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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十五章 メイドのメグの冥土の土産
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477.魔女の弟子とショーコン


「うぉーっ!すげー!すげー早い!なにこれー!」


ガタガタと車輪がレールを弾く音と共に草原を駆け抜ける鉄の龍…機関車のスピードを窓から顔を出して体感するオケアノスさんは嬉しそうに吠えている。


エリス達は今、デルセクトにいます。マレウスで行われるエルドラド会談への出席の準備を整えるため一時的な帰国が許されたエリス達はメルクさんと共に旅の疲れを癒す為遊興の旅行へ出た。


ついでに付いて来たオケアノスさんを楽しませる、と言う名目も引っ提げて今デルセクトで開催されているデルセクト・ショー・コンテストへ向かう為にこうして久しぶりにデルセクトの機関車に乗っているのだ。


「あまり顔を出すと危ないぞ、オケアノス」


「凄いよこれ!馬が引いてないのに走ってる!どう言う原理なの!?アド・アストラの技術力はすんごいねぇ!」


「ふふん、だろう?なんせ世界一の産業国家デルセクトだ。他の追随など許さんさ」


エリス達はみんなで機関車の一等席…と言う名の個室を借りてそこでショーコンが開催される白光の国『マルガリタリ』行きの列車の中、車内販売の軽食を食べる。前乗った時はこんなのなかったのに、どうやらメルクさんが鉄道事業を掌握した時に販売させるようにしたらしい。


「僕も初めて乗りましたよ、これが機関車っていうんですね」


「びっくりですよね、世界でもデルセクトにしかない優れものです」


「エリスさんは乗ったことあるんですか?」


「はい、デルセクトを旅した時何度か」


隣に座るナリアさんと一緒に軽くサンドイッチを食べつつ、エリスはあの時の事を思い出す。メルクさんとデルセクト中を駆け回り違法薬物の元締めだったヘットやソニアを追う日々を過ごしたものだ。懐かしいなぁ。


「でもさ、なんでこの…機関車?で移動するの?」


するとオケアノスさんは窓から顔を引き抜き椅子に座ると共に自分の分のサンドイッチを頬張りそう言うのだ、なぜ機関車に乗るのかと。


「そんなもの決まってるだろう、開催地のマルガリタリにはこれでいくしかないからだ」


「でもデルセクトに来るのにはあのワープのやつ使ったよね、あれでそのマルガリタリには行けないの?」


む、オケアノスさんいい所に目をつけますね。言われてエリスも今気が付きましたよ、態々機関車に乗らなくても転移魔力機構で一瞬で行けるのに。


そう聞かれたメルクさんは軽く微笑み。


「転移魔力機構は入り口と出口が無ければ作動しない、マルガリタリにはその出口となる魔力機構がないからな、あそこにはワープは出来ん」


「へぇ、そうなんだ」


「そもそもデルセクト全体に配置されている民間利用が可能な転移魔力機構の数そのものが少ないんだ、文句を言うな」


「じゃあ設置すればよくない?設置出来ないの?」


「……それはな」


すると、メルクさんはやや難しい顔をして窓から外の景色を眺めて…。


「転移魔力機構を配置すると、誰も機関車に乗らなくなって鉄道会社が潰れるからだ」


「あぁ…なるほど」


「安価な上移動も手早い転移魔力機構は交通という概念をひっくり返す代物だ。折角多額の資金を投じて作り上げた鉄道設備が無駄になりなかねないからな、だから私は私が主催するイベントは全てデルセクト内で行い、なるべく人が機関車を利用するよう仕向けている…そうしなければ設備投資分も回収出来んからな」


ショーコン開催もある意味その一環だとメルクさんは語る。確かに転移魔力機構があれば機関車は必要ない、事実帝国はこの手の移動用の魔装が全く開発されていないくらいには全ての移動は転移魔力機構で賄える。


だがそれで『じゃあ機関車事業を潰します』とはいかないくらいデルセクトの各地にはレールが敷き詰められている。いずれは世界中にレールを通す事を目的にしていたデルセクトだったがまさかアド・アストラが出来て世界中に転移魔力機構が設置されるとは思っても見なかったのだろう。


「まぁ、それでも…いずれはこの機関車も時代遅れの産物になるのだろうがな」


「そう?私はパッと移動するよりも、こう言う風に景色を眺めながら無駄話が出来る移動の方が好きだよ?転移じゃこう言う空きの時間ができないからね。こう言うのが好きな人がいる限り誰からも必要とされる事はないかもよ」


「む、確かにそれもそうだな…。ある意味そこが転移に勝る点か…、君は良い事を言うな」


「えへへ!」


メグさんも似たような事を言っていたな、移動とは手間であると同時に大切な時間でもある。なんでもかんでもショートカットすれば良いというものではないのだろう。


「にしても、さっきのカメラもそうですけど…なんか急に世界が変わり始めてる感じがしますね」


ふと、ナリアさんが口にするのは時に移ろいに関する話題。なんせだったの数年でここまで世界が変わってしまったのだ、停滞していた大きな流れが変わっている…それを肌で感じるんだ。


「まぁな、今は産業革命の時代だ。魔女様達が意図的に抑えていた技術抑制がなくなって、積み重ねられていた知識の累積が一気に爆発して、多くのものが作り上げられている」


「技術抑制…新たな技術系統の中からシリウスのような恐ろしい存在が現れるのを防ぐ為、でしたっけ」


「ああ、私も今この産業革命の時代の中心にいるからこそ分かるよ、人の発展には際限がない。まるで止めどなく注がれる水のように積み重なっていく、その技術の山を…いずれこの星では受け止められなくなる日が来るのではないかと、恐ろしく思う事もあるよ」


魔女様達は新たなるシリウスの誕生を恐れ技術の抑制を行っていた。今だからこそ思える事だがそれは『シリウス』そのものではなく碩学姫と称えられたレーヴァテイン姫…科学技術側のシリウスとまで呼ばれた彼女のような存在の誕生を恐れていたのかもしれない。


師匠達はレーヴァテイン姫の作る科学兵器と戦っていた、その恐ろしさを誰よりも身に染みて分かっている人達だ。だから技術が進化して『新たな技術系統』が誕生したならば…その新たな技術系統の中からシリウスやレーヴァテイン姫のような卓越した存在が現れる可能性もあると思ったのだろう。


だからこその技術抑制だった、八千年間新技術の誕生を堰き止めた。が…それを取り止めエリス達に任せたのは…まぁ、そう言う事だろう。


「新しい技術が生まれて、その中からシリウスのような世界を破滅させるような存在が現れた時は…エリス達が世界を守るべきなのかもしれませんね」


「そうだな、私達に技術の進化を任せるから…私達が世界を守れ、そう言うメッセージと私は受け取っている」


するとメルクさんは窓の外を眺め。窓辺に手を突き…険しい顔で何処かを眺める。外に何かあるわけじゃない、彼女が見ているのは空の向こう…同じ空の下にいる、誰かを思っているんだ。


「シリウス…レーヴァテイン…、別の技術を扱う者ではあるが、同時に驚異的なまでの天才だ。そしてもう一人…シリウスやレーヴァテインに続く天才が、この時代に居る…それは運命なのか、定めなのか…」


「奴?誰ですか?」


と、ナリアさんは聞いてくる。オケアノスさんに至ってはもう話すら聞いてない。だがエリスは分かる、シリウスやレーヴァテインに続くもう一人の天才。


…ソニアだ。奴は間違いなく天才だ、銃を扱う天才であると同時に兵器を作り出す天才。今デルセクトを列強としての確たる地位を築かせている『銃火器』の殆どはソニアが作り上げた物だ。


そしてそんなソニアは今マレウスにいる。これは恐るべき事だよ…、だって今この世界の最先端は『魔力機構』と『蒸気機関』だ。そしてソニアはこの二つを…魔術と科学を掛け合わせ『魔蒸機関』なる新技術を作り上げている。


もし奴が、シリウスやレーヴァテインのようになるならば。或いは大いなる厄災の種になるかもしれないんだから、危ないよ。


「…いつまでも、奴から逃げているべきではないのかもしれないな、エリス」


「はい、今は無理でも…奴が何かをする前に止めるべきです。アイツはシャバに居るには危険すぎる」


「その通りだ」


「…?、誰のことですか?教えてくださいよー!」


「またいつか話す。それより荷物を纏めろ。そろそろマルガリタリに着くぞ」


「え?もう!?まだご飯食べ切ってない!」


「早くしろ」


技術の進歩による暮らしの安定化。日々便利になる生活と想像も出来ないような技術の進化に胸を躍らせるには、エリス達は世界の最前線に立ち過ぎている。技術が進化し続けるなら、その技術が世界に牙をむかないように戦うのがエリス達の役目なのだから。


エリスは机の下に置いた鞄を持ち上げ列車から降りる支度を始める。


………………………………………………………………………


白光の国『マルガリタリ』。デルセクト同盟諸国の中では比較的古い歴史を持ちかつては五大王族を務めた事もある同盟内に於ける列強国の一角。


ただまぁ、少し前にソニアとクリソベリア王国によって五大王族の座を引き摺り下ろされる憂き目を見て、一時は凋落したとも言われた悲しき国だ。しかしそのソニアが倒れ、クリソベリア王国が五大王族の座から摘み出された事で再び五大王族の座に返り咲けたとの事。


しかも、その五大王族再就任を任じたのが…。


「嗚呼!またお会い出来て嬉しいです!メルクリウス様ッ!」


「久しいな、ペルラ。元気にしていたか?」


「メルクリウス様のお陰で!」


エリス達がマルガリタリ王国の中央都市『アルガーリータ』に到着するなり、改札の向こうから桃白の髪をした美青年がもう満面の笑みで寄ってきてメルクさんの手を取り頭を下げ始めたのだ。


この青年、着ている服がどう見ても王族のそれ。マルガリタリ王国の紋章の刻まれたマントに美麗な服。もしかして…。


「あの、メルクさん?この人は?」


「ああ、彼はペルラ・マルガリタリ。私がソニアの後任の五大王族に任命した男だ」


そう、メルクさんが二代目同盟首長に就任されてから初めて行った大仕事。それがマルガリタリ王国の五大王族任命だ。つまりこのペルラという青年はメルクさんによって再び五大王族に任命してもらった立場にあるのだ。


まさしく大恩ある相手。ペルラさんもメルクさんに頭が上がらないのか態々王様が駅にまで迎えに来てるよ…、仮にも五大王族なのに、立場的にはセレドナさんやザカライアさんと同じくらいなのに。


「君にも紹介しよう、彼女達は私の友人。前に話したよな?エリスとナリアと…オケアノスだ」


「か、彼女達がメルクリウス様のご友人であるエリス様とナリア様ですか!?オケアノス様の話はあまり伺った覚えがないですが…会えて嬉しゅうございます!」


「え?あ…はい」


するとペルラさんはエリスの手を握ってペコペコと頭を下げ始める。しかしこの人若いな…エリスより歳下なんじゃないか?背も低いし。あー…そういえばあれか、最近のブームなんだよね、若い国王を玉座に座らせるの。


先代魔術導皇の早逝によりデティが玉座に座り、継承戦によりラグナが玉座に座り…。そこから始まった若き王を玉座に据えるブーム。世界の中心たる魔女大国の国王と少しでも同年代の王を据え魔女大国に取り入ろうとした小国達がこぞって若い王様に玉座を譲りはじめたんだ。


確かヘレナさんもそれで玉座に座ってるし、レナードさんもその煽りを受けたはず。ザカライアさんは…父親の早逝だったな。


この人も、多分それ系だろう。若き同盟首長に取り入る為、若いのに無理矢理玉座に座らされた口だ。


「…あの、何か?」


「あ、いえ」


すると顔をマジマジと見つめられたペルラさんがキョトンとエリスを見て苦笑いする。あんまり見つめ過ぎたか、にしても顔綺麗だなぁ、肌が真珠みたいだし…この人こそ新聞の表紙にすりゃいいのに。


「朋友たるナリア様も!お会い出来て嬉しいです。以前デルセクトで行われた講演!見させて頂きました」


「いえいえ〜、ありがとうございます〜」


そしてナリアさんはこれまた流れるような動きで握手を受け止める。流石はスター、慣れてるな。


「いきなり悪いな、ペルラ。急に来るなどと言って」


「いえいえ!メルクリウス様には大恩がございますから!凋落しかけていた我が国を拾い上げ、まだ未熟だった私をあれやこれやとサポートして頂いて。この恩は一生のモノ!メルクリウス様がいらっしゃるなら国の入り口で出迎えるのが当然です!」


と彼は言っているが、どう見てもそれだけじゃない。彼には恩義以外にメルクさんに会いたい理由がある。まぁぶっちゃけていうとどう見てもメルクさんに惚れてる。


紅潮した頬、顔を直視できないとばかりにチラチラと視線を移し、やたらと言葉を交わそうと必死に努力している。完全にメルクさんにベタ惚れだ。まぁ気持ちは分かるよ、メルクさんはただでさえ顔がいいし、何より自信に満ち溢れているからね。


「メルクリウス様が主催するイベントをいくつも任せてもらえて、そのお陰でマルガリタリ王国の経済は安定してきています。マルガリタリ王国建国以来の隆盛は全てメルクリウス様のお陰ですよ」


「いや、君が私の信頼に応え続けているだけだ。私はただ君に任せただけ、結果は君が出したものだ」


「そんな…!」


にしてもメルクさんってモテるよなぁ。シオさんとかにも好かれてるし、ペルラさんからも好かれてるし、イケメンばっかりにモテて凄いや。けどそれでも浮いた話が全然無いのはなんでなんだ?なんか度し難い性癖でも抱えてるのかな。


「エリス様のお噂は予々、なんでもメルクリウス様と共にデルセクトを救いメルクリウス様が同盟首長に就任するキッカケを──」


「ねぇ私よく分からないんだけどここって往来じゃないの?立ち話していいところだった感じ?」


ふと、オケアノスさんが頭の後ろで腕を組みながら結構大きめの声量でそう言うんだ。仮にも王様になんで口の聞き方だと思わないでも無いが、ここはこう言おう。


ナイスだオケアノスさん、多分ペルラさんって放っておいたら永遠に喋り続けるタイプだ。


「あ!すみません、視察に来られたんですよね。ではここで足止めするわけにはいきませんね」


「いやすまないな、また君とは一対一で話せる機会を設けよう」


「ありがとうございます!メルクリウス様!」


軽くペルラさんを手で制し爽やかな微笑みで彼の横を通り抜ける。こうして見るとメルクさんも立派な同盟首長なんだなぁ。


それからエリス達は駅をくぐり抜けマルガリタリ王国の中央都市アルガーリータへと降り立つ事となる。大規模なイベントが開催されていると言う事もあり駅から出ただけでもう『特別感』が伝わってくる。


赤い煉瓦の家々が軒を連ねる穏やかな色調の街の大通りには所狭しと出店が並び、凄まじい数の商人が客引きをしている。その熱気と盛り上がりは駅の入り口から見ても分かるくらい凄まじいものだ。


そしてそれを見る人の往来はまるで人の頭が川のように流れている。その上目を引くのは歩いている人達の服装がチグハグであると言う事。つまり色んな国から色んな人が見にきているんだ。帝国っぽい服を着た人やアジメクっぽい服の人。


「凄い人ですね、盛り上がってるんでしょうか」


ナリアさんは高速でサングラスをかけ帽子を被りながら周りを見回す。色んな国から色んな人が来ている、転移魔力機構を使って他国からデルセクトにやってきてその人達が機関車を使ってマルガリタリ王国に来ている。それだけでかなりの収益になりそうだ。


「年に一度の祭典ですからね、まだ一般流通していない珍品や普段店頭に並ばない高価な商品を低価格で手に入れられるまたと無い機会。年々参加者も来訪者も増えて今ではアルガーリータ全体をイベント会場にしても場所が足りないくらいですよ」


「あんたついてきたの?」


するとエリス達の後ろからついてきたペルラさんがショーコンの説明をしてくれる。このアルガーリータ…大国の中央都市だけあってかなりの規模なのに、それでも場所が足りないのか。


これもあれか、新聞で宣伝したからなのか。アド・アストラ勢力圏内全部で売ってるんだもんな。アストラ勢力圏内と言ったら魔女大国だけではなくアストラに恭順の意を示した非魔女国家も含まれるし…来訪者の数はとんでもないモンになりそうだ。


「では私はイベントの運営の為、これから仕事をして参ります。何かありましたら城の方までいらしてください。それでは…お会い出来て嬉しかったです、メルクリウス様」


「ああ、私も会えて嬉しかったよ。軽く巡らせてもらう」


ペコリと頭を下げたペルラさんはそのまま小走りで衛兵を数人連れて城の方に向かっていってしまう。あれこれ話まくってたけど忙しいのはマジっぽいな。なんとなく真面目な人であることは分かるかな。


「さて、では軽く見て回るか?エリス、ナリア、オケアノス」


「ですね、どうです?オケアノスさん」


「どうもこうも、こりゃあ凄いね。こんな凄い賑やかな街はチクシュルーブくらいしか知らないよ、行ったことないけどね」


「チクシュルーブか…。まぁそうだな、雰囲気はあそこに似てるだろうな」


だってその街の領主…デルセクト人ですしね。


「ねぇねぇ!自由に見て回っていいの!?」


「構わん、遊びに来たんだ。遊ばずしてどうするか」


「やったー!じゃああっち行こうよ!なんかめっちゃ賑やかだし!」


そう言うなりオケアノスさんは人通りの多い方に走っていってしまう。かなりワクワクしてるようだな、連れてきてよかった。


「ちょっと!オケアノスさーん!迷子になっちゃいますよ〜!」


そう言ってナリアさんは慌ててオケアノスさんを追いかける、エリス達も追いかけにいきますか!とメルクさんを見た瞬間。


『おぉー!すげぇ買いっぷり!』


『何あの人…!何処のセレブ!?』


「…ん?」


すると、オケアノスさんが向かった通りとは反対の方から騒がしい声が聞こえてきて、エリスとメルクさんでそちらの方を見ると。そこには凄まじい量の箱を付人に持たせた女がしゃなりしゃなりと歩いていた。


あの箱が全部買った物だとするなら、とんでもない量の買い物だな。


「……あれは」


目を細める、女の姿を目を細めてよく見てみる。もしかしたら知り合いかもと思ったが…知らない人だ。


黒い髪を肩で切り揃え、サングラスをかけ、白いドレスの裾を揺らす見るからに超セレブって感じの人。その人がこれまた漆黒の髪を後ろで結んだスーツとサングラスの女に荷物を持たせ連れている。


見たことない人達だな…。いや…あのスーツの付人、何処かで…。


「………あの人達は…」


「…知り合いですか?メルクさん」


しかしメルクさんは何やら見覚えのありそうな顔で眉をピクリと動かす…が。


「いや、知らないな。知り合いかと思ったが…」


「なるほど、エリスはあのスーツの人に見覚えがある気がするんですけど」


「気のせいだろう、それよりもオケアノスに置いていかれる。早く行こう」


「あ、はい!」


まぁあのセレブが何でも良いか、それよりオケアノスさんを好きにさせるとどうなるか分からない。なんでって…あの人めちゃくちゃだし。


エリスとメルクさんは二人でオケアノスさんが走って行った方角へと足を進め商業フェス『ショーコン』へと飛び込んでいくのであった。






「あら?あの子達は…」


そして、そんなエリス達の背をチラリと見かけたセレブの女はチラリとサングラスをズラしその様を見てふと、考える。


「如何されました?」


そんなセレブの考えるような様に気がついた付人は手に持った荷物越しに主人であるセレブに問いかける。


「いえ、面白い物を見かけましたわ」


「面白い物?」


「ええ、…ふふふ。まさかこんなところで会えるとは、メルクリウス」


チロリと舌を出し口紅を濡らすセレブは悪戯に笑う、さて…どうしてくれようかと。


………………………………………………………………


「すっげーすっげー!マジ興奮!」


「はしゃぎ過ぎですよオケアノスさん」


「マジで色んなもの売ってるよ!見たことある物から見たことない物まで!この世の全部が揃ってるんじゃないの!?」


ワキワキと腕を振り回して通りの出店を右から左、左から右へと往復しながら見て回るオケアノスさんをエリス達はやれやれと呆れつつも、一瞬に興奮して見て回る。


「本当に色んな物が置いてますね…、お!包丁も売ってる」


「ショーコンに参加する条件は一つ、商人であること、ただそれだけだ。何を売ってもいいし、どう売ってもいい。故になんでも揃っている」


「マーキュリーズ・ギルド以外の店もあるようですけど…」


「ああ、ギルド傘下である必要はない。まぁ優秀そうな商人がいればヘッドハンティングするがな」


メルクさんは興奮した様子のエリス達を見てやや自慢げに語り出す。文字通りどんな物でも売っている、なんでも売っている、例えばそこに出店を構えている人は包丁を売っているんだ。


スタンダードな包丁からパン切り包丁、食肉専用の包丁に生魚専用包丁、果ては魔獣解体用包丁なんてのも売っていて正直メチャクチャ欲しい物ばかりだ。


「魔獣解体用包丁…ちょっと買おうかな、ウッ!?高い!?こんな高いんですか…」


「あ!エリスさん!こっちこっち!」


「わわっ!?なんですか!?」


なんて包丁を見ていたら突如ナリアさんに腕を引かれ別の出店へと連れていかれる。一体なんなんだと思っていれば、連れて行かれたのは包丁の店の向かいの店。ここは…。


「いらっしゃいませ〜!こちら髪油専門店になりまーす」


「髪油?ヘアオイルですか?」


「そうです!エリスさん!髪の手入れの為に香油買いましょう!ここに置いてあるの最新の物ばかりですよ!ここまで取り揃えている店は中々ないですって!」


「えー」


ヘアオイル〜?エリスもう使ってるやつありますし、今のでいいから別にいらないんだけどなあ。


「エリスもうヘアオイル持ってますよ、前ナリアさんから紹介してもらったの。あれからずっと帝国製のヘアオイル買って使ってるんですよ」


「何年前の商品だと思ってるんですか!?おしゃれは常に更新!美はナマモノです!」


「エリスあれ気に入ってるんですけど。それに匂いが着くの好きじゃない…」


「え?なんでですか?」


「隠れてる時に匂いでバレる…」


「スパイか何かですか…!じゃあこっちは!?口紅専門店がありますよ!」


「口紅なんてどれも一緒では?赤けりゃいいなら血でも同じですよ」


「全然違いまーす!と言うかさっきから発想が物騒!」


マジギレさせてしまった。でもエリスはこう…おしゃれとか好きじゃないんですよ、だっておしゃれなんてしても動いてるうちに取れますし、そんなモンいちいち気にしてたら死にます。


「エリスさん…、エリスさんは美人ですけど、おしゃれとかしないとなんか色々失礼ですよ」


「誰に…?」


「先方です」


「先方?」


「僕達これからマレウスの会談に出席するんですよね、ラグナさん達とは違って議会の席には座らないかもですけど、それでも僕達は国王であるラグナさん達に同行するんですよ。それなのに化粧もしないで出たら向こうにもラグナさん達にも迷惑をかけますよ」


「むぁっ!?た…確かに」


いくら化粧に興味がないからって、汚い格好で行けば笑われる。しかもエリスだけじゃなくて一緒に行くラグナ達も笑われる。嫌だ…ラグナ達の迷惑になりたくない。


それに!エルドラド会談にはアイツが…ステュクスがいる!もしエリスがすっぴんで行ってマレウスの人達に笑われてるところを見られたら…。


『姉貴ぃ、こう言う場でのマナーとかも知らないのな。流石に田舎臭過ぎるよ、死んだほうがいいかも』


とか言われるかもしれない!そんなこと言われたらエリスはステュクスを殺してしまうかもしれない!


「か、買います!一番いいやつ!」


「よっしゃッ!店員さん!この人のイメージに合う香りの髪油を一丁!」


「は〜い、でしたらこれなんてどうでしょうか」


そう言って店員さんが出店から取り出したのは。ドプリと音を立てる小さな小瓶、それに金の紙が巻かれているなんとも高そうな代物だ。だってもう瓶からして可愛いもん、これは高いぞ、予言する。


「アジメクでのみ取れる一級品の花を使って作り上げられた最高級髪油『アジメクトリート』でございます。そちらのお嬢様は見たところアジメク人のようなので」


「分かるんですか!?」


「はい、プロですので」


プロ凄いなぁ。なんて思って言う間に手渡された小瓶の蓋を開けて中の匂いを嗅いでみると…。


これが素晴らしい、漂うような花の香り…まるでアジメクの彩絨毯を思わせる色とりどりの香りが喧嘩をせず一体となって纏っている。それでいて香りそのものの自己主張が非常に小さい、まるで髪油が香っているというより足元の花畑から漂ってくるようだ。


「凄い…」


思わず口を割ってしまう。エリスが今まで使ってたヘアオイルは匂いが薄くそこがお気に入りのポイントでもあったのだが、これは更にその上を行く…髪を整えその上で気分も良くしてくれる品。


素晴らしいと手放しに言える、流石は高級品。


「これ、欲しいです」


「はい、でしたら金貨一枚になります」


「えぇっ!?」


「貴族の皆様御用達ですので」


高ッ…そんなにするの?エリスがいつも使ってるオイルなんて銀貨十枚ちょっとだよ。言ってみればその十倍、とてもじゃないがオイル一つに使っていい値段じゃない。


買える…一応買える、けどどうしよう…。


「も、もうワンランク下の髪油はあります?」


折角なら普段使いしたいし、量も買いたい。だからせめてこう…もう少し安い奴を、とエリスが髪油を返そうと店員に差し出した所。


「あ…」


スッと横から伸びた手がエリスの手から小瓶を抜き取る。


「ふむ、いい品じゃないか。匂いも典雅にして優美、それでいて芯はキリリと締まる凛々しい香り。エリスのイメージによく合っている。これにしないのか?」


「め、メルクさん…」


瓶に書かれたラベルを見ながら微笑んでくる彼女からちょっと目を逸らす。それにしたいけどちょっと高いんですよね。なんて感情をエリスの顔から読み取ったのか、メルクさんは小瓶を店員に差し出し。


「この髪油、あるだけ貰おう。私の親友が使うんだ、可愛いラッピングも頼むよ。赤いリボンのな」


「え!?メルクさん!?それ高いですよ!?」


「構わん、寧ろ君が綺麗であり続ける為に金を使えるなら本望だ。申し訳ないと思うのなら美しいままでいるんだ」


「う……」


エリスの髪を撫でにこやかに微笑むメルクさんを直視出来ない、ありがたいけど申し訳ない。申し訳ないと思うからにはこれからは少し見た目に気を使わなければ。


「毎度ありがとうございます〜、ここ以外にも本店の倉庫にも在庫があるのですが…」


「それも貰う、なんならこれから定期的に届けてもらいたい。その分の金も出す」


するとメルクさんは懐からメモを取り出しペッペッとペンで何かを書くと。それを店員に渡して『請求はこちらに頼む』と言うのだ。


そんなので支払い代わりになるのかと思ったが、どうやらなるらしい。だって店員さんがメモの中身を見た瞬間『え…?メルクリウス様…?』と青い顔をしていたのだから。


「取り敢えず差し当たってこれは貰っていく、残りはまた従者に取りに来させるよ」


「え!?い…いえ、まさかその…メルクリウス様だとは…、お…お代は結構です!」


「いや払う、これは私の友のために使う金だ。支払わなければ格好がつかん。ああそれと…私の事は口外しないよう、まだ色々見て回りたいんだ。騒ぎになられても困る」


「は…はい!」


「では失礼する、さぁエリス。他も見に行こう、次は服なんてどうだ?私はセンスが無いしな、君のセンスに任せるよ」


お…おお、なんてスマートなんだ。まるで同盟首長みたいだ…。


ストンと手の中に置かれる小瓶を見てエリスはなんか言葉を失います。メルクさん…ずっと思ってたけど最近お金持ちが板につき過ぎてもうカッコいい段階にまで入ってるよ。


「あ、ありがとうございます、メルクさん」


「ん、どうも?君にお礼を言われると嬉しいな」


「凄いですねメルクさん、あの高級品をポンっ!と買っちゃうなんて」


ナリアさんもエリスが化粧に興味を持ったからなのか、やや嬉しそうにメルクさんを褒めるが、彼女は苦笑いをして。


「まぁ、金だけは持ってるからな。私は所詮世界一の大成金だ、なら金に物を言わせる時くらい格好をつけていたいのさ」


そう、彼女は言う。これは彼女が同盟首長になってから一貫して言っている事だ。自分は所詮フォーマルハウト様に選ばれただけのただの成金だと。確かに最初はそうだったかもしれない、彼女が好きにしてきた金は全てフォーマルハウト様が長きに渡ってデルセクトという商業国家を作り上げる過程で築き上げた物だった。


だが今は違うだろう、マーキュリーズ・ギルドを築き更にそこから金を稼ぎ富を積み重ねてきた。今のメルクさんは正真正銘のセレブだよ。


「あー!エリスなんか買ってもらったの〜?じゃあ私も買って欲しいんだけど〜!これ!めっちゃいいスパイク!買って!」


すると人混みの奥から綺麗な靴を持ったオケアノスさんが突っ込んでくる。これもまたお高そうな奴だな…。するとメルクさんはそのスパイクを一瞥すると。


「断る、自分で買え」


「えぇーっ!?なんで!?」


「なんでって、お前神将だろう。金持ってるだろう?自分で買え」


「私は友達じゃ無いから買ってくれないのー!?」


「そう言うわけじゃ無い、友が必要とするなら私は金は惜しまないし、お前に関しても協力者だから差別するつもりはない。だが友の中でもエリスは別格なのだ」


「なんで?なんでさ!」


「私がこうして金を持っているのは、立場ある人間になれたのはエリスのおかげなんだ。彼女が居なければ私の手元には銀貨一枚さえなかった、故に私の金をエリスは好きに使う権利がある。彼女が望めば私は彼女に同盟首長の座も全財産も明け渡すつもりもある」


「ぇえっ!?」


なんか物凄い重たいこと言われた気がして思わず聞き返してしまう。メルクさん…いくらなんでも義理堅過ぎるよ。いやエリスがそう言う立場を欲しないのをわかって言ってるんだろうけど。


にしても、この人は…どこまで本気なんだ…?


「それにな、そう言うものは自分で買ったほうが愛着が湧くと思うが」


「それもそっか、まぁ私も普通に金持ってるし、いいんだけどさ。普段全然使わないからめっちゃ金溜まってるし…こう言う時こそ使い時か」


「そう言うことだ。金は自分が真に欲しいと思う物に使ってこそ意味がある、それが『贅沢』と言う物なんだから」


「はーい、じゃあちょっとお会計してくるね」


「会計もせずに商品を持ってくるな…!」


トコトコと再び人混みの中に消えていくオケアノスさんの背を眺めてため息を吐く。なんていうか、自由な人だな。まぁでもああいう風に奔放に振る舞っているってことはそれなりに楽しんでくれているってことかな。


まあそれならよかったと視線を移すと、メルクさんがこちらを見ていたことに気がつく。なんだろう…。


「どうしました?メルクさん」


「いや、なんでも無い。それよりちょうど良い機会だから会談に出席する為のドレスを見繕うぞ。ナリア?君はその手のドレスを持っているか?」


「一応持ってますけど、出来れば新作が欲しいので僕もドレスを見に行きたいです」


「分かった、服飾を取り扱っているのはこちらの筈だ、オケアノスを回収し次第向かうぞ。料金の心配はせず存分に選ぶんだ、二人とも」


なんで自然な流れでナリアさんがドレスを着る流れになってるんだ。いやナリアさんも特に疑問に思ってなさそうだし…本人がいいならいいんだけどさ。


しかしこうして見るとメルクさんの姿は威風堂々として自信に満ち溢れていることが分かる。軍人時代とはまた違う風格を感じる。


…この人は、大きくなり続けている。大きくなり続けても…いつまでもエリスの事を大切にしてくれるのかな。なんていらない心配をしてしまうくらい、今のメルクさんは別格の存在に見えてくる…。


……………………………………………………………………


「買ったね〜!」


「どれもこれも目ん玉飛び出る価格でした、エリスあんな凄いドレス着てもいいんですか?」


「構わん、寧ろ君に似合う良い物が見繕えて私は満足だ」


「いい買い物出来ましたね〜、みんなでショッピングはやっぱり楽しいです」


それから数時間、エリス達は大量の買い物を済ませ一旦落ち着く為アルガーリータの広場に設置された休憩所でコーヒーを嗜んでいた。エリスのドレスやナリアさんのドレス、そして何故かオケアノスさんが欲しがった最新の筋肉冷却材、諸々全部メルクさんが『ツケ』で買ってくれた。


エリスもお金持ってるんですよ!とお財布出しても『取っておきなさい』とメルクさんに一蹴されてしまった。ありがたいんだけどさ…嬉しいんだけどさ…なんかメルクさんの子供みたいに扱われたのはちょっと。


因みに荷物諸々は後程メルクさんの従者が纏めて回収してくれるとのことで、エリス達はあんなに買い物したのに手荷物ゼロ。いやぁ最高に楽しいショッピングですね、うん。


「さて、次はどうするか」


そう言いながらメルクさんが見上げる空は既に赤く染まっており、もう夕暮れ時だ。今から列車に乗って転移魔力機構でステラウルブスに戻るとなると結構な時間になってしまうな。


「ねぇメルク、今日はいつ帰るの?」


「ん?ああ、今日はここに宿泊するつもりだ。ペルラがここの一級ホテルを予約してくれているからな」


「おお!マジで!?じゃあ明日もここで遊べるの!?」


「勿論、明日は今日行かなかったエリアに行って遊ぼう」


「やり〜!」


やったね!とオケアノスさんがグータッチでエリスに喜びを分かち合ってくれる。これは嬉しい知らせだ、明日もここで遊べるなんて最高じゃないか。エリス達に残された時間は二週間、ショーコンの開催期間も後一週間、まだまだ遊べそうだ。


「メルクさん、一級ホテルってもしかしてあそこですか?」


「ああホテル『ビッグパール』。私が直々に改修に携わったホテル…値段はそれなりにするが、その分サービスも最高だ」


ナリアさんが問いかける、広場の向こうに見える超巨大な豪邸。あれがエリス達の泊まるホテルになるらしい、あんな凄いところに泊まれるなんて…最高の休暇になるな。


しかし…。


(メルクさんはエリスの為に本当に惜しまずお金を使ってくれているな…)


今日だけでもメルクさんはかなり使った、彼女からすればポケットの底に沈んでいた硬貨一枚分にすら満たない量だとして世間一般的には超豪遊に当たる量の金を使っている。


ここでエリスの悪い部分が顔を出す。メルクさんって…どこまでのおねだりなら聞いてくれるんだろう。エリスの頼みで何処までお金を出してくれるんだろう…と。


悪い部分だ、嫌な興味だ、友達に対して抱いていい好奇心ではない。今すぐこんな事忘れて今を楽しんで────。


「あの、メルクさん。例えば…例えばですよ?エリスがあのホテルでもうこれ以上ないくらいの贅沢三昧をしてアルガーリータの夜に黄金の花を咲かせるが如き酒池肉林の一夜を過ごしたいって言ったら、メルクさんは答えてくれたりしますか?」


「………………」


言った、言ってしまった。何を言ってるんだエリスは、ほら…メルクさん絶句して……ない。


寧ろ、エリスの言葉を聞いて嬉しそうに口角を上げにんまりと笑うと。


「その言葉を待っていた!」


「待ってたの!?」


「シオ!」


「こちらに」


「居たの!?」


いつの間にやら現れたシオさんにメルクさんはバッと手を広げ指示を出し。


「今すぐにエトワールの楽団に手配を!アド・アストラの力を使って世界中から腕のいいシェフと食材を!後ビッグパールに連絡して今日は丸々貸切だ!直ぐに終わらせろ!」


「ハッ!」


「ちょっ…」


一瞬で血の気が引く、興味本位でとんでもない事を言ってしまった気がする。バカだ…エリスはバカだ、メルクさんに贅沢がしたいって言ったらどうなるか?決まってる、エリスの想像を絶する贅沢が飛んでくるに決まってる。


シオさんは瞬く間に何処かへと消えていき、…ポカンと口を開け『なんでそんな事言ったん?』と言いたげなナリアさんと何が起こってるか分からなさそうなオケアノスさんと、エリスとメルクさんが取り残される。


「あ…あの」


「エリス、私は嬉しいぞ。私は常々お前にも贅沢な暮らしをさせてやりたいと思い悩んできた、君を差し置いて私だけ贅沢な暮らしをすることに引け目を感じてきた。だがお前はそれを望まない…だが私としては君にいい思いをさせてやりたい、そう思い続けてきて…ようやくその願いが叶う。今日は一緒に夢を見よう、エリス」


今更興味本位でしたとは言えねぇ〜…。


「あ、ありがとうございます」


でも、一日くらいはいいよね。と思うエリスもいる、だってメルクさんは本気でエリスの事を思ってくれている、友達がエリスの事を考えてくれているんだ。それを『申し訳ないから…』で遠慮するのは寧ろ失礼だろう。


好意は受け取るのが最上の答え方、なら例え悪戯心の含まれた興味本位の言葉が原因だったとしても、言ってしまったからには全力で応えなければ逆に失礼。


「楽しみにさせていただきます!」


「ああ!最高のもてなしをするぞ!…とは言え、今から準備をするからもう少しかかるな。準備が終わるまでここで何か食べていよい。いいか?ナリア、オケアノス」


「僕は構いません、寧ろどんなのが出てくるか今から楽しみです」


「よく分からんないけどホテルに行くのはもう少し後って事ね、オッケー」


「ああそうだ、よし!今から何か軽く摘める物でも買ってこよう」


そういうなりメルクさんは張り切って立ち上がり始める。いやいや、ここまで莫大な金を出させておいてパシリなんてさせらませんよ!


「エリスも行きます!」


「ん?ああそうか、分かった。じゃあナリアとオケアノスはこの席を死守しておいてくれ」


「分かりました、いつてらっしゃーい」


「私ソーセージの挟まったパンが欲しい〜」


ちょっとは遠慮しろよ、と思いつつもエリスはメルクさんと共に席を立ち人混みの中を歩き始める。休憩所たる広場の周りには軽食を売っている出店が沢山ある、羽休めする為の人達を相手に飲食店が集まっているんだ、そして飲食店が集まっているからより一層人が集まる。


混雑した人混みの中で逸れないようエリスとメルクさんは肩を寄せ合い進んでいく。


「…エリス」


「え?どうしました?メルクさん」


「いや、…その…さっきから私、調子に乗りすぎてるかな」


「へ?」


気が抜けるような声が出る、肩と肩を寄せ合うエリスとメルクさん。メルクさんはエリスに目を合わせる事なくポツリと呟くのだ。調子に?エリスがではなく?


「…さっきも言ったが、君は私にとって特別な存在だ。いいところを見せたいと思うとどうしても金が絡む…。君はあまり贅沢が好きな方ではないだろう?さっきのホテルの件も、本当は私に気を遣ってくれていたんだろう?」


「え?いや…別にそんなことは」


「遠慮するな、…私は君に見せたいんだ。あの頃の私とは違うと、地下で硬いパンを齧っていた頃とは違い、君に物を食べさせ暖かな寝床を用意出来る人間になった事を。君に見せたいんだ」


「………メルクさん」


「だからもう少し私に付き合ってくれ、私がどれだけ大きくなったかを見せたい」


そうか、確かにエリスは基本的にメルクさんやラグナのコネや金を使う事を避けている。それはみんなを頼ったらエリスは堕落してしまうような気がして、みんなと対等で居たいからなるべく返せない借りは借りないようにしているんだ。


けど、逆にそれがメルクさんに遠慮させてしまっていたのか。対等で居る為に力を借りない…とはまた違う、対等だからこそ互いの全てを分け合う。メルクさんはメルクさんに出来る事を全てエリスに与え、エリスは…メルクさんの為に出来る事に命を懸ける。


それが、本当の友情なのかもしれない。まぁだからと言って適当なこと言って酒池肉林の夜をねだって良いわけではないが。


「何言ってるんですかメルクさん、エリスはメルクさんがどれだけ大きくなったかなんて分かってますよ。そして…ずっと貴方の事を見てますよ、あの時一緒に戦ったその時からずっとね」


「エリス…、嗚呼。私の人生最大の幸福は多額の金を得たことよりも、君に出会えた事なのかもしれないな」


「照れますよ〜!」


も〜!とメルクさんの肩を叩き二人で笑い合いながら飲食店の立ち並ぶ出店の群れへと向かう。さてと、軽く時間を潰せる軽食…いや菓子類でも買おうかな。この後ホテルでご馳走を食べるわけだし。


あんまりお腹を膨らませるのも…。


「飲食店が見えてきたな…」


「取り敢えずオケアノスさんリクエストのソーセージ入りのパンを…」


パンを売ってる出店を探すように見回すと、丁度それっぽいのを見つける。ラウンドベーカリー…そんな看板をぶら下げた少々大掛かりな出店でチョビ髭の店主が移動式の焼き釜でパンを焼きながら客に焼きたてのパンを振る舞っている。


「お、焼き立てのパンか…、小麦の焼けるいい匂いだ」


「こうして見ていると食べたくなりますね」


「食材加工の過程とは、何にも勝る宣伝だ。あそこの店主中々にやるな、よしあそこで買おう」


「ですね……ん?」


ふと見かけるのは、パン屋のすぐ傍。何やら変な子供を見かけてエリスの目はそちらに釘付けになる。


変だ、変な子供だ。どこがどう変って見かけは普通の子供だが立ち振る舞いが異様だ。壁際を歩き周りの人達の目を異様に気にしながらパン屋に近づいている。あの動き…もしかして。


「メルクさん、あれ」


「ん?…あれは」


観察する、薄汚れた服を着て痩せこけた少年が何をしようとしているかを。


………………………………………………………………



少年は、飢えていた。この飽食と贅沢の溢れる街の中にあって唯一飢えていた。道行く人々は皆満足そうな顔をして美味しそうなものを食べる中一人飢えていた。


服はもう何年も新しいものを着ていない、靴は擦り切れて裸足も同然、泥と埃と汗が混じった汚い格好で…少年は決意を秘めた表情でラウンドベーカリーの陳列棚に向かう。


…もう数日はまともな物を食べていない、今日の食事は無し、昨日は塩水を茹でたスープと野菜の茎だけしか食べていない。その前に何を食べたかは覚えていない。


人間のする食事を数週間は食べていない、その極限の生活の中善悪の意識以上に生存本能を優先した彼はゴクリと唾を飲みながら戸棚に置いてある一本のパンを手に取り、周りの大人に見られないよう引き抜き懐にしまう。


数週間ぶりのまともな食事、先程から鳴ってしょうがないお腹にもう少し待てと囁きながらその場を離れようとした少年の足は、突如空振り一気に後ろに引き戻される。


「このガキ!何してる!」


「あ…!」


後ろを振り向けば、自分の襟を掴んだ店主が鬼の形相で牙を剥いて伸ばし棒を振りかぶっていた。見つかったんだ、どれだけ気配を消しても小汚い子供が店の前をウロウロしていれば誰だって警戒するし、気がつく。


その事に思い至らなかった少年はあわあわと口を震わせ店主の怒声をただ聞くことしか出来ない。


「この泥棒小僧!ウチの商品を盗もうたあ許せねえ!親は何処だ!」


「あ…ああ…」


「ともかく憲兵に突き出してやるからな!」


終わった、ますます両親に迷惑をかける。ただでさえギリギリの生活をしてるのにここに更に憲兵に突き出されるような事になったら捨てられる。いやそれどころか…僕達は終わりだ。


自分の浅慮さに涙が溢れそうになるももう遅い、パンを取ってしまった以上もう言い逃れは…出来ない。


盗みを働いた人間と言う刻印を一生押され、一生盗みの瞬間を後悔し続ける人生が始まる事を何処かで予感した少年は、言葉もなく目を伏せた、その時だった。


「待った」


「え?」


止めに入ってくれた、大人がいた。軍服のような上着を着込んだ青髪の女性と黒いコートを着込んだチンピラみたいな金髪の女性が、店主を止めてくれていた。


「なんだあんた達!こいつはウチの商品を盗み出そうとした泥棒小僧だ、今からこいつを憲兵に突き出すんだ」


「まだ子供だぞ」


「子供でもだ、一人こう言うのを見過ごすと明日からまた似たようなのがワラワラと店の周りに屯するようになる。真っ当な客の迷惑になるんだよ!」


「それは確かにそうだな…なら、こういうのはどうだろう」


すると、青髪の女性は懐から一枚の金貨を取り出すと…。


「そのパンは私が買おう、そしてそこの少年に渡す。だから見逃してやってはくれないか」


「え…!?」


「なんだと!?アンタ…このガキの知り合いか?」


「いや違う、だが見過ごせないだけだ。それよりも良いか?」


「ま、まあ…買ってくれるならそれでいいけどよ…」


スルリと店主の手が襟を離し解放される。そこでようやく少年は今地面が全身冷や汗だらけだった事を悟る。怖かった…物凄く怖かった、盗みとはこんなに怖い物なのか、こんなに嫌な物なのか、もう二度と…盗みは働くまい。


「大丈夫か?少年」


「あ、えっと…その」


そんな少年を見下ろした青髪の女性は、態々跪きながら目線を合わせて微笑み頭を撫でてくれる。


その間に金髪の女性が『っていうか今この棒振り上げてましたよね?まさかこれで子供殴るつもりでした?ん?』とメチャクチャ怖い顔で店主に詰め寄っていた。


助けてくれたんだ、この人は…。貧しい僕を見兼ねて助けてくれたんだ。お礼を…お礼を言わないと。


震える口で一生懸命言葉を紡ぎ出し、少年は頭を下げて青い髪の女性に向けて…。


「あ、ありがとうございます!」


そうお礼を言うのだ、すると女性は。


「違う」


「へ?」


恐ろしい程、冷たい声音で返してきた。思わず顔を上げると、そこには怖い顔をした女性が目を釣り上げていた。な…なんで?


「なんで…」


「私にお礼を言うのではない、君にも事情があるだろうし、身の上もあるだろう。だが悪いことは悪いこと、犯罪は犯罪…君は盗みを働いたのだ」


「う……」


「だから、私にお礼を言うのではなく、店主に向けて謝罪をするべきだ。まずはそこからだ」


「……はい」


金髪の女性に凄まれてすっかり意気消沈してしまった店主に目を向ける。言う通りだと、青髪の女性の言う通りだと思ったから。空腹から善悪の意識が薄れているだけで、持ち合わせていないわけではない少年は女性の厳しい言葉に目を覚まし、恐怖を覚えた。


何をしようとしていたのかの自覚を得たから、自分は助かったのではない。奇跡的に道を踏み外さなかっただけなのだ、その事への感謝を述べる前に…やるべきは。


「ごめんなさい!僕!どうしてもお腹が空いて…ここのパン屋さんの匂いが、堪らなくて…それで…!ごめんなさい!」


謝罪、一瞬言い訳がましくなった事に気がつき咄嗟に首を振り再び謝罪する。すると店主は…。


「……ま、まぁ…俺も鬼じゃないからさ。そんなに腹が減ってるならもういくつか持ってきな」


「い…いいんですか?」


「そっちのお嬢さん達に感謝しろよ。泥棒じゃなくて最初からそう言ってくれりゃ、俺だってこのくらいのことは出来たんだ」


すると店主はバケットに一杯のパンを入れて僕に渡してくれる。その光景に…僕は涙が止まらなくなる。なんて馬鹿な事をしようとしていたんだろう、こんなにもいい人から物を盗もうとしていたなんて。


「恥じゃないんだ、助けを求めることは」


「お姉さん…」


「周りを信じろ、倒れ伏しどうしよもうないと思った時は、遠慮なく助けを求めなさい。助けられることは恥じゃないんだから」


「お姉さん…パン屋さん…!ありがとう…ありがとう!」


道を踏み外さなかった…その上で助けてもらえた、よかった。助かった…助かった、助けてもらえた。その事が嬉しくて嬉しくて僕はただ、泣くことしか出来ない。


そんな僕の頭をもう一度、お姉さんは撫でると。


「少年、君…名前は?」


「へ?僕?僕は…リーバイ…」


恩人に名を尋ねられ、少年は…いやリーバイは目をくしくしと擦りながら答える。お姉さんのおかげで助けられたリーバイは出来得る限りお姉さんの言う事を聞こうと密かに決心していると、お姉さんは立ち上がり…。


「よし、ではリーバイ…君の事情を話したまえ」


「え?…なんで…」


「腹が空いていたからパンを買ってやった…それだけで助けた気持ちになれるほど私は安い女ではない。助けるなら『腹を空かせた原因』までなんとかする、それが私のやり方だ」


「エリスも手伝いますよ!この子どう見てもなんか事情がありますからね!あ!ナリアさんとオケアノスさんも呼んできます!みんなでなんとかしましょう!」


「い…いいの?」


「いい、言っただろう。助けられることは恥ではないと」


そこでリーバイはようやく悟る。この女性が纏っている風格の正体、それは優しさではない事を。


纏っているのは、強さだ。圧倒的強さと自己を貫く覚悟、そこから滲み出る威圧が気品を帯びて風格となる。


本物だ、本物の凄い人だ…この人なら、もしかしたら…お父さんとお母さんをなんとかしてくれるかもしれない。


そんな少年の直感は事実として当たることになる、これからメルクリウスは少年の抱える問題を解決する。


それはメルクリウス達が普段対峙している問題からすれば極々小さな問題だ、だが…同時に。


恐らくこれから先、行われる出来事は。史上最も膨大で強大で…強引な出来事になると。

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