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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十五章 メイドのメグの冥土の土産
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512.魔女の弟子と友達だから


エルドラド会談四日目……


昨日は色々あったとラグナは振り返る。あれやこれやとラエティティアの死について会談で色々言われたり、交流競技会で大騒ぎしたかと思えば地下で爆弾が見つかって、ハーシェルの影を追い返したかと思えば次はクルス邸で爆破事件。


とても一日で起こったとは思えない密度だ…そして何より。


「…メグは大丈夫そうかな」


今日は会談がない、それに加えて特に予定もない。最近毎日予定が入りっぱなしだったが今日は完全に一日フリーなんだ。夜に何かあるわけでもない、だから暇…ってわけでもないんだが。


俺達はみんな居住区でもある分塔の一室に集まり話し合う。内容は…当然メグの件だ。


「大丈夫なわけねーよ…姉貴が死んだんだぜ…」


「そうだよな…」


アマルトが窓辺に座り外を眺めながら呟く。そう、メグの件だ。昨日俺達はハーシェル一家と戦いその末に…メグは唯一の肉親である姉トリンキュローを失った。それも目の前で、彼女は姉を探していた、彼女の生い立ちから考えるに…恐らく唯一残された家族だったんだろう。それを半生を掛けて探し…その結果がこれだ。


あれからメグは姿を見せていない、話も出来ていないし…正直どんな話をしていいかも分からない。だから俺達はこうしてやきもきするしかないわけだが。


「はぁ…」


「………」


「………メグさん」


部屋の中にいる魔女の弟子達の中に暗い空気が漂う。ナリアは昨日一睡も出来ておらず酷い顔で壁際に立っているし、ネレイドも顔には出していないがかなりメグの事を気にしている。


メルクさんは静かに怒り、目を伏せたまま動かないし。デティは神妙な面持ちで色々と考えている…、アマルトはさっきも言った通り怖い顔で外をずっと見ているし、エリスに至ってはこの場にはいない、多分メグと一緒にいるんだろう…。


全員がメグの事を考えている、彼女の為に出来る事はないかを考えている。勿論…俺もだ。


「…はぁ〜…」


正直言えば、忸怩たる思いだ。昨日の戦いは結果としてハーシェル一家の目的を挫くことは出来た、だがその結果メグの姉を失った。俺達がもっと何か…考えて行動していればこうはならなかったんじゃないか、そんな思考に脳みそが支配される。


しかし、残酷な言い方をすれば…こういうものなのだ、そもそも俺達は『試合』をしているのではなく『闘争』をしている。ここ最近は快勝に快勝を重ねてきたから忘れがちになっていたが、そもそも俺達の戦いは命をかけたもの。


その過程で、命が失われることはままあるだろう。それが嫌なら最初から戦う道など選ばなければいいのだ、が…ンな事言ったっても人が死ねば悲しいし知り合いの不幸は苦しいものだ。だから…俺達はこうも悲しんでいるんだから。


「……ラグナ、どうする」


「どうするって…メグか?」


「違う、ハーシェルの影達だ。聞いた話では奴等はまたも逃げたという…とくればまた何か仕掛けてくる。気を抜いたら次はもっと多くを失う可能性がある、早急に次の手立てを考える必要がある」


「ああ…それは」


確かにそうだ、戦況を見れば大局に影響はない。となればコーディリアはまたメグを狙うだろう、もしかしたら次はこの城を狙って大規模な破壊をしてくる可能性がある。悲しんでいる暇はないのかもしれない…。


が、ピシャリと言い切ったメルクさんに…思うところがあったのかアマルトは窓から目を離しこちらを睨むと共に。


「おいメルク、今は敵のことより味方のことじゃねぇのか…!メグが悲しんでんだ、そっちを優先するべきじゃねぇのか!」


「なら今我らに何が出来る、メグの姉を生き返らせる事が出来るわけでもない…!気休めの言葉を投げかけてそれであの子が満足するのか!なら今我等は我等のするべき事をする!そうしなければまた命が失われる!」


「なら今のメグを放っておくのかよ!今のままじゃメグは自分で死にかねないくらい落ち込んでるんだぞ!誰かを守ってダチが死ぬくらいなら俺ぁ誰も守らねぇ!」


「そうは言ってない!ただ物事には優先順位というものが…」


「ダチより優先するものがあるかよ!」


言い合う、二人とも怒声をあげ立ち上がり吠え合うように言い合う…。アマルトの言い分も分かる、メルクさんの言い分も正しい。けど…。


「やめろ!二人とも!」


「ッ…ラグナ」


止める、今…ここで言い合う事に…意義を見出せない。


「アマルト、落ち着け。メルクさんは何もメグがどうでもいいと言ってるわけじゃないんだ。お前だって分かるだろ…」


「そりゃ…そうだけどよ」


「メルクさんも落ち着いてくれ。言い分は分かるが言い方ってのがある、友達想いのアマルトの気持ちも汲んでやってくれ」


「そう…だな、すまなかった。アマルト」


「いや、俺が過敏になりすぎた…」


…嫌な空気だな、みんなの見ている方向がバラバラだ。これじゃ纏まって動く事もできない…。


ハーシェルの影は恐ろしい存在だ、人を人として見る当たり前の倫理観が欠如している。次に何をしてくるのか…道徳を持ち得た瞳では読みきれない。おまけに保有する戦力も凄まじく魔女の弟子が一丸にならなきゃ太刀打ち出来ないのに…。


全員、ナーバスになり過ぎだな…。いやそれは俺もか。


『ラグナ様、よろしいですか?…の顔』


「ん…?」


ふと、部屋の扉をノックされかけられた声に反応し振り向く。この声…エクスヴォートか。


昨日はうちの最強の護衛グロリアーナ総司令と真っ向から戦い最終的にタイムアップで引き分けに持ち込んだ猛者だ。結局試合開始と同時に爆弾探しに駆り出された所為で観戦できなかったがそりゃあもう凄い戦いを繰り広げまくってたらしい。


そんな戦いの翌日だというのに、もう動いているのか。流石はマレウス最強の存在だ。


「どうした?」


『レギナ様がお呼びです。色々考慮する事はあるでしょうが緊急事態です、早急にお話がしたい…と』


「緊急事態?まだ何かあったのか?」


『はい、本来ならば六王様に聞くべきことではないのかもしれませんが…あまりの事態にどうしたら良いか分からないと…』


「マジかよ、クソッ…先手打たれたか?」


メグの件もある、だが事態は動き続け休まるところを知らない。なら俺達もそれについていかなければならないだろう。故に俺達はみんなに目配せをする。


するとアマルト達はコクリと理解を示すように頷いてくれる、ありがとな…みんな。


「よし、じゃあメルクさん、デティ、ついてきてくれ。なんかあったらしい」


「ああ、…そうだな」


「今行くよ、じゃあアマルト…もしメグに何かあったら」


「分かってる、メグの事は任せろよ…ここまでされてんだ、これ以上ハーシェルの影に好き勝手させんなよ」


「おう!」


軽く拳を作ってアマルトに突き出せば、アマルトは笑う…無理に笑う。いつもみたいな気楽さはないがそれでも彼は笑う事を選択してくれた。それは彼は悲嘆に暮れる事をやめる決意を固めた事を意味するのだろう。


ならば今はその強さに甘える事にする。頼んだぞ…みんな。


…………………………………………


それから、俺達は部屋を出てエクスヴォートの案内でゴールドラッシュ城の会議場へと連れて来られる。今日は会談は無いはずなのになんで連れて来られたんだと聞ける雰囲気ではなかった。


エクスヴォートが纏う空気は、非常に神妙かつ刺々しく彼女の言う『緊急事態』が余程切迫詰まった物である事が分かる。


そんな妙な空気の中、俺とメルクさんとデティの三人は会議場へと入る…すると。


「あ、ラグナ様…」


「レギナ殿…ってイオ達は?」


「呼んでいません、全員をここに集めるのは…危険だと判断したので」


「?、そうか…」


会議場へ入ると既にレギナが居た。いつもみたいに席に座らず立ち尽くすように佇んで。その隣にはステュクス…そして。


(おいおい、これじゃ会談と何にも変わらねーよ)


周りにはほぼ全員と言っても差し障りない数の貴族達が集められていた。その様は昨日の会議と変わらない、いや…昨日の交流競技会の事を引きずっているからかかなりピリピリしているように思える。


…貴族がいるって事は、当然王貴五芒星もいる。昨日お世話になったトラヴィス卿に不遜な顔つきのチクシュルーブ、昨日は爆破事件の後処理で忙しそうにしていたロレンツォ様にまるで双子みたいな他人アドラーとメレク…カレイドスコープ卿も揃っている。


だが…。


(クルスの姿がねぇな。元はと言えばアイツがハーシェルを招き入れたからこんな事態になってんだ…顔合わせたら一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、流石に顔は出さないか)


ハーシェルと手を組んでいたクルスが居なかった。まぁ出せるわけがないのだが…ふと気になる。アイツあれからどうしたんだ?館に戻ったまでは知っているがその後が分からん。


まさか館の中に残ってたりしてないよな。ハーシェルも流石に協力者までは殺さないだろ…多分。いや分からん、ラエティティアの件があるし…いやいや、縁起でもないこと考えるのはやめよう。


「随分と…重苦しい空気だな、何かあったのか?」


「メルク様…実はその、先程報告がありまして…」


「報告?なんのだ?」


「…それは本人から、お答えしていただくとします。入りなさい!」


そう声を張り上げるレギナを見てふと思う。昨日の一件、イオとの交流があってからなんだかレギナの様子が幾分改善されたように思える。愛国心や祖国を思う気持ちに自覚が芽生えたからか…徐々に王様らしい風格を纏い始めているな。


なんて他所事を考えている間に、レギナに呼ばれた者が会議場の扉を開いて入ってくるんだ。


「失礼します、女王陛下」


(…誰だアイツ)


入ってきたのは見たことのない男だった。深緑の礼服…いや軍服か?そいつを着込んだなんとも神経質そうなメガネ男だ。エルドラドに来て四日…あんな奴は一度として見た事がない。


それに、気になるのはその男が着用している上着…に縫い付けられた勲章。確かあれはマレウス王国軍の物に似ている、が…あんな豪勢なものは見た事がない。まさかマレウス王国軍でもかなり上位の役職持ちか?


「マクスウェル、ここに来て先程の話を…」


「……御意」


男の名はマクスウェルと言うらしい、堂々と目の前に来て報告しろと言うレギナに一瞬目を細めると彼は大人しく会議場の中心、俺達の前にやってくる。


誰なんだろう…と思っていると、ステュクスが颯爽と近づいて来て。


「この人はマクスウェル・ヘレルベンサハル。マレウス王国軍の将軍です、多忙につき会談には遅れて参加する予定だった人で昨日の夜エルドラドに到着したらしいんです」


と耳打ちで説明してくれる、なるほど…こいつがマレウス王国軍のトップか。エクスヴォートは最強ではあるものの最高の軍人ではない、寧ろ実力に似合わず階級としては異様に低いと言っていい。


そんなエクスヴォートに代わり軍の統率を行うのが…この男、マクスウェルと言うわけか。


「気をつけてくださいラグナさん、マクスウェルはレナトゥスの右腕…つまりレナトゥス派や反魔女過激派の最先鋒です、オマケに実力はエクスさんとどっこいって噂です。戦ってるところを見たわけじゃないっすけどなんでもマレウス最強の双璧の一角だとか」


「うへぇ、そりゃあまた面倒そうなのが加わったな…」


ここに来て面倒臭さの権化みたいなのがエルドラド入りしやがったな。レナトゥスとつるんで魔女大国相手に喧嘩売ろうとしてる反魔女過激派の一角…オマケに実力も超一級ときたもんだ。


今更になってこんな厄介なのがエルドラドにやって来ていたとは。


「お初にお目にかかります、六王様…。お会いできて光栄です」


「こっちも光栄だよ、マクスウェル将軍閣下。マレウスのトップなんだって?」


「ええ、精強なるマレウス王国軍のトップをレナトゥス様より任されています、これよりは私も皆様の護衛に加わるべくこうしてエルドラドを訪れたのです」


「そりゃ結構、で?俺達を集めたのはこの将軍を紹介するためか?」


とレギナに聞いてみるとレギナは険しい顔で首を横に振る。するとそれに応えるようにマクスウェルが唐突にこんな事を言い出した。


「昨晩、王貴五芒星の一角神司卿クルス・クルセイド様が遺体で発見されました」


「は…はぁっ!?」


「なんだと!?」


「クルスって…あのクルス?嘘でしょ…なんで!?」


突如としてもたらされた情報に思わず声を上げてしまう。死んだって…クルスが?クルスが死んだのか?確かな情報なのかそれは…。


どうやらこの情報が与えられていたのはレギナ達だけなようで、周囲の貴族もどよめき始め一気に場は混乱してしまう。


「どう言う事だ!クルス様が亡くなられたと!?事実なのか!?」


「何故死んだ!殺されたのか!」


「順を追って説明致します。まず周知の通りクルス様はハーシェルの影と結託しエルドラドで暗殺事件を起こしていました」


クルスがハーシェルと組んでいた、そこは周知の事実なんだな。いやまぁそりゃもう誤魔化しが効くとかそんな段階ではないよな。盛大にクルスの館が吹き飛んで金滅鬼剣士団が駆り出されて大騒ぎだったもん。隠し事をした方が不審というものだ。


「その事実が発覚したクルス様はどうやら単独でエルドラドを脱出したようです。マレウス貴族界に於いてハーシェルの影などの指定一級危険組織は関わりを持つだけで即処断ですのでそれを恐れてのことだと思われます」


「つまりクルスは一人でエルドラドの街を出ていたと?」


「はい、そして…エルドラドの郊外にある名のない森の中で反魔女組織『屠刃会』と遭遇し、殺されたようです」


「ちょっ!ちょっと待て!待て待て待て、いやいや?待てよ!反魔女組織?屠刃会?そんな名前聞いたことないぞ?そんなのがエルドラドの森の中にいたって?熊や猪じゃないんだぞ…第一なんでそいつらの仕業と分かる」


屠刃会?聞いた事もない反魔女組織だ、それこそ今の今までこの騒動に関わって来てすら居なかった組織が何故今になってエルドラドの郊外に居た、それも森の中に。逃げたクルスがそれと遭遇して殺された?…なんでそんな話になってるんだ。


殺したのはハーシェルの影じゃないのか?なんだこれ、訳がわからない。


「私も屠刃会と遭遇したからですよ、このエルドラドに到着する寸前に。そのせいで私の部下は全滅…まぁ私は乗り切れたのでヨシとしますが、その際クルス様の遺体を発見しました」


「マジかよ…」


「屠刃会はマレフィカルム所属の組織で、尚且つジズ・ハーシェルの傘下の組織です。ジズの下でジズに敵対する者達に攻撃を仕掛ける所謂荒事担当武闘派の輩集団です。それに金銀財宝を持ったまま出くわせばそりゃあそうなるでしょう」 


「そりゃ、そうだが…」


言葉選べよ。クルスみたいな欲深い奴が手振りで外を出歩くとは思えない、きっと自慢財宝を持ち歩いていたんだろう。そこを運悪く輩に絡まれ殺され奪われたと…。なんでそんなところに屠刃会なんて奴がいたのかは分からないが…。


欲望のままに過ごし、多くの人間を巻き込み、友の街ドゥルークでは無実の罪でシスターを殺し、最終的には自らの街さえ捨てたあの男が…最後は逃亡の末人知れず森の中で死んだ…か。


無常、とも言えるし。自業自得、とも言える。まぁ最後にとんでもない問題を残して行きやがったが。


「待て、クルス・クルセイドが死んだということは…東部はどうなる!?」


一人の貴族が叫ぶ、今まで東部を支配していたクルセイドが死んでいなくなったのだ。悲しむより先にそちらがくる。


「王貴五芒星が欠けるなんて事態…初めてだぞ。どう対応するんだ…?」


「順当に考えれば新たな王貴五芒星を擁立するのがベターだが…、それを誰が担当する」


「王貴五芒星の座は魅力的だが…東部はな。今も山賊が跋扈しているというし、あの不毛の地を任されても何もできない…」


「クルス・クルセイド並みに楽観的な能天気でもない限りあそこの支配など誰もしたくないぞ…」


「だが東部の王貴五芒星が不在のままではより一層治安が悪化する。下手をすれば隣接する北部や南部にも影響が出かねん。果実箱の中に腐った果実を放置すれば…他もまた腐りかねないように、いずれマレウス全土に暗雲をもたらす可能性さえある」


「東部出身の貴族はこの場に…いる訳がないか。あそこはテシュタルの地…元より貴族など居ない場所だ。となるとテシュタル真方教会内部から擁立することになるが…我々では干渉が出来んぞ」


意外だった、俺はてっきり今から王貴五芒星の座を争いここで言い合いでも始まるもんかと思ったが、ここの貴族達は意外に冷静だ。反魔女感情が強いだけで貴族…というより領主としては結構まともなようだ。


まぁ確かに、俺も東部の状態を見て来たから分かる。


『はい、では君は今から東部を治めてください。任せましたよ』


なんて言われてポンとあの草木も生えない地帯を任されてもマジで何にも出来ん。クルスが財政を食い潰したから貯金もないし何よりテシュタル教徒でもない貴族の言う事を民衆が聞く訳がない。言っちゃ悪いが東部は地政的に厄物だ…それこそクルス並みにアホでもない限り誰もやりたがらない。


幸いナールがこれから東部の財政を立て直してくれるようだが、それでも支配者の不在は大きい。いや、そういえばアデマールさん達ももうクルスが帰ってくることはないつもりでやっていくと言ってたし、別にいいのか?


「………こうなっては仕方ありませんね」


「レギナ殿?」


すると、レギナが口を開く。意を結したように目を伏せ。


「エルドラド会談…これ中止しましょう」


「…いいのか?」


「よくはありませんが、死人が出過ぎです。既に貴族が三人も死んでいる、剰え王貴五芒星さえも…これで続行は流石に出来ません。悔しいですが、ここにいる貴族の皆様を死なせるわけにはいかないんです、ここに…居なくなって良い人間などいません!」


「お…おぉ」


威風堂々と決断するレギナの気迫に周囲の貴族達も気圧される。今の今までお飾りの王と侮っていた人間がこの有事で見せる凛々しい姿…、これには流石に他の面々も口出し出来ないようで、皆口を閉ざす。


エルドラド会談を誰よりも続けたかったであろうレギナが、これを中止する決断をする…というのはそれほどの苦悩があったのだろう。これ以上続けては更に被害が拡大されかねない。


ここは仕方ない…。


「いえ、続行しましょう」


「へ?」


しかし、続行を唱えたのは意外な人物…マクスウェルだ。レナトゥス派としてレギナの敵であろうこの男がレギナに寄り添ったのだ。


「し、しかし将軍!今のままでは…」


「どの道今はエルドラドから離れられないのです」


「どういう意味です?」


「単純です、今…エルドラドは包囲されています。ジズ傘下の組織達…総員は十万人くらいでしょうか。それによって包囲され完全に逃げ場ありません」


「………おいおい」


なんじゃあそりゃ、包囲されてる?どういう事だよ。これ…暗殺騒動じゃなかったのか?それをお前…十万人も動員してこの街を包囲するって。ジズの奴…まさかマジでこの街を落としにかかってるのか。


そう思い俺は頭の中で地図を展開する、確認するのはエルドラドの地形だ。確かにエルドラドは大きく陥没した窪地の中にあり、周辺を断崖絶壁で囲まれている。出入り出来るのはエルドラドの前方と後方に出来た上り坂のみ。


つまりその坂だけを封鎖すればあっという間にエルドラドは外界と隔絶された状態になるだろう。


「……前方五万、後方五万で囲めば包囲は簡単だな」


「ええ、それも包囲を行っているのはジズの傘下、つまり八大同盟直属の組織群という事になり巷を探せている末端組織とは人員の規模も戦力も段違いです。中には魔力覚醒者も複数いるでしょう」


「ふーむ、エルドラドの戦力じゃとても対応出来そうにないな」


「金滅鬼剣士団の総数は多くて数万程度、それも覚醒に程遠い。貴族の皆様が連れて来た護衛達を合わせても千に届けば御の字程度…そちらが連れて来た戦力は如何程で?」


「五十もいねぇよ。戦争なんか最初から想定してないからな」


そう、これはもう戦争だ。エルドラドという城に籠城する防衛戦だ。まぁ通常の防衛戦と異なりこっちは物資が潤沢だから持ち堪えるくらいのことはできる。


だが、一番問題なのは…世界最悪の殺し屋達が内部に潜り込んでいるという事実。


「なるほど、包囲は壁か。俺達を外に逃さないための」


「ええ、包囲網は狭まる気配がありません。恐らく攻め込んでくることはありません、我々は檻に囚われたに等しいでしょう、つまり我々は最初からエルドラドから逃げることが出来ません」


「だから、会談を続行しろと?」


「はい、皆様が会談を行っている間に我々が退路を確保します。幸い…数は少ないですが、ここにはマレウス最強の戦力が揃っている」


「……………」


視線を交錯させる、マクスウェルとエクスヴォート。互いに何も言わず声をかけず、ただ見つめ合う…というより睨み合う。


どちらもマレウス最強存在として名を馳せ、互いに二大巨頭として君臨する存在が今エルドラドに揃っているんだ。少数ながらに超精鋭、確かにこのメンツなら時間さえあれば十万の軍勢もなんとか出来そうだ。


「そこでラグナ様」


「お?なに?」


「出来れば魔女大国の戦力にも力を貸していただきたいのですが」


「別に構わないぜ、寧ろ俺もそれを提案しようと思っていた」


「そうですか、では一時的にマレウスの戦力とアストラの戦力を合算し行動しましょう、指揮は私が取ります」


「…………いや、待て」


少し考える、待てよ…と。それに反応したマクスウェルが小さく首を傾げ。互いの戦力を合算させ、一つの軍隊としそれをマクスウェルが指揮する…か。


うん、許容できん。


「なにか?」


「協力はする、だがお前の指揮に俺の部下を入れることはしない。指揮は俺が取る…俺も戦場に出る」


「……構いませんが、何故か聞いても?」


「お前の指揮に大切な部下を任せたら、アストラだけ矢面に立たされかねない。帰ってきたら俺の大事な部下が何人か戦死してました…で、俺がお前に責任を追求することなる、それは面倒だろ、お互いに」


「信用がありませんか」


「今さっき会ったばかりのやつは評価しないだけだ、自分の部下が死んで平気な顔でおめおめと王の前に顔出せるような奴は特にな。アルクカース人は武と知と勇を兼ね備えた戦士しか信用しない、お前も俺の信頼が欲しければこの戦いで示してみろ」


「フッ、アルクカースの王らしい判断だ。ならここは連合という形で互いに協力しましょう」


「そうだな」


マクスウェルに任せたらアストラ側の戦力ばかり酷使されかねない、実際そういうことをする奴かは分からない。けど同時にしないとも限らないなら俺の中で確率は半々。そんな危険な場所に部下を送れない。


なら俺が指揮を取る、それが一番確実だろ。


「ではこれから私はラグナ様と周辺を取り囲むジズ傘下の組織群への対策を講じます。皆様はあと五日目の会談の支度をお進めくださいませ」


「ううむ、不安ではあるがマクスウェル将軍がそういうなら…」


「どの道マクスウェル将軍が対応に当たってなんともならないならそれはもう仕方ないと言わざるを得ませんな」


「それにあのアストラの戦士が私達を守る為に戦うなら、業腹だが信用は出来ましょう」


「昨日の戦いは圧巻でしたからな」


貴族達も一応納得はしてくれたようだ。昨日の戦いを見ていたからこそこちらの戦力の強度自体には信頼があるらしく変に騒いだりしない。


というより、マクスウェル将軍の信頼度がそれほどまでに凄まじいのだ。実際こうやって見ていてもマクスウェル将軍の立ち上らせる気迫は達人のそれだ。その実力を示し貴族達の信頼を勝ち取るだけの活躍をしてきたんだろう。


…ぶっちゃけるとちょっと楽しみだ。マレウスの将軍の手腕を間近で見せてもらおう。


「お、おいラグナ」


するとメルクさんがいそいそと近づいてきて…。


「お前、出撃するのか?」


「ああ、そのつもりだ」


「エルドラドの外も肝要だが中はどうする、まだコーディリア達が潜んでるんだぞ…」


「そっちについては安心してもいいと思う」


「何故だ…」


外に戦力が控えているという話を聞いた時点で、俺はコーディリア達が今日攻めてくることはないと確信した。


先も言ったがこれは防衛戦、言い換えれば敵からしてみれば攻囲戦だ。今はただ外に人を逃さないための壁になっているがこれだけ人数揃えてただ通せんぼに使うとは思えない。


だから奴等は確実にいつか攻め込んでくる、故に攻囲戦となる。攻囲戦に於いて重要なのは攻め込むタイミング。奴等はそのタイミングを待っている。


ならタイミングはいつになる?…恐らく当初はスタジアムの爆破が確認されてから攻め込む予定だったんだろう。あんな大掛かりなことをしたんだ、あれは確実に敵にとっての本命だったはず、そこで混乱に乗じて一気に攻め込む手筈だった。


だがここで致命的な誤算が生じた、スタジアムの爆破が発生しなかったんだ。それ故敵の攻め込むタイミングは一度消失した。ならまた新しく攻め込むタイミングを作らねばならない。


じゃあ…それはいつになる?恐らく明日か明後日だ。何故かって?そりゃ攻め込むタイミングを作る役目を負っているのはエルドラド内部にいるコーディリア達だからだ。コーディリア達は決まって『夜、城で何かが行われるタイミングで行動を起こしていた』。


ロレンツォ暗殺未遂の時は晩餐会で、スタジアム爆破未遂は交流競技会で、人がたくさん集まり活発に動く時こそ奴らにとって最適な行動タイミングになる。


…今日は何の予定もないからな、だから恐らく動くなら…明日、エルドラド会談での六王歓待イベントの中で最大規模とも言われる『五日目の舞踏会』。ここで奴らは何かしらの行動を起こす、それが攻め込むタイミングになるはず。


つまり、今日はコーディリアも外の軍勢も動かないのだ。奴らが軍勢を用意していると聞いた時点で、この式は成り立つ。足並み揃えなきゃいけないからな、分かりやすい指標が奴らにも必要なんだ。


という話をメルクさんにするとポカンと口を開き。


「さ、流石だな。つまり今日は安全と?」


「安全…と言っていいかは分からない、確証がある訳じゃないからな。けどここで俺達が外の軍勢について知る…というのはコーディリア達にとっても誤算のはず、故に俺達の行動も予測はできていない。だから今日は一旦時間を置いて油断を誘うような行動をとる可能性が高いってだけさ」


「そうか…分かった、なら一応警戒はしておく。頑張れよ」


「おう、任せろ。メルクさんはどうする?」


「私は…一つすることが思い当たった、そちらに当たるよ」


「ん、了解」


メルクさん達は置いていく、いくのは俺と護衛達だけ。一応これだけの戦力があればそれなりには戦える…けど、多分全滅は無理だな。相手の攻勢タイミングを遅らせるくらいしか出来ないだろう。


決着のタイミングはまた別に考えることになるだろう。


「んじゃ、この後包囲網についての話し合いをするとして…」


「では我等はこれで…、レギナ殿」


「はい…」



「ううむ、早速王貴五芒星が欠けた件について話し合わねば」


「つくづくレナトゥス様の不在が悔やまれる…」


「しかしそうか…クルス・クルセイドが…、クルセイド家もこれで終わりか。アデマール殿には世話になったが…してやれる事など何もないな…」


クルス・クルセイドの死、それには流石の貴族達もショックを隠せずこれからどうなるんだと漠然とした不安を感じ退室していく。彼らが無用に騒ぎ立てなかったのは恐らくマクスウェルという国内で最も信用出来る男がこの場にいる事。


そして…レギナが意外なリーダーシップを発揮したからだろう。昨日のダメさ加減からは考えられないほどの進歩…、荒療治だったがイオの『愛国心を自覚させる』というのはかなり効果が出ているようだ。


…さて、諸々みんなも出て行ったし、これから俺はマクスウェル将軍とこれから行うエルドラド包囲網殲滅戦に対する対抗策を話し合うわけだが…。その前にメグの顔でも見にいくか?


「……ん?」


ふと、一つの事実に気がつき一人で首を傾げる。


…それはジズ達の狙いだ。爆弾を使い貴族達を始末し、その後外の軍勢で攻め入りエルドラドを落とす。それは理想的な攻囲戦の形だろう。


しかし、攻囲戦とは飽くまで俺が例えただけの話。まるで攻囲戦、殆ど攻囲戦、攻囲戦と一緒…というだけで攻囲戦そのものではないんだ。


つまり、ジズ達にエルドラドを陥落させる理由がない。軍勢を使って落とす必要がない。殺したい奴がいるならスタジアムの爆破だけで事足りているはず。


(結局ジズ達の目的ってなんなんだ?軍勢を用意して…何がしたい、いや…『何を警戒している』?)


この変な回りくどい感じ…、まだ重要な情報が欠落している気がする。もしかしたらメグ辺りに聞けば有用な話が聞けるかもしれないが…。それもメグが復帰しなければ難しい。


…いや、そもそも復帰してくれるんだろうか。メグは…戻ってきてくれるんだろうか。


……………………………………………………………


俺はメグの為にしてやれることはないのかもしれない。


アマルトは思い悩んでいた。ずっと悩み続けていた、あの館での戦い…あそこで俺がもっと命懸けで戦っていたら、メグの姉は死ななかったかもしれない。そう思えるほどに満足の行く戦いが出来なかった身からすると…今のメグに降り掛かっている悲劇は、まるで自分のせいであるかのようにも感じられる。


俺はロクでもない人間さ、捻くれ者で狡賢い人間さ。だからこそ友達は大切にしたい。そう思っていたのに…結局これ。つくづく自分が嫌いになる。


そんな風に荒れていたからこそ俺はメルクと口論をしてしまった。そこで投げかけられた『気休めの言葉で彼女が満足するか』…あの言葉は効いたよ。


なんとかしなきゃいけないと思いつつも、実際俺に出来るのは気休めの言葉を投げかけるだけしか出来ないのだから。だったら何もしない方がマシなのか、でもそれは嫌だし…なんて考えいるうちにむしゃくしゃして…。


逃げるように部屋から出ようとすると…。


「あ…」


「お…」


偶然、部屋の扉を開けた先で…エリスと目があった。昨日瀕死の重傷を負い、それをデティに治されてから直ぐにメグの元へ向かったエリスとだ。


エリスなら、メグを励ませるかもしれないとは思っていた。エリスはどこまでも真っ直ぐで義理人情にも厚い。何より弟子達全員を助けてきた実績もある。そんな彼女なら…或いはメグを立ち直らせるかと思ったが。


「アマルトさん…」


「メグは…、なるほど」


メグはどうしていると聞きたかったが、すぐに悟る。聞くまでもないと。


何故ならエリスがその背中にメグを背負っているからだ。エリスの背中に顔を埋めてピクリとも動かず…まるでフジツボみたいにくっついている。


元気になりました…って感じじゃねぇな。そりゃそうか、姉貴死んでんだ、一日で踏ん切りつけられるわけねぇ。


「一応一晩側についてましたが…、結局あそこから動く気配がなくて。このままだと風邪を引くかもしれないのでこうしておんぶで室内に連れてきたんです」


「なるほどな、取り敢えず入れよ。シーツで体温めとけ…お前も、昨日からロクに休んでないんだろ?」


「エリスは別にいいんです、朝から晩まで動き通しってのは慣れてるんで…でも」


「そうだな…」


今のメグは…相当憔悴している。昨日もロクに飯を食ってないし一度たりとも休んでない。エリスは一応気絶という形で身体の休息を取ったが…メグはそれもない。


このままじゃ酷い病気にでも罹りそうだ…。


「な、なぁ…メグ」


「………」


ふと、気がつくと俺はメグに声をかけていた。自分でも何故声をかけたのか分からない、ただ気がついたら声をかけてたんだ。


すると、そんな俺の言葉に反応してか。メグはズリズリと音を立てて顔を傾け、こちらを見る。


…酷い顔だ、恐らく一晩中泣いていたんだろう。目元は赤く腫れ皺くちゃになって…いつも余裕そうな顔してるあのメグと、同じ人物には見えないくらい…酷い顔だ。


「…あの…えっと」


それを前に、俺はなんと声をかける。なんで言えばいい、わからない。


『昨日はごめん』とか?なんで急に謝罪なんだ?不甲斐なさを謝るのか?そんなことしてメグの許しが欲しいのか?浅ましいな俺は。


『元気出せよ』とか?出せるわけねぇだろ、誰かを失う気持ちは俺も分かってるつもりだ。メグが今感じてるのは俺が感じた奴の数百倍…元気なんか出っこない。


『姉貴の為にも生きろ』…?阿呆か、メグの姉の何を知ってる、メグの姉への想いの何を知ってる、何も知らない俺が耳障りのいいだけのダセーセリフを吐くな。


…ない、何もない。俺が今メグにかけられる言葉は…何も。


「その…あったかくしろよ」


結局出てきたのは、クソどうでもいい言葉だった。メグの力になりたいのに…何もしてやれない、そんな無力さを痛感して…俺はメグの肩を叩く…のをやめ、何もしないままエリスに道を譲る。


「メグ…」


「メグさん…」


そこはネレイドもナリアも同じなようだ、部屋に入ってきたエリスとメグを気遣うように声をかけるも、何も言えずただ見送ることしかできない。


結局誰も何も言えないまま、エリスはメグをベットに置いて、シーツを被せる。


…これでいいのか?


(…このままメグが自分の中で気持ちに整理をつけるのを待つか?それが最善な気がしてきたが…でもそれで、もしメグが立ち直れなかったら?もう生きる事を諦めてしまったら?それは…嫌だ)


これはメグへの気遣いではない、俺の身勝手だ。メグにはそんな風になって欲しくない、無気力に死んでいく様を見ていたくない。また元気にはしゃぐメグを見ていたい。


俺の我儘で、身勝手で、独善的な思想だ…けど。


「…悪い、ちょっとメグ任せるわ」


「アマルトさん?何処へ?」


「……分からない、けど…落ち着いてられない」


「あ、アマルトさん!」


何か出来る事をしたい。なんでもいいから力になりたい、そんな衝動のままに俺はメグをエリスとネレイドに任せて部屋を出る。そんな俺にナリアはついてきてくれるが…。


「アマルトさん、どこに行くんですか」


「わかんねぇよ、けど…何かしたいんだよ」


「なら側にいてあげた方が…」


歩きながら、ついてくるナリアの言葉に首を振る。確かに側にいてやるのがいいのかもしれない、けどそれはエリスの役目だ、アイツは一晩中側にいた。それでもダメなら…俺は別の方法を探す。


とは言え…なんだよ、別の方法って。


(ああくそっ!なんかないのか…メグを元気付ける方法。花を積んでくるか?ロマンチックだが結局それって俺の自己満足で終わりそうだよな。なんか買ってくるか?本とか…いや今はそれよりも前の段階、気を紛らわせるとかではなくそもそも生きる気力を…元気を出してもらう段階…、何かないか)


「アマルトさん…」


アマルトは必死に考える、何か自分に出来ることはないかと。ただ自分に出来る事を見つけるだけではダメだ、それが自分の自己満足をただメグに押し付けるだけでダメ。


メグにとって…確かな元気が出るもの。それは…。


「…何もないのか……ん?」


ふと、分塔の窓から…見える。城の裏手、そこに見えたのは大量の物資を運び込む荷車の姿だった。


たくさんの物資が次々と城の裏口から運び込まれ、多くの人員が動かされている。あれは何かと観察を続けていると…。


(魔獣の死骸…いや、『食材』か)


明日は六王歓迎の為の舞踏会が開かれることになっている。まぁ言ってしまえばパーティだ、六王とマレウス貴族の間を縮める為のパーティ…。恐らくあれはパーティで出す料理の材料なのだろう。


これらのイベントは全てロレンツォ主導で企画されているらしい、レギナの頼みで魔女大国と非魔女国家の間を埋める為の娯楽として多くのイベントが開催されてきたが。正直そのどれもが失敗に終わっていると言ってもいい。


それに今更パーティなんかしても、誰も祝う気分になんかなれないだろ。


(どの道俺には関係ねぇか…、ん?あれは…)


俺には関係ない、パーティに出す料理はここの料理長たるザジビエが作るだろう。それを手伝う義理はないし資格もない。俺は料理人ではなく素人なんだ…そんな素人がずけずけと他人様のキッチンに上がり込んで料理するのはあんまり好きじゃないんだ。


…けど、見えてしまった。運び込まれる料理の中に…恐らく調味料に使うと思われる物があった。数多くある調味料…そんな中に、赤く輝く光があることに。


…唐辛子だ。


『今は唐辛子が食べたかったなぁ〜、ピリッと辛いアレがあったら元気が出るのになぁ〜』


…昨日メグはそんな事を言っていた、結局倉庫の中に唐辛子がなくてアイツの望む物は作れなかったけど。


元気が出る…か。


「ハッ、ガキかよ…俺は。そういう話じゃねぇだろうに…クソッ!」


馬鹿らしいと自分でも思う、けど…今はそれしかないとさえ思えてしまう。だから俺は…弾かれるようにその場から走り出す。メグが元気になるなら…なんだってしてやる!


「あ!ちょ!アマルトさんってばー!」


走る、ナリアを引き連れて走る。向かう先は勿論…厨房だ。


………………………………………………………………………


走り走り、一気に駆け抜け向かったのはゴールドラッシュ城の厨房。そこでは明日の舞踏会で出す料理を準備する為料理人達が忙しなく動き回っていた。


正直申し訳ないと思いつつも、俺はその扉を開け叫ぶ。


「悪い!少しでいい!食材を分けてもらえないか!」


「ああ?」


叫ぶ、食材を分けてくれと。不躾な願いだ…分かってる。けどどうしても必要なんだ。


しかしそんな声を聞いた一際偉そうなシェフ…この城の料理長ザジビエは俺を睨め付けるとずかずかとこちらにやってきて。


「お前は…一昨日見かけた…。魔女大国のガキ…確か魔女の弟子だったか?」


「アマルトだ、なぁザジビエさん…頼む。ほんの少しでいい、食材を分けて欲しい!落ち込んでる友達を元気付ける為に…料理を作りたいんだ」


「ぜぇ…ぜぇ、アマルトさん!何してるんですか!」


「ナリア…悪い、でも俺…メグの為に料理を作りたい。俺に出来るのって…結局それくらいしかできないから」


息を切らして追いついてきたナリアに説明する。俺は料理を作るつもりだ、それも唐辛子を使った料理を。でも俺達の無限倉庫には唐辛子はない、補充には二、三日かかると言っていたから。


だがこの厨房には確かに唐辛子があるんだ。それを使えばもしかしたらメグが元気になるかもしれないんだ。分かってるよ…そんな簡単な話でもないってさ、でもそれくらいしか出来ないんだ。だったら…俺はやるよ。


しかしザジビエは首を横に振り。


「ダメだダメだ、これは明日の舞踏会用の食材なんだぞ。それをなんだ…友達を元気付ける?そんな理由で貸し出せるか!」


「そこをなんとか頼むよ!」


「そんなにやりたきゃ市場にでも行ってこい!」


「まだ市場も開いてない、出来れば早いうちに食わしてやりたいんだ!頼む!この通りだ!」


頭を下げる、膝を突いて手を地面につけて額を擦りつけ頼み込む。出来れば早いうちに食べさせたい、メグの状態は刻一刻と悪くなる。精神もそうだが体の方もどんどん悪くなる、心と体が互いに悪影響を及ぼし悪循環に陥る、ならせめて体の方だけでもなんとか……。


ああ!もう!違う!こういうまだるっこしい事を言いたいんじゃない!俺は一秒でも早くメグに元気になって欲しいんだ!その為に動き続けていたいんだ!我儘で自分勝手でも!


「あ、アマルトさん…あの、えっと!僕からもお願いします!」


「な、なんだよお前ら…」


同じように深々と頭を下げるナリアにさしものザジビエも思い改め…ということはなく、寧ろ無用な騒ぎを起こされ迷惑そうに顔を歪める。


「頼む!」


「チッ、けどなんと言われようとも素人を厨房に上げるわけにはいかねぇ!ここは調理人の聖域なんだぞ!」


「分かってるよ…素人が気軽に来ていい場所じゃないのは…」


調理人にとって厨房は聖域、よく分かる話だ。荒らされたくないのも理解出来る…けど今はそこを曲げて欲しいと願いこむと、ナリアが表情を変え。


「あ…アマルトさんは!素人じゃありません!」


「なにぃ?」


「アマルトさんは物凄く料理が上手いんです!あちこちで色んな料理人の方々にお褒めいただいています!腕前は僕が保証します!彼も料理人として見てもなんらおかしい点はありません!だから…」


ナリアが声を上げる、だが違うんだナリア。料理の上手い下手で料理人かどうか決まるわけじゃない。料理人とは即ちプロ…プロフェッショナルの事を言うんだ。


つまりそれで金を稼ぐ者の事、それで生活する者を料理人と呼ぶ。人生を料理に捧げているのがプロの料理人なんだ。例えソイツがどれだけ料理をしようとも金を稼がない限りはアマチュア…プロじゃない。


プロじゃないなら、素人なんだ。素人がずけずけと料理人の聖域に足を踏み込むのは…よくない事なんだよ。


しかしそれを聞いたザジビエは面白くなさそうに顔を歪め。


「ふぅむ…なるほどねぇ、面白くねぇな…」


「な、何がですか!」


「素人料理がどれだけ上手くとも…所詮は素人、自分の腕前を勘違いしてここに乗り込みにくるその根性が面白くねぇ…」


「でも…アマルトさんは」


「だったら、俺と勝負しろ。もしそれで俺に勝てたら…一人分くらいの材料は融通してやる」


「ッ…本当か!」


思わず立ち上がる、マジかよ。言ってみるモンだなナリア!ありがとよ!


なんで喜ぶのも束の間、ザジビエはなんとも下劣に笑う。どうやらその勝負というものにかなり自信があるようだ…が。もうなんでもいい、材料が貰えるならそれで。


「勝負の内容はお前が受けたら話す。で?どうだ?受けるか?受けないなら今すぐ兵士を呼んでおっ返すが?」


「受ける、どんな勝負でも受けて立つ」


「分かった、負けたらきっちり諦めろよ?」


「ああ!!」


拳を握る、…待ってろよメグ。俺…俺に出来る事をやり遂げるから。


しかし、気合を入れるアマルトとは対照的に、ザジビエは意地悪く…そして薄暗く笑みを浮かべ。


(馬鹿なやつ…自分の腕を勘違いした素人が、本物のプロの腕を見せてやるよ…)


勝負の内容に思いを馳せる、アマルトという男の自尊心を叩き折るための…勝負を。


………………………………………………


「それで?勝負の内容は?」


「えっと、僕も居てもいいんでしょうか」


それから、厨房の中に通されたアマルトとナリアは、厨房の一角に置いてある机に座らされ暫しの間待たされた。時間にして数十分程だろうか…。


なんの説明もなくただただ待たされ、もしかしてからかわれた?と思い始めたあたりで、ようやくザジビエが厨房の奥から姿を現し。


「よし、なら勝負を始めるぞ?覚悟はいいな?」


「あ、ああ。で?内容は?ずっと聞いてるんだけど。もしかして料理の腕前を比べる勝負とか?」


「アホ言え、飯を美味く作るくらい真っ当なレシピと食材があればどんな素人にだって出来る。そこを比べたって何の意味もありゃしねぇだろうが」


「まぁそうだが…」


「だからこそ、見定めるのは腕じゃなくて…『舌』だよ舌」


「舌?」


そう言っている間に机の上に二つの皿が乗せられる。恐らくアマルトとナリアの分だろうその皿の上には、香ばしい匂いを立てるカルボナーラが乗せられている。


「えっと、これは」


「俺の得意料理の一つ『アングリーピッグのカルボナーラ』だ、アングリーピッグと言えば肉が最高に上手い魔獣だが…これはその肉ではなく肉の脂身、つまり『ラード』を用いて味付けしたカルボナーラさ」


「へぇ、美味そうだな…それで?」


「今から俺はお前たちに三つの料理を出す。その料理はどれも俺が完成品とする物から一つだけある材料を抜いて作った物だ。お前らは今からそれを食べて抜かれている食材が何かを当ててもらう」


「え…えぇっ!?そんなの出来るわけありませんよ!」


ナリアは思わず立ち上がる、出来るわけがないと。なにせ完成品から抜かれた食材が何か当てろなんて…そんなの答えが無限に存在しているからだ。ましてやこれは魔獣料理、慣れ親しんだ物とは大幅に違う。


未知の料理を食べて、そこから更になにが足りないかなんて当てられるわけがない。


「出来るわけない?おん?じゃあ勝負降りるか?今なら帰ってもいいぜ?まぁそうなったらお前らの負け…食材を明け渡す話も無しだがな」


「うっ…でも、食べた事ない料理の材料なんて…」


「…………」


しかし、アマルトはなにも言わずにフォークを取る。その様を見てナリアもまた理解する、アマルトさんは受けるつもりなのだと。


確かにここでごねても結果が変わる気配はない、なら…受けて立つしかないのだろう。


「受ける気になったか?」


「う…わかりました、僕も頑張りますからね!」


「好きにしろ」


「それじゃあ、早速…」


くるくるとフォークで巻いて、パスタを一気に口に運ぶナリア。その瞬間口の中に迸るのは…津波だ。


(う、美味ぁ…!?)


美味い、というより濃厚なのだ。全てが、クリームの味も卵の濃度も素晴らしい、何よりそこに加えられている脂の味。アングルーピッグって豚の魔獣だから豚っぽい味を想像していたが、豚特有のコッテリとした味は感じない。


寧ろまろやか…味に奥行きを持たせ、濃厚な味付けを調和させている。素晴らしい出来だ…美味い、美味いけど…。


(この料理には…何か抜けている材料がある。って言われても何かわからないよ…)


この勝負の主題は『抜けている食材を当てる』ところにある。しかし、分からないのだ…この時点でかなりの完成度を持っているとナリアは思っている。


このまま食卓に出しても文句は言われないはず、何かが抜けているようには思えない…。


(なんだろう…野菜とか?それともお肉?分からない…なんにも、こんなの流石のアマルトさんでも分からな──)


「マッシュルーム」


「へ?」


「お?」


…答えた、一口…ソースを口に含んだだけで、アマルトさんは一言…そう言ったのだ。


「このカルボナーラから抜かれた食材はマッシュルームだ」


「マッシュルーム…それが答えなんですか?アマルトさん」


「ああ、マッシュルームは乳製品や油と合わせると旨味が増す食材。ここまでクリームの味を濃厚にしておきながらそれに匹敵するだけの味を持った食材が入っていないのは不可解だ。何より…このカルボナーラのメインは使われている油なんだろ?ならマッシュルームを入れないのはあり得ない」


「ッ…っ〜…ま、まぁ…このくらいなら多少料理に対する知識があれば誰でも分かる範囲だからな。正解だ」


思わず両手を合わせてしまう。物の一口で看破してしまうなんて流石はアマルトさんだとナリアは満面の笑みを浮かべる。


対するザジビエはなんとも悔しそうな顔を浮かべ拳を握りしめる。多少は知識や舌に自信があるようだが…それでも彼はいまだに信じている。…自らの勝利を、何せザジビエには必勝の料理があるのだから。


「じゃあ次の料理だ、次は…」


「ちょっ!ちょっと待ってください」


「今度はなんだ。まだなんか文句でもあるのか?」


「そりゃありますよ、さっきの料理を見て思いましたけど…普通に魔獣料理ですよね。もし抜かれた食材が魔獣肉とかだったら絶対わからないじゃないですか」


先程のカルボナーラ、もし抜かれていたのがマッシュルームではなくアングルーピッグの脂身だったなら、アマルトは絶対に気がつくことができなかった。何せ魔獣料理の知識はこちらにはないわけだ。


そこはいくらなんでもフェアじゃない。そうナリアは抗議するのだ。だがザジビエは…。


「そこは安心しろ、出すのは魔獣料理だが魔獣そのものを使った食材は決して抜かない。これで満足か?」


「う…はい」


「じゃあ次だ、次はハンバーグ!こいつはギガミノスと呼ばれる巨大な牛型魔獣の肉を大胆に使ったハンバーグさ!さぁこの料理から抜かれた食材はなんだ!」


そう言って叩き出されたハンバーグを見てナリアは再びギョッとする。赤いソースのかかったハンバーグ…カルボナーラとは使われる食材の数が段違いの料理が出てきた。ハンバーグは複数の食材を掛け合わせて作られる、その上ソースなんて…それこそ食材の組み合わせは無限大。


この料理から抜かれた食材を見つけ出すのは…更に無理難題なんじゃないかと思いアマルトさんを見ると、彼は全く臆する事なく一口ハンバーグを食べると。


「……………林檎」


「へ?林檎?林檎なんて普通はハンバーグに入らないんじゃ……」


「いや、ソースの方」


アマルトの答えを受け、ソロリとザジビエの顔を見ると…その顔は。


「ッ〜〜〜……!!!」


「えっ、うそぉ…正解!?」


顔を真っ赤にしてギリギリと歯を食いしばっていた。これで不正解だったらビックリって顔をしてアマルトさんを憎々しげに見つめている。つまり…正解だ。


「な、何故分かった…。俺が普段少量の林檎を隠し味に使っていることが」


「ソースの感じ的にさ、やんわりとした甘みと酸味が足りない気がして…これを補うなら林檎を擦って濾したヤツを入れた方がいいかなぁと思って」


「お、お前!お前何者だ!ただの素人がそこまで分かるわけがない!お前本当はプロだろ!身分偽ってるだろ!」


「えへん!聞いて驚かないでください!ここにいるアマルトさんはあの世界一の料理人タリアテッレさんの従兄弟なんです!タリアテッレさんから料理の指導を受けていた天才料理人なんです!」


「おいナリア…別に誇る事じゃねぇだろ。世界一は姉貴であって俺じゃねぇし、姉貴の指導を受けてたやつも俺だけじゃない、何より俺は料理で金を稼ぐほど殊勝じゃねぇの」


アマルトの諌めるような声でしょぼくれつつも反省するナリア…だが、その話を聞いたザジビエはタリアテッレの名に慄いて…はいなかった。寧ろ…。


(タリアテッレだとぅ!あの忌々しい奴の従兄弟!?クソッ…どうりで…)


ザジビエという男は密かにタリアテッレに対して対抗心を抱いていた。魔獣料理で世界一を目指す彼にとって、魔女大国出身のタリアテッレが今も世界一と呼ばれている事態そのものが気に食わなかったのだ。


何より腹立たしいのは今世界で評価されている料理人の殆どがタリアテッレ主催の王贄会出身者であるという事。王贄会はタリアテッレより教えを受け世界中に散らばって料理をしている…、中にはマレウスでも一級と言われるような料理人も居る。


つまり、今この料理界の中心にはタリアテッレが居るという事だ。それを打破したい物の機会に恵まれなかったザジビエからすれば、これは…好機。


(上等だ、だったら最高の難問を出してやるよ…覚悟しやがれ、クソガキがぁ!)


問題は全部で三問、つまりこの料理で最後。だがそもそもの話ザジビエはアマルトに対して温情でチャンスをくれてやったつもりはこれっぽっちもない。


ただ、彼の魔女大国への嫌悪感を嫌がらせという形で発散したかったが故にこの勝負を持ちかけた、つまり…勝たせる気は毛頭なかった。


「じゃあ次だ、これで最後だ…」


そう言って用意したのは、ザジビエ必勝のメニュー…その名も。


「『エルダーソルトスープ』だ」


「お…?」


コトリと音を立てて机に置かれたスープを見てアマルト達は目の色を変える。そこには黄金のスープが芳しい香りを立ち上げキラキラと輝く蒸気を発している。これぞザジビエがアマルト達をやっつける為に用意した最高の料理だ。


「マレウス南部の森の奥地に住まうスワンプリザード…それが長い時を経て成長した姿、エルダーリザードと呼ばれる個体の肉や骨を使い数多くの食材と共に煮込んで作った逸品だ、さぁ食ってみろ、そしてこの料理からなんの食材が抜かれているか…当ててみろ!」


「…分かった」


「僕も頑張ります!とは言え!全然分かりませんがね!」


神妙な顔でスープを一口啜るアマルトと自信満々に頼りないことを口にするナリアもまたスープを一口。そして…。


「わっ!美味しい〜!これ玄妙な味っていうんですかね!複雑ですけど押し出されてる味そのものは単純明快。まるで数多の色味を使って書き出された風景画のような素朴かつ繊細な味わいです〜!」


んん〜!美味しい〜!と頬に手を当て微笑むナリア。それもそのはず、このスープ自体幾多の食材を使いそれらを一つ一つ吟味してザジビエが作り上げた最高傑作。このスープをロレンツォ様に献上しこの座を手に入れた珠玉の一品。


使われている食材だけでも軽く数十を超える。それらが渾然一体となり醸し出す味わいのハーモニー、これを作れるからザジビエはどれほど人格に問題を抱えていようとも料理長の座を守り切ることが出来ているのだ。


「とっても美味しいですザジビエさん、って!それじゃダメじゃないですか!これに抜かれている食材をあてるんですよね…って言っても僕にはなにが使われているかさっぱりで、アマルトさん…分かりますか?」


「…………」


「アマルトさん?」


ナリアは顔を引き攣らせる。唯一の頼りとしていたアマルトが…。


「わ、分からねぇ…」


「え…!」


そう口にしたのだから、剰え頭を抱え悩み込んでしまった。


そうかそうか、分からないか…分からないよな。


(ククク、そりゃあそうだよバァーカ!なんせ抜かれている食材はエルダーリザードの背中に生えているキノコ、エルダーマッシュと呼ばれる南部固有の珍味なんだからな!)


エルダーリザードは長く生きているが故に自然の一体となった肉体を持つ。背中には数多の苔やキノコが自生する。その中でも唯一エルダーリザードの背中にしか生えないキノコがある。


エルダーマッシュ…、毒性はなく非常に強力な旨味成分を保有するキノコ。これによって小動物を誘き寄せその小動物を狩りにきた大型動物を誘き寄せ、自身の周辺で一種の生態系を作り上げる事で自分にとって都合のいい世界を作り上げエルダーリザードの長寿の一助を担う食材。


当然食えば美味い、焼いても煮ても極上…だがエルダーリザード自体数が少なく、尚且つ南部のエルダーリザードにしか生えない超希少な食材なんだ。魔獣食が一般的ではない魔女大国出身者では絶対に分からない物…それを抜いてあるんだ。


(馬鹿な奴ら、確かに俺は『魔獣そのものは抜かない』とは言ったが『魔獣の体に自生する別の食材は抜かない』とは言ってねーんだよ。さぁ悩め!そして間違えろ!盛大に笑ってやるぜ!)


「あ、アマルトさん…!」


「………………」


アマルトは頭を抱え、もう一度スープを飲み再度味わう。されど答え見えてこない、当然だ、その食材そのものを知らないのだから答えようがない。


「確かにこのスープ…もう完成品のようにも思えますが、あ!じゃあ答えはなにも抜かれてない!が正解とか?必ず抜くとも言ってないし…」


「それが答えでいいのか?言っとくが解答権は二人で一つだからな」


「う…あ、…アマルトさぁん」


「………」


「さぁ答えろ、答えろよタリアテッレの従兄弟さんよぉ!俺は忙しいんだからとっとと終わらせろよ!」


「…………」


ザジビエに詰め寄られたアマルトは、静かに目を伏せ…呟くように答える。


「……塩」


「塩…それが答えでいいんだな?」


「ああ…」


塩…そう答えたのを確認したザジビエは、ずっと堪えていた笑いを解放するようにクツクツと肩を揺らし…。


「ククク…カハハ!アハハハハ!なにが塩だ!バァーカ!ちげぇよ!使われてるのはエルダーマッシュ!エルダーリザードの背中に生えるキノコだよ!塩なんか入れてるに決まってるだろうが!だはははははは!」


「な、なんですかその食材!聞いたこともないですよ!それに魔獣の食材は抜かないって約束して…」


「ああ、魔獣の食材は抜かない…が、魔獣の体に生えてる別個体の食材は抜くに決まってるだろう。このキノコは別の存在なんだから別にルールには違反してねぇよ!」


「卑怯です!そんなの!」


「なんとでも言え!だが俺はルールを守った上でお前らに勝ったんだ!所詮は素人!そんな奴らにうちの食材は使わせられねーなー!」


「くっ!」


「ついでだ!本物のエルダーソルトスープを味わっていけ…!そして思い知れ!自分達の思い上がりを!」


そう言って舞踏会に出す予定だったスープを一口分用意するザジビエは上機嫌に笑う。実にいい気分だ、魔女大国の鼻持ちならないガキをやっつけてやった、剰えそいつはタリアテッレの関係者。これは今夜は良い酒が飲めそうだ。


「これが本物の…っ!全然違う…!メチャクチャ美味しい!多分エリスさんだったら泣いてるレベル!」


「どーだ!思い知ったか!さぁ帰りな…お前らは間違えたんだからな」


「…………」


スープを一口食べ違いを思い知ったナリアは悔しげに俯く…が、アマルトは逆にスープを一口飲んで、再びこういうのだ。


「…塩」


「はぁ?」


「塩だ、やはり塩が抜けてる」


「はぁ〜?だから塩は入ってるつってんだろ!それともここでごねるつもりか?だったら厨房確認してこいよ!」


「……分かった」


この期に及んでまだ塩が足りないというのだ。ましてや本物のエルダーソルトスープを飲んでなお。そのアマルトの態度に呆れ厨房を確認しろと言えば彼は遠慮なく厨房に向かい…。




「……え?」


それから、帰ってこなかった。


「…はぁ!!おい!どこ行ったんだアイツ!」


十分強、時間にしてそれだけの時間アマルトは厨房から帰ってこなかった。随分念入りに探してるんだなぁと思っていたがこれは流石におかしいと考えたザジビエは即座に踵を返し厨房に向かおうとした瞬間。


「悪い、ちょっと手間取った」


「だぁー!?戻って来やがったなこのクソ野郎!とっとと帰れ!バカクソが!」


「落ち着けって、ほら」


「ああ?ってかお前なにして…」


そう言いながらアマルトは一枚の皿をザジビエに手渡す…と、そこには。


「こ、これは…エルダーソルトスープ!?お前!明日の舞踏会用のヤツ持ってきやがったな!」


エルダーソルトスープだ、それが入った皿をザジビエに手渡してきたのだ。これには流石に我慢ならんと彼は腰のホルダーから包丁を抜き…。


「待てよ、それは俺が作ったんだよ」


「作った…?お前が?」


「ああ、悪いが少しだけ食材を使わせてもらった、端材だけどな」


「端材って…」


ザジビエは目を下す、そこには完璧なエルダーソルトスープが存在している。これを開発したのはザジビエだ、だからこそ匂いを嗅いだだけで分かる。食材の分量…煮込み具合…味付けの要領、全て同じだ。


(こいつ、一口俺のエルダーソルトスープを飲んだだけで使われてる食材全てを理解して十分ちょっとで再現したってのか)


「飲んで見ろよ」


「は、はぁ?なにを言われようともお前の負けは揺るがねぇぞ」


「いいから」


「チッ…」


仕方ない、折角作っちまったんだから飲まざるを得ないとザジビエは指で掬ってスープを一口舌に乗せる、その瞬間────。


「なぁっ!!??」


「どうだ?」


「ぁ…う…!ッ…!?」


動けなかった、なにも言えなかった、そんなザジビエの後ろからナリアが現れ。


「どうしたんです?僕にも飲ませてください」


そう言って彼もまた指で掬ってスープを一口舐めてみる…するとどうだ。これはまさしく…。


「うわ!美味しい!さっきのエルダーソルトスープより美味しいですよ!」


美味しかったのだ、ザジビエが作った物より美味しかった…それも本物のエルダーソルトよりもだ。それを告げられたザジビエはドッと冷や汗をかき。


「な、ば…馬鹿なこと言うなよ、そんなわけねぇだろ馬鹿舌が!」


「でも僕は美味しいと思いましたよ!ザジビエさんもそう思ってるんじゃないんですか!?」


「うっ…!」


それはそうだった、ザジビエも自分が作ったものよりも美味しいと感じたからなにも言えなかったのだ。だがおかしいのだ、作り方も食材も同じなのに何故ここまで差が出たのか。まるで理解が出来なかった…。


「お、お前…これは。なにが違う!俺の作ったスープとなにが!」


「だから塩だよ、そいつを足したんだ」


「馬鹿な!塩なら俺も使って…ハッ!まさか!」


「そう、その通り…一昨日の晩餐会で飯を振る舞われた時から思ってたんだよ。お前の料理に使われている塩…あれ全部『岩塩』だろ」


「ッ……!」


「分かるだろ、俺が使ったのは海塩…岩塩じゃねぇのさ」


そう言ってアマルトが懐から取り出したのは海塩。純白の輝きは確かに海塩だ、恐らく彼自身が個人で持ち歩いている調理用の塩を使ったのだろぅ。


アマルトの指摘通り事実、ザジビエは全ての料理に使われる塩を岩塩で調理していた。それはこの中部という土地柄上海に面していないが故に海塩が手に入り難かったのだ。その代わりにザジビエは岩塩を使った。内陸部でもそれなりに手に入る岩塩ならいくらでも使えたから…だが。


「え?岩塩と海塩って同じ塩ですよね?何か違うんですか?」


ナリアは首を傾げる、まぁ普通に使えばあんまり違いはないんだ。だが…このレベルに至ったならば、決して無視してはいけない『特性』がこの両者にはあるんだよ。


「岩塩はその製法上どうしても味が濃くなる。それが旨味を濃くする要因にもなる… 、だからハンバーグやカルボナーラなどの脂っこい代物には抜群の相性を誇る、だからそれらに使う分にはいい、けど…」


「岩塩は…溶けにくい…。このスープとの相性は…悪い」


「そうだ、岩塩は水に混ぜても溶け切らない。だからこの複雑に絡み合ったスープの中で唯一岩塩だけが抜け落ちている状態になっていたんだ。まぁ…そういう土地柄なのかなと思って特にはなにも言わなかったが、実際抜けてたろ?塩が」


「……………」


岩塩は水に溶けにくく完全に混ざらない。そんな事はザジビエだって理解していた…だが塩自体は入っているから塩味自体はする。だが…混ざり切らないから塩だけが単体として味の中で孤立する、一体にならないんだ。だから味が抜け落ちていたのも事実だ。


それは何よりザジビエ自身が自覚していた。彼が北部で修行していた頃は…海に面している街に住んでいたこともあり海塩は多く手に入った。だが拠点を内陸の中部に移すと塩は海塩から岩塩主流に変わった。


だからザジビエも塩を変えた…それで大幅に落ちる事はなかったから。だが…。


(やってしまった、やってしまった!俺は…なんて初歩的なミスを…!)


「確かに海塩は手に入りにくい…けど、手に入らないわけじゃない。なんで妥協して岩塩にしたんだよ、作って分かったけどこれ…かなり気合い入れて開発したんだろ?なのにどうして塩だけ…」


「高いからだよ、高いんだ…内陸の中部では海塩は希少。どうしても費用が嵩む…費用が嵩むと…」


「自分の利益がなくなる…か?なるほどね、あんた汚職してたんだっけな、食材だけじゃなくて金もちょろまかしてたか」


「ああ、…ああそうだ!クソッ!俺は…俺はなんで…」


ザジビエとて最初からこんな風に歪んでいたわけじゃない。まだ年端も行かない頃から近所のレストランで修行をして、いつか自分の店を持ちこのスープで客を楽しませることを夢見て寝る間も惜しんで開発に勤しんだ。


それがいつからか、ロレンツォに取り立てられ王宮料理人みたいな扱いになり、多額の金を扱うようになり、金に目が眩んで…名声に溺れて、どうしても費用に見合わない部分を切り捨て誰も分からないだろうと当初のレシピを書き変えてしまった…。


ただ海塩を岩塩に変えただけ、同じ塩で味そのものに変化はない…わけがない。あれだけ心血を注いで組み上げてきたこのスープ、その一部を書き換えて変化がないはずがない。


自分が一番最初に作り上げ大切にしてきた料理を、蔑ろにしていたんだ。


「…俺は、なんて馬鹿だったんだ…」


魔女大国は嫌いだ、だがそれ以上に料理が好きだ。このスープはそんな自分の原点。いつしかその味さえ忘れてしまう程に歪んでしまったその原点の味をアマルトは導き出し…叩き出してきた。


確かに、…このスープに足りなかったのは…塩だった。


「……認める、俺が今お前達に出したスープは不完全だった。このスープこそ…俺が一番最初に作り上げ、ロレンツォ様に評価され、俺を一流にしてくれたスープ…本物のスープだ、つまり…」


「……」


「お前の勝ちだ、…辛く当たって悪かったよ。君は確かに料理人だ…少なくとも俺が認める」


認め、アマルトの手を握る。認めるより他なかった、自分でさえ忘れていた本来の味を再現したアマルトの腕前を。


料理に国境はない、彼の料理人としての腕は魔女大国やマレウスなど関係ない、最初から…関係なかったんだ。


「…俺は料理人じゃねぇよ、そんな俺が図々しく厨房に上がり込んで悪かった。でもどうしても…作りたい料理があるんだ、食べさせたいやつがいるんだ」


「落ち込んでいる友達だろう、構わない。好きなだけ使え…なんなら俺も協力しよう。ただの汚職料理人の目を覚まさせてくれたんだ、魔女大国の人間に借りを作りたくないしな」


「マジで?じゃあ頼むよ…めいいっぱい、唐辛子を使いたい」


「分かった、なら工面する。好きにやれ、アマルト君」


「よし!んじゃあやるか!気合い入れるぜ…!」


「やったー!アマルトさん!流石です!僕も手伝いますー!」


「ありがとよ、ナリア。なら食器を用意しておいてくれや」


腕捲りをして、ザジビエに感謝をする。ただの素人を厨房に立たせてくれる温情に。


気合を入れ、エプロンを着用する。メグの為に作る料理…それでアイツがなにを思うか、そもそも食ってくれるかも分からない。けど…待ってろよ、俺は俺に出来ることをする。


お前の友達、アマルトの励まし方を…お前に見せてやるからだ。

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