489.星魔剣と漆黒の戦い
「なるほど、つまり現状の魔術界に於ける雷撃魔術の問題点はそこにあると言う事ですね」
「そうそう、飲み込み早いねイシュキミリ君。もしかして…」
「ええ、デティフローア様の魔術論文には全て目を通しておりますとも」
「わぁ!嬉しいなぁ!じゃあ去年出したものだけど治癒魔術の時間差発動に関する論文は」
「勿論読みました、しかし私としては肉体の中に魔力を残留させて…の部分に若干の違和感がありまして」
「うーん、そこは私もしっかりとした確証が持ててなくて、もしかしたらすぐに改訂しちゃうかもしれないんだよね…。でもそこに関してしっかり議論出来る治癒術師がアジメクにもいないのが現状なんだぁ」
「それはまた、私でよければいくらでもお相手になりますとも。治癒魔術理論は大方目を通していますので」
共に、同じソファに座りながら向かい合い白熱した議論を交わすのは魔術導皇デティフローアと大魔術師トラヴィスの後継たるイシュキミリ・グランシャリオ。
二人はまるで討論さながらの専門的な知識と用語の応酬を交わしながらも楽しそうに談笑をしていた。そりゃあそうだ、ここまで本気の議論が出来る人間は私にとって初めてだからだ。
「いやぁにしてもイシュキミリ君の知識量には驚かされるなあ。今すぐ七魔賢になれるよ!今ゲオルグ老師の枠が空いちゃってるし…どう?私からみんなに推薦するけど」
「いえ、私は父の席に座る予定なので。父の名を継いで七魔賢になるのが私の夢なので遠慮させていただきます。ですが魔術導皇たるデティフローア様にそこまで買っていただけるのは光栄です」
サラリと流れるような金髪を垂らして頭を下げ敬意を示すイシュキミリにデティフローアは今これ以上ない興味を抱いていた。
出会った当初は尊敬するトラヴィス卿の息子という点で色眼鏡で見ていたが、話してみればこれがまた凄い知識量。今七魔賢をやっている人達以上に魔術に関する教養がある。もしかしたら知識量は私に匹敵するかもしれない。
基本的なところは全て押さえていながら自分流の分析を交えた考察も持ち合わせる。なにより彼の内側から感じる魔力が物語るのは『純粋に魔術を愛する心』ばかり。
知識を愛し、魔術を愛し、自己研鑽を怠らない姿勢…まさしく魔術師の理想型。ここまでの人材が未だ名を売らず燻っていたことが驚きだ。
(こんなに知識を持ちながら怠らず、父の名声に驕らず謙虚に振る舞う姿勢、完璧だ。ここまでの魔術師を見たことがないよ、私は)
この人なら、次代の魔術界を一緒に引っ張っていける。そう感じさせる人材との邂逅に私は胸をときめかせていた。この人はきっと魔術界に改革を齎してくれる…これからの魔術界に絶対に必要な人材だ!
「イシュキミリ君!もっと話そうよ!」
「ええ、私ももっとデティフローア様とお話ししたいです」
「デティでいいよ!イシュキミリ君なら許す!」
「いえそんな…、魔術導皇様に無礼な呼び方なんて」
「無礼な呼び方じゃないよ、これは私が認めた人にしか許していない呼び方。それをイシュキミリ君に許すのは私からの敬意の表明だよ?」
「なんと、そこまで私を評価してくれるなんて…、ではデティ様」
「うんイシュ君!」
「これはこれは、若者同士とは言えここまで意気投合するとは。やはり若さには敵いませんな」
「あ、トラヴィス卿!」
しまったと気がつく。今目の前に尊敬する魔術師たるトラヴィス卿がいることをすっかり忘れてしまっていた。彼はソファに座りながら嬉しそうに微笑みながら背もたれに体重を預けていて。
「これなら、二人を引き合わせた甲斐もあったというもの。どうだ?イシュキミリ、デティフローア様は」
「噂に違わぬ、いえ…噂以上のお方であると理解しました。デティ様の魔術に対する造詣の深さは間違いなく世界一、このようなお方が統べる魔術界はこれからも躍進を続けるだろうと信じられます」
「そんなぁ!褒めすぎだよぉ〜イシュ君ったら〜!」
「事実を言ったまでですよ。流石でございます」
褒めすぎなんだから〜!もう〜!でもまぁ?私は魔術導皇ですから?詳しいのは当たり前なんですけど?その詳しさについて正確に理解してくれる人が少ないってのもまた事実なんだよね。
ただ詳しいだけじゃないんだよ私も、色々考えてるんですから。そこをイシュ君は理解してくれる、これはいい人に出会えたのかもしれない。
「そうだ、ロレンツォ様は大層な読書家と聞き及んでおります。その蔵書の中には古い魔術文献などもあると聞いています」
「え?ほんと?」
「はい、どうでしょうか。これから二人でそれを見て共に魔術談義に花を咲かせるというのは」
「いいね!やろやろ!めっちゃくちゃ楽しそう!」
イシュ君程の知識人と話すという経験は中々無い。是非とも一緒にと立ち上がったが…。
「おや、デティフローア様。どうやらもう時間もかなり遅い様子、そろそろお休みになられてはいかがかな?」
「へ?」
ふと、気がつき窓の外を見てみれば。さっきまで明るかった空が真っ黒に染まっている、もう夜だ。そういえば晩御飯を食べてないからお腹が空いた気がする…。
もうこんなに時間が経っていたのか、楽しい時間はあっという間に過ぎるな。
「デティフローア様は明日もある身、イシュキミリ。控えなさい」
「はい、父上」
「うぅ〜、ちょっとくらいなら私はいいけどなぁー?」
でも少しくらいならいいでしょう、私も子供じゃないんだし夜更かしを咎められる謂れはないとイシュ君を見ると、彼は静かに首を振り。
「いえ、また明日もありますし。楽しみは明日にとっておきましょう」
「う、それもそうだね。エルドラド会談は一週間あるんだし、また明日も話そうか。明日は一日フリーみたいだし、私だけ抜け出してここにくるくらいのことは許されるでしょう」
「はい、楽しみにしていますね。デティ様」
「うん、イシュ君」
それもそうだだ、明日もあるんだ。なら明日もここにくればいい、それでまた話せばいいんだ。
そう納得していると、イシュ君はスッと美しい姿勢で立ち上がり…私は思わずそれを見上げてしまう。
こうして見るとイシュ君って凄い背が高いなぁ。足も細いし肌も綺麗だし、チビのちんちくりんの私とは大違いの美しさだ。
「…?どうかされました?」
「い、いや。イシュ君は背が高いね…私はほら、こんなだからさ、威厳がないんだよね。魔術師達にもナメられっぱなしでさぁ」
私もイシュ君みたいになりたい、見てくれの威厳のあるなしは表面上の問題であり、そこだけを見て人を評価するのは浅ましいと言える。だが人の印象とは得てして浅ましいものであり、どうやったって初対面の印象はぱっと見の見た目に由来する。
そういう意味では、私は初対面の人に侮られがちなのだ。それを知識で圧倒すればみんな私を認めるが…それでも一応魔術導皇が初対面でナメられる事態はなんとかしたいなぁ。
なんて、私が思った瞬間…イシュ君は私の目の前で片膝を突き…。
「問題ありませんよ、デティ様」
「え…え?どうしたの?」
「貴方は全ての魔術師を跪かせる存在、皆あなたを前に平伏すべきであり…こうして跪けば背丈など関係ありません。それに…」
「それに…?」
フッと歯を見せて笑うイシュ君は静かに頭を下ろして…。
「見た目の威厳など、魔術師には関係ありません。デティ様はデティ様でありその得難き深淵の知識は見た目の威厳に勝る唯一無二の威光であると存じます」
だからご安心を、貴方は貴方のままでいい。そう言ってくれるんだ…、小さくても気にしない…ではない、小さくとも私は私でありそれ以上の物を持っていると肯定してくれるのだ。
その真摯な態度に私は思わず言葉を失い口をワナワナ震わせる、なんて人だ…なんて…。
「では、お部屋までお送りいたします」
「う、うん」
「こちらへどうぞ、我等が支配者よ」
ゴクリと生唾を飲む、トラヴィス卿引退の話を聞いて心寂しく思ったが…その後継として彼が来てくれるなら、やっぱり魔術界は安泰だ。彼となら上手くやっていける、私はそんな確信を得るのだった。
いや、それどころか…或いは。
…………………………………………………
「ただいまー」
「おかえりデティ〜」
「ってなんでみんないるのさ!?」
それから、私はイシュキミリ君に途中まで送ってもらって、ロレンツォ様に用意してもらった部屋に戻って来てみれば…。そこには何故か普通にみんなが、魔女の弟子達がみんなで寛いでいた。
「すげぇ部屋だな、ここお前一人で使うのかよ」
「大きい部屋ですね、一軒家くらいありそうです」
「ん、私が背伸びしても…天井に頭ぶつけない」
ソファに寝っ転がり本を開いているアマルト、暖炉を突いて何故か笑ってるナリア君、ピンピン背を伸ばしているネレイドさん…。
「ふむ、広いだけではない。広くとも空虚さを感じさせない調度品の置き方、まさしく匠の配置と言えるだろう」
「お、このベッドフカフカ」
「おかえりなさい、デティ」
私を出迎えてくれるエリスちゃんと…優雅に椅子に座りながら紅茶を飲むメルクさんとベッドを叩いているラグナ。いやメルクさんとラグナは自分の部屋あるよね!なんでみんなで私の部屋に集まってるのさ!
「みんな無遠慮すぎ!イシュ君を見習って!このノンデリ集団!」
「は?イシュ君って誰それ」
「申し訳ございませんデティフローア様、みんなで集まろうという話になった際デティフローア様だけ部屋に戻られていなかったので、入れ違いにならないためにこの部屋を無断で集合場所にさせていただきました、申し訳ございません」
スルスルとどこからとも無く現れたメグさんは手に菓子折りを持って謝りに来る、いやだとしてもみんなで私の部屋を荒らして欲しくな…い?お!おお!この菓子折り!アジメク銘菓の花焼き!私の好きなやつ!
「許す!」
「ありがたき幸せ」
取り敢えずお菓子は頂く、包装紙から花びら型の焼き菓子を取り出しながらボリボリ食べる。晩御飯を食べてないからこれがまた美味いったらぁないね!最高!
「もしゃもしゃ、で?なんでみんなで集まってるの?」
近くのソファにポテリと座り込みながらみんなに伺う。明日の会議でもするのかと思えばイオ君もヘレナさんもいないし、六王で集まってるわけじゃない。メンツをみれば魔女の弟子達で集まってることが分かる。
ということは、要件はそっち側ということだ。
「ん、ガンダーマンについて…」
「ガンダーマン?…………………あ!そっか!」
「忘れてたな…」
そっか、私達ガンダーマンを探しにここに来たんだった。マレウスやアド・アストラの魔術界の未来についてしか考えてなかった。いやまぁ私の仕事はそれなんだけども…。
この会談に参加してるガンダーマンを探すのが私達の目的なんだった、と言っても私はガンダーマンがどんな人か知らないんだけど。
「会談にガンダーマンって参加してたの?私その人がどんな人か知らないんだけど」
「エリスが会ったことがあります、筋肉ムキムキでパツパツのスーツを着た髭の長いお爺さんですよ」
「ふーん、うーん?そんな人居た?」
「いえ、それが議会には参加していなかったんですよね。少なくともあの場には居ませんでした」
「え?参加してるんじゃないの?」
「のはずなんですけど、アマルトさんが色々聞き込みしてくれたみたいですけど…」
「参加名簿に名前はあるが議会に出席したとの記録はなし、俺達と同じ日にエルドラドにやってきたっていう話は聞くがそれ以降何処に行ったかも分からない。城の中での目撃情報もないから、もしかしたら本当はエルドラドには来てないんじゃないかって思ってんだわ」
「部下の冒険者にエルドラドに来させるだけ来させて本人は別の場所に…とか」
「なんでそんなことすんの?」
「知らねー!けどそう考えるしかないってのが現状。少なくとも会場には現れてない、このまま待って次の会議に現れるのを祈る…ってのはちょっと楽観かもな」
私は腕を組み頭をフル回転させる、ガンダーマンはもしかしたらマレフィカルムと関わりがあるかもしれない人物。言ってみれば裏社会に関わりがある可能性が高いのだ、そんな人物がコソコソと隠れて何かをやろうとしている。
…そもそもこのエルドラド会談に参加するって話自体がブラフで、アリバイを作るだけ作って別の場所で何かをしようとしている…ってのも大いにあり得る話ではある。そうなるとかなり困ったことになるわけだが…。
「どうするの?ラグナ」
「まだここに来て初日だ、見切りをつけるのは早いかもしれない。明日捜索をお願いしていいか?アマルト」
「構わんけど、護衛の連中は使っちゃっだめなの?」
「ダメだ、マレフィカルム関連の話には国の助力は求められない。ならガンダーマン捜索にまで人手を使ったらその時点でアウトだろ」
「線引き曖昧〜、まぁやることねぇからいいんだけどさ」
「うん、なら明日はエリスも……」
そう、ラグナが口にした瞬間……。
「ッッ!」
「お!?どうした?エリス」
いきなりエリスちゃんが険しい顔で立ち上がり周りを見回し始めたのだ、その様子を見て皆何かを警戒して臨戦態勢を取るが…。
分からない、何も感じない。部屋の周りからは気配も魔力も感じない…なのにエリスちゃんだけが険しい顔をしている、そのどうしようもないチグハグさにみんなは首を傾げて。
「どうしたんだエリス、襲撃か?」
「いえ……何処だ?」
「何処って?何が?」
「……………」
「なぁエリス!」
「そこかッッ!!!絶対逃さん!殺す!!」
「あっ!?ちょっ!?」
するとエリスちゃんはみんなの話を聞く事もなくいきなり走り出し扉を蹴破って何処かに走って行ってしまった。…って言うか今『そこか』とか『殺す』って言ってたけど…。
「なんだったんだ…?デティ、何か感じたか?」
「ううん、魔力も何も感じてない…」
「遂におかしくなったんじゃねーの?」
アマルトはそう言うがエリスちゃんは意味もなく殺意スイッチを入れるタイプじゃない、何か理由があっての事だとは思うけど…。
「私、追いかけて参ります。エリス様の事ですから本当に殺すことはないでしょうが、心配ですから」
「エリスちゃんが?」
「いえ、エリス様が敵意を持った相手が」
そう言うなりメグさんもまたエリスちゃんを追いかけて突っ走り始める。何が起こってるのか、分からないがまぁ…メグさんが行ったなら大丈夫でしょ。
………………………………………………………
──時間は少し、巻き戻る。デティフローアが自室に戻るよりも少し前の事…。
「…………」
不服だった、本音を言えばそれしか言葉が出てこない。
「分かったか?」
彼はそう言うが、私達は納得出来なかった。
「そんな目をするなよ…」
私達だって貴方にそんな顔をさせたい訳じゃない。尊敬出来る兄貴分たる貴方に…そんな顔させたいわけじゃ…。
「なぁ、リオス…クレー」
「…………」
「……………」
パチパチと松明の燃えるゴールドラッシュ城の中庭にて、大理石で出来た長椅子に座りながら私達は目の前に立つステュクスの言葉にそっぽを向く。
いきなり呼び出されたかと思えば、告げられたのはラグナ様とステュクスの取引の話。二人は密かに話を進め『私たちが立派に近衛騎士として働ければ今後の自由を保証する』と言う取引を交わしていた。
私達はそれが不服だった。
「なんで取引なの、守ってくれるって言ったじゃん」
「それはそうだが…」
ステュクスは守ってくれると言ってくれた、なのになんで取引なの?私達を返さないとラグナ様に言ってくれなかったの?
納得がいかない、そもそも近衛騎士をやること自体にも納得してないのに…。
「そう言ってくれるなよ…、これでも頑張って譲歩を引き出したんだぜ?向こうはそもそも問答無用で連れ戻しにかかるつもりだったらしいし、そこを交渉して譲歩案を引き出して…」
「違うよ、ステュクス納得させられたんだよ。最初から連れ戻すつもりは無くて私達を納得させる為の条件を文句をつけられない状況で押し付けるために最初に強行的なことを言っただけ…最初からその条件を突きつけるつもりだったんだよ、ラグナ様は」
「そうなの?」
「ラグナ様はアルクカースの王様だよ。脳筋だらけの諸侯を口先だけで操ってる人…人間を納得させるのが物凄く上手いんだ」
「最初から僕達を連れ戻すつもりならステュクスと一対一で話したりなんかしない。最初から僕達の所に来て嫌がる僕達を捕まえることくらい簡単に出来る人なんだ」
「うーん、確かに言われてみればその通りだが…、俺はいい機会だと思ったんだ。だからこの取引を受けた、というより向こうが言い出さなくてもこの手の取引は言い出すつもりだった」
「え?」
するとステュクスは頬をかきやや言いづらそうにしながら…。
「お前達を拾った身として俺はある程度の責任を負うつもりではいる。けど…いつまで続ける?いつまで続けられる?こんな事。向こうはアド・アストラの王様だ、ある日いきなり本気出して俺達を捕まえにかかってきたら…抵抗なんか出来やしない」
「それはそうだけど…」
「お前のお父さん…アルクカースの戦士団長なんだろ?その父ちゃんが戦士団を率いて俺達の前に現れたら、俺らは逃げられるか?」
「…多分無理、みんな殺される…」
「お父さんを相手に逃げ回るなんて無理…」
「だろ?だったらさ、どの道選べる選択肢は二つしかないんじゃないか?」
「二つ?」
「何?」
ステュクスは二本の指を出して、私達に選択を迫る…。
「全てを諦めて国に戻るか、ケリつけて自由を勝ち取るか。この選択肢から逃げて先延ばしにしても…どの道いつかは選ばされる。なら今選ぼう、…決着をつける方を」
「決着…」
「そうだ、俺はアルクカース人の価値観ってのは分からんけど。お前らはいいのかよ、ラグナ様に挑まれた勝負を…不平不満を言って逃げるだけで、それでお前ら胸張って一端の冒険者名乗れるのか?」
「ッ…!」
ハッとする、そうだ…私達は今『父に抵抗』しているつもりでいたが、結局のところこれは『父からの逃避』でしかない。私達は進んだわけでは無くただ目の前の状況から目を逸らしひたすらに逃げているだけ、なんの解決もしていない。
いつか父が私達の前に現れるかもしれない。今日ラグナ叔父さん達が現れたみたいにいきなり目の前に穴が開いて父達がマレウスの地に現れて私達を連れ戻そうとするかもしれない。
そうなったらまず間違いなく私達は勝てない。今現在討滅戦士団以上の戦力を誇る王牙戦士団が総出でマレウスにカチコミをかけてきた場合、マレウス王国軍は壊滅する。エクスさんやマクスウェル将軍のような存在は太刀打ちできるだろうがそれ以外の人間では勝負にもならない。
当然、ステュクスも殺される。ウォルターもカリナも殺される。父なら殺す、絶対殺す。その結末からも…目を逸らすのか?
「…分かった」
「そうだよね…、ケリ…つけないままで逃げていいわけがない」
アルクカース人の血が沸る。今私達はラグナ叔父さんから勝負を仕掛けられている、その勝負に応えず逃げていたら…。この血が萎える、この身が泣く、アルクカース人の誇りが鈍る。
勝負を仕掛けられたなら打ち勝つまで挑み続ける。私達はアルクカース人の誇りまで捨てたつもりはないんだ。
「そうだ!その意気だ!」
「うん!じゃあラエティティアぶちのめすね!」
「それはやらんでいい」
「楯突く貴族は全部市中引きずり回しの刑!」
「やめろよ絶対」
私達は強くなった、父の下で鍛えている時よりもずっと強くなれた。今私達ならラグナ叔父さんを納得させられるだけの活躍が出来るはずだ。
リオスとクレーは椅子から立ち上がり互いの顔を確認しながら頷き合う。やれる、絶対に、そう互いに鼓舞をしつつ拳を握る。
「まぁ気合が出たならいいや、それじゃあ明日に備えてそろそろ寝ようや」
そう言ってステュクスはちょっとだけ呆れつつも優しく微笑み私達の根倉がある分塔をチラリ見る。中庭を見下ろすような形で屹立する塔を見て…。
「ん…?」
ステュクスはやや顔色を変える。
(今、塔の窓から見えた銀髪…レギナか?いやラヴか、そう言えばアイツ今日一日見かけなかったけどどこ行ってたんだ?…聞いてみるか)
「どうしたの?ステュクス」
「いや、なんでもない。それより戻るぞ」
颯爽と背を向けるステュクス。夜道を歩き分塔に向かうその姿を見たクレーは…。
堪らなく、嬉しく思った。何故か?なんでもない情景となんでない瞬間に彼女は唐突に感動した、というより気がついた。
これが生きているという事実なんだと。
(今私は異国の地の異国の城で異国の人と異国に残り続ける為の選択を取ろうとしている。あのラグナ叔父さんに選択を迫られ勝負に出ようとしている…そしてそれを支援してくれる人がいる。故郷じゃ味わえない感覚だ)
さっきまでと、まるで見える世界が違う。ただのうのうと生きていた毎日が叔父の言葉によりヒリヒリと焼け付くような時間に変わった。ついて来いと言ってくれるかステュクスのお陰でこれが戦いなのだと自覚出来た。
その二つが噛み合った瞬間、何処かで『だからこそ今この時を忘れるまい』そう思った彼女はこのなんでもない情景となんでもない瞬間に感動を覚えた。
ただ、時間を過ごす事を生きるとは言わない。生きるとは何かをする事なのだと分かったから、彼女は今を生きている実感を確認出来た。
本当の意味で、子供としての時間が終わった気がした。
「うん!行こう!」
歩み出す。子供ではない自分として前を歩く為に、共に歩いてくれる本当の意味での仲間と共に、彼女は歩み出す。
ここに来てよかった、ステュクスはと出会えてよかった。これを失わない為にも頑張ろう。
そう彼女は決意を新たに歩み出した。
瞬間だった。
「もっ…!?」
「姉ちゃん…!?」
刹那、足が浮く。口に何かを当てられ驚きの言葉さえあげられず、気が付いたらリオスの姿が遠ざかっている。
そうでようやく気がつく。
「…クレー…!?」
私は今、黒ずくめの男によって抱き抱えられ、闇の中に引き摺り込まれている事に。
そこに気がついたリオスとステュクスが驚きと共に振り向くも既に遅い。物陰から飛び出した無数の男達に阻まれクレーの視界から消える。
そうだ、つまりこれは…誘拐。弱い自分を何者かが攫おうとしているのだ…。
……………………………………………………
「クレーッ!!!」
「姉ちゃん!」
咄嗟に俺は振り向きながら剣を抜く、と同時に物陰から飛んで来た黒装束の兵達が行手を阻む。
…クレーが誘拐された、俺が背を向けた一瞬を狙って何者かがクレーを後ろから拘束し突如誘拐を始めたのだ。
理解が進まない、なんでこんな事になってるんだ。そもそもこいつらは誰だ、何がどうなってるんだ。俺は今何と戦おうとして何を阻止しようとしているんだ。
分からないが…一つの事実を手繰り寄せ、俺は可能性を引き当てる。
(そうだ、リオスとクレーは…王族だ…!)
本人達は父の都合により既に王権継承は行えないとは言っていたがその血は確かにアルクカース王族の物。如何様な価値があるかは不明だが価値はある。そこを狙われたのか。
もしかすると、昼間の俺とラグナさんの会話を聞きつけた何者かが狙い始めたのか?…いや。
「退け!テメェら!」
「……行かせん」
星魔剣を抜き放ち黒装束の兵に打ち掛かるも、そいつが抜いた剣に阻まれ金属音が鳴り響く。
そこでようやく確信する、…こいつら!
「お前ら、マレウス王国軍の人間だろ…ッ!」
「……………」
この剣のデザイン、そして質、どれもそこらのゴロツキが持てるレベルの代物じゃねぇ。全身黒装束で覆っているから誰かは分からない、所属も分からない、だが剣だけは分かる。
こいつらはマレウス王国軍の正規兵。何処かの貴族が差し向けた私兵ではなく王宮所属の兵士達だ。それがクレーを攫おうとしている…つまり。
こいつら、ラエティティア達が差し向けた刺客だ!
(リオスとクレーを攫ってラグナさんを脅すつもりか?馬鹿かこいつら!ンな事すりゃ一発で戦争だぞ!国際問題だぞ!分かってんのか!それを国の秩序を守る側の人間がなに加担してやってんだよ!)
つくづくこいつらの馬鹿さ加減に苛立ちが募る。戦争だぞ…戦争だ、お前達がやろうとしている事が成就した暁にあるのは富でも名声でもなく全てが覆る破滅と凋落だ。
真の意味で戦争を望んでいるのはレナトゥス…の背後にいる元老院だけ。それに全く関係のない人間がただ兵士であるという事実だけで何を加担しているんだとステュクスは苛立ちながら一瞬身を引き。
「退けやクソボケッ!」
一瞬でしゃがみ込み剣を後ろに向けて振るいながら遠心力によって加速した足を振るい黒ずくめの兵士を転倒させる。
「クレー!」
そして直ぐに立ち上がり倒れた兵士を踏み越えながら首元を蹴り付け意識を奪い走る。既にクレーはかなりの距離まで連れ去られている。やばい、連れてかれる!迂闊だった!リオスとクレーを守るんだという意識が希薄だった!
そうしている間に無言の黒装束茶再び道を塞がれ俺は取り囲まれる。
「行かせん…」
「馬鹿かお前ら!あの子は女王お付きの近衛兵!そもそも味方だし…何よりここで攫えば幾つの問題が発生すると思ってる!」
「知らないな」
「知らんで許されるか!お前らがやろうとしてるのはマレウス滅亡の片棒担ぎだぞ!分かってやってんだろ!お前ら!」
剣を構え直す、こいつらは…本当に、何処まで好き勝手すりゃ気が済むんだ。レギナが折角頑張って国同士の橋渡しをしようとしてるのに邪魔しかしやがらねぇ。
ただでさえぶっ飛ばしポイント満点クソ野郎共なのに、その上に俺の仲間まで…五体満足で明日の朝日拝めると思うんじゃねえぞ!
「姉ちゃん!!」
「リオス!離れんな!こいつらの狙いはお前ら姉弟!お前も多分ターゲットだ!」
「でも姉ちゃんが!」
「分かってる!だから二人で突破するぞ!」
「うんっ!」
「来るぞ!陣形を!」
ガシャガシャと音を立てて道を阻む、一端の軍人らしい動きだ。山賊じゃあそんな動きは出来ない…だが、だからこそ付け入る隙がある!
「押し通るぜ!」
迂回するのは得策じゃない、そもそもこいつらが目の前で陣形を組んでいるのは俺達に迂回の選択肢を取らせる為。俺達が正面衝突を嫌って横からすり抜けようとすればそのまま面で攻撃を仕掛けてくる。
だからこそ真正面で切り込む。どの道避けられない道ならこっちから打って出て切り崩す、その方が効率が良い。
「オラァッ!」
「ぐっ!こいつ…!どう考えても兵卒クラスではない…!?」
「話に聞いていたよりも強い…!」
真正面から切り掛かり初手で相手の小手を打ち、そのまま弾かれるように剣を動かし相手の胴を打ち、流れるような動きで怯んだ黒装束の頭を柄で叩き割るステュクスの動きに兵士達は慄く、話が違うと。
──確かにステュクスは強くはないのだろう。フューリーに無様に負け自らを一線級ではないと自称する彼の実力は大したものではないのかもしれない。
事実マレウス王国軍の間でのステュクスの評価は大したものではない。精々兵卒レベル…そう捉えられていた。しかし実際の所彼は弱いかと言えばそんな事は全くない。
近衛騎士就任時、既に彼の実力は友愛の騎士団の団員級にあった。数十万人いるアジメク王国軍のエリートの中のエリートだけがなれる騎士団の一員と同程度の強さがある。たった一人で並みの山賊団程度なら壊滅させられる騎士団と同じ実力があるし、何より彼は一度レギナを殺そうと差し向けられた暗殺者達を撃退している。
そこから更に修練を積んだ彼は、そもそも並大抵の人間ではないのだ。
「フッ!」
「ぐぅっ!?」
星魔剣を振るい黒装束を打ち倒し、横から飛んでくる剣を後手で払い逆にその持ち手を掴み上げ押し倒すと共に柄で的確に処理していく。
兵士達は思う、これは手に負えないと。明らかに自分達の認識と実際のステュクスの実力に齟齬があったと。だからこそ真っ向勝負は控え…。
「死ねッ!」
「ッ…!」
不意打ちにかかる、一人の黒装束が乱戦の中機転を効かせ傷一つ負ってないにも関わらず地面に寝そべり既に倒された体を装いステュクスの意識から外れ、ステュクスが背を向けた瞬間起き上がり重い剣を捨て懐に携えた毒塗りの短剣を構え突っ込む。
既に両手で三人ほどの兵士を相手取るステュクスは意識だけで背後からの接近に気がつくが手が回らない。
しくじったとステュクスは思う、取ったと兵士は思う、それと同時に…。
「させない!」
「がはぁっ!?」
リオスは思う、自分を忘れるなと。
手に持った石造りの棍棒を振り回し兵士の頭を叩き飛ばし中庭に屹立する大理石の柱に叩きつけ吠える。
「僕が!居るんだよ!」
「リオス!頼りになるぜお前!」
「やるよ!」
リオスは冒険者生活の中で手に入れた石造りの棍棒を片手で振り回し次々と兵士を薙ぎ倒す。彼はその体躯に似合わぬ怪力で本来大男が振るうべきサイズの棍棒を手繰る、アルクカース王家に刻まれた優秀な戦士の血から成るその強さは…ステュクスさえも上回る。
「やぁっ!」
「ちょっ!?おま…ぐぉっ!?」
リオスが棍棒を使う理由は単純、力押しが出来るから。彼の持つ圧倒的な怪力をそのまま攻撃に転用するには剣では軽過ぎる、槍では脆すぎる、棍棒だ、棍棒こそ最高の武器なのだ。
振り下ろせば剣をへし折り、薙ぎ払えば鎧ごと肋骨をへし折り、構えれば小さな体全てを覆う盾になる。何よりその辺の石を削って出来ているから換えも効く。
彼はこの石棍棒でCランクの魔獣の頭蓋を叩き割った実績さえ持つ。十把一絡げの兵では対応が出来ない。
「オラ邪魔だ!リオス!行くぞ!」
「よいしょっ!うん!」
その勢いのままステュクスは剣で目の前の兵を押し倒し道を作る。陣形は多数の人間を一纏めに最効率の動きを再現する為の物、その性質上一度突破されると弱い。
ステュクス達が兵達を後ろに持った時点で、兵士たちの役目は『足止め』から『追撃』に変わる、つまり全員を倒す必要はないんだ。
「待てや!」
「姉ちゃんを返せ!」
「…あれだけの兵をもう突破してきたか、存外にやるか、実力を見誤った」
走る、クレーを攫おうと走る黒装束を追いかけ走る。広大な中庭の塀に向けて走る男を見てステュクスは思う。あの塀を超えたらもう外だ、街中に逃げられたらいくらでも隠れる場所がある…ここで捕まえなきゃならねぇ。
けど、クレーの様子を見るに既に手足を拘束されているようで彼女自身の力での脱出は難しい…なら。
「追いつくしかねぇ!『エーテルフルドライブ』ッ!!」
柄を捻り上げ駆動させるは星魔剣、内蔵された機構が唸り吠え立てる。それと共に緑色の光が夜闇を切り裂き輝き出す。
中に溜め込まれた魔力が噴き出し俺に力を与える。一気に行くぜ!
「『魔天飛翔』!」
柄尻から吹き出す魔力の奔流が俺の体を加速させる、空をかける流星の如く飛翔する剣に乗り一気に目の前の黒装束に追いつくと共に…。
「クレーを…!!」
「な、なんだその技は…ッ!?」
クルリと体を虚空で回転させ黒装束に足を向け──。
「返せやッ!!」
「ッ…忍法『剛体法』ッ!」
蹴り穿つ、…が。
なんだこいつ!メチャクチャ硬い!?その上重い!本気で蹴り抜いた筈なのに吹き飛ばす事はできずやや横に逸らし足を止めることしか出来なかった。何者だこいつ!ただの兵士じゃねぇ!
「フッ、侮っていたようだ…私はお前を」
「テメェ何者だ、ただの一般兵卒じゃねぇな?」
既に手足を拘束したクレーを背後に捨て、黒装束の男は背中に差したカタナを抜く…というかこいつよく見たら黒装束じゃなくて紫の装束だ。顔を紫の頭巾で覆うカタナを使う隠密…まるであれだな、話に聞くトツカの隠密『ニンジャ』みたいだ。
「名乗らねぇか、そりゃそうだよな。テメェら表沙汰に出来ねぇことやってんだもんな!」
「然り、故に目撃者たるお前達には死んでもらう…この星隠影のエリートエージェント!『紫雲隠れ』のカゲロウの手によってな!」
「名乗ってんじゃねぇかッッ!!」
アホかこいつ!?世間一般的に広く認知されているアホよりもアホだ!名乗るかよこの場面で!え…名乗ったの?聞き間違えとかじゃないよな、ありなさ過ぎて逆に自分の耳が疑わしくなってきた。
「フッ、我が名を覚えておけ。そして知らしめよ、マレウスにカゲロウなる名隠密ありとな」
「隠密が名前売るなよ…」
「まぁお前はここで死ぬから名を明かしても問題はないわけだが…」
「一言で矛盾すんな…ってか、星隠影ってマレウスの隠密部隊だったよな。やっぱレナトゥスがこの一件に関わってるってわけか」
「ほう、星隠影の名を知っているか。近衛騎士として最低限の事は聞いているな…、問いに関しては然り、というより当然であろう。元老院はレギナの謀反を許容したわけではない、寧ろ奴の動きを利用し戦端を開く事こそが悲願。お前もマレウス国民であるなら命を賭して魔女大国への叛骨の意志を示せ」
「ざけんな、上の連中の妄想に国民を巻き込むんじゃねぇ…!何より!そいつは俺の仲間なんだよ!おいそれと目の前で攫われて堪るか!」
「低俗な、知能ではなく本能に従う劣等国民は我等が理想の国家に必要はない。要らぬ民草はここで除去するとしよう」
反りのない不思議なカタナを逆手に構えたカゲロウはジリジリと俺に向かって敵意を露わにする。その立ち姿と構えにはパッと見隙らしい隙が見当たらない。
こいつ…やっぱ兵卒レベルの強さじゃねぇ、隠密の癖して大隊長クラスかそれ以上の使い手だ。
勝てるか?…いや、勝つしかねぇ。
「そこ…退けやッ!」
「甘いわッ!」
鋭く踏み込み横薙ぎに剣を振るうが手首だけを動かしてカタナを的確に振るい剣を撃ち落とすカゲロウの動きに翻弄される。と同時にカゲロウは素早く片手で印を組むと。
「忍法『分身の術』!」
「は!?」
突如煙玉を炸裂させ白煙を周囲に振り撒いたかと思えば、煙の中から三人に増えたカゲロウが飛び出して来て同時に切り掛かってくるのだ。
「なんじゃそりゃ!?」
「これが我が秘技!」
「忍法!」
「分身の術なり!」
素早く擦るような動きで逆手に持ったカタナを振るうカゲロウの猛攻を防ぎながら、目を細める。こいつ…分身一つ一つに実体がある!実質三人に増えたような物じゃねぇか!
「デタラメだろ!なんじゃそりゃ!けど魔術なら…」
柄を捻り、再び星魔剣を駆動させ…。
「『喰らえ』!星魔剣!」
体を増やす魔術…なんてのは聞いたこともないが、これはどう考えても魔術だ。なら星魔剣で対応ができると考えて分身に剣を叩きつけ魔力を喰らう、これで分身も消えて…。
「ハッ!なんだそれは!」
「うぇっ!?消えねぇっ!?」
「魔術ではない!忍法なり!」
星魔剣で斬っても揺らぎもしねぇし消えもしねえ!なんじゃこりゃ!魔術じゃないのか!?
「くそっ!なんだそれ…」
「ハッ!我が忍術の前に」
「翻弄されて」
「死ぬがいい!」
「…………?」
ん?こいつら…よく聞いたらなんか一人一人声違くね?よくよく見たら背丈も違うし。もしかしてこれ分身じゃなくて…。
「忍法『火遁の術』ッ!」
「うぉっ!?」
すると分身のうち一人がいきなり頭巾で隠した口元を露出させ口から豪々と火を吹いたのだ。慌てて剣で振り払いながら距離を取るが…なんじゃありゃ。
(やっぱり、炎を喰らう事が出来ない、ってことは今の炎は魔術じゃない。なんだこいつ…)
「動揺しているか?ククク、忍法は初めて見るようだな」
「ニンポー?新手の魔術…なのか?」
「否、これは我が自らトツカに渡って学んだトツカの戦闘技能!魔術を用いず肉体一つで奇跡を起こす究極の秘技なり!」
と叫び散らすカゲロウの口は酷くオイル臭い。つまり今はあれか…口含んだ油を噴きながら手元で火を作り引火させ恰も火を噴いたように見せただけ…。
分身の術も、同じ格好させた部下を草陰から出しただけ…。
魔術でもなんでもない、ただの大道芸じゃねぇか。
「アホらしい、何が忍法だ!チンドン屋がおちゃらけるなら日が出てからにしろ!」
「忍術をナメるな!」
「これが我らの」
「秘奥義也!」
ササッと音を立てて撹乱するように互いに体を入れ替えながら突っ込んでくる、けど…大丈夫だ。
これはただカゲロウの部下が二人加わっただけ、別の人間がカゲロウの真似をしているだけ。実際同じ実力の人間が三人揃うわけがない、各々の力と速度にはやはり差がある、怖いのは本物のカゲロウだけ、他二人は雑魚!
なら…。
「相手してらんねぇ!『魔天飛翔』ッ!」
「なっ!?」
星魔剣の柄から魔力を噴出させ、一気に横に飛ぶ。柄を掴み空を駆ける剣にくっつくように俺は大地を滑りながら回り込むように動く…と。
「逃さん!」
「バカめ!」
「……逃げる?違う、これはまさか!待て!罠だ!」
二人は追いかけようとこちらに向かってくる。が一人だけ俺の意図に気がつき足を止め2人を制止する。だがもう遅い!偽物二人が追いかけてきた時点でもう俺のもんなんだよ!
「その通り!罠さ!かかったよな!偽物さんよ!」
その瞬間俺は星魔剣を手放すと同時に踵を返し一気に偽物達に突っ込む。偽物達の目は以前空を駆ける星魔剣に向いている、光放ち目立つ星魔剣にだ。
その隙を狙い、俺はもう一つの剣…アレスさんから貰った重剣を片手で抜き放ち。
「寝とけ!」
「ぅぐっ!?」
「かはっ!?」
一閃、剣の腹で二人の頭を叩く。それだけで重量のあるこの剣にとっては一つ技になる。偽物達は一瞬で目をくるりと白に染め、倒れ込むようにその場に転がり…本物だけが残る。
「くっ!バカどもめ!敵の意図も読めんとは!」
「大したことない分身様だなカゲロウさんよ」
「チッ、やはり私が手ずから殺す必要があるか…」
偽物は大したことない、そもそもカゲロウが個人で戦った方が強いのは明白。そして…それもまた俺の読み通り。
カゲロウが俺に夢中になっている、この状況を作るのが俺の狙い。忘れたかよカゲロウ…この場には、俺だけじゃねぇんだよ。
「…?何を狙って…ッ!まさか!もう一人のガキ!」
「やべ気付かれた、リオス!急げ!」
「うん!」
その瞬間横を駆け抜けていったリオスがクレーに迫る、そうだ。最初から俺は囮、リオスがクレーを助ける算段だった。そして事実、リオスは俺の意図を汲みカゲロウを相手せずクレーに向けて一直線に走る。
「姉ちゃん!」
「むぐーっ!」
走る、手足を拘束され言葉を封じられたクレーに向けて走る、その手が姉に届きそうになるのを見届けたステュクスは安堵し…た、瞬間。
「させねぇんだな!これが!」
「ぅぐっ!?」
「なっ!?リオス!」
突如、影から現れた大男によって弾き飛ばされるリオスを目で追う、あのリオスが…最も容易く吹き飛ばされるって。
何事か、何者が現れたのか。その疑問はある意味予測の範疇の中で答えが出る。カゲロウがレナトゥス達の石で動いてるなら、当然この場にいるであろう男が…現れたのだ。
「フューリー!」
「ぐわははははは!やっぱり俺が必要なようだな!カゲロウ!」
豪将フューリー、かつてバシレウスの護衛を務めたと言われる猛者が影から棍を肩で担いで大笑いしながら現れるのだ。
いるよなそりゃあ、いて当然だ。だが最悪、最悪の場面で現れやがった!
「フューリー、貴様…最初から追手の迎撃はお前の仕事の筈。何故私に戦わせた」
「いやぁ?星隠影のエリートエージェントの強さってのを見ておきたかったのさ。だがあんまり物見遊山で居ると危なそうだし…そろそろ仕事してやるか」
「ぐっ!お前…!」
鉄棍で地面を打ち据え笑うフューリーにリオスは牙を剥く、リオスは強い…俺より強い、並大抵の奴なら相手にならない、けど。
「邪魔するなァッ!」
「粒ガキが、大人をナメるんじゃねぇッ!!」
フューリーの鉄棍とリオスの石棍棒が激突し…、その衝撃でリオスの石棍棒が砕け散る。剛力と剛力の激突、力では殆ど互角だろう両者に明確な差が出るとしたら…それは『ウエイト』だ。
子供のリオスでは大人のフューリーの体格から放たれる攻撃には勝てない、故に力で負け棍棒を粉砕されリオスは武器を失うが…。
「ガァッ!」
その瞬間リオスは咄嗟に石棍棒を捨て素手でフューリーに迫る、咄嗟の判断にしては早く的確、しかし。
「多少腕に覚えがあるだけで、てんでガキじゃねぇか!」
「うぐぁっー!?」
直様鉄棍を回転させ鋭い一撃でリオスの腹を打ち据えるフューリー。リオスは強いが…フューリーはなお強い。伊達じゃないんだ、豪将と呼ばれる腕前は…!
国王の護衛を任されるレベルで実力がある時点でフューリーの力はマレウス王国軍の中でも最上位に位置する。それを相手にすればさしものリオスも分が悪い。
負ける…というか負けた、やばい…フューリーは倒した相手に情けをかけるタイプじゃねぇ!
「くそっ!リオス!待ってろ!」
「行かせん!」
「チッ!」
助けに行こうと踵を返すも、突っ込んできたカゲロウの斬撃に足を止める。応戦せざるを得ない、やはりこいつ自分で普通に戦った方が強えじゃねぇか!クソ!助けに行けない!
「ハッ!お前…あのベオセルク・シャルンホルストの息子なんだってな?」
「ぐっ…それがなんだ!」
「はぁ〜、ベオセルクと言えば俺達の世代で言えばまさしく伝説の中の伝説、最強の戦士の代名詞だってのに…その息子がこの有様かよ。おまけに王様なんかに国内最強を明け渡す始末だし、案外大したことなかったのかもな、お前の親父もよ」
「ッ…父さんをバカにするな!」
「バカにするだろそりゃあ、ええ?だってこんな息子が弱いんだぜ?娘も呆気なく捕まってよ、どーせ蝶よ花よ育てられて甘やかされて、ロクに鍛えてもらえなかったんだろうなぁ?可哀想に。それがいきがって近衛騎士?ちゃんちゃらおかしいぜ!ぐわははははは!」
「違う!違う!違う!!」
「何処が違うってんだよ…これの何処がッッ!!」
「うぎゃぃっ!?」
空を切り裂く鉄棍がリオスを打ち据え悲鳴が響き渡る、リオスも抵抗しようとするが実力が違いすぎる。ダメだ…殺される、それはダメだ、死なせる…。
(なんだよ俺、ラグナ様が危惧した通りの状況になってるじゃねぇか!好きにさせた結果…あの二人が死んだら…俺は、俺は!)
「フッ、あっちも終わりそうだが…それよりも前にお前が死ぬか!」
「ッ…邪魔すんなァッ!」
急いでカゲロウを片付けようとするが、カゲロウも手練れだ。俺が焦っていることを理解しているから時間を稼ごうとやたら回避に専念して俺を煽る。クソ…情けねぇ、俺は。
「双子なんだ、一人くらいいなくなった方が脅しにリアリティが出るか…」
「や、やめ…」
「悔しかったらもっと強くなれや、それともパパを呼びまちゅかぁ〜?まぁお前みたいな弱い息子を産んだ父親程度じゃたかが知れてるかもしれないけどな!ぎゃはははは!」
そうこうしている間にフューリーの鉄棍が振り上げられる、奥歯を噛み締めて祈る事しか出来ない己をただひたすら呪う。だがそれでもフューリーは止まることなく…。
「さぁ!死ねぇッ…え?」
しかし、そこでフューリーの動きは止まる、全員が眉を顰めそちらを見る。グッ!とフューリーの振り上げられた鉄棍が静止する、何者かに受け止められている…後ろから鉄棍を掴まれ振り下ろすのを阻止されている…誰かいる。
誰か…助けにきてくれたのか。
「チッ!今度は誰だ!」
フューリーが苛立ちのまま振り向き背後に立つ者を見遣る。そこで俺の脳裏に過ぎるは…以前俺がフューリーに殺されかけた時に同じように鉄棍を後ろから受け止め助けてくれたエクスさんの姿。
そうか、エクスさんだ。エクスさんが助けに来てくれたんだ!
「エクスさん!」
俺は叫ぶ、感謝の意味込めてエクスさんに向けて叫ぶ。すると背後で鉄棍を片手で掴んだエクスさんは小さく首を傾げて…。
「貴方、これで何をするつもりだったんですか?エリスに説明してください」
「あ……」
……そこにいたのは、エクスさんではなく…エリスさんでした。そう、姉貴だ…姉貴だった。顔面全体にビキビキと青筋を立てた姉貴がニッコリと微笑みながら鉄棍を指差している。
──なんで姉貴がここに?
いつからここに来ていた?──
──そもそも何しに来た?
と言うかなんであんなに怒ってるんだ?──
突如現れたエリスを前に俺は停止する、クルクルと頭の中で考えが巡る。だがそれと同時に一つ…思い出す。
(そういえば、姉貴の奴…前デッドマンと戦った時子供を傷つけられたからってメチャクチャキレてたよな、デッドマンの四肢をぶっ壊して…それで…)
姉貴は子供を傷つける奴を許さない、それは自分がかつて虐待を受けていたと言う経験から子供に対しては何があろうと優しく接し、子供を傷つける者は全員再起不能にする。
その事実を思い出してからもう一度この状況を見る…。
クレーがいるよ、そこに。両手足を縄で縛られ目には涙。見るからに可哀想だね。
リオスがいるよな、そこに。全身に傷を作り怯え切った顔をしてるよ、許せないな。
フューリーがいる、そこに。もう見るからにリオスとクレーに害を与えていると言う体で悪びれてもいない。
…うーん、これはもう一眼見てもわかる…これは……。
「お、終わったぁぁぁぁあああ!?!?!?」
「なっ!?」
頭を抱え叫ぶ俺にカゲロウがビクッと反応し後ずさる、けど今はそんなことどうでもいい。終わりだ、これやばい、この状況絶対やばい!
この状況を構成する全てがやばい、姉貴の琴線を刺激する物しかない、燃え盛る炎に油注ぎ込んでるみたいにやばい!とにかくやばい!全員殺される!血祭り会場になる!
「おい!逃げろ!今すぐ逃げろ!」
「フッ、あれはエリスだな?姉を逃そうとするなんて殊勝な弟だな…」
「ちげぇぇえええ!お前らに言ってんだ!!殺されるぞ全員!多分俺も!」
なんかニヒルに笑ってるカゲロウの胸ぐらを掴みぐわんぐわん振りながら叫ぶ、もういい!とりあえず今はもう許すよ!だから逃げてくれ!分かってんのか今お前らが置かれた状況が!死人が出るんだって!今この会談中に人死はやばいんだってぇぇえ!!!
しかしカゲロウはヘラヘラ笑い、フューリーに至ってはエリスに対して挑発的な笑みを浮かべ。
「この鉄棍で何をしようとしていたか?決まってるだろ、ここにいるガキを殺そうとした…それがどうした?なんか言いたいのかよ。魔女の弟子サマよぉ〜…!」
「…………」
「お前魔女の弟子エリスだろ?テメェもここで殺してやろうか?まぁその前に…このガキ殺してからだがな!いいから鉄棍返しやがれ!」
そう言うんだ、姉貴に対して。フューリーはそう叫んで鉄棍を引っ張り返すが…。
「あ、あれ?動かねぇ?」
動かない、あの巨漢フューリーが両手で引っ張っているのに片手で鉄棍を掴む姉貴から武器を取り戻すことが出来ない。まるで鉄棍は岩に深々と刺さったように動かない。
鉄棍を握る姉貴は微動だにせず、必死に鉄棍を引くフューリーを眺め続ける。やばい…やばい!
「そうですか、なるほどなるほど、子供の悲鳴を聞きつけてやってきてみれば…そう言うことでしたか」
「お、おい…おい!俺の武器を返せって!」
「よく分かりました、状況は分かりませんがやるべき事は分かりました…取り敢えず」
揺れる、何が揺れてる?分からない、視界が揺れているのか俺が揺れているのか世界が揺れているのか分からない。だが一つ言えることがあるとするならば…姉貴を中心に凄まじい魔力が渦巻き、その手に力が激烈に籠り。
奪う、一気に鉄棍を引き抜きフューリーから武器を奪った姉貴は、鬼のような顔を晒し…。
「お前は死ねッ!!」
「ぐげぇっ!?」
叩き込む、鉄棍を乱雑に振り上げフューリーの頭に叩きつければその足が地面に埋まり、その衝撃でフューリーの歯が砕け散り鼻から血が噴き出てガクリと首が垂れ意識が刈り取られる。
──たったの一撃、あのフューリーを一撃で片付けちまった…。マジかよ、マジで強すぎるだろ姉貴!けどナイスだ!
今の姉貴は暴走機関車!どの道止まらないし止められない!この場にいる『子供の敵』を全員ぶっ潰すまで止まらない!なら!利用するッ!
「姉貴!こいつらリオスとクレーを攫って殺そうとしてる!」
「なんですって…?そこの紫頭巾の不審者がですか!お前ら全員こいつの仲間か!」
口元に手を当て俺がそう吠えれば、その声に反応しギロリと姉貴の視線がこちらに向く。もう魔獣の反応の仕方だよそれは。
だが子供を傷つけられた時の姉貴は怖いぞ…逃げろって言ったのに逃げなかったのはお前らだからなカゲロウ!
姉貴はカゲロウ達も敵だと認識するなり手に持った鉄棍をボキリと焼き菓子のようにへし折りこちらに向かってくる、その威圧を受けたカゲロウは見るからに狼狽し後退り始める。
「な…なんだこの威圧、これが魔女の弟子…?この私が…震えているだと…!?」
「リオス君とクレーちゃんに何してくれてんですかお前ら…!」
「わ、我々は!マレウスという国の崇高な目的の為に…」
「喧しい!子供を傷つけ泣かせる国など滅んでしまえ!というかそもそも聞いてもないのに理屈語るな!お前らがこれから口にしていいのは痛みに悶える悲鳴だけだよ!」
「くっ!話にならん!これは完全に想定外だ…!」
もうカゲロウは終わりだろう、今のうちにリオスとクレーの回収に向かおうと俺は剣を腰に差し直し慌てて走って距離を取る。巻き込まれたら俺も死ぬし。
「い…いや!ダメだ、臆するな!私は星隠影のエリートエージェントカゲロウ!侮るなよ魔女の弟子!忍法『千鳥手裏剣』ッ!」
カゲロウも抵抗する、懐から無数の…なんだあれ、星形の刃?みたいなのを取り出し高速で投げる。フリスビーのように飛ぶ刃は回転し姉貴に向かう。あれ一つ一つが凶器としてかなりの威力を持つ筈なのに…姉貴は一切臆することなく魔力防壁で全て弾き返しカゲロウに向かって歩いていく。
歩くんだ、こういう時の走らないんだよ姉貴は。あの人の怖いところは『人をビビらせるやり方を熟知しているところ』にある。姉貴の師匠が余程そういう手段に精通してたんだろう、こういう時相手に猶予を敢えて与える事により恐怖する時間を長引かせる。
あれ怖いんだよな…、姉貴は相手をガン見してフーフー居ながら向かってくるんだから、超怖いよ。敵だけどさ、カゲロウに同情するぜ。
「魔力防壁!?しかも流障壁をこれ程の精度で!?化け物か!」
「いいえ、化け物はお前らです。子供を相手にそこまで非情になれる連中は人じゃない、人じゃないならエリスの慈悲の対象外です」
「くっ!忍法『超多連分身の術』!来いお前ら!」
カゲロウの叫びにより草むらからワラワラと同じ格好をした連中が現れる、もう忍法の体裁を保とうともせず物量戦で姉貴を押し潰そうと紫頭巾の集団が二十人強で姉貴に襲い掛かるんだ。
「うぉぉおおお!」
「殺せ!殺せ!殺せ!」
「カゲロウ様に近寄らせるな!」
「…………」
迫り来る軍勢、しかし何故だろうな…今俺聞こえた気がするよ。
『ブチッ!』って…何かが切れる音が。それを感じると共に姉貴は両拳を握り締め…。
「邪魔ァッ!」
「げぶっ!?」
殴る、魔術ではなく技でもなく原始的な一撃で偽カゲロウの一人を殴り飛ばす。それだけで顔面崩壊鮮血噴出気絶確定、一撃で吹き飛ばされた仲間に偽カゲロウ達は『え?』と立ち止まり…。
「邪魔ァッ!!」
「げぎゃっ!?」
もう一人殴り飛ばす。
「邪魔ァッ!!!」
もう一人殴り飛ばす、止まらない…まるで止まらない、人の壁に拳をただただひたすら打ち込み続けながら歩き続ける。…さっきから歩みのスピードがまるで変わってない!まさか姉貴…あのまま押し通る気か!?
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ッッ!!」
飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ、拳と人が飛びまくる。怒涛のラッシュを繰り出しまるで草でも掻き分けるように目の前の刺客を殴り飛ばし進む姉貴の姿を見た時の弟の気持ちって分かる?恐怖だよ。
「ッッー邪魔ァッ!!!!」
「げぶぼぉぁっ!?」
最後の一人が殴り飛ばされる、人が真横に飛ぶ、俺とリオスが二人がかりでやっとこさやり遂げた陣形の破壊を拳一つでやり遂げる姉貴を見て顔が強張る。
マジで全滅させやがった…。姉貴って人型の台風か何か?
「次はお前ぇぇえええ!!!」
「グッ!想定外!あまりにも!これは相手出来ん!」
部下が全滅させられたのを見てカゲロウは逃げの一手を打つ。咄嗟にその場でターンし振り向きながら懐に手を伸ばし、こちらに向けて走ってくる姉貴に向け。
「忍法『マキビシの術』!」
振り撒くのはなんかイガイガ棘の塊…って足止めか!随分小癪なことするんだな!アイツ!
しかし見たところ鉄で出来ていると思われる棘を踏めばそれだけで動けなくなる。アイツのことだから棘に毒を塗っていてもおかしくない、しかし回り道をすればそれだけ距離を取られる…どうする、姉貴!
と姉貴がどのように対応するか、ちょっと楽しみになりながら俺は姉貴を観察するが…。
「待てやッッ!!」
無反応、足元のマキビシを意にも介さず加速を続ける、まさか気がついていないのか…そう思った瞬間姉貴の足はマキビシを捉え──。
「フンッ!」
──踏み割った。バキバキと音を立ててマキビシを粉砕していく。い、いやいや…あれ鉄製だよなどう見ても、なんで踏み割れるんだよ!
…あ!いや違う!姉貴のあの靴!冒険者靴だ!
(どんな足場も踏破出来るよう開発された冒険者靴、靴裏に分厚い鉄板を仕込んである代物…アレのおかげで踏んでも大丈夫なのか…)
見たところ俺が知る冒険者靴よりも一段階ゴツい物を履く姉貴を見て、俺は新たな驚きを得る。
…分厚い鉄板仕込んでるのに、あんなに早く動けるの?姉貴。
「待てって言ってるでしょう!」
「ひっ!」
終いには足元のマキビシを拾い上げ投擲を始める姉貴を見て思う、ってか最初から風魔術で飛べば良くねぇかなって。
「化け物!化け物め!忍法『煙玉の術』!」
「待てっ!!」
もう手がつけられないと悟ったカゲロウは懐から煙幕を取り出し煙を展開すると同時にその場から消え去る、姉貴が慌てて煙幕に突っ込み暴れ回るが、もう奴はいない。
「チッ!逃げられた…脅かしすぎたか」
手に握ったマキビシを握り潰し残骸を捨てる姉貴の姿はもうマジモンの怪物よ。でも助かった、やっぱあの人メチャクチャ強えな…そして。
カゲロウを逃してしまった、出来ればここで倒しておきたかった。インチキみたいな技ばかり使うがそのどれもが厄介極まりないアイツをフリーにしておくのは怖い、出来れば倒したかったが…姉貴でも取り逃すならどの道俺でも仕留めきれなかっただろう。
まぁいいや、それより今はリオスとクレーだ。
「大丈夫か!二人とも」
「う、うん…」
「ありがとう…ステュクス」
リオスを介抱しながらクレーを解放する。二人は助かったにしてはやや気落ちしているようで…いや、気落ちして当然か。
「…無事ですか!リオス君!クレーちゃん!」
「エリスさん…」
すると姉貴もリオスとクレーを気にしてこちらに駆けてくる。ラグナさん曰く姉貴とリオスとクレーはマジで面識があるらしい、と言ってもリオスとクレーがまだ生まれたばかりで言葉も喋れない時に会っただけだから二人が覚えてないのも無理はないが…。
「痛かったですね、リオス君。よく我慢しました…」
「あ、ありがとう…」
「クレーちゃんも、何処か怪我してませんか?」
「だ、大丈夫…」
「エリスがもっと早く駆けつけていれば…」
リオスとクレーを纏めて抱きしめて悔し涙を浮かべる姉貴を見て、思う。この人こんな顔するんだ…いや、メグさんの言う『優しい部分』ってのはつまりこう言うところなんだろう。
本来の姉貴は、誰かの為に戦い誰かの為に涙を流せる人なんだ。ただ…その優しさが人の痛みを癒せるかと言えば…必ずしもそうではないんだ。
「あ、姉貴…ありがとな」
「……貴方がついていながら不甲斐ないですよ、ステュクス」
「それはその通りなんだが…」
「そもそも何故リオス君を巻き込んだんですか、クレーちゃんが誘拐されていたのは分かります。ですが貴方は更にそこからリオス君を巻き込み二人を危機に晒した」
「けど俺一人じゃなんとも出来なかったし、リオスが居てくれたから…」
「二人はまだか弱い子供ですよ!武器なんか持たせて戦わせていいわけがないでしょう!」
「ッッ…!」
姉貴は本気で二人を心配してる、だから巻き込ませず俺一人で戦うべきだった…その指摘はわかる。けど、それを言われたリオスとクレーの顔は曇る。
その優しさが今、リオスとクレーにとっては如何なる刃よりも鋭く心を切り裂くんだ。二人は子供扱いを嫌う…のに、今彼らは子供扱いされツイン、子供扱いされても文句を言えない立場にある。
「いくらアルクカース人の血を引いていても、この二人のお父さんがどれだけ強くても、二人は子供です。大人の庇護下で育つべき段階にいるんです!」
「いや、リオスとクレーはもう子供じゃ…」
「それは貴方が決める事じゃない…」
「その通りなんだけど…その通りなんだけど!リオスとクレーの気持ちも考えてやれよ!」
「考えた結果がこれですか?」
「………面目ない」
全くもって…その通りだな、ラグナさんの言った通りになってしまっている。情けない…あんまりにも情けない。非常に情けない…、本当…頭を掻きむしりたくなるくらい情けないよ。
リオスとクレーも俯いたまま何も言わない。二人も折角これからやるぞ!と気合を入れた直後のこれだ。完全に打ちのめされている、そこから更に畳み掛けるように姉貴によって現実を突きつけられ震えている。
だが、ここで言い返すことは何もない。だって…どこまで言っても姉貴の言ってることは正論なのだ、ラエティティアが口にする口先だけの薄っぺらな正論ではなく、場合が違えば俺も賛同してしまうような…そんな正論だ。
「リオス君、クレーちゃん。一先ずデティのところに行きましょう、そこで怪我の手当てを…」
「エリス様〜…ってぇっ!?もう大惨事!事件現場!?」
「メグさん!いいところに!リオス君とクレーちゃんの手当てを!」
すると城の方からメグさんがやってくる、凄まじい速さで走り寄ってくる彼女は死屍累々の現状を見て唖然としながらも直ぐに状況を察したのか姉貴から二人を受け取るとそのまま二人を抱えて何処かに走っていってしまう。
リオスとクレーは抵抗しない、何も言わない、何かを言えるほど…余裕がないんだろう。
そうして、場には俺と姉貴だけが残される事になり…。
「………」
「………」
空気は最悪になる。いや…そんなこと言っちゃいけないな、姉貴が助けてくれなきゃ俺はリオスを死なせてたかもしれないんだから。
「……ステュクス」
「ん…」
「リオスとクレーをアルクカースに返す気はありませんか?」
「…ラグナ様から、言われたのか?」
「へ?」
違うのか?姉貴はあの話を知らないのか…。てっきり姉貴がここに来たのはラグナ様の指示かと思ったが…偶然通りかかっただけ?そんなことあるか?…まさか悲鳴を聞きつけてなんてことはないと思う、だって人の気配とか全然なかったし。
しかし、二人を返す気はあるか…か。昼間までなら『無い!』と断言出来たが…今は。
「…………」
「迷っていますね」
「うん…、二人はアルクカースに居たくないって言ってた。だから俺は二人を連れて冒険してたんだ、それが二人にとって最適だと」
「ですが…」
「言われたよ、さっきラグナ様に…。二人の為を思えば親元にいるべきだって…今それを痛感してる」
「……そうですか」
姉貴は、そこから少しの間黙る。腕を組み目を閉じて押し黙る、てっきり俺はこれから姉貴に『何故二人を危険に晒した!』と殴られたり『お前に二人の面倒を見る資格はない!』と詰られたりするもんだと思ってたのに…、それがない。
ただ姉貴は言葉に迷うようにしばらく黙った後…。
「なら、今回の件で分かりましたか?」
「は?」
そう言うんだ。分かったかって…何が?
「俺に力がない事が?」
「今貴方の強弱の話はしてません」
「なら何が…」
「これが、責任であると言う事に」
「責任…?」
目を開く、煌めく姉貴の目には敵意がない。ただ俺を試すように鋭い視線だけを向ける。これが…責任であると俺に問いかけながら。
「責任です、貴方は今リオス君とクレーちゃんの人生の責任を負っている。二人が冒険を望むから冒険をさせる…それは二人の生涯に於いて重大な影響を与えている。貴方は二人の人生を変えているんです」
「それは…そうだけど」
「二人が貴方について行っているのは冒険をするのに都合がいいからですか?違いますよね。貴方なら…人生を任せられると信頼しているからですよね。なら…貴方は貴方の責任を取りなさい」
「人生を変える…責任」
「まずは、貴方が覚悟を決めるんです。…生きる覚悟と生かしていく覚悟、それが導く者の責任です、強くなる以前の問題ですよ」
それだけ言い残し姉貴は俺の肩を叩いて横をすり抜け城へと向かっていく。
生かす責任、責任か…。
『その結果あの二人が死んだらお前責任取れんのか?』
ラグナ様の鋭い視線を思い出す、あの人はあの時責任の話をしていた、子供達の人生を背負う責任の話を。なのにあの時俺はその責任に対して何も言えなかった。
(そうか、そう言う事だったんだな…)
思えば、あの時ラグナ様が提示した条件で試したいのはリオスとクレーではなかったんだ。
俺を試したいんだ。死なせない責任と生かす責任を俺が背負えるかどうか、保護者しての責任をラグナ様達から託せるだけの人間かどうかを…試していたいんだ。俺が強いかどうかは関係ない、あの二人の人生に責任を負えるかが問題だったんだ。
「…姉貴」
「ん?なんです?」
立ち去ろうとする姉貴を呼び止め、俺は覚悟を決める。このまま責任を放棄するのは容易い、二人には国に戻ってもらうのも良い選択なのだろう。
だが、それでも俺は二人を尊重したい…そこは変わらない、だからこそ変えるべきは…俺なんだ。
「この事、ラグナ様に報告するのか?」
「します、二人はラグナの甥と姪ですから」
「その…それ、勘弁してくれないか?」
「は?」
「リオスとクレーのことは伏せてくれ、襲われたのは俺だけ。姉貴は殺されそうな俺を見かねて助けてくれた、そうやって報告してほしい」
「なんでエリスがそんな事を…」
「頼む!もう一度チャンスが欲しい!今度はきっちり…俺が責任を果たすから!」
頭を下げる、もう一度チャンスが欲しい。今度は責任を果たす、俺があの二人の保護者として…いや、導く者としての責任を果たす。けどもしこの件がラグナ様の耳に入れば…その時点で条件は未達成。二人は国に戻ることになる…けど。
それじゃあ、本当に俺は責任を放棄することになる。
きっちり生かしてきっちり育てて、二人を立派な冒険者にする…それまで守る。それがあの二人の夢を尊重し、夢を叶えようと誓った俺の責任なのだから。
「………はぁ」
すると姉貴はため息を吐き…。
「じゃあ、貴方がどれだけみっともなく負けてたか…ラグナに報告してやります、それ以外の事を報告する時間はなくなるかもしれませんね」
「ありがとう!」
「勘違いしないでください、貴方の為じゃありません、リオス君とクレーちゃんの尊厳の為ですからね。二人にだってプライドはあるでしょうから」
「うん!うん!それでいい!ありがとな!姉貴!」
「………」
ありがとう!と顔を上げれば何やらむくれた顔で頬を膨らませている姉貴が見える。…なんで、そんな不機嫌そうな顔をしてらっしゃる?やっぱ怒ってるの?
「それだけです、貴方も早く寝なさい」
「りょ!了解!」
ビッ!と敬礼して俺は姉貴を見送る。…その背中は昼間見た時よりも頼もしく思えた。
メグさん達が姉貴を慕う気持ちがなんとなく分かる。颯爽と現れて問題を解決して、礼も求めず去っていく…こりゃあ頼りにしたくなる気持ちも分かる。
それになんか今日は優しかったし、殺されなかったし、うん、上等。
「よし、俺も…気合い入れなきゃな」
リオスとクレーのために、俺も気持ちを改めなければ。
そう思いながら歩き出した瞬間ふと気がつく。
「あ………これ、どうすんだ」
振り向いた先にいるのは…地面に埋まったフューリー、ぶっ倒された偽カゲロウ、はっきり言って死屍累々。これ…どうするの?
…いいや、面倒くさい、取り敢えず襲われたことだけロレンツォ様に報告だけしとこうっと。
それより今は、明日の仕事に備えなきゃな。
なんせ、まだまだ会談は始まったばかりなのだから─────。




