447.魔女の弟子と神無き世
「それじゃ、行ってくるよ」
「おう、気をつけてな」
「ラグナ何処に行かれるので〜?」
寺院に残るエリスとアマルトとケイトさんに軽く別れの挨拶を交わして俺達はアルトルート救出の為ガイアの街を旅立つ。本当は二人にも来て欲しいが…。
アマルトはアリス&イリスと共に子供達の面倒を見るため、エリスはダアトによって戦えない状態にされてしまったためお留守番だ。
正直不安だが、一応作戦は立ててある。あとはそれが上手く行くことを祈って戦うだけだ、…はぁ、こんなにもヒリつく戦いは久々かもな。
「じゃあ行くか」
「はい、既に馬車は戻してあります」
「サンキュ、それでラック。アジトがある場所ってのは…」
「ああ、ティフォン大渓谷で間違いない」
そう言って馬車に乗り込みながらメルクさんに御者を任せつつ俺はこの数日ずっと見つめてきた東部の地図…その一角に存在する巨大な亀裂、ティフォン大渓谷に目を向ける。東部と南部を遮るように開いたその渓谷は大昔の噴火に際して起こった地鳴りによって割れて出来たと言われている。その規模は凄まじく最早『渓谷』と呼ばれる程のスペースが空いたのだ。その中にモース達のアジトがある。
モース大賊団は基本的にアジトを持たず拠点となる、その時々によって活動拠点を置いて各地で悪事を働くらしく、それ故に奴等の居場所を特定する事は非常に難しいが。アルザス三兄弟の根気強い調査によってようやく発見に至ったらしい。
渓谷の下にある村を占領しアジトとして使っているとの事だが…出来ている場所が最悪だな。
「この渓谷にかかったテュフォン大橋…これが南部からの唯一の物流だった。けどここを抑えられているから南部から物が入ってこない…ってわけか」
「そして北部から入ってくる物資は東北部に存在する神都サラキア…つまりクルスによって堰き止められているのが現状だ。これが今のガイアの街の惨状を作っていると言える」
ラックがなんとも言えない顔をしてこちらを見る。分かるよ、俺もお前もアルクカース人だもんな。今のガイアの街が…戦場で言うところの孤立無援の状態にある事をよくよく理解しているんだ。
北と南を抑えられて、西には海しかなく東にはコルスコルピしかないこの現状では何処からも援護が望めない。完全に最南端にあるガイアの街が切り取られている形になる。
「これは意図して行われてるのか、或いは偶然なのか。まさか裏で繋がってないよな」
俺は腕を組んで馬車のソファに腰を沈める。なんだかこの状況…出来過ぎな気がしてならない。山賊が攻めてきた次の日に見計らったかのようにナールが訪ねてきたのも今思えば不思議な話だ。
クルスが山賊に手出ししないのも、そう思えば納得がいくが…でもこの両勢力が手を取り合う必要性がないんだ。両勢力の目的は一致しているようで相反している、手を取り合ってもガイアの街そのものを憎むモースとガイアの街を取りたいクルスとでは手と手を取り合う事はできない筈だ。
となるとやはりこの二つの勢力は全くの別物。ただただ偶然状況が最悪なだけか。
「………………」
「…ん?」
ふと、馬車の中でみんなが戦闘の準備を始める中。ネレイドさんの様子がおかしいことに気がつく。
ボーッと何もないところを見ている。彼女はちょっと何を考えているか分からない所はあるものの、それでも…なんかいつもと様子が違うような気がするんだ。
「なぁ、ネレイドさん」
「…………」
「ネレイドさーん?」
「あ!どうしたの?ラグナ」
「いやどうしたはこっちのセリフだけど…」
俺が数度声をかけてようやく彼女はハッとこちらを見る。こりゃ明らかに様子がおかしいぞ、なんか悩みでもあるのかな。
「どうした?なんか気になることでも?」
「…ううん、ただ…気になることがあるだけ」
「気になること?」
「……うん」
チラリとこちらを見るネレイドさんは数度唇を震わせ何かを打ち明けようとするも…直ぐに口を閉ざしそっぽを向いてしまう。何か言いたいことがあるんだろうが…言うのを躊躇ってる感じかな。
チラリとナリアを見る。すると彼はネレイドの何かを感じ取ったのか…静かに首を横に振る。深く聞いても意味はないか。
「…言いたくないことか?」
「ちょっと…言いづらい」
「そうか、ならまた言える時が来たら言ってくれよ。一人で悩んで解決するなら…それでいいけどさ」
「うん…」
この人は頑固なところがあるから、聞いても無駄だろう。けどそんな言葉を言い訳にして彼女の悩みを放置していい理由にはならない。何か俺に出来ることがあればいいんだけど…。
………………………………………………………………
我々は今テュフォン大渓谷に存在するモース・ベヒーリアのアジトへ向かっている。アルトルートを助け出すためだ。
その為の作戦は既にラグナが立ててくれているし、その内容を聞いた限りでは確実に上手く行く作戦だと私も思った。彼の作戦立案能力は確かなものだ。
エリスとアマルトは居ないもののそれでも助け出すだけなら過不足ないだけの戦力と戦略がある。私の将軍としての面が今回の作戦に不安要素はないと口にしている。
けど…私の気持ちは晴れない。モースと戦うと聞いた時からずっと重たい暗雲が心にかかっているように、私の胸は重かった。
私はガタゴトと揺れる馬車の中、何もない壁をジッと見ながら夢想する。
…………あれは数年前の事だ。リゲル様が私に言ってくれた…私の出自に関する話だ。
─────────────────────
「ネレイド、貴方は私の実の娘ではありません」
あれはまだ神将になるよりも前、ずっと前、私が神聖軍に入る…前夜くらいだったかな。
雪の降り頻る夜、私は母に自室に招かれ…お前は私の実の娘ではないと告白されたのだ。内容としてはとても悲しいものだった…が、実はそんなに衝撃はなかった。
だって。
「うん、だと思った。だって私…お母さんよりずっと大きいもん」
「うふふ、立派に育ちましたものね」
だって明らかに背丈が違う。私の肩幅は母よりもずっと逞しいし筋肉だって母の十倍くらいある。髪色も似てるけど髪質は全然違うし…何より顔も似てない。
そうなんじゃないかなぁ〜とは思ってたけど、やっぱりそうだったか。
「でも、私はお母さんをお母さんだと思ってる。それ以外の人をお母さんだと思うことはないよ」
「ね、ネレイド…うう、いい子に育ちましたね。母は…母は嬉しいですよぉ〜!」
ヨヨヨと涙ぐみながらハンカチで鼻をかみながらよしよしと私の腰を撫でる母の姿に私の胸は暖かくなる。けど事実だよ、私に今更本当の母がいますと言われてもその人をどう扱っていいかなんて分からない。
その人は私を生んだだけ、私を育てくれたのは夢見の魔女リゲル様を置いて他にいないと断言できる。
「うう、今日はネレイドの大好物の牛肉祭りですよ。パクパク食べてモリモリ大きくなって…ってそうじゃありません!話が変わってしまいました」
「そうなの?」
「そうです!…貴方には実の母がいます。それを貴方がどう思おうともその人が貴方の実の母であると言うことに変わりはありませんよ」
「そうかな…」
「…あれは今から十数年前、カストリア大陸からポルデュークに移ってくる積荷の中、布に包まれている貴方を私が拾ったのが全ての始まりでした。あの時はなんと可哀想な子と思い…貴方を捨てた者に怒りを覚えたものです」
私は積荷の中に捨てられてたのか…とすると私はそもそもオライオン人ですない可能性も高いのかぁ。なんだか悲しいけど産まれた場所や流れている血なんて関係ないよね、私を育ててくれたのはこのオライオンの雄大で慈悲深い雪景色なのだから。
「ですが…」
「ん?」
すると母は、ですがと続けると…。
「確かに貴方は積荷の中に放置されていたかもしれません。けど…もしかしたら、捨てられたわけではないのかもしれません」
「…どういう意味?」
「貴方を包んでいた布は、貴方を愛していた者が巻いた物です。貴方を育て愛してきたからこそ分かるようになりました…、あれは…貴方を愛し慈しみそれでも止むに止まれぬ事情で、優しく包まれたものだったと」
「つまり私は捨てられたんじゃなくて…」
「はい、何か…手放さなくてはいけない理由があってあの場に置かれたのだと私は思います。決して貴方は愛されていなかったわけじゃない、その方は…私と同じくらい私を愛していたのです」
「………………」
そう言われても、困る。だって私はその人の顔だって知らないのだから……。
そう私が困惑していると、母はいつもの椅子を部屋の隅から引っ張ってきて、私の前に置くと共にその上に乗り、私の頭を撫でる。
「いいこいいこ、ネレイドは本当にいい子ですね」
「…お母さん…」
「貴方はとても慈悲深い、私を愛するが故に見も知らぬ母に対してどのような感情を向けていいか悩んでいるのですね」
「……うん」
「ふふふ、でも大丈夫ですよ。例え貴方が実の母を愛そうとも私と貴方が親子であることは変わりません。私も貴方を娘として愛しているのですからね…だから」
すると、母は私の頬を両手で優しく包み…にこりと微笑むと。
「もし、貴方の長い人生の中、その実の母と再会するような事があったら…遠慮する事なく『お母さん』と呼んであげてくださいね」
…………そう、言ったのだ。
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(お母さんと呼んであげて…か)
母はあの日、私にそんな事を言っていた。実の母と再会したら『お母さんと呼んであげて』と…。でもその母が本当は悪人でテシュタル教を虐げる魔人だったとしても私はその人のことを母と呼んでもいいのか?
私の敬愛するリゲル様と…同じ場所にそいつを置いてもいいのか…?
(モース・ベヒーリア…本当に私の母なのか?)
ザガンは私の顔を見た瞬間『モースの娘だ』と言っていた。
アガレスも私の顔を見た瞬間何か反応していた。
皆、モースと面識がある者達ばかりだ。それほどまでに私とモースは似ているのだろうか…でも同じく面識があるジャックが『全然似てない』って言ってたし…。
いやジャックもジャックで信用出来ない、彼はデタラメを平気な顔で流布するタイプだし。何より同じ賊であるジャックを信じてザガン達を信じないというのはあまりに自分に都合が良すぎる。
「モース…」
会ってみない事には分からない、他でもないモースが…私を見てどう反応するか。
どのみち分かる、今私はモースのいるアジトに向かっているんだから。
…………………………………………………………
「………………」
「そう睨まないで欲しいでごすな。子供達には手を出してないんでごすから」
「……そういう問題ではありません」
「ふぅ〜…」
暗く、光の差さない汚らしい部屋の中心に立つ椅子に、縛りつけられた僧侶アルトルートはキッとした視線を向け目の前で胡座をかく巨人…モースを睨む。
ここはテュフォン大渓谷の真下に存在する街、その名も『地獄街フェルノ』…おどろおどろしい名前の通り其処彼処から地下水が吹き上がり水蒸気が炎の立ち上る街だ。
そこにある廃教会、それをモース達は勝手に占領してアジトとして使っているのだ。ところどころ崩れた教会の懺悔室に入れられたアルトルートを待っていたのは、痛みでもなく屈辱でもなく、ただただ不気味なまでの平穏だった。
「あんたにも手出ししないから、安心して欲しいでごす」
ね?と両手を開いて敵意のなさを今更ながらに示すモースは、アルトルートの顔をジロジロ眺めるばかりで何もしようとしない。てっきりここに連れ込まれ強姦なり暴行なり加えられる物と思っていたが…。
本当に敵意がないのか、敵意がないなら街を襲ったりしないだろう、だが子供達に指一本触れなかったのはまた事実。でも街が困窮しているのはこの人達のせいで。でも今私は傷ひとつない。
分からない、モースという人間が分からない。
「……なんなんですか、貴方は」
アルトルートから見てモースという女はとにかく不気味極まる女だった。
他の山賊から感じる荒々しさや泡立つ気色悪いヘドロのような欲望も感じない。
何も感じない、感じるのは空虚だ。これは修練を終え僧侶として一種の完成形を見つけ出した老齢者が達する領域にさえ似ている。
これが山賊?これが街を襲う山賊達の親玉?…とても自主的に何かするような人間には見えない。そう不可解さを表すようにアルトルートが視線を細めるとモースは困ったように頬をかき。
「荒々しい方法を取るに至った事に関しては謝罪するでごす。けどあーしらは山賊…出来ることといえば奪う事と壊す事。そんなあーしらのあり方も許容して欲しいでごす」
「…それを改善する努力を示しているなら、神もお許しになるでしょう」
「神…神ね。なら今のあーしは神に許されていないという事でごすかねぇ…」
二人きりの懺悔室にモースのため息が響く。
…この人は、敵なのか。まずそこから分からない、だからアルトルートは静かに決意を固め。
「モースさん…でしたね」
「ええ、そうでごす…あーしはモース・ベヒーリア。三魔人が一角 山魔モースでごすよ」
「貴方に問いたいことがあります。…私をここに連れ込んだ理由はなんですか?何故あの街を襲うのですか?何故…」
「何故?決まってるでごすよ…」
するとモースはヌルリと立ち上がり。…大きい、私が座っている事を加味してもそれでも大きい。かなりスペースがあるはずのこの部屋で、背を曲げないと立てない程に大きいなんて。
まるでこの威容…ネレイドさんのような。
「あーしの目的は一つ…それは、復讐でごす」
「復讐…?」
「そう、テルモテルス寺院…ガイアの街、そして最後はテシュタル教が蔓延るマレウス東部、その全ての消滅。それだけがあーしの目的はでごす。それ以外は望まない」
「しょ…消滅!?消し去るのですか!?全てを!?」
「そうでごす、そうするより他ない…最早」
「出来るわけが…」
無い…と言いかけたが、そこで言葉が切れる。モースが凄まじく冷たい目でこちらを見ていたからだ。
やる…こいつはやる。如何なる手段を用いてかは分からない。だがこの女はマレウスの四分の一を占める東部クルセイド領を消し去るつもりだ。
「や、やめなさい。そんな事をしたら…一体どれだけの人が死ぬと思っているんですか…!」
「知ったことでは無いでごすなぁ。お前達テシュタル真方教会の人間は…山賊以下のクズでごす、善人のフリをした詐欺師ほど唾棄すべき物はない」
「何故そうまでしてテシュタル教を恨むのですか!」
「お前達が私を裏切ったからだろうがッ!」
「グッ…!」
ギリギリと牙を食い縛りモースが椅子ごと私の首を絞め上げ持ちあげる。そこから発せられるのは怒りと狂気…そしてそれ以上の遣る瀬無さ。
何がそこまでさせる、空虚に成り果てた者が怒りに狂う程の何が…。
「…ナール・エピスコプスという男を知っているな?」
「え…ナール神父を…!?」
「そうだ、…奴が私にした仕打ち、その落とし前をつけなきゃこちとら死ぬに死ねねぇんだよ…」
「ナール神父がした仕打ち…まさか」
ナール…あの男がやった事…それは神をも恐れぬ大悪行。奴は金銭に取り憑かれた怪物だ。
金を手に入れるためなら何でもやった。
寄付金の着服、神聖な宗教具の売却、薬の横流しにまで手をつけ裏社会に与して多くの悪行を為していた。その中でも特に…いや、最も許されざるべき行いといえば。
「人身売買…」
「……知っているんだな…!」
人身売買だ、ナールは奴隷を裏社会に流していた。それを主な収入源にしていたんだ。
そんな数の人間をどこから調達していたか?決まっている…子供だよ。
寺院を頼ってきた子供達をナールは里親が見つかったと騙して連れ出し奴隷として売り捌いていたんだ。他に行くあてもなく…何処にも居場所がない子供をだ。私はそれが許せないからあの男を寺院から追い出したんだ…。
しかし、何故それでモースが憤る。
「何故貴方がそれを問い詰めるのですか、山賊である貴方が外道を成敗する気ですか?」
「違う…言ったろう、復讐だと。…あいつはな、私の娘を…売ったんだよ」
「え………」
言葉を失っている間にモースは私を離し、地面に突き落とすと共に激烈に冷たい目で見下ろす。
娘を…売った?モースの娘を?ナールが?…だから、復讐…。
「…あーしは、こんな身の上でごす。壊す事と奪うことしか出来ないあーしが…今更子供を持ったからって更生なんかできやしない。でも生まれてきた子には罪はない、その子には…あーしみたいなロクデナシになって欲しくなかった…。真面目に生きて仕事に就いて人に尊敬される…そんな子になって欲しかった」
「……モース…」
「でもあーしが育てたらきっと良くないことになる。だから聖職者にお願いしようと思ったんでごす。あーしよりも立派な人間が育てればきっとその子の未来も明るいはずだと…でも、それがバカだった…!山賊のあーしが他人を信頼して何よりも大切な我が子を預けたから…あの子は!!」
モースが怒りのままに壁を叩けば、その一撃で壁に大穴が開きガラガラと崩れ去る。つまりモースは我が子の未来を案じ教会を信頼して…大切な我が子を預けてくれていたのか。
しかし、その願いは叶わなかった。ナールによって預けた子供は売り払われた。奴隷として…闇の中に消えてしまった。
「気がついた時には既に全てが遅かった。遠の昔に我が子は売り払われナールも寺院を追い出されて何処かに消えていた。…あーしは探したでごす。ディオスクロア文明圏中を駆け回って我が子を探したでごす。山の上から地の底まで…探して探して探して…気がついたら、十数年が経っていた」
「…………」
「ふ…ふふふ、十数年でごす。あの子はもう…この世にいないという事実を受け止めるのにそんな長い時間がかかってしまった。でももう…諦めたでごす、だから…せめて私を裏切り腐ったクソ野郎達に落とし前をつけさせなきゃ気が済まねぇんだよ…」
ギロリとモースがこちらを睨む。口調は荒く、表情は怒気に満ち、先程まで見せていた落ち着いた雰囲気は消し飛んでいる。
そこで私はようやく悟る、彼女は何も持たない空虚な人間じゃない。
彼女にはもう残ってないんだ、娘を十数年と探し続けそれでも見つけられなかった彼女にはもう…復讐心しか残っていない。自分を裏切ったナールとテルモテルス寺院とテシュタル真方教会への復讐心しか。
「お前を攫って来た目的を聞きたがっていたな。…それは一つ、ナール・エピスコプスの居場所を教えろ。奴は今何処にいる」
「そ、それを教えたら…どうなるんですか」
「決まっている。殺す…テルモテルスを潰すのはその後だ」
「言えません…」
「なら先にテルモテルスのガキどもを全員殺す」
「な……!?」
「私が善意で子供達を生かしたと思うか?…それともテルモテルスは、虚栄心の為にまた子供達を裏切るのか?」
背を向け肩越しにこちらを見るモースの視線が肩に降り掛かり重圧に押しつぶされそうになる。
ダメだ、言わなければ子供達に牙が向くことになる。でも言えばモースはナールを殺しその次に東部全域を破壊するつもりだ。
どうする、どうすればいい。どうすれば…。
「う……あ…」
「………………」
「さ、…サラキア。神都サラキア…そこで教皇直轄の司祭として働いている」
言うしかなかった、耐えきれなかった、ナールの居場所を教えればどうなるかなんて分かっているのに…私は、弱い私は…耐えられなかったんだ。
「サラキアか、やはりあそこに居たんだな…面倒な。まぁだが……いいでごす。どの道あそこも滅ぼすつもりだったし、それに…そんなこともあろうかと餌を手に入れておいてよかったでごす」
「え?餌」
するとモースは私の声に反応して、懐から一冊の冊子を取り出し…って、あれ。
「そ、それは…!」
「昨日、うちの手グセの悪い部下が棺桶の中から漁って来たヒンメルフェルトの遺物。いや…『羅睺の遺産』だったか」
あれは祖父が世に出してはいけないと言っていた魔術文献だ。あんなものまで盗まれていたのか!?というか…まさか。
「貴方!中身を読んだりしてないですよね!」
「読んだでごすよ?あんたはこの中身見たでごすか?」
「見たわけがないでしょう!それの中身は世に知らしめてはいけないと祖父が…」
「ふぅーん」
って!何読んでるんですか!こいつ全然話聞かないじゃん!
パラパラと中を読みふけるモースは、ニタリと笑いながら。
「まぁ、確かにこれは公にしない方がいいでごすな。正直モノがヤバすぎてあーしも手に負えないと思ってたでごす」
「え?」
「これ、読む人がが読んだら…やばいことになるでごすなぁ。あんたのお祖父ちゃんは聡明でごす、文字通り世界がひっくり返る事が書かれてる」
祖父の言うことを聞いて、私はあれを読んだことはない。ただ漠然と読んではダメだと言う意識から今まで触れてこなかっただけだが…あのモースがここまでの反応をするとは。
一体中に何が書かれているんだ。祖父は…一体何を見つけてしまったんだ。
「書かれてる内容が内容だ、上手くやればクルスに売り込めるかもしれない」
「え…まさかそれ、クルス・クルセイドに売るつもりですか?」
「はいそうでごす〜、そこで神都へのコネを作り内部に潜り込み、ナールを殺し…そのまま神都を消しとばす。そこに住んでいる教徒ごと全員な…」
「ま、待ちなさい!それだけはダメです!そんな事をしても貴方の娘は帰ってきませんよ!」
「しなくても帰ってこないでごす。なら…もう復讐に全てを投げ打つしか、やる事ないだろうに」
それじゃ とだけ言い残しモースは部屋から出て行ってしまう。
止められない、私にはあれを止められない。…けど止めなきゃいけない、このままじゃ東部が…テシュタル真方教会が、多くの人々が死ぬことになる。
絶対に止めなきゃいけないのに…、私には祖父のような力も仲間もいない。
「嗚呼…神よ、どうか…どうか私に…いえ、真方教会に救いの手を…」
もはや私には、祈ることしか…出来ない。
…………………………………………
「ふぅ、思いの他何も知らなかったでごすな」
チラリと懺悔室に閉じ込めたアルトルートを扉越しに見るモースは小さく溜息を吐く。テルモテルスにいる人間ならもう少し色々知ってるものかと思ったが…あれはダメだ。何にも知らないし何にも知ろうとしていない。
一生懸命攫ってきたのに割に合わない。オマケに護衛も大したことないし。これなら物流を閉ざして街を弱らせるなんて万全の策を使わずとっとと終わらせればよかった。
「モース団長、どうでしたか?」
「何か分かったかえ?」
ふと、懺悔室の外に目を向ければ、そこには五人の隊長とダアトが待機していた。皆教会の壁にもたれたり柱に寄りかかったりと各々の姿勢でくつろいでいる。
何か分かったか…か。
「ナールの居場所が分かったでごす、神都サラキアにあいつは隠れていたようでごす。盗んできたこいつ…ヒンメルフェルトの遺品として奴等に流してその隙にサラキアに忍び込む作戦で行くでごすよ」
「ヒヒヒヒ!ならばわえが行こうかえ!あの街ならば妾以外の適任はいまい!」
「そうでごすな、じゃああの街はオセと…ベリトとシャックス、お前達に任せるでごす」
「あいよ、まぁ俺としては構わないけどさ。…でもこいつは…」
「えぇぇぇぇぇぇええええええ!?!?!?!?僕ですがぁぁぁあああああ!?!?オセさんと一緒は嫌ですぅ〜〜〜〜〜っっ!!」
「嫌がるかも…って言おうかと思ったが、その通りになったな」
「これベリト!いくらなんでもそりゃわえに対して失礼じゃないかえ!?」
「お前達三人が揃えば神都だって潰せるでごす」
「そりゃ…僕の失敗錬金術があればなんでもぶっ壊せますけど…それを言ったらオセさんの『あの魔術』があればサラキアは一撃で噴き飛ばせますよね」
「おひょひょひょひょ!楽しみ楽しみ!こりゃあ最高の殺戮が楽しめそうよな!」
ベリトの失敗錬金術の崩壊は大規模破壊に適している。そしてそれ以上にオセの魔術はサラキアという街の特性上これ以上ない相性の良さを持つ。彼女がサラキアの最深部に辿り着けば…それだけでサラキアは跡形もなく吹き飛ぶことになる。
東部を破壊し尽くす…この復讐の幕開けが、クルセイド領の中心たるあの街の崩壊から、というのはなんとも格好のつく話じゃないか。
「それじゃ、早速行くでごすよ」
「はーい」
「あいあいわわ
「うう、仕方ないなぁ」
そう言って私が三人に羅睺の遺産を手渡す…その瞬間を、ダアトがジッと眺めていることに気がつく。
「……気になるでごすか?ダアト」
「……はて、なんの話でしょうか」
「とぼけないでしっかり口に出すでごす」
「そうですね、気になる点があるとするならここのトイレ、手を洗おうと思うと一回表に出て井戸の水を使わなきゃいけない点くらいでしょうか」
「…………」
とぼけるなつってんのがわからねぇのかこのクソガキは。今私はな…以前ほどお前を信用してないんだよ、そこんところを理解してんのか。
「ダアト、アルトルートは何も知らなかったでごす」
「そうでしたか」
「お前が言ったんだよな。今ガイアの街に攻め込まねば機を失うと…、だが攻め入った結果うちは少なくない損害を被った上で殆ど成果もなかった。お前は賢いが…しくじった」
「アルトルートが何かを知っている前提での話ならそうでしょうが。私はあくまでガイアの街を落とす前提の話でしたので…、そもそも他人の無知まで私のせいにされては敵いません」
「言い訳を…。まぁいい…それよりお前はあの冊子の中身、気にならないでごすか?」
「……ふむ」
オセたち三人がが立ち去った後をチラリと見据えるダアトは、こてんと首を傾げ。
「いえ、気になりません。中身知ってるので」
「……何?」
咄嗟にカイムを見る。しかしカイムは首を横に振り否定する。
あの冊子の存在はイレギュラーだった。棺桶の中まで漁れとは命令していないが故にあれが盗まれたことは完全に想定外だったんだ。私がたまたま部下を問い詰めたところようやく出てきた代物…それを覗き見る事は出来なかったはず。あの中身を読んだのは私だけ…部下も汚い本だと思って読んでいなかった。
一体、どこであの内容を知ったんだ?
「どこで内容を知った、あれはちょっと表沙汰には出来ない情報だった。それをどこで…」
「聞いたんですよ、私の師匠にあたる人物から」
「師匠…?」
「ええ、あの文献が書いた人と私の師匠が知り合いでして。教えてもらいました」
「……はぁ」
またくだらない冗談か。まぁいい、こいつはもういい。相手をしてるだけで疲れてくる。
「もうなんでもいいでごす。それよりもナールを見つけるまでまだ少し時間があるでごす、各々例の計画に備え支度を…」
「失礼、モース様」
「……なんでごす?カイム」
すると、カイムが何やら真面目な顔つきで柱に預けていた体重を戻し…こちらに歩み寄り。
「恐らくですが、ガイアの街の戦力がアルトルートの奪還に来ると思われます」
「ガイアの街の…?例の傭兵と魔女の弟子か」
「はい、傭兵も油断ならない強さですが…それ以上に油断出来ないのが弟子達です。総勢を八人ながら本隊のメンバーを蹴散らし隊長達とも互角に戦って見せました…中でも明らかに頭一つ飛び抜けて強いのが二人」
「へえ、そいつらの特徴は?ここに来るんでごすよね。なら今度はあーしが相手してやるでごす」
「一人は赤髪の男。技量も力量も途方も無い武芸者でした…そしてもう一人が」
「もう一人が…?」
「…………」
ふと、カイムが何やら言い淀むようにアスタロトと視線を合わせる。殆どの事柄に反応を見せないアスタロトが…何やらバツの悪そうな顔をしている。
なんだなんだ、お前達がそんな反応するなんて…そんなに強い奴なんでごすか?だとしたらちょっとやばいかもしれんでごす。今の衰えたあーしじゃ勝てないかも…。
「落ち着いて聞いてください、モース様。そのもう一人というのが…貴方にそっくりだと、アスタロトは言うのです」
「は?」
「背丈、技量、纏う風格、どれを取ってもモース…お前にそっくりだった。そして年齢も…見たところ二十代前半、この私を投げ飛ばしたのは…お前と奴くらいだ」
「………………」
それは、なんだ。アスタロト…何が言いたい。その話し方…そして得られた情報。
(まるで…まるで、そんなの…)
くらりと脳が揺れて壁に手をつく。いや…いや待て、期待するな、あれだけ探して見つからなかったじゃ無いか。
「モース、よく聞け。私はあの女は…お前の娘では無いかと疑っている」
「ッ……!」
首筋を触る。まさか…まさか、本当にそうなのか?本当に…あの子なのか?
…嗚呼、だとしたら…だとしたら。
なんてタイミングなんだ…、どうして今なんだ。あれだけ探しても出てこなかったのに…。
やはり、この世に神はいないのか。




