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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十六章 黄金の正義とメルクリウス
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553.魔女の弟子と懲罰隊


アマルト達が地上にて情報を集めている最中、大地よりも更に下…地下も地下、硬い岩盤を何枚も潜った下に存在する穴。


理想街チクシュルーブで、理想を追い求め過ぎた者達が落ちるとされる落人達の街…フレデフォード悪窟街が理想街の地下には存在する。


いくつもの大きな空洞が連なるように出来たチクシュルーブの地下は理想街全土に渡るほどに巨大であり、既に地下には数十万近い人間がいるとされており、そんな彼らの為の街であり、そんな彼らが住まう街こそがフレデフォード悪窟街なのだ。







輝く理想街の汚点たる悪窟街…、常に息苦しさを感じるこの街の一角の工場で仕事に励む女がいる。


「はぁ〜〜〜」


ハンチング帽の鍔を指で上げながら彼女は上を見遣る。今日で大体一週間…か。


「未だ成果は無し…、いや正確に言うなら…そんな暇無し、と言ったところか」


彼女の名はメルクリウス…栄光の魔女の弟子メルクリウスだ。一週間前オウマを出し抜き悪窟街に転がり落ちて、色々あってこの街で働きながら色々探ろうと思っていたのだが…状況も成果も芳しくない、と断言出来てしまう。


「くぅ〜肩凝りが酷い、メグがいれば直ぐに揉んでもらえるのに」


私はこの街で何かの部品を作る工場で働くことになったのだが、これがまた重労働なのだ。一日中よく分からない部品を組み立てる、これがなんの部品か聞いても社長も分からないと言う。


そんな仕事を既に一週間は続けている。一日中下を向いて作業していれば肩も凝る…、いつもなら仕事の疲れはメグが癒してくれるのだが…今ここにはいない。


というか。


「メグ達は…無事だろうか」


上を見上げる、メグ達は今地上にいる。私が無理を言って地上に残ってもらった、ここも酷い環境だが危険度で言えば地上はこの比ではない。だが上にいるのはラグナとアマルト、メグにネレイドと皆頼りになる者達ばかりだ。


きっと、地上でも成果を上げているだろう。なら…。


「私も…弱音ばかり言ってられないな」


エリスの真似をして両頬を叩き気合を入れる。よし!やるぞ!


「しかしこの部品…最初は何かわからなかったが…これ」


私の仕事は工場での組み立てだ、鉄の部品の入った箱からそれを取り出し組み合わせて別の箱に入れる。これ私がやらなくてもいい仕事だよな…と思いつつも取り敢えずお金が必要なのでやるしかないのだ。


ともあれこうして一週間近く部品を触っていて分かった事がある。これは銃の部品だ…デルセクトで取り扱っている物と規格が違うから分からなかったが…。


(にしても、酷い出来だ)


銃のパーツだと分かると途端にこれが劣悪な物であることもわかる。大きさも微妙に違うし、こんなもん使って銃ぶっ放したらその瞬間銃が爆発しそうだ。


けど、ソニアがそんな出鱈目な物を売るだろうか。この工場はソニアの管轄…ならこれはソニアの売り物。ソニアは悪人だが兵器開発に関しては決して手を抜かなかった、デルセクト時代も最高品質の物ばかり軍部に提供していた、だからこそ奴は軍部で幅を利かせるだけの影響力を持ったのだから。


そんなソニアが、こんな物を…一体何処の誰に売るつもりなんだ?


「精が出るな、メルクリウス」


「あ、ローン社長」


ふと、声をかけられ私は立ち上がり一礼する。目の前にいるのはローン社長、ここの工場の工場長兼経営を執り行う社長、そして私を除けば唯一の作業員だ。


「お前が来てくれて助かってる、ここに落ちてくるやつはどいつもこいつも不真面目だからな、すぐパーツをくすねやがるからクビにせざるを得ないんだ」


「いえ、当然のことです」


「…ますますなんで地下に落ちてきたか、分からないな」


そう言って社長もまた機材を動かし、鉄材を加工する作業に移る。あちらは私がやっているのより一層専門的な仕事だ、そもそも機械の動かし方を知らない私ではまだ任せられないと社長は言っていた。


「お前のおがけで、最近は定時に帰れてるよ…ありがとな」


そう言いながらタバコを蒸し、黙々と作業を続けるローン社長。彼には今妻と子供がいる、地下で出来た子供と伴侶だ、もともと盗人をしていた彼はこの地下で愛する人と出会い、更生する道を選んだ。


自分を構成させてくれた妻と子供を愛しているからこそ、彼は仕事に励むのだが…どうしても一人でやっていると時間がかかり、私が来るまではかなり遅くまで残って仕事をしていたそうなのだ。


私がここにきた日も一人で工場に残っていたしな。盗みを働いていたものの…生来真面目な人なんだろう。


「はい、もうひと頑張りですね」


「ああ…そうだ、そういえば今日はあの日だったな」


「あの日?」


すると、社長はニッと笑いながら…。


「給料日だよ」


そう、言うのだった。


……………………………………………………


「ただいま帰ったぞ」


開くだけで軋むような音がするボロい扉を開けて薄暗いシャナ婆さんの家へと帰る。ただそれだけでなんだか懐かしい心地がするとメルクはやや感傷に浸り玄関口で佇む。


今でこそ世界一の富豪と私は呼ばれているが、昔はこんな風に地下に住まう極貧生活をしたものだ。あの時は家に帰るのが嫌だった…家に帰っても何もなく、誰もいない。


寂しさを寂しいと感じる事もなくなる程に、私は長くあの地下で過ごしていた。故にこそ、今この状況に対しても嫌悪感というか…そういう悪感情ではなく、懐かしさを覚えてしまうのだろう。


だが、今と昔で違う点があるとするならそれは、今の私は一人ではない…という事だろう。


「おかえりなさいメルクさん!」


「おかえりー、今日もお疲れだね〜!」


「ああ、先に帰っていたか。デティ、ナリア」


私と同じようにボロい服を着たサトゥルナリアとデティフローアが出迎える。この子達は私の親友にして共に戦う仲間だ、今もこうして地下で共に行動しているのだが…。


どうやら二人は先に仕事から帰ってきていたようだ。


「メルクさん!今日僕お給料出ましたよ!」


「それは良かった」


ナリアは今街の酒場で働いている。はっきり言って非常に下劣な酒場だ、場末と言う言葉さえ生ぬるい程下品で下劣な酒場で彼はウエイトレスとして働いている。


ディオスクロアで一番の大スターがやる仕事ではないのだが、どうやら彼は私と同じようにかつて極貧生活を経験したことのある身らしく、上手く立ち回り見事に数日で立場を確立したらしい。相変わらず〜器用な子だ。


「私もぼちぼちかなぁ〜、手を汚してお金をもらうなんてはじめてだよ〜」


対するデティフローアは私とナリアと異なり生まれながらにして高貴な身分の子だ。五歳の頃から魔術導皇をしていた彼女にとって労働とは初めての経験であり、極貧生活というのも慣れない物らしい。


そんな彼女は今靴磨きの仕事をしている、天下の魔術導皇が靴磨きをしていると聞いたらステラウルブスのみんなは泡を吹いて卒倒するだろう事は想像に難くない。


「そうだな、私も久しぶりだよ…エリスは?」


「もうご飯作ってるよ」


「……そうか」


思わず胸が高鳴る、この何もない地獄のような地下世界において唯一の楽しみと言える食事。私は食事が大好きだ、そして大好きにさせてくれたのがエリス…彼女だった。


確かに味と言う一点で見ればアマルトが勝るだろう、多彩さで言えばメグが勝るだろう、エリスは飽くまで自己流で磨いてきた技術故にしっかり勉強した二人に比べると一段劣る部分がある。


だがそれでも、そんな二人にエリスが勝てる点がある事を、私は知っているのだ。


「ただいま帰ったよ、エリス」


「んん?アンタも帰ったかい」


「む、シャナ殿」


エリスに会う為ダイニングに向かうと既に家主の老婆シャナ殿が机について暇そうに本を読んでいる。一応助けてくれた恩人であり、同時に今私達が働く羽目になっている原因とも言える彼女に対し、私は少し顔を歪めてしまう。


いや分かっているんだ、この地下で生きていくには働くのは当然で、家を貸してくれているだけありがたいことなど分かってるんだが…、どうしても彼女の態度がソニアと重なると言うか。


「おかえりなさいメルクさん、もうご飯出来てますよ」


「エリス!」


するとキッチンから鍋を抱えたエリスがやってくる、エリスだ!しかもいい匂いを漂わせている!あれは間違いない!


「シチューか!」


「ええ、メルクさんなら気づいてくれると思ってましたよ」


そう言ってドンとテーブルに置かれるのはなんとも芳しい匂いを漂わせるシチューだ、かつて私が食べた物と同じエリス特製サバイバルシチュー…私の大好物だ。まさかまだ食べる事ができるとは。


しかし、対するシャナはシチューを見るなり顔をしかめ。


「アンタ、どうやってこんなシチューなんか作ったんだい…。この地下でここまで上等なシチューを作るなんて、余程金でも使ったのかい」


フッ、いつぞやの私みたいな事を言っているよ。確かにこの地下でこんなにいいシチューを食べてるやつはいないだろう、用意しようと思うとそれなりに金を使わねばならない。


が…違うんだよ、シャナ殿。エリスは違うんだ。なんせこのシチューは。


「いえ、この辺のゴミ捨て場から拾ってきた端材や魔獣の肉を使って作ったのでそんなにお金はかかってないですよ。精々牛乳とお酒くらいですかね?それも安い奴」


「嘘だろ…、ゴミ使ったのかい!?」


「勿論食べられる奴ですよ、例えば野菜の皮…これを煮込んでブイヨンの代わりにして味を取り、魔獣肉を酒に漬けて柔らかくして、色々と味を整えれば完成です」


「ふむ…、なるほどね。まるで金欠冒険者みたいな料理法だね」


そう、エリスがアマルトとメグに勝る点があるとするなら『如何なる状況下にあろうとも一定以上に美味いものが作れる技能』にある。これこそが彼女のサバイバル料理術。この場にエリスも一緒に居てくれる事が唯一の救いと言えるだろう。


「エリス、食事にしよう」


「はい、それより職場の制服を脱ぎましょう。汚してしまうと大変なので」


「あ、ああ」


しかしこの子は昔から変わらないな…。


「わーい!エリスちゃんのシチューだー!」


「僕もうお腹ぺこぺこ!」


「ふんっ、アタシの分はあるんだろうね」


「みんなの分ありますよ、さあさあ食事にしましょう」


一日の労働を終え、家に帰るとエリスがいて。料理も何もかも済ませて待っていてくれている。幸せだ、山のような金貨を稼ぐことより、如何なる事業を成功させるより、幸せだ。



私達の前に皿一杯のシチューが注がれ渡される、同時にいつかの萎びたパンを軽く焼いて風味を復活させたパンも一緒に出てきて…本当にいつかのメニューが再現される。


「うひょー!美味そー!」


「シャナさんもどうぞ」


「ふん、硬い肉は要らないよアタシは。歯が抜けちまう」


「ん、では頂こうか」


そうして私達はボロくかび臭いダイニングで小さい机を囲み食事を取ることになる。これが私達の日常だ、もうこんな生活を一週間近く続けている。


「エリスちゃん、このパン美味しい、カリカリしてる」


「うん、シチューも濃い。いいですね」


「流石はエリスだ」


「えへへ」


それでも私達四人ならば、どんな状況でもやっていける。かつてのように一人で闇の中で食事を取るだけではないのだから…すると。


「ところで、あんた達がここに来て七日が経ったけれど…金の用意は出来てんだろうね」


ふと、水を差すようにシャナ殿が口にする。金の用意…つまるところ家賃だ。ここに住まう限り私達は一人1500ラールを支払う約束をしているのだ。これが破られた場合シャナ殿は私達の素性を公表した上で追い出すと言っている。本気かはわからないが…やりかねない話ではある。


だから私達は皆職を見つけたのだが…。


「ああ、一応1500ラール用意することは出来た」


「僕もです」


この街の給料の支払いは七日に一回だ、何故かは知らないが恐らく地上でソニアが制定した決まりが地下にも影響を及ぼしているんだろう。


そして私達の手元にはキチンと、金はある。私の給料は一回1600ラール、手元には100ラールしか残らないが…まぁいいだろう。


「エリスも用意出来てますよ」


「ふん、お利口だね…それで?チビ、あんたは?」


「ち、チビじゃないやい!けど…私…900ラールしか稼げなかった」


「何ィ…?」


ギロリとシャナ殿が牙を剥く、デティの手元にはたったの900ラールしかない…それも10ラール硬貨ばかり。


確か、デティがやっていた仕事は…靴磨きだったな。


「デティ、靴磨きは一回何ラールで請け負っている」


「30ラール」


とすると七日に50人程の靴を磨かなければならない、一日7人程の靴を磨いてようやく1500ラールだ。それは些か厳しいな…、靴磨きの少年なんか街では溢れてるし競争率も激しい。ましてやデティは新参の部類…勝手も分からない分他より不利だ。


それで900はよくやった方だが…。


「約束は守れなかったようだね、ならもうこの家に居ることは許さないよ!」


「そ、そんな…!」


「アンタはアタシに金を払う約束をした!そしてアタシはそれができなければ追い出すと約束した!アタシは約束は守ると言っただろう!」


「でも…」


参ったぞ…、これは。どうやらシャナ殿は本気のようだ…だが私の余剰分ではデティの不足分は。


「あ、なら僕が払います。600ラールですよね、ありますよ」


「何?」


「はい、これで1500ラール。これで良いですよね、一人1500ラールを払うってだけで一人が1500ラールを稼がなきゃいけないルールはないはずですから」


「…………まぁ、アタシは金がもらえりゃなんでも良いよ」


「ナリア…?」


なんで悩む暇もなくナリアはポケットから600ラールを出して事を納めてしまったのだ。いや…1500ラールを払った上で600ラールを払える余裕もあると?と言うことはナリアの給料は少なくとも2100ラール?そんな高給…聞いたこともないが。


「うぅ〜、ナリアくんごめんねぇ〜!絶対返すから〜!」


「あはは、良いんですよ。たまたま持ち合わせがあっただけなので」


「…フンッ、それでエリス、アンタは?」


「あ、エリスもありますよ。1500ラール…これで良いですか?」


「キチンあるね、ならまた七日間滞在しても良いよ」


そうしてエリスも1500ラールを支払い、私達は再び平穏無事な七日間を買い付けることに成功した。エリスの仕事は…なんだったか、本人が頑なに言わないから知らないが、まぁ彼女なら大丈夫だろう。


にしても…。


「またこんな七日が続くのか…」


「うぅ、私靴磨きばっかで全然情報収集出来てないよぉ」


「僕も酒場の人たちの話を聞いてますけど、有用な話はないですね…」


金を稼ぐと言う第一目標があるせいでここに来た本来の目的である捜索が二の次になっている感が否めない。恐らく最もソニアの目的に近い位置にいるであろう工場勤めの私でさえ何も掴めていないのだ。他のみんなが簡単に何かを得られるわけがない。


「一応エリスはこの地下の世界を巡ってみたんですが…」


「何?いつだ」


「仕事終わりに旋風圏跳で軽ーくぐるーっと回ったんです」


なんてバイタリティだ…仕事終わりにこの街どころか地下世界全体を?思えば彼女が戦闘以外でバテているところも疲れているところもあんまり見ないな。


そう言えば以前デルセクトで一緒に戦っていた時も、彼女のあり得ないレベルの行動力に助けられたこともあった。こう言う極限状況ではエリスの行動力が心底頼りになるな…、オライオンでの強行軍に一緒にいてくれたらさぞ頼りになっただろうな。


「それでどうだった?」


「まず一言で言うとメチャクチャ広いです、多分ですけど理想街チクシュルーブと同じかそれ以上に広いです」


「そんなにか?」


「はい、巨大な空洞がドーナツのように広がっているんです」


「真ん中だけ空いてるってこと?」


「この場合は逆だろう」


エリスは手元の紙にグルリと円を描き、真ん中に黒い丸を描く。この説明書きはよく分からないがつまるところこの洞窟は真ん中に巨大な柱のある円形の空洞ということ。


逆ドーナツと言うことだな、なるほど。


「そしてこのドーナツ型に広がった洞窟にギッシリ街が広がっています。どこが特別栄えてるってこともなく全部一律で貧しいですね」


「なるほどな、それで…怪しいものはあったか?」


「ありません、何処にも」


だろうな、そんな怪しいものを目立つ場所には置かない…となると、考えられるのは。


「ならここが怪しいな」


私はエリスの書いた円の真ん中、黒く塗りつぶされた場所を指す。つまり…。


「ん?ここが逆ドーナツ型の洞窟なら真ん中には何もない…強いて言うなれば岩盤しかないんじゃないの?」


デティが言う、確かにその通りだ。私の差した場所には何もないだろう、だが…考えてみろ。


「この地下空間はチクシュルーブと同じサイズなのだろう?ならチクシュルーブの地図を応用すれば何処に何があるか大体分かるはずだ」


「え?ってことはこの真ん中の何もないところには、えっと…あ!居住エリア!」


「そう、つまりここはソニアの足元だ、奴は本当に見せたくない物は自分の領域内で完結させる」


以前デルセクトに蔓延していた違法薬物カエルムもソニアは自身の領地内で作っていたし、作り上げた兵器も自分の城で管理していた。アイツは根本的な部分で誰も信用しない、だからきっとその地下に最も見られたくない物があるはずだ。


「だからここを探れば良い…だが」


「はい、エリスもそう思い岩壁を調べてみましたが入り口は見当たりませんでした」


「はぁ、やはりか。そりゃあ出入り口なんか作るわけないか…さて、どうしたものか」


腕を組み、考える。きっとソニアの言っていたヘリオステクタイトの製造場所はここだ。ここに行けばヘリオステクタイトを破壊するなり抹消するなり出来るはずだが…当然だがここから行くには難儀しそうだ。


だが地上から向かうより幾分は楽なはず。何か必ず方法があるはずだ。


「まぁ…なんでも良いけどねぇ、アンタ達気をつけなよ」


「へ?」


すると、そんな会議に首を突っ込むようにシャナ殿がため息を吐き。


「アンタ達がチクシュルーブに弓引こうってのはなんとなく分かるさ。けどね…アイツはそんな生半可な奴じゃないし、何よりここだって別に安全じゃない、『懲罰隊』に見つからないよう気をつけな」


「懲罰隊?そんなのがこの街にいるんですか?」


「居るに決まってんだろ、地下に落としたら後は野放しで仕事させると思ってんのかい?あのチクシュルーブが、きちんと見張りはいるよ…この『地下製造エリア』を管理する第六のエリアマスターがね」


第六のエリアマスターだと…!?ディランの話ではエリアマスターは五人では…って。ここの事を話すわけないか、と言うことはあと一人いるのか…敵の幹部格が。


「名を、聞いても良いか」


「エクシト…地下製造エリアのエリアマスターの名はエラリー・アンズリベンジ。別名『正義の使者』だよ」


「正義だと…?」


「ああ、丸眼鏡の嫌味な男さ。だが油断ならない男さ、奴が率いる懲罰隊に見つかったら…アンタらやばいんだろ、なら精々見つからないようにしな」


「……ああ」


正義の使者…エラリー・アンズリベンジか。地下にも逢魔ヶ時旅団の手が広がっているとは、しかしエラリーなんて男…居たか?少なくとも三年前にはそんな奴は居なかったぞ?デルセクトとの戦いで損耗した人員を補充した際入った新米か?


分からん、だがシャナ殿をして油断ならないと言うのなら相当なのだろう。見つかれば私達生存がバレて地下での活動が出来なくな────。


『シャナ・シードゥス!居るのは分かっている!検閲だ!開けろ!』


「なっ!?」


その瞬間、家の扉が乱雑に叩かれ外から怒号が響く。検閲…そんな言葉と共にもたらされた衝撃は私達の間に駆け巡り…。


「チッ!こんな時に!アンタ達、食器持ってそこの戸棚に隠れな!」


「シャナ殿、これは一体…!」


「話は後だよ!死んでも出るなよ!」


そう言うなりシャナ殿は私達四人を大きめのクローゼットの中に押し込んで隠してしまう。問答無用と言ったところか、あのシャナがここまで慌てるとは…まさか検閲とは。


そして慌てて玄関口に向かったシャナ殿は扉を叩いた者達の所へ向かい……む、足音が複数こっちに来る!家に押し行ってきたのか!?


『……おや、お食事中でしたか?』


「そうだよ、飯時に来るんじゃないよ。ババアの数少ない生きる楽しみなんだからね」


「おやおや、それは失礼しました、フッフッフッ」


カツカツと靴の硬い音が廊下に響き、ダイニングにシャナと共に入ってくる連中がクローゼットの隙間から見える。私はデティとナリアを抱え込み、エリスには少しスペースを開けてもらい…外の様子を伺う。


すると、既に私達が食事をしていた狭いダイニングには五、六人の黒服達が銃を構えて立っている。もしかしなくても逢魔ヶ時旅団だ…とすると奴等が件の懲罰隊?


いや、一人服装が違うのがいる。黒服達と違い…黒のなめし革のコートを着た、眼鏡の男性だ、尖った顎にオールバックの髪、そして人をナメたような鋭い眼光を持った如何にも冷酷そうな男が、黒服達を代表して…ダイニングを見回している。


奴は…まさか。


「それでぇ、エラリー…なんの用だい」


「いえいえ、大した用事ではないのですよ」


(エクシト…!?)


やはりあの男がエラリー!懲罰隊を率いて街を監視する逢魔ヶ時旅団の幹部!何故奴がいきなりこの家に…まさか、見つかったのか?私達が。


「大した用事じゃないなら帰ってくんな!シチューが冷めちまう!」


「ふむ、シチューですか。これは貴方が作ったもので?」


「そうだよ、なんか文句あるかい」


「いえ?別に。しかしシチューですか、私の祖母もシチューが大得意でしてね。この芳しいミルクの香りを嗅いでいるとありし日の幼少期を思い出します。また祖母の人参がゴロゴロ入ったシチューが食べたい物ですねぇ…」


エラリーは机の上に残ったシチューの鍋とシャナ殿の分の皿しか残っていない机を見て、思い出に耽るようにウンウンと頷いて微笑むのだ。それに対して腹を立てたシャナ殿は…。


「アンタのクソどうでも良い昔話なんて興味ないね!帰りな!」


「そうはいきません。実は少し前に私達が追っている者達が地下に逃げ延びた可能性がありましてね?私達はそれを追っているのですよ、この家に潜伏しているのでは?と考え…こうしてお邪魔したわけですが」


オウマの奴…やはり私達が死なずに地下に逃げている可能性を考えていたか。それで懲罰隊のエクシトを使って私達を探させていると。これは面倒なことになったぞ。


「はぁ?でなんでババアの家に上がり込むのさ、探してるなら指名手配でもすればいいだろ!」


「指名手配したら、偽物が乱出しますからね。金欲しさに私達に偽物の魔女の弟子を突き出す輩がこのゴミ溜めには山ほど居ます。指名手配とは…善意の第三者がある一定の民度と良識を兼ね備えている場合にのみ機能する。ここではそれも望めない」


「ハッ、よく分かってんじゃないかい」


「ええ理解していますとも、ここにいるゴミ達の思考はね。だから偽物を突き出す奴もいれば…本物を匿うような奴も、きっといるはずです…」


「それがこの家にって?バカだね、アタシが他人の面倒を見ると思うかい?」


「例えば金銭の取引があった場合は?お前達を匿い正体を隠す代わりに金を寄越せ…くらい貴方なら言うでしょう」


「バカバカしい!そんな下劣じゃないよ!アタシは!」


おいおい…かなり読まれてるぞ、そしてその上シャナ殿の二枚舌も凄まじい。まるで嘘をついている気配がない、これにデティ達も騙されたのか…!


「ふむ、嘘をついている気配はありませんね」


「つく必要のない嘘だからね」


「ですね、ですが貴方も元は『伝説』と呼ばれた者の一人…。息を吸うように嘘を吐く事も造作もないだろう」


「ハッ、だったらなんだってんだい!」


「例えば…」


チラリとエラリーは机の上のシチューを見て、そのまま姿勢を入れ替え鍋を覗き込み観察すると。


「ほらこれ、シチューの跡がこんなに高いところにある。なのに今シチューは鍋底ギリギリまでしかない…という事はこれは鍋いっぱいにシチューを作っていたという事、そしてそれはこれだけの分消費された…、貴方…お一人で食べたので?」


「…言ったろ、食事はババアの唯一の楽しみだってね」


「貴方がそんな健啖家だとは知りませんでしたねぇ、或いは…他にも居たのでは?ここに」


エラリーが周囲に目を走らせる、私たちもまたただでさえ小さくしていた魔力をより一層小さくする。まずい…こいつ、確かな確信を持ってる…本当に油断ならないぞ。


「…私達は数日の間この街を捜索しましたが対象は見つからなかった、誰かが匿っているとしか思えない、そして匿うだけの余裕がある人間も多くはない…シャナさん、正直に言っていただけませんか?」


「知らないね、知らないことは言いようがないよ」


「…あまり手間取らせないで欲しい、ただでさえ『ルビーギャング』が街に蔓延っているのに、私達は余計な仕事が増えて困っている…だから、ねぇ?問答はやめにしましょう」


するとエラリーは近くの椅子に手を置き、そのまま背もたれを容易く握り潰し、周囲の部下達も銃を向ける。 


「ッ…!」


(待て、エリス…!)


その瞬間、エリスが動き出しそうになったのを止める。待て待てエリス!今出ていってどうする!


「うん?…今物音が…?」


(ヤバっ…ッ!)


そして、その音を聞き逃さなかったエラリーがこちらを見て───。


「エラリー!アタシを殺すつもりかい!アンタにアタシが殺せるかい!」


「………」


しかし、咄嗟に声を上げたシャナ殿の言葉に…エクシトは止まり、クローゼットからを目を外しシャナ殿の方を向いて。


「ええ、案外容易く殺せると思いますが」


「…第十三魔蒸機関……」


「……なんですか?」


「第十三魔蒸機関に今不備が出ている、あれを治すのには相当腕利きの技術者が要る。他のバカが弄ったら機関が纏めて爆発して地上にも大災害が起こるかもね」


「……………」


「それでもアタシを殺すなら、好きにしな。まぁ殺した後直ぐにこの街から立ち去ることだね…アンタ達も死ぬことになるだろうから」


「………クソババアが…」


チッと小さく舌打ちをしたエラリーは手を振り部下達に銃を下ろさせる、そして彼は苛立ちを隠す事もなく…。


「分かった、今はお前を信じましょう。もし見かけたら私に連絡するように」


「ああ分かったよ、ならとっとと帰りな。小坊主」


「フッ…、…全く。このゴミ捨て場にはロクな人間がいやしない、常識も教養も無い、礼儀も口の利き方もなってない…そんなのばかりでうんざりしますよ」


クツクツと笑いながら肩を揺らし、部下たちを退散させるエラリーは…肩越しにシャナ殿を睨むと…。


「低脳は、どこまで行っても…いくら生きても、低脳のまま。無駄に生き長らえるゴミは限りある人類資源を浪費する…癌と呼べる存在だ、あなたもそう思いませんか?」


「ハッ、何が言いたいんだい」


「我が使命を痛感しているだけですよ、私は…エリートとして、ゴミ捨て場に溜まるゴミを、滅却する使命があると、貴方を見て再度確認しただけですよ」


瞬間、振り向きざまに腕を振るったエラリーはシャナ殿の頬を叩き据え…。


「ぅグッ…!?」


(ッ…!止めろ!エリス!)


瞬間、外に出ようとするエリスを止める為私は彼女を羽交締めにするのをやめ、腕でその首を締め上げホールドする。やめるんだエリス!エラリーは試しているんだ!


「う…うぅ」


「ふむ、今度は物音がしない…か。アテが外れたか…まぁいい」


シャナ殿を侮辱し傷つけ、隠れている私たちの反応を窺っているんだ!今動けば奴の思い通りだ。だから耐えろ、エラリーが去るまで待て…待つんだ。


「フッ、面倒な仕事を押し付けられた。ゴミ掃除も楽ではありませんが…これも世のため人の為、善なる奉仕活動の一環と思うことにしましょう」


口の端から血を流し、項垂れるシャナ殿に一瞥もくれずに満足した様子のエラリーはコツコツと靴音を鳴らし、立ち去っていく。その魔力をデティに追わせ…十分に離れた事を確認した後、私たちはクローゼットの扉を跳ね開け。


「シャナさん!」


「大丈夫ですか!シャナさん!」


「今治癒で治すから!」


「あ、あんた達…」


慌てて倒れるシャナ殿に駆け寄るエリス達、彼女はいくら気丈に振る舞おうとも既に老齢だ、今の一撃は堪えただろう…。デティはすぐにシャナ殿に治癒魔術をかけ、その傷を癒してやる。


するとシャナ殿は口から血の塊を吐き出し。


「ペッ、何してんだい。バカだね、アタシの心配でもしてたかい、アタシはね…あんたらの味方じゃないんだよ」


「かもしれませんね、けどエリス達は…貴方の味方になる事を決意しましたよ。貴方の対応を見て、エリスは少なくともそう思いました」


「シャナさんは、僕達を必死に庇って守ってくれたじゃないですか」


「大馬鹿だよ、そんなもん金のなる木だから手放したくなかったに決まってんだろうに」


「金のなる木の為だけに、貴方は危ない橋を渡ったんですか?…懲罰隊の存在を知る貴方なら、エリス達を庇うリスクの大きさだって理解していたはずです」


「……………」


シャナ殿はこの地下世界に精通している。エラリー達の存在を知らないわけがない、奴らがどれだけ恐ろしい存在かも…知っている。それなのに私達から1500ラールを巻き上げるためだけに懲罰隊から目をつけられるような真似をするだろうか。


少なくとも、彼女は疑われても銃を向けられても殴られても、私たちの存在を口外しなかった…絶対に。


「…言っただろ、アタシは約束を守る。金をもらう限り…アタシはあんた達の存在を公にしないってね、アンタ達は約束を守ってアタシに金を払った…なら、その対価をアタシも払わなきゃフェアじゃないからねぇ…」


「シャナさん…」


「けどいざとなったらあんた達達なんかトカゲの尻尾みたいに切り捨ててアタシはトンズラこくよ。それが嫌なら精々エラリーに見つからないように上手く立ち回りな」


そういうなりシャナ殿は痛そうに腰を叩きながら立ち上がり、私達に食器を洗う事を命じてフラフラと自室へと消えていく。


…ただの守銭奴クソババアかと思ったが、彼女なりに譲らぬルールがあるようだ。ならば信用出来る、あの手の決して自分を曲げない人間には如何なる利害関係でも結ぶことが出来る。


或いは、背中を預けても問題なさそうだ。


「シャナ婆さんっていい根性してるよね」


「ですね、いい人…ではないのかもしれませんが。僕としては信用してもいいかのなって思います」


「……シャナさんは甘えを許さないだけでしょう。エリス達が甘えない限りシャナさんもエリス達を見捨てない…なら」


「今はあの御仁を頼るより他ないだろうな、…さて」


シャナ殿がどこまで私達を守ってくれるかは分からない、だが少なくともある程度守る意思はあるようだ。ならばそこは信用するとして。


「明日も仕事だ、今日はもう休もう。食器は私で洗っておくよ」

 

「メルクさん洗い物できるの?」


「バ、バカにするな!それくらい出来る…学生時代は洗い物くらいしてただろ」


「それ以来じゃん、まぁ私もだけど…はぁ〜それにしても何か考えないと、私だけ1500稼げてないし…今の課題は…ブツブツ」


「すみませんメルクさん、僕ももう限界なので…休みますね」


「ではお願いします、メルクさん。えっと水は…」


「錬金術で水だろうが洗剤だろうが作れる、エリスも休め」


「分かりました、では失礼します」


みんなを一旦休ませる。私はまだ休む気にはなれないから…。


(正義の使者エラリーか……)


私達の前に現れたあの男。恐らく今後我々の障害になるであろうあの男の言う言葉…まるでこの街の人間を見下し嘲るような視線。あの目を見ていたら…心が掻き乱されたのだ。


(……或いは私も、エリスのように怒るべきだったのだろうか。私も飛び出して行くべきだったのだろうか)


ソニアがいて、地下に落とされて、極貧生活を強いられて、まるで私はあの時の軍人時代に戻ったかのような状況に置かれた中で…一人私の精神は揺るがず不動だった。


昔の私ならエラリーを許さなかった。あの時の私には確たる正義があった。だが今の私はある程度の悪は許容し巨悪にのみ目を向けるようになった。


それが間違っているとは思えない、だが…単に思うんだ。


(大人になってしまったんだな、私も…)


なんだか、妙に落ち着き始めてしまった自分に、若干の寂しさを感じて…私は。






……………………………………………………


そして、次の日のこと。またいつものように仕事に出掛けたエリスちゃん達を見送るデティは昨日からずっと考えていたこの無理難題について…今も思考し続けていた。


「うーーーむ、どうすっぺか」


ガヤガヤと騒がしい街の通りの脇に座り、木の台と布を手に地面に座り込むデティは通りを歩く人々を呆然と見遣り腕を組み考える。


私は今、靴磨きの仕事をしています。魔術導皇たる者が靴磨きなんて仕事に身をやつしているとしれば先祖代々の御霊の皆々様がさぞ嘆き悲しむだろうが、仕方ないことなのでそこは別によしとする。


問題は、私が全然稼げていないと言う事実。


(昨日はナリアさんに600ラールも立て替えてもらってしまった。エリスちゃんからは1000ラールをもらっている。現状…私一人でマイナスの収支しか出してない)


一回30ラールの靴磨きでは到底七日で1500ラールの売上を出すことができない、出来る人もいるのだろうが初心者の私には無理なのだ。しかし無理を無理で終わらせては私は一生足手纏いのまま。


今みんなぎりぎりの生活をしてるんだ、私ばっかり足を引っ張っていいわけがない。しかし…。


「なんとか稼がないとなのに〜…」


今日はもう数時間ここにいるのにお客が入らないのだ。その代わり私と同じ通りに待機している靴磨きの少年達のところにはホイホイ客が来る。


これきっと信頼。靴磨きとは仕事に向かう紳士が限られた時間で身嗜みとを整えるツールの一つ、つまりそもそも失敗は最初からあり得ない。だからある程度実力が分かったところに依頼する。


それともう一つ。


「ありがとう、やっぱルビーさんのところは躾が違うね。ダニアンがよろしく言っていたと伝えてくれ」


「ありがとうございます!」


私の隣の青年がまた一枚チップを稼ぐ。彼の仕事の終わり際には決まって『ルビーさん』なん人物の名前が出てくる。恐らく隣の少年はルビーさんなる人物と関わりがあり、周りの大人はルビーさんに対して何かしらの感情を持っているからルビーさん印の少年には優先的にチップを渡す事になっているようだ。


つまりは後ろ盾、ルビーさんが後ろにいるのといないのとでは話が全く違うのだ。


(ルビーさん…何者なんだろう、そういえば昨日やってきた嫌味クソメガネがそんなこと言ってたな…)


ルビーさん…エラリーがポロリと口に溢した『ルビーギャングス』と何か関わりが…あるんだろうなぁ。


まぁいいや、ともかく問題の洗い出しは終わった。そして新たな問題が現れたのだ。


「さて困ったぞ…私には信頼も後ろ盾もない」


ないのだ、私には何も。靴磨き業界は子供の職と侮ることなかれ、徹底した信頼と実績の積み重ねと後ろ盾が物を言う業界なんだ。そしてその二つを持たない私が出来ることは少ない。


精々値段を下げるくらいか?でも周りを見る感じ30ラールより低い値段でやってるところはない、一部私と同じように後ろ盾も信頼もない痩せ細った少年達がタダ同然の値札を掲げているが…客が全く入ってこない。


値段が低過ぎると逆に客に信頼されないのか、なんかエリスちゃんがそんな話をしてたな。よく覚えてないけど。


「うーん…値段で勝負出来ないなら、付加価値で勝負するしかないか」


値段で勝負ができないのなら、靴磨きにプラスして何かを追加で出さなければ私は他の店を上回ることが出来ない。


…付加価値、それで思いつくのは一つだけ。本当は、こんな事したくないけど…それでも、みんなの足手纏いになるくらいなら!


「…っ!」


私は勢いよく立ち上がり、目の前を歩く雑踏に向けて…ポーズをとり。


「うっふーん!靴磨きやってま〜ちゅ。一回ぃん30ラールでぇ〜す」


腕を頭の後ろで組んでウインクする。所謂悩殺ポーズ…そう、付加価値とはつまり私の色香。女である事を武器にして客を呼ぶしかないのだ。


どうせこんな地下に落とされるような人間なんて性欲有り余らせてるに決まってる、私が軽く悩殺してやれば鼻水垂らしてホイホイやってくるに違いない。


こんな自分を売るような真似はしたくないけど、仲間達のためなら仕方ない!


「うっふーん」


「……………」


「あっはーん」


「………………」


「シュビドゥバー」


「……………」


おかしいな、見向きもされない。クソ共が、どいつもこいつも馬鹿にしやがって、私が恥を忍んでこんな事してるのに無視はないだろゴミクズが、魔術でぶっ潰してやろうか、街ごと。


…なーんて、こんな貧相なバデーじゃ誰も呼べないか。私五歳のエケチェンだしね…。


はぁーやってらんねぇ、はいもうやめー…。


「おや、いつもの少年が別の人に使われてる…参ったな、急ぎなのに」


「…………」


ふと、私の前を通りがかった少し身なりのいい大人がふと独り言を口にする。どうやらいつも靴磨きを頼んでいる少年が今日に限って先客に取られているようだ。


そこで紳士は私に目を向け。


「…仕方ない、背に腹は変えられないか」


悪かったな仕方なくて…ってもしかして。


「お客さんですか!?」


「あ、ああ。綺麗にしてくれ、任せたよ」


よっしゃあ!お客さんだーい!綺麗にしちゃるけんね!もうまっかせてよ!ここで私が周りのは一味違うって事を見せつけてやるから!


「よっしゃあお客さん!この台に足を乗せて!」


「き、気合が入っているね」


「勿論!行くぜえー〜っ!」


見せてやる!周りのは靴磨き少年たちを見て完成させた見様見真似磨き術を!


「うぉおおおおおおおおお!ずぉりゃぁああああああああ!!」


ワックスをつけ布で一気に靴を磨いて行く、食らえ!食らえ!綺麗になれ!


そんな願いを込めてキュッキュッと磨き続ける、こうやって磨きながら!ここで小粋なトークを挟んでお客さんを退屈させないのがコツ!


「お客さんはどんなカブ料理が好きですか?」


「なぜカブの話…」


なーんて言ってお客さんに時間を忘れさせ忙しい日々に一時の休息を与えたところで!私の仕事も終わり……。


「終わらねぇ…ッ!」


いや全然終わってないや、片方の靴をチョチッと磨いだだけで…二の腕が、死ぬ。私肉体労働向いてないよ…。


「…はぁ、まだかね」


「アッ、アッ、アッ、すぐ終わらせます…」


参ったな、まだ全然終わってないのにお客さんが時計を気にし始めた。けど二の腕が限界だし…気合い入れて拭きすぎたし、仕方ない。ここはちょっと休んで真面目に仕事に専念しよう…。


「はぁ、『クーリングオーバーチェア』…」


右腕の二の腕に手を当てて治癒魔術を使う。筋肉疲労や肉体疲労を回復させる簡易的な治癒魔術だ。熱く凝った腕の筋肉が冷やされながら一気にほぐれて行くのを感じる。


あぁ〜気持ちぃ〜、いつもいつも実務で疲れた肩をこれで回復してるんだよねぇ〜。


「……………」


「あっ、ごめんなさい!直ぐに仕事しますね!」


ふと、まったりと休んでいるところを見られて慌てて私は布を手に取る。やばいやばい、これじゃまた怒られて…。


「き、君…今のは?」


「え?クーリングオーバーチェアですか?」


「あ…ああ、随分気持ちよさそうにしていたが…」


「簡易的な治癒魔術です、体に残った疲労とか筋肉の疲れを取って体を軽くするやつ…」


本当に簡易的な治癒魔術だ、冒険者の治癒術師とかは使えないかもしれないが町医者とか整体院とかに行けば普通に使われるような初歩的な治癒魔術…まぁ私は普通に天才だから効き目も抜群だけど…。


と言うかなんだ?怒られるかと思ったら、お客さんは目を丸くしてワナワナと震えている。まさか仕事中に治癒魔術って使ったらダメだった…?


「それ、私にも使えるか?」


なんて考えていると…ふと、お客さんは自分の足を指差し私にもそれをやってくれと言い出すのだ。何言ってるんだ?こんなのお医者さんや整体院を頼れば…。


「へ?」


「実は私、仕事で街中をずっと歩き回らなきゃ行けなくて…もう足が千切れそうなんだが」


「出来ますけど…、お医者さんとかに見てもらった方が…」


「医者?いないよ、この街には」


「えぇ…」


いないの、この街。どんだけやばいのさ、病気とか蔓延したら一発アウトじゃん…いやいないからこの人は簡易的な治癒魔術を見ただけで驚いてるか…。


まぁいいか、疲れてるっぽいしやってあげても。


「いいですよ、木の台の上に座れます?」


「ああ!頼む!」


「あー、凝ってますね。メチャクチャ足を酷使してるじゃないですか…凝り以外にも傷とかもあるし、もう面倒なんで全部治しますね」


「は?」


「「癒せ…我が手の中の小さな楽園を 、癒せ…我が眼下の王国を、治し 結び 直し 紡ぎ 冷たき傷害を 悪しき苦しみを、全てを遠ざけ永遠の安寧を施そう『命療平癒之極光』」


お客さんに手を当てて直接古式治癒を叩き込む。さっきの簡易的なのとは訳が違う古式治癒。これは筋肉疲労どころか体が抱える凡ゆる問題を回復させる、傷や疲れ、魔力…即ち生命力さえも復活させ万全の状態に戻す…それが古式治癒。


それを受けたお客さんの顔色はみるみるうちに良くなり…。


「お、おおお…おおおおおお!凄い!凄いぞ!あれだけ痛かった足が嘘みたいにスッキリしてる!」


「えへへ、お客さん相当頑張ってたんですね」


「足が軽い!羽が生えたみたいだ!これならいつもの数倍の仕事が出来る!出来るぞォッ!!!」


この人の足は相当傷ついていた、外面だけではなく筋肉も。だからそれが全部回復すれば反動でめっちゃくちゃスッキリするはずだ。


なんだか嬉しいなぁ、元気になって喜ぶ人を見ていると廻癒祭の人達を思い出して───。


「ありがとう!お代はいくらだ!?」


「あ、30ラールです」


「それは靴磨きのだろう!?この回復サービスはいくらになるんだ!?」


「え?回復サービス…?」


そんなサービス別にやってないから値段なんて…いや、待てよぉ〜?


「え、えっと…500ラール…とかかなぁ」


欲を出してちょっとふっかけて見る…するとお客さんは懐から500ラールを迷いなく取り出し。


「はい!530ラール!これだけのサービスが受けられる場所は他にない!是非とも今後もお願いしたい!」


「お、おお!」


ボン!と手元に530ラールが置かれて体が打ち震える。ま、マジで出しやがったこいつ!


回復サービスなんてやってない、けどそれでお客さんが満足したからちょっとお金取ってやろうと思ったら…マジか!これ!お金になるんだ!


「お、おい!今の本当か!体の疲れが取れるって!」


「この間負った腰痛も…治るのか!?」


「つ、次は私だ!金なら払う!だから!」


「ふぉ…ふぉおおおおおおお!!!」


しかも先程のお客さんがバカみたいな声って騒いだから宣伝効果も抜群!ドーンドン寄ってくらぁ!よしよし!だったら!


「ちょっと待ってね!」


慌てて私は目の前の看板に魔術で字を書き加える、靴磨き30ラールに加え回復サービス500ラール…あと病院が無いなら診療も受けようかな、診療ってどれくらいで受けたらいいんだろ、まぁいいや300ラールくらいで。


「さぁーさぁー!よってらっしゃいみてらっしゃい!体の疲れに頭を悩ませる皆々様〜!私が疲れも何もかも全部癒やしてあげちゃいますからね〜ッ!」


「お、俺も頼む!」


「私も!」


「並べえい!横一列に!」


次々と並ぶお客さんを前に私は次々と治癒魔術をかけて行く、古式治癒をこんなに立て続けに連発したら疲れちゃうけどその疲れも私は自分で癒せるし、ぶっちゃけて言うと私魔力量で言えば魔女の弟子達の中で最強だしね、簡単にはバテないし…うん!


儲けられるッ!古式治癒儲かるよッ!!


(よしよし、これならみんなにお金返せるじゃーん!)


しめしめと笑いながら私は今後の事業展開に妄想を膨らませる……そして。


……………………………………………………………


…それから数時間後、一日ももうすぐ終わろうかと言う頃。デティが先程まで靴磨きをしていた場所には…。


「ここか!疲れを癒してくれる魔術を使ってくれるって言う『癒しの殿堂』は!」


客が詰めかける、もう並ぶだけで疲れてしまいそうな長蛇の列がグングンと伸びており、それを見てもなお迷わず並ぶ人達によって列は更に巨大化して行く。


その果てに存在するのが一つの店…『癒しの殿堂(めっちゃ癒します)』の看板を掲げた店。そう…これがデティが靴磨きをしていた場所に打ち建てられていたのだ。当然中にいるのは…。


「癒しマスター様!私の日々の疲れを癒してください!」


「もう連日働き詰めで体が壊れそうなんです!」


「足腰がもう限界で…お金なら払います!」


『良かろう〜、さぁさぁお金をそこのカゴに入れて椅子に座りなさ〜い』


「ははぁ〜」


店内には簡素な椅子が二十ほど並べられており、そこに座る労働者達が仰ぐのは…巨大な神の如き異様を持ったローブの人物、癒しマスターなる人物が鎮座する。


…言うまでもなく、デティである。いくつも重ねた木箱の上に乗り、それらを覆い隠すほど巨大な布を被り身長を誤魔化している彼女がこの店の店主だ。


はっきり言おう、めっちゃ儲かっている。エリスちゃん達を見るにここの労働者には休日とかは無いみたいだし体とかもう限界だろう。だからこそ人が詰めかける、この街にいる全ての人間が顧客であり、働ければ働くほど客は増えて行く。


故に私は靴磨きから方針転換して癒やの殿堂を開いたのよ、岩石魔術で簡易的な店を作り、一度に数十人規模で癒せる席を用意して、私の正体がバレないよう変装してサービス提供体制は完璧。


あとさ!私の目の前には500ラール硬貨を入れるためのカゴがあるんだけどね、果物入れるためのカゴを利用した料金支払い箱、これね…一回いっぱいになっちゃってさ!もう今日だけでどんだけ儲かったかわかんねー!


(ぬふふふふ、これ私すごく無い?めっちゃ儲けられたよ〜!みんなにお金返せるよ〜!というかシャナのババアの家を私が買い取って家賃とか無しに出来るんじゃなーい?ぬふふふ)


私の頭の中のイマジナリースピカ先生が『古式治癒を金儲けの道具にするなんて!』と怒っているが、無視。別に金儲けが目的じゃ無いから、癒すのが目的だから、なんかみんな私の前のカゴにお金入れてるだけだから、なんか勝手に。


「癒しマスター様!お願いします!」


「ところでこの料金表の靴磨き30ラールってなんですか?靴も磨いてもらえるんですか?」


『はい、一応』


「何故…?」


やべ…料金表書き換えるの忘れてた。もう今更靴なんか磨いてられないし、やめちゃってもいいかなぁ〜。


『では行きますよ〜その者に癒しを 彼等に安らぎを、我が愛する全てに 穏やかなる光の加護を…『遍照快癒之燐光』〜!』


「おおおおお!」


私から放たれた光が人々を癒す。傷を治すだけの現代治癒と違って古式治癒は更に傷の治療に加え疲労回復・魔力回復・解毒も詰まってる。おまけに体力回復と魔力回復は当人の上限を突破して行えるしいいこと尽くめなのよ。強いて治せないものがあるというのなら酷い病気くらいなものだがそれはそれで薬を飲んでくれって話だ。


肉体を本来の正常な状態に戻すことに関して古式治癒の右に出るものはいない、多分左にも出ない。まさしく天下無敵の回復能力!さぁこの凄さに感心してもっと金を払え!


(にしても…スピカ先生はこれを廻癒祭でやってるんだよね、タダで…)


やってることは廻癒祭と変わらない。強いて言うなれば先生は国中に向けてやってる上に無償でやっているということ。そう思うと私の師匠って立派だなぁ。


「ありがとうございました癒しマスター様!またよろしくお願いします!」


『苦しゅうなぁ〜ぁい!』


「では失礼します」


いやぁ〜にしても儲かったか。けどそろそろ夜か…エリスちゃんが家で待ってるし、あんまり夜遅くまで営業はできないよね。でも外には大行列が…困ったな。


よし、そろそろ閉店にしよう。それで明日は更にポーションも作って売ろう!そうすれば私の負担も小さくなるし余計儲かっちゃうぞ〜!


(ポーション作りが出来たらやっちゃう?マーキュリーズ・ギルドみたいにチェーン展開も)


しめしめと笑いながら私は退店して行った客達を眺め、取り敢えず次の客で最後にしようと心に決めた。


…その時だった。


『なっ!?なんだよ!あんたら!横入りするなよ!』


『次は俺達の番…って、あんた達は…』


『ひぃい!逃げろーっ!』


「ありり?」


次のお客さんが入ってくるかと思ったら、なんだろう。魔力がドンドン散って行く…?え?私のお客さんは…?


「む…」


しかし、それを気にする間も無く…私は警戒を高める。店の前に数人剣呑な魔力をした奴がいる。しかもそのうちの一人は…メチャクチャ強い。燃え上がるような闘志の籠った魔力…これ只者じゃ無いよ。


(なんだろう…エラリーじゃないっぽいけど)


エラリーのように冷酷な魔力ではない、それとは正反対の滾る魔力…初めて感じる奴だ、それが…ゆっくりと店の扉を開き。


「オウゴルァ!」


「テメェだな、ウチのシマで勝手に商売してるって言うクソ野郎は!」


「おうおうボケクルァっ!」


「ちょちょっ!?」


入ってきたのは人相の悪いチンピラ集団が十人規模、それが鉄パイプやら汚い剣を振り回しながら店の中で暴れながら私を囲むようにズラズラと現れ始めたのだ。


こ、これ…もしかして、もしかしてじゃなくて…絶対に。


「ギャングーッ!?」


「そうだよ!ここはルビーギャンズのシマだって…テメェ知ってんだろッ!」


ギャングだー!エラリーが言ってたギャング…シャナ婆さんが言ってたギャングだ!こ…怖…怖く。


怖くないな。


「あんた達何してんのさ!私の店なんだけど!」


人相は怖い、けどよくよく考えたら私海賊とか山賊とか殺し屋とかと戦ってるし、今更街のギャングがどうこうじゃビビれないよね。だから言い返してやると周囲のギャングは目の色を変えて激怒し。


「テメェ…ぶっ殺されてぇか…!」


「はぁ〜?自分達のシマ〜?何処にそんな証拠があんのさ!この街はチクシュルーブの街でしょ〜!?それとも土地の契約書とかでもあるんですかー!?」


「テメェ…!」


「テメェテメェってそれしか言えないのかよ!出てけ!商売の邪魔ッ!」


せっかく儲けてたんだから!お客さんも逃げちゃったし、こいつらぜってェーッ許せねーっ!と私が激怒していると。ギャング達の群れ…その奥から、足音がする。


「ガッハハハハハハッ!肝の据わった女じゃんよ!嫌いじゃないけど…口が過ぎるんじゃないか?」


「む…」


声の主は、例の凄まじい魔力を持った女だ。恐らくそいつもギャングなんだろうけど…正直に言おう、ギャングなんかやってていいレベルじゃない。それこそ海魔とか山魔とか…そのクラスの怪物だ。


それがゆっくり、足を鳴らして扉を開き…現れる。


「土地の契約書?ウチらのシマである証明?悪いがそんなの関係ないのさ…私がウチのシマだ…って言ったら、それが罷り通るんだよ」


大きい、ネレイドさんほどじゃないけど巨大な上背に逆三角形の筋骨隆々の肉体。そして後ろで纏めた赤い髪に鋭いお目目。こいつ…まるで。


「それが、ウチらルビーギャンズの力…このルビー・ゾディアック様のお力ってやつよ」


「ルビー…ゾディアック」


凶悪そうな女が名乗る。ルビーギャンズのリーダー…ルビー・ゾディアックと。


その姿を見た私は衝撃を受けることになる。そのおっかない見た目もそうだし、漂わせる魔力もそうだし、その肩書きもそうだけど。


何より驚いたのは…コイツ!


(嘘でしょ…なんか、ラグナに似てるんですけど〜!?)


その雰囲気や風格が…ラグナそっくり。


つまり、漂わせているんだ…『英雄の気風』を。なんでそんな奴が…こんなところにいるんだよ!?

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