428.魔女の弟子とケイト・バルベーロウ
そして、煮え滾る炎が質量を持ったかのような灼熱の山の頂上にて相対するは、二人の烈士。
決戦である、最早この場に至っては何も必要とされずただ拳を以ってして決着をつけるより他ない。
覚悟も信念も、気高い目的も崇高なる誇りも、下劣な悪意も滾る復讐心も、何もない。それを互いに理解しているからこそ…この場に集うたのだ。
「…アンタで、いいんでごすか?」
しかし、そんな決戦に期待していた物とは少し違う顔触れに、モースは少しだけ落ち込んだように視線を下に向けため息を吐く。全てを決する戦いの場に寄越されたのは…ネレイドだった。
確実な実力を持ったラグナでも、恐らく呪縛から解放され復帰しているであろうエリスでもない。
ネレイドだ、一度モースに完膚なきまでに敗れ力の差を嫌という程理解させられた彼女がまたもこの場に立ったのだ。これにはモースも表情を変えざるを得ない。
「これは真方教会の差し金か、或いはあの女狐が仕組んだ罠か、それとも負けを悟った仲間達に生贄として差し出されたでごすか?何にせよ…立派な生き様でごすな、それは殉教というやつか…?」
「違う、私は私の意志でここに来た。仲間達に勝利を信じられここに送り出されてきた、守る為に…守りたいものを全て守る為に」
「まやかしでごすよ、なにもかも」
空を仰ぐモースは己の悲運を恨む。ここまで過酷か、ここまで凄惨か、自分の望みはそんなにも罪深いものか。ただ自分は…もう一度娘をこの手で抱きたかっただけなのに。
「悪いでごすなぁネレイド、あーしはもうおかしくなっちゃったようでごす。自分で自分を止めらない、なにも許すことが出来ない…。例え道を阻むなら、愛娘であるお前であっても…潰して進むでごすよ、あーしは」
「何度も何度も…お前という女は…!」
構えを取るは山の上にあって山の如き巨人達。煮え滾る釜の中でたった二人で睨み合うのは…。
東、天を衝く巨体と岩肌の如き筋肉で構成された動く山。山魔モース・ベヒーリア。
西、隆起した筋肉をシスター服に隠したその雄大なる立ち姿はまさしく海。闘神将ネレイド・イストミア。
己の人生と、己の信仰を掛けた戦いの為、二人は培った己の武を示す。
「私の母はリゲル!夢見の魔女リゲルだ!」
両手を広げ手を開く、中腰で相手の隙を伺うようなその姿勢はレスリングの構え、ネレイドがオライオンで鍛え抜いた戦闘スタイルであるそれを晒すのに対し、モースが見せるのは。
「どこまでも…テシュタルというのは…」
ドスン、と音を立ててモースの両拳が地面を叩き、そのまま四つ足をつくように腰を落とす。モースの代名詞であるその武術の名は『古流相撲』、遥かなる古より伝わる古式武術の一つであるそれこそが、モースの武器だ。
相撲とレスリング、奇しくも互いに武を修める道を選んだ二人は、まるで何かを待つように…静かに灼熱の山の頂上で睨み合う。
「…わかってるんでござんしょう。レスリングでは相撲には勝てない…相性は最悪、それがまだ分からぬので?それとも…勝てるつもりで?」
「問題ない…」
とネレイドは強がるが、事実だ。モースの使う相撲とネレイドが武器とするレスリングの相性は最悪。初撃こそが最強であり一撃目からトップスピードを見舞ってくる相撲と受けを主体とするレスリングでは初手から相撲にアドバンテージが出る。おまけにレスリングが得意とする組み合いも相撲にとっては独壇場。
そしてその上、パワーでもスピードでもネレイドはモースに上回られている。そしてそれを叩きつけられるように以前は完全なる敗北を喫している。
実力差は明白、相性も良くない。これで勝てると思うかとモースは問う。
すると、ネレイドは静かに…。
「勝てるとは、思ってない」
そう答える、勝てるとは思っていないと…ならばとモースが口を開く、よりも前にネレイドは目を煌めかせ。
「だが、それでも勝たなくてはならない。それが…皆の意志を背負って立つということだから…!!」
「…無謀、というんでごすよ。それは…」
つくづくと思う、やれやれと呆れる、呆れ果てる。やはりそうなるか…ならば仕方ないとモースは迷いを捨てるように。
「ならば、お望み通り…殉教に果てろ!狂信者…!」
足を振り上げ、地面を叩くように四股を踏めば、それだけで大山が鳴動する。それが望みならば叶えるより他ない。
例え相手が、終生を掛けて探し求めた…娘であったとしても。
「行くでごす…、発気良し…」
「ッ…!」
そして、鳴り響くは戦いのゴング。
山魔と闘神将の…最後の手合わせが今……。
「残ったッッ!!」
「来い…モース!!」
……始まる。
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「はへぇ〜、不思議なもんですねぇ〜、表は普通の馬車なのに入ってみるとこれまた不思議。まるで上等にログハウスのようですよ」
「そりゃまた、結構なことで」
「おや?私お邪魔でした?」
「いやまぁ」
たははー!と笑うのは異物。見慣れたエリス達の馬車の中…配置された家具の中…特大のソファを我が物顔で占領するその人物を前にエリス達は何をどう言っていいやら困った感じで皆途方にくれる。
これが、雑多な侵入者なら叩き出して終わりだ。ただの無礼者なら折檻して終わりだ、だがそうもいかない。何故なら…。
「悪いですねぇエリスさん方、いきなりお邪魔しちゃって」
「いえ、それはいいんですけど…ケイトさん、本当に東部までこのまま付いてくる感じですか?」
「徒歩で行けと!?護衛対象なのに!?」
ソファに座りメグさんのココアを飲むのは…冒険者協会最高幹部にして生きる伝説、その名もケイト・バルベーロウだ。麗しい玉肌と流れ落ちる水のような黒い髪、そしてそれに合わせるような黒い装束ははっきり言って美しいとさえ思える。
そんな見てくれをしている割に既に齢は八十を超えている老婆なのだ、自己流で開発した不老の異法にて見た目だけ若さを保ちつつ歳を取るという不可解な存在に成り果てた彼女を見て、ますます頭がこんがらがる。
こうなった事の発端は簡単だ、ジャックさんの船から降りて馬車に戻ってきたエリス達の前に現れたのだ、彼女が。普段アマデトワールから出る事のない彼女が態々ボヤージュの街まで現れエリス達に依頼を持ちかけた、それこそが。
『マレウス東部のクルセイド領まで自分を護衛してほしい』という依頼だった。詳しい依頼内容は分からないものの…一応冒険者であるエリス達は最高幹部である彼女に逆らえずこうして馬車に乗せてしまった…というわけなのだ。
「すみませんねぇ、実はクルセイド領にどうしても外せない用事が出来たものの、なんか私山魔に命狙われてる臭くて…、怖いんで護衛お願いしますよ」
依頼内容とは彼女の言った通り、何故か東部にいる山魔モースに命を狙われているという彼女はエリス達に護衛依頼を持ちかけてきた。
「つってもさ、冒険者には強いのもっといっぱいいるんだろ?四ツ字冒険者とかさ」
「アマルトさん、それは先程も言いましたが四ツ字はみんな多忙なんですよ。その点で言えば皆さんフリーでしょ?」
「暇ではないのだが…、それにケイト殿程の使い手ならなんとか凌げるのでは?」
「無茶言わないでくださいよ…、現役時代から何年経ってると思ってるんですか。人ってね?加齢と共に普通は魂と魔力が衰えるもんなんですよ、私も見た目こそピチピチピッチですが魂の劣化は防げてないので…バリバリ元気な山魔と喧嘩したらさ〜すがにボコられますって」
四ツ字はみんな重要度の高い依頼を受けているためケイトさんの私的な依頼では動かせない。そして加齢により魂の劣化が発生しているケイトさんは現役から大幅に弱体化している…か。
どちらも分かる話だ、人間が老いるのは魂が徐々に弱っていくから、魂が弱れば捻出される魔力も弱くなる。それは魔術師にとっては致命的だ、師匠達が不老でありながら当時の強さを保っているのは完全なる不老の異法にて魂の経年劣化を防いでいるからだ。
そうではない不完全な不老であるケイトさんは昔のように強くない…ならば今現在裏社会でブイブイ言わせてるモースの相手はちょっと厳しいんだ。
「そうはいうけどよ、俺達もこれからマレフィカルムの本部の場所を探したり修行したり色々忙しいんだが」
とラグナがちょっと困ったように微笑むと、それに対して満面の笑みで答えるのはケイトさんだ。
「ご安心を、ただで東部まで送ってくれってんじゃありませんよ…いくつか交換条件も用意してます」
「へぇ?それは?」
「まず一つ、そろそろ皆さんが冒険者になって半年が経ちますが…まだですよね?冒険者資格の更新」
「あ……」
そうだ、冒険者の資格更新は半年に一度。それをする為には試験場がある冒険者協会に行かないといけない。そしてここから一番近い試験場があるくらい大きな協会は…アマデトワールだ。
「私が同伴したら更新試験をチャラにしてあげます」
「そりゃ、有難いが……」
「それだけじゃありませんよ、マレフィカルムの本部が分かるかもしれない情報…これをお渡しします、報酬として」
そう語るケイトさんの言葉に、ラグナはムッとする。確かに破格の条件だ…だが違うだろ、話が。
「おいおい、そりゃちょっと話が違うんじゃねぇか?」
「ほえ?」
「俺達は冒険者として仕事をする、あんたはその見返りに情報を探す…そういう話だよな?」
「ま、まぁ……」
「俺たちは一応仕事はしてるよな、エストレージャの件…その報酬をまだ受け取ってねぇぜ」
「それは黒鉄島の…」
「黒鉄島の件は俺が偶然ロダキーノから聞いた話だ、あんたからじゃない」
「う……」
「情報持ってるならこの場で渡せ、でなきゃそもそもこの協力関係の意味がない」
ケイトさんの口がキュッと締められダラダラと冷や汗を滝のように流す。この人数で詰められれば流石に怖いと言うか…威圧も凄いだろう。しかしケイトさんは白状することなく首を横にブンブン振るう。
「い、いまは無理なんですよぅ。時が経たないとこの事は話せないんですぅ…」
「…イマイチ嘘クセェ話だな」
「本当ですよぅ、それにこの情報をあなたに今渡してもきっと意味なんかありません。私が生きてないとダメです、もしこのまま私を一人で行かせれば私は死にます。そうなれば折角掴みかけたチャンスが泡になって消えちゃいますよ」
上手い…ラグナが目元を一瞬ピクつかせるくらいには老獪。咄嗟にラグナはデティの方に視線だけを向けるが…。
デティから返ってくるのは『嘘はついていない』という結果のみ。つまりこの話は事実…か。
「はぁ、仕方ない。分かったよ」
「わぁい!ありがとうございます!いやぁ皆さんにお話ししてよかったぁ」
「わざとらしいなぁ…、で?東部の何処に向かえばいいんだ?」
「あ、依頼内容の確認ですね。…立ちながらもなんですし、皆さんお座りください」
まるでここは我が家であるとばかりに両手を広げエリス達に座るように促してくる。まぁ別に何も言うまいよ、エリス達はみんなリビングに置かれた様々な物に腰を落ち着ける。
エリスとラグナはいつも座ってる小型のソファ、メルクさんは安楽椅子、ネレイドさんは専用の巨大クッション デティはその膝の上、アマルトさんは自室から簡易的な椅子を持ってきて、メグさんは時界門で回転椅子を用意しその場でくるりと回る。
「さて、まず目的地の話ですが…マレウス東部のクルセイド領、その大体南の方角にある『大地の街ガイア』そこに私を送って欲しいのです」
「ガイアでございますか…」
「おや?メグさんはご存知ですか?それは話が早い」
「名前だけではありますが…、ですが確かそこは…」
ふむとメグさんはケイトさんの話を聞いて地図を広げ、エリス達に見せつけるように指を指す。クルセイド領の奥も奥に存在するその町の名はガイア。…ここに向かうのか、遠いな。殆どマレウス横断じゃないか。
それを見てメグさんは再び確かめるように頷く。
「ここ、確か温泉で有名な街ですよね」
「温泉!?」
デティが飛び跳ねるように顔を上げる、そう言えばデティはオライオンの時いませんでしたもんね…まぁエリスもアマルトさんもメグさんもオライオンの温泉には入っていませんが、その時の話を聞かせたデティは大層羨んでいましたからね、きっと温泉に入りたいとずっと思っていたのでしょう。
…ん?温泉?
「まさか温泉に浸かりに行きたいから…とか言いませんよね」
「違います違います、人を訪ねに行くのは本当ですよ、私どんだけ信用ないんですか」
「妙に駆け引き持ちかけてくるあたりがイマイチ信用できないんだよ」
「それはもう染み付いてしまった癖みたいなものなので愛嬌として受け取ってください。…確かにガイアは温泉で有名な街ですし事実そこの温泉が目当てでしたよ…私の友人がね?」
「…その友人って誰なんですか?」
ふと、気になる物言いを耳にして思わず聴いてしまう。そこの温泉が目当てだった…それはケイトさんの友人なのだろうが、気になる…目当て『でした』?なぜ過去形なのか、そう問いかけるとケイトさんは一瞬目を閉じ…。
なんでもないことのように微笑み直すと。
「ええ、実はここで私の友人『僧侶ヒンメルフェルト・ケントニス』の葬儀が行われるんです」
「僧侶…!?」
「ってか葬儀!?」
僧侶…確かそれはかつてケイトさんが作ったと言われるパーティ…『ソフィアフィレイン』のメンバーの一人で同じく伝説の冒険者と言われている人物だったはず。もう引退して真方教会の大司祭をしていると言う話だったが…亡くなられたのか。
ケイトさんは歳をとらない、だから誤認してしまうが…もうそう言う歳なのだ。ケイトさんと僧侶ヒンメルフェルトが同年代なら…。そう言うことだったのか。
「ヒンメルフェルトは良く教会に尽くし、最後の最後まで教義に則り気高く生きました。この私でさえその生き様は素晴らしいものであったと賛辞を述べてしまうくらいには、彼は良き教徒でした」
「…………」
「ですが、後年無理が祟ったのか…体のあちこちを悪くしましてね。それでも仕事に励み続け最後は体を壊し、死ぬ前に一度…故郷ガイアの温泉に浸かってから死にたいとガイアに赴き、そこで息絶えたそうです」
「…そうだったんですね…」
「ええ、彼とはあまり仲は良くなかったですが。それでもお世話になりましたからね…最後の挨拶くらいはしておきたいんですよ」
なるほど、どうしても外せない用事ってのはそれか。かつて世話になった友に別れの挨拶を、例え命を狙われていても…か。感服した!エリス感服しましたよ!ケイトさんの事だからその辺ものらりくらりと避けるかと思ってましたけど…その心意気はとても良いです!
「すみませんでしたケイトさん、貴方を疑うようなことを言って」
「ああ、俺達も良くないことを言ったよ」
「いいんですよう、まぁ無茶を言ってる自覚はあったので…」
「ところで、山魔に狙われている…と言う話は本当か?」
「え?ええ、聞いた話だと山魔は私の命を狙っていると…これに関しては確たる証拠はありませんが、用心にするに越したことはないかなぁと。事実今東部は山魔が訪れていることもあり山賊だらけですし」
山魔…海魔ジャックと同じ三魔人の一人で世界中の山賊達の羨望を集める世界最強の女山賊。エリスも一度会ったことがありますが…まぁ見るからに強そうでしたよね。しかもあのプルトンディース大監獄からその身一つで強引に脱獄した史上唯一の人間としても名前を聞きますし。
…あの人が東部にいるのか。
「山魔モースか、ジャックと対等な奴だろ?あれと互角って…」
「ジャックの強さは災害級…いやそれ以上だった、あの怪物と同じレベルだとしたら出来ればぶつかり合いたくないな」
「ですね…」
皆慄く、ジャックの強さはこの間の黒鉄島の戦いで理解している。海の上なら無敵と称されるだけの実力を持った彼…それと同格のモースが東部に…、弟子達の顔に戦慄が走る中、別の意味で顔を険しくするのは。
「真方教会は何をやってるの」
「へ?」
ネレイドさんだ、と思いネレイドさんの顔を見ると…ちょっとびっくりする。怖い顔をしてる…オライオンで会った時みたいな怖い顔。それを見てケイトさんは『ああ』と何かを悟ったように手を打ち。
「そう言えばネレイドさんはオライオンテシュタルの神将でしたね、となればあまり聞いていて気分の良い話ではないでしょうが…今のテシュタル真方教会のトップであるクルス・クルセイドはクルセイド領の自治を任されておきながら…自身の保身以外に戦力を割かない男なのですよ」
「つまり…何か、民を守るために…軍を使わない…と?」
「ええ、彼の周りにはマレウス王国軍と張り合えるだけの戦力はありますがそれ以外の街には全くと言っていいほど兵がいません。なので山賊も跋扈しまくりです、故に今の東部の治安は終わっているんですね」
「………………」
固く閉じた口はどんな言葉を堰き止めているのか、握られた拳はどこに向けられているのか。
神将として、教徒として、何より夢見の魔女の弟子として、彼女が何を重んじ何を守り何の為に戦ってきたかは言うまでもない。だと言うのにテシュタルの名を持つ者が民を蔑ろにし自らを守る為だけに力を使う様にネレイドが感じることなど…態々言葉にするまでもないのかもしれない。
「クルス・クルセイドは困った男ですよ、本人は小物ですが立場が厄介です。彼の気を害すれば真方教会の軍勢が全力を持って消し去りに来る…そう言う意味では山魔や山賊達は上手くやってますよ。上手い具合にクルスの視界に入らないようにしてるのですから、…いや?或いは…」
「或いは?」
「……いえ、これは言うべきではありませんね。それよりも受けてくださいますか?大地の街ガイアへの旅路、その護衛を」
チラリとラグナを見る。彼は苦笑いしたままエリスの視線に答えるように目を向ける。分かっている、受ける以外の選択肢がないことを。
受けるに与う理由と、受けても良いと思える報酬をケイトさんは用意している。だからこの話は受けるしかない、それをケイトさんに上手い具合に運ばれていることに若干思うところがあるんだ。
上手く丸め込まれましたね、ラグナ。
「…ん、分かったよ。受ける、友の為に例え危険であっても向かおうとする様にはこちらも共感出来るからな」
「ありがとうございます、ラグナ様」
「ああ、兎も角目的地は遠い。今すぐ出発しよう…次の馬車番は誰だったか?」
「私でございます、では早速出発しましょうか」
ともあれエリス達の次の目的地は決まった。マレウス東部のクルセイド領…ここからは酷く遠くにある癒しの街バルネアを目指すこととなりました。でもこんな事してていいのかなぁ…エリス達には制限時間があるし、何より今より強くならないといけないのに。
そんな不安が一抹、胸の中に残るのだった。
……………………………………………………………………
『ベテラン冒険者として新米の皆さんに一つアドバイスをして差し上げましょう。大地の街ガイアを目指すなら直線で移動するのは得策ではありません』
馬車を動かしながらケイトさんの言葉を想起する。ガイアを目指してボヤージュの街から旅立ったエリス達はそのままマレウスをぶった斬るようガイアを目指すのではなく敢えて中央を上から迂回するようなルートで…即ちマレウス北部カレイドスコープ領を経由して東部を目指す事となった。
『え?理由?回り道じゃないかって?まぁ確かに距離的には遠くなってますが、多分直線で行くよりも時間はかかりませんよ。まずマレウス中部は銭ゲバのロレンツォ…いえ黄金卿が旅人から税金を徴収する為至る所に関所があるんです、そこを経由すると一つの関所につき丸一日費やすことになりますので…まぁ時間がかかります』
エリス達はそのままボヤージュの街から海岸沿いをなぞるようにぐるりと中部を避けながら馬車を動かし旅をする。
中部を統べる黄金卿ロレンツォ・リィデュアはケイトさんの古い知人でありかつてのパーティメンバーで『商人』と呼ばれた男だ。彼はその功績から貴族の地位を買い取りそのまま王貴五芒星の座にまで上り詰めた敏腕。それと同時に凄まじい銭ゲバらしく、中部は色々とややこしいらしい。
『南部を経由するルートは確かに目的地に近いですが、南部は密林地帯が多く、また雨季明けなので馬車で移動しようと思うと時間がかかります。それにほら…地図を見てもわかるかと思いますが密林を避けるとグネグネと道を蛇行することになるので…結局北部から迂回する方が早いんです』
南部グランシャリオ領は密林が多く自生する亜熱帯だ。馬車で移動すると結構時間がかかるらしい。エリスもそう言う場所を旅した経験があるが…イライラする。ちょっと移動する都度車輪が泥に沈んでその都度馬車から降りて車輪を持ち上げる必要がある。
その時は師匠が『もう面倒だ』と口にしながらそのまま馬車を両手で抱えて地面を凍らせながら進んだが…、今のエリス達にそんな芸当はできない、いや出来ないか?出来る気がするが…どの道時間がかかることに変わりはない。
『その点北部カレイドスコープ領は地形的特徴が少ないのでスイスイ進めると思います。これでもマレウスを旅した経験は皆さんよりはあるので、信用していただいてもいいんですよ?』
エリス達以上に冒険という物に慣れ親しんだケイトさんの言葉はどれも論理的根拠があり、旅人として経験があるエリスから見ても『なるほど』と手を打つ程鮮やかな物だった。
旅とは地図の上に線を引くのとは訳が違う。その場所に行けばどうやっても直線的に進めない場所は多々ある。ならば一見遠回りに見えるか道の方が案外早く着く場合もあるのだ。
その言葉に従いエリス達は馬車を動かし続け…数日が経った。まだマレウス西部のチクシュルーブ領から抜け出せないある日、エリスは。
「ぶーわっ!ぱうぱうっ!ぶーわっ!ぱうぱうっ!」
「見てくださいケイトさん、デティが踊ってますよ。可愛いですね」
「え、えっと…」
エリスは、馬車のリビングでケイトさんと一緒にソファに座り、リビングの中央で腕を開いたり閉じたりするデティを見てココアを飲んでいた。
ケイトさんは常にこの大型ソファに座ったまま動かず、日中はずっとこのソファに座ってる。寝る時はメグさんが用意したベッドに横になり、ご飯を食べる時はダイニングに移動するが…それ以外の時間はずっとソファに座っている。
見た目が若いだけで彼女も結構なお年なのだと実感させられる。
「ぶーわっ!ぶーわっ!」
「あの方魔術界の権威ですよね、めちゃくちゃ偉い人ですよね。なのに何故あんなアホみたい…失礼、幼稚な踊りを?」
「あれはメグさん考案のエクササイズです。お菓子を食べた後はあれをするってアマルトさんと約束してるので」
「ぱうぱうっ!」
「なるほど…」
一心不乱にエクササイズを行うデティを見て、何やら言いたげな様子のケイトさんの横顔を見る。別にエリスは彼女と一緒にデティの愛くるしいダンスを見るためにここに居る訳ではない。
「ねぇ、ケイトさん」
「はい、なんでしょうか」
「色々お話し、聞いてもいいですか?」
ラグナは自室に、アマルトさんは下拵えに、メグさんとメルクさんは読書に集中し、ナリアさんは演技のレッスン、そしてネレイドさんは御者を。今この時間は皆各々の為の時間を過ごしている。
こちらに注目はない、なら何かしらのお話を聞きたいのですが…と言えばケイトさんがぐぇっと下唇を突き出しあからさまに嫌そうな顔をして。
「なんですかその顔」
「えぇ、怖いじゃないですか。エリスさんなんか勘が鋭い上に突いて欲しくないところをガシガシ突いてきますし」
「ってことは突かれたくない所があるってことですか?」
「あーあ、嫌だ嫌だ。エリスさんのような方はね、私みたいに良しも悪しも含めて生きている大人には怖いんですよ」
「まぁまぁそんなこと言わずに」
エリスがケイトさんの名前を初めて聞いたのはアルクカース継承戦の頃だ。その時から都度都度名前を見聞きして来ている。そんな人物と今こうしてお話しすることになっているなんて当時は思いもしなかったが。
同時に、会ったら是非聞いてみたいと思っていたことがあったんだ。
「ケイトさんってディオスクロア大学園を卒業してますか?」
「は?…いえ?なんでですか?」
「あれ?そうなんですか?…実はエリス。ケイトさんの名前をディオスクロア大学園で見てるんですよ」
「……へぇ」
ケイトさんの顔つきが変わる。どうやらこれがただの世間話ではないことに気がついたようで、その顔つきに影が差す。
「実はエリス、ディオスクロア大学園の卒業生の名前が刻まれてる部屋に行ったことがあるんです」
「そんな部屋があるんですね、とすると私の名前がそこに?」
「はい、ありました。五百年ほど前に…ケイト・バルベーロウという名前が」
年代別に卒業生の名前が刻まれている時刻みの間にて、大凡五百年程前にケイト・バルベーロウの名前があった。これは一体どういうことなのかを…彼女に問うと。
「五百年前って…どう考えても私じゃないですよね」
「ってことは同姓同名?」
「…うーん、同姓同名…で片付けていいんでしょうか。実は心当たりはあるんですよ、聞きたいですか?」
「是非」
するとケイトさんは一口ココアを口に含み、まだ熱の残るマグカップを撫でながら膝の上に置くとデティをチラリと見て。
「私の家…バルベーロウ家は少々特殊な家系でしてね。代々家を継ぐ女には『ケイト』の名が授けられるんです」
「…ということはつまり」
「はい、ケイト・バルベーロウは一人ではありません。私の母も祖母もその前も…ずっと遡っても私の家系図には『ケイト・バルベーロウ』だらけなんですよ」
「そんな家があるんですか?」
「事実ここに。…私の家は代々『魔女探求』を志す家系でしてね。始まりのケイトから続くこの野望は今も私に受け継がれている…」
ケイトさんが語るに、ケイトさんの家は魔女という存在を探求しその座を目指す家柄らしく、名を受け継ぐのはある種の魔女への憧憬。永遠に消えぬ『己』の証明。魔女のようにこの地上に永久不滅たる『ケイト』を残す為…彼女達は名を受け継ぎ続けているそうだ。
「理不尽だと思ったことは?そんないつ何処で誰が決めたかも分からない話で、自分の生き方と名前を決められるって…」
「無いですね、名前なんてそもそも自分で決められるもんでもありませんし、生き方だってそういう環境に身を置けばそういう生き方しか出来なくなる。故に理不尽に思ったことはありませんが…無駄だなとは思ったことはあります」
「無駄?」
「ええ、私…これでもバルベーロウ数百年の歴史の中で最強にして最高傑作とまで言われてたんですよ?事実そんじょそこらの魔術師より何百倍も強かったですし。でもそんな私でも真なる意味で魔女に近づくことは出来なかった」
ケイトさんはグルグルと回るココアの中を覗き見て、その中に映る崩れた己を見て自傷気味に笑う。ケイトさんは強い、魔術師としては恐らく世界最高峰の地位に立っていた、そんな彼女が終生を賭けて研究を重ねても…魔女の不老を再現するには至らなかった。
故に無駄である、これ以上続けてもケイトは魔女になることはない…そう諦めてしまったのだろう。
「でもそれも私で終わりです」
「え?どういう意味ですか?」
「私、生まれつき子供作れないんですよね。だから…私の意志を継ぐ者を作り出すことが出来ない。長らく続いたケイトの夢も…これで終わりです」
「……子供が」
それはちょっとデリケートな話だからどうこう言える話では無いが。そうか…そうなのか、長らく続いたバルベーロウ家の野望もケイトさんで潰える。ケイトさんに残された時間も残り少なく今更問題を解決してもどの道子供は作れない。
だから、彼女の夢はここで…。
「……ケイトさんは続けたいんですか?」
「さぁ、どうなんでしょうね…、続けたかったのか、終わらせたかったのか。今となっては分からない。取り返しのつかないくらい…歳をとってしまったので」
するとケイトさんの視線はデティを向いたままだ。その視線には…少々仄暗い何かが秘められていて。
「…こういう家は珍しく無いんですよ?魔女を目指す事を一族の悲願とした家系というのは。バルベーロウの他にもマレウスにもいくつかありますし…代表的なのはあの子ですね」
「デティがですか?」
「ええ、聞いたことはありませんか?クリサンセマム家は八千年前からずっと続いている唯一の家系だと」
ああ、それは知っている。というかそもそも魔術導皇という役職自体が八千年前から存在しているんだ。シリウスを倒した魔女様達が二度と同じ過ちを繰り返さないように魔術そのものの統治権を持った者を作った、それがクリサンセマム。
つまりデティの家は家柄の格だけで言えば世界最高ということになる。なんせ八千年前から続いている唯一の…いや、違う。
八千年前から続いている家系はもう一つあるな。
「ああ、そう言えば我等がマレウスの王族ネビュラマキュラ家も八千年前から存続していると主張する家の一つでしたね」
「その話はエリスも聞いたことがありますね、すごい昔から続いていると師匠が言っていました」
「ええ、この二つは私と同じく人の身で魔女の領域を目指した家系です。クリサンセマムは『個でありながら全を成し遂げる万能を』、ネビュラマキュラは『全を束ねた唯一無二たる究極を』を目指し、理想的な交配を続けて今日まで存続してきたそうです」
クリサンセマムもネビュラマキュラもそう言う意味では古い家系だ。子供を産むのは何歳で、交配相手はどこの誰で、性的干渉をするのは何時で。と色々なことを定められているくらい厳しいルールの下で繁栄を続けてきた。
ケイトさん曰くそういう風に子供に願望を押し付ける家は少なく無いらしい。特に魔術師は皆魔女を目指して進むものだ、となれば魔女の領域にたどり着く事を一族の悲願にすることはなんら珍しいことでは無いらしい。
「この二つの家は今互いに歴代最高傑作と呼べる存在を輩出しています。クリサンセマムもネビュラマキュラも八千年かけてようやく土俵に立てる段階なのに、高々数百年程度の歴史しかないバルベーロウではどうやっても辿り着けるわけがないんですね」
「そんな悲観的な…」
「言ってみればクリサンセマムとネビュラマキュラはバルベーロウみたいな魔女を目指す一族達から見ればまさしく憧れの存在なんですよ。それが今目の前で…ねぇ?」
「ああ…」
「ぶーわぶーわっ!ぱっぱっ!」
確かに、心穏やかにはいられないか。なんたってケイトさんが終生賭けて臨んだ挑戦を成し遂げる可能性が最も高い二つの一族の片割れが、今目の前で呑気にエクササイズしてるんだから。
「なーんて!家柄の事とか先祖から受け継いだ願いとか、そういう話を長々言って聞かせましたが別に私はこれで悩んでるってわけじゃありませんからね。そういうナイーブな悩みは二十代の時にやり尽くしました、私は私だって答えは三十代の時に出しました、長い人生の中でそんな悩みがどれほどちっぽけなものかは四十代の時に気付いて、五十代の頃には綺麗さっぱり忘れてたので、私の人生経験なめないでください」
「なるほど…」
態々悩みを聞いて答えるまでも無い。この人はエリスより遥かに長い時間生きてて、その分いろんな事を経験した大人なんだ、思い悩むなんて経験はもうとっくの昔にやり尽くしている。
エリスが気にするような事ではなかったな。
「さて、そろそろお昼の時間ですね。馬車に置いてもらってる身ですから食器の支度くらいはしますか」
「え?大丈夫なんですか?」
「どういう意味ですか…、どっ…こいしょ」
そう言いながら反動をつけてソファから起き上がり、腰をトントンと叩く。この人見た目は本当に若いのに動作は本当にババ臭いというかなんというか…。
「いや、一応ご老人みたいですし…そういう仕事は」
「ナメないでくださいエリスさん、これでもベテラン冒険者ですよ?私も旅を経験した身…掃除、洗濯、炊事、馬の世話から道具の整備、地図の確認とルートの算出…」
ああ、そうだった。この人もベテラン冒険者…出来ることの幅はとても広…。
「以外のことならなんでも出来ます」
「何にも出来ないじゃ無いですか!?」
「そういうのは仲間に任せていたので、私はもっぱらお皿並べる係です」
「役割が局所的過ぎる…」
「プロのお手並みってもんを見せてあげますよ…!」
なにかを誤魔化すように、これ以上会話を続けないように、そんな意図が垣間見えるケイトさんの気だるそうな背中を見て思うのは…人類と魔女の関係。
今現在世界最強の人類ルードヴィヒさんは、『人類』最強と呼ばれる。それは即ち魔女が人類の範疇にいないような物の言い方だ。まぁ分かる、魔女様達はもう自然の化身みたいなモンだと、人々から見た魔女はもう神と同義であると、そう言う意味だ。
ただ、そんな神を目指し続けた者達がいた。人類にあってその範疇を超え新たなる魔女の座に就こうと終生を燃やし、それに飽き足らず子孫達の命も使い、その座を目指した者たちがいたんだ。
実際には第四段階に行くには古式魔術が必要なのだがそんなこと知らずに…或いはそこまで辿り着かず多くの家が多くの命を散らしてきた。
もしかしたら、魔女の座を目指せるエリス達はそういう人たちの悲願も背負わなくてはならないのかもしれない。
新たな魔女…その領域を目指せる者として、人が星に手を伸ばす夢を叶える立場にいるのかもしない。
…とはいえ、未だエリス達にとっても魔女は天上の星。この手を伸ばし続けて…いつか本当に手が届くのだろうか。
それはまだ分からない、だから…。
「ぶーわっ!ぶーわっ!」
「…デティ」
「ぱうぱうっ!…ハッ!?エリスちゃん!?」
立ち上がる、今出来ることはただ少しつづ少しづつ歩くだけ。この歩みを止めないことだけなんだ。
「にげろーっ!」
「ギューってさせてください!」
だから今は取り敢えず可愛いデティを抱きしめて吸ってこの不安を押し殺すとしよう。