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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十四章 闘神ネレイド、炎の大一番
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448.魔女の弟子と再戦の大賊団


モース・ベヒーリアは生まれついての怪物だった。


圧倒的身長と絶大な戦闘センス、そして他の追随を許さぬ超怪力。自分が他とは違うのだと自覚したのは近所の男の子に混ざって遊んでいる時、軽く背中を押したつもりが跳ね飛ばしてしまい民家の窓に突っ込んだのを見た瞬間だった。


いや親の手を握っただけでへし折った時だったか?、苛立ちで地面を蹴ったら近くの家が持ち上がった時だったか…、或いは柱を片手でへし折っ時?鎖を指で引きちぎった時?


いいや、どれも違う。幼いながらに他者との違いを自覚したのは。扉を開けて家から出た瞬間…周りの人達が動きを止め緊張の面持ちでこっちを見た時だ。あの目は…間違いなく恐れている者の目立った。それを見た瞬間否が応でも自覚する…己が違う存在である事を


幼い頃からモースは全てに恐れられて生きてきた、親も自分を愛さない。外に出ても腫れ物を扱うような目で見られ、味方のいない幼少期を過ごした彼女は物の見事に道を踏み外した。


成人する前に山賊として街を出て以降、彼女はとにかく壊し、とにかく奪い、とにかく戦い、とにかく自らの渇きを癒すように求め続けてその力を悪逆非道の限りに使い続け…。


いつしか彼女の背には多くの部下がついて周り、二十代の後半になる頃には世界最強の山賊なんて呼ばれるようになっていた。



当時を振り返る、モースはあの頃を自身の全盛期であったと思い返る。


「ぶはははははは!もっとだ!もっともっと持ってくるでごす!あーしはまだ食い足りねぇ!!」


あの頃のモースの体はでっぷりと太り贅肉と筋肉の鎧に包まれ、ソーセージのような指に無数の指輪をつけ、パツパツのコートには数多の宝石をつけ、その手にピザを持ち、いつも溺れるように肉と酒を喰らい尽くしていた。


「モース様!流石に食べ過ぎです!それ以上食べるといつか倒れますよ!」


「やっかましいんだよ!新入りが!山賊が節制なんて笑わせる!欲しいもんが欲しくて何が悪い!食いたいもん食って何が悪い!あーしは山賊だ!大山賊モース様だ!ぶはははははは!」


『ヒュー!流石俺達の団長様だぜー!』


「おうお前ら!お前らも食え!お前らも飲め!金ならある!なくなったらまた奪えばいい!それがあーしらの生き方だ!ぶはははははは!」


ドスンドスンと贅肉を揺らし新入りのカイムの忠告を一蹴し、可愛い部下達に飯を奢る。先日街を襲い手に入れた財産で宵を明かす。朝まで飲んで朝まで食べて、それが山賊の生き方だと示すように彼女は暴虐の限りを示す。


酒場を占領しいつものように朝まで宴会を開いていると、いきなり酒場のスイングドアがぶち破られ。


『動くな!騎士団だ!』


「ああ?」


騎士団が突っ込んでくる、どうやら先日街を襲ったのがバレてしまったらしい。いやその前に商人を襲った件か?それとも貴族の屋敷にカチコミをかけた件?まぁどれでもいい。


結局、こいつらはあーしの命を狙ってやってきた奴らなんだ。


「お前がモース・ベヒーリアだな!噂に違わぬ醜悪な見た目よ!」


「この豚の怪物め!今日こそ叩き斬ってくれる!」


「はっ!いきなりやってきて無体な奴らだ!あーしの飯の邪魔をするんじゃ…ねぇっ!!」


「ぐっ!?何と言う…風圧!?」


刹那、モースは腕をブンッと一つ振るう、それと共に放たれる風圧と魔力防壁の拡大に呆気なく吹き飛ばされる騎士団は物の一撃で壊滅。全員まとめて酒場の外に叩き出され動かなくなる。


いつも通りだ、あーしの命を狙う奴は世界中にいる。同じ山賊や貴族に雇われた暗殺者、秩序を守る騎士団や正義漢。皆が皆『醜悪な豚女』とモースを呼んで殺しにくる。


そしてそれをモースは一撃で壊滅させる。それがいつも通りの日常、誰からどれだけ疎まれても関係ない。あーしの家族はここにいる仲間達だけだ、それ以外の者からは例え女と思われなくとも人と思われなくとも構わない。


「ぐっ…うぅ…」


「ぶははははは!ザマァ見ろ!あーしに勝てるやつなんかこの世にいやしねぇんだよ!!」


「流石です団長!私もいつか団長みたいなゴツい体になりたいっす!」


「ぶはは!ならあんたも食いな!ザガン!」


「お、俺も!俺もモース様みたいになりたい!」


「カイム!ガキのあんたはもっとデカくなりな!オラ野郎ども!騎士団の連中の持ち物全部奪い尽くしてやりな!」


「あいよ!団長!」


倒し、潰し、壊し、奪う。それがモースの日常だった、それがモースの全てだった。


これを変えようと思ったことはないし、きっとどこかで野垂れ死ぬまで私は極悪非道の豚女なのだろうと心の何処かで諦めをつけて彼女は生きてきた。




そんな、彼女の人生が…狂わされたのは。


そう…丁度。この日のことだったんだ。


「おうおう、派手だねぇ」


「チッ、今度は誰だよ…」


騎士団を倒し、改めて酒と肉を堪能しようと潰れた椅子に座ろうとしたモースに…再び酒場の外からやってきた人影の声が投げかけられる。


今度は誰だ、何が私の命を狙いにきた。山賊か…それとも騎士団の仲間か、何にせよ構わない。もう私は誰も相手にする気は無い…と周囲の部下達に始末するよう目で命令する。


「了解です団長、オラオラこのやろう!今日はこの酒場はモース様の貸切なんだよ!」


「そうだぜ!関係ない奴はとっとと何処かに消え失せろ!さもねぇとぶっ殺すぞこのやろう!」


「へへへ、慌てんなって。俺ぁそのモースってのに用が…」


「喧しいってんだよ!死ねぇ!」


剣を抜き飛びかかる山賊達、それを見た人影はキッと視線を鋭く尖らせ…。


「よっと!」


「げぶぅっ!?」


叩きのめす。一瞬でファイティングポーズを取ったそいつは目にも留まらぬ速度で弾丸の如き拳を叩き込み、一斉に飛びかかった山賊達を瞬く間に叩きのめしてしまったのだ。


「な!?こ、こいつ強えよ団長!」


腰を抜かした山賊が情けなく宣う、こいつは喧嘩上等で鳴らした実力者だった筈…それがこうも呆気なく

相当出来るようだ。


「……中々やるみたいだね、あんた」


「お褒めに預かり感謝するよ、これでも腕っ節にゃ自信があるんだ」


「なるほど、その腕っ節であーしを殺しにきたってか。無謀な事を…いいだろう。なら望み通りあーしが相手をしてやるよ!」


くるりと振り向き、人影の姿を目に捉える。


そこに立っていたのは、薄汚れた茶色のコートを着込み、テンガロンハットを深くかぶった…ヒゲの男だった。そいつはあーしでさえ竦むような鋭い視線でこちらを見据え…軽く手をかざす。


「まぁ待てって」


「あ?命乞いか?」


「そうじゃねぇ、俺ぁここの酒場にとある噂を聞きつけて尋ねにきただけさ」


「噂…?」


その男は、無遠慮にあーしに近づき…あーしの脂塗れの顔を、醜い豚女と呼ばれ蔑まれる顔を見上げ、フッ…と笑い。


「この酒場にモースって名前の…とびきりいい女がいるって聞いてやってきたんだが、あんたがモースだな」


「あ…ああ?」


「モース、俺の名前はアンテロスだ。俺はお前に惚れた、結婚してくれ」


「は、…はぁぁあああ!?!?!?」


それが…私の人生を変える出会い、…この世で一番イカしたあーしの旦那…アンテロスとの出会いだった。


………………………………………………………………………………


アンテロスと名乗った旅の男は、その旅の最中に『モース・ベヒーリアと言う名のとびきり恐ろしい女が居る』と言う噂を聞きつけて、モース達の元までやってきたと言う。


そして彼はモースと出会うなり告白してプロポーズまでしてみせた。醜悪だと、豚女だと呼ばれ、一度として女扱いを受けたことのないモースを『いい女』だと呼び彼は片膝をつきモースを求めた。


当然、答えはノーだ。ふざけるなとモースはアンテロスに襲いかかった。


がしかし、アンテロスは強かった。恐ろしく強かった、世界最強の山賊と呼ばれたモースを相手にして一歩も引かなかった。まぁ最後にはモースに組み敷かれボコボコにされたものの…次の日には包帯まみれになりながら…。


『やっぱり俺にはお前しかいない、結婚してくれモース』


なんて言い出したのだ。だからもう一回ボコボコにして放り出したら…次の日は。


『お前はつくづくいい女だな、惚れ直したよ。結婚してくれモース』


またもそんな事を言うのだ、だかりもう一回ボッコボコにしたら…次の日は。


『君は俺が今まで出会ってきたどんな女性よりも魅力的だ、結婚してくれモース』


……毎度毎度熱烈な言葉を持参して何度も現れるアンテロスに、モースが折れたのは二週間ほどこの生活を繰り返した頃だった。


最初はあーしを利用しようとしているクズだと思っていたが、どうやらアンテロスは本当にあーしに惚れているらしい。こんな…壊す事と奪うことしか出来ないあーしのどこに人としての魅力があるのか全く分からなかったが…そんな言葉にアンテロスは。


『見てくれを気にしてるのか?なら言おう。関係ない、俺は君が好きだ』


けどあーしはどうしようもない悪人で…。


『聖人ならば好かれる…なんてことはない。むしろ俺もそれなりにロクデナシさ、人のことは言えない』


でも…でも。


『俺には君しかいない。結婚してくれ…モース』


…最後にあーしは、顔を真っ赤にしながらその言葉を受け入れ…彼と結婚した。



この頃になるともう山賊達もアンテロスの強さを認めていたし、もういい加減結婚してやれよ…と言う空気も漂っていたので、彼は案外あっさりモース大賊団に受け入れられ一番隊隊長『山神』のアンテロスとしてあーしと共に生きてくれた。


それからはただただ幸せだった。部下達とは違う…伴侶という存在。家族と言うに相応しい存在。それが隣で微笑みかけてくれる暖かみ。


アンテロスはあーしを受け入れてくれた、どこまでも一緒にいてくれた、あーしの選択を尊重し時に指摘し常にあーしのことを考え続けてくれた。


ある日彼に何故そんなにもあーしを愛してくれるのか聞いたことがあった。するとアンテロスはあーしを見て。


『君は誰よりも真剣に生きている。誰よりも真剣に自分と向かい合っている。それを…初対面の時から感じたからさ』


なんて、キザなセリフが返ってくるんだから本当に敵わないよ。


…………………………………………………………


そして、あーしとアンテロスの幸せが…最高地点に到達した時だ。あの子が生まれたのは。


そう、子供が生まれたのだ。このあーしに子供だよ、絶対に出来ることは無いと何処かで思っていた子供が生まれた瞬間。あーしは山賊として最も大切にしていた価値観である『自分の為に』を失った。


「お…おお…」


「モース、ありがとう…嬉しいよ」


二人の屈強な腕の中で息衝く小さな命。それを見て私は涙した、もう二度と出ることは無いと諦めていた涙が溢れて止まらなかった。


なんと、なんと愛おしいのか。これがあーしと愛するアンテロスの子…二人の愛の形。ああ…愛おしい。


「赤ちゃんって、こんなにも可愛いんでごすな…」


「うぉぉぉおん!モース様ぁぁぁ!おめでとうございますぅぅ!カイムは嬉しゅうございますぅぅ!!」


「うう、団長に子供が!こんな嬉しい日はないぜ!」


「よっしゃー!今日は祝いだぁー!この子の誕生を祝福して朝まで飲むぞー!」


私の子供の誕生を祝福して部下達が大騒ぎしてくれる。そんな喧騒の中…あーしはアンテロスと向かい合う。


どうしよう、あーし…お母さんになってしまった。でもお母さんって何をしたらいいんだろう…分からない。


「ど、どうしようアンテロス…あーし、何したらいいか分からないでごす」


「安心しろモース、簡単さ。まずはこの子の名前を決めてあげよう。とても大事なことさ」


「な、名前…?うう、全然決めてなかったでごす。変な名前したらこの子が生き辛くなるし…」


「フッ、大丈夫。この子ならどんな運命だろうと逞しく生きていくさ。俺みたいに幸運で…そして君に似た愛らしい子になるはずだからね」


「……あーしに似た」


ふと、アンテロスに言われた言葉が引っかかる。アンテロスに似るのはいい、きっと勇ましい子になるだろうから…けど。


あーしに似るのか?…それは、いいことなのだろうか。あーしは世間一般から見れば最悪の人間だし、犯罪者だ。街を歩くことも出来ないし友達なんて出来ないし普通の幸せなんて掴みようがない。


あーしが育てたあーしの子は…あーしと同じような人間になってしまうのではないか?あーしは別にいい、あーしは選んでここにいる。だがこの子は違う…ただあーしの所に生まれただけ、この子には選択権がまだある。


なのにただ山賊の子だからと言うだけで、得られるはずだった幸せを…あーしが奪ってしまうのではないだろうか。


(それは嫌だ、絶対に嫌だ。奪う事と壊す事しか出来ないあーしの手が…この子の未来を奪い、夢を壊してしまうなんて…そんなのは嫌だ、絶対に。この子には幸せになってほしい。あーしみたいな壊す事と奪う事しか出来ない人間にはなってほしくない。絶対に…だから)


だから…、だから…。


…………………………………………………………


「この子を、預かってほしいでごす」


「へぇ?」


あーしは、この子を手放す事にした。本当はずっと一緒にいたいし成長を見守りたい。けど…それ以上に幸せになってほしい。山賊であるあーしはこの子を幸せに出来ないばかりかこの子の幸せを奪ってしまいかねない。


だから、話に聞いていたテルモテルス寺院へと預ける事とした。ここにいるヒンメルフェルトと言う神父は心優しく孤児達を預かり育てていると言うじゃないか。


あーしみたいな山賊じゃなくて、清く正しく生きる聖職者の下でなら…この子もきっと正しい道を歩めるはずだ。そんなあーしの選択をアンテロスも部下達も尊重し賛同してくれた。悲しいけれど…それがこの子の為ならばと。


そうしてやってきた寺院にて、出迎えてくれたのは…ヒンメルフェルトではなく、ナールと名乗る小太りのネズミのような男だった。まぁヒンメルフェルトは老齢だと言うし、代替りくらいしてるかと特に気にすることもなく…あーしは命よりも大事な娘をそいつに預けることにした。


「えっと、貴方どなたで?と言うかこの子は一体…」


「詳しいことは聞かないでほしいでごす。そしてこの子には…両親は死んだとだけ」


「え?いや!そんないきなり…」


「そういうことです!それじゃあ!」


「あ!ちょっ…」


涙が再び溢れた、今度はただひたすら悲しくて。でも仕方ないことだ、あーしが選んだ道はこう言うものなのだ。真っ当な幸せなど掴めない…そう言う道を歩いているのだ。


だからお願い、私の愛する娘よ。あーしの事は忘れて…貴方は貴方の道を歩き、誰にも負ける事なく生きてくれ。貴方が健やかに生きてくれているだけであーしは…あーしは。


(それでいいんでごす…!)


溢れる涙を振り払い走り去るあーしを、娘を引き取ったナールは呆然と眺め。


「なんだったんだ?あのデブ。まぁよく分からんが…どうせ捨て子だろう。全く…人の苦労も知らないで……」


冷酷な目で赤子を見下ろすナールに…気がつけていたらと。あーしは一生後悔する事となる。


……………………………………………………


それから、どれくらい経った頃だろうか。数年…じゃないな、少なくとも十年を超えたあたりか。


その日は突然訪れた。あーしらはヘマを踏んだ。本来山賊が立ち入ってはいけない領域…帝国に運悪く踏み入ってしまったのだ。


そこで帝国軍からの攻撃を受けた。最初は巡回の小隊程度だったから軽く蹴散らしてやったのだが、そこからが恐ろしかった。奴等は凄まじいスピードで各地から集まり倒しても倒しても武装を整え無限に現れ、次第に小隊は中隊になり大隊になり、師団長が現れ…最後には将軍が現れた。


師団長級ならまだなんとかなったが将軍相手ではどうにもならない。あーしもアンテロスも部下達も必死に戦ったがあの将軍…ゴッドローブは単独でそれを受け止め弾き返し。あーし達は命からがら逃げるので精一杯。


いや、命からがらだったのはあーしだけか…。


「アンテロス!」


「っ…ふっ、悪い。ちょっと無茶を…しちまった…」


アンテロスが致命傷を受けた。逃げる際の追撃の最中あーしを庇って重傷を負ってしまったのだ。


あーしも修羅場に長く身を置いたからこそ分かる。これはもう助からない…。


「ッ…許さない!帝国軍め…!この落とし前は必ず…!」


「やめろよモース…バカらしいぜ。そもそも…俺達の生きる世界は…こう言うもんだろ。山賊やってんだ…奪った分、殺した分、奪われるし…殺される。恨むのは…お門違いだ、連中だって…守るため戦ったんだ」


だから、やめろよと言い含めるアンテロスの言葉の意味を察する。あーしがどうやっても帝国は覆せない。あんなに強かったゴッドローブでさえ帝国最強じゃないんだ。あの上には更に人類最強のルードヴィヒと魔女最強のカノープスがいる。


復讐に行っても、意味なんかないと。無駄に死ぬだけだと分かっていたから…。それに彼の言い分はわかる、私達はそう言う生き方をしてきたから…でも…でも。


「アンテロス…死ぬな、死なないで…」


「…はは、どんな服も…宝石も似合うお前でも、涙だけは…似合わないな」


「何馬鹿な事言ってんだ…!」


「へへへ、…モース。ありがとな…お陰で俺ぁ、幸せだったよ。お前に出会わなきゃ…俺はきっと一生俺になれなかった。俺を俺にしてくれたのは他でもないお前だ…、英雄の代用品じゃない…アンテロスになれたんだ…」


冷たくなっていくアンテロスの手を握りしめ…私はただ吠える。死ぬなと。


しかし、私の願いは叶わない。私の夢は叶わない。ゴポリとアンテロスの口から血が溢れ彼の声が閉ざされる。


その息が絶える直前、彼は血の泡を吹きながら空を見て…。


「嗚呼、だが…せめて、俺たちの娘の姿を…もう一度…見たかっ…た…」


「アンテロス…!アンテロス!!」


───その日、私の幸せは終わりを告げた。脱力し動かなくなるアンテロスは最期に…私達の娘の姿を思い描いてあの世へ逝った。彼が幸せだったかどうかは分からない、だが私は彼のおかげで確かに幸せになれたのだ。


だがその幸せは今終わった、そして、地獄の日々が始まったんだ。


「私達の…娘」


一頻り泣いて、声がかすれた頃。私はアンテロスの最期の言葉を思い出す。


私達の子供…その言葉を聞いた瞬間。私はあれほどもう二度と会うまいと誓った娘に会いたくなった。私に残された最後の家族…名も無き我が子に会いたくなった。


せめて一目…会わなくては、あの子がどれだけ大きくなったかを…アンテロスの墓標に報告しなければ。


そう思い私は彼を埋葬し、生き残った部下達を引き連れてマレウスへと急いだ。


…………が、そこで私を待っていたのは…最悪の報告だった。


…………………………………………………………


マレウスに戻り、私が最初に貰った報告は…。


ナール・エピスコプスは汚職を働いていた。多くの悪事に手を染め…寺院の子供達を奴隷として売り捌いていた。彼の元に預けられた子供の殆どは裏市場に流されたと…。


その報告を部下から貰った時、私は立って居られないくらいの衝撃を受けた。


慌ててテルモテルスに向かおうとしたが既にテルモテルスにナールはおらず別の人間が院長として勤めていると聞いて、更に絶望した。


もう私の娘はテルモテルスには居ない、あそこに私の娘は居ない。ナールによって奴隷として売り払われてしまったんだ…。


「あ…ああ…あああ!」


一人私はガイアの街を前に崩れ落ち地面を叩く、乾いた大地に涙を垂らし。何度も地面に頭を打ち付ける。


テルモテルスに向かい内部を秘密裏に確認したが…居なかった。若い僧侶が子供達の面倒をみるばかりで私の子供は居なかった。年齢的にまだ寺院にいてもおかしくない年齢なのに…居なかった!!


「あああああああああ!!!」


なんて馬鹿だったんだ私は!どこまで馬鹿なんだ私は!何よりも大切なものを別の誰かに預けて!私が…子供と向き合い勇気がなかっただけじゃないか!そのせいで私は…ナールなどと言うゴミクズに娘を預けるなんて。


愚かだ、愚かすぎる。アンテロスに合わせる顔がない…このままじゃ。


「…モース様」


「団長…」


「うっ…くぅ…あああああああああ!!」


その場で蹲り何度も地面を叩いて己を呪う。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ、私は馬鹿だ。母としてあの子に何もしてないばかりか地獄に落としてしまうなんて。こんな事ならたとえ山賊としてでもあの子を我が手元で育てるべきだったんだ!


死にたい、死にたいけどアンテロスに何と言えばいいか分からない。このままじゃ死ぬに死ねない…。


「…探さなきゃ…あーしの子を…!」


最早それは目的ではなかった。水の中に落ちた者が空気を求めて水を掻くような…そんな足掻きに等しい行いだった。それでも私は探さなきゃいけなかった。


この世のどこかに奴隷として売られてしまった我が子を。今もどこかで私の助けを待っているかもしれない。探さなきゃ…探さなきゃ!!


「…ッ!探しに行くぞ、あーしの娘を…!」


「ええ!?でも何の手がかりも…」


「関係ない!例え人生の全てを投げ打ってでも!探さなきゃいけないんだ!!あの子は…私の全てなんだから!!」


立ち上がり懸命に駆け出す。そこからだ…私の世界中を巡る娘を探す旅の始まりは。






北を探し、西を探し、東を探し、南を探し、また北を探す。時に魔女大国に踏み入り…大陸を超えポルデュークに渡り、牢獄の中にまで探し行った。


「どこだ…どこだ、愛しい我が子よ…何処にいる…」


幽鬼のようにフラフラとあちこちを探して回った。それでも見つからぬ日々にあーしは憔悴し、余裕をなくし、あれほど大好きだった酒も肉も断ち、邪魔する者全てをぶっ壊して進み続けた。


そうしている間にあーしはげっそりと痩せ細り、邪魔な贅肉は全てて削げ落ち、ただ筋肉だけが残った。岩のような筋肉と枯れ枝のような体型を見た部下達はその痛ましさに目を逸らしながらも付いてきてくれた。


だがそれでも見つからなかった。食事もロクに喉を通らず、水と少量の乾いたパンだけで動き続け…そうして私はあの子を探して十年以上の時を過ごした。


いつしか執念の炎は潰え、ただ妄念のみで動き続ける鬼と化したあーしに…悪魔が囁きかけてきた。


『モース、聞いた話によると君は娘を探しているようだね』


ジズだ、奴はいきなりあーしの前に現れ…こう言った。


『もし私に手を貸してくれれば、空魔の力とマレムィカルムの組織力を使い君の娘を探し出してあげよう』


と…、十年以上の旅路に疲れ切った私は…その言葉に頷き、悪魔に魂を売ってでも…娘を求めた。


そんなジズが、私に求めたのは…。


『なに、無理難題を押し付けようってわけじゃない。ただ…順番を入れ替えてほしいだけさ、娘を探してからナールに復讐するのではなく…先にナール・エピスコプスを殺してほしい、出来るかな?』


…正直不可解だった。世界一の殺し屋たるこいつならナールの暗殺くらい簡単だ。なんなら私がこいつに依頼したいくらいだ。だがそれでも奴は求めてきた…その条件を。


もし、復讐を成し遂げたな…娘を一緒に探してくれると。都合が良かった、どの道ナールは殺すつもりだったし、なんなら私を裏切ったテシュタル真方教会…そして東部クルセイド領全てに、私は復讐するつもりだったから。


私はアンテロスの件で帝国に復讐するつもりはない。憎んではいるけど彼の言う通りあれは山賊の末路としては当然のものだった、事実ああ言う風に死んだ同業者や仲間を何人も見てきたし、私はそれに復讐しようとは思わなかった。


だからいいんだ、彼は最後まで山賊として死んだから。


だが、あの子は違う。私の娘は山賊ではない、山賊ですらない、何者にもなる前に地獄に落とされたのだ…ならば、そこには復讐するしかないだろう。


悪辣非道のナール・エピスコプスとその温床たるテルモテルスとガイアの街、そして聖職者ぶって裏で金を掻き集め人の生き血を啜る悪魔…テシュタル真方教会、全てに復讐しなくては気が済まない。


だから私は。悪魔に魂を売ってでも…復讐に走った。娘を探すのを諦めて…復讐に走った。


なのに…なのに、今になって…?


───────────────────────


「ここがテュフォン大渓谷か…」


手綱を引いてジャーニーに合図を送り馬車を停止させ、それを見下ろす。


乾き切った大地の真ん中に開いた巨大な亀裂。というよりこれはもう谷だな…とラグナは顎を撫でながら馬車から降りて谷の底を見るため歩み寄る。


出発から数日、俺たちはようやくテュフォン大渓谷へ到着した。モース大賊団のアジトがあると言われるテュフォン大渓谷…その真下にある街をモース達は占領し使っていると聞く。


故にラグナは崖の淵に手をかけゆっくり覗き込むと…確かに見える。崖の底に街の影が。


…なんだってあんなところに街があるんだ?まぁそれはいいか。それより…。


「どうだ?ラグナ」


「ん、着いたみたいだね」


崖下を覗き込む俺の後ろから続くようにメルクさんとネレイドさんがやってきて同じように街を眺める。


高さ自体はそれほどでもない。俺達なら問題なく着地出来るくらいの高さだろう、街の規模は結構なもんだが、人気があるようには見えないな…。…あの崖下から崖の上に通じる道は、街の教会の裏手にある小さな階段くらいか。


「面白いところに街があるもんだな、ラグナ。君ならあそこをどう攻める」


「うーん…結構特殊な状況だけど、攻める分には寧ろ都合がいいよ」


「ほう?そうなのか?」


「上取ってるからな、こっちが。あの街陥とす事だけに注力するならここから岩でもなんでも投げつければそれだけで陥せるしな」


「そんなことしたら…アルトルートさんが、死ぬ…」


「ああ、だから手段が限られる。問題はあの街の立地じゃなくて俺達の状況なんだ。人質がいるこの状況…だからあんまり派手な攻め方は出来ない」


アルトルートさんが何処にいるか…探す算段は立ててある。


立ち上がりながら俺は馬車の方に向けて手を上げて合図を送る。すると既に馬車の中で待機していたメグとデティが、あの馬車に備え付けられたデティシステムを展開し始める。


デティシステムに搭載されている『魔力探知』、それはデティの魔力探知能力を数倍に拡張しより鮮明に情報をデティに伝えてくれる。


馬車が青白い光を放ち、周囲の魔力を読み取りアルトルートを探す。既にデティはアルトルートの魔力を記憶しているし…これならすぐに。


「ラグナ様、見つかりました」


「おお、何処だ?」


「あそこの教会です」


シュババと足を音を立てずにこちらに掛けてくるメグが指差すのは、街の一角にある廃教会。でかさはそれなり、されど防御力は皆無、あちこちに穴が空いている。


確かにあそこなら山賊団全員を詰めても余裕がありそうだ。


「そして、こちらがあの教会の間取りでございます」


「ん、ありがと」


デティの魔力探知を利用し教会内部にいる人間の立ち位置から凡その間取りを導き出し、メグが書き上げた即興の紙を受け取り中身を見る。


…アルトルートは一番奥の部屋、その手前の大部屋…これは祈りの間かな?そこに山賊達が屯しているようだ。


カイムと思われる魔力は右の壁際に、アスタロトと思われる魔力は奥の柱にもたれている。そしてその二人もよりも強力な魔力はアルトルートの部屋に通じる扉の前に陣取っている…恐らくこれはモース・ベヒーリアの物だろう。


隊長とモース、それ以外はただの本隊メンバーのようだ。オセやベリト シャックスと言った幹部の姿は見られない。ここにはいないのだろうか…まぁ別にいいか。


これで攻め入る情報は出揃った…。


…が、一つ問題がある。致命的とも言える問題が…それは。


「その魔力探知じゃ、ダアトの居場所が分からない…だよね、ラグナ」


「デティ、……ご苦労さん」


デティの言う通り、これは魔力を感じ取って居場所を探り当てているに過ぎない。故に魔力を感じないダアトの居場所はどうやっても分からないんだ。


魔力とは生命の息吹、それがないのだから気配も全く感じない。奴を認識するには視覚に捉えるより他ない。


…何処にいるんだ。皆と同じ祈りの間にいるのか、或いは外に出ているのか。シャックス達と同じようにこの場にはいないのか。それがまるで分からない。


「色々試したけどダアトの存在は感じられなかった。居るのか居ないのか…そのレベルのことさえ分からない」


「厄介な体質だな…、魔力を感じさせない肉体とは」


「あんなに強いのに、びっくりするくらい魔力を感じない…凄い体だよね」


デティから奴の『特殊体質』の正体は聞いている。正直な感想を述べるなら…そんな人間この世にいるのか?って感じだ。デティ自身未だに信じられないと言っていたが…事実として奴の体からは魔力を感じない。


つまりはそういうことなのだ。…奴の戦い方は前例が殆ど確認されていない物だ。こいつばかりは俺も抑えられる自信がない、出来るなら戦闘は避けたいな…。


「ともかく、ここでまごまごしてても意味はない。そろそろ仕掛けるぜ」


「ああ、そうだな」


「取り敢えず攻め方は最初話した通り。その後の流れもみんな把握してるな?」


まぁ、ダアトの居場所が分からないからってここで立ち止まる理由にはならない。既に救出の為の計画は練ってある。だから先ずは動く…上手く行ってくれりゃいいが。


……………………………………………………………………


「あーしの娘が…敵側に…?」


「まだその可能性がある…というだけだ」


アスタロトの報告を受け、あーしはガシガシと頭を掻く。つまり何か?魔女の弟子にあーしの娘が?。何がどう巡って魔女のところになんて行くんだ?


だが…事実として魔女の近辺は探していない。帝国での一件があるからどうにも奴らの近くに行くのに抵抗があったのは事実だし、何より魔女の近くにあーしの娘がいるなんて想像出来ないだろう。


でも…だって、そんな…あれだけ探したのに、諦めた瞬間に出てくるなんて…そんな。


「モース様…どうしますか?」


「…………どうするって」


もし本当にあの子なら、確かめる手段はある。でも…そんなわけないだろう。


分からない、…どうしたらいい。そう答えを求めるようにダアトに視線を向ける。


すると彼女は周りを見回し、『私ですか?』とばかりにキョトンと自分の顔を指差す。


「いや、私に聞かれても困りますよ」


「お前は常軌を逸した知恵を持つ。それで未来予知だってやってのけただろう、お前もあの場にいたなら分かるはず、あーしの娘があの場にいたか」


「いやそんな便利な力じゃないんですよ、そもそもそういうつもりなら最初からそう言っておいてもらわないと…。うーん、あ…でも確かになんかどデカイのは居ましたね」


ジロジロとあーしを見つめるダアトは、困ったとばかりに首を傾げて。


「うーん、似てると言えば似てたような気も…」


「あーしの娘か!?」


「だから分かりませんって、…どうせここに来るんでしょ?ならその時聞けばいいじゃないですか。そんなすぐに望んだ答えがポンポン出るほど私は万能じゃありません」


…まぁ確かに、ダアトはあーしの娘の居場所も分からないと言っていたし、それならそうなのかもしれない…。


ここに…来るのか、あーしの娘が…。どうすればいいんだ、どうしよう。本当に娘だったらあーしは…あーしは、どんな顔で会ったら…。


「……面白いことになって来ましたね。もし魔女の弟子の一人が山魔モースの娘ならそれはそれでとても有益な…ッ!!」


刹那、ダアトの顔色が変わりギロリと扉の向こうを睨む…その緊迫した顔にその場の全員が咄嗟に臨戦態勢をとる。


…まさか、来たのか?


「どうした?ダアト」


「…………いえ、実は私…昼食にですね。生卵の黄身を飲んだんです。健康にいいらしいので」


「あ?ああ」


前やってたやつか…というか今その話となんの関係が…。


「…それがですね、なんか…腐ってたみたいです」


「は?」


「す、すみません…トイレ、しばらく借ります…」


ゴロゴロとお腹を鳴らすダアトは慌てた様子で扉…そう、トイレの扉目掛けちょこちょこと足を細かく動かしながら消えていく。


…あいつ頭はいいけどバカだな。


「……モース様、あいつここに置いていきませんか?」


「いやぁ、流石に…。今まで役に立ってくれたし置いてくのは可哀想じゃん…?」


「かしこまりました」


「それよりモース、これからどうするつもりだ?我々はここで待機なのか?それともまた何処かに向かうのか?」


「あー…次はどうするんだっけか。計画全部ダアトが覚えててくれてるからメモとかしてないんだよね…」


「じゃあ何か、あいつのクソ待ちか…!」


くだらんとアスタロトが舌を打つ、そんなイライラしないで。


「じゃああーしは一旦アルトルートの顔でも見てくるでごす。もしかしたら…あーしの娘について何か知ってるかも…」


どうせダアトが戻ってくるまで動けないんだ、ならばとあーしはアルトルートのいる懺悔室へと引き返し──────。




そして、祈りの間にはアスタロトとカイム…そして複数の山賊たちが取り残される。


「…カイムよ」


「なんだ」


そんな中、アスタロトが小さく口を開き…。


「もし、今から向かってくるのがモースの娘なら、お前はどうする」


「それは俺には答えられん話だ。モース様がしたいようにする…」


「敵対したならば?もしかしたらモースは戦えんかもしれんぞ」


「それならそれでいい、私はモース様の選択を尊重する…」


「はっ、そうやって尊重した結果が今じゃないのか」


「……なんだと?」


ギロリとカイムとアスタロトの視線が交錯する。険しい視線だ、モースを崇拝するカイムとモースを倒すべき目標として見るアスタロトとでは…そもそも価値観に相違がある。故に二人が激突することは日常茶飯事だが。


周囲の山賊は悟る、今日の喧嘩は…いつものとはレベルが違いそうだと。


「お前がモースの意思を尊重し、結果として子が生まれ…そして子を手放し、今に至る。私がモースと出会った時既に奴は子を求める幽鬼だった…私は全盛期の奴を知らん。お前がもう少しモースの手綱を握っていればこんな事態にはならなかっただろう」


「…過去の行いの説教か?くだらん、何が言いたい。お前はモース様の娘をどうするべきだと言いたいんだ」


「モースに充てがう。その娘が何を思おうともモースが満足するなら奴の手元に戻す。そして奴を元の姿に戻し全盛の姿を取り戻させ…もう一度奴に挑む」


「貴様…、まだそんな事を言っているのか…!」


「私は奴の部下になったつもりはない、ただ奴を超えるために側にいるだけだ…!」


「……こんな時に場をややこしくすることを言うな。ここはモースが大賊団で、そのカシラはモース様で、お前はそこに名前置いてんだから、勝手気儘を言うんじゃねぇ…」


「細かいことは気にするな」


迸る視線と視線のぶつかり合い。白熱する隊長二人の睨み合いに巻き込まれたくないとばかりに身を縮こまらせる山賊達。早い所ダアトでもモース様でも戻ってきてくれないものか。


そう、周囲の人間が思ったその時だった。



『コンコン』と、教会の扉がノックされる。


「あ?…」


「っ……」


「…………」


瞬間、山賊達の目が据わる。アスタロトもカイムも視線を扉の向こうへと変え、一瞬でその場の空気が張り詰める。


ノックされるわけがないのだ、今この教会が。


「…誰だ?」


この街の人間は皆、ここにモース大賊団が居ることを知っている。そしてこちらに関与しないならば我々も街に被害を出すことはないと協定を結んでいる。その協定を破ってでもここに尋ねてくる度胸がある奴はこの街にはいない。


故に、ノックの主は外部の人間ということになる。


「…………」


スキンヘッドの山賊が立ち上がり、静かに警戒するようにドアノブに手をかける。もう片方の手には鋭い鉈。


もしこれが街の人間ならば協定は破られたことになり残念ながら我々は街を襲わなくてはならない。当然ノックの主も殺す。


もしこれが外部の人間ならばまぁまず我々の敵だろうことは確実。万が一知らなかったとしてもここに自分たちが潜伏していることを知った時点で…どの道殺す。


扉を開けて、殺す。それ以外の選択肢はない。


それに今、こちらに魔女の弟子達が迫っているという話も出ているし用心するに越したことはない。


(まぁ、奴等が正面から堂々とノックして入ってくることは思えんが)


カイムは剣の柄に手を当ていつでも飛びかかれるように構えながら事の趨勢を見据える。


そうしている間にスキンヘッドの男は、意を決したように息を呑み…一気に扉を開け鉈を振りかぶり……。


「ッ…!…ん?あれ?」


しかし、居ない。扉を開けた先には誰もいない。念のため外に出て右を見るが居ないし当然左にもいない。


誰もいない、しかし…なんの変化もないわけではない。


「……なんだこれ」


そう、扉の前に…置かれているのだ。小さな箱が。


簡素な作りの木の箱、サイズは大体人の頭くらい…それがポツンと扉の前に置かれている。恐らくノックの主が置いたものなのだろうが…。


怪しい、怪しすぎる。


「…………」


スキンヘッドの男はどうしますか?とばかりにカイムに問いかけるが。…カイムの脳裏に浮かぶのは一つ。


(…爆弾か?)


時限式の爆弾か、或いは開閉した瞬間起動するタイプの爆弾か。このうちのどちらかであろう。置いた主が誰かは分からないが敵意を持って置かれたのは間違いない。


…されど放置も出来ない、周りの山賊に下がるように指示しつつ、スキンヘッドの男に箱を開けるように指示する。開けた瞬間爆発してもこれならば被害はあの男一人で済む。


スキンヘッドの男も覚悟を決めてコクリと頷き。箱の蓋に手をかける。


「…………はぁ…はぁ…はぁ…ッ」


荒くなる呼吸、集まる視線、ゴクリと誰かが固唾を飲んだ瞬間。


スキンヘッドの男は一息に蓋を開け────。


「ッッ───うわぁっ!?」


爆裂する蓋に驚き声を上げる。されど爆弾ではない…これは。


「…びっくり箱?」


ビヨンビヨンと箱の中から飛び出るのは…メイドの人形だ。その手には『イタズラ大成功』の小さな看板が握られており…。


スキンヘッドの男は安心と共に怒りを覚える。そうだ、つまりこれは…。


「イタズラかよ…!」


ギリリと歯を食いしばりびっくり箱を叩き蹴る。つまりイタズラだ、街の子供が仕掛けたのか、或いは別の人間か。何にしてもくだらない事この上ない。


カイムは小さく溜息を吐き、剣の柄から手を離す。驚いて損をした…だが終わりじゃない。このイタズラを仕組んだ人間を早急に見つける必要が…。


「ん?なんだこれ」


ふと、カイムの目の前の山賊がその場にしゃがんでなにかを手に取り。


「お、ラッキー!金貨じゃん!…ってよく見たらこれ、なんだ?魔女硬貨じゃねぇ…見たこともない、メダル?」


その手には、見たこともないメダルが握られており────。


「『時界門』ッ!」


「え……?」


その瞬間、突如空間が歪み…開き、中から…。


人が複数人飛び出してくる。それは部屋のど真ん中に着地し武器を構え…。


「敵襲だと…!?」


「よっしゃぁっ!第一関門クリア!行くぜ!みんな!!」


現れたのは、魔女の弟子。それがまんまと教会のど真ん中に現れたのだ。


………………………………………………


要は、緊張と安心だ。キッと張った緊張の糸を安心たまるせた瞬間…人は隙だらけになる。


緩急をつけた攻めに対応出来る人間はそうはいない。ましてやそれが奇襲と共に織り交ぜられたなら、容易く懐に攻め込まれる。


ラグナが取った作戦はそれを念頭に置いたものだ。


扉の前にメグお手製のびっくり箱を置き。開いた瞬間飛び出る人形と共にメグのセントエルモの楔を改造して作ったメダルを射出し教会の中へ投げ入れ、そこから時界門にて突入。


いきなり響くノックにより緊張し、正体不明の箱がただのおもちゃであることを知った安心し、そこで生まれた隙を突き一気に決める電撃戦。それがラグナの狙いだった。


そしてそれはまんまと成就し。今教会の中心にラグナ達は突入することが出来た。


「敵襲だと…!?」


「よっしゃぁっ!第一関門クリア!行くぜ!みんな!!」


教会内部に降り立ったのは全戦力。ラグナ メルク メグ ナリア デティ ネレイド、そしてアルザス三兄弟。それが事前に話し合ったフォーメーションで円を描くように降り立つ。


その瞬間ラグナは周囲に目を走らせ、状況を確認する。


モースはいない、アスタロトとカイムはアルトルートのいる部屋の前。それ以外は疎ら、ダアトもいない。状況は悪くない、後はここから…。


(どれだけ先手を取り続けられるかの勝負!)


ここにいる全員を倒す必要はない。俺たちはここに決着をつけにきたわけじゃない。目的はあの扉の向こう…アルトルートただ一人なのだ


「アルザス!周りの山賊を抑えろ!メルクさんとデティは援護!ナリアとネレイドは俺に続け!」


「応!」


「くっ!どういう事なんだ…!何故いきなり現れた!どうやって…ええい!全員!迎撃しろ!」


そこから一気に火がつくようにその場は戦場となる。だが踏み出しは俺たちの方が速い、これを取るために態々手間かけて奇襲しかけたんだ!


戦いにおける『アドバンテージ』は常に早い者勝ちだ。より速く動いた者 より的確に動いた者に女神は微笑む。


まずラグナ達が先手を取り、アドバンテージに一歩近づいた。そしてその後既に作戦を立てていたラグナ達の動き出しは的確かつ迅速。何よりその場に出た瞬間の指示…ラグナとカイムのそれぞれの指示、どちらの方がより目的意識を持った物であるかは明白。


故に、差が出る、初手で。


「行くぞ!アルザスフォーメーション・デルタ!!」


「ぐぁぁっっ!?!?」


初手を取る、武器を鞘から抜く前に斬りかかったアルザス三兄弟の的確な攻撃は瞬く間に周囲の山賊を斬りはらい吹き飛ばしていく。


「殲滅だ!今までの借りを返すぞ!アルザス!アッセンブル!」


「オラオラ!今までよくも好き勝手やってくれたな!」


「甘く見るなよ!アルザスを!」


「くそっ!こいつらクソ強え!」


三人揃えば四ツ字級を自称するアルザス達の活躍はラグナから見ても思わず手を叩きたくなるほど鮮やかなものだ。長男ラックを中心に補佐するように弟リックとロックが動き回る。三位一体の連携は山賊達の攻撃を打ち払い崩していく。


「チィッ!なんだこいつら!クソ強えな!」


「どう見ても魔女の弟子じゃねぇのに!その他大勢にこんな好き勝手されていいのかよ!」


アルザスらは強いのだ、四ツ字というのが第二段階かそれに匹敵する強者達の集まり。三人揃えばそれに肉薄すると言われるアルザス三兄弟は…、そもそも魔女の弟子に匹敵するほど強いのだ。


かつてエリスを苦戦させた時からより一層強くなっている彼らはそう簡単にはやられない。それを確認しつつラグナは仲間達を連れて前へ踏み出す。


「またお前達か!」


「フンッ、憂さ晴らしに丁度いい」


その瞬間ラグナに迫り来るのは圧倒的気迫。目の前を守る双璧…一番隊隊長『山鬼』カイムと二番隊隊長『山龍』アスタロト。そいつらが構えを取った瞬間突風に吹かれたような感覚さえ味わう。


「ラグナ気をつけて!カイムは魔力覚醒を使えるよ!」


「なんとなく!そんな気はしてたから大丈夫!」


ジャックから聞いている。ジャックの船に魔力覚醒を使える部下が二人いたように…モースの部下にも魔力覚醒を使える部下が二人いると。つまりなんてことはない、こいつらがそれなのだ。


しかしジャック海賊団が海戦特化型の部下を擁するならば…こいつらは。


「はぁっ!」


「抜いて見せよ!」


こいつらは、白兵戦特化型。目の前に敵を置いてそれを撃滅するのに特化した対人戦を得意とした覚醒者達なのだ。


目にも止まらぬ剣撃を繰り出すカイムと、網のように広い手を開けて迫るアガレス。剣術と柔術の達人二人が襲いかかる中…。


「テメェの剣は!」


「ぬっ!?」


ラグナは蹴りでカイムの剣を受け止め…。


「見飽きたッッ!!」


「ぐぅっ!?」


蹴り払う。こいつはもう初見じゃない、慌てて振った剣なんぞ取るに足らぬとばかりに一瞬で剣筋を見抜きカイムを押し飛ばす。


そしてアスタロトは…。


「やらせない…!」


「またお前か…!」


ネレイドが止める。アスタロトよりも更に深く踏み込み肩を突き出しショルダータックルでアスタロトを押し退ける。


「チッ!面倒な!」


「やるものよ…!…ッ!?」


そして押し飛ばされたカイムとアスタロトに向け更にかける追い討ちは。


「紡ぐ魔糸 我が意のままに踊り、頑健なりし岩手となって空を伸び、敵を絡め取りその自由を奪え『錬成・膠灰縛糸牢』 !!」


メルクリウスの錬金術だ、放たれた弾丸は空中で泥の網となりカイムとアスタロトに組みつくと共に一瞬で硬化、所謂コンクリートの枷となって二人を拘束する。


「ッ…錬金術…!」


「ベリトのよりも遥かに上手いか…!」


「行け!ラグナ!こいつらは私が止める!」


「ありがと!メルクさん!」


この部屋全域を射程範囲に収めるメルクリウスの牽制は着実にカイムとアスタロトの動きを遅延させる。その気になればメルクリウスの牽制など簡単に突破出来るが…その気にならなくては行けない。


状況が立て込みやらなくてはならないことで溢れているこの状況で、確実にワンアクションを消費させてくるメルクリウスの小手先の技にカイムとアスタロトは動きを封じられるのだ。


「しまった…!撃破が目的じゃないか!」


「その通り!テメェらぶっ潰すのはまた今度!今は…」


と、ラグナが目指すのは奥の扉。アルトルートのいる部屋。既に障害は破壊した…ならば後は救出するだけ。


ラグナが駆け出し、扉を破壊し、目的が達成される。


……その時だった。



ガチャリ、と…音を立てて。扉が開かれる。


「ッッ!!」


開かれたのは、アルトルートのいる部屋じゃない。…その脇の…トイレに通じる扉が徐に開かれ。


「ふぅ…何やら、騒がしいですね」


中から、現れたのだ…この場で最も警戒しなくてはいけない人物の一人…。


知識のダアトが…。


「だっ…ダアト…!」


ラグナの動きが止まる…ダアトがこちらを見る。


何故そこにいる、何故そこにいた、何もかもが分からないが…全く気がつかなかった。薄い木の扉一つ隔てただけで…ダアトの存在を全く感知できなかった。魔力を感じさせないが故の秘匿性の高さ。


それを痛感しながらも、ラグナは咄嗟につま先の方向をアルトルートのいる祈りの間からダアトに変える。奴が現れた以上…無視はできない。


「………………」


そんなダアトはラグナの姿を捉えるなり…静かにコツコツと足音を立てて歩く。トイレから出てきた彼女はラグナから一切目を離すことなく着実に歩く。何をしてくるか全く読めない。


彼女はただ、ラグナを迂回するように部屋の壁に沿って歩き、険しい視線を向けたままぐるりと部屋の反対側に回り…。



開かれた玄関から、外に出て行った……って。


「は?」


外に消え、居なくなったダアトの行動に目を丸くしていると。教会のすぐそこにある井戸からパシャパシャと水が跳ねる音が聞こえ…。


「すみません、手を洗ってました」


「この状況で!?」


「いえ、トイレをした後なので…」


ピッピッと指先を這う水気を払いながら戻ってくるダアトに呆れ返る。この修羅場で良く手ぇ洗いに行こうと思えたな…こいつ。


「ダアト…貴様この状況で手を洗いに行こうと良く思えたな」


しかもカイムからもドン引きされてるし。


「手を洗うくらいいいじゃないですか、山賊から足洗ってない貴方達に言われたくないですし」


「お前な…」


「冗談でーす」


死んだ魚みたいな目でのほほーんと冗談を言ってのけるダアトを前に初見であるメルクさんが『ほんとにこれが強いのか?』と目を丸くしナリアはなんかは『なんか僕でも倒せそう』と呟く。


まぁ、実際そうだよな。この世界に於ける強さの指標は魔力だ、魔術を使わなくとも強靭な肉体を持つ者は濃厚な魔力を宿す。故に魔力を感じれば大体の強さはわかる。


魔力が多ければ強い、少なければ弱い、その一般的な価値観から見ればダアトはカメムシより弱そうに見える。だが…実際は違う。


「おい、貴様がダアトだな」


「そうですが、それが何か?」


「貴様には用がある。例えお前に戦意がなかったとしても…我が友に与えた屈辱の礼は我々がする」


「そうです!よくもエリスさんをあんな残念な感じにしましたね!」


「ああ、エリスさんの事ですか。いや私としても本当は穏便に済ませたかったのですが…ああでもしないと止まらないので。知識を奪うか殺すかの二択だったんです、温情でしょう?」


ある程度水気を払い、そのままポケットからNのイニシャルが刺繍されたハンカチを取り出し手を拭き拭きするダアトはあっけらかんと口にする。


……しかし、相変わらず魔力が読めないから動きも読めん。仕掛けてくる予兆も見えないから全然気が抜けない。本当なら直ぐにでもアルトルートのところに行きたいのに…。


ダアトが玄関に陣取っている以上、奥に進めば必然的に背中を見せることになる。視界に収めてなければ動きが読めないダアトに対して…それはしたくない。


「まぁ、私としてはどちらでもよかったのですが…」


「…随分余裕だな、お前は」


「ええまぁ、貴方達如きなら別に先手を譲っても大丈夫なので。よし…拭けた。流石にトイレに行った後手を洗わないのは不潔ですし失礼ですもんね。なんせ───」


「ッッッッ!!」


刹那、動き出したのはアルザス三兄弟だった。咄嗟に俺に『先に行け』とアイコンタクトをしたラックはダアトの注意を引くために敢えて威圧を放って突撃をかましたのだ。


ダアトを相手に背中を見せられないと動かずにいる俺の意図を察して、敢えてダアトを狙ったのだ。


完璧な状況判断、最高の動き、ダアトがアルザス達を相手にしている隙に…。


「──これから貴方達を殴り飛ばす手が汚かったら、お互い嫌ですもんね」


一瞬、そう…一瞬だ。俺がラックの意図を受け取り反転して奥の祈りの間を目指そうとするよりも早く…、ダアトは爆発的な加速を用いて三方向から攻めてくるアルザス達を打ち倒した。


「ぐっ…!?」


「がぁ!?」


「な…何をされ…!?」


一瞬の出来事にアルザス達も理解が追いついていない。事実…俺も分からなかった。辛うじてダアトが拳を握ったのは分かったがその後何処をどう打ったのかまるで見えなかった。


やばい…これは、かなり…!


「チッ!」


次に動いたのはメルクさんだ、アルザス達が倒れたのを見てダアトが仕掛けてきたと理解し銃を向け容赦なく発砲した…しかし。


「速の型…『瞬風』」


そこからのダアトは更に動きも速かった、音速の数倍で飛ぶ筈の銃弾がノロマに見えるほどの速度で部屋の中を駆け巡り…こっちに…ってやべ!?」


「うっ!?」


俺を狙ってきやがった!?辛うじてこっちに向かってきたのが見えたから直ぐに両手を前に出してガードしたが、初撃の蹴りが俺のガードを弾き飛ばし、次に飛んできた拳が顔面を打ち抜き、そのまま髪を掴んで地面に引き倒され…。


気がつけば俺はダアトの靴の下にいた。


「ラグナ!?いつのまに…!」


「うっ…そだろ…!?」


「さぁ、私は穏便です。このまま逃げ帰るなら見逃しますが…?」


一撃、俺を蹴飛ばしメルクさんの足下まで転がすと共にダアトはくるりと銀の杖を回し扉の前で仁王立ちし立ち塞がる。速すぎる上に重すぎる…強い、やはり今の俺たちの手に負える相手じゃねぇ…。


「一体どういう原理でございますか…、あの加速…とても魔術を使用したようには…」


「出た…」


デティが小さく呟く。そうだ…これだ、これがデティの言っていたダアトの…いや恐らく世界でダアトだけが実現出来る戦い方。


その名も────。


「ッ…ラグナ、行けるな!」


「ああ、これしきで諦められるか!」


「はぁ、弟子はみんな頑固なんですかね」


立ち上がりメルクさん達と共に構える、大丈夫…倒さなくてもいい!抜けばいい!あいつの後ろにある扉を打ち破るだけでいい!


「仕方ありません、それでは皆さん…ここで旅を終えてもらいます」


銀の杖を突きつけ、こちらを見据えるダアトとその後に続くように拘束を打ち払うアガレスとカイム。


戦いは激化し、深化し、より混迷を極めていく。




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