524.対決 ハーシェルの影その零番・リア
ジズ・ハーシェルの率いる八大同盟ハーシェル一家。その歴史は長く既に五十年以上前には同盟入りを果たしており、結成自体は更にそれよりも前と組織としての歴史は長い。そんなジズが子供を攫い手駒にし始めたのは実のところ最近の話…と言っても少なくとも三十年近く前のことなのだが。
それまではジズは普通に数多の部下をおり、ハーシェル一家もマフィアのファミリー的な意味合いで使われていた。
しかしジズはいつしかその部下達への信用を失い、自分一人で完結する組織を作り上げるため子供を攫い教育する事で自らの影のみで組織を構成しようと目論んだ。その際抱えていた部下達の大半は蛇魔ウィーペラのように放逐され他の組織に転がり込んだり自分で組織を作るなりしたか、或いは殺され抹消されるか…様々な末路を辿った。
だが、ただ一人だけ…ジズは手元に残した。魔力覚醒を会得した部下さえ切り捨て、当時ジズの右腕と呼ばれた者も切り捨て、自分自身の主治医さえも放逐してなお…彼女だけは手元に置き続けた。
それこそがリア・ソシオパシー…今はリア・ハーシェルと名乗る女性であった。
何故ジズはリアを残したか、それは彼女が強いから…ではない、実力で言えば大したことはない。残した理由はリアが他の誰も持ち得ない力を持っていたからだ。世界でも数少ない技能を持っていたからジズはリアを残した。
その力は─────。
「ではお相手いたします」
「……来いよ」
ハーシェルの影その五番ミランダを倒したラグナ、デティ、ナリアの三人は彼女の迷宮を脱出するなり、彼女達の母を名乗る女…リア・ハーシェルの襲撃を受けた。
「ウフフフ、貴方ラグナ・アルクカースですよね、ハーシェルの影を潰しに来たのですね?」
「ああそうだよ、テメェらぶっ潰しにきたんだ」
「あらそうですか、でも私は腕力勝負は好きではないんですよ…貴方みたいに強い人に挑まれては勝ち目がありません、なので…」
そう言いながらリアが取り出した武器は…ベルだ、リンリンと鳴り響く黄金のベル…それを前に出したリアの動きに警戒を強めるラグナ、しかし…。
「さぁ…『眠れ』」
「は?何言っ────」
瞬間、ラグナは…動きを止める。
「え?ラグナ?」
「ラグナさん!?」
隣に立つデティとナリアは動きを止めたラグナの顔を覗き込んでみる、すると…。
「ズズー…」
「寝てる!?」
「この状況下で!?」
「寝るなー!起きろー!」
鼻提灯を作ってぐーぐーと眠っているのだ、それも立ったまま。慌てたデティは必死にラグナの足をグイングインと揺らして叫ぶが。
…起きない、その様を傍から眺めたナリアは考える。
(おかしい、ラグナさんが敵を前に眠るなんて絶対にあり得ない…それにさっきリアが言った言葉、あれが関係してる?眠れと言っただけで相手を眠らせる魔術?そんなのあるのか!?)
「起きろ起きろ起きろ!水ぶっかけるよ!」
「無駄ですよ、彼は起きません。私が許可するまで起きません…それこそ永遠にね」
「何おう!」
「デティさん!リアの仕業です!今の…魔術ですか!?眠れと命じただけで眠らせる魔術ってあるんですか!?」
「え?…そんなの、無いよ。眠らせる魔術はあるけどここまで強烈に意識を失わせる魔術なんかあるわけない、あったら今頃世界中で使われてるよ…!私も使いたい!最近眠れなくて」
そういうことを聞いてるんじゃ無いんですが…!
「魔術では無いですよ、これは『催眠術』…魔力無しで人を操る術ですわ」
「サイミンジュツ〜?ブッハ!そんなオカルトあるわけないじゃん!低俗な本の読みすぎ〜!」
催眠術…エトワールの奇術ショーでも度々披露される技術だ。実際にそういう術があるかと聞かれればちょっと微妙なところだが…事実としてラグナさんは目を覚さない。
ということはリアは本当に催眠術を使えるということか…。
(でも、だとしたらおかしい。何故ラグナさんだけが眠った?僕達もベルの音と彼女の言葉を聞いたのに…ラグナさんだけが眠らされた、何か他にトリガーがあるのか)
「魔力無しで人を操れるわけがない、キチンとした理論も理屈もない力がこの世にあるわけがない」
「そう言えばデティフローア様は魔術学問のプロでしたね、そんな貴方から見れば私の技術はさぞ胡散臭いものに見えるでしょうね」
「いいえ、私は一人の学者として論理的では物に対して理解を示せないだけ、そこに胡散臭いも何もないよ」
「…………」
(……あれ?)
ふと、ナリアは違和感に気がつく。とても小さな物だが…今リアが少しだけ眉を動かした。あの動かし方は苛立ちや怒りを隠そうとした際生まれる物だとナリアは考えている。
怒った?苛立った?デティさんに理解してもらえなかったから…いや、違う?
「それよりラグナを元に戻して!さもなきゃ魔術でぶっ飛ばすよ!」
「おお怖い、私は魔術は使えないんです。怖い事は言わないでください」
「あんたが喧嘩売ってきたんでしょ!」
「そうでしたね…、ならデティフローアさん?私を倒しますか?」
先程から攻撃も仕掛けて来ない、何かをする素振りも見せない、催眠術という不可解な技術を用いるが僕達には効いていない。何かしらのトリガーが存在しラグナさんはそれを満たしたからその毒牙にかかった。
ならそこから考えるにリアは今僕達に対してどのトリガーを満たさせようとしている、だが彼女は何も動いていない…いや、している。
(ラグナさんが直前にリアに対して行ったのは対話だけ、声を聞くのがトリガー?それなら僕達もやられてる、なら話をする?じゃあデティさんが催眠にかかってないのがおかしい…ならもっと踏み込んだ部分?ラグナさんが催眠をかけられる直前…何をした?)
記憶を蘇らせナリアは考察する、敵の武器の正体を…今手元に揃っている情報を纏めて考える。ラグナさんは何をした?リアは何をしようとしている?
…ラグナさんは…リアの言葉に対して返答した、それがトリガー?…いや、さっきリアが眉を顰めたのって…。
「ッ…まさか!」
「もちろ────」
「デティさん!口閉じてーっ!」
「むごぉーっ!?」
咄嗟にデティさんに飛びついて口を覆う、ダメだ…答えたらダメだ!
「グェー!潰れるー!何するのナリア君!」
「あ!ごめんなさい!でもダメです!リアの言葉に答えたらダメです!」
「うぇ?なんで?」
「それが…奴の催眠術のトリガーだからです」
デティさんの体の上から退きながらリアの方を見ると…、リアは驚いたような顔で目を開けており。
「驚きました、まさかたった一回見ただけで私の催眠術の発動条件を見抜くとは…」
「え?条件?」
「はい、多分彼女の催眠にはいくつかのトリガーがあるんです。そのうちの一つが…『肯定』」
問いに対して肯定的な言葉を返す。これが催眠の条件だ、ラグナさんはリアの問いに対して肯定で返した瞬間催眠にかけられた、デティさんはリアの問いに否定で返した。これが恐らく催眠をかけられたか否かの違いだ。
だからもし、あのままデティさんがリアの問いに肯定で答えていたら…。
「肯定しただけで催眠にかかっちゃうの!?それマジ!?ナリア君!」
「多分…他にもいくつか条件はあるんでしょうが、少なくとも奴はそれを達成する為にさっきからペラペラ喋ってたんです」
「ンフフフ、バレてしまいましたか、ナリア君…貴方は随分賢いようですね」
────これこそが、ジズがリアを重用する理由。魔力を用いず相手を操る『催眠術』こそがリアの唯一にして最大の武器。
ジズはリアを手元に置き、この催眠術の腕を子供達の教育に対して使った。幾重にも暗示を張り巡らせ価値観を根底から書き換えた、まだ人格形成が半端な子供達はリアの催眠に抗えない…それはそのまま成長するにつれて固定化され、大人になる頃には完璧な外道が生み出されている…という事だ。
その催眠の条件は非常に安易。四つの条件を満たすだけで相手に一つ命令を植え付けることができる。その条件のうちの人『肯定』…それは相手の心に隙間を生む。
リアと相手の精神状態がほんの一瞬だけ同調していることを示すその心の隙間をリアは見逃さず、相手の心に手を伸ばし…支配する。ただそれだけでどんな人間も思うがままに操れる。
ジズはこの力を『今は失われた古式魔術級の技だ』と称し、事実それ程の技量をリアは持っているのだ。
「……………」
「あらあら、無視ですか」
しか、肯定しただけで催眠をかけられるということは反面…口さえ聞かなければ催眠をかけられる事はない、安易だからこそ…タネがバレると簡単に完封されてしまう。故にナリアは口を閉ざしリアの言葉に何も返さない。
それを受けリアは面倒臭そうに首をゴキゴキと鳴らすと。
「はぁ、仕方ない…腕力勝負は嫌いですが、もうこの手で縊り殺すしかありませんね。幸い一番面倒なのは潰せましたから…子供二人くらい、簡単に殺せる」
「子供じゃねぇやい!でもタネが分かればこっちもんだもんね!」
「あら、私を倒すのは簡単ですか?デティフローア…」
「そりゃもち…んぐっ!いえ、そうではありません」
(危ういなぁデティさん…)
デティさんにちょっとした不安を覚えながらもナリアはこっそり耳打ちを始める。
「デティさん、取り敢えず先ずはアイツのベルを奪いましょう」
「なんで?」
「多分、あれが催眠の条件の一つだからです」
「なるほど、それっぽいもんね」
「はい、なので…僕が気を引きますのでデティさんは魔術でベルを狙い撃ってください」
「アイアイ、任せたよナリア君」
僕の魔術は精密射撃に向いていない、その点魔女の弟子達の中で最も芸達者なデティさんならリアの持つ小さなベルだって狙い撃てる。
…ラグナさんは動けない、僕が前に出るしかない。
「さて?作戦会議は終わったかしら?」
「いいえ、貴方に作戦なんて必要ありませんから」
「あらそう…じゃあ、お母さん…ちょっと頑張っちゃおうかしら」
ニコッとリアが微笑んだ瞬間、その姿が消え───。
「え!?」
「ここですよ〜ッ!」
瞬間、横から現れたリアの足がナリアを蹴り飛ばす。
「ぐぶふっ!?」
「ナリア君!」
「私、暴力は苦手ですけど…弱いわけではありませんよ。なんせ一番…彼の、ジズの技を目の前で見ているんですから」
「ッ…」
地面を転がりながらも直ぐに立ち上がり、懐からペンを取り出し手元で回転させると同時に一気に…書き上げる。
「『剣天陣・稜威雄走』!」
「ムッ!」
作り出した魔術陣から放たれる斬撃を前にリアの顔色が変わり、咄嗟に体を回し斬撃の間を縫うように踊り華麗に回避して見せるが…その頬には冷や汗が伝う。
「僕も…戦いは苦手ですけど…弱いつもりはないですから」
「…なるほど、では…良い勝負になりそうですね」
「いいえ、僕の楽勝です」
「ハッ…!」
凶暴に笑うリアと無表情のナリアが構えを取る。…一瞬の沈黙の後、先に動き出したのは。
「ではこちらから参りましょう!」
リアだ、自分のドレスに手をかけると同時に一気に脱ぎ去りナリアに向けて投擲する…がナリアもそれに動じずペンを動かし──。
「『穿火陣・火遠理』!」
撃ち出すのは炎の槍、それはドレスを燃やし尽くしその向こうにいるリアに当たり…。
「こちらです」
「ッ…!」
否、リアは既にナリアの側面に回っていた。他の影達同様決戦装束に着替えたリアはダガーを手にナリアの胸目掛け振るい…。
「二度!同じ動きは!通じませんから!」
「あらぁ〜!?」
回避する、迫る刃を前にグルリと回転したナリアはそのままバク宙。この三年で編み出したアクロバットアクションによって刃を回避すると共に伸びきったリアの腕に組み付き、ペン先で自分の指を傷つけ。
「『赤熱陣』っ!」
再び血で書き込む、今度はリアの腕に赤熱し熱を持つ魔術陣を。すると書き込まれた血は炎のように燃え上がり一気にリアの手を燃やし始める。
「あっちぃっ!?」
「まだまだ…!」
熱に怯み慌てて魔術陣を掻き消そうと手で叩くリア…の隙をついたナリアはポケットから革手袋を取り出し右手に装着し、一気にリアの腹に向けて掌底を打ち込み…。
「『衝破陣』ッ!」
「げほぉっ!?」
轟音を上げて弾き飛ばされるリア、取り出した革手袋の掌には魔術陣が書き込まれている、これぞナリアが開発した新兵器。色のついた糸で革手袋に魔術陣を編み込む『刺繍陣』、ただでさえ精密な技が要求される魔術陣を糸で縫い込むという離れ業にて実現した新たな武器だ。
「ゲホッ…ゲホッ…あれぇ、強い…」
「いいえ、貴方が弱いんです」
「おかしいな…、多少はやれると思ったのになぁ…やっぱり私は前線向きではないですね」
「いいえ、貴方は娘の為に戦場に出るべきです」
「………」
こうした会話もリアにとっては刃になり得る、だから慎重に…そして即決で言葉を選ぶ。言葉に迷えば動揺が相手にバレる。だから僕は彼女に隙を見せない為にも演じるしかない。
余裕を……。
(それにしてもさっきからリアが見せている動き…なんだか妙だ)
リアの動きはなんだかチグハグだ、一瞬で消えるほどの脚力を持ってるのに攻撃する瞬間は減速…というか眼に見えるようになる。例えば僕の目で視認できないスピードで動けるなら側面に回らず正面から突っ込めばいい。
なのに、彼女はいつも視界外に回ってる、なんでだ?これも何か催眠に関係あるのか?
「存外に厄介ねナリア君、そんなにお友達を助けたいの?」
「いいえ、僕はただ邪魔者を排除したいだけです」
「あら薄情ね、なら彼がどうなっても…いいのかしら?」
リアはそう言いながら立ち上がり、立ったまま眠るラグナさんにナイフを向ける。
「ッ…!」
「今から私が言う言葉に、はいと言って頷きなさい…さもなければ、彼に向けてナイフを投げるわ」
「………」
「友達は助けたいでしょう?言っておくけど私も殺し屋の端くれだからこのくらいの距離なら心臓を一突きにできるわ、だから返答はよく考えて」
そう言うなりリアはナイフを大きく振りかぶりながら懐に隠したベルに手を当てる。
助けたい?そんな物助けたいに決まってる、だから僕は今もこうして色々考えているんだ…けど、けれど…。
「キチンと『はい』と答えるのよ?いいわね?さぁナリア君、負けを認めるかしら?」
問いかけがくる、それと共にリアの手に力が篭る。ここで僕が頷かなければラグナさんにナイフが行く…だから僕は、ゆっくりと首を縦に振りながら…。
「は─────」
(来た…!)
『はい』そうナリアが頷きながら答えるのを確認したリアはベルを取り出しナリアに突き付ける…これでナリアも潰せた、そうリアが思う頃にはナリアの首は縦に振られ……。
るどころか更にナリアの首は更に下へ下へ向かい…。
「ぁーーーどっこいしょ!」
「は?」
頷くかと思われたナリアがその瞬間が取ったのは首肯ではなく、片足で立ちもう片方の足を振り上げ首を下に向けるイの字のポーズで…、リアは思わず停止する。
「頷くと見せかけて!ドリンキングバードの真似ッ!」
(なんそれ…)
いきなりくだらない一発ギャグのような何かを見せられ停止する。頷くと見せかけて謎のポーズを見せつけてくるナリアにリアは動揺する。
なにがしたいんだと…。
「ッ…デティさん!今です!」
「あっ!しまった…!」
「え?!あ!『プラズマショット』ッ!」
瞬間リアは悟る、奴等はこの瞬間を待っていたのだと。頷くと見せかけて別のポーズを取ったのは…いや敢えてリアの言葉に乗ったのは、リアがしまったベルを取り出させる為。
そこを狙い、飛んでくるのはデティの魔術。それは的確にリアのベルを打ち抜き破壊する…と同時にリアは悪足掻きとばかりにラグナに向けてナイフを投げる、しかし…。
「うぇっ!?」
カキーンと音を立ててラグナの肉体はナイフを弾き返してしまう。そこでもう一度リアは理解する、ナリアがここで勝負に出たのは…ラグナにナイフなんて効くわけないと理解していたから。
つまり……。
(ハメられていた!?)
「やったー!ナリア君!ナイスプレー!」
「最高ですよ!デティさん!」
いえーい!とハイタッチを決めるデティとナリア、これでベルはなくなった、リアの持つ催眠術のキーとなる物が無くなった。二人のコンビネーションによってリアはしてやられたのだ。
「さぁ!これで貴方の負けです!ラグナさんの催眠を解きなさい!」
「グッ…!」
「次は今の魔術をアンタの胴体にぶち込んでもいいんだからね!さぁさぁ!観念せい!」
「う…、ま…参ったわ参ったわ!催眠術を奪われたら何もできないモノ」
そう言って両手を上げるリアは負けましたとばかりにしょんぼりと頭を下げる。これで勝った…のか?
(なんか、妙にしおらしいな…こんなあっさり負けを認めるなんて)
その態度にナリアは再び考え始める。ベルを壊した…これで催眠は使えないはず。
なのに、それ程までに追い詰められているのに…なんでリアは『あの手を使わない』。
(僕が想定していた行動と違う、リアは追い詰められれば必ず『アレ』を頼るはずなのに使わないなんてどう考えてもおかしい…まさか、まだあるのか?何か手が…!)
「オラオラ!リアく〜ん?アンタの負けよう!分かったらラグナの催眠を解きなさい!」
「ええ、分かったわデティフローアちゃん…」
そう言いながらデティさんに突き出されるようにラグナさんの元へ向かわされるリア、すると彼女は唐突に足を止め。
「あ、そうだ…」
と、口走ったかと思えばいきなり振り向きデティさんに手を向け。
「『止まれ』」
「え!?あっ………」
「え!?デティさん!?」
瞬間、リアが指を鳴らしデティさんに命令を加える…するとその音によりデティさんの体は石のように固まり動かなくなってしまう。それこそ…催眠術にかけられたように。
「な、なんで!?ベルもないし!何より肯定もしていないのに!?」
ベルは壊した、デティさんは肯定もしていない、なのに何故催眠にかけられた!?まさか僕の推察が間違っていたのか!?
「ウフフ、はい逆転〜!」
「嘘だ…!デティさん!デティさん!」
「……………」
慌ててデティさんに駆け寄り肩を揺らすが…動かない。全身に力が込めって忠実にリアの命令を遂行する為止まっている。目は虚で瞬きすらしていない、完全に催眠にかかってる。
何故だ…どうしてだ…!なんなんだ催眠の条件は!
「これで貴方だけね?ナリア君」
「ッ……」
「諦める気になったかしら?」
「…………」
もう何も喋れない、トリガーが分からなくなったからだ。
だが…諦めるな、考えるのをやめるな、ここで諦めたら…終わりだ。だってもう…僕しかいないんだから。
(ベルは壊した…けどアイツは代わりに指を鳴らした、まさかトリガーは『ベルを鳴らす』ではなく『音を聞かせる』だったのか?)
考える、奴の行動を見るに恐らく音を聞かせるのは必須。それをベルで代用していたのは…ブラフ。この時点でかなりマズいことになる。なんせ相手はトリガーを察知される事を読んで幾つかブラフとなる動作をいれていることが確定するから。
だがそれ以上に謎なのはデティさんは催眠をかけられる直前…肯定も否定もしていな───。
(いや!してる!肯定していた!)
『オラオラ!リアく〜ん!アンタの負けよう!分かったらラグナの催眠を解きなさい!』
『ええ、分かったわデティフローアちゃん…』
(デティさんがリアの言葉を肯定したんじゃなくて、リアがデティさんの言葉を肯定していた!これ逆でもいけるのか!)
ナリアは与り知らぬ話ではあるが、リアが肯定を求めるのはあくまで精神の同調が目的…ならば相手の言葉に逆に肯定で返しても精神状態の同調は可能。肯定する側はどちらでもよかったのだ。
(しくじった、相手の催眠トリガーの範囲を見誤った…!)
「ウフフ、さて…どう殺してやりましょうか」
「ッ…なら貴方を倒せばそれで……」
「分かってるでしょう?貴方も。ナリア君は私を倒せた…少なくとも先程の攻防では私を倒せた、なのにそれをしなかったのはなぁぜ?」
「……………」
「私が代わりに答えましょう…、『催眠が解ける条件が分からないから』でしょう?だから私に催眠を解かせようとした…!」
その通りだった、口では肯定しないがその通りだ。ナリアが必死に考えを巡らせているのはリアにラグナさん達の催眠を解かせたかったから。
もしこのままリアを倒しても、ラグナさんが目覚めなければ意味がない。だからリアの手で解かせたかったから、だから倒せなかった。そして今この状況になった以上…。
催眠の解除をリアに求めるのは…不可能。
「諦めなさい、諦めて楽になりなさい」
「……いいえ」
「あらそう、なら…『襲え』」
指を鳴らす、催眠だ…けど、それはナリアに対するものでは無い。
「ずすーー…」
「ぁーい…リアさま〜」
「ラグナさん…デティさん…!」
動き出す、眠っているラグナさんと虚な目のデティさんが…僕の方を向く。
「さぁ、仲間同士で…殺し合いなさい」
「ッ…!!」
転身、即座に振り向き逃げ出す…と同時に飛んでくるのは。
「グー…」
「うぉわぁっ!?」
鋭いラグナさんの蹴りだ、足をもつれさせたお陰でギリギリで蹴りは回避出来たが…ダメだこれ!意識がないだけでマジのヤツだ!貰ったら死ぬ!
「『プラズマショット』」
「ぐぅっ!?」
しかしそこに追い討ちをかけるのがデティさんの電撃。鋭く飛んできた電流が肩を撃ち抜き全身に電流が走る、感電した体は動きを失い僕はそのまま地面に転がり伏せる事となる。
これは…大変なことになったぞ…。
「アハハハハハハ!ほら抵抗しないと殺されてしまいますよ…」
「ラグナさん達は殺しません…」
「あらそう、まぁそのお仲間は今や私の操り人形…何を言おうが現実は変わりませんよ」
ヨロヨロと立ち上がれば目の前には鼻提灯を作ったまま構えを取るラグナさんとフラフラと杖を構えるデティさん、そしてその後ろのリア…状況は最悪の三対一。
(どうする…何をすればいい、ここから巻き返す方法なんかあるのか?)
これが演劇なら、僕の呼びかけによりラグナさん達が意識を取り戻す…なんて展開もあるんだろうが、そういう甘い展開はちょっと期待出来そうにない。
当然だがラグナさん達を倒して進む…というか選択肢はない、友達だから傷つけたくたいのはそうだし、それ以前に多分普通に倒せない。やはり現実的なのはリアに催眠を解除させる事。
(だがどうすれば解除させられる…)
目を伏せ、ナリアは考える。こういう危機的な状況でいつも僕を助けてくれたのは…友達だ。アマルトさんやエリスさん、ラグナさんやデティさん…みんなが僕を助けてくれた。
だから…僕もみんなを守る為に、ここは踏ん張らないといけない。僕は足手纏いではなく…みんなの仲間なんだから。
(………………方法、リアに解除させる方法…無い、訳では無い。一つだけ解除させられる魔術陣がある…けど)
ややこしい手順を踏む必要はあるが、でもあるにはある…だがその為には更に相手の懐に踏み込む必要がある。
…いや、やろう。これしか無いのなら迷う必要はない。
「さぁ!我が人形達よ!不埒者を殺しなさい!」
「ずすー…」
(来る…!)
まずはラグナさん達をなんとかする。拳を携えながら進んでくるラグナさんの動きをよく見ながら僕は手元のペンを走らせる、ラグナさんは僕が最も苦手とする身体能力だけで闘ってくるタイプの人だ、だから切り札の鏡面反魔陣は使えない。
だから攻撃用魔術陣でなんとかする必要があるが、この人は物理防御面も魔力防御面も常軌を逸するレベルだ。三魔人を真っ向勝負で倒してしまう時点でそもそも僕に勝ち目はない。
けど…。
(『勝つ』ってのは、『倒す』だけじゃないんですよ!)
ラグナさんの拳が放たれるよりも前に僕は目の前に魔術陣を書き込む、それは…。
「『凝固陣』!」
「ふがっ…!?」
書き込んだ物を固定する魔術陣『凝固陣』、普段は被写体の固定などに用いられる事もある魔術陣だが…これを虚空に書き上げるとどうなるか、空気を固めて一切動く事のない壁が目の前に現れることになる。
コーチはこれを足場にして空を飛ぶが僕は普通に防御用に使う。ラグナさんの拳は凝固陣に阻まれ大きく仰反ることになる。
(やはり甘い!いつものラグナさんならこれくらい読んで動く。多分意識がないから反射で動いてるだけなんだ!なら…!)
そのまま一気に走り抜けラグナさんの足を潜り抜け背後に立ち、そのままペンにインクをつけラグナさんの背中に魔術陣を書き込む…。
「『幻夢望愛陣』!」
「ッ……!」
書き込んだのは幻夢望愛陣、愛しい人の夢を見せ無力化させる魔術陣だ。当然これを書き込まれたラグナさんは…。
「え、エリス…ダメだ…そんな事…ずすー…」
(どんな夢見てるんだろう)
エリスさんの夢を見る、エリスさんの夢を見たラグナさんは動きを止める。催眠が如何なる力かは分からない…だが、やはり古式魔術の方が優先度が高いんだ!
よし!ラグナさんは抜いた!なら後は…。
「デティさん!」
「『フレイムインパクト』」
「っぱ!?」
飛んでくる炎を地面を蹴り上げながら回避する。残るはデティさん、ラグナさんを抜いたから楽勝!のはいかない。この人もこの人で恐ろしい人だ、なんせ魔術師として世界でも五本の指に入る使い手なんだ…けど!
「『ゲイルオンスロート』」
「っごめんなさい!『鏡面反魔陣』!」
魔術を使う以上、僕の魔術反射の餌食なんだ…ごめんなさいデティさん!魔術を弾かせて───。
「『ライトライン』」
「え!?」
瞬間、デティさんの杖から放たれた光の線が書き込まれた僕の陣に一つ斜線を入れる、これだけで魔術陣は作動しなくなる。
(…そうだった!デティさん普通に魔術陣も使えるし知識もあるんだった!)
デティさんは普段使わないだけで属性魔術以外に現代錬金術も現代付与魔術も現代魔術陣も使える超オールラウンダーな魔術陣なのだ。だから当然、魔術陣に対する対策も頭に入っている。
これによりナリアの鏡面反魔陣は機能しなくなり、飛んで来た風はナリアに迫り────。
「ッッ『瞬風陣・志那都比古』!」
書き上げる、風の魔術陣をもう一度…風が迫る直前で書き上げる、が再びデティさんは杖を動かし。
「『ライトライン』」
「『鏡面反魔陣』!」
無効化される、その瞬間を狙い更にもう一度陣を描く、デティさんの詠唱よりも早く、口で言うよりも速く魔術陣を書き上げる絶技にてゲイルオンスロートを反射する。これで…!
「ッ!『ヒートファ…」
あ!やばい!反射されたゲイルオンスロートを更に自分でレジストするつもりだ!凄いことやろうとしてる!でもこれじゃイタチごっこだ!魔術の撃ち合いじゃデティさんには勝てない……いや!
「やい!ちび!」
「ランク……ンだとゴルァッ!?あ…!」
デティさんはチビと呼ばれると発作的に反抗してしまう悪癖がある、そこを利用し詠唱を邪魔すれば…彼女は魔術を防ぐ術を失うことになる、つまり…。
「あぃぃいーーーー!?!?」
「ごめんなさいデティさん!後で絶対助けますから!」
吹き飛ばされる、自身が生み出した風によりクルクルと空中を舞いながら吹き飛び廊下の奥に消えていくデティさんに謝る、本当にごめんなさい!
「あらあら、やるわね…友達を無力化するなんて…」
「……………!」
後はリアだけ…そして、ここが最大の難所だ…って。
「あれ!?」
「こっちよ、マヌケちゃん」
「ッ…!」
背後だ、咄嗟に振り向くとリアは近くの花瓶を手に持ち、足元の石畳を砕き小さな窪みを作っていた…。
「知ってる?人間って…3センチから5センチの水溜まりでも溺死出来るって…」
そう言いながらリアは足元の窪みに花瓶の水を垂らし、ラグナさんの髪を掴み窪みに近づけ…。
「や…やめッ…!」
「貴方が強い事は分かった、だからこそもう一度やらせてもらうわ…、私がここで行う脅しが何か分かるわよね、ナリア君」
「う……」
つまり、先程の脅しと同じ…。今度はラグナさんを溺死させると言う方法で確実な脅しを取る。こればかりは…誤魔化しが効かない。
「諦めなさい、ここで私を倒しても催眠は解除されない。そして私は解除は絶対にしない…」
「…………」
「今貴方が何をしようともね。そして…もし逆らえば私は彼を殺す」
これだ、僕が警戒したのは。彼女が持つ最大の武器はラグナさん達の支配権でも催眠でもない…『立場』だ。彼女は僕よりもずっと強い立場にいる。
仲間の生殺与奪権、そして催眠解除権、この二つをもつ限り僕は彼女を倒せない、そしてそれを盾にされたら僕は動けない。これを警戒していた…彼女は追い詰められればこれを行使すると読んでいた。
そしてその上で、明確な対抗策を講じられていないのが現状。
「さて、最後通告よ」
問いがくる、これに答えなければ分かっているな?とばかりに動かなくなったラグナさんの顔を水溜りに近づける。
……これで、終わりなのか?…。僕は結局ラグナさん達を助けられないのか?
(もしここで僕が諦めても、他の誰かがなんとかしてくれる…かな)
そう考えた瞬間、泣きたくなる。結局僕は仲間頼りか…!僕には何も出来ないのか結局!
悔しさに涙が滲む、何処までも力不足の自分が情けない…仲間達に、コーチに、みんなに合わせる顔が──。
「さぁ答えなさいナリア君?貴方は私に従う気はあるかしら!」
(……あれ?待てよ…?)
ふと、ビリビリのと脳内に閃きが走る。リアの言葉を聞いて今まで奴が行った会話がフラッシュバックする…と、どうだ?
奴の催眠にはいくつか条件がある、そのうちの一つ…もしかして。
「さぁ!さぁ!答えろ…答えろッ!ナリア!」
「………………」
目を伏せる、…そしてナリアは…。
「…はい……」
肯定する─────。
……………………………………
『これが今回の相手?』
『はい、そうです、母様』
魔女の弟子が突入してくるよりも少し前、娘達が集まって今回の相手の資料を確認しているのを見たリアは、少しつまらなさそうに椅子に座る。
ミランダが集めてきた資料、魔女の弟子達の情報。それを目にしてお勉強か…真面目な事で。まぁそういう風に教育したのは私だが。
「真面目ね、エアリエル」
「ええ、如何なる相手であっても…油断する理由にはならないので」
「そう…」
リアも昔は一端の殺し屋として現場に出ていた。その時は真面目に仕事をした物だ…けど今はもう違う。自分はもう現場に出る必要のない立場を手に入れた。
あの日、ハーシェル一家改革の日。数多くの仲間が解雇される中私だけ残されて…ジズ様に言われたのだ。
『君は、私の作る家の母として働いてくれ』…と。
夫婦ではない、飽くまで父と母…別個の存在として役割を負え、という話だ。勿論私はそれを引き受けたよ、だってもう危険な現場に出る必要がないんだから、それで暮らしていけるならそれでよかったから。
それから私は殺し屋ではなく母となった、運ばれてくる子供達に教育を施した。大人に対する催眠は『私のテリトリー』から離れれば簡単に解けてしまうが、子供達への催眠は違う。
人格を歪め、価値観を歪め、人間性を殺し、殺し屋として育てることが出来る。そこを買われて私は今ここにいるんだ。
だからもう私は前線には出ない、出なくても良い、これからも子供達を育て続ければ暮らしていけるんだ、こんな楽な話はない。
「母様も資料を見ますか?」
「いえ、必要ありません。そいつらを殺すのは貴方達の役目ですから」
「それもそうですね」
資料を見なくても知ってる、ここに来るのはラグナ・アルクカースとデティフローア・クリサンセマムとメルクリウス・ヒュドラルギュルムと後は…えーと、知らん。六王以外の名前はよく知らない、けどどうでもいい。
知らなくとも、私は戦わなくても良いのだから…それにもし私の下へ来ても、そこは私のテリトリー…催眠をかけて操ってやれば良いのだ。
そう…私のテリトリーの中で、条件を満たせば…それだけで。
……………………………………………………………
「『動くな』…!」
「う……」
ガクリと脱力し動かなくなるナリアを見て、ほくそ笑む。ようやく終わったと。
ミランダがやられ、魔女の弟子達がフリーになってしまった、これは流石にまずいと思いこうして魔女の弟子達を始末に来たのだが…思いの外手間取ってしまった。
幸いここは私のテリトリー、魔女の弟子達を操る事も容易かった。まぁ最後はやや手間取ったが。
「…これで終わりですね、さて。手駒も手に入ったことですし彼この子達を使って他の弟子と殺し合わせますか」
ふぅと首を撫でながら動かなくなったナリアを見て…、思う。
「ふむ、この子…確か魔術陣を使ったわね。魔術陣を使うのは閃光の魔女カノープス…ん?閃光の魔女はプロキオンだっけ?レグルスだっけ?」
最近物忘れが激しくて嫌だ、五十代の入口が見えたあたりから急激な老いを感じる…。最近名前がパッと出てこないのよね…。
「まぁいいわ、今からこの子達にトリンキュローと同じ様な教育を施して殺戮人形にしてあげる。まずは君からよ?ナリア君?」
幸い魔女の弟子全員に催眠をかけられた、吹き飛んでいったデティフローアに関してはもしかしたら私のテリトリーから出ていることもあり催眠が解けているかもしれないが、あのバカならまた催眠をかけられるだろう。
それより…と。散々苦しめてくれたナリアに顔を近づけてニタリと笑う。この子の顔からは正気を感じない、完全に催眠にかかっている…これなら自在に操ることも出来る。
「そうね、先ずは貴方の道徳観から殺してあげる…『人を殺せ』」
「ぁ…はい、…リア様…」
私の命令を受け、ナリアは動く。先ずはその手を血で汚してもらう、その為にも人を殺してもらう…となったら、この子は誰を殺すか?
…決まっている、この場で唯一私の支配下にない私以外の人間は…ミランダしかいない。
「フフフ、ごめんなさいねミランダ、貴方より役に立ちそうな子が出来たから死んでちょうだい。大丈夫、また貴方くらいの子なら直ぐに作れるから」
「ぁ……」
ミランダは動かない、既にラグナによってボコボコにされ意識がない、そんなミランダに近づくナリアはミランダの懐からナイフを取り出し、フラフラとその胸に突きつける。
「さぁ、殺せ!殺せ!『殺せ!』道徳など捨てろ常識など捨てろ人間性など捨てろ!その手で人を殺しその手で積み上げた物を崩せ!お前は今日から人殺しになるんだよ!ナリア!」
「……………」
人は脆い生き物だ、人殺しをすればソイツはもう人を殺す事しか出来なくなる。私はそうやって今まで幾人もの殺し屋を作ってきた、チタニアもオベロンもトリンキュローもみんなそうだ。エアリエルやアンブリエルの様な例外を除き全て私の手で殺し屋を作り上げ死体の山を作り上げてきた!
殺せば人は獣に堕ちる、これはどんな存在であれ変わらないのだ…!だからこそ、ナリアに今…人を殺させる!人殺しで生まれた心の傷は、決して癒えないのだから!
「…おい、おい!どうした!ナリア!」
しかし、どういう事か。ナリアはナイフを持って構えたまま動かない…何か変な挙動でもしたか?もしや催眠が不十分だったか。
「おい、ナリア…『こっちに来い』」
「はい…リア様」
しかし別の命令をすると問題なく動作する、ナリアはこちらに来て命令に従って見せる…どういう事だ?
(催眠に抗う強靭な精神を持っているのか…或いは人並外れた人間性を持っているか…)
偶にいる、精神的な攻撃を無効化する程に自己を高めた怪物のような精神力を持つ奴が…しかしこれは八大同盟幹部クラスでも無い限りはあり得ない。そういう輩はラグナの様に一度意識そのものを奪う必要があるが…。
なら精神構造が違うのか?通常の人間とは違う精神構造を持っている可能性。所謂天然物のサイコパスという奴だ、ジズやコーディリア、エアリエルにアンブリエルみたいなのには催眠の効果が薄い。
「はぁ、分からない…分からないからもう、殺しましょう」
このまま不安因子を抱えるのも面倒だ、催眠の効きが薄いならこのまま殺してしまおうとリアは静かに口を開き。
「『死ね』」
そう命令するのだ、所謂自害の命令…これを受けた者が取る行動は一つ。
「はい…リア様」
静かに、その首にナイフを突きつけるナリア。己で己の命を断て…そう命令されたい女医ナリアはもう死ぬしか無い。駒が一つ減るのは面倒だがそれ以上にリスクが…。
「ん?」
しかし、その瞬間…リアは気がつく。今目の前でナイフを首に突きつけるナリア…が、その手に持つナイフに、何か書かれている。
これは…血?血で何やら紋様が書かれて…。
(……これ、魔術陣?なんでこんなところに…)
魔術陣だ…しかしこんな物いつ書き込まれたんだ?だってナリアは今ミランダの懐からナイフを取り出して……。
「まさか…ッ!?」
「そう…そのまさかですよ、リア様ッ!」!
瞬間、ナリアの瞳に光が宿る…コイツ!催眠にかかったフリをしていたのかッ!?
「この…!」
「甘い!」
咄嗟に動いてラグナ達に命令を下そうとするが…、その時飛んできたナリアのナイフが肩を貫き鮮血が舞う。
「ぅぎぃっ!?」
「当たった!じゃなくて…!『水影陣・瀬織津姫』」
そして突き刺されたナイフに書き込まれた紋章が光り輝き、中から大量の水が噴き出しリアの顔面にぶち当てられ声を封じられる。
こ、コイツ!催眠が効いていなかったのか!?でもなんで…全ての条件は満たしているはず!
「うぼぉおぇぇ…!ゲホッゲホッ!くっ何故だナリア!催眠が効いていないのか!?」
「はい、効いてません…ほらね?肯定しても効かない」
「なんで…!?」
今確かにナリアは私の言葉を肯定した、なのにやはり催眠にかかる気配がない…だが、何故だ!?全ての条件は満たされているはず!考えられるとしたら…。
「ふふふ、『アレ』が正常に動いてないんじゃないんですか?ホラ…なんだか空気も澄んでいるし」
「ッ…まさか!」
まさか『アレ』が…魔力機構が動いていないのか、そう思い確認するため私は振り向く…見る先は廊下の一角。花瓶が置かれていた棚、の脇に置いた大きな壺…。
………あれ?動いてるぞ?まさかアレじゃない────いやまさか!
「なるほど、『そこ』にあったんですね…答え合わせありがとうございます!『穿火陣・火遠理』!!」
「しまっ──!?」
瞬間、ナリアはペンで魔術陣を書き上げ私が見た方向に置かれていた壺…否、『催眠薬散布魔力機構』を炎で撃ち抜き、破壊する。
や、やられた………。
「僕、考えたんですよ。いくら貴方が催眠術の使い手でもただ声をかけるだけで催眠になんかかかるもんかと…でも違ったんですね、貴方の催眠はタネも仕掛けもある代物だった、それがあの魔力機構だったんですよね」
ナリアの指摘の通りだった、リアが催眠をかけられるのは己のテリトリーの中だけ…つまり彼女だけが調合出来る『催眠薬』と呼ばれる液状の薬が散布されている中でだけ行える限定的な技だった。
自白剤にも似た効果を持つこの薬を摂取した人間は、皆精神状態が不確かな状態になる。その状態でいくつかの条件を満たすことで精神の支配権を強奪する…というのがリアの催眠の正体だ。
そしてそれを散布していたのが、あの壺だった…。
「な、何故分かった…」
「貴方が僕と戦った時、貴方は不自然に姿を消したり現したりしましたよね。アレ最初は高速で移動してるのかと思ったけど…貴方の実力を見るに、どうも違う。なら何故消えて見えたのか…恐らく、僕の目が狂わされていたから」
催眠薬は脳神経に作用するが故に幻覚の作用もある、それを用いて戦ったのも事実だ。ある程度の速度で動くと目が追尾しきれず消えた様に見える…その技を、ナリアの前で披露した…けどそれはたった二回だけ。
たったそれだけの回数で、催眠薬の存在に気がついたというのか!?
「ま、半信半疑でしたけどね。でもなんか裏に仕掛けがあるんだろうなぁって思ったからカマかけたらこれが大正解、答え合わせしてくれてありがとうございます」
「ッ…なら何故!何故お前は催眠にかからなかった!あの時はまだ催眠薬も散布されていたはず!」
「ああ、それなら…貴方の催眠の条件って『肯定する』『催眠薬を摂取』『一定以上の周波数の音を聞かせる』ともう一つ、…『相手の名前を呼ぶ』…ですよね」
「え?」
ナリアは考えた、事例を踏まえて考えた。リアが催眠をかける時、かけようとする時決まって行われる行動を。リアは必ず相手に催眠をかける時、名前を呼んでいた。
それは相手の意識を自分に集中させるための必須儀式、肯定以上に必要な段階…そこを読んだからこそ、ナリアは勝負に出た。だって…。
「いや!私は確かにお前の名前を呼んだぞ!『ナリア』と!」
「ああ、それなんですけど…それ、僕のあだ名なんです、僕の本名は『サトゥルナリア』ですよ…!」
「あェッ!?」
デティは言った『ナリア君』と、ラグナも言った『ナリア』と。ラグナもデティフローアも六王だから名前は知っていたが…それ以外の名前を知らなかったリアは思った。
この子の名前は『ナリア君』なのだと。そしてナリア自身も思った…リアは一度として『サトゥルナリア』と呼ばず徹底して『ナリア』と呼んでいたことに。だから考えた、コイツは自分の名前を知らない…なら。
(し、しまった…六王以外の魔女の弟子の情報を見るのを、怠ったからか…!?)
「催眠にかかった演技でもお前は騙せる…、貴方が僕の名前を勘違いしてるから僕は催眠にはかからない」
だからナリアは催眠にかかったフリをした、持ち前の演技力でリアを騙し、ミランダの懐からナイフを抜き、突き立てるフリをしてその間に魔術陣を書き上げ準備した。
全ては、この逆転劇の為に。
「そしてあの壺が壊された以上お前はもう催眠をかけられない」
「グッ…だがまだ私にはラグナがいる!おい!『今すぐサトゥルナリアを殺──」
「それも対策済みです!」
「うぇっ!?」
瞬間、命令を出そうと口を開けた瞬間…突っ込まれる、何かを。舌だ…舌に何か貼られた。これは…紙?魔術陣の書かれた紙が!私の舌に!?
「な、なんだこへぇ!?取れない!?」
「僕には貴方の様に人を操る術はない…けど、これくらいなら操れるんですよ…発声陣『一言主』ッ!」
古式魔術陣の中にはある…、対象に『好きな言葉を言わせる魔術陣』が。本来なら意識を失った仲間に対して使い外部から魔術を使わせる仕込みでしかないこの発声陣『一言主』。
しかし、これを書き込まれた紙を舌に貼られたリアは…口に出して喋ってしまう。
「め…『目覚めろ』ォッ!!!」
「ずすー…ん?あれ?俺何を…」
催眠の解除を、ナリアの魔術陣によって。それと共に目を覚ますラグナを見てリアは悟る…。
(お、終わった…!この私が…こんな奴に、終わらされた…!?)
「さて、催眠もなんとかした、ラグナさんも助けた…なら後は、お前を倒すだけですね!」
「ひぃぃいいい!??」
ナリアには最早手加減する理由はなかった、リアには最早逃げ出す手段も抵抗する術もなかった、これでチェックメイドだ…!
「お前!トリンキュローさんもこんな風に操ったと言いましたね!お前のせいで…メグさんとトリンキュローさんの再会は阻まれた!お前さえ!いなければッ!」
「ヒッ…ぃ、ゆ…許して!そ…そう許して!私はジズに命令されただけで嫌々…」
「五月蝿いッッ!!僕の友達に癒えない傷を植え付け、僕の友達を殺そうとしたお前だけは…許さない!奥義…神代七陣ッ!!」
ナリアは書き上げる、この三年でプロキオンコーチより授かった最大奥義。
閃光の魔女プロキオンが持つ数多の魔術陣の中にあって『最大最高の傑作魔術陣』と呼ばれる七つの陣、まるで神が作り上げたが如き究極の力を持つ奥義…神代七陣。
第一陣から始まり最終奥義の第七陣に至っては星を砕く威力さえ持つと言われるその奥義を、この外道に…否、友の悲しみへの手向とする!
その名も───。
「神闢陣『国之常立』ッッ!!」
神闢陣『国之常立』…それは神代七陣の第一陣。その効果は『空間模写』。
作り上げた陣を中心とした空間を魔術陣の中にコピーする絶技。もう一つの世界として鏡写しの様に生まれた偽りの世界は魔術陣の中で魔力に変換され前方に解き放たれる。
つまり、この空間にいる人間。ナリア、ラグナ、ミランダ、そしてリア自身の全魔力の複製が一気にリアに降り掛かるのだ。これは相手が強ければ強いほど効果が増す奥義、なんせ相手はどうあれ自分の全力全開を超える魔力をぶつけられるのだ…どうあれ、耐えられる物ではない。
「ギィッ───」
放たれた閃光はリアを包み、一気に吹き飛ばす。廊下いっぱいに解き放たれる魔力の奔流はリアを押し流し壁に穴を開く彼方まで飛ばし…飛ばし、全てを奪う。
「諦める気があるか?…いいえ、僕は諦めませんよ。友達の為なら…どんな奴だって倒して見せますから」
「おおー…すげぇー、状況はまるで分からんけど流石ナリアだな…で俺何してたんだっけ?」
全てが吹き飛ぶ。ナリアの前にある廊下も何もかも、そこにリアの姿はなく…圧倒的な魔力に吹き飛ばされ、視界の中にはいない。
勝利だ…勝てたんだ、勝って締めの決め台詞まで言えた…よかった。
「はぁ〜、よかったあー…勝てたぁ〜…」
「おう、お疲れナリア」
「ラグナさぁ〜ん、目が覚めてよかったです〜!」
「やっぱ俺寝てたか?いやぁなんか幸せな夢を見た気がするんだよなぁ、エリスが俺の頭を掴んで水溜りに沈めようとする夢」
「も〜!どこが幸せなんですかぁ〜!」
ラグナさんも目が覚めた、リアも倒せた、考える限り最高の終わりを迎えられた…よかった。
よかった…助けられたんだ、友達を…!
「リアだよな、さっきの。悪いな…なんか不甲斐ないことになっちまって」
「いえ…いえ!いいんです…ラグナさんが無事なら。ラグナさんはいつも助けてくれますから」
「そうかい?俺もお前にゃいつも助けられてるよ」
ありがとな?そう言いながら頭を撫でてくれるラグナさんに、僕は泣きそうになる。今度は情けなさからではない…ラグナさん達の友達として恥じない戦いが出来た自分へ誇らしさから。
よかった、本当によかった…僕は友達として、みんなを……。
「ところでデティは何処だ?」
「あ………」
ふと、ラグナさんの言葉を聞いて思い出す。そういえばデティさんは何処に行ったんだ?反射した風を受けてフラフラとどこかに吹き飛ばされて…それで。
ま、まずい!
「こ、こっちです!こっちに吹き飛ばされました!」
「リアにか!?」
「すみません!僕がぶっ飛ばしました!」
「だははっ!マジかよ!」
「笑い事じゃありませーん!」
大慌てで走り出す、デティさんが吹き飛ばされた方向に向けて。すみませんデティさん…すぐに助けに行きますから!
……………………………………………………………………
「フォルテッシモ・マグナム!!」
「ぅグッッ!!」
痛烈な一撃が腹を打つ。大木の様な私の体が枯葉の様に吹き飛ばされる。私とは比べ物にならないくらい小さな体に秘められた力は凄まじく、ザリザリと靴の裏で地面を擦りながら滑る。
…強い……!
「ッハハハハ!どうしたんだい大きな君よ!この程度かい?いいや違うはずだ」
「ペッ…、当たり前…!」
膝を吐き、少しでも体力を回復させながらも私は立ち上がる。
……空魔の館を舞台に繰り広げられる魔女の弟子達とファイブナンバーの全面決戦。広大に広がる空魔の館の地下…その中でも最も深度の低いその部屋で戦うのは。
「ではまだやろうかい?私はまだまだ行けるよ、ネレイド・イストミア」
「あはは、無敵のチタニアに勝てるならね〜?」
「……無論だ、チタニア…!」
神将ネレイド対ハーシェルの影その三『破壊殺』チタニア&その四『本命殺』オベロン。…そう、ネレイドはこの絶対強者を前に二対一の戦いを強いられていた。
それでも果敢に戦うネレイドだったが、既に体はボロボロ…満身創痍。対するチタニアはその頬に軽い擦り傷がある程度、ネレイドでさえチタニアには擦り傷ひとつ与えるのが精一杯…というわけではないのだ、ないのだが…。
「あぁ〜ん、チタニア〜、カッコいいお顔に傷が出来てるわ〜?」
「本当かい!?オベロン!?」
「本当よ〜!はい!私特製のポーション、使ってね?」
「テンキューッ!うう〜んオベロンの愛が詰まったポーションは効きが違うね」
隣に立つオベロン、ポーション作りの天才と呼ばれる彼女はひたすらにチタニアのサポートに回っている、少し傷をつけただけでポーションを飛ばしてチタニアの傷を癒してしまう。完全にイタチごっこだった。
攻撃役のチタニア、サポート役のオベロン。どちらも超常的な使い手だというのに…二人揃うと完全に手がつけられない。
けど…それでも私は引くわけにはいかなかった。
「……ッ!」
「おや来るかい?いいとも!かかってきなさい!」
全身に力を込めて駆け出す。負けられない。この戦いは負けられないんだ、私が負けたら誰がペイヴァルアスプを止める!私の方には今…無辜の人々の命が乗っているのだ。
「カリアナッサ・スレッジハンマー ッ!」
叩き込む、一気にチタニアを狙い巨大な拳を叩きつけるネレイド。しかし既にそこにチタニアの姿はなく。
「ハッハー!愚鈍ッ!」
空高く飛び上がるチタニアは私の頭の上を通過する、…逃がさない!
「待て…!」
「させないわ〜!『瞬間硬直ポーション』!」
「ぬっ!?」
高く飛び上がるチタニアを追いかけて手を伸ばそうとするが、その瞬間オベロンがポーションの瓶を私の足に投げつける、するとぶち撒けられた白い液体は即座に粘り気を持ち鳥もちの様に私の足を地面に縫いつけチタニアを追うのを阻止する…と同時に。
「クレッシェンド・ショットッ!」
「がぁっ!?」
上から叩き落とされる様に繰り出されたチタニアの蹴りが私に膝をつかせる、チタニアの攻撃は一々痛い…脳髄に来る。細身な体をしておきながらモース大賊団二番隊の隊長アスタロトを遥かに上回る身体能力を持ち…攻撃の鋭さならモースさえ上回ると言ってもいいだろう。
「クッ…まだまだ…」
「もう終わっておきなさいよ〜『グレープ爆弾』〜!」
まだ負けられないと立ちあがろうとした瞬間、またもオベロンの横槍が飛ぶ、グレープの様に無数に連なる小さな瓶、そこに込められた赤と青のポーションが私にぶつかり弾けると共に。
────炸裂する。
「ごぁ…ぁ…!?」
無数のダイナマイトを目の前で炸裂させられた様な爆撃に襲われ、ネレイドの体はあっという間に黒煙と煤に塗れ、よろりと揺らめき…。
「フォルテ・アッパーッ!」
痛みを覚える暇さえなく、目の前に飛んできたチタニアの拳がネレイドを捉え、鈍い音を立てて吹き飛ばす。身長差がある相手を軽々と吹き飛ばす程の一撃を受けネレイドは地面を転がり…倒れ伏す。
「ハッハッハー!また勝ってしまった様だよオベロン!」
「流石はチタニアだわぁ〜!やっぱり私達無敵よね〜!」
「これなら私達も本気を出す必要はなさそうだね」
「私達が二人揃えばどんなやつにも負けないわ」
「う………」
負けられない…負けられないのに、勝てるビジョンが全く見えない。チタニア…オベロン…どちらか片方を取っても凄まじい使い手なのに、こんなのが二人がかりで挑んできたら…流石に勝てない。
せめて私にも…誰かいてくれたら……。
「さぁ、勝負を決めようか…」
「ええ、そうねチタニア……ん?」
「どうしたんだい?オベロン」
「何か聞こえないかしら?チタニア」
「うん?おや?何か聞こえるよオベロン」
「何かしらこれチタニア」
「分からないよオベロン」
するとチタニアとオベロンは二人で耳を澄ませ、耳元に手を当て音を聞く。何が聞こえる?…確かに、何か聞こえる。
『ィィ─────────』
甲高い音…何か、ブレーキ音の様なもの?いや…違う、これは……。
『ィィイーーーーーーヤァァーーーーーー!?』
(…悲鳴?)
悲鳴だ、悲鳴が聞こえる、どこから?上からだ…上には何がある?排気用のダクトがある…まさか、あそこから?
ゴンゴンと反響する悲鳴が上から近づいてくる、何が来る…一体何が起こっていると皆で上を向いて注目すると、それはまるで降り注ぐ様に…排気用のダクトを突き破って現れる。
「ぎゃぁぁあーーーーーー!!!!???」
「女の子!?」
人間だ、それも子供…小さな茶髪の女の子が錐揉みながらいきなり降ってきた、彼女はもうすんごい汚い悲鳴を上げながら排気用のダクトから降り注ぎ部屋の真ん中に墜落する。
降ってくるその姿に、私は見覚えがあった…スローになる視界の中彼女は大地の上をのたうち回りながら立ち上がる。
…子供じゃない、彼女なんて他人行儀な呼び方は出来ない…なんせ彼女は、私の……。
「いてて…うう、あれ?ここ何処?リアは?ん?どういう状況…ですかね〜…これは」
「デティ!」
「え?あ!ネレイドさん!?」
デティフローア・クリサンセマム…私の友達にして、まさしく天の助けだった。
「え?え?なにここ本当に…これ…どう言う状況なのさーーーー!?!?」
響き渡るデティの叫び、ネレイド対チタニア&オベロンの戦いの場に乱入して来たデティフローアにより…、ネレイドは勝利を確信する。
彼女が居てくれるなら…勝てる!でもなんで上から降って来たんだろう…。




