424.決戦 海魔ジャック・リヴァイア
「俺と一緒に海に出ようぜ!」
拳を握り立ち上がる、マレウスの小さな港に集った三人の若人は共に水平線を眺めながら夢の話をする。
「あの海の向こうに何があるか、俺と見に行こう」
夢だ、夢を語るのだ。先日港に漂流して来た若者…ジャックはこの村で出会った二人の青年に言って聞かせる、自分と一緒に海に出ようと。
そんな事をいきなり聞かされた二人は。
「え、ええ…そんな急に」
「そうだよ、それにまだ僕達子供だし、大人無しに海に出るなんて危険過ぎるよ、そりゃ…行きたいのは山々だけど」
村の青年…ティモンとヴェーラはジャックの言葉にやや竦みながらも答える。荒唐無稽な話だと思っているのは皆同じだ、海は危険な場所であることは誰もが知っている事だ。海に行かずに生きていけるならそれで良いだろうし、この世の八割の人間がそうやって生きている。
だがそれでも、ジャックの視線は常に水平線を…その向こうを見つめ続けていた。
「危険なのは当たり前さ、もしかしたら死ぬかもしれない。それでも得たいものがあるから人は海に駆り出すんじゃないのか…?お前らだって一生陸で燻って生きてくなんて出来ないだろ」
「そりゃ、いつかは船に乗りたいとは思ってるけど」
「その…まだ…というか」
「まだ、いつか、なら…別に今だっていいじゃないか。いつだって出来るなら今だっていいだろう?」
そう語りながらジャックは二人の心を見透かす。漂流して来たジャックを一番最初に見つけてくれたのは村の大人ではなくティモンとヴェーラだった。助けたジャックに事細かに冒険の話を聞いて来たのは二人だった。
それはつまり、二人とも…海に憧れがあるって事じゃないのかと。ジャックは思うわけだ。
「なぁ、夢を見て生きていこうぜ。夢を叶える為に生きていこうぜ。ただ憧れるだけの一生なんてつまらないじゃないか」
小さなボートに乗り込み、ジャックは手を差し伸べる。自分が船乗りとして生きていくなら…この二人が必要だ。この二人無しじゃ俺はきっと夢に手を伸ばせない。
だから、ヴェーラ…ティモン…。
「俺の船に乗れ…なんて言わない、俺と一緒に船に乗って…俺と一緒に冒険してくれ。何処までも一緒にさ」
「ジャック…」
「お前らが必要だ、恐れることはない…一緒に行こうぜ。ティモン ヴェーラ!」
「……全く、君は強引だなぁ」
「はぁ、村の人たちに怒られないかなぁ!」
絆されたか、或いは理由を探していたのか。二人はジャックの言葉を言い訳に船に乗り込む。手を取ってボートに乗り込み目を合わせ、笑い合う。
「関係ないさ、村なんて。なんかあったら俺が守ってやるよ!何処までも!」
「ああ、信じるよ、ジャック」
「約束だジャック、君が誘ったんだ、一生…一緒にいてくれよ」
「勿論だ、俺たちは死ぬまで三人一緒だ。そして…夢を叶える時も、三人一緒だ!」
……後に、世界最強の海賊として名を馳せる船乗りの旅立ちとしてはあまりに地味だったかもしれない。見送りもなければ最初は小さな小舟からのスタート、あんまりにもこじんまりとした出航。
だけど、それでも…ジャックにとって、三人にとって、何よりも大事で大切な思い出の初航海。永遠に忘れることなき誓いの出航…。
……だったんだけどな。
─────────────────
「ぅぉぉぉおおおおおおおお!!!」
「来いや!ラグナ!!」
駆け抜ける、青い海を引き裂いてラグナは疾走する。目指すはこの海の頂点に立つ男…海魔ジャックだ!
黒鉄島で巻き起こる魔女の弟子とジャック海賊団の決戦。三幹部は既に全員撃破され残すはジャックただ一人となった。こいつを止めれば全てにカタがつく。その決着を仲間たちから任されたラグナは海の上を走りながら拳を握る。
ジャックには既に二度負けている。一番最初に会った時、そしてその後目覚めた時、二度も煮え湯を飲まされている。故にこいつがどれだけ強いかも知ってるし、この戦いがどれだけ苦しいものになるかも分かってる。
けど、それでも…負けられねぇんだよ、俺は!!
「金剛烈心砕く事叶わず、荒神破手防ぐ事叶わず、凡ゆるを打破し遍くを踏破し天地神明の一拳が掴むは覇道戦勝のみ。これを以ってして全ての戦に勝鬨を!『五十天華・毘沙門閻浮提』!」
初っ端から飛ばしていく、付与魔術を解放し五体から黄金の輝きを放ちジャックへ挑みかかる。最初から全力だ、様子見の必要はない、こいつの力はもうわかってる!
「いい顔だ!けどな…『マーレ・ドミネーション』!」
ジャックが両手を合わせそのまま拳を海面に叩きつければ……。
「『津波』ッ!!」
「ッ!」
海が意思を持ったかのように動き蠢き津波となって襲いかかってくる。まるで青い壁が迫るかのような迫力に歯噛み みしながらも臆する事なく突っ込み拳を振るい津波を吹き飛ばす。
これだ、これがジャックの力。この海全体を武器にする海洋最強の力、これがジャックは最強の海賊と呼ばれる所以。こいつを打ち砕いていかなければ勝ち目がない。
逃げ場がないなら進むだけだ!
「だははっ!小賢しい手は俺らしくもねぇか!なら真正面から殴り合おうぜラグナ!『砕波』!」
「望むところッ!!『熱拳一発』ッ!!」
衝突する、ジャックの生み出した水拳とラグナの紅拳が海上で激突し海洋に一瞬巨大なクレーターを作る。その破壊の奔流の最中で凶悪に笑うジャックと鋭い目つきのラグナは弾け飛ぶ水飛沫を無視して対峙する。
互いに最強の名を持つ者同士、譲れぬ 引けぬ 負けられぬ戦いのゴングが鳴り響いたのだ。
「ッと!まだまだ行くぞッ!」
「だははははは!そう来なくちゃ…面白くねぇもんな!」
着地…と言っていいのか分からないがジャックはクルリと回転し海面の上に足をつき、ラグナもまた海面に足を付けると共に沈む前に飛翔。水面に波紋を作り上げひたすらにジャックに突撃を繰り返す。
幾度と無く行った、対ジャック戦を想定した脳内シュミレーション。幸いジャックの動きを見る機会は何度もあったから日に日にその精度は増しより鮮明に奴の動きを見る事が出来るようになった。
その結果、生まれたのは『勝てる!』という確信では無く…『まだ底が見えない』という恐怖だった。
「ぅおラァッ!」
「甘い甘い!『引波』!」
「ぐぅっ!?」
飛びかかり蹴りを見舞うも、機敏に反応したジャックは軽く指を動かし自分の体ごと波で後ろに引くと共に。
「『男波』ッ!!」
「がはぁっ!?」
カトラスの振り上げと共に放たれる水柱がまるで鉄槌のように俺を打ち上げる。水という形を持たないそれで殴りつけられれば全身に隈なく衝撃が響き渡るんだ。見た目以上に威力が高い…。
やはり、底が見えない。ジャックという男は俺と出会ってから未だ一度として本気を出していない。あの魔力覚醒も全開で使っていたかと言われれば疑問符が残る。
底を見せていない男との戦いは怖い、俺の見立てを平気で覆してくるからな。こっちも迂闊に底は見せられない。
「ッなんのぉっ!」
「今の食らって平気かよ!普通骨なりなんなりイカれるはずなんだけどなぁ!」
海というフィールドである以上ジャックの攻撃は何処からでも飛んでくるし何処へでも飛んでくる。故に俺が出来るのは接近と言う行動より他ない。殴り合える状況でなければ互角に戦えない。
海の上で機敏にステップを踏み、ジグザグと軌道を乱雑に変え、ジャックの狙いを定めさせず一気に懐に潜り込む。
ここか…!
「ッッ!!穿通拳!」
「うぉっと危ねぇ!」
一気に突っ込み全身のバネを使い拳を抉り込むがジャックには当たらない、軽く体を逸らしてカトラスで拳を受け止め弾き返す。俺が言うのもなんだがこいつもこいつですげぇ怪力だな…!
くそっ!折角近づいたのにまた波で引き戻される!これじゃいたちごっこだ!させてたまるか…そんな事!
「ぬぅぅぁぉっ!!」
「は!?」
咄嗟に空気を蹴って再度加速しカトラスを振り抜いた姿勢のジャックの腹に膝蹴りを抉り込む。ジャックの魔力防御を押し飛ばしミシミシと音を立てその腹の奥から骨の音が軋む。
「ぐぶふぅっ!?」
まず一発!当てた!初めて攻撃を!
血を吹いて後方に飛んでいくジャックを見て小さくガッツポーズをする。よし!このまま続けていけば!
「お前。海の上を走るくらいなら大目に見るが、空気まで蹴れるのかよ…どんな体してんだ…、もう運動神経がいいとかそんな段階じゃねぇだろ…!」
「知らねぇ、出来たからやった」
「たはは…そっか。すげぇよなぁお前は…!」
血を拭いながらジャックはヘラリと笑いカトラスで肩を叩き俺を睨め付けるように顔を傾け。
「ああそうさ、すげぇよラグナ…お前は凄い。あの日お前に何かを感じた俺の目は正しかった、短い間だったがお前は俺との航海で色んな事をやり遂げてくれた」
「…………」
「お前があの船の後継者になってくれてたらと…今でも思うよ。残念だ…」
そう残念そうに目を伏せる。また出たな、その理屈…俺が船長になってくれていたらって?テメェ…ふざけやがって。
「ジャック、お前まだ気がつかないのか」
「はぁ?何が…?」
「矛盾してんだよ…テメェは!」
再び海を切り裂く飛び蹴りでジャックの右頬を狙うが、この程度の攻撃じゃ当たってもくれない。刃を立て蹴りを防ぎながら苛立った様子でギロリと俺を睨む。
矛盾してるんだ、お前が俺に船を任せるって理屈は…お前が大切にする理屈とかち合ってるんだよ、そんな事にも気がつけないくらいお前は盲目になってるのかよ!
「お前、船の仲間の夢はどうするんだよ!」
「はぁ!?だから言っただろ!そいつの夢はそいつだけの物!俺にどうこうしてやる義理も否定するつもりもねぇ!そいつだけが夢を叶える事が出来るんだからな!」
「だったら!」
もう一度蹴りが飛ぶ、刃が火花を散らす。それが二度三度と続き海面に波にも似た強烈な波紋を描きながら俺とジャックの張り合いは続く。
ジャックの理屈は、夢というものを尊重する理屈だ。誰かの夢を笑う事はない、だが叶える為に何かをしてやることもない。夢とは個人が持つものであり誰かを巻き込むものでもない。それは無情にも思えるがジャックなりの夢への向き合い方でもあった。
なのに…!
「巻き込むんじゃねぇよ!他人の夢を!」
「は…?」
「俺を船長にする?自分の船員を他人に任せる?そりゃあダメだぜジャック…お前の夢に俺や船員を巻き込んでるって事に気がつかないのか!」
「ッ……!」
そうさジャック、お前が俺を船長にしようとしている時点で…お前の夢を叶える為に他人を巻き込んでいる。お前一人で完結しなくなっているんだ。
誰かを巻き込まずに自分一人で夢を叶える…そう言う理屈に、穴が空いてるのさ。テメェが掲げた理屈一つ守れねぇ男が!夢だなんだを語るんじゃねぇ!
「あの船はな!全員の夢乗せてんだよ!ジャック海賊団全員のな!お前はそれを犠牲にして自分一人の夢だけを叶えようとしてる…それはいいのかよ!」
「それは…!ッぐ!?」
ジャックの動きが鈍る、その隙を見逃さず叩き込むのは拳。ジャックの顔へめり込む拳には怒りが宿る。俺だってジャックのあり方には好感を持っていた、だからこそ本人がそれを蔑ろにするのが許せねぇ!俺を巻き込み船員の夢を犠牲にして、それでもご高説垂れるつもりか…!
「がはぁっ!?」
「テメェにはまだ通さなきゃいけねぇ筋が残ってんだろ!一人で勝手に行こうとするんじゃねぇ!!」
殴り飛ばし、海の上を転がるかジャックへ吼えたてる。行くな…お前にはまだやらなきゃいけないことが残ってる。その筋を通せ、少なくとも…それがお前の掲げる海賊としてのあり方じゃねぇのか!
「ぐっ…ッるせぇな!船員の夢全部叶えるまで…俺の夢は叶えちゃいけねぇってか!ンな不自由中理屈掲げた覚えはねぇぞ俺は!!」
「違う!…魅せりゃいいだけだろ、テメェの夢を…全員の夢にすれば良い。お前一人が見る夢を皆と見れば良い。そして全員で海の果てを目指せば良い。全員が全員別々の夢見るのもいいさ、そいつの夢はそいつだけの物って理屈も好きさ、けど…悪くはないんじゃないか?夢を語り合うってのもさ」
「お前は…」
「だから今回は手を引けや、テメェが筋と義理を重んじる海賊だと知っているからこそ、俺は止めるんだよ…」
「くっ…!」
ジャックの理屈は良いと思う。けど今それを通せないなら今行動するべきではない。全員を巻き込むのではなく全員と一緒に夢を目指せばいい。お前一人が考え続けるより…全員で考えた方がいい。
お前は一人で冒険してるわけじゃねぇんだからな。そうジャックに語ればジャックは静かに項垂れ…。
「…だから引けって…?バカが、もうそう言う理屈云々の話じゃねぇんだよ!俺は!!もう止まれねぇんだよ!!」
「そりゃお前が勝手に言ってるだけだろ、でもいいぜ?止まれないなら…止めてやる。だから頭冷やして考え直せ…!」
「止めてやる?出来るわけねぇだろうが…!」
ジャックの表情が怒りに塗れる。今までの余裕が消え去る。キレたか?自分の理屈を否定されて、或いはキレるしかないか?手前の理屈が矛盾してることを突きつけられて。怒りで我を忘れでもしなきゃ前に進めないから、敢えて傍若無人になろうと言うのなら。
やってやる、……こっからが本番だな。
「俺を誰だと思ってんだ、海魔ジャック…海賊の中の大海賊だぞ!他人のことなんざ知るか!全部纏めて押し流す…!」
「ん……?」
海流が逆流する。海の流れが変わる、まるでジャックに引き寄せられるようにグングンと…いや引き寄せられているのは魔力だ、ジャックの体内の魔力が逆流し内側に向かう、その引力があまりも強すぎて空気中の魔力までもがその流れに従ってしまうのだ。
今まで俺が見てきたどの事象よりも強烈な現象…、来るか。ジャックの…。
「魔力覚醒…『カルタピサーナ・レヴィアタン』!」
ジャックの黒い毛が青く染まる。この雄大な海と本当の意味で一体化する。ジャックが本気で来る…だったらこっちも答えるしかねぇよな。
「テメェが海賊なら…俺ぁ争乱の魔女の弟子ラグナだ、殴り合いドツき合いで負けるわけにはいかねぇんだよ…!魔力覚醒!『拳神一如之極意』!」
炎の揺らめきの如き魔力を身に纏い、ジャックと相対する。魔力覚醒同士のぶつかり合いはこの間も経験した。桃源のロダキーノとの戦いだ。
その時と同じ…な訳ねぇよな。
当然だが第二段階『逆流覚醒』の段階にも上下はある。第一段階『魔力操作』の人間にも強弱があるようにな。その点で言ってみりゃロダキーノは第一段階の中で見れば雑兵レベル。
対するジャックは、第二段階の中でも最強格と言ってもいい。何か罷り間違えば第三段階へと昇華してもおかしくないレベルだ。このレベルの奴がなんの役職にも付かず海の上を放浪していること自体異常なんだ。
そいつと今…殴り合う。…状況が状況だからそんなこと言っちゃいけないんだが。
(滾る…ワクワクしてきた…!)
感じる、翡翠島で感じた口角が引きつり牙を剥く感覚。内側でメラメラと何かが燃え上がる感覚。面白え…面白えよ。
やっぱり…俺は。
「さぁ第二ラウンドだ、やろうぜ…ジャック」
「喧しい!もう容赦してやらねぇからな!!」
刹那、ジャックが両拳を海へと叩きつければ…動き出す。海が勝手に動く、というのは『マーレ・ドミネーション』と同じだ。
けど、変わった点を一つ挙げるなら…その範囲。
「お、おお?」
「潰れろや!『四海天下』ッッ!!」
俺が見た光景をありのまま言うなれば…そう。
『海が割れた』…ぱっくりとナイフで切ったバターみたいに真っ二つに割れて隆起し谷のように盛り上がり双方から押し寄せる。マーレ・ドミネーションは精々海面を操る程度に留まっていた、だが今はどうだ…最早その力は深海にまで届き本当の意味で海全体を操っている。
もう、災害だぜ…これは!
「ぐぅっ!?」
次の瞬間には膨大な瀑布に挟み込まれ、俺はくるみ割り人形にかけられ粉砕される胡桃のように押し潰される。その衝撃は体内にまで響き口元から血が吹き出る。
これがジャックの本気か、重てえなぁ…!けど!
(このくらいじゃやられてやれねぇぜ!ジャック!)
ギラリと燃える瞳で海の中からジャックを睨む。余裕ぶっこいてんじゃねぇ…!
「ッ……!!??」
海を割りラグナを押し潰した次の瞬間、ジャックに襲いかかるのは衝撃。海を引き裂き海底から飛んでくるラグナの拳。流れが霧散せず光の如く一点に集中した拳は真っ直ぐジャックに向けて飛び、その腹を抉り抜く。
「ぐぅぅっ…!テメェ…!」
「こっから本番だろ…!やろうぜ!全力の殴り合い!!」
「この…優しくしてりゃつけあがりやがって、海賊をナメるんじゃねぇっ!!」
「ぐっ!?」
ラグナの拳を受けてなお怯むことなく殴り返し顔面を撃ち抜く。食いしばった歯の隙間から血が吹き出ても構うことなく吹き飛ばすのだ。そして続くように体を動かし。
「『蹴波』ッッ!!」
海をくり抜き蹴り飛ばす、それによって生まれる海砲弾はいつもの数倍の出力と威力を伴って殴り飛ばされたラグナに激突し爆裂する。…が。
「効かねえ!!こんなもん!!」
霧散する水飛沫の中から駆け出し現れるラグナ、至る所に傷を作りどう考えてもダメージがないようには見えないが、…感じないんだ、痛みを。
アルクカース人特有の闘争本能が極限まで高まり、擬似的に争心解放が行われ痛覚が麻痺しているんだ、故に止まらない。牙を剥いて襲いかかり続ける、相手を壊すまで。
「『熱拳龍劾』ッ!!」
「『海内無双』ッ!!」
そこから始まるのは海の荒くれと獣の殺し合い。拳と海が乱れ飛び戦いの余波が増幅し続け海全体が震えるような殴り合いが、激突が続く。
「『熱拳衝天』ッ!!」
「『天空海闊』ッッ!!」
ラグナの拳が海を割り、ジャックの力が海を轟かせる。その衝撃は天まで登り…エンハンブレ諸島が生まれて以来、最大の災害が巻き起こる。
その災害の中心で…二人は。
「だぁぁぁっっ!!」
「ぐっ…らぁっっ!!」
拳と拳を、交え続ける。
…………………………………………………………
「くっ!なんて波だ…!キングメルビレイ号が沈む…!」
「ティモンさん!」
「分かっている!くっ…ジャック、本気なのか…!」
そしてその様を遠方から眺めるのはキングメルビレイ号に乗り込んだ魔女の弟子達とジャック海賊団の面々だ、既に戦闘不能になった海賊達は皆キングメルビレイ号に乗せられ、気絶したヴェーラとズタボロで回収されたピクシスはデティからの治癒を受けている。
既に海賊団と魔女の弟子達の戦いは終結している。敗北を認めたティモンの…海賊団No.2の号令により停戦状態にあるが故に、皆この船に集まっている…のだが。
ただ二人だけが、ここにいない。ジャックとラグナだ。
「いやぁあははは、死ぬかと思ってここに戻ってきたんだけど、引き続き死にそうだな俺」
「アマルトさん!無事なのは嬉しいですが今は呑気なこと言ってる場合じゃありません!」
「分かってるけどよ、どうすんだよ…これ」
黒鉄島からキングメルビレイ号に合流したアマルトは眺める。黒鉄島の裏手で行われるラグナとジャックのぶつかり合いを。
ここからかなり距離が離れてるってのに、音や衝撃がここまで届いて来やがる。ラグナの拳が海を叩けばそれだけで空まで届くような柱が登り、ジャックが海を操り反撃すればそれだけで海が変形する。
こうして遠くから見ている分には空に舞い上がった水が不規則に乱れ飛ぶ幻想的な光景にも見えるが、その実あの中心には破壊の奔流が荒れ狂ってるんだ。そんでもってその余波がこっちにまで届きやがる。
マジで化け物だな、あいつら。
「くっ、…ジャックを説得しようかと思ったが…これでは近づいただけで船が沈むな」
「説得…してくれるのかい?ティモンさん」
「ああ、…もう吹っ切れた。やはりアイツをマレフィカルムになど行かせたくない。もう意地を張るのはやめだ!…が」
ティモンさんはさっきから必死に船の舵を取り必死に迫る波を捌いているが、これ以上近づくのは難しいだろう。あまり近づきすぎると衝撃で船がひっくり返る、こんな大きなキングメルビレイ号が吹き飛ばされるような衝撃波が行き交ってるんだ。
もし、近づくならば…全てが終わってからだ。
「しかし、ジャックがあそこまで本気で戦うなど、いつ以来か…」
「あれがジャックの全力全開なんですね…」
分かっちゃいたがジャックは強い、聞いた話じゃティモンさんもヴェーラさんもめっちゃ強かったみたいだが…ジャックは少なく見積もってもそれ以上。もしあれがマジでマレムィカルムに加入したら一大事だぞ…。
そんな危惧を覚えながら俺はジャックの全力に歯噛みしていると、ティモンさんは静かに首を振る。
「いや、確かにあれはジャックの本気だが…まだ全力ではない」
「へ?どういうこと…っすか?」
「ジャックは本気でラグナを倒そうとはしている、だが…まだあるんだよ、ジャックには上が。ラグナがレッドランペイジとの戦いで見せた魔力覚醒の強化状態への変異を…まだ残している」
「えぇ、マジかよ…!」
「もしあれを発動させる気なら…最悪、周囲の島が沈むかもしれん。あれを発動させたジャックは最早海の神と言っても過言じゃないんだ」
「し、沈むって…」
マジかよ、あれよりまだ上があるのかよ。いやそれはラグナも一緒だが…どうするよ、もしその奥の手を二人が出し合った時…ジャックの方が上だったら。そうなったらラグナはもう打つ手なしだぞ。
…チラリとアマルトは手の中のレッドランペイジの毒針を見る。
(これを使うか?俺がまたレッドランペイジになれば、少なくともラグナの手伝いは出来る。海の中での戦闘なら負けることはないだろうし)
海の中にいるレッドランペイジは無敵だ、その力を手に入れた俺もまた海の中では無敵になれる。けど…。
(いや、使わねぇ。ラグナは俺を信じて俺の戦いに出しゃ張らなかった。なら俺も…ラグナを信じてここで待つ…!)
信じるんだ、アイツが俺を信じてくれたように、俺もまたラグナを信じるんだ。もう置き去りにされても文句は言わねぇよ…だって。
信じてくれてるって、俺は分かったからさ。
「ラグナは勝ちますよ」
「んぉ?エリス…うぉっ!?」
ふと、エリスに話しかけられ背後を見れば、そこには鋭い目つきで腕を組んだエリスがラグナの戦いを見据えていた。こいつまだ戦闘モードのスイッチ切ってねぇな。
「顔怖いぜエリス…、もう戦いは…」
「終わってません、ラグナが勝つまで終わってません。これはエリス達魔女の弟子達の戦いなんです。ラグナが戦っている以上…エリスもまだ気を抜くわけにはいきませんから」
「ッ…確かに、そうだな」
今回ばかりは、エリスの言う通りかもしれねぇ。そうだよ、気を抜くな、まだラグナはあそこで戦ってるんだ。
だったら、俺達も…。
「…ラグナッッ!!負けるなよッッ!!」
「頑張ってください!ラグナ!」
船の手摺に手をかけて全力で叫ぶ、ラグナ…行け、やれ、俺達も一緒に…いるからな!
…………………………………………………………
「どぅおらぁっ!」
「ぐぶふっ!テメェ…!『一天四海』ッ!!」
殴り抜いたジャックの頬が戻ってくる、意地と根性でラグナの怪力を耐え抜いてそのまま反撃を繰り出す。海全体を引っ張るかのように強烈な激流を生み出しラグナの体を一気に粉砕する。
「ぐぅうぅっ…!」
それを腕をクロスさせガードしながら自分への流れを分散させ防げば、ラグナに向けて流れる横方向に落ちる滝が八方向に分かれて散っていく。凄まじい力だ、凄まじい威力だ、こうして流れを分散させても衝撃が貫通してこっちに向かってくる。
海全体を武器にする戦術、オマケにこっちがどれだけ殴ってもジャックは倒れない。これが海魔の力、三魔人の猛威、けど…けど。
倒れねぇのはこっちも同じだ!
「だぁぁりゃぁぁぁっっ!!」
強引に腕を振り抜き海流を弾き飛ばし拳一つで海を破る。だがどうするよ、こっからどうする。
さっきからずっと強引に真正面から攻めてるがこれじゃあ千日手、いやエネルギー消費のリミットがある分長期戦は俺の方が不利だ。ならもっと明確にプランを立てて挑んだ方が良くないか?
プラン…か、よし…やれるかは分からないけど、試してみるか。
「ジャックッ!その程度じゃ俺は倒れねぇぞ!それとも世界最強の海賊様の全力がその程度のものなのかよ!俺をがっかりさせんじゃねぇよ!!」
「アァ?吐かすじゃねぇか!テメェだってズタボロの癖によぉ!そんなに言うなら今すぐ…」
俺の挑発に乗りジャックが大振りに腕を構える、来る…あの構えは砕波!ならば。
「ぶっ潰してやるよ!『砕波』ッ!!」
来た、海水を固めて水の巨腕を作り出し相手を殴りつける大技。魔力覚醒によって強化され通常の数倍以上の規模で飛んでくるそれを睨む俺は。
小さく、鼻で笑う。よし来た…と。
「ッしゃぁっ!まんまとかかったな…!」
膝を曲げる、両手を揃えて前へと構える。その姿勢のまま全身を槍のように尖らせ拳型の波に向けて飛び込むのだ。
「なっ!?俺の波の中に…!?」
ジャックの攻撃はどこまで行っても海水だ、海水であるならば中に潜り込むことは出来る。激烈な海流の中を俺はバタ足で泳ぎ一気に貫通するようにジャックの砕波の中を通過する。
今までの戦いを見てきて気がついた事だが、ジャックは大量の水を同時に動かすことは出来るが、『同時に別々の技を並行して使うことは出来ない』んだ。一つの技を使っている間は別の技を使うことが出来ない。それは恐らくジャック自身の感覚の問題だ。
不定形の水を固めて動かす、それだけでも難しいのに別の動きまで要求するのは脳の処理が追いつかないんだ。だからこそ…この波を突っ切ってジャックに到達するその時、ジャックは。
(なによりも無防備になる…ッ!!)
「チッ、バカかよ!砕波の中を突っ切って来るって人間業じゃねぇぞ!」
砕波を踏破し水の中から飛び出し、ジャックに飛びかかる。その瞬間ジャックは慌てて砕波を解除し別の技を使用出来るよう準備するが…甘い。
今、俺の拳はジャックに届く。その状況下でジャックは唯一残された貴重なワンアクションを技の解除に使ってしまった。
防御でも、迎撃でもなく、技の解除に。咄嗟の判断を誤ったな…じゃあよぉジャック、こっちは好きに殴ってもいいんだよなッッ!!
「『熱拳一発』ッ!!」
「ごはぁっ!?」
そのままの勢いを活かしてジャックの頭に上から叩きつけるように紅の拳をぶつける。まだまだ…まだまだ!!
「『熱拳衝天』ッ!!」
「ぎっ!?」
そのまま海面に足をついてそのまま飛翔すると共にジャックの腹にアッパーが刻まれ。くの字に曲がったジャックの両肩を掴みそのまま自分の体を持ち上げ…。
「『熱脚逆打』ッ!」
「ぐはぁっ!!!」
そのまま膝蹴りを叩き込む。反撃を許さぬ怒涛の連打、一撃一撃が必殺級に高められたそれらを次々と体に刻まれジャックの体がようやくフラリとよろめく。
体力の限界…それが垣間見えた、次の瞬間。
「ッ…る…な…」
「なっ!?」
燃え上がる、ジャックの瞳が発火したかの如く蒼く蒼く燃え上がる。それと同時に魔力が…増幅?いやそんなレベルじゃない。これは…爆発!?
「侮るな…!俺をッッッ!!」
「がはぁっ!?」
そのまま体をグイッと元に戻したジャックに逆に殴りつけられる。いや…重い!?今までと比にならねぇくらい重い!なんだこれ!?
「死ねやァッ!ラグナァッ!!」
殴りつけられよろめいた俺に飛んでくる拳。今度こそ…その正体を目にする。ジャックの姿が変わっている…爆裂するような魔力を常に発しながら変貌したその姿は。
海だ…、ジャックの体がまるで海水のように半透明になり隆起している。まるで…海そのものと同化したかのように。どういう変身だ、これはなんだ、一体───。
「シャァァッッ!!」
「がぁっ────!?」
…あっという間に、俺の体は一直線に吹き飛ばされ何かに激突して止まる。ふと後ろを見てみれば…陸があった、前を見てみればさっきまで目の前にいたジャックがあんなに遠くに見える。そして全身に走る激痛。
マジかよ、一瞬で黒鉄島まで吹き飛ばされたって事か?力の規模が違いすぎる…なんだありゃあ。いや…もしかして、あれがジャックの…ジャックの魔力覚醒の、真の姿…。
「もう遊びは終わりだぜラグナ、今の俺は無敵だ…!『海心同化』を俺に使わせた以上…もう先はねぇよ」
海の上を歩くジャックをそのまま言葉にするなら、歩く海だ。液体が人型を象って歩いている、恐らくだが海を操る力を全開で使い…海そのものとの同化を果たしているんだ。故にあの拳は…このエンハンブレ諸島に跨る海洋全体と同じ質量を持つのだ。
海全体が殴ってきたら、流石の俺も無傷とは行かない。…いやそれだけじゃ説明がつかない、あの魔力量はなんだ?とてもじゃないが人間一人が持つ量とは思えない。ここから見ても全貌が計り知れないほどジャックの魔力はとめどなく溢れ続けている。
「今の俺は海そのものだ、この世で何よりも恐ろしい海そのものだ、海の力は俺の力となり、海の魔力は俺の物になった…もう誰にも止められない」
「海の魔力…?海に魔力があるのか…?」
そんなもんは感じたことがない。なにより魔力は生命体にしか宿らないはずだろ、なのになんで海水に魔力があるんだ…?そういやデティが言ってた『真水』と『海水』の違いってのはそこにあるのか?
まぁなんでもいい、ともあれ今のジャックはパワーも魔力も海と同期しているって事だ。ある意味レッドランペイジ以上に海を支配していると言えるその力は天候にまで作用し、何処からともなく暗雲が立ち込め豪雨が降り始める。
海を荒らし、天を乱し、全てを水で満たす水の化身…あれがジャックの真の力か。こりゃあ…想像以上だぜ。
「くっ…、だからなんだってんだよ…!」
「わからねぇか?つまり…」
軽く手をこちらにかざし、拳を握ると共に…突き出す。ただそれだけの簡易的なモーションが…一気に海を動かし、海の拳を作り出す。あれは砕波か?いや…それにしては。
違いすぎる、パワーも規模も魔力も…全部が全部一つの災害のような…。
「ッ…『熱拳龍劾』ッ!!」
「『綿津見之剛拳』ッ!」
ラグナは黒鉄島の海岸沿いに立ち、全力で…全身全霊で放つ。魔力防壁を拳の形に固めて放つ紅の波動。
対するは海、海全体が盛り上がり隆起し拳の形となってラグナに降り掛かる。違いすぎる…ラグナの放つ拳の波動とジャックの放つ海神の一撃、その差は…サイズだけで見るなら十倍以上、威力で言えば。
「ぐっ…!」
ぶつかり合う、両者の力…されど拮抗はしない。激突した瞬間ラグナの熱拳龍劾に亀裂が入り、凄まじい速度で押され始めたのだ。その衝撃がラグナにも伝わりザリザリと砂浜に二本の線を引いて足が後ろに押される。
押される、パワーで押される、俺が…力で負けている!
「くそッ!」
刹那、ジャックの海神の一撃が爆裂し、黒鉄島全体をびしょ濡れにする水飛沫が散乱する。ラグナの体を消し飛ばして余りある爆発に砂浜は消し飛び跡形も残らない、当然…ラグナも。
「む…!」
その瞬間ジャックの目つきが険しく尖り側面を見る。その視線の先には…ラグナがいる。先程の海神の一撃が爆裂する寸前で離脱して海に飛び込んだのだろう。爆風の衝撃を活かし加速しながら海の上を疾走している。
「ハッ、不意打ちでも仕掛けるつもりだったか?だが残念だなラグナ。今俺は海の魔力と一体化している…当然海の上の事象はすべて感じ取ることができる。ここは…その海全体が俺の間合いだぜ?」
見立てが甘いとばかりにジャックはラグナの動きを察知し腕を振るえば、鋭く尖った水飛沫が雨のようにラグナへと掃射される。
──ジャックの秘中の秘たる最大の奥義『海心同化』、その効果は極めて単純…己の間合いは拡充し海全体を補完し同化するという荒唐無稽な荒業である。魔力覚醒の特性を最大化したこの状態は海と完全に一体化しその動きを指一つで操ることが出来る。
更にその上海の魔力も使うことが出来る、普段は誰も知覚できないが…そもそも海水とはただの水ではない、血液なのだ。なんの血液?決まっている…『星の血液』なのだ。血液が魔力を最も通し易いという特性を同じく持ち合わせる星の血液を通し星の魔力を一部吸い上げ独占する。
その攻撃の質量は海と同程度に昇華し、魔力もまた無尽蔵。そうだ、今のジャックは海そのものなのだ。海の上にいなければ使えないというデメリットがあるもののそれを補って余りある最強の力。レッドランペイジにはその相性故勝つことは出来なかったが…それでもこの海の王者は元よりジャックを置いて他にいない。
これこそが『海魔』の真骨頂だ。
「チッ!くそッ!もう手がつけられないレベルで攻撃範囲が広過ぎる!こんなに離れてんのに届くのかよ!」
ヒュンヒュンと音を立てて通過する海水の弾幕を駆け抜けながらなんとか回避する、近づくどころの騒ぎじゃねぇ。おまけになんだあの魔力量は!本当に無限か!?デタラメにも程があるぜ!
海全体と同等の質量の攻撃、海のように果てしない魔力、そしてそれを操る最強の海賊…か。
デタラメにはデタラメだ、だが…。
(確かに魔力は無尽蔵だが、その割にゃ攻撃が薄い…!)
ラグナは見据える、ジャックの攻撃は確かに莫大で果てしない…けど、あの圧倒的な魔力量に比例してやや薄い気もする。
それは恐らく、魔力自体は海の物でありジャックはそれを間借りしている状態だからだろう。
例えるなら、海という超巨大な魔力タンクを手に入れたとしても、それを放出するジャックと言う名のホースの大きさ自体は変わっていないから、一度に引き出せる量自体に余り変わりはないのだろう。
攻撃が激化したのは消耗を気にする必要がなくなったら常に全力攻撃を行えるようになったからで、何も…海全体をぶつけるような無茶は出来ないんだ。
奥の手を使っての全力の攻撃、…つまり。これがジャックにとっての『底』なんだ!底を見たならば…後はそれを超えるだけ!
「その全力、俺の全霊で飛び越える!!」
クルリと反転し力を込める、あいつの全力を超える方法は一つ、こっちも全力を出すことだけ!
「魔力覚醒…その弐!『蒼乱之雲鶴』ッ!!」
ラグナを包む炎の煌めきが変色し、蒼く燃え盛る。流れを操る力を封印し身体能力向上に全部乗っける同じく荒技『蒼乱之雲鶴』。それを解放して
ラグナは挑む。ここからが最終ラウンド…後はもう、どちらかが倒れるまでだ。
大雨の降り頻る中、互いの切り札を晒した状態で再度ぶつかり合う。
だが……。
「もう見飽きたぜ、それはよう…」
軽くジャックが指を鳴らせば、ラグナが足場としている海の流れが劇的に変わる。流れが…ラグナの後ろへと向かうのだ。ジャックから引き離すようにズイズイと奥へと引っ張られる。
「うぉっ!?マジか!?」
「テメェは結局、近づけなきゃ何にも出来ねぇ。そんで…その状態、確かすげー消耗するんだよな?じゃあこっちは時間さえ稼いでおけばテメェは勝手におっ死ぬわけだ」
海面を踏んで前へ進もうとするが、足場そのものが後ろへと流れているのでは前に進めない。ジャックに向けてどれだけ早く足を動かしてもその都度足が後ろへ流される。
そうだった…ジャックは確かに今『底』を見せた、けど…先に底を見せていたのは俺の方だった。レッドランペイジの時にこれを見せている以上…俺の方が先に、奴に限界を教えてしまっていたんだ。
「ぐぅっ!クソ!お前それ卑怯だろ!」
「ああ卑怯だぜ?海賊だからな。ついでにもういっちょ…卑怯なの行くぜ…?」
ラグナが海流の影響を受けたたらを踏む中、ジャックはもう一度海を動かす。さっきまであった制約である『一度に一つしか技が使えない』という弱点も克服してるのか。ってヤベェ!これ俺躱せないんじゃ…!
「『素戔嗚巨兵神像』ッ!!」
そうこうしてる間にジャックが作り上げるのは海面から突き出た巨大な人型。炎のように揺らめく髭と雲のような髪を漂わせる海の巨人、それが蒼い大剣を手に構え…ギラリと光る鋭い眼光で俺を睨み…。
「『韓鋤断剣』!」
「ちょっ!?」
回避を、したかった…けど俺が動こうと海面に足をつけた瞬間その場で海流が回転し小さな渦潮を作り上げ俺をその場に繫ぎ止める。
そんな一瞬の隙を見逃す事もなく、海の巨人はその剣を大きく振りかぶり…叩きつけた。海洋を切り裂く御剣をラグナというちっぽけな人間一人に…。
もし、天に目があったなら。
その日、エンハンブレ諸島に刻まれた一文字を見て…きっと。
『世界が割れてしまった』と…錯覚したほどだろう。
あまりにも凄絶な一撃は、ラグナ一人を押し潰すに留まらず背後の名もなき島。黒鉄島よりも一回り小さな島を一つ真っ二つにして海に沈めてしまうほどであった。
そして、それを一身に受けたラグナのダメージも、推して知るべし…。
「ぐっ…おいおい…マジか」
荒れ狂う波の中から浮かび上がるラグナは体を波に揺らしながら、全身で雨粒を受け止め引きつった笑みを浮かべる。
お互い切り札を開示しての戦いが始まった、これまではラグナとジャックは互角ないしラグナの優勢に進んでいたはずなのに。ここに来て…まさか近く事も出来ないとは。
(全身のダメージは…うへぇ、酷いもんだな。けどまだ骨は繋がってるし…立てる、まだやれる)
ペッと口の中から血を吐き出し体を回転させ海水から飛び出すと。全身夥しい量の血と青痣を浮かべた痛ましい姿が露わになる。たったの一撃でここまで持っていかれたのは初めてだ。
オマケに立ったとしても状況は最悪、ジャックは海で起こった出来事は全て知覚できる。つまりラグナが諦めずに立ち上がった事も織り込み済みだ。
直ぐに追撃が来る…そう考えた瞬間、頭上に影が差す。
「ッ…上か!?」
咄嗟に飛び退く、確認するよりも前に危機回避を選択する。結果としてその判断は正しかったと言わざるを得ない。何せ…頭上から飛来したのは。
「ッ島!?」
島だ、超巨大な大岩だ。それが雲を突き破って降ってきた。何だこれ…!
「ラグナよう、まだやる気かよ。いい加減死ぬぜ?マジで」
「ジャック!?ッ…はぁ!?」
咄嗟に声がした方を見れば、ラグナを追って現れたジャックが例の海の巨人を携えて高速で飛んでくる。俺を押しやった時と同じ海流を操ってこっちに物凄い勢いで流れて来てるんだ。
問題があるとするならその背後。局所的に海が荒れ狂い急激に水嵩が増して水柱として盛り上がり、島を浮上させ持ち上げているんだ。塔のように噴き上がる水が島をいくつも持ち上げている。
…そうだった、エンハンブレ諸島の島々は元々シリウスとの戦いでここらに飛んできた瓦礫が元になってるんだ。だから全部…持ち上げることができるんだ。
ここまで来ると、なんか逆に笑えてくるな。
……これが海洋最強か。逆にレッドランペイジは良くこいつ倒せたな。
「諦める気になったか?」
「……そりゃこっちのセリフだぜジャック、お前もいい加減諦めろよ」
「はぁ、強がりが過ぎる。負け犬の遠吠えにしか聞こえんぜ…」
「遠吠えで結構。意地は張らなきゃ意味がねぇ…!」
結局、どれだけ相手が絶対的でも…諦める理由にはならない。俺はそうやってここまでやって来たんだ!俺ぁまだやれる!全部出し切ってねぇんだ!体を逆さにしても何も出てこないくらい、全部出し切ってから諦めるだ何だは考えよう!
っし!休憩終わる!行くか!
「よっと!行くぜ!ジャック!」
「通じるとは思えねぇけど…な!」
俺が再びジャックに駆け出せば海が動き出し、俺を遠くへ押しやるように海流が動く。けど…何度も同じ手を食うか!
「オラァッ!!」
「お?」
走ると共に今度は海面を掬い上げるように腕を振るう。するとどうだ、海面は弾け飛び。海水をぶっ飛ばすと共にその波に乗りジャックに向けて俺の体が飛ぶんだ。
海流が俺を遠ざけるなら、海流をぶっ潰して進めばいいんだ!何が立ち塞がっても叩き潰して進む!それが俺だ!
「ぅぉぉおおおおおおおお!!!」
「ヘッ、面白い…近づけるもんなら近づいてみろよ!!『綿津見之怒号』ッ!」
刹那、ジャックの背後の巨兵が口を開き、そこから光線の如き勢いで海水を吐き出し俺に向けて放つ。その威力たるや海の形が歪むほどであり、せっかく近づいたってのにまたぶっ飛ばされる。
「まだまだァッ!!」
「もういい加減にしやがれ!」
それでも前へ進む俺に向けて今度は島がいくつも飛んでくる。まるで石でも投げつけるように島がポイポイと投げつけられ、その都度腹の底から震えるような激震が海に走り、爆裂する海面に吹き飛ばされ俺の体はあらぬ方向へ飛び。
「ッ…まだだっ!」
「諦めが悪いぜ!テメェはどうやっても俺には近づけねぇんだよ!」
即座に態勢を立て直し再び駆け出そうとした瞬間、迸る青い線…超高速で射出された水鉄砲が俺の脇腹を貫きそのまま遥か彼方に吹き飛ばす。
「ッッ…終わってねぇ!」
「終わってんだよ!諦めろ!!」
「いやだ!諦めん!」
脇腹に力込め腹筋に締め付け強引に止血すると共に再び走る。今度は全部盛りだ、海神の咆哮と島の投擲と水光線。それが激流と共に押し寄せる。
それを凌ぐのは至難の技だったよ、海面を強引に殴り飛ばしながら進む俺に向けて放たれる怒涛の攻撃を血を滲ませながら走り進み、傷ついた体から流れる血が雨に洗い流されてもなお俺の体は血塗れで、それでも進む。
この拳をアイツに届けるまで…止まれねぇ!
「ッ…マジかよアイツ、どんどん俺に近づいてきて…!」
「うぉぉぉおおあああああああああっっっ!!!」
走ることだけを考える、前に進むことだけを考える、回避と防御は二の次、攻撃が命中しても怯むことなく進み、海が爆裂しようが形を変えようが御構い無しにジャックに向けて進むことだけを考える。
まるで歩くような速度で、それでも着実にジャックに近く。一歩進むごとに激化する攻撃の中…吼えたてる。
「ジャック!!!」
「ッ…テメェの底はもう見えてんだ、限界は見えてんだ、無駄なんだよ!」
届く、拳が届く。全身の蒼炎を燃え上がらせこの一拳に全てを賭ける!全てを乗せる…!
「ジャック…俺は、俺はなぁッッ!!!!」
「うるせぇぇえ!!いい加減消えろ!!」
拳を構えるラグナと、拳を振りかぶるジャックの影が、一瞬ごとに近く、大雨の雑音にも海鳴りにも掻き消されない二人の咆哮が共鳴し、今…ぶつかり合い。
「『蒼拳一閃』ッッ!!!!」
「『綿津見之剛拳』ッッ!!!!」
激突…凄絶なる力と力のぶつかり合い、互いに一歩も譲らぬ鍔迫り合い。歯を食いしばり血の滲む体で最後の力を振り絞り、この激闘に幕を下ろすが如く…拳を振り抜く。
「ぅぐぉぉおおおおおお!!!」
「があぁぁぁぁあああああ!!!」
力と力…それは、軈て決着を生み出す。
……刹那、轟音が響き渡り…力の奔流は収まる。二人の拳は…ただ一人の勝者を生み出す。
そこに立っていたのは、雨を受けながら強く立ち続ける…。
「バカがよ、…勝てるわけねぇだろ…俺に…!!」
……ジャックだ、ジャックの力がラグナを上回り、彼の体を大きく吹き飛ばした。海魔の全力はラグナの体を吹き飛ばし背後の島を突き破りさらにその奥へと飛ばし、その姿を視界から消し去った。
…ジャックの勝ち、即ち…。
ラグナの負けだ。
「ぅ…ぁ……」
ジャックから遥かに離れた名もなき島のジャングルにまで吹き飛ばされたラグナは、浅く呼吸を繰り返し…そして、その身を包む蒼炎が…ラグナの切り札が、蒼乱之雲鶴が、露と消える。
力尽き、天を仰ぎ、大の字になりながら…ラグナは、静かに目を閉じる。




