473.魔女の弟子と祖父の悔やみ
「剛の型!『一閃』ッ!!」
「グッ…ぅぐ…!」
打ち抜く、エリスの拳を掻い潜りダアトの剛拳がエリスの頬を打ち抜きもう何度目かのクリーンヒットを当てる。完璧に決まったカウンター…完全に入った一撃、それを受けたエリスは遂に。
「ぅ…く…そが…!」
崩れ落ち倒れ伏す。ようやく…ようやく倒れてくれた。メチャクチャタフだった…もう頭おかしいとかそんなレベルじゃない、神経数本イカれてるとしか思えないとダアトは深くため息を吐く。
「はぁ…はぁ、ようやく倒せた…」
汗を拭う、本当はもっと早めに倒して離脱するつもりだったのに…。もうモースさんも倒されたようですし、東部での戦いは終わっただろう、もう東部に居ても出来ることは何もない。というか厄介なのに目をつけれられた、これ…マジでここで殺しておいた方がいいか。
「ッ………」
杖を掴み、エリスの首に突きつける。こいつはここで殺さないと私を追い続ける。この短時間でここまで強くなったんだ、下手をすれば数年しないうちに手がつけられないことになるかもしれない。
首輪をつけて飼い慣らすなんて絶対に無理だ…、だったらここで……。
「むッ!この気配…!しまった…派手に暴れすぎた」
ふと、遥か遠方からこちらに向かってくる気配を感じる、この気配は…エアリエル・ハーシェルか、私の狙いに気がついて始末に来たか。流石にここまで盛大に暴れれば所在がバレるか…。
参ったな、ここから更にエアリエルの相手をするには些か消耗し過ぎた…。
「覚醒を使えば、問題なく倒せる…けど」
静かに、胸を触る…覚醒を使えばエアリエルくらいなら容易く倒せる。だが私の覚醒はおいそれとは使えない。それは覚醒が強力過ぎるから…なんてかっこいい理由じゃない。
使えば、私の…健康を害しますから。
「はぁ、仕方ない。ここは逃げますか…」
エアリエルを相手に第三ラウンドはちょっと辛い。ここは逃げるしかない…という言い訳が出来る。エリスをここで生かして見逃す理由が出来る。
そこで考える、こんな都合のいい話…あるか?まるで時流がエリスを生かそうとしているとさえ思えるほどに都合がいい。或いはこれが運命なのか?エリスは『何処かに辿り着き、何かを成すまで死なないよう仕組まれている』ようにさえ思える。
…運命か。なら、運命に愛されているのはエリスの方ではなく。
「よかったですね、メトシェラ…貴方は貴方が思っている以上に運命に愛されているようですよ。まぁ、貴方は運命を呪うでしょうがね」
杖を背負って歩き出す。エリスさん?今日はここでお別れです、出来るならここで貴方とお友達になるか、或いは貴方を殺しておきたかった。ですがそのどちらも許されなかったようです。
次出会う時、貴方がどれだけ強くなっているかは分かりませんが、次はもう少し強くなっておいてください。少なくとも…私に後の事を考えて温存させないくらいには。
「ではさようなら……ん?」
チラリと気配を感じて見る、溶岩に浮かぶ岩の影に見えるのは…こちらの様子を伺うケイト・バルベーロウの姿。
………何見てんだ、というか生きてたのか。そもそもアイツはなんで東部に来たんだ?…よくわからない奴だ。
まさか…いや、無いか。だってそれなら…うん…そうだ、無い。
「はあ、ようやく任務が終わる。と言ってもこのまま…バシレウスの所に直行なんですがね。えーっと…今バシレウスは何処に…」
識確の力を使いバシレウスの所在を探ると…彼は今、うーん…マレフィカルムの本部には居ないみたいだ。なら何処に?…ん?嗚呼、そこに居たんですね。
「黄金の都エルドラド?なんでそんな所に…」
マレウス中央部リュディア領の街エルドラドに居る、が…なんでそんな所に…。
「ッ………!」
刹那、ダアトは見る。識確による超高精度の未来予測にて、バシレウスがこれからやろうとしている事を見て、思わず口元に手を当ててしまう。
『血に塗れた部屋』『ドス黒い悪意渦巻く』『夥しい血をその手から流しながら笑うバシレウス』『慄く凡愚』…これは。
アイツ…なんて事をしようとしているんだ。そんな事ガオケレナもレナトゥスも許さないだろ…まさか独断!?だとしたら…。
「ハッ…アハハッ!流石は混沌の忌子!そもそもあの怪物を思うがままに操ろうなんて考える事自体が烏滸がましかったか!」
どうやら我々はこれからバシレウスに一杯食わされるようだ。その結果訪れるのは…。
「朗報ですよ、エリスさん…どうやらマレウスはこれから、建国以来最大最悪の混乱を迎える…その混乱の中でこそ、貴方たちには活路もある。つくづく運命というものは度し難い」
くつくつと笑いながらダアトは歩き出す。今まで世界は私の予測通り動いてきた、一切の過ちもなく寸分違わず世界はレールの上を走ってきた。だがそれもこれまで、世界はこれからそのレールを外れる、その先にあるのが平和か滅亡か…私にさえ分からない。
世界は、未知へと堕ちていく。それが私には…たまらなく嬉しい。
貴方も楽しんで、そう意識のないエリスに囁いて彼女はその場から消える…エリスの前から、姿を消す。
エリスとの、次なる邂逅を何処かで予感しながら…。
………………………………………………………………
「ギャアーッ!!痛いでごすーーっ!!降参降参!参ったから虐めないでほしいでごす〜!」
「なんもしてねぇだろ!デケェ図体してギャアギャア喚くなッ!」
ネレイドとモースの激戦から一夜明け、陽光が窓から差し込む寺院内部に響き渡るのは最強の山賊モース・ベビーリアの悲鳴。と言ってもこいつの言う通り虐められてるわけじゃない。
むしろやってることは真逆、治療なんだから。
「あんなところで戦ってたんだから、ちゃんと傷の消毒しないとダメだろ?」
「うう…だったらお前じゃなくてネレイドに…愛娘に治療してもらいたいでごす〜」
「贅沢言うな」
アルトルートが臨時の診療所として貸し与えてくれた一室に配置されたベッドの上に座るモースの体に、ラグナは消毒液を染み込ませた布を押し当て傷を消毒する。
まさか、さっきまで戦ってたやつの治療をすることになるとは思わなかったが、それでもこれはネレイドに頼まれた事柄だしな、仕方ないからやってやろうじゃん。
……俺達はあれから掘り進んだ道を逆走してネレイドとモースを抱えて地上に激走。なんとか崩落に巻き込まれることなく無事ガイアの街に戻ってこれたんだ。そして俺達が戻った頃には既にデティ達も復帰しており、傷ついた神聖軍の治療を行なっている最中だった。
さっきまでダウンしてたのに、もう復活して人命救助に当たる姿を見て感心しているとネレイドが…。
『モース大賊団の人達も治療してあげて…』
そう言い出したんだ、当然俺は反対した。戦いが終わっても敵は敵、復帰したらまた動き出すかもしれない…そう言ったが。
『大丈夫、モースが信じられないなら私を信じて』
そう言い出したんだ。モースは信用できない、だがネレイドさんは信用できる。だから仕方なし、俺達はモース達の治療もすることになったのだ。
「ネレイドが温情かけたんだ、もう暴れんなよ」
「分かってるでごすよ、あーしらは負けた…敗北した。なら…もうやれることはない。一度やって失敗したならジズも文句は言わないでごしょう」
「そうかい…ならいい、頭目のお前がそう言うなら他のも従うだろ」
「勿論、従わないならあーしが潰すでごすよ。それより…」
「あ?なんだよ」
「…いや、あんた達の仲間に治癒術師がいるんでごすよね」
「デティか?それがなんだよ」
「そいつに傷を治してもらいたいんでごすけど…態々消毒してからポーションに浸けた布を貼るより、そっちのが…」
「生憎、優先順位は味方側のが上なんだよ。お前が蹴散らした神聖軍五万人の怪我をアイツは治さなきゃいけないの。だからお前らはそれまで悪化しないように応急処置をするだけだ」
「そんなぁ〜…」
デティは今フル稼働で動いている。もう手足が五、六本増えたような働きぶりで神聖軍達を治している。既にデティの治癒魔術を受けて復活したアマルト達やアルザス三兄弟もメグから治療器具を受け取りみんなの怪我を治してる。
みんなすごい働きぶりだ、故に山賊達の治療は後回し。放置されないだけ感謝してほしいよ。
「はい、腕終わり。背中見せろ」
「あいあい…染みるのは嫌なので、優しくしてほしいでごす」
「消毒液に言え…ん?」
クルリと背中を晒したモースを前に俺は思わず疑問の声をあげてしまう。目の前には板のように大きなモースの背中が広がっており、そこには『怪物』の刺青がされている。
…そういや、ベリトの背中にも虎の刺青がされてたな。聞いた話じゃカイムの背にも鬼の刺青がされてたみたいだし、これはモース大賊団の決まりが何かなのかな。
…まぁ、そんな事はどうでもいいんだ。それより気になるのは。
「なぁ、モース」
「ん?なんでごす?」
「お前この背中の刺青…」
「ああ、山魔の刺青でごすよ。うちの隊長格はみんな自らの異名に沿った刺青をしてるんでごす。あーしのは山の悪魔…ってところでごすね」
「そんなのはどうでもいいんだが…」
「どうでもいいって…」
「それよりこれ、なんかモチーフがあんのか?なんかのデザインの流用とか」
「はぁ?」
するとモースはあからさまに機嫌を悪くした様子でこちらをギロリと睨み。
「ふさげんな、これはあーしのオリジナル。もう数十年も前からあーしはこの紋様を背負ってんだ。あーしの考えたあーしだけの紋様でごす」
「そっか……でもこれ、どっかで見たことある気がするんだよなぁ…」
見たことがある気がするんだよ、この『怪物』の刺青。それもここ最近じゃなくてずぅーっと昔に…。何処で見たんだ?
「見たことある?…何処ででごすかね。ひょっとしてあーしのアジトに乗り込んできた時とかに見たんじゃないんでごすか?一応これあーしらの旗印だし」
「そんな最近じゃない気がする…、と言うかお前らが旗を掲げてたかどうかさえ覚えとらん」
「むむむ、なら…あーしらの傘下を自称する木端山賊が旗を掲げてたとか、あーしの偽物が似たような刺青をしてたとか?色々あるでごすよ」
「そこで見たのかなぁ〜…」
そうだ!エリスに聞くか!…ってエリスはまだ帰ってきてないんだ。それにエリスは東部での戦いで一度もモースに会ってないし、聞くにしても…。
そう悩んでいるとドタドタと部屋の外から足音がして…。
「やい!モース!」
「あ、オケアノス」
「リベンジしろい!」
オケアノスが扉を蹴破って現れる。デティに傷を治してもらって復活したのか元気いっぱいでギィーギィー騒いでいる。…こいつがモースの足止めをしてくれてなけりゃ危なかったと聞くし、感謝はしてるけど。
今は静かにしろよ…。
「あん?ああ、お前でごすか」
「なんだよその反応!」
「リベンジ?いやでごす。あーしはもうネレイドとの約束でお前らとは戦わないんでごす」
「納得できるかよー!ネレイドにも負けて!お前にも負けて!私のプライドはズタボロだぁ!」
「ってかネレイドは何処でごす?」
「聞けし!…ネレイドは今外で子供達と一緒にいるよ」
「子供達と?」
チラリと、窓の外に目を向けると…そこには。
…………………………………………………………
「ネレイドさーん!」
「嗚呼!ネレイド様!東部を救った上に…無事にお戻りになられるとは…!」
「みんな、ただいま」
寺院の前で、みんなと再開する。テルモテルスの孤児達が私達を囲み、アルトルートが涙ながらに私の手を取り『ありがとうありがとう』と続けてくれる。
笑み、嬉し涙、歓声、これを聞けるのも…生きて帰った者の特権だなとネレイドは静かに微笑む。
ラグナに救出されて、復活してたデティに傷を治してもらって、ようやく寺院のみんなのところに戻ると、みんなはずっと…一晩中ライデン火山の前で私を待っていてくれたようだ。私の勝利を信じて、誰も逃げずに待っていてくれた。
それが今は、たまらなく嬉しいんだ…。私はほら…人に認められると嬉しくなっちゃうアマルトみたいな人だから。
「貴方のお陰で大勢の人達が救われました、貴方は東部の…真方教会の英雄です!」
「そんなことないよアルトルート、私一人の力じゃ何も出来なかった。みんなに助けられて、みんなに祈られて、みんなに信じてもらって、そのおかげで私はようやくモースと戦えた、みんなのお陰だよ…それに」
こうして、私がみんなと再会できたのは間違いなく私一人の力のおかげじゃない。私を助けてくれた人がいるから…そう。
「ありがとうね、バルネア君」
「うぇっ!?俺!?」
そう、バルネア君だ。彼が私を救いこうしてみんなと再会させてくれた。私が英雄なら彼もまた英雄だよ。
「君の声が私を前に進ませてくれた。それに…最後の最後で助けにきてくれたでしょ?」
「それは…、俺…何もやってないよ。俺の力じゃ大地に穴を開ける事は出来ない、だからラグナさんにお願いして穴を掘ってもらったんだ…」
「でも、提案したのはバルネア君」
「それは…そうだけど。この地下にライデン火山の溶岩溜まりがあるのは知ってたから…ラグナさんにお願いすれば溶岩だけでもなんとか出来ると思って…」
「君が、私とラグナの背中を押してくれた。動き出す理由をくれた、それは…どんな力よりも、どんな知恵よりも、特別なものなんだよ?」
特別な力よりも、特別な知恵よりも、みんなが持っている…それでも誰しもが出せるわけではない『勇気』と『行動力』。それを別の誰かに与えられる人というのは得難く特別な物…誇っていいものなんだ。
君の勇気は間違いなく、私を…東部を救った、それは変え難い事実なのだから。そう言いながら彼の頭を撫でる。
「その勇気があれば、君はきっと…優しく強い大人になれる。子供達を守れるような人にね。そしていつかまた…子供達の背中も押してあげて、バルネア君」
「う…うん!」
いい子だ、それきっと強い子になる。彼の満面の笑みを見ればそれが分かる…。
「いい感じに纏めたな?ネレイド」
「んぉ…アマルト」
すると、子供達の向こうから…寺院の中からアマルトや他の弟子達が手を挙げながら現れる。みんなカイムにやられ大怪我を負ったらしいけど…無事でよかった。
「ごめんね、肝心な時に居なくて」
「いーんだよ、肝心なところを押さえたんだから」
「君にそう言われると寧ろ、敗北してしまった我等の方が肩身が狭い」
「ネレイドさーん!無事でよかったですー!」
メルクも、ナリア君も、みんな元気そうだ。既に神聖軍の人達の治療を終えひと段落ついたのかみんなやや疲れた様子で私の周りにて落ち着いた姿勢を示す。
…ん?デティがいない…ああ、今度は山賊の人達を治しに行ったのかな。私が我儘を言ったせいで仕事を増やしてしまったな。
「みんなカイムにやられた傷はいいの?」
「デティに治してもらったからバッチリだ、ぶった斬られた時は死んだかと思ったが、人間って中々死なないモンだな」
「僕はメルクさんが斬られた時は血の気が引きましたよ!」
「す、すまん…不覚を取った」
「にしても、みんながやられちゃうなんて…カイムって強かったんだね」
カイム…彼がそこまでの力を持っていたのは予想外だった。弟子が複数人がかりでも手がつけられないなんて…。…モースはジズの配下達はモース大賊団の幹部よりもずっと強いって言ってたし…これは、もっと強くならないと、私もみんなも…。
「でも、そのカイムもメグが倒してくれたんだよね」
「いえ、皆様が消耗させてくれたお陰で…、それに私も最後は満身創痍で倒れたので、私がカイムを倒したなんて…とてもとても」
そう静々と語るメグの方を見ると…。
『本日の主役』『大金星』『カイムを倒したのは私です』『メグ最強無敗伝説』『バッチリ褒めて』と書かれた襷をメチャクチャに身につけまくったメグが手をフリフリ振りながら遠慮がちにこちらをチラチラ見てる。
「………………」
「そんなそんな!私は何もしていないですよ。私はただ…ねぇ?褒めてもらう必要なんて!嗚呼!」
「…メグ、頑張ったね。本当に君は強い」
「あらまぁ!そんな!…それ程のことも…あるのでしょうか?でぇっへっへっへっへっ!」
メチャクチャ嬉しそうだ…。
「はぁ〜〜!いいよなぁ、みんな誇れる成果があってさぁ」
すると、嬉しそうなメグとは対照的にアマルトは大きくため息を吐き肩を落とすと。
「俺なんか今回なーんもしてないぜ?」
「そうなんですか?アマルトさん」
「おう、今回の戦績を言えば…まずガイアの街でオセに負けて、アジト襲撃とサラキア遠征には未参加。んでカイムに負けて…終わり」
「雑魚でございますね、アマルト様」
「うっせえな!!泣きながら叩き斬るぞテメェ!」
「でもアマルトはずっと子供達を見ててくれたよね…、それは戦い以上に…尊い事」
「そーだよー!俺達アマルト先生が居たから寂しくなかったし!心細くなかったよー!」
「泣かないでアマルトせんせぇ!」
すると、アマルトの周囲に子供達が寄り添い、泣かないでと彼を慰める。これは彼が今回得た成果だ。子供達を勇気づけ、子供達に多くのことを教え、何より守り抜いた。それは誰かに勝つよりも素晴らしい事だよ。
「ううー、お前らぁ…!」
「アマルト先生!また色々教えて〜!」
「ああ…ああ!ぐぞー!泣けてくらー!」
また色々教えて…か。でも私達は…とチラリとアルトルートさんを見遣る。そろそろ、葬儀の準備も終わる、もう私達がここにいる理由も無くなる。
「ねぇ、アルトルートさん…」
「はい、なんでしょうか」
「…葬儀が終わったら、どうするの?」
「……ナール神父のご好意で、私達はサラキアに居を移します。そこの方が子供達にとっても良い環境でしょうから。なので葬儀が終わり次第…」
「なるほど、…護衛はいる?」
「いえ、大丈夫です。神聖軍の皆様とアデマール様とナール神父…みんなと一緒にサラキアに行きますので」
「そっか、分かった…」
ならここには誰も居なくなるのか…。なら私達の任務も終わりだ。
そう、私達の任務…葬儀を無事終えると言う依頼も無事達成…ん?あれ?違うな。私達の依頼って葬儀関係なかったな。
そうだ、私達の依頼って…確か!
「あ!ケイトさんは!?」
ふと私が思い出したように口を開くと…。
「ここに居ますよ!」
そう返事が返ってくる、声は背後から…皆がその声に引かれるように視線を背後に向けると。そこに居たのは…。
「エリス!」
「と!ケイトさんとアスタロト!?」
エリスだ、しかも凄いズタボロで全身血塗れでなんで立ってるのか…いやそもそもなんで生きてるのか分からないレベルで傷だらけになりながら両手でケイトさんを抱き上げ、口でアスタロトの服を噛みながら寺院の入り口に着地する。
そうだ、エリスがケイトさんを助けに行くって確か言ってた…けど。
「凄い怪我…どうしたの!?」
「ダアトにやられました!」
「ダアトに?…勝ったの?」
「負けましたよ!今度は真っ向からやって正真正銘完璧に敗北しました!」
「エリスさんダアトにボコボコにされてましたよね」
「五月蝿いですねケイトさん、エリス今激烈に機嫌悪いのでライデン火山にダンクシュートしますよ」
「やめてぇ…死んじゃうぅ…」
ポロポロと涙を流しているがケイトさんは生きている、エリスはダアトに負けたと口にしているが…それでも。
「アスタロトには勝ったの?」
「一応、ですがね…で?他のモース大賊団は居ますか?」
「いや、多分…これで全滅」
「そうですか、なら…よかった」
ペシっと傷だらけで気絶したアスタロトを地面に転がすエリスは安堵の息を零す。アスタロトを倒したのか、最初ガイアの街で戦った時は手も足も出てなかったのに…流石はエリス。再戦やリベンジ戦に於いては無類の強さだ。
でも、そんなエリスでさえ…ダアトにはリベンジできなかったのか。アイツには私も一瞬でやられている、ラグナでさえまともに一撃を入れる事すら出来なかったと言っていた。
…やはり、アイツだけ別格だった。
「ダアトはエリスを倒すなり何処かに消えていきました、もうモース大賊団に味方することもない…というより、もう東部でエリス達の前に顔を見せることすらしないでしょう」
「お前負けたんだよな、…また知識とか消されてないか?」
「消されてません、どういう理屈かは分かりませんが…やられてませんよ。ただ気絶させられただけです、起きた時には誰も居ませんでした、だからコレを持ち帰っておきました」
「なるほど、ならばいい。君が無事ならそれでな」
「ありがとうございます、心配かけましたね、メルクさん…それに、ネレイドさん」
するとエリスはこちらを見上げ、ニコッと血塗れの顔で笑うと。
「信じてました、貴方ならなんとかしてくれるって」
「エリス…うん、みんなの為に頑張った」
「ってかエリス!お前血塗れすぎ!見てくれが子供の情操教育に悪すぎるわ!おいデティー!エリスが帰ってきたー!治療してやってくれー!」
『え!?エリスちゃん帰ってきた!?って怪我しすぎー!?いつもいつも無茶しすぎだこのヤローー!!』
ダカダカと走ってくるデティの怒号に気まずそうにするエリス、それを見て笑うアマルトと襷をピンと張るメグ、そしてその様を呆れながらも優しく見守るメルクとクスクスと悪戯に笑うナリア君。周りの子供達、慌てるアルトルートさん。
ここにはみんながいる…、みんながいる場所を守れた。
考える事はたくさんあるけど、取り敢えず…。
「よかったなぁ」
喧騒の中、小さく呟く。大仕事を終えて…私は、一先ず…この瞬間を享受する。皆に感謝を込めて。
…………………………………………………………
「というわけで裁判を始めます、被告人…死刑!」
「いや弁護くらいさせてほしいでごす」
デティの孤軍奮闘により人的な損害については全て元通り。神聖軍も弟子達も山賊達までもが回復し皆口が聞ける状態になった…なら後は何をするべきか?決まってる、モース達への沙汰だ。
一応子供達には見せられない内容になる事を鑑みて子供達は寺院へ、アルトルートさんは今のうちに葬儀の最後の仕上げを、頭数だけは多くいる神聖軍を少し割いて子供達の面倒見に充てつつ…私達はモース達を前にする。
「というか、縄を解いてほしいでごす。別に逃げたりしないから」
「……不覚だ」
「まさかモースまで負けていたとは…」
「怪我を治してもらったと思ったらこれとは、わえの運命もここまでか…」
「アスタロト姉さんが負けた?…そんなわけないよ…そんなわけ…あの人は特別な…」
「………まさか俺が、お縄につく日が来るたぁな…」
モース、及びその配下の五隊長を含め全員縄で縛って目の前に座らされている。この人達に縄なんて意味はないかもしれないけど…それでも、既に万全の状態で揃った弟子達とオケアノス、そして神の三本剣と神聖軍五万人…流石にこれを前に馬鹿な事をする人たちでははいだろう。
「メグさん、裁判ごっこは今度にしてください」
「別にふざけているつもりはありませんが…ですがエリス様のいう通りではありますね。この場での決定権は私にはない…」
チラリと裁判官コスプレをしたメグさんはコスプレを脱ぎながら…見遣るのはこの場で決定権を持つ当事者達。即ち私達のような外様ではなく東部に住まう人達だ。
「うむぅ、しかし正確に言うなれば儂らにも決定権はないぞ」
しかし、恐らくこの場で最も発言権があるアデマール老師が静かに首を振る。
「此奴らはそこらの小悪党ではない、本来なら東部の裁定を行う者が沙汰を下すべきだ…」
「沙汰を下すべき、つまりクルスだな。だがアイツは俺やネレイド達をモースに売って何処ぞに消えたぜ?確か…もう東部には戻らないとか」
本来は教皇のクルスが沙汰を下すべき、その言葉の意味はわかるが…そのクルスがもう東部にはいない、アイツは東部を捨てて何処かに消えた。もう戻るつもりないと言っていたしね。
すると、オケアノスはやや苛ついたように舌を打ち。
「アイツはエルドラドに行ったんだよ。そこで会議かなんかがあるって言ってたからまずはそこに出席して、その後サイディリアルに向かってレナトゥスに新しい領地でも用意してもらうつもりなんだと…、一体このマレウスの何処に新しい領地があるってんだか…」
「エルドラド?」
「マレウスの中部地方、多分アイツは今そこに向かってる最中。今から追いかけても多分捕まえられない」
もうクルスは戻ってこない、戻すことも出来ない、なら別の人間がモース達に沙汰を…と思った瞬間前に出るのは…ナールだ。
「何を小難しく論ずる必要がある!こいつらはテロリストだぞ!サラキアを吹き飛ばそうとして剰え東部まで破壊しようとした特級の犯罪者達!ならば死刑以外あり得まい!」
拳を握り力説するナールの言う事は…まぁ正しい。彼は何処までもリアリストで全て『やった事』で判断する。そう言う意味で言えばモース達はこれ以上ない犯罪者、きっとここがオライオンなら私も同じ事を言ったと思う。
……けど、個人的な意見を言えば、私はモースに…死んでほしくない。折角あの場から救い出してもらえたんだから。
「ふむ…」
すると、メグさんはこちらをチラリと見た後…。
「では山賊の意見も聞きましょう、私に負けたカイムさん」
「ぶった斬るぞ」
「貴方達には死刑が求刑されていますが…何が言いたい事は?」
「…言いたいこと、無いな。そもそも罰せられる事を恐れて山賊をする者はいない。そこの豚が言う事は正しいし真っ当だ。好きにしろ…それに」
「それに?」
「私は…モース様に従うだけだ」
モース様に一任するとカイムはモースに視線を向ける、東部の行く末を決めるのが教皇なら、山賊団の行く末を決めるのは団長たるモースしかいない。
しかし、モースは特に抵抗するような素振りも見せず。
「…覚悟は出来ているでごす」
「モース…」
「娘の手によって捕まり、そして裁かれるならこれ以上なく本望。あーしは娘の人生の汚点…ならば、法と正義の下で裁かれるの逃げたり文句はないでごす」
モースは何処までも、私に全てを捧げようとしてくれる。火口での戦いも…常に私を見ていた。私を強くする為、試練として立ち塞がってくれた、その果てに死んでも構わないと覚悟を決めていた。
自分は娘の汚点だから娘の為に命を捨てられるなら本望…そこは、今も変わらないか。
「娘…ねぇ」
その瞬間、エリスが何かつぶやいたような気がしたが…その言葉をかき消すように前に出たのは。
「では、私に一任してもらえるでしょうか」
アルトルートさんだ…、彼女は毅然とした態度でナールの前に立ち、自分に任せてくれと言うのだ。
「何?…お前が?」
「はい、彼女達からの被害を最も受けたのは私達ですから」
「む、むぅ…確かに、言う通りではあるが…」
するとアルトルートさんは、モースの前に立つ。モースもまたそれを静かに見つめ、彼女の沙汰を待つ。
「モースさん、貴方のお陰で…子供達は困窮しお陰でガイアの街はめちゃくちゃです」
「ああ、そうだな」
「不当な暴力に巻き込まれ、傷つくべきでは無い人達まで巻き込み…貴方達は力を振るった」
「その通りでごす」
「あまりにも多くの人たちを危険に晒した、貴方達に罰を下せるのが当事者ならば、貴方達は東部の人間全員から罰を受けるべきでしょう…ですがもし、私一人に裁定を委ねてくださるならば」
静かに傅くアルトルートは、そのままモースに手を伸ばし…。
「私は、貴方を許します」
「な…!」
絶句する、誰が?分からない。少なくともモースもナールも神聖軍達も皆絶句していた。しかしそんな中アルトルートさんだけが動じる事なくモースに手を伸ばし、その縄を解いて解放していた。
「な、な、な!何をしているかー!アルトルート!貴様気でも狂ったかー!!」
絶叫、ナールの声が木霊する。狂ったか…その言葉もまた妥当。だってアルトルートさん達は本当にただ巻き込まれただけ、巻き込まれて被害を被り何度も危険な目に遭い…誘拐までされている。
なのになぜ、そんな疑問を浮かべる前にアルトルートさんはナールに視線を向ける。
「許す事、それがテシュタル真方教会の利点では?」
「そんなわけあるか!こいつらは犯罪者だぞ!」
「はい、なので私は許します」
「アホか!サラキアを破壊しようとしたのだぞ!」
「ですがサラキアはまだ存在し、破壊されていません」
「東部を滅亡させようとした!」
「東部は滅びていません」
「お前達を何度も何度も虐げた!」
「貴方も同じでしょう?」
「うぐっ…!」
「ですが私はナールもモースも全員許します。それがテシュタル様の教え…そして私たちが神に許しを求める存在であるがゆえに、私は他者を許すのです。元を正せばナール…貴方がモースの大切な物を奪ったからこうなった、彼女はただ娘を思う気持ちが暴走しただけなんですから」
「だが…だが!物事には限度があるぞ!!!」
「はい、そうです…ですが。何故でしょうね、私には彼女を恨む気持ちにはなれないんです」
縄を解かれ絶句するモースを見下ろすアルトルートさんは、その手で祈りの構えを取り…天に祈る。
「子を思う、その真摯な気持ちが伝わってくるんです。孤児院を任される身として彼女のその感情には覚えがありますから…、子を思う気持ちに嘘偽りがないのなら、私は彼女を許します」
「アルトルート…」
「モースさん、約束してください。貴方達も山賊に身をやつす原因があったのでしょうが…どうか、これ以上罪を犯さないと…」
「ッ………」
首を垂れる、モースはただ首を垂れる。確かに彼女の子を思う気持ちは本物だ、ある意味アルトルートさんの気持ちに迫る物がある。だがアルトルートとモースには決定的な違いがある。
それは、モースは許せず、アルトルートは許した、その一点だ。
「許すんでごすか…!」
「許します」
「情けは…いらないぞ」
「情けではありません、ただ…貴方に祈っているだけです。貴方にも…やり直す道があると」
「やり直す?…あーしに?」
「はい、子供の汚点だと思うなら、死して汚点のまま消えるのではなく…。娘に誇れる母になる道を選びなさい」
「ッッ…!!」
その場にいる全員が感じた、モースが器でアルトルートに上回られたと。山賊団も弟子達も神聖軍も全員がアルトルートの選択を受けモースという人間を上回る瞬間を見た、ただの僧侶が…度量一つで世界最強の山賊を呑んだ。
こうまでされたら、モースはもう何も言えない。ナールもまた何も言えない。
何故なら、モースは許されたのだから。
「ッ…分かった…、誓おう。お前に…!」
「ありがとうございます、貴方に…感謝を」
こうして…本当の意味で、東部の事変は解決された。山賊を僧侶が許すという結果によって。不服を思う者もいるだろうし、甘いと考える者もいるだろう、だがそれでも一番の被害者たる人間が許してしまった以上、口を挟める余地はない。
「アルトルート…」
そんな中、一連の流れを見守ったアデマール老師は、何を思ったか…誰にも悟られる事なく、一人ソッとその場から立ち去る。
本当の意味で、自分の役目は終わったと。許し得られ解放されるモース達を横目に心に秘めた気持ちを抑える為に、背後の群衆から離れ───。
「お久しぶりです、アデマール神父」
「ッ…お前は、ケイトか!?」
しかし、そんな彼の前に立ち塞がるのは、同じく先程の裁判に参加せず遠巻きに眺めていたケイト・バルベーロウだった。
ケイトを見たアデマールは目を見開きワナワナと震える。なんせ、彼女の見た目が…何十年も前、まだアデマールが一介の神父だった頃と変わらず若々しかったから。
「いや、ケイトじゃない?孫娘?」
「おほほほ、どうもケイトです。相変わらず麗しくてごめんなさい」
「ああ、本物のケイトか…。というか攫われていたんだったな」
「ええ、不覚を取りました。んで帰ってきてみりゃ懐かしい顔があるもんだからつい声をかけてしまって」
「懐かしいか、お前は変わらないな…」
「お前は変わりましたね、老いました」
「あれから何年経ったと思ってるんだ…」
「さぁ、どれ程ぶりか。少なくとも…友が天寿を全うするほどの時間ぶり、ですかね」
ケイトもまた、アデマールの朋友ヒンメルフェルトの仲間だった人物だ。最初見た時はなんて浮世離れした人物だと思っていたが、ここまで常識外れとは。
こいつを見ていると、若い頃を思い出す。向こう見ずで無鉄砲で、若さに任せていた頃の事を。あの頃はライバルだと敵視していたヒンメルフェルトと…敗れた方が教皇になり勝った方が冒険者になり自由になる、なんて約束でアイツと決闘した物だ。
「…貴方、冒険者になりたがってましたよね。それでヒンメルフェルトと決闘して…どっちが勝ったんでしたっけ?まぁいいや、もう冒険者にはならないので?もう教皇じゃないでしょう?」
「バカ言え、もうこんな歳なんだ…あとは老いて死んでいくだけだよ」
「確かに!あはは!」
「よく笑えるな…」
相変わらずワケの分からんやつだ。何でため息を吐く間もなくケイトはチラリとアルトルートを見遣る。皆に囲まれ、怒られたり褒められたり礼を言われたり色々と言葉を投げかけられているアルトルートを。
「知ってます?あの子ヒンメルフェルトの孫娘なんですよ」
「あ、ああ…知っている」
「いやぁ、まさかあのヒンメルフェルトに孫娘とは、なんだか世代を感じますよねぇ」
「それだけ時間が経っているんだ…孫くらいいるだろう」
「ええ、でもね?私実は冒険者時代にヒンメルフェルトに告られてるんですよ?」
「ええ!?マジで!?」
「マジマジ!私美女なんで!ヒンメルフェルトから愛の告白なんか受けちゃって!…まぁ上手くいかなかったんですけども、そんなヒンメルフェルトが別の女と子供や孫までとは、感慨深くて」
意外だった、ヒンメルフェルトが女性と付き合おうとするなんて…だってアイツは、いや…それを超えるほどにケイトを愛していたのか。まぁこいつ顔だけはいいからな…。
しかしそうか、そういう意味ならケイトにとってもアルトルートの存在は感慨深いか…。
「で、ヒンメルフェルトから告白された時、知った事なんですが、聞きたいですか?」
ぬるりとケイトはアデマールの視界に入ってくるなり…ニコリと微笑み。
「な、なんだ…」
「いえ、これはトップシークレットで…周りにはうまーく誤魔化してるんですけど…」
ニコリと微笑む笑いが…ニタリと企むような不気味な笑みに変わると。彼女はこう言う…儂にとって、一番言われたくない話を。
「実は、ヒンメルフェルトはね…『不能』だったんです。つまり…彼は子供を作れない」
「ッッ……!」
「でもおかしいですね、そんな彼は子供を作ってる…もしかして不能治療がうまくいったのかな?なんて…思うよりも前に、一つの推察に行き当たった…」
するとケイトはアデマールの顔に、否…メガネに指を当て、そのまま視線はアルトルート…『メガネをかけたシスター』に向かう。
「そもそもおかしな話なんですよ、ヒンメルフェルトの次に孤児院を継いだのがナールとか言う豚?子供が出来たならそいつに任せればいい、なのに継いだのはナール。そして次に継いだのが降って沸いた孫のアルトルート?…一つ工程が抜けてますよね」
「………」
「そもそもヒンメルフェルトは孤児院を経営していた。それは彼自身が子供を作れない傷を癒す為…そうでしょう?」
「………」
「ですが彼は老いさらばえ、もう先がなくなった。子を作れない痛みはより深く広がり、遂には自らの意思を継ぐ存在を欲し、誰よりも信頼出来る親友を頼った…それが貴方だった」
「…………」
「ヒンメルフェルトは…貴方の孫を自身の養子、いやこの場合は養孫?知らんけど。として要求したんじゃありません?」
「わ、儂の孫はクルスだ!」
「違う、クルスはお前の血縁じゃない。…彼は幼少期にトラウマを抱えている、極貧生活に対する恐怖と金と権威を持たない恐怖を…ですがそれは貴方の下で培われたものではなく、経営に行き詰まり極貧になっていたテルモテルス寺院での記憶」
「…何故お前が、それを…」
「ヒンメルフェルトは貴方の孫娘と引き換えに、数人の未来ある若者を貴方に託した、それがオケアノスとクルスだった。オケアノスは言わずもがな…クルスは、まぁなんで選んだか分かりませんが、ともかく貴方達は秘密裏に孫と孤児を交換したんです」
「……………儂は」
「そうしてヒンメルフェルトは孫を、貴方は次期教皇を、互いに手に入れ…己の孫として育てた。つまり…本物のクルセイド家の跡取り、血縁的に教皇を本来継ぐのは…」
ケイトは見続ける、アルトルートを。一介の僧侶にあるまじき器の片鱗を見せつけた彼女を見て。全てを語らない。
だが、それで十分だった。ケイトの語る推察はまるで全てを最初から知っていたかのように的を射ていた。
ただ、正確に言うなら『養子の申し出をしたのはアデマールの方から』という事。
ヒンメルフェルトは子を成せない体だった、若い頃はそれをコンプレックスにしたり、これを乗り越えたり、やっぱり気にしたりと色々思うところもあったようだが…年老いてからはそれが悩みではなく『傷』になった。
自分がどれだけ何をしても後を継ぐ者が居ない、自分が死んだら全てが終わる。それは何にも耐え難い恐怖であり苦痛だった。子供達を育てたのもある意味その傷を紛らわせる為の打算だったかもしれない…。
だがそれでも彼自身の傷は癒えず、…日に日に弱っていくヒンメルフェルトを見て儂は一つの決心をした。
孫娘…アルトルートをヒンメルフェルトに任せようと。それは彼に対する情けではない、私自身惜しいと思ったからだ。ヒンメルフェルト程の男の跡を継ぐ者がいなくなるのは、真方教会全体の損失だと…考えたから。
故に儂は孫娘をヒンメルフェルトに託した、だが彼は
『それでは君が寂しい思いをしてしまう。代わりになる物…なんて言いたくはないが、私が私自身よりも愛している子供達を託す。君にならばこの子達の傷を癒やし立派に育ててくれると思う…、だから。オケアノスとクルスを頼む』
そう言った。そうして儂はオケアノスとクルスを預かり二人を我が子のように育て…二人を神将と教皇に育て上げた。
アルトルートとオケアノスとクルスの交換、これを知っているのはオケアノスだけだ。いやオケアノスもクルスが本当は儂の血筋ではない事を知っているだけでアルトルートの正体は知らない。あとは…ナールくらいか?彼は聡い男だ、何処かでアルトルートが儂の血筋だと気がついていたかもしれない。
それでも儂達はお互いに託された子を健やかに、そして出来うる限りの愛を注いで育てた…つもりだった。
だが現実は大人の夢語りのように上手くはいかない。まだ幼かったクルスは歪みを矯正し切れず歪み切った大人に育ち、教皇の権力を求めて、ああなってしまった。オケアノスも儂と『クルスへの憐憫』からクルスの暴走を止めなかった。
結果儂はヒンメルフェルトから託されたクルスを厳しく処罰することができず、…真方教会全体が崩れてしまった。
…許されることではないと分かっている、それでもクルスが…仮にも孫として育てたあの子が可哀想でならなかった。あの子の唯一のアイデンティティである『教皇の血筋』が本当は偽りである事を伝えれば…クルスが壊れてしまうと思ったから。
「哀れですよね、今の教皇は…自分が正当なる教皇であると本気で思っている。まぁ…そういう風に育てたのは、貴方ですが」
ケイトが冷たくこちらを見る。そうだ…そうだよ、儂はクルスに対して良い手本になれなかった。
だが、どうだ?アルトルートは。なんて良い子に育っているのだ。ヒンメルフェルトはクルスに辛い思いをさせた事を悔やみ、直ぐに寺院の経営をナールに明け渡し貧困から子供達を救い、その間にもアルトルートに道徳を教え、時に優しく、時に厳しく育て…立派な祖父として尊敬される人物として生涯を終えた。
クルスに正しい道を教えてやれず、オケアノスに明かせない真実を背負わせた儂と違い。ヒンメルフェルトは…アルトルートをあそこまで立派に育てた。クルスには悪いと思う反面、儂はヒンメルフェルトに孫娘を任せてよかったとさえ思っている。
「………」
「ま、これは飽くまで私の推察なので、公言するつもりも誰かに言いふらすつもりもありませんよ。でも…ヒンメルフェルトは言っていましたよ」
「なんと…?」
「…逸れた道は、いずれ正されると。クルスが誤った教皇であるなら、いつか正しい教皇が玉座に座る…彼女がサラキアに向かうのは、恐らくそういう運命なのでしょうね」
「………そうだな…」
目を伏せる、クルス…儂がしっかりしていればお前は…。だが儂が悔やむには遅すぎた、お前は多くの人を殺しすぎた。
神は世を見ている、きっと天罰は降る。…だがもしお前が地獄に落ちるなら、その時は儂も一緒に落ちよう。
(……………)
何かを決意するような瞳で虚空を見つめるアデマール、そんな彼の顔を見てケイトはチュッチュっと唇を鳴らし。
(アデマールさん、何を考えているかは知りませんが。世の中そんなに甘くないと思いますよ)
結局何をどう取り繕おうともクルスの責任はクルスの責任であり、その罰が天より与えられる日が来るならば地獄に落ちるのは彼一人だ。その後アデマールがクルスと共に地獄に落ちる為命を絶とうとも、それは意味のない自害でしかない。
責任を負うと言うには、遅すぎたんですよ。
(にしても…ようやくこの事件も終わりですか)
ケイトは続けて目を向ける。モース、ネレイド、アルトルート、アデマール…この事件の中枢にいた者たちを。
(この事件、蓋を開けて単純化すれば。母と娘、祖父と孫、血が繋がっているのか、居ないのか。ただそれだけの事に振り回されただけの珍事件でしたね…)
まぁでも、気持ちは分からんでもない。そもそもヒンメルフェルトの心に抱えた『後を継ぐ者のいない恐怖』はケイトだってよく分かっている。子を宿せない体なのは私も同じ…もしかしたら彼はそこを感じ取って私に声をかけたのかもしれませんけど。
そんな事、今更どう言おうともせんなき事…。
(にしても…)
顎先を指で撫でながらケイトは少しだけ、考えてみる。
(まだこの珍事件、もう一波乱ありそうな予感がしますねぇ。はてさて…ここからどこがひっくり返るのやら)
直感にて感じる、まだ…この事件が真の意味で終わっていない事実を。まぁ何にしても関係ない。私は最初から最後まで傍観者なのだから。




