰には筆と紙が…あれは絵を描くためのものではなく、文字を書くためのもの。
「ああ!わかった!お客さん小説家でしょう!それでネタを探しにチクシュルーブに!」
って自分で言ってて頭おかしくなりそうだ、なんだよ軍人で小説家って…そんな奴この世にいるわけがない。そう思っていると女はまた愉快そうに笑い本を閉じながら自らの顎を撫で…。
「まぁ、強いて言うなれば…あれですかね」
「へ?」
「用件ですよ、気になるみたいだし…言っておこうかなって」
すると女は鼻の上に乗せた小さな眼鏡をくいっと動かしながらこちらを見て…。
「旧友に会いに行こうかなってね、チクシュルーブに居るんですよ…オウマって言う、私の旧友がね」
「へ?」
女は見る、チクシュルーブに居る旧友の姿を…そして彼女は───。




