534.魔女の弟子と、ただ生きていてくれるだけで
「無駄だ、もうこの戦艦は落ちる!エルドラドの街に落ちる!そして死ぬんだ…全員が!」
エアリエルの言葉が木霊する、最悪の状況を前にエリスは考えを巡らせる。
ファイブナンバーとの戦いを終え、エリスは最強の影エアリエルを倒すことに成功した、しかし…その瞬間もたらされた最悪の事実。
ジズは…ファイブナンバー達が万が一倒されてしまった時の事を予見してこの空魔の館の動力機関と共振石を紐付けていた、これにより全ての共振石が破壊され空魔の館は完全に停止した。
エルドラドの真上で…だ、このままいけばこの巨大戦艦がエルドラドに墜落する。当然その死傷者の数は計り知れない…絶対にこの戦艦を落とすわけにはいかない。
だが…だがどうすれば良い。
(今この戦艦にいるのはエリスだけ、他のみんなは今地上で戦っている。エリスがなんとかしないと…でもどうする)
もうボアネルゲ・デュナミスは使い切った、ましてやライジングモードと言う消耗の激しい状態を使ってしまった所為で体力も残ってない。この戦艦を跡形もなく消しとばして…というのはちょっと現実的じゃ無い。
なら反重力機構を再起動するか、それなら……。
(いや、無理だ。エリスは反重力機構を動かせないし何よりジズがそこに対して手を打っていないわけが無い。ここで用意周到に準備する奴が再起動される芽を潰しておかないはずがない)
真っ当な手段では止められない…じゃあどうすればいいだ!
「エアリエル!この船を止める方法は!このままじゃみんなが死ぬ…あなたも死ぬんですよ!?」
「影は死を恐れない、父の役に立てるならこの命…喜んで差し出す、クカカ…!」
この狂人が、っていうか船が落ちた時死ぬ人間の中にはジズもいるんじゃ無いのか?もうそういう判断も出来ないか…。
(…………止める方法はない…か)
拳を握り、静かに項垂れる。現状…残された僅かな時間でこの船を停止させる方法はない。
少なくとも、賢いやり方の中には、無い。
「仕方ありません、颶風よ この声を聞き届け給う、その加護 纏て具足となり、大空へ羽撃く風を 力を 大翼を、そしてこの身に神速を 『旋風圏跳』!」
「んなっ!?お前一人で逃げるつもりか!お前が逃げたとて下にいる人間が死ぬことに変わりはないぞ!」
「逃げませんよ!」
空に飛び上がれば庭園にて倒れるエアリエルがなんか言ってくるが、逃げるわけないでしょうこの状況で。船を止める方法はない、けどこのままじゃみんな死んでしまう。
それは許容出来ない、けどやはり船を止める方法はない…なら、意地でも止めるしかないとエリスは船よりも高く飛び上がり…残った魔力を集中させ、大きく息を吐くと共に。
「魔力覚醒!『ゼナ・デュナミス』ッ!」
残った魔力を使って最後の覚醒を使う、…命懸けでこの船を止める、エルドラドの街には落とさせない、誰も死なせない!
「意味を持ち形を現し影を這い意義を為せ『蛇鞭戒鎖』ッッ!!」
両手から放つのは無数の魔力縄、それを一気に伸ばす、ひたすらに伸ばす、それらを一周二周三周と空魔の館全体に巻きつけ、エリスはしっかりと縄を握る。
「まさか…アイツ」
頭上にて縄を展開して屋形に結びつけるエリスを見てエアリエルはその頬に冷や汗を流し…意図を察する。
「空魔の館そのものを、持ち上げるつもりか…!?それでエルドラドの街を守ろうと!?馬鹿な…つくづく馬鹿だ、常識的に考えてこの超巨大戦艦を人間一人の力で持ち上げられるわけがないッ!」
『うるさい!黙って寝てろッ!!絶対に…誰も死なせませんからぁああああああああああ!!!』
エリスは自分の力でこの船を浮かせ墜落を防ごうと言うのだ、風で飛んで、縄で縛ってそのまま持ち上げるというのだ。
何をどう考えても無理だ、例え肉体的超人が百人集まったって不可能だ、島ほどの大きさの巨大戦艦を人間が独力で持ち上げるなど前代未聞を通り越して絶対不可能。
この最悪の事象を前に取れる行動の中で論外に近い悪手、足掻きにも満たない愚かな行動、達成される見込みが存在しない試み、そんな行動に出たエリスを笑うエアリエル…その笑い声を無視して、エリスは。
「ぬんぐぅぅううううううううううううう!!!」
引く、全力で空へと飛翔しながら縄を引いて空魔の館を持ち上げようとするが、全く上昇しないどころか全く速度が変わることなく船は落ちていく。
これじゃダメだ、もっと縄を増やして…それをエリスの体に巻き付けて。もっと力を伝えないと…!
「っグッ!」
「馬鹿め、自分の体に縄を巻きつけたか?戦艦の重さで体が引き裂かれるぞ!」
体に縄を巻きつけたその瞬間、かかる戦艦の重さに体が真っ二つにされそうになる。口からは血がボタボタと溢れては鬱血しそれ程の力を使っても戦艦は止められない。
「ッッッ諦めるもんかぁぁ…!」
もっと縄を増やしもっと力を使い、天を目指して飛ぶが…空はどんどん遠ざかる、落ちていく…エリスも戦艦も、まるで減速しない。
ッ…ダメなんだ!こんなの!
「折角!みんなで勝ったのに!こんな終わり方なんて!許せないッ!誰も死なせないんだ…死んだら、勝ちも意味がなくなる…戦った意味がなくなるッ!!」
死者は戻せない、死は巻き戻せない、例えどれだけの大勝を得ようとも…何かが失われれば、即座に勝利の栄光は霞み意味を持たなくなる。だからエリス達は何かを失わない為に戦っているんだよ!
勝ちたいから勝つんじゃない!失いたくないから守るんだッ!!
「だから…絶対に絶対に!守るんだぁぁあああああああああ!!」
噴き出る血、軋む骨、血気混じりの咆哮を響かせるが…やはり戦艦は止まらない。
「馬鹿な奴め…止められるわけがない、人間に」
止められるわけがないのだ、人は人が思うほどに万能ではない、人が解決出来る事象なんてこの世界で起こる数々の事象の中でもごくごく一部だけ…人はそれほどに小さい生き物なのだ。
見てみろエリスと戦艦のサイズ比を、まるで豆粒…いや砂粒と星。砂が…星を引けるわけがない。
(なのに…なんだ、この胸騒ぎは……)
出来るわけがない、出来るわけがないのに、エアリエルは今…妙な焦りを抱いている。何かが起ころうとしていると研ぎ澄まされた第六感が告げている、エリスが何かを成し遂げようとしていると直感が告げている。
まさか本当にやるのか?…いや、もしかすると…『それ以上』の?
太陽の光を受け輝くエリスの姿に、エアリエルは─────。
……………………………………………………………………………
「こぉ〜〜のぉ〜〜〜〜!ヴァカラグナァァアーーーーーッ!」
「怒るなよ、無事だったんだし」
「バカ!バカ!バーカ!バカ!怒るよ!なんで空魔の館から脱出しようってだけで!あそこからみんな抱えて飛び降りるの!」
「だってそれ以外道がなかったし、それになんとかなると思ったし実際なんとかなったし」
「だからバカだって言ってんの!」
砕け散ったゴールドラッシュ城の頂上にて、グギグギと歯軋りしながらラグナに組み付くデティは吠える。あれから、エリスと別れた弟子達はそのまま空魔の館を脱出する為奔走していたが…、ハーシェルの影達が外部に出る際使っている転移魔力機構がエリスとエアリエルの戦いの余波で壊れていることに気が付きさぁ大変。
もうこうなったらとラグナはネレイド含め全員を抱え壁を砕きながら空魔の館の翼部分に飛び出し…そのままもっと近い地上であるゴールドラッシュ城の屋上へと、エリスが突入に使った屋上へと飛び込んだのだ。
結果的に全員が無事脱出する事が出来たが…それでも無茶は無茶だ、今はアマルトも瀕死の重傷を負って気絶してるんだからもう少し気を遣ってとデティはブチギレる。
「ともあれ脱出は出来た、後はエリスを待つだけだな」
「もう…、でもそうだね。エリスちゃんならきっとエアリエルにも勝ってくれるよ」
「そうですね…、にしても空魔の館、とんでもない状態ですね」
「ん……」
気絶したアマルトを取り敢えず床に寝かせみんなで目の前の空魔の館を見上げる。凄まじい負傷具合だ、エリスとエアリエルが全力で戦った結果あちこちから火を吹き煙を吐き出し、今にも落ちそうな状態だ。
ラグナはそれに加えチラリと下を見る。既に街の方の戦いもアストラ軍の勝利で終わり始めているし、あちこちで始まった戦いも決着がつき始めている。
何よりこのゴールドラッシュ城の惨状。多分だがメグとジズの戦いも終わったのだろう…出来れば今すぐ無事を確かめに行きたいが───。
「あれ?」
ふと、ネレイドが口を開き…。
「なんか…空魔の館、落ちてきてない?」
「え?」
「は?」
「えぇっ!?」
ネレイドが天を指差し空魔の館を指し示す…確かに、あまりにも大き過ぎて感覚的に理解できなかったが、よくよく見てみれば…なんか段々標高が落ちて、こっちに近づいてきて…。
「あ!やべぇっ!マジだ!マジで落ちてきてる!」
「嘘っ!まさか戦いの余波で壊れちゃったの!?」
「それにしては負傷具合が少ない様に思えます、多分…エアリエルが最後の悪あがきで空魔の館を落としたのかも…」
「やられた、そうだよな…ペイヴァルアスプを止めても、空魔の館を地面に叩きつければそれだけで目的は達成されるんだから…最後の手段としては全然あり得る」
「どうするの?ラグナ」
「へ?どうするって」
どうするよ…、あれ。受け止める?無理だろ、俺一人の力じゃどう考えても持ち上げられない、サイズ的にはレッドランペイジと同等。しかしこちらは鉄製…レッドランペイジよりも数段重い。
それにそもそも持ち上げられたとしても地面の陥没は免れない。エルドラドの消滅は免れないんだ。つまり地面で受け止めては間に合わない…けど。
「ッ…今から避難を、いや間に合わない…!」
「ラグナ…これガチでやばいよ…」
「こ、ここまで来て、こんなのって」
「……………」
全員で頭を動かすが、有効な手立てが浮かばない…するとそんな中、ネレイドさんはもう一つ…気がつく。
「…見て、エリスが」
「え?あの魔力縄…エリスのか?」
「まままままままさかエリスちゃん!一人で空魔の館を引き上げるつもりなの!?」
「無茶ですよ流石にそんなのは!?」
「…ッ……」
無理だ、流石に。レッドランペイジを引き上げた事があるラグナだからこそ分かる、流石のエリスも空魔の館を持ち上げるのは不可能。
それは自明の理、理そのものから考えてエリスという人間が一人で戦艦を持ち上げるのは不可能。
これをなんとかするには、理を超えた存在、魔女の力が必要だ…けど。この国には魔女はいない、ここは魔女無き国マレウス…。
でも…。
「エリスを信じるしかない…のか」
エリスならなんとかしてくれると信じるしかない、そう言えば聞こえはいいが…俺はまたも彼女に全てを背負わせてしまっている。情けない…なんてレベルじゃねぇよ。
こんなんじゃいくら強くなっても意味がない。
「エリス一人に背負わせていいのか…、いいわけねぇよ。俺ちょっといってくる!」
「ちょっとラグナ!?行ってどうするの!?ラグナは飛べないでしょ!?」
「でも……」
でも、友達として…何かしたい。こんなの…俺は────。
「いや行くなラグナ、お前にはやってもらいたい事がある」
「え?」
ふと、声が響く…その声に弾かれるように振り向くと、そこには。
「メルクさん!?いつから!?」
「最初からだ、気がついてもらえなくて寂しかったぞ」
「ご、ごめん」
メルクさんだ、エリス曰く既に脱出したはずのメルクさんが足を錬金術で固定し、引きずるようにこちらに向けて歩いてきたのだ。まさか彼女もここに着陸していたとは…全然気が付かんかった。
「そ、それより、してもらいたいことって?」
「私も、戦う。このまま役立たずでは終われん…だが、今の私の足では踏ん張りが効かん」
「効かんって…ゲェーッ!アキレス腱切れてんじゃん!早く治癒を!」
「その前に…ラグナ、手を貸せ…エリスの手伝いをする」
「…エリスの手伝い」
メルクさんは足を負傷しながらも立ち上がり、戦うと言っている。…なら今は、彼女の覚悟を尊重するべきか。
それに、思う。俺が行くより…メルクさんが行った方がいいと。
「分かった!手伝う!」
「よし、なら私を後ろから支えろ…全力で、あの船を押し飛ばす!」
…………………………………………………………………
「がぁぁああああああああああああ!!!!!」
全力で風を使い空へ登ろうと死力を尽くす、エリスに出来る全てを使って戦艦を持ち上げようと雄叫びを上げるが、一ミリだって上に上がることはなく着々と戦艦は地面へと近づいていく。
(ダメだ…ダメだ、エリス一人の力じゃ…持ち上げられない)
縄が体に食い込み、既に体は血塗れで指も折れ、腕に巻きつけた縄のせいで腕が引きちぎれそうだ。
それでも止まるわけにはいかない、エリスが諦めたら…それで全部終わってしまう。
(そんなの…そんなの嫌だ…!)
師匠は、言った。世の中には助けられる人間と何をやっても助けられない人間がいると、助けられない人間にかまけて助けられる人間の手も取れなくなっては意味がない、だから助ける人間は選べと。
だからエリスは選んだ、あの時。クルスの館で、助けられるメグさんを助けて、トリンキュローさんを助けなかった。
それと同じように、今エリスは選択を迫られる。どうやっても助けられない人間…エルドラドにいる全ての人間を前に、助けるか、助けないかを。
……どうやっても、助けられない、戦艦が落ちている以上。もう誰も助けられない、助からない。
ならどうする、助けないのか?…助けられる人間のために?誰だよ、助けられる人間って、エリス自身か?…あり得ない!
(エリスは、もう選ばない事を…選ばない!みんなみんなを、助けたい!みんなを選びたい!だから!何がなんでもッッ!!)
血が地面に滴る、その地面が…下へ落ちていく。
いくら心で思おうとも…体はついてこない、体は────。
「えっ…!?」
瞬間、一瞬だけエリスの体が持ち上がった…戦艦が少しだけ浮いたんだ。何が起こったと視線を下に向けると、揺れた戦艦の影、その向こう側に見えるゴールドラッシュ城の屋上から…。
凄まじい勢いで光の柱が放たれ戦艦を押していたのだ。あの光は…。
(メルクさんの『極冠瑞光之魔弾』 …!)
あらゆるエネルギーを集約し放つメルクさんの大技古式大錬金術『極冠瑞光之魔弾』 …それが放たれていた、ということは屋上にいるのは。
『エリスーーーーーッッ!!』
「メルクさん!」
メルクさんだ、屋上に向け飛び出し空魔の館を飛び出していたはずのメルクさんが、ラグナに体を支えられながら全力で魔術を放ちながらエリスに向けて吠えていた。あれだけの傷を負いながら…まだ立って……。
『踏ん張れエリスッ!私達も…お前と共に戦う!守られるだけが!友じゃないッ!私はお前と!並び立つためにここにいるッ!だから…一緒にッッ!!』
「メルクさん……そうですね、ええ…そうですともッ!」
血が流れたからなんだ、骨が折れたからなんだ、肉が裂けたからなんだ、不可能だからってなんだってんだ。下にはエリスの友達がいる、友達は逃げずにエリスの為にその場に留まり戦ってくれている!
ならエリスも戦え、諦めるな、最後の最後まで選び続け…全てを守れ!友と一緒にッ!!
「ついてこい…エリスの体ッ!エリスはこんなところで足を止めるつもりはない、友達と一緒に!どこまでも!!歩いていくんだから!こんなところで!止まるなッッ!!」
上を見上げる、天を見る、もう一度だ…もう一度挑むんだ、負けるな…負けてたまるか、友達が命をかけているなら、エリスも命を賭けろッッ!!!
「ゔぁあああああああああああああああッッッッッ!!!!!」
思い切り引き上げながら天を見上げる、その先に見えるのは…やはり、師の背中。
師匠の背中、エリスは常に…そこを目指して進んできた。
師匠は、何も守れなかったと口にしているが、あの人は確かにこの世界と友達を守り切り、次に繋いだ…こうして戦いに身を投じれば投じるほど、それが当たり前の出来事ではない事を痛感する。
それをやり通す為に、どれほどの鍛錬を積んだのか、どれほどの苦痛を乗り越えたか。今のエリスには想像出来る。
師への憧れは超えた、師と言う目標は過ぎ去った。憧れも目標も置き去りにして…今のエリスは、師匠へ追いつく段階へ至っているんだ。
だから追いつけ、あの人と同じ事をやれ、友達と世界を守れ…。
それが、魔女の弟子に選ばれた者の責務、魔女の名を受け継ぐ事…世界を守る事、その壮絶なる覚悟と責任を、今こそエリスが…受け継ぐんだッッ!!
「ぅがぁああああああああああああ!!!」
────その時、エリスの体に巻き起こっている現象。魔力覚醒が…エリスの絶対の覚悟に呼応する。
心とは、即ち感情である、感情とは即ち魂である。魂とは即ち力の源であり、強くなると言うことはつまり心を…魂を練磨することにある。
今、エリスの心は、エリスの肉体が許容するだけの負荷を超え、その先にある物を見据えようとしている、掴もうとしている。今のままでは体がついてこない、魂だけが先導し肉体が後を追う形になっている。
魂が、肉体の殻を破って…『先』を望んでいる。
「ぐぅぁぁああああああああああああ!!!」
魂と肉体は連動している、老いとは即ち魂の劣化であり、魂が劣化するから肉体は衰えていく。ならば、その逆もあり得るのだ。
魂が肉体を超越したその時、肉体もまた限界を超える。魂が肉体の殻を破ったなら…肉体もまた破る。
……世界という名の殻を。
「ぐぬぬぬぬ!ぅがぁぁああ!!」
世界の殻を破る、それは彼女の魂が世界を押し退ける程にまで高まり…超越している事を指す。
人々はこの現象に名前をつけている、魔力覚醒…それを更に超え、究極にまで高められたその力を、こう呼んだ───。
『極・魔力覚醒』…と。
「ッ…なんだ」
それはエリスも仲間達も認識していない、ただ一人…俯瞰して見ていたエアリエルだけが、目にすることになった。
全力で船を引くエリスの体が、朝焼けに満たされ影だけが目に映るこの光景。その中で…光の中で、エリスの姿が、変容する場面を。
(なんだあれは、エリスの体に何が起こっている…!)
力を感じる、偉大なまでの力を。
恐怖を感じる、大いなる恐怖を。
エリスの姿が変容し切ったその時…エアリエルが見たそれは、その記憶が確かなら。
全く同一だ……。重なるんだ、記憶の中の…あれと。
(あれは……魔女)
エリスと戦う直前に見た、黒衣の魔術師…絵画に書かれし伝説の存在。
その絵画に書かれた姿と、今エリスが見せた変異が重なる…あれはまさしく。
(孤独の魔女…レグルス…ッ!?)
無我夢中でエリスが遂げた新たなる姿、新たなる覚醒の領域、それは孤独の魔女レグルスと重なる程に…そっくりだ。
黒いコートをはためかせ、その背から星の光を放つその姿。
それはやがて、幻ではなく…本物であると理解させられる。
(ッ…嘘だろう、空魔の館が、浮上している!?)
「ぅぅぅぅうおおおおおおおおおお!!!」
エリスだ、エリスが空魔の館を持ち上げているんだ。メルクリウスの魔術だけではこうはならない。
エリスがやっているんだ。魔女の領域に踏み込んだエリスが…今、不可能という名の理を超越しているんだ。
(不可能を可能にする…世の理すらも吹き飛ばす。これが魔女の弟子…いや)
「ッッいッッッ……」
引き上げる、重力に従い落ちる戦艦を、星に引き寄せられる戦艦を、エリスは…星との綱引きに勝ち…引き上げるッ…。
あり得ないと思われた事象を今巻き起こした、星に勝ってしまった…それをアイツが。
(孤独の魔女の弟子か…ッ!!!)
「ッッけぇぇええええええええええッ!」
瞬間、世界は裏返る。エリスが引き上げ…戦艦を投げ飛ばしたのだ。
縄で括った戦艦を、ただ一人の人間が腕力と根性だけで持ち上げ投げ飛ばした…そのあり得ない光景を前にエアリエルは察する。
(…そうか、そうか…。これは…無理だな……)
それはエリスの力を見て恐れたのではない。恐ろしい速度で成長しどこまでも強くなっていくエリスを見て…世の流れを悟ったのだ。
今、大きく流れる世界の渦の中心には、とある世代がいる。バシレウスやエリスを含めた世代だ…そんな世代の中心にいる者達こそが、世の剪定を担うのだと、エアリエルは悟ったのだ。
これは勝てないわけだ……。
「うぉぉおおおおおおおおッッ!!」
戦艦はそのまま何もない平原に落ち、滑るように大地に巨大な線を引き進んでいき、やがて停止した。その様を見たエリスは天高く陽光の中雄叫びを上げる。
勝った、勝った、勝った。エルドラドを覆う闇を打ち払いエリス達は勝った、エリス達の友情が…勝ったのだ。
「おおおお…お…おぉん…」
そしてあちこちから血を噴きながらエリスは意識を失い、地面へと落ちていく…。その身に起きた変化に気が付かぬまま──────。
「やったー!戦艦投げ飛ばしたー!」
「凄いですメルクさん!」
「い、いや私は…何も」
「ってかエリスがヤベェ!落ちてる!助けに行かないと!」
一方エルドラドの屋上にて、戦艦が投げ飛ばされる様を見て喜んでいたラグナ達も、落ちていくエリスを見て咄嗟に助けに行こうとしたが…。
「待って、ラグナ」
「こ、今度は何!?」
ふと、ネレイドは助けに行こうとするラグナを止め、ゆっくりと地面を指差し…。
「今のメルクが撃った魔術の衝撃で…足場が」
「え?」
と、そこにはメルクリウスの魔術を受け止めていた地面が、ミシミシと音を立ててヒビを広げている様が映る。というかよく見たらこの城自体がもう限界に近い…あちこちに穴が空きそこら中がぶっ壊れて…あ、これやばい。
「これ、俺達も落ちるな」
「え?それやばくない?だってここ────」
瞬間、地面が粉砕しラグナ達の足場が崩れ落ちていく、そう…雲に触れるんじゃないかというほどの高さを持ったゴールドラッシュ城の屋上から…空に叩き出されたのだ。
「ぎゃあああああああ!落ちるーー!!」
「お、落ち着けデティ!なんか着地用の魔術とか!ねぇのか!」
「あわわ!腰がヒュンってなります!」
「ッ!誰か!アマルトを!」
「むぅ、まずいかも…」
城全体が崩れて落ちる、ゴールドラッシュ城が崩れて無くなる。エルドラド繁栄の象徴が、ロレンツォの築き上げた全てが、マレウスの一角を締める富と栄光の具現が…消えて無くなっていく。
その瓦礫と共にラグナ達は真っ逆さまに落ちていき、そして────。
「『時界門』ッ!」
瞬間、響き渡る声と共に空間に開いた穴がラグナ達を飲み込み、そして移り変わる…崩れ行く城の中から、…懐かしい光景の中へ……ここは。
「いてっ!」
「あいた!」
「ッ…無事なのか?」
「というか、ここ…馬車の中?」
落ちたのは、馬車の中だ。俺達の馬車の中…魔女の弟子達にとっては第二の自宅とも言えるそんな馬車の中に転がり落ちた俺達を出迎えたのが…。
「皆様、ご苦労様でした。暖かいお茶を入れていますので、…お菓子と一緒にどうですか?」
「ッメグ!」
そこにいたのは…ジズとの決戦で出来たであろう無数の傷をこさえながらもいつも通りの笑みで立つ…メグの姿。メグが俺達を助けてくれたんだ…馬車の中には先程倒れたであろうエリスや崩落する城の中から助け出されたレギナやステュクス一行も一緒だ。
つまり…そう、俺達は……。
「勝ったんだな…メグ」
「ええ、私達の大勝利でございます…ブイ!」
今この時、魔女の弟子とハーシェル一家の戦いは幕を閉じた。
俺達の勝利…という形で。
……………………………………………
それから俺達は勝利を祝う宴を開いた…というわけではなく、一旦各々の戦いの傷を癒す事を優先した、俺は全くの無傷だが他の面々はそうは行かない。
ネレイドさんはデティと一緒にいたから傷はないがかなり消耗してる、ナリアもリアとの戦いで結構精神をすり減らしているし、ウォルターやカリナ…リオスとクレーも立派に戦ったせいだろう、そこら中に傷がある。
特に酷いのが…まずステュクス。何と戦ったかは教えてくれなかったが全身に壮絶な傷を負っていたし鼓膜だって破裂してた。そしてエリス、エアリエルとの戦いからそのまま空魔の館問題の解決に移行し痛みと疲労で完全に意識を失っている。メグもさっきまで元気そうに立っていたが…当然、その傷の深さはとんでもないレベルだ、正直なんで立ってたのか不思議なくらい。
そしてアマルト…、こっちもかなりの重体。…だったんだが。
「はぁ〜〜!?!?なんで一番強いお前が一番弱いミランダと戦ってんだよ〜!チタニアかエアリエルとやれよォ〜〜ッ!」
「ははは、アマルト。目が覚めた途端に元気だなお前」
馬車に戻ってきてベッドに寝かせた途端。目を覚まし暴れ出したので戦いが終わったことを説明した。その時俺がミランダと戦った事を伝えるなりこれだ。
まぁ確かに、俺としてもエアリエルやチタニアみたいな強い奴と戦うべきだったとは思っているが、こればかりは巡り合わせというか…運というか。俺以外のみんなが戦っても勝てるならまぁ…無理に俺が負う必要はないかなとは思ってる。
「アマルト…、まだ体力が戻り切ってないんだから…大人しく」
「そうですよ!それにラグナさんも大変だったんです!デスゲームやったんですよ!デスゲーム!」
「お、おう。悪い…まだ興奮してて、さっきまでアンブリエルと戦ってた感覚が抜けてなくて…マジで戦いが終わったんだな」
そう言ってアマルトはソファに座る。今馬車の中は簡易的な野戦病院の様相と化している。
傷を負ったウォルター達は自分達で医療品を使い痛み止めや止血を行い、特に傷が激しいエリスとメグに関してはデティが集中治療を行うということで女性用の寝室に運び、今現在治療中。
同じく重体のステュクスは、他二人と比べて比較的元気ということもあり、悪いが今は後回しということで俺達の男性用寝室で一人で休んでいる。
外の喧騒も消え始めている、恐らくアストラ軍がジズの手先を潰し切ったんだろう。なんせ頭目たるジズが倒れたのだ…もう奴らに出来ることは逃げることだけだ。
「終わったよ、みんなのおかげでな」
「……まだ実感がわかねぇ、ペイヴァルアスプは止められたんだよな」
「ええ…、ラグナ様やアマルト様のおかげで、我々は救われました」
「お、レギナちゃん」
すると一人ゴールドラッシュ城に残り敵を引きつけるという役目を見事全うしたレギナが俺達の前に現れる、俺も即座に立ち上がりレギナをソファに座らせると。彼女は大きなため息を吐き項垂れる。
とても勝った人間が吐くため息とは思えないな。
「どうした?レギナ。随分落ち込んでるな、ゴールドラッシュ城が消し飛んだのが…ショックか?」
「そこはまぁ…いえ違うと言えばなんだかうそになりますが、そこではなく」
「なら会談がめちゃくちゃになった件」
「それもそうですが…うっ、なんか考えてたらもっと落ち込んできました…」
「ならその悩みの根幹は?」
「……大切な物を失ったので」
そう言いながら何処か遠くを眺めるレギナに俺とアマルトは揃って首を傾げる。大切な物?仲間?でも護衛陣は全員いるし…いやエクスヴォートがいないな、とは言えあれが簡単に死ぬのは思えないし。
「とは言えラグナ様達のおかげで助かったのは事実です。城から見ていました…空を覆っていた空魔の館が落ちるところを、流石です。まさかあのハーシェル一家を…ただ八人だけで殲滅してしまうとは」
「運が良かった、と言えば運が良かったのかもしれない。アイツらが真っ向勝負を仕掛けてきてくれたから勝てた部分は大きいしな」
「それでも、守ってくれたのは事実です。おかげで民に死者は出ず、私も生き延びられました」
「民が助かったのは、レギナ殿が頑張ったからだよ」
「………配下には、苦労を押し付けましたがね」
「そういうもんさ、だから王は臣下に感謝を忘れちゃいけないのさ」
「なるほど、勉強になります」
帰ったら褒章なりなんなり授与してやらんと割に合わないくらい、ステュクス達は頑張った。なんせ迫り来る敵からレギナを守り抜いたんだ、国家的な英雄レベルの活躍だ。
「そうだ、ステュクスの様子を見てくるよ」
「いえ、彼はその…今は一人にさせてあげてください」
「え?なんで?」
「……なんでもです」
…まぁ、レギナ殿がそういうなら、そうしよう。しかしこれからどうするかな…。
ゴールドラッシュ城は崩落し跡形もなくなった、当然だが会談の続行は不可能だ。他にも被害が出ていないか状況を確認する必要があるし、なんならマレフィカルム達をどれ程倒せたのかの確認や軍物資をどれだけ消耗したかの確認。あと兵員の治療も含めて…やる事は山ほどある。
それに何より…。
「ジズはどうなったんだ」
ジズの状態が今だに不透明だ、メグさんが帰ってきたからジズは倒せた…と見ていいが、まだ詳しく説明されてないしどうなったかは不明。なんならハーシェル一家という組織がどうなったのかもまだ分からん。
そんな風に首を傾げていると…女性用寝室の扉が開き。
「ジズはきちんと私が倒しましたよ、その身柄は捕縛し手元にあります」
「ッ!メグ!傷の方はもういいのか?」
メグだ、メイド服に着替え傷を全て消し去ったメグが寝室から現れ皆一斉にメグに駆け寄る。
「傷の方はもう大丈夫です、とは言えまだ疲労は残っていますが…」
「メグさん!ジズを倒せたんですか!?凄いです!」
「メグ…凄い」
「すげーじゃねぇーか!メグ!まぁ勝つって信じてたけどさ!俺は!」
「まさか本当にジズ、ハーシェルを倒すとは。快挙なんて段階の話ではないぞ」
「皆さん、ご心配をおかけしました、皆様のおかげで無事倒すことが出来ました」
そういうなりメグは軽く…いつものようにカテーシーをして俺たちに礼を言う。そうか…ジズは殺さなかったか、だからこそメグは今もこうしてメグのままでいられるんだろう。
…いや、少し変わったか。生涯の因縁にケリをつけて…、何処か晴れ晴れとした面持ちなのが分かる。
にしても…。
「ジズを捕縛したのか?」
「ええ、こちらに」
「は?こちら?」
と言うなりメグは赤い宝石が浮かんだケースを机の上に乗せる。中はゼリー状の液体で満たされており、赤い宝石を入れておくためだけに用意されたようにも見える。
で?ジズは何処だ?
「ジズは?」
「これがジズです、奴は自らの魂を結晶にし体をオートマタにして若さを保っていたんです」
「は?」
「なので、これがジズです。この液体は空気の振動を完全に遮断する素材で出来ているので詠唱も出来ませんし魔力を外部に放つ機関も人形と共に捨て去ったので抵抗も出来ません」
「え…えぇっ!?これが…ジズっ!?」
静かに浮かぶ赤い宝石…これがジズの正体だって?人間じゃねぇ人間じゃねぇとは思ってたが、まさかマジで人をやめてるとは思わなかったぜ。
「この状態のジズを、帝国に連れて帰り、一切の抵抗が出来ない状態にしてから情報を抜くつもりです、今この状態で外に出すと魔術で大暴れされる可能性があるので」
「ひぇ〜…これがあの世界一の殺し屋の素顔とは、表情が読み解けないとは思ってましたけど…なるほど、人形相手では僕も感情を読めないわけです」
「こんなチンケな玉コロにあれやこれや好きにされたと思うと腹が立つぜ…、なんか落書きしてやろうぜ」
「…魂を結晶化してコアにしていたって。…出来るの?…そんな事」
「デティ様曰く今現在の技術ではそもそも魂の加工自体不可能です、ですが…その辺に関してはウィーペラという狂気の天才が成せる技…とでも言いましょうか。アイツはあれでもオートマタ作りに関しては天才だったので…」
「つまり他に同じことができる人はいないってことだね」
「そうです、可能であろうともやろうとする人もいないでしょうが…」
魂ってのは人間にとって不可分の領域だ、遥か古には魂を液化する技術なんてのもあったみたいだが、その手の非人道的かつ危険な技術はこの八千年で魔女様が悉く滅ぼし尽くしている。技術体系としては残っていない。時折生まれるウィーペラのような天才以外には再現は不可能とのこと。
そう思うとシュランゲであのバカを捕まえておけたのはデカかったのかもな。
…シュランゲか……。
「メグ、これで…仇は討てたんだよな」
「………」
メグは俺の問いにやや迷う様子でジズの込められた小瓶に手を当てる。今その気になれば…メグはいつでもジズを殺せる立場にいる。父や母の命を奪った、姉を殺した張本人を…いつでも抹殺出来る立場にいる。
だが…メグは。
「はい、これで私の復讐は終わりです。こんなゴミ野郎に私の人生全て捧げるなんて…バカバカしいですから」
ニコッと微笑みながら彼女はジズの小瓶から手を離す。そうか…それなら、…良かったよ。殺しを否定し切るのは難しい、ダメかと言われればこんな世の中だしダメとは言い切れん
何よりアルクカースの死生観は他とはちょっと違うしな。
でも、それでも殺すのと殺さないのは違う。どんな大罪人であれ殺せばその咎を負う、その咎を負うだけの価値が果たしてジズにあるかどうか、メグはそこを考え…殺さない道を選んだ。
それが全てなのだ…。
「…………」
まぁ、だからと言ってじゃあ今日からジズに関すること何も考えずに生きていけますかと言ったらそうではない、メグは姉を殺されてる、姉を殺されたモヤモヤは残り続ける。
じゃあジズを殺して復讐した方が気分爽快、スッキリするかと言えばそれは短絡的な話だ。目前にある問題の根源を消したとて過去の事実が覆るわけではなく、そこに新たに『咎を背負った』と言う事実が積み重なるだけ。
真面目なメグさんがジズを殺したという事実をどのように受け止めるかを考えれば…お勧めできない道だろう。
…このモヤモヤとした気持ちは、メグさんが今後一生をかけて付き合っていく物なんだ。当たり前の話だ、だって…大切な家族だったんだから。
(この件について、俺がどうのこうのと偉そうに語れることはないよな。彼女の気持ちを真に理解出来る人間なんて彼女しかいない、また彼女が助けを求めてきた時に…応えれば良い)
少なくとも、ジズを乗り越えたメグさんなら…悪い方には行かないはずだ。
「……さて、ではまず各々被害状況と何があったかを報告しあいましょうか」
「待てよメグ、慌てるな。まだエリスとステュクスが来てない…二人とも回復してないんだ。お前もな、今は落ち着かないだろうが…一旦休もう」
「…そうでございますね、…どぉーしても実は報告したい事がありまして、特にアマルト様とメルク様に」
「何?」
「俺達に?」
するとメグはパッと顔を明るくしつつ額に手を当て…。
「いやぁ、ジズは強敵でしたぁ〜…まさか魔力覚醒を使えるとはぁ〜」
「いやそれは分かりきってた話だろ」
「私の用意した手段が悉く通じず最早これまでと思った時。今までの修行の数々が脳裏を過り…、私の体は遂に!とある領域に至りまして、新たな力を〜…」
「まさか!メグ!」
「お前!抜け駆けしやがったのか!?」
「おっと!ここから先はエリス様が戻ってきてからでございますね、いやぁ〜早く言いたいな〜!」
「おい!言えよ!やったんだろ!魔力覚醒!どんな感じだった!」
「ぐぅ!まさか先に魔力覚醒を自在に操れる領域に踏み込まれるとは…!私もあと一歩なのに!どうやったんだ!コツを教えてくれ!」
「早く言いたいなーー!エリス様早く戻らないかなー!」
「言えよ!?」
…なんだかんだ、いつもの明るいメグが戻ってきた感じがしたな。エルドラドにいる間…特にハーシェルがいると分かってからのメグはずっと怖い顔をしてたからな。
無理をしているんだろうが、それでもいつもの調子に戻ろうとしてくれているのはありがたいな。
…後はエリスとステュクスが戻ってくれば…だが。
(…ステュクスのやつ、大丈夫かな)
未だ治療を受けず、一人で男性寝室に篭っているステュクスに、ほんのちょっぴり…不安を覚えるのだった。
………………………………………
音が聞こえない、無音の世界の中、俺は一人…姉貴達の乗ってた馬車の中で、ベッドに座って頭を抱える。
戦いは終わった、姉貴達がハーシェル一家を全滅させ…メグさんがあの怪物みたいな男…ジズを倒し、戦いが終わった。結果として俺達はレギナを守り切れたんだが…。
とても、大団円とはいきそうもなかった。
(ティア……)
この戦いの最中、俺と戦い…そしてハーシェル一家によって命を奪われた俺の友、ラヴ…いや本名をリベリティアと名乗る少女の事を想っていた。
あの子は死んだ、俺の目の前で死んだ。殺された…ハーシェル達に。俺達はハーシェル一家に勝ったけれど…同時に奪われもした。
俺個人の話ではあるが、…これじゃあ勝ったとは言えない。大切な友達を一人…奪われてしまったんだから。
(何が魔力覚醒だよ、…大事な友達一人助けられず…その命を犠牲にして寧ろ守られて、俺は……)
何やってんだ、もっと俺が強かったら…ティアも死なずに済んだんじゃないのか。そう思えば思うほどに後悔は積み重なり…ただひたすらに、苦しかった。
取り返しがつかないんだ、死んだら。だから師匠も言っていたんだ、命は奪うなと。
その言葉の意味が…本当に今、理解できた気がして───。
「ステュクス…?」
「え…!?」
突如、声が響いたんだ、部屋の中に…。慌てて俺は顔を上げると、そこには…。
「ティア…?」
ラヴが…ティアがいた、レギナじゃない、ティアだ。間違いない…死んだはずの彼女が、俺の前で…僅かに微笑む。
なんで、お前がここに…。
「お前、死んだはずじゃ…」
「…どうやら、急所は外れていたみたいで、命辛々だけど…一命は取り止められたみたいなの。…ステュクスが来てくれたおかげで、生きる目的をくれたおかげで…私は死なずに済んだ」
「…………」
「全部、全部全部…貴方のおかげ」
するとティアは俺に向かって歩み寄り、ゆっくりと抱きつき…。
「大好き…ステュクス」
そう、口にするんだ…そんな中俺は、ベッドの脇に立てかけておいた星魔剣を手に取り。
「ッッ…ざけんじゃねぇっっ!!」
叩きつける、星魔剣を思い切り地面に叩きつけ吠える。ふざけるな…ふざけるな!冗談でもやっていい事と悪い事があるぞ!おい…聞いてんだろ!
「ロア!テメェだろ!」
『ぬははは!バレてしもうた』
そんなロアの声が俺の脳裏に響いた瞬間、ティアの幻影は消える。そう…幻影だ、ロアが見せていた幻影だ。ティアは死んだ…生きているはずがないんだ!
『しかし何故分かった?完璧に模倣したはずじゃが』
「俺ぁ今鼓膜が千切れてんだ、呼びかけられて声が聞こえるかはずがねぇ…!」
『おおっと、失念しておったわ』
ロア…ティアとの戦いの最中唐突に聞こえるようになった星魔剣の声。それは俺が想定していたよりもずっと人の心を理解しない無機質な物で、今だって…ティアの幻影を見せて、俺を笑いやがって…。
「次やったら、へし折るからな…もう二度と俺の友達の死を愚弄するな」
『傷心のお前を慰めてやろうとしただけではないか、実際あの小娘の声が聞こえた時、お前喜んでおったじゃろう』
「お前…本当にクズだな」
『ぬははははは!』
こいつは本当に…しかし、それでも。
「……さっきはありがとな。お前が覚醒させてくれたおかげで、助かった」
『こっちも礼を言おう、お前がたくさん魔力を補充してくれたおかげでワシもこうしてまたお前と会話が出来るまでに魔力を回復させる事ができた。約束を守った事は誉めよう』
「……けど俺、ティアを守れなかったよ。魔力覚醒しても…ダメだった」
『剣の中からずっと様子は見ておった。薄っぺらな言葉かもしれんが、残念じゃったなと言っておこう』
「最初からそのくらい慎ましやかにしとけよ」
どうやらロアは俺を覚醒させるために会話する為のエネルギーまで使ってくれたようで、こうして声が聞こえるようになったのも先程の事だ、こいつはクズだがそれなりに俺のことは重宝してくれているようで。
しかもきちんと約束は守る、その辺は…評価出来る。それにこいつの声は俺にしか聞こえない、だから…誰にも出来ない相談の相手にもなる。
「なぁロア」
『なんじゃあ?』
「俺、なんか間違えたのかな」
『なんかとは?』
「ティアを死なせた件だ…俺がもっと強かったら、死ななかったのかな…」
こんなこと聞いても、意味はないことは分かってる。けれどロアはそんな俺の言葉を聞いて少しだけ沈黙すると。
『よいか、ステュクス。よく聞け』
「…ああ」
『目的を違えるな』
「目的?」
そう呟き俺はロアを見つめる、キラリと無機質に輝く刃は、何故か歴戦の重みを放ち…人生の先達のように振る舞う。
『お前の目的はレギナを守る事だったはず、あの小娘を守る事ではなかったはずだ』
「けど…」
『人は万能ではない、欲張って得られるものなど何もない。人間が抱えて歩けるものは一つだけじゃ…二つ以上を求めても、手の中から零れ落ちるだけ。ティアが死んでしまったのは残酷な言い方をすればティアの力が不足していたのだ。その死にお前は関係ない』
「関係ないことなんてないだろ、俺はティアの友達だぞ…!」
『だとしてもじゃ、その者の人生はその者だけの物。この世は残酷じゃ、死は普遍に存在しており、そして避けることは不可能。遍く死の全てに責任を感じて生きていくことは出来ない。割り切り…そして一つの目的の為だけにお前は生きろ、脇見はするな、ただ一つの目的の価値を遍く死と悲しみの中からお前は見出し続けなければならない』
「………」
『目的を見定め進むとはそう言うこと、選ぶとはそう言うこと、何かを選んだ結果選ばなかった物が失われる事も多々あるじゃろう。故に選択は覚悟を伴う、覚悟なき選択は…結局何も得られんわ』
ロアの言うことは存外まともに聞こえる理屈だった。確かに俺はレギナを選んだ、その結果ティアと戦う道を選んだ、全ては俺の選択だった。
…俺はレギナを守った、ティアは俺と戦う道を選び、結果としてティアを失った。
ティアはその身を呈してレギナを守る道を選んだ。結果としてその命を失った。
二つとも『選択』だ。ただ一つ違う点があるなら、それは俺には選ぶ覚悟が不足しており、ティアにはその覚悟があった…ってことか。
『ぬはは、人と関わればその関係にはいつか別れが生じるのが必然。これが嫌なら人との関わりを断つのも全然アリじゃ。孤独に生きる、良いではないか、孤独とは単一で存在を確立する者の事、謂わば人類の完成形じゃよ』
「かもな…お前の言う通りだよ」
『じゃろ?ならこれからは不用意に友達など作らず、人は信用せず、一人孤独に…』
「でも…」
俺は剣を握る、ロアを握る、確かにティアと友達になったから…俺は結果としてティアの死に悲しみを抱いた。出会ったあの時、ただ何気なしに友好的に接することなく、ただの敵として関係を終える事ができたなら。それが一番無難だったのかもしれない。
けど…俺は思うんだ。
「でも、俺は人を信じて友達になるのをやめないよ」
『…なーんも聞いとらんかったんか?』
「聞いてたさ、だからこそ思った。確かにティアと友達にならなければ俺は思い悩むことはなかった、けど友達になったからこそあいつと楽しい時間を過ごせたし、アイツに助けてもらえたし、あいつの本当の名前を知ることができた」
『ほう?』
「それにお前だってそうだ、お前の事を信じたから、俺はあの時助かった。結局俺は弱い人間だからさ、どうやったって一人でなんか生きられないし、何より一人で生きるのは寂しいだろ?」
『自分の弱さを選ぶって語るか?妙に情けないぞ?』
「情けないさ、弱いし情けない…けど。それでもそれが俺だから、ティアはきっと…俺が俺のまま進む事を望んでいる。だってアイツが友達になったのは…俺がステュクスだからじゃない、俺が俺だから…友達になれたんだ。なら最後までアイツが友達になった俺のままでいるべきだろ?」
『ふぅむ、まぁそれがお前と答えと言うたなら尊重しよう。確かにお前が極めて楽観的な思考を持つおかげでワシもこうしてお前と話す事が出来ておるわけだしな。そこには感謝せねばなるまいて』
「だろ?」
『にしてもおかしな奴じゃ、さっきまでワシに怒っていた癖に今はワシに感謝を述べるとは、つくづく面白い精神構造じゃのう。どうじゃ?お前ワシの部下にならんか?十人くらい部下が欲しいんじゃが』
「なんで俺が剣の部下にならなきゃいけねーんだよ、第一十人って…少なすぎだろ」
そう思いながら俺はロアから視線を外し、再び部屋の中心に視線をやると…。
「あ……」
「─────」
そこにはまたティアが…いや、レギナが立っていた。
…ただ、めちゃくちゃドン引きした顔をして…。
「あ、えっとこれは…」
勘づく、今の俺相当やばいように見えてる筈だ。なんせあからさまに傷心してたかと思えば楽しそうに剣と談笑してるんだから。確実に精神が逝ったと思われてる…と言うかそう言う顔をしてる。
「─────」
「あ!待て!レギナ!」
そしてレギナは瞬く間に走り去り部屋の外から誰かを…恐らくだが治癒係のデティさんを連れてこようとする。まぁ止めようとはしたけどさ、止められるわけもなく俺はその場に立ち尽くすことになってしまった。
「………面倒なことになった」
『大声あげて話すからじゃ』
「なぁ、俺お前と話せる件…みんなと共有してもいいかな」
『ダァーッ!ダメじゃと言うとろうが!』
「仲間内くらいならいいだろ、レギナ達は口が軽い方じゃないし」
『ダメじゃダメじゃ!特にお前の姉には言うな!』
「は?なんでだよ」
『怖いからに決まっておろうが!言っとくがバレたら殺されるからな!』
殺さねーよ、エルドラドに来る前は俺も同じようなこと言ってたけど、今なら言える。あの人は俺をどうこうしようってつもりはもう無い。偶に怖い顔するけど…それでもあの人は一本筋通った人だ、そんな人がもう敵対しないと決めたなら…きっと襲ってくることはない。
けどロアからしたらそれも関係ないか、というかそもそも俺が姉貴に襲われ始めたのはロストアーツであるディオスクロアを破壊する為だったな。そりゃあロア的には怖いか。
『もし他言したらワシはもう二度とお前に力は貸さんからな!』
「分かった分かった、内緒にするよ…」
面倒なのを抱えちまったな…でもまぁ、こんなのでも相棒だしな。今後も末長く一緒にやっていくわけだし、そのくらいの言うことは聞いてやろう。
なんて思っている間に、血相変えたデティさんが部屋に突入して来て、俺は強制治療を受けることになるのであった。
…………………………………………………
エリスは目が覚めたら、馬車の中でした。エアリエルとの戦いが終わり空魔の館をみんなと協力してが引っ張り上げて、そして意識を失って。
気がついたらエリスはベッドの上で寝かされてデティの治療を受けていた。
『毎度毎度死にかけて!いつか本当に死んじゃうよ!?』とデティのお叱りの言葉を受け止めつつ、エリスは完全回復した体を起こしリビングに向かう。
すると既にそこにはみんな揃っており…、魔女の弟子以外にもステュクス達もいた。よかった…みんな無事に戦いを乗り切れたようだ。
「皆さん、おはようございます」
「エリス…!よかった、目が覚めたか」
「目が覚めたってかこいつの場合これがデフォだろ。いつも全力出し切って力尽きて、それでも生きて帰ってくるんだから心配するだけ損だぜ」
「アマルトさん、頭叩きますよ」
なんて軽口を叩きながらもエリスはなんとなくみんなが座っているのでエリスも椅子を用意して座る。さて、なんと話ししてるんだろう。
「さて、みんなが起きたところで…まずは、みんなよく生き残ってくれた。今回の敵は今までの敵を遥かに上回る強さだったが…それさえも跳ね除けて戦い抜いて、これでこそ完全勝利と呼べる物だと俺は思う…中には結果に納得してない人間もいるだろうが、結果としては間違いなく勝利だ、ここは祝おう」
ラグナは膝に手を置いてエリス達に向かい合いながらそう述べる。そうだ、エリス達は勝った、敵は強く、果てしなかったが勝ったんだ…え?勝ったの?メグさんジズに勝てたの!?すごい!
「特にメグ、空魔ジズを倒し生き延びて…よくやった、って俺が言うのは変か」
「いえいえ、皆様のおかげで私は生涯の宿敵に勝てたのですから。それに…しました!魔力覚醒!」
そう言うなりメグさんは何処からか『祝!魔力覚醒!』と書かれた紙を掲げて鼻高々と胸を張る。魔力覚醒を習得しているジズに勝ったと言うことはそう言うことだろうとは思っていたけど…流石メグさんだ。
「くぅ、やはり先を越されたか!」
「まぁメグも兆候は見せてたし、妥当っちゃあ妥当だよな」
「えへん!なのでこれからの戦いでは私もラグナ様やエリス様、ネレイド様に並ぶ魔力覚醒戦力として敵の幹部をバッタバッタと薙ぎ倒せます!」
「ああ、頼りになるよ。それにメルクもアマルトも多分もう直ぐだろう」
「ああそれと、ステュクス様も魔力覚醒してましたよ」
「は?」
「へ?」
「え?」
…なんて?今メグさんなんて言った?ステュクスが…魔力覚醒っ!?
「ちょっ!メグさん…!」
「ジズと戦ってる時見かけました、あの時は特に突っ込む暇がなかったですがあれ間違いなく魔力覚醒ですよね、ね?ステュクス様」
「いやまぁそうなんですけど…」
「ステュクス!貴方本当ですか!魔力覚醒したんですか!?貴方が!?」
「ちょっ!姉貴!落ち着いて!」
思わずステュクスに組み付く、こいつ魔力覚醒したのか!?この間までエリスに手も足も出なかった癖しといてアマルトさんやメルクさんに先立って魔力覚醒!?そんな一足飛びに強くなることなんかあるわけがない!
けど…、あり得るのか。魔力覚醒に必要なのは心技体の三項目と師匠達は言っているが、エリスは魔力覚醒に必要なのは『適切なタイミング』と『負けられない理由』の二つだけだと思っている。
これさえ揃えば人は案外コロッと覚醒する。戦いを経験した回数が多いほど魔力覚醒の可能性は高くなる。ステュクスはこれで自分の強さの度合いを理解しながら今まで格上とばかり戦って来ていたし。
…あり得るのか、そう言うことも。
「覚醒は…したよ、けどジズには全然敵わなくて、魔力覚醒しても無敵になれなくて…」
「当たり前です、魔力覚醒はオマケ。強さは当人の強靭さに宿るのです」
「そう、だから俺はこの星魔剣のお陰で覚醒出来たに近いから、姉貴達に近づけたとは言えないよ」
そうステュクスはやや謙遜したように宣うが、それでも覚醒しているのとしてないのでは話が違う。覚醒を使えばステュクスは覚醒をしてない魔女の弟子にも勝てるだろう…多分。
少なくとも、まず確信を持って言えるのはステュクスは今…マレウス王国軍の中でもトップクラスの使い手になったのは間違いない。
「…強くなるの早すぎでしょ」
「いやエリス、お前が言うかよ。お前も常軌を逸したスピードで強くなってたろうが」
「終いには戦艦投げ飛ばしましたしね、そのうちお芋みたいに城引っこ抜くんじゃないんですか?」
エリスの事なんだと思ってるんですかアマルトさん…ナリアさん…。
「でも……」
すると、レギナちゃんがおずおずと口を開き…。
「その代償ですか?…ステュクス、貴方が剣と話していたのは」
「あ…その…」
「剣と…話してた?」
腕を組みエリスは考える、剣と話す…か。まぁそう言うこともあるだろう、魔力覚醒を行ったショックで精神が錯綜してよくわからない行動を取ることも。或いはそう言うタイプの覚醒をした可能性もある。
けど……引っかかるな、だってこの剣は。
「な、何見てんだよ…姉貴」
「貴方を見てるんじゃありません、その剣を見てるんです」
「いや剣と話してたってのはまぁ、あれだよ。色々溜め込んだ時にさ?相談相手になってもらってんだよこいつに。ほらこいつ、余計なこと言わないし、聞き上手だし…」
「…………」
「それに、えっと…まぁ、そう言う年頃というか…なんというか」
「いくつか聞かせなさい」
「ハイ、なんでしょう…」
「その剣、マジで話したりしてませんよね」
「してないよ…」
「『ぬははーっ!』とか『ワシ最強〜!』とか、言ってませんよね」
「い、言ってないけど…」
強情ですね、でもこっちにはデティがいるんですよ。そう思いエリスはデティに視線を向ける。
するとデティはエリスの視線に気がついたのか、こちらを見て…一瞬視線を外すと。
「…………」
───首を横に振る。
…ならエリスの思い違いか。デティが言うならステュクスは嘘をついていない。ステュクスは嘘をつくかもしれないがデティはエリスに嘘をつかないから。なら…いいか。
「そうですか、分かりました」
「な、なんだったの?」
「忘れなさい」
「怖いぃ…」
取り敢えずステュクスから手を離し着席する、ともあれステュクスが覚醒をしたと言うならそれはそれで喜ばしい。ステュクスはこの国でも数少ない『マレウスの平和』を望む側。
考え方を変えれば頼もしい味方ができたとも言える、まぁエリスは彼に助けを求めたりしませんがね…。
「で?これからどうします?」
「お前よくこの空気で進行しようと思えるな」
「もうステュクスとエリスの話は終わりましたから、それで…どうするんです?会談続けるんですか?まだ一日残ってますよね」
「続ける…か」
そう言うなりラグナは目を伏せ、首を振る、横に。
「続けたいが無理だろう、今のエルドラドは壊滅状態。会談が出来る状況にない、なんならゴールドラッシュ城も跡形もなく吹き飛んだ、話し合う以前に復興しなきゃいけないだろ」
「だな、もう会談は続行不可能。あと一日を残して無念な形にはなるが…」
「いえ、続けます」
しかし、ラグナ達の言葉に否定を述べたのは…レギナちゃんだ、彼女は立ち上がる。そこに会談初期のような弱さはない、あるのは強さ。ただただひたすらに強く…ラグナ達に負けないくらい、背負う者としての責任の重さを自覚した彼女が、立ち上がるのだ。
「続ける?だが…」
「この際、場所なの平原の真ん中でも構いません。私の姿が臣民に見え、この声が臣民の耳に届くなら、着飾った会議場は今更必要ありません。寧ろ…今だからこそ、引くわけにはいかないのです」
「今だからこそ?」
「ええ、…瓦礫で塗れた地は国民にとって絶望の象徴でしょう。先の見通せない闇の中に、微かでも光明を照らす事が出来るのは、この国全ての責任を負う私を置いて他にいません。破壊されたからこそ、再構築を約束する為政者の姿が…国民には何より必要なのです、何より…」
そう語りながら拳を握り、目元に僅かな涙を浮かべた彼女は…強く強く、ひたすらに強く、ラグナ達を見据え。
「私は生きたのです、生き抜いたのです、この死の螺旋に満ちたエルドラドで私は生き抜いた。死して行った者たちに報いいる為にも!是が非でも!引くわけにはいかないんです!」
…責任だ、国王たる責任。その権威に勝る…鎖の如き責任を、彼女は今光に変えた。いずれこの国を照らすであろう光に。
軍を率いる時、ラグナが放つ覇気にも似た勢いで語る彼女に、ラグナはニッと笑い。
「…ああいいとも、今のお前なら、言えそうだし…言わせないな」
「和平の申し出と文句を…な」
「すごーい!レギナちゃんマジの女王様みたいになったねぇ!この数日で凄い成長ぶり!先輩王様として鼻高々!」
「み、皆さん…ありがとうございます…」
「ああ、ってわけだ。取り敢えず今日は休もう。そして…明日の会談、エルドラド会談最終日に備えよう、いいな。みんな」
「ええ、そうですね」
というか、正直、寝たい。考えてみてください、エリスたちは五日目の夜から戦っているんですよ?で…外は朝。
夜通し戦ってたんだ、疲れましたよ正直。治癒だと肉体的疲労は消えない、なんか体の芯に鉛の棒を突っ込みれたみたいに体が重い。疲れた…。
それはみんなも同じらしく、報告や情報の共有も程々に解散ムードが流れ始める。本当は外に出て色々と仕事をしたほうがいいんだろうけど…今は休みたい。
そして、休む権利くらい…エリスたちにはあるはずだ。
「分かりました、では私はスタジアムの方に向かいます」
「今からか?」
「あそこには貴族の皆様がいるので、戦いが終わった事を知らせねばなりません」
「じゃあ俺も…ってて!」
「分かった、なら護衛をつける…ステュクス、お前はまだ治療が終わってはいからな。簡易的に鼓膜を戻しただけだ、今から本格治療だ」
「う…悪い、レギナ」
「いえ、いいんです。貴方は特に…ゆっくり休みなさい」
「……ああ」
では、と口にしてレギナちゃんはウォルターさん達を連れて馬車の外へと消えていく。本当に強い子になったな…、これなら会談が終わった後も一人でやっていけそうだな。
なんて思っているうちに、エリスたちはレギナちゃんが馬車を抜けた途端。皆姿勢を崩しだらーんと椅子にもたれかかり。
「はぁ…取り敢えず、一旦体裁は保てたか…」
「くぅ…!情けない…姿勢を保つだけで精一杯とは…」
「疲れた…眠たい…」
ラグナ以外の全員が目を半開きにして項垂れる、さっきも言ったがエリスたちは疲労の極致にあるのだ、レギナちゃんと言う他国の王がいる前では情けないところなんて見せられないと見栄を張っていたが…正直、椅子に座っているのも限界だ。
「レギナの前じゃ情けないところ見せられないしな」
「いや、俺いるんすけど」
「ステュクスはいいんです、情けないところずっと見てますから」
「悲しい事実だ…」
…ステュクスは残っているが、まぁこいつはいいだろう。
「うふふ、皆様お疲れの様子ですね」
「いやお前が一番お疲れの様子だろうが」
「お手本のようなお疲れの様子ですよ」
「僕が画家なら今のメグさんには『疲労困憊』ってタイトルつけます」
「うふふ」
なんてクスクス微笑むメグさんに至ってはその場に倒れ込みうつ伏せで笑ってる。この人なんでこんな状態で笑ってられるの…もしかしてメグさんってエリスよりタフなんじゃないのか?
「なんでいつまでも寛いでいられませんね、では皆様のために温かいお茶でも…っとと!」
「あ!おい!メグ!」
すると急いで立ち上がったメグさんだったが、疲労と消耗でクラリと立ちくらみを起こし倒れそうになる…ところをアマルトさんに支えられて。
「バカ、もう散々無理したんだからこれ以上苦労を買うなよ」
「申し訳ありませんアマルト様…」
「いいんだよ、けど俺も疲れたし…そうだ。アリスとイリスに任せようぜ、アイツらもお前の役に立ちたがってるだろうし…」
「ッ…………」
「……メグ?」
しかし、その瞬間…メグさんは顔色を変える。アリスさんとイリスさんの話を出された準…ピクリと眉を動かし、顔から表情が消える。
その異様さに魔女の弟子達は何かを感じ取り体を起こしメグさんに視線を向ける。
「…おい、メグ。どうした…」
「その…実は」
そうラグナに問われたメグさんは、微笑む。無理して作った…悲しげな笑みで…そしてこう言うんだ。
「……ジズとの戦いの最中、殉職しました」
「は……?」
「え…?今…なんて?」
「どうやら先立って捕らえられていたアリスとイリスを、ジズは戦いの最中…見せしめとして私の眼の前で殺しました。死亡は確認しています…なので、二人はもういません」
瞬間、アマルトさんはメグさんを押し飛ばしソファの上に叩きつけるなりその肩を掴み。
「お前ッ!なんでそんな大事な事黙ってたッ!アリスとイリスはお前の大切な友達だろッ!それをお前…なんで、聞かれるまで黙って…」
「だって、折角の…折角の祝勝ムードなんですから…。水を差すのは」
「祝勝じゃない」
ラグナが呟く、目を丸く見開き…唖然とした様子で、首を振る。
「祝勝じゃねぇよ、メグ…お前、そりゃ…ないだろ」
「…………」
「押し殺してくれるなよ…、お前ずっと…泣いてたんだろ」
「………はい」
「アリスとイリスは、俺たちにとっても大事な仲間なんだ。その死は…………俺達にとっても」
ラグナは小さく項垂れ、黙ってしまう。これ以上何かを言えば…メグさんを傷つけると判断して、何も言わなくなる、言えなくなる。
「嘘だ……」
「………アリスとイリスが……」
「ッ……」
その衝撃は、全員に広がる。エリスたちは勝った…確かに勝った、けど…友達を失ってまで勝っても、意味はない。
エリスたちは確かに先程まで勝利に湧いていたが、それはアリスさんとイリスさんの死を知らなかったからだ。知ってたら…喜ばなかった、喜べなかった。
だって、エリス達は…メグさんの笑顔の為に戦ってたんですよ。メグさんの笑顔が取り戻せなかったのだとしたら、それは勝ちではない…エリス達の負けなんだ。
「……泣けよ、せめて…泣いてくれよ、俺達の前でくらい」
「アマルト様……」
「俺達ぁ、友達だろ。涙くらい…共有させてくれよ」
「ッ……申し訳、ございません」
メグさんは視線を外し、まるで堪えていたかのようにボロボロと涙が溢れてくる。悲しかったんだ、それを押し殺して…共の悲しみを一人で背負おうとしてたんだ。
……アリスさんとイリスさんの死を、メグさんは悲しむ間も与えられず、戦ったのだ。その上でメグさんは…ジズを殺さなかったのだ。
(ジズ……)
エリスはジズの捕らえられた小瓶を見る。こいつは…どこまでメグさんから奪えば気が済むんだ、お父さんやお母さん、トリンキュローさんに飽き足らず…メグさんの大切な友人まで。
…どこまで奪い尽くせば、気が済むのか。
「ッ…うゔっ!ごめんなさい…ごめんなさい!」
「謝らないで…メグ、貴方は何も悪くない…」
「そーだよ!悪いのはジズだよ!」
「でも…でも、私は…二人を…守り切れずッ…私はッ…!」
堰を切ったように溢れだす悲しみ、エリス達はただそれを前に…慰めることや、傍観することしか出来ない。お姉さんの時でさえ限界だったのに…エリス達にはもうどうすることも出来ない。
一度奪われた物を取り戻すことはできないのだから。
「メグさん…」
「エリス様…すみません、もう誰も…死なせないと誓ったのに…よりにもよって…私は、私は…」
「……メグさんは悪くありません、アリスさんとイリスさんもそう言うでしょう」
「…ええ、きっと…でも私は、やっぱり…許せない、自分が…」
メグさんを抱きしめる。いまは泣いてもいい…乗り越えろとは言わない。だからいまは…ただ、耐えてくれ。
「……マジかよ」
アマルトさんが呟く、…人を殺す存在の恐ろしさを今更痛感したわけではない、ただそれでも…人を失うと言う経験は、何度しても辛い物だ。
アリスさんとイリスさん、帝国に立ち寄った時からずっとエリス達を支えてくれた縁の下の力持ちだった二人。時として前線に出てきてエリス達をサポートし、この旅でも戦闘以外の面でエリス達を助けてくれた二人。
エリス達の中ではもう立派に友達であり、仲間として見ていた二人の殉職に、ショックを受けない者はいない。あの二人の懸命さが…失われてしまったことが、今はただ辛い。
「ゔっ…ああ…、私が…もっとしっかり…二人を見ていれば、二人は今頃生きていた!そう思えば…私は私を責めずにはいられないんです!」
「メグさん…」
「私が…私が悪かったから…、何よりも大切な友達を…失って────」
「メイド長は悪くありません!」
……全員が停止する、全員が沈黙する。
今、何か聞こえたような気がしたが…これは、幻聴か?
「メイド長は何も悪くありません!私達が油断していただけです!」
「私達は死ぬまでメイド長についていくと決めていたんですから!」
「……は?」
チラリと視線だけで、全員が馬車の入り口を見る、先程から叫んでいる二人は誰だ?メグさんをメイド長と呼ぶのは誰だ?
……誰でもない、他でもない、そこに居たのは…失われたと思われた、その姿のままで…。
「アリス…イリス!?」
「アリスでございます!メイド長の旅路にどこまでもついていくアリスでございます!」
「イリスでございます!メイド長と命を共にする為、死ぬわけにはいかないイリスでございます!」
そこに居たのは、赤毛のメイド…アリス、青毛のメイド…イリス。
今、その死を嘆いていた二人が、ボロボロの体で馬車に入ってきて、メグさんに向け涙を流し胸を叩いていた。
………死んだんじゃ…?
「アリス!イリス!貴方達…無事だったんですか!?」
「メイド長〜!」
「会いたかったです〜!」
「私も…私もです!」
メグさんはアリスさんとイリスさんを見るなりエリスから離れ二人に抱きついてその温もりを確かめるように顔を埋めているが、動けないのはエリス達だ。何が起こってるかさっぱりなんだが…。
「なぁおい、エリス…こりゃ幻覚か?」
「いや、全員が見てるのでそう言うことはないと思いますが」
「でも、死んだって今聞かされたよな」
「………はい」
何が起こってるんだ?アリスさんとイリスさんは死んだはずでは?だとしたらなんで生きてるんだ?メグさんはその死を確認したからこうして嘆いていたわけで、彼女が勘違いしたとは思えないし…。
全員が呆然とする中、ソファに座り寛いでいたステュクスがふとアリスさんとイリスさんを見て。
「…あ!アリスとイリスってその子達の事だったの?」
「え?ステュクス?貴方…何が知ってるんですか?」
「いや、実はさ…ティア、ラヴに水路に落とされて街の外に出された後さ、俺走ってゴールドラッシュ城に戻ってたんだよ、その時さ…」
─────────────────
それは、ステュクスがエルドラドの街の戦線を突っ切ってゴールドラッシュ城を目指している時のことだった…。
(思ったよりも事がデカくなってる!エルドラドの街中も戦場になってるしゴールドラッシュ城にも火の手が上がってる!ってことはもうあそこに敵がいるってことだよな!レギナは城の中にいるのか!?いや居る!だってアイツ…)
街の外に聞こえたレギナの声、決して逃げないと言う強い決意の絶叫。それは俺の耳にも届いていた。レギナは逃げない、きっと他の人達を守る為に自分が囮になるはずだ。
なら、守りに行かないと!俺がレギナを守らないと!アイツの決意を…俺が『行動』に変える!だからそのためにも……。
『──────』
「…ん?なんだ?」
俺は、走りながら近くの民家から悲鳴にも似た声が上がっていることに気がついた。まさか取り残された民間人でもいるのか?
だとしたら助けないと、レギナはきっと民間人を見捨てて助けに来た俺を受け入れないはずだ、なら何がなんでも助けないと。
そう思った俺は即座に踵を返し悲鳴の聞こえた民家の窓に飛びつくと…そこには。
「んんんーーーーっ!」
「んんんんんーー!」
(女の人が二人縛られてる!?)
何やらレンズのついた魔力機構の前で、赤い髪の女の人と青い髪の女の人が縛られていることに気がついた、そして…。
「あれ、ポーション爆弾か!」
その女の人達の背後には今にも起動しそうなポーション爆弾が仕掛けられていた。
……ここからは、直感だった。何をどうしようとか、この二人が誰かとか、そんなの関係なしに体が動いた。
トリンキュローさんみたいに、爆弾で殺される人が今目の前にいると言う事実がステュクスを動かした。
「ッッさせるかぁぁあああああああ!」
レンズのついた魔力機構…ジズの投影魔力機構が停止し、ポーション爆弾が起動し、赤と青のポーションが混ざり合い始めたその瞬間、ステュクスは思考停止で窓を突き破り…アリスとイリスに向けて飛んだのだ。
「っっどりゃぁあああああああああ!!」
「ッ!?」
「んん!?」
剣を構え二人を縛るロープを切り裂いた瞬間二人を抱えて向こう側の窓に向けて飛ぶ。その瞬間…爆発したポーション爆弾の爆風に煽られ吹き飛んだ俺の体は軽々と通りの向こう側まで吹っ飛び地面を転がり…。
「ぅげぇ、げぼっげぼっ…だ、大丈夫っすか!」
「ッ…貴方は!?」
「助けて…くれたのですか?」
爆発し吹き飛ぶ民家を目にして、なんとか俺は二人を助けられたことを確認しつつ…立ち上がる、よし…助けるだけ助けられた、なら後はもういいだろ!
「えっと、貴方は…」
「マジで名乗る程のもんじゃないんで!つーか俺急いでるんで!行きますね!ああ!一応スタジアムの方が安全くさいんでそっち方に避難してください!お願いしますね!」
「あ!ちょっ!」
そして俺は二人の顔もロクに確認せず助けるだけ助けて再び走りだす。今はともかくレギナのところに向かわないと──────。
──────────────────
「って感じで、道すがら助けた子が居たんだよ、色々あって忘れてたけど…そのおかげでレギナの所に到着するのがちょっと遅れちまって、でもまぁメグさんの友達だったなら助けられてよかったよ」
「……ステュクス、貴方…」
エリスは絶句する、まさか…ステュクスが二人を助けていたから…二人は無事だったと…?
「メイド長、すみません。私達もあれからメイド長を助けに行こうとしたのですが…」
「メイド長は私達が傷つくことは望まないと思い、戦いが終わるまで…身を隠していたのです」
「メイド長の危機に馳せ参じる事が出来ず申し訳ありません」
「メイド長の部下として情けないです」
「そんな事…そんな事ないですよ…二人とも」
染み入るように、二人を抱きしめる…肩を振るわせるメグさんを見て、ステュクスはなんとなくいいことしたなと寛ぐ。
まさかステュクスが二人を助けてくれていたとは、そのおかげで二人の命が失われずに済んだとは、…それは…。
「ステュクス…貴方」
「な、何?姉貴…」
即座にエリスはステュクスに詰め寄り、両手を広げ…。
「ひっ!?」
怯えるステュクスを無視してエリスは思い切りステュクスを─────。
「よくやりました!流石です!ステュクス!」
「はぇ?」
────抱きしめる。よくやった…よくやった!よくやったよステュクス!流石はエリスの弟です!最高です!最高の活躍ですよ!ステュクス!
「貴方のお陰で、助かりました!本当に本当に…ありがとう!」
「ええ、ステュクス様…貴方のお陰で、私の友達が…助かりました…本当に、なんてお礼を言ったらいいか…」
「いや別にお礼なんか…でも、よかったよ。助けられて」
本当に、その通りだ。ステュクスがいなければ…アリスさんとイリスさんは今頃死んでいた。彼が咄嗟に正義感を見せなければ、死んでいた。
ステュクスがいなければ…エリス達の勝利はなかったんだ!
「ステュクス…」
「な、何?姉貴」
「よく見ておきなさい」
そう言ってエリスは、ステュクスを抱きしめながら…見せる、貴方が守った物を、
それは……。
「ッ…アリス、イリス…もう、私から離れないでください!もう二度と!私の友達なんですから!貴方達は!」
「うぅ…メイド長…メイド長〜〜!」
「私達も離れません!一生側にいます!誓います!」
「はい…はい!ッ…ずずっ!…うう、よかった…生きてて…生きててよかったよぉ〜〜〜!!」
柄にもなくワンワン泣き始めるメグさんを見て、エリス達は今度こそ…勝つ事が出来たと悟る。
人々を飲み込む死の螺旋、それを前に…生き延びる事で、勝つ事が出来たと。そして…。
「守り切ったんですよ、貴方は…一つの幸せを」
「……そうだな、…なら、この戦いも少しは、報われるかもな」
エリスとステュクスは抱き合いながら、実感する。
今、自分が生きている事実を。
今、友達が生きている事実を。
エリス達は…死に打ち勝ったんだ……。




