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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十五章 メイドのメグの冥土の土産
543/868

494.魔女の弟子と影の名を持つ者達


「つまり昨晩は真っ直ぐ宿に戻ったんですね?」


「そ、そうだが…なんだね君たちは」


「いえいえお構いなく」


ゴールドラッシュ城の廊下にて、エリスは柄にもなくメモを取りながら偶然通りかかった貴族さんに話を聞いてみる。ふむふむ、この人は嘘を言っている感じはないな、ならシロか。


「もう大丈夫です、良い一日を〜」


「は、はあ…」


なんだコイツら…みたいな顔で立ち去っていく貴族さんを笑顔で見送る、さて…この人は違う。じゃあ次に行くか。


「なぁおいエリス、お前さっきから何してんだよ」


「やや、アマルトさん」


するとそんな様を見るのはアマルトさんだ、危険だからという理由で二人一組での行動を推奨される中一緒に行動する相手としてエリスが選んだ彼が壁にもたれながら呆れた顔でこっちを見ている。それに加えて『何をしてる』だって?そんなの決まってるじゃないですか。


「殺人犯を探すために聞き込みですよ、知らないんですか?こういう証拠は足で稼ぐんですよ。ミステリーの定石です」


「殺したのはハーシェルだろ、犯人が最初から分かってるのはミステリーじゃなくてサスペンスって言うんだよ。その定石持ち出すのはお門違いだ」


エリスは今プロパさんが死んだ件について調査を進めている。その為に彼をこうして連れ回しさっきから色んな貴族の人達に話を聞いて回っているんだ。それもこれも犯人を探す為。


しかし確かにアマルトさんの言う通り実行犯はハーシェルだ、メグさんがそう言うならそれで決まりなんだろう…しかし。


「ハーシェルは実行犯です、謂わば彼女達は凶器。凶器単独では人を殺しません…彼女達を使った人間がいる筈です」


「ん?確かにな。つまるところ依頼主だろ?そいつを探す為に聞き込みを?だがそんなことして何が分かるよ、昨日の夜に何をしてたか…なんて聞いたってなんも分からんだろ。殺し自体はハーシェルがやったんだから依頼主にだってアリバイがある」


「そうかもしれません、けど…プロパさんが選ばれた理由が分かりません」


「ラグナやチビデティが言ってだろ、プロパは昨日目立ってたからだ」


「確かにそうですね、けど…目立っていたのはプロパだけじゃないですよね」


「む……」


何人かラグナ達に噛み付いていた奴はいた、プロパはそのウチの一人でしかない。そんな中から態々プロパを選んだ…無作為に選ばれたと言えばそうなのかもしれない。だけど。


「囁いているんですよ。プロパが選ばれた…プロパが死んだ、その事実の中には真実に繋がる重要なヒントが隠されていると、エリスの探偵としての勘が」


「お前いつ探偵になったんだよ」


「プロパは昨日の夜にホテルに戻ったと見張りが言っていました。会議が終わったのは昼頃…それまで何処で何をしていたか分からないんです」


「確かにな、だが飯でも食ってたとしたら?普通に時間潰して部屋に戻ることもあるだろう」


「その可能性もあります、けど確実に目をつけられる何かがプロパにはあったはずなんです、そしてその何かがあったとしたら会議が終わった後…ホテルに戻るまでの空白の時間しかあり得ない。もしかしたらその間に依頼主とプロパは接触してたのかも」


「まぁそうだけども、…ん〜でも昨日の夜にプロパが何をしてたか、知ってる人間がいないか…或いは他の貴族達は夜何をしてたか、その方面で調べてみるってのは。まぁいいんじゃねぇの?どうせとっかかりも何もないんだ、なら理屈がある方向で調べられるだけマシだ」


「でしょ!」


「でも俺同行しなくてよくね…ナリアとかでもよかったじゃん」


「ここは反魔女思想の巣窟ですよ?エリスが魔女を嫌う貴族に襲われそうになったらどうするんですか。アマルトさんが近くに居たら向こうも寄ってこないでしょう」


「お前撃退出来んじゃん、なにをか弱い生娘みたいな事言ってんだよ」


「いや、エリスがやったら手加減出来ないので殺すかもしれませんし」


「この一件がサスペンスならお前はスリラーだよ」


ん?もしかして臨時喧嘩販売所始めたんですかアマルトさん、とエリスが拳を握った瞬間…。


「おや、そこにいるのはエリスさんではありませんか」


「ん?」


ふと、廊下の向こうから寄ってくるのは…はぁ、ラエティティアだ。相変わらずのニヤけヅラでエリス達の方へ歩いてくるなり両手を広げてくる。コイツ昨日あんだけやられといて元気だなぁ。


「こんにちわラエティティアさん、元気そうですね」


「勿論、私は忙しいからね。明日の会議に気合を入れなくては…にしても今日は随分城が騒がしいねぇ。何かあったのかな?」


「さぁ、エリスはなんとも」


まだプロパが死んだ件は表向きには公表されていない、知っているのは六王とロレンツォ様達一部の貴族だけ…まだラエティティアの耳には入ってないのか。


「まぁいいや、それより今日はあの小五月蝿いウジムシ君もいないみたいだし…どうかな?これからお茶でも」


「いえ、エリス忙しいので」


「そ、そうかい?分かったよ…」


相変わらずコイツの接し方が分からない、なんでこんなに馴れ馴れしいんだ?


「…ん?」


すると、ラエティティアはエリスから視線を移しエリスの隣に立つ存在…つまりアマルトさんに気がつくのだ。ラエティティアはアマルトさんを見て少し考えた後…。


「君は、アマルト・アリスタルコスだね?」


「………」


「君の勇名は聞いているよ、なんでもディオスクロア大学園の理事長の家系だとか。ただの物教え屋にも貴族の地位が与えられるとは…いやぁ魔女大国は凄まじいですね、私も知識にて爵位を保つ身として君には親近感を抱いているよ、まぁ縁も浅いだろうが仲良くやれたら嬉しいよ」


手を差し出す、握手を求める。凄い上からだ、いやこの人はこれがデフォなんだろうけど、なんだろう…この変な自信過剰な感じ。凄いルーカスを思い出すぞ…放っておいたらなんかとんでもないやらかしをしそうだ。


「………」


しかし手を差し出されたアマルトさんは黙ったままラエティティアを眺めて…。


「え?何コイツ、いきなりきしょいんだけど」


説明しよう!アマルトさんは魔女の弟子やイオさんなどの友達と居る時は基本的に気の良い兄ちゃんですが赤の他人や初対面の人間が距離感を間違え馴れ馴れしくすると大体嫌悪感と怒りしか醸し出さないド陰キャなのだ!


「き、きしょっ!?」


「仲良くする気ねーんなら握手なんかしなくていいだろ、俺貴族として来てるわけじゃないし」


「だ、だが私も君も貴族で…」


「そう言うのいいから」


「こ、コイツ…」


アマルトさん…エリスに対してあれこれ言いますけど貴方も大概ヤバい人ですよ…。まぁこの人が心を開いていない人間に対してどう言う態度を取るかってのは学園に居た頃痛い程理解してますけども…。


「全く失礼な奴だ!この件は!イオ陛下に正式に抗議させてもらうからな!」


「おーう」


「くっ!」


怒ったように…と言うか事実怒ってるんだろうな。ラエティティアは乱雑に地面を蹴るような歩調でズカズカと全身で怒りを体現しながら何処ぞへと消えていく。そんなラエティティアの背中を見送りながらエリスは頬を膨らませ。


「なんで怒らせちゃったんですか、はっきり言って今のは最悪のコミュニケーションでしたよ」


「お前も大概だったろ、それにアイツは好かん」


「馬鹿にされたからですか?」


「ああ、勿論俺がじゃない。昨日アイツはイオを軽んじた、そこらの一貴族程度が軽んじていい奴じゃねぇよ」


「本当にイオさんの事好きですね〜…」


そういえばこの人、イオさんを貶められるのが何より許せないタイプの人でしたね…。と言うことはこの人昨日密かにガチギレしてたのか…。


「それよりアイツはいいのかよ」


「何がですか?」


「聞き込みだよ名探偵、昨日の夜何してましたかって」


「ああ…」


聞き損ねた…というか聞くという発想さえなかった。参加者ばかり気にして運営側のラエティティアを排除していたな…。だって会談がご破産になったらアイツも困るだろうし…。


ん?待てよ?


「…ちょっと待てよ、エリス」


「アマルトさんも気が付きましたか?」


ふと、唇に手を当て何かを思いついたように目を伏せるアマルトさんと共に…ラエティティアの去った方角を見る。流石はアマルトさん、気が付きましたか…エリスも丁度今気がついたところですよ。


「プロパが魔女大国を批判した…その事が周知の事実であるが故に、プロパを殺せばその批判に怒った魔女大国がプロパを殺したつて構図が出来上がり魔女大国を陥れる事が出来る、それがハーシェルの依頼主の狙い…ってのが一番有力な可能性だったよな」


「はい、ですが昨日魔女大国を批判していたのはプロパだけではない…、数多くいる批判者の中でプロパだけが狙われた理由が分からない…」


「プロパが狙われた理由が目立ってたってだけなら…狙うなら普通、一番目立ってた奴だよな…」


「ええ、昨日散々噛みつき続けた男…誰よりも批判していた男、本来死ぬなら…そいつが殺されていて然るべき…」


「けどそいつが狙われず今も生きてるなら…ぶっちゃけ怪しいのはそいつじゃねぇの?」


つまりラエティティアだ、狙われるならアイツのはず。なんせ昨日何度もラグナ達に噛み付いていたしはっきり言って六王や王貴五芒星よりも目立っていた。だがラエティティアは今日も元気で跳ね回っている。なら一番怪しいのは…彼なのでは?


もし彼がプロパを殺した、ハーシェルに殺させた犯人なら、明日は勇んで魔女大国の批判に走れる。それを知っているから…今はあんなにもご機嫌なんじゃないのか?


「…彼にも聞きましょう、昨日何をしていたかを」


「おう、とっちめてやる」


ゴールドラッシュ城の廊下を走り、エリス達はラエティティアを追いかける。アイツを締めれば何かわかるかもしれない!



………………………………………………………………



「姉様!姉様!私です!ねぇ!姉様!」


求めていた、求め続けていた、全てを奪われた私の手に残された唯一の思い出…肉親。


エルドラドの雑踏、行き交う人の波を無理矢理こじ開けながら私は追いかける。さっき一瞬だけ見えた紫の髪…私の姉の背中を。


トリンキュロー姉様だ、アレは姉様の背中だ、間違いない…十数年も追い求め続けたあの人の背中を見間違える筈がない。アレは間違いなく姉の背中…何故ここに姉がいるのかは分からない、だが今はそんな事どうでもよかった。


ただ会いたかった、一目会いたかった。姉様に…ずっと会いたかったんだ。私を守る為アジメクへと向かわされそれ以降ずっと会えなかったあの人に…私は。


「ッ…居た!姉様!」


暫く追いかけ続け、ようやく姉の背中が再び目に映る。やはりあの背中はトリンキュロー姉様の背中だ…けど。


いくら呼んでも答えてくれない…、それに足取りもおぼつかない。明らかに異様な空気を漂わせながら歩いている。


なんだ…姉様の身に何が起こってるんだ、直ぐにでも確かめなければと思いながらも目の前の人々が邪魔で邪魔で…。


「失礼します!退いてください!」


「うぉっ!?」


慌てて周囲の人達を跳ね飛ばし再び視線を姉に向ける、すると…トリンキュロー姉様がフラフラとした足取りで路地裏へと入っていくのが見え、私は一も二もなく踵を返し路地裏へと走る。


なんで路地裏へ行ったんだろうとか、私の声は聞こえているのかとか、そういう情報は頭には過らなかった。ただ今は姉の事で頭がいっぱいだった。


焦がれるような思いで私は路地裏へと転がり込む。


「はぁ…はぁ…!」


ジメジメとした湿気が顔を覆う。見栄え豊かな街の暗部…豪勢なエルドラドの隙間を縫うように生まれた路地裏には、ホテルや店舗からドロドロと溢れる生活排水が下水へと流れており、滲み出た湿気が周囲を黒く染めている。


一歩踏み出せば足の裏から水音が鳴る。もう一度踏み出す、もう一度踏み出す…。


…路地裏に踏み込んだ筈の姉がいない。


「…何処に」


路地裏は向こうまでずっと続いている。日の当たらない暗黒の回廊がずっと向こうまで続いているんだ…けど脇道はない。姉が踏み込んでさしたる程の時間も経っていないのに…何故いない。


「………まさか」


ポツリと口を割った言葉、脳裏に一つ過った可能性。それが明確な形になる前に、それは現実のものとなる。


「迂闊でしたね、マーガレット」


「ッッ!!」


次の瞬間耳元にて囁かれた言葉に私は咄嗟に腕を振るい背後に立った人物を払い除けるが、彼女はそれさえ呼んでいたのか一歩引いて微笑みと共に回避してみせる。


私の脳裏に過った可能性、それは『罠』の可能性。トリンキュロー姉様が歩いていて反応するのはこの街で私だけ、それでいて私は姉様を見たら追いかけずにはいられない。私を誘き出すつもりならこれ以上ない手だ。


そして、私を誘き出そうとする存在の候補というのは…多くはない、少なくとも私は一つしか思い当たらない。


「…やはり」


背後に立っていたのは、私と同じメイド。されどメイドとして必要とされる所作の一つも滲み出ない偽りのメイド。小麦のような淡い色の髪をしたコイツの顔には覚えがある、最後に見たのは十年以上前だが…忘れるわけがない。


間違いない、コイツらはプロパ様を殺した張本人…ハーシェル一家の人間、そして…。


「まさか、貴方まで来ているなんてね…コーディリア」


小麦色の髪と清流のような青い瞳と他人をナメくさったような顔。私よりも頭一つ分高い身長にすらりとネギのように長い体型…忘れもしない、あの頃と何一つ変わらない嫌味な顔つき。


名をコーディリア・ハーシェル…なんの因果か、或いは私への嫌がらせか。私の本来の名を与えられたこのゴミクズは私の言葉を聞いて肩を竦める。


「随分な物言いですね、姉妹の十数年ぶりの再会…なのに涙のハグも無しですか?」


「…………」


私をここに誘き出したのはコイツの策略だろう。…コイツはこういういやらしい事を良くする奴だ。


だが同時に思う、想定外だと。


(ビアンカが来ているという事実だけでも驚きなのに、まさかコイツまでエルドラドに来てるなんて…どうなっているんだ)


ジズが動かせる戦力には限りがある、特に主力であるファイブナンバーはジズ肝入りの主戦力。仕事があっても簡単には動かさない…そう言う意味では五番以降のメイド達こそ本来の意味での戦力と呼べるのかもしれない。


そして、コーディリアのナンバーは六、ビアンカの八を上回る最上位のナンバー。こうやってホイホイ現れていい存在じゃないんだ。なのに…コーディリアもビアンカも揃ってエルドラドに居るなんて…。


ジズはこの街で何をしようとしているんだ。


「姉様を何処へやった」


「貴方の姉様は私ですよ、マーガレット…特別扱いで勘違いしましたか?お前は今も番外です」


「違う!私の姉様はあの人ただ一人だ!…トリンキュロー…いやリーガンお姉様ただ一人!」


「全くお前と言う奴は…」


やれやれと態とらしく額に手を当てるコーディリアはチラリと憂げな目で私を見て。


「もっと私に言うことがあるんじゃないんですか?ほら、なんでここにいるだ!とか…お前の狙いはなんだ!とか、色々ね?」


「貴方に微塵も興味が持てないので。それとももしかして貴方…私の中でそれほど大きな存在だと思いました?残念。この間まで忘れてましたよ貴方のことなんて」


「……は?」


「ですが一眼見て思い出しましたよ、『そう言えばこんな奴もいたな』ってね…」


「…相変わらず、クソ生意気な奴だな。依怙贔屓の癖をして」


コーディリアの舌打ちが響き渡る。先程まで取り繕っていた笑顔が消えて眉が八の字に吊り上がり眉間に皺が寄る。相変わらずはこっちのセリフですよ、貴方は相変わらず化けの皮が薄っぺらいんですよ。


「また、痛い目に会いたいですか?今度はどんな目にあわせてやりましょうか…ねぇ?ウジムシマーガレット」


「いつまでも自分が格上だ思わないでください、アホーディリア」


…私とコイツは浅からぬ縁…と言う奴なんです。忘れてたとは口で言いましたが、実際のとこは違う。


私はコイツを忘れない…忘れるわけがない………。





『まるでウジムシね、ウジムシマーガレット!キャハハハ!』


今も目を閉じれば聞こえてくる…喧しい少女の声。薄暗い地下牢…空魔の館の中…。まだ私がマーガレットとしてジズに育てられていた頃の事だ。


─────────────────────


「オラっ!なんとか言えよ特別ちゃん!」


「ひぐっ…ぅ…うう」


頭から汚水をかけられ、私は…まだ幼き日のマーガレットは空魔の館と言う名の空中戦艦内部、地下牢の床を舐めさせられるように頭を踏みつけられる。


あの頃は本当に地獄だったよ、両親を殺されたかと思えばいきなりこんなところに連れてこられて、魔女を殺す為の手駒になれと毎日のように鉄球を叩きつけられたりナイフで全身を切り刻まれたり、修行という名の拷問をジズから課されながら…。


その上こうして、毎日のようにいじめられていた。


「こんなのがお父様に特別扱いされてるってマジなの?信じられないんだけど」


「本当ですね、これならまだ我々の方が『特権』を与えられるに相応しい」


「殺そうよ、こんな奴!」


「まぁまぁデズデモーナ…殺してしまっては私達が父に咎められます。こんな奴でも…『特別扱い』、なんですから」


私は当時、ハーシェルの影…姉妹全員から疎まれていた。


「納得いかないよ!私達が殺して殺して殺しまくって漸く手に入れた暮らしを…コイツは一人も殺してないのに最初から持ってるなんてさ!」


理由は単純、ここは…人を殺した数だけ、父に有用と認められた者だけが優遇される場所だ。殺せない者は家畜同然の扱い、そこから這い上がるように必死に殺しまくって少しづつ良い暮らしを手に入れていく場所…他の命を奪い、己が生の糧とする場所なのだ。


それが当たり前の場所で、私だけが父から優遇されファイブナンバーと同格の扱いを受けていた。ジズ曰く『お前は特別な存在だ、いずれカノープスにさえ届き得る刃になる』…そう言って私にだけ特別な訓練を課し、私にだけ特別な扱いをした。


そこがみんな気に食わなかったんだ、自分達は働いているのに働いていない私だけが自分達より良い暮らしをしているのが。


故に私は疎まれていた、そんな中でも特に私をいじめていたのがオフェリア…ビアンカ…デズデモーナ…そして。


「全く、父は何を考えているんでしょう…こんなゴミに、特別な訓練だなどと…ねぇ?依怙贔屓ちゃん、いえ…私達の仕事の成果に群がるウジムシマーガレット」


コーディリアだ、当時から若手のリーダー格だったコーディリアは三人を束ねて毎日のように私をいじめていた。毎日のように私はウジムシ同然の扱いを受け尊厳を徹底的に破壊され尽くした。


「ほらほらウジムシならウジムシらしく這いずって汚物でも食べてなって、私達からのご馳走だからさ」


「うっ…うぅ…」


当時は私もまだ弱かった、というか弱くて当然だ。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのかまるで理解出来なかった、両親を殺されて…ここに連れて来られて、勝手に特別扱いして勝手に嫌って…私はなんでここにいるのか、私も死ねば両親に会えるのか、自問自答ばかりで抵抗もしなかった。


「あーらら、またやってるよ…。好きだよねぇエアリエル姉様」


「……………」


「あ!アンブリエルお姉様!エアリエル姉様!」


「程々にしときなよコーディリア、あんたも明日仕事なんだからさ?んふふ」


それでいて、助けてくれる人もいない。アンブリエルやエアリエルのような最上位の人達は私を見ても完全無視…ジズも私を鍛えることにしか興味がなかった。死なないならどうなってもいいとばかりに生活には一切関与して来ない。


泣くことしか、出来なかった。


「うぅ…あぁ…助けて、誰か助けて…!」


「泣くことしか出来やしない、私はお前の価値を知っている…お前は生きている意味のないゴミなんだ…。本当なら最下層の名無し共と一緒にゴミを食う生活してる筈なのに…お前は!」


「いぃっ!痛い!痛い!」


髪を掴まれ汚物塗れの地面に擦り付けられコーディリアの怒声を前に怯えることしか出来ない…。私を助けてくれる人なんて…誰も。


『お前達!何やってるんだ!』


「チッ、ゴミのお守りが来やがった…面倒くさ」


いや違う…私を助けてくれる人は…一人居た。


「コーディ……マーガレット!」


「トリンキュロー姉様!」


トリンキュロー姉様だ、私を見つけるなり怒鳴り声を上げて突っ込んできてコーディリア達を追い払ってくれる。


蜘蛛の子を散らして逃げていくコーディリア達、汚水の只中でうずくまる私…それを見た姉様は私に駆け寄り、服が汚れることも気にせず抱きしめて…。


「大丈夫?マーガレット」


「ぅ…うう!姉様!姉様!」


この地獄で、味方の居ないこの世という名の地獄で…ただ姉様だけが私を抱きしめてくれた。姉様だけが私を守ってくれた、私を守る為…少しでも地位を確立させる為…毎日のように人を殺して殺して殺し続け、血濡れの手で私を守ってくれたんだ。


「姉様…ずっと…ずっと一緒に居て…」


「うん…私が守るよ、マーガレット」


この世に残された二人だけの肉親。…コーディリアの苛烈な苛めから守ってくれたのは姉様だけだったんだ。私は…何も出来なかった。


…何も。


─────────────────────


「アホーディリア!?…プクッ…クフフフ!随分な口を聞くようになりましたね、ウジムシ…」


「お望み通り聞いてあげますよ、こんな所で何をしてるんですか?…ああ、今は下水道に住んでるんですね、貴方好きでしたもんね…汚水。昔からよく似合ってましたよ?クソ女らしくね」


ピキピキとコーディリアの額に青筋が立つ。私をいじめていたアイツが…今目前に居る。当時は顔を見るだけで足が竦んで動けなくなるくらい恐ろしかったコーディリア。


でも、私はもう恐れない、私は強くなったんだ。こうしてコイツと相対出来るほどに。


「私を殺しに来たんですか…?」


「当然、お前は父を裏切ったゴミですのでね。とは言え…所詮は『オマケ』、物のついでに貴方を殺しに来たに過ぎません」


「オマケ?…貴方達の目的はなんですか、って聞いてほしいんですよね…!」


「んーふふふ!言うわけありませんよね、これから死ぬ人間に対して時間を割いて授業をしてあげるほど私は優しい姉ではありませんよ!私達の目的も…トリンキュローの居場所も、何も知らずにお前はここで死ぬんだ」


「………」


「オマケはオマケ、ですがそれでもここで殺しましょう…ずっと、こうしてやりたかったんですから…お前を!」


「奇遇ですね、私もですよ…!」


瞬間、銀の閃光が走り互いにナイフを逆手に構える。…全く同じ構え、互いに扱うのは空魔の技、どれほど忌み嫌おうとも体に染みついた技は消えない…これは私の呪いであり、奴への報復の決意。


「その構えを…裏切り者がするんじゃないッッ!!」


「退いてください!もう貴方なんて眼中にないんですからッ!」


衝突する銀刃が路地裏の闇を切り裂く火花を散らす、猛然たる攻めと攻め。急所を狙ったコーディリアの斬撃・刺突をナイフ捌きで弾き返す。


「何が眼中にないだ…!強がるんじゃねぇ!泣き虫マーガレットがァッ!」


「フッ…!


ナイフの乱打、その間を縫ってコーディリアの腕が振るわれる。まさしく剛腕…一撃で空気が轟くような威力で放たれた掌底を前に私は一歩引く…引かざるを得ない。


やっぱり…コーディリアの奴。凄まじく強くなっている…!元々素質のある奴だったけどここまで強くなれるのか?フランシスコなんかとはレベルが違う。


「甘いッ!」


「ぐぶふっ!?」


しかし、一歩引いた瞬間飛んでくるコーディリアの蹴りが私の腹を射抜き衝撃波が背後に抜け地面を転がる。まずい…今の一撃、回避される前提だったか。この私が読み負けた…!


「クッ…うっ…!」


「お前が皇帝カノープスの元に暗殺に向かったと聞いて私はあの時安堵したよ、漸くお前の顔を見なくて済むとな!どぉーせお前なんか見張りに取っ捕まって拷問の末死に果てるだろ!ってなぁ!」


「チッ!」


一撃をもらってもコーディリアの攻めは止まない。ナイフを持ち直し巧みな動きで私の首や胸を狙って何度も振り回される、速い…速い上に正確だ。どれほどの修練を積んだらここまでに至れるのか…。


「だが!その後直ぐに…お前が!カノープスの弟子になったという報告を聞いた!よりにもよってあのカノープスにッ!」


「ッ…!」


「このクソ裏切り者がぁぁぁぁ!!」


飛んできたコーディリアの腕に胸を掴まれそのまま壁に叩きつけられ、串刺しにしようと振るわれるナイフが私の顔を狙う。壁を背にとにかく体を動かしコーディリアの啄みから逃げる。


「父は間違えたんだ!完璧な父の唯一の過ちは!お前と言う人間を見誤った事!お前は特別扱いを受けるべき人間ではなかった!父は!私を!見るべきだったんだ!」


「ッ…!哀れな人間ですね!」


「な…!?」


怒りによって荒くなった動きを読み、咄嗟にコーディリアの膝を蹴りバランスが崩れ瞬間を狙い今度は逆にコーディリアの胸ぐらを掴み返し体を入れ替え壁に叩きつけ押し付ける。


哀れだ、あまりにも哀れな奴だよお前は!


「ジズの評価に固執して!己の地位に固執して!そんな事になんの意味がある!」


「最初から全部持っていたお前がそれを語るな!」


「何も持っていなかった!奪われたんですよ!私も!お前も!」


額を打ちつけ牙を剥いてコーディリアと睨み合う、ナイフを持った腕を片手で抑え、コーディリアに向け吠える。何故そんなにもジズに固執する、私達はみんな全てをジズに奪われた身同士でしょう。


なのに、ジズから与えられる物をありがたがって…恨むならジズだろう!


「違う!父は与えてくれた!力を…この力こそが、私がこの世に存在する意義なんだよ…!」


「ジズは力の意味なんて教えてくれません…!アイツはただ!私達を道具としてしか見ていない!」


「だから…お前が…!」


刹那、コーディリアの腕が隆起する。全身に力が漲る。その剛力は私さえも超える程で私の拘束を力づくで押し退け逆に腰を掴み持ち上げ投げ飛ばすのだ。


「父を語るなァァッ!!」


「ぐぁっ!?」


壁に叩きつけられる、背後の岩壁に亀裂が走り痛みに悶える。…強い、あまりにも強い、想定外だ。私も強くなってるはずなのに…コーディリアもまたこの十数年でここまで強くなっていたか。


伊達じゃないか、準ファイブナンバーの座は…悔しいが、甘く見て勝てる相手じゃない。


「父はな、私を強くしてくれた。何も出来ない小娘を…強者にしてくれたんだよ」


「まやかしです…、力だけ手に入れても…意味はない、陛下は…そう教えてくれた」


「はんっ!裏切り者らしいお為ごかしだ…。流石は天下の魔女の弟子様!聞き馴染んだ様な耳障りのいいセリフを言ってれば体裁が保てるんだから楽でいいなぁ!」


「お前はもう魂の芯まで血で汚れ過ぎている…、殺しさえ厭わなくなったら…ジズと同じです!」


「それがどうした…、形あるものは壊れる、生きている者はいつか死ぬ、その定めの中で私達は生きているだけだ。そしてお前もまた…ここで死ぬ!」


ナイフを逆手に構え、痛みに悶える私に向け迫る…私を殺すと、だが…殺されてなんかやらない。お前にだけは…コーディリア!お前にだけは!


「私は、死にませんッ!」


「なっ!?」


投擲、咄嗟にナイフを投げコーディリアが反射でナイフを弾いた瞬間を見逃さず、立ち上がると同時に加速、その加速を一点に集め…。


「冥土奉仕術八式・六腑捻り砕きッ!」


「グッ…!」


咄嗟に防御をしようと構えたコーディリアの腕をこちら側の拳を捻ることにより生まれる回転で弾きそのまま土手っ腹に一撃を突き刺す。コーディリアの体が揺れ苦悶の表情を浮かべながら一歩引き、顎先から冷や汗を一滴垂らす。


「これは空魔八式…絶拳心砕…?いや、少し違う…」


「ええ違いますよ、これは私がジズの人殺しの技を改良して作り上げた活人の技…私の技です」


「父の技を…活人に…!?なんと言う冒涜…!これ以上ない…父への反抗だぞ!それは!」


「だからですよ…!」


更に拳を押し込む。空魔八式・絶拳心砕…本来は拳を相手の胸に叩きつけ心臓震盪を引き起こし絶命させる空魔殺式の中でも上位に位置する奥義。それを改良し打点をズラし心臓ではなく内臓へ打ち込む事により臓器を歪め激痛を以てして無力化させる活人の技へと…私は昇華させたのだ。


死ぬほど痛いが死ぬことはない、それこそが活人…ジズが至上とする殺しを否定する技。


「これが、今の私ですよ…コーディリア!」


ジズの下を離れジズの事を忌み嫌いながらも私がジズの技を使い続けるのは、この技を使い人を生かし続ける事が…何よりの奴への反抗になるから、奴の殺人技を冒涜する為なのだ。


「ッ…なるほど、どうやらお前は…本当に強くなったようだ。あの時の泣き喚くだけのウジムシではないと…」


「………」


今の一撃は完璧に入った、普通なら歪んだ内臓により病院に駆け込まなければならないくらいの重傷に陥っているはずなのに。コーディリアはこの技を受け一歩引いて冷や汗を一滴垂らしただけ…。


さっきの剛力と言い、ここまでの戦いぶりと言い、やはり異様だ…普通の修練ではここまではいけないはず。


「だがそれでも、お前はいつまでも私の下…私に踏みつけられる側なんだよッ!」


振るわれる拳、コーディリアの強引な一撃が私を弾き飛ばし再びお互いに距離が開く。分かってはいたが簡単には倒せそうにない…技だけでは倒せない。魔術も使わないとダメか…。


荒い吐息を吐きながら冷や汗を拭うコーディリアの背後に、大通りの光が差す。まだまだやれるみたいだ…仕方ない。街中なので使いたくありませんでしたがメグセレクションを…。


『おいお前達!何をしている!』


「あ?」


「え?」


その瞬間、私達の戦闘音を聞きつけたのか。街の憲兵二人が剣を抜きながら路地裏へと踏み行ってくる、それを見たコーディリアはピキピキと目の下を痙攣させながらも一旦構えを解く。


「め、メイド?」


「乱闘でも起こってるんじゃないかってくらい、酷い轟音がしたと思ったんだが…メイド二人だけか?」


憲兵達も何が起きたのか分からないと言った風に目を丸くしながらこちらに歩み寄ってくる。当然だ、いざ路地裏に突入してみれば…そこに居るのはメイド二人だけなのだから。


呆気を取られ気を抜いた兵士達日剣を納めながらコーディリアに近づく…。


(まずい…!)


咄嗟に悟る、コーディリアはエルドラドに殺しの仕事をしに来ている…、目撃者は絶対に殺さねばならない、それがハーシェル絶対の掟だ。コーディリアは兵士達を殺すつもりだ…!


「お二人とも!この場はいいので詰所に応援を呼びに行ってください!」


「へ?どう言う意味だ?」


「いいからッ!この場を早く離れてッ!」


叫ぶ、離れろと…しかし、それよりも速く。コーディリアはニタリと笑い。


「…確かにマーガレット、お前は強くなった。だが…お前だけじゃないんだよ、強くなったのは」


「なっ!?」


刹那、コーディリアは両手を広げ背後に立つ二人の憲兵の胸に手を当てる。その瞬間渦巻くコーディリアの魔力は両手に集中し…。


「『デストラクトサクション』…」


……そう、詠唱を紡ぐ。と同時に響いたのは異音。


貝殻がこじ開けられるような、何かを引き裂きながら何かが開く様な…気味の悪い異音。それを異音であると脳が理解すると…今度はそれに続いて水音まで響く。バケツをひっくり返したような、ビシャビシャと水が地面を打つ音。


「あ…あ……」


沈む、憲兵が血の海に沈む。コーディリアに触られた胸が内側から爆ぜた様にぐしゃぐしゃに掻き乱された状態で、絶命し辺りに血の匂いが立ち込める。


…殺した、殺してしまった…!


「おっと、頭に血が昇ってついついやり過ぎてしまいました。後で掃除が必要ですね…」


「あ、貴方…それは」


「この魔術ですか?いい魔術でしょう?父から直々に伝授して頂いた魔術…吸引魔術『デストラクトサクション』ですよ」


そう言うなりコーディリアの広げられた手から発生した逆風により周囲の血が吸い上げられ手の中に収まる。吸引魔術…あれが?


デストラクトサクションの名前くらいは私も聞いた事がある。外科医療の場で使われる事もある風系統の応用魔術だ。喉に詰まった血液などを吸い上げる為に使う為の魔術であり、当然ながら武器としては使われない、傷一つ与える事ができない筈の治癒魔術とは別系統の医療魔術だ。


だがコーディリアはそれを武器とした。吸引の密度と威力を極限…いやそれすらも超えて強化し、凡ゆる物を破壊する魔術へと変貌させた。その威力は…一撃で人間の肉を引き千切り心臓を引き寄せ、内側から爆裂させる程の物。


触れればどんな物でも破壊出来る、どんな人間でも絶命させられる最悪の魔術…それが、よりにもよってコーディリアみたいな危険人物の手に…!


「まぁ難点としてこれで殺すと後始末が大変くらいな物で…父はもっと上手くやるんですがね」


「お前…!」


「…この魔術を会得したのも、これだけの力を得たのも、…全部お前を殺す為だよマーガレット。全部…全部!」


手を広げこちらに迫る、まずい…あれに掴まれたら殺される!


「『デストラクトサクション』!」


「うっ!」


咄嗟に身を引くが広げられた手から発せられる吸い寄せる風に体が引き寄せられそうになり必死に両足を開いて停止する。…なんて吸引力だ、こんなに離れていても人の体を釘付けにするなんて、至近距離で食らったらそれこそ肉が剥げそうだ!


「お前が居なくなってから!お前を殺す為に!修練に修練を重ねた!量も質も十倍にして何度も死ぬ思いをしながら強くなったんだッ!」


「ッ…!それが…その常軌を逸した強さの根源ですか…」


ただ闇雲な修練、拷問紛いの修行を十倍も…か。そりゃあ常軌を逸した強さにもなる、そうして手に入れた力がこれ…。


ですが…魔術が使えるのは貴方だけではありません!


「死ね!『デストラクトサクション』!」


「『時界門』!」


「んなっ!?消え…」


迫る吸引を伴った掌底を時界門で回避する、空を切ったコーディリアの腕は路地裏の壁に辺り、そのまま壁をくり抜く様に剥がしてしまう。そんな破壊と殺戮の権化みたいな現象を回避した私はそのままコーディリアの背後に周り。


「メグセレクションNo.11『違法打撃機構搭載型バット』ッ!」


「ぐっっ!?」


叩き込むのは衝撃強化機構を搭載した鋼鉄バット、さしものコーディリアもこれには体勢を崩しゴロゴロと地面を転がり膝を突き。


「ッ…何もないところから物が出現した…、それが古式時空魔術か…父が語った物に比べて幾分かチャチだな」


「人間掃除機がなんか言ってますね」


「フンッ…ッ…」


するとコーディリアは体をボキボキと鳴らしながら立ち上がり、軽く屈伸しただけで何事もなかったかの様に構え直す。いやいやタフにも程がある…ジズの鍛錬を十数年間受け続けてきただけのことはあるか。


「もう少し、簡単に殺せる予定でしたが…如何にもこうにも、上手くいかない物ですね」


「…………」


「されどウジムシ程度に本気を出してやるのも癪ですし…どうしたものか」


まだ本気じゃない…と言いたげだが多分ハッタリじゃない。ハーシェルの影は皆暗殺者であり戦士ではない。今こうしてここに居るのも暗殺の延長線上に過ぎない。


彼女達が真の意味で戦う時は…暗殺者の姿であるメイド服を脱ぎ『決戦装束』と言う専用の姿へと変貌し戦う。コーディリアはまだそれを見せていない…つまり、真の意味での戦いはまだ見せていないことになる。


まぁ?私もまだまだ本気じゃないですけどねー!


「ならどうしますか、今ここで決戦装束に着替えますか?それともメイド服のまま私にボコボコにされますか?」


「減らない口を…、だが私の姿を見たお前はどうあってもここで死ななくてはならない」


「貴方からやってきた癖に」


「故に……」


そう言うなり、コーディリアは私に向けて指を…いや、私の背後を指差して…。


「お前も手伝え…トリンキュロー」


「へ…?」


咄嗟に振り向く、振り向いてしまう。その言葉を聞いた瞬間私の頭は思考を失い衝動のまま、求める様に振り向いてしまうんだ。


そして見る、そこに立つ……姉の姿を。


「………………」


「…姉様」


姉様だ、私の背後に…姉様がいる。幻でも幻覚でもない…今そこに姉様がいる。あれだけ会いたかった…姉様が……。


でも、おかしい…。


「姉様?トリンキュロー姉様?私です…メグ、いえ…マーガレットです!」


「…………」


答えない、何も答えないんだ。ただ呆然と立ち尽くすように…まるで意識がない様に。


いや、まさか…正気じゃないのか?操られているのか?…嗚呼そうか、『母』が…リアかッ!


「貴様…姉様に何を──」


「バァカ…」


「ッ…!」


その瞬間、首にぬるりと刃が当てられる、私の腕が後ろから押さえられる。姉様に気を取られた瞬間…コーディリアが私の背後を取り、ナイフを…!


「空魔一式・絶影閃空…、甘いんだよカスが。わっかりやすい反応しやがって」


「お前…姉様に何を…!」


「さぁてなんでしょう?…ククク、感謝しろよウジムシマーガレット、姉の目の前で殺してやるんだからな…!」


「ッ…コー…ディリアァァァッッ!!」


振り払えない、コーディリアの力が強すぎる、殺される…首を掻き切られて死ぬ!こんな…こんな状態にされた姉を前にして!まだ死ねない…絶対に死ねないのにッッ!!


ナイフを素手で掴み指を切り裂かれながらも必死に抵抗するも…、コーディリアはそんな抵抗さえ嘲笑い…。


「死ねッッ…!!」


一気に、手に持ったナイフに力を込め…私の首を────。


『ダチに何しとんじゃテメェはよぉっ!』


「ッ…殺気────ぐっ!?」


刹那、私の背後に立つコーディリア…その更に後ろから飛んできた何者かの攻撃により、あのコーディリアが吹き飛ばされ、剰え受身も取れず壁に叩きつけられ膝を突く。


何が起こった、激しく打ち鳴らされる動悸を抑えながら…私は私を助けてくれたその人へ目を向け…。


「ッ…オケアノス様!」


「メグ…なーんか尋常じゃない様子だから知らない顔蹴っ飛ばしたけど、よかったよね」


「神将だと…!」


争神将オケアノス…マレウスに於ける最上位戦力の内の一端にして、私たちと共にエルドラドに来たオケアノス様が咄嗟に助太刀に来てくれたのだ。ただならぬ様子…殺されかかっているが私を見て状況を察知して、助けに…。


「街を遊び歩いていたらなーんか血生臭い匂いがするし、私の友達が殺されかかってるし、なんなら人死んでるし…どう言う事か説明してくれるかな?そこのメイド君さぁ」


「これは想定外だ…流石に神将の相手は…」


コーディリアは目に見えて狼狽する、私の相手はともかく神将オケアノスまでこの場に加わってはどうしようもないとばかりに立ち上がろうとし…先程受けた一撃のダメージの大きさにか少しふらつく。


流石はオケアノス様だ、私が渾身の一撃をどれだけ叩き込んでもビクともしなかったコーディリアをたった一発でグロッキーに持ち込むとは。逆にこの人によく勝てたなネレイド様は…流石だネレイド様。


「ッ…姉様!オケアノス様!そいつ敵です!任せました!」


「合点!」


いや、今は姉様が先だ!コーディリアの相手はオケアノス様に任せよう!そう私は踵を返し未だに動かない姉様に視線を向ける。


姉様は今自我を剥奪された状態にある、恐らく姉様をこんな状態にしたのはリア…空魔の館に於いて『父』たるジズに次ぐ権力者『母』の座につくリアの仕業だ。


ハーシェル一家が今の形、ジズが手ずから育てた子供達で構成された暗殺機関になるよりも前からジズに従っていた唯一の配下…空魔の館に於いて唯一娘ではない人間、それがリアと言う女だ。


奴はその特異な力を買われジズの側にいることを許されている。その力こそが…『催眠術』。特殊な音波や薬品を用いることにより相手の自我を自由に操る術を持っており、これにより拾ってきた孤児達をリアは従順な影に仕立て上げているんだ。


謂わば洗脳役とでも言うべきポジションに居る奴の力なら、姉様を自我のない操り人形に変える事も訳はない。…私の姉を…好き勝手に出来るのは奴しかいない!


姉様をそんな状態にしておけるか!今すぐ連れ戻さなくては!


「チッ、…もう無理か。仕方ない、離脱する!」


「あ!お前!」


しかし、そこからのコーディリアの判断もまた鋭かった。今ここでオケアノスを抜いて私に向かうのも私の足を止めるのも不可能と即座に理解し、私の殺害を断念。直様離脱に計画の舵を取り直す。


懐から取り出した煙玉を炸裂させ辺り一面を白で塗り潰すのだ。それにより私もまた姉様を見失う。


「姉さ…っ!」


追いたかった、追いかけたかった。だが私は知っていた…もしかしたらコーディリアは私が知っているからこの『煙玉』を使ったかもしれない。


そう、これはただの煙玉じゃない…それは匂いで直ぐに分かった。そこに気がついた瞬間私は煙の中に消えていく姉から…涙ながらに目を逸らし。


「オケアノス様!」


「な、何!?」


「私達も離脱を!『時界門』ッ!」


「へ?ちょっ───」


ハーシェル一家の主な武器は、刃と技…そして最後にもう一つ。


それは爆薬だ、影は全員は大量の爆弾を携行しているし、その爆弾をより効率よく運用するためのアイテムも持ち合わせている。それがつまりこの煙玉。


炸裂したこの煙は…可燃性ガスなのだ。


「───ッ!!」


時界門を使いオケアノス様と共に路地裏から脱出し、大通りに出た瞬間…路地裏は一瞬で火柱が満ちる地獄へと変貌し、爆音を上げて大地を揺らす。


あのまま無理に姉様を追いかけていたら、私も火だるまだったし…オケアノス様も重傷を負っていた。本当なら…追いかけたかったけど、私の命を助ける為に飛び込んで来てくれた彼女を巻き添えには出来なかった。


『きゃーっ!?何!?』


『ば、爆発だ!何が起こったんだ!』


「う…おお…マジかよ、あのメイド…なんて事を…」


「オケアノス様…無事ですか?」


「無事は無事だけどさ…。ちょっとメグ…これなんなの?アンタ何とやり合ってたの?」


「…影ですよ」


燃え盛る路地裏の向こう、コーディリアと姉様と消えた炎の向こう側を睨む。プロパを殺したのは…ハーシェルの影で間違いなくなった。しかも準ファイブナンバー級が何人も投入されている…。


とんでもないことになってしまった…、これはもう…普通に会談を進める、なんて次元の話じゃ無くなってしまった。一級の殺し屋が蠢く街で…百人近い要人を警護する、と言う…最悪の任務へと変貌してしまったのだ。


…………………………………………………………


「ん?おい、コーディリアはどこへ行った?」


やや苛立った様子で部屋に戻ってきたラエティティアは、自室で待機しているはずのハーシェルの影達が一人減っていることに気がつく。先程アマルトに失礼な態度を取られた怒りは一瞬で消え去り、彼は顔を真っ青に染め上げる。


「ああ、コーディリア姉様なら私用で出かけました」


「は、はあ!?」


思わずラエティティアは仰け反り後ろの戸棚に手をついてしまう。それほどまでに驚いてしまう。いや驚かざるを得ない、何を考えているんだ目の前のメイド達は、何を言い出したんだ今こいつは。


「出かけた?私用で?阿呆か?お前ら、そんな庭先に出かけるみたいにして他所に行かれたら困るんだよ!」


ハーシェルの存在が露見すればプロパ殺しを依頼した人物がラエティティアであると発覚する可能性がグッと高まる。飽くまでプロパ殺しは『もしかしたら魔女大国がやったかもしれない』言う曖昧な状態で留めておかねば意味がない。


何より、殺し屋を使って他の貴族を殺したとなればさしものリングア家の嫡男たるラエティティアとは言えまずい事になる。レナトゥスはこう言う時容赦なく部下を切り捨てるタイプだ、ラエティティアは擁護すらされず瞬く間に投獄される。


その危険性を考慮しても発覚する可能性の方が薄いハーシェルと言う優秀な殺し屋達に仕事を頼んだのに、これじゃまるで意味がない!


「お前達分かってるのか!?私のお前らの繋がりがバレたら終わりだぞ!私の家にはお前達の仕事を隠蔽したと言う証拠が山とある!私が捕まりリングア家に捜査の手が及べばお前達ハーシェルの影の秘匿性も失われることになるんだぞ!」


「……ですから、大丈夫ですと言って…」


「私とお前達は一蓮托生なんだよ!もし…もしバレたりしたら、本当に終わるんだよ!分かってんのかよそこの所が!」


「……………」


十字の瞳孔を持つ狙撃手クレシダが面倒そうに視線を移し、ビアンカを見つめる。そのビアンカもまたワイヤーの手入れをしながらニコリのと微笑み…オフェリアは何も言わず手にバンテージを巻き始める。


「………お前達」


…こいつら、…そうだった。感覚が麻痺していた、こいつらの姿…どこからどう見ても従者だから感覚が麻痺していたが、こいつらは一級品の殺し屋であり…同時に世界屈指の危険人物たちなんだ。


潜ってきた修羅場の数は私の比では無い、人死が出るこの状況においては彼女達の方が慣れている…どうかしていたのは私の方だったか。ヒステリックを起こしている場合ではなかったか。


「…分かった、君達が…どうもどっしりと構えているなら、信じよう」


「あら、急に聞き分けが良くなりましたね」


「ジタバタ暴れても意味がないことに気がついただけだ」


逆に言えば、こいつらはそれほどまでに『やれる』という事。私がハーシェルに依頼をしたのが昨日の会議の後直ぐ、それから彼女達が現れたのは…夜になってから。


それから依頼内容と殺しの相手を伝えてから殺しが実装されるまでに一時間も掛からなかった。この手際の良さは凄まじいものだ。


(私の指示通り動く実力者…これこそが『力』なのだ、なら今はその力を疑うな、彼女達がある程度好きに動こうとも許せばいい…)


椅子に座り込み、数度拳で額を叩いて無理矢理冷静になる。問題ない、以前として掌握してる側はこちら…なら慌てるな。


「それで、ラエティティア様?次は誰を殺すので?いつ殺すので?」


「それについては…考えてある」


正直、プロパを殺したのは『成り行き』だった。本来は別の奴を別の日取りに殺すつもりだった…けど昨日の夜、アイツは余計な物を見てしまったから…殺さざるを得なかった。


だが結果として私の明晰なる頭脳により寧ろプラスに働いた、故にここから軌道修正も容易い。事前に考えていた通りに…多少のオマケを加えて殺していけばいい。


そう、次に殺すのは…。


「時間は今夜、六王とロレンツォの間で行われる食事会…その只中でロレンツォを毒殺しろ」


「あらまぁ、王貴五芒星まで?大きく出ますね」


「どうせ後二、三年で死ぬ老害だ、ならその死を有用に使うまで。レギナに味方をするロレンツォが消えればやり易い上に六王と食事をしている最中に死ねば疑惑は深まり会談は空中分解の危機に陥るはずだ」


この会談はロレンツォを軸に行われている、なんせ会場の主催者だからな。そいつがいなくなれば会談は長引かせることはできない。ロレンツォが死ねばどれだけ頑張っても…会談は持って一日。


ならそれで十分だ、今日ここでロレンツォが死に、明日の会談で盛大に六王達を責めまくりレギナに関係改善の隙も与えず会談を終わらせ貴族達に反魔女感情と同程度の危機感を与え開戦へと持っていく。これだけで私の目的は達成される。


本来はロレンツォにまで手出しするつもりはなかったが、この際だ。ハーシェルまで運用したんだ、本来の計画は捨て…盛大に行こう。


(ロレンツォが死ねば中央が空く、王貴五芒星の中軸が消える…この座を埋めることができるのはエストレージャ家かリングア家くらいな物、今回の会談には参加していないミュートロギア家もエクリプス家はリングアの敵じゃない…と言う点から考えても、ロレンツォがいなくなれば次の王貴五芒星は私になるはずだ)


盛大に行く、拾える成果は全て拾う。ロレンツォを消しレナトゥスから言い渡された『魔女大国との開戦』を実現しつつ、王貴五芒星の座も手に入れる。完璧な計画だ…。


「出来るか?」


「造作もありません」


「ならいい…ああそうだ、ついてでいいんだが…アマルト、と言う男も一緒に消せるか?」


「…その人を殺すのは一体どういう計画に絡むので?」


「なんでもいいだろ…、出来るのか?出来ないのか?」


「出来ます」


「なら殺れ、分かったな」


「御意」


アイツを殺すのは、あの無礼な奴を消すのは…なんの計画でもない。ただ力を持つこの私に逆らった報いを与える。それだけだ。


「よし、では早速夜の食事会にて……」


と、立ち上がった瞬間…扉の方からノックが鳴り響く。


「………」


来客だ、私はその瞬間ハーシェルの影達に目線を送る。すると彼女達も理解したのか即座に天井裏へと消えていく。


今は私とハーシェルの関係性まで探られるわけにはいかない。


(まぁ、大方フューリーとかだろう。カゲロウを失い、優秀な司令塔とやらを失ったからな。また私とよりを戻したいんだろう…馬鹿な奴め)


今更また一緒にやろうと言われても受け入れてなんかやるものか、私にはもうハーシェルいう剣がある、言う事を聞かない鈍に用はない。


フューリーにもハーシェルとの繋がりを知られると面倒だ、…ならこいつも殺してしまうか。そう考えながら私は静かに扉を開き…。


「なんだ、今更どうし───」


「失礼します〜!エリスです〜」


「は?」


「俺もいるよ〜ん」


「な!?」


扉を開けた瞬間部屋の外から伸びた手が強引に扉を開放し、俺を押し退け一気に入り込んでくる。来客はエリス…そしてさっきの無礼な奴!こいつら…何をしに!


「へぇ、いい部屋もらってますね」


「な!?え…エリス殿!?何をしに!?」


エリスは部屋に入ってくるなり私の部屋をぐるりと見回しアマルトと共に部屋の奥深くまで入ってくる。突如として現れた想定外の来客が…今一番来て欲しくない陣営の人間が今一番来て欲しくない部屋に来て、剰え入れてしまった…!


は、早く追い返さないと!今さっきまでここにはハーシェル達がいたんだ…というか、まだ普通に天井裏にいる…!


「え、エリス殿?すみませんが私はこれから明日の会談の調整がありまして…、出来れば帰って頂きたいのですが」


「ああ大丈夫、ただいくつか聞きに来ただけなので…時間は取らせません」


「し、しかし…」


「大丈夫、いくつかの質問に答えてくれるだけでいいです…。それとも、なんか…見られたくないものでもこの部屋にあるので?」


エリスの瞳がギラリと光る、まるで私の何かを見抜くように睨みつける。…何を探りに来た、まさかプロパの件か?だが何処から割れた?何故私を怪しんでいる。


…まぁいい、『話を聞きに来た』だけなら問題ない。


(口八丁手八丁で騙くらかして追い返してやる…)


何をしに来たかは分からない、だが私を怪しんで尋問でもしに来たと言うのなら…ナメられた物だとしか言えない。この舌将ラエティティアを相手に口で勝負しようなど…笑止千万。


「なら…少しだけなら」


受けて立つ、とばかりにラエティティアは静かに腕を合わせエリスとアマルトに相対する。舌をペロリと出して唇を舐め…気を入れる、上等だよ。


私を…リングアをナメるなよ。

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