492.魔女の弟子と追えば消える影
空魔ジズ・ハーシェル率いるハーシェル一家。世界の暗部に半世紀近く君臨するこの世の癌であり膿…誰もが彼らを恐れているのに手を出せず、誰もが彼女達の恐ろしさを知りながらその本質を知らない。
かつて一国の王を凌ぐ程の軍事力を手にした地方領主がいた。その領主を恐れた国王は国の財宝の六割を使い空魔に依頼をし『領主とその配下の軍を消し去ってくれ』と頼み込んだ。すると次の日には領主とその配下は皆揃って首を吊り、毒を飲み、自刃し命を絶っていたと言う。
ある所に、世界一警戒心の強い大商人が居た。莫大な財産を持ちながら暗殺を恐れ自宅を要塞の如く堅牢に強化し最高峰のセキュリティを用意し自らを守ったと言う。しかしそんな商人の息子が父の財産の山分けを条件に空魔に父の暗殺を依頼した。すると次の日には商人は誰にも気が付かれぬ間に自宅の外に引き摺り出されそこで命を絶っていたと言う。
どんなに勇ましい人間も、どんなに臆病な人間も。一度その目に囚われれば死は免れず、必ず次の日には命を絶たれている。その在り方はまさしく影…、常に付き纏う死の権化こそが奴ら、正確無比な暗殺術は最早この世の摂理にさえ例えられる程絶大な物…、
私もかつてはハーシェルの下に居たからこそ分かる。奴等は死を正当化し生業とするクズ共だ。陛下のメイドになってからもずっと奴等の動向を追い続けた。可能な限り情報を集めまくった。
その先々で知るのはどれもこれも残酷な死ばかり、殺される謂れのない人々をただ金を積まれたと言う理由だけで殺す。吐き気を催す程、それでいて息を呑むほど鮮やかな殺しっぷりを私は観測し続けてきた。
全てはジズ…奴の尻尾を掴むために。
だがそれでも私は終ぞ奴に迫ることは出来なかった。あちこちで発生する権力者の不審死…それら全てを調べ上げても全体の二割程度からしか情報が得られないくらい奴等の仕事は完璧だ。
裏社会のコネを使って時にはマフィアさえ脅して情報を集めても大した情報は得られなかった。
だから私はジズに迫ることなくその生涯を終えるのだろうと…思っていた。
「エリス様は一旦城に戻ってください、私はもう少し…ここにいます」
「……分かりました」
エリス様は相変わらず私を心配した様子で見つめているが、今は一人になりたい。そりゃあすぐそこに死体が転がっている状況に友を置き去りにしたくない気持ちは分かるが…私は今それどころではないんだ。
エリス様が部屋から出て、この部屋に私一人の呼吸しか響かなくなったのを気に…私は再びプロパ様の遺体を見つめる。
(この仕事は間違いなくビアンカの物だ。絞殺を得意とするアイツは…首にアザを残さない)
首に刻まれた縄のアザはどう見ても致死に至るものではない、最初に別の物で絞め殺したのは間違いない。となるとそんな事出来るのはビアンカしかいない。
ハーシェルの影その八番『絞殺』のビアンカ。私と同時期に影になったあの子…、必死に情報を集めまくって上位ナンバー全員の名前を把握しているからこそ分かる。ビアンカは私が知っている頃よりもずっと強くなっている。
だが、それ以上に気になるのは。
(ビアンカにしては仕事が杜撰過ぎる。彼女が本気で仕事をしていたら私は勿論誰も違和感に気が付けなかった)
杜撰なんだ、自殺を仄めかす遺書もないし態々ドアノブに吊るすという違和感も残すし、所々に彼女に繋がる証拠が残りすぎている。これは彼女が迂闊だからではない…。
これはメッセージだ…恐らく私に向けられた。
(ハーシェルの影は仕事をする前に現場に誰がいるか、何があるかを完璧に調査してから仕事をする…ならきっと私の事も把握しているだろう)
私がここにいるのは奴らも分かっているだろう、人死が出れば私がここに来ることも織り込み済みだろう。そして私が…残された証拠に気がつくことも、奴らは分かっている。
故にこれはメッセージなのだ。我々はお前を認識しているというメッセージ…そして、奴らの仕事はこの殺しだけでは終わらないというメッセージ。
(つまり…宣戦布告)
ビアンカは確実にエルドラドに来ている、そして私の事を認識している。ならきっと他のナンバーも来てるだろう。ファイブナンバーは分からない…だが確実にクレシダやオフェリアは来てる、デズデモーナは分からないが…もしかしたらコーディリアも。
(コーディリア…)
拳を握り、私は壁に叩きつける。それは怒りか歓喜か…分からない。だが上位ナンバーの奴等を捕まえれば芋蔓式にジズの所在も割れるかもしれない。
何よりコーディリアには借りがある。それをもしかしたら返せるかも知れないし…ジズに復讐する機会にも恵まれるかも知れない。
絶対に許せないアイツらを、この手で…。
「………遂に来たんだ」
体が震える、これはきっと歓喜の震えだ。私が今まで突き詰めてきた修行が遂に…!
「復讐…、待っててね。父さん…母さん…みんな」
窓から街を見下ろす、ようやく巡ってきた絶好の機会。奴等が見せた尻尾の影…それを掴むため私は、決意を固める。
…………………………………………
「もうみんな集まってますね…」
「ああ、聞いたよ…どえらい事になったな」
エリスがゴールドラッシュ城に戻ると既に応接間らしき部屋に魔女の弟子達が集まっていた。いや…今はそれに加えてベンテシキュメさんとレギナちゃん、そしてステュクスとその仲間達、ラヴもまたこの場に集合していた。
レギナちゃんがいるということは既にプロパの話は聞いているな。
「プロパ伯爵代理が殺さた…か。彼とは思想的に相容れなかったが…だからと言ってその死を喜ぶ事は出来ない。思想は思想、生き様まで強要はしない」
「はい、ガンダーマンの居場所を知ってると思って訪ねたのですが…既に事切れていて」
「ふむ、現場を見てみたいが…」
その手の事件などの立ち会い経験があるメルクさんが一度現場を見てみたいと語る。或いは彼女に見せれば分かることもあるだろうが…ラグナは首を横に振るう。
「やめた方がいいだろうな、というより状況的にかなりまずい」
「まずい…ですか?」
ナリアさんはラグナの言いたいことが分からないとばかりに首を傾げる。だがエリスは分かりますよ、今ラグナが懸念している事が。
「何がまずいんですか?」
「発見者が俺たちだという事が…だ。プロパは言ってみりゃ反魔女派の急先鋒、昨日の会議でも盛大に俺達に噛み付いてたからな…で?昨日の今日でこれだ。確実に関与を疑われる」
「ぼ、僕達が殺したと思われるかも知れないってことですか!?そんなことしませんよ!」
「事実はどうでもいいんだ、微かな疑心が有ればそれは時と共に育つ。ただでさえ俺達は嫌われてるからな…そこにこの爆弾投下。ここから更に俺達が主導で現場検証なんてしようもんならどんな反発が出るか分からない」
人の感情とは簡単な物で、嫌な事が起これば嫌いな奴の仕業にしたくなる物だ。例え現実的に考えてそれが意味のない下衆の勘繰りであれどもその人の中では事実になる。そしてそうなれば…まぁ間違いなく明日の会議に悪影響が出る。
これはもう避けられない、エリス達は傷を負った。だからこそこれ以上傷を広げるわけにはいかないんだ。
するとデティが腕を組み下唇を突き出し。
「ってことは、犯人は反魔女派の誰か…ってことかな」
「…言いたかないがそう思えるよな。反魔女派が俺達の仕業だと思うように、俺達もまた同じように考える」
「でも実際これ、実際かなり痛い一手だよ。死人は取り戻せない、波乱が起こることは避けられない、会談をメチャクチャにしようと思う又は私たちを陥れようと思うならある意味最高の手段だね。倫理観が腐ってることを除けばね」
「ああ、…ゴミクズの発想だぜ。これをやろうと思った人間の脳みそカチ割って中身を見てみたい」
ラグナは開いた膝の上に肘を置き前傾姿勢で目を伏せる、かなりキレてる…いやラグナだけじゃない。みんな怒っているんだ。
例えプロパがどんな人間であったとしても生きた一個人である事に変わりはなかった、それをただ会談をメチャクチャにしようという考え一つで殺しに及ぶ…その愚行極まる行いに、怒っているんだ。
「レギナ殿、悪いが俺達はこの一件に関われそうにない。そっちに振ってもいいかな」
「大丈夫ですよ!ねぇステュクス」
「あー…まぁ、そうするしかないとは思うけど。それも難しいんじゃないか?下手に抑え込めば『魔女の下僕の肩を持つのか!』って怒鳴られそうだし、何よりラエティティアは確実にこの一件を突いてくるし…俺達でどこまで抑えられるか…」
「でしたらロレンツォ様やトラヴィス様の力を借りましょう!あの二人ならきっと頼れるはずです」
「そうだな、それがいいかも」
ステュクスは頭が痛そうに眉間に指を当てる、まぁ…あの口うるさそうなラエティティアは絶対に突っついてくるだろうな。けどだからと言って変に触らないでいるわけにもいかない。
「じゃあこの一件はそういうわけで…。後は誰が殺したかだが…」
「それならメグさんが既に見当をつけています」
「ほう?誰だ?」
「…ハーシェル一家です、あの手際はそれ以外あり得ないと」
「なっ!?マジかよ…」
全員が絶句する、それ程の大物だ。何せ世界最強の殺し屋集団…それに加えて八大同盟だ。そんなのがこの殺しに関わっているとなれば言葉を失うのも無理はない。
それに、エリス達にとってもジズは因縁の相手でもある。
「…ジャックを拐かした奴…だよな、ハーシェル一家って」
「うん、…モースを操ってた奴でも…ある」
エリス達がマレウスに来てから、出会った敵や騒動…その殆どに関わって来た男。影から糸を引いていた首魁。それがジズ…エリス達にとっても因縁深い相手なんだ。
それが今、このエルドラドに手を伸ばしている。その事実が否が応でも場の空気を引き締める。
「もしジズがこちらに手を伸ばしているなら、逆に引っ捕まえて借りを返すいい機会かもな」
「ですね、とは言え恐ろしい事に変わりはありませんが」
「だからこそ対策を打つ、まず全員に護衛をつける。レギナ様もマレウスの貴族達に注意喚起を。弟子達にも何があるか分からない、必ず二人一組で行動するように」
「分かりました」
「そして、出来ればでいい…この一件裏に潜むであろうハーシェルの影達も見つけ出してほしい。俺達もなるべく動くつもりだが…それでも行動範囲で言えばエリス達の方が広く勝手も効く」
「そりゃ勿論、任せときな。ってかプロパを殺した殺し屋ってこの辺にいるのかな」
それは分からない、けどこれだけで終わるわけがないという気持ちもある。だってさ…こういう言い方したくないけど…今って殺し屋にとって絶好の仕事の機会ですよ?
マレウスの主要な貴族はみんなここにいる、何より六王もここに居る。一箇所にみんな集まってるんだからこの気を逃すわけがないだろう。
「取り敢えず俺達六王組みは殺し屋が自由に動けないよう護衛達を動かして警備体制を作り上げる、エリス達はこのまま動き始めてくれ」
もう既に場は動き始める空気になっているな、だったらエリスもそろそろ動き始めよう。
「ではちょっと城の中を見回ってみましょうか、アマルトさん」
「え?俺と?」
「はい、ほらほら行きますよ」
「えー強引ー」
ラグナ達に軽く礼をしながら逃げるようにその場を後にする。アマルトさんの手を引いてとにかく動く。嫌な予感がするからだ、今すぐ何か嫌な事が起こるわけではないが…エリスの直感が言っている。
『物事が悪い方に転がり始めている』と。こんな感覚…いつぶりか、以前味わったのはそう…帝国でアルカナと戦っている時以来だ。もしかしたらこれから起こる騒動はあのアルカナとの決戦に匹敵する程の大惨事なのかも知れない。
…嫌だなぁ、またあの時と同じような事が起こるのは。だってあの時エリスは…友達を一人死なせてしまっているから…。
だから、せめて…何が起こっても食い止められるように、今は動かないと。
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マレウス全土を記した地図を開いても、この場所の記載はない。記載されていてはいけない、知っていてはいけない。
この場所の名を『ネビュラマキュラ元老院議事堂』、表と裏の顔を持つマレウスの双方を操るマレウス王政府の最高決定機関であるネビュラマキュラ元老院の本部こそがここである。
「………………………」
暗く闇が支配する空間の中、ただ一つ照らされる光の柱の中に立つのは緑の髪を肩にかける紫の軍服を着た女宰相…レナトゥスだ、本来この国の頂点に立つはずの彼女がまるで申し開きをするように部屋の中心に立ち、目の前の闇に対して固唾を飲む。
いつもならば、人を遣わす筈の彼女も…ここでばかりは下僕も同然だ。
『何か申し開きはあるか、レナトゥス』
「あ、ありません…フラウィオス様」
暗闇の中、レナトゥスの遥か上方の席に座る老人が顔を出す。今…レナトゥスは元老院を訪れている、宰相たる彼女を言伝一つで呼び出せる存在など限られている。
それがネビュラマキュラ元老院…そして、その長こそが彼。フラウィオス・ネビュラマキュラ…マレウス完全統治機関ネビュラマキュラ元老院の院長を務める男であり、有体に言えば彼こそがこのマレウスの真の支配者なのだ。
『全く…どうなっている、何のために表の統治をお前に任せていると思っている』
「も、申し訳ありません…」
レナトゥスは頭を下げる、レナトゥスでさえ彼には逆らえない。フラウィオスはこのマレウスという国を半世紀以上に渡り牛耳り続けた裏の支配者だ。レナトゥスを宰相の座に置いたのもフラウィオスであり、今現在の反魔女国家体制を作り上げたのも彼。
…いや、そもそもレナトゥスという人間を育て作り上げたのもフラウィオスなんだ。そもそも最初からレナトゥスは元老院に逆らうという選択肢を持たない、もしレナトゥスが逆らえばレナトゥスは即座に消され、次の日には別の人間が宰相に就くだろう。
それが出来るんだ、絶大な権力と影響力を持つ元老院とフラウィオスならば。
『我々元老院が一体どれだけお前に融通を効かせてやったか忘れたか?』
『役に立たない駒を後生大事に抱える程、我等は優しくないぞ?レナトゥス』
『お前に投じた多額の金、それに見合うだけの価値があるか証明出来ないのならお前に用はない』
『ネビュラマキュラ王家無限の繁栄…、それさえもお前は成し遂げられんか』
「申し訳…申し訳ありません…!」
暗闇から続々と現れる老人達、彼らもまたネビュラマキュラの姓を持つ者達。王家よりも上に存在する元老院のメンバー達が口々にレナトゥスを詰る。それに対して言い返す事も出来ずレナトゥスはただただ平謝りを繰り返す。
『レナトゥスよ、いい加減レギナを玉座から下ろせ。我々は常々お前にそう命じていただろう、だというのになんだ…エルドラド会談?そんな物我等は承認した覚えはないぞッ!』
「ッ……」
フラウィオスが机を叩き怒鳴り散らす。議題はエルドラド会談だ…本来の要件は別にあった筈なのに既に元老院の目はレギナに向いているようだ。
「す、既に手は打ってあります!リングアの嫡男とフューリー…そしてお預かりしたラヴをレギナに同行させ、会談の最中に暗殺する予定です!」
『見立てが遅いわ!会談が開かれ六王がこのマレウスを訪れたという話ではないか!マレウスは一度として魔女大国の王を踏み入れさせた事のない反魔女勢力の聖域!そこに魔女の下僕を易々と入れるとは…!ましてやエルドラドになど…!』
「で…ですが!」
『口答えをするなッ!だからレギナを玉座に上げる事に反対したのだ。本来ならばネビュラマキュラの女は玉座には上がれん、先祖代々より続く伝統としてそうなのだ。ネビュラマキュラの女は孕み袋以外の役目は持たん』
『下賎な孕み袋が玉座に座るなど…、我ら真の愛国者達は身の毛がよだつ思いで日々を過ごしているのだぞ!』
『オマケにそんな奴に国を好きなようにされて、お前を宰相に据えた甲斐がないというものよ』
「…返す言葉も、ありません…」
何も言い返せない、レナトゥスは所詮表の統治者…裏の王は彼らであり、真の王は彼らなのだ。レナトゥスでもレギナでもない。
するとフラウィオスは大きくため息を吐き。
『やはり、バシレウスを連れ戻すべきだ』
そういうのだ、それには流石のレナトゥスも顔を上げ──。
「お、お待ちください!まだバシレウス陛下は修行の最中!未だ完全ではありません!」
『ならばガオケレナに命じて修行を急がせろ!そもそも奴がマレフィカルムなどという組織を運用出来ているのも我等の助力あってこそだろう!マレフィカルム成立当時のネビュラマキュラの手助けと口添えがあってこそ奴は組織を持てたのだ。その恩を返せとな!』
「ですが彼女には誰も命令が出来ません…、それにガオケレナもバシレウス陛下の育成には力を入れており……」
『なら何故バシレウスが帝国に襲撃をかけた!ガオケレナもダアトもついていないのではないのか!』
「う……」
『今すぐバシレウスを玉座に戻せ!継承の儀を超えたのは奴だけ!正統な王者たる奴が戻れば多少はマシになる!』
そんなわけないだろうと思わず言いかけ口を閉ざす。今バシレウスを戻すわけにはいかない、まだ修行も途上であり未だ『大いなる魔王』として不完全。今玉座に戻しても意味がない、何よりガオケレナがそれを了承する訳がない。
彼女は元老院への恩義とかネビュラマキュラ王家の威光とかで動くタイプではない。修行が終わらない限りバシレウスが完成することはないんだ。だからそれまでの仮初の威光として仮にも王家の名を継ぐレギナを玉座に据えたんだ…今ここでバシレウスを戻しては、全てがパァだ。
「フラウィオス様、確かに今現在のマレウスは不甲斐ない形になっていますが…思い出してください、ネビュラマキュラ王家の大目標を…それはマレウスの栄光ではない筈です」
『む、確かに…そうだな。我等が始祖セバストスが掲げた目標…『神に届き得る究極の個の創造』の為に我等ネビュラマキュラ王家の宿願。その為ならば一時の屈辱も仕方なしか』
フラウィオス様は私の言葉を受けて思い直してくれる。ネビュラマキュラの目的は飽くまで始祖セバストスが掲げた『神に届き得る究極の個の創造』のみ。この宿願はマレウス建国よりもずっと前から掲げられ続けているネビュラマキュラ一族の唯一の目的なのだ。
マレウスを建国したのも元を正せばその目的を果たす為の環境を作る為に過ぎない。そして今バシレウスは究極の個へと成ろうとしている、それをマレウス存続の為に台無しにしてはネビュラマキュラ王家八千年の歴史を否定する事になる。
『バシレウスは我等ネビュラマキュラ一族の願いそのもの。彼の存在は我等八千年の執念を結実させる初めての『成果』だ。だからこそガオケレナに預けたのだ…仕方ない。今はまだバシレウスを連れ戻すことは保留としよう』
「ありがとうございます!」
『だがその間にマレウスという国が崩れては意味もない!バシレウスが玉座に戻り次第魔女鏖殺の戦いを始めるのだ!その為の手勢を確保しておかでばならん!この意味が分かるな!』
「はい、心得ております」
神に届き得る究極の個…、神とは即ち魔女であり、セバストスが掲げた目的は『魔女を殺せる存在の作成』である。魔女を殺せる存在を作り出せたなら後は魔女を殺すだけ。
その為の手勢は用意してある、マレウス王国軍然り…マレフィカルム然り…。魔女の敵対者全てを束ねる魔王たるバシレウスさえ戻れば、直ぐにでも。
「では失礼します」
軽く頭を下げて私は一旦会議場を後にする。とは言えまだこの議事堂を出るわけにはいかない…まだ外では。
「ふぅ…」
「大変ですね、老人介護は」
「ッ…!」
会議場の扉を閉め一息ついた瞬間、とんでもない不敬な言葉が響き思わず振り向いてしまう。するとそこに…明かりの灯らない廊下の只中に居たのは。
「ダアト…、君だったか」
「お久しぶりです、レナトゥス様」
ダアトだ、セフィロトの大樹の大幹部が一人。闇に溶けるような黒の髪の黒の瞳、そして黒い外套を羽織る年中喪服スタイルの女が私に向けてピッ!と指を立ててにこやかに挨拶をして見せる。
こいつは相変わらず、何処にでも入り込む上に何処にでも来るな。
「何をしに来た」
「いえ、ちょうどいいので顔を見に」
「私のか?」
「ええ、相変わらず不健康そうですね」
「私の顔なんぞ見てる暇があるのか。君にはバシレウス陛下の育成を頼んでいた筈…そう、職務中だな」
「まぁまぁ、それよりバシレウス君はここに居ますか?」
「は?…居ないが?」
「そうですか…、やはり演算がズレ始めている。再演算が必要か…あるいはこれもエリスの影響か」
「エリス?アレがどうかしたか?」
相変わらずよく分からない話の展開をする奴だ。何が言いたいかまるで分からない、…何故ガオケレナはこんなのを重用しているんだ。確かに実力はある、だがそれ以上に素性が知れなさすぎる。
何処で生まれ、何処で育ち、何処から来たのか。それさえ分からないのだ…本人はマレウス出身とは言っているが、それも何処まで真実か。
「いえ、実はエリスが───」
「お話の最中失礼しますレナトゥス様…ッ!」
「…カゲロウ?」
ふと、ダアトの言葉を遮って天井裏からサッと現れるのは私の耳にして口…星隠影のカゲロウだ。私を前に傅くカゲロウを見て…浮かんでくるのはフツフツとした怒りだ。
「貴様…今はここにくるなと言って置いただろう…ッ!」
「も、申し訳ございません!」
こいつはアホか、何のために私が一週間以上もこの議事堂に詰めて外に出ないようにしていると思っているんだ。それもこれも私の所在と元老院の居場所を悟られないため、だというのにお前がここに来たら意味がないだろう。
「どうしても、お耳に入れたいことが…」
「そんな物現場判断で何とかしろ、何の為にお前に権限を与えていると思っているんだ」
「ですが…!」
「まぁまぁレナトゥスさん、部下がここまで必死に食い下がってるんですから話くらい聞きましょうよ。そう、パワハラですよ」
「…はぁ」
ダアトに諌められ額を押さえる、こいつに注意されると無性に腹立つな…。だがまぁ事実だ、変に部下を威圧すると後で失態を隠蔽されたり下手な現場判断で独断専行を行なわれかねない。
正直、今この瞬間にカゲロウが議事堂を訪れたのは処断では済まない失態だが…それすら覚悟でここに来たということでもある。ならば話を聞かざるを得まい。
「言え、なんだ」
「実は…今ゴールドラッシュ城に…孤独の魔女の弟子エリスが来ていまして」
「はぁ〜…来てるに決まってるだろう、六王が来るなら彼女も来る、当然だ」
「奴は、危険です。奴は怪物です…レナトゥス様は奴を放置するとの事でしたが、奴は…奴はバシレウス様と同じ目をしていました!今すぐにでも殺さねばいずれ禍根になります!」
「…………」
何を馬鹿な事言っているんだ、禍根になる?そんな物魔女の弟子という時点で『マレウスとしては』禍根そのものだ、今更恐る事もない。バシレウスと同じというのもエリスが魔蝕の祝福に選ばれたが故の結果だろう。
それを今更慌てて始末する?馬鹿言え…。そもそも出来るわけない、彼女はバシレウスの伴侶として充てがう予定なんだ、奴を殺せばバシレウスがどう出るか分からない。
「分かった、考慮しておく。取り敢えずお前はすぐに戻れ、お前は今ゴールドラッシュ城にいる事になっているんだろう?なら直ぐに戻らねば怪しまれる」
「ッ…わ、分かりました。申し訳ありません」
私がまともに取り合っていないと悟ったのか、カゲロウは静かに俯き再び天井裏へと戻っていく。
しかし、エリス…最後に見たのはコルスコルピの時以来か。あの時は魔力覚醒もしていない取るに足らない存在でしかなかったが、あれから覚醒を会得しシリウス様の復活を阻む程に成長したと聞いていたが、果たして今はどれほどか。
(力の象徴たる魔女の教えを受けた存在か。我等が目指すべき目的地に居る子ら…出来るなら彼らとも手を取り合い魔女の座を目指す旅路を共にしたいが、思想的に相容れないのが難点か…。悲しい事実だが足を止めるわけには行かないし、時が来れば…)
「エリス…彼女やっぱりゴールドラッシュ城にいるんですね」
「言っておくがダアト、お前は死んでもゴールドラッシュ城に顔を出すなよ。出せばややこしい事になる」
「出しませんよ。というか私もう帰りますので」
「…まぁお前なら議事堂を出入りしても問題ないか。だがもう来るなよ」
「はい、…フラウィオス様達に『お元気で』と…言伝をお願いしますね」
「……?」
ニヤリと珍しく笑みを浮かべるダアトに奇妙なものを覚えながらも私は一人腕を組む。…ダアトは油断ならない奴だが、その行動に無駄は少ない。そんなアイツがここに顔を出したということは…つまり。
いや、考えるのはよそう。それよりも私にはするべきことがある。
「レギナ、あの羽虫をどう処分するかだな…」
いつでも潰せる蚊虫ではある。ネビュラマキュラの栄光に陰りがない事を民宿にアピールする為玉座に座っていてもらう必要があったが、今ではもうマイナスの影響しかない。始末するなら……。
いや、今は自分の事の方が先か。
……………………………………………………………
「…………」
ホテルゴールドアワーのエントラスを抜け外に出る時、慌てた様子の憲兵隊とすれ違った。とは言え今更あの部屋で何か新しい物を見つけられるとも思えない。私達が居た痕跡も完璧に消しておいた…勿論ビアンカが居た痕跡も、諸共ね。
未だ奴等の目的が判然としない以上現場をそのままにしておくのは危険だとメグは一人雑踏の中立ち尽くし目を伏せる。
「………」
ラグナ様達や決定権を持つレギナ様がどのような判断をするかは分からない、ハーシェルの件を公表するのか…飽くまで犯人不明とするのか。どちらにせよ死人が出てしまった以上一定の混乱は避けられない、何にせよ…公表しなくてはいけないしね。
隠蔽は出来ない、既にこの街にはハーシェルの手の者がいる上…それを雇った人間もいるはずだから。
「……何が目的なんだ…?」
腕を組んで考える。ジズの目的は何かを考える。ジズは殺し屋で依頼がなければ基本的に動かないが…だがそれ以上にジズは真面目な殺し屋じゃない。
『自分の利となる依頼』しか奴は受けない。つまりこの依頼は何か…ジズの目的に合致する部分があるという事。
(そういえば、モース様がジズはマレフィカルムに対して反旗を翻すつもりだと言っていましたね…、つまり今回の一件もマレフィカルムに対する叛逆の一手という事になるのか?)
しかしだとしたら余計分からない、何故プロパを殺す。マレフィカルムに関係のあるガンダーマンの側近だからか?だったらガンダーマンを殺すだろう…それともガンダーマンは既にマレフィカルムに殺されているのか?
ダメだ、あまりにも情報が少なすぎる。ジズの叛逆が何を意味するのか…この街に手を伸ばすことで何が得られるのか、それが分からないんだ。
「情報を集めないと」
まずは情報収集からだ、きっとエリス様達も動いてくれているだろうが…私は私で独自で動こう。ジズの手を唯一知る私なら…きっと掴める物もある筈だ。
そう思い歩き出した瞬間の事だった。
「…………え?」
行き交う人々の流れの中、流れる川のように人の頭が蠢く雑踏の向こうに…見覚えのある髪が揺らめいた気がした。
腰まで伸びる紫の髪…アレは…アレは…!
「トリン姉様…」
私の姉…トリンキュロー姉様、いや…リーガン姉様の髪だ。間違いない、間違いない!姉様だ!なんでこの街に?なんでここに?いや…いや!今はいい!
「姉様!私です!姉様!」
走る、とにかく走る…今はただ、姉様に会いたい!姉様に…!




