463.魔女の弟子と絶望の激戦
胸にぽっかりと穴が空いていたようだ。
今まで培って来た知識が消える…と言うことは、その人物が歩んできた人生その物の消失を意味し、それは即ち死と同義である。
微睡むような意識の中、曖昧な状態でエリスは未知の中でエリスは死した様に蹲っていた。仲間達の顔は認識出来るが彼らが何をしようとしているかも分からず、今己が何処にいるかも分からず、何をすべきかも分からない。
…正直に言おう、何も知らないままだったならきっと楽だった。全てを放棄して知らないフリをしてられたら、きっとエリスはこれ以上傷つくことはなかった。例えそれが逃げであってもエリスを咎める人はいないだろう。
だがそれでも、エリスは…あの時、倒れた仲間と血を吐くバルネアの姿を見て。望んだのだ。
何も知らない無垢な赤子同然のエリスは…、今の己では何も出来ないことを悟り進む事を望んだ。例え果てしない戦いと傷に塗れた道であれども…今目の前で起きている出来事から目を背け知らないフリをすることは出来ないと。
そうだ、エリスは例え死んでもエリスだ。全てを失ってもエリスだ、何もかもを忘れてもエリスだ。
今まで見失って道を、今まで不思議と見ることが出来なかった道を。その道を全力で駆け抜け…エリスは。
「ッ…ぐっ!ぁが…ぁぁあああ!!!」
悶え苦しみながら頭を地面に打ち付けた。近くの戸棚に頭突きをし、壁に頭を打ち付け、頭を抱えながら暴れ狂う。…そう、思い出しているんだ。思い出している最中なんだ。
今までエリスが味わった全てを追体験している。その中には嬉しいことや楽しいことと同じくらい…辛く苦しい経験も多くあった。
母親から捨てられた経験、父親から虐待された経験、戦いの苦痛、激戦の苦痛、大切な人との離別。その全てを一瞬の間に追体験する…それはとても苦しく辛いことだ。
何度もやめようかと、道を引き返す選択をしそうになった。やっぱりこんなの知らない方がいいと心の底から思った…でも、それでも。
「せ…なか…、背中が…そこにある…ッ!!」
薄らとぼやけた瞳で見る幻想に手を伸ばす、見えるんだ。道の向こうに見える背中が。レグルス師匠の背中が…。
師匠は決してエリスに歩み寄らない、あの人に追いつくにはこの苦痛を乗り越えてでも進まないといけないんだ。例えどれだけ苦しい道のりでも…エリスがエリスである以上、エリスに引き返す選択肢はない。
「はぁ…はぁ…、ぜぇ…ぜぇ…!!」
歯を食い縛り、額から血を流しながら立ち上がる。追いつきたい…あの背中に、その一心でエリスはここまできたんだ。それを失ってたまるか…、例え平穏に生きる未来を失おうとも、エリスは…!
『世話が焼ける奴だな、お前は』
え?…声が聞こえる、誰の声だ…これ。
『あんな奴に負けやがって、情けない…。何度やられても立ち上がるのがお前だろう、何いつまでも蹲ってるんだ?似合わないぞ』
誰なんだ、分からない。ぼんやりと見えるのは白い影、顔は見えない、認識出来ない。でも彼女を見てると自然と電流が走ったような、そんな感覚に襲われる。
『私にとってお前は最も憎き敵だ、味方じゃない。だが…いやだからこそそんなお前がこんな終わり方をするなんて耐えられない、だから立て…立ち上がって前に進め。そうでもなければお前が踏み越えた全ての者達にどう顔向けする、私の居場所を奪ったお前が…』
そいつがしゃがんでエリスの顔に触れる、その一瞬…見えたのは、…嗚呼、お前だったか。
『エリス、思い出せないなら私が教えてやる…、いいかよく聞け、お前はエリスだ、孤独の魔女の弟子エリス…!魔女の敵を許さぬ敵対者に審判を与える者。さぁ立て!立ってお前の道を行け!』
エリスは…エリス、エリス…ああ、そうだ…そうだ!
「思い出した…エリスはエリスだ…!」
充血した瞳で、爛々と眼光を輝かせ、立ち上がる。思い出した、記憶が現在に追いついた。相変わらず頭は痛むし、背中は依然として遠くにある。だが…。
「清々しい…、こんなにも世界って…色が濃かったか?」
まるで、世界と視界を隔ていた一枚のガラスが取っ払われたように、世界が色濃く見える。鮮やかというのだろうか…。
いい気分だ、今なら…もっと前に進めそうだ。
けど、今はこの足を前に進めるよりも先に…するべきことがあるよな。
「アイツら…エリスの友達を…!」
思い出した、今までの全てを。エリスはこんな大事な時に腑抜けた態度をとっていたなんて、エリスがもっと早く思い出していればみんなにこんな思いをさせなかったのに…。
いや、それ以前の問題か…。連中…誰に手を出したか、思い知らせてやる…!!!!
…………………………………………………………………
「テメェら全員ブッ殺す!!」
ビリビリと空気が振動する、寺院から降りて来た修羅…エリスを前に神聖軍が戦く。明らかに今まで寺院を守ってた奴らと目つきが違う。強いか弱いかではない、まるで夜道で獣に出会ったかの様な『ヤバさ』を全員が感じるのだ。
「フッ、まだ戦力が残っていましたか。どういうつもりで寺院の中に隠れていたのかは知りませんが…、問題ありません、今更一人増えたとて関係ない」
そんな中メーティスだけが恐ることなく毅然と指揮官として立ち振る舞う。だが事実だ、今更一人増えても取り押さえようと思えば取り押さえる事はできる。
目つきはヤバいが、恐ることはないのだ。
「我々には神がついている、この場にいる神敵に負けるわけがない!恐れることなどないのです…!」
「神だと…?その神が…これを望んだと?」
エリスがビキビキと額に血管を浮かべながら、さらに前に踏み出す。拳には怒りを、足には激怒を、全身からは憤怒を漂わせ鋭い目つきでメーティスを射殺す。
「この光景を神が望んだと、エリスの友達を傷つけることを神が望んだと!子供の涙ながらの願いに暴力で答える事が!神の望みだと!そう言いたいのかお前は!」
「ああそうだ!神はそう言った!!」
「なら…だったら…!エリスがそんな神諸共と全部ぶっ殺してやるッッ!!」
「貴様ッ!よりにもよって…!言うに事欠いて!神を殺すと!…最早許せぬ!拘束とは言わない!この女を殺せ!!」
そう背後の兵士達に指示を飛ばすために一瞬、メーティスの視線が背後に向いた…その時だった。
「メーティス様!!前!」
「え…!?」
即座に盾を前に突き出し視線を戻す、するとそこには…まだかなり距離があったはずなのに、エリスが目の前で拳を握って───。
「死ぬならテメェから死ねッッ!!」
ストレート、まるで定規で線を引いた様な鋭い拳撃がメーティスに炸裂する、それは突き出された盾に吸い込まれる様に激突し…。
「ぐべぇっ!?!?」
盾に穴を開けメーティスの顔面をぶち抜く。メガネが粉砕され体は錐揉み背後の部下達の足元に転がる。神盾アテナが…素手の一撃でぶち破られた、その事実を受け止めきれなかったメーティスは大地に転がりながら白目を剥き、ガックリと力無く倒れる。
「負けた…メーティス様が、一撃で…」
「何が神だ、何が神が望んだ事だ、ンな訳わからねぇ理由で!テメェらはエリスの大事なモン全部傷つけたのか!!だったら分からせてやるよ…力で押し通そうとした奴には、それと同じだけの力が…返ってくることを!!」
吠える、両手を開き拳を握り絶叫するエリスによって…ガイアの街攻防戦は最終段階に移行する。いや、これはもう戦いではない。
蹂躙だ。
「め、メーティス様がやられた!全員だ!全員でかかって奴を拘束しろ!!」
咄嗟に周囲の兵士達は動く。メーティスが倒れ指揮系統はめちゃくちゃだが全員が目の前のエリスをなんとかしなければならないという思考を共有していたがために動きは速かった。
皆が剣を抜きエリスに殺到する。数的な面で見ればエリスは不利だ…だが。
「『旋風…』」
まず、言っておこう。確かにエリスは強いが、アマルト達と比べて一人突出して別次元の強さを持っている…というわけではない。
だが違う点が一つあるならば、アマルト達はメーティス達と同じ土俵の上で戦っていた。だからこそ数的な有利を持つメーティスを相手に不利を被った。
だが。
「『圏跳』!!」
「ぐぎゃぁっ!?」
拳を握り、一気に直線に加速し向かってくる兵士達を全員纏めて薙ぎ倒しながら進む。まさしく一騎当千、ただの一撃で数十人近い兵士達を殴り飛ばしたのだ。
…これが、ラグナがエリスを『神聖軍防衛に於ける最大のピース』として扱った理由だ。先程も言ったがエリスはアマルト達とそこまで離れた実力を持つわけでは無い。
だが、エリスにはある。他の誰も持ち得ていない経験…『軍を単独で相手にし、その上で生き残り押し通った経験』が。
「意味を持ち形を現し影を這い意義を為せ『蛇鞭戒鎖』ァッ!!」
そのまま手から魔力縄を生み出し近くの兵士達を纏めて縛り上げ、そのままグルグル振り回しフレイルの様に扱い暴れ回る。
『エリスは敵に囲まれている時が一番強い』…それがラグナのエリスへの評価だ。長い旅の中で一対多数の戦いを経験し続けて来たエリスは、多人数に囲まれた時の立ち回り方を誰よりも熟知している。
「こいつ化け物かッ!?」
「一人でもう百人近くは倒してるぞ!?」
「まるで御伽噺に出てくる怪物だ…!」
「ぅぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!!」
飛び上がり、高速で兵士達の間を駆け抜ける様に飛び交い蹴りや拳の乱打を見舞い次々と兵士達を殴り飛ばす。その一撃一撃が人間の急所に的確に放たれ最小限の動きで雑魚を蹴散らす。
慣れている、あまりにも慣れている。人を殴り蹴り飛ばすことにあまりにも慣れている。
この慣れこそが、ラグナがエリスを防衛戦に使いたかった理由…の一つ。
そう、理由はもう一つある…それは。
「燃える咆哮は天へ轟き濁世を焼き焦がす、屹立する火坑よ その一端を!激烈なる熱威を!今 解き放て『獅子吼熱波招来』ッ!!」
「ぅぎゃぁぁっ!?な…何だこれぇっ!?」
腕を一度振るえば、視界を覆い尽くすほどの熱波が兵士達を吹き飛ばし焼焦がす。
「血は凍り 息は凍てつき、全てを砕く怜悧なる力よ、臛臛婆 虎虎婆と苦痛を齎し、蒼き蓮華を作り出り砕け!『鉢特摩天牢雪獄』ッ!」
「ひぃ!ひぃぃぃいい!!」
もう一度腕を振るえば、今度は白銀の衝撃波が周囲を駆け抜け、周りの兵士を吹き飛ばし凍り付かせる。
「秘めたる大地の奥底に、眠る魂を叩き起こす、安息の時は今終わる!起きろ!『大王墳墓大荒し』!!」
そして、その両腕を大地に叩きつければ。巻き起こる大地震によりエリスに向けて突っ込んでくる兵士達を纏めて巻き込み巨大な爆裂にて吹き飛ばす。
「ぎゃぁぁぁぁあ!?」
「なんなんだ…!まるで意志を持った災害!動くだけで天変地異が巻き起こっているッッ!!」
対殲滅特化型の魔術師…孤独の魔女レグルス。八千年前の戦いで誰よりも殺し誰よりも敵に損害を与えた女。その古式属性魔術は広範囲攻撃を得意としており、当然それを扱うエリスもまた莫大な攻撃を範囲を持つ。
それは多人数戦で真価を発揮し爆裂する。その猛威は…まさしく修羅。
まさしくエリスはこの戦いにもってこいの人間だった、だからこそラグナは彼女を防衛側に最初から参加させたかったのだ。
「テメェら全員分かって来てるんだよな…!神の言うこと聞いて来てんだよな!なら後悔もねぇよなァッ!!」
「ダメだぁーっ!逃げろーっ!こいつには勝てないーっ!」
両手をクロスさせ、腕に炎と雷を滾らせる。その動作に恐怖を覚えた兵士達は一気に戦意を喪失し慌てて逃げ始める。
「焔を纏い 迸れ俊雷 、我が号に応え飛来し眼前の敵を穿て赫炎 爆ぜよ灼炎、万火八雷 神炎顕現 抜山雷鳴、その威とその意が在る儘に、全てを灰燼とし 焼け付く魔の真髄を示せ…!」
クロスさせた腕をそのまま頭上に持っていき、作り上げるのは神域の炎雷…その名も。
「『火雷招』…!」
光り輝く炎雷、エリスの代名詞たる大規模破壊魔術…を、エリスは虚空に向けて放ったかと思えば、壮絶な魔力操作能力にて虚空にて停止させる。
「と、止まった?」
兵士達は目を丸くして呆然とする。自分達に向けて放たれたはずの攻撃が停止したのだ、当然…思考もまた停止する。
だが、攻撃を止めたつもりはない。
「ぐっ…ぬぬぬぬ!!」
腕の血管を浮かび上がらせ、全力で火雷招に干渉する。本来は殆ど操作を受け付けないはずの超火力魔術。それをエリスは自分の力一つで無理矢理軌道を変え。
まるで、空中で停止した雷?掴む様に虚空を握りしめ…振るう。
「『真・炎龍雷閃』!」
放たれたのはエリスの操作により横薙ぎに振るわれる炎雷の龍。操作権を完全にエリスに握られ暴れ狂う炎雷の龍は寺院の敷地内に入り込んだ兵士達を瞬く間に爆ぜ飛ばし蹴散らしていく。
「さぁ、エリスはまだまだやれますよ…!次はどいつから死にたいですか…!」
爆裂する炎雷、その豪炎を背に歩む…。まだまだ終わらない、こいつら全員に理解させるまで、エリスは止まらない。
…………………………………………………………
「ヤベェ、完全にイカれてる!」
ヴェルトは頭を抱える。レグルスみたいにレグルスみたいな奴が登場したかと思えばレグルスみたいに暴れ回り始めやがった。いやレグルスにはまだこう…気品というか、分別みたいな物がついていたがアイツは違う。
完全にドタマに来てる。暴れっぷりがレグルス以上に容赦がない!
「おいヴェルト!早く戦いを終わらせろ!でなきゃこっちは全滅だ!」
「…いや、もう無理ですよクサンテさん」
この手にある書状…、これはもう完全に意味がなくなったかもしれない。確かにこれなら神聖軍を止めることは出来る。だがそれではあの女は止まらない。
戦いとは、双方合意の元で行われる物だ。どちらか片一方に敵意があり続ける限り…永遠に行われる物だ。エリスがこっちに完全に敵意を向けている状況で停戦なんか出来るわけない。
どうにかこうにかエリスを止めねぇと…!今度はこっちがやられる!
「チッ、しゃあねぇ…!もう十分疲れてんのに…また覚醒使うか…!」
ここまで覚醒を全力で使い走り抜けて来た疲労がまだ抜けていないのに、ここから更にあんな狂気じみた化け物まで相手にしなきゃいけないなんて…。
だがやらなきゃこっちが殺される。やるしかないとヴェルトは剣を抜いた…その時だ。
「ゔおおおおおお!!アルザス!アッセンブル!」
「なっ!」
突如影から巨漢が突っ込んできた…こいつ、アルクカース人か!?
いやこいつ、確かさっきまで兵士達に拘束されてた…アルザスとかいうやつか!そうか、エリスが暴れた拍子に取り押さえていた兵士達も纏めて吹き飛ばされたからフリーになったんだ!
「エリスの邪魔はさせんぞォッ!」
「ぐっ!今それどころじゃねぇのに!」
ラックの剣を受け止め苦悶の顔を見せるヴェルト。こいつも強い…簡単には抜けない!でもこいつの相手をしてる暇もない!
仕方ない!
「クサンテさん!任せた!どうにかこうにかエリスを大人しくさせてこの戦いを終わらせてくれ!」
「えぇっ!?」
咄嗟に書状をクサンテさんに投げ渡しラックの相手に専念する、今は一刻も早くエリスを落ち着けさせて戦いを終わらせないと!
「エリス!よくぞ舞い戻った!そちらは任せる!こっちは強そうなのを引き受けよう!」
「ラックさん!!…任せました!!」
「チッ、くそッ!」
ラックの剣は鋭く重い、的確にこちらの剣を払って体を揺さぶりスタミナを削ってくる。タイマンでこれと打ち合える剣士とは…相当な手練れだ。こりゃあ時間がかかるぞ…!
「え、ええ…任せたって」
そんな中クサンテは手に持った書状を見て顔を歪める、メーティスは気絶中、ヴェルトはバトル中…。
『オラァッ!ドラァッ!どんどん来い!かかって来たやつからボコボコにする!逃げた奴は後で超ボコボコにするッ!』
兵士の頭を掴み地面に叩きつけながら体を回し蹴りの一撃で鎧を砕きそのまま拳を二度振るい兵士を数人天空へ殴り飛ばす怪物…エリスは吠える。
今から俺にアイツを宥める仕事をしろって?話なんか聞くわけないだろうあれ。そもそも人語が通じるのかも怪しいだろあれ。
(話を聞ける状態にしろとか…無理難題すぎ……、でも)
チラリと周りを見る、すると他の兵士達が『お前は戦わないのかよ』と言いたげな視線で俺を責める。
……あーあーあー!嫌な役目負っちまったなチクショー!!
仕方なしと槍を片手にクサンテは暴れ回るエリスに向けて突撃する。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
…………………………………………………………
「弱い!そんな弱さで神の名を出すな!ボケ共ォッ!」
ゴッ!と音を立てて兵士を蹴り飛ばし吠えるエリスの周りには、もう敵が残ってない。いやまだ居るには居るが全員エリスに怯えて寄ってこない…。
そうか、そっちが来ないなら、こっちから…。
「待てよ、暴れんぼお嬢ちゃん」
すると、そんなエリスの前に立ち塞がる様に槍を持ったおっさんが立ち塞がる…。こいつも敵か。
ん?こいつの顔どっかで見たな。…思い出した、オラティオの街でクルスの手先として動いていた男だ、名前はクサンテだったか?こいつもここに来ていたのか。
「…殺す!」
「だから待てって!…お話ししようや」
「断る、死ね」
「おっかねぇ〜!話にならねぇ〜!でもさ、実際のところなんでそんなに頑張るのよ」
なぁ?とクサンテは槍に寄りかかりながら聞いてくる、何だこいつ…どういうつもりだ?
「当たり前でしょう、貴方はエリスの友達を傷つけ子供を叩いた、見過ごせば寺院の中の子供達にも同じことをするでしょう。許せません」
「じゃあ今すぐ友達の怪我を治して子供に謝罪して、この街から退却するって言えば君の戦う理由はなくなるわけだ」
「…………何が言いたいんですか」
「いや、もうやめようかなってさ。ほらもうこっちの兵士も怯えてるし…、君には勝てなさそうだし、もうこうさーん!負けましたー!って言いたいわけ」
「知ったこっちゃありませんよそんなの。傷を治しても傷付けた事実は消えない、殴られた子供はその傷を心に抱えたまま一生を生きることになる。ハナッから取り返しなんかつかないんですよ」
怯えてる?最初に怯えさせたのはそっちだ、軍勢率いて街にやって来て攻撃仕掛けて、いざ負けそうになったら元に戻すから勘弁して…は筋が通らねぇだろうが。
「あ、やっぱりそう?」
「はい、なので諦めてください」
「諦めるっておいおい、じゃあこういうのはどうだろう、取引をしようじゃないか」
「取引?」
「ああそうだ、俺達を見逃す代わりにお前の仲間達の傷の治療と───」
知恵の槍クサンテ、その名が指し示す通り彼が最大の武器としているのはその知恵だ。されど軍師の様に策謀を巡らせることも知恵者の様に知識を授ける事も出来ない。
それでも彼が知恵の槍と言われる理由、それは。
「それから───」
その言葉が出るや否や、クサンテは槍を握り…。
「ッ───!!!」
取引の話をしているその最中、突如槍を持ち神速の突きを見舞う。凄まじく速くそして無駄のない動き。周囲で見ていた兵士達でさえ直前まで攻撃に気がつかないほど流れる様な動きで音さえ撃ち抜く突きを放ったのだ。
そう、これこそ彼の武器。論舌で敵を惹きつけ不意を撃つ…謂わば『卑怯』と言われる類の攻撃を得意とする。他にも様々な術策を使い相手を陥れ彼は戦う、その道も極めれば一端の技術と呼ばれる様に、彼はこの卑劣な手を洗練し神業と呼ばれる領域に昇華させていた。
それが、直前まで悟らせない不可視の突き…。
『おおお!』
『凄い!直前まで見えなかった!』
『こういうつもりで交渉を!』
兵士達は口々に讃える、確かにクサンテは交渉に見せかけて不意打ちを行った。だが…別に最初からこのつもりだったわけじゃない。最初は交渉だけで終わらせるつもりだったんだ。
だが……。
(こいつ全然話を聞きゃしない、返事をしているようでいて俺達の言葉に一切無関心…敵意しか感じない。こんな奴と交渉なんて無理だ…!)
クサンテは冷や汗を頬に垂らす。そうだ、エリスが交渉に応じていたらそのまま話し合いで終わらせるつもりだった、だがその思惑は外れ…物の見事にエリスはクサンテに興味を示さなかった。
形だけだ、クサンテの言葉に返答していたのは。次の瞬間には飛びかかって来ていてもおかしくないくらいエリスは敵意に満ちていた、だから神速の突きにて額を穿った。
クサンテの突きを受け大きく後ろにのけ反ったエリスの姿を見てクサンテは心の底から安堵する。取り敢えず…場を収める事はできたか?…と。
だが…違う。
「やはり…交渉をするフリ、でしたか」
「は?」
突きを受けたエリスの体が徐に持ち上がり、突き出された槍を手で掴む…その顔は、槍で突いた筈の額には、傷の一つもない。
(お、おいおい!まさか今の…ギリギリのところで身を反らして避けたとか、そんな事言わないよなぁ!?)
完全に意識外から飛んでくる槍の一撃は避けられない、普通の人間ならそうだ…だが、エリスはその不可能を力と怒りで押し通した。槍が突き出されるを見てから突きのスピードと同じスピードで身を引いて回避したのだ。
クサンテの突きが神業なら、エリスのそれはなんだ…最早人の業とは思えぬ異業。こいつ何者……。
「そもそもエリスは最初から交渉に応じるつもりなんて、ありませんよ」
「ぬぉっ!?やべっ…!」
槍を掴まれ引き寄せられる、両手で引っ張っているのに片手で槍を掴むエリスの力に敵わない。グイッ!と力任せに引っ張られ…クサンテはバランスを崩し前へ倒れ…。
「話し合いで戦いを終わらせるつもりでしたか?…だったらその前にお前らがした事への精算が先だろうがッ!!」
「グゥッ!?!?」
飛んでくる右拳、それはクサンテの体を背後に向けて一直線に飛ばし、待機していた兵士達の壁に叩き込み爆裂させる。
精算が先だ、仲間を傷付け子供を傷つけ、それでやっぱり負けそうだから謝って帰ります。それが罷り通る範疇をもう超えてるんだよ…そうエリスは牙を剥く。
すると。
「『アイギスブレイカー』ッ!」
刹那、エリスに向けて飛んでくるのは…盾だ。
「フンッ!」
フリスビーの様に凄まじい回転と勢いで飛んでくる盾、それを拳で弾きながらその方を見ると。そこには先程倒した筈のメーティスが起き上がりエリスを睨みつけていた。
「もう起きましたか」
「…フッ、触ったな?我が盾を」
「は?…ん?」
ふと、見てみるとエリスの拳に何やら重量を感じる。先程弾いた筈の盾がエリスの拳にくっついていたのだ。
「我が『グルーアディシブ』にて、盾を貴様の拳に固着させた!取ろうとしても無駄だ!」
「接着魔術ですか…」
「このまま貴様を盾まみれにして拘束する!神盾アテナの準備を!」
起き上がったメーティスは部下に持って来させた神盾アテナの山に手を突っ込み、次弾を放とうと振りかぶる。これがメーティス必勝の手、盾を相手に固着させ身動きを封じる。
言ってみれば相手に強制的に武装させる技だ。武装すればするほど人はその重さから動きが緩慢になる。それを高速で行う事で相手の体中に盾を貼り付け動きを封じる。どれだけ力の強い物でも少しも身動きが取れない状況では拘束を解くことが出来ないのはアマルトで証明済だ。
ならばそれはエリスにも言える事。故にメーティスは盾を振りかぶり接着魔術『グルーアディシブ』を発動させ、投擲を行う。
「『アイギスブレイ──」
刹那、メーティスの視界が…暗転する。
「なんだ…取れるじゃないですか、簡単に」
ガラガラと音を立てて崩れる盾、砂埃を上げて倒れるメーティス。
「が…ぁ…!?」
一瞬だった、エリスが盾を抱えたままメーティスに飛びかかったのは。
一撃だった、盾が砕ける程の勢いでメーティスを殴り抜き気絶させたのは。
崩れ落ちたメーティスと盾、見下ろすエリスは冷たい目で今度こそメーティスが完全に意識を失ったことを確認する。ただでさえ重いエリスの拳に盾の重量が乗った振り下ろしが繰り出されたのだ、如何にメーティスがと言えども立ち上がれない。
「嘘…だろ」
「メーティス様とクサンテ様が…一撃で…」
これで、メーティスとクサンテは倒れた。どちらも一撃、それぞれの得意技を真正面から受け止められ拳の一撃で黙らされた。その圧倒的な暴力を前に兵士達は最早立っていることさえ出来ない。
「………甘いんですよ、貴方達」
だが、エリスから言わせて貰えば『甘い』の一言に尽きる。だってどっちも初見じゃないから。
クサンテの突きはオラティオでネレイドに向けて見せているし。
メーティスの魔術は先程アマルトに向けて見せている。
どちらもエリスにその手札を見せていた、初見じゃないなら対応出来るのがエリスという人間の強み。エリスと戦う前に仲間と戦っているところをエリスに見られた時点で二人には勝ち目がなかった。
これで三本剣のうち二本が崩れた、残る一人は。
…………………………………………………………
「ぅぉらぁっ!」
「ぐっ!…中々にやる…!」
鋭い切り払いでラックを弾き飛ばしたヴェルトが周囲を確認する、すると。
(嘘だろ!?もうクサンテさんとメーティスがやられてる!?アイツ強すぎだろ…!)
エリスを止めるどころでない、マジでこっちが殲滅させられかねないとヴェルトは冷や汗を流した…その時。
「後はお前か…!」
「ああくそ、こっち来る…!」
エリスがヴェルトを視界に捉えた、それを確認した瞬間ヴェルトは剣を立て防御の姿勢を取り。
「『煌王火雷掌』!」
「ぐっっ!?
走る火花、ガクンと体を落とす様に屈み衝撃を逃すヴェルトの顔は一瞬で青褪める。その威力…エリスの放つ魔術を纏った拳の一撃が、レグルスの一撃に似た威圧を放っていたからだ。
レグルスの方は手加減していたし、軽く手を振るって出したただのパンチだった…けど。それでも魔女の一撃だ、それに肉薄する威力だって?こんなのを放てる怪物が世の中には居るのかよ…!
「おい、聞け!話を!」
「またその手ですか、もう話は聞きません」
「チィッ!」
クサンテが騙し討ちをしたせいでエリスはもう完全にヴェルトの話を聞く気がないらしい。細かくステップを踏んで一気に懐に入り込みながら籠手を纏った拳を凄まじい勢いで叩き込んでくる。同等の速度で剣を動かし拳に速度が乗る寸前で止めてなんとか衝撃を抑える。
こいつのスタイル、まるで路地裏の喧嘩屋みたいなスタイルだ。真っ当な機関で鍛えられた兵とは違う修羅場だけを潜って鍛え抜いて来た純粋なファイター…、こういう奴は型にハマらない手札を山程持っているんだよな、やりづらそうだ。
だがな…!
「フッ!」
「ッ!?」
刹那、エリスの隙を突き剣を横薙ぎに振るう…様に見せかけエリスに防がれる一歩手前で片手で剣の腹を叩いて無理矢理斬撃の軌道を真上へ変更する。刃を追ってエリスの目が上を向いた瞬間…足を伸ばしてエリスの右足に引っ掛ける。
「うわっ!?」
ナメんなよ!俺だって元は路地裏出身のゴミクズだ!ストリートスタイルにゃ覚えがあるんだよ!
倒れたエリスを制圧する様に剣をエリスの顔の真横に突き刺しそのまま馬乗りになろうと飛びかかる…が。
「お前ッ!」
エリスの姿が俺の視界から消える。片手で自分の体を持ち上げ強引に体を引き起こし俺の組付を阻止したんだ。とんでもない動きだ、まるで猿かなんかと喧嘩してるみたいだ。
「………お前…」
「あ?なんだよ」
するとエリスは訝しげに俺の顔を見て首を傾げる。なんだ?急に…。
「前、何処かで会ったことあります?」
「は?…ないと思うが」
「そうですか、じゃあ質問を変えますが…ステュクスの名前に覚えは?」
「は?ステュクス?…お前、なんでその名前を…!」
「やはり…関係者」
なんでこいつがステュクスの名前を知ってるんだ、…いや待てよ?そういえばステュクスが前会ったとか言ってたアイツの姉貴。なんで名前だったか忘れたが…まさか、こいつか?
顔も似てる、雰囲気は違うが…目の前にした時の感覚がよく似ている。まさかこいつがステュクスの姉貴か?いや待てよ、確かステュクスの姉貴ってレグルスの。
「………」
その間にもエリスは一瞬の躊躇いを見せた後、ギロリとこちらを睨み。
「まぁいい!取り敢えずぶちのめす!」
「いやさっきの質問なんだったんだよ!?」
「お前の剣!動きが!エリスの………嫌いな男に似ていただけです!」
「なんじゃそりゃあ!?」
「轟く雷 はたたく稲妻、荒れて乱れ 怒りて狂う天の叫びを代弁せしその光を以って、全てを焼き尽し 無碍光と共に寂静を齎せ 『雷霆鳴弦 方円陣』!」
問答無用か、全身から放たれる無数の雷矢を前に即座に剣を地面に突き刺し手放すことで避雷針に変え地面に伏せて雷撃を防ぐ。その隙に雷の隙間を見つけ…。
「訳わからねー事言ってねぇで頭冷やせや!!」
「ッ!」
一気に突っ込み飛び蹴りを見舞う。まぁ普通に防がれる訳だが…。
分かるぜ、お前が納得出来ないってのもさ、エリスさんよ。ダチが殺されかけて、傷つけた側がやっぱやめにしようって言い出しても普通に許せんよな。だから…。
「オラ来いや、こっちだって剣捨てたんだ、テメェも魔術なんか使わないでやろうぜ。こっちにも覚えはあるんだろ?」
ファイティングポーズを取りながら軽く手招きする。
だから逃げねぇよ、お前が落ち着くならそれでいい、お前の怒り受け止めてやるぜ。
「上等だ!ぶっ殺してやる!」
「簡単に俺を殺せると思うんじゃねぇ!!」
拳を握り、両者共に息がかかる距離で殴り合う。エリスの拳は重く鋭く素早い、メーティスやクサンテが一撃でのされた理由も分かるってもんよ。
けどこっちだって負けてねぇよ、元ではあるが…俺だってアジメク最強名乗ってたんだぜ!
「ぅぐっ…がぁぁああ!!」
「ぶへっ…イテェじゃねぇか!」
鈍い音を立てて、風を切る音を上げて、互いに血を迸らせながら拳を相手に叩きつけ続ける。体を丸めコンパクトにパンチを連射する俺と、怒りと憎悪のままに大振りの一撃を加えるエリス。
とっくの昔に俺の鎧は粉砕され魔力防御だけで打撃を半減させながらエリスの拳を顔面で受け止める。
「ぐっ…ぅぅ…、軽いぜ…エリス」
「ッ…!」
「あんまり俺を…」
一瞬怯んだエリスの髪を掴み一気に引き寄せ。
「軽く見てんじゃねぇぞ!」
「ぁがっ!?」
引き寄せたエリスの顔面に膝蹴りを見舞い、更にエリスの体を蹴り飛ばし地面に押し倒す。
「ぅぐ…強い、お前…明らかにあの二人より強いですよ…!」
「ったりめぇだろ!俺を誰だと思ってんだ!」
「知りませんが」
「ヴェルトだ!ヴェルト・エンキアンサス!まだまだテメェみたいなガキクソにゃ負けねぇわ!!」
「ヴェルト…?」
ハッと我に帰る。ヤベェ、殴られてちょっとハイになってたか?周りの兵士にはエンキアンサスの姓は隠してんだ、バレてないよな。
周りを見るが、他の兵士たちは気がついてないようだ…。が…。
「エンキアンサスって…貴方…」
エリスの方は気がついたようだ。なんだ、知ってたのかよ俺のこと。ならさっさと名乗っておけば…。
「貴様…!レグルス師匠やスピカ先生を襲ったテロリストか!」
「そっちかー!!」
そっちか!そっちになるか!名乗るんじゃなかった!
「ステュクスに似た剣、みんなを傷つけた神聖軍、その上…あの時オルクスによって魔女を襲ったテロリストの一員…倒さなきゃならない理由が増えたな」
やばい、起き上がってくるエリスの背に炎が見える。こいつ、戦う理由があればある程強くなるタイプか。やばいな…これ以上ヒートアップされると…。
俺も、殺さずに事を治められる自信がない…!
「エリス!助太刀するぞ!」
「ラックさん!ありがとうございます!」
「俺達もいるぜ!」
「アルザス三兄弟の力を見せてやるよ!」
しかもエリスに加えてさっきの強いアルクカース人が三人も…。
なんで俺こんなピンチになってんだ?戦いを終わらせに来たはずなのになんで俺が一番戦ってんだ?なんか…どうにかこうにか、戦いを終わらせられそうな方法ないか?
「でもいいですかラックさん、エリスよりみんなを助けてあげてください!」
「フッ、その心配なら必要ない。もう全員救出済みだ…そして」
「エリスーー!!元に戻ったのかーー!!」
「アマルトさん!!」
「ゔぇぇええええ!!よかったですエリスさーん!!!」
「ナリアさん!すみません!心配かけました!」
どんどん寄ってくる!え!?なに!?俺これからタコ殴りにされて殺されるの!?それはマジで勘弁なんだが…!いや人が増えたならさっきの書状を見せれば一人くらい分かってくれる奴が…。
あ!やばい!俺の書状クサンテさんが持ったままだ!あの人何処に飛ばされたんだ!?探さないと…。
「誰をお探しで…?」
「ッ……」
「動かない方が賢明でございますよ」
スラリと俺の首元に、背後から剣が突きつけられる。…俺が背後を取られた?全く気配を感じなかった…。こんなの『アイツ』くらいにしか…ええい!
「うるせぇ!ってか話聞け!」
と、背後から突きつけられる剣を押し退け俺は構えを取りながら背後に立つそいつを睨み──。
「え?」
…そこにいたのは、見慣れたメイド服と…見慣れた顔立ち、こいつ…まさか。
「トリンキュロー!?」
「は!?」
あ、違う。よく見たら全然違う、背丈も髪色も違う。なんでトリンキュローに見えたんだ?というかアイツがここにいるわけないか…。
「あ!貴方!今なんて言いました!?トリンキュロー!?知ってるんですか!?その名前を!」
「え?あ…いや、お前ハーシェルの影か?いやアイツらがこんな大々的に出てくる訳…」
「いいから話を聞かせなさい!」
こわ……いや待てよ?話を聞かせろ?…、聞いてくれるのか?じゃあ丁度いい。
「おい!聞け!聞いてくれ!お前ら!一旦落ち着いて!バトル辞め!ここからトーク!OK!?」
「なんですか…?」
「俺はこの戦いを止めに来たんだよ!」
「その手には乗りませんって」
周囲を囲む奴らの目つきが痛くなる、全然聞いてくれねぇじゃん!でも本当なんだって!
「本当だよ!俺…デティフローア様から言われてここに来たんだよ!」
「デティ…?本当ですか?」
「ああ!ナールから侵攻取りやめの印が貰えたから!届けに来たんだよ!デティフローア様の仲間達なら分かるだろ!?」
「…その話が本当なら……」
すると、エリスは拳を解いて…構えを止め。
トリンキュローによく似たメイドへ目配せを行う。
………………………………………
「『煉獄張り手』ッ!」
「ぐぶぅっっ!?」
弾かれるように壁に叩きつけられ、背後の兵舎が砕け散り一瞬で瓦礫の山と化す。全身を貫く衝撃と激痛に蹲りながら…ネレイドは体を奮い立てながら立ち上がる。
「ぜぇ…ぜぇ…、うっ…ぐっ…」
「もうやめにするでごす、お前じゃあーしには勝てない」
ザリザリと音を立ててこちらにやってくるのは、モースだ。サラキアでの戦いを終えた私達の前に突如現れたモースはナールを殺すと言い出した。当然…それを止める為に私達は戦いを挑んでいる訳なのだが。
「そんなの…関係ない…!」
「万全でだって勝てないのに…」
掴みかかるが、その手を呆気なく振り払われ…。
「こんな体で勝てるわけがないでごす『二連煉獄張り手』」
突き刺さるような張り手が体に衝突し炸裂する。ドス黒い何かを纏った一撃は私を容易く吹き飛ばしゴロゴロと転がり倒れ伏すことになる。
ご覧の通り、勝負にもなってない。
「テメェェ!!サラキアで好き勝手するんじゃねぇぇええ!!」
「勝手な事ばっかり吐かしてんな!!」
私と一緒に戦っているラグナとオケアノスもモースに飛びかかる。オケアノスは必殺の蹴りを、ラグナは熱拳一発を、共に必殺級の一撃を携えて肉薄するが。
「邪魔ッッ!!」
「ぅぐっ!?」
「がはぁっ!?」
モースの方が速い、技でもなく…ただ振り払うように拳を回しラグナとオケアノスを一掃し、二人が私の隣に転がり力無く大地に身を預ける。
…状況は最悪だった。ここにいるのは一線級の実力者ばかり。だが状態が悪すぎる、私とオケアノスは共に限界まで戦った後、ラグナに至っては左足と右腕を複雑骨折し本来ならベッドの上にいなければいけない状態で戦っている。
この中の誰かが万全なら、まだ太刀打ち出来たのに…よりにもよって全部終わったタイミングでモースが現れてしまったから…。
「もう終わりでいいでごすな、…理解しただろう。力の差を」
「してない…!理解出来ない!」
「相変わらず強情でごすな…」
「そもそも、…貴方…なんでここに!部下に任せてたんじゃないの!?」
「それは……」
ヨロヨロと起き上がりモースを睨みつける。そもそも何故こいつはここにいる…そこから分からない。モースが来ているなら最初からこいつも一緒に動いていればよかった、オセ達だけで動かずこいつもあの教会で襲撃をかけていれば私達はその時点でナールを殺されていた。
なのに明らかにこいつは後からサラキアにやってきていた、だって。
「あ、あの〜。もう俺行っていいかな」
そう言って近くの茂みから顔を出すのは…。
「ああ、いいでごすよ小鼠…お前に用はない」
「クルスゥッ!テメェなに賊に味方してんだァッ!!」
「ヒッ…!」
クルスだ、オケアノスが吠えた通り…クルスがモースをナールの元まで案内していたんだ。クルスが何故案内をしているか…はまぁ大体想像がつくが、クルスの案内を必要としていることからモースが後から来たことがわかる。
「お、俺はな!死にたくねぇんだよ!第一俺に従わないお前なんかもう必要もないし!」
「言い訳ばっか…!テメェみたいなクソボンボンの言うことを嫌々聞いてた私への義理立ては…ねぇってか!」
「無いね!…昔からお前は嫌いだったんだ。恵まれてる癖して恵まれてない顔して、その癖俺にばっかりついて回って!ウザかったんだよ!なんなんだよお前!天才なら天才らしく俺のことなんか無視してろよ!」
「それは…お前が…ッ!」
オケアノスはクルスの言葉を聞いて意気消沈してしまう。何故オケアノスがクルスの言うことを聞いていたかは知らないが、どうやら脅されていた以上の…何か特別な事情があったようだ。
「ともかく!俺はもうこんな街なんか捨ててやる!レナトゥスに言ってもっといい街をもらう!そこでもっと贅沢をする!俺は…俺は教皇なんだ!この地上で最も偉いのが俺なんだ!!それに逆らうお前らはここで死んでろ!!」
「待て!クルス!クルスッッ!!」
そう言うなりクルスは何処かへと走り去ってしまう、オケアノスが呼び止めても意味をなさない。何処へ逃げるつもりか知らないが少なくともここでは無い何処かなのだろう。
クルスは振り返らない、まるで目の前に餌を垂らされた獣のように走り去る。その背中を見て感じるのは…ただただ憐れむような、そんな寂静だけ。
「クソっ…!あそこまでクズだとは!」
「……あれ、クルス・クルセイドだったんでごすか。何処ぞのチンピラかと思ったでごす」
そんなクルスを見送ったモースは『まぁいい』と首を振り。
「あーしが来た理由でごしたな。まぁ言うまでもなくモースを殺しに…」
「それだけ…?」
「ああ?」
立ち上がりながらモースの対峙する、ナールを殺しに来た?本当にそうか?
「それは部下に任せたんじゃなかったの?…貴方が単独でここにくる理由には、ならない」
「………気が変わったんでごす」
嘘だ、モースは嘘をついている。理由は話せないと?まぁ…そもそも話す義理もないし、私にはどんな理由であっても関係ないか。
「…そうか。なら立ち去れ…モース」
「断るでごす…どうしても止めたきゃ、止めてみろ」
腰を深く落とし、互いに睨み合う。相撲とレスリングの対面。二度目になる戦い…今度は負けられない。
「む、無茶だネレイド・イストミア…!一人じゃダメだ!私も戦うから…立ち上がるまで、待ってろ…!」
「オケアノスは寝てて、私が終わらせる…!」
オケアノスは私よりも若干ダメージ量が多い。それに耐久面では私の方が優れている、今この場で一番戦えるのは私なんだ。
「行くよ…!」
「ああ、いいでごすよ…発気良ぉい…」
すぅ…とモースが息を吸う、私もまた息を整え前傾気味に体を倒し…。
「残ったッ!」
「ッッ…!」
息を吐き、一息にぶつかり合う。力と力の純粋な衝突は大地を揺らし互角の競り合いを…。
「こんなもんか!」
「ぁがっ!?」
しない、互角には競り合えない。そもそも私とモースではモースの方が力がある上に激突してからの掴み合いではモースの相撲の方が理がある。その上で私は満身創痍、ぶつかり合っても勝負にはならない。
「まだまだッ!!」
だが諦められないと転がりながら立ち上がり一気にモースの足にタックルをかまし彼女の太腿を掴みそのまま肩でモースの体を突き飛ばすように押す。
「ぐぅっ!?足取か!?」
しかしモースは倒れない、片足で私に押されながらもトントンともう片方の足で巧みにバランスを取ると共に。
「小賢しい!」
片足をグルリと捻りながら私の腰を掴み全身を回転させながら私の体を回し投げる。殆ど肩の力だけで投げ飛ばされた…!
これだ、モースの恐ろしさは『至近距離で掴み合いになった時の手札の多さ』が恐ろしいんだ。そもそも相撲自体がそう言う武術であると言うことに加えモースは際に追い詰められた時の判断が非常に冷静で迅速。
初手で組付にかかり、得意の投げ技で相手を圧倒するスタイル。これは、私達のようなインファイターには攻略出来ない、あの巨体で組み付かれたら打つ手がない。
それ加え、今回はモースも本気なのか…もう一つ、新たな技を使ってきている。
それは…。
「『煉獄張り手』ッ!」
「ッッ!」
転がり倒れたところに浴びせかけられる攻撃を慌てて体を転がして回避する。飛んできたのは魔力の塊だ。
ラグナが良くやる魔力防壁を飛ばす技…あれと同じ技をモースも使っているんだ。自身の周りに展開した防壁を張り手で弾いて飛ばしてくる。ただその威力はラグナ以上…なんせ魔力の塊が激突した大地は大穴が開き、ガラガラと崩れ始めているんだから。
「なんて魔力量…」
「肉体面は衰えたでごすが、魔力は未だ健在でごす」
…モースはこれで衰えていると言う。寝食を惜しんで私を探し回った後遺症で肉体が急激に衰弱し、昔ほどのパワーが出ないと言うんだ。
『これ』でだ、今でも相変わらず世界最強の山賊だと言うのに、未だ衰えたままだと言うんだから…驚きだよ。
ある意味この魔力はモースの全盛期の名残のようなものなのだろう。
「いい加減分かっただろう、無理でごす。お前の実力じゃああーしには一生敵わない!」
「関係ない!お前が私の仲間を傷つけると言うのなら!私は一歩も引かない!」
「くどいッ…!」
それでも私は戦わなければならない、再びモースに掴みかかり、再び投げられ、再び立ち上がり掴みかかり押し倒され、張り手で潰されて蹴りで砕かれ…。
「こんな弱さで!偉そうなことを言うな!」
「ぐぅっ!」
胸ぐらを掴まれそのままモースの頭の頭を上を通り越して地面に叩きつけられ投げ飛ばされる。まるで敵わない…それは分かってる、それでも…。
「わ、私は…」
「ここまで完膚なきまでにやられてまだ立とうとするか…!何故そうも意固地なんだ…!」
「ぅ〜…はぁ…はぁ…」
全身の皮膚が粟立つ。変な寒気が背筋に過ぎる…やばい、感じたことない感覚だ。これ以上は本当にやばいかもしれない…。
せめて、せめてもっと体力があれば。いや…私が強ければ…!
「ネレイド・イストミア!」
「ネレイドォッ!クソっ!」
倒れ伏すオケアノスとラグナが叫んでる…。大丈夫…二人は守るから、両手を広げて立ち上がる。みんなを守る…ただそれだけが、私の…。
「……いい加減にしろ、ネレイド…!」
「ッ……!」
そんな私を睨み歯を噛み締めモースが迫る、その手には魔力…何か来る、今まで見せたことない攻撃が来る、死ぬ…死ぬか。死んでも…ここは通さな───。
「ッ…!?」
刹那、音が響く。銃声だ。
カラカラと音を立てて潰れた銃弾がモースの足元に転がる。誰かがモースを攻撃したのだ…。誰だ?…それは、向こうの茂みから身を乗り出し、仁王立ちする…。
「ナール…!」
「貴様…ッ!」
ナールだ、軍部から持ってきた軍銃を構えてこちらに向けて鼻息荒く、恐怖で涙と鼻水を垂らしながらもモースに向けて銃を突きつけていた。
「出ていけ!賊め!サラキアから出ていけ!」
「お前…!」
「ここは貴様のいていい場所ではない!消え去れ!賊めっ!」
銃を乱射する、されどモースには当たらない。魔力防壁を展開した彼女には銃撃が効かない。それでもナールは自分を…いや、サラキアを守る為に身を呈して戦うことを選ぶ。
あの人…あんなに必死に…。ッ!ダメだ!モースがナールに標的を変えた!
「お前がいなければ…いなければ!」
「ナール!逃げて!」
「わ、私が逃げたら一体誰がサラキアを守る!今まで多額の資金を投じて!汚れ仕事をしながら守ってきたこの街を!誰が守るッッ!!やらせん!誰にもやらせん!!」
モースは怒りを携えナールに迫る、銃撃を防壁で弾きナールの抵抗を消し去り。その目の前に立つ…。
「お前さえいなけりゃ…こんな事にはなってなかったんだ!」
「うっ、…お…お前は…!」
「死ね、死ね!ナール!あの世で…詫びろッッ!!」
「───ッッ!」
殺される、モースが拳を上げた。ナールを殺す気だ、ナールが殺される、人が死ぬ。そう感じた瞬間私は…私自身の意思を無視して体が動き出す。
そこに理由はなかった、打算も思考もなかった。ただ…やらねばならぬと何処かで答えが出て、それを実行しただけ。
「ナール!」
「ぬぐっ!」
ナールを抱え背中でモースの一撃を受ける。鈍い音がして私の体は一気に吹き飛ばされ近くの噴水に当たり粉砕する。
うっ…やばい、今の一撃で完全に体力が…もう意識を保って…られな……。
「お!おい!女!お前何故私を…!」
「ネレイド…なんでだ!なんでお前がナールを守る!そいつはお前を…くぅっ!」
モースは怒る、混乱する、戸惑う。理解ができなかったからだ、ネレイドの献身が。モースからしてみればナールはネレイドの人生を破壊した張本人、自分と同じくナールを恨んでいてもおかしくない人間。
なのにそれを守った、なぜか。全く思考が理解出来なかった。
「───『ドライブ・ボレーシュート』!」
「ッッ!?」
その戸惑いを突かれ背後から飛んできたオケアノスの蹴りを側頭部で受け、バランスを崩し体勢が崩れる…そこに続け様に飛んでくるのは。
「『蒼鬼頭撃』ッ!」
「がはぁっ!?」
ラグナだ、『蒼乱之雲鶴』を解放し片足で飛びモースの背に全霊の頭突きをかましモースを吹き飛ばす。しかしそこまでだ、痛む右腕と左足の激痛により覚醒は即座に解除されラグナは着地も出来ずネレイドの目の前に転がり…。
「ネレイド!ネレイド!大丈夫か!」
「ネレイド・イストミア!意識は!」
「…ダメだ、ヤバい…背骨が折れてる…このままじゃ死ぬ!」
「そんな…!治癒は!治癒術師がいるんじゃないのか!?」
「ッ…!」
ラグナは歯噛みする、デティが来ない。負けたってことはないだろうがこちらに戻ってくるのが遅れている。何をしてるいるかはわからない…だが。
問題は俺達が別れたナール邸から今ここはかなり離れた場所にあると言うこと。アデマールさんとメルクさんを守る為にモースを遠くへ誘導したのが間違いだったか。例えデティが戻ってきてもこちらに来るには更に時間がかかる…!
「貴ッ様らぁぁぁあああ!!!」
そして、モースだ。今の一撃を貰ってもピンピンしてやがる、俺に飛ばされ近くの神殿に突っ込みながらも瓦礫を吹き飛ばして戻ってくる。もうこれ以上戦えない…どうすれば。
どうすればいい!このままじゃネレイドさんを助けられない、オケアノスも同じく殺される…それに、エリスにした約束が。
必ず帰るって約束が…守れない!
「クソっ…まだ何か…」
何か手があるはずだと頭を抱える、絶対に諦めない。絶対に生きて帰る、全員生きて帰す、でなきゃなんの意味ない。
何の意味も…!
「全員殺す!全員ッ!」
迫るモース、動かない体、弱々しくなるネレイドの呼吸。絶体絶命の文字が頭に過る…その瞬間───。
響き渡る、詠唱。
「『時界門』!」
「ッ何これ!?」
「来た!」
頭のどこかで期待していた、非常に小さな可能性。上手くいったら奇跡とも言えるくらいのタイミングでの…『時界門』!
メグさんに伝えていた。もし、神聖軍の侵攻がどうにもならなくなったら俺達を呼び戻せと。メグさん力があれば俺達を即座に呼び戻せる。
その瞬間に密かに期待していた…。そしてそれが現実になる。俺とネレイドさんの足元に穴が開き、オケアノスもまた一緒に穴に引き摺り込まれていく。一瞬オケアノスが警戒して何処かへ行こうとするのを片腕で引っ張り一緒に穴に落ちる。
お前も来い!
「なっ!?何じゃそりゃぁッ!?」
そしてそれを見たモースは一気に加速し俺達に手を伸ばすが…。
「ぐっ!ナールッッ!!」
届かない、モースの手が空を切り穴の向こうで俺達を睨む。
…ここでアイツを倒せなかったのはキツいが、どの道今はアイツを倒せない。アイツは強い、ジャックの時のように全てをアイツに注ぐくらいの覚悟じゃないと倒せない。
だから今は、帰る!!
「っぐっ!!いてぇ!?」
そして時界門をくぐり地面に落ちた拍子に両足で着地してしまい、涙が出るくらいの激痛に悶えて転がり…、地面の赤茶けて乾いた土を見て確信する。
ここは…。
「ラグナ様!?大丈夫ですか!?」
「うぉっ!?マジかよ…お前らがズタボロとか何があったんだよ!?」
ガイアの街だ、サラキアからガイアに戻ってきたんだ。心配したように駆け寄ってくるアマルトとメグを手で制し俺は探す。今はそれよりもやらなきゃいけないことがある!
「デティは!デティはこっちに来てるか!」
「あ!いるよ!ラグナ!ってネレイドさん!?」
「ヤバい!背骨が折れてる!早く治癒を!」
デティだ、デティも俺たちと一緒にこちらに来ていたようでバタバタとこちらに駆け寄ってくる、その隣には気絶したままだが完全に傷を癒やされたメルクさんと何やら混乱しているアデマールさん。三人とも一緒に転移してきたようだ。
「どうやったらこんな傷負えるの?いやそもそもそれ以前にどうやったらこんな状態で生きてられるの…」
「いいから!」
「う、うん!!」
正直俺の足も治して欲しいけどそんな事言ってる場合じゃない。取り敢えずデティにネレイドを任せれば後は大丈夫だ…。
はぁ…落ち着いた、落ち着いたらなんか凄いトイレに行きたくなってきたな…。ってか…。
「どう言う状況だこれ」
周りを見回すと目を丸くした神聖軍が辺りを囲んでいた、しかも囲んでる神聖軍と同じくらいの数の兵士がそこかしこに倒れている。その中には。
「ここはどこだ?…ガイアの街?なんでこんな所に…ってかクサンテとメーティスもやられてんじゃん、やば」
周りを見て混乱した様子のオケアノスが言うようにいつか見たおっさんとなんか強そうな女の人がぶっ倒れている、誰かにやられたのか分からないけど、見たところテルモテルス寺院は無事みたいだな…ヴェルトは間に合ったか。
チラリと、目を向ける先にはホッとした様子のヴェルトと……。
「ラグナ…」
「エリス?」
エリスがいた、何でエリスが戦線に出てるんだ?いや、この目…冷静で、理知的で、麗しくて、キリリと鋭い瞳。見慣れた眼光…これは。
「フッ、おかえりなさい」
そう言って顔を綻ばせるんだ…!エリス!やっぱ元に…!
「エリス!」
「話は後です、それよりもヴェルト…どうやら、貴方の話を信じる必要があるようですね」
「お、おう、信じてくれたか?」
「…こうなっては仕方ありません。一旦…休戦ですね」
「いや恒久的に停戦で頼む」
戦うは終わった、神聖軍の侵攻とモース大賊団のサラキア崩壊計画、その二つを同時に食い止め俺達は再びガイアの街に集い、一度…腰を落ち着けるのであった。




