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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十四章 闘神ネレイド、炎の大一番
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455.魔女の弟子と神の見ぬ星


「美味しい〜!これ何〜?美味しい〜!」


「今までで一番美味しいかも〜!」


「サクサクしてるのに中はトロトロしてて!美味しい!」


「ははははは、そりゃあ良かった。作った甲斐があるぜ」


昼食の時間、アマルト様の手によって振る舞われるのは山のような揚げ物。見ていて気持ち良くなる黄金色にカラッと揚げられたのは丸められた小麦の玉だ。帝国でも良く見る簡易食糧に似ている。


よく練った小麦に何某かの食材を混ぜてよく揚げ、一緒にカリカリになったそれを食べるという代物がある。どうやらアマルト様はそれを応用して…ピザを作ったようなのだ。


サクサクした生地の内側にはペーストしたトマトとチーズとベーコンとタマネギ…ピザ感を楽しめる物を詰めてある。それを揚げることでピザを焼く手間を省きつつ沢山の量を一度に作り上げる事に成功している。


私も先程頂きましたが、これはとても美味しい。何より凄いのは噛んだ時軽く力を入れただけで砕けるくらい生地を薄く、されど形が崩れない程度に厚く、生地の厚みを調整しているところ。これを数百個規模で用意しているんだから…本当にアマルト様は料理の天才だ。


「へへーん、大好評。鍋物が続いてたからカラッとした揚げ物を出したかったところだったんだ。サンキューな?アリス、イリス」


「いえ」


「お役に立てて光栄です」


どうやらこれはアリスとイリスの入れ知恵らしい、二人ともとても料理が上手ですし、当然と言えば当然ですね。とても誇らしいです。


さて、今日の昼食はこれでなんとかなりましたが…。


「………………」


チラリと私は視線を移し、ササッと重芯をブレさせずスライド移動して、彼女の横に座る。


「如何ですか?エリス様」


「美味しいですねぇ、メグさん」


子供達のおもちゃにされ、ピンク色の服を着て髪を二つに結っている彼女が微笑む。なんて無邪気な笑みなのでしょう、本来ならば喜ぶべきなのでしょうが…元々のエリス様からかけ離れ過ぎてなんだか私は悲しいです。


「…どうですか?なんかこう…戻りそうですか?記憶とか、思い出しそうですか?」


「?」


「うーん、無理そう」


がっくりと肩を落とす。アマルト様は『ある意味、今のエリスが本来エリスが持ち得た人格や性格なのかもしれない』と言ってはいるが。


私は、そうは思わない。エリス様はエリス様、他の誰かだった可能性などない。だから私としてはエリス様に戻って欲しいのですが。今のところ何の進展もない。


メルク様が戻った以上…エリス様も元に戻るはずなのですが。


「………………」


「モグモグ…」


…そう言えば、記憶を失っても、体に染み付いた経験は消えないと言います。エリス様は今まで多くの戦場を駆け抜けてきた謂わば一流の戦士…なら、もしかしたら。


攻撃を加えたら、体が反応して…もしかしたら連鎖的に記憶も戻るかも、荒療治にはなりますが…もしかしたらという可能性があるならば。


「………………」


静かに拳を握り、アマルト様もピザボールを頬張るエリス様に向け…闘志を滲ませるエリス様はこういう気配に敏感ですし、分かりやすいように…大きくモーションを取って。


…今だ!いけーっ!


「フッ!」


「え?メグさ…ひぎー!?」


「あ!」


しかし、残念かな私の淡い期待は期待のまま終わる。私の拳はエリス様の頬をぶち抜いて椅子から転げ落ちさせゴロゴロと転がり、…受け身も防御も取れないまま彼女は地面に大の字で倒れ。


「へ?…」


痛み以前に、なんで殴られたかもわからないという顔でこちらを見てくる…。や…やってしまった、私は…なんて事を。


「あ、あの、エリス様…私は…」


「ひぐっ…うぅぅ…!」


「え!?泣き出した!?」


終いにはポロポロと涙を流して蹲ってしまう、え…エリス様を泣かせてしまった…私がエリス様を…。


呆然としながら思い出す、そう言えば…デティ様が言っていた、今のエリス様の状態は赤子に等しい状況だと。そんな状態で殴られたならば、当然泣くよな…いや友達だと思ってる人間からいきなりグーパンチもらったら泣くか、私も泣くもん。


「あー!メグさんがエリスさん泣かしたー!」


「え!?」


「エリスさんかわいそー!よしよし!」


すると泣き出したエリス様を見て子供達が寄ってきて、あっという間に私は悪役…いや悪役というより全面的に私が悪いのではありますが。薄らと感じ始めていた罪悪感を殊更際立たせるような責めの視線に、私の心はくるりとひっくり返し自罰的に俯く。


「おい、お前何やってんだ」


「アマルト様…すみません、もしかしたら攻撃を加えたらエリス様が戻るかと思いまして」


「で、顔面パンチしたと」


「はい…」


「焦ってるのか?お前らしくも無い…いや、らしくもなく無いか?平常運転?いや分からん、分からんけど…あんま可哀想なことしてやんなよ」


「反省しています、申し訳ございませんエリス様…」


「うぅ…ごめんなさい…ごめんなさい」


「そ、そんな謝らなくても…」


「ごめんなさい…ごめんなさい、殴らないで…殴らないで…」


「………………」


殴られる事への異常な恐怖心、最早エリス様は殴られた事以上の何かに対して恐れを抱いているように見える。蹲って頭を掻きむしり…。


まさか…これは。


「怖い…怖い、殴らないで…殴らないで…」


「………………」


元に戻らない方が幸福かもしれない…と、語ったアマルト様の言葉がなんとなく分かった気がした。私は…本当になんて事を………。




「大変だ!お前達!」


「ッ………!」


刹那、場の空気が一変する程の叫び声が寺院に響き渡る。食堂の扉を蹴破り現れたのは…ラック様だ。彼は冷や汗を振り払い、私達に向けて…。


こう言い放つ。



「神聖軍が現れた!子供達を寺院の奥へ!…来たぞ、戦いの時が」


神聖軍襲来の知らせであった。



………………………………………………………………………………



「準備が出来たぞ、これからナールの家に向かう」


作戦はこうだ、アデマールさんがナールの家を訪ねる。権威を失ったとは言え元は教皇、さしものナールもアデマールさんの事は無視出来ない。そこで二人きりなるようアデマールさんが誘導…そこにアデマールさんの護衛として変装して同行していた俺達が正体を表しナールを拘束。


そこで彼に『侵攻をとり止める文書』を書かせサラキア司祭が持ち得る金印を押させる。そうすればもうクルスを通さずとも侵攻を止めることができるんだ。その文書を持ってヴェルトがガイアまで走り神聖軍に届ける。


ヴェルトの足があれば馬車で数日の距離も十数分で移動出来るらしい。とんでもない話だが…元はデニーロやグロリアーナ総司令と肩を並べたカストリア四天王の一人だ、そのくらいわけないのだろう。


と言うわけで…。


「よし、行くか!」


「ああ!」


俺とメルクさんはヴェルトが持ってきてくれた神聖軍の甲冑に身を包む。顔はフルフェイスの兜を被れば分からない…が、問題があるとするならデティだ。彼女の体に合う甲冑は無い、と言うかデティの身長で甲冑着てたらそれはそれで目立つ…ということでヴェルトが代案で持ってきてくれたのは。


「私、今凄いショックなんだけど」


「そこは勘弁してください、デティフローア様…これしか無いんです」


「それは良いんだけどね、びっくりだな…人間って屈辱とか恥辱を超えると怒りじゃなくて純粋にショックを受けることしか出来なくなるんだなぁ」


そこには喋るスーツケースが。…デティだ、中にデティが入ってる。ヴェルトが必死に中で過ごしても辛く無いようになるべく大きな物を探したり空気穴を作ったりクッションを入れたりしてくれているから辛くは無いんだろうが。


ショックなんだろう、鞄の中に入れる上特に問題ないことが。どんだけ自分が小さいかを再確認しているってところか。


「デティフローア様は俺が責任を持って運びます」


「ありがと、ヴェルト」


「はい!お任せを!」


キッ!と真剣な面持ちでデティ入りのスーツケースを片手で持ち上げ、なるべく揺らさないよう歩き出しヴェルト。にしても…すげぇいい騎士だな、ヴェルトは。


忠義に厚く、実力もあり、度胸も持ち合わせている。ここまでの騎士は中々居ない、正直俺でさえ欲しいと思ってしまうほどの男だ、クルスの下で働かせておくにはあまりにも勿体ない。


なんでこれほどの男がスピカ様を裏切って野へと降ったのか…疑問しかない。


「さぁ、行くぞ。アデマール・クルセイド…人生最後の大一番じゃ…!」


そして覚悟を決めたアデマールさんが酒場の扉を開けていざナールの居る居宅を目指す。既に街は先程の神聖軍の大暴れで混乱しているようで、俺達に目を向ける余裕は無さそうだ。


「…ネレイドさん居ないね」


シャッ!とスーツケースの金具の一部が横にスライドして、中に居るデティの目が見える。それそう言う仕組みになってるんだ…。


「ああ、…俺達を探してるのかな」


「いや、さっき本部に戻った時話を聞いた。オケアノスが巨人女を捕らえたって話をな」


「なっ…!」


ヴェルトが言うに、ネレイドがオケアノスに倒され捕らえられたと。ネレイドが…そうか。


「どうする?助けに行くか?」


「当たり前だ、だがナールの件を終わらせてからだ。ネレイドは俺達を前に進ませる為にあの場に残ったんだ、ここで俺達がネレイドを助けに向かっても彼女は怒るだろう。…彼女はそう言う人だ」


「ああ、それに捕まったと言う事は直ぐには殺されないはずだ。まだ時間の猶予はあるはず…一応どこに居るかは分かるか?ヴェルト殿」


「ああ、神殿の地下にある牢獄だ。そこで捕らえられているって話は聞いた…」


「そうか」


あそこにいるんだな、待っててくれよな、ネレイドさん。直ぐに助けに行くから。


「ラグナ」


「ん?なんだ?」


「ううん、ここからしばらく落ち着けなさそうだから先に聞いておいて、モース大賊団について」


「あ?ああ」


すると金具の隙間から見えるデティの目がこちらを向いて。


「オセの魔術が分かった、彼女は確かに水蒸気を操る魔術を使っている…けど基盤になるのはそこじゃない、彼女は武器は『沸騰魔術』だよ」


「沸騰魔術?」


と俺が疑問を口にするとヴェルトがチラリとこちらを見て。


「ああ、それなら俺も使えるよ。『シルバーボイラー』ですよね?デティフローア様」


「流石詳しいね、そうだよ」


「コーヒーに使うお湯を沸かしたりするのに使ってる。水の温度を急激に上げてお湯を作る簡易的な魔術だよ」


確かにオセはお湯を使っていたな、教会に殴り込んできた時もお湯の波を使っていたし…しかし。


「それ、強いのか?」


そう俺が聞けば、ヴェルトが苦笑いをして首を振る。


「強い弱いと言うか、こりゃそもそも攻撃に使える代物じゃない、一度に沸騰させられる水はコップ一杯程度。これで攻撃するくらいなら炎でも出したほうが効率がいい」


「そう、でもオセはそれを波のように用意してた。恐らく自分で少し魔術を改造して大量水を一気にお湯に出来るように改造してるのかも。それに加えて水流を操る魔術でお湯を操ったり蒸気を操ったりしてるんだと思うよ。だから彼女の魔術の起点は沸騰魔術のコンボだと思う」


「沸騰か…うーん、いまいち強さが分からない」


だがそれでもオセは三番隊の隊長を務めている。サラキアにきているであろう隊長格の中では最強の存在だ、カイムとアスタロトに次ぐ実力者。何か強さに繋がる物があるんだろうが…分からないな。


「ともかく、その手の魔術師ってのは環境によって強さが増減する。特にこのサラキアじゃあそのオセってのは油断ならない存在になるかもしれませんね、デティフローア様」


「そうだね、なんせここには…お湯の種になる水が大量にある」


あちこちから噴き上がる噴水、これが全部オセの武器になる可能性がある…か。そう考えりゃおっかねぇな。にしてもアイツらどこに消えたんだ?引き続きナールを狙ってる…って考えてもいいんだよな。


「お前達、そろそろ無駄話を止めるのじゃ。軍本部が見えてくる…ここからは神聖軍の兵士だらけじゃぞ」


「おっと、ラグナ君…メルクリウス君、俺の後ろに。一応俺幹部だから…前を歩いてたら色々言われる」


「あ、はい」


大通りを抜けると、見えてくるのは荘厳な鐘を鳴らすナウプリオス大神殿。ここまで来ると街の飾りがより一層豪華になり、巨大な水路に挟まれた道の真上を噴き出した水のアーチが輝いている。


惜しげもなく水を使った威容、こんな状況じゃなければ足を止めて眺めていたいくらい綺麗だ。


「…あ!ヴェルト様!お疲れ様です!」


「ん、ご苦労〜!」


「そちらの方は…あ、アデマール様!?」


「なんじゃ、何か用かね?」


「い、いえ…」


近寄ってきた兵士達がヴェルトを見て敬礼したかと思えば神父服を着たアデマールさんを見てギョッとする。神聖軍は纏めてクルス側だからな、アデマールとは対立…とまでは行かずとも思うところがあるのだろう。


「どちらに行かれるので?」


「アデマール様がナール神父と話があるってんで護衛を引き受けてるのさ」


「えっと、クルス様はそれを知っているので?」


「ん?いや?なんか忙しいみたいだったし?」


「いやそれはヴェルト様も一緒でしょう、いつになったら遠征に向かうのですか」


「あはは、そりゃこれが終わってからさ。直ぐに追いつける」


「はぁ…ん?」


ふと、若い兵士の一人がヴェルトの手に持つ大きなスーツケースを見るなり…。


「お荷物ですか?私がお持ちします!」


そう言ってスーツケースの持ち手を握るのだ、彼はきっと上官が重そうな荷物を持っていたから持ってあげようと善意100%で言ったのだろう、だが兵士がスーツケースに触れた瞬間。


「これに触るんじゃねぇっ!!」


「ヒッ…!?」


もう信じられないくらい激怒して鬼の形相で怒鳴るヴェルトに思わず平氏は尻餅を突き恐怖する。いや俺でもビビるくらいやばい剣幕なんだもん、確かに兵士にスーツケースを持たれたら『あれ?中に人が入ってね?』となって疑念を持たれるのは分かるが…にしてもにしたってだろう。


「あ、悪い。これはアデマール様に任された荷物だからちょっとびっくりしちまったんだ。怖がらせたか?」


「い、いえ…失礼しました…」


「おう、またな」


手を軽くグッパッ!と開いて別れを告げ立ち去るヴェルト、それに対して再びスーツケースの金具がシュッと動きデティが目を出して。


「ヴェルト…怒り過ぎ」


「す、すみませんデティフローア様…でも俺」


「分かってる、気にしてくれてるんだよね。お父さんのこと」


「………はい」


ヴェルトは静かに前を歩くアデマールさんの背中を見て、いやその背中からまた別の何かを感じ取り目を潤ませ。


「俺は…今度こそ、守りたくて…」


「うん…聞いてるよ、ヴェルトがどれだけお父さんの為に頑張ってくれたかを」


「……ありがとうございます、デティフローア様…」


「こっちこそ、だけど次からはやんわり断ってね?私もびっくりしたから」


「はい、肝に銘じます!」


グッ!と拳を握るヴェルトを横目で眺めて、俺はアデマールさんに視線を移す。さてと…本部の直ぐそこにナールの家があるんだったな、あそこにあるのがナウプリオス大神殿で…その隣の立派な建物が神聖軍本部…。


広大なスペースに練兵場があるが、いまいち使われている感じはしないな、なんなら練兵場の中にあるサッカーコートの方が使われている印象を受ける。


そして、そのサッカーコートの向こうにある大きな大きな噴水が噴き出す水のカーテンの向こうに見える、立派な館。きっとあれが…。


「見えてきたぞ、ナール邸じゃ」


大きな白塗りの館、あちこちに金の細工が施された美しい出立と壮麗な門構え、庭先には芝が生い茂り女神を模した噴水が二つ。なんとも金のかかってそうな館の前には神聖軍の兵隊が巡回を続けている。


「凄い館だな、巡回の兵士はいつも居るのか?」


「ああ、その日の当番が決まってて。常に三十人近い兵士が銃で武装して見回っている、下手に近づけば即座に銃撃が始まり…」


「その銃撃を聞きつけて本部から更に増援が…というわけだな」


「その通りだメルクリウス君、だからここで騒ぎは起こすなよ」


「お、起こさん」


「微妙に頼りなさげな返答なのはなんでなのよ」


ナールがどれだけクルスから大切にされているか分かると言う物だ、ぶっちゃけて言ってしまえばナールは東部クルセイド領を支える柱に近い存在だ。なんせ領主のクルスがあのざまだしな…。


「止まれ!ここから先はナール様の居宅で…って、ヴェルト様?」


すると、丁度巡回の兵士達が俺たちを見つけて銃を構えたまま寄ってくるんだ。さっき騒ぎがあったばかりとは言え問答無用で銃を構えてやってくるとは…よく訓練されてるじゃないか。


「ああ、俺だ。悪いな、客人だから通してくれや」


「客人?そんな話は…」


「俺がその話を許可してるからいいんだよ、だから俺がこうして対応してるだろ?」


「確かに、申し訳ありませんでした」


ヴェルトが数度声をかけるだけで兵士達は銃を引いて道を開けてくれる、ヴェルトが味方についてくれたのはやはり大きいな。これなら神聖軍の兵士達に邪魔されることなくナールのところに行けそうだ。


「よし、ナール!ナールはいるか!」


今度はアデマールさんが動く、硬く閉ざされた門に向けて拳を数度叩きつけ声を張り上げると…。館の奥からドタドタと足音が聞こえ。


「あ、アデマール様!?」


そんな情けない声をあげてあのナールが呆気なく顔を出したのだ。門を少しだけ開きチラリと覗くように顔を出し門の前に立つアデマールさんを見てギョッと表情を変える。


アデマールさん曰くナールはアデマールさんを無視出来ないとの事だったが、どうやらその言葉は本当だったらしい。


「うむ、久しいのうナール」


「アデマール様!以前言ったでは無いですか!貴方にこうして尋ねられるだけで迷惑だと。こんなところクルス様見られたら…!」


「なら早く館に入れんか。この老体が態々街から歩いてきてやったのだぞ?」


「ぐ…ぬぬ、どうぞ…」


「うむ、護衛も一緒に入れて良いな?」


「護衛?…ヴェルトか」


「おう、なんか文句あるか?」


「……ある、だがお前も私の家の前に居るだけでも迷惑だ、とっとと入れ、そして帰れ」


「ほいほーい」


そうしてナールの招きにより俺達は後も容易くナール邸の中へと入り込む事が出来た。玄関を潜ればそこには数多くの調度品の置かれた豪華絢爛な内装が広がっており……。


…ってことはなく、寧ろどちらかと言うと質素とも言えるくらい物の少ない玄関先が広がっていた。棚とかそう言う必要最低限のものしか置かれていない、なまじ館が豪華な分物が置かれてないからちょっと寂しさを感じるくらいだ。


意外だな、ナールのことだからもっと豪華なもんかと思ってたのに。


「俺お前の家に来るの初めてだわ」


「ふん、普段は人を入れんからな」


「メイドとかもいないのな」


「バカめ、そんな物家に入れて寝込みを襲われたらどうする」


「どんだけ暗殺を怖がってんだお前は…」


どれだけ人を信用してないのか、ナールはそもそも人を家に入れること自体を嫌っているようだ。故に従者さえ雇っていない…か。ここまで来ると天晴れだな。


「ささ、アデマール様。こちらに…ん?」


「どうかされたかな?ナール」


「いえ…」


アデマールさんを部屋に招くにあたって護衛の俺達とすれ違うことになるのだが、その際ナールが何やら怪しむような顔を見せる。一瞬気が付かれたかと思ったがナールは特に何か言うこともなく俺達をリビングへと招き。


「さぁアデマール様、ソファへ」


「ああ、感謝する」


「それで、今日は如何なる要件で?貴方が態々我が居宅を訪ねてくるなんて珍しい…。まさかガイアの街の侵攻のことですかな?」


深くソファに腰を下ろすアデマールさんとそれに向かい合うように座るナール。さて、ここからだな、チラリと俺はヴェルトに目配せをすると彼は分かっているとばかりに静かに頷き。流れるような動作でスーツケースを床に置き、一切疑われることなくナールのソファの裏手に回る。


「そうじゃ、あそこは我が友ヒンメルフェルトの眠る地。あそこで無用な諍いを起こすのは避けたい…どうか侵攻を止めてはくれんだろうか」


「私に言われても困ります、私はクルス様の命令で動いておりますので」


「ハッ、冗談はよせ。あれにそのような時勢を見極めるような器用な真似は出来ん。大方お前の耳打ちあっての事、ならばまたお前が一言据えれば彼奴は容易く掌を返す…そうだろう。お前は昔から賢かった、儂が育てた生徒の中で一番強かな頭脳をしておったからな」


「……いえ、それはどうでしょうか。私には今更何も出来ませんよ、いくら大恩あるアデマール先生の頼みでもそれはどうにも」


まるで布を揉んでいるように手応えがない。のらりくらりとでも言おうか、ナールは自分には何も出来ないと惚けて続けアデマールさんの言葉を巧みに交わしている。


ナールの言葉が事実かどうか…それはこの際関係ない、彼が侵攻を取りやめるという意思を表明してくれるだけで良いのだ。だからこそアデマールさんは懐から一枚の紙を取り出し。


「ならばこれに金印を押してくれるだけで良い」


「これは?」


「侵攻を取りやめるという声明だ、これにお前の印があればあとはこちらでなんとかする。だからナール…印を押せ」


「……………」


差し出されたのは今すぐ侵攻を取りやめるとの言葉を綴った一枚の文書。これだけではただの落書きにも劣る代物でしかないが、ここにナールが書いた物であるという証明があればそれは忽ち力を持つ。


神聖軍の侵攻を食い止めるだけの力を持った、歴たる声明となるのだ。それを前にナールは静かに紙を見下ろし。


「……いきなり訪ねて来たかと思えば…、クルセイドというのは、どいつもこいつも…勝手な事ばかり言いやがって…」


ぎりぎりとナールの拳が音を立てる、まるでソーセージのようにでっぷりと肉の乗った指が締められ白く染まるほどに力が入り震える。怒りだ、明確な怒りを滲ませている。


しかし今更引くわけにはいかないとアデマールさんは更に前のめりになり文書を突きつけ。


「ナール…、今すぐ印を押せ!」


そう迫る、しかしナールの返答は…。


「ふざけるな!侵攻はやめん!!!」


拒絶だ、またも拒絶。怒りを込めて突きつけられた文書を叩いて弾きアデマールさんに対して怒声を浴びせかける。


「ナール!何を言うか!こんな侵攻に意味などない!」


「アデマール!現役を引退して長いお前に何が分かる!ガイアの街の有用性を理解していないお前に!何が分かる!」


「お前こそ!テルモテルス寺院の院長に返り咲きたいという願望だけだろう!」


「ああそうだ!あの寺院は私にこそ相応しい!あの街は私の手にあってこそ意味がある!ヒンメルフェルトのくだらん慈愛の精神しか受け継いでいないアルトルートの手元に置かせておく必要はない!武力や権力を用いてでも奪わねばならんのです!そしてそれを長引かせては全てが無意味になる!」


「やめんか、やめんかナール!全てはあるがままに…テシュタル様の教えにもあるだろう」


「聞きたくないわ!その教えを守ってテシュタルが我々に何をしてくれた!教えを守り許しを乞うて東部の大地が潤ったか!?まやかしに過ぎない祈りに意味などない!そして…今我々には意味のないことをしていられる程、余裕はない!」


「どうしてもか、どうしてもやめんか!」


「何を言われようとも同じだ!全く…いきなり訪ねて来たかと思えば、貴方は昔から何も変わっていない、そんなだからクルス・クルセイドのような歪んだ化け物を生んだのだ!」


ナールは意固地…と言うより何か確たる思考があってどうしても引けないと言った様子だ。俺はてっきりこうやってアデマールの護衛に囲まれれば暴行を恐れてホイホイ印をするものと思ったが、意外に頑固なやつなんだな。


「やはりナールは…」


「ん?どうした?メルクさん」


「いや、少し気になる事があってな」


そして、その何かにメルクさんは思い当たる節があるようだ。まぁここで『それってなぁに?』って聞ける状況じゃないから深くは聞かないけどさ。


「ッ…そうか、残念だ…!」


ギロリとアデマールさんがナールを…いやその背後のヴェルトにアイコンタクトを送る。するとそこからの動きは速かった、すぐさま鎧の内側から頑丈な麻縄を取り出したヴェルトは一瞬にしてナールの体を覆うように縄を展開して。


「ぬわっ!?何をする!?」


瞬きの間にナールの体をソファの背もたれに巻き付けその場に拘束すると同時に、開かれたナールの股の間に剣を刺し、動きを封じる。


「ひっ!?」


「悪いなナール、俺達も余裕がねぇんだ。神聖軍が遠征を始める前ならもうちょいやり方もあったんだが…恨むなら仕事の早いメーティスを恨みな」


「ヴェルト…!アデマール…!こんなことをしてタダで済むと思うなよ!」


「そりゃこっちのセリフだよ…っと」


そろそろいいだろうと俺とメルクさんが兜を脱ぎ去り…。


「どぉらっしゃーっい!私推参!外道は何処だ!」


デティがスーツケースを突き破り誕生する。いきなり現れた俺達を見てナールの顔はみるみるうちに青くなり…。


「お前達は!テルモテルスの!」


「よっ!さっきぶり!」


「くっ!貴様ら全員通じていたのか!騙したな!アデマール!ヴェルトォォオ!!!」


「うん、騙した。いーじゃん、お前もたくさん騙して来たんだろ?お釣りが帰って来たと思えって」


「くそぉぉおおお!私を殺すつもりかぁぁぁああ!!」


「なんでそうなる…」


半狂乱、全力で体を振って暴れまわるがヴェルトの縛った縄はキツくナールを拘束しておりその程度では抜ける気配はない。こう言うのを悪足掻きって言うんだ…と俺は直ぐに窓際に寄って外を確認する。


兵士達が騒ぎに感付いてないか…と思ったが、これが全然気づかれてない。恐らくは水音だ、この街はそこかしこに噴水があり常に水が水面を打っている、だから室内の音が外に漏れても気が付きにくいんだ。


悪さをするにはもってこいだな…。


「くそぉぉお!離せぇぇえ!!」


「金印を押してくれたら離すぜ?」


「断る!絶対に!断る!」


「じゃあ仕方ないわ、金印って人差し指と親指があったら押せるよな?じゃあそれ以外は必要ないよな?取り敢えず左手と両足、それ全部一個づつ落としていく、一分経つ毎にゆっくり切断していくから」


「ひぃぃいいい!」


しかしヴェルトは恐ろしい程手慣れているな。あれは友愛の騎士団時代に培った物か?それとも長い放浪生活で得た物か?どちらにせよ…やっぱりこの世で一番怖い人種ってアジメク人なんじゃねぇの?


ふと、俺はナールの尋問に加わる前に…気がつく。メルクさんが先程からナールの部屋の物色をしていることに。何か気になることでもあるのかな…。


「まだ応じない感じか?…仕方ない、デティフローア様…ここはアジメク式の拷問をやりますか」


「いいよ、仕方ないもんね」


「あ、アジメク式?」


「おや?ナール君はご存知でない?可哀想に…デティフローア様、教えてやってください」


「ナール君は知ってるかな?アジメクって医療や治癒魔術がすごーく発展してるんだ、だからちょっと傷付けたくらいじゃ死なないし死なせないのよねぇ、指とかさ?一回落とされたら終わりだと思うでしょ?残念、治癒魔術があったら君の親指を十回でも二十回でも落とせるんだなぁこれが!」


「アジメクの拷問官はみんな変態でさぁ!囚人の親指コレクションしてるやつとかもいたなぁ!内臓を取り出して乾かして部屋に飾ってる奴もいたよ!そこまでやっても囚人は死ねないんだから可哀想で可哀想で!」


「あー!そうだ、あれやる?肋骨を砕いてから治癒で治すの。腕のいい治癒魔術師ってのはワザと痛みを与えながら治せるんだよ。ゆっくりじっくり…体の内側で肉を引き裂きながら骨が再生する感覚…ここでしか味わえない!お得!」


「いいですねぇ!俺得意っすよ!肋骨を一撃で粉砕するの!肋骨って折れると痛いよなぁ!知ってるか?ナール君!痛みで狂っちまうかもな!」


「廃人になっても大丈夫!私治せるから!」


「よかったなぁナール君!死んでも狂えないし狂っても死なねえよ!」


「ひぃ、ひぃぃ…!」


アジメク人怖え…。アジメク主従コンビによる怒涛の責め立てにナールは歯を食い縛り何もされてないのに痛みに悶えている有様だ。実際やろうと思えばあの二人ならできるだろう、デティに至っては腕を切り落としても完璧に治せるからここでナールの四肢を切り落としても全然生かしておける。


そう思えば、アジメク人以上に拷問に適した存在はいないだろう。


「どっか〜ら落とすか!どっか〜ら落とすか!親指か?小指かな?」


「そっれとも皮を剥ぐか目を取るか、それともそれとも〜?」


『全部かぁぁああ!!』


「ひぐっ、ひぃぃいん」


地獄みたいな歌をアジメク組に聞かされナールは涙を流して怖がるが…。


しかし、それでも絶対に首を縦に振らない。ナールという男を俺はみくびっていたかもしれない、いやあるいはヴェルトもか?ここまでナールが頑なに侵攻を強要するとは。


こいつ、本当にただの虚栄心でガイアの街を侵攻しようとしてるのか?


「チッ、しゃあねぇ…脅しじゃねぇってところ見せてやるか」


「待った、ヴェルト殿」


すると、これから拷問に入ろうかというタイミングで割って入るのは…メルクさんだ。


「あん?どうした?メルクリウス君」


「……ナールと二人きりで話がしたい。みんな部屋を出てくれないか?」


「は?なんで?」


「なんでもだ、頼む」


「………」


ヴェルトがこちらを見る、信じてもいいのか?って。そんなもん決まってるだろ。


「…一旦部屋の外に出よう、メルクさんに何か考えがあるんだろ」


「分かった、アデマール様もそれでいいですか?」


「構わん」


メルクさんが二人きりにしてくれというのならそうしよう、彼女に何か考えがあるならそれに乗るべきだ。これは俺の直感だが…ナールは多分どれだけの痛みを与えられても意見を変えないと思う。何かこいつには…痛みや恐怖さえ乗り越えさせるものがあるだろう。


なら、それを突破するには…メルクさんの力が必要なんだ。


だから俺たちはメルクさんを信じて一旦部屋を出ていくこととする。


あとは頼んだぜ?メルクさん。


…………………………………………………………………


「……ナール」


「…なんだ、私を殺す気か」


私はラグナ達を部屋の外に追い出し、先程までアデマール殿の座っていたソファに腰を下ろしながらナールの目を見つめる。恐怖に怯えきった瞳だ、だが恐怖には屈していない。不思議な目だ、こんなに怖がっているのに…諦めていない。


こいつ、見かけ以上にやるぞ…。


「殺す気…か、なら」


そう言って私は銃を机の上に置き、怯えるナールを睨みつけ。


「死ぬのは怖いか?ナール」


「当たり前だ」


「なら聞き方を変えよう、死ぬのが一番怖いか?」


「…………」


「違うか…」


死ぬのは怖い、だが最も恐るものではないのだ。だろうな、我々はナールという人間を勘違いしていた。或いは勘違いさせられていた。


「先程、お前の部屋に行って来た」


「ッ……、何を見た」


先程ナールの部屋に行き、その様子を見て来た。が…そこにあったのは金庫とベッドと仕事机だけ。相変わらずこの館には調度品も美術品も置かれていない。そこに私は違和感を感じた。


ナールは金を得ている。裏稼業で得た金とサラキア大教会に寄せられた寄付金、多くの収入源を持つ彼にはそれだけの貯蓄がある、しかしそれは美術品にも使われていない。


なら一体どこに行ったのか?…私はそれを確かめるために金庫を錬金術でこじ開け、中を確認した。すると…………。


「お前の部屋の金庫を見せてもらった、だが…中には何も入っていなかった」


「…………」


「お前はこの家に調度品を置いていないんじゃない、メイドや従者を雇っていないんじゃない。調度品を買えない、メイドを雇えない、それだけ困窮している…違うか?」


「…………ああ、そうだ。私の手元には一切の金がない、街に住む民間人の方が貯蓄はあるだろうな」


ハッと自傷気味に笑うナールの目は嘘をついていない。確かにこの家には金はないんだ、なんせこの家からは贅沢の匂いがしなかったからな。おかしいと思ったんだ…。


「ならどこに金は消えている?全て使ってしまったのか?」


「どこに消えた?決まってる…神都サラキアの維持に消えているのだ」


「…なんだと?」


「おかしいとは思わんか?どうしてサラキアがこれほどまでに美しいか、どうしてサラキアがどの街よりも豊かなのか。それは私が稼いだ金、その全額を用いて現状の維持に努めているからだ!」


「お前が?…クルスは?」


「あれが街の為に金を使うと思うか!?サラキアの困窮具合に気が付いてさえいないよ。毎日のように贅沢品を購入しレナトゥスから送られてくる莫大な金を全て他地方の趣向品を取り寄せるのに使っている!お陰でサラキアは疎か東部にさえ金は落ちてこない!」


「それは…最悪だな」


経済的には最悪だ、この地方一の金持ちが地方に一切の金を使わないどころか金さえ落とさない。これでは金は循環しない…言ってみれば体から血が抜け続けているような物だ。


そんな状態の街を支えているのが、ナールだったのか?


「とにかく集められるだけの金を掻き集めてサラキアの維持に資金を投じている。それでも衰退する一方だ…。東部は元々資源に乏しいからな、他の地方から買い付ける物は多くあれどもこちらから出せるものは何もない」


「金は出ていく一方か。…だからガイアの街を?」


「そうだ、あの街の温泉は唯一東部から輸出出来る資源だ!他の温泉とは一線を画する効能と確かな効果!あれをアルトルートの手元で遊ばせておくわけにはいかない!」


「…だがだからと言って侵攻で奪うなど…」


「そうしなければ、サラキアはあと三年で滅ぶ。クルスの無駄遣いと金銭の枯渇で東部の人口の70%が生きるこの街が滅ぶ、その意味が分かるか?今外で暮らしている人間全員が飢えて死ぬのだぞ。なのに今殆ど人のいない街に手を出すなと?阿呆か貴様は」


「……………………」


「分かるだろう、これは剪定だ。無駄な枝葉を切り、より実りある枝葉を活かす。そうしなければクルセイド領と言う大樹は腐って死ぬんだ…!」


そういうことだったのか、通りでナールが頑なに侵攻を止めようとしないわけだ。ナールは…ただこの街を守ろうとしていただけなんだ。やり方は非道だ、やり口は下劣だ、だが…分かってしまう。


もう滅びかけの街と人口の殆どが集中する都市、どちらかしか生かせないとするなら…私はどちらを選ぶだろうかと、そう考えてしまうのだ。


「そもそも、ガイアの街が今も存続しているのは私のおかげだぞ」


「何?」


「知っているか?私がテルモテルス寺院の院長に就任した時の寺院の経済状況。次の日に子供達に振る舞う食事を用意する事さえ難しいほどだったんだ」


「そんなに酷かったか?」


「ああ酷かったさ!ヒンメルフェルトのバカが考え無しに餓鬼を抱え込んで!その癖それを食わせていく方法すら考えていなかったんだ!ただの善意!善意でヒンメルフェルトは餓鬼を引き取り続けていた!…善意で飯が食えるか!」


「…………」


「私がテルモテルス寺院の経営を立て直していなければ、そもそも今あそこで暮らしている子供達は行く当てさえなかったのだ。そんな状態にありながらヒンメルフェルトは祈ることしかしない、アデマールもアルトルートもそうだ、困ったら神に祈って神の教え通りに…!バカしかいないのか!ここには!神が金をくれるか!神が明日の飯をくれるのか!一度だってない!一度だってな!」


ナールは、ただひたすら現実しか見ていなかった。そりゃあ善意で人に優しくすれば好まれる、無償で物を与えれば讃えられる。だがそんな事を考え無しに続けていればいつかは聖人も倒れ伏す、聖人が倒れればその周りにいる弱者も諸共死ぬ。


ナールはそんな聖人の幻想に唾を吐きかけてでも、現実を守る道を選んでいた…か。


「テルモテルスもサラキアも、ヒンメルフェルトとクルセイド家という碌でなし達の所為で傾いていた。それを立て直すには金が必要だった!例えどれだけ恨まれようとも金を得るしかなかった!…だから私はやめないぞ、ガイアの街を持つのに相応しいのは私なんだ、ただの善意で物を使い潰すアルトルートではなくそれを用いて東部を立て直すプランのある私にこそ相応しいんだ!…お前もそう思わないか?」


「…そう…かもな」


「なら縄を解け、今回の一件は不問にする…!だから」


「その前に…聞いてくれ」


「…………なんだ」


だがそれでも、私は彼を許すわけにはいかない…何故なら。


「お前がテルモテルス寺院の経営を立て直すのに、預かった子供を奴隷として売っていたのは本当か?」


「ッ…あ、ああ。本当だとも、あれ以上食い扶持を増やす余裕はなかった、一人増やせばそれだけ全員が食べる量が減る、最後には子供を一日豆粒一つで養わなければならなくなる、だからそれを防ぐ為にも…」


「私の友が、お前に売り払われた子供の一人なんだ」


「…………なんだと」


ナールの顔色が変わる、明らかに変わる。『なんだそんなことか』と笑うでもなく『それがどうした』と強がるでもなく、ただ…顔色を変えて絶句したのだ。


「それは…本当か」


「ああそうだ、お前も見ただろう?あの背丈の大きな女を」


「あれが?…そんな、なら…やはり私を殺しに…」


「なるほど…分かったぞ、お前が異様に暗殺を恐れているのは、刺客を恐れているのではなく、昔自分が売り払った子供達が復讐に来るのを恐れていたのだな」


思うところが何もなかった訳ではないのだ、ナール自身大それた事をしていた自覚はあった。だからこそ恐れた、復讐されるのを、自分は復讐されるに足る人物である事を自覚していたから。


「だ、だが!だが!奴隷と言っても劣悪な物ばかりではない!買い手だって金で買っているわけだから使い潰すような真似はしない!中には子供がほしくて奴隷市場に買いに来る貴族もいるし…、確かに地獄のような日々を送る子もいただろうが食べ物のないテルモテルスに居続けて飢えて死ぬよりはずっと……」


「そんな言い訳がツラツラ出てくるということは、やはりそうなんだな」


「………あ、ああ…そうだとも、恐れていたさ。だがそうするより他なかったんだと言い訳をして、買われた先で…可能な限り良い生活が出来るようにと。私は…」


「…まぁ、確かにその子は良い親に拾われたよ。ナール、君のことを恨んではいない」


「ほ…んとうか?」


「少なくとも私の知る一例限りの話だがな?…しかし我が友は恨んではいないが、その親は違う」


「親だと?」


「ああ、その子の親は…モースだ、モース・ベビーリア」


「最近東部に居座っているというあの山賊王か?そんな…あれの子供を私は!?」


「ああ、奴らが東部にいるのはお前を狙っているからだ。そして先程教会でお前を殺しに来たのはその手先、ナール…お前はモースの娘を売り払った所為でモースに狙われているんだ」


「ッ…そんな」


がっくりと項垂れる、ようやく事態を把握してくれたな…。これでネレイドの疑いも晴れただろう、後は。


「ナール、君の事情はよく分かった。我々は君に危害を加えない」


「もう縄で縛られているんだが…」


「そのくらい許容しろ、だが約束する。私は君を守る、モース大賊団から絶大に守る…だから頼む、ガイアの街の侵攻をやめてくれないか?」


「だが、さっきも言ったがガイアの街を収入源にしなければサラキアは…」


「それもなんとかする、大丈夫。アルトルートにその事を話せば彼女ならきっと答えてくれるし…なんなら私からも説得してみせる。サラキアを守りたい気持ちがあるなら大丈夫だ」


「…………」


彼の肩を掴んで必死に頼み込む、ガイアの街の侵攻はやめてくれ。このままでは子供達の居場所までなくなるし、死人が出るかもしれないんだ。これ以上咎を背負ってどうする、このままじゃ本当にいつかお前は刺されるぞ。


お前はサラキアに必要な人間なんだろう、お前が死ねばサラキアも死ぬんだぞ…!そう伝えるが、ナールは。


「…信用出来ん、やはり私はお前もアルトルートも信用出来ん。私は今綱を渡っているに等しいのだ、なのにそんな…善意で信じるなど」


「…………」


やむなしか、ナールはその善意で今まで被害を被ってきているのだから。その善意で人を信じるなど出来るはずもないか。


だが…、だが!


「ナール!私は…!」


そう説得を続けようとした…その瞬間のことだった。


「──────ッ!?」


刹那、窓ガラスを突き破り…外から何かが投げ込まれたのだ。砕けたガラスの上を転がるそれを見た私は───。


…………………………………………………………


「メルクさん上手くやってるかな」


「さぁ、でも上手くやるでしょ。交渉うまいし」


俺達はメルクさんに促されるままに部屋の外に出て玄関先で屯していた。俺は壁にもたれデティはヴェルトのそばに立ち、ヴェルトはそんなデティを守るように剣を背負い。地面に置かれたスーツケースを椅子にアデマールさんが座っている。


「信頼してるんですね、仲間のことを。あの小さかったデティフローア様にこうも頼りになる仲間が出来るとは…、感激です」


「…………」


「で、デティフローア様?」


ふと、一人で感激するヴェルトをジトッと見つめるデティの視線にヴェルトは小さく首を傾げる。


「えっと、何か?」


「ううん、あのさ。ヴェルトはスピカ先生と喧嘩してアジメクを出て行ったんだよね」


「喧嘩っていうか…まぁ…スケールを問わずに言うなればそうですね」


「そこはいいんだ、ヴェルトが何処で生きていくにしてもそれはヴェルトの人生だし。でもそろそろ聞いてもいい?ヴェルトはなんで神聖軍に加入してるの?テシュタル教徒だったなんて聞いたこともないけど」


確かに、アジメク最強の男がマレウスの真方教会で何をしているのか、それは気になるところだ。もしかしてアデマールさんが関わってるのか?と思ったが…チラリと視線を向ければアデマールさんも分からないとばかりに首を横に振る。


「あ…えっと、実は放浪の旅をしていたところをクルスさんに拾ってもらって〜…」


「それ建前だよね、ヴェルトは知らないかもしれないけど私魔力を読み取って人の感情を読み解く事が出来るんだよね。そして今ヴェルトは真実を話していない」


「……なんですかそれ、凄いですねぇ」


と言いつつヴェルトは困ったように頭を掻いて、腕を組み直し決心したのか目を伏せて。


「実は、俺は今とある存在を追ってるんです」


「とある存在?」


「マレウス・マレフィカルムの中枢組織『セフィロトの大樹』です」


「え…!?」


セフィロトの大樹ってあれだよな、知識のダアトが幹部をやってるマレフィカルムの大元になった組織。なんだってそんな…ヴェルトがセフィロトの大樹を。


「なんで!?」


「マレフィカルムはマレウスを使って、世界を二分する戦いを引き起こそうとしている。…なーんて話を知り合いから聞かされちゃ放っておけないでしょう?…まだ未来を壊されるわけにはいかないんですよ。若い奴が平々凡々と暮らしていける世の中を…壊させるわけにはいかないんです」


腕を組み深刻そうに語るその姿は、何処か未来の話をする師範達によく似ていた、俺達を想い未来を託しながらも守ろうとしてくれている師匠の姿によく似ていたんだ。もしかしたらヴェルトにもいるのかもしれない…命を賭してでも守りたい弟子が。


「んで、どうにかしようと思い立った物の…セフィロトの大樹に繋がる情報は何処にもない。と思っていたんすけど…一つ気になる情報を聞き及びましてね」


「気になる情報?」


「ええ、まだなーんにも掴んでないんですが…もしかしたら、奴らに繋がる物が掴めるかもしれない」


「な、なんなの?私達もセフィロトの大樹を追ってるんだ、マレフィカルムの本部を探してるんだよ!」


「え!そりゃあ……」


そう口を開きかけた瞬間のことだった。


まずデティが気がつく、次いでヴェルトと俺が気がつく。…物の異常に。


「なんだ!?」


「え?ど、どうしたんじゃみんな」


「外に何かいる…!敵意を持った人達が!神聖軍じゃない!」


「なんじゃと!」


館の外に気配を感じる、神聖軍のそれとは違う別の何かを

酷く荒れるようなその気配に俺とデティが、そしてヴェルトが警戒感を露わにした瞬間。…来るか!


「伏せろ!」


刹那、爆裂する扉。巻き込まれないように俺はアデマールさんを、ヴェルトはデティを守り館の奥に飛べば、ナール邸の玄関口が跡形もなく吹き飛び…燃え上がる黒煙の中からゾロゾロと現れる…。


「おや、なんか沢山いますね。思ってたのと違うなぁ…」


見るからにヒョロイ黒髪の青瓢箪…何かを気にしているのか、或いは気にしすぎているのか、ワタワタと親指の爪を噛む青年。あの顔は見たことがある…確か。


「ベリト!」


「あ、よく見たらガイアの街にいた…やだなぁ、何回立ち塞がるつもりなんですか?何回邪魔してくる気なんですか?もしかして今後一生僕の邪魔するつもりですか?」


ベリトだ、それが無数の部下を引き連れて現れた。背後にはゾロゾロと現れる大量の山賊達…、こいつら三人だけでサラキアに来たわけじゃなかったのか。


突如として現れた四番隊隊長『山虎』ベリトの襲撃に俺達は全員で構えを取り迎撃の姿勢を見せる。こいつらがここに来た理由は分かっている、ナールを始末に来たんだろう。だがまだナールを殺されるわけにはいかない。


「ナールを殺しに来たか?…だが残念ながらまだナールを殺させるわけにはいかないんだ、また明日出直してくれ」


「そんな面倒なこと言わないでくださいよ。それに…別に僕はナールを殺しに来たわけじゃないですよ?」


「は?なら何をしに…」


「僕は飽くまで保険です、彼が逃げ出した時捕まえる為の…刺客はもう、向かってますから」


「刺客……」


刹那、ラグナの思考回路が高速で回転する。確かになんでベリトだけなんだ?オセとシャックスはどうした?いやオセは兎も角…シャックス、あの男がこの場にいないのはまずいんじゃないか?


俺が思うに、あの男の使う魔術は最も暗殺に適した魔術とも言える。だってあれを使えば…シャックスは何処にでも入り込める…。


ッ…!まさか!


「───ッ!!」


即座に振り返りナールの部屋へ向かおうとした瞬間…、俺の背後の扉が開かれ、まるで海に穴でも開けたのかと思えるほどの大量の水が扉の向こうから流れ出し、館にいる全ての人間を外に流し出す。


ゴロゴロと転がりながら水流に乗って俺もデティもヴェルトもアデマールさんも、ベリト達さえも外に叩き出される。


やられた…シャックスだ、大量の水を収納していた宝玉を解放したんだ。アイツに館に入られちまった…!


「ゲホッ!ゲホッ!大丈夫か!デティ!」


「問題ないよ!ヴェルトは!?」


「アデマール様は守り切った!…しかし、やってくれたなぁ…こりゃあよぅ」


ヴェルトはアデマールさんをとにかく遠くへ逃しながら剣を構え周囲を見回す。するとそこには倒れ伏し血塗れになった神聖軍達を踏みつける山賊達の姿がある。どうやら奇襲を受けて巡回の兵士は全員やられちまったようだ…。


俺たちが気がつくないほどの速度で全滅ってか?情けねえな…。


「シャックスさんはもう仕事に取り掛かったみたいですね、なら僕達の仕事は…こっちかなぁ」


「へへへ、ベリトの旦那!こいつら殺してもいいんで?」


「いいですよ、いや待って?殺さないほうがいい?いやでも殺すしかないし、でも殺していいとも言われてないし、殺す?殺さない?分からない!分からないよぉっ!」


「よっしゃ野郎共!殺していいそうだ!」


…人数は大体四十人近い、武装は全て一級品、それにここにいる全員が結構な強さだ。ガイアの街を襲撃した時に偶に混じってたメチャクチャ強い山賊達を厳選して連れてきてやがる。


一瞬で蹴散らしていくのは難しそうだ…。それに今館の中にはシャックスがいる。


(ベリトの錬金術は家屋の倒壊を得意としている、放置するのはまずい。おまけにこの数だ…倒すのには時間がかかる。っとなると…)


「ラグナ!どうする!」


「シャックスは…メルクさんに任せる、俺達はこいつら倒すぞ!」


「了解!…ヴェルト!手伝って!」


「勿論!デティフローア様にゃ指一本触れさせねぇ!!」


三人で周囲の山賊達を前に構える。今館にこいつらを近づけさせるわけにはいかない…、中にいるシャックスはきっと…メルクさんがなんとかしてくれると信じよう。


………………………………………………


「ったくよぉ!なんでお前がここにいるかね!」


空を切る高音が耳元で炸裂し、私の身を守る柱に弾痕が残る。その隙を見計らい私も柱から身を乗り出し銃撃を行うが奴は既に戸棚を盾に身を隠してあえなく鉛玉が防がれ私は舌を打つ。


くそっ、やられた、いきなりの事で油断した…!


「どこまでも、お前とは縁があるみたいだな…!メルクリウス!」


「空き巣の誇りはどうした!シャックス!」


柱に身を隠す私と、戸棚を盾にするシャックスの声が響き両者の銃撃戦が激化する。


シャックスだ、いきなり窓を突き破って宝玉が飛んできたかと思えば中からシャックスが飛び出して来たんだ。恐らく自分を宝玉に収め、それを外にいる部下に投げ込ませたんだ。自分を宝玉に収められるなら奴は実質掌サイズの隙間があれば何処にでも入り込めるんだ。


その奇襲を受けた私が咄嗟に奴に攻撃を仕掛ける前に、ナールを奪われた。宝玉の中にナールが囚われてしまった。ナールを取り返さなければ!ここでシャックスを倒さなければナールが殺される。


ナールを失わせるわけにはいかない、奴はサラキアに…そしてこれからの展望に必要な男だ!確かに奴には罪があるかもしれないが…殺されては償わせることも出来なくなる!


「シャックス…!ナールは返してもらうぞ!」


「へっ、出来るもんならやってみな…!」


ここで…シャックスと決着をつける!誰も死なせはしない!!

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