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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十五章 メイドのメグの冥土の土産
560/868

511.魔女の弟子と重なる三つの歯車


飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ、とにかく前へ、迫る爆発から逃げるように、腕の中のか細い抵抗を抑え込みながらエリスは壁も扉も破壊しながら飛び…外に抜ける。けどまだ油断出来ない、もっと離れないと────。


「エリス!?」


「───」


瞬間、丁度庭園に飛び込んで来たラグナと目が合う。その瞬間エリスは思考するよりも前に…。


「ラグナァァァアァァァアア!!!!!!」


叫ぶ、それは言葉ではない咆哮。意味もない叫び、けれどラグナはそこにエリスの意志を感じ取り。


「ッ…全員離れろッッ!!!」


「え!?ラグナ!?お前いつの間に────」


「いいから伏せろッッ!!!」


瞬間全員に退避命令を出しながら庭園の木を片腕で、しかも一瞬で引き抜き館に向け投げつけ盾としながら全員が後ろに向けて飛び──────。



その時だった。


「ぐぅっッッッ!?!?」


館が大爆発を起こした。それは館を吹き飛ばすに飽き足らず周囲の地形を変えるほどの大爆発だった、当然エリスも逃げ切れず爆炎に飲まれるが…。


(守らなきゃ!!)


咄嗟に体を丸め腕の中のメグさんをコートの内に隠す。守らなければいけない、エリスは託されたのだから、メグさんを是が非でも守らなければいけない。全力で展開した防壁を突き抜ける燃え上がる体でメグさんを守り……。


そして。


「ぅグッ!」


爆風で吹き飛ばされた。地面を転がり大の字になって倒れ伏し…轟音と共に爆発し大炎上する館の跡地を見る。


…吹き飛んだ、あの爆弾で…全部。エリス達は逃げ切れた…ラグナも動いた、きっと無事だ。エアリエルもコーディリアも逃げた、けど…あの中には。


(トリンキュローさん…)


あの中にはまだ…トリンキュローさんが…トリンキュローさんだけが、あの中に…。


「ッ…姉…様!」


「メグさ…ッ!」


その瞬間、メグさんは未だ痺れの抜けない体でエリスの腕を弾き飛ばし、立ち上がりながら必死に燃え上がる館に向かう…って。


まさか!あの炎の中に突っ込む気か!


「メグさん!ダメです!」


「っ!まだあの中には姉様が!…姉様が……!」


咄嗟に立ち上がる、必死に背中を掴む、行かせてはいけない、行かせればメグさんはきっと炎の中にも突っ込んでいってしまう。それだけはダメだ…絶対に行かせるわけにはいかない。


それに…それにもう、トリンキュローさんは…!


「嗚呼…あ…姉様…姉様ぁぁ……」


それをメグさんも理解したのか、メグさんは静かに崩れ落ちるように膝を突き、動けなくなってしまう。


…メグさん……。


「エリス!メグ!無事か!」


「…ラグナ…みんな…」


すると、そんな爆発を乗り越え、エリスの叫びの意図を察しみんなを守ってくれたラグナが慌ててこちらに駆け寄ってくる。みんなも爆風でかなり怪我をしているにも関わらず、一心不乱に走り寄る。


ラグナ、ネレイドさん、アマルトさん、ナリアさん…オケアノスさんにステュクス…みんな無事だ。


「おま…!酷い怪我じゃないか!直ぐにデティのところに行こう!」


「姉貴!大丈夫かよ…!」


「え?」


ふと、ラグナとステュクスに血相を変えて迫られ、ようやく気がつく。今の自分の惨状を。真っ黒だ、体の一部が火傷で酷いことなって血みどろで、客観的に見れば立っている事どころか生きている事が不思議なくらいだ。


けど生きている、今は…エリスの怪我なんてどうでもいい。


「大丈夫です…」


「大丈夫って…でもまぁ、二人とも生きてるなら…」


「そうだな、みんな無事ならそれで……」


そう、ステュクスがポツリと溢した一言に、メグさんがピクリと反応する…。


「……みんな…無事…?無事なもんか…」


「え?メグさん…?」


「無事なもんか…無事なわけが!ないッ!!」


「うっ…!」


瞬間、メグさんは一気に立ち上がり振り向き様にエリスの頬に拳を叩き込み殴り倒す。…痛い、怪我は痛くない、けど…これは痛い。


「ちょっ!?メグッ!お前何して…」


「うるさい!!お前…お前ぇぇッッ!!」


「メグさ…グッ…!」


倒れ伏したエリスの上に馬乗りになり更に二度、三度と拳を叩き込み狂ったように叫びながらエリスの胸ぐらを掴むメグさんの顔が、エリスの視界に映る。


痛い…痛いよ、メグさん…。


「お前ッ!どうしてッ!どうして姉様を見殺しにしたッ!どうして助けてれくれなかったんだよ!!」


「メグさん……」


痛い…何より痛いのは、拳ではなく…溢れる涙が、エリスの頬に伝うのが痛い。


痛恨…と言ってもいい、エリスがもっと強ければ、師匠やシリウスみたいにあんな爆発弾きかけせるくらい強い防壁を張れたら、エリスの判断がもっと早かったら…。


エリスがもっと、何かをしていたら…死なせなかったかもしれない。そうであればメグさんに…友達にこんな事をさせなかった、こんな顔させなかったと言うその事実に胸がズキズキと痛む。


「姉様……ハッ!メグ!お前…姉貴はどうした!」


「まさか…あの館に…?」


「嘘……」


「姉?もしかしてあの館にメグの姉さんが居たのか!?」


事情を知っているアマルトさん達が顔色を変えるが、そんな事気にする事もなくメグさんはナイフを取り出しエリスの首元に振り下ろし…寸での所で止める。


「どうして!どうして助けてくれなかった!なんで…なんで見殺しにした…、なんで…トリンキュロー姉様を!死なせたんだ!!」


「…………」


「トリン…キュロー…?」


何かに気がつくステュクスを放置し、エリスは…意を決してメグさんに視線を向ける。逃げるわけにはいかない、それがエリスの責任だから。


「…トリンキュローさんの、意志だったからです」


「何を…ッ!言うに事欠いて…!」


「あのままじゃ!みんな死んでました!それでもエリス達がギリギリ生きているのは!トリンキュローさんがあの場に残って…爆破の衝撃を和らげてくれたから!トリンキュローさんが守ってくれたから!エリス達はこうして生き延びられたんです!…その必要があったから、トリンキュローさんは残った!」


「っ…でも…でも…!」


「分かってます!エリスがもっとしっかりしてれば…死ななかったかもしれない、だから…!」


エリスは向けられたナイフの刃を掴み…メグさんを強く強く見つめ続ける、その涙に溢れた瞳を見据える。


「恨んでくれても構いません、憎んでくれても構いません、エリスにはその責任がある…でも、エリスもトリンキュローさんも…メグさんに生きて欲しかったんです!」


「…ウッ…うぅ…!」


「だから…メグさん……」


「うぅ…ぁあああああああああああ!!!」


メグさんはナイフを捨てエリスの上に蹲り、子供のように泣き始める。わんわんと泣き始めるメグさんを…静かに抱きしめる。


「ぅぐ…うぅ、ああ…」


「…すみません、メグさん…エリスが……もっと…」


「違うんです!エリス様は何も悪くないって!分かってる…分かってるのに!私があの時油断しなければ!あの時もっとしっかりしてれば!逸らずに…みんなをもっと頼ってれば…こんな、こんな…!…私のせいなんです!エリス様はただ…私を命懸けで、助けてくれた…それだけなのに…それなのに私は、私の無力さを…貴方のせいにして…」


「メグさんは悪くありませんよ…」


「でも…でも……」


メグさんは体を起こし、燃え上がる炎の柱を見つめる。ボロボロと涙を流しながらただ見つめる。


今この時を持ってして、メグさんの世界は変わった。何かを追い求める世界から…追い求める物を失った、色のない世界に。


「メグ…さ…ん……」


声をかけたいのに、これ以上動けない…流石に血を流しすぎた。嗚呼、情けない…情けない。


師匠の言葉が脳内に木霊する。あれはデルセクトに入る前…ホーラックのシモンという街で…。


『お前は今後、何度か見捨てる機会に遭遇するやもしれない』


『中にはどうやっても助けられん者もいる、そんな人間にかまけている間に本当に助けられる人間まで失っては元も子もない。だから、選ぶのだ…多く伸ばされる手の中から、本当に引き上げられる者だけを……』


エリスは今日、助けられない人を見捨てて、助けられる人を助けた。これが正しかったのかは分からないし分かることはないだろう。でも一つ言えるのは…。


この教えをエリスに授けた師匠の悲痛な顔の真意。見捨ててしまった人たちの姿を師匠は思い浮かべていたんだ。


師匠、これが『選ぶ』という事なんですね。力ある者が委ねられる選択…でも、エリスは………。


こんな選択…クソ喰らえって思いますよ。そう言ったら師匠はなんて答えてくれますか?…ねぇ…師匠。



………………………………………………………


「う…うう…」


「気がついた?」


「あれ…?」


次の瞬間気がつくと、エリスは部屋へ中にいた。ここは…ゴールドラッシュ城の医務室?そして…。


「デティ?」


「おはよ、って言ってもまだ夜だけどね」


横に目を向ければ椅子に座ってやや不満げなデティの姿があった。ふむ、エリスはベッドの上、隣にはデティ、ここは医務室。これらを総合して考えるまでもなくエリスはあの後ここに担ぎ込まれてデティに治療してもらった…って感じか。


「デティ、ありがとうございます」


「いいよいいよ、まぁ…ラグナが血相変えて血塗れになったエリスちゃんを連れてきた時は流石に肝が冷えたけどね。相変わらず無茶しすぎだよ…、内臓破裂してるわ骨はバキボコだわ火傷まみれだわ…言っとくけどこれを傷跡一つなく回復させられるの私だけだからね?」


「はい、デティが居るからいつも無茶できます…それで」


「まず爆弾については解決済み、無害なポーションに変えて全部回収しておいたから。それと交流競技会は成功…爆弾の件は秘匿するつもりだったけど、どう考えても秘匿出来ない規模の爆発が起こっちゃったからちょい混乱気味」


「そうでしたか…、ありがとうございます」


「それで他のみんなは既にアジメクから連れてきた治癒術師から治療を受けて全員回復済み、アマルト達はちょいこっ酷くやられたみたいだけど…まぁあっちは痛い思いはし慣れてるだろうし大丈夫でしょ」


「……それで、その」


エリスの脳裏に過るのは、気を失う最後の光景。燃え盛る館の前で膝から崩れ落ちるメグさんの姿。彼女も怪我をしていたが…それ以上に、心配だ。


「メグさんね…うん、彼女も治療済み。お腹の刺し傷は酷かったけどあれくらいなら私で軽く治せるから…けど」


「心のほうは…」


「……心は治癒魔術でも治せないからね」


デティは忸怩たる思いとばかりに目を背向ける。きっとエリスが運び込まれた時にメグさんの様を見ただろうし、状況の説明も受けただろう…けど。


どれだけ優秀な治癒魔術師でも心ばかりは治せない、肉を切り裂かれるのと同じ痛みを持つにも関わらず決してなかったことには出来ない傷が心の傷なんだ。この点に関してはデティは無力だ…だからこそ、辛いんだろう。友達だもんね…メグさんは。


「話は聞いた、メグさんのお姉さん…死んじゃったんだってね」


「…………」


「あの後館の方をトルデリーゼさん達で確認しに行ったけど…、まぁ…うん、お墓に入れられそうなものは見つからなかったかな」


あの威力だ、仕方ないと言えば仕方ないだろうけど…。


はぁ…とため息を吐きながら膝の上に肘を突き、両手で顔を覆う。辛い…なんでエリスはトリンキュローさんを助けられなかったんだ。もっと何か…手があったんじゃないか?最初から超極限集中を解放していれば…出し惜しみなんてせず、使っていれば。


…エリスが強かったら、変わっていたのかな。


「エリスちゃんが悔やむことはないよ、当然メグさんもね。悪いのはハーシェルの影だよ、最初からお姉さんを餌にして釣って…そこを爆弾で始末しようとしてたんでしょ?ラグナが言ってたよ、スタジアムの地下にあるポーションの量が不自然だから、メグさんを狙ってるかもしれないって」


「………」


「それにクルスも!アイツがハーシェルと組んでやったんでしょ?ホンマもんのクズだよ!アイツ!」


「…………」


「だから…まぁ、思うところがあるのは仕方ない事だけど。気にしすぎないでね…なんて言えないか」


「大丈夫ですよ、エリスは初めてじゃないですから…」


悔やんでも帰ってこない人は帰ってこない、今ある現実が全てなんだ。あの時どうしていたら…こうしていたら、そりゃみんな思うだろうよ。けどそれが出来なかったしそうならなかった。


仕方ないというのはあまりに残酷だが、エリスはあの時あの場で出来る最善をして、メグさんを助けることは出来た。それはトリンキュローさんも望むところだった。


…少なくとも、こういう言い訳は出来る…、エリスは…だけどね。


「メグさんは?」


「…部屋、分塔のね」


「そうですか」


「メグさんは身体の方の傷は浅いから、とにかく今は休んでもらう。そしてエリスちゃんもまた休んでもらうよ、いくら傷が治ったとは言え一度は生死の狭間を彷徨ったんだから今夜は休んで……」


「よいしょっと…おっと、なんかフラフラします」


「って!言った側から!まだ治癒された分の血液量が完全に回ってないの!休めって言ってるでしょ!」


ベットから降りた瞬間ギャー!とデティが頭からツノを生やして怒る。エリスの事を心配してくれているのは分かる、デティが正しいのも分かる。


けど…。


『妹を頼みます…』


…エリスは、頼まれたんだ。


「すみません、それでも行かなきゃいけないんです」


「……まぁ、そう言うだろうと思ってたよ。だから一応体力回復用の薬草煎じて置いたから、飲みながら行って」


そう言うなりデティは近くに置いてあった水筒をエリスに渡す。手で受け取ればやや暖かいのが分かる…きっと急いでが用意してくれたんだろう、エリスが目を覚ました瞬間メグさんのところに向かうと分かっていたから。


流石デティだ、エリスの事をよく分かっている。


「ありがとうございます」


「うん、正直メグさんの直行してくれるのはありがたいよ。今のメグさんはかなり危ない状態にあると思う。きっと食事も取らないし水も飲まない、このままじゃ折角拾った命を自分から捨てかねない。そんなあの子に私達がかけられる言葉は少ない…けど、エリスちゃんならきっとなんとか出来ると思う」


「デティ…」


「私達を助けてくれたエリスちゃんだからこそ、信頼する。私達もメグさんの為に出来る事はなんだってするつもりだけど…お願い、今は側に居てあげて」


「はい、任せてください」


水筒の蓋を開けてフラフラとよろけながらエリスは医務室を出る、デティもまた忙しなく何処かへと走っていく。まだ…騒ぎは終わってないんだろう、彼女もやるべき事がある。あの子は責任感が強く、それでいて多くの責任を抱える子だ。


だからこそ、エリスにメグさんを託したんだ。…メグさんは分塔だったな。


「ゴクゴク…、よし!」


まだちょっとふらつくけど、大丈夫でしょう。そう軽く考えながら窓を開け旋風圏跳で空を飛ぶ…。


「……騒がしいな」


城の外を見れば、兵士達が慌ただしく走り回っている。中にはレギナちゃんが何やら指示を飛ばしていたり、メルクさんが必死な表情で護衛の人達に指示出しを行っている。


そんな様を眼下に見て、エリスはゴールドラッシュ城の分塔に向かう。確かメグさんは部屋にいるんでしたね……。


「…いや、違うな」


多分違う、部屋にいない。そう直感で理解したエリスは分塔の窓から目を離し…上を向く。


見るのは分塔の屋根…屋上だ。そこへ駆け上がるように風を掴んで飛び上がり、屋根の瓦に足を置けば…。


「やっぱりいた」


「……………」


そこには、昨日と同じようにメグさんがいた。昨日よりもずっと…落ち込んだ様子で膝を抱えて座りながら、クルスの館があった場所を黙って見つめていた。


「メグさん……」


「…………」


何も言わない、ただ薄暗い目でボサボサの髪をそのままに、メグさんは膝を抱えて座り続けている。…そうか。


「…隣、失礼します」


「……………」


隣に座る、反応はない。メグさんは別にエリスの事を無視してるわけじゃない、ただ自分の意識が今の世界に追いついてないだけなんだ。呆然としている…それしか出来ないから。


エリスも前そうだった。リーシャさんをこの手の中で失った時も…同じようになった。そしてその時…メグさんは。


「…………」


メグさんは、ずっとエリスの側に居てくれた。何も言わず、エリスが立ち直るのを信じ、そして立ち直れるように尽くしてくれた。今はだから…エリスもまたそうする。


だってエリスは、メグさんの友達だから…。


(今はまだ、それでいいんですよ。メグさん…今ただただ悲しみに暮れてもいいんです。それくらい辛い事ですから)


エリスは何も言わず、隣に居続ける。


…そうしている間にも、夜の終わりが…地平の向こうに見え始めてきたのだった。




…………………………………………………


「さっ!こっちだよ」


「………」


「どうしたんだい?元気がないね。ねぇ?エアリエル姉様」


「………」


「はぁもう、みんな無口だなぁ」


歩く、四人のメイドは街の裏路地を歩く。あの後爆発から逃れたエアリエル、チタニア、コーディリア、クレシダの四人は現場に急行した金滅鬼剣士団の捜査をまんまと掻い潜り、こうしてエルドラドの街の奥深くへと潜り込んでいた。


明るく、そして華やかなこの街にも裏はある。そもそも不正が横行するこの街においてアンダーグラウンドの存在は必須であり不可欠。故に表沙汰にはなっていないが…裏路地には多くの『隙間』がある。


地図で見れば何もない小さな空白、だが…。


「ここだよ」


「ここって…あの、チタニア姉様?私達はどこへ連れて行かれてるんですか?」


「新しいアジトさ、前のアジトがほら…吹っ飛んじゃったろう」


そう言うなりチタニアは手袋をつけて、薄汚れた裏路地の一角にある扉を開く。表沙汰には表通りにあるレストランの裏口ということになっている扉を開けば…奥にあるとは店の裏ではなく。


「階段…」


「ここはエルドラドの不正換金所さ、盗みや汚職で手に入れた物品を足がつかない方法で売り捌くことが出来る嘘吐き御用達の秘密基地。この街にはこんな小汚く美しくない場所が沢山あるんだよ」


階段があった、扉の奥に…下へ続く階段が。それを怪しみながらも四人は階段を降りる。だがそれでもコーディリアは怪訝そうな顔をやめない。


何故、換金所なんかに連れて行かれているんだ?そもそも私達は何も説明されていない、ただクルス邸爆破の後何も言わずについてこいとばかりに動き始めたエアリエル姉様に追従していただけ。


この後何があるか、わからないのだ。その事実にやや恐怖しながらコーディリアは。


「あの、なんでこんな所に?」


「ん?なんでって?」


「いや、換金所になんて用はないと思うんですけど」


「まぁそうだね、でも…これを見れば分かるんじゃないかな。ほら」


そう言うなり階段を降り切ると、そこに広がっていたのはなんとも怪しい雰囲気の薄暗い酒場のような場所だ、普段はここで物品のやり取りが行われているのだろうが…。


今はその店主はいはい、客もいない、いや正確に言うなればいるのだが…。


「これは…」


店中に、死体が転がっている。全員が死んでいる、外傷もなくもがき苦しんだ様子で地面に横たわり一人残らず死んでいる…。


いや、まだ生きているのがいる。店の奥に動く存在が居る…アレは……。


「ん?帰ってきたかな?」


そう陽気な声で椅子を動かし振り向いた存在の顔を見て、コーディリアは青ざめる。


なんせそこにいたのは父…空魔ジズ・ハーシェル自身だったのだから。


「なぁっ!?父様!?」


「やぁコーディリア、この間ぶりだね」


「何故父がこのような場所に…」


「私だけじゃないよ?」


そう微笑みかける父の背後には…。


「チタニア〜〜!」


「オベロ〜〜ン!一夜ぶりだね!」


「ええ!懐かしいわ!誰か殺した?」


「それが誰も殺せなかったんだよ、やはり少しは運動しないとダメだね!」


「まぁ情けない!情けないわ〜!でも情けない貴方も好きよ、オベロン」



「おお、お熱いですねぇ〜」


ハーシェルの影その四番『本命殺』のオベロン、ハーシェルの影その二番『暗剣殺』のアンブリエル。そして…。


「おやおやぁ?あれだけイキって仕事に出かけられたコーディリアさんではあ〜りませんか、仕事達成の凱旋帰宅にしては随分辛気臭い顔してますねぇ〜?」


「ミランダ…お姉様」


「私の後釜?私を押し退けファイブナンバー?そんな顔してるようじゃあファイブナンバー入りは百年早いと言わざるを得ないと思いますと言う気持ちを禁じ得ないですなぁ〜!プークスクスクス!」


投影魔術を使いその場に自分の幻影を投射し私をクスクスと笑うミランダが私を笑う。私の一つ上…ハーシェルの影その五番『月命殺』のミランダ。私より弱い癖して驚異的な依頼達成率を誇り実力がないにも関わらずファイブナンバー入りを果たした異例の存在。


私は…こいつより強い、こいつより優秀なのに、そんな私が…こんなゴミカスに嘲笑われるなんて…!それもこれもマーガレットのせいだ!トリンキュローのせいだ!


「………ん?デズデモーナ?お前も帰ってきていたのですか?」


「ああ?…あー…うん」


しかも見てみれば既にデズデモーナも帰ってきているではないか。というか…。


「ビアンカとオフェリアは?」


「あー、アイツらなら逃げたよ。臆病者だよな」


そう言いながらデズデモーナがその手で弄り回して修理しているのは…ビアンカの空魔装『織リ手編ミ』とオフェリアの空魔装『ジェットブラスター』だ。何故こいつがそれを…まさか。


…まぁ、どうでもいいか。アイツらがしくじったせいであれだけ準備したスタジアム爆破も達成できなかったんだから。


「というか、ファイブナンバーが…全員?それに父様まで、いつの間に」


「つい先ほどね、しかしまぁ…随分苦戦してるようだし、来てよかったよ」


「っ…まさか、私の苦戦を予期して?」


「ああ、やはり君にはマーガレットの始末は荷が重かったかな。まぁ最初から無理だと思っていたから責任は問わないよ」


「ッ……」


怒りで頭がおかしくなりそうだった。つまり何か?私は何も期待されていなかったというのか?私が…マーガレットに劣ると、父に思われていたと…!?それを折り込み済みで…私は使われていたと!?


…なんという、なんという屈辱だ…。


「しかしスタジアムの爆破まで阻止されるとは、…んふふ。敵も中々やるようだ」


「……」


父は既に私に興味を示していない。失敗を咎められるどころかそもそも最初から分かっていたとばかりに流され私には何も言葉がない。私には期待していなかったというのは本当なようだ。


…その瞬間、脳裏に過る…トリンキュローの言葉。


『貴方もいつかジズに切り捨てられますよ』


その言葉が、今確かな現実味を帯びて私の前に降りかかる。


(切り捨てられる?この私が?…あ、ありえない…ありえない!)


私は未来のファイブナンバー…私は最強の影になり空魔の頂点に立つ女。それが簡単に切り捨てられるはずが無い。はずが無い…と思っていたのに。


父は私をマーガレットに劣る存在だと考えている…このままじゃ、私は…切り捨てられる。


「さて、コーディリアも戻ったしそろそろ仕事の話をしよう。エアリエル、マーガレットは死んだかい?」


「いえ、オベロンのポーション爆弾は起動しました。完璧なタイミングで爆破したのですが…トリンキュローの最期の抵抗によりマーガレットとその場に居合わせた孤独の魔女の弟子エリスは無事脱出してしまいました。向こうに友愛の魔女の弟子がいることを考えると傷も回復しているでしょう。無事です」


「そうかいそうかい、ここからでもあの爆発音は聞こえたが…あれから生き残ったかい。これでも完璧に計画は立てたつもりなんだが…それでも生きた、生かされたか…ククク」


マーガレットは生きている、その話を聞かされても父は怒るどころか嬉しそうに笑う。まるでジョークを聴いたようにフツフツと笑いが込み上げ、終いには手で顔を抑え。


「あはははは!そうかい!そりゃいい…流石は私が見込んだ逸材だ」


「はい、父の言うようにマーガレットからは…」


「ああ、感じるだろう?エアリエル。私の次に死に近い君だからこそマーガレットの素質を」


「ですが私はあれを良いものとは思いません、唾棄すべきかと」


「まぁ、それは感じ方次第かな。君も後五十年近く生きれば考え方も変わるだろう、しかし…やはり殺し甲斐があるな、マーガレットは」


「はい、それとトリンキュローは…」


「死んだんだろう?最初から死なせるつもりだったし報告はいらないよ」


「御意」


次は何をしてくれようかと愛用の杖の上に両手を置いてお気に入りのおもちゃで遊ぶような感覚でニコニコ微笑む父を見て、思う。この人はこの世で一番自由な人なんだろう…誰を殺すかどう殺すか、それを考え実行して成し遂げる、それはなによりも自由で無秩序なあり方だ。


私はその在り方に憧れた。私もそうなりたいと考えた。それ程に父は…自由の体現者なのだ。


「ふーむ、しかしスタジアムの爆破の方もやらなきゃだね」


「はい、またもう一度ポーション爆弾を用意しますか?オベロン…いけますか?」


「えぇー!うーん!技術的にはいけるけど材料の発注が間に合わないしなぁ〜」


「つまり出来ると言う事ですね、父様…問題は無いかと」


「うーん、あるんだけどなー、材料ないと作れないんだけどなー」


「ああ、ああ。いいよいいよ、やらなくて。競技会が終わった時点でスタジアム爆破には合理性がないからね、躍起になってやってる感があって好きじゃない」


「御意、しかしそれではスタジアムの方は諦めると?」


「いや?諦めないよ?ただスタジアムを狙った…と言う風にしたくない。やるならそうだね、次はエルドラド全域を吹っ飛ばそう。うん、適当に言ったけど名案だね、これで行こう」


パチンと指を鳴らしエルドラドそのものを標的にすると言い出した父に、ポーション制作担当のオベロンがげぇーと口を開く。


「父様〜、言いづらいんですけど流石にエルドラド全域を吹き飛ばす量のポーション爆弾を用意するにはちょーっと時間が…」


「一度使った手は二度と使わない、空魔の鉄則だろう?だからポーション爆弾は使わない…」


「ならどうやって…」


皆の注目が集まる中父は一瞬考えた後、悪戯に微笑み。


「『ペイヴァルアスプ』を使う」


「ほう…」


「まぁ…」


「それは良いですね、流石父様」


「面白そう〜」


「えぇ…」


ミランダ以外のファイブナンバー達は皆父の意見に賛同し頷く。ちなみに私は賛成半分反対半分だ。


空魔の秘密兵器『ペイヴァルアスプ』…確かにあれを使えばエルドラドくらい一発で吹き飛ばせるだろう。なんせ父様が作り上げた最終暗殺法なのだ、正直暗殺と呼んでいいか怪しいレベルだけどあれから逃れる術はない。


だが同時に最終兵器であり秘密兵器であるペイヴァルアスプを使うと言うことは…。


「マレフィカルムに使う予定では…」


そう聞いてみる、アレは八大同盟やセフィロトの大樹を殺すため用の物ではなかったのか?総帥ガオケレナ・フィロソフィアを殺す為のものではなかったのか?ここで使ってもいいのだろうか。


「ああ、いいんだ。どうせガオケレナは知っていても対策はしてこない、アイツは不死身だからね。それ故に攻撃に対する防御策を練るなんて一度としてやったことがない。だから警戒はしなくてもいいし…ここには使うだけの価値がある」


「それに、既にこの街には手勢を向かわせている」


「傘下の組織ですね?」


「ああ、全部こちらに来させている。エルドラド包囲網も直ぐに形成される…」


八大同盟とは、マレフィカルム内部に絶大な影響力を持つ大組織の事を言う。いくら強くとも五凶獣のようななんの影響力も持たない組織が八大同盟と呼ばれないように、ハーシェル一家にはマレフィカルム内部に『傘下』或いは『ジズ派・ハーシェル派』と呼ばれる派閥が存在する。


直属の傘下組織総数百五十、ジズの影響を受けている組織・ジズに協力すると宣言した組織総数二百。全ての総数を束ねて合わせれば人員は十万人は軽く超える。


中には『キリング・ピカレスク』のボスであるシュトローマンのように最近魔力覚醒を会得したような一級の戦力も多くいる大軍勢だ。多分マレウス王国軍と戦争しても勝てるだろう。


「『キリング・ピカレスク』『エクスリッパー』『一刃始末協会』等傘下の主力級も既にエルドラドの周りを固めています。今なら作戦を開始出来ます」


「なら空魔の館が到着したら始めようか…ああでも、ここには魔女の弟子達や魔女大国の戦力もいるんだったね、…邪魔だなあ……」


トントンと父が苛立ったように杖を指先で叩く、すると場に異様な空気感が漂う。邪魔だと…父が言った、つまり。


「では私が全員殺してきましょう」


エアリエルが言う、全員を殺すと。父が邪魔だと思う存在は全て剪定する…それが鋏の役割だとばかりに一歩出るが。


「いや、君をここで使うわけにはいかない…」


「御意、では誰が行きますか?」


「……コーディリア、君…納得してないね」


「え?」


父がこちらを見る、正気のない瞳でこちらを見る。それはつまり…。


「やってみるかい?バックアップはファイブナンバーにやらせる…今度こそ、マーガレットを殺してみなよ」


「ッ……!」


父が、私を見ている、つまり…私に期待している?いや違う。これは最後のチャンスなんだ、でも…チャンスはチャンスだ。


納得?してるわけがない、アイツを殺さなきゃ私は終わりなんだ…マーガレットを、この憎悪のままに奴を消さなければ、私は!


「やります!やらせてください!」


「ちょっ!ちょっと待ってよ父様!こいつ何回失敗したの!?」


しかしそこに文句をつけるのはミランダだ、何回失敗した?やはりこいつ…私の仕事を監視していたのか。引きこもりの出歯亀女が…相変わらず陰険極まる。


「何回も何回も殺し損ねてるこいつが行って、成功するとは思えないよ!」


「……確かに、私はもう三度もマーガレットを殺し損ねた…もう一度行っても、また失敗するかもしれない…けど」


だが、方法はある。トリンキュローという切り札は失ったが…まだ方法はあるんだよ。


ゆっくりと、ゆったりと私はデズデモーナに近づき…。


「それを寄越せ」


「は?」


「空魔装だ、ビアンカの分…オフェリアの分、後お前のもだ」


要求する、デズデモーナが持つ空魔装を…今こいつは三つの空魔装を持っていることになる。だから…それを寄越せ。


「はぁ?嫌だね、これはアタシがアイツらからもらったもんだ!次はこれであの赤髪を殺して───」


瞬間、拒否しようとしたデズデモーナの動きが止まる…父が、チラリとデズデモーナを見たからだ。


「───……」


ただ見られただけで、デズデモーナの動きが停止する。冷や汗を流し声ひとつ上げられなくなる。まるで蛇に睨まれたカエルのように、殺しても死なない筈のデズデモーナが死を恐怖しているのだ。


そして父はゆっくり口を開き。


「デズデモーナ、譲ってあげなさい」


と…おもちゃを取り合う子供を諌めるように言うのだ。そう言われてはデズデモーナも逆らえない…、彼女は黙ったまま私に向けて二つの空魔装と自らの空魔装を明け渡す。


「……クレシダ、お前の奴も寄越せ。どうせお前使わないだろ」


「え?でも…」


「いいから寄越せ!私の分とビアンカの分とオフェリアの分、それとデズデモーナとお前の空魔装を全部使って…今度こそマーガレットを殺してやる!!」


使う、十番代以降の影に与えられる特殊な魔装『空魔装』を…五つ同時に扱う。普通の人間には一人で一つ扱うので精一杯だろうが…私ならやれる!私にだって出来る!


だってマーガレット!アイツがいくつもの魔装を操っているのを見た!なら私にも同じことができる筈だ!


「次は私も決戦装束で出る!次で…マーガレットと決着をつけてやる!」


「ほぉう、面白いね、やってみなさい」


父も笑う、認めてくれた。そうだ…私は切り捨てられるような存在じゃないんだ。ならやれる…やる!私は私の自由を手に入れるために!あの日のマーガレットと同じ『特別扱い』を手に入れるために!


今度こそ…殺す!マーガレットを殺してやる!!!!


………………………………………………………………



トラヴィス・グランシャリオとヴェルト・エンキアンサスは知己の中である。と言うのもヴェルトが…俺が仕えていた主人であるウェヌス・クリサンセマムの師匠をしていたトラヴィス卿とはアジメクで騎士をやっていた頃からの付き合いなんだ。


とは言え、当時俺はまだ一介の木っ端騎士…翻ってトラヴィス卿は既に魔術界の大人物。だから仲が良かったと言うより純粋に俺がお世話になった人…と言う関係の方が正しいだろう。


二人はスタジアムを出て、ゴールドラッシュ城の廊下を歩む。既に爆弾騒ぎは収まっているのだろう…先程街の郊外で起こった爆発はやや気になるが、今動けば少し目立ってしまう。だから今は人目につかぬ無人の城の中で話す必要があった…。


「お久しぶりです、トラヴィス卿。会議場では挨拶も出来ず申し訳ありません」


「フッ、狂犬のようだった君が挨拶や礼儀を重んじるとはね。成長したじゃないか」


足を悪くしやや辿々しく歩くトラヴィス卿を支えるように歩く。少し歩くだけでも膝に激痛が走るだろうに、それでも俺と話をする為にこうして時間と場所を取ってくれたことに感謝を感じつつ…思い出す。


懐かしい、こうしてこの人と話しているとアジメクの騎士時代を思い出す。とは言えまだあの頃の俺はスラム街に居た頃の感覚が抜けず、よくトラヴィス卿に怒られていたっけな。


『栄えある魔術導皇の配下たる君にも一定の教養と礼節が求められる事を態々言わねばならんか!それとウェヌス!君も何があっても笑顔でいるのはいいがそれは悪く見ればヘラヘラしているとも取られかねない!締めるところは締めなさい!』


…あの頃のトラヴィス卿は怖かった…。いつも俺とウェヌス…セットで怒られてた。


「あの頃は、私も熱かったな。グランシャリオ家の当主として、そして次代の魔術界を牽引する存在を育てる役割を授かった身として、ただ責任に従事しようとして…君を何度も怒鳴りつけてしまったよ」


「やめてくださいよ昔話に感傷的になるなんて、そんな歳取りました?」


「取ったさ、君も私も。私ももうすぐ隠居する…そうなればあっという間に老けるだろう」


最近白髪も目立つようになって来たんだと黒い髪を撫でながら間に煌めく白い光を見て悲しそうに笑う、いや…笑っていることしかできないんだ。


「…どうして、私ばかりこうも長生きして…あの子は、ウェヌスはあんなにも早く逝ってしまったのか」


「……トラヴィス卿」


「すまないねヴェルト君、私は教え子が…ウェヌスが苦しんでいる時も、側にいてやれなかった…偉そうにしていた割に、師匠失格だ」


そんなことはない、トラヴィス卿は病床に臥しているウェヌスに代わり世界各地を回り魔術界の維持と発展に努めてくれていた。ウェヌスの治世はそのままトラヴィス卿の治世だったとさえ言えるほどに献身的に努めてくれた。


でも、それでも。…まだウェヌスの事を想ってくれているんだな。それがなんだか嬉しくて申し訳なくなる、まだウェヌスの事を覚えてるのは俺だけじゃないんだ…世界がウェヌスを置き去りにしたわけじゃないんだと知れて、嬉しくなってしまうんだ。


「そんな事言ったら俺なんか何にもしてやれませんでしたよ、一番近くにいたのに…」


「………だから、騎士をやめたんだったね」


「俺は騎士になりたくてなったんじゃない。ウェヌスの側に居たかったからなったんです、アイツがいない城に…居場所はないですよ」


「そうか、じゃあもう…」


「アジメクには戻らないっす、俺がいなくてもなんとかなるでしょって思ってたら実際なんとかなった」


「君は…いや言うまい、いや言わせろ、君はもう少し自分が置かれた立場を理解しなさい。久々に直に摂取する君のルーズさで頭が痛くなった」


そんなこと言ったって…もう十年くらい戻ってないし、今更戻りたくないし、実際どのツラ下げて戻るんだって話だし。トラヴィス卿的には無責任に映るかも知れないが…いや無責任は無責任か。


「…っていうかこの手の思い出話なら別に場所を移さなくてもよかったのでは?デティフローア様を交えても…」


「これから真面目な話をするんだ、今のは話の枕だよ…本題はマレウス・マレフィカルムの件だ」


「ッ…!」


そこで俺は表情を引き締める。そうか…まぁそりゃあそうかと小さく頷く。


…俺がトリンキュローと別れ行き場を失った時、ソレイユ村に戻らず頼ったのはこの人…トラヴィス卿だった。そこで俺は手当を受けながらマレフィカルムが魔女大国との大戦を望んでいる事をトラヴィス卿に話したんだ。すると…。


『その件は私も把握し裏で情報を集めていた、もし君にその気があるなら…マレフィカルムの情報を集める協力をしてもらえないだろうか』と、そんな言葉が返って来たんだ。


俺がマレフィカルムの危険性に気がつくずっと前から…この人は一人でマレフィカルムについて探っていたというんだ。勿論二つ返事でオッケーしたさ。


俺が神聖軍に潜り込んでたのもそういう事だ。この人から頼まれて情報を探っていた…言ってみればこの人は俺にとっての唯一の協力者ってわけだ。


「あれから、神聖軍に潜り込んで…何かわかったかな」


「はい、やっぱり神聖軍には『セフィラ』が居ます。間違いないです」


「やはり居たか…」


トラヴィス卿の長年の情報収集により『マレフィカルムという巨大な影は、ただ一つの組織によって動かされている』という事が分かった。その組織が…セフィロトの大樹、マレウス・マレフィカルムを創立し統括するこの世界の最も深い闇の中に存在する大組織だ。


その全容は不明、どれほどの規模で普段何をしているのかも不明。総帥ガオケレナ・フィロソフィアの直接の指示を受け何かしらの活動を各地で行っておりその尻尾は帝国でさえ掴めていないという大物の中の大物だ。


俺達が追っているのは…そのセフィロトの大樹だ。マレフィカルムはセフィロトの大樹に動かされているに過ぎない、いくら周りを固める組織を破壊しても、八大同盟を全滅させたとしても、核となるセフィロトの大樹が無事ならなんの意味もないんだ。


魔女大国との大戦を止めるには、セフィロトの大樹をなんとかするしかない。そこで俺たちはまずその尻尾を掴む為セフィロトの大樹が各地に送り込んでいる『十一人の幹部』を探ることとした。


『セフィラ』の名で呼ばれる十一人の幹部達はマレウス各地でそれぞれ任された任務に従事している。そのセフィラが…東部にもいるんだ。


「東部にいることが分かっているセフィラは二人…そのうちの一人が、神聖軍にいると」


「はい、多分居るのは…『美麗のティファレト』。極めて高い致死性を有する魔術を使う危険な奴です」


セフィラのメンバーのコードネームとある程度の役職は分かっている。


『栄光のホド』…総帥ガオケレナの側近として活動する総帥の右腕だ。


『基礎のイェソド』…マレフィカルムの基盤を確立しているとされている人物だ。


『勝利のネツァク』…イェソドの補佐を行い敵対組織の撃滅を行うとされるヤバい奴だ。


『知恵のコクマー』…情報はなし、最も音沙汰のないセフィラの一人だ。


『理解のビナー』…マレウス魔術界の重鎮である事は分かっている。


『慈悲のケセド』…多分一番の新顔、東部を拠点に動いている可能性が非常に高い。


『峻厳のゲブラー』…一番の危険人物、こいつは本名まで割れてるが…ちょっとびっくりするような奴だった。行方が分からない為現状手出しは出来ない。


『王冠のケテル』…マレフィカルム本部にて反魔女勢力圏全域の指示を行う司令塔。


どいつもこいつも一級の実力者であり、多分俺やトラヴィス卿よりも強いのは確定。そんなやばい奴らが皆コードネームを持ち本名を隠してマレウス各地に潜伏してるんだから恐ろしいよ…中でも。


『王国のマルクト』…恐らくバシレウス・ネビュラマキュラと思われる存在。もしこれがマジでバシレウスだった場合かなりまずいことになる。


『知識のダアト』…そんなバシレウスの世話役にして現状マレフィカルム最強の地位に立つ存在。動きが全く読めない上に所在もしれない恐ろしい奴。


この二人に関しては実力も影響力も絶大、目下の所こいつらをどうするかは全く手立てが打てていない。


…それが十一人のセフィラ、表でも裏でも世界の頂点に君臨するだけの実力を持つ大幹部達。そのうちの一人である美麗のティファレトの活動が確認された。まだ正確な証拠は集められてないが…まぁ確定だろう。


「やはりティファレトはあそこに…」


「もう決まりっすね、後は音沙汰なしの『知恵のコクマー』と本部から出てこない『王冠のケテル』くらいだ」


「ああ、全員の居場所が分かり次第…次の手を考えるとしよう。正直手出しは出来ない、実力行使であの組織をなんとか出来る者は恐らくアド・アストラにも居ないし…迷う所だな」


「ええ、…ですがやはり俺達だけではいささか厳しいですね。そういえば息子さんは?イシュキミリ君。彼なら実力もあるし頼りに…」


「…………マレフィカルムの話は、イシュキミリの前ではしたくないんだ。許せ」


え?なんで…いやそっか。息子だもんな、巻き込みたくないって気持ちがあるんだろう。この人だって人の親ってわけだ。


「だが東部での潜入が上手くいったのはいい知らせだ、しかし…同時に参ったな…」


「ええ、やっぱり…」


「ああ、…まずいな、もし美麗のティファレトが奴だったなら…」


ずっと危惧していた、監視したかったが出来なかった。だがそれは叶わず俺はティファレトをフリーにしてしまった。


そうだ、今…ティファレトはエルドラドに居る。世界最強の暗殺者を超える世界最悪の殺戮者がこの街にいるんだ。なにも…行動を起こさなければいいけど。


………………………………………………………………



「はぁ…はぁ、なんだ?今館で爆発があったような…」


財産を抱えたままクルスは走る、今館が爆発したような気がする。アレがコーディリアの言ってた人間爆弾なのか?確か魔女の弟子の一人マーガレットを殺す為にそいつの姉貴を使って諸共吹っ飛ばすとか言ってた気がするが。


ちょっと威力が異常すぎないか?まさかアイツら…俺ごと吹っ飛ばすつもりだったのか?マジで信用ならねぇな。


「まぁ誰が爆発しても、誰が死んでもどうでもいいけどよ…!」


ぶっちゃけ誰が爆発して、どいつが死のうが知ったことではない。寧ろ俺を追いやったあのメイドの姉貴が死んで、そのメイドも死ぬってんならこっちとしても万々歳だぜ。


けど…その様を見てやる事は出来なさそうだ。


「クソッ、馬車くらい持ってくるんだった」


今、クルスはエルドラドの郊外の森の中を走っている。エルドラドに居ては捕まってしまう、ハーシェルとの関連を知られた時点で俺はもうあの場所に居られない。


だから財産を持って西部に向かう。あそこは金さえあればいくらでも好き勝手出来るからな!確か西部には真方教会の手が及んだ街があった筈だし取り敢えずそこに潜り込んで…。


いやその前に馬車を見つけないと、くそっ…部下全員をスタジアムに向かわせていたのは失敗だったか、オケアノスも置いてきちまった。いやオケアノスやヴェルトもハーシェルの件を知らないし、アイツらのことだから最悪俺を憲兵に突き出すかも…。


「ああくそ!なんでこんなことになっちまったんだ!俺は教皇だぞ!正当なる!教皇の血筋の人間なんだぞ!そもそも俺を救わないで神は誰を……」


と、そこまで言って足を止める。神…か。


…羅睺の遺産、彼処に書かれていた事は本当なのだろうか。あんな冒涜的な話が…アレが本当ならこの世に神は居ない事になる、いや…『神はいる、だが俺達の信仰する物とは違う』のか。


そんな…じゃあつまり俺は邪教の教祖?そんなはずがない、テシュタルは数千年の歴史を持つし…なにより。


「だぁーくそ!なんだって俺がこんな事悩まなきゃいけないんだよ!」


苛立ちのままに木を蹴飛ばす。それに釣られて周囲の茂みも揺れる、クソクソクソ!俺がこんな落ちぶれたのも全部オケアノスのせいだ!あの魔女の弟子達のせいだ!俺は何にも悪くないのに!


クソクソクソクソ!全員死ね!死んじまえ!どーせハーシェルがアイツらのこと殺すだろ!というか死んでるか!名前は忘れちまったけどあのアホメイドの姉貴が自爆して殺したろ!


そう思おう、そう思えば幾分溜飲も下がって…。


「え?」


ふと、木の上から降ってきた存在を見て…血の気が冷める。


いやだって…これ、降ってきたのって…人?


「は、はぁ?なんだよ…酔っ払いか?こんなところで寝てたとか…どんなアホだよ」


そう思い、降ってきた人間を確かめると……息を、していなかった。


「し、死体…これ、死体!?こ…殺されてんのか!?」


慌てて遠ざかる、ま…まさか魔獣でもいるのか?いや…エルドラドの付近には魔獣は出ないはずだろ…、じゃあなんでこいつ死んで…。


『うぉぉおおおお!くたばれやぁぁああ!!!』


「ヒィッ!?」


瞬間、耳に入った怒声を聞きつけ財産を守りながら俺は茂みの中に隠れる。まさか金滅鬼剣士団がこれを殺しにきたのか?…と思ったが、違った。


今まで一人で騒いでいたから聞こえなかったが、直ぐ近くで…金属音が聞こえる、いやこれ…戦闘音?


「山賊が喧嘩してんのか…?」


嫌なところに出くわしてしまった、恐らく降ってきたのは山賊だろうと勝手に決めつけ俺はどんな馬鹿どもが暴れてるのか、喧嘩の範囲はどの程度なのかを確かめるために茂みから木の影に移動し…怒号の聞こえた場所を見る。


するとそこは、森の中にポッカリと開いたスペースが広がっており。その中に何人かの集団が見えた。


戦っているのは人相の悪い男達数十人、全員が剣や槍で武装しておりとてもそんじょそこらの山賊とは思えないくらい鍛え抜かれた図体をしていた。まるでどこぞの軍隊と言われた方が納得がいくほど、全員が強そうだった。


そんな中…そいつらと戦っているのは。


「後はテメェだけだ!覚悟しやがれ…!」


「……ふむ、情けないのを連れてきすぎたか…」


(あ…あのメガネ!一回見たことある!確か…レナトゥスと一緒にいた…!)


灰色の髪、深緑の礼服、アレは…マレウス王国軍の将軍。


マクスウェル・ヘレルベンサハル…。


(な、なんだってマレウスの将軍がこんな所で喧嘩なんかしてんだ…!?)


マクスウェル将軍と言えばこの国でエクスヴォートに並ぶと言われる最強戦力の一角。そこら辺をプラプラ歩いていていいわけがない大物中の大物だ。


以前俺を王貴五芒星に加えたいとやってきたレナトゥスと共に行動していた男だ。それが今…エルドラド近郊の森の中で悪漢と戦っている。なんで…いやそう言えばこいつ、遅れてエルドラド入りするって話だったな。


そこでこの悪漢達に襲われたのか。ってかよく見たらマレウス王国兵の連中…全員死体になってんじゃねぇか!頼りねえ…。


「部下に任せて後ろでコソコソしやがって…、テメェをエルドラドに近づけさせるわけにはいかねぇんだよ」


「それはジズの命令か?ん?どうなんだ?…ハーシェル派の魔女排斥組織『屠刃会』諸君」


「なっ!?…そこまで知ってんのか、流石はマレウスの将軍様」


「…そちらは私が何者か知らないようだな」


「はぁ?マレウスの将軍だろう」


「そうだな、まぁ…その認識でいい、だが……いや、面倒だ。来なさい、私は明日にでもエルドラドに行かねばならないんだ」


「ッ…なめやがって!」


相手は数十人、対するマクスウェルは一人…オマケに武装もしていない。それなのになんでアイツあんなに余裕そうなんだ。


クルスは最早逃げることも忘れ観戦に専念する、もしここでマクスウェルが殺されればもしかしたら次は自分かもしれないのだから。マクスウェルには勝ってもらわねば困ると危惧していたのだ。


だが……、その心配は杞憂に終わる。


「さて、殲滅は何でするか…ふむ。魔力覚醒…」


「チッ!やっぱり使えるか…!」


瞬間、マクスウェルは迫る悪漢達に手を翳し…背中に一つ巨大な光の輪を背負い。


「『天閃・炎王光手』」


咄嗟に魔力覚醒を警戒し回避行動を取ろうとした悪漢達、されど時既に遅くマクスウェルの手から放たれた無数の光の矢、いやアレはもう槍と言ってもいいだろう。


光に包まれたマクスウェルの手が数十数百の光の槍に変貌し目の前の悪漢達を貫き燃やし尽くす…と同時にマクスウェルは再び動き出す。背中の光の輪が一直線に伸び一文字を刻むと…。


「魔力覚醒『怒涛激震脚』」


「ちょっ!?待て!お前いくつ魔力覚醒持って───」


振るう、赤く輝く右足を一振りすると紅蓮の熱波が放たれ迫る悪漢を吹き飛ばすと同時に燃やし尽くし炭化させる…が、まだマクスウェルの動きは止まらない。


次は背中の一文字が変形し三角形を作り出すと。


「魔力覚醒『モーンストリム・ポリプス』」


「三つ!?こいつ…やばい!なんで三つも魔力覚醒持ってんだ!」


マクスウェルの左腕が変形し分裂する。と同時に十本の触手に…タコの触手に変化し一撃、薙ぎ払うだけで悪漢の体が引き裂かれ次々と死んでいく。


異様だ、あまりにも異様。次々と殺されていく悪漢達は抵抗も出来ず数を減らしていくが…それよりも異様なのはマクスウェルが無数の魔力覚醒を操ること。


俺だって魔力覚醒が一人一つなのは知っている。魔力覚醒とはその者の生きた道…つまり『人生そのもの』なんだ、二つ三つの人生を歩める者はいない、例え変な身の上で名前を変えたりして異なる人生を二つ歩んだとしてもそれは『そういう一つの人生』なのであって魔力覚醒が増えたりしない。


稀に『一つの覚醒が二つに分裂する』とか『幼年期のある時期に覚醒する事により二つの覚醒が目覚める』とか、異例と呼べる例は存在するが…それでも三つはおかしい、というかこうしている間にもマクスウェルの背中の光は三角形から四角形、四角形から五角形に変わりその都度四つめの覚醒、五つめの覚醒を発現させていく。


(そういや噂じゃマクスウェルは一人で数十の覚醒を使えるとか聞いてたけど、アレマジだったのかよ…、マジで無限の覚醒を持ってるのか?)


もしそうだとしたら…マクスウェルの奴。マジで何者なんだ?本当に人間か?


「で?後は君だけになったみたいだが…言うことは?」


「ば、化け物が!なんでそんなに大量の覚醒を持ってるんだよ!聞いたこともねぇよ!」


「何事にも例外という物はあるのだよ…」


そうこうしている間に悪漢は残り一人、全員がマクスウェルの使う複数の覚醒を前に敗れ去った。まるで魔術みたいに次から次へと覚醒を使いやがって…何者なんだよアイツ。


「…ふむ、丁度いい。新しい覚醒を試してみるか…」


「ま、まだあるのか…!」


そういうなり、マクスウェルは近くに落ちていた死体の腕から鉄製の籠手を取り外し、そいつを腕に装着すると同時に…動く。背中の六角形の光が次は七角形に変化すると…。


「魔力覚醒…『伐折羅陀羅婆娑羅』!」


隆起する、鋼鉄の籠手を嵌めた腕が鋼と同化しボコボコと膨れ上がり巨大な鋼鉄の腕へと変貌する。アレもまた魔力覚醒なのか…!?籠手を嵌めただけであんな巨大な…。


「ひ、ひぃぃいい!」


「笑止、お前のような奴は、魔女に挑む資格さえない…ッ!」


瞬間、巨大な腕を振りかぶったマクスウェルは一歩、…まるでオケアノスのような速度で踏み込むと同時に巨鉄腕を振り抜き、まるで砲弾のような掌底を放ち、逃げ出した悪漢を打つ。


その威力は打撃とは呼べず、身に受けた悪漢の体は破裂し、跡形もなく消え去ってしまう。…マジかよ。


「ふむ、装着した防具と同化する覚醒か…単体の使い勝手はあまり良くないが、鉱物生成系の覚醒と合わせればそれなりの…、肉体進化型の覚醒との兼ね合いもあるし、難しいな。所詮は雑魚の覚醒か」


腕に付着した血を払うと同時に巨大な腕は消え去り、背中の光も消失し戦いの終わりを告げる。勝つか負けるか、そんな思考が挟まる余地のない殲滅。圧倒というより絶望…強い強いとは聞いてたが、あんなに強いとは。


「……………まだ残っているのか?」


(……え?)


しかし、既に全員を殺し終えたというのにマクスウェルは何かを探すように視線を走らせている。まだ残っているのかと…まだ何処かに敵が残っているのか?


いや…まさか……。


(俺か…!?)


咄嗟に息を殺してしまう。今マクスウェルに見つかったらどうなる?俺は王貴五芒星だ、つまりマクスウェルは味方…なのか?今俺の立ち位置はどうなっているんだ?レナトゥスは俺の存在をどう感じているんだ?


…やばいかもしれない、だって俺…レナトゥスの要望蹴ってるし。確実にいい顔はされていないはずだ。


(クソッ…なんでこんな…)


「…そこか」


ゾッとする、マクスウェルが何かを見つけたとばかりに目を開き呟いたからだ。


見つかった…そう内心唱えたその時だった。


「魔力覚醒───」


「『炎獄』ッ!!」


マクスウェルが動いた瞬間、それよりも速く夜が朝に変わる…いや朝に変わったと勘違いする程の光が天より降り注ぐ。それは一瞬で炎に変わりマクスウェルの背後の木々を焼き払い…。


「ぎゃぁあああああ!?!?」


その中から火だるまになった男達が数人転げ出てくる、あんなところに隠れていたのか…じゃあマクスウェルが探していたのはこいつら?


「…チッ……」


『おうおうおいおい、天下無双の将軍様が舐めてかかって背中取られるたぁこりゃまたいい笑い話しの種を見つけちまったかな?』


「……お前か」


すると、炎が降り注いだ先…頭上から声が響く。その声に苛立ちを見せるマクスウェルはあからさまに舌打ちをし…そいつを見遣る。


と同時にソレは木の上から飛び降りて、マクスウェルの前に立つなり手を上げ軽く挨拶して見せる。


「よっ、元気かよ。マクスウェル」


「貴様は、何故ここに来た」


「この俺様が、どこで何してようが俺様の勝手だろうが」


(なんだアイツ…人間か?)


現れたのは樹木かと錯覚する程の巨大な体躯を持った大男。真っ黒な皮のコートを素肌の上に着て、針を束ねたような髪を腰まで垂らしたオールバック、紅の瞳は吊り上がり口の端からは牙が見える。


まるで悪魔のような風貌…されどもっと目を引くのは。


(角…?)


その頭からは、角が生えていた。真っ黒な角だ、牛とも羊とも取れない…大きく前側に湾曲した巨大な角を振るうその姿はとてもじゃないが人間には見えない。異形の姿だ…。


マクスウェルの仲間?けどマレウス王国軍にはとてもじゃないが見えない…。


「グハハハ!しかしこっぴどくやられたな!部下全滅じゃねぇの!」


「彼らがいては私も本気が出せない、なら彼らが生き残る道は彼ら自身で切り拓かねばならなかった…それが出来なかったまでだ」


「相変わらず厳しいねぇ、ならここからは俺が護衛してあげましょうか?マクスウェル将軍」


「黙れクユーサー、貴様は本来生きているべき人間ではないのだから人目は避けろと言っているだろう」


(…え?クユーサー?)


ふと、引っかかる、クユーサーという名前に。その名前はマレウスでは忌むべき名として伝わり今は誰も名付けることのない名前だ。


何せその名前はかつてマレウス…いや世界で悪名を轟かせた世界最悪の犯罪者にして、三魔人のモチーフとなった最初の魔人。


『業魔』クユーサー・ジャハンナムの名だからだ。


今、この世界において『裏社会』と呼ばれるコミュニティは全てクユーサーが開拓しシステムを作り上げたとさえ言われる程の大人物であると同時に、現役時代には当時の帝国将軍さえ上回る力を持っていたとされる生きた災害。


その圧倒的な影響力から裏社会の頂点に立つ者は皆クユーサーの異名『業魔』からとって『魔』の文字を継承する掟が作られ、今なお名前が轟く伝説の人物…だが。


(アイツ…『業魔』クユーサーか?いやでも…クユーサーは百年前に死んでるはずじゃ…)


クユーサーは百年も前に死んでいるはずなんだ。処刑されたとも投獄され獄中死を遂げたとも言われているが、少なくとも百年前に死んだとされる人間が今も生きているはずがない。もしかして二代目クユーサーとか?でもクユーサーの持った組織は全てモース大賊団との抗争で消え去っているはず…。


「あ!おい!その名前で呼ぶなって」


「フンッ、コードネームで呼ぶわけにもいくまいよ」


「そうかい?別にいいじゃねぇか、誰が聞いてるわけでもなし…なぁ?勝利のネツァクよぉ」


「…………意趣返しのつもりか」


「だから俺様のことも峻厳のゲブラーと呼べ。あの日から俺様の名前はそっちだ…分かったかクソガキ」


なんでマレウスの将軍が既に死んだはずの最悪の犯罪者と仲良く話してるんだ?というよりなんだよあの見た目は、なんだよネツァクって…ゲブラーって。


(もしかして俺…今見ちゃいけない物を見ちまった感じか…?)


咄嗟に感じる、俺は今とんでもない物を見てしまったのではないかと。もしこの事実を知り得ているとアイツらに察知されたら…消されてしまう、そんな予感がヒシヒシと伝わってきて俺はより一層息を殺す。


「はぁ、もうなんでもいい。私は夜明けまでにエルドラドに行かねばならん」


「ふーん、アイツの命令か?」


「そうだ、あとボスの事をアイツと呼ぶな」


「悪いな、俺様ってばアイツと姉弟の盃交わしてんだ。ただの部下のお前とは格が違うのよ」


「古めかしいやつだな、なんでもいい。何処ぞへ消えろ」


「そーは行かねー、俺もその命令受けてんだ。途中まで同行するぜ」


「…人目には気をつけろよ」


「アイアイ、将軍様」


(まずいまずい…見つかったら殺される…)


もうひたすらに繰り返す。なんで俺がこんな目にと、大した悪事も働かず多少欲に忠実に生きただけで、ここまで酷い目に遭う程の悪人ではないはずだと。もしこの世に本当にテシュタル様がいるなら俺は救われるはずだと。


「それでさぁ俺様ここに来る途中でおもろいモン見てよ、実はこんなでっけぇカブトムシが…」


「無駄話をするな、煩わしい」


「ちぇ、同行させるだけ同行させて黙ってろはムシのいい話しじゃねぇの。ムシ…そうムシと言えばカブトムシが…」


「………」


「無視かよ、無視…そう無視と言えばカブトムシが…」


「これだからお前と歩くのが嫌なんだ…」


(…行ったのか?)


するとマクスウェルとクユーサーは俺に気が付かず無駄話をしながら森の奥へと消えていく。俺に気が付かなかったのか?…よかった。


やはり俺は、神の加護を受けているんだ。俺は神に生かされているんだ、神は俺を見ている、俺は神に愛されている。なら俺の行いだって正しいはずだ。


「とっとと、ここから離れよう…もうこんな所真っ平だ…!」


マクスウェル達が十分に離れた事を確認したあとそろりそろりと立ち上がり茂みの中から這い出て、俺は森の奥を目指し────。


「見つけた」


「……え?」


ギョッと…背筋が凍る。まさかマクスウェルが戻ってきたのか…と思ったが、振り向いて安堵する。なんせそこにいたのは…。


「なんだ、オフィーリアか」


「もう、何処行ってたの。クルにゃん」


俺の妻、オフィーリアだ。コイツ…ついてきてたのかよ。ったく…でも今更コイツを連れていくわけには行かない、こんな我儘放題の頭の軽いアバズレなんか連れて行ったら俺まで死んじまう。


いや、寧ろ…コイツに全ての罪を着せるのもありだな。俺は何も知らなかった…俺の財産を目当てに俺を暗殺しようと殺し屋を雇った、それがオフィーリア…うん。


いいな、よし!それならいけそうだ!なら早速コイツを連れてエルドラド戻っ───。



「今の、見た?」


「………何…が?」


そこでふと、オフィーリアが聞いてくる。相変わらず天真爛漫に歯を見せ目を細め笑いながら聞いてくる…、いつもならその笑みに愛くるしさを覚えるが…今は違う。


夜の闇の中で、輝く白い牙を剥き…細めた目の間から輝く眼光は、まるで獲物に狙いを定める獣のようで。


「ま、待てよ…なんの話だよ、今のって…」


「見てないの?その割には…とーっても慌ててみたいだけど」


「い、いやいや、何にも…なんにも見てない…」


「そうなの?そうなんだ」


ゆっくりとこちらに躙り寄るオフィーリアから逃げるように、俺も一歩また一歩と後ろに引き下がる。


何かおかしい、コイツこんな顔するやつだったのか?というかなんで俺が今の話を聞いた事をこんなにも気にするんだ?それじゃあまるでオフィーリアも…。


待てよ、コイツそう言えば異様にレナトゥスの方を持つような発言ばかりしていた。俺がレナトゥスの手下になった頃から俺の側にいた、そして…レナトゥスの側近たるマクスウェルが何やら怪しい気配を漂わせている…。


共通するのは…レナトゥス。まさか…まさか、コイツ…!


「ねぇ、何処いくの?」


「ヒッ…!」


背中に木が当たる、逃げ場がない事を悟る。目の前にはオフィーリアが…感情のない顔で立ち、こちらに手を伸ばしている。


「や、やめろ!やめろ!オフィーリア!」


「動かないでよ…キチンとやれないから」


「お、お前…お前…!なんなんだよッッ!!」


「フフ……」


オフィーリアが迫る、オフィーリアが迫る、手が…俺の顔を掴み…そして───。



「『アヴローラ・メメントモリ』」













…………………………………………


「マクスーん!クユっち〜!」


「ん?オフィーリア?」


「おほー!オフィーリア!相変わらず乳でけぇ〜!」


「んもぅー!どちゅけべ〜!」


後程、森を出た辺りで後から遅れてやってきたオフィーリアを見て眉を上げるマクスウェルとオフィーリアの乳を見て鼻の下を伸ばすクユーサー。光り輝く黄金の都の影で三人は誰に気取られる事もなく集合し…。


「それよりさぁ、ネズミに見られてたよぉ〜ぅ、二人とも不注意すぎ〜」


「ネズミ…?ああ、こちらを見ている魔力には気がついていたが、あれ人だったのか」


「あんまりにも小さいもんだからイタチか何かが隠れてるのかと思ったぜ。もし動物なら無闇に殺すのはほら…可哀想だし?で?その覗き魔は…って聞くまでもないか」


「うん!」


三人は仲良く…とは言えない独特の空気感を保ったまま横並びで歩く。今この三人が同時に動いている場面を見られると厄介なことになる。マクスウェルとオフィーリアとクユーサーにそれぞれ関係がある事がバレると後々厄介になる。


だが、結局の所それを見た者は消せばいいだけの話。故に三人は特に注意する事もなく歩き…。


「それで、オフィーリア。お前には任務があったはずだが?」


「あれ?終わった」


「終わった?そうか。なら次の任務があるまで本部で待機していろ」


「うん、そうしたいけどぉ〜…まだネズミがいそうなんだよねぇ〜」


「何?」


「私の事を嗅ぎ回ってる奴…、何が狙いか分からないけど…もしアイツが私に気がついているなら、そいつも消さなきゃ…でしょ?」


「そうだな、その辺は任せる。好きにしろ」


「はーい、けど暫くはお休み〜。エルドラドでたーっぷり遊んでから〜」


「お!いいねぇ、ならオフィーリア!俺様と遊ぶか?エルドラドならいいカジノを知ってるんだ」


「えー、クユっちすぐおっぱい揉むから嫌〜い」


「たはー!嫌われちまった〜!けどバチクソ可愛い〜!な!マクスウェル」


「趣味が悪い、これの何処がいいんだ」


「えぇー!マクスーんひどーい!」


「はぁ…」


マレフィカルム内部に於いても正確な名前や立ち位置、顔つきや人物像までトップシークレットとされるセフィロトの大樹を纏め上げる十人の幹部達『セフィラ』が三人揃って歩き、エルドラドに向かう。



着々と集結しつつある、マレウスの中心に位置するこの黄金の都に。それぞれがそれぞれの思惑を秘めた三つの勢力が。


…マレウス転覆を狙う『ハーシェル一家』及びその傘下の組織達。


…裏で暗躍し未だにその目的を見せぬ『マレウスの暗部』達。


…そして、それを知らず黄金の都で過ごす『魔女の弟子』達。


後に歴史に刻まれ、魔女の弟子達が乗り越える事になる三つの戦い、その初戦となるマレウスの命運を賭けた…。


三つ巴の決戦が、近づいている。

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