549.魔女の弟子と悪窟街フレデフォード
「孤独の魔女レグルスだと?」
「ああそうだ、参ったか?」
オウマ達の追撃を受け真っ当な方法での逃亡は不可能と見たメルクさんは、地下の地面を破壊してエリス達ごとさらに下層の地下世界へと落ちる決断をした。
結果エリス達は下層にあった排水溝の波に攫われ、この地下世界に落ちてきたのだが…。その落ちた先で出会ったのがこの老婆。
薄汚い作業着を着てふふんと笑うシワシワのクソババアがエリス達を前にするなり自分はレグルスだなどと言ったのだ。剰えそれを言った上で勝ち誇っている。
立てなくしてやろうか、一生。
「…はぁ、老婆よ。魔女の名を騙るのは魔女偽証罪に当たるぞ、場所によっては死罪もあり得る」
「ほう、アタシが偽物だと何故言える」
「ンなもん決まってるでしょう!エリスはエリスですよ!孤独の魔女の弟子エリスだからです!エリスは本物のレグルス師匠を知っているからです!」
「あ!おい!バカ!」
ギョッとするメルクさんとエリスの言葉を受け更に笑みを深める老婆は組んだ腕を解き。
「フッ、やっぱりあんた達だったかい…最近地上でチクシュルーブ達がやたらと警戒しているって言う魔女の弟子ってのは。今日はやけに上が騒がしいと思ったら…アタシの勘は当たったらしい」
「……カマをかけたのか?」
「チクシュルーブが魔女の弟子を警戒し、上で妙な騒ぎが起こって、そして見ない顔の人間が数人落ちてきた…確認の為に軽いハッタリをかけたつもりだったんだが、まさか本当に魔女の弟子だとはね。驚きだよ」
あ!とエリスは口を覆う。まさかこの老婆…魔女の弟子が来ている可能性を考慮して、その上で魔女を名乗りハッタリをしかけエリス達が何者かを確かめて…。
つまりさっきの言葉は完全なる罠…やられた、魔女の弟子として黙ってられない部分を的確に突かれてしまった…。
「フッフッフッ、あのチクシュルーブが怯えるくらいだからどんな化け物かと思ったら。まだまだケツの青いガキじゃないかい、騙して悪かったね?軽いジョークと受け流してくんな」
そう言うなり老婆は鉄屑の山を滑って降りてくるなり、エリス達の前に立ち…。
「アタシはこの悪窟街フレデフォードの住人。ご近所からはシャナ婆さんって呼ばれてるケチなクソババアさ、今さっきここに来たんだろ?歓迎するよ新入り達」
「シャナ婆さん…ですか」
手を差し出してくる。敵意はない様だ…。
でもその手を取るべきかどうか、エリス達は互いに目を見合わせ迷っていると、シャナ婆さんは軽く笑い手を引っ込める。
それにしてもこの人…ここの住人、とか言ってたな。つまり…。
「あ、あの…シャナ婆さん。ここの住人って言ってましたけど、やっぱりここにも街があるんですか?」
「なんだい?何も知らないのかい?ここは悪窟街フレデフォード…理想街チクシュルーブの真下に存在する巨大な落人街さ、すぐそこにでっかい街があるよ」
そう言われてエリスは遠視で確認してみると、確かにそれなりの規模の街があるな…。ってことはやはりここもメルクさんの予測通り、落魔窟みたいな場所ってことか。規模と大きさは比にならないが。
「何にも知らない人間が、どうやって…どうしてここに来たのか。気になるところだね、良けりゃ聞かせてくんないかい」
「…我々は、ソニア…理想卿チクシュルーブと敵対している。奴の計画を暴き阻止することが我々の目的だ、だが表からチマチマ探っているだけでは暴ききれない程に理想卿の闇はでかい、だから」
「無理矢理ここに来て、その闇を暴こうってかい。カッカッカッ!剛毅だね、悪い言い方をするならバカだが?」
「なんでもいい、手段を選んでいられない。…私達はこれからこの地下世界を探索しソニアの闇を暴く、その為の拠点として…フレデフォード悪窟街を使いたい、可能だろうか」
「アタシの街じゃないからなんとも言えないが、案内くらいは出来るよ」
「感謝する、是非案内してほしい」
「いいだろう、ついてきな」
そう言うなりシャナ婆さんはくるりと背を向け、老人とは思えない確かな足取りで鉄屑の森を歩いていく。…一応敵ではないか。
「あの、メルクさん。私達その話聞いてないんだけど…」
「出来れば僕達にも事前の説明が欲しかったです」
「すまん、咄嗟だったんだ。それにあの場で説明すればオウマはここにやってくるだろう…飽くまで自爆という体裁を取らねばならなかったが故に説明は出来なかった」
「そう言うこと、でもいいアイデアだと思うよ。あの場から確実に離脱出来て、なおかつソニアの懐に潜り込めたんだから」
「ですね、とんでもないところに来てしまった感は否めませんが、ソニアの計画は是が非でも防がねばなりません。その為なら多少危険な橋も渡るべきですよね」
「ありがとう二人とも、すまない…巻き込んでしまって」
「いいんだよ〜私達の仲じゃ〜ん」
「ってことは途中で離脱したメグさんは…」
「ああ、彼女にはラグナ達と共に表から色々探ってもらうよう指示を出した、ある意味私達よりも危険な役目だが、あのメンツなら上手くやるだろう」
上手くやるだろうって、あの場面から四人だけで離脱出来たのか?…いやできるだろうな。なんせ地上部隊はラグナとネレイドさんという戦闘特化の二人とメグさんとアマルトさんという芸達者な二人がいる。
例えソニアが警戒しても、この四人なら上手く立ち回れるだろう。そう思えば半ば偶然だったとは言え理想的なパーティ編成が出来たと思う。
つまり、エリス達は今からこの地下で裏を進み、ラグナ達まで地上で表を進む。両面作戦でソニアの計画を潰しにかかるというわけか…。
「おぉーい、あんたらー、案内頼んでんだからついてきなー!」
「あ!すみませんシャナ婆さん!」
遠くから声を上げるシャナ婆さんにエリス達は返事をし慌ててついていく、そう思うと偶然とは言えこのフレデフォードにたどり着き、そして偶然シャナ婆さんという協力的な人物と出会えたのは幸先がいい。
「ねぇねぇシャナ婆さん」
「ンだいちび助」
「チビじゃねぇ!」
「キレるなら自己紹介しな、そこにいるエリス以外の名前は知らんからあだ名で呼ぶよ」
「あ、そっか。私はデティって言います」
「僕はナリアです」
「私はメルクだ、案内感謝する」
「デティにナリアにメルクねぇ、全員が魔女の弟子だと考えると…まぁ正体には半ば想像がつく、けどここじゃああんまり正体は明かすなよ。なんせ恐ろしいギャングがいる…治安が悪いからね」
「ギャング…」
「はーい」
シャナ婆さんの言うように、エリス達魔女の弟子はある意味でも有名だ、幸いシャナ婆さんにその気がないだけでバレれば何をされるか分からない。
落魔窟も治安が悪かった…ならここも悪いだろう、そんな中で魔女の弟子がどんな目で見られてどんな目に合わされるか想像も簡単につく。つまり今さっきのエリスは信じられないくらい軽率だったということ、反省しよう。
「それでさ、シャナ婆さんはこんな何にもないところで何してたの?」
と、デティが隣を歩きながらシャナ婆さんを見上げると、彼女は視線を逸らし周囲の鉄屑をみると。
「何にもないことはないだろ、お宝の山じゃないかい」
「この鉄屑?」
「この鉄屑森はね、そこの工場で出た不良品を捨てるゴミ捨て場なのさ、というより街の外は大体ゴミ捨て場だね。そんな中でもここは比較的いいものが揃ってるからね、部品を拝借してたのさ」
「部品を拾って…どうするんだ?」
「あんた生肉買ってきたらどうする?飾って楽しむのかい?しないだろそんなこと。部品なんだから組み立てるに決まってるだろうに。アタシは趣味で機械弄りをしてるのさ」
「機械弄り…というか先程から気になっていたがその格好」
「アタシは所謂技術屋さ、蒸気機関のね。職業はこの地下世界の蒸気機関の整備と点検、ったくこの老婆に鞭打って何させてんだかねぇ〜」
蒸気機関の技術屋か、存在は知っている。デルセクトにもたくさんいるから、でもこうしてみるのは初めてだな…。シャナ婆さんは地下の蒸気機関を動かしているエキスパートといったところか。
そして、この鉄屑森には趣味で弄っている機械の部品を取りに来たと…まぁそういう目で見ればここは宝の山か。
「さ、見えてきたよ。あそこが人生の負け犬が集まる地獄の肥溜め、フレデフォード悪窟街さ」
「………」
街並みは、はっきり言ってちゃんとしていると言える。複数階建ての立派な石煉瓦の建築物が軒を連ね通りにはちゃんと石畳が敷き詰められ文化的な様相を保っている。そんな街がかなりの大規模さで広がっている、ここだけ見たら本当にこの場所が地下の中に建てられているとは思えない。
ただ、普通と違う点があるとするならその汚さ。あちこちにオイルの様な黒色の汚れが染み込み道行く人達の服にも大量の煤汚れが付いている。そして何より…あの生きる希望を失った目…。
デルセクトの落魔窟と同じ、酷い有様だ。
「ここが悪窟街か…酷いものだな」
「有難い方さ、人生失敗したゴミクズが生きていくのにこんないい箱まで用意して住むことを許可されてるだけね。ここに落ちるのは地上で失敗したゴミ共ばかり、ギャンブルで首が回らなくなった病的なスリル中毒者、チクシュルーブで一発当てることを夢見て失敗した無計画な負け犬、楽しさに我を忘れて借金しまくって首が回らなくなった人生を棒に振るお手本のような人間。それらがチクシュルーブの甘い香りに釣られてやってきてドンドンここに吸い込まれている、まるで焚き火に集まる羽虫みたいにね」
「この街には今どれだけの人間が住んでいるんだ」
「数えたことはないけど、一万だの二万だのじゃ済まないね…十数はいくんじゃないかい?」
「そんなにか?まさかマレウス外からも…」
「言ったろ、誘き寄せられているって。ゴミみたいな人間は何処にいても失敗する、それをソニアは無料でゴミ収集を引き受けているのさ」
「………」
「ゴミ人間も使いようでね、腕と指示を聞く耳はあるからそいつらを労働者として安価に雇って工場の労働力に使ってるってわけだね。まぁ腕と耳もない奴はここじゃ生きていけないだけだが」
まぁ、凡そ想像はついていた。ソニアはホーラックという国を借金で絡め取り国民全員を自分の金蔓として使っていた女だ、それと同じことをここでしているだけだ。アイツはそういう事をする奴だ。
けど…本当に酷い、アイツは人間をなんだと思ってるんだ…。
「ねぇ、気になったんだけどさ」
「なんだいデティ」
「なんでシャナ婆さんみたいな人までここにいるの?技術屋でしょ?」
「そうだね、アタシも元々はソニアの下で働く技術者の一人として態々呼ばれたのさ。急激な開発を推めるチクシュルーブには一人でも多くの技術者が必要だったからね…」
「ならなんで…、まさか…罠だったのか?」
フッとシャナ婆さんは笑う。まさかソニアはこの地下世界にも機器を管理する為の技術者を割り振るために、騙して招聘しこの地下に閉じ込めたというのか…!?
だとしたら、シャナ婆さんは完全な被害者じゃないか。
「招かれ、真面目に仕事をしていたのに…ここにか?」
「ああそうさ、アタシはチクシュルーブに招かれ真っ当に仕事をしていたんだけどね…」
「ソニアに騙されて、地下に落とされた…ですね」
「いや仕事は真面目にやってたけどカジノが楽しくて借金しまくって大負けしたせいでここに落とされただけなんだけどね」
「病的なスリル中毒者ーッ!」
アンタもかい!アンタもそのゴミ人間の中に含まれてたの!?じゃあさっきの自虐かよ!
「カッカッカッ!それよりここで活動したいんだろ?アタシはここの古株だからね、比較的広い家を持ててるからねぇ。部屋くらいなら貸してやるぞ?」
「え?いいんですか?」
「ああ勿論、こっちだよ」
そう言いながらシャナ婆さんはポケットに手を突っ込み街の中に入っていく。それについていくエリスは…ちょっと目を細める。
なんか…親切すぎやしないか?
(シャナ婆さんからすればエリス達に優しくする理由はないはずなのに…なんでこんなに優しくしてくれるんだろう)
分からない、エリスはまだシャナという人物のことを理解し切れてない。けれど正直言って彼女の存在は死ぬほど有難い、何も分からないエリス達にあれこれ教えてくれる古株の地下住人なんて言う今一番欲しい人にこうして好意的に接してもらえるなんて幸運以外の何物でもない。
もしかしてエリス達だけが分かってないだけで、あるのか?…優しくする理由…。
「さ、ここだよ」
「…ふむ、比較的大きいな」
「ズタボロだけどね」
技術屋という確たるスキルを持つからか、案内された街の一角にあるシャナ婆さんの家は他のものに比べてかなり立派に見える。一棟建ての二階建ての家、地上で言えば普通かもしれないが見れば他の住人は複数階建ての一室を自らの家として使っている様だし、家丸々一つ使えるのは…かなり裕福といえる。
「さ、入りな」
「ん、感謝する」
「う、なんか今床に虫がいたような…」
「デティさん、あんまり言ったら失礼ですよ」
「そ…そうだよね、ごめん」
床はギシギシ、壁はボロボロ、扉ギコギコ…お世辞にも綺麗とは言えない家の中に入れられると、やや薄暗いながらも調度品や何に使うか分からない機械が大量に置いてある光景が見える。
シャナ婆さんはエリス達がここを拠点として使う事を承認してくれている様だ。
「これからここを活動の拠点として使っていいのか?」
「正直メチャクチャ有難いよね」
「ですね、お陰で野宿しないで済みます」
「そうかいそうかい、ほら。そんな小綺麗な格好して外歩くんじゃないよ、汚いかもだがお下がりがあるからこれに着替えな」
そういうなりシャナ婆さんは戸棚からエリス達の着替えの服を用意する、有難い。正直この服ビショビショだし早く着替えたかったんだ……ん?
……お下がり?誰の?シャナ婆さんの?いやそんなわけ…というかこの服。
「なぁ、シャナ殿」
「なんだい」
「これが着替えか?」
「ああそうだよ、不服かい?」
「不服というか…これ、作業服だよな」
「ああそうだよ、そこの工場のね」
「着ていいのか?」
シャナ婆さんみたいな汚い作業着を渡され目を丸くする、着替えというから普通の平服が出てくる物と思っていたが…でも潜入するなら作業着が一番なのか…?
そう思っていると、シャナ婆さんはにっこりと笑いながら。
「別にいいさね、今から工場で働くんだから」
「は?働く?」
「ああそうだよ、嫌かい?」
な…何言ってるんだ?エリス達はこの街の調査を…。
「え、エリス達にはする事が……」
と、エリスが口を開いた瞬間、今まで温厚だったシャナ婆さんがクワッ!と表情を鬼の様に変え。
「なんだいアンタ達、まさかここにタダで住まわせてもらおうと思ってるんじゃないだろうね!言っとくが月に一人1500ラール払えなきゃ叩き出すよ!」
「か、金を取るのか!?」
「当たり前だろ!ここはアタシの家だよ!謂わば借家さ!それをアンタ!無料で貸してもらおうなんて虫のいい話だとは思わないのかい!老い先短いこの老婆から家まで取り上げようってかい!全く最近小娘達は!鬼畜だね鬼畜!」
豹変、エリス達を家に招き入れるなりここを使うなら金を寄越せと言い出すのだ、まさかさっきまで親切に案内してたのは…このため!?
「我々にはやる事があると言っただろ!」
「知らないね!アタシにゃ関係ないよ!金が払えないなら出てってくんな!…けど、ここで住処を見つけるのは大変だよ?夜は犯罪者まがいの連中やルビーギャングズが彷徨くしそいつらが荷物や下手すりゃあ貞操まで狙ってる。そんな奴らを警戒しながら何処に住む?ええ?出来るかい?そんな事!」
「グッ…それは…」
「野宿なんてやめときな、命が惜しけりゃね。まぁ?金の方が惜しいってんなら止めやしないよ?ここじゃあの命より金のが大事だからね」
「…我々を、金蔓にする気か」
「勿論、ただの親切ババアがこんな所に落ちてくるわけないだろうに」
ハメられた、エリス達を最初から使う気だったんだ。けど確かにそれでも金さえ払えば住処を補償してくれるというのは…有難い話なのか?
「ああ、それと金が払えなきゃアタシはアンタ達を魔女の弟子だって言いふらすよ、この街の住民にも…憲兵にもね」
「なっ!?」
「バカだねぇアンタ達、アタシが弱みを握ってそのままにしとくわけないだろうに。言っとくが逃げ出しても同じことするからね、アンタ達が無事この街で調査とやら遂行するにはアタシに金払うしかないのさ!」
「……ッくそ!」
測りきれなかった、シャナという人物を。それを悔やむ様にメルクさんは一旦俯くと…。
「…みんな、いい…だろうか?」
「ま、まぁそれしかなさそうだし」
「悔しいですが、お金さえ払えば良いみたいですし…」
「……エリスはここに住むのに賛成です、シャナさんに色々握られている以上彼女を敵に回すのは得策じゃありません」
「フンッ!お利口だね。分かったならとっとと金稼いできな!言っとくがビタ一文マケないからね、覚悟しな!」
そういうなりエリス達は作業着を押し付けられる、ここで暮らしていくにはシャナさんへの献金が必須か。なんて老獪な人物なのだろうか…シャナ婆さん。
「ぐぬぬ…」
「にしてもデティ、お前…気がつかなかったのか?シャナ殿の本心に」
「分からなかった、いろいろ話しかけて魔力の揺らぎを見てたけどあの婆さん全然心が揺れないでやんの。まるで本心から親切をしてるみたいな…そんな魔力だったよ」
「嘘を言いながら嘘を見抜かせない技量は凄まじいものです、年の功という奴でしょうか…恐らくですがシャナさんは想像するよりも凄い修羅場を潜ってきた人なのかもしれません」
嘘を見抜くことに特化したデティとナリアさんをして分からなかったという程に、老獪な立ち回りを見せたシャナ婆さんにいっぱい食わされたエリス達は渋々服を脱ぎ、作業着に着替える…。
「うう、チクチクする…」
「ふむ、頑丈なばかりで…あまり保管状態は良くないな」
作業着に揃いのハンチング帽を被らされエリス達は立派な労働者になった、いやまだ働いてないから立派じゃない労働者か。しかしこの服…なんとなく読めてきたぞ?多分この服はエリス達の前任者のものだ。
つまり、シャナ婆さんはこうやって誰かをカモにするは初めてじゃないんだ、してその前任者が居なくなったか或いは死んだかして不在になった穴をエリス達で埋めた…ということだろう。
「よしよし、アンタ達の着替えはアタシで預かっておくからね」
「金に変えるなよ…」
「しないよ、これがある限りアンタ達はこれを返してもらおうと躍起になるからね。まぁ?支払いが滞れば…アンタ達の代わりにこの服で金を稼ぐしかないけどね」
抜け目のない婆さんだ…。でもまぁこんな世界だしな、こういうのも仕方ないか、寧ろエリスが隙を見せたからここまで漬け込まれているわけだし、やいのやいの言って余計状況を悪くするより今は大人しくするべきだろう。
「さぁとっとと言ってきな、アタシはこれから機械弄りをせにゃならんのだ」
「う…いきなりか、少しくらい休ませてくれても…」
「問答無用!」
なんの為に家に招かれたのか…エリス達は速攻で家を追い出され早速金を稼いでくる様言いつけられる。はぁ…にしてもとんでもないことになってしまったとエリスはハンチング帽を目深く被り直す。
「すみません、皆さん。エリスが迂闊な事を言ったから」
「それを言えば奴の真意に気がつけずノコノコここまでついてきた私も同罪さ。だが味方を変えればある意味足場は安定したとも言える」
「だね、一応寝床も確保出来たし。あんな感じだけど色々地下の事を教えてくれそうなシャナのクソババアにも会えたし」
「ならここからはお金を稼ぎつつ調査…って感じになるんでしょうか」
「そうだな、出来れば手早くここを調査し…とっととこんな所から抜けてしまおう」
「賛成〜、じゃあまずは…行っとく?シャナのクソババアが言ってた工場に」
「ああ、行こう」
そうしてエリス達は早速フレデフォードの狭くて入り組んだ路地を歩く。こうして軽く歩いただけで住処も金もない浮浪者みたいな奴が道端の隅に座り込んでいるのがチラホラ見える。
シャナさんに出会わなければエリス達もああなっていた可能性が高いのか。
(あの手の浮浪者は適当な所に座っている様に見えてその実縄張りがある…こういう吹き晒しの場所で寝るしかない人は力がない人、壁に囲まれた路地奥は力のある奴が縄張りにしてるケースが多い…)
エリスもこれでいてこの手のダウンタウンの空気感に離れている。落魔窟もそうだし、旅で何度か見ているからこの手の場所の常識は分かる。
金も地位も職もない人達のコミュニティに於いて優先されるのは腕力だ。腕力がある奴は好きな場所で好きな事ができる、それがないものは追いやられる。何処に行って何をしていても人には優劣というものが生まれてしまうのだ。
もしエリス達が野宿をしていたら、そういうコミュニティの面倒な厄介ごとを抱えんこんでいたかもしれない。そう思えばシャナさんの所でお世話になるのもいいのかもしれない。
「しかし治安が悪いな…」
「う、うん…みんなピリピリしてる」
そしてすれ違う人達は皆ギラギラした視線で周りをキョロキョロ伺いながら歩く、全員が気を抜いていない…というか、みんな武器を隠し持っている。分かりやすく鉄の棒を手に持った奴もいれば懐にナイフを隠してる奴もいるし、最悪拳銃を所持してるのもいる。
さっきも言ったが、そういうコミュニティで優先される『腕力』を補う為より良い武器を持つ者もいる…と言え事か。みんな自分の身を守るので精一杯だ。
「離れるなよ、デティ…ナリア」
「うん…」
しかし一つ幸いな事があるとするなら、この作業着だ。ズタボロでありながら生地が分厚くボディラインが隠れている、おまけにメルクさんやエリスは髪を束ねてハンチング帽の中に入れていることもあり、みんなエリス達の性別に気がついていない。
女と見られただけで襲ってくる奴もいるだろうこの街において、この格好はある意味役に立つ。
「む、工場とはここか?」
「みたいですね」
そしてシャナさんの言っていたであろう工場の入り口に着く。他の建物よりも幾分か大きいものの、どっちかというと工房に近い大きさの工場を前にエリス達は視線を合わせる。一応今日からここで働いてお金を稼ぎつつ…週に1500ラール稼いでくればいいのか。
「よし、…行くぞ」
「すみませーん、ここで働かせて欲しいんですがー」
今は夜だが工場は動いているらしく、取り敢えず話だけつけて働ける様にしよう…ということでエリス達は扉を開けて工場の中に入る。すると…。
「んん?なんだ新入りか…」
まず見えたのは受付と見られるカウンター、そして汚い室内。切れかけの光源魔力機構がチカチカと明滅する中…顔色の悪い不健康そうなおじさんがタバコを咥えながらこちらを見る。多分受付さんかな?
「働きたいって?」
「はい、エリス達四人ここで」
「………ふぅん?」
すると、タバコを咥えながらおじさんは手元のファイルを開いて…そして。
…………………………………………………………………………
「え…えぇ…」
その後エリスは工場の前に叩き出され肩を落とす。工場に働く事を許されたかと言えば…そうではなく。
「な、なんで…働いちゃダメなんですか…」
「普通に不採用ですね」
働きたいと言った所、受付さんはエリス達を見て『一先ずお前だけ合格、それ以外帰れ』…と、メルクさんだけを採用した結果エリス達は働くことさえ許されなかった。
当然猛抗議したが…帰ってきたのは『お前は細い、多分女だろ。そしてそっちのチビ二人は子供。役に立ちそうにないから雇わない』と…そう言われてしまったのだ。
流石に工場で面接をしている人だけあってエリスの性別までは誤魔化せなかったようで、女と子供は働かせないと言われてしまったのだ。だがメルクさんは元軍人として背も高くキリッとしてるから…多分採用されたんだと思う。
まぁ何が言いたいかというと。
「こ、このままじゃやばくないですか?エリス達仕事がないと週に一回の家賃の支払いさえ出来ませんよ」
「エリスちゃんどうしよう、別の工場行く?」
「いや別の工場行っても…」
考える、このまま働けなければ調査するどころか普通に追い出される。エリス達の身バレというオマケ付きで、だが別の工場に行った所で多分同じ理由で不採用にされる。特にデティとナリアさんは背丈も低いですし、その分ナメられるだろうし…。
と考えていると、慌てるデティとエリスとは正反対に、やけに落ち着き払ったナリアさんは。
「では普通に工場以外の勤め先を探しましょう。見たところこの街には工場以外にも店などもあるみたいですし」
「え?あ、確かに…」
見ればこの街には普通に食材を売ってる店や道具を売ってる店がある、いやあるか。でなければ金が価値を持たない。恐らくラールという存在を成り立たせる為にソニアはわざわざこの地下にもある程度の品物を卸しているんだ。
「手分けしてそれぞれの勤め先を探した方が効率が良いかもしれません。僕さっきそこで酒場を見かけたので店員として働かせてもらえないか話してきますね」
「あ!ちょっ!ナリア君!…ナリア君なんか、凄いこういう状況に慣れてない?全然慌ててないし…」
「彼はまぁ…一応元々こういう生活をしていた人なので」
今でこそナリアさんはディオスクロアで一番のスーパースターだが…、その昔は劇場を持てない旅劇団として極貧生活をしていた。公演に使った酒場の清掃なんかも喜んでやっていた子だ。
故に慣れている、金がないなら働き先を見つけて稼ぐという状況に。故にあんまり慌ててないんだろう…これも場数の差と言うものだ。なんて考えながらテケテケと街の奥に消えていくナリアさん?見送ると…。
「え、エリスちゃん…私魔術導皇以外の仕事した事ないよ、私どうしたらいい?」
デティがキュッとエリスの手を握ってくる。ナリアさんとは異なりデティはそういう別の仕事というのをした事がない。特に金を自らの意思で稼ぐなんて事をした経験がないタイプの正真正銘の箱入り娘だ。
だから困った様に眉をキュッと狭めるデティを思わず抱きしめそうになるが…今はグッと堪える。
「そうですね…自分に出来ることを職にするのが一番だと思いますが…」
「出来ること?魔術なら教えられるよ」
「うーん、ここでは…その…」
はっきり言ってデティのやれる『魔術を教える』というのはある程度相手にも教養を求める物だ。そして悪いがこの街にその手の教養を持っている者は少ないだろう、持ってたらこんなところには来ない。
「もっと別の…」
「……ない」
シュンとしてしまうデティを見て、申し訳なくなる。一番いいのは肉体労働だがデティにそれが出来るとは思えないし、そもそもどっからどう見ても子供だし…雇ってもらえるかも怪しいところだ。
「………子供でも出来そうな仕事…」
だがそれでもこの手の街には居る…、親を持たない孤児と言うものが。そう言う子達はどうやって生きている?誰かに食べさせてもらっている?いいや違う、自分で金を稼いでいる…それは。
「靴磨き…ですかね」
チラリと路傍に目を向けるとそこには一生懸命靴を磨いている子供がいる。あれくらいしか出来そうなのがないが…魔術導皇に靴磨きさせるとか、どうなんだ?
「靴磨き…ああ、そう言えばステラウルブスにもそう言う子供がいたよね。なんだっけ」
「ティム君のことですか?」
「そうそれ、そんなのもいたよね。ああいうのをやればいいの?それなら私にも出来そう」
そんなのって…いやまぁデティからすればその程度の認識か。でも本人も乗り気みたいだし…ここは。
「少しお待ちを」
「どうしたの?エリスちゃん」
「靴磨きをするにしても道具が要ります。綺麗な布とワックスと、あと木の台です…それを用意するには、初期費用がいるので」
そう言いながらエリスは自らの靴の踵を軽く引っ掻く。すると分厚い底がカコンと音を立てて外れ…まるで引き出しの様に底が外れ、中から1000ラール紙幣が出てくる。
「これを使って道具を買い揃えてください」
「えぇっ!?エリスちゃん…そんな所にお金入れてるの?」
「いつ何があってもいい様に体の至る所にお金や道具を隠してあるんです。ラール紙幣はこれだけですが…まぁ言ってしまえばもしものヘソクリですね」
「そんなの…いいの?」
「構いません、これからそれ以上稼ぐので」
「分かった…分かったよエリスちゃん!私靴磨きで億万長者になってみせるから!」
それは無理だと思うがやる気になってくれた様で何よりだ。1000ラール紙幣を手に道具屋へ向かうデティを一応見送る。お金を持った彼女を一人にするのは大丈夫か…と一瞬思ったが。
大丈夫だろう、もし悪漢に襲われてもデティなら返り討ちに出来るし。もしその悪漢がデティに傷付ける様なことがあればエリスが潰すし。多分大丈夫だ。
「さて、後はエリスですね」
片手をポケットに突っ込み周りを見る。勤め先を見つけなければならない…か、思えば師匠との旅ではいろんな経験をした、その中では一時的に手に職を持ったこともある。
故にこうして仕事を探すのも初めてではない、寧ろ懐かしい心地だ。新たに来た場所に馴染む為に行動を起こすというのは。
(出来れば用心棒か何かで仕事がもらいたいですが…用心棒は基本的に歩合制なので安定した収入は望めない。となると用心棒というより店の警備の様な仕事の方が収入としては安定するか…)
街を歩きながらエリスは店を探す。出来ればこの腕っ節を活かせる職に就きたいが…さて何処にするか。変な場所に入ると給料を渋られる可能性もあるし…となると。
「ここが、一番いいかな…」
この汚れと貧困に満ちた街において、唯一光り輝く場所がある。即ち金が集まる場所がある…。考えてみれば当然とも言えるその輝き…エリスの予感は的中し、やはりここにも『これ』があった。
この街はギャンブルで落ちた者達の街。ならある…カジノが。
「カジノ『サドベリー』…多分このカジノも治安悪いでしょうし、警備員は物入りでしょう」
磨かれた壁、光源魔力機構で刻まれた『サドベリー』の文字、そして集まる人々。ここにはきっと金がある。故にエリスはカジノを探していた、ここならきっと働き口もあるだろうと。
ポケットに手を突っ込んだまま、綺麗な扉を開き…中に入れば。
「いらっしゃいませぇ〜?カジノ・サドベリーへようこそ〜?」
出迎えるのは、なんか際どい格好をしたバニーガール達だった。彼女達はエリスに近づくなり猫撫で声をあげ。
「スロットで遊びます?それともルーレット?私と一緒にカードで遊びますかぁ〜?なんでも揃っておりま〜す」
「すみません、オーナーを出してもらえますか?」
「はーい、オーナーで遊ぶ…え?オーナー?オンタオーナーですか?」
「はい、エリスをここで雇ってほしいんです。腕っ節には自信があります、警備員ならきっと務まります…だから、オーナーと話がしたいんです」
「えぇっと…」
バニーガール達は困ったように視線を交わす。すると…そんな話を聞きつけてか、スロットでジャラジャラと音を立てる喧騒の向こうから…一つの影が現れる。
「ンゥフッフッフッ、はぁ〜い?僕チンに何か用かなぁ〜?」
「あ!オンタオーナー!」
オンタ…と呼ばれた男がズケズケと現れる。豪華な靴、豪勢なコート、セレブ感満載のグラサンにでっぷり太った体と唇…それが両手の指全てに指輪をつけながらヘラヘラと現れるのだ。
彼がここのオーナーか、落人街にはあるまじき恰幅の良さだな、さぞ儲かっているんだろう。なら話は彼にするべきだ。
「貴方がここのオーナーですか?」
「ンゥそうよ〜ん。僕チンこのサドベリーのオーナー、オンタ・マックスベットよん、君は?」
「エリスはエリスです、先程訳あってこのフレデフォード悪窟街に落とされた人間です。働き口と金が必要なんです、エリスをここで警備兵として働かせてください」
「んん?んんぅ〜…警備兵ねぇ〜ん」
するとオンタは何やら疑る様な視線でエリスを見ながらコツコツと歩きながらエリスの周りを歩きながら試す様な視線で見て…。
「ふぅ〜〜ん…働き口が必要…ねぇ」
「はい、お願いできませんか」
「……………」
オンタは自分の顎を撫でながら、何かに気がついたのか…ニタリと黄色い歯を見せ笑い。
「…分かったわよん。雇ってあげるわぁ…エリスちゃん」
「はい、なら…」
「でも一つ、交換条件があるのよん」
「交換…条件?」
「ええ、それは…貴方に────」
そうして、オンタの口から発せられた言葉は…。
「え…ッ!?」
エリスの表情を変えるに値する程の、衝撃のものだった。
…………………………………………………
一方メルクリウスは…。
「お前の仕事はここにある部品のネジを締めることだ」
「は?」
工場に無事一人だけ雇われたメルクリウスは奥に通され、大量の謎の金属部品が入った箱を手渡されていた。
「今から仕事ですか?今は夜なんですけど」
「それが終わったら帰っていい」
「えぇ…というか、なんと部品なんですか…ローン社長」
「知らん、知る必要もない」
先程、私達を面接した受付の髭面男。どうやら彼はここの工場長兼社長兼受付らしく…名をローンと言った。彼はやる気のない顔で私を見てため息を吐く。
ため息を吐きたいのはこっちだ。工場に行けば何かソニアの計画が分かるかもと思ったが…なんだこの部品、まるでなんの部品かも検討がつかないし、多分ローンも知らない。
「あの、それで給料は…」
「週払い、1600ラール。これでいいか?」
「は、はい…」
なんというかやる気のない社長だな、雇用形態の説明や詳しい仕事の内容の説明もしてくれない。というか1600ラールか…シャナ殿に家賃を払ったら残るのはたったの100ラールか…生活していけるのだろうか。
「ほれ、ここに道具あるから…」
「これ、私でなくても出来るのでは」
「ああそうだ、お前以外でも出来る。つまりお前の代わりはいくらでもいる、クビにされたくなきゃグヂグチ言わずにやれ」
「…………」
部品のネジを締めるだけでも、この数になれば重労働。それを一週間やって手元に残るのはたったの100ラールか。
……昔を思い出す、一端の軍人として懸命に働き、少ない金でやりくりしたあの頃を。あの時に比べ私は歳をとったが…それでも。
「ハッ!分かりました!ローン社長!」
「お?おう…急にやる気出したな」
「必ず一時間以内に、完璧に仕上げます!」
「あ…ああ」
それでも私は私だ、ならばきっと今もやれるはずだ。寧ろ心が躍ってきたぞ?
ただ懸命に生きる、ただ懸命に稼ぐ、それが私の原点なのだから…!
「ッ……」
早速椅子に座り、箱の中の金属部品にネジを締め作業を進めていく。かつて…燃え上がっていた軍人だった頃の様に、一心不乱に…作業に従事する。
それを見たローン社長はほほうと口を開き。
「お前、随分手先が器用だな。やる気もある…」
「この手の作業は慣れてますので、それに…金を稼がないと生きていけない」
こう言う細かな作業は慣れている。私の取り扱う軍銃は自分の手で整備しなくてはいけないからな、メグ程とはいかない物の私も多少の整備くらいなら出来るんだ。
それを見たローン社長は自分の顎髭を撫でながら口元だけで笑い。
「ハッ、いいね。その通り…ここじゃ金を稼がないと生きていけない、だがここにはそれさえ面倒がってやらない奴もいる」
「そうなんですか?そいつらは何をして生きて…」
「盗みさ、ここにゃ盗みを働く奴が大勢いる。だから俺は…ここで働かせる奴は吟味するのさ」
「盗みは…好きません」
「だろうな、お前の目がそう言っている」
盗みは好かん、それは私の正義が許さない。私は私の正義に従って生きる、例えそれで不利益を被ろうとも…それを違える事はできないのだ。
「まぁ、つっても…俺も昔は盗みを働いていたんだがな」
「そうなんですか?」
「地上でだがな、だがこうして地下に落とされて…気まぐれで真っ当に仕事を始めて、そうしたら結婚してガキまで生まれて…もう盗みの道には戻れなくなった」
「そうなのですね」
「……って、新入りに何を話してんだかな。さぁ仕事しろ…俺も仕事をする」
「ところで他の作業員は?」
「いない、俺とお前だけだ」
「え…えぇ、それでこれだけの作業を…?」
「文句言うならやめるか?」
「い、いえ!やらせていただきます!」
「ん、そーしろ」
こうして、私達の激動の一日目が終わった…そうだ、一日目だ。私達がチクシュルーブに来てまだ一日だ。
そしてこれが、ソニアを追い詰める…一歩になるのだと、私はただ…深けていく夜の中、思い続けるのだった。