542.魔女の弟子と歩み潰す禍害
燦々と太陽が光を落とす中、エリスは白い泡を伴い水の中へと潜り込み、くぐもった音が耳を突く中足を動かし水中を泳ぎ全身に涼を感じる。
クルリと人魚の真似をして流れを切り裂きながら呼吸の許す限り水の中で過ごし、若干の息苦しさを感じた辺りで浮上…。
「プハァ〜!気持ちいい〜ッ!」
バッと顔を水から出して空気を吸い込み、水の滴る髪を振るい両手を掲げる。なんと気持ちいいのだろうか、水泳ってのはやっぱりいいもんだね。一日やっていても飽きないよ。
「エリスちゃんすごーい!」
「…エリスは泳ぐのが、上手いね」
ふと、視線を横に向ければエリスと同じように水着を着てプールを泳ぐネレイドさんとデティが見える。プカプカと浮かぶネレイドさんをフロート代わりにその上で寝転ぶデティに軽く手を振りながらエリスは水を切って歩き、プールの上に這い出ると共に。
「メルクさんも泳ぎましょうよ!楽しいですよ!」
「私はこうしているだけで楽しいからいいんだ」
なんて言いながらプールの側、パラソルの下、サングラスをかけながらなんか青い飲み物をストローで啜るメルクさんは手を振り返す。本当にあれで楽しいのだろうか。
「折角プールに来てるんですから、泳ぎましょ〜よ〜」
「このプールを作ったのは私だぞ?作った時に嫌と言うほど泳いださ」
「へぇ、やっぱりここってメルクさんが作ったんですね」
「ステラウルブス最高の娯楽施設が一つ『アクアパラダイス』。巨額を当時作り上げた水の楽園…、アジメクの気候は一年のうち半分が温暖だからな。そこに目をつけ暖かさを遊べる施設として私が考案したのだ」
「流石はメルクさん、金儲けが上手いですね!」
「ふふふ、だろう?」
今、エリス達はメルクさんがステラウルブスに作ったテーマパーク『アクアパラダイス』にて一時の遊興に励んでいる。一般的なプールから水流調整魔力機構で川のように常に流れ続ける『流れるプール』や高所から一気に水と共に降りる『アクアスライダー』。あちこちから噴水が噴き出る『ジェットプール』などの水の娯楽が十数種類近く存在するアクアパラダイス…。
アジメクは一年を通して『春』と『冬』しか存在しない。普通の国と違って暖かい期間が長いが故にここは常に人気で、莫大な収益が望めるらしい。
『いぇーい!ナリアー!』
『ぎゃぁあああ!やめてくださいラグナさん!死ぬぅううう!!』
『ネレイドさん!あっちいこう!』
『ん、行こっか…』
ラグナとナリアさんはアクアスライダーで遊び、デティはネレイドさんをボート代わりにプールを散策する。みんな楽しんでいる、実際楽しいしね…でも。
一つ違和感があるとするなら、このアクアパラダイスには…。
「実際ここは人気だからな、いつ行っても人でごった返している。こう言う方法でもなければこんな風には遊べない」
…人がいないのだ、エリス達以外に。客は居らず、なんならプールの監視員すらいない、完全にエリス達だけで貸切をしている状態。
なぜこうなっているか?メルクさんが自慢の財力で貸切にした?流石にそんな事はしない。それにここはステラウルブスにある施設…そもそもマレウスを旅しているエリス達がいる事そのものがおかしいのだ。
何もかも異例尽くしのこの状況を…作り上げたのは。
「皆様〜!そろそろお昼が出来るので戻ってきてくださいまッせ〜!」
「あ、はーい!」
メグさんがエリス達を呼ぶ。そんな彼女の隣には扉がある。扉だけがある、何もない空間にポツンと置かれた扉がある。その扉に向けエリス達は歩み寄り…。
何もないところに突っ立っているかドアノブを捻り、扉を開ける。普通ならそのまま向こう側に通じているだけの扉なのだが…。
「うーい!ただいま〜!」
「今帰りました〜!」
「お、帰ったか?おかえりさん」
扉を開けた先は…アクアパラダイスではなく、エリス達の活動拠点たる馬車の中に通じていた。そこでは既にアマルトさんが飯の支度を終え読書をしており、読書用のメガネを上げながらソファから立ち上がる。
帰ってきたのだ、マレウスに。……これはどう言うことか。メグさんの時界門で一時的にステラウルブスに帰っていた?いやいや違いますよ、流石に遊ぶ為だけに帰国は出来ません。なら何か…その秘密は、エリス達が潜った扉にある。
「にしても凄いですね、これ」
「ああ、便利なんてもんじゃねぇよ」
エリスとラグナで一緒に振り返りながら扉があった方向を見る…が、そこに扉はなく。代わりにあるのは…壁に立て掛けられた一枚の絵。
『アクアパラダイスを描いた巨大な写真』が額縁に入れて飾られていたのだ。…そう、エリス達は今、この写真の中にいた。写真の中にだ、普通は入れないし入ろうなんて気にもならない…けれどそれが可能になった。全ては…メグさんの覚醒のおかげで。
「メグの覚醒『天命のカラシスタ・ストラ』…次元を超える覚醒だったか。まさか本当に次元を超えて二次元の世界に入れるとは」
先程までエリス達はメグさんの魔力覚醒『天命のカラシスタ・ストラ』の次元を超える力にて、二次元の世界…即ち写真の中に入っていたのだ。
この写真はメルクさんがアクアパラダイスを開業した際撮っていた写真を額縁に入れた物。それに対してカラシスタ・ストラを使うと中に入る為の扉が生まれる。その扉を潜るとエリス達の体は三次元から二次元へと移行し…本来は入ることが出来ない二次元の世界へと行くことが出来るのだ。
二次元の世界は不思議なもので、写真で撮っただけなのに実際のアクアパラダイスと同じ状態の物を同じ状態で使う事が出来る。だからプールにも入れるし、運用することも出来るのだ。
つまりエリス達はもういつでもこのプールに入って遊ぶことが出来る、旅をしながらいつでも世界最高の娯楽施設に行くことが出来るのだ。流石メグさんの覚醒、使い道の幅もめちゃくちゃ広いってなもんで。
「写真の世界に行って遊ぶ…か。こんな不思議体験をしたのは我々が初めてだろうな」
「ああ、写真とメグの覚醒の相性がここまでいいなんてな」
「これどんな使い方でも出来るんじゃない!?次はあそこ行ってみたい!」
メグさんの覚醒で写真の中に入れる…と分かってから、馬車の中にはいくつもの写真が飾られるようになった。『帝国のカジノの写真』『オライオンの温泉の写真』『アルクカースの荒原の写真』『エトワールの劇場の写真』…メグさん曰く今後も随時更新の予定らしい。
ここにある写真全て、利用することが出来る。メグさんがいればそれだけで写真は一つの『部屋』となるのだ。故にデティも想像を膨らませあんな使い方やこんな使い方を提案するが…。
「いえいえ皆さま、この覚醒もそこまで便利な物ではありませんよ。例えば…」
それでもこの写真の世界にもいくつか制限があるようで。まず写真に写った人は写真の世界に入っても動かない。一度エリスが写った写真へと入ってみたが…写真のエリスは彫像のように動かず、また動かすことも出来なかった。
そして二つ目に…。
「写真の中にある物は外の世界には持ち出せません。この中にある物を外には取り出せませんし、食べた物も写真から出た瞬間に無かったことになります」
「ふむ、なるほど…確かに我々は今プールに入り、体を拭かず水だらけの状態で出てきたのに…」
「あ、写真から出た瞬間濡れた体が乾いてる!」
「なるほど、水も写真の中の物だから外には持ち出せない…ってことか」
見てみればエリス達の体は先程あれだけ濡れていたにも関わらず、今はもうカラッと乾いている。最初から濡れていなかったかのようだ。それでも感覚はまだ残っているし、まるっきり何も残らないってわけじゃなさそうだ。
「ふーん、不思議なんだなぁ、メグの覚醒って」
「私の覚醒が不思議なのではなく、『次元の法則』が不思議なのでございます」
「別次元の世界なんて、そもそも人類未到の領域どころから今まで認識すらされていなかった存在だしね、これの解明には多分あと数百年はかかるか…そもそも解明もされないんじゃないのかな」
「じゃあわからない事は分からないで、済ませておくか」
他にもいくつか制限…と言うかエリス達の設けたルールがある。まず写真にの世界に入る際は必ず一人は外で待機する事、何かあった時咄嗟に対応が出来ないからね。
そして二つ目にこれは一日一回、メグさんの負担の考慮もしなければいけない。なんせこれはメグさんの覚醒を使っているんだ、覚醒はとんでもない消耗を生む、そう何度も使っていいものではないので…一日一回だけ。
後は馬車を止めた休憩時間のみの使用とかもルールで決めようかと議題が上がっているし、今後もルールは追加されていくと思う。
まぁそう言う制限とか抜きにしても破格の使いやすさでエリス達の旅はより一層良い物になったと言える。
「にしても、写真や絵画の中ってああなってるんだな」
「写真は最近生まれた概念だけれど、もしかして今まで私達が見てきた絵画も内側に世界が広がっているのかな?二次元だし」
「不思議ですね。世界にはまだエリス達の知らない世界が存在しているんですね」
みんなで写真を見る。写真の中には世界が広がっている、エリス達が知らないだけで世界にはまだ未知なる領域が存在している…と言うこと。メグさんの覚醒は飽くまでそこに至る道を作ったに過ぎない。
この写真の中の世界は、元から存在していた…。そう考えると世界はまだまだ不思議で満ちているんだなと感じる。
「へへ、んじゃあ明日は約束通りカジノの写真な?」
「はい、皆様で遊びましょう」
「じゃ、じゃあエリスが留守番しますね…エリス行っても勝てないので」
「お前本当に負けず嫌いだよな、まぁいいや。飯出来てるから飯にしようや、水泳の後だし汗かいただろうから、塩分とミネラル多め、それと腹にも入らないだろうから軽めにパスタ…ってわけでトマトソースのスパゲティいいよな?」
「やったー!お腹ペッコペコー!」
「うーし!食うぞー!」
「メグ…疲れてない?」
「大丈夫でございます、次元への移動自体はさしたる程の消耗にはならないので。一日百回くらいでも全然余裕ですよ。あ、それとタバスコ入れてもいいですか?」
「ダメ」
そしてエリス達は水着のままダイニングに向かい、既に用意されていたスパゲティの山を前に舌舐めずりをしながら椅子に座り、それそれが皿に取り分けスパゲティで舌鼓を打ち始める。
うーん!美味しい!プールの後で疲れた体にトマトが染みる!染み渡る!美味しいです!
「うまうま」
「んんー!最高の一日〜!」
「山ほど茹でてあるからガンガン食えよ!」
そうやって、みんなでお昼ご飯を楽しんでいると…ふと、メルクさんが。
「そろそろ、理想街だな…」
そう言うのだ…。
エリス達が南部魔術理学院を離れてより早くも数週間が経ち、既に密林湿地帯を抜け南部から西部チクシュルーブ領へと入っている。なんだか懐かしい平穏な平原へと戻ってきたエリス達は…次なる目的地である理想街チクシュルーブを目前に控えていた。
「理想街に行ったら、ソニアを詰めるのか?」
ラグナがゴクリとパスタを固めて作り上げたパスタ玉を飲み込みながらそう語る。それはそれとしてトマトソースが口についてますよ…ラグナ。
「…………正直、まだどうしていいか分かっていない…と言うのが本音だ」
「は?おいおいメルク、お前がチクシュルーブに行こうって言ったんだろ?なんか考えがあるんじゃないのか?」
「ソニアがマレフィカルムと関わっているのは事実、そして王貴五芒星が欠けた今が奴を調べるチャンス…と言うだけで、実際何をどう調べ、どこをどう突いて奴を追い詰めればいいのか全く分かっていないのが現状だ」
「まぁ〜そう簡単に尻尾は出さないかもね〜、エルドラド会談で話した感じソニアはかなり頭がキレるタイプみたいだし…何より、あの場で私達全員の顔を見ている以上前回みたいな変装や偽名は通じないよ。下手すりゃチクシュルーブに入り込んだ瞬間から攻撃を仕掛けられるかも」
「あり得る話だな…」
ソニアはマレフィカルムと通じているのは間違いない。そもそもアイツは元よりアルカナとも連んでいた奴だ…その相手がまた別の魔女排斥組織になろうともなん不思議もない。だが…エリスとメルクさんは知っている。
ソニアという女が、どれだけ恐ろしく狡猾かを。
「奴は簡単には尻尾を見せない、懐の深いところまで入り込まねば情報は得られない…」
「どうしましょうかメルクさん、そもそもソニアはマレフィカルムと組んで何をするつもりなんでしょうか」
「………まずはそこからか」
以前ソニアはアルカナと組んでデルセクトとアルクカースの大戦争を引き起こそうとしていた。つまり何か目的がなければソニアは誰かと組むことをしない。なら…今奴が関わっている可能性が高い逢魔ヶ時旅団とも、何か目的があって組んでいると思う。
そしてソニアは、人死をなんとも思わない。その目的が何か探り当てなければ…お話にならないだろう。
「………よし、ではこの一件。私に預けてもらえるか?」
「え?メルクさんに?」
「ああ、ソニアの事はよく知っている。そんなアイツに対して…どのようなアクションを取ればいいか。そこを理解しているのも私だ。だからチクシュルーブに着いてからの動きについて私が詰めておく…だから預けてくれ、頼む」
そう言って机に手をついて頭を下げるメルクさんを前にエリス達は目を見合わせ…。
「ああ、勿論だよ。ぶっちゃけ俺達ソニアの事知らないし」
「メルクさんなら分かる…なら、メルクさんに任せるよ!」
「感謝する、みんな」
メルクさんの目は、理想街が近づくほどに深刻さを増していく。以前もそうだった、プリシーラさんを連れて理想街に行った時も…険しい顔をしていた。
メルクさんにとってソニアは宿敵も同然。ならば思う気持ちもまた人一倍強いんだろう。
「つーかさ、アイツってばエルドラド会談に来てたよな。の割にはいつの間にか居なくなってたけど…どこ行ったんだ?」
ふと、アマルトさんがパスタを口に入れながらそう言うのだ。そういえば…とみんなが目をパチクリと合わせる。ソニアはいつの間にか…具体的に言うなれば五日目深夜からいなくなっていた。それから何処へ行ったか…誰も把握していない。
と、そこで手を挙げるのはメグさんで。
「ソニア様は五日目深夜にジズの襲撃を前にゴールデンスタジアムに避難する際に姿を消したとの報告を得ています。最後に確認したイシュキミリ様曰く部下を連れて先んじてエルドラドを出て理想街チクシュルーブへ帰還した…その事でした」
「何!?先に帰ってたの!?アイツ!」
「よくもまぁあんな乱戦の中を潜って逃げ出せたよな…」
「あの時点で既にジズの手勢が街を取り囲んでいましたよね?それを突き抜けて帰ったって事ですか?凄いですね」
「いや…恐らく奴は」
メルクさんはみんなの言葉を聞いて、額をトントン叩きながら考えを口にする。
「奴はきっと、逢魔ヶ時旅団の助けを借りたのだ。ソニアは今逢魔ヶ時旅団と共に行動している…、いくらジズの手勢とは言え、同じ八大同盟の逢魔ヶ時旅団は止められん」
「ッ…八大同盟ですか」
八大同盟…逢魔ヶ時旅団。確かにソニアは逢魔ヶ時旅団と繋がっている可能性が非常に高い、なんせ彼女を解放したのが逢魔ヶ時旅団なのだから。
そして、もし逢魔ヶ時旅団が今もソニアの身を大事に守っているならば、エルドラド会談の場に現れていてもおかしく無いしジズが集めた手勢を蹴散らして包囲を突破するくらい容易だろう。
「八大同盟の逢魔ヶ時旅団か、まぁソニアと逢魔ヶ時旅団は繋がってるだろうな、そして…逢魔ヶ時旅団なら包囲網の突破も容易だろう」
「いや…そうか?」
ふと、アマルトさんが疑問を呈する。逢魔ヶ時旅団ならジズの手勢を突破出来るだろうと言う見立てを前に彼は椅子の背もたれに手を回し行儀悪く座ると、こう言い出すのだ。
「ソニアが居なくなったのは避難を終えた後だろ?それってもうアストラ側の戦力が街中で布陣した後だよな?ってなったら逢魔ヶ時旅団はジズの手勢だけじゃなくてアストラ軍も相手にしなきゃならねぇ、でも…」
「ええ、アマルト様の言うように…アストラ軍と逢魔ヶ時旅団が交戦した記録がありません」
「え?どゆこと?なんか混乱して来た。逢魔ヶ時旅団はエルドラドから外に向けて出ていった…その間にはアストラ軍とジズの手勢が戦ってる、この中を実力で突破したんじゃなくて…誰にも見つからず移動したって事?出来るの?そんな事」
誰にも見つかる事なく、エルドラドの混戦を抜け出した…まぁ或いは卓越した実力者ならそれも出来るんだろうが、ソニアと言うお荷物を連れてそれをする意味合いはあまりないな…。
とみんなで首を傾げているとラグナとメルクさん、そしてメグさんが深刻そうな顔をして。
「そこが…逢魔ヶ時旅団の恐ろしい所なんだ」
「へ?」
「俺もアストラ軍の元帥として何度かマレフィカルムとやり合った、その中で魔女排斥組織に雇われた逢魔ヶ時旅団構成員と戦ったことはあるが…、連中は神出鬼没なんだ。本当にいきなり何もないところから現れ、何もないところへ消えていく」
「目撃情報を洗えばすぐに分かる事だ、南で目撃された逢魔ヶ時旅団が…翌日には東の果てに現れる、そして東の果てで戦っていたと思ったら、次の日には南の戦場のど真ん中に現れる。今回もそれと同じ…現れたと思ったら消えた、戦場を突っ切らず、その場でな」
まるで幽鬼の如く、逢魔ヶ時旅団は現れては消える、消えては現れるを繰り返すとの事。場所や時を選ばず何処にでも現れる、西から東、東から南…本来なら数週間数ヶ月を要する旅路をすっ飛ばして…戦場から戦場に渡り歩く。
それが逢魔ヶ時旅団の最たる特徴…『神出鬼没』、けどその話を聞いたエリスはこう思うわけだ。
「そんなの、まるで……」
「ええ、『帝国の転移魔力機構がなければ無理だ』…でございますね」
「………まさか」
「エリス様は知っていますよね、帝国軍始まって以来の大失態と呼ばれた『とある一人の脱走兵によって、大量の魔装が持ち逃げされた事件』を」
帝国軍の魔装の取り扱いは非常に多く制限があり、簡単には持たせてもらえない…と言うものがある。その制限やルールが設けられたのはとある事件が由来であると、エリスは帝国にいた頃聞かされていた。
それこそが、一人の帝国兵が…甚大な量の魔装や魔力機構を持ち出し、その上で帝国軍の追撃を振り切り、剰え軍事拠点を無数に制圧しながら最終的に逃亡を許してしまった最悪の事件。世界最強の帝国軍が個人に敗北した忌むべき歴史…。
今、その話が出てくると言うことは…やはり。
「そう、逢魔ヶ時旅団の団長にして八大同盟の盟主の一人こそがその脱走兵。トルデリーゼ様達特記組最強世代の一角と呼ばれ、かつてはフリードリヒ将軍とも互角と目された男オウマ・フライングダッチマンが…逢魔ヶ時旅団と団長なのです」
「オウマ…フライングダッチマン」
特記組最強世代…即ちフリードリヒさんやトルデリーゼさん、ジルビアさんと…リーシャさんの同期。リーシャさんが時折見せていた悲しい顔の正体。最強世代は皆固い絆で結ばれていた、と言うのにオウマはそれさえも裏切り…帝国に牙を剥き、大量の魔装を持ち出し闇へ消えた。
それが今や八大同盟の一角か…。恐らく場所を選ばずあちこちに転移しているのは帝国の転移魔力機構を使っているんだろう。
「私はオウマと顔を合わせた事はありませんが、オウマという男はフリードリヒ様と並んで将来の将軍候補として見做されていた男と聞いたことがあります。当然その手には特記魔術も握られています…なんとも、なんとも許し難い話でございます」
「特記魔術ってあれだよな、皇帝陛下が作ったって言う…」
「現代時空魔術…とでも言うべき力。オウマはそれを使うのか」
特記魔術…フリードリヒさん達が使うような現代時空魔術の使い手でもあり、帝国軍の魔装を多数保有する軍団か、こりゃあ殆ど帝国軍と変わらない戦力を持っていると見てもいいかもしれないな。
すると、この中で唯一…オウマと戦った事のある人物が、口を開く。
「オウマは強い、少なくとも三年前の私では…手も足も出なかった」
「メルクさん…」
メルクさんは机に手を置いたまま、拳を振るわせる。彼女はデルセクトでオウマと戦っている…一度目はソニアを奪取しようとするオウマと、二度目はクリソベリアに襲撃をかけた逢魔ヶ時旅団と。
そしてその両方で敗北を喫している、逢魔ヶ時旅団を相手にメルクさんはグロリアーナさんまで投入したと言うのに完全に殲滅することが出来ず、遂にはフォーマルハウト様まで参戦したというのにまんまと主要メンバーに逃げられソニアも奪われてしまっている。
…こう言う言い方はしたくない、それでも事実を述べるなら、…逢魔ヶ時旅団にメルクさん達デルセクトは敗北している。愛国心溢れる彼女にとって、何よりも許し難い事実だろうそれは。
だからこそ、彼女は…。
「…もし、逢魔ヶ時旅団とオウマ・フライングダッチマンが私の前に立ち塞がるなら、今度こそ…私がこの手で奴らを倒す」
燃える瞳で、先を見据える。ソニアとの決戦は即ち逢魔ヶ時旅団との対決も意味する。ハーシェル一家の時と同じ八大同盟との戦いが…また近づいて来ているのだった。
………………………………………………………………
「ほーん、ここが虧月城…マジでこんなところに城があるなんて驚きやわぁ」
「ラセツ…あんまりウロチョロするな、みっともない」
届けられたのは緊急招集令…、呼び寄せられたのは八大同盟。常に暗月が空に浮かび続ける宵闇の異世界にて、八大同盟『パラベラム』の盟主セラヴィとその右腕ラセツは暗然とした廊下を歩む。
唐突にもたらされた招集令、八大同盟全員集合が絶対の条件として下された本部セフィロトの大樹からの厳命を前に、セラヴィ達八大同盟は何事かと驚愕して…。
は、居なかった。寧ろその招集の遅さに呆れていたほどだ。そう…呼び寄せられた理由は分かっている。
「しかしありがたいことで!ジズ爺が死んでいつもの集合場所の空魔の館が使えんくなったから…今後はどうやってみんなで集合するんかと思っとったら、まさかクレプシドラが居城を使う許可を出すとは、分からんもんや」
「それだけの事態、ということさ。歴代最強の八大同盟の一角が崩されるというのは」
八大同盟『ハーシェル一家』の崩壊。半世紀近くに渡って八大同盟を務めて来たハーシェル一家が、遂にというかようやくというか。先日完全に瓦解し跡形もなく消え去った。
今回集められたのはその件について話し合う…ということだろう、しかし。
空魔の館は墜落し、未だその残骸はエルドラド跡地に残されている。八大同盟が集まる際都合の良かった場所が消え、その集合さえ出来なくなった。そう思われていたのだが…八大同盟『クロノスタシス王国』がジズの代わりを請け負った。
つまり集合場所の提供。誰にも見つからず、かつ何処からでも好きな時に行くことが出来るこの『偽夜の世界』…常に月が浮かび、夜が明けない不可思議な世界の中心に屹立する巨大な城『虧月城』を集合場所として貸し与えることを許してくれたのだ。
今まで同じ八大同盟とは言え絶対に立ち入らせる事がなかった偽夜の世界に、八大同盟達を招き入れた。まさしく異例の事態だ、今回の件はクレプシドラもまた大きな事象として受け止めているようだ。
「……しかし、初めて見たけど。辛気臭い国やなぁ…」
廊下を歩きながら、窓の外から城下町を見る。頭の上には歪な形をした『黒銀の月』が血のような赤い光を落とし、街を照らす。その街の中には人がいる、クロノスタシス国民達だ。
しかし国民達の顔に正気は見られず、全員がまるで幽鬼のように街をフラフラと徘徊するばかり。まるで人モドキが形だけ国という形を取り繕っているかのようだ。
「国全体が魔女排斥を掲げ、国民全員が構成員の一大組織。その実態がこれねぇ…なーんか思ってたんとちゃうなぁ」
「国一つが組織として独立する、というのはそれだけでアドバンテージだ。何せ自給自足が出来ているってことだからな。でもまぁ正直国民のあの顔色は…どうかとは思うが、こんな頭のおかしい世界にいて正気を保てる方がどうかしてる」
「それ〜!俺もおんなじこと思っとりましたわぁ社長サン」
「黙ってろ、そろそろ着く」
「うーい」
この国は夜が明けない、永遠に盈月と虧月を繰り返す異質な国…いや世界。おまけに頭の上に輝く月は見てるだけで人間の本能を刺激するような恐怖をもたらす黒銀の月。ここで二、三日生活するだけで自分はあの国民達と同じ顔になりそうだとラセツは笑う。
(にしてもこの街の形とこの城のデザイン…ど〜っかで見たことあるようなぁ〜…)
チラリと窓の外に移る摩天楼の数々、城の脇に立つ分塔、そしてこの広大な城…何処かで見たことある気が?と首を傾げている間に…城の一角に存在する会議場の扉が開き…。
「お待ちしておりました、セラヴィ様」
「久しぶりだな、デイデイト…出迎えご苦労さん」
扉を開けたのは虎鋏のような金具を口元につけた異形の執事。こいつはこの城の主人クレプシドラが右腕として重用する執事長デイデイト・ディンドン…その給仕の腕前もさることながら、戦ってもかなりのものだと聞いている。まぁ戦っているところを見たことはないが…。
「遅いですよ、セラヴィ…予定よりも十二秒遅れています」
「それは失礼、女王陛下」
会議場に入ると、既に役者は揃っており八大同盟の盟主達がそれぞれ好きな席に座ってくつろいでいる。こう言う集まり事に対して消極的であまり参加しないイシュキミリも今回は参加しているようだ。
「はぁ、大慌てで南部に戻って…落ち着いたと思ったらこれか。呼ぶならもっと早く呼べ…私は忙しいんだ」
「お疲れのようだなイシュキミリ、パパのお供は楽しかったか?」
「お陰様で有意義な時間になったよセラヴィ…、非常に楽しかった…ああ、楽しかったとも」
ギリギリと歯を噛み締めながら無理矢理笑顔を作るイシュキミリを見て、察する。大変だったんだなと。
イシュキミリの家は例のグランシャリオ家だ。あのトラヴィス・グランシャリオの息子が何故魔女排斥組織なんてやっているかは知らないが、そのせいでアイツは表と裏の両面生活を強いられている。
何か会議があっても父が近くにいる場合は招集に応じることが出来ない。ましてや最近はトラヴィスも隠居気味だから活動もままならないと言った感じだ。まぁあそこは有望な参謀がいるから…別にイシュキミリが居なくとも回るからのいいのだが。
中心に偉そうに座るクレプシドラ、部屋の隅っこに座るイノケンティウスを始め。オウマ、イシュキミリ、ルビカンテ、マヤ、セラヴィと…外周を囲むように座る。これで…全員揃ったな。
「全員、揃ったな…」
「まだだろうが、セフィラはどうしたよ。ホドがいないにしてもケテルなりゲブラーなり纏め役無しに進む予定か?おい」
話を進めようとするイノケンティウスに異議を唱えるのはオウマだ、確かに八大同盟は揃ったが…セフィラがいない。中枢的な存在であるセフィラ不在にしては流石に今回の議題は進められない。
何せ今日は…。
「ジズのクソ爺の後任決めるんだろうが…。それを八大同盟だけで決めんのか?」
そう、ジズの後任だ。ヤロウは組織を裏切った、そして結果的に総帥自らが出て粛清を行い逝去なされた。まぁそこはいいんだがジズは八大同盟としての一角を担う大きな存在でもあったからな。その後任を決めるのは俺たちの仕事では無くセフィラの仕事だ。
俺たちが呼ばれたのは形式上の話、内内で決めて後から文句を言われるを防ぐための。だがそのセフィラがいないで進められるかとオウマは言うのだ。
「ふむ、確かにな。で?どうなんだ?クレプシドラ」
「ホドもケテルもこちらには来られないとの話は伺っています」
「ナメてんのか?じゃあ予定空いてから呼べよ」
「代わりにこちらに理解のビナーが向かっているとは聞いていますが、遅刻のようなので先に話を進めましょう。あと五秒で開始時刻です……はい会議始め、意見を述べなさい」
「アホかお前は…」
「何の意見をどう述べろと言うのだ」
「なんの決定権もないオブザーバーが話し合っても意味ないだろ」
「井戸端会議になっちゃうよねぇ〜」
非難轟々、全員でぶーたれながらどうしろと言うのだと困り果てる。そんな中…口を開くのは。
「ジズは…セフィラによって滅された。しかし…」
魔女狩り王イノケンティウスだ、彼は姿勢良く座りながらチラリと八大同盟達を見遣りながら…。
「そのジズの目論見を潰し、剰え彼を撃破したのはセフィラではなく…魔女の弟子だと聞いているが」
「…………」
「魔女の弟子達は、既にマレウスに入り…そして、八大同盟を潰せるまでに至ったと言うことか」
全員の顔が険しくなる。魔女の弟子…ある意味我々にとっての天敵であり、そして取るに足らぬ瑣末な存在。アド・アストラとは別軸の存在であり最も行動や成長が読み辛い存在でもある。
数年前単独で大いなるアルカナを撃破した孤独の魔女エリスを筆頭に、アルクカース最強の男ラグナ、絶大な資金力を持つデルセクト同盟首長メルクリウス、世界の魔術全てを統括する絶対者デティフローア、オライオンの絶対的な守護神ネレイド。
他にもなんだかユニークな存在が数人と…、全員が何かしらの影響力を持つ存在だけで構成された特異集団。と言うのが八大同盟達にとっての魔女の弟子の認識だ。
まぁ珍しい存在ではあるが、今のところ単独での武力に於いて大した脅威にはならない、そう全員が思っていたところにもたらされた…魔女の弟子メグ・ジャバウォックがジズ・ハーシェルを撃破したと言う報告。
これはある意味、驚きの情報だった。
「ジズが魔女の弟子に負けるとは…想像出来なかったな」
「私達が目を話した隙に、ちょっと看過できないくらい強くなったって事かな?」
セラヴィとマヤが語り合う中、話を続けるイノケンティウスは…ある一人に視線を向ける。
「魔女の弟子の実力は未だ判然としない、そこで聞きたい…イシュキミリ。お前は魔女の弟子達と直接接触したそうだが…お前から見て奴等はどうだ?本当にジズを倒せるだけのものを持っているか?」
「………」
イシュキミリに伺う。当時エルドラドに居た唯一の八大同盟にして…表の顔で魔女の弟子達と直接接触した彼に聞くのだ。
ジズは殺し屋だ、戦闘面に於いては八大同盟の中でも上位にいるわけではない。だがそれでも確実に世界単位で見ても確実に上位に入る存在である事に違いはなく、マレフィカルム全体でもジズに勝てる奴はそうそういない。何よりジズが保有する戦力は凄まじい…特に。
「エアリエルやアンブリエルも負けたのか?」
「えぇ〜?そりゃないやろ社長サン、エアちゃんもアンちゃんもモノごっつ強いやん?あれが負けるとか…ねぇ?どうなん?イシュちゃん」
「……負けたさ、ジズだけじゃない。ファイブナンバーもそれに次ぐナンバーも全員魔女の弟子達によって敗れている」
「ワァオ!エェ〜ホンマ?そォ〜らやンばァ〜」
ケタケタと笑うラセツを無視しつつ、全員が少しだけ考える。
エアリエルもアンブリエルも相当な使い手。強さと言う単一の価値で見ればその二人の実力は他の八大同盟を相手にしても喧嘩を売れるほどに大きい。それらまで負けた…と言うことは。
負けたのはジズではなく、八大同盟の組織そのものということになる。
「魔女の弟子達は既にその半数が覚醒していることがわかっている。残りの半数も覚醒は秒読み…特にエリスとラグナに至っては第二段階最上位にある、ここにいる八大同盟の多くに迫るほどだと私は考えている」
マレフィカルムでも第三段階に至っている人間は少ない、少なくともこの場には『四人』しか居ない。と言えことはつまり、魔女の弟子は既に侮ることが出来ないレベルに達して…。
「くだらねぇ…」
「なに?」
「くだらねぇってんだよ、第二段階とか覚醒とか…そういうのは尺度でしかねぇだろうが」
異議を唱えたのは、オウマだ。魔女の弟子が脅威と思うか?いや自分はそうは思わないと。
「魔女の弟子?くだらねぇな、取るに足らねえよ」
「随分気を抜いているなオウマ、だが奴等は物の数年で凄まじい強さを手に入れて…」
「油断じゃねぇ、気風ってんだ…これは、王者のな」
するとオウマは立ち上がり、周りを見下すように腕を組み。
「俺達は八大同盟だぞ、それが数人の集団相手にビビってどうするよ。そもそも保有戦力で言えばジズは比較的小さい方だ、少数精鋭謳ってチマチマ金稼いでただけの殺し屋だろうが。剰え奴自身は老人も老人…それが倒されたから俺達の身まで危ないって、ビビんのか?八大同盟が」
「ふむ…まぁ、オウマの言うことにも一理あるかもな」
「おうよイノケンティウス、…俺達は俺達のやりたいようにやる。魔女の弟子がもし突っかかって来ても踏み潰す。今まで通りな」
オウマは既にメルクリウスという魔女の弟子を倒している。事実彼の実力ならば未だ魔女の弟子程度なら難なく倒せるだろうし、彼の部下ガウリイルやアナスタシアはエアリエルに負けぬどころか勝るほどの使い手達だ。
それ程の戦力を有しているのが八大同盟だ、ジズのように古株故の影響力を持つだけの組織とは違う。新興組織故の絶対の実力…それが逢魔ヶ時旅団にはあるのだ。そしてそれは他も同じ。
ジズ達は強いが、でも自分達ほどではないと全員が考えているのだ。ただ、そんな中…。
(オウマの奴、それは結局油断だぞ…)
イシュキミリは内心で侮蔑する。イシュキミリは魔女の弟子達を見ているからこそ、その恐ろしさを理解している。
(確かにまだ魔女の弟子は未熟だ。だが未熟と言うことは即ちいつでも成長が出来るという事だぞ…。奴等はジズ達との戦いでなお力をつけた…もし奴らが今後も八大同盟と戦い続け、そしてその都度に成長を遂げ続けるのだとしたら)
イシュキミリは恐怖する、もし魔女の弟子が今後も八大同盟と戦い続け、そしていつかその全てを平らげる日が来た時には…最早誰にも手がつけられない程に強くなっているのではないかと。
そして…これはこの場の誰も与り知らぬことではあるが。それこそが魔女達の狙い、八大同盟という強大な存在を打ち倒し己の糧に変えた果てに魔女の弟子達が開花する事を望んでいるのだ。
「ま、どんだけ強くなってもジズ爺程度に苦戦してるようやったら、まだまだ俺の敵ではないかなぁ〜なはは」
「うぅ〜ん、お酒切れて来ちゃった…ねぇ誰かー!お城のお酒持って来てよー!ねぇー!」
「……魔女の弟子、興味が湧きました。デイデイト、明日までに魔女の弟子達全員の資料の用意を」
「御意」
この中でも頭ひとつ飛び抜けた強さを持つラセツやマヤは余裕の表情を見せ、さらにその二人さえも下に見る絶対的な実力を持つクレプシドラは魔女の弟子達に興味を持ち、執事に資料を用意するよう求める。
ならば私は私で魔女の弟子達に対して、施策を打つとしようとイシュキミリが考えたあたりで…、ふと…。
「ん…」
「来たか」
全員が扉の方を見る。気配を感じる、ようやく彼が来たようだ…。
「失礼、もう始まっていたようだ…私としたことが駆け足になってしまったよ」
「遅い、コクマー」
現れたのは、金の髪を後ろで束ねた初老の男性。杖を突きながらにこやかに扉を開けて悠然と八大同盟の只中を歩いて…コクマーが、セフィロトの大樹十一人の幹部が現れる。
彼の名はコクマー…知恵のコクマーのコードネームで知られる人物なのだが。八大同盟の盟主達は皆目を丸くする、イノケンティウスとクレプシドラ以外の盟主は目を丸くするのだ。
何せ、コクマーは今まで八大同盟の前に姿を現したことがない人物だった。それがこうも易々と顔を見せたこと自体に驚きがある…と同時に、この中でも比較的年長者のセラヴィは暇潰しに吸おうとした葉巻をポロリと指の隙間から落とし。
「お、…おい。お前が…知恵のコクマー…なのか?」
「ふぅむ、君は確か…パラベラムのセラヴィ史だったかな?獅子のような髭が如何にもな悪人ヅラだね、そうとも…私が知恵のコクマーだ。互いに年長者として有意義な時間を過ごそう」
「知恵のコクマー、お前…ウィリアム・テンペストだろう…!」
ウィリアム・テンペスト…もう十数年も前にジズによって暗殺されたシュランゲの領主にしてレナトゥスの前のマレウスの宰相だった男。
つまり…死人だ。
「おや、…私の顔を知っていたかな?」
「いや会ったことは無い、直接はな…」
まだセラヴィがしがたない商人だった頃、遠目に一度見たことがある程度だった。だがそれでも一度見た人間の顔は忘れないのがセラヴィの特技でもある…故に断言できる、こいつは死んだはずの男…ウィリアム・テンペストだ。
「なぜ生きている…死んだはずじゃ」
「セラヴィ、無駄話はやめなさい…予定が狂う」
「ッ…」
そんな中、この城の主人にしてこの国の女王であるクレプシドラが怒りに満ちた目でセラヴィを睨む。予定を狂わされるのがなによりも嫌いな彼女はこれ以上の詮索は他所でやれと全身から魔力を放ちながら怒りを露わにされ…セラヴィは思わず言い淀み、黙らざるを得ない。
「失礼、秘密主義というわけではないのだがまぁそう言う手前の事情があるもでね。詮索はしないでもらえると助かるよ」
「正直どうでもいい、テメェが誰かとかな」
「ありがたい、では早速この一件に対しての総帥の判断をここで告げるとしよう」
すると、ウィリアムは…いや、知恵のコクマーは壇上に上がりながら両手を広げ、総帥の口の代理を行うと言うのだ。
「もうか?随分早急だな」
「急足である事は重々承知だ、紳士にあるまじきものだ、が私も色々と立て込んでいてね。失礼ではあるがまず結論から伝えていくと…総帥はジズ・ハーシェルの空席を埋めない方向で話を進める…と私に言っていた」
「埋めない…つまり新たな組織をジズの後釜に据えることは、しないと?」
「おかしいよなぁ、八大同盟は通例として『八つの組織』が原則だったはずだ、九にはならんし七にもならん…魔女へのアンチテーゼとして八の組織で形成するのが八大同盟の鉄則だったろ」
「ああそうだ、だがそれが総帥の判断だ…私に何を言われても答えかねる」
コクマーの言葉に多少の非難は出る、そもそも八大同盟とはその成立以来八つの組織が構成する機関であると決まっていた。それは八人の魔女への当てつけであり、並み居る組織を八等分して治めるのが効率が良かったから。
しかし、その前提条件を崩し八つ目の席を埋めないと言い出したのだ。そりゃあ非難もする、中には自分達にとって都合のいい組織を八大同盟の席に座らせ他の同盟よりも優位に立とうと考えていた者も少なからずいる分…余計にだ。
「どう言う判断か、聞かせてもらえるか。コクマー」
「総帥曰く、今のマレフィカルムにジズの後釜を任せられる組織が居ない…とのことだ」
「……シュトローマンの組織、キリング・ピカレスクは?奴はジズの後釜としてジズが育てていただろう」
「んふふふ、裏切ったジズが育てた組織を後任に?些か現実味を欠くと思うのだが…」
「……確かにな」
確かに、今のマレフィカルムに八大同盟の席を任せられる組織はいない。それは今のマレフィカルムが弱い…と言うわけではなく、八大同盟そのもののレベルが高すぎるのだ。或いはその席に座ることが出来たのは大いなるアルカナのように頭一つ抜けた力を持つ組織か、八大同盟ハーシェル一家が育て上げたキリング・ピカレスクくらいだが。
アルカナはもうないし、キリング・ピカレスクは裏切ったジズの手先だ。他にも準同盟クラスの組織は全て現在八大同盟直下の組織ばかり。これでは八大同盟そのもののパワーバランスを崩しかねないと判断したガオケレナにより、今は八大同盟の空席を埋めない方向に決まったのだ。
「じゃあ暫くは、ジズの席は空席ってか」
「少なくとも総帥はそう判断した、今のマレフィカルムの現状と世界の情勢を考えるに下手に席を埋めるよりノータッチの方が有用だとね」
コクマーが周囲を見回せば、誰も何も言わない。判断的におかしいところは何もない、下手な組織でジズの席を埋めると…余計な内部紛争が起こりかねない。八大同盟になりたい…けど他の組織には勝てない、そんな血気だけが盛んな組織はわんさかいる、そう言う奴らが同盟の席を巡って殴り合いを始める可能性があるなら、最初からその空席を埋める気はないと公言するに限る。
正直、今の八大同盟が作り上げられた時代と現状の環境が違う。前は魔女と言う積極的な敵意を見せない存在と睨み合う中で内部抗争を繰り広げ同盟の座を奪い合うこともできたが。
今はアド・アストラと言う敵対組織を前にしている。下手に内部紛争を起こすと付け込まれかねない。またどこかの組織が傑出するまで…今は空席を埋めないでおく。
「と、言うわけだ。各組織はそれぞれ傘下の組織達にそのように伝達しマレフィカルム全体での情報共有を頼むよ。では私は行く所があるので失礼する」
「判断については納得した、だがさっきも言ってたが…どうしてセフィラが来れない、いつもならホドやケテルが居るし、こう言う場合は総帥が来て然るべきなのに…何故普段顔を見せないお前が出て来た?」
早々に立ち去ろうとするコクマーを前にイシュキミリはふと気になって声をかける。いつもの集合会議なら司会進行にホドが、野次馬にケテルが来ている場合が多い。それにこのような重大な会議なら総帥が出て来てもおかしくない。
しかし現れたのは普段顔を見せないコクマー。そしてそのコクマーも早々に立ち去ろうとしている。まるでこれでは…。
「…セフィロトの大樹が、何かしているのか?」
「…んふふふ、勘がいいねぇ…それは父君の遺伝かな?それとも先生の教えか?確かにその通りだよイシュキミリ史。珍しく総帥が気まぐれを起こしてね、我々セフィラもそれに付き合うことになったのだよ。君達に何かを望むわけではないから安心してほしい」
「…何をしようとしている」
「追って伝える…と言ったら君達は怒るかな?」
「つまり言わないと…まぁいいが」
「んふふ、そう言ってもらえると助かるよ。その物分かりの良さは美徳だ、特に若者に於いてはね」
ニッと口元の髭を揺らしながらコクマーは笑いながら背を向け早々に退室していく。この程度の会議なら書簡でもよかったのでは?と思わないでもないが、少なくとも総帥はそう判断した…のなら、組織に所属する人間として言うことを聞かざるを得ないだろう。
「…チッ、クソくだらねぇ時間だった。俺ぁ帰る」
「今回ばかりはオウマに同意せざるを得ない、時間を作って来た私が馬鹿みたいだ」
「全くだな」
次々と立ち上がり同じく退室を始める同盟達、そんな中…イノケンティウスは…。
「オウマ」
「あ?なんだ」
呼び止める、オウマを。既にオウマを置いて他の同盟達は部屋を出ているし、クレプシドラは早く出て行って欲しそうにしつつもまだ会議終了時刻ではない為特に何も言わず二人をジッと見続ける。
「あんだよ、お前が俺を呼び止めるなんて珍しいな」
「……お前は、最近ソニア・アレキサンドライトと協力して…何かをしようとしているらしいが、何をしようとしている。マレフィカルム本部には…報告していないようだが」
「あ?あー…耳聡いな」
オウマがソニアと組んで何かを企んでいる事をイノケンティウスは察知していた、それが秘密裏に行われマレフィカルムに報告をしていないことも、故に皆が居なくなった後にこうして聞く配慮をしたのだ。
その配慮を分かっているか、或いは無視してか、オウマはニタリと笑い。
「ああ、企みはある。だがそれをお前達に報告する義理はあるか?」
「無いな、我々は同盟という名を持ちさえすれど、仲間では無いし…主従でも無い」
「ならいいだろ、何しようとしても」
「ああそうだな、だがオウマ…」
「あんだよ、まだなんかあるのか?」
「……我々の本分を忘れるなよ」
「…………」
我々の本分は何か、世間から犯罪者集団と罵られ世界の敵と見做され殲滅される身にあれども、それでもやり遂げねばならない想いがあるからこそここで戦う道を選んだのが我々魔女排斥派だ。
そして、我々が真に望むべきは…。
「我々の本分は世界の破滅にあらず、我々は…より良い世界を求めて戦う者達であることを、忘れるなよ」
「……ケッ、くだらねぇ」
しかし、その言葉を前にオウマはくだらないと首を振り背を向けると…。
「テメェの価値観俺にぶつけんな、俺は俺のやりたい事をやる為にここにいるんだ。頭から押さえ付けられるのはごめんだね」
「………そうか」
拒絶、その時点でイノケンティウスはオウマという男に対する評価を改める。この男は私が思っているよりもずっと『私に近い男だった』と、そして同時に思う…残念に。
オウマは恐らく既に……。
「どうやら、始まったようだな…クレプシドラ」
立ち去っていくオウマの背中を見送り、イノケンティウスは目を伏せたまま、最後に残った相手に、城主クレプシドラに語りかける。どうやら始まった…いや、ジズが動き始めた時点で既に火蓋は切って落とされていたのだと。
「何がですか?」
「戦いの時が…だよ、どうやら我等と魔女の弟子の戦いは、これから始まるようだ」
「………イノケンティウス、お前は魔女の弟子を恐れているのか?」
クレプシドラは目を細める。思えば今日の会談でもずっとイノケンティウスは魔女の弟子への警戒を強く口にしていた。八大同盟で唯一己を上回る存在である神王イノケンティウスが臆病風に吹かれたのでは無いかと…彼女は苛立ちを見せるが。
イノケンティウスは首を振るう、魔女の弟子を恐れているわけではない…ただ。
「恐れてはいない、ただ…楽しみなだけだ」
「……楽しみ?」
「ああ、彼等は時代の中心にいる。彼等の道が…きっと未来になる、そう言う権利をあの若者達は持っている。故にきっと…彼等はこの戦いの果てに余の目前に迫るだろう。その時…雌雄を結するのが楽しみなのだ」
「……気に食わない話ですね、つまり何ですか?私が…魔女の弟子に敗れ、お前の前座になると?」
「さて、どうだろうな。或いはお前を前に敗れるかもしれない…だが」
イノケンティウスは目を伏せたまま想う。魔女の弟子達の存在は…私にとっても重要な存在だ。
私と彼等の道は必ずぶつかり合う。それは分かりきっている、だからこそ…イノケンティウスは燃えるのだ。
(楽しみだ、この齢にしてようやく…訪れるか。我が決戦の時が)
八大同盟最強の男は、一人笑う。魔女の目論見は分かっている、自分達を弟子達の餌にしようとしているのだと…。
だからこそ、燃える。ならば逆に自分が魔女の弟子達を喰らって…全てをひっくり返してやろうと。この齢にしてそんな決戦に恵まれた幸福を彼は噛み締める。
(ククク…、さて…どうなる。世界はどちらを望む、私か…魔女の弟子か)
彼は待つ、魔女狩りの『英雄』は待ち続ける。八大同盟を超えた先にて…弟子達を。




