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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十四章 闘神ネレイド、炎の大一番
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467.魔女の弟子と人の領分


「ぶっ…はぁ…はぁ…」


これで応急処置は出来た、髪を錬金して作ったワイヤーで傷を縫合しアルベドの力で無理矢理肉を生み出して止血する。これで一応動ける状態にはなった…完全な治癒は後でデティにしてもらえばいい。


今は立て、立つんだ…。


「はぁ…はぁ、何だったんだ…!」


キッチンの物陰に隠れながら私は周囲を伺う。シャックスはきっと私を追ってきている。先程の凄まじい攻撃を携えて…。 


明らかに、今までやってきた攻撃とはレベルの違う威力だった。到底防げる段階の攻撃ではない。間違いなくシャックスの切り札だろうあの攻撃の正体がわからない限り私はシャックスに勝つことは不可能だ。


なんとしてでも、攻撃の正体を確認しなければ。


「…メルクリウス……」


「ッッ……!」


キッチンに入ってきたのはシャックスだ、それが銃を構えて口を開く…まるで私の居場所がわかっているようだ。だが流れ落ちた血は全て水に錬金している。血の匂いで追ってくることは不可能なはず。


「……ここだな…?」


物陰に隠れたまま、私は静観を選ぶ。今ここで動いても…シャックスのあの攻撃を避けられない、防ぐ事できない、見つかったら死ぬ…いや見つかっているのか?そもそも。


…いやこれは……。


「チッ…外したか」


ハッタリだ、シャックスだって馬鹿じゃない。私がここに隠れているのを分かっているなら名前を呼んで居場所をバラすことなどしないだろう。


今のはブラフだ、私が慌てて出てくるのを期待しての行動だ。危なかった…誘われて出て行っていたら殺されていた。


シャックスは私がここにはいないと認識して踵を返して階段の方へと向かっていく。今なら背後をつけるか?…いやここは。


「今ここにありしは神の御手、母なる者にのみ許された権能を一時我が身に宿せ…『錬成・人意創造』」


小声で詠唱しながら髪を数本引き抜き錬成して作り上げたそれをシャックスの方へと投げ捨てると、物音に気がついたシャックスはいち早く振り向き銃を引き抜き。


「『玉響』ッッ!!」


ぶっ放して来た、だが私が放ったそれには当たることなく…銃から放たれたそれは空を切り、キッチンの壁に大穴を開ける。


あれだ、私がぶっ飛ばされたのはあの一撃だ…!


「っ!?メルクリウスじゃない!?」


その瞬間シャックスは自分が反応したそれを見て目を剥く、まぁ驚くだろう…なんせ私が作り上げのは。


『ニゲローー!!』


「ちっちゃいメルクリウス…?なんだあれ…」


小型の私だ、人意創造は超簡易的なホムンクルスを作り上げる大錬金術。命あるそれを生み出すことが出来る技なのだが…私では髪数本を使って超ちっちゃな私を作るので精一杯。ぬいぐるみみたいにデフォルメされた私がポテポテと小さな足を動かしシャックスから逃げ出す。


それに混乱したシャックスは取り敢えず無思考でチビメルクを追ってキッチンから出ていく。その隙に私は物陰から顔を出して。


「ふぅ……」


よし、攻撃を誘発させられた。今なら攻撃の正体がわかるはずだ。


シャックスが小さな私に撃った一撃は壁に大穴を開けている。いうまでもないが拳銃による一撃にしては威力がデカすぎる。確実に何かをしている…。


だが何をした?収納魔術をどう使ったら拳銃の威力を上げられる?


「分からん、どんなトリックだ…」


大きく開いた穴を見て思うのは、まるで大砲を撃ち込まれたようだということだけ。純粋に威力を上げているとか…なのか?だが弾丸が爆裂した感じではないな、分からん。


てっきり私は超小型の宝玉を撃ち出し着弾と共に解放して中から爆弾とかを出してるのかと思ったが、どうやら違う。というかこの考察には無理がある。


だってそれをするには相手に着弾する瞬間に解除!と叫ばねばならない。そんな超人的なこと出来るか?第一あの魔術で生み出される物は全て拳大の宝玉だ。大きさが変わっているのは見たことがないから弾倉に込められるくらい小型の宝玉を生み出せるとは思えない。


だからこの考察に意味は…ん?待てよ?


「まさか、これは…」


もしかしたら、そんな考察が脳裏を過ぎる。宝玉化の法則…それを今まで見て来たからこそわかる。そうか、奴は収納魔術の『あの法則』を使っているんだ…!


いや、これはあくまで推理。実践しなければ!


「となれば、ふぅー…シャックス!」


ドタドタと足音を立ててキッチンを出て廊下に飛び出せば、私の存在に気がついたシャックスはグルリと振り向くと共に私に向けて銃を引き抜き。


「そこか!『玉響』!」


「ッッ──────!!」


放たれる弾丸はやはり凄まじい威力を発揮し、余波だけで廊下の壁をベリベリ剥がし私に向けて一直線に飛び…その全てを粉砕する。


「ッなんだ!?」


そう、私の体に命中した瞬間。私の体がまるで石のようにバラバラに砕け散ったのを見てシャックスは目を白黒させる。跡形もなく砕け散ったメルクリウスの体を見たシャックスは一瞬混乱して足を止めるが…直ぐにその過ちに気がつく。


「ッ!鏡か!?」


「その通りだ!『Alchemic・mirror』!」


触れた部分を鏡に変える錬金術を使い私が廊下に飛び出したように見せていただけ。実際の私はまだキッチンにいる。奴に攻撃を誘発させる為に私の虚像を見せつけたのだ。


そして、今ので三度目だ。奴の切り札『玉響』をこの目で収めたのは三度目。大穴を開けて砕け散った鏡を見て…私は確信する、やはり私の推理は間違っていなかった。


「読めたぞ…シャックス、お前の奥義…玉響の正体が!」


「ッッ!!」


慌ててキッチンに飛び込み銃を構えるシャックス、されど引き金にかかった指は動かない。代わりに頬に一筋の冷や汗が伝い…乾いた舌打ちが響く。


「どうなってんだこりゃ…」


シャックスが見るのは先程とは一変したキッチンの内装、机も床も壁も…何もかもが『鏡』になっているのだ。そこに映る無数のメルクリウスにシャックスは混乱し銃を構えたままキッチンの前から動かない。


「撃たないか?いや…撃てないのか、シャックス」


「…………」


「だが安心しろ、私はまだ明確にその技の弱点を掴んでいるわけではない、今私に当てられれば倒せるかもしれないぞ?」


「………」


金属音を鳴らし、銃を構える。引き金にかかった指に力が篭り…刹那、シャックスの魔力が集中し。


「『ジーゲルラベオン』…」


か細く、詠唱をした後銃を突き出し…。


「『玉響』ッ!」


放つ、必殺の弾丸。一撃がまるで大砲のように変化するその銃撃を何発も何発もぶちかまし部屋の中の鏡を全て粉砕していく。パラパラと砕け散り光の雨となり消える部屋の鏡達…だが、私には当たっていないぞ。


私はもう、キッチンの中にいないのだから。…じゃあ何処にいるって?決まっているだろう。


「残念、ハズレだ」


「っっ!!??」


背後だよ、シャックスの。奴が銃撃に集中している間に廊下を回って背後に立ったのだ。砕け散る鏡の轟音で私の足音が聞こえなかっただろう。


シャックスが振り向く前に、その後頭部に銃を突きつけ動きを止める。


「……ハッタリは止せよメルクリウス、お前は俺を殺せないだろう」


「ああ、殺さん。そしてまだ倒さない」


「何?」


「倒すのは、お前のその奥義を…玉響を破ってからだ」


「……ハッ…、面白え…だったら!」


床を滑るようにその場でスピンし突きつけられる銃を弾いたシャックスは背後の私に銃を向け。


「『玉響』!」


「当たらん!」


しかし来ると分かっていれば避けられる。威力は高いが所詮は銃撃、銃撃ってのは射線上にいなければ当たらないのさ。私はシャックスが銃撃するよりも前に側転し痛む体を必死に抑えてクルリと空中を一回転しながらシャックスから距離を取る。


さぁ…ここからが勝負だ。


「俺の奥義を破るって?無理言っちゃいけないぜ」


「無理じゃないさ。最初はその威力に面を食らったが…そうボカボカ何度も見せられれば、タネが見えてくる」


「ハハハッ、こいつは俺が現役時代から使ってる必殺技…必ず殺す技だぜ?」


「そうか?私はまだ生きているが?」


同時にシャックスとメルクリウスが銃を構え合う。ズタボロに砕けた廊下を挟んで両者が銃越しに互いを睨む。そこに流れるのは奇妙な沈黙、暫しの静寂…。


「さぁ、撃ってこい。撃ち破ってやろう」


「この…!!」


ギリッと歯を食いしばり、もう一度シャックスは引き金に指を当てる…そんな中、私は反芻するように推理を反復する。



私は最初、玉響はジーゲルラベオンで小型化した何かを射出し、着弾と共に炸裂させている『炸裂弾』の一種と推理した。


だがこの推理には致命的な欠点があったのだ。それはジーゲルラベオンは飽くまで掌サイズに縮小できるだけで、それより小さくすることは出来ないという事。あの銃の口径は然程大きな物ではない、掌サイズの宝玉を弾として込めるには銃そのものが小さすぎる。


ならあの威力は何か、そう考えた時…私はその推理を一回転させ、答えに行き着いた。


そうだ、逆転の発想さ。大きな物を小さくして弾にしてるんじゃない…奴の奥義、玉響の正体…それは。


「後悔しろや…!『玉響』ッッ!!!!」


その瞬間…シャックスは銃を放つ、…来た!今だ!逃すな!一瞬のチャンスを!!!


「『Alchemic・bomb』ッッ!!」


シャックスが銃を放つのとほぼ同じタイミングで、私は手元で爆裂を発生させる。シャックスには届かない、あの威力の玉響を防ぐにはあまりにも小さな爆発…。


しかしどうだ…?


「ッ……マジか…!」


「フッ、やはりな…」


手元で黒煙が迸る。私の身には…銃撃は届いていない。あの強力な一撃が飛んでこない。無傷…つまり、防いだのだ、奴の奥義を。


何が起こったのか?手元で爆発を起こしただけで、なぜシャックスの奥義が不発に終わったのか?それは極めて単純なロジック…。そしてその正解を示す証拠はシャックスの足元に転がる…宝玉にある。


「シャックス…その足元にある宝玉は何だ?」


「ッッ……!」


「ジーゲルラベオンは解除し中身を出すまで中に入っている物は分からない、だが当ててやろうか?その足元の宝玉の中に入っているのは…」


そう言って足元に転がる拳大の大きさの宝玉を指差し…答える。


「『銃弾』…だろ?」


シャックスの奥義『玉響』の正体…、それを解き明かすヒントはたくさんあった。


シャックスは宝玉を投げ、その中身を解放し私に様々な物を投げつけて来たよな?私の錬金術を宝玉に変えキャッチして投げ返して来たよな?


…そうだ、これはジーゲルラベオンの法則の一つ…それは『宝玉に収めた時又は解放した時、その時宝玉又は宝玉に収められていた物にかかっている運動エネルギーに変化はない』ということ。


高速で飛ぶ宝玉を空中で解除して中身を取り出したとしても、解放され中から飛び出して来た物には当初宝玉にかかっていた速度と同じだけの速度で飛ぶのだ。でなけれな木や剣と言った大質量の物を投げつけても空中で即座に制止し地面に落ちてしまうからな。


それはつまり逆もある。高速で飛ぶ物を宝玉に収めても、変わらず宝玉は高速で飛び続ける。


この法則を利用して、シャックスは…銃で撃った弾丸をその瞬間ジーゲルラベオンで宝玉に変えていた。これが玉響の正体だ。


ジーゲルラベオンは何を収めても拳大の宝玉になる。莫大な量の水や大量の剣、人間や木を収めても拳大になる…のなら、それは豆粒のような大きさの銃弾を収めても同じことになる。


小さな小さな弾丸を宝玉に収めれば、弾丸は一気に拳大の大きさになる…それが弾丸と同じ速度で飛ぶんだ。それだけであの銃は瞬く間に拳大の砲弾を発射する大砲へと早変わり…ってわけだ。


タネが分かればなんともチンケな技じゃないか。恐るまでもなかったな。まぁ確かに威力は凄まじいさ、人間の拳骨と同じ大きさの物が音速で飛んでくるんだから。


「ッ…ああそうさ、玉響はジーゲルラベオンで弾丸を宝玉に変えて射撃する技…だが、なんで…どうやってそれを防いだんだ」


「独特の法則を持つ魔術だからな、その法則に則っただけさ」


宝玉は中に収めていた物の速度を据え置きで保存する。それは宝玉が吸収した物に由来する…のならば。


弾丸が射出され、それが宝玉に収められる瞬間…逆方向に動く物を一緒に吸い込ませてやれば宝玉にかかるエネルギーはぶつかり合い相殺され、前に飛ぶことなく空中で静止して動かなくなり…あえなく地面に落っこちる、ってわけさ。


さっきの爆発は、爆風でとにかく闇雲に鏡の破片や木の破片を飛ばしまくって弾丸の収納にそれを巻き込ませたってだけだ。単純な技には単純な攻略法で事足りる。


「さぁ、終わりだ…シャックス!」


「ッ!くそ!『玉響』!」


「甘い!『Alchemic・bomb』!」


走り出すと共に手に持った手袋を爆発で吹き飛ばしシャックスの収納に魔術に巻き込ませ玉響を無力化する。シャックスの宝玉は前には飛ばず地面に落ち再び玉響は破られた。


もうタイミングは掴んでいる、必殺の切り札を安易に見せすぎたな!


「くそっ!」


そこでシャックスもようやく動く、接近してくる私に距離を取ろうと走り出すが…遅い。既に走り始め加速した私からは逃げられない!


「滾れ怒りよ!憤怒に燃える我が心に形を与え、目前の敵を破砕し!粉砕し!爆砕せよ!拳に秘めたる神の光を今解放せん!」


「に、逃げられ───」


拳を握り、腕の全てを錬成で作り替える。生み出すのは『最強』…マスターをして凡ゆる物を作り上げると言われる錬金術の秘奥!その名も…。


「『錬成・金剛神腕明王』」


「なんじゃその腕─────ッ!?」


一度腕を全て鋼鉄に変え、その中にありったけのエネルギーを錬成し鋼鉄を変容させる。そうして生み出されるのは『魔女の腕のレプリカ』。神域にある究極の存在たる魔女の…マスターの腕を一時的に再現しシャックスの顔面を殴り抜く。


そのあまりのエネルギーは鋼鉄に変化した我が腕をも自壊させヒビ割れさせる。それ程のエネルギーを一気にシャックスに叩き込むんだ。奴の体はあえなく吹き飛び、キッチンを超え…隣の部屋まで転がり動かなくなる。


「───が…ぼがぁ…!?」


「ッ…フッ、まだまだだな。マスターの腕を完璧に再現できていたなら…お前の体などコルスコルピまで飛んでいただろうに」


腕一本、ズタズタに引き裂いても半分ほどの力しか再現出来ないとは。ポタポタと垂れて腕を伝う血を眺めて浅く笑う。これはデティに直してもらわねば…銃も握れそうにない。


「グッ…ふぅ…、さぁ…ナールを返してもらうぞ」


口元から溢れる血を吐き出し、限界を迎えつつある肉体に鞭を打ち。瓦礫を踏み越え部屋の真ん中に倒れているシャックスを見下ろした瞬間…。


「ッッ…貴様…」


咄嗟に片手で銃を構える…。シャックスがまだ動いたからだ、大の字に倒れながら懐からナイフを取り出し、手元に転がった宝玉に突き立てこちらを見ている…。どういうつもり…いやまさか。


「ぅ…動くな、この宝玉の中にはナールが入ってる。今ここで…俺にとどめを刺して、俺が意識を失えばその瞬間…魔術が解除されて、ナールが死ぬぞ」


宝玉にナイフが突き立てられている。このまま魔術を解除すればナールにそのままナイフが突き刺さって…こいつ、何処まで…。


「勝負はあっただろう…」


「これは、試合じゃねぇ、勝負アリを宣言するのは審判じゃなくて…俺自身だ」


ゆっくりと起き上がるシャックスは浅く笑いながら懐から拳銃を取り出す。やられた…人質がいる事を失念していた。まずはナールを取り返す方が先だったか?…いや、そもそも私ではナールの判別は……。


「俺を殺しておくべきだったな」


「………」


「お前は何度も俺を殺せた!それを!くだらない信条なんかで好機を逃し!この状況を作り上げた!」


「………」


「何が信条だ!何が殺さないだ!それはテメェの弱さの証拠だろ!だからお前は…」


「フッ、弱さか」


「ッ………………」


笑いが込み上げる、そうかもな…と。確かに殺さないというのは所詮私の自己満足で世の中には死んだ方がいい奴も死なせた方がいい奴もいる。殺せなかったから死なせてしまう者もいるだろう。


死と殺意に満ちたこの世の中で叫ぶには、不殺の二文字はあまりにもか弱い。


「確かに、弱さだろう。殺さない事は弱いだろう、殺せる事は強いだろう。もしかしたら全部お前の言う通りかもしれない…、だが」


踏み出す、銃を構え宝玉にナイフを突き立てるシャックスに更に一歩…踏み出して両手を広げる。その様に竦むシャックスを見下ろし…私は。


「それでも、私は他者を殺す事はないと、誰も死なせるつもりはないと…叫び続けよう。それがどれだけ滑稽で、どれだけ浅はかで、どれだけ無意味な事であっても…私は私が決めた信条を曲げる事はない!例えどれだけ傷つこうとも私は絶対に…折れない!」


「な……!」


「我が道行きは…自らの血で塗装する、そこに他者の血は必要ない…。我が栄光は、我が血にのみよって…燦然と輝くのだ!」


その瞬間片手に小型の銃を錬成しシャックスに向ける、一瞬…私の言葉に硬直したシャックスは慌てたように反応し私に向けた銃の引き金を引き…。


シャックスとメルクリウスの銃が、同時に火を噴く。


「ッッ──────!!」


されど、当たらない。シャックスの銃弾は寸での所でメルクリウスに回避される。銃口の向きを察知し、自らの頭に向いたその銃撃を、首を傾けるだけで回避する。頬に一筋の赤い線を引き、荒れる青い髪に穴が開き散らばる髪を無視してメルクリウスはシャックスだけを見据える。


「ぐっ…が…バカが…!」


対するシャックスは銃撃を回避出来ない、既に動くことが出来なかった彼はメルクリウスの銃撃を受け、静かに…後ろへと倒れる。


今、この時…シャックスの意識が奪われた。それはつまりナイフを突きつけられた宝玉の中身が解放されるということであり………。



光り輝き、宝玉が割れ…中身が解放され、既に待機していた白銀の刃が容赦なくそれに突き刺さる。


「………………」


「どうして………」


ナイフが突き刺さったそれを見て、シャックスは諦めたように天井を見る。


「どうして…どうして、わかったんだ。ナールじゃないって」


「………決まっているだろう」


だが、ナイフが突き刺さったのはナールじゃない。シャックスが持っていたもう一丁の拳銃だ。宝玉の中に入っていたのはシャックスの二丁拳銃の片割れだったのだ。


「外から見て、宝玉の中身は…分からないはずだ。なのにどうして俺がナールを人質にしていないと…分かった、せめてそれだけ教えてくれんかね…」


「……宝玉が、真新しい過ぎた」


メルクリウスはシャックスの懐から取り出す。そこから取り出しされた宝玉は…キラキラと輝いているが、よく見ればその表面には細かな傷がたくさんついているではないか。


これは私との戦いの最中、シャックスが動き回ったことにより、私の攻撃により、少しづつついた小さな傷だ。ナールが宝玉の中に閉じ込められたのは私とシャックスの戦いが始まる寸前…つまり戦いの最中ナールの入った宝玉はずっとシャックスの懐に入っていたんだ。


だから細かな傷がたくさんついているべき、なのにシャックスが先程ナイフを突きつけた宝玉には傷が一つも付いていなかった。


「咄嗟にナールの入った宝玉を取り出すには時間がなかった、そう考えたお前は手元に持った拳銃のうちの一丁を宝玉に変え…ナールに仕立て上げた。外から見たら同じ宝玉だからな…そういう手も使えるだろう」


「ッ………焦ったか…俺としたことが…」


忸怩たる思いで天井を見上げるシャックスは、撃たれた箇所を触る…だが、その手に血はついていない、変わりに小さな注射器が取れて…。


「あ?なんだ…これ」


「麻酔弾だ、言ったろ…誰も殺さん、死なせないと」


「………………この期に及んでもかよ」


「如何なる状況でも…だ」


「………はは」


シャックスは静かにその手を顔に乗せ、笑う…笑うしかなかった。薄れ行く意識の中彼は吹っ切れたように笑顔を見せ。


(勝てないわけだ…、信条を貫けず弱くなった俺じゃ…意地でも信念を貫き続けたこいつには…勝てるはずが…なかった)


信条なんて、自己満足だ。自分で満足するためだけに貫くルールだ。破ってもペナルティなんてないし、意味なんてない。


けど、それでも…自分の人生に課したルールを守れないんじゃ、強くだってなれない。


例え自己満足でも、自分の人生に満足出来ない奴は勝てない。自分の人生に責任を持つ奴には絶対に…。


(一人で戦うルールを破り、人殺しをやめて…人を殺さないというルールを自分に課して、そしてその上で更にそのルールさえも破ろうと戦っていたんじゃこいつには勝てなかった。…守り抜くべきだった…自分で決めた事は最期まで………)


メルクリウスは立ち続けるだろう、歩き続けるだろう、彼女が定めた信条が貫かれ続ける限り。彼女は絶対に折れず…負けることはない。


「参ったよ…メルクリウス………」


「ああ、だろうな」


麻酔によって意識を失い、力なく手を投げ打つシャックスを前にメルクリウスは頷く。これでシャックスの呪縛は解かれる…宝玉に閉じ込められていたナールも。


「ッッ───!わ、私は…!」


「気がついたか?ナール殿」


「………お前は」


すると、シャックスの懐からこぼれ落ちた宝玉の一つが解放され、中から冷や汗をかいたナールが現れる、彼は自分の身に起きた事を信じられず私を見上げるばかりで何も言わない。


「助けてくれたのか…?」


「ええ、言ったでしょう?私達は貴方を守るつもりだと」


「………………」


「今は何も言わなくてもいい、ともかくここを離れる。山賊達が外にいるんだ…今仲間達が戦ってくれている」


「………分かった」


ナールの手を取り、一先ず外へ避難する為彼と共に外に向けて歩き出す。しかし…強かったな。五番隊の隊長でこの強さか、これより強いだろう奴が後四人もいるとは…。


外には他の幹部もいるだろうか、この街に安全な場所はあるだろうか…。今はなんでもいい…仲間達と合流を………。


「ん?」


ふと、背後から鈍い音が聞こえナールの肩を担ぎながら私は後ろを振り向く。音がしたのはシャックスの方だ。まさかまだ動くのか?と…そう警戒した私は。


「なっ………!?」


驚愕する。シャックスは確かに意識を失っていた…だが、それはつまり…宝玉の呪縛が解除される…ということ。


それはナールが解放されるということであり、彼の武装が全て外に出てくる…という意味でもある。


………彼の武装の中には、あった。…ガイアの街の戦いで見た、『点火済みの爆弾』が。



「ば…爆弾…!!」


足元に転がるのは無数の爆弾、既に火がついてジリジリと導火線が短くなっている。シャックスが倒れたことで外に出てきたんだ…とそこまで考えた時、思い至る。


これはきっと、シャックスなりのセーフティなのだ。自分が敗北した時…周囲の全てを道連れに自分諸共全てを吹き飛ばす為の。


………まずい!


「ナール殿!今すぐ逃げ────!!」








爆弾の総数は凡そ三十。いくら大きい館であってもナール邸一つ吹き飛ばすには余りある数量。


それらが全て、爆発すれば…当然。



刹那、轟音と共に起爆した爆弾の全てが激しい爆炎を生み出し。ナール邸が内側から爆ぜ飛び…中にいる者達諸共跡形もなく、吹き飛ぶのであった。



………………………………………………………


「……………」


「さっきから、何黙ってんの?ネレイド・イストミア」


「いや……」


檻の向こうにいるオケアノスの言葉を聞いて、私は黙り込む。彼女の話を聞いてしまったからだ…。


オケアノスは孤独だった、その身体能力故に孤独だった。神に愛された体とはいうが…実際は実生活さえままならない程飛び抜けた力は自身を否が応でも他から隔絶させる。私もその孤独感はよく分かっている…。


彼女もまた同じ気持ちを味わっていた…そして、その救いとなっていたのが。私だと…そう言うんだ。


……同じ境遇にあってテシュタル教の代表する戦士に育っていく私の話は、巨絶海を飛び越えてカストリアにまで届き、彼女を励ましていた。エリスもかなり若い頃から私の話は聞いていたと言っていたし…オケアノスも同じだったのか。


「そんな申し訳なさそうな顔しなくてもいいよ、私と同じ…もしかしたら私よりも強いかもしれない人が居る。そう思えていた頃は確かに楽だったけど…実際戦ってみたらこのザマ。やっぱり私は独りなんだ…」


コンコンと足元で石ころを蹴飛ばしながらオケアノスはいじけた子供のように唇を尖らせる。私より強い奴はいない、それは傲慢か?否…事実だ。そりゃあ戦ったら魔女様の方が強いだろうがそう言う話じゃないんだ。


自分と同じ『人間』の中に自分を超える者は居ない、自分は人の形をした別の生き物かもしれない、そんな異物感が彼女は悲しいんだ。


「君を責めてるわけじゃないよネレイド、お陰で吹っ切れたし」


「吹っ切れた?」


「うん、もう希望は持たない…」


すると、オケアノスは立ち上がり…。牢屋の前から立ち去るように歩き出す。


「君の後を追って掴んだ神将の座にも結局価値はなかった。神は私を呪った…孤独の呪いを私に与えた。そんな存在の為に戦う気は毛頭ない」


「神将を辞めるつもり?」


「…………今のままじゃやめられない。だから…」


すると、彼女は歩き出したその足を止めて、肩越しにこちらをチラリと見つめると…。


「仕事を終わらせる。まずこの街にいる君の仲間を皆殺しにして…その後私も遠征に参加しガイアの街を滅ぼす。それだけの仕事をすればクルスも私に自由を与えるだろうからね」


「……………………」


「…これだけ言えば怒ってまた襲ってくるかと思ったけど、ダンマリかい。もういいよ…君」


冷たく彼女は吐き捨て牢屋の前から私を捨てるように立ち去る。


…そうか、オケアノス…君はそう言いたいんだな。…仲間を殺す、ガイアの街を滅ぼす…か。


「………………」


天を仰ぐ、薄暗くカビまみれになった天井を見上げ…私は目を伏せる。


神よ、お聞きください。貴方はどうして私を産んだのですか?どうして私達を作ったのですか?孤独に苛まれる事を貴方は望んだのですか?神の祝福とは孤独を呼ぶものなのですか?


私は…どうすれば良いのですか、神よ。太陽の如き笑みを浮かべるオケアノスにあんな残酷な顔をさせてしまったのは私なのです。


私には…責任がある、そうですよね。神よ…。


………………………………………………


「まさか神将ネレイドが釣れるとはなぁ、レナトゥスに突き出せば手柄が貰えるか?それとももっと上手い使い方があるかぁ?」


そう呟きながらナウプリオス大神殿の最奥にある部屋…『神の間』と呼ばれる豪華絢爛な部屋中をグルグルと周りながらブツブツ呟く。


壁には無数の肖像画、棚には古今東西から集めた金銀財宝、この乾き切った東部クルセイド領にあってもっとも輝きに満ちた部屋の持ち主…クルスは真っ赤な玉座に座り込み、柄にもなく考え込む。


悩みの種はオケアノスが連れてきた神将ネレイドだ。なんでか知らんがオライオンにいるはずの神将がこの街にいて、それをオケアノスが逮捕したのだ。


「ううむ、奴の身柄を使えば俺はもっと贅沢な暮らしが出来るはずだ…」


これは、千載一遇のチャンスだとクルスは考える。憎きオライオンテシュタルの要人の命を今俺が握っている。オライオンに取引を持ち掛ければ奴らから更に金品をかっぱらえるかもしれない、レナトゥスに突き出せば自分の地位は更に向上するかもしれない。


悩ましい、このカードをどう使うのが最も得か…分からない。ナールあたりに任せるか?アイツは適当に金さえ与えておけば働くし、また適当な頃合いを見計らって罪に問うて罰金を課せば回収出来るし。


「ねぇねぇクルにゃん」


すると、この宝に満ちた部屋の中で、俺が最も好む最高のトロフィーたる女がしなだれかかりながら寄ってくる。


「おお?どうした?オフィーリア」


俺の妻オフィーリアだ、最高の俺に相応しい最高の女。こいつが俺に媚を売ってくるだけで俺の自尊心は満たされ笑みが溢れる。


そんな満面の笑みの俺とは対照的にオフィーリアは不満げで…。


「ねぇねぇ、これ…いつになったら送るの?手に入れてから結構経ったでしょお?」


「ん?ああ、それか」


オフィーリアが手に持つ箱はオセとか言う商人が持ってきたヒンメルフェルトの遺品…羅睺の遺産だ。中身が何かは知らないが…ジジイ曰くやばい代物らしいし、なんでか知らんがレナトゥスが欲しがってるし。


本当なら、直ぐにでも送りつけてやりたいが。


「まぁ待てよ、レナトゥスからの催促の手紙を見るにまだレナトゥスには余裕がありそうだった。だから送るのはもっと後でいいんだよ」


「いいのぉ?そんな事言ってて」


「いいの、もう少し送るのを遅らせれば…レナトゥスは慌てて俺に報酬を用意するかもしれない。今のまま送ってもきっとレナトゥスは俺に感謝の言葉の一つも寄越さないだろうからな。こうやって自分の得になるように立ち回るのが為政者の駆け引きってやつさ」


「そんな上手くいくかなぁ」


「いくんだよ、頭の悪いお前には分からないかもしれないがこうやって俺は…宝を手に入れた」


オフィーリアを片手で抱き寄せ部屋にある宝の数々を腕で指し示す。真方教会の寄付金を全て巻き上げて俺が古今東西から集めた豪華な品の数々!金の彫像!一流画家の俺の自画像!宝石のあしらわれたペンダントにクリスタルの十字!どれもこれも売れば金貨数百枚は行くだろう宝達だ。


俺は今宝に囲まれている!財をこの手に収めている!俺は偉い!権力を持っている!そう実感させてくれる…。俺はもう貧乏暮らしの小僧じゃないんだ…!


(くくく、クソジジイめ…何が殉教だ。くだらない、折角真方教会という大組織を束ねる地位に座りながらその金の全てを他者に訳与えるなど馬鹿らしい!)


俺は幼い頃から信じられないくらい貧乏な暮らしを強いられてきた。両親は物心ついた時から居なかった…だから俺を育ててくれたのはあのクソジジイ…アデマールだけだったんだ。


アデマールはバカな奴だった。手元に大量の寄付金を得ながらも決して自分の懐には入れず教会の建て直しや報われない子供達への救済と称して全部使っちまった!お陰で俺はジジイと一緒に爪に火を灯すような生活を強いられてきたんだ!


ジジイは教皇なのに!俺は教皇の孫なのに!真方教会で!この東部で誰よりも偉いはずなのに!なんで街で暮らす平民よりも貧しい思いをしなきゃならんのだ!なんで親もいないど底辺の孤児よりも惨めな暮らしをしなきゃ路ならないんだ!


ずっと疑問だった、ずっと不満だった、だからレナトゥスの呼びかけに応じてクソジジイを真方教会から追い出して俺はこの座に座った。金の有効的な使い方と地位に相応しい暮らし意を…俺は手に入れたんだよ。


「くっ!あはははははは!ザマァみろクソジジイ!俺はお前と違ってもっと良い生活をしてやる!王貴五芒星なんか直ぐに抜け出して俺はこの国を牛耳る男になる!そうすりゃもっともっと贅沢が出来る…!もっともっともっと!俺は俺に相応しい暮らしが出来るようになるんだ!!!」


俺はこの世で一番偉い!直ぐにレナトゥスだって目の前に傅かせて足を舐めさせてやる!!いつかは魔女だって抱いてやる!俺が…俺が一番なんだ!この世で一番!テシュタルという崇高な神の代理人たる俺は誰よりも崇拝されるべきだ!


嗚呼!テシュタルよ!俺にもっと富を!貴方の声を地上に届け遍くに貴方の名を知らしめる俺にもっと報酬を!


「くくく、くかかかか!」


「…………欲のお化けね…」


「ん?オフィーリア?なんか言ったか?」


「ううん?なんにも〜!でも早くしないとレナトゥスしゃまが怒って王国軍を差し向けてくるかもしれないよぉ?そうなったらやばくな〜い?」


「そ、それは確かにやばいかも…、いくらオケアノスでもエクスヴォートには勝てないだろうし」


オケアノスは自分を特別な人間だと思っているが、別段アイツは特別でもなんでもない。ただ生まれつき力が強くて周りより運動が出来るだけだ。そんな奴が神に愛された存在?馬鹿らしい。アイツでは真の怪物たるエクスヴォートには敵わない。…本人は勝てるつもりらしいけど。


「うーん、レナトゥスは短気な奴だし…あんまり長引かせるのはまずいかな」


「もしかしたら早めに送ったら報酬が出るかもよ?クルにゃんは仕事できるねぇ〜って言って」


「確かに…レナトゥスは実力至上主義だ、なら成果を早めにあげた方がいいか…」


チラリとオフィーリアの持つ箱に目を向ける。この中にはレナトゥスの欲する羅睺の遺産が入っている。こいつを送り届ければ…それでいいんだが。


……実際、中身ってどうなってんだ?


「……オフィーリア、それ寄越せ」


「はぁい、どうぞ」


箱を受け取り、ジッと見つめる。ジジイはこの中身を知っている…羅睺の遺産の中身を知る三人のうちの一人だ。…悔しいな、あのジジイが知っていて俺が知らないってのは。


…送る前に中身を見るくらい、別に構わないよな。


「…………」


「クルにゃん?どうしたの…?」


「中身を見る、別にレナトゥスだってそれは止めてないだろ」


「そ、それはそうだけど…大丈夫?」


…ジジイは、これを『世界をひっくり返す存在だ』と語っていた。世の中に公表されれば俺達の世界がひっくり返ってしまうと。だから世には絶対に出せない真方教会における最高機密だ。


昔一度だけ語ったジジイの顔は今でも覚えている。もし自分が亡くなったらお前この秘密を守れとも言われた。そうしなければならないのだと…口を酸っぱくして言われた。


だが……。


(これが魔術文献なのだとしたら、それを元に魔術を作り上げたら…俺最強になれるんじゃね?)


あのジジイが恐るほどの内容がこの中に書かれている。もしその魔術を手に入れられれば俺は富だけでは無く最強の力さえも独占することが出来るんじゃないか。レナトゥスに送る前に中身を確認して使えそうなら先に俺がその力を物にしてもいいだろ。


なんせこれは真方教会の持ち物なんだからな…、そう浅く笑いながらクルスは箱の中に収められている古い紙を取り出す。


「ボロい紙だな、だが変な材質だ…大昔の文献が今も残っているのはこういう材質だからか?」


ボロいにはボロい、埃とシミがそこかしこにある紙を手に持つとよくわからない触感が指に返ってきた。これがどれだけ昔のものか分からないが…こういう物を保存する加工がされているのかもな。


「くくく、…もしかしたらこれで俺が世界最強の存在になれたりして、そうすりゃオケアノスだって必要なくなるじゃん!俺天才!」


「………………」


ぐひぐひ笑いながら君をバッと広げ中を見る。するとこれは丸められた数枚の冊子であることが分かった。


タイトルとして書かれていたのは『オフュークス帝国皇帝トミテに授けられし魔術』『著者・セバストス』と書かれていた。


……誰だ?トミテ?セバストス?そもそもオフュークス帝国?そんな国あったか?…もしかしてマレウスが出来る前にここら辺にあった国か何かかな。まぁなんでもいいや、特に気にすることもなくクルスはページを捲り中を確認する…。


「…何が書いてあるの?クルにゃん見せて〜」


「ダメ!これは真方教会の最高機密だから。見ていいのは俺だけ!」


覗き込もうとするオフィーリアから冊子を守る。最強になるのは俺だけでいいの、妻であるお前は俺の後ろにいろっての…ったく。


「どれどれ?…んん?魔術文献ってのはこんなに小難しいもんなのか?読んだだけで魔術が使えるようになるわけじゃないのか?ってかなんだこの意味分からん図は…」


なんか思ってたよりも普通に学術書っぽくて気が滅入る。もっと特別なものかと思ったが、読んでもまるで意味が分からない。なんだこれは、どういう意味なんだ?


ってかこれ、魔術について書かれてるんだよな?なんか魔力がどーのこーのと書かれていて、凄いスケールのでかい話が描かれているのはなんとなく分かる。でも…おかしいな。


これ、そのまま額面通り受け取ったら…果てしなくデカい魔術について書かれていることにならないか?これは俺に知識がないからそう感じるだけか?だが確かにそのまま読んだら…聞いたこともないくらい馬鹿でかい話になるぞ。


「なんなんだこれ……」


知識がないながらに俺は読み進める。読んでいくうちに何か…こう、ただならぬ何かを見てしまっている気になって背中が寒くなる。これを作った奴は何者なんだ、これを使った奴は何者なんだ。こんな広範囲に対して魔術を行使出来る物なのか?


デカい…デカすぎる。なんだこれ、分からない。この魔術を使ったら何が起きるんだ?なんだ?集団的無意識による認知の集合体って…、なんだ?人類生誕による発生概念への干渉って…、なんだ?存在位階の意図的操作って。


何をしようとしているんだ、この魔術は…。


「お…魔術の概要が書かれてる」


すると、丁度俺が欲しがっていた情報が最後に書かれていた。この魔術はどういう魔術で使ったらどうなるか、それが書き込まれていたんだ。よしよし、これさえ見ればなんとなく形だけでも把握できるだろう…。


んーと?なになに?…えーっと?…んん?……。


「…クルにゃん?どうしたの?」


…えっと、それはつまり…え?どう言うことだよ。なんでそんな事言うんだよ…。


「クルにゃん…クルにゃん!どうしたの!?」


なんでそんな、そんな事を…。そんな事言われたら俺…いや俺達は生きていけないじゃないか…!


「クルにゃん!ねぇっ!ちょっと!」


嗚呼、嗚呼…なんて事だ。そんな事あり得ていいのかよ…それじゃあ全部無意味じゃないか。産まれてきたことも、生きてきたことも、全部全部無意味じゃないか…なんだったんだ、俺の人生は……。


「クルにゃん!!!」


「ハッ!?オフィーリア…?」


ふと、我に帰る。そこで気がつく…自分が今、泣いていることに。恐怖で震え血の気が引いて唇が乾いていることに。魔術文献を握る手が震えている…無理もない、こんな魔術を目にしてしまったら…誰だって正気ではいられない。


クソッ!クソジジイもヒンメルフェルトも嫌いだが…あの二人の気持ちが分かる!これは…これは…ッ!!


「ぐっっ!!」


「なァッ!!??」


咄嗟に魔術文献を…ビリビリに破いて羅睺の遺産を近くの松明に突っ込む。燃えろ…燃えちまえ!これは世に出してはダメだ!こんなのが世に出たら…俺は、俺は終わる!!


「な、何してんだッッ!!」


するとオフィーリアが怒鳴り声を上げて松明を叩いて中から魔術文献を取り出そうとするが…もう遅い。燃えちまって中身は確認出来ねぇよ。


「ッ…何考えてるの!クルにゃん!レナトゥス様に命令されてたんでしょ!?」


「関係ない…、これは世に出してはいけない代物だ。そもそも…後生大事に持ってる事自体頭おかしいだろ!こんなもん持って帰ってこないでその場で焼き捨てろよヒンメルフェルト!!」


「何言ってんのクルにゃん!レナトゥス様の命令破ったら…殺されるよ!」


「死ぬなら死ぬでそれでいい…!この魔術が公表された後の世界を生きるくらいなら、死んだ方がマシだ…!」


「な…そこまで言うの…?何が書いてあったの?一体…」


何が書いてあったって?…何って、そりゃあ。俺は頭悪いから何にもわからないよ…けど。


「言えるわけねぇだろ!!!あんな…あんな悍ましい話!人の領分を超えてる!!」


言ってはいけないことは分かる。あの魔術は存在してはいけない魔術だ。…レナトゥスはこの魔術のことを知ってるのか?それともただ単に強力な魔術という認識だったのか?


それならそれでいい、レナトゥスには適当な嘘をついて誤魔化すから。


ただ、もし…レナトゥスが如何なる手段を用いてか、この魔術の内容を知っていて魔術文献を欲したのだとしたら、俺は…。


クソっ…クソっ!なんて世界に生まれちまったんだ…なんて残酷な世界に生まれてしまったんだ俺は…!!


頭を抱え蹲る、見るんじゃなかった。手に入れるんじゃなかった…クソ!クソクソクソクソ!!!!!!




燃え滓となった羅睺の遺産、それを見たヒンメルフェルトは…生涯のうちに二人にだけ魔術の内容を教えたという。


一人は国王イージス・ネビュラマキュラ。これを見た国王は『凄まじい魔術だな、もしこれが我が軍にあれば…いや、これの使い手が一人でもいれば魔女大国にさえ匹敵出来るやもしれない』と大層驚いたと言う。


そしてもう一人…盟友であり教皇のアデマール。これを見たアデマールは『ヒンメルフェルト…これは決して外に出してはいけない、一人でこの秘密を抱えるのは恐ろしいだろうが…頼む、これを今すぐ燃やしてくれ。でなければ儂は…神を信じられなくなる』と青い顔をしてヒンメルフェルトの胸ぐらを掴んだと言う。


…最後に、これを手に残されたヒンメルフェルトは…『これは。我が生涯を以てして保管する。そして死にゆくその時…これを手に天へと昇り、神に真意を問う。でなければ…全てが無意味になる』と、深刻な顔で語ったと言う。


恐らく、史上最も罪深き魔術たる『羅睺の遺産』。その内容は────今はもう、完全に失われてしまった、…のかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です! メルクリウスvsシャックスの決着、少しだけ明らかになった羅睺の遺産、何が来てもおかしくないと思ったけどまさかトミテ関係のものとは⋯そしてここでも出てくるセバストスの名前…
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