513.魔女の弟子とただ、生きているだけで
『ステュクスは一旦オケアノス様の様子を見に行ってくれる?クルス様が亡くなって彼方も大変だと思うから』
レギナにそう言われた時、俺は上手く返答出来たか…今は思い出せない。ただ…呆然とていた、昨日からずっと。
トボトボと歩く、レギナの元を離れてオケアノスさんの居るであろうエルドラドの霊安所へと。クルス・クルセイドが死んだから…オケアノスさんの様子を見に行ってほしい、クルスの部下でもあったオケアノスさんもまた少なからぬ精神的動揺を受けているだろうから。
けど、悪いけど…本当の事言ったらダメなんだろうけど、本音を言うと…どーでもよかった。
俺が今…気にしているのは。
(…トリンキュローさんが、死んだ?)
昨日、聞かされた話だ。トリンキュローさんがエルドラドに来てることも知らなかったし、クルスの家にいたのも知らなかったし、ピンチである事も知らなかった。
そして、全てが終わってから…あの燃え盛る館の中でトリンキュローさんが死んだ事を聞かされた。その時俺はただひたすらに…現実を拒絶することしかできなかった。
(嘘だろ…なんかの冗談だろ、実はどっかで生きてんだろ…なぁ…)
気がつけばポロポロと涙が溢れてきた。トリンキュローさんは俺にとって大切な人だった、小さい頃…一緒に修行をつけてくれた、不器用ながらに料理を作ってくれたりいろんな話を聞かせてくれたり。
ちょっとイタズラ好きで、それでいて優しいあの人が…死んだ?嘘だろ。だって俺…あれから一度もトリンキュローさんに会ってないんだぜ?信じられないよ。
「なんで…こんな事になったんだ…?」
ラエティティアに続いてトリンキュローさんまで…、次々と人がいなくなっていく。こんなの異常だ、普通じゃない。
何かの間違いだ、何かの間違い…夢か…悪夢か。
「なんでなんだよ……」
歩きながら自分の手を見る。そんな事ってないよ…折角強くなってきたのに、少しは戦えるかもしれないと思えてきたのに。俺の手の届かないところで大切な人が死んでしまうなんて…そんなの受け入れられるわけが────。
「ステュクス…?」
「ッ…!?師匠!?」
気がつくと俺の足は…エルドラドの霊安所へと辿り着いていた。エルドラドの外れの墓地にある遺体安置所、その入り口に…ヴェルト師匠がいた。
この人の顔を見ると、いやでも思い出す。俺とヴェルト師匠とトリンキュローさんの三人で過ごした、あの幼年期の日々を。
「ッ……」
「トリンキュローの件か…」
「…はい」
「……正直、俺もショックだよ。まさか…手の届く範囲にアイツがいて、そして…死んだなんてな」
師匠とトリンキュローさんの付き合いは俺より長い、でも師匠は俺みたいに悲しまず…ただ霊安所の扉の前に立ち腕を組んでいる。その頬に涙の跡はない。
悲しくないわけないのに、この人は…強いな。
「師匠…俺……」
「…気にするな…とは言えんが、それでもアイツは覚悟の上だった。今はそう信じることしかできない」
「………でもショックです」
「そうだろうな、それでいいんだよ。人が死んでんだから」
そう言いながらヴェルト師匠は霊安室の扉を開け、中を覗き込む。ここには遺体が安置されている…という事は。
「もしかして、ここにトリンキュローさんが?」
そう聞くが、師匠は静かに首を横に振り。
「いや、居ない。アイツの遺体は…回収出来なかった」
そっか…あの爆発じゃ仕方ないか。…でもそれじゃあ、お墓を作ってやることも出来ないよ。なんであんな優しい人がこうも惨たらしく死ななきゃいけないんだよ…。
「だが、彼はいる」
「彼…?もしかして、クルスですか?」
「ああ、…彼もまた昨日亡くなった者の一人だ。なんのかんの言いはすれど死を望む程嫌っていたわけでもない。何より…彼はまだ若かった、やり直す機会もあっただろうに、それが奪われたことは残念でならない」
クルスは嫌な奴だ、多分アイツが王貴五芒星ではなくその辺のチンピラだったとしたら、俺は殴っていたかもしれないくらい嫌な奴だ。そこはラエティティアと同じ、でもどんな嫌った人でも死んしまえばそこまで。
墓にまで嫌悪感は持っていけない、何より師匠はクルスの護衛だったんだ、忸怩たる思いもあるだろう。
「オケアノスさんは?」
「こっちだ」
すると師匠は特になにも聞かず首でついてこいと合図すると共に霊安室へと入っていく。俺もそれについていきつつ霊安室の階段を降る。
降って、道なりに進んで、また降って、そのまま真っ直ぐ進んで横に曲がってとかなり奥まで進んだあたりで、とある一室に案内される。
そこには…。
「失礼します」
「…………」
部屋の中には、オケアノスさんがいた。黙ったまま…棺桶の中に目を向け、突っ立っていた。いつも元気で明朗快活な彼女がまるで彫像のように棒立ちになっていたんだ。
「あの、オケアノスさん…大丈夫っすか?」
「…ん?ああ、ステュクス?どうしたの?こんな所に来て」
「い、いや…大丈夫かなーって確認しに来ただけで…」
なんて声をかけると驚くくらいいつもの調子で振り向いてオケアノスさんは対応してくれた、無理に元気を出してるって感じでもないな。…悲しくないのかな。
なんて思いながら俺も隣に立ち、棺桶の中を見ると…そこには、見知った顔が眠っていた。
「クルス…」
クルスだ、身綺麗に体を清掃され、安らかな顔で眠るクルスが棺桶の中に横たわっていた。声をかけたら起きそうなくらい…綺麗な体だ。
これで、死んでるのか…。人ってのは、生命ってのはなんなんだろうな。体がどれだけ綺麗でも、失われればそれは二度と戻らない。形があるわけでもないからか直せず、こうやって視覚的にも確認出来ない。
命…その不可思議さと理不尽さを改めて痛感させられる。
「綺麗な顔でしょ、私が綺麗にしたんだよ」
「そうだったんですね…、えっと…」
「うん、ボン…クルスと私は仲良くなかったよ。クルスは私の事嫌ってたし…なんなら捨てようともしてた、そんな奴の体を綺麗にしてやる必要はないって言いたいでしょ?」
「いや、そこまでは言いませんけど…」
クルスとオケアノスさんの仲は良くなかった。それは関係の浅い俺でも分かった。けど…やっぱり身内が死ぬと辛いよな。
「確かにクルスとの仲は良好じゃなかった、けど…私とクルスは浅からぬ因縁ってやつでね。これ内緒だけど私もクルスも同じ孤児院の出身なんだ」
「へぇ…ん?孤児院?クルスはクルセイド家の人間では?」
「うん、だから内緒なの、ややこしい話だしクルスはその件知らないからね。私はまだ小さいクルスを抱えてアデマール様の所へ行き、そこで二人で育った…幼馴染よりも…姉弟よりも関係の深い他人、それが私とクルスだった」
「…………」
「最初は純情で可愛らしかったクルスもいつしか酒と女に溺れて、私の事も奴隷みたいに扱うようになって…、最近じゃ喧嘩ばっかりだったけど…それももう終わりかーと思うと、ちょっと寂しくてね」
「当たり前ですよ…死んでるんですから、どれだけの関係でも…死んだら…」
「そう、終わり。…けど終わってから思い出したんだよね。私はクルスの事を守ると誓ってアデマール様の元へ向かったということを。どれだけ嫌われても側にいたのはクルスを守る為だって…でも、結局守れなかった」
「………」
なにしてたんだろうなー私、そう語りながら一見能天気に見えるような仕草で伸びをするオケアノスさんの言葉の節々から感じるのは、悲しみでも悔しさでもなく…困惑。
これからも続いていくと思っていた関係がパッタリと終わってしまった事にオケアノスさんはまだ困惑してるんだ。
無常だな…なんていうか。
「………ん?」
ふと、クルスの体を見ていると、恐らく彼の致命傷になったと思われる傷が目に入る。胸だ…右胸に刺し傷がある。
これで心臓を一突きにされたのか…?
(…なんか、妙だって感じるのは今の俺の感覚がおかしくなってるからか?)
なんだかこの傷に違和感を感じる。クルスは森の中で屠刃会って言うやばい組織に襲われたんだよな。そして襲われた理由は金品を持っていたからで、それを奪う為に相手はクルスを殺したと…。
…にしては、あまりにも正確無比すぎやしないか?
(森の中だろ、しかも夜。なのにこんなに的確に心臓だけを一突きに出来るもんか?普通はもっと盛大にぶった斬ったりするもんじゃないか?)
そりゃ魔視眼とか魔術を使えば心臓の位置を暗闇でも探り当てる事はできる。だがそれは最初から殺すつもりだった場合の話だろう、それに…なんていうか。
(心臓以外の傷がないのも変だ…クルスは抵抗しなかったのか?)
こうやって体を見渡してみると、胸以外に傷はない。森の中で抵抗したらもっとあちこち傷がついてそうなのに…。
(これじゃまるで最初から動かなくなったクルスを、後から刺したみたいだ。だけどそれも妙だし…そもそも本当に死因はこの傷なのか?)
変な違和感、だがそれが答えに繋がる事もなく、まるでささくれみたいに気持ちの悪い感覚だけを残し霧散していき────。
『クルにゃーーーん!!』
「うぉっ!?」
瞬間、室内に響き渡った絶叫に思考が停止する。な…なんだ!?
「うへーーん!」
「誰っすか!?」
声の主は俺たちに遅れて入ってきた女の人だ。金の髪にダルダルの袖口、何よりびっくりするくらいの美人とデカい胸、絵に描いたような助平な美人がワンワン泣きながら部屋に入ってきて棺桶に抱きつき始めたのだ。
不審者?追い出した方がいい?とオケアノスさんに目配せすると。
「この人はクルスの奥さんのクルセイド夫人。名前は…えっと、オフィーリア・ファムファタール…だっけか?」
「オフィーリア…この人がクルスの奥さん」
アイツ…こんな美人な奥さんが居たのかよ。なんか…急に同情する気が失せてきたな…。
「うへへーん!悲しいよクルにゃーん!どうして私を置いていっちゃったのー!このままだともしかすると私未亡人になっちゃうかもしれないよ〜!」
「オフィーリアちゃん、ごめんね…貴方の旦那さん守れなかった…」
「ううー、本当だよ〜、どうして守ってくれなかったの〜!」
メソメソと泣いているオフィーリアさんを見るとなんだか申し訳なくなる。そうだよな…この人からしてみれば最愛の人を失ったわけだし、そりゃあ悲しいか…。
なんかイマイチ気の抜ける声をしてるから、なんか悲しい感じが全然伝わってこないけも…。
「うう、私これからどうしたらいいの〜」
「とりあえず、会談が終わり次第東部に戻りましょう。それからどうするかを決めていきます…それでいいかな、オフィーリアちゃん」
「うん、いいよ。オケアノスちゃんにお任せする。それでぇ?この子だぁれ?ウチの関係者じゃないよね」
すると、即座に立ち上がったオフィーリアが次に見るのは俺だ、…え?俺?いや俺か、この場で俺だけ神聖軍の関係者じゃないし。
「あ、えっと…俺、ステュクスって言います。レギナ陛下の近衛騎士で…」
「女王の近衛騎士…ふーん、聞いた事ないや」
「まぁこの間なったばかりの新入りなもんで」
「ふーん、…あーあ、クルにゃん死んじゃったのショックだよ〜…館も無くなっちゃったし、私今日どこで寝たらいいの〜」
うへー…俺に全然興味ねーでやんの。自己紹介してもまるで見向きもしない…いや見向きしてほしいかと言えば別にそうじゃないが、なんというか…こう。ザ・我儘女って感じだなぁ…顔はいいけど、これなら俺はカリナみたいな面倒見のいい人がいいなぁ。
「はぁ、…ごめんねステュクス、折角きてくれたけど私はこれからオフィーリアちゃんをホテルまで送っていくよ」
「あ、はい。俺も顔色見にきただけなので」
「あはは、大丈夫だよ。ショックだけど泣き喚いたりしないよ、そういう資格もないしね。んじゃ、また後で〜」
「ふへーん」
そういうなり気の抜ける声を上げたオフィーリアさんを連れて霊安室から出て行くオケアノスさんを目で見送り、一息つく。
なんかとんでもない人だったな…。
「あれがクルスのお嫁さんなんですね…」
「…………」
「師匠?」
「え?あ?なに?」
「いや…ボーッとしてどうしたんですか?」
「別になんでもいいだろ」
とは言うが、なにを見てたんだ?オフィーリアさん?まさか師匠…オフィーリアさんに惚れてんのか?トリンキュローさんと言うものがありながら…。
トリンキュローさん…。
「はぁ…」
「どえしたよ、またため息か?」
「いや、なんていうか…エルドラドに来てから死が身近にあるような気がして、憂鬱というか」
プロパから始まり、ラエティティア、そしてトリンキュローさん。どんどん俺の身近に死が迫っているような気がして物凄く嫌だ、なんていうか…俺の世界が壊れて行くような気がする。
人々はずっとそこに居て、変わることのない世界がずっとそこにあると思っていた。けれど人とは簡単に死ぬし…簡単に居なくなる。俺の信じていた世界って…思っていたよりも脆い物なんだなって、そういう風に感じるんだ。
「死ってのは、身近にあるもんさ。ある日突然…唐突に訪れる。時として来ることが分かっている死もあるし、それに対してなにも出来ず失うこともままある…」
「…師匠」
「そういうのを振り払う為に、人は剣を取るのさ。少なくとも俺は…それを信じる為に剣を持ち続けている、もう誰かを失いたくないから…けど、また失っちまった」
「…………」
「けど、よかったんじゃないか?」
「へ?」
ふと、師匠の顔を見る。マジで言ってんのか?なにもいいことはないだろ、人が死んでるのに…いいことなんて何も…。
「聞いた話じゃ、トリンキュローは最後に妹に会えたらしいじゃないか、ずっと会いたがっていた妹に。出来ればその後も平穏な日々を過ごして欲しかったが…それでも、再会できた」
「ッ……」
妹…そうだ、トリンキュローさんはずっと言っていた。自分には妹がいるって…そして。
『私には妹がいるんです、ステュクスくらい小さくて…ステュクスよりも泣き虫で、可愛い妹が』
師匠との修行の合間に聞かされた話。師匠の家の庭先でお茶を飲みながら…二人で並んで話をした時、聞かせてくれた話。
当時それを聞かされた俺は、ちょっとだけ嫉妬した。トリンキュローさんは俺にとって姉のような存在だったから、俺以外の誰かを妹として愛するあの人を見て嫉妬したんだ。
けど…。
『今は会えない、けどいつか必ず…私はあの子と再会する。それを誓って私は今も生き続けている、それだけが今の私の生きる目的。…そこはお姉さんと再会する事を願っているステュクスと同じですね』
その顔を見て、すぐに嫉妬は消え去ったんだ。あの人の目は本気だったから…本気で妹を愛していると分かったから。だから俺はいつか旅に出て姉を見つけ出したらその次はトリンキュローさんの妹を探そうと心に誓っていた。
それを…思い出した。
「メグさん…」
メグさんが、トリンキュローさんの妹…あれだけ探してきた妹がメグさん。
…そうだ、何落ち込んでるんだ俺は。見ただろ、燃える館を見て泣き崩れるメグさんの姿を…!
(俺が悲しいと感じる以上に、メグさんはもっと悲しんでいるんだ…!)
トリンキュローさんがメグさんを愛したように、メグさんもまたトリンキュローさんを愛していた。
なら、今俺がするべきはなんだ。一緒に悲しみに暮れることか?…違う。トリンキュローさんが愛しいつか探し出そうと誓っていた彼女の妹を、守ることじゃないのか!
「すみません!師匠!俺ちょっと行くところが出来ました!」
「お?おう、そうか。…行ってこい!」
「はい!」
走り出す、もうトリンキュローさんはいない、もうあの人を守ることは出来ない。けど…あの人の残した物を守ることは出来るはずだ!!
そう考えたらもうジッとしてられない。俺は弾かれるように走り出し霊安室を飛び出す。彼女の妹…メグさんのところへ。
教えてあげないと、メグさんに。メグさんがトリンキュローさんと一緒にいる時間を奪ってしまった俺が、トリンキュローさんに代わって…妹への気持ちを、教えてあげないと!
………………………………………………………………………………
…私は、生きる意味を失った。
もう何も残されていない。父を失い、母を失い、故郷を失い、そして最後には姉を失った。もう私を愛してくれる人は誰も残っていない、私は一人…この世に残されてしまった。
…何度もフラッシュバックするのは、遠ざかる姉の顔。燃え盛る館の中、炎に消えて行く姉の姿。何よりも愛する私の姉…トリンキュローの最後の光景。
救えなかった…私が未熟だから救えなかった。私が油断していたからか救えなかった。あれだけ再会を望みあれだけ助けると誓っていた姉を助けられなかった。なら…私の今までの人生は何だったんだ?
そんな暗い考えに支配されると、世界もまた薄暗く…色を失って見える。
「───────」
隣で誰かが何かを言っている。でも目が動かない、耳も聞こえない、何も…感じない。
(これじゃあ死んでるのと同じだ、こんな思いをするくらいなら…私もあの場で死にたかった。姉様と一緒に…炎に包まれたかった)
もう生きていても意味なんかない、生き続けても私はもう二度と姉様には会えないのだから。あれだけ私を守ってくれた姉様を今度は私が守ろうと…あれだけやってきた努力も全部水の泡。
…全てが、穢されてしまった。私が今まで組み上げてきた『人生』と言う名のキャンバスが泥水の中に沈んでいくのを感じる。
「─────」
ずっと誰かが何かを呼びかけている。白黒の世界の中で何かが動いているのが分かる、けど…それが何かはわからない。
嗚呼、苦しい…こんなことならもう、死んでしまおうか。
……いや、前もこんな事があったな。
『マーガレット、諦めてはダメ…』
これは、姉様の声だ。
『今は苦しいかもしれない、辛いかもしれない、けどいつかきっと…貴方は救われる。私 だって貴方は愛されているのだから』
私があの空魔の館に囚われていた頃の話だ。毎日行われる地獄の責め苦を前に辛くて心が折れてしまった時、姉様はまるで私が苦しんでいると分かっていたかのように…現れて、一晩中一緒にいてくれた。
『生きるの、生きて生きて…最後まで進み続けるの。そうすればきっと未来は晴れて行く、だから…ね?私と…お姉ちゃんと一緒に生きよう?』
私はその言葉に励まされて、姉様を信じて、生きる決断をした。あの日は姉様も依頼が終わった後で疲れていただろうに。一睡もせず私に付き合ってくれた。
そんな姉様の優しさが、愛が、嬉しかった。愛されているんだと感じられたから…愛してくれる姉様が居るから生きようと思えたんだ。
でももう、そんな姉様も居ない…もう居ないんだ。
……死んでしまいたい。
「──────」
「──────!」
「───」
…何だか騒がしい、目の前で…何か言い合っているのかな。でももう私には何にも関係が───。
「────トリンキュロー──」
「…え……」
フッと視界が明るくなる、姉様の…名前?
「ッ…反応した!」
「メグさん!分かりますか!?」
同じ顔が…目の前に二つある。いや違う…これは。
「エリス様と…ステュクス様?」
「はい!」
「よかった…もう反応出来ない物かと」
「………………………」
二人とも私を心配してくれていたのか、申し訳ない。けど…私はもう立ち上がれそうにない、姉様との再会と言う生きる目的を失ってしまった以上。私はこれ以上生きていける気がしないんだ。
「……メグさん、よく聞いてください。返事はしなくても大丈夫です、ただ…聞いてくれれば、それで」
「………………………」
ステュクス様が、目の前に座って…私を見据える。私はそれに反応せず…出来ず、ただ呆然と膝を抱える。
「…実は俺、トリンキュローさんと…知り合いでした」
「……………」
「アジメクで起きたオルクスの乱、知ってますよね。それに参加していたトリンキュローさんは俺の師匠…ヴェルトと一緒にアジメクを抜け出して、その後このマレウスに来たんです」
そこは知っている、ヴェルト様とステュクス様が師弟だったのは知らなかったが、ヴェルト様と姉様が一緒にマレウスに来ている事自体は知っていたんだ。
帝国でレグルス様から聞かされていたから。しかしそうか…ヴェルト様と師弟の関係なら…姉様とも知り合いか。
「……ソレイユ村で、師匠と一緒に居たトリンキュローさんには、幼い頃とてもお世話になりました。はっきり言って…俺もあの人が亡くなってしまった事はショックです、気持ちは分かる…とは言いませんけど」
何が言いたいのだろうか、話が見えないな…。というか…ズルい、姉様と一緒に暮らせていたなんて。私がどれだけ望んでも手に入らなかった物を…この人は。
「分かります、ズルい…って言いたいんですよね」
「……………………」
「でも、俺も貴方に嫉妬した事があります。俺もトリンキュローさんが好きだった…けど、あの人はずっと俺を見ていなかった。あの人はずっと…ずっとずっと貴方を見ていたんですよ」
「…………姉様が…?」
「そうです、マレウスに逃げ延びてもあの人はスピカ暗殺を諦めていなかった。それはいつか必ず貴方の居る場所へ戻ると決意していたからです、それを…何度も俺に聞かせてくれた。『愛する妹のいる場所にいつか必ず戻ってみせる』と」
「………」
…姉様は、マレウスにいた時も私の事を…。そりゃそうだよ…だって私は姉様に愛されているから、私も姉様を愛しているから、遠慮なく言えば…そうなんだ。
きっと、殺されると分かっていても空魔の館に戻ったのも…私に会う為で…。
「ずっとずっと…言っていました、妹の為に生きると…そんな貴方に嫉妬したこともありましたが、今は思うんです…トリンキュローさんにとって生きる目的は『貴方の未来の為』だったんだって」
「……それは私も同じです、私にとっても…姉様は生きる目的で…」
「違います、トリンキュローさんは貴方に…生き続けて欲しかったんです。愛していたから、例え身を犠牲にしても…!貴方の未来を作り上げたかった!」
「……そんなの、他人の貴方に言われたくない!お前に何が分かる!姉様の何が───」
瞬間、ステュクス様に肩を掴まれ、顔を近づけられる。その顔は…。
「分かるに決まってんだろ…!俺がどんだけアンタの話聞かされたか分かるかよ…!妹の髪は綺麗だって話を、妹の笑った顔がどれだけ可愛いかって話を、妹の声がどれだけ愛おしいかって話を、妹を…どれだけ可愛がっているかって話を。あんたが想像するよりもずっとずっと…トリンキュローさんは愛していた。メグさんの未来を望んでいた!」
「未来を…」
「…俺がこんな事言うの、お門違いかもしれませんけど…メグさん、生きてください。トリンキュローさんは…きっとそれを望んでいた、いや…トリンキュローさんだけじゃない。ここにいるみんな…メグさんに生きてほしいと思ってるはずです」
「みんな…」
「だからお願いです、俺の記憶の中にあるあの人の…希望を断たないでください、あの人はずっと言っていたんです。『ただ、生きてくれていれば、それでいい』と!」
ふと、目を向ければ…周りにはエリス様の他に、ネレイド様やナリア様もいた。みんな私を見ている、心配そうに見てる。
…姉様は、言っていた。私に生きろと…生き続けろと。それはこの残酷な世界で私だけ孤独に生きろと言う意味ではなく……。
「メグは居るか!」
「うぉっ!?なんすか!?」
「む?ステュクス?」
瞬間、扉を跳ね飛ばして入ってきたのは。メルク様だ…いやデティ様も一緒?…二人とも何処に行っていて。
「ちょっ、メルクさん。話は終わったんですか?」
「ああ、話自体は直ぐに終わった、だが少しやることがあってな…遅れた」
「え…っていうか、何ですかその格好」
「今は何でもいいだろ、そんな事」
よく見れば、メルク様の格好は煤だらけだ。デティ様も全身炭だらけで二人とも真っ黒だ。その格好でメルク様は私の前にやってくると。
「メグ、私の声は聞こえるか?」
「メルク…様」
「すまん、本当はもっと…君に出来る事があればよかったんだが、こんな物しか…見つけられなかった」
そう言ってメルク様が手渡してきたのは…銀の留め具だ。ベルトを抑えるのに使う小さな小さな留め具…。
……いや、これは…空魔のメイドが使う留め具?もしかして…。
「さっき、クルス邸の跡地に行ってきた。せめて…メグの姉君の遺品でも見付かればと、探し回ったんだがな。金滅鬼剣士団が粗方探して何も見つからなかったという報告があった以上、やはり大したものは見つからなかった」
「それで…炭だらけになって…」
「メルクさん、もうそりゃあ無視してね…。焼け落ちたばかりでまだ灰も熱をもってるだろうに、炭だらけになりながら必死に探し回ったんだよ…まぁ、私もだけど」
「だから私の事はいいと言ってるだろデティ。…何も見つかりませんでした、全て消えてしまいました…では、死を悼む事も出来ん。せめて形になる物だけでも見付かればと思ったが、すまん。それも損傷が激しくて錬金術で多少修復したんだ。だから同一の物かと言われれば形而上学的に正しいとは言えんが…」
「…………」
わざわざ、そんな…見つかるかも分からないのに、姉様の遺品を…?
私の為に、メルク様とデティ様が…。
「何で…」
「なんでも何も、当たり前だろ。君は三年間私の為に尽くしてくれた、友として相棒として…私の仕事をバッグアップしてくれた。そんな君に私も恩を返したいんだ…例えどんな些細なことでも」
「…………」
「例えこれが、私の自己満足の気休めだったとしても…それでも、私は君の…生きる理由を見つけたい、それを与えたい」
呆然と小さな留め具を眺める。もう何も残ってないと思っていたのに…姉様がこの世に生きた証は、何も残ってないと思ってたのに…。
「ッ……」
もう出し切ったと思われていた涙が溢れてくる。悲しくてじゃない…嬉しくてだ。私は姉様の死を悲しむばかりで姉様の残した物に目を向けていなかった。それを…メルク様が掬い上げてくれた、その事実が…今は嬉しかった。
「…今は泣いてもいい、だから───」
『メグーッ!いるかー!』
「だあーっ!?今私がいいこと言おうとしてる最中だろうに!」
すると今度は別の人間が扉を跳ね飛ばして入ってくる。その声はメルク様の言葉を掻き消しドンドンと音を立てて私の元まで走ってきて。
「悪いメルク!でも今急いでんだ!…ってメグ!お前泣いて…」
「アマルト様…?ナリア様も…」
入ってきたのはアマルト様とナリア様、そしてその手には…。
「ごめん、俺お前のためにしてやれること色々考えたけど…これくらいしか思いつかなかった。食いたくなければそれでいい、けど…」
「これは…パスタ?」
「ああ、この城の厨房貸してもらって作ったんだ。…どうだろう」
そう言ってアマルト様が私の前に置いたのは、パスタだ。…うん?この匂いは…。
「ペペロンチーノ…お前が好きな唐辛子をうんと使った。昨日作ってやれなかったからな…だから、その…えーっ…と」
「アマルトさんはこれ食べたらメグさんが元気になるかもしれないって、一生懸命作ったんです!昨日そう言ってましたし」
「いや…ナリア、別にこれで元気が出るとは思ってねぇよ…けど」
ペペロンチーノ…唐辛子が塗されたそれを私の前においたアマルト様は、膝に手を置いて蹲る私と目線を合わせる。
「アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ…別名を『絶望のパスタ』って言うんだ。なんでか知ってるか?」
「……いいえ」
「いやまぁ諸説はあんのよ、絶望するくらいどん底にいても作れるパスタとか、絶望的に辛いパスタとか…でも」
そう言ってフォークを私に手渡すアマルト様、それに促されるように私の手は…自然とペペロンチーノを巻いて、口に運び始めていく。思えば昨日は一度も食事を取っていなかった。何も食べていなかった。
お腹が空いていたんだろう、その事実にようやく気がついた私は…食欲がないながらも何かに突き動かされるようにそれを口に運び、食べる…。
「…美味しい……」
「ああ、絶望のパスタ…その名の由来は『絶望していても、美味しく食べられるパスタ』…ってのもあるんだってよ」
ピリリと辛い、それでも辛いだけではなく奥に旨味を感じる巧みな作り。美味い…辛い…美味い。舌を焼くような辛味を味わいながらも私は黙々とパスタを食べ続ける。こんなにも絶望しているのに…こんなにも美味しいなんて。
…噛み締めれば湧いてくる辛味は舌を刺激し、ともすれば痛いとさえ感じさせるその感覚は…私に教えてくれる。私はまだ、生きていると、死んでいるも同然だが生きていると。
姉様の言った通り…生き続けていると。
「絶望してもいい、泣いて蹲ってもいい、皿いっぱいに盛られた絶望を前に…諦める事もあるだろう。けど…生き続けていけばいつかきっと、その皿は空になる筈だ」
「………」
「だから食いつくせ、絶望を…」
気がつけば、私はペペロンチーノを食べ尽くしていた。見えてくるのは綺麗な皿の底。絶望の名を冠したパスタを食べ尽くした私を見て、アマルト様はしかと頷く。
いつか、誰かが言っていた。食べるとは生きること。明日も生き続けると決意を固め世界に挑戦状を叩きつける事だと。私の心は…絶望に塗れている、けど体は自然と生きる道を選んだ。
「………辛すぎです」
「あぇっ!?分量間違えた?俺が?張り切りすぎたか…」
「でも、美味しいです…」
美味しい…美味しい、…懐かしい味だ。
…私は元々、辛いのが好きではなかった。昔父が食べていたチリソース入りのサンドイッチを食べたのがトラウマで、私の中で辛い物は嫌な物として認識されるようになり…悪戯で姉様に食べさせた事もあった。
そんな私が辛い物を好んで食べるようになったのは…あの人の影響だった。
『ん?私と同じ物が食べたいのか?…やめておけ。多分だがお前の口には合わないぞ』
どう見ても普通ではない量の香辛料でガチガチに固めたステーキを食べていた…ルードヴィヒ将軍にそう問いかけたのが始まりだった。あの人曰く『疲れてると何を食べても味がしない、これくらい味が濃くないと美味しくない』とかどう考えてもヤバい発言をしており、いつもそんな物ばかりを食べていたんだ。
私にとってルードヴィヒ将軍は第二の父だ。あの人の真似をしたくて食べ始めたんだ。
(初めて、あの人と同じ物を食べた時…ルードヴィヒ将軍は凄い顔をしてたなぁ)
ハラハラと私の顔色を伺って『辛かったら水を飲んでもいい』『別に食べ切らなくてもいい』『体調が悪くなる』とかいつにも増して口数が多くなって…私を心配してくれたんだ。
あの時は心配してくれた事が嬉しくて、尊敬するルードヴィヒ将軍に近づけた気がして嬉しかったが…。
そうか、私………。
『私は皇帝陛下にお前を預かっている身だ、健康を害されては困る…それに、……私としてもお前が苦しむ姿は見たくない』
私…愛されてたんだな。
「………やっぱペペロンチーノじゃダメかな」
「ダメに決まってますよアマルトさん!これ唐辛子いくつ入れたんですか!」
「二十個…」
「劇物ですよ!」
「うるせぇなエリス!じゃあテメェが代わりに食えー!」
「絶対嫌です!」
「お前達騒がしいぞ!メグの前で騒ぐなら外行け外に!」
「メグ…大丈夫?水持ってくる?」
「…………」
ふと、気がつくと…私の前にはみんながいる。姉様はいない…けど。みんながいる。
「メグいるかー!」
「今度はなんだ…ってラグナ!?お前出撃は!?」
「その前にメグの顔見にきた…ってなんてモン食わせてんだよ!」
「うう、非難轟々で悲しいぜ俺は、お前ら知ってんのかよ…これ作るのに俺がどんだけ苦労したのか、言って聞かせてやろうか!」
「ラグナ様……」
すると今度はラグナ様がやってきて…。私の前に立つ。
「メグ、悪い。俺…アマルトみたいになんか作ってやる事も出来ないし、エリスみたいに側にいてやる事も出来なかった」
「…………」
「だから、俺はここに誓う…勝利を」
拳を突き出し、ラグナ様は…ニッと歯を見せ笑う。
「お前にとってジズは憎い相手だっただろう。姉を取り戻す為に乗り越えねばならない障害だっただろう。…ハーシェルとの戦いはお前個人にとって、大切な戦いだっただろう」
「………はい」
「…だが、ここからは違う。ジズは俺の…俺達の友達を傷つけ泣かせた、俺達はその涙を今目の前で見た。ならもうこれはお前だけの戦いじゃない…ここからは本当の意味で、俺達の戦いになった!だから勝つ!勝利する!何がなんでも…ジズを倒す事をここに誓う!それを言いに来た!」
「…ラグナ様……」
「お前は一人じゃねぇんだ。ここに居る全員巻き込んでくれ、メグ」
周りを見回す…みんなが私を見てる。私一人の為にみんながここに居てくれる。
…そうか、そうだった。何を思い違えていたのだろう、私を愛してくれているのは…もう姉様一人じゃないではないか。
エリス様が居る。ラグナ様が居る。デティ様が居る。メルク様が居る。
アマルト様が居る。ナリア様が居る。ネレイド様が居る。ステュクス様が居る。
…そこに、私は居る。
「みんな……」
生きていれば、救われる、愛されているから…救われる。そうか、姉様…そうだったんですね。
…嗚呼、私って……ずっと色んな人に愛され続けてるんだ。もう姉様は居ないけれど、姉様が作ってくれたこの未来は私を愛している。父様も母様も故郷もない私だけど───。
「ってか急に来てなんかいい感じに纏めたけどラグナまだ何もしてないよね」
「なんでそんな辛辣なこと言うんだデティ…!俺だってなぁ!メグの為に何か出来ないかずっと考えてたの!でも結局俺戦うことしか出来ないから!だから戦うことにしました!」
「ずっと戦ってるじゃん!それに私達だって同じ気持ちだから!」
「そうだよ!なんかフツフツと怒りが湧いてきたぜ。コーディリアの野郎…!ぜってぇ許さねー!」
「うん、今度こそ…勝とう」
「あの人達。メチャクチャ強かったです。八大同盟って言われるだけのことはありました、けど…僕!負けませんから!」
───独りじゃないんだ。私の為に泣いてくれる人がいる、私の為に怒ってくれる人がいる、私の為に…笑ってくれる人がいるんだ。ここだけじゃない、帝国にも…何処にでも、居るんだ。
「エリスも!」
その瞬間エリス様は私に抱きつき、目を輝かせる、涙や希望に満ちた瞳で…私を。
「やります!メグさんが望むなら!何にでも挑み!戦います!一度や二度の負けや絶望なんか跳ね除けて!勝ちます!逆境も絶望も叩き抜いて不屈の魂で貴方の為に戦い続けます!だから…!メグさーん!生きて下さい…!」
「エリス…様……」
おんおん泣きながら抱きつくエリス様を見て、…私の中に生まれ始めた答えは、確かな形を得る。
(……姉様、そう言うことですよね)
留め具を抱きしめ、涙を拭う。今も悲しい、世界は今も色を失っている、この絶望はきっと消えることはない。
けど、その悲しみを分かち合い、世界を彩って、絶望を希望に変えてくれる友達が近くにいるのに、全てを諦めるのは早いんだ。私が諦めなかったから…みんなはこうして側に居てくれるんだ。
つまりはそう言うこと、姉様の言った…生き続けろとは、こう言うことだったんだ。
なら……姉様に残された私がするべきは。
「皆様ーーッッ!!」
「うぉっ!?おう?どうした…メグ!」
「私…私!」
立ち上がり、拳を握り、みんなに向けて…改めて言う。言うまでもないのかもしれないけれど、言う。私の決意と覚悟を…確かなものにする為に。
みんなに伝える、伝えなきゃいけないんだ。
「私…みんなの事が、大好き…!だから…お願い、もう誰も…居なくならないで…!私を一人にしないで。ずっと…ずっと一緒に───」
「当たり前です!」
瞬間、エリス様が私から離れ…皆と共に並び立ち、親指を立てる。言うまでもない…とばかりに。
「エリス達はずっと一緒です、この戦いが終わっても、旅が終わっても、全部片付いても、大人になっても、歳をとってみんな皺くちゃのお爺ちゃんお婆ちゃんになっても!喧嘩しても仲直りしてもどんな事があっても!絶対に!ずっと一緒です!友達…ううん、親友だから!」
「ッ…みんな!」
「だから…生き続けましょう。みんなで!」
…噛み締める、留め具を握り締め…友達によって彩られる世界を噛み締める。私にはまだ…こんなにも思ってくれる友達がいるんだと。親友達が私を愛してくれるのだと。
失われた物も多くある、けど…それ以上に、私は今…愛に満たされている。
「はいっ!」
「よっしゃー!なんか気合い入ってきたー!」
「メグさーん!」
「メグ…強い子だね…貴方は」
「メグ!おかわりいるか!実はペペロンチーノ作りすぎてさ…」
強く立つ私を見て、みんな楽しそうに喜びを表現する。私を愛してくれているから、みんなも喜んでくれる。
ただ、生きてくれているだけでいいんだ。
(姉様…ありがとう、私は…貴方の作ってくれた世界を生きていきます。例えもう会えなかったとしても…私は、貴方の愛と言葉を抱えてこれからも生き続けます。それが…貴方の妹としての生き方ですから)
さぁ…落ち込むのはここまでだ。
前を向くぞ!
「さぁ皆さん!私はこれから…ウッ!」
「どうしました!?メグさん!」
「なんか…お腹痛くなってきました」
「ペペロンチーノだ!」
「ペペロンチーノだよ!」
「ちょっとトイレ行ってきますので、皆さんで喜んでおいてください…」
「え、俺達だけで?…主役不在で騒げるか?」
取り敢えず、トイレ行ってからこれからの事を考えよう。
…………………………………
「ふぅー、トイレットトイレット…スッキリしました。絶望とかも全部出ていったのでもう元気ですよ」
「ノンデリの極地みたいな事言わないでくださいメグさん」
ふきふきと自分の顔がプリントされた謎のハンカチで手を拭きながら室内に戻ってきたメグさんは爽やかな顔でエリス達に微笑みかける。
先程まで声を出す事も出来ないくらい落ち込んでいたメグさんももうすっかり元気…。
…って、訳ではないんだろう。彼女の中にはまだ悲しみが残ってる、あんな事言ってるけどまだ絶望や恐れは残ってるんだろう。本当はまだ笑えるくらい立ち直った訳じゃないんだろう。
そりゃそうだ、姉を失った悲しみを忘れることは出来ない。彼女はきっと永遠に泣き続けるんだろう。
けど…。
「さて、では皆様のご期待にお応えして…次なるハーシェルの影との戦いに備えていきましょうか」
…メグさんは戦い前を向き、生きていく覚悟を決めたんだ。エリス達はただその覚悟の隣に立つだけ、それがエリスの役目なんだ。
あの時、トリンキュローさんを置いていったエリスの…永久の責任なのだ。
「さて、まず何から話しましょうか」
「ああ、ちょっといいか?実はさっき呼び出された時の話を共有したい」
「呼び出された時の話?」
「ああ、そういやメグはその時は居なかったな…、ともかく聞いてくれ。状況はかなりやばい」
そう言ってラグナはいくつかの話を切り出し始めた。
まず…クルスが死んでいた事。そこについてはステュクスも補足とばかりに死亡の確認を行ったらしく彼は胸に剣を突き立てられて死んでいたらしい。正直これだけでも驚きだが…。
更に今この街は包囲状態にあるらしく、ジズの傘下である十万近い軍勢が睨みを効かせているらしい。この街から誰も逃さないつもりなのだろうとラグナは言っている。
また、一応マレウスの将軍マクスウェルもまた合流したらしいが…これに関しては正直どうでもいい。知らない人だし。
そんな話を諸々聞いたメグさんは静かに腕を組み。
「ふむ、なるほど…どうやらあの話は本当のようですね。恐らくジズはここで決める気なのでしょう」
「あの話?」
彼女は思いを馳せるように目を伏せる。あの話…そう切り出したメグさんは今も握り続けている留め具に目を下すと。
「…ジズの狙いは『国家転覆』です。あの館で…エリス様が来る直前にエアリエルがこれを肯定しました、ジズはこの街でマレウスの政府機能を完全に停止させるつもりなんです」
「え…えぇっ!?それマジかよ!誰かを暗殺したがってるとか…そんなレベルじゃなくて」
「狙いはそもそもマレウスそのもの!?…でっかい話になったなぁ…」
ジズの狙いは『マレウスと言う国家の転覆』にあると言い出したのだ。あまりにも荒唐無稽な話、だがどうしてだろうか…嘘や冗談には思えない。
「そもそもマレフィカルムのバックにはマレウス王政府があるようです、なので彼はそのバックアップを断つつもりでマレウスを狙っているようです」
それはジズの行動が語っていた。ジャックさんやモースさんを使ってこの国に損害を与えようとしていた彼の行動の答えとしては最も納得のいく形だ。ジズがマレフィカルムに叛旗を翻そうとしていることは聞いていたからね…。
だが、そうか…マレウス王政府はやはりマレフィカルムと繋がっていたか。そうエリスが納得し始めるとステュクスが顎に手を当てて。
「それ…多分元老院だ」
「元老院?」
「マレウスのバッグについてる存在ってやつさ、マレウスの裏の支配者のことだよ」
そう言い出すんだ、元老院。あまり聞き馴染みの無い名前だな…いや元老院自体は知ってるけど、マレウスにもあったなんて知らなかったな。
「まず言っとくがレギナはマレフィカルムと関わりはないからな。あの子はマレフィカルムの活動そのものにも辟易している」
「疑ってませんよ、別に」
「けど元老院は違う。ネビュラマキュラ元老院はレギナと敵対している組織…裏からレナトゥスを操るマレウスの真の支配者だ。奴等ならマレフィカルムに対しても支援は行うだろう」
「なるほどな、つまりジズの狙いは元老院と?だがこの街に元老院は…」
「……いや、レギナは元老院の手で選ばれている。当初は元老院が自由に動かす為の傀儡政権を作り上げる為に玉座に座らされたんだ、多分外野から見ればレギナは元老院の代弁者に映ると思う…つまり」
「元老院の動きを封じる為に、まずはレギナ殿を狙うか…つまり奴らがこの街でやろうとしている事は、国王レギナ・ネビュラマキュラを殺しこの国の執政を麻痺させ元老院の動きを封じ、国をひっくり返すつもり…と」
確かに、今この街は国をひっくり返すのには最適な状態だ。貴族も王族も残らず揃ってるからな、ここを吹っ飛ばせば全部終わる。
そうか…ジズはマレフィカルムへの叛逆の手始めとしてまずマレウスを潰すつもりなんだ…!なんで奴だ、関係ない人間も山ほどいるのに…イカれてる。
「なるほどね、つまりジズにとってエルドラドの戦いは重要な分岐点。だから手持ちの戦力全ツッパで来てるってか、正直納得だわ…しかしメグ。そんな話よく聞き出せたな」
「…姉様が、エアリエルを誘導尋問して聞き出してくれたんです。あの時はその意図が理解出来ませんでしたが、多分姉様は私がこの先ジズと戦う事になると予感して、せめて情報を残そうとしてくれたんだと思います」
留め具を眺め、感謝する様に目を瞑り…メグさんは自分の髪飾りに留め具を差し込み固定する。
なるほど、トリンキュローさんはメグさんがジズと戦えるように目的を聞き出してくれていたんだな。…にしても。
「最悪ですね、コーディリアや軍勢に加えてあのエアリエル。あんな強い奴まで来てるなんて…」
「それだけじゃねぇよ、外にはチタニアっつーバカ強え奴も居た。正直カイムよりも何倍も強かった…俺とネレイドとナリアの三人がかりでもまるで止まらない、しかもあれで三番手…マジでヤベェぞ、戦力のレベルが今までの比じゃない」
「エリアエルにチタニア…この分ならアンブリエルやオベロンも来ている可能性が高いですね。つまり…最早敵はコーディリア達だけに留まらない、相手は世界最強の殺し屋集団の最高戦力ファイブナンバーである可能性が高い」
ファイブナンバー…ずーっと言われてたけど。とんでもない強さの連中だ、コーディリア達でさえそこらの組織では最強を張っててもおかしくないレベルなのに、そんな奴を抑えて頂点に立つてるなんて…。
「ファイブナンバーは内四人が魔力覚醒を習得しています。その強さは帝国でも問題に上がっており…総合的な戦力では大いなるアルカナのアリエを超える物と思われます」
「アリエ…ってあれだよな、エリスが数年がかりで一人一人倒した…」
「はい、全員とんでもない強さの怪物達ばかりです。もう一回戦えって言われたらエリス泣きながらジタバタします」
「そんなにか…」
少なくとも、エリスはエアリエルにシンと同じ気配を見た。威圧一つとってもシンと同等、実力や技量に関しては恐らく当時のシン以上だ。
そしてその下にいる連中も当時のアリエ達以上…、ただでさえ強かったアイツらよりも更に強い奴が、今度は束になってかかってくる。当時は一人一人…間を置いて戦えたからよかったが、いつぞや夢の世界でまとめて相手にした時は手も足もでなかったな。
「ですが恐る事はありません、私も…ハーシェルの影との戦いを想定して集めていますから、情報をね!」
にまーっ!と笑いながら五枚の資料を取り出すメグさんは、そのままベッドの上にそれらを並べる。しかしハーシェル関連に関してはやはりとても準備がいいな。
「恐らく奴らと戦うことになるのは避けられません。なので皆様にはこの資料を熟読していただきたく…」
「どれどれ…」
コーディリア達の時のように五人の名前と詳細が書き込まれている資料をみんなで回し読みする。
基本的な情報としては…。
「ハーシェルの影その五番…『月命殺』のミランダか」
「ミランダは私よりも後に加入した子ですね、当時は真っ先に死にそうな感じを漂わせていたのに…随分出世した物です」
「強いのか?」
「弱いですよ」
弱いんかい…。
「ですが狡猾な女です。見た目は黒いおかっぱのチビでほっそりとした感じだったと思います、彼女の最大の武器はなんと言ってもその頭脳と超強力な魔眼能力です」
「魔眼?クレシダみたいな特異魔眼か?」
「いえ、彼女は超遠方まで見渡せる遠視の魔眼と全てを透過する透視の魔眼、そして全てを捉える魔視の魔眼を操る魔眼士です。その魔眼を操り室内から各地に指示を出し対象を見張ったまま部下に暗殺させる方法を好んで使います」
「陰険だな…」
「ええ、盤上の駒を動かすように相手を死に至らしめる事からついた渾名は『死亡遊戯』。魔力覚醒は会得していませんが…恐ろしい女です」
戦闘能力自体は低いが、それでもコーディリア以上の実績を積んだ恐ろしい殺し屋か。エリス苦手なんだよなぁこう言うタイプ、殴り合いで決着がつくならそれでいいが頭でっかちな理論を並べられるとつい手が出てしまうんだ。出来れば戦いたくないな。
「そして次が四番、『本命殺』のオベロン・ハーシェル…。暗殺対象…つまり本命以外誰も殺さず確実に仕事をする真面目な殺し屋です」
「殺し屋って普通そう言う物では?」
「ってか爆弾で全員殺そうとしてたよな…」
ナリアさんとアマルトさんの突っ込みが飛ぶ。まぁ殺しをしようとしている時点で本命しか殺さないもクソもない訳だが…それより。
「オベロンって、あの爆弾作った奴だよね?」
「…はい」
あのポーション爆弾を作り上げたポーション作りの天才。トリンキュローさんの死因となった物を組み上げた張本人か…。
「許せないよ…私そのオベロンって奴許せない!ポーションは人々を救う為にある物なのに、それで人の命を奪うなんて…アジメクの主として決して許容出来ない!」
デティは怒りを拳に溜めて振り上げバタバタ暴れる。デティとしては面白くないだろう…なんせ今出回っているポーションの管理はアジメクがやってるからね。
ポーションは人々の助けになっている、時には命さえ助けることもあるしエリスもポーションに助けられた回数は数え切れない程にある。そんなポーションで…人の命を奪った。許し難い蛮行と言わざるを得ない。
「オベロンは無数の違法ポーションを扱う危険な奴です、その上魔力覚醒まで会得していると聞きます」
「内容は?」
「分かりません、奴は基本的に争いを避ける傾向にあるので滅多に自分の手で戦いません。戦う時は…彼女が代わりに戦います」
そう言って前に出されたのは、一枚の書類。そこに書き込まれていたのは。
「ハーシェルの影その三番『破壊殺』のチタニア…」
「あの時、…館の前にいた奴」
「はい、ハーシェルの影で唯一執事服を着る歌舞伎者にしてハーシェル屈指の実力者です。こいつはオベロンの筋肉増強ポーションを常用し肉体的超人になった怪物です」
ネレイドさん達が三人がかりでも止められなかったと言う奴か。もうそれだけでシャレにならない。
アマルトさん達曰く、その体は剣を弾き返す鋼の硬度を誇り、拳の一撃で魔獣の鱗を引き裂き、凡ゆるを受け付けない無敵の体を持っていたと言う。まるでラグナだ…ラグナと同じ事が出来るやつが、向こう側にはいる…か。
「それに、奴は卓越した錬金術の使い手でもあります」
「何?錬金術だと?」
「はい、私も詳しくは知りませんが、彼女はその戦闘法を『肉体複写』と呼んでいるとか…」
「肉体複写…まぁ検討はついた。だがだとすると相当厄介だな、私が考え得る限り最悪の組み合わせだ」
…エリスもなんとなく分かった。昔同じ錬金術を見た事がある…それもあのフォーマルハウト様が使っていた物だ、その錬金術を使い試食に手傷を負わせていた。それを肉体的超人のチタニアが使うか…。
「まぁそちらの話は後で聞くとして、次はこちらです。正直誰がエルドラドに居る…と言う話より彼女がここに来ている可能性があると言う事そのものが最も厄介と言えるでしょう」
そう言ってメグさんが渡してくる資料、そこに書かれた名は…。
「ハーシェルの影その二番『暗剣殺』のアンブリエル。またの名を『完全模倣』のアンブリエル…彼女は一度見た人間の動きや癖、声に至るまで全てを模倣し成り代わる事が出来る特異な才能の持ち主です」
「完全に成り代わる…?」
エリスとアマルトさんはチラリと目を見合わせる。そりゃあまた…なんだか聞いたことのある話だな。プリシーラさんの護衛の時襲いかかってきたあの変身魔術持ち…、今思えばアイツは悪魔の見えざる手の一構成員にしてはやけに高度な技術を持っていたな…。
…まさか、アレって…。
「どうされました?エリス様アマルト様」
「いや、もしかしたら俺たち…それ見てるかもしれない」
「えぇっ!?」
「…パナラマの街だ、ほれ話したろ?やけに変装の上手いやつが至って。そいつ…ナリアでも見抜けないくらい完璧に俺達に成り代わってたんだよ」
「ナリア様でも…それは恐らくアンブリエルですね、と言う事は奴等…随分前から私達に気がついて…?」
だとしたら厄介だ。アイツの変身能力はエリスやナリアさんでも見抜けない…そんなのが今エルドラドに居る?
…最悪だ、いつ誰に成り代わられてもエリス達は気がつけない可能性が高い。それが身内なら確かめる方法もあるが、兵士に紛れ込まれたら本当に探しようがない。
「アンブリエルは脅威です、凡ゆる変身を可能としまた凡ゆる武術魔術の模倣も可能とする達人でもある。こいつが今エルドラドに居る事自体が脅威なのです」
「…対策を考えないといけないな。いや…下手したらもう既に誰かに成り代わってるのか?だとしたらマジで手の内ようがない…、ナリアでも見抜けないんじゃ誰にも見抜けねーよ」
「……エリス、お前偽物じゃねーの?」
「試してみますかアマルトさん…!」
今ふざけてる場合ですか…!殴り回しますよ!
「アホなこと言ってないで、次です!と言うより最後…」
「エアリエル・ハーシェルね…、こいつが向こう側の最強なんだろ?」
エアリアル…目を閉じれば浮かび上がるアイツの無機質な顔。はっきり言ってアイツだけ格が違った、コーディリアが百人に増殖してワラワラ向かって行っても全く勝負にならない、そんな雰囲気を感じた。
アレは手がつけられないくらい強い、エリスの歴戦の直感が言っている。
「はい、もしジズが死んだらエアリエルがそのまま空魔を引き継ぐと言われている程に彼女の実力は高いです。戦闘能力面ではもう殆ど差がないと言われています、百年近く殺しの技を磨いてきたジズにたった十年ちょっとで追いついた…本物の天才です」
「そう聞くとえげつないな、エリスはこいつと戦ったんだろ?」
「戦ったと言えるほど奴の技は見てません。ただ…不可思議な攻撃をされました。魔術ではなく…影が飛んできて、全部吹っ飛ばして…」
「なんじゃそりゃ…」
「それがエアリエルの技…『御影阿修羅』です」
「御影阿修羅?」
「はい…御影阿修羅、と思わせぶりに言いましたがすみません、何にも知りません」
「なんかあんまり役に立たない資料ですね、これ。名前くらいしか書いてないじゃないですか、何聞いても何にも分からないし」
「ガーン!」
分かったのは名前と見た目、後得意としている戦いの呼ばれ方くらい。詳しいことは何にもわからないじゃないですか…と言った瞬間。
「おい…エリス」
「メグさん落ち込んじゃいましたよ…!」
「あ!すみません!メグさん!」
「うう…メソメソ…私だって頑張ったんですよぅ。でも情報とか殆ど無くて…それでも必死に掻き集めた情報なのに…エリス様酷い」
「ごごっ!ごめんなさい!」
ま、まぁうん。確かに仕方ないよね、わからなくても。だって相手は殺し屋だもん、調べて辞書に載ってるような物でもなし、情報が少ないのは仕方ない。
うんうん、だからそんなあからさまに落ち込まないでー。
「まぁ…はい、エリス様と言う通り…殆ど分かりません。彼女達の真の恐ろしさはその秘匿性。なので奴等と戦う時は奥の手に注意してください、五人中四人が魔力覚醒を使えますから…」
「そうだな、これに加えて外には軍勢か…さて、どうするかね」
ラグナは資料を流し見て、椅子に腰を下ろして外を見る。エリスも一緒に外を見る、…すると空の向こうに大きな影が見える。
…アレは、雨雲かな?結構遠くにあるけど、ここからでも見えるってことは、明日は酷い雨になりそうだ。
「ともかく、俺は今から護衛を率いて外の包囲網を突いてみる。成果はあまり期待しないで欲しいが…まぁ、何もしないよりはマシだと思う」
「エリスも手伝いますか?」
「俺だけでいい、…とりあえず。メグと一緒にいてやれ」
「…はい」
チラリとメグさんを見るとメグさんは資料を片付けながら、神妙な面持ちで髪止めを…そこに取り付けられた留め具を触りながらエアリエルの名前を見つめている。
…相手のことは何もわからない、けど…それでもエリス達はこいつら全員倒して、ジズもぶっ倒してやらないといけないんだ。
この戦いはもうメグさん一人の戦いではない、エリス達の友達を泣かせたクソヤローに生まれてきた事を後悔させるための戦いになったのだから。
…奴等は会談中に仕掛けてくるはずだ。そしてその会談も残り僅か。
決戦は近いのかもしれない。




