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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十四章 闘神ネレイド、炎の大一番
482/835

435.魔女の弟子と神司卿クルス


サッカーってのはいいよね、ボールがあればどこでも出来る。詳しいルールを問わなければ人数も場所の広さも関係ない。人がいて、ボールがあって、分り合う足があればどこでもキックオフ出来る。


人と人とが繋がるのに最も適したスポーツ、それがサッカーなんだ!


…そう語る黒い肌と黒い髪を持った陽気な女性はエリス達に語る。これがもしただのサッカーマニアの言葉なら『あーはいはい』で無視出来るんだけども、そうもいかないのがこの人の立場故か。


ひったくりを捕まえるエリス達の姿を見てサッカーの才能を見出し声をかけてきたこの人の名前はオケアノス・エケ=ケイリア。マレウステシュタルに於ける神将…ネレイドさんと同じ神将の地位に立つ女性なのだ。


つまりテシュタル真方教会が保有する神聖軍のトップであり、単独でレナトゥスに東部征伐を思い留まらせる絶対戦力なんだ。そんな人にいきなり声をかけられて…無碍に扱うわけにはいかない。下手に扱えばもしかしたら真方教会神聖軍が敵対するかもしれない。


…エリスはこの状況に覚えがあった。オライオンでの旅路だ、あの時はこれから旅をしようってタイミングで今絶賛横で歩いている闘神将さんと出会い戦闘になりとんでもないことになった。


今回は別にエリス達は神聖軍と敵対する理由がないが、それでも向こうと良好な関係を築かなくて良い理由にはならない。下手に敵対すればまたあんなことになるかもしれないんだ。故に無視は出来ない…エリス達は一応オケアノスさんの言葉に導かれるように街の大通りを歩いていた。


「いやぁうれしいな!君達みたいに才能ある人達がサッカーをやってくれるなんて!」


「いえ、その…まだサッカーをやると決めたわけでは」


「分かってる分かってる、お試しだろ?」


そうだ、一応お試しでサッカーをやるだけやってそれで満足してもらおうって魂胆だ。彼女はどうやら今火がついているようだし、落ち着かせるためにはちょっとガス抜きが必要だよね。


しかし、この人…オケアノスさん。見た感じ悪い人ではなさそうだな、今エリス達はあんまりクルス・クルセイド及び真方教会にいいイメージを抱いていないのだが、この人はとても気持ちの良い人のように思える。


まるで荒野に吹く風のようにカラッとしていて涼しげで明るい人物、それがこの人の印象だ。…本当にあの争神将なのかな。


「あの、オケアノスさんはサッカーのプレイヤーなんですよね」


「うん?うん!そうだよ!マレウス中を巡ってサッカーを広めてるんだ!おかげで最近マレウスの中で細々とだけどあちこちでチームが出来てね。私はその助っ人としていろんなチームで戦ってるんだよ」


「それは凄いですね、ということはサッカーが本業で?」


「うん!…と言いたいけど、本業ではないかな。さっき私憲兵みたいなことしてるって言ったよね。私…真方教会の神聖軍なんだ」


「じゃあやはり、あの…」


「やっぱり知ってたんだね、そうだよ?一応神将を任せてもらってるかな」


あっけらかんと言ってのける。やっぱり神将かぁ…なんでそんな大物がここに…って、サッカーの為かぁ。


「まぁ本業とは言っても全然真面目にやってないんだけどね!だって切った張ったの戦いよりもサッカーの方がずっと楽しいし気持ちいいじゃん!みんなも戦争なんかしないでサッカーで色々決めればいいのになぁ」


「本当にサッカーが好きなんですね」


「うん!本当は神将なんかやめてサッカー選手一本でやっていきたいんだけどね!」


あはは!と笑いながら彼女は何処からか取り出したサッカーボールをポンポンと蹴りながらドゥルークの街中を歩く。神将なんかやめたいか、この人は本当にサッカーだけで生きていきたいんだろう。


多分だが、悪い人ではない。腫れ物を扱うように機嫌を伺う必要はないかもな。一応サッカーにちょっとだけ付き合ったらキッパリ断ろう、きっとこの人なら悪いようにはしないはずだ。


(うん、寧ろこの状況は好都合かもしれない。神将であるオケアノスさんと良好な関係が築ければ東部での冒険はきっとやり易くなる。それにそういう打算抜きにしてもこの人とは仲良く出来そうだし)


快活な笑顔を見ていると毒気が抜かれる、この人はただサッカーが好きなだけの人。とう印象を受けてエリスは笑顔でオケアノスさんに声をかけようとすると…。


「それ、どうなの」


「へ?」


ふと、冷たい声がかけられる。ネレイドさんだ、立ち止まって鋭い眼光をオケアノスさんに向けている、そのあまりの威圧と冷徹な声で思わずオケアノスさんが立ち止まりくるりと振り向く。


お、おいおいネレイドさん、どうしちゃったの?貴方そんなに敵対心むき出しの人じゃなかったですよね。


慌てるエリスを他所にネレイドさんは更に視線を尖らせ。


「ねぇ、どうなの?」


「どう…って?何が言いたいのかな」


「神将をやめたいって、真面目にやってないって、それは…酷いんじゃないのかな」


アッと思わず口を塞ぎそうになる。そうだよネレイドさんにとって神将は誇りだ。たとえマレウスのテシュタルであっても神将は神将、彼女にとって大切なものであることに変わりはない。


今のオケアノスさんの言葉はある意味神将という名前と役割を軽んじるような言葉だったんだ。彼女としては受け入れがたいだろう。


しかしそれを受けたオケアノスさんはやや申し訳なさそうに唇を尖らせ。


「うーん、気を害したらごめんね。でも私だって神将になりたくてなったわけじゃないんだよ?ただ…義理があるのと、単純に私より強い奴がいなかっただけ。半ば押し付けられるような形で渡された名前の為に真面目になんかなれないよ」


「でも、それでも、貴方は神聖軍の誇りなんでしょう。貴方の下には貴方に命を預けてくれている無数の配下がいる、そういう人達の頑張りも…貴方にとってはどうでもいい煩わしい事なの?」


「言い方に棘があるなぁ、やめろってんならいつでも神将なんかやめてもいいんだけど。責任とか責務とか…邪魔なだけだし」


「……やめたいからやめる、要らないから捨てる、そんな簡単に物事を投げ捨てられる人に…何かを成せるとは思えない」


「…………何が言いたいのかな」


やばい、いい加減オケアノスさんの表情が変わり始めた!喧嘩になる!


「あぁっと!すみませんオケアノスさん!この人は真面目な方なんです!悪気があるとか!誰かを貶めたいとか!そんなんじゃなくて!」


「……ふふっ、分かってるよ。そっちの彼女が言ってる事は正しい。間違ってるのは私だって分かってる、だから怒ったりなんかしないよ。ごめんね?私もちょっと捻くれた事言いすぎたよ」


「う…ううん、私も…嫌な奴だった。ごめんなさい」


ホッ…なんとかなった。オケアノスさんが大人でネレイドさんが素直で助かった。二人とも根はいい人なんだ、ただちょっとその根っこが相入れなさすぎるだけで…。


「よし!じゃあ仲直りだね!仲直りにはサッカーが一番!」


「そうですね…っていうか今エリス達は何処に連れていかれてるので?」


「ん?言ってなかった?ドゥルークのサッカーコート!って言っても荒野にドテーンと置かれてるだけだけどね!」


「ああ、この辺は起伏がないですからね。ある意味サッカーをするには持ってこいの地形なのか…」


「そそ、私としてはこのドゥルークにサッカーチームを作りたかったんだけどね。あんまり乗り気になってくれる人がいなかったから二人が現れてくれて助かったよ」


「いや別にエリス達も乗り気なわけでは…」


「エリス…?ああ、そう言えば君達の名前聞いてなかったね」


ふと、気がついたようにオケアノスさんがこちらを見る。そう言えばまだ名乗ってなかった…。


「エリスはエリスです、冒険者やってます」


「うん、エリスちゃんだね…それで君は?」


「私は……ネレイド」


「ネレイド…?」


その瞬間、オケアノスさんの顔つきが変わる…って!やべっ、流石にネレイドさんがそのまま名乗るのはまずかったか?いやマズいって具体的に何がマズいんだ?別にテシュタル真方教会は敵じゃないしオライオンテシュタルとの仲はあんまり良くないけど敵対もしてない。


なら…いや、ここに闘神将がいる事自体がやばいのか!?分からない!


「ネレイド…ねぇ」


「…………」


「うーん、どっかで聞いたことある気がするけど君って有名人?」


「別にそんな事はない」


「そっか、じゃあ気の所為か!うん!よろしくね!ネレイド!」


「よろしくね」


いい名前だね!と親指を立てるオケアノスさんの様子を見てホッと胸を撫で下ろす。ってかなんでエリスはこんなに勝手に一人で慌て回ってるんだろう…。


「さぁてそろそろいいだろう!サッカーやろうよサッカー!」


そうこうしてる間にエリス達はドゥルークの街の外に出る。するとそこには長方形に敷かれた線と、両端に恐らくゴールと思われる棒が二本づつ立てられている。


エリスもステラウルブスのスタジアムでサッカーそのものは見たことがあるから分かるけど、随分簡易的なコートだ。でも逆に言えば場所とボールさえあればサッカー自体は出来るんだ、そういう容易さがある意味強みなのかもしれない、


「っていうか、サッカーって1チーム11人必要ですよね。エリス達3人でやるんですか?」


「うん、確かに試合をするならその人数は必要だけど、別にそんな大真面目にやるわけじゃないからさ…」


トントンとサッカーボールをコートのど真ん中に蹴り入れていくオケアノスさんに続いて、エリスとネレイドさんもコートに入る。


「そうだなー、取り敢えず君達の動きが見たいから〜、今から私がそこのゴールポストにボールを叩き込むのを二人がかりで邪魔してみて?私からこのボールを奪えればヨシって事で」


そう言ってエリス達の後ろのゴールを指差す。なるほど、つまりエリスとネレイドさんの二人掛かりでオケアノスさんを止めてみろって話ね。なるほどなるほど。


「君達サッカーの経験は?」


「お遊びでなら」


「ならルールは分かるよね?手は使っちゃダメ。それが以外は何使ってもよし」


「魔術は使っても?」


「別にいいよ、そのくらいじゃ止まらんし。あ!でも相手を直接攻撃するのは無しね?もしそれされたら…私も反撃しなきゃいけなくなるから」


ね?と笑うオケアノスさんの体から漂う威圧は、そんじょそこらの人間が出せる物の凡そ数十倍の濃度を持つ。まるで大軍勢がエリス一人に敵意を向けているかのような感覚…なるほど。


この人やっぱり強いな…、直接攻撃をしたら、怪我じゃ済まなさそうだ。


「分かりました、ではネレイドさん…キーパーをお願いします」


「ん、エリスは…?」


「オケアノスさんからボールをぶん取る係をします」


「分かった…」


黒いコートを脱いで、ポーチを外し、サッカーコートの外へと投げ捨て身軽になる。ネレイドさんもまたシスター服の上着を脱いで腰に巻きつけ臨戦態勢を取る。そんな二人のやる気を見て…オケアノスさんは笑い。


「ほほう、いいねぇ…!」


観察する。エリスの腕や足を見て目を細める。


(うう〜ん、やっぱり私の目は正しかったね。エリスちゃんもネレイド君も生半可な鍛え方をしていない、マレウスのトッププレイヤーよりも引き締まった肉体と明らかに只者じゃない身のこなし…欲しいな。二人が欲しい、私がいずれ作るマレウス国際チームに欲しい)


グツグツと闘争心を滾らせる。この二人は逸材だ、どうあっても逃したくない…そう考えたオケアノスは一つの提案をする。


「ねぇ二人とも、一つ賭けをしないかい?」


「賭け?なんです?」


「もし、私がそこのゴールに入れられたら。これから私が作るチームに入って一緒にサッカーをして欲しいんだ…いいかな?」


「……じゃあ逆にエリス達がそのボールを奪えたら、キッパリ諦めてくれますか?」


「ああいいよ」


「分かりました、ではもし入れられたら…考えてもいいです」


ゾクゾクと身が震える。オケアノスは思う…なんて傲慢なんだと、私がサッカーのトッププレイヤーであると知りながらこんな条件を受け入れるなんて、普通なら異議の申し立てをしても良い場面なのにいとも容易く受け入れるとは。


(負ける気がさらさらないってことか、いいねぇ…ますます気に入った)


ボールの上に足を置くオケアノスとエリスが睨み合う。


「じゃあ、準備はいいよね」


「ええ、構いませんよ」


「それじゃあ…よー……い、ドンッ!」


…………………………………………………………


よーいドンで合図が放たれた。それと同時にエリスは身を屈めてオケアノスさんの動きに対応するための準備を始めた…が。


「ッ……!」


それでは遅かった、準備をしてから迎え撃ったんじゃとてもじゃないが間に合わない。なんせ…合図と共にオケアノスさんの姿が爆裂と共に消えたのだから。


「何処だッ…!」


咄嗟に左右を見るが居ない、まさかと思い背後を見ると既にエリスの背後で落ちてくるボールに向けて狙いを定め足を振りかぶっているオケアノスさんの姿があった。


上だったんだ、一度ボールを弧を描くように蹴り上げた上でオケアノスさんは別行動で迂回し背後に向かいボールと合流を果たすと共にシュートの構えに入ったのだ。


あまりにも早すぎる、あまりにも正確過ぎる動き、考えてから動いていてはとてもじゃないが追いつけない!」


「くっ…!」


「おっと!邪魔はダメだよ!」


直ぐに邪魔をしようと動いたが咄嗟に身を引いたオケアノスさんの背中に押され初速を潰されてた。上手いと言わざるを得ない、体の使い方が熟練のそれだ…!


というかやばい!いきなりゴールが取られる!


「まず1発目ッ!」


凄まじい轟音と共に放たれたシュート…いやあれはもうシュートというより砲撃だ。衝撃波で大地にヒビが入るほどの震動が走りボールが目にも留まらぬ速度でゴールに迫り…。


「フンッ!」


「おおっと!?」


がしかし、ボールがゴールを超えることはない、その前に立ち塞がる巨神が…ネレイドさんが弾いたからだ。拳を振るい殴り飛ばしボールを弾き返しゴールを防いだ、やはり彼女にキーパーを任せて正解だった。


「うう〜ん…流石……、こりゃ難しいなぁ…」


思わずオケアノスさんも弱音を吐く、そりゃあそうだ、彼女の巨体で両手を広げ守りの姿勢を取るだけで簡易的なゴールは完全に隠れてしまっているんだ。あれじゃあどこにどう打っても入らない。


剰えネレイドさんはただ大きいだけじゃない。武を嗜む達人だ、どんなボールも弾き返せる。だから任せたんですけどね。


「面白くなってきた!どうやってゴールを決めようかな!」


「何度来ても同じ…!」


「ならこれならどうかな…!」


ボールを足でキャッチし同時にシュートを放とうとするオケアノスさん、今度はもっと早くもっと強く、力押しでネレイドさんを退かすつもりだ…。


けど…!


「貴方の相手は一人じゃありませんよ!」


「うぉっ!?」


飛びかかりながらボールに向けて蹴りを放つが咄嗟にボールをヘディングで背後に飛ばしエリスの一撃を回避する。


チッ、避けられたか…!


「なに何発もシュート出来ると思ってるんですか…!やらせるわけないでしょう!もう二度と!」


「君、二重人格なのかい!?さっきと顔がまるで違うよ」


「じゃぁかぁしぃっ!!」


牙を剥きながらボールを足元で遊ばせるオケアノスさんに向けて飛びかかる。是が非でもあのボールを頂く!その決意で挑むも…。


「おっと!取らせないよ!」


「ぐっ!」


ボールを蹴り飛ばそうと何度も足を振るうがその都度に空を切る、ちゃんと狙いを定めているはずなのにエリスの足がボールに触れる寸前でオケアノスさんの足が先に動きボールを別の場所に避難させる。


彼女の股下をくぐり、時に外周を周り、凄まじい速度で何度も何度も周回させる。


「フッ、取れるんかい?」


「この…!」


「おーっと!」


大振りになったところを突かれ、クルリと体ごとボールを引き連れたまま回転しエリスを押し退け、抜かれる。


ダメだ、技量に差がありすぎる。いくら身体能力があっても熟練のプレイヤーにはそもそも手数で劣る。分かってたよそんなの事、エリスが素人で向こうが玄人な事くらい分かってた。


その上でこの話を受けた、負けるつもりなんかさらさら無い。勝てると踏んでいたし、勝つつもりでいる…勿論、今も!!!


「どりゃぁっ!」


「おっと!綺麗なスライディング!」


「もっとエリスの相手してくださいよ、無視して向こう行っちゃうなんて嫌ですよ」


技量では負けているだろう、経験でも知識でも負けているだろう、あらゆる面で相手の方が上にいるのは分かっている。だけどそんな事で諦められる人間じゃ無いんですよエリスは。


負けているなら勝つまで挑む、勝てる点を見つけて挑む、それまでひたすらにトライだ!


(死ぬほど追いまくって無理矢理奪ってやる!)


(こいつ…!こんな目を出来る奴が平然と衆人環視の大通り歩いてるとかヤバすぎるだろ…!)


ギラついた瞳でボールだけを凝視しながら必死に追い続ける、ボールを転がしエリスの蹴りから逃げるオケアノスを追う、エリスを押しのけ前に進むオケアノスに追い縋る。


そこに作戦はない、ただただ無心で試行し続ける。圧倒的スタミナと壮絶な身体能力、そして鋼の執念を持って追い縋るエリスの怒涛の攻勢に思わずオケアノスは笑みを浮かべる。


(楽しい…!ここまで私について来れる人間は見たことない、実力や身体能力もそうだけど…それ以上にこのメンタル!一体幾つの場数を潜ればこれだけの精神力が身につくのか!こいつやっぱ只者じゃない!)


ここまで突き放されても構う事なく突っ込んでくる、それでいてヤケじゃない。毎度毎度確実にボールを奪うための手順を追うように攻めて───。


「その動きはさっき見ました!」


「やべっ!」


余所事を考え過ぎたとオケアノスはゾッと青褪める。エリスの蹴りがオケアノスのボールに掠ったのだ。咄嗟に切り替えてなければ取られてた。


(動きって、同じ動きなんか一度としてしてないぞ。それともまさか体重移動のことを言ってるのか?こいつどんだけとんでもない動体視力を…いやそれ以上にどんな記憶力してんだ!)


「うぉぉぉぉおおお!!」


「頑張れー!エリスー!」


ここに来てオケアノスは認識を改め始めていた。今目の前にいるのは身体能力の高い素人でも見込みのある初心者でもない。立派に強敵なのだ。


特にエリス、凄まじい勢いで学習してる。オケアノスが一度技を見せればそれを即座に理解して記憶して対策を打ち立てると共に同じ動きを次の瞬間にはやってくる。


「っと!」


「そこっ!」


サイドステップでエリスを抜こうと真横に飛べば同じタイミングでエリスも飛ぶ。見抜かれてきている…。


(やばい、調子乗って色々見せ過ぎた…。こいつには一度見せた手札は二度と使えない。となると長期戦になればなるほど不利になる。こんなメチャクチャなプレイヤーとやった事ないな…!仕方ない!ちょっと本気出すか!)


「ッ…!」


エリスは見る、その瞬間オケアノスの動きの『質』が変わったことを。


即ち、ここからは『遊び』ではなく『勝負』であることを。


「ッッしゃぁっ!」


「なっ!?」


──争神将オケアノスという人物は、兵士でありながら剣を持たずロクな武装を持たないことで有名だ。つまり己の身体能力のみで真方教会保有の大軍勢…その頂点に立っていることになる。


天性の体、天賦のセンス、その両方を持ち合わせる彼女が最たる武器としているのはその脚力だ。ボールを彼方まで吹き飛ばすそのキック力だ。


彼女のキック力を目の当たりにした選手は…こう言い残した。


『彼女のキック力は凄まじいね、え?今日はシュートを一本も打ってない?何言ってるんだ…ずっとボールを蹴っていたじゃないか。ああそうだよ、彼女の真の武器はシュートじゃない…ドリブルだ』


『つまり…彼女は試合中ずっと蹴っていたんだよ』


『この星というボールを』




「ッッおおお!?!?」


刹那、エリスの体が吹き飛ばされる。風魔術でも使われたかと錯覚する程の風圧で吹き飛ばされゴロゴロと転がる。


だが分かる、分かってしまう。オケアノスは魔術を使っていない…行ったのは。


『移動』ただそれだけだ、全力で大地を…星を蹴り飛ばし自らを前へ進めた。それにより大気が押し上げられ爆裂するように風が発生してエリスが吹き飛ばされたんだ。


オケアノスの全力でのダッシュに世界が追いついていないんだ!地面に一つ足型を残し直線に飛ぶオケアノスの姿を見たその時には既に…。


「ZZZシュート!」


シュートを放っていた。どういう原理か全く回転しない無回転のシュートは風の煽りを受けグニャグニャと軌道を変えながら進む。まるでZの字を三度描くように左右にブレるボールに翻弄されるネレイドさんは両手を叩いて受けの姿勢に入る…が。


「甘いよ…!」


「あ…!」


刹那、ネレイドさんでさえ反応出来ない速度で飛翔し自らのシュートに追いついたオケアノスがさらにもう一度ボールを蹴り抜く。


真下に、バウンドさせるよなシュート、それはネレイドさんの目の前で繰り出され、広げられた股下を潜るように通過して…ゴールが決まってしまった。


「ッ …!クソ!」


「なんてスピード…!」


最早戦慄することしか出来ない、あの速度…エリスの全力の旋風圏跳の三倍はあるぞ。しかもあれでまだ全力を出してる様子がない。


…もしかしたらあの人、スピードだけなら…魔女の段階に入ってるんじゃないか?


それは即ち、争神将オケアノス・エケ=ケイリアは…人類最速の女ということになる。


「フゥ〜…」


「ゴールが決まってしまった…ということはエリス達の負け、って事ですよね」


「ごめんね、エリス…」


「いいんですよ…ネレイドさん、エリスがあっけなく吹き飛ばされなければ」


負けてしまった、どうしよう、これ…エリス達マジでこれからサッカー選手として生きていくことになるの?しかもマレウス代表の…。


そう危惧していると、汗を拭ったオケアノスさんが鋭い視線でこちらを見て。


「何処が…負けなもんか、負けたのは私の方だよ…」


「え?」


「どれだけ君達が強かろうとも素人であることに変わりはない。経験者で世界一のプレイヤーを名乗る私が素人を相手に本気を出して、勝ちましたなんて騒げるわけがない…!」


「オケアノスさん…」


「残念だが、この勝負は君達の勝ちだと言わざるを得ない。死ぬほど悔しいけど…本気を出さなきゃ抜けなかった時点で私の敗北さ」


ガリガリと悔しそうに頭を掻いて項垂れる彼女を見て、確信する。この人…本気でサッカーが好きなんだ、好きだから誰よりも強くなりたいし誰にも負けたくない人なんだ。


だからこそ、素人を相手に本気を出した時点で負けなのだ。もしエリス達が同じように経験者だったなら…と考えるなら彼女は勝ちを誇れない。


高潔なまでの執念、妄信的な信念、それがオケアノスというプレイヤーを支える柱なんだ、だからブレさせることは出来ない。


「……ナイスプレーだ、エリスちゃん ネレイド君。君達本当に強いね、どう考えてもただの冒険者とは思えないよ」


「まぁ、鍛錬は積んでるので」


「鍛錬ねぇ、なるほど。強くなるべくしてなった者より…強くなる為に強くなった者の方が強い…か」


天を見上げ、小さく笑うオケアノスさん。その様子は何処か寂しげで…何か、言い知れぬ物を感じて思わず言葉を閉ざす。


「それは…」


「私の恩師…アデマールさんの教えさ。私にサッカーを教えてくれた時…よく口にしていた、ただ漠然と手に入れた強さは信念を持って獲得された強さには絶対に叶わない。私昔から強かったからイマイチよく分からなかったけど…今なら分かるよ、君達が強い理由と一緒にね」


するとオケアノスさんはボールを回収して何処ぞへと歩き出し。


「ありがとう!楽しいサッカーだった。本当は君達ともっと遊んでいたいけど残念ながら本業もあるし、約束だからね。君達のスカウトは諦めるよ」


「オケアノスさん…」


「でも、また何処かで会ったら、またサッカーしようぜ!」


すると彼女はクルリとターンを行い、荒野の先を見据え…。


「…君に会えて嬉しいよ、ネレイド・イストミア…」


「え?」


ネレイドさんの疑問の声にじゃあね!とだけ口にして彼女はタカタカと走り出し、小走りで砂塵を巻き上げながら消えるオケアノスさんの背を見送り、エリス達は呆然とする。


なんだったんだ……。


「なんか、凄い人に凄い事に巻き込まれて凄い思いしましたね」


「ね……」


ただ観光気分でテシュタル像を見に来ただけなのに、まさか神将オケアノスと顔を合わせてしまうなんて。オライオンでネレイドさんと出会った時のことを思い出す、このままあの時の通りに進むならこの後エリス達はオケアノスさんに襲われることになるのだが…。


はたして、エリスはオケアノスさんに勝てるだろうか。


(あの身体能力の高さはやはり異常だ、多分ラグナやネレイドさんみたいな身体的な超人に類するか)


時たまにいる、鍛錬とか修行で行き着けない領域に身を置く天賦の肉体を持つ者達。エリスの知り合いにはラグナやネレイドさんがそれに当たるし、敵でいうならレーシュとかペーとかがそういう『超人』に入る。


そしてオケアノスさんのあれもまた超人の身体能力、あの手の人と殴り合いをするとなると面倒なんだよな。なんせ身体能力もそうだが耐久力も馬鹿みたいに高い、エリスみたいな凡人とは体の構造が違うんだ。


でもまぁ、負けるつもりはないし今のところオケアノスさんと敵対する理由が無い。から…大丈夫だと思いたいけどなぁ。


「オケアノス…凄かったね」


「ん?そうですね」


「彼女の肉体もまた…神に愛されている、私と同じ」


「……ネレイドさん」


ネレイドさんはどうやらオケアノスさんを意識しているようだ。彼女もまた神将、二人とも同じテシュタルの頂点に立つ神将であり神から愛された肉体を持つ天才。類似する点を多く持ちながら…二人は。


「…負けたくない」


決定的に、神将として違うんだ。なんとなく自分より強い人がいないから惰性で神将を務めるオケアノスさんと異なり、ネレイドさんはリゲル様の弟子として、娘として相応しい人間になるために神将の座に固執して執念でその座を射止めている。


神将の名に誇りを持つネレイドさんとしては、オケアノスさんに負けたくないだろうな。


「まぁ、今回はサッカーだから負けましたけど、実力的にはネレイドさんも負けてないと思いますよ」


「そうかな、…あの子はまだ本気を出してる感じはしなかったけど…」


「それはネレイドさんも同じでしょう?」


「まぁ、そうだけど…」


「なら大丈夫ですよ、ネレイドさんの強さはエリスもよく分かってるので」


「…んふふ、エリスは優しいね」


にへらと微笑むネレイドさんを見て一先ず安心する。意識するのはいいけど、意識しすぎるのも良くない。今のところどっちが優れた神将かなんて決めようがないし、決めたところで実際は意味なんかない。


なら自分は自分で良いのだ。ネレイドさんは既に素晴らしい神将なのだから。


「さ!帰りますか!みんなももう帰ってることでしょうし」


「そうだね」


そろそろ帰らないとアマルトさん辺りに嫌味を言われそうだ。なんとなく立ち寄った街でえらいことになってしまったが、エリス達の目的地はここではない。


いつまでも遊んでる暇はないだろう。そう心の中で唱え、エリス達はみんなのいる馬車の方へと戻るのだった。


………………………………………………


「表っツラから見てもボロかったが、中に入るとなおボロいな」


「アマルトさん!」


「ちょっとアマルト!」


「あ、悪い」


デティとナリアの視線を受けて思わず頭を下げる。確かに良くないことを言ったな俺。


とはいえ、お世辞にも綺麗とは言えない教会の中。どうして俺達がこんなところにいるかと言えば、端的に言えばお節介だな。


「いえ、事実ですから…」


「そんなことないですよ、ジェニスさん」


今、俺たちの目の前に座るシスター、名をジェニスという彼女が教会の外で泣いているのを見かけたナリアが声をかけ、なし崩し的に話を聞くことになり場所をこの教会の中に移したのだ。


しかし、教会の中に人はおらず、ましてや壁や床はボロく天井なんか陽光が差し込む部分もある。廃墟ですよって紹介されたら信じちまいそうなくらいだ。


「…でさ、何があったか聞かせてくれる?」


「殺されたとかなんとか、物騒な話が出てきてたけど」


「……はい」


ジェニスは静かに俯き、涙をハラリと流しながら俺達に吐き出すように語り始める。


そもそも彼女が泣いていた理由というのが『ここのシスターをクルス・クルセイドに殺されたから』だった。クルス・クルセイドと言えばこの東部地方を統べる王貴五芒星の一人だ、そんなのが何故?どうしてこんなボロ教会のシスターを殺さなきゃならんのか。


まるで分からないが聞いてみないことには何も言えない。


「あれはほんの数日前の話でした…この教会で私達旧アデマール派のシスター達はいつものように慎ましく、神の教えに従って暮らしていたんです。その暮らしを…奴が…壊したんです」


憎悪のままに、服の裾を掴み…彼女は虚空を睨み。


─────────────────────


「ジェニス姉さん、教会の掃除終わったよ」


「ありがとうジェニファー。いつもご苦労様」


「ジェニスとジェニファーはいつも働き者ね」


あの日、夜遅くに教会に残って掃除を続けていたジェニスと…その妹ジェニファー。そしてこの教会に残った多くのシスター達は老朽ながらもこの教会を大切に大事に扱い掃除をしていたんだ。


夜の掃除、その日を締めくくる最後の仕事。それを終えて後は寝るばかりだった…その時だった。



教会の扉が、乱雑に開かれたのは。


「…………おい!!!」


「え!?ちょっ…もう今日はおしまいなんですけど…」


教会の扉を乱暴に開けたのは、赤いシャツを着た黒髪の男だった。見るからにその様子はおかしく、顔は真っ赤に紅潮しあからさまに酒に酔った様子だった。


前後不覚で意識が朦朧としたその男は、千鳥足でドタドタと掃除を終えた教会の中を歩きながら怒声をあげたのだった。


「あの、随分酔っている様子ですが…もうお帰りになられた方が」


「ちょっと、ジェニファー…」


「うぃ〜ヒック…喧しいぞ、下女共が…!」


そんな男を親切にも介抱しようとした妹のジェニファーを嗜めるジェニスだったが、そんな親切心など知るものかと赤いシャツの男は乱暴にその手を振り払い剰え下女呼ばわりするのだった。


「ああ、とても酔っているみたいです…、姉さん。この人ここでしばらく休ませてあげたほうが…」


「……でも」


「あンだよ、辛気臭せぇ…ってかお前、顔はいいな」


「っちょっと!」


いきなり男はジェニファーの顔を強引に掴むと口付け…なんて上品な呼び方は出来ないような力任せのキスを行った。これには流石のジェニファーも拒絶の意思を見せ男を突き飛ばす。


「ってぇな…おい女、お前を買うぞ…相手しろや」


「え…!?」


すると男は突き飛ばされてもなおジェニファーを諦める様子を見せず、懐から銀貨を数枚取り出して床に転がしたのだ。お前を買うなどと口にしながら…。


その瞬間ジェニスは悟る、この男は酒に酔ってこの教会を娼館か何かと勘違いしていること…そしてジェニファーを娼婦と勘違いしていることに。


「ちょっと貴方、ここは娼館じゃありませんよ!?教会です!テシュタルの教会!」


「うるせぇな、キンキン囀るんじゃねぇ、金払ったんだから相手をしろよ!クソ女!おい!」


「いやっ!やめて!姉さん!」


制止するジェニス、拒絶するジェニファー、しかし男は止まらずジェニファーを掴んだままズボンのベルトを外し強姦しようと迫る。これには最早慈愛の姿勢で受け入れる事さえ出来ず男を跳ね飛ばし逃げようとジェニファーは抵抗するが…。


「やめてください!」


「ぐっ!?」


その際、強く力を入れすぎて男が足を縺れさせ教会の座椅子に頭をぶつけ蹲って悶絶してしまう。やりすぎたか?しかしこれで酔いが醒めたか…そう逡巡した瞬間。


「テメェ…娼婦の分際で俺に逆らう気かよ…!」


顔を上げた男の顔は酔い以上に怒りで真っ赤に染まっており、起き上がるなりその腰に差した剣を抜き…。


「俺に逆らった女がどうなるか!思い知らせてやる…!」


「なっ!?剣…!や、やめ…」


「うるせぇっ!!」


咄嗟にジェニファーは逃げた、ジェニスもジェニファーを逃がそうとした。だが既に男は動き始めており、ジェニファーの腕を強引に掴み無理矢理引き寄せると共に…。


「あ、…姉さん!」


「ジェニファー!!」


「死ね!俺に逆らう奴は生きてる価値なんてねぇンだよッッ!!」



振り下ろされる剣、響き渡る悲鳴、吹き上がる血、ジェニスの目の前で…ジェニファーは斬り殺された。


呆気なかった、あまりに呆気なくそんなどうしようもない事実を叩きつけられ…ジェニスはただただ言葉を失った。


「ふぅー…ふぅー…テメェらも全員ぶっ殺してやるッッ!!」




「クルス様!!」


「まずい!酒に酔っているぞ!取り押さえろ!」


呆然とするシスター達を放って事態は動き続ける。未だ怒りが収まらないと言った様子の男の叫び声を聞きつけて、教会の扉から次々と神聖軍の鎧を着た男達が入り込んできて…、暴れる男…クルスと呼ばれた男を取り押さえる。


「うがー!!テメェらどけー!こいつらぶっ殺してやる!!」


「クルス様!落ち着きてください!くっ…もう一人殺しているぞ!」


「チッ、まずいな…」




「え?…クルス?クルスってまさか…」


クルスと言えば、この東部において一人しかいない。数日前からこの街に滞在していると噂のクルス・クルセイドしかいない。そう悟った瞬間、クルスを取り教える兵士の一人が目敏くこちらを見据え。


「…おい、お前達!お前達は旧アデマール派のシスター達だな!この一件は不慮の事故として扱え!我々もお前達に金銭にて賠償は行う、それで手打ちにしろ」


「え…?いや、私は…妹を殺されて…」


「だから、賠償はする。それでこの一件は終わりだ、もし他言するようなことがあれば即刻この教会は取り潰す。いいな」


「あ…う……」


暴れ疲れ眠りについたクルスを抱えて教会から退散する兵士達は、金貨二枚だけを置いてそそくさと消えていった。それでこの一件は終わり、それ以上はない。


死んだ妹も、妹を殺した男も、荒らされた教会も、何もかもそのままで…。


私はただただ、何も言うことができず。血の海に沈んだ妹の姿を…見つめることしか出来なかった。


…………………………………………………………


「なんだそりゃ…!」


ジェニスの口から語られたあまりの惨劇に思わず絶句する。こんな酷い話があっていいのか?だってよ…そんな、クルスが酒に酔って暴れて、それで人一人殺しておいて金払って終わり?謝罪もなし?


そんなの、あっていいのかよ…。


「それから私達は、ジェニファーの亡骸を埋葬して…うう」


「…それは、その…」


「辛かったね、なんて言われたくないかもしれないけど。…とんでもない話だよ」


ナリアもデティも怒りを覚える、クルス・クルセイドの余りの非道に言葉を失う。なんてメチャクチャな奴だ。


この国にも司法はある。人を殺せば厳罰に処されるのは国を問わず変わらない。そして法はその者の身分を問わず平等でなくてはならない。例え、この東部の領主であれこの国の王であれ…人を殺したならば裁かれなければならない。


というのは子供の語る道徳観と法律の認識だ、悪いが世の中そんな平等でもない。金と地位があるならある程度の罪はお目溢しされる。だからクルスは罪には問われないだろうな。


だが、許されたわけじゃない、許すわけがない。こんな非道を。


「クルスの所為で妹の命は断たれ、金貨数枚で妹の命に値段をつけられその死さえも貶められて…あの子の亡骸を教会に埋葬している時、私がどれだけ虚しかったか…!!」


「…なんとか出来ないかなアマルト」


「え?なんとかって…?」


「なんとかって…なんとかだよ、そうだ!出るとこ出ようよ!クルスの罪を白日の下に晒すの!行けそうじゃない?」


つまり、クルスの罪を公表すると…。いいんじゃないか?クルスの罪を露呈させるって点でならそれで解決だ。けど…。


「それで、クルスが泣いて謝りに来るとは思えないな。お前だって分かるだろデティ」


「う…」


「クルスがしらばっくれればそれで終わりだ。こっちにはそれを証明する力がない、例え証拠があろうともな」


真実を真実として伝えるには力がいる。立場って名前の力がない、でなきゃ握り潰されるかとぼけられて終わりだ。クルスの評判は分からんが兵士の対応を聞くにこういう事例が一度や二度とは思えない。多分似たような事を何度かやらかしてんだろう。


中には、それを公表しようとした奴も居ただろう。けど今事実としてクルスが王貴五芒星としてやれている以上結果はお察し。


「何より他言無用って言われてんだろ?俺達が下手に動いた時点でこの教会は終わりだろ」


「う…うん…」


「許せない気持ちは俺も同じだが、…解決出来る案件でもない。クルスを殴って終わり、クルスを謝らせて終わり、そういう終わり方はない。人が一人死んだ時点で誰かが解決出来る問題じゃねぇんだ」


「だけど、このまま泣き寝入りは悲しいよ!ねぇ!ジェニスさん!」


「………………」


同意を求められたジェニスは、頷くこともせず呆然と地面を眺める。


「ジェニスさん?」


「分かってるんです、許せないですが…私にはどうしようもないことは」


「え?」


「クルスはこの地方の領主です、その後ろにはレナトゥス閣下も居ます。私がどうこうできる問題じゃない…分かってるんです、ただ…呑み込めないだけで…!!」


「呑み込む必要なんてないよ…」


するとジェニスはオンボロの教会をぐるりと見回し。諦めたように笑い…。


「不思議だとは思いませんか?テシュタルの街にあるこの教会が…ここまで朽ちているなんて」


「そ、れは…」


「この教会はね、元より捨てられたものなんです…クルスの祖父アデマール・クルセイド様の時代に建てられた教会がここ。私達もアデマール様に救われた孤児達なんです」


クルスの祖父…確か話では立派な人物でクルスとは正反対の高潔な人物であったと聞いている。真方教会のトップとして長年統治しテシュタルを信奉しない者達からも支持を集めた、まさしく伝道師の鑑のような男だと。


それがアデマール・クルセイド様の…、それに拾われた子達がこのシスター達。なるほど、さっきからちょいちょい出てくる『アデマール派』ってのはつまり。


クルスではなく、隠匿した先代に付き従う…あー、悪い言い方をすると『終わった派閥』なんだ。


「アデマール様がクルスにテシュタル真方教会のトップの座を譲り、クルスが教皇を名乗ってから…テシュタル教は変わりました。多大な寄付金を徴収し各地に豪華絢爛な教会を打ち立て民間からの羨望を集めています。この街にも別に教会があるんです…ここより大きく豪華な教会が」


「けど、そこに向かわず…残り続けているのが、あんた達ってわけか」


「ええ、そんな私達には後ろ盾がありません。クルスが気紛れで見逃しているだけでその気になればこの教会は取り潰され私達はこの街から追い出されてしまう」


だからそもそも逆らえないんですと語るジェニスの言葉で全てを理解する。ジェニス達には逆らうって選択肢は元から無いんだ。この教会にいるのは謂わばアデマールへの義理立てから、そこをクルスに見逃してもらっているからボロいながらも教会に居座ることを許されている。


なのにそんな状況でクルスに逆らえば…ジェニス達には行き場はなくなる。クルスの胸先三寸で生かされている以上逆らうことは出来ないんだ。


「だから、許せる許せないではなく…何も出来ない」


「そんな…」


「皆さんにお話ししたのも、ある種の懺悔です。口にして少しでも自分を納得させようと…思って…ッ!だから…!もう…いいんです」


ううっ!と顔を覆い泣き始めるジェニスに何も言えなくなる。現実的な事を言えば何も出来ないのはそうなんだ、理解してるよ俺だって。けど…じゃあ仕方ないで飲み込める話でもねぇだろ!


なんとかしてやりたい…何かしてあげたい、けど俺たちにはクルスをここに連れてくることもジェニファーを生き返らせることも出来ない。何にも出来ないんだよ…俺達には。


「…………」


「ありがとう…ございました。私達は…この教会に残り続けます。クルスも今回の件は覚えてすら居ないでしょう…だから」


「……そう、だな」


情けねぇ、何が魔女の弟子だ。泣いてる女一人…慰める事が出来ねぇで偉そうな顔なんか出来ねぇよ。


そう悔しさに歯噛みすると、…立ち上がる。


「…大丈夫ですよ」


「え?」


ナリアだ、ナリアが力強く立ち上がり…泣き噦るジェニスの頭に手を置いて。


「大丈夫です、涙を流しながらも強く前に進み続ける貴方には、きっと相応の結果が訪れるでしょう」


「相応の…?」


「はい、そして…クルスにもまた、相応の終わりが訪れる。人を殺した人間にハッピーエンドは訪れない、僕の師がそう言ったんです。だから間違いはありません、クルスはいずれ全てを失う…」


珍しく、ナリアが怒っている。いや先程の話を聞いて怒らないわけがないのだが…ナリアってキレたらこんなに怖いんだ。そう感じるほどに、ナリアの気迫には鬼気迫る物がある。


その気迫ゆえか、荒唐無稽なその話には説得力が帯びる。クルスは全てを失う、いずれきっと…ジェニファーと言う人間の命を奪った者には相応の罰が下る、それがこの世の掟、方よりも強力な不文律の掟なのだ。


「だから貴方は、強く生きるんです。妹さんの分まで、クルスに負けず、生きるんです…それが奴にとっての何よりの復讐になる筈ですから」


「あ…う…ッ!はい…!」


「行きましょう、アマルトさん デティさん。僕達にはこれ以上ここにいる資格はない、何も出来ない僕達には」


「……ああ」


結局、俺達には何も出来ない。ジェチスの悲しみを和らげることは出来ない。それを解きほぐせるのは本人だけだから…なら邪魔者は消えよう。


そう踵を返した瞬間。


「話してくれてありがとね、ジェニスさん」


「え?」


デティが振り返り、強い眼差しで見つめ…。


「私達に話してくれてありがとう、私達に出来ることは少ないかもだけど…少なくとも、貴方に出来ないことはやってあげられそうだから」


「え…あの!この事は!」


「分かってるよ!他言無用なんでしょ?誰にも言わない。それでも私達に話してくれたから…やれる事はやるってだけだよ。安心して見てて」


ね!とウインクをしてジェニスの怒りと悲しみに『結果』を与える。ジェニスが勇気を出して話したから俺達がクルスの行いを知ることが出来た、知ることが出来たから…俺達は。


と、そんな風に思わせる言葉を与え安心させる。


……ってか二人ともなんかかっこいいなぁ!?俺もなんか言った方がいいかな??


なんか、こう…いかす言葉を…えーっと。


「えっと、これ…やる。食え」


「あ、はい、ありがとうございます」


そう言って買い物して手に入れた食材を諸々を置いていく。


アホか俺は、アホなのか俺は、アホじゃ俺。カッコつけようって馬鹿なこと考えるもんじゃないな。


そうなんとなく反省しながら、俺たちは教会を後にする。後はジェニスが力強く生きてくれることを望むまでだが…さてと。


「よし!アマルト!クルスぶちのめしに行こう!」


「言うと思った!ダメだっての!」


教会の扉を閉めるなりデティが怒鳴る。言うと思ったぜ、エリスかこいつは!


「俺達が復讐に行ったらジェニスが他言したことがバレるしそもそも王貴五芒星をぶっ飛ばすなんてやらかしたら俺達この国にいらんねーじゃん!」


「それは…それ!これはこれ!外道領主を亡き者に!いざ!これは聖戦だ!」


スパーン!とデティを叩いて落ち着かせる。滅多なこと言うんじゃねぇよ、第一魔術導皇のお前がマレウスの大領主をぶっ飛ばしたら…もうそれは戦争だろ。俺達は元より迂闊なことは出来ねぇだろうが。


「落ち着けよ、魔術導皇のお前がクルスぶっ飛ばしたらどうなるよ」


「全面戦争だね」


「だろ?落ち着けよ」


「分かった!でもどうするの?まさか話聞いてそれでハイ終わり?」


「そうは言わねーけども…」


あのなぁ、俺も道徳心とか正義感はそれなりに持ち合わせてるんだよ?そんな俺がこんだけ渋ってるって時点で察してくれよな。


「取り敢えず、ラグナに相談するか?」


「それが良さそうだね」


まぁ、アイツも難しい顔するだろうけどな。逆に『いいねぇ全面戦争!もう面倒だし一旦マレウス焦土にしてから改めてマレフィカルム探すかぁ!』とか言い出したらどうしよう。


エリス辺りは言いそうだけど…まぁいいや、ともかく俺たちには荷が重い話過ぎる。相談するだけみんなに相談するか…。


ラグナ達、もう帰ってるかな…?


……………………………………………………………………


「あんだよこの野郎…、冒険者風情が俺にガンくれてんじゃねぇぞゴラ…!」


「なんなんだこの街は…」


みんなの教徒服を仕立て終えて、急いで馬車に戻ってみたらまたチンピラに絡まれたんだが。


馬車を前に服の積み込みを行なっていたら、ふと…隣に豪華な馬車が止まっているのが見えて俺がチラリとそちらの方を見た瞬間、馬車の中から真っ赤な服を着た男がすっ飛んできて怒鳴りつけて来たんだ。


どうなってんだよこの街の治安はよぉ。メルクさんとメグさんに助けを求めるように視線を向けるが…自分でなんとかしろって感じだな。これは。


ラグナは静かに溜息を押し殺し、目の前の男を見遣る。


「あー…いやぁ、すんません。見てたわけじゃないんですよ、ただ立派な馬車だったので」


「あ?馬車見てたのか?…まぁ、俺の馬車は特注品だからな!あの馬車一つで豪邸が建てられるぜ?」


ギャハハハハハと馬車を褒められれば上機嫌になる。…いやしかし随分立派な馬車だ、こいつの言う通りかなりお高めのやつ。それと馬車ってのは服と同じだ。


ただの一市民が、例えば王侯貴族が着るような豪華絢爛な服を着て街を歩いても、奇人として見られるか或いは街のチンピラにカツアゲされて終わるだろう。馬車も同じだ、あんなに煌びやかな馬車に乗って平原を行けば確実に山賊に襲われる。


そうなっても大丈夫な何かと、こいつ自身の格がなければあの手の馬車は乗ることが出来ない。つまりこいつは…それなりの立場の人間ってことになるが。


「けど許さねー!俺は今虫の居所が悪いんだよ…!第一テメェらゴミカス冒険者が俺を視界に入れたことがそもそも罪だろ!」


立場ある人間にしては、随分あれな物言いだな…。


ってか面倒だな、どうする?殴り飛ばすか?だが暴力で解決しても面倒ごとそのものは解決出来ない。ここは宥めて帰ってもらうしかないか。


「あの、俺たちは…」


「聞きたくねぇ!下人が下劣な言葉を聞かせんじゃねぇよ!!」


刹那、目の前の男はいきなり剣を抜き放ち…っておいおい。


「ちょっ、物騒だな…」


「だーかーらー!!うるせぇーっ!!」


叫んだ拍子に男の吐息が顔にかかる…って酒臭ッ!?こいつ昼間っから酒飲んでんのか!?思わず顔を背けて仕舞うくらい濃厚なアルコール臭に怯んだ瞬間…男は全く遠慮もなく俺に向けて剣を振りおろし…。




「あ?」


折れる、豪華な装飾の剣が…俺の肩に振り下ろされた瞬間、根元からポッキリと折れて刃のなくなった剣を見て男は目をパチクリ瞬く。


こいつ…アホか?人に向けて剣振るうとか、酒に酔ってるにしてもやっていいことと悪いことがあるだろ。


「え?あ?え?…剣が折れた?ボロくなってたのか…?」


「…おいテメェ、まさかそれ…他の人間にもやってねぇだろうな」


「は?…ヒッ!?」


ちょっと…怒ってるぞ、俺は。酒に酔ってから剣を抜くまでが早すぎる。まさかこいつ酒に酔う都度剣を振り回したりしてないよな。そうやって誰かを日常的に傷つけてないよな…いやそれどころか、こいつ人殺してんじゃねぇのか?


だったらお前、ちょっと許せんぜ?


「な、なんだよ。怖い顔すんなよ…!怪我してねーみたいだしいいじゃねぇか」


「そう言う問題じゃねぇ…!そいつで人を斬れば死ぬくらい分かってんだろ」


「ハッ!関係あるかよ!下人が何人死のうがよぉ!」


「…本気で、そう思ってんなら。ちょっとお仕置きが必要か?」


「な、何言って…」


手は出さない、殴ればこいつはきっと騒ぎ立てる。だから…放つ。


全身全霊の威圧で行う極限の恫喝。どんなお気楽人間にも備わっている人と言う名の生命に搭載された危機を感知するセンサー…『恐怖』に直接訴えかける眼光でクルスを睨む。


「な、なんだよその目…え?あれ?」


ガタガタと震える手を見て首を傾げるクルスはふと額に手を当てて今自分が滝のように冷や汗をかいていることに気がつく。恐怖は頭で理解するよりも前に体が察知して怯えるものだ、ガタガタ震えガチガチ歯を鳴らし、最後には尻餅をついて脱力してしまうクルスを…俺は見下ろす。


「や、やめろ!」


「どうしたよ、俺…何もしてないぜ?」


「ッ!その目をやめろ!お前俺が誰か分かってんのか!クルスだ!クルス・クルセイド様だぞ!」


「はぁ?クルス?」


「む、そいつが?」


「おやまぁ」


メルクが眉を顰め、メグが口元に手を当てる。こいつがこの東部の支配者?…なんていうか威厳もクソもねぇな。


レナトゥスやソニア…いやチクシュルーブには人を率いる者としての覇気が備わっていた、それは相応の座に君臨していれば自ずと身につくものだ。俺もメルクさんも…デティだってそう言った風格という物を持ち合わせている。


だがこいつはどうだ?まるでせせこましい小鼠のようだ。こいつが本当に東部を手中に収める王貴五芒星の一人なのか?


「俺に!かすり傷一つでもつけてみろ!神聖軍や神将がお前らを殺しに来るぞ!」


「神聖軍に神将ねぇ、また同じ目にあうのは勘弁だな…」


「だ、だろ!だから…」


「じゃあお前を消して無かったことにするか」


「ひぃぃぃ!!!」


軽く脅しただけでこれだもんなぁ。どう考えても統治者として必要とされる何もかもを持ち合わせていない。こんなのが治めてるんじゃ…東部の惨状も理解出来るってもんだわ。


なんか、こうやって脅してるのも恥ずかしくなってきたぞ。弱い者いじめしてるみたいで嫌だなぁ…。


ここらでなんとか幕引きにするかとため息を吐いた瞬間…。


「ッ…!」


刹那、感じる…嫌な気配を。まるで死神が鎌を煌めかせたような気配を…、殺意以上に純粋な死の気配、なんだこれ…どこから漂ってくるんだ?


何かいるのか?そう思い周囲を見回すが何も居ない。だが気のせいとも思えない…そう考えていると。



「クルにゃ〜ん!」


「ん?なんだ?」


クルスが降りてきた馬車から女が一人降りてくる。金の髪を腰まで伸ばした水色のローブを着た女。だらしなく袖をダラダラと垂らしてタカタカとヘナチョコ走りでこっちに来る女の顔を見て…ちょっとビビる。


メチャクチャ美人だったからだ、人として実現し得る中でも最高の目鼻立ち…その全てを兼ね備えた極限の美人。恋心を抱くというより…なんかこう、荘厳な美術品を見てるような気分になる程の美人が涙目でクルスに駆け寄り。


「オフィーリア!?」


「クルにゃんどうしたにょ〜!?コケちゃったの?よしよしぃ〜」


「お、俺は大丈夫だよ!うん、大丈夫…」


オフィーリアと呼ばれた美人を見てギョッと俺の方を見る。なるほど…クルスの女か、しかもかなり見栄を張っているように見える。大方俺を相手に格好悪いところを見せたくないと見える。


仕方ない、いい手の打ち所を見つけたわけだし…ここらで引いておくか。


「失礼しましたクルス猊下。下賤なる冒険者の身で大変失礼な事を…どうかお許しください」


「え?…?…??」


その場で膝をついて頭を下げるとクルスは何が起きたか分からず目を白黒させて首を傾げる。いや察せよ!花持たせてんだろ!


「クルにゃん?どうしたの?」


「あー…いや、こ…こいつがちょっと無礼を…」


「それで、どうするの?」


「い、いやぁ〜仕方ないから許してやろうかなぁって」


「流石クルにゃん!慈悲深いぃ〜!」


「そ、そうか?そうだよなぁ?でへへ」


「……はぁ」


ようやく機嫌が良くなった。駄々っ子かこいつは…。


「じゃあクルにゃん、そろそろこの街出ようよ〜!オフィーリア…こんな埃臭い街嫌〜!」


「あ、ああ分かったよ。先に馬車に戻ってなさい」


「はぁ〜んい」


そういうなりクルスはオフィーリアを馬車に押し込むなりダカダカとこちらに駆け寄ってきて…。俺の耳元に口を近づけ…


「おい、お前…今回の一件はオフィーリアの可愛さに免じて許してやる」


「そうしてくれると助かります」


「だから…」


「分かってますよ、ビビって腰抜かした件は他言しないんでしょ?」


「うっ…ああ!」


「その代わり、これ以上俺たちに絡まないでくださいよ」


「ケッ、頼まれたってテメェらみたいなゴミカスに二度と絡むかよ…」


ぺっ!と足元に唾を吐きかけて急いでオフィーリアのいる馬車の中に引っ込んで行くクルスを見送り、なんかドッと肩に降り掛かる疲労感を感じる。なんで俺が悪いみたいな空気になってんだ?そもそも向こうから突っかかって来たんだろうが。


嵐みたいな勢いで突っ込んできて、場だけ荒らして帰って行きやがった。あんなのが東部の支配者とはな…でもまぁいい、これ以上絡むこともないだろうしな。


『ラグナ〜!』


『おーい!みんなー!』


「ん?お…みんな帰ってきたか」


何処かへと出発するクルスの馬車を見送ると共に、入れ替わりでみんなが帰ってくる。ただこの街に立ち寄っただけなのになんか色々巻き込まれた気がするな…でもまぁいい。


とっととここから旅立って、目的地を目指してしまおう。


…………………………………………………………


「あぁ〜!クソクソクソ!むしゃくしゃするぜぇー!!」


「クルにゃん、怒っちゃやぁ〜!」


「す、すまんオフィーリア…」


馬車に乗り込みながらクルスはグシャグシャと頭を掻き毟る、苛立ちの原因は色々だ。直近ではあの赤髪の男だが、あれは飽くまで怒りのトリガーに過ぎない。


積もりに積もったストレスが、俺を狂わせるんだ。どいつもこいつも俺を軽んじやがって!


「ってかよぉ!エルドラドに着くのはいつになるんだよ!もう一ヶ月以上も経ってんだろうが!」


そう彼は護衛の兵士に当たり散らすと兵士はやや困ったように。


「そ、それは。クルス様が連日酒浸りで旅に出られる状態じゃなかったから…」


「はぁ!?俺のせいだって言いてぇのかよ!何様だテメェはよぉ!」


「うっ、すみません」


「チッ、気分悪い…飲み直す」


飲まなきゃやってられねぇ。何が楽しくてエルドラドになんか出向かなきゃならんのだ、あの雑魚女王がエルドラドなんかで会議をするなんて言い出したせいだ、レナトゥスの命令とオフィーリアのお願いがなけりゃ死んでもいなかったのに。


そもそも俺が出向くって時点で気に入らない、来るならテメェらが来い。バシレウス様みたいなのならまだしも…あんなオドオドした雑魚に顎で使われているというシチュエーションにあるんだ。飲まなきゃやってられんとクルスはワインの蓋を開け直に飲み始める。


「それより、オケアノス様は置いてきてよかったのでしょうか」


「構わねえよ、あいつならまた『ドリブルの練習〜』とか言って球蹴りながら追っかけて来るだろ」


ったく、あの化け物め。もっと従順なら使い方もいろいろあったのに…、クソジジイに恩義があるからとか言って俺の命令なんか聞きゃあしない。いつか手筈が整ったら檻にぶち込んで甚振ってやる…。


「クルにゃ〜ん」


「んん?どうした〜?オフィーリアぁ〜」


オフィーリアだけだ、俺の自尊心を満たしてくれるのは。こんなに顔のいい女が俺に寄り添ってくる、その時点で俺が権力者である事を再認識させてくれる。


そうだよ、俺は神司卿のクルス様なんだよ。なんで周りに振り回されなきゃならんのだ、俺はレナトゥスのお墨付きをもらった貴族の中の貴族なんだ。誰よりも偉くて誰よりも気持ちいい生活をしなきゃいけないんだ。


もう…クソジジイの崇める神のせいで、貧乏な暮らしをする必要なんか、どこにもない。親父みたいに貧相な死に方をすることもないんだ…。


「次の街に着いたら、酒と食い物を根こそぎ貰ってこいよ、俺のオフェーリアは贅沢なものじゃないと食べれないんだからさぁ」


「ハッ、クルス様…ん?」


ふと、馬車に乗せてある魔伝が反応する。遠方から紙を届ける魔導具…それが光を放ちながら一枚の紙を吐き出すのだ。


「おや?手紙が…」


「チッ、誰だ」


「これは…ッ!?さ 宰相閣下です!」


「な!?レナトゥスから!?寄越せ!」


ヤベェ、なんだ。レナトゥスが態々俺に連絡を寄越してくるなんて…なんかやらかしたか?俺。いやいや何にもしてないぞ俺は…咎められるようなことなんて何も。


そう思いながら手紙を開き中を見て…ゾッとする。


内容は単純だ。


『ヒンメルフェルト司祭が死去したとの報告あり、丁度良いので彼の遺品を回収し『例のブツ』の情報を探りなさい』


そう…書かれていた。


「例のブツ…ってアレのことだよな。俺のクソジジイが言ってた…ヒンメルの頑固ジジイが持ってるって言うあの…」


「『羅睺の遺産』」


オフィーリアがポツリと呟く、そうだ。内容はよく分からんが…なんでもヒンメルフェルトが冒険者時代に見つけたとか言う特級の『厄物』。クソジジイ曰く表に出れば世界がひっくり返る…露見すれば魔女が俺達を殺しに来ると言う正体不明の遺産だ。


クソジジイは嫌いだ、いつも正論しか言わないから。けどそんなクソジジイが絶対に世に解き放ってはいけないと口にした物がソレだ。盟友たる僧侶ヒンメルフェルトが持ってるあれを回収してこいって?


…正直嫌だ、だって下手に持ち出したら魔女が来るかもしれないレベルのものなんだろ?と言うかそもそもなんでそんなやばい代物をあのジジイが保有してるんだよ。なんでソレをレナトゥスが知っていて欲しがってるんだ。


(レナトゥス…アイツは何をしようとしてんだ。最初会った時から正気じゃないと思ってたけど…アイツまさかマジでイカれてんのか?)


なんとか断りたい、けどレナトゥスは指図されるのが俺以上に嫌いだ。下手に拒否したら王貴五芒星の座を取り上げられるかもしれない。


そ、そうなったら俺は…。


「ね、どうするの?クルにゃん」


「え…?」


オフィーリアがクスリと笑う、まるで俺の考えを見透かしたように。


断れば俺は全てを失う、いや下手したら死ぬかもしれない。嫌だ…死にたくない、死にたくない!


「も、戻るぞ!一旦神都に戻ってから地の街ガイアに向かう!取りに行くものが出来た!」


「え!?しかしもう中部は目の前で…」


「喧しい!言うことが聞けねぇならクビにするぞ!」


「わ、分かりました!」


どうせ寄越せと言っても渡さないだろう、ヒンメルフェルトの葬儀を執り行っているのはよりにもよってあの女だ。丁度いい機会だし…あの街ごと忌々しいあの女を焼き払ってやろう。


そうでもしないと俺の苛立ちは収まりそうにない…。


急速転換するクルスの馬車は一度神都を目指し、矛先を変え…ヒンメルフェルトの葬儀が執り行われる『地の街ガイア』を目指す。




着々と、幕を開け始めるは…戦乱の兆し。この先起こる戦いの覚悟を決めているものは…まだ誰もいない。


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