479.魔女の弟子と物の真価
「まさか、本当に店を構えるとはな」
「私が逃げるとでも思っていたか?」
店主のカルロスは慄く、三日前…突如現れた青髪の女メルクが持ちかけた『賭け』。普段カルロスが銀貨十枚程度で売っている銀細工を金貨百枚で売ってみせるメルクは公言した、もしメルクが負ければ如何なる謝罪もする、だがもしメルクが金貨百枚で銀細工を売れば…カルロスは店を畳む事になる。
だが…。
(売れるわけがない、その銀細工は銀貨十五枚でも高すぎるって言われたんだ…それが金貨百枚?豪邸が買える値段だぞ!)
カルロスは頑固な職人だ、自分で作った銀細工に誇りを持っている。だが同時に商売人としてもまた頑固…遥か昔に客から言われた『銀貨十五枚は高過ぎでしょ』という言葉を間に受け相場よりも安く価格設定をしているんだ。
銀細工の相場は銀貨十五枚。だがそれでも高過ぎると言われた…客からしてみれば値下げ交渉のつもりだったのだろうが、普段殆ど商品が売れないカルロスからしたら貴重な意見であり唯一の意見だった。
だから相場よりも安くした、その所為で生活は困窮したが全く売れないのよりは良い。
それに売る為の努力だってしている。各地を巡って様々な場所で商売をしているし、このショーコンに有金を叩いて参加したのだってその一環。
それを、いきなり現れて根底から否定してきたこの女だけは…許せない。
「フッ、もうすぐ開店時間だ。お前も売れるように頑張るんだな」
「…フンッ!」
自信満々でカルロスの店の前から立ち去り、正面に構えられた店…『メルティーショップ』へと消えていくメルクの背中を見る。
あれだけ大口を叩くからどんた店を用意するかと思えば、なんて事はない…カルロスの店とどっこいのレベルの店だ。突き立てた木の棒に大きめ布を被せただけのテントのような店に、木板に書いた簡素な文字…それだけの店だ。特別なところは何もない。
店の場所も店の様子も、全部カルロスと同じレベル。ただ違うのはメルクが売っているのは銀細工一つだけ…しかも法外な値段の銀細工たった一つだけ、あんなので商売が出来るなら自分達はこんなにも困窮していない。
(ナメている…商売を、ナメられている…俺達が…!クソっ!)
当てつけのように店を構えるメルクに怒りを覚えながらもカルロスは静かに客が来るのを待つ。アイツもどうせ直ぐに分かるはずだ、底辺はどれだけ努力してもダメだということを。
…………………………………………………………………
「遂にこの日が来てしまいましたね」
「ああ、心待ちにした日だ」
「ほんとに大丈夫なんですか?」
遂にこの日が来てしまった、カルロスさんとの商売バトル。エリス達は今日中に銀細工を一つ…法外な値段で売らなければならない。だがそこでメルクさんが用意したのは簡素なテントの店…ただそれだけだ。
しかも店番はメルクさんではなくやる気のないオケアノスさん。今も欠伸をしながらボリボリ尻をかいているあの人が一人だけ店の前に立ち、エリス達はそれを少し離れた地点から観測している事になる。
こうして見ていても、全く売れる要因がないように見える。もしあの場にメルクさんが立って店番していたら、ペルラさんとか知り合いが買いに来てくれたかもしれないが…マレウス人のオケアノスさんにはアド・アストラの知り合いが一人もいない。
大々的に店を構えて注意を引くのかと思えば、用意したのは即興のテント。まだそこ等へんの占い師の方がいい店持ってると思う。
それでいて売られているのがアレだし…何がどうなったら売れるんだ。
「あの、エリスが街中駆け回って買ってくれる人探してきますか?」
「必要ない、ここで君も見ていろ。なぁ?ナリア」
「はい、多分ですが売れると思いますよ」
「え?なんでナリアさんがそんな…え?もしかして何も知らないのエリスだけ?」
したり顔で微笑むナリアさんを見てなんか疎外感を感じる。まさか何も知らないのエリスだけ?なんでそんな事するの?泣いちゃうよ?さめざめと。
「エリスにも説明しただろ?」
「いつですか?」
「三日前、ビッグパールで」
「ああ…、あの時の事…エリスあんまり覚えてないんですよね。いやなんとなく薄らぼんやりと思い出せるんですが言語化出来なくて。これが忘れてるってやつなんでしょうか」
あの日、エリスはもうそりゃあ大量に酒を飲みビッグパールから出禁を言い渡されるレベルで飲んで暴れたらしい。気がついたら裸だったし、何をしたのかイマイチ言葉に出来ない、酒を飲むと記憶が飛ぶのか。
美味しかったことだけは覚えてるんだけど、これからはあんまり無闇に呑まないようにしないと。
「そうか、まぁ直ぐに分かるし説明もしなくていいだろう」
そう言いながらメルクさんはその場に椅子を作り、エリス達の分も用意しどっしり構える。そろそろ…機関車の始発がアルガーリータに到着する頃だ。その客達が第一陣となってアルガーリータのショーコンを賑わせていく。
つまり、もうすぐ勝負が始まる。なのにエリス達は何もしていない…何もしない勝負なんて初めてだ。エリスは一人だけ椅子に座らずモヤモヤしつつメルクさんの用意したメルティーショップに目を向ける。
誰かお客さんが来てくれないか。でもここは街の端だし、そのお客も中々来ない。
(大丈夫かなぁ…)
焦りながら周りを見る、やはり人はいない。メルクさんを見る、なんか本を読んで優雅に過ごしている。
もう一度周りを見る、辺りは静けさを保ち客が来る気配はない。メルクさんを見る、ページを捲っている。
もうもう一度周りを見る、でもやっぱりお客さんは………ん?
「あれ?」
ふと、エリスの魔力探知に何かが引っかかる。…何かが来ている、こっちに向かって何かが来ている。
街の中央に続く通りに目を向けると、その向こう…通りの向こうから、何かが…。
『ぅぉおおおおおお!メルティーショップは何処だ!何処なんだ!』
「え、ええ!?!?」
通りの向こうからやってきたのは、巨大な砂塵…否、砂塵を巻き上げるほどの勢いで走る大量の人々だった。一人二人じゃない…十人二十人、いやそんなもんじゃない!?恐ろしい数の人達が川を流れる水のように通りを進んでこっちに向かってくる。
な、なんだあれ!?
『あった!メルティーショップ!』
『見つけた!あそこか!』
『俺だ!俺がメルティーの銀細工を買うんだぁぁあああ!!』
『金なら用意してきた!親戚中に借金してこさえてきた!だから僕に売ってくれッッ!!』
「な、なにこれ…!?」
皆手には麻袋や鞄を持ち、大量の金貨を持ちながらメルティーショップに殺到する。客が来る来ないの話ではない、みんなメルティーショップに銀細工を買いに来ている!?なんじゃこりゃあ!?
『はーいはい!押さないで〜!くじ配るんで〜!それ引いて当たった人だけが買えまーす。ほらほら!あんまり行儀悪いと売らないよ〜』
そう言って整理券を配るオケアノスさんをエリスは愕然とした気持ちで見て、震える。なにが起こってるんだ…なんでみんな、あんななんの変哲もない銀細工を金貨百枚なんて馬鹿みたいな値段で買おうとしているんだ…。
一体、なにが…。
「分かったか?エリス」
「へ?」
「これが、商人の力だよ」
「商人の…?い、一体なにをしたんですか!?」
ニッと笑いながら立ち上がるメルクさんは殺到する人達を見て静かに指を立てると。
「そもそも私が三日の猶予を設けたのには理由がある…それは、準備が必要だったからだ」
「準備ですか?ですがメルクさんはこの三日間ずっとエリス達と一緒にいてなにもしてないでしょう!?」
「私はな、だが…私は持っているんだよ。世界最大の組織を…」
……それは、三日前から動いていた。
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……それはメルクリウスが動き出した、三日前の出来事。
「お?アストラ新聞?珍しいな、こんな日に発売されるなんて…なになに?号外?」
場所は帝国のマルミドワズ、商業エリア『ロングミニアド』にて、ギルド傘下の小売店を訪れた男は…号外と称して発売されたアストラ新聞を購入し、中を見る。
そこには…。
「な、なんだこれ!?伝説のブランド『メルティーの銀細工』!?」
そう…動き出していたのだ、全ては三日前から…世界中で。
「嘘!なにこの銀細工!活かしたデザイン〜!」
「ってかこの銀細工身につけるのってタチアナ・ベックリンよね!?エイト・ソーサラーズのプロキオン様役の!」
「大スターまで愛用してるなんて…、知らなかった!」
アストラ新聞は世界中に購読者がいる。それ等が新聞を買い、情報を得て…。
『知ってる!?メルティーの銀細工って!』
『世界でもトップクラスの人達が愛用してるっていう超有名ブランドの!』
『今メチャクチャ流行ってて!若い子達はみんな知ってるみたいなのよ〜!』
それが世間話として伝播し、瞬く間に銀細工の名は広まっていく。
世界中の人達が知るスターであるエイト・ソーサラーズのタチアナ・ベックリンが銀細工にキスをしている写真が新聞と共に世界中で飛ぶように売れ、それと共に銀細工の特集も人々に読まれる。
『世界中で売れている超有名ブランドの特集、スターも愛用していて今や知らない人は居ない今世界の最先端を行くムーブメント』
そんな内容の新聞を売り、それを信じた人達が知人に話し、あっという間に事実無根の宣伝は『事実』となった。
当然これもメルクリウスの指示だ、直ぐに新聞社に連絡しエトワールからタチアナを引っ張ってきて写真を撮影、そのまま新聞にして世界中に売り『メルティーの銀細工』の存在を宣伝。
これにより、集団の認知は完了した。だがこれだけでは足りない、これは飽くまで三日前の出来事なんだ。
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続いて二日後。場所は変わりオライオン…エノシガリオスに存在する歴史あるレスリングスタジアム。
『強いいぃぃいいい!まさしく無敵!最強の存在!無敗の王者ネレイド・イストミア!再び王座防衛!これで百八十八連勝!この女に勝てる奴は居ないのかぁぁああああ!!』
「おー!」
レスリングスタジアムで行われたチャンピオンベルト防衛戦。王者ネレイド一年の不在からの唐突な復帰、それと同時に行われたタイトルマッチ。事前の予告も殆ど無しに行われたにも関わらず観客はスタジアムの外にまで押しかける程の人気を博した。
その大観衆が見守る中行われた戦いは、なんともはや。呆気なくネレイドの勝利に終わり対戦相手はマットに沈む結果となった。
『流石はネレイド様だー!』
『衰え無し!寧ろなんか前より強くなってないか!?』
『相撲なんて何処で覚えたんだー!?』
「えへへ」
オライオンにおいてプロレスブームを生み出し今なお業界人気を牽引する存在たるネレイドは一年ぶりに立ったリングの上で照れ笑いを浮かべる。そんな彼女の隣にやってくる司会進行役の男はネレイドに憧れの視線を向け。
「おめでとうございますネレイド様!流石圧巻の強さでございました!まさかアルクカース人の挑戦者すら倒してしまうとは!元第一戦士隊所属だった大物すら相手にならないとは!」
「ううん、そんなことないよ。この子は強かった…戦闘ではなく、レスリングでなら私すら負けていたかもしれない程に強かったよ」
進行役の言葉に謙虚に答えるネレイドに観客達はこう思う。
(いや全然そんなこと無かったと思うけど…)
普通に終始ネレイドが流れを掌握していた、挑戦者の攻撃はまるでネレイドに通じず、ネレイドが軽く放った張り手は相手を縦に一回転させる。こんなのでなにがどうやったら負けていたかもしれないなんて言えるんだ…と。
似合わない事を言うネレイドに呆然とする観客達の静寂を尻目に、ネレイドはリングの外に置いてあった私物を手に取ると。
「それでも勝てたのは、このお守りのお陰かもしれない」
「おお!?それはなんですか!?」
異様な食いつきを見せる進行役に勧められてネレイドは徐に掴んだそれを…『銀のお守り』を高く掲げ。
「友人から貰った、メルティーの銀細工…これ、お守り」
「ほう!というとそれは最近噂の!超人気ブランドでありながら品薄が続き何処の店でも取り扱っていない超レア物のあのメルティーの銀細工!」
「そう、私のお気に入り…いつもつけてる、これはあの…えっと、凄い銀色で…銀が凄くて、綺麗だし…うん」
なにやらしどろもどろになりながら銀細工を説明するネレイドと何かを読み上げるようにツラツラと語り始める進行役の中心には銀に輝く銀細工が。
…そうだ、つまりこれは。
「しかし凄いですねぇ!私もこれが欲しくて探したのですがやはり品薄が凄くて何処のアクセサリーショップでも売っていなくて!」
「うん、だけど…明日マルガリタリ王国の中央都市アルガーリータで行われているデルセクト・ショー・コンテストに一つだけ出品されるって噂を聞いたよ、金貨百枚でお高いみたいだけど」
…宣伝だ。懐から取り出したメモをチラチラ見ながらの棒読みではあるがあのネレイドがベタ褒めしているのだ。オライオンで最も人気のあるスポーツであるレスリングに於ける無敗のチャンプが物を褒めているのだ。
それはつまり、彼女のファンなら銀細工への感心が強くなる事を意味し───。
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「──つまり、サトゥルナリア様の今のマイブームはシルバーアクセサリーである、という事ですね?」
「はい、銀は金と違って経年で色褪せ決して頑丈とも言えません。ですがそこに朽ちるからこその美を感じました、最近では女性向けの物やお守り代わりになる物まで売られていますしね」
エトワールの壇上で講談を行うサトゥルナリアは数万を超える聴衆の前で今自分が好いて居るものについて話す。役者として舞台に立つことはあれど彼が自分の考えを発信する機会というのは非常に少なく、彼がなにを好いているのか…それが気になっていたファン達は熱心にその話を伺う。
「シルバーアクセサリーといえば、昨日アストラ新聞にて号外で報じられたタチアナ・ベックリン様の写真にも銀細工が写されていましたね、確か名前は…」
「ああ、メルティーの銀細工ですね?僕も持ってますよ、ほら」
そう言って胸元から煌びやかな銀細工を取り出し、微笑むナリアに観衆は息を呑む。その様があまりにも様になっていたからだ。あまりの美しさに卒倒するファンも出る中サトゥルナリアは話を続ける。
「やはり僕はエトワール人ですからね、求めるなら最高の美を追求したいです。そうなった時…最も綺麗だと感じたのはこのメルティーの銀細工でした」
「確かに、とても綺麗で繊細な銀細工ですね」
「はい、ですがだからこそ品薄が続いているようでして。昨日の新聞によって人気に火がついてしまって…今では一般のアクセサリー店では入手出来なくなってしまったようです」
「それは、私も欲しかったのですが…」
「ですが安心してください、ここにいるみんなにだけ教えてあげます。実は明日…デルセクトのショーコンに一品限定で出品されるって話を聞いたんです。値段は金貨百枚とお高いですが、入手出来る機会があるみたいですよ」
これは買いですねとウインクをしながら銀細工を前に差し出すサトゥルナリアの動きに沸き立つ観衆。
正直に言えば観衆達もあの銀細工がなんなのかよくわかっていない。新聞を買って読んだかもしれないがあまり印象には残っていない、周りの人たちが噂話しているのは聞いていたがイマイチ覚えていない。だがサトゥルナリアが認めたのならそれは凄いものなのだろう。
誰もが認めるサトゥルナリアのが認めた銀細工は、これもまた認められる。エトワール屈指の美的センスを持つ彼が褒めたのなら、それは美しいのだろう。曖昧だった認識に付加価値が足されていく、漠然とした情報が確たる物になっていく。
───この日、銀細工は世界中で確認された。アルクカースではラグナ大王が『戦に赴く戦士達の闘争心を高揚させる物』として高価な装飾を紹介した。その時手に握られていたのがメルティーの銀細工だった。
魔術学会に出席し一般の魔術師達に公開討論を行うデティフローアの胸元にこれ見よがしに輝いていたのがメルティーの銀細工だった。
コルスコルピでは賢王イオが珍しく自らを着飾り、その際メルティーの銀細工を身につけて見せた。
帝国では何処からともなくメルティーの銀細工の噂が流され、一時マルミドワズはメルティーの銀細工の話題で持ちきりになった。
これもまた宣伝、そしてそれが価値ある物であるという刷り込み。認められる立場にある者が身につけて褒める、それだけで民衆の中でメルティーの銀細工は『得体の知れない装飾品』から『一端の高級品』になった。
存在を知らしめ、価値を知らしめた、そして品薄である事を強調し限定で一品だけショーコンに出品するという情報を可能な限り広めて回る…そうすればどうなるか。
決まっている、欲しくなる…欲しくて欲しくてたまらない者が必ず現れる。例え百人中一人しか欲しがらなくとも構わない、だったら千人に知らせ欲しがる者を十人にする、万人に知らせて百人にする、億人に知らせ万人にする。
それが宣伝なのだ。
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「やったぁーっ!くじが当たった!俺だ!俺が買う!金貨百枚!私財叩いて持ってきた!」
「あいよ〜、毎度あ〜り」
「な…ぁ…ぁっ!?」
カルロスは愕然とする、メルクリウスの宣伝によって世界中に知らしめ三日で高級品へと変貌した銀細工に人が集まり皆が欲しがり全く躊躇なく金貨を支払う様を見て愕然として膝を突く。
一体なにが起こっているんだと彼は心の底から打ち震える。こんなのあり得る訳ないと頭を抱える。だが変えようのない事実として今…目の前で銀細工が売れた、金貨百枚で売れてしまった。
「あー!最悪!折角ここまで来たのに手に入らないとか…流石超高級ブランド」
「知ってるか?あの銀細工は実は魔女様が作った物らしいぜ」
「私が聞いた話だと手に入れるだけで凡ゆる事業で成功するって」
「あれを手に入れればどんな戦にも勝てると聞いていたのに…口惜しい」
「あ、あいつらは…なにを言っているんだ。あれは…うちで売ってる銀細工と同じ物だぞ…作ったのは俺だ、手に入れるだけで戦いに勝てるわけでも成功するわけでもないのに…なに言ってるんだ」
広められた不確かな情報は、多数の人々を経由する間に想像やホラ話が追加され勝手に大きな物になっていく。都市伝説の形成過程とでも言おうか…それが事実であるかどうかではなく、人々の間ではそういうことになっている。
実際は超高級ブランドどころか潰れかけのアクセサリー店の銀細工だ。魔女が作ったのではなくカルロスが作ったのだ。手に入れたら成功するどころか今絶賛カルロスは崖っぷちだ。
なのに、嬉々としてありもしない事を言っている客に…カルロスは怒りを覚える。あいつらは何にもわかっていない…物の価値が!
「おい!お前らッッ!!」
「あん?なんだよおっさん」
銀細工を手に入れられず落ち込んで帰ろうとする客達に向け怒鳴り声をあげ引き留めるカルロスは食ってかかるように詰め寄り。
「銀細工ならここにもあるぞ!それもたくさん!同じものだろ!」
「銀細工…?あ、ほんとだ」
「気が付かなかった…、ってかこれ…メルティーの銀細工と同じ形じゃない?」
「当たり前だ!値段だってこっちの方がずっと安い!ならこっちの方がいいだろう!」
「んー…」
すると何人かの客が興味を示して店先にやってきて、並べられた銀細工とその値段を交互に見て…ふと、口を開く。
「ってかこれ、メルティーの銀細工の偽物じゃね?」
「は……?」
偽物もなにも…同じ物だ。なのに客達は皆並べられた銀細工を見て苦笑いを浮かべる。
「だって本物のメルティーの銀細工がこんな安いわけないじゃん。むしろ安過ぎというか…こうも安いとなんか怪しいっていうか」
「本物のメルティーの銀細工とは全然違うよ。本物はもっと洗練されたデザインで銀も良質な物だから輝きも違う。これはなんだか色褪せているように見えるし…銀じゃなくて真鍮か何かで作ってるんじゃないか?」
「そうそう、形もこんな変じゃないし。売るならもっと似せて偽物作った方がいいんじゃない?」
「ともかくこんな安い偽物には興味ない、こんなのつけてたら寧ろ笑われるよ」
「安い…偽物って…」
安くて怪しい、本物とは輝きが違う、安物に興味がない…そう言い残し客達は残らず興味を失い立ち去っていく。その背中を呆然と眺めることしか出来なかったカルロスは膝から崩れ落ちる。
「なんだそれ…なんなんだよそれ、安い方がいいって…言ってたじゃないか!なんで今になって高い方がいいって…そんな!こんな!」
「分かったか?これが…『価値』だよ、カルロス」
「っ…お前!」
振り向いた先にいたのは、メルクだった。腕を組み難しい顔でカルロスを見下ろす。その様に怒りを覚えることさえできずがっくりと項垂れる。まさかここまで完敗するとは…あり得ない筈の事が起こってしまった。
「君は、自分の商品を安売りしすぎていたんだ。確かに安く買えればそれで満足するものは居る、だが同時に価値とは信用であり…それそのものもなのだから」
「何故だ…何故、俺のは売れずにお前のばかり…それも金貨百枚で!」
「決まっている。…そういう物なんだよ、価値とは人の見る目によって変わる。この銀細工を作る為にかかった費用や、作る為の労力や、売っている者の気持ちなんてのは、大多数の購入者達にとってはどうでも良い事なんだ。人が価値ある物として判断するかどうか…それだけなんだ」
メルクリウスは語る。事実として銀細工は金貨百枚で売っても文句を言われないだけの価値はあった。だが下手に安売りをし過ぎた、店を移し過ぎた、店構えが悪過ぎた、それによって人々は『こんな名も知らない汚い店で売られている安物に価値はない』と判断してしまう。
たったそれだけで、どんな高価な物でも売れなくなる。
「逆に、名が知られていて、ある程度清潔で、高価な物。というだけで人は金を出すに足る物として判断する。だから売れる…そういう事なんだよ」
「だが俺が…少し値段を高くしても全く売れなかった!お前の言うことが正しいなら俺はここまで落ちぶれていない!」
「当たり前だ、お前は職人だろう。職人は価値なき物に価値を生み出す者の事…そしてそうやって生まれた価値に値段をつけるのが我々商人だ。価値を決めるのは売る側なんだよ…その私が金貨百枚と言ったならこれは金貨百枚の価値になる。あとは相応の売り方だな」
「…っ……」
「お前は何処まで行っても職人なんだ。物の価値に囚われ過ぎた…な」
価値とは絶対な物ではない、ただ売り方ひとつによって簡単に左右される物。タダにもなれば高価にもなる、そんな物を絶対視しても意味がない。それをまざまざと目の前で見せつけられたカルロスにはもう…反論する余地など何処にも残されていなかった。
完璧な敗北を、叩きつけられたのだから。
…………………………………………………………
驚きでした、エリスが何かをするまでもなく銀細工は多数の人達に求められ呆気なく売れてしまった。メルクさん曰く『事前に新聞を使って世界中に広告し、ナリア達を使って高価である事を喧伝し、今日ここで売られることも周知させた』結果なのだと言う。
メグさんに連絡を取り、銀細工を世界各地の知人に渡し宣伝を終えると共にまた別の国に持って行って宣伝をしてもらい、またそれを回収し別の国に。たった一つしかない銀細工を世界中に持っていきとにかく宣伝しまくり、特別さを演出した。
限定一品だからみんなこぞって買いに来る。それがどれだけ高くても一瞬の躊躇で買えなくなるなら迷いすら生まれない。
莫大な資金を投じて宣伝する、膨大なコネを使って認知させる。これによってメルクさんは銀貨十枚で買った銀細工を金貨百枚で売ると言う大黒字を達成した、だが同時に消費した所謂宣伝費は単純計算で金貨七千五百枚、結果収益は金貨七千四百枚の大赤字…。
こんな馬鹿な売り方が出来るのはメルクさんくらいなもんだ。他の人がやったらただの赤字で終わる…いや実際赤字なんだけど、メルクさんからしてみれば大した損害ではないのだ。それこそ…道端の子供を救うのに軽くくれてやれるくらいの額でしかないのだ。
天晴れな勝ち具合だった、あのカルロスさんが全くなにも言えないくらい…完璧な勝ち方だった。
いや、そもそも憂慮する事などなにもなかったかもしれない。何せここにいるのはメルクリウス…世界一の大金持ちにして世界最大の商業グループの頭取。それが金貨百枚で売ると言ったら売れるんだ。そう言う物なんだ…。
「さて、約束は守ってもらおうか」
「………」
そして約束は約束。メルクさんが金貨百枚で売ったらカルロスさんは店を畳むと言う約束。だが所詮は口約束、ここで反故にすることも出来る。
…だが。
「………分かった」
折れている、心が。ここでジタバタ暴れて商売を続ける気になんてなれない。だって客にあんなこと言われちゃったんだから。
偽物と言われたのが応えたんじゃない。結局カルロスさんがどれだけ努力しても客にとっての価値なんていくらでも変わってしまうと言う事実を目の前で告げられたから。彼がどれだけ努力しても銀細工は銀貨一枚の価値にだってなってしまうんだから…真面目になんてやってられないだろう。
「あなた…!」
「お父さん…!」
「俺は…馬鹿だった、安ければ安いほどいいと…その方が売れると思っていたから、それで売れないなら俺の銀細工は売れないのだと…思っていた。なのに、客に言われた価値を鵜呑みにして…なんて馬鹿だったんだ、自分で作った作品の価値を自分で貶めていたなんて」
「…我々は売る側、客は買う側。買う側が値段にケチをつける権利はない、売る側がこの値段で売ると言った以上存在する選択肢は買うか買わないかだけだ。売る側が譲歩する道はない」
「ああ…その通りだな…、そんな事も分からない俺に、これ以上看板を掲げる資格はないのかもしれない。もう…やめるよ」
「カルロスさん…」
これで、解決なのかな?確かにこれでカルロスさんは看板を下ろした。だがエリス達はリーバイ君の暮らしを少しでも良い物にしてあげようとしていたんじゃないのか?
したり顔で説教して、相手叩きのめして、それで満足するような人なのか?メルクさんは…。
「ではお前達は今日から無職だな、どうやって生きていく?ん?アテでもあるか?」
「いや…、ない…」
「…そうか、ならば」
いや違う。彼女はそんな安い女ではない。彼女は言った…『こうしなければならない』と、ただ賭けに勝つだけではダメだと、ただ勝利するだけならなんとでも出来たのにこんな大損害を被ってでも彼女は『この勝ち方』に拘った。
ならその先にある展望は…。
「私のところで働け、再び君達を勧誘しよう…」
そう言うなりメルクさんは懐から一枚の紙を取り出す。そう、それは最初から言っていた事、彼等を…カルロスさんを誘う。それこそが彼等に対する『助け』であるとメルクさんは信じているから。
「勧誘…だが俺達は」
「カルロス、君個人を私で雇用する。店が無いのなら私が新しい物を用意する…、もっと立派で綺麗で格があって、君の作品に似合う気品のある店を」
「そ、そんな事出来るのか…、店一つ用意するなんて簡単に」
「出来るさ、何せ私は…」
取り出した紙を、彼に手渡す。するとカルロスの顔色が変わりワナワナと震え…。
「ま、マーキュリーズ・ギルドのマスター…メルクリウス・ヒュドラルギュルム!?デルセクトの同盟首長様!?メルクって…メルクリウスの!?」
「ああそうだ、悪いな。隠していた」
「そんな…じゃあ最初から勝てるわけないじゃないか!こんな、格が違い過ぎる」
「ああそうだ、私は君達に勝たせるつもりはなく逃すつもりもなかった。何故なら…私は君が欲しい、カルロス」
「なっ…!」
「君の作る銀細工はこんな安売りしていい物じゃない、どれだけ私が宣伝しようとも元々価値のない物に金貨百枚分の値段はつけられない。それで売れたのは君の銀細工には元々金貨百枚分の素養があったからさ」
「そんな…そんな…」
「だから私の所に来い、店は用意する。バックアップもする。それとも…今の店に未練があるか?」
「…………」
カルロスさんは振り向く、そこには使い古してボロボロになったテントと汚れに塗れた家族の姿。痩せ細り肌の色の悪い妻と潤んだ目で父を見るリーバイ君の姿。それを見たカルロスは…フッと肩の力を抜き。
「いえ、…どうか。よろしくお願いします、メルクリウス様」
「決まりだな、君の工房は私が用意する。必要な道具があれば係の者に言いつけるように、店を何処に出したいと言う要望はあるか?」
「い、いえなにも…」
「そうか、なら今から販売員を手配する。歴戦のベテラン商人だ…きっと君の作る銀細工の価値を理解して良くしてくれるだろう」
「あ、あの…」
「君達家族の面倒はマーキュリーズ・ギルドで見る、勿論家も用意しよう、差し当たって今回の売り上げの金貨百枚も渡すから当面の生活費にするといい」
「あの!なんでそこまでよくしてくれるんですか!?ただの善意で…なんでそこまで助けてくれるんですか!?」
「ただの…善意?」
キョトンとメルクさんは目を見開く、ただの善意?違う。確かにカルロスさん達を救うにはギルドに誘うのが一番だが、彼女は最初から素養のない店を勧誘する気はなかった。だからただの善意ってわけでもない。
それに加え、メルクさんはニッと笑いカルロスさんの肩を引き寄せ。
「ただの善意でここまでするわけがないだろう」
「え……」
「私はな、手に入れたんだよ。メルティーショップとメルティーの銀細工…世界中に名が知れた超高級アクセサリーのブランドを、この評価はまだ虚栄の物かもしれない。だが君がいればこれを紛れもない真実に出来るんだ、これによる収益は莫大なものになる」
「莫大な収益…」
「ああ、利益は凄まじいものになるだろう。それを作れる君達を私がみすみす逃すわけがない、君は私達と一緒に世界一の銀細工職人になるしかないんだよ」
「そんな…そんなことが俺に出来るのか…」
「する、してみせる。言っただろう?売るのは商人だ、君の作った物を誰もが認める最高級品として売ってみせるさ」
「…ッ、ありがとう…こんな、頑固な親父まで拾い上げてくれて」
「構わん、仕事が出来る奴には仕事を任せる。私の流儀だ」
カルロスさんがいれば今回作り上げた『メルティーの銀細工』を量産出来る。それをメルクさんが抱える商人達による最強のプロデュース術で売り出せば、嘘が真になる。今日金貨百枚で銀細工を買った彼が『騙された形』にはしない。彼が望んだ最高の商品にするのだ。
だから家族諸共抱え込む。いい暮らしをさせて、美味しいご飯を食べさせて、幸せという名の檻に入れる。それがメルクさんのやり方なのだ。
「よし、ではもういいな。もう既に自宅の手配はしてある、早速新居に移るといい。ほら、今回の売上だ」
「いっ!?金貨百枚…」
「君の商品だろ、私はあれを預かっただけだ」
「ッ…あ、ありがとうございます、必ず…ご期待に応えてみせます」
「ああ、信じてる」
もうこのテントには用はない。カルロスさん達はこれから新しい家に移り、新しい工房で作業に没頭し、銀細工を高級品として売っていく。当然収益は今までの比じゃなくなるだろう、リーバイ君ももう盗みを働く事もないだろう。
これからは家族で、幸せに生きていくのだ。それを予感しているからこそカルロスさん達一家はエリス達にお礼を言ってメルクさんの部下に連れられその場を立ち去り……。
「お姉さーん!!」
「ん?」
ふと、両親に手を引かれるリーバイ君はこちらを見て、笑顔で手を振り。
「ありがとー!!!」
「…フッ、ああ」
それにメルクさんも親指を立てて答える。エリスも手を振る、エリスは本当に何にもしてないですけどね!
「ふぅ、これで解決だな」
「流石ですメルクさん、完璧に解決しましたね」
「彼等には救われる素養があった。カルロスもあんな状況に陥っても決して腐らず腕を磨き続けたから…ここに来ることが出来たんだ」
「なるほど、それにしたってもメルクさんの手口も鮮やかでしたよ。三日…いえ、実質二日でここまでの事をするなんて」
「まぁ、手本があったからな」
「手本?ああ、フォーマルハウト様ですか?」
「………」
フォーマルハウト様…じゃあなさそうだな、この口を注ぐんで目を逸らす感じ。しかし誰だろう、メルクさん程の人が手本にするフォーマルハウト様以外の人なんて。
でも考えてみればフォーマルハウト様が商売をしているってイメージはあんまりないな。あの人は生まれながらにしての貴族的な風格を感じるし、ならメルクさんの商業に関する知識や行動は別の人間から学んだ物…ってことになるのかな。
じゃあ、誰だ…分からん。まぁエリスもメルクさんの交友関係を全て知ってるわけでもないし、考えても仕方ないか。
「さて、色々と済んだことだし一旦ホテルに戻って休息を取るとしようか。まだショーコンは続くわけだしな、明日には盛大に花火が打ち上げられてフィナーレを飾る予定だ。それまで楽しむとしよう」
「いいですね!花火!エリス花火大好きです!」
「僕も〜!聖夜祭を思い出しますよ〜!」
「ねぇーねぇー、私もう店番やめていいの〜?ってか神将に店番させるとか凄いことしてるからね、みんな」
ともかくこれで一件落着、問題が解決したなら後はショーコンを楽しむだけだ。既にメルティーショップは畳まれカルロスさん達もいない。ならもうホテルに戻ってもいいだろう。
「助かったよオケアノス。みんな先にホテルに戻っていてくれないか?」
「へ?なんでですか?」
「やる事があるんだ。何、すぐ終わる」
「そうですか…、分かりました。じゃあ先に戻ってますね!」
何かやる事がある、と言われれば受け入れるより他ない。多分なんかこう…商売的なアレだろう、エリスにはその手の知識がないから深入りはできない。なのでナリアさんとオケアノスさんを連れて一旦ホテルに戻る事にする。
きっとメルクさんも直ぐに戻ってきてくれるだろう。
…………………………………………………
「…エリス達は、行ったか」
軽く手を振って通りを抜けてホテルに向かって行くエリス達を眺め、一息吐く。さて、では最後にやり残した事をし終えるとしよう。
「……………」
既にメルティーショップの撤収は終わっている。カルロス達が残したテントもいずれ回収される。全ての手配は終えている。
今回の一件に協力してくれたメグにはまた後日お礼をするとして…後は。
「どうでしたか、私の手並みは」
振り向く。私を…いやこの一件をずっと見守っていた人物に。
私が見る視線の先、そこに居るのは。
「……ふむ」
黒髪の女性だ、このアルガーリータに来た時見かけたセレブがサングラス越しに私を見て値踏みするように腕を組む。背後に立つスーツの女もサングラスを輝かせセレブの言動を待つ。
この女は、私達がこのアルガーリータに来てからずっと私達を監視していた。ずっと観察するように遠くから見続けていた。私達がカルロス達の問題を解決するのも…いや或いは。
「私の手並みを見るために、リーバイに盗みをさせるよう促したのですよね」
「…ほう?」
そもそもリーバイがパン屋に盗みに入ろうとしたのもこの女の仕業だ。だっておかしいだろう?リーバイ達が店を構えているのは街の端、そしてパン屋などの飲食店が固まっているのは街の中央。それなのにリーバイは『いい匂いがしたから』と言っていた。
どうして街の端に置いてあるテントの中に、パンの匂いが漂ってくる。事実こうして私は今街の端にいるがパンの匂いなどしない。なら誰かがパンの匂いを魔術を使って運んだとしか思えない。
何者かの意図が感じられた瞬間から、私は彼女の関与を確信していた。
「だから、救ったと?」
「いえ、私は貴方が見ていたから助けたのではありません。私は私がすべきと感じた事をやっただけ、それに…そもそも救う事を期待していたのではなく私がどんな行動を取るかを観察していたんでしょう?」
そう、彼女は私がどうするかを観察したかった。態々回りくどい事をして…そんな事をする人なんて、一人もいない。
「そうなんですよね、マスター…」
「…お忍びの変装をしていたつもりでしたが、気がつかれていましたか」
そう問いかけるなり彼女は…いや、私のマスター…栄光の魔女フォーマルハウト様は自らの髪を軽く撫でる。と同時に髪の色が変わりいつもの黄金の髪となり腰の辺りまで伸び切る。
錬金術を使って見た目を変えていたのだろう。エリスでさえ初見では気がつけないほど完璧な変装だったが、私がマスターを見間違えるはずがない…うん、見間違えるはずがない。なんかクルセイド領で一回見間違えた事があった気がするが、気のせいとしよう。
「マスター、まさかこの街にマスターが居るとは」
「それはこちらのセリフですわ、まさかアルガーリータに顔を出すだなんて。予想外でした」
「ということは…」
「ええ、完全なオフですわ。同盟首長をやっている頃はこんな風に気楽にショッピングなんて出来ませんでしたからね」
「プライベートで魔女様がショッピングとは…」
「あら?文句がありまして?キチンと護衛をつけているから大丈夫ですわ。ねぇ?グロリアーナ」
「はい、まぁ…フォーマルハウト様に限っては私の護衛など必要ないでしょうが。それでも私はフォーマルハウト様の剣故、お供させて頂ける幸福に感謝するばかりです」
マスターの背後に立つ黒髪スーツの女性がサングラスを取る。その内側から現れるのはよく見知った顔、デルセクト国家連合軍総司令官にしてアド・アストラ連合軍の最高幹部、私の憧れの人…グロリアーナ・オブシディアンだ。
いつもは金色の鎧を着てるからギャップが凄いが…、どうやらフォーマルハウト様のショッピングに付き合って荷物持ちをしてくれていたようだ。
「それにしても、随分派手な解決の仕方をしましたわね。世界中に宣伝して客を集めるなんて、まるでアルクみたいな豪快な策。見ていて笑えましたわ」
「お恥ずかしい限りです…、ですが私はあれがベストだと感じました」
「ならそれが正しいのでしょう。結果として家族は救われた…私が想定していた中でも最高のエンディングですわ」
「お褒め頂き、光栄です」
こんな悪戯にも等しい試練を唐突に与えてくるとは、しかしそのおかげで私はカルロスと言う職人を取りこぼさずに済んだ。いや、あるいはもっと多くを見渡せと言うメッセージでもあるのだろう。これからは埋もれている職人達の発掘にも従事するとしよう。
「それに、…かっこよかったですわ。子供を助ける貴方の姿は」
「えっ…」
「ですね?グロリアーナ」
「はい、…立派でした。メルクリウス様」
「や、やめてくださいグロリアーナ司令。私はまだ…貴方に見上げられるのに慣れていない」
私があの場で正しいと思える動きが出来たのは、グロリアーナ司令が私を助けてくれたからだ。昔とは違って私はグロリアーナ司令よりも上の地位にいる、だが今も変わらず私にとって憧れの人はグロリアーナ司令なのだから。
そう伝えるとグロリアーナ司令は困ったようにはにかみ静かに頷く。
「ともあれ、抜き打ち試験は合格ですわ。貴方が金をどう使うのかをしかと見させて頂きました」
「光栄です」
「……ふふふ、やはり貴方にわたくしの『次』を任せてよかった」
するとマスターは私の手を取って…。
「メルクリウス、良い世を作りなさい。貴方は今新たな世の入り口に立っているのです」
「…新たな世…」
「そう、…カメラや新聞、それ以外にも数多くの文明の利器が生まれ始めている。本当だったならもう何千年も前に生まれていて然るべき道具達でした。我々が人類の技術抑制を行わなければ、人類は今頃想像も出来ない程に繁栄していたでしょう」
「そんな事言わないでください、今の秩序があるのは魔女様達のおかげなんですから」
「…さぁ、どうでしょう。わたくし達はただ恐れていただけでそれが秩序の為だったのか、今となっては分からない。ただわたくしは怖かった、レーヴァテイン亡き世にレーヴァテインが望んだ世界が生まれる事を」
「碩学姫ですね、科学技術を拓いたと言う八千年前の」
「ええ、一時は争いましたが。最後はシリウスを前に手を取り合い協力しあった…友でした。ですが同時に彼女の作る技術は恐ろしかった…なんせ技術一つで魔女と同程度の存在を造る事さえ可能としたのですから」
「ま、魔女と同等!?」
…いや、考えられない話ではない。魔術の最奥が『魔女』であるなら科学技術の最奥にも『魔女』に似た存在はいてもおかしくない。だが問題はそれを使えばいくらでも魔女を作れてしまう事だ。
「もし、世界の技術が進歩してまたあの技術が復活して。私達と同程度の力を持った存在が無数に現れれば…今度こそ世界は終わる。そう思えば技術は封じるより他なかった」
「………………」
「ですが、それは飽くまで私達の価値観。八千年前の化石同然の人間の考え方。…新たな世は今を生きる人間にのみよって拓かれるべきなのです、だから…」
すると再びマスターは私の手をギュッと握り…。
「良い世を作りなさい。今回のように弱き者を掬い上げ続ければきっとそれが出来ます、だから今日貴方が見せた思いやりをどうか忘れぬよう」
「…はい、マスター」
「結構、貴方達の旅が終わり次第わたくし達の修行も終わりを告げる。その時は今度こそ私達も完全に隠匿するつもりです、それまでにもっと強くなっておきなさい」
「…肝に銘じます」
…アド・アストラの理念は『魔女の力に頼らぬ治世』だ。だが今それを完全に遂行できているかと言えば怪しいもので…。
事実、マレフィカルムへの抑止力として第一に働いているのは魔女様の存在であり。今、魔女大国が豊かなのは魔女様達の加護があるから。加護がなければアジメクは砂漠になるしポルデューク大陸は全域が極寒となる。
それを乗り切れるだけの力を、今の人類は持っていない。私達はまだそれを人類に与えられていない。
魔女様達がいなくても、やっていけるだけの力を持つこと。それが急務なのだ、例え今の技術が危険なものであっても。
「さぁ友の元へ向かいなさいメルクリウス。貴方を待っている人の所へ」
「はい、ありがとうございます、マスター」
「ふふふ、ええ」
礼を告げる、今もなお私を見守ってくれている師へ。そして、その師が太平の世を望むなら…それを作り出すのが、我ら弟子の役目なのだ。
例えどれだけ険しい道のりでも、進んでいこうじゃないか。八人の弟子で。




