466.魔女の弟子と神の教え
「もっかいもっかいもっかい!もーっかい!やろ!絶対!はい!始め!ほらスタート!キックオフ〜!」
「諦めなオケアノス、俺らの勝ちだから」
「あんな負け方納得できなーい!」
むきぃ〜!とコート上で駄々をこねるオケアノスに対し、勝ち誇るラグナ。まぁ真っ当な勝ち方ではなかったのは認める。
なんせエリス達は全力で点をもぎ取った後十一人全員で魔術やらなんやら使いまくって防御を固め時間切れまで粘るカメ戦法を使ったのだから。
「あんなのフェアプレーじゃない!」
「オケアノス…」
「ネレイド!ネレイドもそう思うよね!今のスポーツマンとして許せないよね!?ね!?」
そして、歩み寄って来たネレイドさんに同意を求めるが…、ネレイドさんはその場にしゃがみ込み。
「これが戦いだよ」
「ぬぅわー!?…うう、でもその通りかも…」
遂にはネレイドさんの言葉に衝撃を受けながらも認めてくれた。これでサッカー勝負はエリス達の勝ち、無事指揮権はエリス達の手に…そして。
「お前なぁ、もうちょい真っ当にサッカーした方がいいんじゃないのか?」
「私は野球派なので」
「お?マジで、俺も野球好きだぜ」
「おや、話が合いますね」
なんて雑談に耽るメーティスとアマルトさん。スポーツを通じてなんやかんやぶつかり合ってる間に先程までの殺し合いの記憶を上塗りされ、ある程度分かり合えた…ように見える。
「デティフローア様、大丈夫ですか?」
「ぜぇ…ぜぇ、大丈夫じゃない…」
「クサンテさんも大丈夫ですか?」
「いてて、キーパーなんて引き受けるんじゃなかった…ってか君、ナリアールだよね?なんで男装してるの?」
「あ、いや…これはその…」
他の神聖軍達とも、分かり合えたように思える。ある意味ネレイドさんの当初の目論見であった『親睦を深める』も上手くいったのだろう。
エリスはいまだにクサンテさんに恐れられメーティスに嫌われてますが、まぁこちらは良いものとします。
「それじゃあ、もういいですよね。そろそろ会議を開きませんか?」
「会議…?ああ、そう言えばこのためにサッカーしてたんだった、なんだかんだサッカー楽しくて全部忘れてたよ」
「忘れないでくださいよオケアノスさん…」
「君口うるさいね、メーティスみたい」
「馬鹿にされてると受け取っても?」
「エリス、それはメーティスさんにも失礼だ」
そうは言いますがねラグナ…と言い返そうとしたところ、ふと。コートの向こう側から物凄い血相でアルトルートさんが駆け寄ってくるのが見える。
『たたたたたたたた!大変ですぅ〜!皆様聞いてくださいぃ〜〜!!』
「あれ?どうしました?アルトルートさん」
「さささささ、先程足に手紙を括り付けたカラスが飛んできまして!」
「…カラス?」
妙だな、カラスなんて。しかし手紙か…。
確かに駆け寄って来たアルトルートさんの手には手紙が…いや、あれは布を引きちぎって紙の代わりにされているのか?なんだろうかとただならぬ空気にエリス達は互いに見つめ合い。
「どうした、何が書かれていた」
「そ!それが!どうやらケイトさんは敵に攫われていたようです!!」
「なぁッ!?マジでぇ!?」
「た、確かに見ないと思ったが…いつの間に」
「昨日の朝まで見かけたぞ!?マジでいつだよ!?」
攫われた?一体いつだ。エリスもあんな状態ではあったが腑抜けていた時の記憶はある。確かにケイトさんは神聖軍との衝突前までいた。確か…。
『ちょっとおトイレ行って来ますね、もしも神聖軍が寺院に攻め込んできたらおトイレする暇なくなると思うんで』
とか言って、それっきり帰って来てないんだ。いやお前も戦えよと思ったが…まさかトイレに行った時に?…ああ、なるほど。
奴の仕業か……!
「ダアトです」
「え?ダアト…っ!そうか!やられた!」
そうだ、ダアトだ。アイツの体質はつくづく隠密に特化している。一切気配を感じさせない肉体はそのまま街を歩いて寺院に入り込んでも目視で確認されない限り見つかることはない。
その体質を使い、エリス達が神聖軍と戦っている間にケイトさんを後ろから殴打でもすれば容易に攫うことが出来る。やってくれた…いや、この場合はやられたか。エリス達の不甲斐なさが生んだ結末だ。
「クソッ!全然気が付かなかった…いや、気がつけねぇよ、戦ってる最中にアイツが入り込んでたなんて!」
「うぅーん、どうやら俺達は利用されちまったみたいだねぇメーティス」
「な!?クサンテさん?私が悪いとでも?」
「誰が悪いとかじゃないだろうけども…」
ああ、悪いのはダアトだけだ。奴だけがこの件に於いて責められるべきなのだ。ここで犯人探しをする必要はない。しかし…理解不能だ、奴等のターゲットにはケイトさんは入っていなかったはずなのに。
「他にも!奴等の目的が書かれてます!どうやらモース達はライデン火山の溶岩の源流を制圧して…溶岩を支配するつもりらしいです!」
「何!?溶岩を!?どうやって!」
「いや知りませんよ…私手紙の内容を読んでるだけなので」
「そ、それはそうだが…いやすまん」
「アルトルートさん、手紙貸してもらっても?」
「あ、はい」
取り敢えず手紙を受け取る。黒い布に血で文字が書かれている、この布はケイトさんは裾部分と同じ材質…糸のほつれ具合から恐らく噛みちぎって切り裂いたのだろう、よく見れば歯の跡もある。
血で書かれているのは気になるが、これはきっと手足が動かせないから髪か何かを魔力で動かし血を塗料代わりにしただけ。
…文の最後には悲壮な文体で救援を求める言葉が綴られているが、その他の文は非常に落ち着いた文体で書かれていることからそこそこの余裕があることはわかる。どうやら奴等の目的はケイトさんの命を奪う事ではなく捕らえて何かを聞きたいのだろう。
それは奴らの傾向からも分かる。奴等は殺す場合はナールのようにその場で殺そうとする。だが聞きたいことがある場合はアルトルートさんのように殺さず連れ帰る。物を聞き終わってもすぐには殺さない。なら…まだ時間的な余裕はあるな。
「多分まだケイトさんは生きていますね、しかもかなり細かく座標も書き込まれています。エリスなら今すぐここに行って助けに行くことはできますね」
「マジか!なら助けに行こう!」
「ラグナ、落ち着いてください。それよりもまずすることがあります、モースがライデン火山を狙っている…と言う点が気になります」
モースの目的、それはライデン火山を使い東部を殲滅する事にある。…正直奴の行動はかなりチグハグで一貫性がない、ネレイドさんを娘として歓迎する素振りを見せたかと思えば攻撃し、部下にサラキアを任せたかと思えば自分もサラキアに赴き…。
筋の通らない行動故に今モースがどんな精神状態であるかも加味して考えなければならないが…。
恐らく、モースはサラキアでの一件を受けて本命たるライデン火山での活動にシフトしたのだろう。そして魔力覚醒か専用の道具を用いて火山の溶岩を制御するつもりだ。
東部の地下には無数の溶岩流の道がある。それが東部全体を暖めている事を考えると、溶岩流を制御すれば東部の命を握るに等しい、だって溶岩を少し地表に押し上げるだけで東部は人の住めない灼熱の土地に変わる。
絶妙なバランスで成立しているクルセイド領の人達の営みは崩れる事になる。
「ライデン火山の源流を目指している、つまりモースの目的を通せばそれだけで東部が終わってしまう」
「ライデン火山の溶岩の源流って…何処なんだ?」
「そりゃあ……」
見上げるライデン火山、あの中に詰まっている溶岩の源流…分からない。簡単に考えるなら地下…という事になるが、物理的に行き着ける場所にあるのか?こればっかりは知識がないから分からない。
「ライデン火山の源流は、ライデン火山の火口より降った先にあると言われる『煉獄の血』と呼ばれる場所にある」
「え?あ、アデマールさん!」
しかし、そこで答えてくれるのはこの東部について誰よりも詳しいアデマール老師だ。彼は杖をつきながらエリス達の元まで歩み寄ると共にあの火山を見上げる。
「飽くまで言い伝え、数百年前にあの火山を詳しく調査した結果…という文献でしか確認出来ないが、あの火山の奥底には溶岩が溢れ続ける穴があると言われている」
「溶岩が溢れ続ける?あの火山は既に休火山では?」
「ああ、少なくとも儂の知る限りあの火山が溶岩を噴いたことは一度もない。だが事実としてそこが源流であり、モースはそこを目指しているのだろう」
「…そうですね、そんな場所が実在するか否かは今は関係ない。奴がそこを目指していることは紛れもない事実なんですから、つまりモースは」
「あの火山を目指して今動いてるってことでございますね」
ライデン火山…まぁ、東部をどうこうしようってんならあれ以上に役に立ちそうな物は他にない。爆裂でもさせようもんならそれだけで東部…いやマレウス全土に影響が出る程巨大な火山なんだから。
「…もし、ケイトさんの所にモースがいたとしたら、奴等はシジフォースからライデン火山の火口を目指して来ていると考えるべきで、シジフォースはガイアの街の隣にある街です…なので」
「え、そんなに近いならもう全然時間がないんじゃ…」
「いえ、ただシジフォースとガイアの街の間には巨大な亀裂があります。谷と形容できるほど巨大な亀裂がね。さしものモースもそれを飛び越えることは不可能でしょう、故にそれを迂回するとなると二日はかかります」
「ってことはリミットは普通に考えると二日後、二日後にはモースが…!」
「二日後ってリミットまでにモースをなんとかしないと全部終わりってことか」
「その通りですラグナ。ケイトさんには悪いですが重点としてはこちらの方が余程重要です。至急対策をするべきでしょう」
「確かにな。…ん?じゃあ」
「ケイトさんは二の次です」
エリス達の本来の目的はケイトさんの護衛だ、だが更に詳しく言うなれば葬儀が終わるまでケイトさんが生存していられるよう守ること、死なないなら今は後でいい。どの道モースの目的が達成されたらケイトさん諸共みんな死ぬし。
「い、いいのかよラグナ」
「まぁ、エリスの言ってることは正論だ。ケイトさんが全てが終わるまで確実に生存している、ケイトさんが未だにシジフォースの街に確実にいる。と言い切れない点だけが不安要素だが、どの道モースの目的が放置できるもでないのは確かだしな…しかしそうか、あの山をね」
チラリとラグナはライデン火山を見上げる。今はもう眠りについたあの山を…、今はモースが狙っている、奴等はサラキアを纏めて吹き飛ばそうとした極悪人達だ。ならば火山を使って超巨大テロを行おうとするのも分かるが。
「幸い、こちらには戦力と人数が揃っている。敵の山賊団ももう残りも少ないだろう、神聖軍五万人と俺達全員で山を防衛しつつモースを倒せば簡単に方がつく」
今こちら側には戦力が潤沢にある。モースを迎え撃つこと自体は容易だ…が、そう簡単に行くもんかな。
「とりあえず、モースが来るのを二日後と仮定してライデン火山の防衛を行おう、神聖軍も協力してくれるか?」
「ああ、勿論だとも」
…これは、モースの悪足掻きなのだろうか。モースはもう打つ手が無いからあの火山を狙おうとしているのだろうか…。
なんだか胸騒ぎがする、エリスの経験が言っている。まだ事件は山場を迎えていないと。
「……………」
「……あれ?」
ふと、ラグナ達が神聖軍と話し合う中、ネレイドさんがこっそりと気配を消して何処かへ立ち去っていくのに気がつく。そういえば昨日も今日もネレイドさんは何処へ言っているんだろうか…。
彼女にとって、関係ない話でも無いだろうに…。気になるかも。
「すみません、ラグナ」
「ん?なんだ?何かあるか?」
「いえ、ただ…ネレイドさんが…」
「ああ…うん、任せるよ。後で俺も行く」
ラグナはネレイドさんの姿が見えない事を悟り、エリスに目配せをして『任せる』と一任してくれる、分かった。なら取り敢えずエリスだけでも彼女の様子を見に行くとしよう。
ラグナに軽く手で合図をしつつ、エリスはこっそり…ネレイドさんの後をつける。
……………………………………………………………
「…こんなところが……」
ネレイドさんはあれから、街を出て。荒野を進み、その先にある…小さな小さな洞窟へと入って行った。地面が砕け迫り上がったような崖の下に、ぽっかり空いた小さな洞窟。
その中に背を曲げて入っていく彼女を見て、エリスは悟る。絶対になんかやってる、それもエリス達に言えないようなことを。それはやましい事ではなく、何か…無理をして背負い込んでいるんだ。
ネレイドさんはいつも背追い込む。これは自分で解決すべきだと思った事柄には他人を関わらせない。それがたとえどんな無茶でも背負い込んでしまうんだ。
そういう時、友達として見て見ぬ振りをしてあげた方がいいこともあるが。
「今回は違いそうだ…」
態々街の郊外に出てやってる事だ、相当な無茶に違いないとエリスはネレイドさんの後を追ってコソコソと洞窟の中に入り込む。すると内部は外と違いひんやりと涼しい空気が流れてくることに気がつく。
何事だとエリスは暗視の魔眼を使い洞窟の中を降っていく、下へ下へ続く道を降りていく。なるべく足音を立てないように…。
すると、ふと…洞窟の先で光を見る。それと同時に…。
『フッ…フッ…フッ…!』
ネレイドさんの声だ。エリスは暗視の魔眼を解除し…こっそりと先を見ると。そこには大きく広がった部屋のような空洞が広がっている。
部屋中心には湧水が沸き続け生まれた泉と、天井に開いた断層から降り注ぐ日光。陽光が泉に反射し部屋中を照らす…その中心で。
ネレイドさんが、シスター服を脱ぎアンダーシャツ一丁になった彼女が汗を流しながら魔力覚醒を行いながら拳を振っていた。つまり…修行だ。
(トレーニング?隠れて?…なんで……)
隠れてトレーニングだ、なんで隠れて?トレーニングなんかエリス達と一緒にすればいいのに。そう思った瞬間…ネレイドさんは拳を止め。
「エリス、いい加減話しかけてきたら?」
「あら……」
バレてた、いやバレるか。流石に…。
「えっと、いつから気づいてました?」
「いや、なんか用があるのかと思ってたんだけど…、もしかして隠れてたの?」
「う……」
エリスもあんまり隠れるつもりがなかったにせよ、仕方ない。ここは正面切って聞くとしよう。エリスは部屋の中に歩み出し、ネレイドさんへ歩み寄る。
「なんですか?ここ」
「知らない、なんか…洞窟」
「いや見りゃ分かりますが…ふむ」
壁の感じと部屋の大きさを見て、考える。恐らくこれは大地が割れた際に出来た天然の洞窟。見れば更に奥にも続いているようだし、もしかしたら東部にはこんな感じの断層にろん地下洞窟が多くあるのかもしれない。
これはそのうちの一つ、火山が沈み込んだせいで出来た自然の歪みの象徴のようなものだろう。
「ここで何を?まぁ見れば分かりますが…トレーニングですか。使ってるのは昨日からですか?」
「うん、修行…昨日から。昨日の夜偶然見つけた」
「エリス達とは出来ない修行ですか?」
「……うん、結構きつめにやってるから」
「なぜですか?」
「………」
ネレイドさんは魔力覚醒を解除し、近くに置かれた石を椅子代わりに使い。タオルで汗を拭うと。
「モースに勝つための修行」
「モースに?」
「うん、奴はライデン火山に来る…その時がきっと決着の時」
「それはそうですが、今度はみんなで戦うんですよね。なら…そんなに焦らなくても」
「………モースは馬鹿な奴じゃ無い、守りがあるなら潜り抜ける手段を用意する。それに…奴を前に数を用意しても意味がない」
「なるほど」
エリスはモースの強さを知らない。だが少なくともラグナが危機感を感じ、ネレイドさんが死にかけるくらいには強いんだろう。あの痩せぎすの筋肉女がそこまで…と思うが、あれでも三魔人だしな。
エリスはネレイドさんの前に座り込み、腕を組む。
「…きっとモースを止めるのに人数は使えなくなると思う……」
「ふむ、ネレイドさんが言うならきっとそうなるんでしょう」
「だから、…モースは私が止めたい」
「一人でね…、何故そこまでモースに固執するんですか?」
「え?」
「え?って言われましても…」
「エリスに言ってなかったっけ?」
「うん?もしかしてエリスが腑抜けてた時の話ですか?…一応記憶はあるつもりですけど…いや、もしかしたら聞いてなかったかも」
あの時のエリスはいろんなことに気を取られてたから、重要な話をしてても『理解出来ない』と聞く事を諦めていたかもしれない。だとしたら重要な話をいくつか聞き逃してるかもしれないな…。
「実はね…モースは私のお母さんかもしれないの」
「えぇーっっ!?!?マジですかーっ!?」
「そんなに驚かなくても…」
「えー、でも全然似てませんよ」
「そう?…ラグナもみんなも親子を否定できないくらい似てるって言ってたけど」
「んー…そう言われれば…?」
確かにモースの顔を思い出したら、誰かに似ているような気がする。と言うか東部に来た頃からそれは思ってたんだよね。モースの話が出る都度モースの顔が誰かに似てる気がするって。
多分それはネレイドさんの事だったのかもしれない、なんかそんな気がしてきた。
「モースはさ、私の事を愛してるの」
「ほほう、そりゃあまた」
「私のことを愛して、世界中を探して、体を犠牲にして、その上で…私のことをまだ愛してくれている」
「いいお母さんですね、離れ離れになっても探しに来てくれるなんて」
「うん、…お母さんも言ってた。私が捨てられていた時、包まれていた布は、確かに私を愛した者が包んだ布の巻き方だって。モースは…私を間違った人に預けてしまって、奴隷市場に売られ離れた時からずっと…愛し続けてくれていた。きっと…その証拠」
「………………」
んー?なんかおかしくないか?その話。ネレイドさんは奴隷市場に売られたんだよね。それでなんかの間違いで貨物船に乗ってマレウスの荷物に紛れ込んでしまい、そこをリゲル様に拾われた…?うん、おかしいよ。
そもそも何で奴隷市場に売られたのに貨物船の荷物に紛れ込んでるんだ?そう言う奴隷とかの搬入は表のルートじゃやらない。別の非合理で運営されている貨物船で別大陸に輸送したりする。少なくとも魔女様の目の届く範囲じゃ絶対にやらない。
よしんばなんかの間違いで貨物船に乗ったとしよう。…売られたネレイドさんがマレウスで売りに出されて貨物船に乗ってオライオンに届くまでにどれだけの時間がかかる?
まずマレウスからデルセクトを超えてアルクカースを超えてアジメクに行ってその船場で船に乗せて数週間、それでようやくオライオンだ。…なんでそんな回り道をする、ポルデュークに売るならコルスコルピ側に行けばいいし、そうした場合たどり着くのはエトワールだ。
何より…巻かれていた布が愛した者が巻いた布…?いやいや、この道中で数ヶ月も経っているのに、一度も布を解かないのはおかしいよ。赤ん坊だってうんこもすれば小便もする。それを一度も変えなかったのか?そんな汚い状態で売りには出さんだろう。
……なんかおかしいぞ。モースとネレイドさんの話には物理的な矛盾がある。まさか…まだもう一段階あるんじゃないか?別の何かが。そう、モースに関わる別の何かが…彼女がネレイドさんに伝えていない何かとか、話の裏側とか…。
そうだよ、感じるんだ。気持ちの悪い見落としを…。こう…靴紐が解けているのに気が付かず歩いているような、何処かで決定的な齟齬があるのに気が付けないでいるような感覚。奇妙で気持ち悪い嫌な予感。
何を見落としている、見落としの感覚に気がついていると言うことは…少なくともこれまでエリスが見てきた情報の中に、何かヒントがあるんじゃないか?
「……モースは、私を愛していた…」
まぁでも今口を挟んでも仕方ないか。ネレイドさん達も特に証拠もなしに親子だって言ってるわけでもないだろし。
「そんな母親を、貴方は倒すつもりなんですか?」
「モースは、サラキアに現れた時…様子がおかしかった。何か事情がありそうだった」
「事情?なんですか?」
「分からない、けど…彼女が狂ってしまった。その責任を取るには私が彼女を止めるしかない」
「…なるほど。それで修行ですか」
「今の私じゃモースには勝てない…だから、エリス達みたいな魔力覚醒を最大限鍛えて新たなる境地を開く必要がある」
つまりネレイドさんは開発しようとしているんだ。エリスの『ボアネルゲ・デュナミス』やラグナの『蒼乱之雲鶴』みたいな。極限まで自分に最適化した魔力覚醒の真の姿を。
「…そうですね、三魔人のモースを倒すには今のままでは足りないでしょう」
「…うん、だからせめてモースが来るまでに…完成させたい」
「何かきっかけは掴めていますか?」
「何も…」
まぁ、こればかりは手足を鍛えて見えてくるものでもない。長い戦い中で自分を見つめ、長い修行の中で自己を再確認し、己とは何かを己自身で見極める必要がある。そうしてようやく魔力覚醒のあるべき姿を手に入れることができるんだ。
今のままでは、きっと多少の筋力アップしか望めないだろうな。
「残酷なことを言うようですが、このやり方ではダメです」
「……だよね、なんとなく分かってた。これで得られるのは『やった感』だけだって昔……とある人に言われた。けど…みんなの手は借りられない、これは私個人の問題、誰かを巻き込むつもりは…」
「ネレイドさん、エリス達はみんなで一つの『魔女の弟子達』ですよ。個人の問題なんかありません」
エリス達は八人で一人前なんだ。一人だけが背負わなきゃいけない問題はない、エリスもラグナも…みんなも、自分の問題と捉えて一人で解決しようとすることはある。けどそれでも…一人だけで解決できた問題なんて、一つだってありはしない。
「エリス達は、みんなで進むんです。ネレイドさん個人の問題なら…エリス達にとっても課題です。だから…」
「……………」
「エリスにも分けてくださいよ、背負っているものを。二人で背負って進みましょう」
彼女の手にエリスの手を重ねる。一人で持てないなら二人で持とう。一人で見えないなら二人で見よう。エリスもたった一人で旅をしたことなんて一回もないし。
それに、友達同士なら…きっと上手くいきます。
「エリスは優しいね」
「エリスはネレイドさんには特別優しいですよ」
「ふふふ、そんな事言われたら絆されちゃうな。…分かった、じゃあ臨時師匠お願いできる?」
「え、エリスが師匠!?なんで!」
「だって私出来ないし、覚醒の強化。でもエリスはできる、だからコツを教えてほしい。教えるのは師匠、だからエリスが師匠、今だけはリゲル様と同格」
責任重大ッ!一気に重圧が肩に乗る!重てぇ!重てぇよ!急にプレッシャー凄いよ!
でもなんて純真無垢な瞳なんだ、キラキラと輝くトイプードルみたいな目でこっち見てら。信頼を感じる視線で見られたからには…答えないとな。
「よし!任せてください!エリス!立派に師匠になってみせます!」
「おおー…それじゃあ聞きたいんだけど……ん?」
まずネレイドさんから距離を取ります、壁際に立ち腕を組みます、まずこれで立ち位置はOK…。
「えっと、エリスどこへいくの?」
「……お前が思うようにやってみろ」
「へ?…いや、だから…聞きたいことが」
「私はお前の自主性を尊重しよう、まずは自分でやってみるんだ」
「………………」
フッ!と笑いながら前髪を垂らす、…完璧だ、完璧に師匠だ…。
「それもしかしてレグルス様の真似?」
「はい、師匠の真似です、似てますか?」
「あんまり私はレグルス様に関わりがないけど、あんまり似てない気がする」
「うっ…」
「それに私はレグルス様に聞きたいんじゃなくてエリスに聞いてる、だからエリスはエリスのままでいて」
凄い鋭い正論が心に飛んでくる。一瞬胸穴空いたかと思ったよ。その通り過ぎてぐうの音も出ないし申し訳なさで死にそうだ。
「はい、すみませんでした。真面目にやります」
「じゃあ聞きたいんだけど、エリスはあの雷のやつ…あれ、どうやって思いついたの?」
「ボアネルゲ・デュナミスですか?…んー、これはあんまり手本にならないかもです。だって頭の中で組み立てて、やってみたら出来ただけたので」
エリスの中にはシンの記憶が全てある。彼女が生まれ落ちエリスと戦うまでの全ての記憶だ。識の力で彼女の瞳を覗き込んだ瞬間…全てが流れ込んできたんだ。こんな事他では絶対に起こらなかった、あの時だけ起こった謎の現象。
そのせいでエリスの中にはシンという人間の歩んだ人生が詰まっている。それはそのままシンの積んだ経験値が入っているという事であり、エリスはそれを長い時間をかけて回想し経験値を根こそぎ頂いたのだ。
その中で彼女の覚醒のやり方を模倣し、それを記憶違いなどで削減したのがボアネルゲ・デュナミス。他の人間にやれって言えないよ、こんなやり方。
「頭の中で…それは無理かも」
「でも、ネレイドさんもなんとなく感じてるんじゃないんですか?今の覚醒は完全に自分にフィットしてないって」
「……うん」
魔力覚醒はその者の人生の具現。その人間にしか扱えないその人だけの技。だけど…人は人生で戦うわけじゃない、戦いには戦いの…別の経験と記憶が必要だ。
だからその人生の具現によって生まれた覚醒から、余分な物をこそぎ落とし完全に自分の戦いに最適化した形にする必要がある。
「私の覚醒は幻惑重視の覚醒…、私にとって私の人生は母の技術の習得そのものだったから、きっと母に近づけるよう覚醒が答えた結果だと思う」
「なるほど、でも…」
「うん、私の戦法の主軸はレスリングによる肉弾戦。まだ私は幻惑一本でやれる程しっかり使えてるわけじゃない」
リゲル様の幻惑は凄まじい。本来はないはずの情報で相手を本当に傷つけ倒してしまうんだ。ネレイドさんには悪いがこんな芸当リゲル様にしか出来ない。だがそれを望んだが故に覚醒はリゲル様の技に近いものになってしまった。
だからあまりフィットしてない、ネレイドさんの戦い方に。覚醒をして霧を生み出しても彼女は結局肉弾戦で戦っていた。覚醒は飽くまでサブに回っている。これでは完全に活かせているとは言えない。
「もっと、私に最適化した覚醒の使い方を理解しなきゃいけない」
魔力覚醒が本来の覚醒とは別ベクトルに伸びている。これを修正してネレイドさんにしっかり合ったものにしないといけない。…これは難しいぞ。
「ならまず、第一段階として…ネレイドさんの戦い方の理想形を考えるべきですね」
「理想形?」
「こうすれば勝てる…を明確化するんです。エリスの場合エリスが思う最強の敵を模倣し勝利に近づき、ラグナは己の肉体こそを至上としそれ以外を切って見せた。そんな風に理想系を追い求めるんです」
「私の理想形…って何かな」
「それは…わかりません…」
「もっと肉弾戦に特化する?ラグナみたいに霧の効果を消して肉体強化に回すとか」
「ラグナのあれは付与魔術ありきですしねぇ…。というか彼はまぁ天才なので真似はしない方がいいと思います」
ラグナは認めたがらないが彼は間違いなく天才だ、多分魔女の弟子の中で一番の天才。そもそも魔力覚醒の魔力事象を消して身体能力に充てます…は確かに理想だがそんなもん言う程簡単に出来る物でもない。やれるならみんなやってる。
「でも要らないものを捨てて別の何かに充てるってのはいいアイデアだと思います」
「なら…やってみる」
「いえ、ただやるだけじゃダメですよ。着地点を考えておかないと、『これをした結果どうなるか』を把握するんです」
「……どうやるの?」
「どうとでも。エリスは魔力覚醒も一種の魔術だと考えています、魔術に必要なのは想像力…心の底から願えばどうとでもなります」
「なるほど、考えてみる」
そう言って再び覚醒を行いムンムンと唸りながら色々考え始めるネレイドさんをみて…エリスも思う。
エリスは今第三段階の扉を前にして立ち止まっている。このきっかけをエリスも掴めていないんだ、師匠は『魔力で肉体の殻を破る』『魔力の間合いをしっかりと認識する』など多数の条件を挙げてきた。
魔力の間合いはもう認識している、エリスの肌の一寸先だ。だが魔力で殻を破るというのはまだ出来ていない…つまりエリスはこの謎かけの答えを得ていないんだ。
(ネレイドさんにあれこれ教えていたら、なんかエリスの中でも色々定まっていくのを感じるな…)
教えるからこそ、教えられるとでも言おうか。今まで自分の中で曖昧だった物が形を帯びていく。
…理想形を探し、答えを見つける想像力か……。つまりこれは第三段階にも必要なんじゃないか?
(第三段階に至るための答え…、それが見つからないのはエリスの想像力が欠如しているから。言葉を額面で捉えているから、…魔力で肉体の殻を破るとはそのままの意味じゃなくて…)
エリスも立ち上がり構えを取る、なんとなく掴めた感覚をそのまま再現して魔力を練る。魔力覚醒と同じ手順で魂を膨張させ…肉体と同質量まで肥大化させる。すると肉体との境目がなくなり、エリスの肉体は形を持った魔力事象になる。
ここでやめたら魔力覚醒する。でも更に先へ…魂を更に押し広げ肉体の境目を超えてエリスの間合い全体に広げてみる。
すると水で満たされるようにエリスの極小の間合いがエリスで満たされる感覚がする。まるで神経が体の外に伸びてエリスという存在が拡充された感覚がする。
今まで試したことがなかったが、魂ってここまで押し広げられるんだ。魂は心臓のような物だと思ってたから外に出すこと自体に忌避感を感じていたが、やってみれば大したことなく出来るもんだな。
(これが肉体の殻を破るという事か?、いや違うな…方向性は間違ってないんだろうけどまだ何か、初めて魔力覚醒を行った時のような『ピタッ!』とハマる感じがしない。まだ何かここからもう一工夫しないといけないのかな)
だがそこから先のやり方が分からない、師匠は相変わらず明確なことは教えてくれないし。これもエリスが見つけないといけないのかな。
「…エリス」
「ん?どうしました?ネレイドさん」
「私、色々考えたんだよね。魔力覚醒の有用な使い方」
ふとネレイドさんに声をかけられエリスは魔力を収める。一応今はネレイドさんの修行に付き合うって名目だし、こちらを優先するべきだ。エリスのやりたいことはまた暇な時にすればいい。
「何か閃きました?」
「うん、…私さ。霧で巨人を作って戦ってる時が一番しっくり来るんだよね」
「霧の巨人、あれですね?」
シリウスとの戦いやティモンさんとの戦いで使った霧を纏めて人型に整形して動かすアレだ。霧に物理的意味合いを与え肉体に変える荒技…確かにあれはネレイドさんの戦い方にもマッチしてる。
「なら霧を纏って戦うとか?」
「ううん、霧は魔力にはなるけど力にはならない…纏ってもあんまり意味はない」
「確かに、世界を騙す霧…ですもんね」
世界を騙すなんて凄い効果だと思うんだけどなあ。何かこう…色々悪巧みが出来そうな、使い方を考えれば恐らくだがなんでも出来る力だ。これは殺すより120%活かす方がいいだろうけど…。
なんでも出来るからこそ、方向性が定まらない、明確な意図がなければ力は力にはなり得ない。…何か使い道はあるもんかな。
「にしても」
なんて考えながら、エリスは何気なしに口を開く。改めてネレイドさんの覚醒について考えてみた所感だが。
「なんかネレイドさんの覚醒って、神様みたいな力ですよね」
「え?そうかな」
「形ない物から形を作る、聖典に載ってるテシュタル様みたいだなぁって。…ん?無自覚だったんですか?」
「…考えたこともなかった」
てっきりエリスはそこも覚醒の一因になってるものと思っていたが違うのか?それとも無意識にテシュタル教徒たるネレイドさんの一面を覚醒が拾っていた…。
ネレイドさんにとって当たり前すぎて自覚もしないだろうが、彼女の人生においてテシュタル教以上の重要なファクターはない。ならもしかして…。
「テシュタル教の教えが覚醒の一部になってるのかも…」
「…教えが……」
「な、何かないですか!?覚醒の…力になりそうな教え!」
「……無い」
ないかぁ、じゃあ違うかなぁ…。
「でも、なんか…掴めそう」
「え!?本当ですか!?」
「うん、…意識したことなかったけど、テシュタル教が私の力…か」
ギュッと拳を握りながら虚空を睨むその目は、もう迷っていない。これは…いけるかもしれない。
「なんだ?もう終わっちゃった感じか?」
「えー、残念。せっかく来たのに」
「へ?」
すると、洞窟の中に声が響き渡る。エリス達のものではない声が。
それはカツカツと外から靴音を響かせ…。
「よっ、やってるな」
「ラグナ!」
「何してるんだい?手伝おうか?」
「オケアノス!」
ラグナとオケアノス、今街でみんなを率いているはずの二人が軽く手を上げて挨拶しながら洞窟に入ってくるんだ。後で来るとは言っていたから一応目印を残しておいたが…まさかオケアノスまで来るとは。
「向こうは大丈夫なんですか?」
「大まかな方針は決まった、決戦はモースがライデン火山へ現れる二日後。もし予定が早まった場合に備えて既にデティが魔力探知で常に街の周辺を見張ってるから不意打ちはないだろう」
「神聖軍とアルザス三兄弟で火山を見張って抜け道がないかを探してくれてるよ、軍の大まかな動きが決まったらあとは部下に任せて好き勝手出来るのが指揮官の楽なところだよねぇ、
「別にそんなこともないしお前は指揮官でもないだろ」
「なんでそんな急に突き放すこと言うの…。一緒にネレイドの様子を見に行こうって言い合った仲じゃない」
「勝手についてきたんだろ?…でも心強いからいいよな?ネレイド」
「うん、心強いよ…ラグナ、オケアノス。私…もう少しで覚醒の真の力を見出せそうなの」
「へぇ!そうなんだ!」
今ここに集まっているのは全員が魔力覚醒者だ、全員が覚醒についての知識がある。ラグナとオケアノスの助けがあればネレイドさんはより一層効率的に修行が出来るはずだ。
「修行だろ?俺達も付き合うぜ?」
「モースを倒したいんでしょ?どーせさ」
「分かるの?」
「ネレイドならそう言うと思ったのさ、俺もオケアノスも」
「あのまま負けっぱなしで終わる女じゃない、少なくともネレイド・イストミアはそう言う人間だよ」
なんかオケアノスさん目が怖いな。ネレイドさんの事が好きなのか嫌いなのか分からんよ…。
「じゃあ、組手をお願い」
「組手?いいけど…それでいいのか?」
「うん、試したい事が一つある…それで何処まで動けるか。やってみたい」
そう言うなりネレイドさんは覚醒の霧を周囲に漂わせ…ラグナ達を前に構えを取る。いきなりやってくるなり組手を申し込まれたラグナ達はやや混乱しながらも。
「本気でいいんだな?」
「本気じゃないと意味がない、本気でやって…戦えないと、モースには勝てない」
「分かった…んじゃ魔力覚醒…ッ!」
「昨日の今日でまたネレイドと殴り合いか…別にいいけどさぁッ!」
二人の体が輝き始める、ラグナは一気に本気の『蒼乱之雲鶴』オケアノスも足を黄金に輝かせる覚醒を用いてネレイドさんと対峙する。この二人を前にすればさしものネレイドも太刀打ち出来るとは思えないが…。
「ありがとう…そして、見てて…今度こそ、強くなった私の姿を」
「……ん?」
ふとラグナが足元に視線を向ける。足元に漂っていた霧が流れていく…ある一定を目指して流れていく。穴に吸い込まれる水のように一箇所に、ネレイドさんに流れていくんだ。
「魔力を集中させているのか…?」
この霧はネレイドさんの魔力でもある、それを一箇所に集めて身体強化に充てるのか?だがその方法はエリスが否定したはず…。なら一体何をするつもりで…。
「ッ!…ああ、なるほど〜…」
しかし答えはすぐに出る、ネレイドさんの体に起こった変化。霧を体に集めているんじゃない、これはもっと…もっとネレイドさんらしい使い方。
「マジか、それこんな使い方出来るのかよ!…ん、あ…」
「どうしました?ラグナ」
「いや、これ…場所変えた方が────」
その瞬間、いや…ネレイドさんの作り出す覚醒の新境地。それが形を取った瞬間のことだった。
エリス達の視界は白い閃光に包まれ、ネレイドさんが見つけた洞窟は…エリス達のいる空洞は、爆音を響かせ跡形も無く吹き飛ぶのであった。
…………………………………………………………………
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…くっ、ダメか…!」
「ふぅ…ふぅ…ふぅ、いやぁ…流石だぜネレイド」
無限に続く赤茶の荒野のど真ん中にて伏せながら玉のような汗を流すネレイドさんと、疲れたとばかりに覚醒を解除しながら額を汗を拭うラグナ。洞窟を吹き飛ばし始まったラグナとオケアノスとネレイドさんの組手が今終わった。
普通ならこの二人を相手に出来ることなど無いはずのネレイドさんは、新たに見せた覚醒の新境地によって。
「俺とオケアノス、この二人を相手に互角以上に戦ってみせたじゃないか」
「私、二連敗ぃ…」
ラグナは既に覚醒を維持できないくらい消耗し、オケアノスに至っては大の字で倒れ伏している。二人とも弱くない、寧ろメチャクチャ強い部類なのにそんな二人でさえネレイドさんを仕留めきれなかった。寧ろここまで苦戦させた。
もしかしたら、エリス一人じゃ勝てないかもしれない…そう思わせるくらい『あの状態』のネレイドさんは強かった。
完成した、間違いなくネレイドさんの新境地が完成した…と浮き足だったのはエリスだけで。
「ダメ…!こんなのじゃダメ…!たかだか十分動いただけで…これだもん…!」
確かにあの状態は強い、しかしその分代償も凄まじい。事実ネレイドさんは今膝を突きながらボタボタと脂汗を滝のように流している。あの常軌を逸した体力を持つはずのネレイドさんがこうなってしまうんだ。
十分動けばスタミナが切れる、つまり十分以内に決着をつけられなければ…敗北することになる。
「それに、体がついてこない!根本的に身体能力が足りてない!私の理想を体現するに至っていない!」
「まぁ確かに、戦ってて思ったよ。効果は凄まじい分ネレイド自身の反射速度がついていっていない。それで余計に消耗している感じがあるな…」
「クソッ!折角…掴みかけたのに。まだ足りないのか…!」
エリスは観戦に徹していたからこそよく見えた。あの状態に至ったネレイドさんは…何処か戦いにくそうにしているようにも見えた。まるで首輪に繋がれた犬のように動き辛そうにしているように見えたんだ。
それが何が原因でそうなっているのか分からない、だが…本当にまだ何かが足りないのだとしたら。それを埋める時間はないぞ…。
「大丈夫!」
「え?」
「問題ないよ、私解決方法知ってるから」
ムクリと起き上がるオケアノスが、静かに親指を立てる。解決策を知ってる…ってどう言う意味ですか?とラグナに視線を向けるが、ラグナもなんのことか分からないとばかりに首を傾げる。
「おいおい、この中でネレイドと戦ったことあるの私だけかぁ〜?」
「いや、全員戦ってるぜ」
「ちなみにエリスもラグナもネレイドさんに勝ってますよ」
「うへぇっ!?…ならなんで気がつかないんだよ…」
「だから何に?」
「……口頭で伝える前に、一つ言っておく。この策を実行するには多くの下準備が必要だ、やっぱりやめた…はできない。これを選べば方向転換は出来ないからネレイドに全てを賭けることになる」
「…………」
「他の誰でもない、ネレイドだけがモースと戦うことになる。後に保険は掛けられない、アンタはなんか考えがあってモースと戦いたいんだろうけど…もう一度聞くよ」
するとオケアノスは両手を広げ、広大な荒野を背にネレイドさんの前に立ち…。
「アンタはここにある全てを背負えるか、アンタが負ければここにある物いる者全てが滅び去る事になる。クルセイド領にある全生命の祈りを背に、お前はモースと戦い勝てるのか」
「…………」
モースはネレイドさんの母親で、ネレイドさんはモースの娘だ。二人には因縁がありこの因縁には決着をつけるべきなのだろう。だがこれから行われる戦いはクルセイド領全ての命を賭けた戦いだ。
負ければみんな死ぬ、もし何かが上手くいかなかったらそれだけで終わる。オケアノスが何をしようとしているか分からないが、その言葉通りならネレイドさん以外の戦力はモースと戦う事ができなくなる。
ネレイドさんに全てがのしかかる事になる。クルセイド領全域に広がる真方教会、総人口百万近い人達の営み全てがネレイドさん一人に任される事になる。常人には耐えられない、耐えられるはずもない重圧。
されど、それはあくまで常人の話。今ここにいるのは……。
「問題ない、私がやる」
超人ネレイド、鋼鉄の肉体と剛鉄の精神を持つ完成された超人…否、聖人。
最初から全てを背負うつもりで彼女は強さを求めたのだ、ならば怖気付くどころか燃え立つのが彼女と言うもの。彼女は最初から…全部救うつもりで戦っているんだ。
「フッ、流石だ…ネレイド・イストミアだ」
文句はない、それが聞きたかったとばかりにオケアノスは静々と笑うと。
「なら任せるぜ、クルセイド領を。…きっとモースを止められるのは私でも、ラグナでも、エリスでもない。アンタだけなんだから」
「…ありがとう、オケアノス」
「いいってことよ。それより始めるよ、モースが来るまで二日もあるんだから」
「うん………で、始めるって何を?」
「決まってるじゃん、地獄のトレーニング!二日後までガイアの街には戻らない!ラグナも付き合ってよね!」
「へ!?二日後まで!?ここで!?」
「そう、急造だけど…モースに勝てるようにするためのプランはある。任せてよね」
腕を組み笑うオケアノスは語る。二日でモースに勝てるようにすると…。
迫り来る決戦の時、足音を響かせる終わりの時。ネレイドさんの言う因縁に決着をつける時が来る…前に。
(じゃあ、エリスはエリスの因縁にケリでもつけますかね)
エリスはエリスの…戦いを終わらせるべきだろう。




