491.魔女の弟子と迫る死の影
「ここがロレンツォさんの部屋ですか…ふむふむ」
エリスはあれから仕事を中断し、ガンダーマン捜索の為動き出していた。話によると他の弟子達も既に動き出しているらしく、ラグナ達も既にこの城にやってきてあれやこれやと仕事をしているらしい。
そんな中でエリスがやってきたのはこの城の主人ロレンツォ・リィデュアの居室の前。ティーナさんから話を聞き部屋の場所を聞き出しやってきたゴールドラッシュ城の中心部に存在する部屋の前にて顎を撫でる。
(ロレンツォさんなら何が知ってるかな)
そもそもの話、ガンダーマンがこの城に来ているかどうかも分からないこの状況を打破するには今は情報が必須、となればこの城の事を事細かに知っている人物は誰か?…決まっている。
王貴五芒星の一角、黄金卿ロレンツォ・リィデュアを置いて他にいない。故にエリスはここへやってきたわけだが…不安だ。
「どんな人なのか、よくわからないんだよなぁ…」
はぁとため息を吐いて肩を落とす、一人で王貴五芒星に接触するのは不安だ。なんせエリスが今まで会ってきた王貴五芒星はみんなどうしようもないゴミばっかだった。
ソニア…ではなく理想卿チクシュルーブ、チンピラ…ではなく神司卿クルス。北部を治めるカレイドスコープ卿もロクでもなさそうだ、まともなのが分かってるのは魔導卿トラヴィスだけどきたもんだ。
そういう意味では、ロレンツォさんもまた油断ならない。特にロレンツォさんは王貴五芒星の筆頭としても目される人物でもある。王都を含む中部諸々の管理を任されている以上生半可な人物のわけがない。
ある意味、権勢の一点で見ればレナトゥスに唯一匹敵する人物が黄金卿ロレンツォ…。それがどのような性格なのか分からない以上…変に気を抜くのは違うもんね。
「とは言えここまで来た以上引き返す選択肢はないのですが」
仕方ないと覚悟を決めて、軽くノックを数度する…が、返事が返ってこない。よく分からないので取り敢えず扉を開ける、これで不敬罪になったらその時はその時だ。
「失礼しま〜…お?お?」
扉を開けて中を見てみれば…これがびっくり、中じゃなくて外だった。よく分からないと思うが事実…まるで外に出てしまったかのように青い芝生と青い空が広がっていて──。
(違う、これが偽物の世界だ。芝生の発育が悪いし川の水も淡水じゃなくて蒸留した水、オマケに風も吹いてない)
旅をしてきたからこそ分かる、ここは偽物の世界だ。出来る限り外を模して作られてるだけで…外じゃ無い。これならまだ帝国の居住エリアの方が出来が良い。
一瞬面食らったが…よくよく見ればただただ奇妙奇天烈なだけの部屋でしか無いな。
「なんですかこれ、ここにロレンツォさんがいるんでしょうか」
周りを見回しながら芝生の上を歩くと、丘の上に小屋が見える…まさかあそこに?と思うなりエリスは即座にその小屋に近寄り扉を手でトントンと叩いてみる…すると。
『誰かな?』
(お、人いる)
しゃがれた声が聞こえてくる、これ…ロレンツォさんか?それを確認する為エリスはゆーっくり扉を開けて───。
「死ねッ!」
「おっと」
扉の隙間からいきなり剣が生えてきた。いや突き込まれたのか、けど殺意がダダ漏れで分かりやすいから簡単に防ぐことができる。剣先を手で受け止めそのまま下に流し地面に突き刺すと同時に剣の上に足を置き扉を強引に開き切る。
「何者ですか、喧嘩売ってるなら買いますけど」
「それはこちらのセリフだ!何奴!」
剣を構え、扉の奥から現れたのは金色の鎧を着込んだ険しい顔の男だった。金の髪を角刈りで纏めて実直そうな顔つきをしたソイツは剣を構えたままエリスと相対し腰を深く落とす。
…こいつ、強いな。
「エリスはエリスです、孤独の魔女の弟子エリス…貴方は」
「金滅鬼剣士団の団長…ジェームズ・アウルムだ。貴様…魔女の弟子だと?ここに何をしに来た」
「ロレンツォさんに会いに来ました!」
「アポは!」
「取ってないです!」
「来ていいと思ってるのか!?」
「あんまり思って無いです!」
「アホか!そんな道聞くみたいに立ち寄っていいわけがないだろう!」
ごもっとも!確かにフラッと立ち寄ったみたいな感覚できていいはずがなかったな、でも会いに来てしまったんだからしかないでしょ!と開き直るしか無いよもう。
ジェームズと名乗った男は金の剣を構えたままエリスを警戒してる、やっちゃったかもしれない。
「ヒョェ…ヒョェ…いいんだよジェームズ君」
「しかし!」
「彼女は私に危害を加えない。そうだろう?魔女の弟子」
そう言って扉の奥、小屋の中で笑うのは三日位天日干しした魚みたいに枯れ果てた老人…いや、見覚えがある。彼こそがこの中部リュディア領の領主…。
「貴方が、ロレンツォ様ですね」
「あれ?エリスさん?何しに来たんですか?」
「ってケイトさんも!?」
ふと、部屋の中を覗き込んでみるとロレンツォさんと一緒にケイトさんまでいるじゃ無いか。何してんだこの人…いや、そっか。
「そう言えばケイトさんとロレンツォ様は知己の仲でしたね」
「貴様何サラッと入ろうとしてるんだ」
エリスもお話ししようと小屋の中に入ろうとするとジェームズさんに押し戻される、え?入っていい流れでは?
「良いのだジェームズ君、私が許可する。彼女とは話してみたい」
「……御意」
軽く一礼する、実際失礼をしたのはこちらなので。ジェームズさんはエリスの礼を見て複雑そうな顔をしつつもエリスを通してくれる。
そうやって入った小屋の中はまぁなんとも質素な出来で、何処にでもある小屋だ…しかも割と貧相な感じの。
「失礼します、ロレンツォ様」
「ああどうも、ケイトから話は聞いているよ。ここまで彼女を護衛して来てくれたんだろう?」
「はい、半分成り行きですけどね」
「エリスさんは信頼出来る方ですよ、口は悪いですが義理人情は理解している方なので」
失礼な物言いですねケイトさん!でも助かりました、アポ無し突撃無礼千万野郎のエリスがこうやってロレンツォさんに話が出来るのはケイトさんのおかげでもあるんですから。
「ヒョェ…ヒョェ…そうかそうか、ケイトがそう評価するならそうなのだろうな」
「…随分張り合いがなくなりましたねロレンツォ、昔の貴方ならもっと私を疑ったり突っかかって来たのに」
「今更歪み合い怒鳴り合うような歳ではないだろう、私も…お前も」
「それもそうですね」
しかし、こうして見るとロレンツォさんはかなりの歳に見える。ヒンメルフェルトさんも老齢で亡くなってるし…ケイトさんも本来は出歩ける年齢ではないんだな。もっとこの人を労わる必要があるかも…。
「お二人はここで昔を懐かしんでいたんですか?」
「ん?ああ…、ヒンメルフェルトが亡くなったとの報告を聞いてね」
「葬式にも来ない友達甲斐の無いこいつを私が説教してやってたんですよ」
「そう言うな、私とてもう簡単には動けない身…私ももうすぐヒンメルフェルトの後を追うだろう」
「……そうですね」
年齢的な衰えはやがて人としての終わりを意識させる。それが悲しいことなのか、あるいは受け入れているのか、それともそもそもエリスがまだ知らない感情を抱いているのか…エリスには想像のしようも無い。
ただ二人は穏やかに椅子に腰を下ろして。
「まぁ、いいんじゃ無いですか?こんな晩年も、私はてっきり魔獣に食われて死ぬもんだと思ってましたし」
「私もだ。きっとヒンメルフェルトも埋葬され盛大に送り出してもらえるなどと…若い頃は考えていなかっただろう」
「そういう意味では、まぁいい人生だったんじゃ無いですか?」
「ああ、そうだな。…アレスも王都で上手くやってると言うし、後は…」
「エース…ですね」
エース…その名が出た瞬間、二人の顔は暗く曇り…なんだか触れてはいけないワードに触れてしまったような、そんな気まずい空気が漂うのだ。
エースと言えば、ケイトさんのチーム『ソフィアフィレイン』のに於ける『勇者』のポジションにいたエース・ザ・ブレイブの事だろう。戦士でも剣士でも無く…勇者か、それがどういうポジションなのかよく分からないな。
「あの、エースさんって確か外大陸に旅に出たんでしたよね」
エースさんの名前が出たきりぷっつりと途切れてしまった話を再開させる、本当はもっと別のこと聞きたいけど、今の空気感じゃ聞けないよ。
それに単純に気になるしね、唯一外文明に旅に出てしまった人だから。
「エースの事を聞きたいんですか?」
「はい、気になりますし」
「そうですなぁ…」
するとロレンツォさんは髭を撫でて険しい顔をすると…。
「一言で言うなれば…『人間の突然変異体』のような人でしたな」
「突然変異?超人のような感じですか?」
「いや、あんな煌びやかなものでは無い。超人は人並み外れているもののそれでも人の範疇。エースは精神性も肉体構造も…根本から人と違っていた」
遠い目をして語るロレンツォさんはエース・ザ・ブレイブの事を教えてくれた。
そもそもソフィアフィレインというチームはケイトさんとエースが出会った生まれたチームなのだと言う。そこに偶然居合わせたヒンメルフェルトとロレンツォさんとアレスさんが加わり五人で冒険者として旅をしていたが…。
はっきり言ってソフィアフィレインが伝説的なチームになれたのはエースが居たからと言う部分も大きいらしい。
実力面では当時から伝説的な強さを持っていたケイトさんに匹敵し、凡ゆる魔獣を鏖殺できるだけの残虐性を持ち、その上で…エースは常軌を逸する程に何かを求めていた。
「何かを求めていた、それだけは分かるが私はついぞエースが何を求めていたのか分からなかった」
「どう言う意味ですか?」
「なんと言葉にして良いやら。エースは常に『誰かの為に働く事』を心がけていた」
「いいことじゃないですか」
「いいこと…のはずなのだが、私には人助けに全てを捧ぐエースの姿がまるで陸に打ち上げられ必死にエラを動かす魚のような…そんな息苦しさを見た。まるで誰かを助けていなければ生きていけないような…そんな窮屈な何かを彼に感じたんだ」
「私達がチームを解散すると言ってたら『それなら私はこの国を出て困っている人を探し出す』とか言ってそそくさと国を出ていきましたからね、その数年後ですよ。あの子が外文明のブレトワルダにいると聞いたのは、まさか外文明にまで出向いているとは」
人助けの為に外文明まで、と言えば常軌を逸したお人好しのようにも思えるが…二人の様子を見るにただ『人を助ける事が喜びだった』ってわけでも無さそうだ。
当時世界最強格だったケイトさんに並ぶと言う時点でエースさんの実力は当時の魔女大国最高戦力である魔女四本剣に匹敵するのはまず間違いない。そんな頂点に至るような人ってのは得てして変な人が多いと言うのがエリスの持論だ。
きっと、エースさんと言う人物も結構変な精神構造をしていたのだろう。会ってみてたいが外文明にいるのなら会いようが無い。そもそも存命かさえ分からない。
「不思議な男だったよ、エースという奴は。あれほどの強さを持ちながら強さに拘らず、魔獣を山のように鏖殺しながら魔獣に共感し、人を助けながら人を見ない…そんな男だった」
「…………」
そして、不思議な事がもう一つ。ロレンツォさんはエースさんの事を懐かしそうに語るのに対し、ケイトさんはそれをやや面白くなさそうに聞くんだ。まるで『エースの事を分かってない』とでも言いたげな目でロレンツォさん見る。
それがどういう感情かも、また分からない。
「それよりエリス殿、ここに来たのには何か理由があるのでは?」
おっと、向こうからそれを察してくれたか。だが丁度いい、それでこそ切り出せるというもの。
「実は、ガンダーマン会長を探していまして」
「なに?ガンダーマン君を?」
「はい、エルドラド会談に参加している…という話を聞いていたんですが、見当たらないので」
「ふむ」
するとロレンツォさんは再び髭を撫で。
「確かに見てないな、彼は目立ちたがり屋だから会場にいればいの一番に名乗りを上げるだろうに…、というかガンダーマン君はケイトの上司だろう?何か知らないのかな?」
「知りませんねぇ、あの人ならここに来てると思ったんですが…全然見当たらないですねぇ」
「来てないのでしょうか」
「いや、それはないと思う。ガンダーマン君はこの会談にとても意欲的だった。先輩嫌いの彼が私に態々連絡を寄越して必ず行くとの伝えてくる程度には積極的だった。来てないなんてことはあり得ないと思うが…」
とはいうがロレンツォさんも知らないか…、確かにあの人の性格上居るなら確実に目立つ行動をする筈。だがそれも無く音沙汰もない…ってのは少々気になる話ではある。
来ていることには来ているが、目撃証言がないか…これじゃあ探すのもか一苦労だぞ。クソ、来て欲しくない時には来てなんで来てほしい時には来ないんだアイツ。
「そうでしたか、分かりました。ありがとうございます」
「いやいいよ、役に立てたかは分からないが」
「十分でしたよ、それじゃあ!」
ストっと椅子から立ち上がり軽く手を上げ立ち去ろうと歩き出す。何やら二人で懐かしい話をしているようだったしエリスが邪魔するのもあれだろう。それにさっきからかジェームズさんがやたら怖い目で見てるし…。
「そうかそうか、ヒョェ…ヒョェ…なら、最後に一つこちらから聞こうかな」
「なんですか?」
「この部屋を、どう思う?」
この部屋?この小屋…じゃなくてこの外を模した不思議な空間のことか。どう思うって…どうとも…。
「正直な意見を聞きたい」
「正直でいいんですか?」
「ああ、是非聞きたい」
なら、正直に言いますと…。
「なんか、狭っ苦しいですね」
なんでエリスが言った瞬間エリスの背後に立つジェームズさんが突如剣を抜き放ち。
「貴様ァーッ!なんたる不敬をッ!」
と言いながらエリスの頭を叩き切ってくるのだ、まぁ防壁で弾きましたが。
だって正直に言えって言ったし…ここで取り繕うのも違うかなって。
「ほう、狭っ苦しいと?」
それに当のロレンツォさんは何やら面白そうに口を歪めている。その通り、狭っ苦しい…エリスから言わせればこの空間は。
スペース的な話ではない、というか空間的な話をすればこの部屋は結構か広い…けど。
「はい、この部屋は狭すぎます。憧れを押し留めるには」
「………」
「この部屋の再現度は狂気的です、ただ自身の虚栄心を満たすためだけにやったとは思えません。きっとここはロレンツォさんにとって大切な景色の再現なのでしょう」
「…そこまで分かるか」
「だからこそがエリスには狭く感じます。憧れや焦がれは箱の中に収められる物ではない…どれだけやっても部屋は部屋、求めてる景色ではないんでしょう?」
「…………」
ロレンツォさんは押し黙る。結局…ロレンツォさんはこの景色が好きだから再現したのだ。しかしだからと言ってそれで満たされるか?満たされてないからエリスに話を聞いたんだろう。
だから狭いのだ、憧れる心は羽と同じ…羽ばたいてこそ意味がある。
(とは言え、じゃあこのご老体に向けて『こんな偽物の景色で満足するな!表でろや!』とは言えないよな)
偉そうに言ったけど、それをロレンツォさんに強要するつもりはない、飽くまで意見です。
「…そうか、…ここはね。かつて私の生まれ育った場所の再現。このエルドラドの街が出来る前の景色なんだ」
「そうなんですか?へぇ、エルドラドが出来る前はこんなにがらーんとしてたんですね」
「ああ、私が金を稼ぎかつての故郷を塗り潰し、その上から黄金の街を建てておいて…最後に求めるのがかつて自分が潰した故郷とは、笑える話だ」
「そうだったんですね…」
なるほど、ここはエルドラドの街が出来る前の…かつてこの場に広がっていた景色の再現なのか。
これはある種の妥協なんだろう。死ぬならこう言う所で死にたいと言うせめてもの願いの具現、そこまで否定するつもりはないか、ただエリスに意見を聞いたのだからエリスの意見を言ったまで。
「なるほど、君は若いのに君なりの答えを既に持ち合わせているんだねぇ…冒険者として、大成できるだろう」
「ありがとうございます、すみません失礼なこと言っちゃって」
「聞いたのは私だ、何も言うまい」
もう行っていいぞとばかりに椅子の上で手を組み直すロレンツォさんに一礼をして、エリスは部屋を後にする。扉を閉めて、芝生を踏み締め、もう一度振り向きふと…思う。
(ん?…違和感があるな)
腕を組む、ロレンツォさんはかつてエルドラドの街が出来る前、この地に広がっていた景色を再現した…と言う割には。
なんか、変だぞ。エルドラドの街は周囲を崖に囲まれた窪地の筈。ならばこの景色を描いた壁画には周囲を覆う断崖絶壁の岩壁が描かれていて然るべきだ。だがどういうわけか壁に描かれているのは一面の青空ばかりで崖のようなものは描かれていない。
もし本当にこのエルドラドと同じ座標を再現していたなら、こんなにも眺めはいいはずがない。
(景観の良さを優先して壁面を描かず青空に変更したか、思い出補正で記憶が青空にすり替わったか…或いは)
そもそも、ロレンツォさんは真実を言っていないか。つまり…この場に再現された景色は本当は別の場所でエルドラドが出来た場所ではない可能性がある。
だとしたら、なんで『エルドラドが出来る前の故郷の景色がこれだ』なんて嘘をついたのか分からないが…まぁ、いいか。別にどうでも。
「それよりガンダーマンを探さないと」
それよりエリスはやらなきゃいけない事がある。故にさっさとこの気味の悪い部屋から出てエリスは次の目的地を探すため廊下に出ると…。
「───────ッ!?」
耳をつんざくような轟音が鳴り響きびっくりして目を丸くしてしまう。文字にするならドカーン?チュドーン?何にしてもとんでもない爆裂が発生した音だ。平穏な生活を送っていたら絶対耳にしない音。
まさか昨日の連中みたいなのがまた暴れてるのか?だとしたら今度こそ地獄に叩き落としてやらねばなるまいとエリスは拳を握りコキコキと関節を鳴らしながら走る。
全力疾走だ、メグさんの指示で真面目に仕事をしているメイド達の脇をくぐり抜け向かう先は…練兵場か?
城の裏手に存在する広大な土地に走り込み用のコートや打ち込み用の木人形、他にもあれやこれやと設置された屋外訓練場らしき場所を見つけ、恐らくそこが音の発生源とエリスは睨む。
そのまま窓を開けて飛び降り、一気に訓練場へと駆けつけると…そこには。
「たんまたんまたんまッ!マジ死ぬ!もうびっくりするくらい死ぬ!」
「情けないわねあんた!それでもエリス姐の弟なの!?」
尻餅をついて泣きながら命乞いをするステュクスと…杖を構え白煙を漂わせるアリナちゃんがいた…。
やったな、これ…絶対。
「アリナちゃん」
「え?あ!エリス姐!」
そう呼びかけるとアリナちゃんはパァッと顔を明るくして一気にこちらに突っ込んでくる…のを手で制する。待て待て、甘える前にするべき事があるだろう。
「え?なに?」
「何してたんですか?アリナちゃん」
「訓練場見てたの!マレウスの兵士がどの程度のもんかを視察?ってやつ!まぁ大した事なかったけど!そしたらそこにエリス姐の弟を名乗る奴が居たから試してやったの!エリス姐の弟なら私くらい簡単に倒せるかもって…けどこいつ全然弱くて、話にならないわ!」
「それで魔術をぶっ放したと?」
「軽くね?」
と言っているアリナちゃんの背後には巨大なクレーターが出来ており、周囲の兵士達は腰を抜かしステュクスもメソメソ泣きながら『なんとかして』とばかりに視線で助けを求めている。
…はぁ、全くもう。
「アリナちゃん、やり過ぎです。ここはアジメクではないんですよ?これがデティに知られたら怒られます」
「う……」
「エリス達は招いてもらった側、それも六王のお付き。あんまり横暴な真似をすると魔女大国の品位を疑われます」
「………アンタがよく言うよ」
ん?ステュクス今なんか言ったかな?あんまりブツクサ言ってるとグーが飛びますけど…?
「ともかく、暴れるのは禁止です。分かりましたね?」
「はい、エリス姐…ごめんなさい」
「それは後程この訓練場の持ち主に言ってください、それと…その…」
チラリとステュクスを見る、すると彼は何やら怯えたウサギみたいな目でこっちを見つめ返してくる…はぁ、一応アリナちゃんはエリスの妹分ですからね。
「ステュクス、すみませんね。エリスの妹分が迷惑をかけたみたいで」
「え?あ…うん。ってかその子マジで姉貴の妹…なわけないよな」
「当たり前でしょう、エリスがいた村の女の子です。訳あって姉貴分やってるだけで」
「ですよね、全然似てないし」
彼の手を掴み尻餅をついたステュクスを引き起こす。貴方とエリスの妹がいるわけがないでしょう、ハーメアはもう死んでる訳ですし。
「それよりリオス君とクレーちゃんは?あの二人の様子を見に行ったんですよね?」
「あー…二人は、まぁ…大丈夫だよ。ちょっと引き摺ってるけどまだギリギリ踏み留まってる」
「そうですか、ならいいです。それより貴方はここで何を?」
「……なんでもいいだろ」
は?お前誰に口聞いてんだ?こいつ…。いやいや怒るな、エリスもエリスで嫌な態度取ってるじゃないですか、お互い様です、それより聞いて欲しくない事があるなら無理に聞き出す必要もない。
「……なぁ姉貴」
「なんですか」
「今日、暇か?」
おずおずと視線を逸らしながらステュクスはそう聞いてくる訳だが、狙いが分からない。暇か?暇な訳ないだろ、エリス達はここに仕事に来てるんだ、何よりエリスにはするべき事がある訳だし。
「暇な訳ないでしょう、エリスはやらなきゃいけない事があるんですよ」
「…そーだよな」
「ええ、エリスはガンダーマンを探さなきゃいけないんです…。アイツが何処に行ったか…さっぱり分からないのに、時間を無駄にするわけにはいきません」
今の所か目撃証言も何もない奴を見つける必要がある。それなのにエリスだけ遊んでるわけにはいかない、故にステュクスに構ってる暇なんてないんだと彼に背を向けながら言うとステュクスは…。
「あー…ガンダーマン会長か、そう言えば居たなあの人も。初日以外見かけないけど…」
「……え?」
思わず振り向いてしまう、今なんて言った?初日以外見かけない?…つまり。
「見たんですか!?ガンダーマンを!」
「えっ!?ちょっ!?」
思わずステュクスの手を取り顔を引き寄せ聞いてしまう、あれだけ探しても見つからなかった目撃証言が…まさかステュクスから出てくるなんて、いや本当か?なんかの見間違いじゃないのか?と言うか嘘言ってる?嘘言ってたら貴方この場に埋めますけど。
「嘘じゃないですよね?嘘なら信じられないような目に合わせますけど」
「どんな!?いや嘘なんか言わねぇよ!初日に貴族達に混じって歩いてるの見かけたんだよ!それがなんかあるのか!?」
「何処で!いつ!見かけたんですか!」
「えぇ…?何処でって…正門近くだけど。でもそれ以降は見てない、会談が始まった時には既に会場には居なかった、…そう思えばなんか不自然だな、会場には来るだけ来て会談に参加しないなんて」
やっぱり…居たんだ、ガンダーマンはこの城に!それ以降見かけていないと言うことはまさかまだ城の中にいるのか?だがならなんでロレンツォさんが知らない…。いやまさかあの人隠してるのか?分からない。
分からないけど…。
「ナイスですステュクス!流石貴方持ってますよ!」
「え…ええ?」
「ハッ…!」
サッと手を引く、しまった…喜びのあまり手を握ってしまった。は…恥ずかしい。ステュクスもステュクスで困惑したように顔を引き攣らせている…やらかした。
「お、おほん。情報提供感謝します」
「お、おう。役に立てたなら何よりで…というかガンダーマン探してるんだよな」
「ええ、理由は言えませんが探してます」
「ならこんなところで探し回るよりもっと有用な情報が聞けそうな人を知ってるぜ?」
「…ロレンツォさんですか?ですが彼にはもう…」
「違う違う、ガンダーマンはあれでも伯爵の地位を持つ男だぜ?だが領地運営は別の人間に任せている…ガンダー領の運営をな」
「ガンダー領…あっ!」
聞いたことあるぞ、その名前…まさか、アイツか!
「そう、ガンダー領のプロパ伯。アイツが何も知らないわけがない、アイツに聞くのが一番だ」
あの口うるさいゴミカス!アイツだ!アイツ確かにガンダー領と名乗っていたけど…ガンダー領のガンダーってガンダーマンのガンダーなのか!?
しかしだとするならこれ以上ない情報源、恐らくこの場で最もガンダーマンの行方を知っている可能性が高く、またこの場にもガンダーマンと共に来たであろう男。
奴から情報を聞ければ…!
「案内してください!ステュクス!」
「ええ!?居場所なんて知らないけど!?」
「使えないですね!それでも女王の護衛ですか!」
「六王の護衛がそんな横暴な口聞いていいのかよ!ともかく俺は案内出来ません!」
「なら私が案内する」
「だってさ!よかったな姉貴!案内してくれるってさ!…ん?」
ふと、ステュクスとの言い合いの最中知らない声が混ざった事に気がつく、エリスとステュクスはまずアリナちゃんを見る…もしかしてアリナちゃんが言った?と。だがアリナちゃんは首をブンブン横に振り…指を立てる、エリス達の背後に向けて。
そうしてゆっくりと振り向く先には…。
「プロパ伯の宿泊しているホテルは知っている、案内する」
「…レギナちゃん?」
レギナちゃんが居た…いや、レギナちゃんじゃないぞこの子。パッと見は物凄いレギナちゃんに似ている、だが睫毛の長さや目鼻の配置、細かな部分が若干違う。
とんでもなく似てるレギナちゃんのそっくりさんだ。それがステュクスの顔を見ながら案内すると言い出しているんだ…。
怪しいだろ、なんだこいつ。
「貴方レギナちゃんじゃありませんね、誰ですか」
「……………」
「ラヴ…お前今まで何処行ってたんだ?」
「ラヴ?ステュクス、説明しなさい…こいつは何者ですか」
「ああ、えっと…ラヴだ。レギナの影武者の」
「味方ですか?」
「……味方、だよな?」
ステュクスは伺うようにラヴに問いかけると、ラヴは数秒のラグを置いてから…。
「そう」
と首を縦に振る。…先日も言いましたがエリスはこう言う感情を表に出さないタイプとは付き合い慣れています、なのでこう言う無表情な人の感情や伝えたい事はある程度察する能力があると言ってもいいでしょう。
しかし、そんなエリスでさえ…ラヴが何を考えているか分からない。感情が表に出ないと言うより、これじゃあまるで──。
(感情そのものが極めて希薄、人として必要とされる人間性が薄い。信用してもいいのか?こんな怪しい奴)
「で?何処行ってたんだよ、急に消えて会談にも顔を見せずにさ」
「仕事してた、色々」
「そうなのか?心配してたんだけど」
「……心配には及ばない、それより案内する。プロパ伯の所に」
エリスの警戒は他所にステュクスはラヴを信頼しているように思える。彼が信用してるなら大丈夫なのか?…だが。
不穏だ、あまりにも不穏すぎる。ここまで女王と顔が似ている存在が許されるのか?ステュクスは影武者だなんて言ってたけどさ。じゃあ本物のレギナちゃんに何かあった時も容易に入れ替われると言うことで───。
「そっか、ありがとな?ラヴ」
「構わない…」
「エリス姐…どうするの?」
「…案内してくれると言うなら、行くしかないです」
「エリス姐が行くなら、私も行く」
だがエリスがここでいくら考えても仕方ない。今は彼女についていくしかないだろう。
徐に歩き出したラヴの背中を追うようにエリスとステュクス、そしてアリナちゃんは歩き出す。
ここに来て現れたラヴと言うあまりにも特異な人物、それに対する異様な警戒心の正体に気がつけないまま…エリスは目指す、エリス達の目的地を。
………………………………………………
「あ」
「え?」
「あら」
「……」
それから、エリス達はゴールドラッシュを出てエルドラドの街に出てガンダー領のプロパ伯爵代理が宿泊していると言うエルドラドの一等級ホテル『ゴールデンアワー』を目指した。
天に釘を刺すような摩天楼の中でも際立って大きな長方形の建物、貴族や権威者が泊まる為の一等級ホテルであるゴールデンアワーはマレウスでも超がつくほどの一流ホテルとのことだが、どう見てもデルセクトのビッグパールの方がイカしてるというのは言わない方がいいんだろう。
まあ、それは置いておくとして。エリス達はそのゴールデンアワーのエントラスに足を踏み入れた瞬間、そこに立っていた人達と顔を合わせも思わず口を開けてしまう。
プロパ伯爵代理の情報を掴んでいの一番にきたつもりだったが。
「おやこれは、エリス様にステュクス様、それにアリナ様ではありませんか」
「なんだぁ?お前らも来た感じか?」
「メグさん、アマルトさん、二人もここに来てたんですね」
メグさんとアマルトさんがエントランスに立っていたのだ、先を越されたのだろう。
「ええ、エリス様達もプロパ伯爵代理に?」
「はい、メグさん達も?」
「はい、私も仕事を一旦終えて情報を整理していたらプロパ伯爵代理に気がつきまして、お話を聞こうかと思いまして」
「ならなんでアマルトさんまで?」
「従者の私一人ではナメられる可能性があるので──」
「オウオウ!この野郎!ナメんじゃねぇぞゴラァッ!」
「と言う風にアマルト様のガラの悪いアンちゃん感を武器にしようかと思いまして。所謂脅し担当でございます」
ポケットに手を突っ込みながら頭を前に傾け睨みを効かせるアマルトさんを手で指し示しながらメグさんはそう言うのだ。まぁ確かにアマルトさんは背も高いし吊り目だし初見の感じは確かに威圧的な印象も受ける。
だがそれならネレイドさんの方が脅しになるのでは?と思いもしたが、そう言えば今日はレギナちゃんとベンテシキュメさんが話し合い日でしたね、多分そっちについているんでしょう。
「ってかそっちも珍しい組み合わせだよな、エリスとステュクスが一緒にくるなんてよ」
「なんだっていいじゃないですか…」
「そう言うなよ、ってかレギナちゃんまで来たんだな?今日はベンテシキュメとなんかやるって言ってなかったか?」
なぁ?とアマルトさんが親しげに声をかけるのは…ラヴだ。ラヴは特に反応することもなくアマルトさんの言葉を無視。視線も向けることなく微動だにしない。
それを見たアマルトさんは『あれ?』と顔を引き攣らせ。
「俺、なんか怒らせたかな」
「ああアマルトさん、すみません。こいつレギナじゃないんですよ、顔は似てるけど別人のラヴってモンでして」
「ラヴ?随分ハッピーな名前じゃねぇの、イェーイ!ラヴちゃんピース」
「………」
「やっぱ怒らせたかな?」
「プロパ伯の部屋はこっち」
もう完全に無視、アマルトさんはブゥーと唇を尖らせ肩を落とす。まぁ絡み方はクソうざゴミ対応でしたが…ラヴは何やらエリス達に異様に関わろうとしないんだ。さっきからエリスに対しても一切リアクションしないし。
「ともあれ、この人数で行けばプロパ様も無視は出来ないでしょう。アリナ様?エリス様?くれぐれもプロパ伯爵代理を殴らないように」
「善処します」
「前向きに検討します」
「うーん不安」
殴りませんよそんな簡単に、エリスだって馬鹿じゃないんですから。エリスの事なんだと思ってるんですかねぇ全く。
なんて口笛吹きながらラヴの案内について行こうとみんなでゾロゾロ歩き始めた瞬間。
「エリス様」
「ぅげぇっ!?」
いきなり後ろからメグさんに襟を掴まれ無理矢理後ろに引き戻される、いや何?なんですか?急に?とやや抗議的な意味合いを持つ目でメグさんを見ようとしたが…彼女のあまりにも真剣な目つきに口を閉ざす。
なんか、ふざけてる感じじゃないな。
「どうしました?」
「ラヴ、と言う人物は何者ですか?」
「知りません、ステュクスは味方だと言ってました」
「味方…ですか」
メグさんはやや考えるように目を閉ざす。すると意を決したのかエリスの耳に口を近づけて。
「詳しいことは分かりませんが、ラヴと言う人物の体には整形の跡があります」
「え?整形?」
「無理矢理外部から手を加えて姿形を変えているんです。顔も体つきも…その影響かやや骨格に不自然な部分が見られます」
「………」
絶句する、いくら女王の身代わりだからって…そこまでやるか?顔も体つきも変えるなんて…どう考えても尋常じゃない。ラヴと言う人物に対する不信感よりも…。
ラヴと言う人物を作り上げ、使っている側に対して不信感が募る。人間性が欠如しているとしか思えないやり方で無理矢理女王の身代わりを作り上げているのか?…どんな頭してんだそいつらは。
「ラヴ自身の腹の中は読ませんが、確実に何者かに命令を受けてここにいるのは確かです。そして、そんな真似をしてまでラヴの姿形を変えるような奴等がする命令が…」
「平和的な物のわけがないと…」
「はい、なのでラヴには必要最低限の警戒を」
「分かりました」
「おーい!姉貴〜!メグさーん、何してんだよ〜早いこいって〜」
「…ええ、今行きます」
階段を使って上に登ろうとするステュクス達に返事をしながら、その先頭でエリス達を先導するラヴに目を向ける、やはり…怪しいな。
……………………………………
それから階段をいくつか昇り、ホテルの上層を目指していく。このホテルには貴族達も複数宿泊しているらしく一階層に四部屋しかない代わりに一室一室が大きく、貴族が住むに足るだけの代物になっているとのこと。
これよりも更に上位の王貴五芒星達は皆それぞれエルドラドに別荘を持ってるらしく、その別荘に泊まっているらしい。
なんて話を聞かされたのが階段を登り始めた頃。それが懐かしく感じる頃…ようやくラヴは足を止めて。
「ここ」
「ここって、この階層なのか?」
「そう」
そう言ってラヴちゃんはステュクスに対して一つの扉を指差し案内を完了する。あそこにガンダー領のプロパ伯爵代理がいるのか。
昨日、プロパが喋っているところを見たが…まぁなんとも過激な反魔女派って感じで苦手な感じだったなぁ、エリス達がこのまま顔を出してもまともに話にならないんじゃないのか?とちょっとした不安を感じつつもメグさんは扉の方に歩み寄っていく。
「こちらですね…」
「あ、待ってくださいよメグさん」
セカセカとプロパの部屋へと向かうメグさんを慌てて追いかけようとした瞬間…。
「待て、お前達は何者だ」
「へ?」
ふと、呼び止められる。見れば廊下の脇に武装した兵士が立っており、エリス達を見るなり呼び止めてきたのだ。
「あの、そういう貴方は何者で?」
「私か?私は当ホテル専属の警備担当だ、このフロアは全域が貴族の皆様の貸切となっている。無断で立ち入る事はできん、許可が取れていないなら返ってもらうが?」
そこでハッとする、確かにこういう警備兵はいて当然だと。だってこのホテルには貴族がいるんだ、良からぬことを考える奴が忍び込んできた時の事を考えるとこういう見張りは必要…いや、見張りがいるからこそ貴族達が挙って宿泊するような大ホテルになれたんだろう。
しかし参った、アポなんか取ってない…また強引に行けないかな、いけないか。
「失礼しました、我々プロパ様に明日の会談についてのお話に来た者です。こちら身分証になります」
「む、なんだ会談関係者だったか。身なりが悪いからゴロツキかと思ったぞ」
すると颯爽と戻ってきたメグさんが身分証を提出する事で事なきを得るが…悪かったな、ゴロツキみたいな身なりで。
……しかし、なんでメグさんは止められなかったんだ?メイドの格好してるからか?
「貴族の方々に失礼のないようにな」
「うーい」
「あーい」
「へーい」
アマルトさん、アリナちゃん、ステュクス達もまた警備兵をスルーしてそのまま部屋の奥の扉までたどり着く。一悶着あったが…ここにプロパが居るんだな。
「この部屋にいるんですかね」
「先程エントランスに確認を取りましたがプロパ伯爵代理は昨日の夜から外出していないそうですよ」
「ふーん…」
なんて適当に返事しながらエリスは扉の前に立つ腕を組む。さて、なんと声をかけた物か。『開けろ!アド・アストラのエリスだ!』と言っても行けないだろうし『ルームサービスですぅ〜』とか言ってもバレた後が怖いし。
「何やってんの?姉貴」
「バカねステュクス、エリス姐は考えてるのよ」
「何を?」
「プロパをどう甚振るか」
「じゃあ止めろよ…ん?」
するとステュクスはエリスを押し退けいきなりドアノブに手を伸ばし…って、何をするんですか!そんないきなりドアノブガチャガチャしたら相手が怒って…。
「…鍵が開いてる」
「え…?」
ステュクスが軽く手をガチャリと音を立てて扉が開く。…そんなことあるか?宿に泊まっておいて鍵を閉めないなんて事が。いくら警備兵がいるからってそんな…。
エリス達の間に、緊張感が走る。異様な空気感が漂い…ゆっくりと扉を開けていく。プロパが鍵も閉めない不用心野郎ならそれでいい、だがもし…。
もし、今エリスが想像している突拍子もない事象がこの先で起こっているなら…それは。
「…プロパ伯爵代理〜?」
アマルトさんが声を上げながら部屋の中を覗く、エリス達も一緒に部屋に入り見回す。見た感じ部屋の中は平穏無事というかなんと言うか、問題が起こっているようには思えない。
リビングには読みかけの本が開かれており、家具などもきちんと整頓されたままだ。キッチンを覗けば…使われていた様子がない。
「プロパ伯爵代理…居ないな」
「鍵も閉めずに外出するうっかり屋さんだったとか?」
「…あ、エリス姐!こっち!書斎がある!」
ホテルなのに部屋に書斎まであるのかと驚きながらもエリスはアリナちゃんの言葉に従い、閉ざされた書斎の扉を見遣る。
「…プロパ伯爵代理?居ますか?」
コンコンとノックする、当然のように返事は返ってこない。だが…やはり鍵は開いている。エリスはアリナちゃんを遠ざけながら、ゆっくりとドアノブを回し体で扉を押して、中を見る…すると。
「……………」
見えるのは書斎の光景、幾つもの本が並ぶ本棚が壁のように乱立する小さな書斎。他の部屋同様に整頓されたその部屋に…プロパ伯爵代理が………。
「居ない…か」
居なかった、誰も居ない。この部屋も荒らされた様子がない。エリスの杞憂だったか。
いや、鍵が開いている時点で嫌な予感がしたんだ。もしかしたら何者かが部屋に入り込みプロパ伯爵代理を殺して!とか…なんとかね。だがよくよく考えてみればそもそも誰が殺すんだ?誰が狙うんだ?殺される理由も何もない。
となると、プロパ伯爵代理は何処に消えてしまったんだ?アマルトさんの言う通り鍵もかけないで外出するうっかりさんなのか?
「居た?エリス姐」
「いえ、居ませんでした。というかこの扉…立て付けが悪いのかな、変に重たい──」
妙に重たい扉を引き戻し、書斎の扉を閉めようとした、その瞬間だった。
「……え?」
まるで、砂の入った袋が地面に倒れるような、そんな重たい音がエリスの背後…書斎の中に響く、本でも倒したかともう一度部屋の中を見たら…そこには。
「…?どうしたのエリス姐──」
「来ては行けません!!メグさんを呼んで!早く!」
「え…え?」
「どうしましたか!エリス様!」
「メグさん…プロパ伯爵代理、…居ました、けど」
居た、アリナちゃんを遠ざけ再びメグさんと共に部屋の中を見る。するとそこには……。
扉のドアノブに縄をくくりつけ…首を吊り…青白い顔をして口から泡を吐くプロパ伯爵代理の姿が、あったのだ。
「…ドアノブで、首吊りを…」
「………………これは」
口から泡を吹き力無く倒れるその死体に、ただ呆然としながらエリスは手で顔を覆い。
「…マジかよ」
悪態を吐く、なんだこれ…なんでこんな事になってんだ…!?