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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十四章 闘神ネレイド、炎の大一番
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467.魔女の弟子と個人的な因縁に決着を


「というわけで、モースが来る二日後まで戻りません、皆さんよろしくお願いします」


「は、はあ…」


目を丸くして弟子達はガイアの街を旅立とうとするネレイドを見て訳がわからないとばかりに呆然と立ち尽くす。テルモテルス寺院の入り口に立ち…大量の荷物を背負うネレイドとその脇に立つオケアノスとラグナを見送るため皆揃う。


「い、いやいや。戻りません…じゃなくてさ、何処いくんだよ」


「そ!そうですよ!ここにもうすぐモースが来るんですよね!?ならみんなでいた方が…」


「今のままじゃモースには勝てない、だから…もっと強くなる」


「みんなで戦うじゃ…ダメですか?」


「ナリア君……」


旅立ちを前にナリアに縋りつかれ、やや困った顔をするネレイドは言葉を詰まらせる。正直モースを止めるならみんなで行った方が良い。だがネレイドはそれをしない、それは何処かでみんなが分かってる…だって。


「ううん、モースがこうなった原因は私にある。だから私が止めたいんだ…その為にも、ごめん。私だけでカタをつけさせて」


モースが東部の破壊を狙っているのはジズへの取引の結果であり、モースがジズの取引に乗ったのはネレイドを探すため。ネレイドに責任はない、だがそこに重要なファクターとしてネレイドが居るのは事実。


だからこそ、止めたい。だからこそ、モースを捨ておけない。仲間と共に戦うのも良いだろう、だがきっと…ネレイドは一人で決着をつけなければ、この一件を一生引きずる。


これからも前に進むために、モースとの一件にケリをつける。


「じゃあ俺とオケアノスはこれからネレイドの修行に付き合うから、ちょっと空けるぜ?」


「まぁヴェルトいるし、いいでしょ」


「俺に丸投げっすか。まぁ…火口周辺を神聖軍で見張ってりゃモースも見つけられるでしょうし、いまさら細かい指揮は必要ないか」


「そうそう、あとメグさん。なんかあったら連絡出来るような魔力機構かなんかないかな、あったら欲しいんだけど」


「え?連絡出来る?…少々お待ちを、魔伝よりも有効範囲は狭くなりますが、こういうのならありますよ」


そう言ってラグナの要求に応えるように時界門を開き、中から取り出したのは…。


「なにこれ」


「軍内部で新たに研究されている遠距離念話イヤリングでございます、これを身につけているとこちらのマイクで話した内容が聞こえるようになるんです。試しにつけてください」


金色の鎖に青い宝石が取り付けられたイヤリングが一つと、それに対になるような一本の筒だ。イヤリングの方をラグナに渡せばラグナは右耳にそれを取り付け…。


「ん?分かった。こうか?片方にだけイヤリングつけるってなんかダサい気が…」


「ワッ!」


「ぶふっ!?耳元で吠えるな!?いや耳元じゃないのか…でも耳元から聞こえたな。なるほどそういう原理か」


これは恐らく念話魔術の応用で、あの筒に発した声をイヤリングに届ける仕組みになってるんだ。イヤリングの方から声をかけることは出来ないが、それでも何かあった時の連絡には使えそうだ。


「ガイアの街からサラキアまで…というと流石に届きませんが、街の郊外くらいなら大丈夫かと」


「ん、サンキュー。なんかあったらそれで連絡してくれ、すぐに駆けつける」


「畏まりました」


「あと二度とさっきみたいな悪戯するなよ」


「畏まりました」


「イマイチ信用出来ない…。まぁいいか」 


連絡手段を確保して、もし不足の事態でモースが早めに来ても対応出来る。あとはネレイドさんがモースに勝てるようにオケアノス考案の修行をするだけだが…まぁここはオケアノスを信じよう。


「それじゃあ行ってくるよ」

 

「ああ、頼んだぞ」


「じゃあねみんな〜!ネレイドバチ強くするんでよろしく〜!」


「お気をつけて、オケアノス様」


「…ん、行ってくる」


「頑張ってね!ネレイドさん!」


その言葉を別れの文句に、ネレイド達はガイアの街を離れていく…モースとの決着のために。その意思を皆が尊重し見送ることとなる…が。


「で?お前はどうすんだよ、エリス」


「ん?」


アマルトさんが声をかける、エリスはどうするかと。そうだ、エリスはネレイドさんのトレーニングメンバーに入っていない。本当ならエリスも手伝うべきなのだろうがここは辞退させていただいた。


「エリスちゃんもこっちに残る…って感じじゃないね、なんか武装してるし」


「まあ…」


その上エリスは手には籠手を嵌め余分な荷物は全部置いて、今すぐ戦いに出れる姿をしてるんだ。異様といえば異様。デティの言葉は最もだ。事実として、エリスはここに残るつもりはない。


「エリスはケイトさんを助けに行ってきます」


「え?後回しって…」


「ええ、やる事が決まるまでは後回しです。けどそれが決まったなら助けに行くべきでしょう、二、三日も放置するつもりはありません。エリスがちょっと行って連れて帰ってきます」


「ちょっと行ってって…の割にゃ随分気合い入ってるけど」


「多分見張りがいますし、それに恐らくですが…奴もいます」


「奴?」


「ダアトです、きっとアイツはモースに同行せずシジフォースに残っている。ケイトさんも移動させられずシジフォースに監禁され続けている」


「……なんで分かるんだよ」


「なんとなくです」


なんとなくだ、証拠も無いし事実かどうか確かめる術も今のところない。だがそうだとエリスは確信している。


知識を取り戻してから世界がより鮮明に感じるんだ、まるで神経の種類が一個追加されたような。今まで感じられなかった何かを感じるような気がする。


目で見て音で聞き鼻で嗅ぎ触って感じる…それ以外の方法で物を感じる事ができる。そしてそうやって感じ抜いた先に…奴の気配を感じる。おかしいよね、魔力を放たないアイツを見つけることなんて出来ない筈なのに、…エリスの『何か』はどうしようもないくらいアイツを見ている。


「なんとなくって…、というかダアトがいるならやばいんじゃねぇの?また…」


「負けるかもしれませんね」


「じゃあ…その、行くなよ。今度は本マジで取り返しのつかない事になるかもだぜ」


「そうですね、でもすみませんね。…エリスはアイツに勝ちたいんですよ、そこに理屈は述べられませんが……うん。今度はなんとかしてみせます」


勝てるかと聞かれれば、答えられない。


負けないかと聞かれれば、答えられない。


ただそれをした結果どうなるかは完全に未知だ。だけどアイツはマレフィカルムで…倒さなきゃいけない存在で…もしかしたら本部の場所を知ってるかも…みたいな、そう言う『戦う言い訳』があるわけでもない。


それでも、引いちゃいけないと思うんだ。エリスと同じ力を持ちエリスよりも高みにいる存在。かつてはシンが座っていたその場所にいるアイツをエリスはどうしても無視出来ない。手の届く所にいるなら…向かうべきなんだ。


「じゃ、今日の夜ごろには帰って来られると思うので。モースとの戦いには間に合うかと」


「あ!おい!」


「いいよアマルト、行かせてあげて」


「でも…!」


走り出すエリスを止める事なく、デティはアマルトを制止する。このまま行かせればエリスが危ない…そう心配するアマルトの気持ちは分かるとデティは頷いた上で。


「大丈夫だよ、エリスちゃんはなんとかする」


「…そうか?」


「うん、だってエリスちゃんだよ?リベンジはちゃんと果たす絶対にね」


「とは言うけどよ…」


だがアマルトはそれでもエリスを目で追いかけてしまう。なんでかって?そんなの決まってる。


(エリスにしても、デティにしても、俺の知らない目をしてやがる。なんなんだよ…)


エリスもデティも、今まで見た事のない目をしていたからだ。そこに感じるのは違和感でも興味でもなく、恐怖だ。二人にも知らない一面があったなんてレベルの話じゃない。もっと重大な何かな気がして…行かせるのが嫌だっただけだ。


ただそこに気がついたのはアマルトだけらしく、修行に向かったネレイド達と救出に向かったエリスを見届けたメルクリウスは。


「ん、では我等も動こうか」


「火山の火口付近の警護ですね」


「ああ、ヴェルト殿、メーティス殿、クサンテ殿。そちらはお任せしても良いですか?」


「構わない、そもそも東部を守るのは俺ら神聖軍の仕事。本当なら俺達が全部終わらせるべきなんだ。火口の警護くらいやってみせるさ」


「感謝する、では我等はテルモテルスの方で子供達の面倒を見ていよう。アマルト…行くぞ」


「あ、ああ…」


「エリスの事を気にしてるのか?」


「当たり前だろ…」


「案ずるな、彼女は無鉄砲だが無謀ではない。戦闘経験なら私達の中で随一だ…それに、一度負けた相手には滅法強いからな、なんとかするだろう」


「そうか…」


解散していく神聖軍達、ナールやアデマールは一応街の宿に避難という形で移動して、アルトルートはヒンメルフェルトの葬儀に。あれだけいた人達は皆散り散りに散って…またもここには魔女の弟子とアルザス三兄弟が残される。


こんな状況に陥っても子供達の面倒は見なければならない、人とは如何なる状況でも生きているのだ、そして子供は常に庇護の対象。守ってやる大人が必要なんだ。


「んじゃ、俺は子供達の飯でも作ってくるか…」


「いや待て、アマルト」


「あんだよ」


しかしそれさえもメルクリウスに止められ若干イラつきながらも彼女の顔を見ると…。妙に真剣な顔をしていた。


「どうした」


「いや、君の意見を聞きたい事が一つある。メグ…地図を」


「こちらに」


そういうとメルクは一枚の地図…東部全域を書き記した地図を手に広げて、顎を撫でながらそれを見下ろす。今更東部の地図なんて見てどうするんだ?


「あった、シジフォース…ここか」


「ケイトがいるって街だよな、そんでもってモースの出発地点」


「ああ、エリスの言った通り…シジフォースは大きな断層に阻まれた向こう側にあるようだ」


シジフォースを地図で見てみると、確かに巨大な亀裂…というか崖の向こう側にある。亀裂なんて言うと飛び越えられそうなものだと思うが、こうやって見ると分かる。これは飛び越えるのは無理だ。


エリスみたいに空でも飛べない限りこの崖は越えられない。大きく迂回してガイアの街に行く必要がある。


「この亀裂は私達がサラキアに向かう最中にも見たが、これは越えられない」


「そうだな」


「だが…見てくれ。地図上で見た直線距離を」


この亀裂をないものとして考えた直線距離、シジフォースとガイアの街はそれほど離れていない。空を飛べるエリスがちょっとそこまで感覚で向かえるくらいの距離にシジフォースはある。


…この距離……。


「亀裂を無視出来たら、本当に直ぐそこだな」


「ああ、私がモースなら…これを無視して進む方法を模索する」


「え?でもこれを無視出来たら二日どころかこれ。…一日もしないうちに到着出来ちゃいますよね」


「そうだ、…一つ聞きたい。アマルト、君ならこの亀裂をどうやって超える」


「……………」


ンなもん分かるわけない、分かるわけないが。こうやって地図を上から眺めて見ると、頭部にはこう言う亀裂がたくさんあるように思える。多分火山が沈んだ影響で大地が割れてしまったんだろう。


なら…もしかしたら…いや、いやいや。無理だ。


「無いな、亀裂を越える方法はない」


「そうか…」


一瞬一つの可能性が過ぎった、だが同時に思う。流石に無理だと。そう伝えればメルクリウスはがっくりと肩を落とし。


「いや、すまん。なんだか嫌な予感がしただけなんだ、このままモースがテクテク歩いて火山にまでやってくる図が思いつかなくてな」


「俺はモースを見た事ないからなんとも言えんけど、それしかないならそうするしかないんじゃないか?」


「だがここに戦力があるのが分かっていると言うのに…。我々以上に裏社会の修羅場を潜り続けてきたモースが…単になんの策もなくやってくるだろうか。うーむ、分からん」


そりゃ、そう疑いたくなる気持ちもアマルトには分かる。だが唯一思いつくこの方法はいくらなんでもモースだってやらないだろう。


「………」


チラリと地図を見る、そこには無数の亀裂が存在し、東部全域を赤茶色に染めている。


東部の地下には溶岩が川のように流れていると言う、それは脈のようにあちこちに道がありそこを溶岩が通っているという事。つまり…地下にはそれなりのスペースがあるんだ。もしこの断層がその地下のスペースにまで届いているのなら…或いは断層を飛び降りて地下通路を通った方が早い場合もある。溶岩は全てライデン火山から来ている事を考えてもそれはガイアの街への道になり得るしな。


だが…無理だろう。そもそもこの断層が地下の空間に届いている確証は無いし、溶岩が通るような道を生身の人間が通れるとは思えない、それに地下の道を通っても何処に出るんだよ。


地下から上に通じる洞窟でもあればそこを見張りたいが…そんなもん無いしな。うん、無理だろ、こんな事口にすればメルクリウスはその可能性を払拭し切れず混乱するだけ。


あり得ない可能性は空想話と一緒、杞憂に終わるなら憂慮する必要もない。


「ま、その辺の知識は俺よりもアデマールさんに聞いたほうがいいんじゃ無いか?」


「それもそうだな、よし。少し行ってくるよ」


「そーしな」


そう、あり得ない…あり得ない筈だ。そう言い聞かせながらアマルトは腰に差した剣を触りながら、小さく息を吐くのであった。


………………………………………………………………


「ダアト、私はお前が信用ならん」


「だからそう言われましても…、あれからどれだけの時間問答を繰り返したか分かっていますか?もう何日経ったと?もしかして事が終わりまでずっとこの話をするつもりで?」


シジフォースの街のど真ん中で睨み合うダアトとアスタロト。既にモース達は街の外に向かいガイアの街へと行ってしまった。そんな中モース達に着いていかずケイトの警護につきながらもアスタロトがダアトを問い詰める理由…それは偏にダアトが信用できないからだ。


「ガイアの街に攻め込む辺りから、お前の動きは不可解だ。お前…協力するフリをして我々を都合よく使っていたんじゃ無いか?」


「………困りましたね」


ダアトが信用ならない、そもそもアスタロトは最初からダアトと言う人間を信用していない。唐突に現れ味方として受け入れられ、いつのまにか参謀役に収まった。つまりこいつは信頼の積み重ねも実績もなく山賊団を動かせる立場に着いたと言う事なのだ。


その上、先程のモースの不可解な言動。それもダアトとモースが二人きりで話してからだ。


「お前はなにを企んでいる」


こいつは異様な力で他人の思考や行動を先読みする事ができる、ならば他人を意のままに動かすことも容易だとアスタロトは考えている。そしてそう言う凄まじい力を持った人間が…なんの野心なく善意だけで人を助けるとは思えない。


「何を、と言われましてもね。私はマレフィカルムの人間…これからマレフィカルムの同志になるモースさんを手助けするべく馳せ参じただけですが」


「マレフィカルムの最高幹部たるお前が態々?」


「…ええ、マレフィカルムはアットホームな組織ですので」


「…………………」


「はぁ、困りましたねぇ。何を言っても貴方は私を信用する気がないようだ」


そして、それをダアトもよく分かっている。アスタロトが抱いている疑心は頑なであり、論舌を持ってして説き伏せるのは不可能であると。他でも無い識の力を用いて答えを出している。


ここで何百時間語り合おうとも、アスタロトはこれ以上ダアトをモースの側に置くことはない。


「でも分かっているんですか?私はモースさんの意思で貴方達に協力している、私に逆らえばモースさんに逆らうも同じですよ」


「私はモースの部下ではない、ただアイツを倒す為に側にいるだけだ…」


「そうでしたね…の割にはモースさんのために疑わしい私を問い詰めているようですが」


「決まっている、お前が立案する計画は悉く外れ我々を追い詰め弱体化させ続けている」


まずダアトが立案したガイアの街の襲撃で、我々は本隊の大部分を失った。次にサラキアの街襲撃、あの作戦もダアトが立案し、結果隊長三人を戦闘不能にすると言う手痛い結果に終わった。


未来を見通せるほどの力を持ちながら、この結果を予測できなかったのか?…予測できなかったならそれはそれでいい、こいつが無能で済む話だ。だがもし分かっていて…敢えて我々を弱体化させるために無理な計画を立案していたのだとしたら…。


「だとしたら…どうします?」


「ッ…お前、まさか…」


心を読んだダアトがニタリと笑う、まるでアスタロトの考えが正しいと言わんばかりに。


「まさか最初から私達を弱体化させるために…」


「貴方は知らないかもしれませんが、モースとジズは密約を交わしていたんですよ。マレフィカルムに入り込んだ後…内側からマレフィカルムを打ち崩す為の駒として戦う密約を」


「なんだと…!」


「ジズはね、モースを使って反旗を翻すつもりだった。私がここに来たのはその事実の確認です…そして疑念が確信に変わったからこそ、貴方達には少し…痛い目を見てもらおうかと」


「だから、弱体化か…!」


「ええ、幹部数人と主力部隊の崩壊…これだけ損耗すれば十分でしょう」


「ッ………」


つまり私達はジズとマレフィカルムの対立の煽りを喰らっただけ…?世界最強の山賊団たるモース大賊団が、他勢力の対立構造に巻き込まれてこんな大損害を負ったと言うのか…!


なんたる屈辱、なんたる恥辱、許されない。許していいはずもない愚弄、ジズもこいつも…!


「お前を信用した私が馬鹿だった」


「ええ、馬鹿でしたね…お陰でモースも簡単に動いてくれました」


「ッ…モースにも何かしたのか!?」


「ええ、折角だからお教えしましょう。私が彼女と行った密談…それは」


そう言いながら口を開き、アスタロトに伝える真実…それは。


『ネレイド達の目的はマレフィカルムの殲滅。いずれはジズや他の八大同盟とぶつかり合うことになる。彼女がこのまま旅を続ければいずれ死ぬことになる…それを阻止するには、彼女心を折る必要が、ありますよね?』…と。そう伝えたと、ダアトは言うのだ。


「モースにはネレイドの心を折って、魔女の弟子達の行軍を阻止してもらう必要がある。その為に態々オケアノスを焚きつける手紙を出して二人を争わせ、消耗させたところにモースをサラキアに向かわせ戦わせた…」


「………」


「如何に魔女の弟子達が強力でも戦闘の後にモースを倒すことは不可能、力の差を思い知った彼らは深く傷つく、ネレイドは己の力不足を嘆き、リーダーであるラグナ・アルクカースの心もへし折ることができる」


「………そこまで読んで、モースを動かしたと」


「ええ、今頃魔女の弟子達は統率を欠いている事でしょう。ジズの手駒は弱り魔女の弟子達は歩みを止めた、貴方達のおかげでマレフィカルムの敵は皆潰すことができました、盲目に従ってくれてありがとう。是非手を取ってお礼を言いたい!」


「貴様ッ…!!」


クスクスと笑いながら口元を隠すダアトに怒りを、こいつを野放しにした自分自身の弱さに憤慨を、燃えたぎるような激憤に身を委ねたアスタロトは…。


「ならば、後はもう分かっているな…ダアト」


「私を消すつもりですね?ですが私も貴方を消すつもりです。そして私はこの場を離れ真相を知らぬモースは盲目的に動き続け東部を消し去る。東部の消滅はマレフィカルムにとってマイナスではありますが…私個人の目的には合致するので許しましょう」


「何処までも人を馬鹿にしたやつだ…。あまり私を…侮るなよッ!」


「ッ…!」


動く、最早論舌による決着はない。双方がそう理解した時点で戦いの火蓋は切って落とされていた。アスタロトが両手を開きダアトが杖を握り、衝突する。


「剛柔術『極手』ッ!」


「剛の型『一閃』ッ!」


刹那、爆裂するような衝撃波がシジフォースの街を揺らす。アスタロトの一撃とダアトの一撃、それが互いに一歩も譲らぬ形で衝突し行き場を失った力が下へ逃げ大地を揺さぶったのだ。


「ダアト!私とモースを愚弄したその償い!傷と痛みをもってしてもらうぞ!」


「貴方達はもう用済みなんです、これ以上関わるつもりはない…!」


『なんだ!?地震か!?』


『いやぁー!この世の終わりよ!!』


『逃げろー!!』


最初からこうするつもりだったとばかりに呆気なく開戦したダアトとアスタロトの超近接による殴り合い。両者共に拳による制圧を得意とする者同士の超常的な激突は直ぐにシジフォース中に伝わり、何が起こったかも理解出来ない住人達は悲鳴を上げながら逃げ惑う。


無意識ながらに感じ取った二人の威圧を神の怒りとして捉え、街を放棄し逃走を図る人々に目もくれず、二人は。


「フンッ!」


「っと!怖いですねッ!」


互いの息が触れるほどの距離で殺し合う。アスタロトの剛腕が空を揺らし、それを避けたダアトの一撃が大地を揺らし、両者一歩も引かずに踏みとどまり続ける。


「速の型…」


と、一呼吸を置き手に持った銀の錫杖を上へ投げ捨てたダアトは拳を握り。


「『五月雨』ッ!!」


振るう両手によって繰り出される怒涛の拳撃。耐久お化けのネレイドを一瞬にして沈めた拳の雨がアスタロトに降り掛かるが…。


「剛柔術『流河』…!」


サラリと手で虚空を撫でるような動きを見せたかと思えば、それだけでダアトの連撃を逸らし空を切り裂かせる。それを見たダアトは一瞬目を見開き…。


「なるほど、剛柔術…!」


距離を取る、ダアトが距離を取ることを選択する程にアスタロトの近接戦能力は高い…と言うより直線的な攻めしか出来ないダアトと相性が悪すぎる。


(剛柔術…アスタロトが長い修練によって編み出した独自の柔術。力を以ってして行われる制圧と、技によって行われる防御を両立させた…一種の究極。これは簡単には倒せなさそうだ)


アスタロトは強い、二番隊の隊長にこそ甘んじているが、じゃあカイムの方が強いかと言えば答えに困るくらいには強い。八大同盟幹部級の強さを持ちながら修練を積み続ける彼女にダアトは一定の評価を下す。


侮れないと…。そして。


「相変わらず不気味な動きだ」


アスタロトもまた、ダアトを警戒していた。圧倒的な速度と破壊力、そしてをそれを実現出来る身体能力と不可思議な体質。そのどれもが異質であり、やはりダアトは自分の格上に位置する存在なのだと。


(先程の連撃は初見だからこそ防げた、だが二度目はない…。同じ防ぎ方はもう通用しない)


真っ向から戦えば地力の差で負けるのは明白。…だが。


(こいつは私とモースの尊厳を愚弄した。ジズもマレフィカルムも関係ない!モース大賊団を甘く見たツケを払わせる!それが私達の流儀!)


肩を回し腕を鳴らし、臨戦態勢をとる。最早こいつを生かしておく理由はどこにもない!


「本気で行くぞ…ッ!」


「………!」


掴む、まるで空を掴むように天に掲げた手を握り大きく踏み縛るアスタロト、その腕の筋肉が一段階膨らむように怒張し…。


「『虚空投げ』ッ!」


振り下ろされた腕は大気を投げ飛ばし、不可視の砲弾となって音速を超える。視認不可能な超高速の衝撃波を前にダアトは防御ではない回避を選び、一瞬爪先に力を込め一気に横に跳躍。


「なんという身体能力、凄まじいですね…武術家というのは!」


一瞬、爆裂するような音を立てて加速したダアトの蹴りがアスタロトに飛び──。


「ぐぅっ!?」


鋭く蹴り抜くはアスタロトの顎、受け流されるというのならそれを込み合いで更に速度を調整すれば良いだけ事。だがダアトの渾身の蹴りを受けながらもアスタロトは倒れる事なく頭を持ち上げ。


「マレウス・マレフィカルムも!」


「根性で持ち直して…!」


刹那、ダアトが身を引くより速く、アスタロトの手がその胸ぐらを掴み。


「ジズ・ハーシェルも!」


ダアトの体が大地に沈み込む。それ程の力で強く強く…投げ飛ばす。


「どちらもくだらん!お前達の事情に我々を巻き込むな!」


「ッ…貴方達が、首を突っ込んだんでしょう…!闇の世界へ!」


「喧しい!」


更に追い討ちをかけるべくアスタロトが倒れ伏すダアトに蹴りを放つが、それより速く動き出したダアトの跳躍により代わりに大地が真っ二つに割れる。


「お前達は踏み躙ったのだ…モースの願いを、娘を見つけたい…復讐をしたい、奴が自分の身を削ってまで願った願いを踏み躙った」


ガラガラと崩れる地面から足を引き抜きアスタロトはダアトを睨みつける。怒りによって力の篭る拳を開き、頭をかきむしりながらアスタロトは吠える。


「奴は強かった!私と出会った時既に衰え始めていたというのにそれでも強かった!だが…最近は衰える一方だ!奴は無敵の強さを代償に願い続けていたのだ!…それを、お前達は利用した!」


「…………」


「…今じゃ見る影もないくらい衰えて、かつての威容は何処にも見当たらない。そうまでして叶えたかった夢を…モースの生きる目的を、踏み躙ったお前達を、私は許せない」


「許してもらおうとは思っていません、そもそも貴方達山賊でしょう?騙す側奪う側の人間が…、騙され奪われた瞬間に都合のいい事言ってるんじゃないですよ。虫唾が走る」


「それを…ッ!お前が言うなァッ!!」


肉薄するアスタロトの威容を前に立ち回るダアト、これほどまでに怒り狂いながらもアスタロトの動きの冴えは衰えることはなく、的確に襟や裾を掴むように手を振るっている。それを拳撃で撃退しながら…ダアトは考える。


(力ではややこちらが優勢、ですが技量では互角か…或いは相手の方が若干上、何より打撃に対する対応策が完璧に出来ている。私の直線的な攻撃では倒すのは難しいか…)


「ハァッ!」


「チッ」


刹那、アスタロトの手がダアトの袖をがっしりと掴む。その瞬間自分の体幹が芯から揺さぶられるのを感じ、次の瞬間には服を掴むアスタロトの指を捻じ曲げ関節を外し──。


「洒落臭い!」


「ぐふぅっ!」


しかし、指一二本外した程度ではアスタロトは止まる事なくダアト体を一瞬で持ち上げ弾丸の如き速度で投げ放ち、気がつけば自分の体は家屋を三つほど貫いて瓦礫の中に横たわっていた。


(投げられた、相手を掴み持ち上げ投げる…その工程が極限まで短縮化されているのに威力に全くの減退がない。無意識ながらに人体の構造と複数の力学を理解し徹頭徹尾合理的に投げている…それに)


「剛柔術『当て身投げ』ッ!」


「ッ…!」


先読みにて、天井を打ち抜き上空へと逃げるダアト。…と次の瞬間、先程までダアトがいた空間に砲弾が飛んでくる。


否、飛んできたのはアスタロト自身だ。奴は自分自身を投げて飛ばし背中がぶっ飛んできたのだ。その威力は凄まじく、シジフォースの住宅街を一直線に貫き街に一文字を引くほどの物。


(指を外しても躊躇がなかった、自分自身を投げて突っ込むなんて無茶もする。恐らくアドレナリンで複数の感覚が麻痺して没我の域に達している。痛みも殆ど感じていないだろうな、アレには痛覚情報を直接叩き込んでも意味がない…止めるには物理的な方法によって制圧するより他ないか)


俯瞰でシジフォースの街を睨みつけ、虚空へ飛び上がりながらアスタロトを探しつつ、手に嵌められた革のグローブを付け直しコキコキと拳を鳴らす。


(さぁ何処から来る…いやこれは)


識確が騒めく、これは──。


「真下ッ…!」


「奥義『山崩し』ッ!」


次の瞬間、ダアトの真下が…大地が爆ぜるように天に向け瓦礫を飛ばす。いや違う、爆裂したんじゃない!街を投げたのか!


「そこか!ダアトォッ!」


「チッ!先手を取られ続ける…!」


迫る瓦礫を杖を薙ぎ払い打ち払えば、その音と衝撃で位置を察したアスタロトが噴煙の如き瓦礫の逆さ雨の中を突っ切って再びダアトに迫る。


腕力だけでよくここまで立ち回る、流石は肉体面ではモースに次ぐデタラメ人間…!


「健康極まりないようで、羨ましい限りだ…!」

 

「我々に、山賊に手を出した事を後悔させてやる!」


瓦礫を足場に空を駆けるアスタロトは巨大な手を広げ掴みかかる、アレに掴まれればまた主導権を渡すことになる、させてたまるか。


「速の型『迅旋』!」


「むっ!?」


瞬間、足場を用いずその場で独楽の様に回転したダアトの足がアスタロトの腕を弾く、その様を見たアスタロトは顔色を変え…。


「どう言う事だ…、さっきから。お前の動きは一々不可解だ!」


「そう言われましてもね、逐一紹介する様な芸当でもなくですよ」


弾かれてもなお、周囲の瓦礫を足場に何度も何度もヒットアンドアウェイの強襲を繰り返すアスタロトを一つ一つ丁寧に弾き返す、杖を振るい拳を振るい、迎撃する。


「やはり、…お前の動きは武に忠実でありながら武の基本の形を成していない」


「ほう?と言うと?」


「武の基本は、大地だ。大地を蹴り、大地を踏み締め、大地と共にあるのが武の真髄にして基本…だがお前はどうだ、先程から…一切大地を使って戦っていない!」


拳を振るうのも、加速するのも、人は大地を使って行う。地に足のついていない武術家ほど無力な物はない。だがダアトはどうだ?


加速、まるで虚空から速度が生まれた様に動く。


打撃、血に足をつかず動く。


魔術を使っているのかと思えば魔力は相変わらず感じない、魔力を持たないダアトがどうやってそんな動きをしているのか、アスタロトには理解出来ないのだ。


「武は大地を…ですか、だって私は武術家ではないですからね。そして」


アスタロトは直感にて悟る、ダアトの動きが変わる…攻守を入れ替えようとしている事を。そしてそれは直感だけで終わらず…事実となる。


「分からない事があるなら、その身で受けて自分で考えなさい…!」


「ぐっ!?」


虚空を踏んだダアトが生み出す加速は、瓦礫を踏んでいるアスタロトよりも速く、まるで一閃の如き拳が頬を殴り抜く。首を振って衝撃を逃すなんて真似出来ないくらい速く…。


「速の型…『折金』ッ!」


そしてそこから叩き出される怒涛の連撃、直線に伸びた針金を何度も折り曲げた様なジグザグの軌道を描き、アスタロトを殴り抜き、吹き飛ばされた彼女に追いつき、更にもう一度殴りつける。


「剛の型『雨垂』!」


「グッ…!」


打撃を殴り飛ばされるなんて経験、いつ以来か。凡ゆる打撃に対応して受け流す術を構築してきたアスタロトの経験と努力とそこから生み出される技量。その全てを上から上回り頭を押さえつける様な理不尽。


意味不明な動き、不可解な挙動、…認めたくないが。


(この女は…私よりも、モースよりも強い…!)


大地を割るほどの勢いで地面に墜落し、口元から血を噴くアスタロトは…心の底より、認める、認めるより他ない。


「分かりましたか?私の力…いや、私に勝てないと言う無二の事実が」


そんな事を呟きながら目の前に降り立つダアトに目を向け、メリメリと音を立てて埋もれた体を持ち上げ起き上がり…。


「え?いや、なんで立てるんですか。全然普通に全力で殴ったんですけど」


「受け身を取った、柔術に於いて受け身は基本だ」


「受け身とかそう言うレベルの話ではない気が…」


ジャケットを脱ぎ捨て、シャツを引き裂き、サラシ一丁で筋肉を晒す。怒張した両腕に刻まれしは山龍の証たる龍の刺青。これを見せたのはモースと戦った時以来…つまり。


「それより、悪かったなダアト」


「謝罪?…命乞いですか?」


「違う、私は相変わらずお前を許す気はない。だが私はお前を何処かでナメていたのかもしれない…私が本気を出せば軽く捻れる相手だとな」


「ほう?ならば今は?」


「全霊を尽くし、挑むべき強敵と仰ぐ。許せぬ仇敵であると同時に…手合わせに感謝せざるを得ない達人である事をここに認める」


「…へぇ」


アスタロトは本気で戦っていた、全力を隠していたとかまだ奥の手があるとか、そんなことはない。今も変わらず今まで通り全力で、これ以上出せる物なんて何も無い。


だが、それでも心持ちを変える。これよりは『戦い』ではなく久しく行う挑戦だ。


「モース以来だ、楽しくなってきた」


「ならやりましょうか、徹底的に…。分からせてあげますよ。


互いに睨み合える距離に立ち見つめ合う。手を伸ばせば届く距離で仕切り直す。既に破壊し尽くされた街の中で、睨み合う二人の間がぐにゃりと歪むほどの威圧と威圧のぶつかり合い。


やるならとことん、何処までも。だってお互い譲る気なんて何処にもないんだから…命尽きるまでお互いの全てをぶつけ合おうと二人の意識が今初めて合致する。


「参る…!」

 

「………!」


拳を開くアスタロト、拳を握るダアト。二人の鋭い視線が交錯し…今────。




『東部には本当に神様がいるんですね』


「ッ…!」


「この声は…」


しかし、それは突如降りかかった新たな声により制止する。天より降り注ぎしは第三の声、街人は全員逃げ去り誰もいない筈のこの街に…アスタロトとダアト以外の人間の声が響くなんてあり得ない筈なのに。


アスタロトは慌てて周囲を見回し…ダアトは迷う事なく見上げる。砂埃が覆う天幕の向こう、陽光と共に差し込むその影は、崩れかけた建物の屋根に立ち二人を見下ろし。


『リベンジの相手が二人一緒にいるなんて、…最高の状況じゃないですか…!』


「…ははは」


風を受けはためく黒いコートと荒れ狂う金の髪、そして何より闘争心を光として放つギラつく瞳。それを見たダアトは一瞬可笑しくて笑ってしまう。


元に戻る可能性はあった、そこについてはメルクリウス達に対して嘘はついていない。が…それは砂漠で砂を一粒拾う様な可能性だった筈。それさえも乗り越えて彼女は今一度知識の光を目に宿し…私達の前に立ち塞がる。


『ダアト…アスタロト、久しぶりですね…!』


「貴様は…!」


「……エリス」


屋根から飛び降り大地を砕きながら私達と同じ地表に立つのは、エリスだ。孤独の魔女の弟子エリスが…今一度、戦場に立つ。


アスタロトとダアトの戦場と化したシジフォースに、新たにもう一人エリスが加わる。


「……はぁ」


ダアトは頭を抱える、アスタロトの相手だけでも厄介なのにここにもう一人…ダアトが知る中でこの世で最も厄介な人間が加わるなんて。


この三つ巴、誰がどう制するか…。

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