481.魔女の弟子と黄金の都へ向かう
一週間、意識していなければそれなりの長さだが一度意識するとあっという間な微妙な時間。それは修行をするにはあまりに短く、『あ!』と言う間にその日はやってきた。
みっちり一週間、エリスは師匠にボコボコにされまくった。お陰で第三段階に至り極・魔力覚醒を習得して最強になれました!なーんて事はまるでない、寧ろなんのとっかかりも掴めず強くなれたかと言えばちょっと微妙、ただただひたすらにボコボコにされ続ける毎日を過ごしたわけで。
当日の朝も早起きして一発師匠に挑んで負けて、そうこうしている間にエリスはメグさんの時界門によって呼び出され、取り敢えず師匠にしこたまお礼爆弾をかましまくって…。
「ただいまで〜す」
「お、エリス!」
時界門をくぐり、エリスは再びマレウスに戻ってきた。久しぶりなんだかそうじゃないんだか、二週間ぶりに戻ってきた馬車のダイニングに到着すると、これまたちょっとだけ久しぶりのアマルトさんが既にキッチンで作業をしていた。
チラリと見ればみんなで朝ごはんを食べていたのか、ナリアさんとメグさんとネレイドさん、そしてオケアノスさんの姿も見える。
「皆さん、お久しぶりです」
「お久しぶり…なんでしょうか、僕達一週間前まで一緒に居ましたし」
「だねー、ショーコン楽しかったね〜」
「楽しんでたみたいだね…、っていうかエリス…どうしたの?」
「へ?」
取り敢えず休む意味合いも込めてエリスもダイニングの椅子に座ると、ネレイドさんがエリスを見てギョッと目を見開く、なんか…変だろうか。
「どうしました?」
「どうもこうも…」
「お前自分の格好見てみろや、ほれ手鏡」
するとアマルトさんがエリスに手鏡を渡してくる。それで慌てて自分の格好を見ると…なんじゃこりゃ、全身ズタボロだ!?シャツとか破けまくってるしズボンも超大ダメージジーンズになってる…!無事なのは師匠特性のコートだけだ。
「お前ライオンにでも襲われたのかよ」
「すみません、師匠にボコボコにしてもらってたんです。それで着替えとか意識してなくて…」
「エリスの師匠ってあれだよね、孤独の魔女レグルス。マレウスじゃ怖い人って伝わってるけど…実際怖いの?」
「優しい人ですよ、エリスに人をボコボコして黙らせる方法を教えてくれた人です」
「怖いじゃん、まぁあのエリスの師匠なら…色々お察しかぁ〜」
どういう意味ですかオケアノスさん、黙らせますよ。
「なるほど、エリス様はこの休養を修行に充てたのでございますね。いやあ、流石でございます」
「いえいえエリスは…」
ふと話しかけてきたメグさんにチラリと視線を向けると────。
「…あれ?メグさん、髪切りました?」
「へ?」
エリスの一言にみんなの視線が注がれる。いや見た目はいつもの通りなんだけど…ちょっとだけ毛先の感じが違うというか、髪切ったのかな?と思ったがメグさんはギョッとしており。
「えぇ?僕分かりません…、アマルトさん分かります?」
「いや、俺も分からん。いつものメグな気がするが…オケアノスは?」
「分かるわけないじゃん」
「そりゃそうか、で?メグ、実際どうなん?」
「いえ…切ってませんが、気のせいでは?」
「そうですか…なんかいつもと雰囲気違った気がしたのですが」
最後に会った時となんだか雰囲気が違う気がするんだが、気のせいだったか。うーん、まぁ久々に会ったからそう感じただけかな。気のせいだったみたいだ。
『おーい、人が帰ってきたんならそろそろ変わってくれ〜』
「あ、ヴェルトさん」
すると、ダイニングの外から声が聞こえてくる。ヴェルトさんだ、エリス達が不在の間馬車を動かしてくれていた功労者、それをほったらかして雑談は良くなかったか。
「私行ってくるね」
「ありがとうございます、ネレイドさん」
するとネレイドさんが立ち上がりダイニングを出てヴェルトさんと御者番を変わり、入れ替わるようにヴェルトさんが戻ってきて。
「ようやく帰ってきたか、寂かったよ」
「いい歳したおっさんがなに言ってんのさ恥ずかしい」
「オケアノスさん、ちょいと辛辣じゃありません?俺寂しかったんすよ?」
ヴェルトさんは疲れたとばかりに肩を回してネレイドさんの座っていた席に座り一息つく。かれこれ二週間、殆ど人のいない馬車で黙々と馬を動かし続けてくれていたんだ、彼には感謝しないと。
「ありがとうございます、ヴェルトさん。すみませんエリス達ばかり」
「え?いやいいのいいの、俺魔女大国に行くくらいなら馬車動かしてた方がいいし、それにここ食材使い放題だし、頼めばどんな飯でも酒でも出てくるからもう毎日晩酌が楽しくてさぁ」
「…アジメクに帰らなくてもいいんですか?デイビッドさんやナタリアさんとは知り合いですよね」
「…あー、まぁ…知り合いというか、戦友と言うか…」
ヴェルトさんとデイビッドさんは団長副団長の仲だ。交友関係長くあったと聞くしスピカ様に会いたくなくてもこの二人の顔くらいは見たいんじゃないのかな。と伺うがヴェルトさんはやや難しい顔をして…。
「二人とは戦友…と呼べる仲だったな。けど今更どんな顔して会えってんだよ」
「その顔を、所望だと思いますよ」
「たはは、まぁそうか。…二人は元気か?」
「二人とも現役を引退してます。デイビッドさんは教官をやってますしナタリアさんは軍部を離れて喫茶店の経営をしてます」
「似合わね〜、メイナードとフアラビオラは?」
「二人とも結婚したそうですよ」
「妥当だな、ってことは今の騎士団長は?」
「クレアさんです」
「クレア…誰だ?いや、あれか。俺の後に入団したとか言うアジメクの現最強、確か俺が軍を抜ける直前くらいにデイビッドがそんな名前の逸材がいる的な話をしてたようなしてないような…、会った事ないから印象がないな」
そのくらいの時期なのか。そっか、クレアさんとヴェルトさんは面識が無いのか…。確かにクレアさんはエリスと同じ時期に皇都に来たんだ。その時既にヴェルトさんは騎士団を抜けていて、デイビッドさんが団長の代理をしていた。
「そっか、ってことはアジメクは完全に代替わりしてんだな。…バルトフリートさんが言ってたよ、アジメクはこれからドンドン強くなるって。才能ある若手が台頭して来てるし、アジメクは安泰だ」
あの人も草葉の陰で安心してるだろうよ…と彼は遠い目をして想いを馳せる。バルトフリートさんか、懐かしいな。エリスはあんまりこう…印象的な面識はなかったがアジメクでは未だに人気のある騎士で『エラトゥスの英雄』と教科書にも載っている。
最期はあんな形になってしまったが、あの人も今のアジメクの隆盛を喜んでくれているだろう。
「…死人の名を出すと湿っぽくなるな、悪い悪い」
「いや死人かどうか言われなきゃ分からなかったよ。それよりヴェルトさんよ」
「ん?どうした?」
ふと、洗い物を終えたアマルトさんがややにこやかにキッチンから出てきてヴェルトさんに近寄り。
「いやな?ずっと馬車を動かしてくれてたアンタに『ありがとう!』の言葉だけじゃ不足かと思ってさ、土産買って来たんだよ」
「え?本当かい、君随分若いのに気が効くじゃんか」
「まぁな、まず買ってきたのは」
するとアマルトさんは棚にしまっておいた大きな紙袋を持ち出すと、中からいくつかの品物を取り出し。
「まずこれ、アルクカース名物『赤豚焦がし』。酒のつまみに最高だろ?」
「お!これ!高いやつ!」
取り出されたのは長方形の木箱。これはエリスも見たことあるアルクカースでも有名な保存食だ。唐辛子などのスパイスを加えた小麦粉に一口大に切った干し豚を埋めて乾燥させた物で、この箱に少量のお湯を入れて豚肉を戻すとトロトロの真っ赤なタレに絡んだ豚肉焼きができるって寸法だ。
師匠もこれを食べて『酒が欲しくなる』と言っていたくらいお酒に合うおつまみですね。
「後アジメク名産の『薔薇酒』」
「おお!いいやつ買ってきてんねぇ!」
こちらもお土産として最近話題の『薔薇酒』、アジメクで咲き誇る真っ赤な薔薇をつけたリキュールだ。花の香りが特徴的な高貴で典雅な飲み物、酒の味を知らなかった頃は興味もなかったが…今は思う、美味しそうだ。
「この酒、山の一滴に並ぶ名酒だよな」
「山の一滴とどっちにしようか悩んだんだけど、こっちのがアジメクっぽいかなって」
ナイスチョイスだアマルトさんが、ここで山の一滴買って来てたら全てオシャカでしたよ、今あそこの酒は買っちゃっダメだ。と言うかまだ流通してたのか…。
「これで一杯やりなよ、後のことはぜーんぶ俺らでやっとくよ」
「い、いいのかい?そんな…」
「いいっていいって、なぁみんな」
「はい、ヴェルト様には十分働いて頂きました。この労いのためならば」
「僕達だけ楽しい思いは出来ませんよ!ヴェルトさん、なんでも言ってくださいね」
「くぅ、優しいなぁみんな!じゃあ遠慮なくこれで一杯やらせてもらうよ」
当然の権利ですよね、働いた者には働いただけの報酬を。魔女大国では当然の流れなんです、だからここからはヴェルトさんはお休みです。
「はい!あ!僕達からもお土産あるんですよ。エトワールのお酒で…」
「私もありますよ、帝国名産のチーズでございます」
「おお!マジで!…で?オケアノスさんは?」
「無いけど」
「だと思った…」
どうしよう、エリスもない…。全然そこまで考えてなかった、みんな凄いな…。あ、いや待て、あれがあったはず。
「ヴェルトさん、エリスからもお土産です」
「お、なにかな」
「フォークです、綺麗なやつ」
「フォーク?…ありがたいけど、なんでフォーク…」
実はショーコンで買っておいた金細工のフォーク。純粋にエリスが気に入って買った奴だが…いいんだ。これはどうせまたいつか買う機会は来るだろう、だがヴェルトさんに労いの品を渡せる機会は今しかない。
「まぁいいや!うひょ〜!久々に美味い酒が飲める、しかも昼間から!最高だぜ〜!」
「喜んでくれて嬉しいよ、ちょっと待ってろ、お湯沸かしてやる。エリス、火の用意」
「あ、はーい」
直ぐに立ち上がりキッチンに向かう、既にアマルトさんはケトルに真水を用意している。これをそのまま赤熱陣や発熱魔力機構で沸かしてもいいが、エリスの火なら火力もあるし直ぐに沸かせるからね。
「いいのかい?俺シルバーボイラー使えるけど」
「いいっていいって」
「エリスに任せてください、それより一つ気になってる事言ってもいいですか?」
超極小火雷招でケトルを温めながらエリスはキッチンからヴェルトさん達に向けて話しかける、ずっと気になってたことなんだけど…。
「あの、ラグナ達は?」
ラグナ達がいない、エルドラド会談の主役である彼らがいないんだ。するとアマルトさんが…。
「アイツらはまだステラウルブスだぜ?」
「え?なんでですか?」
「そりゃあお前、六王様ともあろうものがこんな馬車でえんやこらと会場まで向かえるわけないだろ、まずは俺達がエルドラドに行って、そこでメグが時界門を開いて盛大に登場!…その方がかっこいいだろ」
「それもそうですね」
確かに、ラグナ達はこれから冒険者ではなく六王としてエルドラドに赴くんだ。なのにこんなボロい馬車で向かったんじゃ格好もつかない。メンツ丸潰れだ、だから転移魔力機構なり時界門を使うなりして現地入りした方がナメられないで済む。
「そういうわけで、エルドラドに到着するまではラグナ達は向こうで待機だ」
「既にラグナ様達は準備を終えていつでも出れるようにしてくれているようでございます、後はエルドラドに着くだけでございますね」
「なるほど、それで今はどの辺ですか?」
「中部リュディア領には入った、けどちょいと関所で手間取ってな。エルドラドはまだだ、多分後一日もあれば到着すると思う」
もう中部に入っているのか、確かに心なしかガイアの街で感じたような蒸し暑さは感じない。と思った瞬間ケトルから白い煙がピューピュー出て沸騰を知らせる、ちょうどいい。
「お湯沸けました」
「お、サンキュー」
「エリスちょっと外見て来ますね」
「あいよー」
中部の様子を見に行きたい、どんな様子なのか。エリスも中部に来るのは初めてではない、ここがリュディア領と呼ばれる前に一度来たことがある。サイディリアルに向かう最中で…ヤゴロウさんを拾ったのもこの辺だ。
だがそれでも目にしたいのは、『旅に戻って来た』感覚を取り戻したいからだ、ここに居てはそれを取り戻せない、やはり風を感じなくては。
だからエリスはリビングに飛び出てそのまま馬車の外に顔を出し。
「ん?エリス?」
「すみません、ネレイドさん」
ひょこっと手綱を握るネレイドさんの背中に飛び乗り、周囲を見回す。するとそこには…。
「おお、…うん!旅に戻って来た!」
広がるのは春の挨拶とでも言おうか。未だ肌寒く冬の只中ではあるものの青い平原を駆け抜ける風には仄かな暖かさと花の匂いが入り混じる。これから暖かくなっていく事を予感させる春の挨拶。いいものだ。
「ここら辺は緑豊かだね」
「ですね」
この間まで荒涼としたクルセイド領にいたから新鮮…ってわけでもないが、それでも目の前に広がる原っぱと遠方に見える森や山は全て緑が生い茂っている。
「エルドラドは見えますかね」
「遠視で見たけど、よく見えない」
「ああ、…なるほど。もしかしたらここからじゃ見えないのかも、エルドラドは窪地の中にあるようなので」
エリス達がこれから向かうエルドラドと言う街は大層豪勢な街らしい。エリスは言ったことがないがなんでも街全体がキンキラキンとのこと。そんなの遠くから見ても分かりそうだが…多分エリス達は位置的に窪地の中にあるエルドラドを見ることが出来なさそうだ。
でもヴェルトさん曰く後一日でつけるみたいだし…そんなに遠くはないのかな。
楽しみだ、新しい街に行くのはいつだって胸が高鳴る…と同時に。
(ステュクス…)
エルドラドに居るステュクスを思う。何故奴がマレウスの王政府と共にいるのかわからない、だが…もしも……。
「…………」
(エリス、直ぐに怖い顔になった…切り替え凄い…)
エリスは平原の向こうを見据える、その向こうにいる弟の顔を想って。
…………………………………………………………
「おほ〜これこれ」
木箱の中にフォークを刺せば、現れるのは赤いトロトロソースを存分に絡めた豚肉だ。熱湯で戻され湯気を立てるそれをヴェルトは一口頬張る。唐辛子などのスパイスと混ぜられた小麦粉が口の中を傷つけるように辛味を発揮し、一気に毛穴が開き汗が噴き出る。
野趣溢るる味わいに強引な辛味、アルクカースらしいと言えばそこまでだが…それでも美味い事に変わりはない。
「ッ辛ぇ〜…酒酒…」
口の中に広がる激辛を一気に薔薇酒で流し込めば。一転、荒れ果て乾くような口内の様相は花が咲き誇るような春風が吹いて鼻に抜けていく。
美味い…昼間からこれを楽しめていると言う事実が殊更美味さを際立たせる。
「それ、美味しいの?」
「美味いっすよ」
オケアノスがジトっとした様子でこっちを見てくるが、あげないからな。これ俺がもらったヤツだから。
これは二週間近くずっと孤独に耐えていた報酬なんだ。ずーっと一人で御者やって、時たまに現れる魔獣と山賊蹴散らして、夜になったらアリスさんとイリスさんに頼んで魔女大国の珍品絶品持って来てもらって一人酒と共に楽しむ。
…うん、今思えば全然悪いものじゃなかったな。アリスさんとイリスさんも話し相手になってくれたしな。何故か一緒に居るケイトは全く口を利かずボケた老人みたいにボケーっとソファに座りっぱなしだったが。
(にしても…)
赤豚焦がしを頬張りながらチラリとダイニングを見渡す。ダイニングには魔女の弟子達がいる、二週間魔女大国に帰国していた弟子達だ。
みんな故郷を楽しんできた…ってわけじゃなさそうだ。
(全員、帰国前より強くなってる。多分みんな故郷で師匠達に修行をつけてもらったんだろう…)
若いってのはいいね、少し鍛えただけで成果が出る。才能以上に努力を感じる彼等の強さはいずれ俺を上回るだろう。
(中でも際立ってるのはエリス…とメグだな)
特に際立ってるのはエリスとメグだ。エリスの纏う雰囲気が帰国前とは明らかに異なっている、本人は自分の変化に気がついていないだろうがあれは確実に何か上の段階に上がる為のキッカケを掴んでいる。
そしてメグ、どう言うわけか帰国前より一段階強くなっている。たかだか二週間であんなに強くなれるもんかと思うくらい動きが研ぎ澄まされている。なにがあったかは分からないが…聞けばこの子はあの無双の魔女カノープスの弟子だって言うじゃないか、ならそう言うこともあるだろう。
「あー…ん?」
ふと、もう一口赤豚焦がしを食べようとフォークで肉を拾い上げるた瞬間気がつく。
「………………」
…なんかさっきから、メグがこっちを見ている気がする。物凄いジッと見て来ている気がする。
「あの、えっと」
「…………」
「食いたいか?」
そう言ってフォークで突き刺した肉を前に出した瞬間シュババッと呟きながらメグがこちらに突っ込んできて俺の赤豚焦がしを口にして満足気な笑みを浮かべる、食べたかったんだな。
「失礼、私これ大好物なのでございます」
「そうかい」
「お詫びに新しい赤豚焦がしを注文しておきますね」
「いや結構だが…、しかし意外だな」
「なにがでございましょうか」
「いや、君は随分と器用なようだ」
この間からメグの様子を見ていて気がついたこと、それはメグはありとあらゆる仕事をこなせるという事。掃除も炊事もなんでもござれ、文字通りどんな事でも出来る万能のメイドって感じだ。
「一応メイドですので」
「とは言うが、君の姉トリンキュローは何にも出来なかったぞ。料理も洗濯も掃除も全部俺がやっていた。君達はメイドの格好してるだけで本質は違う物と思っていたが…」
「ええ、空魔の者達は格好だけメイドです。私は空魔を離れてからメイドとなったのでまた別でございます」
「そうなのか。…なぁ、なんで空魔の人間はみんなメイド服なんだ?コスプレ?」
「ええそうですよ、空魔ジズの趣味…と言うのは冗談で。単純にメイド服だと仕事がしやすいからでございますね。一応ジズは殺し屋ですから、取引相手もいます。そしてジズ程の男を雇えるのは得てして立場ある人間。そう言う人の下に派遣して目立たない格好がメイド服なだけです」
「なるほど…」
確かに、トリンキュローもオルクスに雇われていたし俺も最初にトリンキュローを見た時ただのメイドだと思って油断した。だから格好だけでも従者の格好をしてるのか。
「じゃあジズもメイド服着てんの?」
「着てるわけないでしょう…、もう九十越えのお爺ちゃんですよ…」
「そっか…」
「それにジズは滅多な事がない限り自ら先陣を切って仕事に出ません。時たまに運動がてらに殺しに出るくらいです」
「おっかねぇ話だ」
ジズか、俺はついぞ奴の姿を拝む事はなかったが、そうか。九十越えの爺いなのか、…ん?
「なのにまだ現役なのか?」
「…はい」
九十越えの爺ィなのに未だに世界最強の殺し屋って。もしかして…と俺がチラリと見るのはダイニングの向こう側、リビングでココアをちびちび飲んでるケイトだ。あれも確か年齢的にはそのくらい…だったらもしかして。
「ジズもケイトみたいに歳を取らないのか?」
「……………」
そう問いかけるが、メグは黙り込んでしまう。あんまり聞くのはよろしくなかったかな。と思ったが直ぐにメグは首を振り。
「いえ、ジズも魔術は使いますがケイト様程の腕は持っていません。恐らく別の要因かと…」
「別の要因って…なんだ?」
「分かりません、ですがジズは最初に見た時から二十代前半の姿を保っていました、あの頃から既に老齢だったはずなのに。そこから身体能力も変わっていません、方法はいくつか見当がつきますが…正確なものは分かりません」
歳を取らない方法ねぇ、ンなもんがあるなら是非とも紹介していただきたい問題。最近はとにかく体が重い、強くなるどころか現状を維持するので精一杯だ、若い体を維持出来たら無限に強くなれるじゃんよ。いやそれが魔女なのか。
「というかジズの話は今はいいではありませんか」
「まぁそうなんだけどさ、俺とメグ君の共通の話題ってジズくらいしかなくない?」
「じゃあヴェルト様とは二度と口を利きません」
「極端すぎるだろッ!?」
「冗談でございます」
「なら真顔で言うのはやめてくれよ…」
「では私は仕事に戻りますので。二週間馬車を空けていたので魔力機構のメンテナンスをしないと…」
そういうとメグは俺に背を向けまた作業をする為離れていく、でも確かに…メグにジズの話をするのは少しデリカシーがなかったか。彼女にとってジズは憎き相手、それを雑談の対象になんて出来ないよな。
はぁ、ヤダヤダ。オジサンのデリカシーの無さを昔は疎んだ物だが、今は俺がそのデリカシーの無さを振り撒く側か、歳は取りたくねえな。
「…ヴェルト様」
「お?」
すると、メグは少し…立ち止まる。そしてそのまま肩越しにこちらを見て。
「共通の話題なら、あるでしょう?トリンキュロー姉様の」
「あ…そう言えば」
「また聞かせてください、私の姉の話を」
「…おう」
トリンキュロー…お前の妹は、今もお前を心配してくれているぞ。だからさ…戻ってこいよ、絶対に死ぬんじゃねぇぞ。
無理そうなら、…今度はきっちり俺が助けてみせるからさ。
立ち去るメグの背中に親友の…トリンキュローの幻影を見ながら俺は酒を仰ぐ。
トリンキュロー…お前は今、何処でなにをしているんだ。
…………………………………………………………………
『空魔の館』…それは空魔ジズが支配する空中要塞にして『一つの国』である。
大空を駆け抜ける巨大戦艦の真上には緑生い茂る庭園と白亜の城が鎮座する。館と呼ぶにはあまりにも巨大過ぎるそれは移動する要塞でありながら数多くの殺し屋を収容し育成する機関でもある。
この空魔の館にはただ一つの絶対のルールがある。それは『ここにいる者達は皆家族である』と言うルールだ、それが八大同盟『ハーシェル一家』の鉄の掟。
そうだ、家族だ。みんな家族だ、例え血の繋がりがなくとも皆家族であり血よりも尚濃い契約という名の繋がりを持つ家族なんだ。ジズがそう言ったからそうなのだ。
家族は家族の為に生きる、家族は家族の為に殺す、家族の敵は家族全員の敵であり一丸となって困難に争うのだ。それがジズが定めた法…しかし。
『家族』にも…序列はある。
「No.74、No.75、餌の時間だ」
「ッ…!」
薄暗い鉄格子の中に声が響く。その声に反応し鉄格子の中に居る二匹の獣…否、二匹のメイドは起き上がり爛々と輝く目で牙を剥き鉄格子の中に放り込まれた餌という名の残飯の如きそれに群がるように飛びつき始める。
「うぅっー!ぅぐぅっっ!」
「ガツガツ!ぅぅうう!!」
唸り声を上げ残飯に群がるメイド二匹は互いに奪い合うように必死に食べる、生きる為に食べる。その姿はなんとも汚く髪も服も全て泥に塗れており、お世辞にも文明圏に生きる人間とは思えない。
そしてその様を檻の向こうから眺める小綺麗なメイドは鼻で笑い。
「まるで畜生だな…」
「ぅぅううう!!」
これこそが、この館の日常だ。
ここに居る殺し屋達は皆家族であり、構成員全員が姉妹である。だが家族にも序列がある…それが殺し屋達に与えられたNo.にある。
ここに居る殺し屋達は、その達成した依頼の数…つまり殺した人数によって序列が決まる。父の役に立たない人間には例え家族であろうとも人権は与えられない、この館の最下層に当たるNo.50以降の存在はこうして牢屋に入れられ畜生同然の扱いを受ける。
衛生環境も最悪、食事もゴミ同然、怪我も病気も無視、消耗品同然に扱われ擦り切れるまで使われ続けるのが嫌なら殺すしか無い、死ぬ気で殺して自らの価値を高めるしか無いのだ。
それが出来なければ…。
「うぅう…!うぅ…!」
「フンッ、獣臭いったら無いな」
ゴミのように扱われ、そしていずれゴミのように死ぬ。
そんな最下層から幾分腕を上げ、依頼の実績を積んだ者は空魔の館の地下…その中層に住まう事を許される。
「ナイフよし、火薬よし、ワイヤーよし」
「No.42、準備はいいか?」
「はい」
地下中層にはNo.25からNo.49までが住まう為の大部屋が複数存在している。大部屋を六人でシェアして使う形式ながらも清潔なベッドや趣向品を置くスペースが用意されており、一般的な生活が許可されている。
そんな大部屋にて備品の準備をしているのは最下層に住まう獣同然のメイドとは異なり、よく洗濯された綺麗な衣服を身に纏い、清潔に洗われた髪をたなびかせるメイド達だ。
獣同然の扱いから解放され人らしい生活を確約されたお陰で精神にも余裕が生まれる、そしてこの生活を維持する為にも彼女達は殺し続ける。殺せなければまたあの地獄に逆戻りなのだから。
「では依頼へ赴く、例の日まで時間がない。最速で向かい最速で終わらせる、周辺への被害は厭わない、確実に殺せ。さもなくば降格もあり得る、肝に銘じろ」
「ハッ!行って参ります!」
メイドでありながら訓練された軍人のように規律正しく敬礼をし教導役のメイドに返事をする。降格すれば地獄行き、あそこから這い出るのに数年は掛かる、それだけは嫌だとメイド達は一心不乱に殺し続ける。
どこまでも利己的に、どこまでも独善的に、それがこの館のルールなのだから。
そして、更に仕事を達成し数多の人間を殺し尽くしNo.24以降に昇り詰めた者達の生活は更に良くなる。この時点でようやく地下から解放され『空魔の館』の『館』部分に住まうことを許される。
無数にいる姉妹達を押し退け頂点に上り詰めたエリート達は皆ジズの技を受け継ぎ空魔の影としてようやくNo.ではなく『名前』を与えられる。
「シコラクス様、昼食をお持ちしました」
「ん、ご苦労」
館に住まうNo.24以降のメイド達にはジズより名前と個室が与えられる。最下層での暮らしが嘘のような豪勢な個室には天蓋のベッドと調度品、壁には絵画が立てかけられ棚には部屋の持ち主のコレクションたるティーカップが綺麗に磨かれ並べられている。
そして、何より異様なのは…机に座るメイドに向けて、恭しく礼をした別のメイドが昼食と称して豪勢な食事を持ってきている事。
…メイドがメイドを使っているのだ。
「今日の昼食は、シコラクス様のリクエスト通りペペロンチーノでございます」
「………」
テーブルの上に置かれたパスタを眺めるハーシェルの影十七番のシコラクス。無数にいる殺し屋メイド達の中でもエリート中のエリートに部類される彼女にはNo.50以上の名無しメイド達を自由に使う権利も与えられており、彼女達が残飯同然の食事をしている中で一人好きな物を食べることも許される。
それもこれもシコラクスが今まで百人以上の人間を殺してきたからだ。その働きをジズに認められたからだ。
「…クソッ!」
だがシコラクスは満足していない、フォークを強引に掴み皿に突き刺し悪態を吐く。彼女はまだ…この生活に満足していないんだ。
「どうして私の昼食が一品だけなんだ!下品なクレシダには五皿以上も運ばれているのに!どうしてこの私が!」
シコラクスは吐露する、自分にはもっといい暮らしが許されてもいいと。自分と同時期に殺し屋になった『クレシダ』は今やハーシェルの影 その九番の名が与えられている。No.10以降のメイド達にはここよりも更に良い暮らしが確約されている。
莫大な金が与えられどんな物でも買い揃えられこの個室よりももっと大きな個室を与えられなんでも出来る権限がジズよりもたらされる。その恩恵を与るべきは自分なのにと激怒する。
昼食を運んできたNo.82からすれば、シコラクスの生活は夢のような生活だろう。事実シコラクスも名を与えられるまではそう思っていた、だがいざこの場に立ってみると…もっと欲しくなる。
「もっと欲しい、もっと欲しい、もっと欲しい。もっと殺さなきゃ…もっと殺さなきゃ、No.10よりも上に行かなきゃ…!」
地獄から這い出て、人間らしい生活を手に入れて、天国のような暮らしをしてもなお満たされない欲。殺せば殺すだけ与えられる生活は彼女達を狂わせる。
………これが家族の序列だ。役に立たない人間にはなにも与えられず、役に立つ物にはより多くが与えられる。優遇と不遇の螺旋により成り立つカースト…殺して殺して殺し続けて昇るピラミッド。
そして当然、このカーストにも頂点は存在する。
それこそが、百人近い殺し屋メイド達に於ける最強の称号…、頂点…ファイブナンバーだ。
「んん〜、ソルティ〜!」
「美味しいわねぇチタニアぁ〜」
「まさしく!やはり人生には美味と美麗が必要だ。そう…君のような美がね?オベロン」
青い空を眺める空魔の館の庭園にて、無数のメイド達を侍らせ一つの机を囲む二つの影は、庭園に生茂る真っ赤なバラを眺め恍惚とする。
二人は互いに愛し合うように談笑し合いながらテーブルの上に乗せられたスープを一口掬う。まるで貴族の嗜みのような生活を送る彼女達こそが、このカーストの頂点たるファイブナンバー達だ。
「もう、チタニアったら上手いんだから。愛らしいわ」
黒い髪を腰まで伸ばし、長い睫毛をくりくりと動かし微笑む令嬢。他の者達よりもより豪勢でドレスのようなメイド服を着込む彼女の名はオベロン。最強の殺し屋達であるファイブナンバーその四番…『本命殺』のオベロンだ。
オベロンは美しい所作で隣に座る相方に愛を振りまく、女性らしさと嫋やかさを詰め込んで生まれたかのような彼女はただ、姫の如く愛を振り撒く。
「オベロン、私は美しい物が好きなんだ。勿論君のことさ」
そんなオベロンに対し華麗なウインクで返すのはウルフカットの麗人、このメイドだらけの館に於いて唯一執事服を着込む男装の麗人の名はチタニア…。ファイブナンバーその三番…『破壊殺』のチタニア。
輝く美貌と美を愛する彼女の双眸は如何なる同性さえも虜にする魔性の美しさを秘めていると言えるだろう。
令嬢のオベロンと麗人のチタニア、共にファイブナンバーを務める二人は庭園に居座り簡素なスープを楽しむ。豪勢な食事も豪華な個室も必要ない、彼女達はこの館に住まうメイド達が求めて止まぬ物を既に持っているから、何も欲さないのだ。
「今日も良い日だ、世界はなんと美しいのだろう。ただ過ぎゆくだけの時間でさえ…こうも心を打つのだから」
最下層の者には牢獄が、中層の者には大部屋が、上層の者には個室が、なら…頂点たるファイブナンバーにはなにが与えられているのか?それは…。
「さて、今日はなにをして過ごそうか、オベロン」
「なんでもいいわ、楽しいのなら」
『自由』だ。この館でなにをしても良い、庭園で茶会を楽しむも良い、館を改装して部屋を作りそこに引き篭もるも良い、必要ならば外に出て居を構えても良い。
ありのあらゆる物がジズより許可されている、それがファイブナンバーの特権。故に彼女達には『何もない時間』を楽しむ感性と余裕がある。背後に並ぶメイド達には与えられていない究極の特権がチタニアとオベロンの手元にはあるんだ。
それが許されるくらい、彼女達は強く…より多くの人を殺しているからだ。
「では、諸君。演奏を」
パチンとチタニアは優雅に指を鳴らす。すると背後に並べられたメイド達は死んだ目で徐に楽器を取り出し優雅な演奏を奏で始める。青い空、庭園に咲き誇る花々、美味しいスープに楽しい音色。
全てが美しい、全てが調和されていて完璧だとチタニアは目を伏せ感性を研ぎ澄ませる。
「最高ね、チタニア」
「最高だとも、オベロン」
音色を楽しむ為二人は椅子に体重を預け…ゆっくりと時の流れに身を任せ───。
──ようとした瞬間、背後のメイド楽団…そのうちの一人が奏でる音色が、ほんの一瞬だけ…澱んだ。バイオリン奏者が奏でる音が一音だけズレてしまったのだ。
「……美しくないな」
その瞬間、チタニアが目を開く。
と同時に、音を歪めたメイドの首が…鈍い音を立ててグルリと一回転し、倒れ伏した。殺したのだ、この一瞬で…視線を向けることもなく、一つの命を容易く。
「ちょっと!チタニア!なんで殺しちゃったの!バイオリン役が居なくなっちゃったじゃない!バイオリン無しで演奏を楽しめって言うの!?」
「あぁっ!すまないオベロン!バイオリン亡き楽団など花のない花園!これではまた最下層の獣達に楽器を仕込むところからやり直しだね」
「そうよ、貴方は少し短気過ぎるわ。もっと優雅に」
「そうだね、だが君が悪いんだよチタニア。君…また下界で女性と関係を持っただろう?」
「あら、誰のことかしら?お目目の綺麗なレイナの事?それとも舌の長いトキシー?もしかして胸の大きなジェーンの事かしら…」
「全員さ!君が他の女に愛を分け与えている事実が私の心を乱してしまうのさ!」
「でもチタニアもこの間酒場で沢山の女と遊んでいたでしょう?お返しよぉ」
「私にとってキスや性交は挨拶みたいな物なんだ、許してくれ。ああ、もう楽団はいい、帰って仕事をしなさい、あとそれは片付けておけ、芝生が汚れる」
彼女達にとって人の死は風が吹くくらい当たり前のことであり、殺す事は息をするくらい当たり前のこと。それ故最早楽団に興味がないとばかりに直ぐに別の話題に話は移り二人は変わらず景色を楽しみつづける。
すると。ふと視界の端に映ったそれに気がついたチタニアは…。
「あ、おーい!アンブリエル姉さーん!そんな所で何してるんだい?こっちにきて一緒に景色を楽しもうよ〜!」
「あらアンブリエル姉様、ご機嫌麗しゅう〜!」
「なんも麗しくないってのに…」
庭園の一角、大きな木に引っ掛けられたハンモックに寝そべり本を読み耽るのは桃色の髪を伸ばしたメイドだ。彼女は気怠げに寝返りを打ちながらアイマスク代わりにしていた本を閉じる。
彼女の名はアンブリエル・ハーシェル。その序列は二番…つまりファイブナンバーに於けるNo.2に当たる人物こそ彼女。『暗剣殺』のアンブリエルだ。
「もうちょっと休ませてよ〜、私潜入から帰ってきたばっかりなんだってば〜」
「そう言いつつも、こっちに来てくれるアンブリエル姉さんのことが大好きだ」
「だって来ないと延々うるせーじゃん…」
仕方ないねぇと言いつつアンブリエルは寝癖を直して二人の元まで歩み寄る。この間までガイアの街で潜入任務に準じていて、ようやく帰ってきて暫くの休養を楽しめると思っていたのに。最悪な事に休養期間がこのクソやかましいコンビと被ってしまった。
いつもやれ演劇だやれ楽団だと遊びに余念が無い二人がいると自分の平穏な生活が脅かされる。されど殺そうにもこの二人を相手にするのは少々面倒だ。
何せチタニアもオベロンも…共に魔力覚醒の習得者、同じく魔力覚醒の使い手たるアンブリエルと戦えば確実に館に損害を出す。それは面倒だ…。
「随分疲れているね、そんなに大変だったのかい?モース大賊団への潜入任務は」
「いや、楽勝だった。けど本当はやらなくてもいい仕事を任されると…どうにも疲れが倍増するっていうかねぇ。本来モース大賊団を監視する役目の子が…ヘマったからねぇ、姉の私が尻拭いする羽目になったからねぇ〜」
アンブリエルは嫌味ったらしく虚空を眺めながら口にする、本当ならモース大賊団の監視に自分が充てがわれることはなかった。元々モース達を監視する役目だった奴が…傲慢からヘマをしたのだ。
だから当てつけで言ってやる、どうせ聞いているんだろう?
『……予測出来るわけないだろう』
「やっぱ来た」
その声に反応し、アンブリエルの目の前に現れるのは、黒い髪を切り揃えた陰気なメイド。同じくファイブナンバーの五番目…『月命殺』のミランダ。ファイブナンバーのボーダーたる彼女が投影魔術で自分の姿を虚空に投射しこの場に現れる。
ミランダは所謂引き篭もりなのだ。館を改造して作った特殊な部屋の中に引き篭もり外に出てこずコミュニケーションを取る時はいつもこうやって姿だけを投影して現れる。これでファイブナンバーの座を維持しているんだから器用な奴だ。
だが、今回はその億劫さが祟ったな。
『まさか知識のダアトがモース大賊団との接触を測っているなんて予測出来る訳がない!これは私の責任じゃない!』
ミランダはモース大賊団がきちんと仕事をするかどうかを監視する役目を負っていた。だが彼女は部屋から出ることを嫌いモース達を遠視と魔視で遠方から眺めるだけで監視を終わらせようとした。
お陰で魔力を持たないダアトを見逃し…まんまと奴の好きなようにやられてしまった訳だ。せめて現地に行っていればダアトに気が付けたのにね。
「だが事実として、モース大賊団はダアトに荒らされに荒らされ戦力にならないくらい消耗し、挙句ナールも殺せずモースは我々に対し離別を勧告し消えた。それもこれもミランダ…君が責務を怠ったからだろう?」
『五月蝿い!だったらお前が行けばよかっただろうチタニア!』
「お前が父より授かったんだろう?役目を…、まさか父の意見に異を唱えると?偉くなったなミランダ」
『ッ……!』
チタニアとアンブリエルに睨まれミランダは幻影越しに怯える。ミランダは実力ではなく知略で成り上がったタイプだ、ファイブナンバーでも唯一魔力覚醒が使えない、もしここでNo.3のチタニアとNo.2のアンブリエルに襲われれば、忽ち抵抗も出来ず殺されるだろう。
「ねぇチタニア?これは降格じゃないかしら」
「だねぇオベロン、今回の失敗は痛い。父がせっかく取り付けた取引を台無しにしたんだ、ええっと…ミランダが降格したら次はNo.6の子がファイブナンバー入りするのか…」
「No.6は彼女か…うん、いいんじゃない?少なくともミランダよりは強いでしょ」
『な…な…な!』
糾弾される、だってファイブナンバーは最強であり最高でなくてはいけない。失敗など当然許されないしそれが父の名に泥を塗る行為であるなら尚更だ。
ミランダのように姑息に立ち回りファイブナンバーの座を得たような奴よりも、今のNo.6の方が余程実力も高いし、恐らくだが遠くないうちに魔力覚醒にも至る。ならばそちらに席を譲るべきだろう…。
そう言われてもミランダはこの座を譲るつもりはない、この論争…如何にして鎮めるか。そう考えたアンブリエルは意見を求める。
「ねぇ、エアリエル姉さん…姉さんはどう思う?失敗したミランダは…ファイブナンバーに相応しいかな」
「……………」
意見を問いかける、庭園の奥で…一人で背を向け作業を続ける姉。数多の殺し屋を下に見る唯一無二にして最強たるファイブナンバーの中でも…更に最強の存在。
No.1 『五黄殺』のエアリエル・ハーシェルに。
「…………」
「ちょっと、姉さん?聞いてるの?」
しかしエアリエルは答えない、そんな姉に業を煮やしたアンブリエルはその背に近づく。すると…。
ポトリ…と、エアリアルの足元に何かが落ちる。何が落ちたか?…決まっている、花だ。
「…………」
「作業中…か」
パチリ、パチリ、そんな音を立ててエアリエルは小さなハサミで生垣を整える。空魔の館の周辺を囲む巨大な庭園、その生垣の全てを管理するエアリエルこそが、この美しい花園を作り上げたのだ。
数千は降らない数の人の命を奪ったエアリエルは、同時に無数の花々を活かしている。そのギャップにアンブリエルは気味の悪さを感じてため息を吐く。すると…。
「アンブリエル…、くだらない言い争いは良しなさい」
「は?」
「ファイブナンバーに相応しいかどうかは、私達の決めることではない」
不要な枝葉を落とし、不必要な花を落とし、一層美しい花だけを残し、視線を向けることもなくエアリエルは語る。今ここで行われている話は…今目の前に存在する雑務以下であると。
「そりゃ…そうかもだけど」
「私達は、ハサミなのですよ」
「は?」
「そう、我々はハサミ。ジズ・ハーシェルという名の庭の管理人が…世界と言う名の庭園を管理する為に使う、道具でしかない」
エアリエルはハサミで花を落とす、これにより今世界から一つの花が消えた。まるで人の首を落とすかのように容易く花を刈る彼女は表情を変えることなく続ける。
「世界には様々な花が入り乱れています。それそれが命と言う色で庭を彩る花々を…父は刈り取り思うがままの庭を作り上げる。理想を組み上げる為…要らぬ花を落とし、有要な花を残す」
「………」
「全ての決定権は…父にある。生きるべきか…死ぬべきか…それが問題なのであって、ハサミに花を選ぶ権利はない」
エアリエルは静かに振り向く、その足元には無数の花が転がり、生垣には最も美しい花が一つだけ残される。その手に握られたハサミは茎の水で汚れながらも依然としてハサミのままだ。
「つまり…ミランダは放置?」
「ええ、ハサミが持ち主のやり方に意見するな」
「はぁい…助かったね、ミランダ」
『ッ……狂人共め…!』
エアリエルがそう言ったのなら、従わざるを得ない。アンブリエルもチタニアもオベロンもミランダも誰も意見出来ない。世界屈指の殺し屋集団ファイブナンバーたる彼女達はマレフィカルム全体を見てもトップクラスの使い手と言ってもいいだろう。
だが、そんなアンブリエル達をしてエアリエルはまさしく『別格』。正直同じファイブナンバーの枠組みで語られているのが不思議なレベルで実力に違いがあり過ぎる。なんせ既にエアリエルの実力は父に匹敵する。
力だけで言えばこの家で唯一、父に迫る程なのだ。
故に誰も何も言えない、もしエアリエルがここにいる全員を『死ぬべき花』として見れば、その時点で誰も抵抗出来ないからだ。
まぁ、逆らわない理由はそれだけじゃない。ここではより上位の存在が『姉』となる、上位の存在には絶対服従…それが無二のルール。破れば…キツーい折檻が待っているからね。
そう、そのルールを作った存在からの…。
「何を話していたのかな、みんな」
「父上、いえ…お耳に入れる程の事もない、ただの雑言でございます」
館の扉を開き杖を突いて現れた人物にエアリエルはクルリと振り向き跪く、アンブリエルも膝を突く、チタニアもオベロンも主張の激しいポーズでその場で服従を示し、ミランダもまた跪く。
この家で、最も偉い存在が現れたのだから…。
「あらあら、みんなお外で遊んでいるの?元気ね、母は嬉しいわ」
「はい、リアお母様」
質素なドレスを着込み、礼儀正しく佇み、ブロンドの髪を揺らして優雅に口元を抑え微笑む、その姿は慈愛に満ち溢れているようでいて、何処か空虚で…。
彼女の名はリア・ハーシェル、八大同盟の一角である暗殺一族ハーシェル家に於いて副首領の地位に就く者。妹より上の姉よりも上、つまり…『母』なのだ。
家族にも様々な役割がある。
『妹』には家族の為に成長する義務がある。
『姉』には妹達を教えて躾ける義務がある。
『母』には家族を教育し育てる義務がある。
それが家族なんだ、これこそが人という生命体が形成するコミュニティの中で最もポピュラーな形態にして完全なる形。そしてそんな家族を取り纏める絶対の支配者こそが。
「そうか、…元気なようで何より」
『父』…家族を支配し家を守る義務を持つ者。その地位に就く者こそが今現在世界最強の殺し屋として名を轟かせ空魔の名を持つ男。
ジズ・ハーシェルである。
『お、お父様…その、えっと…あの…』
「ああミランダ、怯えなくとも構わない。私は君の失態について深く考えていない」
『へ?』
「モースが抜けたのは少々手痛いが、それ以上に収穫があったからね。だから今回は特別に許してあげよう」
『あ、ありがとうございます!!』
ジズは微笑む、娘達の働きに満足しているとばかりに杖に体重を預け庭園に並ぶ手駒を見遣る。今ジズはマレフィカルムへの謀反の為に動いていた、その為の手駒も揃えていた。
だが結果は惨憺たる物、結局デッドマンは行方不明、ジャックは離反、モースも今しがた決別の知らせがあった。八大同盟用に残しておきたかった大戦力は軒並み消えた。どこぞの誰かがやってくれたようだ。
だがそれはそれでいい、あの場にダアトが居て色々探りつつモースが私の下に着くのを阻止したようだが…逆に考えればダアトが動いたという事実は、モース達が不要である事を意味している。
「どういう意味ですか?父上」
「分からないかいアンブリエル、ダアトが動いたんだ。態々マレフィカルム最強の女が現地に赴いて捜査をしていた。ダアトはガオケレナにとっての切り札だ、彼女の存在が八大同盟の離反を防ぐ壁の役割を果たしていることから考えるに彼女は一種の抑止力…迂闊には切れないカードの筈」
「なるほど…つまり、そんな切れないカードを切らざるを得ない状況に、今のマレフィカルムはあると」
「その通り、…嘆かわしいことにね」
ジズは長らくマレフィカルムに所属している、八大同盟の席に座り続けた時間ならば恐らく最も長い、故に入れ替わり続ける八大同盟の歴史も見続けてきた。
確かに今の八大同盟の戦力は歴代最強、マレフィカルム数百年の歴史から鑑みても今程のメンバーが一堂に会する機会はなかった。だが同時に…結束力は歴代最悪と言ってもいい。
全員が全員、圧倒的強者であるが故に互いに協力する必要性を見出せていない上協調性も皆無。だからセフィロト側も放任するより他ないのが現状。
今ジズの動向を熱心に探っているのはオウマだけだが、彼はマレフィカルムの為というより個人的な目的の為に動いている。
…つまり、私が怪しいと気がつきながらも八大同盟は動かせていないし、同盟も動く気がないという事。もしここで最大戦力のイノケンティウスや何処にでも入り込めるクレプシドラ辺りが動いていたら我々はそもそもここまで動けていない。
セフィロトの幹部も多忙なようでホドやケセドも動かしていない。なんなら東部にいる筈のティファレトもモース大賊団に干渉していない。
今動けたのがダアトだけ…つまり、今私が動いてもマレフィカルムは大したアクションは起こせない。協調性のない八大同盟は突発的な事象に弱いし、各地に散っているセフィロトの幹部も直ぐには駆けつけることはできない。
唯一、私の動きを察知して大規模なアクションが可能なイェソドとネツァクだけが怖くもあるが、奴らは同時に立場ある人間でもあり元老院の奴隷だ、簡単には動けまい。
「やはりマレフィカルムは今のままではダメだ、現総帥のガオケレナには我々の願いを叶えるだけの力がない、ならば…ここから先は私達の足で進むことにする」
「父よ、既にマレフィカルムの下部組織達の殆どは我等への恭順を示している!」
「いつでも、やれますわ」
「結構、なら始めようか…大仕事を」
手始めに狙うべき物は決まっている、彼処を崩せばガオケレナは後ろ盾を失う。その為にも狙うべきは…。
「では行こう、エルドラドに…!」
黄金都市エルドラド…ずっと前から狙いを定めていたあの都市に漸く攻撃を仕掛けられる。彼処はマレフィカルムの…いやもっと大きな物の要だ、崩せば必ず変革する。
最早モースもジャックも必要ない、私がマレフィカルム変革を成し遂げる。ガオケレナに代わり…今度こそ、カノープスを…!
「父上、その前にお耳に入れたいことが」
「…何かな?」
すると、エアリエルが立ち上がる。話があると…そういえば彼女から正式な形で東部遠征の報告は受け取っていなかったな。
「実は、私とアンブリエルで現地に赴いたところ。恐らくジャックの離反とモースの計画阻害を行った犯人と思われる人間を見つけました」
「別に今更どうでもいい、捨て置け…」
「マーガレットです」
「…………ほう」
マーガレット…私が手塩にかけて育て上げたエアリエルに並ぶ傑作。よりにもよってカノープスの弟子に成り下がった駄作。アイツが…マレウスに。
どういう因果か、いや…まさか私の狙いに気がついて?だとするなら…。
「マーガレットは今どこに」
「今現在、エルドラドに向かっています」
「はっ、そうか。やはり私の狙いに気がついて止めに来たか…帝国の諜報機関も侮れないな。だが寧ろ丁度いい。その為の種も蒔いておいたところなんだ」
マーガレット、アイツは私を裏切った。私の貴重な十年を水泡に帰した罪は重い。確実に殺さねばならない人間の一人だ、それがエルドラドに来ている?丁度いいにも程がある。
「来い」
指を鳴らす、それと同時に館の中から規律正しく足音が複数響き…。
「御用でございますか?父上」
「君に任せたい仕事がある」
現れたのはまたもメイド、赤茶の長髪に白い肌、作り物のように硬い表情からは心や感情は感じられない。彼女は私が今最も期待している有望株。
ハーシェルの影 その六番、名を…。
「やれるね、コーディリア」
「はい、勿論でございます」
コーディリア・ハーシェル。それにマーガレットの始末を任せる、誂え向きだろう。
「ではオフェリア、ビアンカ、クレシダ…そしてデズデモーナの四人をお借りしても?」
「構わない、なんならアレも使っていいぞ」
「アレ…ああ、トリンキュローですね。調整は終わっています、彼女ならばきっと…良い仕事をしてくれる」
「ンフフ…ああ、楽しみだね…」
マーガレットを始末する、それもただ殺すだけではない。地獄を見てもらう、私に楯突きよりにもよってカノープスの弟子になったその選択を永遠に悔いてもらう。
楽しみだ、全てが楽しみだ、これだけ魂が昂ったのはいつ以来か。やはり我が人生は…血と殺戮の為にあるんだ。
今こそ全てを終わらせよう、マレフィカルム、エルドラド、そしてマーガレット…煩わしい全てに終止符を打とうじゃないかとジズはクツクツと笑う、笑い続ける、笑いが止まらない。全ての因縁に決着がつくまで…あと少しなのだから。