538.魔女の弟子と生命を弄する者
それから、エリス達は数日の南部を移動し魔術理学院を目指すこととなった、南部はその殆どが密林と沼地に満たされておりいつもとは全然違う旅路が繰り広げられたのだ…例えば。
「なぁみんな!見てくれ!」
バッ!と休憩時間中に外を出歩いていたラグナが馬車の暖簾を弾いて外から戻ってくる。それをリビングにて休んでいたエリス達全員の視線がラグナに注がれる。
「どうしたんですか?」
「でっかい虫捕まえた」
「は?」
「ほら」
と言ってラグナが片手を突き出して見せたのは……人の頭ほどの大きさの蚊だった…。
「デカいトンボ!」
「蚊じゃボケェッ!」
「ひぎぃいいいいいい!?!?なななななんだそれはぁぁーー!?!?」
「ラララララグナさん!どっかやってください!怖いです!」
「こいつ血ぃ吸わないぜ?」
「そう言う問題じゃないッッ!!」
ワナワナと足を動かす気色悪い姿に腰を抜かすメルクさんと青褪めるナリアさん、まぁそりゃあそうだ、キモいもん。でも…。
「これはマレウスヌマチビッグモスキートですね、一応魔獣ではなく普通の虫です。こいつらは人間の血ではなく沼地に咲く花の蜜しか吸わないので安心ですよ、潰すといい香りがします」
「エリスちゃん、今そう言う解説いらない」
「因みにマレウスヌマチスーパービッグモスキートはもっと大きいです、こいつは人間の血を吸います」
「聞きたくない!」
「外にもっとでっかいカブトムシもいたぜ!」
「あ、それはマレウスヌマチビートルですね。普通に魔獣です」
「そのマレウスヌマチシリーズなんなんだよ」
「なんでここだけそんな異様な生態系してるの…?」
「知りません」
「ってラグナ!とっととどっか捨ててこい!メルクが腰抜かして泡吹いてる!」
「えぇー、かっこよかったのに…ってかメグは?」
「虫見た途端消えました」
「えぇ…アイツそんな虫嫌いだったか?」
「それ以前の問題かも…」
なんて事もあり、ラグナはその後虫を外に戻し、メグさんに後ろから棘付き棍棒で殴られてました。
また別の日には…。
「あ!見てください!カブトムシがいますよ!」
「あん?お、マジじゃん」
移動の休憩時間中、馬車の外でジャーニーの手入れをしていたアマルトさんとナリアさんが近くの木に留まった黄色のカブトムシを見てはしゃいでいる。
「僕カブトムシ見たの初めてです」
「あー、ポルデュークにはどう考えてもいないもんな」
「なんかかっこいいですね、角とかあって」
「へぇ、ナリアもそういう感覚あるんだな。俺ぁてっきり蝶々とか好きかと思ってた」
「別に感覚まで女の子ってわけじゃないですからね…?あ、見てください、木の蜜吸うみたいですよ」
「ふーん」
そう言いながらアマルトさんは木に留まったカブトムシが、木の隙間から溢れた黄金の蜜に吸い付くのを何気なしに見て…。
突如として動き出した蜜がカブトムシを逆に捕食するのを見て…顔を青ざめさせる。
「な、なぁ…今あの蜜…カブトムシを食わなかったか?」
「み、見間違いじゃないですよね」
カブトムシを内部でドロドロに溶かした木の蜜は、そのまま周囲を伺うように木の中から這い出て、自らで蠢き始めるのだ。
「これ、どう考えても蜜じゃねぇ!エリス!」
「はい!なんですか!?」
「蜜が動いた!あれ何!?」
「え?あれ?…ハッ!あれは!マレウスヌマチビッグイエローハニースライムダーティ!!」
「長い!?」
「マレウスヌマチビッグハニーイエローダーティ…スライム?」
「マレウスヌマチビッグイエローハニースライムダーティです!肉食です!」
「なんで魔獣が虫食うんだよ!」
「ああやって周辺の魂を取り込み体積を広げてるんです!めっちゃ強いです!今すぐ逃げましょう!みんな!馬車に乗ってください!」
「ひぃーん!」
マレウスヌマチビッグイエローハニースライムダーティ…、殆ど同じ見た目をした無害なマレウスヌマチビッグイエローハニースライムと違って周囲の生き物を積極的に襲いそのエネルギーを蓄える方法を身につけた怪物スライム。
蜜などに擬態してそれを食べにきた虫や虫を食べに来た鳥などを捕食する生態があり、その協会指定危険度はCランク。しかもあれ触れると体が溶ける上に多少ダメージを与えてもすぐに戻るから相手するだけ意味がない!
エリスは慌ててみんなを馬車の中に放り込みジャーニーに鞭を打ち馬車を走らせる。するとスライムもエリス達に気がついたのかドロドロと体を動かしエリス達を追いかけてきた。
「追ってきました!」
「デティシステムで迎撃します!デティ様!」
「アイアイ!ってちょっと待って!?スライム以外にまだいる!」
「え!?」
その瞬間、エリス達を追ってきたスライムが、突如として迫り上がった地面に飲まれ消えていく。そしてそのまま地面の中からが現れた巨大な影は…ぎょろりとその目でエリスを見て。
「ま、マレウスヌマチビッグロックドラゴン!?」
皮膚が岩のようになった巨大な龍が地面から現れエリス達を見つけ追ってくる。あれはマレウスヌマチビッグロックドラゴンだ、強靭な肉体に加え地面の中に潜むという卑怯さを併せ持つ厄介な魔獣!危険度はB!
きっとエリス達を食べようとして間違えたんだ!
「今度はドラゴン!?ええい!だったら俺が!」
「また来ますーっ!」
エリス達を追ってくるドラゴン、しかし馬車に向け牙を突きつけようとした瞬間ドラゴンの体がひしゃげ、中心から潰れるように縮んでいき最後に拳大の肉の球にまで圧縮され、血を噴き出させ絶命した。
まさか、あれは…間違いない!
「まずいです!マレウスヌマチブラックホールが発生しました!」
「もうマレウスの沼地関係ねぇだろそれ!」
「ブラックホール!?」
ドラゴンを吸い込み圧縮したのは空中に浮かぶ黒い球体…あれだ。あれがマレウスヌマチブラックホールだ。あれも一応魔獣!しかも実体がいない現象型魔獣の中でも最悪の部類に入る重力系の魔獣だ!
本体は手に収まる程度の黒い球体なのだが、それが重力魔術を使い常に高密度の重力を発生させており、近づいたものを圧死させるのだ。その危険度は勿論Aランク!捕まればエリスだって死ぬ!
「どうやって倒すんだあれ!?」
「重力を作って三分経つと自分も重力に耐え切れず圧死して死ぬので放置でいいです!」
「あ、意外に儚い…」
「でもそれまでに捕まったら死にます!」
「怖っ!?」
「すげぇな!戦ってみたい!」
「絶対ダメです!メグさんラグナを止めてください!そして全力で走ってくださいジャーニーッ!」
「ぶるひひー!」
「ィギャーッ!こっち飛んできてるーっ!」
そうしてエリス達は一日色んな魔獣に追いかけ回されながらも南部を疾走することになりーその都度戦おうとするラグナはメグさんから棘付きの棍棒で殴られていました。
またまた別の日には…。
「ん?…なぁエリス」
「どうしました?メルクさん」
御者をしているメルクさん(フルアーマー虫除け装備)に呼ばれエリスが外に出ると…。
「あそこ、なんかあるが…なんだあれは?」
今、エリス達が通っているのは無数の沼地が広がる湿地帯、そんな中メルクさんは一際巨大な沼のど真ん中に見える物を指差すのだ。
それは見た事もないくらい巨大な桃色の花…、それが淡い光を放ちながらリンリンと音を立てて揺れているのが見える。
…アレは……確か…………。
「あ……」
瞬間、そよいだ風に煽られた鱗粉がエリスとメルクさん襲い…その手から、力が抜ける。
「……綺麗な…花ですね」
「ああ、なんて…綺麗なんだ……」
「ぶるるっ…?」
手綱を手放し立ち上がるメルクリウス、フラフラと馬車から降りるエリス、光を失った瞳でトボトボと引き寄せられるように目の前の沼へと歩いていく二人を見て、異様な何かを感じ取ったジャーニーは…。
「ぶるひひっーっ!」
足を止め大きく嘶くのだ、それでも立ち止まらないエリスとメルクリウス…しかし。
「どうした!?ジャーニー!?ってメルクさんがいない!?」
「なになに!?ってなんじゃあのでっかい花はーッ!?」
咄嗟に異常事態を殺したラグナとデティが馬車の外に出る、そこにはフラフラと沼地に歩いて行くメルクリウスとエリス、そして蠢く巨大な花、そこから全てを察した二人は。
「よくやった!ジャーニー!デティ!やれ!」
「うん!『カリエンテエストリア』ッ!」
「っと!エリス!メルクさん!」
即座に動く、ラグナはエリスのメルクリウスの手を引き沼地から引き上げる…と同時にデティの放った火球が巨大な花を貫き、一気に焼き焦がす。
『ギィィイイイイイイイイイ!?!?』
「うげっ!アイツ…花なのに吠えてるぞ…」
「あれ絶対マレウスヌマチビッグフラワーとかそんな名前だよ…」
「……綺麗な花……ハッ!?」
「むっ!?私は一体何を…」
鱗粉が延焼し大爆発を起こす巨大な花を前に、意識を取り戻したのかエリスとメルクリウスは目に光を取り戻し。周囲を見回す。
「え!?ラグナ!?」
「何やってんだよ二人とも!あんな見るからに危ない花に近づくなんて!」
「花…そうだ、私達は花を見て……」
「ッ…そうです!アレはマレウスヌマチヒトクイオオハナ!魅了作用のある鱗粉で人間を引き寄せて沼地に沈めて養分にするんです!魔獣です魔獣!それもマレウス国家指定駆除魔獣!超危険な魔獣ですよ!」
「ゲェーッ!想像してたよりエグいやつ!」
首を振り意識を取り戻したエリスは青褪める、よくよく見てみれば沼地にはいくつもの人骨が浮いている。アレはあの大花に引き寄せられ死ぬまで花弁に魅了された人達の成れの果てだ。
アイツは鱗粉で人間を、特に人のメスを誘い込む。そして触手を伸ばして沼地に引き摺り込み養分にする。魔獣として人間の魔力と栄養素を欲する怪物花…危ないところだった、危うくエリスとメルクさんもあそこの仲間入りをするところだった。
「ジャーニーが吠えて助けを呼んでくれたんだ、でなきゃ気がつくのに遅れたぜ」
「何?ジャーニーが?」
「マレウスヌマチヒトクイオオハナの鱗粉は人間にしか効きませんからね、ジャーニーが賢くて助かりました…ありがとうジャーニー」
「ヒヒーン!」
ジャーニーの立髪を撫でる、本当に賢くていい子だ。この子には命を助けられましたね…本当に。
「しかしあんなのまでいるのか、南部には…」
「いえ、アイツは本来ならもっと小さい段階で発見されて駆除される筈の物なので…数は少ない筈です」
「そうか、これからはアレを遠目に見かけた時点で破壊しなくてはな…」
燃え盛るマレウスヌマチヒトクイオオハナを見て…思う。しかしアレ…あの鱗粉、実は…。
「そう言えばマレウスヌマチヒトクイオオハナって聞いたことあるなぁ…」
「え?デティ知ってるのか?」
「いや実物は見た事ないけど、名前はね。だって有名だよ、アレ…アイツの鱗粉って確か一目惚れのポーションに使われる筈だよ?」
「一目惚れのポーション…惚れ薬!?」
「そんなものがあるのか!?」
そう…まぁ効果は一日だけだがそう言うポーションもあるんだ、とは言えそれを作るにはアイツに近づいて鱗粉を採取しなくてはならないと言う超危険なことをしなくてはいけないから市場に出回っている物は少ないが…。
それでもある、なんせ魅了魔術なんて物もあるんだ。同様の効果を持つポーションがあって然るべきだ。
「世の中には…そんなポーションが……」
「…?ラグナ?どうしました?」
「い!いや!なんでもない!寧ろ卑怯者の俺を殴ってくれ!」
「えぇっ!?なんで!?」
なんて…そんな事もありました、幸い被害が出ずに済んだ事もありエリス達は無事馬車に戻り、何故か殴ってくれと言うラグナとこれで殴れと棘付き棍棒を渡してくるメグさんに困惑する程度で済みました。
他にも足を生やして歩くマングローブの群れに襲われたり、空飛ぶ巨大な魚が馬車に求愛行動して来たり、人語を話す花と遊んだり、馬車よりデカく頭が六つに裂けて大口を開ける虫に追いかけられたり、デカいトカゲの背中に生えたキノコをアマルトさんが嬉々として料理したり。
色々あった…色々だよ本当に、そしてその末に…エリス達はようやく。
……………………………………………………………………
「…ん!?アレが魔術理学院では!?」
エリスは御者を地図を見返して、目の前に聳える巨大な建築物を二度見する。南部に入って数日、エリス達はようやく人工建造物を見つける。
明らかに民家ではない、密林の奥深く…そこに巨大な石造りの城が、いや砦が聳え立っていた。
右を見ても果て見えないくらい長い石壁が続き、左を見ても果てが見えないくらい遠くまで石壁が続く、巨大な石壁に膨大な規模の範囲を覆う石砦が目の前に現れたのだ。
間違いない、アレが魔術理学院だ…。そう確信したエリスは即座に馬車の中に顔を突っ込み。
「みんな!マレウスヌマチ魔術理学院を見つけました!」
「ようやくか!」
「マレウスヌマチってフレーズ気に入ってんのかお前…」
「なら一刻も早く向かおう、そして一秒でも早く南部を抜けよう、そして私はもう二度と南部に立ち寄らないことをここに誓う」
みんなようやく辿り着いた魔術理学院に狂喜乱舞する。メグさんなんかここ最近ずっと口数が少なかったしね、下手したらジズが迫ってる時よりも深刻な顔してましたよ。
そして、そんな中…。
「……うん、来たんだね」
「はいっ!デティ!」
デティが目を開く、今朝からずっとソファに座り、魔術導皇の法衣に身を包み黄金の錫杖を握り続けた彼女が、ソファから立ち上がる。
魔術理学院に到着した、これはつまり…デティが魔術導皇デティフローアとして振る舞わなければならない事を意味していた。その神妙な顔は会談中でさえ見せた事がないくらい深く深く…影を落としている。
「…みんな、取り敢えず私と一緒に来てもらえる?」
「ああ、そのつもりだよ」
「こんな奇妙な動植物がいる森で過ごすつもりはない、出来れば人工建造物の中にいたい」
「ありがとう、正直怖いから…ここがどんな研究してるのか、見当もつかない」
デティは馬車の外に足を踏み出し見上げる、砦の門を。確かにこんな仰々しい建物が綺麗なお花を咲かせる方法とか美味しいパンの焼き方とかを研究してるとは思えませんしね。
何より、態々こんな魔境みたいな場所でだ…正直何を作っててもエリスは驚きませんよ。
「じゃ、行こっか」
クルリと振り向き、ニコリと微笑むデティ。そんな彼女の言葉で…エリス達は歩き出す。魔女大国の人間が一度として足を踏み入れたことのない魔境、魔術理学院へ。
…………………………………………………
魔術理学院、その成立時期は不明。少なくともマレウス建国時からその歴史の端々にその名が確認出来る事は分かっているが…なにぶん分からないことが多すぎるが故に何も言えない。
だが一つ言えるのは、この魔術理学院の建物はかなり前からある、という事。壁に生えた蔦やシミの数々は歴史を感じさせ、アマルトさん曰く数百年物の遺跡並みだとか。そんな仰々しい砦の仰々しい巨大な門を開き、エリス達は魔術理学院の中へと踏み入ることになる。
…最初に見えたのは、闇。崩れた床に剥がれた壁、実はもう移転してここは使ってませんと言われたら納得してしまいそうなくらいの廃墟ぶり。
ヤベッ!場所間違えたか!と思ったが直ぐにメグさんがこう言うのだ。魔力機構が起動する音が聞こえると。
つまりここは稼働している、そう身構えた瞬間…暗闇の奥から、白衣を着た男が一人、現れる。
「おや?お客さんですか?珍しい…」
コツコツと音を立てて現れたのはやや小太りの眼鏡の男性、彼はエリス達を見るなり不思議そうに眼鏡をクイクイと動かし寄ってきて…デティの法衣を見るなりギョッと顔を青ざめさせ。
「ま!まさか!デティフローア様ですか!?」
「…ええ、そうですよ。あなた方から呼ばれたのでこうして参ったのですが…出迎えがなかったので何かの間違いか、悪戯かと思いましたよ」
「い、いや!滅そうもない!ただなんの返答もなかったので…まさか来ていただけるとは」
そう言えばデティ、今から行きますよと言う返信をしていなかったな。まさかうっかり忘れていたのか?と思いながら彼女を見ると…。
そこにいるのはもうエリス達が知っているデティではない、憂を帯びた顔と威厳を漂わせる魔術導皇デティフローア、鋭く視線を尖らせ責め立てるような目で白衣の男性を見つめているのだ。
やっぱり魔術導皇モードのデティは怖い。
「それよりその後ろの方々は…」
「その説明をするよりも前に、明かりが欲しいのですが…」
「も、申し訳ない!今すぐ部屋の灯をつけますで!おい!デティフローア様が来られたぞ!応対だ応対!」
そんな風に白衣の男性は怯えると共に闇の中に怒鳴り散らすと、瞬く間に部屋の明かりが着き慌てて奥から同じような白衣を着た男性達が現れ綺麗に整列し。
「よ、ようこそデティフローア様!魔術理学院へようこそ!」
「お招き頂きありがとうございます、魔術導皇デティフローア・クリサンセマムと申します…。栄えあるマレウスの魔術理学院へお呼ばれするなど、歴代の魔術導皇にも許されなかった栄誉、ありがたく思います」
「いえいえ、我々も魔術導皇様をお呼びするなど無礼な真似をして申し訳ない。それにロクな応対も出来ず…ウチは研究者ばかりで外部の人間と関わるのも数年ぶりで」
先程現れた白衣の男性はどうやらこの魔術理学院の代表らしく、ペコペコしながらエリス達の前にやってくる。
「私はコバロスと申す者で、ここの代表を務めております」
「コバロス?」
するとラグナが不思議そうに首を傾げ…。
「魔術理学院の代表はファウスト・アルマゲストって名前じゃなかったか?」
なんて言うのだ、え?なんでラグナが魔術理学院の代表の名前を知ってるんだ?と思い彼に耳打ちをしてみる。
「ラグナ?なんで知ってるんですか?」
「前に黒鉄島に行った時、海洋拠点の資料に名前が書かれてたんだよ」
「それが…ファウスト・アルマゲスト?」
「ああ、だからてっきり会えるもんだと思ってたが」
と、コバロスさんを見てみると彼は大層驚いたような顔をして。
「なんと、院長の名前をご存知でしたか」
「院長?あんたが代表じゃ?」
「いえ、ここは魔術理学院南支部なので本部ではありません。ファウスト院長はサイディリアルにある本部にいます、勿論更に詳しい所在は内緒ですが…重ね重ね申し訳ない、本来ならば院長が来て諸手で歓迎するべきなのですが、どうしても院長はここに来れないと…」
「いえ、構いません。私もファウスト様にはご挨拶がしたかったのですが…叶わないのなら、それはまた別の機会にいたします」
「そう言っていただけるとありがたい」
と言う事はコバロスさんは魔術理学院の代表ではなく、ここも魔術理学院そのものではなく、飽くまで南部にある支部で、彼はその支部長と言ったところか。なるほど、通りで手紙に易々と所在を書いたわけだ。
支部一つくらいなら、別にバレても構わないと言う判断なんだろう。
「へぇー、支部でこんなでっかくて立派な建物なのかよ」
「ははは、昔は本部として使われていた時期もあったようなので本部と見紛うのも無理はありません。老朽化に耐えかねて新しい本部に移ったのでやや見てくれば悪いですが、中の方は綺麗なのでご安心を」
「そうですか、ところで…本日は認可申請を行う魔術が一つある、と言うお話でしたが」
「おっと、そうでしたな。しかし何分大掛かりな代物でして、まず点検してからお見せしたいので…先に魔術理学院の内部と研究をご紹介しましょう。それでもよろしかったでしょうか」
「ええ、構いません。私としても理学院の研究について興味があります、案内をお願いできますか?」
「お任せください!ではこちらにどうぞ」
と言うなりコバロスさんはエリス達を案内するような手を上げて奥の方へと歩いていく、デティもそれに続きエリス達はそれに更に続く格好となる。
すると、ふと…エリスはその場で足を止めて…。
「ん?」
壁を見る、床同様崩れた壁を。何かここの壁…老朽化で崩れたというより…。
(爪が刺さったような、引っ掻いた後のようにも見える)
四本の線が均等に並んで跡を付ける、そんな痕跡が天井付近まで続いている…。コバロスさんは老朽で見た目が悪いと言っていたが、これではまるで…。
「おいエリス、あまり逸れるようなことはするな?」
「あ、すみませんメルクさん」
おっと、今は集団行動と時間か。
しかし、見せてもらえるのか…研究成果を、なんだか楽しみだな。マレウスはアド・アストラに次ぐ技術力と国力を持つ大国、そこが研究する最先端の魔術…なんだか楽しみだ、エリスも魔術師の一端としてワクワクする心が抑えられない。
そうして歩いていると、何やら広いスペースに着く。そこには無数の試験管や気味の悪い液体の流れる研究室に通され…。
「まずは南支部の活動方針についてお話ししましょう。最初は理術に関する話で…南部には独自の生態系が築かれているのはもうご存知で?」
「ええ、道中見させていただきました。ここにしかいない魔獣が数多くいるとか」
「そうなのですよ。南部は取り分け魔獣の固有種化が激しい地域でしてね、我々はその魔獣の変化について研究しているのです」
「ほう、魔獣の研究を。それはアド・アストラでもしているのですが、魔女大国には魔獣の数が少なく上手くいっていないのが現状です、その点マレウスにはたくさん魔獣がいますし、さぞ研究も捗っている事でしょう」
「勿論!と言いたいところですが未だその真髄には至れていないのです。なので今日も魔獣達の解剖を行い、研究を重ねる日々ですよ…そして、皆様のような外部からのお客さまにまず最初に見せるなら…ここでしょう」
そういうなり廊下を抜け、光源魔力機構のスイッチを押し部屋の明かりをつけると、エリス達はかなり大きな部屋へ通されていたことがようやく分かる。そこは研究室というよりもっと俗物的で視覚的に分かりやすい部屋…そう、ここは。
「ここは、我等が南部理学院の研究成果をまとめたミュージアムになります!」
「これは……まさに博物館のようだな」
バッ!と広がるような広大な部屋には魔獣の剥製や骨格、壁に貼り付けられた資料や魔獣の絵が所狭しと並べられている。その数は軽く数百を超え彼らがどれだけ長い期間魔獣に対して綿密な研究を行ってきたかが一目で分かる。
というかこれ凄いな、こんな辺鄙な土地に建てられていなければこれだけでお金が取れるくらい人気になっただろう。だって凄いもん、ここまで精巧な魔獣の模型とか魔獣資料とか中々見れるもんじゃないよ。
「すごー…い…」
「この骨って魔獣の骨ですか?なんか美しささえ感じます。退廃的…とでも言いましょうか、死が芸術の題材となる理由が分かる気がしますね」
「あら、これスライムの瓶詰めですか?綺麗ですね」
その博物館を前に皆沸き立ち思わず彼方此方に散っていってしまう。まぁ中々観れるもんでもないし、興奮する理由はわかる。そんな中アマルトさんとラグナが巨大な犬型魔獣の骨格を見上げ。
「しかし魔獣の骨格だってよ、アマルト。これって…」
「ああ、コルスコルピで保管してある奴よりも精巧だ…。しかも損傷が殆ど見られない、防腐処置もすげぇ精度だ…」
「ほう、わかりますか?お二方」
そんな二人にコバロスさんは語りかけ、目の前にある数々の骨格を誇るように両手を広げ。
「南部理学院は魔獣専攻の研究院としての側面が強いので魔獣の標本に関しては恐らく世界一の数と正確さを持っていると私は自負しております。これに関しては魔術の総本山たるアジメクにも負けないと思いますよ」
「まぁアジメクには魔獣がいないしな、ってかそういえば南部って他の地方に比べて生態系が結構異常だけど…なんでなんだ?」
「おやいい質問ですね、まず南部がこのような異常地帯になったのは実は最近の話でしてね。大体五十年から六十年前にこんな環境になってしまったと言われているのですよ。それまでは湿潤な環境ではあったものの…ここまで動植物が異様な成長を及ぼす程ではなかった」
「え?そうなのか?」
と、コバロスさんの説明を受けたアマルトさんがエリスを見るが、勘弁してくれ…流石に半世紀以上も前の話はエリスも知らないよ。でも確かに南部の密林は他の密林とは一線を画すと言ってもいい。
こういう密林自体は世界中に存在する、だが生物自体が巨大化したような環境をしているのは…確かに異様とも言える。その環境の異様さは東部の乾燥地帯と隣接しているにしてはあまりに潤い過ぎている点からも分かるほどだ。
はっきり言ってエリスが見てきたどの場所よりもここは変だ。
「ってことは、なんか原因があるってことか?」
「ええ、皆さんは『マレウスの毒山』って知ってますか?」
「いや、知らない」
いやラグナ!何断言してるんですか!知ってますよエリス達は!…いやあれはもう一年近く前だから仕方ないか。
…あれはエリス達がボヤージュの街を訪れた際、新米船乗りのザルディーネさんから聞いたマレウス三大危険地帯の話。
一つ目の危険地帯『エンハンブレ諸島』…これは言わずもがなだ、あそこは海賊天国な上にレッドランペイジが遊泳する超危険地帯。
二つ目は『灼熱の大地』…これは東部ライデン火山周辺の事。あの暑さと生命のカケラも芽吹かない荒原はまさしく危険地帯の名にふさわしい。
そして、そんな二つと共にザルディーネさんが挙げたのが…『マレウスの毒山』だ。
「マレウスの毒山とはマレウス南東に存在する巨大な『毒山』のことです」
「毒山ってなんだ?毒でも吹いてんのか?」
「ええ、と言っても実際に吹いているのは毒ガスではなく『有害な腐敗ガス』と『極めて不快な悪臭』ですがね?」
そういうなりコバロスさんは南部の地図が立てかけられた壁を見つめながら、ある一点…マレウスの南東に存在する紫色の円形を指差す。そこに刻まれた文字は『焉龍屍山』…なんておどろおどろしい名前なんだ。
「ここには一つの山があります。正確に言うなら『超巨大な魔獣の死骸』が今も残り続けている…と言うべきでしょうか」
「魔獣の…死骸?」
「ええ、その魔獣の死骸が南部の環境に悪影響を与えているのですよ。魔獣は死ぬと肉が腐り悪臭を放ちながら大地に溶けて蓄えた栄養素と魔力を地面に還元するのです、その栄養素と魔力が南部の大地に溶けて生物が異常な進化を遂げているんです、それに釣られて魔獣も適応進化し…南部には固有の生態系が築かれたのです」
「お、おいおい、死んだだけで生態系に影響が出る魔獣なんて聞いたことないぞ…一体どれだけ強力な力を持った魔獣だったんだよ」
「ええ、魔獣が大地に溶けるのは全ての魔獣で同一に起こる現象ですが、一体一体は大した影響を及ぼしませんが…ヤツだけは別でした。なんて奴はマレウス史上最強最悪の大魔獣…」
そう言いながらコバロスさんは視線を移す、そこには…天井にぶら下げられた、巨大な『背骨の一部』が飾られている。これがまた凄まじい…背骨の一部分だと言うのに軽い館よりも大きいんだ。
デカい…あまりにデカい、エリスが知るどの魔獣よりも大き…い…いや違う、一体だけ知ってる、あのレベルの魔獣を、まさかあれ…。
「その名も『灼炎の焉龍』キングフレイムドラゴン…マレウス史に残る最強最悪の大魔獣。マレウスの毒山は今もなお腐敗を続ける奴の死骸そのもの。そして半世紀以上も前に死んだ彼奴の怨念が…南部の大地に宿っているのです」
「キングフレイムドラゴン…!」
「…オーバーAランクの大魔獣……」
そう、ラグナが死闘の末倒した波濤の赤影レッドランペイジ。奴と同じくオーバーAランクであったことが伝えられる巨大な炎龍キングフレイムドラゴン。話には聞いていたけど…マレウスの南東で彼奴は死んだのか。
というか、そいつの死骸がまだ残り続けてるって?しかもその魔力と養分が大地に影響を与えて南部の生態系を見出しているなんて、そのレベルだったのか…。
ん?じゃあレッドランペイジはどうなんだ?アイツもオーバーAランクだが死んだ後も特に影響は…って、そう言えばレッドランペイジが死んだ時は中の物全部吐き出して死んでたな。そうして全てを吐き出したレッドランペイジは掌サイズにまで縮んでいた。あれなら死体も残らないか。
強いて言うなれば吐き出した物により周辺の海が汚れまくった程度だ。そう思えば奴も死んで環境に影響を与えたとも言える。
「大冒険王ガンダーマンによって討伐されたキングフレイムドラゴンの死骸が南部の生態系に影響を与えているのです。それがマレウスの毒山たる焉龍屍山…。我々はその死骸から背骨を回収して、ああやって研究対象として…」
「…なぁ、その話本当なのか?キングフレイムドラゴンをガンダーマンが一人で倒したってのは」
ふと、ラグナが話の腰を折るように聞いてみる。キングフレイムドラゴンは現冒険者協会の会長ガンダーマンが倒したと伝えられている。だが実際にオーバーAランクを倒したラグナだからこそその偉業の達成難易度の高さは分かっている。
ラグナでさえ、死に物狂いでかついくつも偶然や手助けが言って倒せた怪物がオーバーAランクだ。それをガンダーマンが倒したなんて…と思っているとコバロスの黙秘を傾げ。
「さぁ?何せもう半世紀以上も前の話なので…。ただ『自分はガンダーマンのキングフレイムドラゴン討伐の手伝いをした』と言う元冒険者や退役軍人の方が各地に数多くいる事から…実際は軍勢を率いて、大人数で倒したのではないか…と言われていますがね」
「そうなのか…」
「本人は一人で倒したと言っていますがね、だって流石に…あのサイズの龍を一人で倒すなんて無理でしょう」
そう言って見上げる背骨、恐らくあれはキングフレイムドラゴンの背骨の一部。ああやってみるだけで肥大化したレッドランペイジと同等かそれ以上のサイズを持つことが分かる。それを相手に単独討伐なんてした日にはそれこそ英雄だ。
「ま、そうか…」
「あんな巨大な魔獣を相手にタイマン張ろうなんて命知らず、ラグナくらいしかいないだろ」
あの権威に溺れたお爺ちゃんが、それをやろうと思えるとは考えられない。実際のところはどうかは分からないけどね。
「さて、次は実際の研究を見てもらいましょう」
そう言って場所を移すコバロスさんについていくエリス達。そしてエリス達は展示室をを超えると、次はガラス張りの廊下へと突入する。煌々と寺されるガラス張りの部屋…そのガラスの向こうでは、鎖に繋がれ檻に閉じ込められた大量の魔獣が居て…ってマジか、こんな数収容してるのかよ。
「凄い数の魔獣ですね…」
「ザッと百体くらいはいますよ。これが逃げ出したら…南支部は一発で終わりでしょうな!なははは!」
何笑ってるんだこの人はとデティ以外の全員が引き攣った笑みを浮かべる。そんな中…デティが注目したのは。
「…アレはなんですか?」
「おや、流石は魔術導皇様…お目が高い、アレは私達が今研究している題材でございます」
デティが指さすのはガラスケースの中、そこには、何やら黄ばんで薄汚い巨大な骨が並んでいた、それは…何やら巨大な獣の骨格を表しているように見える。というかアレ…魔獣の骨格か?
「魔術導皇様も仰られた通りマレウスには古くから無数の魔獣がいます。なので長年積み重ねてきたデータも大量にありましてね。アレは今から三百年ほど前の『イフリーテスタイガー』の骨格です」
イフリーテスタイガー…あの巨大な炎猫の事か、確かに言われてみれば似ている気がする。アレが三百年前のイフリーテスタイガーか…今と全然変わらないな。
「アレが三百年ほど前…」
「ええ、そして…こちらがつい数ヶ月前に取った、イフリーテスタイガーの骨格です」
そう言って、その隣にあるもう一つの骨格をコバロスさんは指差す…それを見たエリス達は。
「えっ!?」
「なっ!?」
「嘘だろ…」
全員が驚愕する…なんせ、そこにあった骨は、確かにシルエットはイフリーテスタイガーの物だ。だが…骨の配置が全然違う!
というか骨の数が多く、より生物として精密になっているんだ。なんだこれ…同じ生き物の骨なのか…!?
「魔獣はその臓器器官が殆ど動いておらず、また姿形の変化が殆どない不変の生き物…と長らく言われてきましたが、こうして古い資料と重ねると…魔獣は確かに、そして着実に進化を遂げていることが分かる」
「骨の配置がこうも簡単に変わるとは…三百年の時とは言え、これでは別物…」
「ええ、そもそもイフリーテスタイガーの存在が確認されたのが今から四百年前、それ以前に存在していた小型のミキシングキャットが突然変異を起こし生まれたのがイフリーテスタイガー…つまり」
「誕生からたった数百年で、『生物として完成されつつある』…と?」
「ええ、そしてこの進化が極限まで行くと…次の魔獣が枝分かれし突然変異により生まれます。ミキシングキャットがイフリーテスタイガーになったように、別の存在に枝分かれしていくんです。魔獣はそうやって種類を増やしているんです、不思議な存在ですよね」
当初は、簡略化されたような骨の配置をしていたイフリーテスタイガーはたったの三百年でより正確な骨格を獲得し、生物としてより完成された姿形へと進化していっている。これは生物としてはあまりに早すぎる進化…いや、環境への適応?
「私達は魔獣の変化の過程を観測しているのです、その結果魔獣は当初は非常に現実離れしたサイズ感や姿をしていたことが分かりました」
「…原初の魔獣アンノウンか……、確かにあいつら、生物感がないよな」
「ええ、しかしそこから段々と正確な骨格を獲得し、ある程度までいくとその情報を受け継ぎ別の個体へ、それが適応したらまた別の個体へ…そうやっている結果、魔獣達は…通常の生命体へ徐々に近づいているのです」
「通常の生命体…?」
「えう、ミキシングキャットがどんな姿か知っていますか?猫姿にトカゲの尻尾を持っているんです、不気味ですよね。ですがそれが適応進化した後は燃える猫…サイズや炎という差異はありますが、姿は完全に猫そのもの…」
「ッ……」
確かに、魔獣達の中には通常の獣に非常に似通った存在もいればあり得ないような姿をしたやつもいる、その違いって昔からいるか…最近誕生したかの違いだったのか。
そしてその出発地点はアンノウン、地上の何処にも似た生命体がいない独立した存在。それが八千年という時間をかけて徐々に種類を増やして、結果…通常の獣に似た存在になってきている?
いや、でもそんなややこしいことをする必要があるのか?だってこれを作ってるのはシリウスだぞ?アイツはどんな物でも作れる、そんな態々魔獣を長い時間をかけて進化させる必要なんて…。
「私達は、こう考察しています…魔獣達はきっと神以外の存在が作り上げた偽りの生命体。きっとその者はその気になれば猫や犬のような獣と、全く同一の物を作れるのでしょう」
「お、おう」
思わず吃る、この人達…研究だけで殆ど真実に、シリウスの存在に近づいているのか…!?
「ですが、それをしないのはきっと…ソイツは魔獣を使って、確かめているのです」
「確かめる…?何を…?」
「神が、何故、生き物をこの形で作ったかを…その工程を辿ることで確認しようとしている。つまり、この世の真理の探求ですね」
「ッ……」
その考察が正しいかは、シリウスに聞いてみないとわからない。だがあり得るような気がしてならない。奴が求める真理は…そう言った情報の中にある。
シリウスはその気になれば猫や犬に限りなく類似した魔獣を作れる、事実八千年前から多種多様な魔獣はいた、しかしそれを一から粘土細工を弄るように進化させているのは…魔獣を作り続けているのは、多分人類への嫌がらせという面もあるのだろうが…。
それ以上に、生物進化の過程の研究にあるのかもしれない。
エリスも師匠からこんな話を聞いたことがある。
『人々が崇拝する偶像の神は、決まって人型をしている。だが私はこう考えるのだ…神が人の形をしてるのではない、人が…神の形をしてるのだ、とな』
つまりこの話が正鵠を射るなら、シリウスが最終的に求めるのは…神の構造の調査、即ち、魔獣をいずれ神にすることが、シリウスの目的なのではないか…と。
(所詮妄想、こんな事シリウス一人で出来るとは思えないし…出来たところでその全ての情報を奴一人で捌けるとは思えない、でもなんでだろう。この地道な調査には…何か目的がある気がしてはならない、いやアイツならこういう地道な探求とか好きそうだしな〜)
だって、シリウスは魔獣を使って人類を虐めようと思うなら…アンノウンのままでいいんだ。それを態々種類を増やしてまでやっているのは…。
猫型、犬型、トカゲ型、植物型…。そして人型…なんだか気持ちの悪い話になってきたな。
「まぁ、これは私達の考察にして妄想。ですがその妄想が確かな物か…確かめるのが我々研究者の役目なのです」
「おぉ…」
エリス達は思わず呻いてしまう。これが魔術理学院…この人達は本物だ、本物の研究者だ。こんなにも進んだ研究をして、シリウスの存在にさえ辿り着いている。魔女大国でさえシリウス自身が姿を現すまで気がつくことさえできなかった存在に…探求のみで、辿り着くなんて。
凄いぞ、この人達…!思ったより侮れないかもしれない!マレウス魔術理学院!
「では次へ参りましょう」
「は、はい」
思わず圧倒されてしまったエリス達は黙ってコバロスさんの後に続く。予想よりもかなり進んだ研究をしている理学院の存在にエリス達はすっかり気圧されてしまっている。
そんな中でもデティは冷静さを保ちながら、チラリと檻に入れられた魔獣を見て。
「………………」
一つ、大きくため息を吐くのであった。
………………………………………………………………………
「続きまして、私達が行なっている魔術の研究の方を…」
そして次は魔術の研究エリア。そこでは誰もいないのかと思うくらい静かで…、かつ扉も厳重に施錠された特別な部屋へ案内される。厳重な扉を一つ一つ括る都度ワクワクが高まる。
まるで、本来は見れない物が見れるかもしれないというお得感と高揚感。店の裏側を覗くような不思議な高揚感がある。
うんうん、ドキドキしてきた。マレウス魔術理学院の実力は先程理解した、この人達の研究は侮れない。なら当然研究している魔術もやはり凄いのだろう。
一体、どんな魔術が飛び出るんだろう。どんな魔術が見れるんだろう、派手なのか?それとも見た事ないタイプか?目ん玉飛び出るような体験が出来るのは確かだ。
そう思いながら、辿り着いた先で待っていたのは……。
「ここが、魔術の研究を行う部屋です」
「え?…狭…」
そこは、想像していたよりも…ずっと狭い。いや十分広いんだがエリスが想像してたのはこう、練兵場みたいに広大なエリアがあり、自由に魔術が試し撃ち出来るような環境だった。
だが、ここはどうだ?長机が十数個、そこで数十人規模の研究者達が机に向かい合いながら作業をしている。まるで…こう、なんか…事務所みたいだ。
「なんか想像してたのと違うな…」
「僕もっと広いものかと思ってましたけど…本当にここで?」
「というかなんの研究をしてるんですか?机に向かい合って魔術の研究?」
「え、えっと…」
すると、何やら困ったようにコバロスさんがエリス達をチラチラ見ながら苦笑いし。
「ここは古代魔術の復元作業を行う場所なのです」
というんだ、古代魔術の復元…と。…古代魔術?古式魔術じゃなくて?
「古代魔術…?」
「は?」
すると、今度はチラチラこちらを見ていたコバロスさんがいよいよ信じられないと言った顔でエリスの顔を見て凝視するのだ。え?エリス変なこと言った?
「え、えっと…先程から伺いたかったのですが、デティフローア様のお供の方々は一体?宮廷魔術師団の方かと思ったのですが…まさか古代魔術を知らないなんてことは、ないですよね…」
「え!?当たり前のことだったんですか!?」
「すみませんコバロス支部長、この子達は私がここに来るのに雇い入れた冒険者達で魔術の最新研究には疎いのです」
「ああ、そうでしたか……………」
ならなんでお前らここまでついてきてんだよ…と言いたげな目でこちらを見るコバロスさんを放置し、デティは『エリスちゃんエリスちゃん』とエリスを呼んで耳打ちを始める。
「エリスちゃん、古代魔術と古式魔術は違うよ!」
「え?でも似た感じでは?」
「感じはね、でも実際は違う。エリスちゃんって学園で魔術衰退論について習ってたっけ?」
「ああ、現代魔術が弱体化し始めてるって奴ですよね」
現代魔術は昨今弱体化の一途を辿っている。それは現代魔術が原型たる古式魔術から離れすぎているからだ。そもそも魔術は古式魔術の文献を見つけ、その設計図から魔力を編み現代魔術を作り上げるのが一般的。
しかし、文献なんてそう簡単に見つかるものでもない、それでも増え続けているのは…別の現代魔術を新たな形に組み直し新しい魔術として世に出しているからだ。
故に古式魔術を改良した現代魔術を改良した現代魔術を改良した現代魔術が今の主流…、ここまで来ると原型から離れすぎて魔術の威力そのものが弱まってしまうのだ。もしこれをこのまま続けていくと、炎一つ出せない欠陥魔術だらけになり人々は魔術を手放さなくてはいけなくなる…。
それが魔術衰退論だ。学園で習いましたよ。
「そう、つまり現代魔術は古式魔術から離れれば離れるほど弱くなるの。そして現代魔術の歴史は今から数千年前に遡る…ここまでいくと純粋に古式魔術から抽出した魔術の方が少なくなるの」
「確かにそうですね、歴史が長いってのはそういうことですもんね」
「で、そんな中でもより原型に近い、つまり文献から直接作られた古式魔術に最も近い現代魔術を古代魔術と呼ぶの。今から数千年前に作られた物だからね、立派に古代よ」
「確かに…」
「例として挙げるなら…ほら、ジャックが作ってた海を操る魔術。あれって彼が発見した文献から直接作られてるでしょ?ああいうのが古代魔術の種別に入るの、後はゼストスケラウノスとかも古代魔術かな」
シンやジャックが使っていた魔術が古代魔術か。確かに二人の使う魔術は本人の実力抜きにしても明らかに他の魔術と一線を画する火力や影響範囲を持っていた。
つまり、古代魔術は古式魔術に近く、その分他の現代魔術よりも強力で原型に近い力を持った凄い現代魔術ってわけか。
「よく分かりました、デティは古代魔術使えるんですか?」
「分かっている分はね、でも古代魔術の殆どは今の時代失われてるんだよね、今から三百年前の導皇が『新しい魔術こそ至高』って感じの人だったから古い魔術の記録はドンドン破棄しちゃったの」
「勿体無い!」
「そう、勿体ない、だからこうして復元してるんだよ。復元出来れば今よりずっと強力な魔術を手に入れられる。それこそ古式魔術並みのね」
「おお…」
そういう事か、ピッキィィインッと理解出来ましたよ。なるほど、新しい魔術を作るのではなく昔の強かった魔術を復活させようとしてるんですね。
「えー、ここは古代魔術の詠唱名を調査し見つけるため古い文献の復元を行い、確認しているところですね」
「おほん、貴方たちが開発した魔術とは古代魔術ですか?なら認可の必要はありませんよ、認可は取り消しにならない限り永続…、復元完了の報告だけ一報もらえればそれでよかったのですが」
「いえいえ。確かに我々はいくつかの古代魔術の復元を成功させていますが…今回お見せするのはそれではありません、寧ろその古代魔術の力を応用した新技術でございます」
なんていう風に話し合っていると、廊下の奥から一人の研究者がすっ飛んできて。
「コバロス支部長!準備が完了しました!」
「おお、それでどうだった?」
「以前問題なく『パーク』は稼働しています」
「それは良かった、どうやらお見せできるようですよ皆様」
パーク…そんな言葉が聞こえたが、もしかして見せたいのは『物』ではなく『場所』?確かにそれなら持ってくることはできないが…。
だがどうやらそろそろ見れるようだ、新しい魔術とやらが。そうみんなと視線を交わし頷き合う間にデティは…。
「では、見せていただきます。そして認可に足るかどうかを確認させていただきます」
「どうぞどうぞ、きっと気にいるはずですよ…なんせ私達が百年かけて作り出した新技術ですので」
そう言いながら彼は更に廊下の奥へ奥へ歩んでいく。パーク…とやらがある場所へ。
「皆様にこれから見ていただくのは、ある意味『新時代』の光景になるでしょう」
「ほう、随分大きく出ましたね」
「ええ、こればかりは自信を持ってお見せできますよ。何せこの技術が有れば『食料問題』そして『魔獣問題』も何もかも全て解決することが出来る、世界が一変する最高の技術なのですから」
「食料問題?その…一体どんな魔術なのですか?」
「魔術というとややイメージと違うかもしれません、どちらかというと帝国の魔力機構のような物。まぁ技術力ではこちらの方が上ですが」
咄嗟にメグさんの口を閉ざす、なんか余計なことを言い出しそうだったからァアン!?ちょっと!?メグさん!?全く躊躇なくエリスの手を舐めるのやめてください!
「それは凄いですね、それが…この先に?」
「ええ、是非ともその目で確認してください…これが、私達の技術の集大成にして、世界を変える夢の技術『ドリームパーク』です」
そう言いながら、コバロスさんは廊下の最奥にある大きな扉に手をかける。世界を変える夢の技術が詰まったドリームパーク…それを隔てる重苦しい鉄の門を一人でこじ開けると。
そこに広がっていたのは…。
「さぁご覧ください!どうですか!魔術導皇様!」
「ッ…!これは……」
「お、おおおお!?うぉおおお!すげェッ!」
「嘘ぉ…」
「まさか、こんなことが…可能なのか!?」
そこには、超々巨大な庭園が、まるで一つの世界のような広大な庭園が広がっていた。まさしくパークと呼ぶに相応しい領域を誇るその空間には森がある、川がある、塗装された天井は高く高く、青く染められまるでロレンツォ様の居室のような一つの世界を再現した光景が広がっている。
…が、エリスたちが驚愕したのはそこじゃない、広がっていた景色そのものが…異質だった。
「山みたいにでかいキャベツがあるぜ!?」
「あっちにはキノコの森!?おい待て!?ベーコンに羽が生えて飛んでるぞ!」
「た、食べ物が生き物みたいに暮らしてますよ!?」
「おいおい…夢でも見てるのか、俺達は…」
食べ物だ、食べ物が森に、川に、山になっている。全てが食べ物と化した世界がそこには広がっていたのだ。あり得ない…あまりにあり得ない光景、山のように巨大なキャベツと木みたいにデカいキノコが森を作り、ベーコンに羽が生え飛び、じゃがいもに足が生えて走り回り、魚の切り身が川を泳いでいる…。
バカの考えた世界みたいだ!というかもう目の前に広がる世界がバカだ!なんだこれは!?
「コバロス様…これは一体?」
「気に入っていただけましたか?これが、私達の作った新技術…『遺伝子抽出書換え魔術』でございます!」
それは、ある意味…魔術の真髄にして、神の領域に不遜にも足を踏み入れる行為。
生命を弄ぶ、究極の魔術が集まる…巣窟だった。




