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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十六章 黄金の正義とメルクリウス
592/868

539.魔女の弟子と獣の夢を見る者


「どうですか?私達の作り上げたドリームパークは」


「これ、本物っすか?」


「ええ勿論」


エリス達は魔術理学院からの手紙を受け、デティと共に魔術認可を行う為こうして南部に入って魔術理学院を訪れたわけだが。そこに広がっていたのは異様な光景、樹木のように巨大なキノコが織りなす森、山岳のように巨大なキャベツ、焼いたベーコンが鳥のように飛び、魚の切り身が泳いでる。


食べ物だ、食べ物が野生動物のように振る舞っているのだ。なんだこれは…三周くらい回って面白いぞ。


そんな異様な庭園ドリームパーク内部を案内するように歩く南支部長コバロスさんの案内でエリス達はパークの真ん中へと案内される。…こうして、歩いていると分かるが、ここにある食べ物は見かけだけ食べ物というわけではなく、本当に本物の食べ物のようだ、だって匂いがまんまそれだもん。


「コバロス様、これが貴方達の作った魔術と?」


「ええ、我々が復元に成功した『遺伝子抽出書換え魔術』によって作り出された人工食物生命体です」


「……魔術導皇の私ですら、どういう原理か理解出来ません…、よろしければご説明願えますか?」


やや頭の痛い光景を前にしても表情を崩さないデティの問いかけにコバロスさんはなんとも嬉しそうに笑う。よっぽどデティの想像を超えられたのが嬉しいようだ。


「いいですとも、まず先程…魔獣達は急速に環境に適応し進化していく、というお話はしましたね?」


「え?ああ、数百年ぽっちで骨格が別物レベルで置き換わってたアレだな」


先程見せられたイフリーテスタイガーの骨を思い出す、確かに魔獣は自然環境に適応して外ではなく内側を変質させていく力を持っているのは先程聞いた話だが…それとこれの何が関係しているんだろうか。


「ええ、我々はそこに着目したのです…もし『その適応進化をある程度人間にとって都合の良い方向に捻じ曲げられたら』と」


「人間にとって都合のいい…まさか、魔獣の家畜化か?」


「ええ、蚕のように人間の為だけに存在する魔獣…いや隷獣とでも言いましょうか、それが…」


「まさか、これ?」


ペッとラグナは飛んでいたベーコン鳥を掴み見せつける、体はベーコン、そこに羽と鳥の脚をつけただけの文字通りのベーコン鳥だ…ん?待てよ?


その話がそのままここに繋がるなら…。


「ええそうです、ここにいるのは全て元々は魔獣ですよ」


「…っこれ全部!?」


ギョッと驚き思わずベーコン鳥を手放してしまうラグナ、そのままベーコン鳥は天高く飛んでいってしまう。


…あれが魔獣。信じられない話だがなんだか納得出来る部分もある、例えばさっきのベーコン鳥、あれって心臓とかあるのか?肺とかあるのか?口はないけど食事するのか?それら全てを解決出来るのは魔獣という生き物が持つ特性…魔力があれば内部器官を必要としない異質な整体ならば、解決出来る。


「ははは、心配いりませんよ。我々が復元した遺伝子抽出書換え魔術は生物の遺伝子をある程度自由に組み替えられるのです、とは言えこれだけでは生物の生態系そのものを弄れる程の力は持ちません…しかし」


「なるほど、そこで魔獣の適応進化か。遺伝子を加え適応進化の方向性をある程度こちらで定められたら…」


「そう、魔獣は急速に環境に適応する力を持つ、なら組み替えた遺伝子にも適応すると考えました。なのでまず魔獣を捉え『肉体全てが可食部になる遺伝子』と『独自のルーティンで一定周期で産卵を行う遺伝子』を与え、しばらく放置。そして時間が経過した後その魔獣から適応した遺伝子を抽出し、それをまた別の魔獣に組み込み放置、適応に適応を重ね魔獣を強制的に進化させていったんです」


「遺伝子を与え、それに適応させた遺伝子を更に取り出し別の魔獣に、確かにこれなら強制的に魔獣を進化させていけるな…」


「ええ、そうして百年の歳月を使ってようやくこの段階に至ったのです。魔獣としての特性は完全に消え去り、本来の獣同様に一種の自然と化したのがこの隷獣というわけです」


なんだか凄い話だ、魔獣の遺伝子を組み替え、適応させた上で都合のいい遺伝子だけを取り出し別の魔獣に組み込み、魔獣を意図的に適応進化させていき、自分達で繁殖して行く新たな生物にしてしまうなんて…。


文字通りの魔獣の家畜化。その成功例がここなんだ…。


「実験当初は色々悲惨だったようですがね…、食べれても味が悪いとか、全身ベーコンなのに人間を食べようとするとか、火を吹くローストターキーとか…そう言う試行錯誤と膨大な挑戦によりようやく…ようやく魔獣を飼い慣らすことができるようになったのです」


「そうか…、ふむ。この技術が有れば、ともすれば魔獣そのものを駆逐していけるかもしれない」


「魔獣に遺伝子を注入するだけで無力化出来るってことですね」


「いやそれだけじゃねぇな、文字通り食料問題も解決だぜ。見てみろよあのでっかいキャベツ、あれだけでそこら辺の街なら一ヶ月は食うに困らねぇ」


エリスとメルクさんとアマルトさんで家畜化された魔獣を見てその使い道について色々考える。例えばこの技術の応用で、人間に味方する魔獣も作れるかもしれないし、何よりこいつらが野に放たれ独自の生態系を作ればこの世から貧困が無くなる。


いいことしかない、まさしく夢の技術だ。


「ふーん、魔獣の家畜化か。アルクカースも一応やってはいるが…このレベルじゃねぇな」


「…………」


一方対照的にやや冷えた目で周りを見るのはラグナとネレイドさんだ。するとラグナは…。


「にしてもさ、そんな遺伝子いじくり回したようなモンって本当に食えるのか?なんか…体に害とかありそうだけど」


「害?ははは、まぁ確かに。新しい技術と得体の知れない生き物を前にすればそれは当然の反応と言えるでしょう、事実研究者の中には何人かそう言う反応を示す者もいました」


「だろ?例えばあのベーコン鳥とか食ったら、ベーコンになりそう」


「あははは、食べ物によって体が変質するなんてあり得ませんよ。まぁ昔は有毒物質を作るような種もいましたが…それはもう五十年も前に解決した問題です。今はなんの問題もありませんよ」


「本当に…?」


「ええ、証拠として私達研究者はもう数年外に出ずここの食べ物だけを食べていますが…、ご覧の通り何もありませんよ?体は何処もベーコンになっていませんよ、まぁよくハムみたいな体だとは言われますがね?なははは」


「ははは…」


苦笑いするラグナ、でも食べ物の遺伝子が体に移るなんて話は聞いたことがない。人間の胃袋にそんな機能は無いし、そう言う機能を獲得してしまうにしてもそれは今からずっと未来の話だろう。


安全性はコバロスさん自身が証明している、証明出来ているからデティを呼んだのだ。なら大丈夫じゃなかろうか?


「さて、デティフローア様。どうでしょう、この技術…認可してはいただけませんか?この技術が有れば、少なくとも人間が戦争する理由のうちの一つが…この世から消えることになります。我々はこの技術こそ人類の希望になると信じて百年を費やしてきました…なので、どうかお返事を聞かせていただけませんでしょうか」


「………」


そう言われたデティは、黙って周囲を見回した後…コバロスさんに視線を向けると。


「もう少し、見てもいいでしょうか?やはり私にはまだ分からない部分があるので」


「ええ、それもいいでしょう。ここにいる間に返答を頂ければそれで。一日で答えが出なければこの理学院内部の居住スペースを使って頂いて構いませんので」


「感謝します」


「いえいえ、では私は一旦研究に戻るのでまた何かあればお声掛けください。それでは」


そう言って軽く手を上げパークの出口へと向かって行くコバロスさんを見送る、そうしてコバロスさんの姿がようやく見えなくなったあたりで…デティはこちらに振り向き、ニマッ!と笑い。


「んじゃ!ピクニック!しよっか!」


「ここでぇ…?」


「食べてみようよ!ここのご飯!どんな味がするか気になる!」


「いいですねデティ、よし!エリス!狩りに出ます!」


「お!いいな!よっしゃ!俺も行くぜ!」


デティのピクニックの号令、それによりみんなやる気を出し、エリスとラグナ達はこのドリームパークを楽しむことにしたのだ。


……………………………………………………


「面白い場所ですねラグナ」


「そうだな、よっと…見てみろよこれ、ニンニクに虫の羽がついてら」


「こっちのキャンディーにはナナフシみたいな足がついてますよ」


それからみんなそれぞれ別れてピクニックの為の食材集めを行うことになった。自然とエリスとラグナは二人組になり風呂敷広げてとにかくそこら辺にいる食べれそうな物を集めて回るのだ。


「………」


ふと、ラグナはそんな中空を飛んでいたニンニク虫を掴み、爪を立て真っ二つに割って中を見てみる。すると…。


「中身もマジでニンニクだ…」


「本当に臓器の一つもないんですね」


「だな、それに」


そう言いながらラグナは動かなくなったニンニク虫をヒョイと口の中に入れるのだ、え?いや…まだ羽とかついてたけど。


「うん、味もニンニク」


「いや流石に羽は取りましょうよ…」


「羽もニンニク味なんだよ、本当に可食部しかない」


「え?」


そう言われると…気になるじゃないか。エリスは手元で蠢くキャンディー虫の足をペッと取り、口に運んでみる。


うん、口触りは最悪だが確かにこれは砂糖の味…美味しいイチゴキャンディーだ。


「美味しいですね」


「ニンニクの羽…なんかパリパリしてて美味い、寧ろこれ単体で欲しい」


「あはは、なんかそれ贅沢ですね」


しかし絵面を見ると最悪だが、虫の羽をぺりぺり口の中で咀嚼する人間の絵を思い浮かべて欲しい。正気に見えるか?エリスは見えない。


するとラグナはそのままニンニク虫をごくりと飲み込み。


「なんかさぁ、世の中急速に技術が進化していってるよな。あっという間についていけないくらいいろんな技術が生まれてる」


「ですね、アド・アストラも十分凄いですし、ここもメチャクチャです」


魔女が技術抑制を無くした結果、たった数年で世界は一気に進化しつつある。もしかしたら八千年分の累積が一気に爆発しているのかもしれないが…だとしたらエリス達はこれから、八千年分の人類の進化を十年くらいで体感することになるのかも知れない。


そうなった時、エリス達は果たしてついていけるんだろうか…いやそれ以前に、ラグナ達はそんな技術の奔流を御することが出来るんだろうか。


「こう言う平和な技術ならいいけどさ、もしどっかで…世界を破壊しちゃうような、とんでもない兵器とかが生まれてたら…どうすんだろうな」


「どうすんだろうなって、他人事ですね」


「まぁ、イマイチ実感がないからな…」


でもある意味、それが魔女様達が恐れた事態なのだろう。いずれ人類の技術はこの星の許容できるラインを超える可能性がある。魔術がそうであったように、他の技術がそこまでいかない保証はない。


そうなった時、世界を先導するリーダー達は…どうするんだろうな、と言うのはまぁ、分からない話でもない。


「ンまぁ〜何にしても、どうやっても人間の進歩は止められない。魔女様でさえ完璧に抑えられなかったんだ、ならなるようにしかならないかぁ」


「かも知れませんね、分かっていても探求をやめられないのが人間ですから」


「業が深いってなもんでッと!」


その瞬間ラグナは地面に手を突っ込み、そのまま拳を地面から引き抜くと…その手には長いソーセージが握られており。


「ソーセージミミズゲット!でっけぇ〜」


(なんだかんだ楽しんでるなぁ)


無邪気に笑う彼を見ていると、泡のように浮かび上がってくる名状し難い不安が立ち消える。どんな技術が生まれても、エリスはラグナの笑顔を見ていられるならそれで幸せだなぁ。


「よっと、そろそろ戻るか?」


「そうですね、アマルトさん達もそろそろ料理を始めているでしょうし」


「だな、これ全部アマルトに料理してもらおうぜ!」


「ええ……ん?」


歩き始めたラグナに続いてエリスも引き返そうとしたところで、ふと…何かに気がつく。


(…今、何かいた?)


背後にはアスパラの森が広がっている。そんな中に…エリスは何か、視線のような物を感じたんだ。何かいるのか?と目を凝らしてみると…いつぞやのベーコン鳥が木の隙間を飛んでいた。


なんだ、アスパラベーコンか。


「どうした?エリス」


「いえ、なんでもありません」


『おーい!エリス〜!ラグナ〜!早いところこっち来いよ〜!飯作ってんぞ〜!』


ん、この声はアマルトさんだ。見ればキノコの森で何やら料理を始めている。


「あ!分かったー!今そっちに食材持ってくよ〜!」


「待ってくださいラグナ〜!」


そうしてエリス達は慌ててその場を離れる。…アスパラの森の、その木の頂点で、こちらを伺う影に…気がつくことなく。


『ゲゲゲ…ニンーゲン』


………………………………………………


「オラァッ!キノコの木を使って作ったビッグバンサイズのドデカシチューじゃオラァッ!!!」


「スゲェーっ!」


「こちらロールキャベツに足が生えて歩いていたところを捕まえて作ったロールキャベツ煮でございます」


「すごーい!」


「これエリスが捕まえたキャンディーの虫です、足のとこが美味しいです。ほら、ポキって取れる」


「ぎもぢわるいーーッッ!!」


それからエリス達はキノコの森の中でピクニックを開催することとなった、アマルトさんはここにある巨大な食材を余すことなく使い、まるでプールみたいな鉄鍋一杯に超巨大具材を入れてあり得ないくらいデカいシチューを作り。


メグさんは牛一頭使って作ったような巨大なロールキャベツ煮込みを振る舞い、エリスはさっき捕まえたキャンディー虫を見せる、美味しいのにメルクさんには非常にウケが悪い。


「さぁ!食おうぜ!」


「うぉっ!でっけぇ…これなんだ?」


「それキノコを刻んだやつ、切っても人の頭くらいあるぜ?」


「マジか…むぐっ、んォッ!?でっかいのに全然味が大雑把じゃない、寧ろ繊細でしっかり奥行きのある味わいだ」


「このロールキャベツも中々…、絶品だな」


「エリスちゃんが捕まえてきたキャンディー虫、マジで足のところが美味しいね」


そこからはもう美食祭りだ、他にもベーコン鳥をそのまま捕まえて作ったベーコンサンド。生のステーキのまま歩いていたそれを捕まえて丸焼きにして食べたり、色々やった。


食べても食べても尽きないくらい、ここには食べ物がある。そして、そのどれもが美味い。


「むぐっ、んんぅ〜!これも美味しい〜!」


「エリスちゃん…それ何?」


「ん?パンです、パンに犬の足が生えて歩いてたので、捕まえて食べました」


「原始人じゃん…」


食パンが一斤丸々ヒョコヒョコ歩いていたので捕まえて齧り付いたんです、そしてこれがまた美味い。ミルクの味が程よくてとろけそうな味わいですよ。


「いやぁ、ここは料理を嗜む人間にとっちゃ天国だな」


すると、アマルトさんがさらにその辺から取ってきた食材でもう一皿仕上げながら周りを見る。


「食材がその辺歩いてるのもそうだが、何より質がいいし…デカい。あのキノコの木一本で俺なら一週間はキノコ三昧パーティが出来るぜ?」


「ほう、それは面白そうだな。確かに一つ一つのサイズが大きいから夢のような料理をたくさん作れるわけか」


「帝国の技術に勝ると言われた時は腹がたちましたが、確かにこれは良い技術ですね。何より面白いです、さっきティーポットがトコトコ歩いてましたよ、おそらく中身はアールグレイです、普通に飼いたい」


エリス、アマルトさん、メグさんの料理人組、そしてメルクさんはこのドリームパークを大いに楽しんでいる。何せここにある食材は使っても尽きないばかりか夢みたいなサイズのものばかりだ。


この食材を使ってどんな料理ができるか、それを想像するだけで楽しいと言う物だ。故にアマルトさんはニコニコ笑いながら座り込み、膝を叩きながらデティを見て…。


「へへへ、これはさぁ!もう決まりじゃねぇか?デティ?」


「え?何が?」


モグモグとチョコレートの蛇を食べながらデティは首を傾げる。それを見たアマルトさんは上機嫌に笑い。


「とぼけちゃってぇ、認可だよ認可。これ認可してさ、魔女大国にも持ち込もうぜ?そうすりゃ毎日こんな生活が送れるってもんよ」


「そうですね、コバロスさんの言った食糧問題や魔獣問題も解決出来ますし、いいんじゃないでしょうか」


「はい、帝国が遅れを取るのは些か嫌ですが、仕方ないでしょう。寧ろ帝国ならこれを更に進化させて無限に食材を生み出し続ける方法すら編み出せるでしょう」


認可だ、デティが認可をすればこの技術が世界を席巻し瞬く間にあらゆる問題が解決する。それはきっと良いことだとエリス達四人は言う…しかし。


それに、ノーを突きつけるのはデティではなく…。


「私は…もっと考えたほうがいいと思う」


「え?ネレイド…?」


ネレイドさんだ、先程からここの食事を一口も食べずに皿を突き返した彼女は真剣な顔でエリス達の言葉にノーを突きつける。


「な、なんでだよネレイド。いいじゃんか、別に問題があるわけじゃないし」


「問題ならあるよ、…だってこんな。生命体を食べ物としてしか扱わないなんて、生命に対する冒涜。何より神が作り上げた世界を人の意識一つで勝手に作り替えていいわけがない」


「そうは言うがネレイド、残酷な話をするようだが既にこの世界には食べ物になるしかない生き物だっている。我々はそう言う自分達の都合で命を頂く身…嫌な言い方をすれば今でも何も変わっていないぞ」


「違うよメルク、私が言いたいのはそう言うことじゃない…意識的な問題だよ」


「僕もネレイドさんに賛成です、この技術をそう簡単に受け入れるのは…抵抗があります」


「ナリアまで…」


ネレイドさんはこの技術を断固として受け入れないと言う姿勢を示す、そしてそれに同調するのがナリアさんだ。


「確かに見た目は面白いです、けど…もしこれが世界の当たり前になったら、なんだか今ある世界が崩れてしまうような気がするんです」


「今ある世界とは、なんでしょうかナリア様。原始的な風景には確かに美徳がありますが、人はその手で街を作り、魔力機構を作り、世界を再構築しています、新たな技術は常に世界を変革し続けている…貴方が着ている服だって、結局は同じでございます」


「そうじゃないです!だってこんなの変じゃないですか!キノコの木とかベーコンの鳥とか!そんなのが溢れる世界なんて」


「そんなの神が作った世界じゃないよ…」


「待てナリア、ネレイド。私達は何もこの技術を野に放てと言いたいんじゃない。これは家畜だ、牧場の牛のように…或いは養豚場の豚のように、適切な場所で適切な人員を配置して『管理』し供給を行う。それなら世界を崩すわけでもなく、今までと同じ形で今以上の食糧供給が望める」


「これも自然の形なら、完全な管理は出来ないよ…」


「だがこれ程の技術、捨て置くにはあまりに惜しい。それにこいつらはどうせ魔獣だ!最初から自然界に存在しない物をどう使おうが構うまいよ!」


「それは…生命に対する冒涜だよ」


「ならお前は今世界中で今も増え続けている餓死者に目を背けるのか?これがあればそう言う人を一人でも減らせる。この事実から目を背ける事自体が生命への冒涜ではないのか」


「けど…ッ」


「待てよ、落ち着けってみんな。熱くなり過ぎだ、メルクさんも…ネレイドも」


激化し始めた討論を諌めるのは、ベーコンをパクパク食べているラグナだ。そんな彼にメルクさんは目を向け。


「じゃあラグナ、お前はどっちなんだ?この技術を受け入れるか…否か」


「え?俺?俺はまぁ…反対派かな」


「なっ!?なんでだ!?お前そんなに美味しそうに食べてるじゃないか!?」


「そうですよラグナ!なんで…」


「え、いや…だって美味しいし。でも…それはそれ。メルクさんはこいつらを牧場で管理すると言っていたがその管理だってどこまで正確に出来るか分からない、どこぞのアホが野に放ち野生化する可能性もあるし、その末にまた変な進化をするかもしれない、そもそもこいつらは元は魔獣だ、後々どんな禍根を産むか分からない…そんな不確定な奴らに、人類にとって最も重要な要素である食糧事情を預けるわけにはいかない」


「だが…既に…」


「人間は牛や豚など他の生命体に食糧事情で依存してるって言いたいのか?さっきから隷獣を牛や豚と同列に扱ってるが、牛も豚も有史以来ずっと人間の生活を支えてきた実績がある、こいつらにはない。そもそも同じ扱いをするべきじゃない」


「ぐっ…」


ぐうの音も出ないほど納得させられるメルクさん、確かにエリス達はこれを食糧として見ていたが元は魔獣。それが世界に一斉に散らばった後…どんな動きを見せるか分からない。


魔獣はどこまで行っても人類の敵対者、それが食糧になるからと言って…なんの警戒もなく家畜として扱っていいわけがない。そんなラグナの言葉に言いくるめられ何も言えなくなる。


…しかし、真っ二つに割れてしまったな。賛成派と反対派に…、そしてきっとこの事実が世界に広まれば、世界中の国々が、いや人々が…これと同じように真っ二つに割れて喧嘩をしてしまうだろう。


受け入れ難い技術ではあるが…それでも有用なのだと信じる人間がいる限り、この技術の妖しい光は消えはしない。


そんな中デティが静かに口を開き。


「決めるのは私だよ、悪いけれど…ここで多数決を取られても私の考えは変わらない」


そういうのだ、いくら友達に言われたとて判断を覆すことはないと。そりゃあそうだ、何せ魔術導皇の持つ権威は…魔術方面に限って言えば魔女を超えている。魔術導皇が使うなと言った魔術は魔女でさえ使うことが許されないのだ。


その権威の重大さを知っているが故に、彼女は言う。言い争うなと…言い争っても、意味はないと。


「そ、そうだよな。悪い…」


「…すまん、ネレイド……言いすぎた」


「ん…いや…私も……」


「うう、ごめんなさい」


「私としたことが、熱くなりすぎました。申し訳ありません…」


デティの言葉に冷や水をかけられシュンとみんなで謝罪し合う、意見を言うことはいい事だがそれでもやや語気が強くなり過ぎたと反省するのだ…。


「…でさ、デティはどっちなんだ?」


そんな中ラグナはデティに視線を移す。すると彼女は…。


「この技術が、世の中の為になるか…ならないか、私はまずそれ以前の問題だと思ってるよ」


「それ以前?」


「うん、コバロスさんは…この技術を認可してもらう事だけを考えている。そして恐らく…本命の使い方はこれじゃない」


「え?魔獣を家畜化するのが目的じゃないのか?」


「言ってたじゃん、これは魔獣を家畜化する技術じゃなくて…」


「遺伝子を組み替える技術……まさか」


「うん、魔獣の遺伝子を組みかえて無害に出来るなら、その逆だって出来るんじゃないのかな」


「ッッ……!」


「より有害に、兵器化も可能ってか…」


確かに、デティが行う認可は『このドリームパークの存在』そのものではなく、これを作る技術の方。そしてその技術が認可されれば…あとはいくらでも悪用が出来てしまう。


盲点だった、今ある実益にばかり目が行って、その裏に潜むリスクに気が付かなかった…。


「ッ…確かに、易々とこの技術を認可すれば…」


「そういうところが、難しいんだよね…魔術師達はみんな自分の作り出した技術を認可してもらうことだけを考えている。だから当然私に聞かせる情報はどれも耳障りの良い物ばかり、けど実際認可してみれば…とんでもない災害になり得る事もある」


デティは『はぁ〜』と大きくため息を吐きながら気苦労を表すように手元のココアを啜る。デティが気にするべきは利益や損得ではなく『魔術界にその技術を加えても良いか』それだけだ。


今存在している魔術との兼ね合い、その魔術単体では大した事は成せずとも他の魔術と組み合わせると凶悪極まりない物になることもある。魔術界の発展と秩序、安寧と進歩…それを守るのが魔術導皇の役目…。それをただ一人で背負っているんだから魔術導皇という存在は凄まじい。


(魔術分野においては魔女さえ従わせる存在、単一の国のみに収まらず事実上全世界に命令権を魔術導皇…デティって改めて思うと凄まじい存在なんですね)


「…まっ!ってわけだな、俺達がここでやいのやいの言っても仕方ないわけだ」


「だね…、私達が決める事じゃないなら…」


「取り敢えず、今の目の前の食事を楽しむとしよう」


「賛成でーす!」


兎も角、魔術認可の件で外様のエリス達が言えることは何もない。寧ろ話し合えば皆個々人の意見から対立してしまう、それは良くない。その意見の対立でギクシャクするくらいなら最初から考えないようにする。それが楽しくご飯を食べるコツという物だ。


アマルトさんやメルクさんにはこの技術に対する肯定的な見方がある、ネレイドさんやナリアさんにはこの技術に対する否定的な見方がある。


けどそれで良いのだ、そういうもんだとみんな理解してるから。だってここにいる友達はみんな別々の国で育った経緯を持つからね、価値観が違うのはみんな分かってる。分かってて友達になれているんだから、許容し合う事も出来るのだ。


「ん、じゃあ私も食べるね」


「え?いいのか?ネレイド…」


「うん、メルクの言うことにも一理あるし、区別は出来ないかなって」


「お前って本当に…すげぇ器がデケェよな、感服するよ…」


「えへへ……」


「…………」


デティはその後も一人で料理を食べ続けた、みんなが和気藹々と雑談をする中…いつもならウイウイ言いながら真っ先に話に混ざってくるのに、目を伏せ何を考えているか悟らせず…ただ静かに。



……そして。


「ふぃー、腹一杯ッ!」


「私も…お腹いっぱい」


「食べすぎちゃいました〜、後で運動しておかないと」


「食材としても品質が良かったが、まぁそれ以上に料理人の腕がよかったな」


「あらまぁメルク様、そんなこと言われると嬉しくなってしまいます」


ご馳走様…!全員満腹!食べ物の出どころが何であれ料理は美味いもんで、エリス達はあれから黙々と食事を続けあれだけ沢山あった山盛りランチをみんなで完食したのだった。


いやぁ食べましたよ。なんすあのネレイドさんでさえお腹をぽっこり膨らませてもう食べれないとアピールしてるんだ、あんなの初めて見た。やっぱり食材が大きいからネレイドさん的にも十分美味しく食べれるのかなぁ。


「気合い入れて作りすぎたかと思ったけど、なんとかなるもんだな」


「だな、と言っても八割はラグナとネレイドが食ったが…」


「言うなよ、俺ぁもうカケラも入らね……ん?」


お腹いっぱいーとアピールするアマルトさんの目の前に飛んでくるのは、羽がクッキーになったお菓子の蝶々だ、それを見たアマルトさんはゲェッと嫌そうな顔をして手で払い。


「ええい、今はもう食い物は見たくねぇ」


「それにしてもお腹が減ってる時は楽園に見えましたが…こうして満腹になってドリームパークを見てみると…」


「なんか…胸焼けしますね、見てるだけでお腹いっぱいになります、いやもうお腹いっぱいですが」


「戻しそう……」


あれだけ楽しそうに見えたドリームパークも、一度お腹が満たされてから見てみるとなんか異様に気持ち悪く見える。だってこっちは満腹なのに目の前の森にはキノコの木とアスパラの林、その間をベーコンの鳥とチーズのアヒルが闊歩するんだ。


見てるだけで気持ち悪くなってくる…と全員が青い顔をする中…。


「お、美味そうじゃん、頂き」


「お前まだ食うのかよ…!」


ラグナは元気な顔をしてそれらを捕まえ歩き回りながらどんどん口の中に放り込んでいくのだ。今はもう食べ物を見るのも嫌だ…けどそれ以上に食いまくる人を見るのもなんか嫌だ。


「ラグナ…お前本当にいくらでも食えるんだな」


「師匠に内臓弄られてるからな、俺の体に入ったものは一瞬で分解されて俺のエネルギーに変わるらしい」


「聞けばますます人間とは思えん体質だ…」


「けど気になるよな、ラグナって本当にどんだけ食っても満腹にならねぇのかな」


「さぁ…少なくともラグナが満腹になっているところを見たことがないが…」


ラグナはアルクトゥルス様によって胃袋を改造され、食事をそのままエネルギーに変えられる肉体へと変貌している。これにより彼はどれだけ物を食べても満腹にはならない、食べた分は全てエネルギーに変わるからだ。


だから彼が満腹になったところをエリス達も見た事はない。普段から人一倍食べるラグナが以前美食の街に立ち寄った時ネレイドさんと一緒にピザの大食い大会に出場したことがあった。


その時、彼は大会用に用意されたピザを全て食い尽くし優勝した帰り道に買い食いをして普通に晩御飯もおかわりしていた、まぁいつも事なので誰も驚きはしなかったが。


「なぁラグナ〜!」


「んー?」


「お前ってさ、どんだけ食ったら腹一杯になんの?」


「知らねぇ、この体質になってから満腹になったことねぇから」


「じゃああれ食える?」


そう言ってアマルトさんが指差すのは山のように巨大なキャベツの山だ、流石にあれは人間が食べるサイズではないがあれを見たラグナは。


「ふーん、いくつ食えばいいんだ?」


「幾つも食えるのかよ…」


「ドレッシングくれたらいくらでも食える、青虫みたいに何にもかけないで食べ続けるのは…味に飽きちゃうから難しい」


「マジかよ…」


こりゃあ本当に彼が満腹になる事はなさそうだ。本当にどう言う改造をしたんだ?何がどうなったらこうなるんだ…?全くわからん。


「ふーん…」


すると。そんな話を聞いていたデティは…ふと立ち上がり。


「よし、じゃあ食べ終わったし戻ろっか」


「お、決まったか?認可にするかどうか」


「まだ、だから今日はここに滞在しようと思うんだけど…いいかな」


まだ決まってないのか、まぁ重要な話だしあんまり急かすのは良くなさそうだ。何せデティの判断に今後の世界の行く末がかかっているんだ…さぞ悩んでいることだろう。なら…。


「いいぜ、ゆっくり考えよう」


「ありがと、ラグナ」


「先を急ぐわけでもないしな、何より今日は物を食い過ぎた…動きたくない」


「でしたら先程コバロス様が仰っていた居住エリアにて滞在させていただくことに致しましょうか」


「だったら私がコバロスさんに言ってくるよ、みんなはそのまま研究員さんに案内してもらって部屋で休んでてよ。丁度この技術についてお話ししたかったし」


「お、サンキュー。じゃあ休ませてもらうわ、血糖値爆上がりで爆睡出来そうだわ」


「私もだ…ああだがこのまま眠ったら、また太る」


「メルクはもう新陳代謝が衰え始めてるもんな」


「年齢いじりは本気で泣くぞ」


「ごめんね」


「いいよ」


「ではエリスはデティについていきますね、一応護衛と言う体裁で来ているのにお付きが誰もいないのはデティの威厳に関わりますし」


「ん、なら私もいく」


というわけでエリスとネレイドさんを除いたみんなは一旦居住エリアに戻ってもらって、エリス達はそのままデティについていくね?ってことで話が定まった。


正直言うと、この場でエリス達に出来る事は何もない。デティの判断に口を挟む事はできないし、かと言って何かの手伝いが出来るわけでもない。物事の主導権はデティだけが握っている。


ならせめて、そんな彼女の側にいたい。見届けたいんだよエリスは、時代の転換点に立つ友達が如何なる判断を下すかを。


「ん、分かった。じゃあエリスちゃん!ネレイドさん!ついてきなさーい!」


「はいっ!」


「うん、行ってくるね?みんな」


「おう、行ってこいよ、俺らは部屋で寝てるよ」


「ラグナ様はどうされますか?」


「俺?…俺はもうちょっとここで食ってるかな、美味しいし」


「ど、どれだけ食べるんですか…、僕ラグナさんが怖くなってきましたよ」


なんて事を言いながら、エリス達はドリームパークを後にして、再び研究所の方に戻るのだった。


………………………………………………………………


研究所の方に戻り支部長のコバロスさんは何処ですか?と研究員さんに聞いて回る事大体四回くらい、彼は今研究所の外周にあるカフェテラスにいる事が分かった。なんでも研究員達にとっての憩いの場らしく、隔離されたこの研究所に於いて唯一外の景色が楽しめる場所らしい。


その話を聞いたエリス達はそのまま薄暗い研究所の中を歩き…カフェテラスに向かうと。


「はぁ……」


「コバロスさん?」


「おや?皆様、もうお食事は宜しいので?」


湯気立つマグカップを片手に持ったコバロスさんが、窓の外を見ながら肩を落としため息をついているのを見つけたエリス達は思わず声をかけてしまう、どうしたのだろうか。


「ええ、楽しませて頂きましたよ」


「それは良かった、隷獣達は味にもこだわっていますからね…お口にあったようで幸いです…」


…なんか、ちょっと元気がないな。デティの応対をしている気苦労か…とも思ったがなんだか違うようだ。


「えっと、コバロスさん?どうされたんですか?」


「え?どうされた…とは?」


「なんか、元気がないような気がしますけど」


「ああ、すみません…顔に出てましたか」


エリスの問いにハッとしながら顔の皺を撫でながらそのまま頭が痛いとばかりに眉間指を当てたコバロスさんは首を振りながら。


「申し訳ない、呆れていただけです」


「呆れていた?」


「あれです」


そう言いながらコバロスさんが見下ろすのは、窓の外。そこにはこの研究所の外…密林の中に見える何かを見下ろしため息を吐いていた。


それは、…魔獣じゃない。人影?しかもなんか耳を澄ませたら、なんか言ってる気がする…。


『今すぐ魔術研究所を廃止しろー!』


『魔術を解放しろー!』


『魔術は人類の兄弟にして友人!不当に支配していい物ではなーい!』


…なんだあれ、なんか薄茶色のローブを着込んだ人達が拳を掲げながら吠えているのだ。なんなんだあれ…言ってることが分からない、魔術を解放?どう言うこと?


「げぇ、あれ魔術解放団体?」


「魔術解放団体…ですか?」


げぇ…とデティが顔を顰めるとコバロスさんがコクコクと頷くのだ。魔術解放団体…よく分からない存在だが、確か一度だけそんな名前を聞いたことがあるぞ…確かあれは──。


「ええそうです、所謂ところの反魔術運動家ですね。我々の魔術研究が気に食わないからここまで押しかけてきたのでしょう」


「こ、ここは密林ですよね?しかも魔獣が大量にいる南部…そんなところにまできてるんですか?と言うかここは秘匿されているんじゃ…」


「魔術の研究が盛んなマレウス南部は彼ら反魔術運動家にとっては格好の標的ですからね、南部にはあの手の手合いが多いんですよ…秘匿されているのはそうなのですが、何処かからこの場所の所在を聞きつけたのでしょう」


「なんと……」


「彼らも連日ここに来てはああして声を上げて…、こちらもいよいよ気が滅入ってきますよ。一体何処から湧いてくるのやら」


やれやれとコバロスさんは呆れたようにため息を吐く、その間にエリスはデティにこっそり耳打ちをして話を聞いてみる。魔術解放団体とは何かを。


すると返ってきた答えはこうだ。


「魔術解放団体ってのはね、『魔術にも魂がある』と主張してその解放を目的とした団体だよ、如何なる人も魔術を使ってはならないってのが…彼らの主張」


曰く、魔術には魂があり、感情があり、使い潰されることに対して悲しみを感じていると言うのが彼ら魔術解放団体の主張だと言う。


確かに魔術の材料は魔力で、魔力とは魂の切れ端、つまり魔力も魂でありそれを材料にした魔術にも切れ端ながら魂があると言うことになる。魂の中に内蔵されている機能は『記憶』『感情』『意識』など…つまり彼らの主張には一理あることになる。


だが…。


「魔術には感情はないよ、そもそも魂ってのはそんな簡単なもんでもないからね」


デティが言うに。砂をいくらかき集めても岩にならないように、切れ端たる魔力をいくらかき集めても魂にはならない。魂にならないのなら記憶も意識も感情も獲得しない、だから魔術が何かを思う事はないのだ。


それこそ魔術が感情を獲得するには膨大な量の魔力を常に一つの魔術に何百年も注ぎ込み続けなければ意識を獲得する事はないのだとか。つまり現実的にはあり得ない…しかしそんな主張をし続けるのが魔術解放団体なのだとか。


「はぁ、最近増えてるんだよね…魔術解放団体。いくら懇切丁寧に説明しても全然理解してくれないし…」


「デティフローア様も頭を悩ませていますか…、私にとっても悩みの種ですよ。何をしてくるわけでもありませんが…窓の外を見るとああ言うのがいるだけで精神的にねぇ」


そう言いながらコバロスさんはため息とともにマグカップを持ち上げコーヒーを飲む。しかしコバロスさん…変なコップの持ち方してるな。親指を立て残りの指で取ってを掴んで飲んでるよ、小指が立つのはよく見るけど…親指が立つのは珍しいな。


「あ、エリスがぶっ飛ばしてきますか?アイツら」


「やめてくだされ、もし奴らに手を出そう物なら奴らもまた一層燃え上がる…」


コーヒー片手にもう一度、コバロスさんは外を見下ろす。叫び散らす人々を見下ろすのだ。その目は冷たく…鋭く。


「あれは人の形をしているが…人ではない、『思想』…という巨大な獣の爪先に過ぎない、思想は形なき獣も同然、力で散らせども意味はなく、燃え上がるように力を増す…」


「そうですか?」


「ですがこれも魔獣のようだと思うのは私だけでしょうか」


「え?」


思わずエリスとネレイドさんは目を見合わせる、魔獣が思想なんて持つんだろうか…いや、本題はそこじゃないのか?


「知っていますか?魔獣は人には感じられない魔力にて無意識ながらに情報の伝達をしている…つまり言葉を介さず意思疎通を行なっているという説があると」


「…………」


何を荒唐無稽な!と言いたいが…エリスは知っている。魔獣にそんな力がある事を。


魔獣王タマオノだ、彼女はアンノウンになんらかの方法で命令を送っていた。つまり魔獣は魔獣同士でなんらかの方法で意思の疎通が出来るのだ。それは距離を問わず…どこに居ようとも繋がることができる。


原初の魔獣がやっていたんだ、現代の魔獣に出来ない筈がない。『送る側』である魔獣王が居なくなっても『受け取る側』の魔獣が健在なら…或いは魔獣同士は一方的に自分の情報を受信し続けている可能性があるのか。


「魔獣達は深いところで意識を共有している、意志の疎通と呼べるほど高等ではないかもしれませんが…それでも感じた事は共有しているかもしれないんです」


「魔獣が…他の魔獣の感情を受信していると?」


「ええ、もしこれが本当なら…魔獣達は感じているでしょう。今も何処かで人間に狩られる同胞の痛みを、その恨みを抱えたまま魔獣はまた殺され、その憎しみが別の魔獣に伝播する…そんな怨念が、魔獣達の中に降り積もり続けているとしたら…魔獣達が何がなんでも人間を殺そうとするのは、そういう意味合いもあるのかもしれません、あくまで私の個人的な感想ですが」


「…………」


「彼ら魔術解放団体もそんな風に怒りと恨みを伝播し続けて大きくなっている。私はこれが恐ろしい…。群体の中で意識の共有が行われているのが恐ろしい。魔獣達の燃え盛るような敵対心が恨みだとするならば…魔術解放団体にも手を出すべきではない、同じような増幅した敵意が迫ってくる可能性があるのだから」


独自の理論を展開しながら人と魔獣を重ね合わせ恐怖するコバロスさん、やっぱちょっと変な人だなと思いつつも、まぁなんとなく気持ちは分かる。


魔獣達が人に恨みを抱くように、人もまた人に恨みを抱く…か、或いは魔獣も人のように恨みを抱くか。恨みとは恐ろしい物で、如何なる害意や敵意に勝る感情だ…とは言えこれはコバロスさんの個人的な論説にすぎない、謂わば意見でしかない。


これを証明するには魔獣と言う存在が特殊すぎる、そもそも意志があるかも分からんような奴らが多い種なわけだし…うん?


「それでデティフローア様、遺伝子組み換え技術の方は認可していただけそうでしょうか」


「まだなんとも言えません、良い面もあれば悪い面があるので…なので今日はここに滞在して考えようかと」


ふと、エリスは思い至る、これは今までの話とは関係ない話なのだが…、いや関係あるのか?


彼が今唱えていた論説の話だ、彼の論説通りなら魔獣達それぞれ意識を持ち、そして得た感情を共有している可能性があると。そしてそれは殺された時…その痛みと恐怖を他魔獣達と共有する可能性がある…。


もし、これがその通りなら…なんでこの人はあんな物を、遺伝子組み換え技術なんて物を作ったんだ?


……いやそれ以前に、なんでエリス達に魔獣を食わせるような事をした?


「ううむ、やはりそう簡単にはいきませんか」


「ええ、ですがきちんと答えは出すので」


「ははは、いえいえ。是非ゆっくり休んでくださいませ」


あのドリームパークにいた隷獣達も元を正せば魔獣、コバロスさんの論説が正しければ彼等もまた意識を持ち、そして食われる恐怖を、他の魔獣達に共有し、その恨みは深さを増していく筈だろう。


けどこれはコバロスさんが個人的に唱えている論説で正しいとは到底いえない…というのは今はどうでもいい、正直この論説が正しいか間違っているかなんてのはどうでもいいんだ。


問題は『コバロスさんはそう思っているのに、エリス達にはそうさせた事』…つまり魔獣は恨みを抱くと分かっているのに、敢えて恨みを抱かせるような事を他の人達には率先して進めている事。


その行動と発想に、コバロスという人間が抱える歪みと闇のようなものが垣間見える。


(この人…何考えているんだ)


メガネの奥に輝く薄暗い闇…、この人は一体何を考えている。少なくともエリスにはそれが良いことには見えない。


怪しい……。


「どうしたの?エリス…」


「い、いえ…なんでもありません」


とはいえこれはエリスが個人的に思っていること、コバロスさんが先程の論説を個人の感想と言ったように、これ個人の感想。流布して良いものではない。


だからネレイドさんの問いに答えつつも…。


「じゃあ私達も今日はお休みさせてもらおうかな」


「ん、そうしようか…」


「あ、エリスはもう少し見回りして行ってもいいですか?」


「え?…なんで?」


デティはエリスの心を読んだのだろう、エリス心持ちが何やらただならぬ物であると察して、だからこそ小さく頷きながら。


「ここの研究が気になるので」


「………そっか」


正直に答える、なんだかここの研究所、きな臭いよ。だからそれを探るためにも…コバロスさんの真意を探るためにも、エリスちょっと行ってきます。


それを理解してくれたのか、デティも頷き返してくれる。


「分かった、じゃあ私達は先戻ってるね…行こ?ネレイドさん」


「うん……」


「では私も研究に戻りましょうかね、何かありましたらまた仰ってください」


そうしてエリスを前に二手に分かれるデティとコバロスさん。居住エリアに向かって歩いていくデティと、廊下の闇に消えるコバロスさん。エリスはその視線をコバロスさんの方に向け…。


「……………」


密かに追いかける、足音を立てず物陰に移動し視界に入らないようにしつつコバロスさんを追いかける、コバロスさんは何かを企んでいる可能性がある。彼の抱える異質な歪みが彼に何かをさせようとしている…。


「…………」


だからエリスは闇の中コバロスさんを追いかける、彼は一人で歩きながら研究所のある一角へと向かう、そしてとある扉の前に着いた瞬間…彼は一瞬振り向いて周囲を確認する素振りを見せる。けれど残念、素人の探りに見つかる程エリスの隠密は甘くない…寧ろ。


(やはり、何か警戒している…エリス達が探りを入れてないか、警戒してるんだ、つまりエリス達に見られたくないものが…ここにはある…!)


「……ふむ、気のせいか」


そして深い闇の中彼は安堵のため息を吐きながら扉を開け、中に入る。足音が遠ざかるのを確認してからエリスもまたその扉をゆっくり開けて、猫のように僅かな隙間から部屋の中に入り込み、コロコロ転がりながら物陰へと隠れる。


入り込んだ部屋はこれまた薄暗い部屋、それでいて広く、多くの機器や機材が置かれたザ・研究所って感じの部屋だ。


その奥に、コバロスさんがいる。見た感じ魔術関連の研究ではなく魔獣関連の研究所に見える、だってそこかしこに置いてある…。


(魔獣の死骸…)


檻の中で倒れ口から血を流す魔獣の死骸がそこら中に置いてある。エリスは魔獣に慈悲を与えない、けれどそれはそれとして死んでる生物があちこちに見えるというのは気分が悪い。しかしそんな狂気的な空間の中をコバロスさんは一人歩みながら…。


「…さて、同胞の調子はどうかな?」


「はい、コバロス様。元気ですよ」


「そうか…顔を見せてもらえるかな?」


エリス達と話していた時よりもずっと低く恐ろしい声で彼は部屋の奥にいる別の研究員に話しかけ、その研究員は指示に従い…何やら機器を動かしている。


同胞の調子?顔を見せてもらえる?なんの話をしているんだ?…なんて思っていると、奥の壁がせり上がり、さらにその奥に新たな部屋が現れる。その奥には人影が見える…というか、そこにいたのは。


「やぁ、同胞諸君…元気だったかな」


「こ、コバロスッ!」


(え!?研究員…!?)


縛り上げられた研究員が数人、部屋の奥で拘束されていた。もうこの時点で普通じゃない、縛られた研究員もそうだが、それを前にしたコバロスさんの冷静さもおかしい…おかしいんだ。


何が起こってる…!?ここで!


「悪いね、来客が入っていてその対応に追われ君達のことを後回しにした。今から君達に処置をする…待っていてくれたまえ」


「正気に戻れコバロス!お前は…お前はそんな奴じゃないだろう!おい!」


「私は正気さ、寧ろ…目が覚めた、教えてもらえたんだよ…私は今まで、目が曇っていたと」


「何を馬鹿な事を言っている!こんなことが許されるわけがない!お前は…人々の生活の為に!この技術を開発した筈だ!」


「人の意識共有は、不完全だということだよ」


そういうなりコバロスさんは声を上げる研究員達の言葉を無視して、近くの戸棚を開ける。すると中から冷気の煙がモワッと溢れ…同時に何本かの注射が現れる。その数は…丁度だ、縛られている人達と、同じ数。


「ようやく用意が出来たんだ、君達の処置を終えれば…この研究所での処置は終わる」


「ッ…!やめろ、コバロス…!」


「断る、今魔術導皇が来ているんだ。彼女に認可さえしてもらえれば…私はこの処置を大手を振って行うことが出来る」


「お前は…何を考えているんだ…!」


「何をって、説明しただろう…私はただ、同胞が欲しいんだ」


なんだあの注射は、毒か?いや処置だと言っているし、他の人にもしているようだった、なら毒じゃない?でも研究員は嫌がってるし…いや、まさか…あれが。


「さぁ、遺伝子を受け入れろ…魔獣の」


(ッ…あれが、遺伝子組み換え技術で抽出した魔獣の遺伝子!?…お、おいおい!じゃあそれを今使おうとしてるのか!?研究員に…人間に!?)


デティの語った危険性、良い面もあれば当然ある…悪い面、それが今エリスの目の前で行われようとしている。魔獣に魔獣の遺伝子を使うだけでなく、人間に対してもそれを入れようとしている。


魔獣の遺伝子を人が取り込んだらどうなるんだ?…分からない、分からないけど…。


「や、やめろぉおおおおお!!」


エリスの戦慄を他所に、そんな悲鳴が響き渡り、縛られた研究員達は次々とその注射を刺されていく。そして程なくして…変化は起こり始める。


「ぐっ!おぉおおおおお!?!!!」


絶叫、苦しみと共に…研究員達は苦しみだし、その肉体が変化し始める。その体は筋肉が隆起し、牙が生え、髪が荒々しく尖り…拘束していた縄を引きちぎり、頭を抱えて吠え始める。


変化している、人から別の存在に…いや、肌が変色していく…緑色に。緑色の皮膚と鋭い牙と…縦長の動向…あれは。


(ゴブリン…?)


エリスがよく知るゴブリンよりも一回り大きく、今現存するどのゴブリンにも類さない巨大なゴブリン、人間に最も近いゴブリンが…生まれた。


「君達に投与したのは我々が投与したのと同じゴブリンの遺伝子だ、知っての通りゴブリンは人に最も近い魔獣…その知能レベルは猿以上。ある意味この世で最も人間に近い存在と言える」


「ぐっ…うぅ」


「人とゴブリンを分ける物は少ない、人はゴブリンよりも賢く、ゴブリンは人よりも強い。…だがもしこの垣根を破壊し、人の頭脳とゴブリンの肉体を持つ存在が作り出せたのなら、如何なる人種にも負けない…究極の人間が作れるとは、思わないかい?」


「アァ…ァァァアア…」


「おいおい落ち着けよ同胞諸君、筋隆起を抑えて私のように人型を取れ、それじゃまるっきりゴブリンじゃないか。大丈夫大丈夫、ゴブリンに人の脳みそを持たせるよりも人にゴブリンの肉体を持たせる方が成功率が高いのは既に証明済、君達なら出来る…というか」


するとその瞬間コバロスさんの右腕が…変質する、モリモリと巨大になり袖を引き裂き中から凄まじく巨大な緑色の巨腕が現れる。あれもまた…ゴブリンの腕…。それを一気にゴブリン化した研究員達に叩きつけ…押さえつけると。


「やれ、私がこの群れのリーダーだぞ…ッ!」


「ぐぐぐ…ニンーゲン…ゴブリン……ウゥ…」


押さえつけられた研究員達はコバロスの言葉に従い、その姿を元に戻していく。人の姿に戻るんだ…そしてそのまま気絶してしまう。


…元に戻った?いや違う、化けたんだ…人に。


化けていたんだ!コバロス達は!人間に!


(遺伝子組み換え技術で、自分達の遺伝子を魔獣の物に書き換えていたんだ。アイツらはもう人間でもゴブリンでもない、半獣半人の全く新しい存在…それが、コバロス達の…正体!?)


奴ら、もう研究所で処置を受けていない人間はいないと言っていた、現にコバロスの周囲の研究員達はこの光景を見ても声を上げず、寧ろ同調して協力しているようにも思える。もうこの研究所には…エリス達以外の人間はいないんだ…。


「ククク、いいぞ…後は、アイツらだけだ。それで私の計画が動き出す…この世から人間を抹消し、魔獣の世を作り上げる…私の計画が!」


…コバロスは、もう人間じゃない、体は人間だが意識がもう人間じゃない。恐らく…魔獣の遺伝子に意識を奪われているんだ。何故彼がこんな技術を作り出したのかは分からない、だが少なくとも今の彼は…人に害をなす魔獣と同じ。


(まずい、アイツら…デティ達を狙ってる…?だとしたらすぐにみんなに知らせないと、もしかしてアイツら、エリス達のこともゴブリンにするつもりじゃ)


それはやばい、メチャクチャやばい、そんなこと許されていいはずがない。直ぐにでもみんなに知らせてなんとかしないと!


と…考えた瞬間……。


「…ああ、安心してくれ。君達をゴブリンにするつもりは…私達の仲間に加えるつもりはない」


「ッ…!?」


コバロスが、こちらを見た…縦長の瞳孔で、こちらを…!?


やばい!気がつかれていた!そうか…コバロスは人じゃない、魔獣だ。魔獣には…人を探知する力がある…!


「ッ…コバロ───」


即座に立ち上がり、応戦しようとしたエリスだったが…その瞬間、エリスの首元に、刺激が走る。


「……え?」


ふと、見てみると…そこには針が…。


注射器だ、コバロス達が持っていた注射器と同じ、それでいて中に込められた液体の色が違う注射器が、エリスの首に刺さっている。


背後に立つ、別の研究員が…ニタリと笑う。ゴブリンのように牙を見せ、縦長の瞳孔をニンマリと歪める。


「ッ…いつの間に……ッ!」


「君達には私達の計画の役に立ってもらうよ…孤独の魔女の弟子エリス…」


「エリス達の正体に…気がついて……ッ!」


「ああそうだ、君たちは優秀な遺伝子を持つからね…私達がより完全な存在に近づけるよう、利用させてもらう」


「そんな事、させな…っあ!?」


瞬間、エリスの体は前方に倒れ込み…痺れ出す、末端から。ま…まずい、体が動かない…頭が痺れる…魔術が…使えない。


「ぁ…がっ…う…っ!?」


「ふふふふふ……」


近づいてくるコバロス、動かない体…薄れる意識。


まずい…しくじった…。


「…連れて行け、ニンーゲン…」


「はい、コバロス様」


「あ…う……」


ビリビリと痺れる体、変質して行く肉体、それを薄れる意識で感じ取りながら…エリスは、研究員達に抱えられ…何処かへ連れて行かれる。


ごめん…デティ…エリスは…エリスは………。




そうして、程なくしてエリスの意識は…闇に飲まれ、消えて行くのだった。


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