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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十四章 闘神ネレイド、炎の大一番
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446.魔女の弟子と消失



「状況を整理すると…まぁ一言で言えば『惨憺』だな」


朝日が差し込む中、寺院の食堂に腰を下ろしたメルクさんは朝食をとりながら最悪の状況報告に静かに瞑目する。


「ああ、悪い…」


「面目無い」


「ごめんなさい…私達アルトルートさんを守れなかった…」


「ラグナ、ネレイド、デティ。君達が申し訳なさそうにする必要はないだろう…私達も力不足だったんだ」


とは言うが、先日起こった戦いの結果は…まさしく惨憺だった。


取り敢えず状況を整理しようとラグナは…俺は想起する。昨日起こったモース大賊団の襲撃…それによりガイアの街は殆ど壊滅に近い被害を追った。


まず街人、この人達はメルクさん達やアルザス三兄弟の奮戦で全員無事。皆近くの洞窟に避難し点呼をとり誰一人欠けることなく避難が出来たことを確認した。皆常日頃からこういう時の為に備えていたのが功を奏したようだ。


しかし、街人達は皆このまま近隣の親族を頼ってガイアの街を出ると口々に言いだした。もうあんな危険な街にはいられない、ヒンメルフェルトやアルトルートへの恩義から街に居続けたがもう限界だと。


それを止める事はメルクさん達にはできなかった、元より街人は皆決意を固めていたし…第一帰っても危ないことに変わりはない。そもそも街も半壊だし…戻る意味もない。


街も多大な被害を置い半分が文字通り消滅。まぁこれは殆どケイトさんの所為だが…彼女がいなければあの難局を乗り切れなかったからなにも言わない。


そして、魔女の弟子達の被害だが…取り敢えず重傷を負ったのはネレイドとアマルトの二人だけだった。ネレイドはダアトに敗れケイトさんの魔術に吹っ飛ばされて街の端っこで逆さまになって埋まっていたし。アマルトはなんか街の郊外まで吹っ飛ばされてた。


何より、エリスだ。傷も酷いが何より目覚めない、今も目覚めてないんだ。魔力を読み取ってもイマイチ状況が読めず、ダアトに何かされた事はわかるんだが…今はメグが看護をしてくれているから報告待ちだ。


…後は。


「アルトルートさんは攫われましたか」


ケイトさんが苦々しく呟く、そうだ。アルトルートさんが攫われた…、救助に向かったエリスがダアトに敗れた時点で何となく察していたが…どうやらアルトルートさんは踏み入ってきた山賊達に攫われてしまったようだ。


子供達を守る為に棺のある霊安室に避難していたが、それを読まれ踏み入られ抵抗もできず連れていかれたと。ただ子供達には手出しはされていなかった…本当に指の一本も触れていなかったというのは不幸中の幸いか。


何にせよ。


「助けに行かないと…!」


ナリアが立ち上がる、その通りだ。山賊に攫われてしまった彼女をこのまま放っておくことなんて出来やしない。


本当なら昨日の夜のうちに行きたかったんだが、避難した住民の件やそもそも俺たちが疲労困憊だったこともあり救出には向かえなかったしな。


「助けに行くのはそうだけど…結局あいつらの目的って何なの?」


と、デティが小さく首をかしげる。そこは確かに気になるな…だって。


「奴等の目的はこの街の消滅だそうだ」


そうメルクさんは言ってくれる、曰く昨日奴等の幹部と戦った際そんな言葉を聞いたそうだ。つまるところ奴等の目的はケイトさんでもなければアルトルートさんどうこうではなく…ガイアの街そのものだったのだ。


だがそれでも疑問は終わらないとばかりにデティは街の外を見て。


「だけどさぁ、それならもう目的達成じゃない?街はこの有様で住民は居なくなってもうこの街には私たちと孤児達しかいないよ、実質消滅だろ」


「この街の消滅が目的なら…これで目的達成だよな」


「ならアルトルートは誘拐ではなく殺害にするだろう?飽くまで襲撃はその為の手段でしかないのだから」


そこなんだ、奴等の目的がこの街の存亡ならアルトルートを攫うまでもなく目的は達成されている。だが奴等は誘拐を目的としてここに来て事実アルトルートを攫っていった…奴等にとっての『消滅』の定義が分からん。そしてそれより先に別の目的があるのかも…。


「何が目的でも変わらない、何が狙いでも構わない、奴等はこの手で潰そう」


「お?おう」


やや怒気の篭ったネレイドの声にびっくりして吃る。一応テシュタル教の街だからかな…えらく気合い入ってるぜ。


「うーい、お前ら飯は終わったか〜?ってまだか」


すると、食堂の外からやや疲れた様子のアマルトが頭を掻きながら入ってきて。


「どうだった?子供達の様子は」


「どうもこうもねぇよ、全員揃って『アルトルートさんは何処に行っちゃったの!?』って泣いてるぜ。あの子達にとってアルトルートは親同然だしな」


「そうか、ならなおのこと助けに行かないとな」


「それにアルトルートさんがいないとお葬式も終わりませんからね〜」


ケイトさんのやや空気を読まない発言に思わずアマルトがムッとする。まぁ葬式が終わらないはそうなんだけどさ、アマルト的には面白くないだろうな。傷の治療も半端にして子供達の様子を見に行って今の今までメンタルケアに励んでたくらい…アマルトは子供達を心配している。


事実、街の外の状況や目の前で親を攫われた事件は子供達にとって経験とは言えないだろう。


「ともかく、俺達はすぐにでもアルトルートさんを助けに行こうと思ってる」


「そっか、全員じゃなくていいよな。俺は残らせてもらうぜ?アルトルートが居ない状況で子供達は放って置けない」


「分かった、じゃあアマルト以外のメンバーで奴等のアジトにカチコミかける。なぁラック、連中のアジトの場所はわかってるか?」


「無論だ、本当はこちらから先手をかける予定だったが…。ここから半日ほど移動した距離にある大断層付近に奴等のアジトがあることは確認されている、だがそこにアルトルートがいるなら…当然、幹部も例の知識のダアトもいるだろう」


「だろうな」


厄介だ、昨日戦った幹部は全員が全員メチャクチャ強かった…どれもこれも楽な奴は一人もいない。その上にダアトだ…ありゃあどうすればいいのか俺でもわからないくらい強い。確実に今の俺達が戦っていい敵じゃない。


「ダアト、厄介だな…」


「…………」


「まぁ、それでもやるしかないさ。次は俺とネレイド…そしてエリスの傷の状態が良ければエリスにも参戦してもらって、三人がかりで戦えば撃退くらいは出来るかもしれない」


「…頑張る」


俺とネレイド、そしてエリス。全員一度負けてるが今度は三人同時にかかればなんとなるかもしれない、というかそれでなんとかなってくれなきゃもう、打つ手なしだ。


(その為にも、今はエリスが目覚めるの待ちだが…)


未だ目を覚まさないエリスに想いを馳せた瞬間。


「皆様!」


「メグか!」


そこでエリスの看病をしていたメグが部屋に飛び込んでくる。まさかエリスが目を覚ましたか?ならナイスタイミングだ!


「エリスが目を覚ましたか!」


「え、ええ!目を覚ましたのですが…」


「……ですが?」


「ともかく来てください!エリス様の様子がおかしいのです!」


「ッ…デティ!」


「うん!」


血相を変えて部屋に飛び込んできたメグの報告を聞き俺たちは揃ってエリスの寝ている部屋へと駆け出す。様子がおかしい?まさか容体に変化があったのか!?


そう思い、彼女の身を心配しながら寝室へと突っ込むと…。


………………………………………………………………


エリスの様子がおかしい、そう聞かされ部屋へと突っ込んだ俺達が見たのは、目を覚ましたエリスの姿だった。傷はもうないし万全の状態と言える。


彼女はこういうのに慣れてるから直ぐにでも動けるようになっているだろうと予測を立てていたんだが…。


はっきり言おう、これは…想定外だと。


エリスは確かに起きていた、怪我も完全に治癒が終わりなんとも元気な様子でベッドから降りているし調子にも影響がないようで声色も実に元気…元気、なんだが。


「これ…どういうことだ?メグ」


「分かりません、目が覚めたかと思えば…こんな状態で」


しかし、明らかにいつもの様子ではない。というか酷い言い方をすると正気にも見えない。


だって今そこにいるエリスは……。



「ぽへ〜〜〜〜……」


気の抜けた顔で…ボケーっと窓の外を眺めていたのだ。確実におかしい、何かがおかしい。仮にもダアトに負けて気絶していたエリスが起きた直後にこんな気を抜くはずがない。


その異様な姿に皆目を丸くしていると、エリスがこちらに気がつくと。


「あー…ラグナ〜…おはよ〜」


「お、おはよう。どうしたんだ?随分その…気が抜けてるみたいだけど」


「そんな事ありませんよ〜、ただお日様が綺麗だな〜って〜」


いや絶対どうかしてるだろ、エリスそんな事言わないぞ。何かされたのか?


「アホみたいな顔してる」


「その、ダアトにやられたんだよな?何かされたのか?」


そう俺が聞くと…エリスはこてんと首を傾げて。


「だあと?誰ですかそれ」


「へ?」


「と言うかここはどこなんでしょう〜、エリスはここで何をしてたんでしょうか〜、師匠は何処にいるんですか〜?」


「な、あ、え?」


忘れてる?しかもここが何処かも何をしていたかも綺麗さっぱり?いやいや、そんなことあるのか!?エリスだぞ!?あのエリスが!?こんな…!


バッ!とデティとメグの方を見る、何がどうなってるんだ?説明を頼む。


「エリス様、先程も説明しましたがここはテルモテルス寺院で…」


「テルモテルス…?」


「エリス様は先日ダアトにやられて…」


「だあと?誰ですかそれ」


「と言った具合に、先日の記憶や自分がここで何をしていたかの記憶を全て失っている上にそれを記憶することすら出来なくなっているんです…」


「なんてこった…、なんでこんなことに…」


「……エリスちゃん、ちょっといい?」


「あ、デティ〜」


するとデティがエリスに近寄り、体に触れるとエリスは嬉しそうにデティを抱きしめ始める…のを、デティは無視して何かを探り…ハッと気がつく。


「…ッ!やられてる!」


「何か分かったのか?デティ」


「うん、今ようやく気がついた…エリスちゃんの魂の中から、識確の力が無くなってる」


「識確の力が…?」


識確ってのは、エリスが持つ特別な力だよな。それがあるからエリスは物事を忘れないし特殊な技を使うことが出来て…って、それがなくなってる!?


「魂の中に累積している情報に穴が空いてる、魔力の流動に異変が見られるし恐らくだけど識確に異常があるんだと思う」


「つまり…どう言う事だ」


「正確に言えば情報を記憶する機関が麻痺して機能しなくなってる、そのせいで識確の力がエリスちゃんの中から失われてるんだよ」


「ま、待てよ?にしちゃあこの様子はおかしくないか?なんもかんも忘れちまうってのは…」


「識確の力自体はどんな人間でも持ってるんだよ、ラグナ。前説明したでしょ?覚えてない?」


そう言われても…と思い咄嗟にエリスに聞こうとしたが、ダメだ。この様子じゃ答えてくれないだろう。


だから必死に思い出す。確か識確の力自体はみんな持っているんだ、それは『識』とは人間由来の力だから。常識、意識、知識、それらを統合した存在が識…故にどんな人間でも持っている物。正確に言うなら識確の力自体は誰しもが持っていると言える。エリスが特別なのはその識の力を『扱える』部分にあるのだ。


その識を扱う力により、エリスは内側に入り込んだ知識…即ち記憶が永遠に内部に残り続ける。それがエリスの記憶能力の正体なんだ。


「えっと、知識とか常識とかが識…なんだっけ?」


「そう、エリスちゃんは識確の力を失うと共にその知識とか常識も失ってるの。そして意識も曖昧だからこんなポヤポヤしてる…つまり」


「つまり?」


「エリスちゃんは、ダアトから何かをされて…『すっごいバカ』になっちゃったの!」


「な!?あり得るのか!?そんな事!出来るのか!?」


「うーん…、記憶に干渉するなら記憶消しのポーションや記憶縛りの魔術を使えばいい。常識を欠如させるなら催眠魔術を使えばいい、けどそれら全てが同時に降り掛かりなおかつ魂に打ち込まれた識確の力まで消し去ろうとすると…同じ識の力を使わない限りは」


「じゃあ、ダアトも…識の力を使えるってことか?」


「そうなるね、まだ確証は持てないけど…」


…ダアトに関しては未だ未知数なところが多い。エリスとナヴァグラハ以外居ないとされている識確の力を扱える人間がまだ別にいる理由は分からないが…今はそう思うしかないと言うわけか。


「にしても、エリスさんは今知識や記憶を失ってるって事ですよね」


「あ、ナリアさん、おはようございます〜」


「なのになんで僕達の事は覚えてるんでしょうか。場所や目的は覚えてないのに」


確かに、俺達を俺達だと認識してはいるよな…しかもメチャクチャフレンドリーだし。知識を失っているなら俺達のこともわからないんじゃ…。


「そこは、エリスちゃんが私達を知識や認識ではなく魂で記憶してくれているからだと思うよ。エリスちゃんにとって全ての知識を失っても忘れないのが私達…ってことかな」


「え、エリス…」


本当に大切な物は記憶ではなく魂に刻まれる物だからと口にするデティに…。思わず俺はジンと来て口元を抑える、メルクさんも目を潤ませながらエリスの気持ちに感動する。そうか…エリス、俺達のことそんなに大切に思ってくれてたのか…。


「エリスぅ、ありがとなぁ」


「えへへ、ラグナぁ〜大好き〜」


「ちょっ!?」


そして何故俺に抱きつく!?うっ…エリスの体ってこんなに凹凸があったのか。こんなにもしっかり密着した事は思えばそんなになかった気がする。という彼女がこんなに無警戒に誰かに体を明け渡す事自体が無か…いや待て腰細ッ!?足太ッ??腹筋硬ッ??胸柔ら…。


「ぶぶぅっ!?」


「ラグナが血を吹いて死んだぞ!早く引き剥がせ!」


「エリス様!一旦離れましょう!」


「えぇー、ラグナ好きなのにー、でもメグさんも好き〜」


「あら可愛い」


興味の対象は直ぐに俺からメグに移り彼女に抱きつき頬擦りを始めるエリスを見てなんとなく察する。どうやら今のエリスはかなりこう…ニュアンスで生きているようだ、だから平気で好意を体で示してくる…と。


うう〜んかなり危ないなぁ!


「ってかよラグナ、大丈夫か?」


「あ?ああアマルト、大丈夫だよ。鼻血が出ただけだから」


「いやそっちじゃなくて…いやそっちもだけど。お前エリスをこれからの戦いの戦力にカウントしてたんだろ?…あの状態で戦えんのか?」


「あ……!」


そうだよ、俺たちはこれから敵のアジトに攻撃を仕掛けるんだ。そこにエリスは必須級の戦力として俺は扱っていた。彼女は強いし何より古式属性魔術は攻撃戦に於いて無類の強さを持つ。その彼女がこの状態じゃ…。


「な、なぁエリス!戦えるか?」


「戦う?誰と?何と?なんで?」


「ダアト…マレフィカルムとだよ!」


「マレフィカルム……ってなんですかぁ?」


トローンとした笑みを浮かべるエリスもまた可愛い…じゃなくて。こりゃダメだ…戦える状態じゃねぇ。


「この状態のエリスを連れて行っても危ないだけだ、と言うか戦えないのにエリスを戦場に連れて行く事は私が許さん」


「ああ、俺も同感だよ。だから…なぁデティ、これ治せないか?」


「一応、古式治癒はかけたけどイマイチ反応がないんだよね…。何がどうなってこうなってるのか…前例がそもそもないから治せるかどうかも分からないよ。力は尽くすから一生このままって事で…なんてつもりはないけど」


…そうか、となると戦力的にも厳しいな。エリスが直ぐにでも復帰出来るなら希望もあるが…デティ曰く治せるとしてもいつ治るかも分からない。それどころか治らない可能性も……いや、今はそんな嫌な想像をしている場合ではない。


エリスは戻ってくる、そう信じて今は前を見よう。


まず考えるべきはダアトをどうするかだ。あいつは強い…タイマンで戦って勝てるビジョンが見えなかった。下手すりゃ海の上のジャックよりも強いかもしれないアイツをなんとかするには…。


「ケイトさん、同行出来ますか?」


「え?私ですか?まぁいいですよ、私も冒険者の端くれ…ここはひとつ私にドーン!と任せてくださってくださいなぁ!」


彼女を頼るより他ない。唯一ダアトを相手に立ち回ることが出来たケイトさんなら…と声をかけると彼女は勇んで答えてくれる。そしてそう言いながらドン!と彼女が胸を叩くと同時に…鳴り響く、腰からの異音…。


「あ…!やべ…また来た…ぎっくり腰、やばい…昨日ので確変入ったかも…しばらく、戦えません」


「だよなぁ…」


だと思った、というより今のエリスが赤子同然ならこの人は老人そのものだ、戦えるだけの魔力は持ち合わせているが肉体がそれについていけてない。この人がこれほどの力を持ちながら護衛を頼んだのはつまりこういう事なんだ。


青い顔をしてポロポロ涙を流すケイトさんを見て、やはり自分達の手だけでやり遂げるしかないことを悟る。


俺達側の戦力と各々の魔術、そして敵方の戦力と魔術を鑑みて…いやダメだ。そのアジトがどういう立地にあるかでも変わってくるな。後で作戦会議をしないと。


「よし、じゃあ一旦エリスはアリスとイリスに任せて俺達はアルトルート奪還作戦の…」


そう言いかけた瞬間……。


『アルトルート・ケントニス!居るのは分かってるぞ!早く出てきなさい!』


そんな声が響き渡り…俺はぐしゃぐしゃと頭を掻き毟り。


「だぁーー!!今度はなんだ!次から次へと!」


「なんか玄関の方に誰かいますね。お客さんでしょうか」


「客?あの街の惨状を見て?妙だろ」


「…………行ってみよ」


「あ、ちょっ!ネレイド!?」


何やら聞きなれない声に俺達は揃って玄関に向かう。アルトルートを助けに行きたいのにあれやこれやとあっちこっちに問題が起こりすぎだ。


エリスがこうなってしまっただけでもこっちはキャパシティオーバーだってのに。


やや荒れる歩調で玄関の扉を開く。すると…扉の先には。


………………………………………………


──ネレイド・イストミアは荒れていた。


普段やれ温厚だ木偶の坊だと言われ、並大抵の事柄に動じる事もない彼女が荒れていた。


バカにされても貶されても笑って流し、殴られようが蹴られようが大抵のことなら許してしまう彼女が荒れていた。


他者に対して怒りを抱かぬ彼女が怒りの矛先を向けるのは、自分自身に対してだった。


いや、己の弱さとでも言おうか。


彼女はテシュタルの敬虔な教徒でありながらテシュタルを信奉するこの街を守れず、同じ教徒たるアルトルートを守れず。


友達のラグナやデティを守れず、エリスをあんな目に合わせてしまったと自責にかられる。


言い知れぬ怒りを抱きながらもそれを口に出さず、彼女はただ…早くアルトルートを助けに行きたかった。


そしてそれは、みんな同じだった。


「だーっくそ、なんなんだ一体…」


「ラグナ、苛立つな、らしくないぞ」


「…悪い」


「まぁ仕方ないんじゃねぇーの?こんだけ立て続けに色々起こってるとさ」


みんなは私の前を歩き、いきなり現れた来訪者に少しだけ苛立っているようだった。エリスがダアトによって知識を消されてしまっただけでも大事件なのに、それに対して驚きや悲しみを割く時間さえ与えられないのだから当然だ。


だが私達には巻き起こり続ける事件や出来事を拒否する権限はない。運命という流れに抗い泳ぐ事の出来る魚はいない。私達は『結果』という大海に行き着くまで必死にヒレを動かすしかないのだ。


そうしてヒレを動かし、私達は新たな『事件』と出会う。扉を開け、寺院の外に出たその時見るのは…。


「おおん?誰だ?お前達は。アルトルートはどこだ」


「…テメェこそ誰だよ」


複数の兵士を連れた小太りの男だった。いかにも偉ぶっていますと言った具合に口元に生えるヒゲを指で弄りながら私達を見下す。


ラグナは『誰だ』と言ったが、私には彼の正体になんとなく心当たりがあった。それは彼の着ている教徒服。真方教会仕様に改造されていてもわかる。


あれは、かなり高位の地位を持つ僧侶にのみ着用を許された高僧服。ということは彼は…。


「誰だとは失敬な、私はナール。教皇特区指定大司祭のナール・エピスコプス様である」


「教皇…?」


教皇特区指定司祭…つまり教皇より直々に命を授かって司祭の座に就いた人物ということだ。オライオンにもそういう人はいるから分かる。


教皇より命を受けているということは、つまり彼の言葉は教皇の言葉であり、教皇の言葉は即ち神の言葉だ。その権限の高さは並みの司祭を上回る、テシュタル教五本の指に入る権力者だ。


されど彼の態度はあまりよろしくない、偉ぶったようにヒゲを伸ばし背筋を伸ばし自らを大きく見せる姿勢は自らの権威を象徴するようだが。彼は別に偉大ではない、彼は偉大な神の言葉を代弁する教皇の言葉を更に代弁しているに過ぎないのだから。


「なぁネレイド、こいつ偉いのか?」


「神の次の次に偉い」


「なんだそりゃ、半端に分かり辛いな」


アマルトがそう口にすればナールは顔を真っ赤にする。まるで火にかけたヤカンのようだ、そんなにすぐに激昂するのは良くない。まぁ…こっちの口も悪かったかもしれないけどね。


「なんだお前達は!それよりアルトルートを出さんか!愚か者め!神の怒りを授かりたいか!」


「アルトルートはいないよ…というかあんた達何者だ、街の状況見ただろう」


「アルトルートはいない?フンッ、ようやく逃げ出したか…あの偽信者め」


「何…?」


ギロリとラグナ達の視線が光る。アルトルートを偽信者と呼ばれて怒ったのか、或いは彼の態度があからさまにアルトルートと街の状況を軽視しているからか。


というかこのままではラチがあかない、どうしよう。そう私が迷うと、まるで私達を導くようにコロリと事態が一転する。鶴の一声と呼ぼうか、それとも…神の導きと言おうか。


「テメェ!また来たのか!このクソやろう!!」


「なっ!?バルネア!?」


私達の背後からツルハシを持ったバルネアが怒りの表情を浮かべ、突っ走って来てナールに殴りかかろうとする…のを私は襟を掴んで持ち上げ止める。


「ちょっ!離せよ!こいつをぶっ殺してやらないと俺は気が済まない!!!」


「ダメだよ、バルネア君。せめてぶっ殺す理由を教えて」


「理由だと…決まってる!こいつはなぁ!クルスにこの街の事を教えてこの街を自分のものにしようとしてる張本人だからだよ!」


「そうなの…?」


「フンッ、この街を自分のものにしようとしている…ではない!元よりこの街は私の物だ!この寺院だって元々は私の物だったんだろう!それをアルトルートが勝手に盗んだのだ!本来の持ち主が忘れ物を取りに来て何が悪い!」


バルネアはナールを無視してギャイギャイ吠える、それをナールも無視してガンガン叫ぶ。二人の聞くに耐えない言い合い未満の吠え合いを一つ一つ摘んで、必要なものだけ剪定して、私の記憶という皿に移していくと…話はこうだ。


ナールという男は元々本当にこのガイアの街とテルモテルス寺院の持ち主だったようだ。老齢で一線を引いたヒンメルフェルト様を言葉巧みに騙して寺院を我が物にし権威を振るっていたようだ。


無数の温泉が湧き、山の恵みを一身に受けるこの街を自分のものにして金銭を得ていた。その金銭は本来ヒンメルフェルト様が拾った孤児達を育てる為に使っていたお金だった。それを横領して私腹を肥やす為と自身の更なる地位向上に用い続けたことにより寺院と街は次第に困窮していった。


終いにはナールが表沙汰には出来ない裏稼業。教会に集められた寄付金などの横領に手を出し始めたところで立ち上がったのがヒンメルフェルト様の孫娘アルトルートだった。


彼女は寺院の僧侶達と結託しナールを寺院から追い出すことに成功し。今のテルモテルス寺院の形が出来上がったのだが…それで諦めるナールではなかった。


彼は教皇クルス・クルセイドの下に駆け込みテルモテルス寺院の孤児達に使われる予定だった費用全てを盗み出し彼に献上し、晴れてクルス御付きの僧侶となり、クルスにこの町のことを話し街を奪う事を画策し始めた。


それによりガイアの街はクルスから執拗な嫌がらせを受けるようになったし、テルモテルス寺院は真方教会から孤立し始めた。それでも伝説の冒険者として絶大な影響力を持つヒンメルフェルト様が健在の頃は良かったが…今はそれもない。


故に彼は大手を振ってここに馳せ参じた…という事だ。


その様もそうだが、内容もまた聞くに耐えない。教徒が貨幣などに固執してどうする、金など生きるのに必要な最低限のものがあればいいのに…彼はどうやらその限度が分からないらしい。


「横領か…?にしては…」


話を聞いたメルクさんは小さく首を傾げる。…がそれを無視してナールは口を開き。


「私はこの寺院の正統なる所有者だ!偽りの司教たるアルトルートなど追い出して、貴様らのようなガキも全員追い出して!私がこの街を統べるべきなのだ!!」


「……なんていうか、一周回って冷静になれるよ」


ナールのあまりのクズっぷりにラグナは頭の中の焦りを色々と吹き飛ばし目を丸くして驚く。これでナールが理路整然とこちらの痛いところを突くような論調で来ていたら状況的に冷静でいられなかった者も多いだろう。


でもトマトみたいに顔を赤くしてどう考えても罷り通らない我儘を五十近いおじさんが必死に言っているんだから冷静にもなるし、肝も冷える。こんな人いるんだな、世の中には。


「事実アルトルートはここに居ないんだろう?なら私が帰ってもいいな。もう他に僧侶もいないようだし?」


「……貴方が追い出したんでしょう?」


そう私が口にすればナールは私を見上げ…ニタリとわるーい顔をして。


「クルス様に逆らう者に相応の扱いをしたまでだが?」


「それが、この街に助け舟を出さなかった理由?貴方がこの街を迫害したからもうこの街に住もうとする人間はいなくなってしまったよ。貴方はこの街が欲しかったんじゃないの?もうここは街じゃなくなっちゃったよ」


「関係ない、クルス様が命じれば住人などいくらでも補填出来る。神都サラキアから人間を移してこちらに居住させれば否が応でもこの街はクルス様…延いては私の物になる」


「お前…!そりゃ自分とこの街の人間追い出してここに送り込むってことだろ!?」


「そうだが、それが何か?必要な事だ」


ラグナが絶句する、それはダメだろと。だって神都に住んでいる人間を無理矢理ここに送り込んで住まわせるって…この何もない地に?住むだけでも大変なこの街に?その人達の意思関係なくここに送り込むって…それは街人の追放に近い。


元々ガイアの街に住んでいた人たちを追い出して、自分達が所有権を主張するために神都の人達も追放して。ナールは…クルスは街の人たちを、真方教会の教徒をなんだと思ってるんだ。


「そもそも私が欲しいのはここの土地だけだしな。アルトルートが消えたことを確認出来たのは朗報だ。このまま神都に戻って移住計画を立てるとしよう」


「待てよ、アルトルートは今ここにいないだけだ。すぐ戻ってくるし…テメェらにはこの寺院はやらねぇよ」


アマルトが怒ってる、いや口に出さないだけでみんな怒ってる。あまりにも勝手が過ぎる…そもそも彼らにこの街を開け渡せばこの寺院に住む子供達はどうなる?決まってる、今しがたナールが口にした。


みんな追い出される。それだけは許してはならない、アルトルートも…きっとヒンメルフェルト様もそれは望んでいない。


「やらない?関係ない…お前達がもし抵抗するならば、先にここに神聖軍を連れてくるだけだ。神聖軍約五万の大軍勢と三本剣…そして神将オケアノスを連れて抵抗する人間を一掃する」


「っ…!軍勢を…!?」


「その軍勢で…山賊達を倒せばいいじゃん」


「知ったことか、山賊風情を相手するために神聖軍があるわけではないのだからな!ふははは!楽しみだ!ようやく私がこの街に帰って来られる!そしてようやく…ようやく無限の資金が!」


言うことだけを言って、ナールは満足したのか兵士を引き連れ帰っていく。もしかしたり彼は日常的にこんな風に顔を出して嫌がらせめいた文句を言いに来ていたのかもしれない。


バルネアの敵意に満ちた目は尋常ではない、きっとそう言うことなんだろう。


「どうするラグナ、アイツ後ろから襲ってふん縛るか?アイツが街に帰ったらここに軍勢が来るみたいだけど」


「無駄だろ、アイツが帰ってこなかったらそれはそれでここに攻め入る口実を与えることになる。東部の支配者であるクルスが『やる』と言ったらそれは確実に実現される、権力者ってのはそう言うもんだ」


「だが今この状況で神聖軍まで襲いかかってきたらいよいよ手がつけられんぞ。ただでさえモース大賊団に手を焼いているのに」


「……………」


ラグナは悩む、問題がもう一つ出来てしまった。モース達と戦ってそれを打ち倒せば終わり…のはずが更にここにクルス達の思惑まで乗っかってきた。


今この街は東部の二大勢力から狙われていることになる。そして街そのもの消滅を狙うモースと街に住む人間全員の退去を望むクルス…このどちらの意見も通させるわけにはいかない。


はっきり言って状況はこれ以上ないくらい悪い、私の人生経験の中でも…五本の指に入る窮地だ。そんな窮地の中…口を開くのは。


「またかよ…」


「バルネア君?」


私の手の中でぐったりと力なく項垂れるバルネア君だ。彼は頬に涙を垂らし…。


「また、俺達は家から…街から追い出されるのかよ…!」


「っ…!」


この街にいる子供達は…みんな家がない、家族がいない、故郷から追い出されここに来るより他なかった子達なのだ。もしモースがこの街を破壊し尽くせば彼らの家はなくなる。もしクルスがこの街を手に入れれば子供達は行き場を失う。


「なんで…大人達はいつもそうなんだよ!何回俺達から奪えば気が済むんだよ!ただ普通に暮らすだけ…そんな事も許されないのかよ!この世界は!」


「バルネア君…」


「強くなりたい…強くなりたい、強くなって大切な人や場所を守りたい。それが出来ないんなら…こんな世界に、生まれたくなかった…!」


切実なバルネアの呟きに、、皆言葉を失う。生まれたくなかったなんて滅多なこと言うな!と言ってやりたいんだろうけど、だとしても私達にはその言葉を否定するだけの高尚な話は出来ない。


ただ、情けない…子供にこんなことを言わせてしまった事実が、一人の大人として。


『バルネアにいちゃん…』


『バルネアにいちゃん泣いてるの…?』


『どうしたの…?』


すると、バルネアの叫びを聞きつけて子供達が寺院の影からこちらを覗いている。確か…私達が最初に来た時も子供達は怖がりながら寺院の外を眺めていた。


バルネアだけじゃないんだ、この世界を恐れているのは、嫌っているのは、ここにいる子供達みんなにとって…世界は怖い場所なのだ。それでも生き抜く覚悟を決めてここにいる子供達の意思を無碍にするモースとクルスの…なんと許し難き事か。


「…悪い、みんな…大丈夫だから…」


「バルネアにいちゃん…、アルトルートさんは…僕達はどうなるの?」


「……大丈夫…だと思う」


涙が浮かぶ、子供達に…バルネアに、今ここにはいないけれど…きっとエリスならばこの光景を許さなかっただろう。いやエリスだけでなく私達もまた許せないだろう。


そんな、子供達を取り巻く『今』を見たラグナは…スッと息を吐き。


「ようやく、見えてきたな」


「は?」


腕を組み空を見上げ、見えてきたと口にする。


「見えてきた、まだ全部じゃないが…この街を取り巻く全容が。ここには子供達がいて、モース達と言う敵がいて、クルス達と言う悪がいる。そしてこの中で俺達が何をするべきか…それが見えてきたとは思えないか?」


「俺達のやるべきこと…か、確かにな」


この街に既に住人はいない、私達は飽くまでこの街に依頼で立ち寄っただけ。街を壊したいと言うのなら好きにすればいいし、街が欲しいと言うのなら好きにすればいいと私達はそそくさとこの街から離れることは…出来るんだ。


けれど、それでもこの街に残り戦う理由は何か。私達の…『勝利条件』は何か。


「もう依頼だなんだと言ってる場合じゃねぇ。俺達で…なんとかするぞ、ここの子供達が生きる世界と未来を…、そしてそれを砕こうとする悪を、全部纏めて解決する!いいよな!みんな!」


皆が吠える、どうするかではなくどうしたいか、今はそれが重要なのだ。敵は多く強力である、であるが故に固める…意思を。


何があろうとも戦い抜く覚悟を。一本筋…それを通さなくてはこの難局は乗り切れまい。


「よーし!というわけでまずはアルトルートの救出だ!神聖軍に関しては今は後回し!ナールが神都に戻って軍を動かすのにまだ時間がかかるだろうしな!」


「じゃあ早速、行くの?」


「ああ、…早い所アルトルートを連れ戻さなきゃ、子供達の方がやばそうだしな」


「そうですね、…アルトルートさん、無事でいてくれたらいいんですが…」


やることは山積み、敵はたくさん、でもきっと大丈夫…。そう私は言い聞かせながら私は目を逸らす。


…ステラウルブスで戦った元モース大賊団の幹部ザガンが言っていた事。そして昨日戦ったアガレスが見せた反応。


私の出生にまつわる話…、私の真の母が…モースかもしれないという話。


もし、アジトにそのモースがいたらどうしよう。


もし、モースまで私を見て同じ反応をしたらどうしよう。


もし、モースが本当に…私の母だったら…どうしよう…。


私の中に流れるこの血が、悪に汚れているのだとしたら、私は本当に…みんなと一緒にいて、いいのかな…。


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