456.対決 山凰シャックス
無人のシャックス、世界一の空き巣を自称する彼は盗みを働く時は人を害さない事を信条としている。それこそが自分のアイデンティティであり芯であると彼自身がよくよく理解しているからだ。
だが…、それと同時に、いや…そもそも彼は、山賊であり、一人の男なのだ。
「シャックス!!」
「ハッ!真っ直ぐ過ぎるぜ!?セレブさんよぉ!」
咄嗟に飛び出したシャックスを狙いこちらも遮蔽物から身を出して両手の軍銃を連射し奴の体を狙撃するが、シャックスの巧みな体捌きは私の銃撃の隙間を縫うように飛び、部屋の外に通じる廊下へと抜け出されてしまう。
(まずい!外に行かせるわけには行かない!)
私は…メルクリウスは今、この無人の館を戦場にモース大賊団の幹部…五番隊の隊長『山鳳』シャックスとの決戦に挑んでいた。神聖軍の侵攻を止められる唯一の人物であるナールを宝玉に押し込められ攫われてしまった。今この場でシャックスを仕留めきれなければナールは間違いなく殺される。
それだけは許してはいけない、ナールが今死ねば神聖軍は止まらないし東部の人口の殆どが集中するサラキアもまた未来を閉ざされることとなる。多くの人間が死ぬことになる。
ダメだ、殺させるわけには行かない。行かないんだ!
「待て!シャックス!」
慌てて廊下に抜け出したシャックスを追いかけて銃を両手に柱から飛び出して廊下に踏み出すと…。
「甘いぜ、あんたは本当に…」
「ッ…!!」
そこには、既にこちらに向けて無数の宝玉を振り撒いているシャックスの姿が…。
「『解除』!」
「ぐっ!!」
咄嗟に身を背後に引くと共に宝玉が光に包まれ、中から無数の剣が炸裂し大量の刃の雨が降り注ぐ、あのままあそこにいたら私はズタズタに引き裂かれていただろう。
…あれがシャックスの魔術、収納魔術『ジーゲルラベオン』。掌サイズの宝玉にどんな物でも入れ込むことが出来る魔術、さっきは宝玉の中から大量の水を出してラグナ達を外に追い出していたようにその容量は果てしなくまさしくどんな物でも持ち運ぶ事が出来るんだ。
その上、宝玉の状態では中身が分からない。解除されるまで何が来るか分からない。これが…とても厄介なのだ。
「そらそら!どんどん行くぜ!」
懐から三つの宝玉を取り出しこちらに投げ飛ばし、『解除』の言葉を発する。飛んでくる宝玉…光り輝くそれを私は観察することしか出来ない、何が来る…何が出てくる、分からない、予測が全く出来ない!
「ッ…これは!」
その瞬間宝玉が発したは…白い煙、いやこの目に染みる感じは、藁を燻した煙か!まずい!目眩しか!
「くっ!何も見えん!ゲホッ!ゲホッ!」
三つの宝玉の中から出てきた大量の煙はあっという間に室内を埋め尽くし、涙目で周りを見回して何も見えなくなる。どうする…追うか?だが今攻撃が来たら防ぎようがない…!
「ええいままよ!原始より与えられしその役目、我が権限を持って改竄せん、汝は今世界の戒めより解き放たれ新たなる姿を得る!錬成!『鳳凰鉄扇翼』!」
手元にある銃を羽型に変形させ大きく扇ぎ煙を払いながら一直線にシャックスの居た廊下の奥へ進み煙を突っ切り駆け抜ける…と。
そこは廊下の分岐点のど真ん中だった。リビングに通じる道、右手には階段、左手にはキッチンに通じる道、そして正面には…大穴の空いた玄関。
シャックスの姿は何処にもない、まさか外に出たか?とも思ったが外ではラグナ達が戦っている。シャックスが玄関から逃げ出したならラグナ達が気がつくはず。
(ならまだ、この館の何処かに?…)
とりあえず錬金術で玄関の穴を塞ぎ、シャックスの…そして私自身の退路を断つ。先程の目眩しで奴は何処かに姿を隠したのだろう。
(…視線を感じる、だが何処から見られているかは分からない。何処だ…?)
右手を見る、階段を駆け上がったか?だがそんな音は聞こえなかった。
左手を見る、キッチンに逃げたか?正面も背後も右手にもいないなら奴はキッチンにしか……。
「キッチンに向かったな、今すぐ引きずり出してやる…!」
と、一歩踏み出しキッチンに向かって歩き出す………
…フリをして、私は。
「なんてな!そこだろう!シャックス!!」
「んなっ!?」
天井に向けて銃撃を行う、数度残響する銃声とやや遅れて落ちる薬莢。それに伴いドサリと地面に落ちるのは、脇腹に一発貰ったシャックスだ。
右でも左でもない、シャックスは上に…天井に張り付いて隠れていたんだ。私が分岐路のどの道を選んでも背後から攻撃を仕掛けられるように天井に張り付き様子を伺っていた。
「くそっ、なんで…」
「さぁて、なんでだろうな。貴様に教えやる義理はない」
そう口にしながら私は一歩踏み出し、足元の水溜まりを崩す。先程シャックスが振りまいた水がまだ玄関先に残っていたんだ、それに映っていたのさ、天井に張り付く悪人の姿がな。
「くそっ、やってくれるよな…いいかよ、俺が死んだら宝玉の中にいる奴は解放されないぜ!?」
「くだらん嘘はやめるんだな。貴様…以前会ったときにも私に同じ事を言って騙くらかしてきたな。二度も同じ手が通じると思うな」
既にデティからジーゲルラベオンの解除条件は聞いている。ジーゲルラベオンが解除される条件は二つ…術者による任意解除と術者の意図的ではない意識消失。つまりここでこいつを殺して何の問題もないという訳だ。
「もうお前の種は割れている、終わりだ…!」
「なら、俺を殺すかい?別にいいぜ?引き金を引けよ」
「なっ…!」
別に構わないとばかりに両手を広げるシャックスに一瞬戸惑う。一切命を惜しまないその姿勢に逆にたたらを踏んだ…その瞬間。
「ッ甘いんだよ!」
「ぐっ!?」
私の隙をついてシャックスの鋭い蹴りが私の腹部に突き刺さり吹き飛ばされる、不覚を取った…!最後の一線で竦んでしまった!これは実戦なのだ…!ビビった方が負けるのだ!
「甘いよな!甘い甘い!お前人殺したことないだろ!」
「チッ!」
そして私と距離を取った瞬間シャックスは右手の方角に向けて走り出す。地面を滑り手摺を掴んで遠心力を利用して階段を駆け上がるシャックスの背中を目で追いながら軍銃を構え。
「それがどうした!私にはお前を殺す権利がないだけだ!貴様を…悪を裁けるのは法だけだ!私的感情に則り独断で人を殺したならば!その時点で如何なる大義すら失われる!」
「御高説だな!だがそれで悪人が野放しになっちゃ意味がないぜ?」
「喧しい!貴様をここで倒せば良いだけだ!『Alchemic・cooling 』!」
刹那、メルクリウスの軍銃が蒼く染まり、放たれるのは青の閃光。空を裂き迫る弾丸を咄嗟に身を屈ませ手摺を盾に回避したシャックスが見るのは。
「氷結弾か!」
着弾地点に生まれる大量の氷だ。そうだとも、殺す殺されるだけが物事の決着ではない。殺しを誇るような輩には分からないだろう…、戦いとは、相手を排除するためだけに行うものではないという事を!
「何処までも、無力化に専念するつもりかい…!」
へへと軽く笑いながらシャックスは軽快な足音を立てて二階へと上がっていく、それを追いかけながら私も手摺に手をかけ上を見上げる。
シャックスの戦い方はなんとなく分かって来た、奴は正面から撃ち合うタイプではなくひたすら相手と距離を取りながら追ってくる相手に対してカウンターを仕掛け翻弄するタイプ。こう言った遮蔽物のある屋内での戦いはある意味奴にとって有利に働く部分が大きい。
何より留意すべきは、私が奴を追いかけなければならないという状況にある事。初手でシャックスはナールを拐ったことにより私は奴を追うしかなくなった。奴が得意とする戦いに乗るしか無くなったのだ。
(だが逆を言えば奴は今有利な状況にあるという事。先程から玄関や窓を無視して動いているところを見るに外に逃げるつもりはないと見るべきか、この有利な状況で奴も私を仕留めたいのか…!)
ならそれは好都合だと階段を登り切り流し目でこちらを見るシャックスと視線を交錯させる。そっちがその気なら乗ってやる、貴様の得意な戦い方で貴様を上回ってやる。
「待て!シャックス!」
階段を駆け上がりシャックスを追いかけようとした瞬間、足の裏から違和感を感じる。まるで芯がズレるような違和感…これは。
(油…!?いつの間に…!)
転ぶ事はなかった、少量の油だったから転倒する程ではなかった。だが油を油として認識したその瞬間私は手摺を強く掴み反射的に転倒を防ぐよう立ち回ってしまった。視線も下を向いている。
そこで『しまった』と気がつく、奴の狙いは私を転ばせることではなく意識に一瞬の隙間を作ること。事実気がついた時には宝玉が甲高い音を立てて階段を転がり落ちて来ており…。
「『解除』!」
「くっ!」
即座に手摺に足をかけ全力で上層へと跳躍する。上の階に手をかけ一息に持ち上げた瞬間、解放された宝玉の中から大量の刃物が突き出して来て壁に突き刺さるのが見える。
恐ろしい、一瞬の油断も許さんか…!
「ッシャックス!何処だ!」
ゴロリと上の階によじのぼり銃を向けながら周囲を警戒するが、またもシャックスを見失った。居ない…何処にいる。
二階の廊下は凡そ四角型になっており、その右角に位置する階段から上がって来た私の目の前には今二つの通路が見える。
右の通路か、左の通路か、廊下にはそれぞれ三つづつ部屋に通じる扉があり、双方共に廊下の奥には曲がり角がある。曲がり角まではかなりの距離だ…私が階段を駆け上がるまでにシャックスがあそこに身を隠したとは思えない。
ならどちらかの廊下の部屋に隠れたと見るべきか。
(誤った方を選べば、背後を取られる…)
チラリと下を見る、先程水溜りを踏んだ足ならば、もしかしたら足跡が残っているかと思ったが…物の見事に靴が捨てられている。まるで放り捨てたかのように二つの靴が双方の廊下に転がっているんだ。
アイツ、上手いな…動き方が素人じゃない。そりゃそうか、アイツは山賊、こういう鉄火場の経験は私より豊富か。
「…………」
バクバクと鳴り響く鼓動を抑えながら私は立ち上がり、私は銃を構えたまま…静止して、一度目を伏せ…もう一度開き。
「『魔視眼』」
見開くは魔視眼。魔力をこの目で見る事を可能とする魔眼を使う、これなら壁越しにでもシャックスの存在を認識出来る。
黒と白の味気ない世界へと変貌した世界をもう一度見る。左手にはいない…右手には。
(居た…!)
右手の奥から二つ目の部屋の中に魔力を感じる、この家には従者はいないしナールには家族もいない、館の中には今私とシャックスしかいない。ならあそこにいるのはシャックスだ…!
そこ見切りをつけ私はダッ!と駆け出し部屋の中に隠れるシャックスを追い詰めるため扉をこじ開け銃を突きつけ…。
「シャックス!ここまで────」
と、口にした瞬間に気がつく。
………妙じゃないか?
(なんでシャックスは隠れていたんだ?)
今まで意図的に逃げ、逃げながらも攻撃を仕掛けて来たシャックスが部屋の中に隠れる意味が分からない。部屋に隠れて私の隙を窺っているというのならまだ分かる…だが完全に部屋の中に隠れて切ってしまっては私の動きも察知出来ないだろう。
何をしていたんだ?そんな意味のない問いかけが残響する中、こじ開けられた扉が部屋の中を露わにする…するとそこには。
「なぁっ!?!?」
驚愕する、何せ部屋の中に居たのは……シャックスじゃなかった。
「へ、へへ…かかった…!」
「誰だ貴様は!?」
そこに居たのは見るからに山賊風の風貌の男、それがシーツを被りながらニタニタと笑いながら部屋の隅に隠れていたのだ。誰だこいつ、シャックスじゃない!まさかシャックス以外にも侵入者が……。
(違う!!罠だ!!)
全力で部屋の外に向けて飛ぶ、がしかし目の前にいた山賊風の男がそれに反応し逃すまいと私の手を掴みその場に拘束し…。
「は、はな────」
離せ…というよりも早く、隣の部屋…一つ手前の部屋とこの部屋を隔てる壁が轟音を上げて引き裂かれ、向こう側から無数の銃弾がけたたましい音を立てながらぶち込まれたてきた。
「『Alchemic・steel』!」
咄嗟に体を丸めて全身を金属に変化させ銃弾を防ぐ、私を拘束していた男ごと部屋中の全てを貫く弾丸は何もかもを破壊し、最終的に壁さえ粉砕し…向こう側に立つ男の姿を露わにする。
「あらら、防がれたか…」
その手には大型のガトリング砲を抱え白煙を燻らせるシャックスは鉄と化した私と倒れ伏し山賊を見て舌を打つ。
シャックスが居たのは一つ手前の部屋だった…なら私は何故部屋を間違えたのか?そもそもこの山賊は誰なのか?…全てはシャックスの作戦だったんだ。
ナールを宝玉に封じて持ち運べるのなら、それと同じ事をシャックスは自分の部下にも出来る筈だ。そうだ…シャックスは武器と同じように山賊も持ち歩いているんだ。
シャックスは階段を駆け上がると同時に部屋に逃げ込み、それと同時に収納していた山賊を隣の部屋に押し込み自分で自分を宝玉の中に収納し私の目を逃れた。
そして私が隣の部屋にいる山賊に気がついた時には既に遅く、宝玉の中から自分で飛び出し行動を開始したシャックスが隣の部屋から山賊ごと私をガトリング砲でブチ抜きぶっ殺す作戦だったんだ。
「…貴様……!」
「そんな目をするなよ、なんか文句があるか?」
「仲間を犠牲にして、随分ヘラヘラしてるじゃないか」
「仲間って、ソイツは仲間じゃねぇよ。ただの本隊志望の狂人さ、ほらお前も組織運用してたら分かるだろ?たまーにいるんだよ、実力が伴わない癖に一丁前に自尊心だけあるタイプ…、そいつは金もねぇ力もねぇけど本隊には入りてぇって無茶を言って来たイカれ野郎さ。生き残れたら入れてやるって吹き込んだらこのザマよ」
もうこれは役に立たないとばかりにガトリング砲を投げ捨て肩を竦めるシャックスを、私は錬金術を解除し起き上がりながら睨む。人一人死なせておいてその口ぶりか…!
「それでも、一人の人間だぞ…!」
「やめろよ青臭い、人間の価値は平等じゃないだろ」
「何を…!」
「今この状況が、それを物語っているんじゃねぇのか?」
自分の胸を両手で叩きながらシャックスは語る、人の価値は平等ではないと…。何を言うか、人が人の価値など語れんだろう。
「お前らはいいよな、人の命を助けるために悪人ぶっ倒す為に戦えてさ。俺だって出来るなら悪い奴ぶっ飛ばして色んな人から感謝される人生を送りたかったさ。肩で風切って街歩いて女の子にキャーキャー言われたかったさ、だがそうはならない、何故か分かるか?」
「貴様が悪人だからだ」
「そう、俺達山賊は真っ当に生きられなかった人間の集まりだ。人間社会に馴染めない…ただそれだけで社会の外側に排他された俺達はより集まり無法の中でしか生きられなかった。野を歩く獣のように、理性などなくただ生きる為に今日を生きる。道徳を語ってなんていられないのさ」
「詭弁だ」
「詭弁かもな、だが俺は真理だと思っている。人は平等じゃない、人の価値も平等じゃない。お前みたいに正しい道を歩ける恵まれた奴もいれば、俺みたいに他人を害する事でしか生きられない奴もいるし、そこのそいつみたいになんで生まれてきたのかも分からない奴もいる…そう言うもんだろうが」
「フンッ、したり顔で社会の批判か?思ったよりもみみっちい奴なんだな。貴様は他人を傷つける理由を他人の所為にしているだけだろう。誰かが自分よりも恵まれていて…そんな事言い出したらキリがない、この世の大多数はそんな事飲み込んで法の下で食らいつくように生きているんだよ、野を行く獣に身を落としたのはお前達自身なんだよ」
シャックスと睨み合う、こいつの言葉は肯定するわけにはいかない。『人の価値が平等じゃない』…それを理由に自分より下の人間を容易く殺していいのなら、秩序なんて物は跡形もなく吹き飛んでしまう。
こいつらの理屈は獣の理屈だ、人のものじゃない…!
「ふぅ、やっぱセレブの言う事は違うね…、どうせ恵まれた人生歩んできたんだろう?」
「……さぁ、どうかな」
「…へへへ、もう分かってるかもしれねぇけど。俺はここでお前と決着をつけるつもりだぜ?」
ガラガラと足元の瓦礫を踏み越えてシャックスは両手の銃を遊ばせながら歩み寄ってくる、今まで…ずっと逃げていたシャックスが、逆に近寄ってくる。
最大限の警戒を露わにする、こいつは一挙手一投足が武器になる男だ。何をしてきてもいいように直ぐに動けるようにしておかないと。
「決着か…、空き巣が大きな口を利くようになったな」
「ああ、空き巣ね。悪いな…それもうやめたんだわ」
「……何?」
「空き巣はもう廃業、でなきゃこの仕事はこなせない…」
「…なら今のお前は、なんなんだ?」
「さぁ…、なんだろうねぇ。少なくとも一つ言える事は」
懐から宝玉を取り出したシャックスはニタリと笑い…。
「『喜べ』よ、お前は俺をガチにさせるに相応しい女だ…!」
「ッ……!」
「こっからアゲてくぜ!頼むから出し切るまで死なんでくれよな!」
「上等だ!私が…上回る!」
宝玉と拳銃を構えたシャックスが動き出すのと同時に私もまた動き出し──────。
……………………………………………………………………
「どぉりぁっ!!」
「ぐぶふぅ!?」
無防備な土手っ腹に一撃、拳を叩き込めば山賊は苦しそうに悶えながらフラリと一歩後ろに引き…。
「ッまだまだァッ!!」
「っと、今ので倒れねぇか!」
斧を振り下ろしてくる。俺の一撃貰っても倒れねぇばかりか反撃までかましてくるとは驚きだ…が、そんな苦し紛れの一撃なんか貰ってやれない。軽く手で叩いて弾き返すと共に天を衝く勢いで顎を蹴り上げ今度こそ張り倒す。
「しゃあ!オラオラ!どんどん来いや!」
ピッと鼻先の汗を指で拭い構えを取る。まだまだ敵はいるんだろう?とラグナは目の前の山賊達を睨みつける。
ナールの館の前でモース大賊団と戦闘になって数分。数十人近い山賊達に囲まれながらもラグナは負けることなく、寧ろ押し返す勢いで攻め返し今また一人撃破したところだ。
「ッ…カイム様とやり合ったってだけあってメチャクチャ強いな」
「あんなガキなのに、どうすりゃあそこまで喧嘩が強くなれるんだか…」
「鍛え方だよ、鍛え方が根本から違うんだよ…アマチュア共」
とは言いつつも、ラグナはちょっと驚いていた。この俺が数分も戦ってるのに全滅させられていないことにだ。こいつら一人一人が恐ろしく強い、まぁ弱いのはガイアの街であらかた倒したし、あれを乗り切ったって時点で強者しかいないか。
でも、これだけ熟達した強者達が相手だ、俺一人だったら何人かあの館に押し入られていたかもしれない…だが。
「よっと!はいもう一丁!」
「ぐぎゃぁぁぁ!?」
「すごーい!ヴェルト強ーい!」
こっちには今頼りになる味方がいる。ヴェルト・エンキアンサス…噂に違わぬ豪傑ぶりだ。背後にデティを守りながらも巧みに立ち回り常に一人一人を確実に倒して行っている。
なんて老獪な戦い方なんだ、どれほどの修羅場を潜ればあの領域に入れるのか。単純な腕力や魔力の強さでは推量れない何かを既に掴んでやがる。ありゃあ強いぞ…今からでもアジメクに復帰できるかもしれん。まぁ最強の座は依然としてクレアさんのままだろうが…。
「デティフローア様にゃ指一歩触れさせねぇぞ!テメェらみたいな薄汚いゴミどもがこの方の御前に立っていいわけがねぇ!!」
「な、なんつー気迫だ…」
「ヴェルト!ありがと!」
「はい!デティフローア様は俺の背後に居てくださいよ!」
デティがヴェルトに守られている以上、デティが前線に立つ必要がないくらいヴェルトが張り切ってる。途中からデティも割り切って回復役に専念してくれているが…ぶっちゃけ俺とヴェルトにはあんまり必要ないくらいだ。
「あぁー!もう!何やってるんですか!早く倒してくださいよ!相手は二人だけでしょう!?」
「そ、そんなこと言われてもアイツらクソ強いっすよ。ベリト様も戦ってくださいよ」
「はぁ?嫌ですけど…でも強いのは確かにそうですね。困りました、ちょっと想定外です…神聖軍の出払っている今なら簡単にやれると思ったんですが、なんかオケアノスも残ってるみたいだし…ああああああああああ!」
「なんだアイツ、急に発狂したぞ…」
あの手の何するか分からないタイプは怖いよな、ヴェルト。しかしベリトの奴さっきから全然仕掛けてくる気配がねぇな…、それに気になるのが。
オセがいない、シャックスは今館の中でベリトは目の前、ならオセは何処だ?奴らの中で一番強いだろうオセが居ないのが気になる…。いや待てよ?ここにこれだけの戦力を集中させてるってことは…。
「死ねやぁぁ!!」
「今考えてる最中だろうが!」
俺の不意を突いて切り掛かってきた大剣使いの山賊の一撃を片手で受け止め投げ飛ばせば、そのままクルクル回転して噴水の中にドボンと落ちる。その向こうにいるアデマールさんに水がかかって…ってやばいやばい、あの人にぶつけてたら流石にヴェルトに怒られて…。
(ん?待てよ?別行動…か?)
俺達と離れて動いているアデマールさんを見て、ふと思いつく。ここにこれだけの戦力を集中させているのはアデマールの殺害という仕事を確実にこなす為…。
ならオセが居ないのはもう一つの仕事…そう、サラキアの崩壊に向けて動いてるんじゃないか?…よし。
「おい!ベリト!」
「ひっ!?なんですか!?」
近くの山賊を蹴り飛ばしてベリトの吠え立てると、アイツは相変わらず繊細に俺に反応してビクビクとキョドりだす。わかりやすくて助かるぜ…!
「おい!オセは何処だ!まさかサラキアの崩壊に向けて動いてるのか!?」
「え?…え、…いや…違いますけど?」
その瞬間俺はヴェルトの背後のデティに目を向ける。するとデティはあからさまに顔色を変えてコクコクと頷いてくれる。
つまり…今は嘘、オセは俺の予測通りサラキアの崩壊に向けて動いてるんだ!だが…だがどうやって!?オセ一人でどうやってサラキアを崩壊させるつもりだ!
「ヴェルト!どうやら奴らの仲間がサラキアをぶっ壊すつもりらしい!」
「なんだと!?」
「なぁ、どうやってだと思う!何かあるか!サラキアのここをやられたらやばいって場所!」
「えぇ、何処って…っと!」
ヴェルトも近くの山賊と切り結びながら考える。頼むよ、奴らの目論見を見抜くにはこの街に詳しいヴェルトの力が必要なんだ!故に俺はヴェルトが集中出来る様にヴェルトと切り結び剣士風の山賊を持ち上げ投げ飛ばす。
「邪魔すんな!」
「ひぃいいいいい!?!?」
「で!ヴェルト!何処かにないか!心当たり!」
「心当たりったっても…サラキアはそんな柔な街じゃねぇ。強いて言うなればあれか?サラキアの大水源」
そう言ってヴェルトが目を向けるのは巨大なカルデラ湖だ、確かにこの街の水源たるあのカルデラ湖に何かあればこの街は乾いてしまう…だが。
「だがどうにも出来んだろう、それにあの湖がなくなったって今日明日にサラキアが滅ぶわけじゃない、それが計画だとすると長い目で見過ぎだろ」
「それは確かにそうだよな…、他にないか!?」
「他ぁ!?つっても後は教皇くらいだけどこう言っちゃなんだがアイツ死んでもなんも変わらんぞ!」
それはそうなんだが…ダメか、ヴェルトでも思い当たる節は何も…。
「ハッ!そうだ!」
「え?デティ?」
その瞬間ハッと顔色を変えるのは…デティだ。彼女は顎に指を当て考える姿勢のままゾッと青ざめて…、まさか心当たりが!?
「分かったか!?デティ!」
「うん!戦いながら聞いて!オセはきっとサラキア大水源に向かってる!」
「ああ!?やっぱりそうなのか!?でも…」
「違う!サラキア大水源をどうこうするわけじゃなくて…いやそうなのかな、ううん…ええと!」
「落ち着いて!大丈夫だ!話は聞いている!」
クルリと体を回転させ両手に斧を持った山賊の顎先を砕き蹴り、そのまま髪を掴んでぐるぐる振り回す、大丈夫…急いでるけどまだ間に合うはずだし!
「落ち着いて聞いて、ラグナ…オセの魔術は覚えてる?」
「ああ、沸騰魔術だろ?水をお湯に変える!」
「そう!オセはきっと…それをサラキア大水源に使うつもりだよ!」
「何!?…で、どうなるんだ?」
とヴェルトに聞くがさぁ?と首を傾げられる。確かにサラキア大水源全部をお湯に変えられたらオセにとってはこれ以上ないフィールドが出来上がる。だが…それでどうする?お湯を操って街を洗い流すとか?ううーん流石にその量の水を動かすとなるとオセでも厳しいんじゃないか?
「何言ってるのラグナ!やばいでしょ!?」
「だがその量のお湯を作ってどうするんだよ!」
「お湯じゃない!…お湯じゃないよ作るのは、オセはあの水源にある水を沸騰させて、一気に水蒸気に変えるつもりだよ」
「ってことは水源が干上がる?」
「その程度で済むはずがない…」
デティは目の前にあるサラキアの大水源を眺め、ゴクリと喉を鳴らす。その様に今度はヴェルトが何かに気がつき…彼もまた青ざめ口を震わせ。
「まさか、水蒸気爆発か…!」
「水蒸気爆発?」
ってどっかで聞いたことあるな、なんだったか…ええと。
「そうだよヴェルト、オセは水源にある水を一気に沸騰させて全てを水蒸気に変えるつもりなんだ。水が蒸発して気化するとその体積は凡そ千七百倍になる、その増加幅はまさしく爆発的と言ってもいい…」
「ッ……!」
思い出した!水蒸気爆発ってあれか!火山の爆発と同じだ!地下水が圧力の熱によって水蒸気になり岩盤を吹き飛ばし大爆発を起こす現象だ!
アマルトが前言っていた、熱された油に水をぶっかけると一気に水が蒸発して爆発が起こるって。キッチンでやると大惨事なあれを…オセはカルデラ湖でやるつもりなんだ。
数百年使い続けても無くならない膨大なサラキア大水源の水でそんなことしたらどうなるか…。
「カルデラ湖は地下奥深くまで伸びる形で水を溜めている。それが一気に水蒸気になれば…付近の岩盤ごと全て吹っ飛ばす大爆発が地下で起こる!」
「そ、それされたら…サラキアなんか跡形もなくなるんじゃ…」
「サラキアだけで済めばいいね…、それこそマレウス東部が復興不可能な程にメチャクチャ吹き飛ぶかもしれない…!」
ゴクリ…と固唾を飲みながらフロントキックを繰り出し格闘家風の山賊を吹き飛ばし噴水を粉砕する。
…東部を崩壊させる目的はそれか、ってかこいつらイカれてんのか!そんなことしたら自分達も諸共死ぬんだぞ…!?
「今すぐ止めに行かないと…!」
「…ヴェルト!ここは任せてもいいか!」
「別にいいが…行くつもりか?」
「当たり前だ!もう奴がサラキア大水源に向かってるかもしれないんだ!次の瞬間にはクルセイド領が纏めて吹っ飛んでもおかしくない!人口密集地たるサラキアのど真ん中でそんなことが起こったら…死者なんか数え切れない!」
やらせてたまるかと俺は踵を返してサラキア大水源に向かおうと踏み出し───。
次の瞬間、咄嗟に倒れ込むように地面に伏せる…。
「させるわけないでしょ、それは…」
頭上を何かが通過する、手に電流の如き魔力を滾らせるベリトが…殺意に満ちた顔ですっ飛んできたのだ。させるわけない…か!やはり!
「やはり、テメェの目的は時間稼ぎか!!」
「今更気がついたってもう遅いんですから、キッパリ諦めてみんなで死にましょうよ…ねぇ?」
ニタリと笑いながら俺の前に立ち塞がるベリトに、舌打ちをかます。こいつやっぱりただ漠然と俺達の前にいたわけじゃない、そもそもこいつの目的が俺達の足止めだったんだ…!
シャックスはナールを、ベリトは俺達を、オセはサラキア大水源を。これがモース大賊団の目的…ここに来てようやく連中の動きが見えてきた。なら後はそれを打ち砕くだけだ…!
……………………………………………………………………
「『解除』ォッ!」
「はぁぁあああああ!!!」
全力で廊下を駆け抜ける、目指すはその先にて浅く笑うシャックスだ。距離としては大したことはない距離、されど間に立ち塞がりのは…無数にばら撒かれた宝玉の数々。
シャックスの解放の合図と共にばら撒かれた宝玉の中から現れるのは巨大な樹木。それが壁や床を引き裂きながら無理矢理廊下の直中に現れた私の行手を遮るように鋭い枝葉を伸ばす。
「シャックス!!」
その枝葉の槍衾を跳躍からの疾走で掻い潜り抜けると、そこに待ち受けていたかのように迫るのは。
「無駄だよ!『解除』!」
現れるのは無数の剣、人の身の丈程もある巨大な剣が次々と天井から降り注ぐ。特筆すべきはその範囲、飛んでも加速しても剣の雨の範囲から逃げられない、背後も木に塞がれている…となったら、後は…!
「フォーム・アルベド!」
手に黒い霧を纏わせ迫る剣を全て塵に変え粉砕し剣の雨の中を無理矢理突っ切り疾走する。
先程からシャックスの攻撃が激化している、本気…というのは本当らしい。しかも常に一定の距離を取りながらこの四角の廊下をグルグルと回るように走り続けている。このままじゃ私のスタミナが切れてしまう。何処かで決めないと!
「んな!?ベリトとおんなじ事が出来んのか!?」
「分子レベルでの崩壊だ!あんな荒技と一緒にするな!」
そのまま銃を構え狙いを定めながら…。
「火を着けよ 暗く閉ざされた暗夜を切り裂く灯火よ、弾け飛べ 汝は如何なるを切り裂く究極の剣である、この砲火は今 凱歌となる!『錬成・爆火龍星弾』!」
放つのは巨大な龍の弾丸、燃え盛りながら一気にシャックスを目指し飛ぶそれは瞬く間にシャックスに追いつき、その身を焼き焦がす…、前にシャックスは動き出す。
「甘いんだよ!『ジーゲルラベオン』!」
「なっ!?」
私の魔術に対して、収納魔術が放たれる。すると炎は吸い込まれるようにシャックスの手元に収まり…。
「返すぜ!『解除』!」
そのまま投げ返す、奴の手から放たれた宝玉は中空で炎となって逆に私に向けて飛翔し────。
「くっ!『消えろ』!」
咄嗟に黒い霧を帯びた右手を炎龍に叩きつけ跡形もなく突き崩す。不覚だった、奴も魔術を弾き返す事が出来るのか。物質を別の物に変換出来るチクルのように迂闊に遠距離魔術は使わない方が良さそうだ…。
「ッ…!シャックス!?何処へ行った!?」
がしかし、今度はシャックスを見失う。炎に集中している間に奴は廊下の中から忽然と姿を消して消失してしまう。また何処かに隠れたのか?…くそッまたこれか!
(魔視眼で探しても無駄…どうする!)
奴が姿を隠すのは決めの大技を仕掛けてくる合図でもある。しかし本当に身を隠すのが上手い奴だ、あの一瞬で何処に行った…!
私は銃を構えシャックスが消えた地点に向かい何かヒントがないか探して回るが、何もない。場所は廊下の中頃、周囲には扉が無数にある…爆音で聞こえなかったが、何処かの扉に入って──。
「死ねッッ!」
「ッ!」
刹那、背後の扉が蹴破られ何者かが迫ってくる…がしかし、声がシャックスのものじゃない!これは!
「チッ!またか!」
咄嗟に背後に銃を回しそいつの剣を防ぐ、シャックスじゃない、奴の部下だ。また収納していた部下を囮にしてきたんだ、やばい…またあれが来る。さっきのガトリング砲での掃射が!
と思いきや、今度はそこら中の扉が一斉に開き。
「へへへ、そいつを殺せば本隊入りだって話だよな」
「こりゃ楽勝だぜ」
「ふっへっへっへっ」
「…何人いるんだ!」
何人も何人も、十人以上の山賊が部屋の中からゾロゾロと現れるのだ。いつの間に…いや!そうか!
二階は廊下が四角型に繋がっている。シャックスはそれを回りながら逃げ回っていた…その最中、逃げながら山賊達の入った宝玉をそこかしこに仕込み私が通り過ぎたタイミングで解放し部屋の中に隠れさせ、もう一周して戻ってきたタイミングで部屋から出して一気に包囲させたんだ。
ってことはつまり私はまんまとシャックスの罠にかかったまま追いかけ続けていたということか!小癪なぁ〜!!
「タネは割れてんだ!錬金術師の銃使い!しかも女がこの距離で男に囲まれて無事で居られると思…げぶふぅ!?」
「侮るな!」
迫ってくる山賊を錬金術で鉄に変換した拳で殴り抜き、コートを投げ捨て身軽になりステップを踏む。仕方ない!こいつら全員倒してシャックスを探す!不意打ちを仕掛けてきてもそれも打ち砕く!
「な!?この女!強くねぇ!?」
「シッ!」
一気にステップで山賊の懐に入り込み、鳩尾に一撃。深々と食い込む鉄の拳が男の内蔵をグリグリと潰す。
「げぶぁっ!?」
ゲロゲロと胃液を吐く男の頭が下がる、痛みで足が止まる。まるで殴ってくれとばかりの顔面に叩き込むのは槍のように鋭く直線的な右拳。その一撃で鼻が砕け歯が砕け、顔面が崩壊し倒れ伏す。
何が錬金術師は近接が弱いだ、女は男に敵わないだ。
「ナメるなよ、元軍人を…!」
デルセクトは常に最新をこそ尊ぶ!アド・アストラ成立以降急速に発展した格闘技の概念。オライオン発祥の多くの格闘技を吸収して進化したデルセクトの…いやアド・アストラのマーシャルアーツを私が会得していないわけがないだろう。
私も彼女のように、ネレイドのように…魔女の力に由来しない武器を欲したのだ…まぁだが。
「彼女ようにはいかないな」
鋭く伸びる拳、カルステン殿をデルセクトに招き直々に指導してもらったボクシングで目の前の山賊を打ちのめす。左のジャブで足を止め、静止したところに右を叩き込む、その一連の流れは所詮喧嘩屋止まりの山賊には余る鋭さだ。
一応なぁ!これでもオライオンでプロボクサーとして出場出来るライセンスは取得してるんだ、まぁ…一回も試合はしてないがな。
「聞いてた話と違う!なんだこいつ!」
「顔も良くて、腕っ節もあるとか…いいじゃねぇか…!」
「だぁぁ!くそ!やっちまえ!」
「フンッ…」
それでも、ラグナやネレイドのようにはいかないのも事実。如何に彼等が類稀な身体能力を持っているかよくわかる、エリスもよくこの二人について行っているものだ。
私を取り囲むように迫ってくる山賊達を前に、握り拳を解くと共に、シャツの第一ボタンを引きちぎる。私にはやはりこのやり方の方が…格好がつくかな。
「っと!」
一足に跳び上がり天井を掴んで山賊達の包囲を飛び越えると共に…引きちぎったボタンを山賊達に放り捨て…。
「闇を引き裂き火を灯せ、岩を砕いて光よ差せ、万象を破砕する光炎は一閃の元に凡ゆるを覆い、我が障害の全てを消し去らん『錬成・一星爆轟弾』」
クルリと態勢を立て直し着地する…と同時に私が投げ捨て錬金術にてありったけの魔力を込めて爆弾に変えたそれが、一瞬光輝き全てを粉砕する爆裂を発生させ山賊達を吹き飛ばす。
「ぎゃぁぁぁああ!?!?」
「錬金術師も、女も、修練次第では如何様にもなる…と言う例だ、覚えておけ」
倒れ伏す山賊を見下ろし鼻で笑う、他愛もない。しかしシャックスは何処に行ったんだ?結局を仕掛けて来なかったが…。
「シャックスめ、何処へ行ったんだ」
「へっ、…あんた…バカだな」
「ん?」
振り向き様に何やら言い出した山賊の頭を踏みつける。言っておくが私の靴は登山にも耐えうる頑丈な物でな、前これで足を踏みつけたアマルトが悲鳴を上げた代物だ…で?
「何が言いたい」
「ぐっ!?あ…あんた、怒らせたのさ!」
「誰を」
「シャックス様をさ、あんた…あの人をナメてるだろ。バカな奴だ…あの人こそ…モース大賊団で一番恐ろしい…存在なのによ」
「ただの空き巣がか?いやもうそれは廃業したのか」
「ああ、もうあの人は空き巣じゃない…かつて、誰一人として生かして帰さず、敵対する組織を単独でぶっ潰して回った…伝説のヒットマン、無人のシャックスだぜ…!」
「ヒットマン!?」
あいつ…元殺し屋なのか、だとしたらあの身のこなしや異様なまでに上手い武器の扱いにも納得がいく…、だがそんな大層な奴だったか?
だって、モース大賊団の五隊長は数字が若ければ若いほど強い、つまり五番隊隊長のシャックスは隊長の中でも最弱のはずだろう…なのに。
「ッ…!?」
刹那、背後の扉がキィと静かに音を立てたのを察知し背後を振り向くと…そこには、少しだけ開いた扉の隙間から覗く銃口が見える。
シャックスか!
「『Alchemic・steel』!」
全身を鋼鉄に変え再びシャックスの不意打ちに備える、今更拳銃の一発程度じゃ不意打ちにもならない…と、防御の姿勢をとった瞬間、シャックスの拳銃から弾丸が射出され…。
「え?」
しかし、次の瞬間私が見たのは、いや感じたのは。壁に減り込む自分の体、鋼と化した体が網目状に割れあり得ないくらい吹き飛ばされ砕ける自分の体だった。
「ぐぶぼぁ…!」
口から大量の血液が溢れる。いや…いやいや、何が起こった!?銃で撃たれた筈だろう私は。それ程大口径の銃でもない、全身を鋼に変えれば弾ける威力のはず。
なのにどうだ?今の私は、鋼の体を砕かれ…血を吹いて、廊下の奥の壁に減り込んで、死にかけている…だと…!?
「何が…起こった…!」
硬化を解けば、体に生まれた巨大な裂傷からダクダクと血が溢れ意識が霞む。分からん、何が起こった…何をされた。
これが、シャックスの切り札か?
「…………」
静かに扉を開けてこちらを睨むシャックスと目が合う。恐ろしく冷たい目…そのまままた拳銃を向けて…まずい、全身を鋼に変えてこの傷だ、先ほどと同じ攻撃が来るだとしたら、生身で受けたら全身が消し飛ぶぞ!
「『Alchemic・Desert』…!」
咄嗟に床を砂に変え一階に落ちて逃げる。まずは…傷の手当てをしなくては…!
……………………………………………………………………
「チッ…」
軽く駆けてメルクリウスの落ちた穴の下を覗くが既に逃げ延びており、姿が見えない。しくじったとシャックスはため息を吐きながらルーティンとして葉巻を取り出し火を着ける。
(仕留めきれなかった…か)
今のは必勝パターンだった、人間とは『勝利したと思い込んだ瞬間』に隙を晒す。故にわざと相手に成功体験を与え、隙だらけになった所を必殺の弾丸で仕留める。威力だけはそんじょそこらの魔術にも負けない最強の技…、名を『玉響』。だが…タネが割れると簡単に対応されちまう。
だからこそ確実にぶつけて殺す、それが現役時代確立した俺の必勝パターンだったが…、メリクリウスが強いのか、俺が弱くなったのか、タッチの差で仕留めきれなかった。
「空き巣も廃業して、ヒットマン気分でサラキアに来て…なのにまだ誰も殺せてねえとは、情けない」
と言ってももう十年以上も人を殺してないんだから、しょうがないよな。
…そうだ、俺はもう人を殺さないと誓った。メルクリウスに対して人を殺せないのか…なをて偉そうな事を言っておきながら、実際に人を殺せなくなったのは俺の方だなんて、恥ずかしい話だ。
だが、それでももうヒットマンに戻るつもりは毛頭なかった…。
「すぅー…モース様」
煙の燻る天井を見上げ、思いを馳せる。耄碌してくだらない信条を掲げた俺をまだ使ってくれるあの人に。
その中でシャックスは回想する、かつての己を。弱くなった今の己の…その原因を。
──────────────────────
…………………『山鳳』シャックスは五隊長達中で最弱である。
いつしかそう言われるようになって随分経つ。事実隊長の数字は若くなるほどに強くなる、故にシャックスの五番隊は最も弱くシャックスもまた最も弱いと言える。もしかしたら自分でもシャックスくらいなら倒せるんじゃないかと感じてる山賊達は…実際のところ結構いる。
だが、そんな中…最強の隊長であり、モース大賊団切っての古株である山鬼カイムはこう語る。
『シャックスが弱い?何を言うか…あの人は強いさ。今でこそ殺しを忌避しているが現役時代はそりゃあもう凄かった、知らないのか?最強のヒットマン…無人のシャックスの伝説を』
シャックスの伝説をカイムは複数あげる。代表的なので言えば『敵対組織に単独で乗り込み、二丁の拳銃だけで構成員を一晩で皆殺しにした』とか『喧嘩を売ってきた別の山賊団の頭の首をたった一人で持ってきて、ついでに構成員数百人も皆殺しにした』とか…。
ともかくシャックスは単独での仕事と皆殺しに拘った、彼が仕事を終えた後には誰も残らぬことからついた渾名は『無人のシャックス』。こんな伝説的な偉業を何故今の山賊は知らないのか?何故ここまでの達人が五番隊隊長なのか?
それは…今の話だからだ。そう…シャックスという男はカイムさえも越えるほどに古株。この山賊団が出来てから山魔に付き従うモース大賊団の創設メンバーなのだ。
カイムよりも長く一番隊の隊長を務め、まだ小さかったモース大賊団をモースと共に二人で守り切った伝説の男なのだ。…が、今はもうそれも何十年も前の話だ。今の山賊達が知らないのも無理はないし…何より今のシャックスは殺しを戒めている。
…きっかけは、本当になんでない事だった。
「はぁ…はぁ、だぁー…かったる…」
それはいつ通り、敵対組織のアジトに単独で乗り込み、いつも通りそいつらを皆殺しにして、誰もいなくなったアジトの中で葉巻で一服する…そんないつも通りのルーティンをしようと、土砂降りの雨が天井を叩く真っ暗なアジトの中で、血まみれのシャックスは椅子に座っていた。
「………」
その瞬間、背後に気配を感じ咄嗟に銃を後ろに向け立ち上がるシャックスは──。
「ま、待ってくださいよ!隊長!僕です!」
「ストラスか?」
やや幼さの残る青髪の青年がこっそりと俺の背後に近寄っていたんだ、…敵じゃない。こいつは俺の率いる一番隊に最近加入してきたガキのストラスだ。それが悪戯っぽく笑いながら俺のそばに寄ってくる。
「流石隊長です、凄い仕事ぶりですね」
「ただ全員殺しただけだろ、凄いも何もねぇだろ…」
「いやぁ凄いですよ!僕隊長に憧れてるんですから!」
ストラスは、俺によく懐いてくれていた。自分もヒットマンになる!なんて…アホみたいな夢掲げていつも俺についてきやがる。正直この頃は鬱陶しかったし、邪魔だった。けど…嫌いではなかったな。
「隊長!次の仕事には僕も連れて行ってください!」
「断る」
「なんで!僕も強くなってきました!それは隊長も知ってますよね!モースさんもアンテロスさんも僕は強いって言ってくれているし…」
「強い弱いじゃねぇよ、無人は俺の信条なんだ。一人で行って…一人も残さない、だから他人を連れて行ったらその時点で信条が崩れる」
「そんなぁ…!」
どうでもいいことではあった、最初はそんなつもりもなかったが…いつしか一人で仕事をすることに慣れて、その慣れを信条と呼んで、悦に入っていたのかもしれない。
だから…ストラスを連れていくつもりはなかったし、これからも俺は無人のシャックスでいたかった。けど…。
「お願いします!いつもいつも隊長の仕事が終わった後ばかり…!僕も隊長の仕事ぶりを側で見たいです!」
「………はぁ」
今日のストラスはやけに食ってかかってきた。最近カイムが力をつけてきたってのもあるし、ザガンが独立を匂わせ始めアイツの二番隊の隊長の座が開く可能性があるからだろう。カイムに二番隊を渡したくないのかもしれない。
俺としてはストラスがカイムを超える才能があるかは少々疑問に思うところだが、それでも…。
「仕方ない、いいぜ」
「隊長〜!!」
こんな俺を慕ってくれている可愛い部下の頼みだからな、それを無碍にしてやる程俺もこいつが嫌いじゃなかった。団長も所帯を持ってもう直ぐ子供も産まれる、きっとその子がモース大賊団を引き継いで新しい団長になり、我が大賊団は脈々と続いていくのだろう。
生憎と独り身の俺にはそう言う引き継いでくれる奴ってのが出来そうになかったからな。もしストラスが俺の何かを引き継いでくれるなら、俺も安心して引退出来るってもんだ。
「このアジトは連中の支部だ、明日早速の本部にカチコミをかける。声はかけねぇ、自分で着いてこいよ」
「え!?明日!?今日襲撃をかけたばかりなのに!?」
「今日襲撃をかけたからだよ、連中顔に水ぶっかけられたみたいな気分になってることだろうよ。だから警戒して本部に人を集めて守りを固めてるはずだ、人がそこに集まってるなら…後から探しに出る必要も省ける、皆殺しにすりゃあな」
「か…っけぇ〜!はい!着いていきます!」
髪をかきあげ立ち上がり、コートのポケットに手を突っ込み葉巻を吐き捨てアジトを後にする。土砂降りに濡れながら歩いていると…ストラスが傘を差して俺に向けて差し出し、隣を歩く。
「僕、絶対シャックス隊長みたいにカッコいいヒットマンになってみせますから」
「かっこいいヒットマンもかっこよくねぇヒットマンも…この世にゃいねぇよ。いるのは仕事が出来る奴、それだけだ」
「へぇ、仕事が出来ないヒットマンはいないんですね」
「そういうのは仕事中に死ぬからな」
だからヒットマンになんか憧れるもんじゃない、殺しに行ってんだから殺されることもあるし、なんなら殺される割合の方が大きい。ヒットマンは基本捨て駒だ、生きて帰ってくること自体が想定されていない弾丸同然の存在だ。好んでなるもんでもないのにストラスは何を思ったか俺に憧れ俺のようになると常に口にしている。
馬鹿な話だ、ヒットマンになんかなるんじゃねぇよ。そう…言えりゃあよかったんだがな。
…………………………………………………………
そして次の日、俺とストラスは敵対組織のアジトにカチコミをかけていた。夜闇に紛れてこっそりと…ってのは趣味じゃない、俺は殺し屋じゃなくてヒットマンだ。真っ向から行ってドタマにぶち込む、それが俺のやり方だ。
「居たぞ!無人のシャック──がはぁ…」
「ひぃぃぃい!化け物ッッ!!ぎぃっ!?」
「フゥ…アホ共め」
豪華なシャンデリアの吊るされた城の絨毯を染め上げる、俺が今戦ってるのは山賊の筈だったが…これが凄まじい事に連中のアジトは山のど真ん中に建てられた古城だったのだ。
流石はかつては天下を取ったと言われるクユーサーファミリー…その残党共だ、こっちは潰れた酒場をアジトにしてるってのに豪勢な事だぜ。
「シャックス隊長!大丈夫ですか!」
「そりゃこっちのセリフだ、息が上がってんぞストラス!情けねぇ声上げるなら帰るか!?」
「そんな!まさか…まだまだですよ!!!」
「ぐふぅっ!?」
俺の真似をして二丁拳銃をぶっ放し賊を片付けていくストラスと背中を合わせる。中々やるもんだ…口には出さないがやはりストラスは筋がいい。見様見真似で俺の動きを真似出来る奴なんか見たことがない。
それに、いつも一人で戦ってるから…こうして背中を任せられるという相手がいる、ということへの安心感も感じる。昔はどうしても俺が一人でやらなきゃいけなかっただけに…ストラスはのような存在が出てきてくれたことは心強くも嬉しくも感じる。
「それでもテメェら業魔クユーサーの名前を受け継ぐ残党かよ、あの世で業魔が泣いてるぜ!」
「うぉぉおおおお!テメェ!死に晒せぇぇええ!!」
「戦争じゃあ!クユーサーファミリーに喧嘩売ったカス山賊共なんざ捻り潰したらァッ!!」
すると奥の扉から大量の賊が現れる、手には銃…剣…槍、一国の軍隊並みの武装を揃えた兵隊がわんさか出てきやがる。
あれが敵の主力だな、あれを片付けりゃ仕事は殆ど終わりだ。
「ストラス、泣き言はあれを全員ぶっ殺したら聞いてやる。それまで気張れよ!」
「言いませんよ!泣き言なんて!見ててください!シャックス隊長!!」
二丁拳銃の回転弾倉に弾を高速で込め直しストラスと共に敵の主力に突っ込む。全員殺す…頭を殺意で一杯にして引き金に手を当て───────。
戦いが終わる頃には夜が明けていた。
「『玉響』ッ!!」
「ギッッ!?」
最後の一匹に必殺の弾丸を命中させれば、相手の体は一瞬で弾け飛び跡形もなく吹き飛ぶこととなり…古城の壁に穴を開け陽光を差し込ませ、戦いの終わりを告げる、
「ペッ!手こずらせやがって」
口の中に溜まった血を吐き出し汗を拭う、予想よりも時間がかかった上に苦戦した、大した相手でもなかったのに…もう若くないってことかな。
「隊長!凄いですね!今の攻撃!どうやったんですか!?絶対に拳銃一丁で出せる火力じゃないですよね!」
「俺の切り札だ、こいつが破られた時が俺の負ける時かもな」
「流石隊長だ!」
と言いながらストラスが寄ってくる、けど俺から言わせて貰えば…今回の戦いはストラスがいたから乗り切れたとも言える。明らかに衰え始めた肉体の中修羅場に突っ込んで…もしかしたら今日俺は死んでいたかもしれない。
それをなんとか出来たのは、ストラスが居たからだ。こいつの腕はいい…まだ経験が不足してるが、経験さえ満たされれば俺も越えられる。きっと隊長格になれるはずだ。
カイムももう大人になっている、アスタロトとベリトという新世代も育ちつつある。そこにストラスが加われば…俺の席は無くなるな。
「隊長!今後も僕に…教えてください!いろんなことを!お側で!」
「フッ…仕方ねぇ、いつまでも俺に頼り切りなのもウザってぇし。いろいろ教えてとっとと独り立ちさせてやるから、きちんと着いてこいよ。ストラス」
「はい!絶対に!一生着いていきます!」
「…はは……」
最近、モース団長が愛おしそうに腹を撫でている…あの時見せる顔の意味がわかったかもしれない。愛おしいモンだな、自分を受け継いで残してくれる存在っていうのはさ…。
ストラスになら任せられる…そんな風に感じながら、ふと俺はルーティンを忘れていた事に気がつく。
「おっと、いけねぇ…」
「何してるんですか?隊長」
「ルーティンだ、仕事を終えた後は葉巻を吸って状況を整える」
口に葉巻を咥え火をつける。一服であると同時にこれは大切な工程だ。銃を使って戦っているとどうしても視点が銃口の先に集中して視野が狭くなる。それを元に戻し周囲の状況を整えるのに俺は葉巻を使う。
落ち着いて、血の気を鎮め、仕事の終わりを確認する。そしてもしやり残しがあったらいけないからな。
「フゥー…」
視界が広がっていくのが分かる、周囲を見なくとも状況が分かる。死屍累々、死山血河、地獄の様相が広がる城のエンランスホール、事前にもらっていた情報と合致する死体の数…よし、これで。
「仕事は終わりか……─────」
刹那、視界の端で何かが動いたのを察知し…た瞬間俺は即座に銃を抜き引き金を引く。ズドンと朝焼けに轟音が響き…死体の山の影に隠れていたそれは…。
「う…あ……」
眉間に風穴を開けて賊が倒れ伏す。生き残りがいたか?チッ、あれは俺が仕留めた筈の奴だ、仕事をやり損ねたか?俺が殺し損ねるなんて…やっぱり気が緩んでいたか。
だが、それもこれで終わりだ…
「こんな風に、仕事のやり残しがないか確認を……」
振り向いた時、既にそこにはストラスは居なかった。
代わりに、死体の山に一つ…新しいのが増えていた。
「……ストラス?」
そこには、さっきまで突っ立っていたストラスが首元から血を流して倒れていた。さっきのやつだ…俺が殺し損ねた奴が俺と同時に銃を撃ったんだ、狙ったのはストラス、俺じゃない、ストラスだった。
その弾丸はストラスの首を撃ち抜き…撃ち抜き……。
「おい、…おい!ストラス!」
慌てて駆け寄る、柄にもなく声を張り上げてストラスの手を握る…けど。ダメだと分かる、今まで殺して殺して殺しまくってきた俺には分かる。ストラスはもう死ぬ…呼吸器がやられてる、治癒魔術師がいても助からない…死ぬ、もう死ぬ。
それが分かっているのか、ストラスは謝罪するように首の穴から空気をヒューヒュー鳴らしこちらに目を向ける。その目がまるで焼き印のように俺の脳内に焼き付いていくのが分かる。
「ストラス…………」
手を握ったまま動けなくなる。何か気の利いた事でも言えりゃよかったのかもしれないけど…何も言えず俺は呆然とストラスがじわじわ死んでいくのを見守っていた。
……殺したんだ、俺がストラスを。今まで何千人と殺してきたのに…その事実が胸を抉る。俺のせいでストラスが死ぬ、俺が気を抜いたからストラスが死ぬ。なんでストラスが死ぬんだ、気を抜いたのは俺だったのに。
「………………」
手を見る、そこには血がべっとり着いている。敵の血とストラスの血が混ざっている、全て俺が殺した『人間』の血だ。
「嗚呼…こりゃあやばいわ…」
その瞬間、自覚してしまったんだ。今まで見ないようにしていた…命というものを見てしまった。転がっている死体全てがストラスと同じ人であることを認識してしまった。
『敵』ではない、『人間』だ。何処かで麻痺していた何かが急速に動き出した…ストラスを一個人として評価していたが故に、それが俺が殺した死体の山の一部となった事で…それら全てが人に見えてしまったのだ。
そうなったらもう終わりだ、人を人としてみたら人殺しは終わりなんだ。例えどれだけ頭で冷静になろうとも、例えどれだけ心を殺そうとも、一度覚えてしまった認識は食い込み続ける。
「……………」
ストラスの死に顔を見て、俺は静かに目を伏せる。ストラスは俺の後を継ぐ未来だった、その未来が今こうして死んだ以上…もう俺に出来る事は何もないのだろう。
もう、終わりなのだ。
その瞬間からだろうか、俺が殺しを遠ざけるようになったのは。銃を向けて『殺そう』とすると、かつて殺した者がそいつの背後に見えるのだ。その顔ぶれの中には当然ストラスもいる。そこに一瞬の躊躇が生まれる、殺し合いの中で一瞬の躊躇があればどうなるかは明白だ。
もう俺にかつての殺しは出来ないとモース団長に謝罪をして、殺しを戒め、俺はせせこましい空き巣へと転身した。というより…仕事の最中に人と出会わない仕事へと道を変えたというべきか。
一度染みついてしまったトラウマは俺から殺しを奪った、殺せなくなったヒットマンは弱くなる一方だ。俺はきっと生涯賤しい空き巣として生きていくことになるんだろう…全ては。
───────────────────
「全ては…俺が信条を崩したからだ」
メルクリウスの消えた穴を見下ろしながら俺は歯を噛み締める。そうだ、今なら言える、俺が俺でなくなったのはストラスが死んだ時からじゃない。信条を崩したからだ。
無人のシャックスとしての信条を崩したその時から俺は弱くなった。心に据えた一本筋を通せなくなったから俺はストラスを死なせてしまったんだ。スラトスは悪くない、俺が俺で決めた事を守れなかったのが悪いのだ。
信条を守れない奴は、強くなれないから。
「………そして今、俺はその信条をまた破ろうとしている」
空き巣として人は殺さない、それは俺が立てたもう一つの誓い。それを破ってでも俺はヒットマンとしてもう一度殺し合いの場に立っている。ナールかメルクリウスを殺した時点で俺はもう一度信条を破ることになる。
今度はどれほどの罰が降るか分からない、もしかしたらもう賊としてやっていくことが出来なくなるかもしれない。というより信条を何度も破る奴が…モース団長について行っていいはずがない。
だから…。
俺はこの仕事を終えた後、このサラキアの街と共に…死ぬんだ。
「さぁ、もうそろそろ終わりにしようや…メルクリウス」
これは俺の人生最後の戦いだ、その最後の相手に相応しい女と出会えた幸運に、神の存在を感じながら俺はメルクリウスの開けた穴の中へと身を投じ、最後の戦いへと挑んでいく。




