464.魔女の弟子と久しい再会
「よくやったね〜!ヴェルト〜!えらいえらい〜!」
「恐縮です、でもちょっと疲れましたよ。まさかあんなのと戦わされるとは」
神聖軍の侵攻は押し止められた、ガイアの街に侵攻していた神聖軍はナールの書状とヴェルトの言葉、そして神将の一言により完全に停止。その後その場にいる皆は治癒を受けテルモテルス寺院の広間にて座り込み休息を取っていた。
状況がごちゃごちゃになりすぎて、話し合わなきゃいけないことがたくさんあるからね。
「なるほど、サラキアの山賊達は全員倒しましたか」
「おう、なんとかな」
「すみませんでした、エリスがあんな状態でなければもっと役に立てたのですが」
「いやいいよ、戻ってくれただけでもありがたい」
状況の整理をしつつ、エリスは周りを見る。この場にはいろんな人間がいる。
まず魔女の弟子…気絶しているネレイドさんとメルクさんを除いた全員。一応傷は癒えているが体力が戻ってないからね。
そして神聖軍、こちらはヴェルトと何故かオケアノスさん。双方共に治癒を受けこの場に座り込んでいる。
あと、これ何故かナール…ネレイドさんが抱えていた彼と、見知らぬお爺ちゃん。名をアデマールと言うらしい、そう…クルス・クルセイドの祖父アデマール・クルセイドさんだ。
そこにアルトルートさんとアルザス三兄弟を加え、結構な人数が同席している。そして…色々と因縁のある相手も。
「しかし、まさか貴方がガイアの街の侵攻を取りやめるとは思ってもみませんでしたよ…ナールさん」
「フンッ、やかましいわ…!」
例えばそう、アルトルートさんとナールの二人だ。この二人は双方共にテルモテルス寺院に在籍し、追い出した側と追い出された側だ。とてもじゃないが仲良く談笑できる立場にない。
それに。
「エリスとしてはそっちの二人がこの場に居ることもおかしい気はしますがね」
「は?何?」
オケアノスとヴェルト…神聖軍組を睨む。こいつら侵攻を取りやめはしたが敵だろう。なら外に出てろよと首で指図するがオケアノスはギロリとこちらを睨み。
「と言うか君誰」
「いやいや!?会ったでしょ!?一緒にサッカーしたじゃないですか!エリスですよ!」
「エリス?…ああ君か、私はただネレイド・イストミアともう一度話がしたいからここにいるだけ。君たちに興味はない」
「おいおいオケアノスさん、ここは仲良くしましょうよ。一応まだ危機は去ったわけじゃないんですから」
すると、ヴェルトはデティに一旦目配せをして、徐に立ち上がると。
「取り敢えず、各員色々と言いたいことはあるだろうがここで睨み合いしてても意味ないから俺が取り仕切らせてもらうが、…ラグナ君。モースがサラキアにいたのは確かなんだな?」
「ああ、いきなり現れたモースに俺もネレイドさんもオケアノスもボコボコにやられたよ」
ラグナが小さく頷く、モースがサラキアにいたと言うのだ。不可解な話だがネレイドさんのあのやられようは凄まじかった。モースがいたと言うのならそれは確かなのかもしれない。
「悔しい…、アイツ…許せない」
「俺もオケアノスもネレイドさんも、みんな消耗してて勝負にならなかった。悔しいが今はアイツに手出し出来ないな」
みんな消耗していたとは言えラグナと神将二人がかかっても勝負にならないとは、やはりアイツも三魔人の一人か…。
「でもおかしいな、オセが言うにモースは別の場所で動いているはずだったのに」
「そこなんだよな。多分モースは本当ならサラキアには立ち寄るつもりはなかったんじゃないかな。…で、モースが考えを変えてサラキアに来るきっかけになった要因として考えられるのは」
「ダアトの入れ知恵か…!」
ダアトだ、モースは奴の識の力を信頼しているようだった。ならもしかしたらダアトがモースに何か言ってサラキアに向かわせたのだと考えられる。だが…分からない。
ダアトが言ったなら、そこには何か裏の意図があるんだろうが今の所その意図が読めない。クソ…またアイツの掌の上か、ただでさえこっちはアイツに対してフラストレーションが溜まってるってのに、まだ好き勝手されるとは。
「そう、そして未だモースが健在である以上真の意味で東部クルセイド領の危機が去ったとは言えない。未だ奴らの目的が東部クルセイド領の崩壊であるならば、俺達神聖軍や真方教会もまたここにいる皆と協力するべきだと考えている」
「それが一番であろうな…」
と、ここで口を開くのはアデマール老師だ。彼は顎髭を撫でながら難しそうな顔をしている。彼が渋い顔をしてるのは、きっと…彼自身がそう言う決定を下せる立場ではないからだ。
元教皇のアデマール老師が決定を下すのではなく、本来は現教皇が賊の討伐に乗り出すべきなのに、当の現教皇はモースを手引きしたばかりか呪詛を吐いて逃げ出したと言うではないか。
どうしようもないとはこのことだ。
「テルモテルスを守ってくださった若人の方々。皆にはクルスとナールの暴走を止めていただいた大恩がある、出来るなら…これ以上危険な目にはあってほしくない。だが敵は強く膨大だ、最早なんの肩書きもないこの老いぼれの頼みで申し訳ないが…どうかこのクルセイド領を、助けていただけないだろうか」
そう、静々と頭を下げる。本来なら胸を張ってエリス達に命令してもいい立場の彼が、友の故郷を守ってくれたと言う理由だけでエリス達に恩を感じ、頭を下げる。
立派かは分からない、だが高潔だ。この人がエリスのよく知る真方教会を率いていたのか…。そりゃあ以前は教会が人々の憩いの場になっていたわけだ。
「勿論そのつもりだ、だよな?みんな」
「勿論ですよ!僕達もここで引き下がるつもりはないです!」
「まぁ、それじゃあここでさようなら…何で言えるほど俺達冷たくないよ」
「ヴェルトとアデマールさんには恩があるもんね!私達にまっかせなさーい!」
皆の言葉にエリスもまた頷く、神聖軍には思うところがある。だがそれとこれは別。
アデマール老師は真摯にエリス達に頭を下げた、ならばエリス達もまた彼の下げた頭の価値に見合う答えを出させねばならない。そう言うものだ。
「おお、ありがたい…」
「すみません皆さん、最初の依頼とはかなりかけ離れてしまいましたが…。まさかこんな大きな話になるなんて」
「気にすんなよアルトルート、いつもこんな感じだから」
アマルトさんの言う通りではあるけども…。なんか行く先々でエリス達とんでもないのとばっかり戦ってるな…。
「んじゃ早速作戦会議!…と行きたいが、いい加減俺も疲れたので休みたい。会議は明日でもいいですかねヴェルトさん」
「構わないよラグナ君、恐らくだがここにいる全員が疲れ切っている。今日は一旦休もう」
「ありがたい〜…」
エリスとしてはまだまだ全然力が有り余ってますのでもう一戦くらい行けますが、聞いたところラグナ達は相当ハードな戦いを繰り広げてきたらしいのでここは一旦休み、また明日から動き出すことになった。
「それじゃあ私は神聖軍のみんなを使って街の復興でもしてこようかな」
「え?…ああ、いいですけど、オケアノスさん…随分やる気っすね」
「別にいいでしょ!」
何やらフンスカやる気を滲ませながら寺院の外に向かい神聖軍を動かしに向かうオケアノスさん。エリスは彼女との付き合いが浅いからなんともいえないが…あの人あんなに殊勝な軍人だったか?
ともあれ、オケアノスさんが退出しアデマール老師やナールもまたチラホラと何処ぞへ消え、会議の空気が散り始めた頃…みんなの視線がエリスに注がれる。
え?なに?
「さて、ようやく話せるな?エリス」
「え…え?なんですか?」
「なんですかも何も、もう大丈夫なのか?知識…戻ったのか?」
「ああ、その事ですか」
エリスは確かに、ダアトとの戦いで知識を消失させられた。封印されたのではなく消去だ、本来は戻らないはずのそれが…今エリスの中に戻っている。
消えた物が戻る事はない、だが…どうやらエリスの中にいる彼女が助けてくれたようだ。
どうやって助けてくれたかって?…ふふふ、分かりません。原理とか全然分からない、けど事実としてエリスは記憶を戻した、つまり。
「エリス!完全復活です!もう腑抜けた事は言いません!全部纏めてぶっ壊します!」
「おお!頼もしい!」
「なんか余計野蛮になってね?」
「元々こんな感じじゃない?」
「やる気に満ちてます!エリスも戦います!モース!倒す!」
「ま、まぁ元気になった事はいい事ですね」
既にラグナとメルクさんとデティがそれぞれ一人づつ幹部を倒してる、エリスも倒したい。残ってるのは…アスタロトとカイムか、両方強いが…いける!
いや、エリスの場合は『アイツ』へのリベンジが先か。モースを動かして何を企んでいるか分からないが…。
「んじゃあ友達が元気になったみたいなんで、俺はここらで」
すると、ヴェルトさんが何やら申し訳なさそうに手を上げてオケアノスさんに続いて出て行こうとするのを…。
「待ってください」
「お待ちください!」
「なにさ…」
止める、エリスとメグさんが同時に。それにハッとしてお互い一瞬『お先にどうぞ』と手を前に出すが…、ここは一応エリスから先に言わせてもらおうかな。
「えっと、貴方ヴェルトさんですよね」
「そう名乗ったよな?」
「覚えてませんか?エリスですよ!エリス!」
「そもさっき聞いたけど…」
「覚えてませんか!?エリス貴方に一回助けてもらいましたよね!?」
「……………………え?いつの話?」
がっくりと肩を落とす、まぁ覚えてないよな。でも一応言っておかないと、この人がやった事は許されない事だけど、それでも恩は恩だから。
「貴方がスピカ様に襲撃をかけた廻癒祭の前に、チンピラに絡まれてた小さな子供…覚えてませんか?」
「え?ああ…ンな事もあったなあ…、ん?え!?まさかあの時の金髪の子が!?」
「エリスです!エリスですよ!あの時はありがとうございました!お陰で助かりました!」
「うっへぇ〜!?!?嘘だろオイ。あの弱々しい子が…こんな」
あの時エリスは一ツ字冒険者に絡まれて、危うく大変な目に遭うところだったんだ。そこを助けてくれたのがヴェルトさん。
当時はエリスも弱くて一ツ字冒険者如きに遅れを取りました、まぁ今は普通に片手でぶちのめせますが、片手でぶちのめせるくらい強く育てたのはあの時ヴェルトさんが助けてくれたからなんだ。
「えぇ、何がどうなったらあの子がこんな…えぇ…」
「なんですかその目…」
「いや、別に…。立派になったな」
「なんか悪意ありません?その言い方」
「いやいやマジで、まさかあの子が俺と互角に殴り合えるくらい強くなるとは…。同じアジメク人して誇らしいやら…老いを感じて情けないやら」
はぁ…と首筋を撫でながらため息を吐く彼の顔には、以前にはなかったシワが刻まれている。昔は見えた迫力というか…覇気というか、滲み出るような何かもない。
歳を取ったというのなら、そうなんだろうが…彼と同年代で同じくカストリア四天王と呼ばれたグロリアーナさんもタリアテッレさんも未だ世界最強格の存在として君臨している事を考えると、ちょっと甘えた発言にも思えるが。
「ええ!?エリスちゃんヴェルトと知り合いだったの!?」
「はい、ほらデティ。エリスが貴方に花を贈りましたよね」
「え?…ああ、あれだね。押し花にしてまだ栞に使ってるよ」
「嬉しい!…じゃなくて、その時の花を買いに行った時に知り合ったんですよ」
「えー?あの時かぁ〜ってメチャクチャ昔…私記憶曖昧だよ…。でもエリスちゃんならヴェルトを見て一発で気がつけたんだよね」
「……いえ、気がつきませんでした」
エリスの記憶力はあまりにも高すぎる。それ故に当時の顔がはっきりと思い出せるんだ。それ故に久々にその人に会った時…その人が少し太っていたり痩せていたりすると記憶の中の顔と合致しなくて気がつかないことが多い。
特にヴェルトさんの場合、トレードマークが隠れていたから分からなかった。
「トレードマークが隠れていたのでわかりませんでした」
「トレードマーク?…ああ、あの目の下の…」
「剣の刺青です」
「俺と言ったらそれなのか…。ん?ああ、そっか、眼帯してたから見えないのか。まだ一応ありますよ?ほら」
そういうなりヴェルトさんは右目を覆っていた大型の眼帯をぺろりと捲ると、そこには彼が若気の至りで入れた刺青と…右目を潰すように刻まれた古傷が見える。
「あの、その傷は……」
「………トリンキュローって女にやられたのさ」
「トリンキュロー…」
さっきも言ってた、トリンキュローの名前。トリンキュローってのはメグさんのお姉さんの名前だ、いや本名では無いがややこしいから省略するとして。
ヴェルトさんもトリンキュローさんも、同じくスピカ様に襲撃を行った襲撃犯。故に当然知っている…恐らく、メグさんのお姉さんのその動向をヴェルトさんは知っている。
「あの、ヴェルト様…教えてもらえますか?貴方は…トリンキュローの何を知っているんですか?」
「…………お嬢ちゃんはトリンキュローのなんだい?」
「妹です、実の妹」
「ッッ!?お前が!?トリンキュローの会いたがってた妹!?いやお前ジズの所に居るんじゃ…、マジでか?」
「マジもマジマジ大マジでございます」
「何このノリ…、…でもそうか、お前がトリンキュローのか…元気そうでよかったよ。アイツ、ずっとお前の事心配してたよ。大切な妹だからってな」
「ッ……!」
じわっとメグさんが涙を浮かべるが、直ぐにそれを拭う。今は泣いている場合では無いと彼女は前を向く。
メグさんはずっと、エリスと出会う前からずっと…お姉ちゃんとの再会を求め続けていた、 その動向を掴めるかもしれない、もしかしたらもう一度会えるかもしれないとメグさんはヴェルトさんに駆け寄ると。
「お願いします、お姉ちゃんの居場所を教えてください。今…どこで何をしてるのか?」
「…………」
するとヴェルトさんは少し、表情を曇らせ。目を逸らし難しそうに唇をモゴモゴ動かすと…。
「…まぁ、他でも無い妹の頼みなら、聞かんわけにはいかないな。だがあんまり人前で話すような話でも無い…問題ないなら、ちょっと面貸せよ」
「………」
チラリとメグさんはこちらを見る、行ってもいいか…とでも聞きたいのか。まぁ確かに神聖軍との戦いの後で色々ごちゃごちゃしてるし、もしかしたら何か仕事があるかもしれないが。
「行ってきてください、メグさん」
「ああ、なんか大事な話なんだろ?なら遠慮するな」
「ありがとうございます、皆様…ではヴェルト様」
「ん、あんまり人気のない所に行こうぜ」
そう行ってメグさんはヴェルトさんと共に寺院の外へと消えていく。…よかったですね、メグさん。
エリスは嬉しく思いますよ、シュランゲの街であんな事があったばかりなんです。そろそろメグさんにとって良い話があっても良いはずなんですから。お姉ちゃんとの再会…必ずしましょうね。
「っさて、そんじゃ俺は晩飯の支度でもしてくるかね」
「え?アマルトさんもうお仕事に?」
「そりゃ…お前、俺今回なんの仕事もしてなくない?オセには負けるし神聖軍には負けるし、切り札を手に入れて強くなれたと思ったのに使い道ないし…だからこっちで役に立たんとなーって」
「気にし過ぎですよ。ねぇラグナ」
「ああ、寧ろ俺今回の旅でアマルトの大切さを思い知ったよ…。いつも料理作ってくれてありがとなぁアマルト〜…」
「そうそう!聞いてよアマルト!ラグナってば肉でチーズとトマト挟んでアマルト風〜とか言ってたよ!いいの!?」
「え?なにそれ、面白そうじゃん。ラグナ、作ってみてくれよ、食ってみたい」
「いやなんでノリ気なんだよ、俺はてっきり怒られるもんかと」
「別に怒りゃしないって、ただ食った事ないタイプの飯だから食ってみたい。もしかしたら新しい料理のアイデア思いつくかもだし?」
「お前のその食への飽くなき探究心はなんなんだ…」
「なははは、んじゃまた今度頼むぜ〜」
「あ!僕も手伝います!アマルトさん!僕もまだ体力有り余ってるので!」
「お、サンキュー、なら子供達の面倒見といてくれや」
「はーい」
そう言ってアマルトさん達も立ち去り…。
「じゃあ私はネレイドさんとメルクさんの様子でも見てきますかね」
「では我等はバルネアの様子を見てこよう、傷は治ったが精神的なショックは拭えないだろうからな」
デティとアルザス三兄弟もそれだけ言い残して、軽くこちらに手を上げ…エリスとラグナは自然と寺院の広間に取り残される。
アマルトさんやナリアさんは今回役に立てていないと気にしているみたいだが、エリス達は傭兵でもないし用心棒でもない。戦いだけが全てじゃない、みんなが一緒に目的に進むためにはあらゆる技能が必要とされる、なら…誰も役に立ってないって事はない。
というかそれ言ったら今まで仕事してなかったエリスが一番の役立たずだ、これはエリスも何かしないとな…。
「よし、じゃあエリスは…」
「待った、エリス」
「へ?」
ふと、振り向く。何か仕事を探そうと一歩歩み出した足が止まり…窓から差し込む夕日に照らされたラグナの方を向く。赤々と染まる彼の顔は何処か真剣で、エリスの踵は自然とそちらの方に吸い寄せられる。
「どうしました?」
「ん、俺達も…ちょっと話、いいかな」
「話…?」
なんだか、ただならぬ様子だ…。
……………………………………………………
「ああ!お待ちください!」
弟子達がそれぞれの場所に向かう中、はたと祈りの間に赴く前にとある事に気がついたアルトルートはパタパタと音を立てて寺院を駆け抜け、外へと出て行くアデマール老師とナール神父の二人を追いかけ、その背中に声をかける…すると。
「なんだ!我々は疲れているんだ、話なら明日にしろ!」
「うっ、ナール…」
振り向いたのはナールだけ、アデマール老師は振り向く事無く立ち止まる。けど私が声をかけたのはナールじゃないんだよなぁ。
「あ、貴方に声をかけたんじゃないです。アデマール様に挨拶をと…」
「…儂かな?」
そこでようやくアデマール老師は振り向いて眼鏡を掛け直してこちらを見る。この人がアデマール老師…会うのは初めてだけど、祖父の語る通り立派そうな方だ。
「あの…!アデマール様に挨拶をしたくて…その」
「そうは言うが、儂はもう教皇でもなんでもないただの老人…。挨拶してもらう理由など…」
「そんなの関係ありません!祖父が…ヒンメルフェルトお祖父ちゃんがいつも言っていました。アデマール様ほど立派な方はいない、あの人こそ誠の信仰者だと…だからこうしてお会いできたことが嬉しくて」
「そうか………」
その言葉を受けたアデマール様の表情は窺えない、丁度陽光を背にする形になっており顔つきは分からない、だがその声音はなによりも優しく、慈愛に満ちている物だということは分かる。
「ラグナ様達から聞きました、ガイアの街を…テルモテルスを守る為に尽力してくださったんですよね。お陰で助かりました」
「儂は何もしてないよ…、ラグナ君達が頑張り、君が諦めなかったから神が微笑んだだけさ」
「そう謙遜ならさないでください、私にとってアデマール様は今でも尊敬するお方なのですから!」
「…………」
尊敬していた、祖父はいつも私の顔を見る都度アデマール様の話をして『彼は立派だ』『彼は素晴らしい男だ』『彼のような信仰心を持ちなさい』と言ってくれた。その言葉通り私はこの方を尊敬しているし、敬っている。教皇でなくなっても関係ない。
ただ、その言葉を受けたアデマール老師は少し俯くばかりで何も返さず…。
「こら!アルトルート!アデマール様は疲れてるんだ!このくらいにしておけ!」
すると、何かを察したナールが怒鳴り声を上げてアルトルートを引き剥がす。
「す、すみません。街には宿屋もありますので今日はそちらをお使いください。明日には寺院の一室を開けますので…そちらで」
「ああ、感謝するよ…」
「それでは!失礼します!」
あまり長話をしても失礼だろう、そう感じたアルトルートは軽くお辞儀をして再び寺院の中に戻っていき………………。
「アルトルート…」
その背中を、アデマールは静かに見つめ続けていた。その背に見るのは親友の面影か?…いや、違うだろう。
「…アデマール老師、私にはなんの事かよく分かりませんが…彼女と面識は?」
「無い、今日初めて会った」
「そんな風には見えませんが?」
「…………お前は相変わらず、人の顔を伺うのが上手いな」
「…フンッ」
別に、彼女に言いたいことはない。アルトルートとアデマールは今日初めて出会った。それでいいじゃないかとアデマールは静かに目を伏せる。
例えそれが嘘だったとしても、それをアルトルートに伝えることはきっと永久にない。だって…『そういう約束』なのだから。
「…顔が見れて、よかった。もう思い残すことはない」
杖をつき、振り返り、背を向ける。テルモテルス寺院に…親友が残した寺院にして、あの子が治める寺院。アデマールにとってなによりも大切な寺院に背を向け…彼は街へと降りる。
………………………………………………………………
「今日のメシは〜、ふんふん〜、モリモリ盛りだくさんのミネストローネ〜」
ふんふんと鼻歌を歌いながらキッチンにて爆速調理を進めるアマルトは、久しくご機嫌…というか、長らく頭を悩ませていた神聖軍関連とラグナ達の安否が諸々一気に解決してようやく胸を撫で下ろせているんだ。
いやいや、よかったなぁ。ラグナ達も無事、モース大賊団もぶっ倒して神聖軍も攻めるのをやめて味方になってくれたっぽいし、後はモースの残党を倒せば戦いは終わり〜。なんか山場越えた感があるなぁ、よかったよかった。
「とは言え、ネレイドとメルクの怪我の具合が心配だな。バルネアも…みんな傷が治ったとは言えやっぱダチが傷ついて寝てるの見ると凹むわ〜…」
早くアイツら起きないかなぁ、またみんなで落ち着いてメシ食って温泉入って遊びてぇ〜。
なんで考えながら包丁で具材を切っていると、ふと。ドタドタと廊下から騒がしい足音が聞こえてきて。
「アマルト!?いるか!」
「ん?お?メルク?」
寝巻きを着たままのメルクがバァーンとキッチンの扉を開けて入って来るんだ。なんだ、もう起きてたのか、なら二重によかったよかった。
「おう、起きたか?」
「ああ、今さっきな。ネレイドももう起きている、気がついたらテルモテルスでびっくりしたぞ、あの世にいるのかと思った」
「あの世ならもっとアジメクみたいな所だろうから安心しろよ」
「いやぁ、もっとデルセクトみたいな豪華絢爛な場所こそあの世に相応しい…じゃなくて!聞いてくれ!」
「料理しながらでも?」
「構わん!」
ドンッ!と目の前の机に手を置いてやや興奮気味に鼻息を吹いているメルクを見て、ちょっと微笑ましく思いながらも調理を進める。はてさて、どんな土産話が飛び出るやら。
「実はな、起きてから気がついたんだが…見てくれ、これ」
「おん?お、魔響櫃じゃねぇの、それ俺も持って…ん?それ…」
「ああ!開いてる!」
カパカパと開いた金色の魔響櫃を見せてもう満面の笑みで笑っているメルクは言うのだ、開いていると。それはつまり…。
「覚醒したのか!?」
「みたいだ!」
「みたいだって…なんじゃそら」
「いや、自覚はないんだ…どうやってやったかも思い出せない。というかやろうとしたが方法が分からない」
「はぁ?おいおい…」
ん?そう言えばラグナも前にヴィスペルティリオ防衛線の時、ペーとの戦いの中で無自覚で覚醒したとか言ってたな。その時も無我夢中だったからやり方が分からないとかなんとか言ってた気がする。
つまり今のメルクはそこにいるわけか。
「へぇ、よかったじゃねぇか。くそ〜…先越されたか?」
「ふふふ、まぁ私は擬似覚醒が使えたからな。一歩先を行っていたと言えばそうなんだろう。ラグナもこの段階から物の一年ちょっとで正式な覚醒に至ったし、私ももう覚醒が目の前という事だな!ははははっ!」
「勝ち誇ってやがるな?」
「まぁな、ようやく念願の覚醒だ。今からどんな名前にするか考えてるんだ」
「ペットかよ…。だがあんまり油断してると正式に魔力覚醒するの、別の奴に先越されるかもしれないぜ?例えば俺とかな」
「言うじゃないか、まぁお前もまた天才的なセンスを持っているし、何より実力面でも私とそう変わらん、実際私もうかうかしてられんだろう」
「ははは、だろ?」
とは言うが、ちょーっと悔しいな。実は俺…メルクの事結構ライバル視してたんだぜ?だって弟子入りした時期が殆ど同じだからな。後はメグか。
俺とメルクとメグは弟子入りした時期が殆ど同じ、謂わばスタートラインが一緒なんだ。これが超昔から弟子入りしてるデティやネレイド、あと普通に色々ぶっちぎってるエリスやラグナに追い越されても特になんとも思わんが。この二人だけは特別だ。
そんなメルクに先越されて、俺は悔しくて悔しくて堪らない。だがそれと同じくらい嬉しくもある、メルクが頑張ってたのは知ってるしな。
「それで?自慢しに来たのか?」
「それもある、だが…どうやったら正式に魔力覚醒できるかの知恵を募りたくてな」
「はぁ?なんで俺なんだよ。そんなの俺が聞きたいっての、聞くなら覚醒してるエリスとかラグナ、ネレイドとかに聞けばいいじゃんよ」
「エリスとラグナはラブコメ中だ」
「そうなのか?」
「そんな気がする」
なんだこいつ…。時々こいつのラブコメセンサーが怖くなるよ俺は。
「ネレイドも病み上がりでどこかに行っているし、アマルトしかいないんだよ。君はこう言う質問にも真摯に考えてくれるし答えてくれるから」
「いや俺に聞かれてもなぁ…」
「何かないか?コルスコルピの知恵でなんとか」
「出来たら俺がとっくにしてるっつーの!やるなら覚醒した時の状況の再現でもしたらどうだよ」
「分かった、ならテルモテルスを跡形も無く爆破させるところからだな」
「どう言う状況で覚醒してんだよお前、表でやれ表で」
なんてバカ話をしながらつくづく思う。こいつらが無事帰ってきてくれてよかったなと、誰一人欠けることなく帰ってきてくれてよかったなと。だって俺、こいつらの事大好きだし。
にしても…ネレイドが何処かに行ってるか。ちょい心配だな、最近アイツ悩みっぱなしだったし。
「なぁアマルト、君も考えてくれよ〜」
「じゃあそこで『魔力覚醒!』って叫んでろよ、みんなやってるだろ」
「ああ、あれ必要なのかな」
「しらね、覚醒したらわかるんじゃね?」
「私はわからんのだが…」
「ところで魔響櫃の中に何が入ってたんだ?」
「土地の権利書だ、どこの土地かは分からん」
「なんじゃそりゃ……」
……………………………………………………………………
「どうしたんですか?ラグナ、何か大切な事ですか?」
エリスはラグナの案内で、普段使われていないテルモテルス寺院の屋上テラスへとやってきていた。と言うか普通に屋根の上だな。子供達が昇ると危ないからと言う理由で普段は閉鎖されている屋上へ登れば、そこには無惨に壊れたガイアの街を修復するため神聖軍が動いているのが見える。
彼らもさっき戦ったばかりなのに、大変だな。
なーんてぼんやり考えていると…ラグナは。
「実は、サラキアの戦いさ。…結構やばかったんだよな」
「え?そうなんですか?」
「ネレイドさんがあの状況だっただろ?それに俺も普通動けなくなってたし、メグさんがベストなタイミングで呼び戻してくれなけりゃ…死人が出てた可能性が高くてさ」
「………………」
絶句する、思わず言葉を失う。そんな…酷い状況だったんですね。
エリスはてっきり、ラグナがついてるから余裕なもんだとばかり思っていた。でも…違ったんだ、彼でもそんな、窮地に陥る事があるんだ。
「そうだったんですね、エリスが側に居たら…助けられましたか?」
「さぁ、どうだろうな。いや、エリスの実力を疑ってるわけじゃないんだ、ただ…なんとなーく思ったんだよな」
すると、ラグナは屋上の屋根のヘリに座って。呆然と夕日を眺め…。
「この旅は、誰かが死ぬかもしれない危険な物なんだって」
そう言うんだ。それは別にラグナがお気楽道中を楽しんでいたとかではないだろう、彼だって危険性は理解していたし、死を覚悟した事もあるだろう。
だが初めて敗北と打つ手のない事態に追いやられ、仲間の死が目の前に迫る…と言う場面に出くわしたからこそ、それが言葉や可能性では無く、起こり得る現実であることを自覚した。
…エリスも、その経験があるから分かる。自分が死ぬかもしれないと思うのと、誰か親しい人が死ぬのは違う。エリスの場合それを自覚したのは…リーシャさんの時だ。あの時エリスは守れなかったけど、ラグナは守れた上で自覚できた、それは素晴らしいことだ。
「そうですね、どれだけ強くても…人はある日、呆気なく死ぬ」
「ああ、自分の死を覚悟するのとはまた違った。…そう思うと急に怖くなってさ」
「怖く?」
「ああ、…もし旅を終えた時、俺一人しか残ってなかったらってさ…」
或いは誰か一人が欠けていたら、それは自分一人が死ぬのより…ずっとずっと辛い。誰か居なくならなきゃいけないなら自分がいいとさえ懇願出来るくらいには、辛いことなんだ。
ラグナの声は震えている、瀕死のネレイドさんを前にそれをようやく自覚出来たのだろう。近くにデティは居らず、自分も動けず、敵が目の前にいて、何も手を講ずる事ができない状況に置かれて、ようやく。
「そう思ったらさ、俺…旅続けられる気が…しなくなるんだよな。最後に勝利しても誰かが居なくなるくらいなら、旅なんかやめて、何処かへ逃げ出したいって…。師範に破門にされても国を追い出されても、仲間を…大事な親友達を失うくらいならって…」
分かる、分かるよ、気持ちは痛いほどに分かる。胸がズキズキ痛むくらい分かる。彼の恐怖は最もだ…だけど。
「それは違いますよ、ラグナ」
彼の隣に座り、手を取って断じる。それは違うと。
「エリス…」
「エリス達はみんな覚悟して戦っています、それは死ぬかもしれない覚悟じゃありません。どれだけ苦しくても誰も失わず、どれだけ辛くても仲間を守り、どれだけ険しくても八人で旅を終える覚悟です」
ラグナだけじゃないんだ、そう思っているのは。みんな…誰かが死ぬくらいなら自分が死ぬと思っている。それだけ仲間を守りたいと、親友に生きていてほしいと思っている。
「想像するのは…そんな暗い未来じゃありませんよ。エリス達は勝ちます、そこに犠牲はなく。倒れ伏すのは敵のみ、輝かしい栄華を受け取りみんなで凱旋する…そんな未来ですよ、ラグナ」
「……未来か」
「はい、エリス達は死にません、貴方の前から居なくなりません。だからラグナ、貴方がそんな顔をしないで、…そんな顔をされると、エリスも…辛いから」
確たることは言えない、エリス達は絶対に死なないとは…言えない。だけどせめて想像するなら明るい未来の方がいい。そんな未来を得ることを師匠達も信じているから、だからエリス達はここにいるんですから。
だから…そう伝えていると、ラグナはエリスの手をそのまま引いて…ギュッと肩に手を回し抱きしめて。
「ありがとう、君ならそう言ってくれると思ってた」
「え?」
「…旅をやめたい、とは思ってない。ただそんな考えが頭をよぎったんだ、この嫌な想像を払拭するには…誰かに吐き出したほうがいいと思った。そして、俺を奮い立たせてくれるのは、この世に君しか居ない」
「ラグナ…、そんな…エリスは…」
「いつも君に助けられてる、ありがとうエリス」
「て、照れちゃいます」
別に、そんなエリスは大した人間じゃありませんよ。でも…それでもそんなエリスでも彼の役に立ててるなら、嬉しいな。
…って!?エリス今ラグナに抱きしめられてません!?ちょちょ!?なんか急に熱くなって来た!心臓やっばぁ!ラグナに音聞かれる!
「ら、ラグナ…その、抱きつくのは…」
「もう少しこうしていたい」
「ええ!?」
「君の心臓の音を、聞いてたい。生きている証を」
「ぁ……はい、分かりました。エリスので…よければ」
そっか、そうなんだな。なら…大人しくしていよう。
目を閉じて、彼を感じる。喧しいエリスの心音に重なるように、向こう側で彼の心音が聞こえる。彼もまた生きている、エリスもやっぱり生きている。
それを確認するように、互いに…ただただ、抱き合って、それをしっかりと確認する。
………………………………………………
「それで、教えていただけるんですか?…お姉ちゃんの事」
「そのつもりでもなけりゃ淑女をこんな路地裏に連れてこねぇよ」
ガイアの街の裏路地、誰もいない、誰も来ない薄暗いそんな場所で私はヴェルト様の密会する。理由は一つ、彼が私のお姉ちゃん…トリンキュローの事を知っているから、その話を聞きたいからだ。
「さてと…まず何処から話したもんかな。お前は俺とトリンキュローがアジメクでスピカを襲った件、知ってるよな」
「はい、聞き及んでいます。レグルス様に撃退されたとか」
「呆気なくな、んで俺達は負け犬同然で逃げ出した。そこでトリンキュローの案内で俺達はマレウスに逃避したんだ。魔女大国から追手が届かない国へな」
それも聞いた、トリンキュロー姉様はマレウスにいると。マレウスの中にいてはこちら側からでは接触出来ないし見つけられないのも当然だと。だが私が聞いているのはそこまで…それから何があったかは誰知らない。ここにいるヴェルト様を除いて。
「それから数年、俺達はマレウスのとある村で暮らしていたんだが…数年前、トリンキュローの元に手紙が来た。宛名はジズ・ハーシェル…って言えば、なんとなく分かるか?」
「…招集ですね」
きっと、スピカ様暗殺に失敗しマレウスで暮らしていた姉様を再び呼び寄せたのだろう。だがそれは姉様も覚悟の上のはず、マレウスはジズにとって縄張りのようなもの、マレウスにいれば確実にジズに見つかる事は誰でも予測出来る…。
「トリンキュローはその招集に応じて…ハーシェルの館に戻った」
「もしかして殺されて…」
「無い、殺される事はないとトリンキュローも言ってたよ。でも心配じゃん?一応数年間一緒に暮らした身としてこれから世界一の暗殺者のところに行きますなんて言われりゃおっかなびっくりにもなる」
「それで…どうしたんですか?」
「連れ戻しに行った、ハーシェルの館に乗り込んでな」
「凄いことしますね…」
そもそもよく『あの館』に踏み入れた物だ。物理的到達は不可能とされるあの館に踏み入れる時点でこの人も大概だ…。それに侵入すればまず間違いなく迎撃が来る。それさえも弾き返して…凄い人だ。
「よく切り抜けられましたね」
「いや?無理だった。途中で撃退されたよ」
「あ、そうなんですね」
「そう、撃退されたのさ…この俺が」
そう語りながらヴェルト様は失われた右目を指でなぞり悔しそうに拳を握る。そう言えば…この方はカストリア四天王の一人だったな、ルードヴィヒ将軍もかつて語っていた。
『カストリア四天王はここ数百年を見ても類を見ない程卓越した使い手達。彼等が魔女大国の守護者であることそのものが私は誇らしい』と。
そんな方が、有象無象のハーシェルの影にやられたとは思えない。どんなに腐ってもこの方の実力は世界でもトップクラスのはずなのに…。
「数で攻められても…俺は物ともしない、だが…それでもアイツは、アイツ一人だけには敵わなかった」
「まさか…ジズ?」
「いや、ジズは最後まで出てこなかった。代わりに…トリンキュローと接触出来たと思った瞬間、アイツが…エアリアルが現れた」
「エアリアル…姉様が!?」
エアリアル、名をエアリアル・ハーシェル。ジズが後継者として育てているハーシェルの影達の中で最強にして史上最高傑作と言われる第一の影。あまりにも強すぎるが故に余程の依頼でもない限り出撃が認められていないジズにとっての虎の子が、ヴェルト様を…?
「はっきり言うぜ、エアリアル…アイツは俺が今まで見て来たどんな怪物よりも恐ろしい、別格だ。カストリア四天王なんて呼ばれた俺が全霊の魔力覚醒を使っても子供扱いだった、下手すりゃデニーロやタリアテッレでも勝てないかもしれない…そう思えるくらい、アイツは強かった」
「奴はジズの技を全て余す事なく習得した上で自分の技へ昇華させた天才…、或いは次代の空魔でございます。既にその実力はジズと比べても殆ど差がないかと」
「だろうな、アイツだけ他のメイドと次元が違った」
エアリアルはもうジズの後継者と言う範疇に収まるレベルじゃない、既に空魔を名乗る事を確約されているもう一人の『世界最強の暗殺者』なんだ。私もかつてエアリアルの技を見たことがあったが…。
まるで、『死』そのものだった。殺す為に生まれたような怪物…それが『五黄殺』エアリアル・ハーシェル。
「そんなエアリアルにボコボコにされて、殺される寸前にまで行った俺を…トリンキュローは助けてくれたんだ」
「姉様が?」
「ああ、俺に致命傷を与えるフリをして館から逃してくれた。この目の傷は…まぁその時のモンだな。ここまでしなけりゃエアリアルの目を欺けなかった」
恐らく、倒れ伏したヴェルト様にトドメを刺すフリをして、あの館から生かして外に出したのだろう。ヴェルト様を生かしたまま場を収めるにはそれしかないから…。エアリアルは鉄のように冷たい女だ、口八丁手八丁じゃ欺けない。
「情けねぇよな、助けに行ったのに…逆に助けられてよ」
「じゃあ姉様はまだ空魔の館に?」
「多分な、ちょっと会って話した感じだとジズはトリンキュローに何かさせたい感じだった。それが何かまでは分からなかったが…それよりもアイツは俺に大切な事を知らせてくれた」
「大切な事?なんでしょうか」
「…マレウス・マレフィカルムと動向だ。奴等はマレウスという国を使って世界を二分する戦いを勃発させようとしているらしい、だから…それを俺に止めて欲しいってさ」
世界を二分する戦い?そんな物が…奴らの目的だと?いや分かってはいた。マレフィカルムと戦力を考えればそういう事を企んでもおかしくない。
確かに覚醒を使える実力者の総数ではマレフィカルムの方が上かもしれない。だが逆にこちらは人員と兵器の数で勝っている。どれほど超常現象じみた覚醒を使える物でも、魔装を持った数千人の兵士に囲まれれば呆気なく殺される。
…のが普通なんだが、それを乗り切ってしまったエリス様の例があるから、あんまり楽観視は出来ない。エリス様の武勇伝はある意味、マレフィカルム達にとって良い前例になってしまっている。
「何をどうして世界を二分させるか、その戦いが起こったらどうなるかは分からなかった。だが…俺とトリンキュローがこの数年、育てて来たガキがいるんだ。そいつの未来に影を落とすのは間違いない」
「子供…?まさか…!」
「俺達の子供じゃねぇからな!?…ただ、そいつは俺達みたいな碌でなしが生きていく理由になってくれた。だから…トリンキュローは言ったんだ…『あの子と妹が、平穏無事に生きていける世界を、どうか守ってくれ』ってな。笑えるぜ、元々魔女を殺す為に集まった俺たちが、今は世界を守る為に戦おうってんだからな」
「姉様……」
あの人は、どこまでも誰かを思い遣る。自分よりも相手、誰かが自分の代わりに生きてくれればそれで良いと考えてしまう。危うい考え方だが…確かに姉様ならそういう事を言いそうだ。
平穏無事に生きていける世界…か。よかった、姉様がまだ魔女を殺そうとしていたら、私はどうしたらいいか、分からなかったから。
「…そうでしたか、ありがとうございます。姉様の居場所が知れました」
「いや、大した話じゃないけどな…」
「という事はヴェルト様は姉様のその言葉に従って神聖軍に?」
「ああ、マレフィカルム中枢組織…セフィロトの大樹は既にマレウス王政府に深く食い込んでいる。マレウスにある重要機関の殆どは奴らの手中にあると言っていい、だからそこに入り込めるように神聖軍に入ったんだが…ちょっと思ったのと違ってな」
「クルスが教皇になっていたのを知らなかった…とか?」
「ああ、アデマール老師は既に引退していて、思ったよりも自由に動けなくてな。一応拾ってもらった恩義と…ちょっとした疑惑からまだ神聖軍に残ってるが、そのうち抜けてまた放浪するつもりだ」
「そうでしたか…。実は我々も…」
「知ってる、マレフィカルムの本部を探してるんだろ?」
「はい、なので…協力出来たら…」
「……いや、やめとくよ。あんたら魔女の弟子だろ?別に俺は魔女大国の為に戦ってるわけじゃない、行き先が一緒でも見てる場所が違えば何処かで決定的な軋轢を生む。ならあまり互いに干渉すべきじゃねぇ」
今回は状況が状況だから手を貸すけどよ…、とヴェルト様は何処か冷めた様子で腕を組みややニヒルに笑う。確かに…彼は一応魔女を襲撃した身、それは過去の出来事なれど魔女を襲うなんて大それた事をしでかすに至った経緯はきっと魔女への不信感にある。
魔女に不信感を抱く人間と行動を共にしても、きっと私達は何処かで彼を受け入れられない場面が出てくる。なら、このくらいの関係の方がある意味良好か。
「畏まりました、ではもしマレフィカルムの本部の場所が分かったら教えてくださいませ」
「おう、…しかし本部ね」
「何か思い当たる場所でもありますか?」
「…さっきも言ったが、マレフィカルムはこのマレウスの重要機関の全てを掌握してる。なら本部は目立つ場所にドンと構えてるとは思えない。どっか…マレウス王政府所有の施設に偽装してるか、或いはどこぞの街の地下にでも隠してるんじゃねぇかな…って思ってな」
「なるほど、…なら怪しいのはレナトゥス・メテオロリティスに関連する施設と見ていいでしょうか」
「レナトゥス?…まぁ、マレウスの結びつき方を見るにアイツは十中八九何か知ってるだろうが、手は出すなよ」
「何故ですか?」
「伊達じゃねぇからだ、マレウスという魔境の頂点に立っているという事実そのものが。アイツはある意味マレウスに巣食う闇の首魁。変に突っつけばマレフィカルムどころの話じゃなくなるかもしれん」
「なるほど…」
ラグナ様の予測通り、あまりレナトゥスには関わらない方がいいかも知れない。私は会った事がありませんが噂を聞くにかなりの傑物にして悪辣な人物らしい。裏に何を隠しているか分からない。余計なことに巻き込まれる可能性も高いか…。
「そういうわけだ、取り敢えず俺は神将の副官としてオケアノスの補佐に当たるよ、なんかアイツ変な張り切り方してるし、見てて危うい」
「はい、お話しできてよかったです」
「ん、また後でな」
ニッ!と八重歯を見せ人好きする笑顔で軽く手を振り去っていくその背中、その歩き方を見て…私はふと思い出す。
なんか、ステュクス様に似ているな…って。そう言えばヴェルト様の弟子について聞いておいた方がいいかな、いやでも私達になんの関係もないし、聞いたところで感が激つよでございます。
「にしても姉様…今ジズの元で何をしているんですか。早く…会いたいです」
空を見上げる、姉様は今空魔の館にいるのか、会いに行こうとして会いにいける物でもないし、…もし旅を続けて何処かで会えたなら、それはそれで良いが。
……果たして、無事に出会えるんだろうか。