419.魔女の弟子と黒鉄島の秘宝
「よっし!行くぜー!」
「いやアバレクマノミよ!?小舟くらいなら一匹で沈めちゃう怪物よ!あんた一人で戦うの!」
なんてテルミアの言葉を無視して俺は目の前の水へと飛び込む。
戦場は黒い遺跡、それが半分近く水没したようなこの水の遺跡へと導かれた俺達は今、人魚を守るために巨大な魔獣と戦うこととなった。全ては人魚からの信頼を勝ち得るため、俺たちが敵でないことを信用してもらうため。
泡を伴いながら水の中に入れば、この水没した遺跡の広さを改めて見ることとなる。俺達が見たあの翡翠島の黒い遺跡はそんなに広い感じはしなかったけど…もしかしたら知らないだけでもっと空間があったのかな。
『グギャジャァァァァ!』
「おっと、来るかい、小魚」
そんな俺に対して牙を剥くのはアバレクマノミと呼ばれるBランクの魔獣だ、全身を特殊な粘液の鎧で固め、また体内でアバレイソギンチャクを飼っておりそいつで攻撃を仕掛けてくるタイプだ。
恐ろしい魔獣…ではあるんだけど。
(レッドランペイジに比べたら、随分小さいなぁ…)
多分この海で一番大きな魔獣であるレッドランペイジを見てからだと、なんとも小さく思える。
(さぁ来い!)
水中で手を叩きながら両手を広げアバレクマノミを挑発すれば、自分が侮られていることが分かったんだろう。ギリギリと歯を食い縛り恐ろしい顔をもっと怖く歪めると。
『ギィィィィイイイイ!!!』
突っ込んできた、体に対してやや小さな尾びれを力任せに振り回して水中を駆け抜けるアバレクマノミ。けど…大した速度じゃないな。
これなら……。
『あ、危ないよ!』
(ん?)
ふと、水の中で声をかけられ驚いてそちらの方角を見る、見れば遠くに複数の人影が見える、いやあれを人影と呼んでいいかは怪しいな。なんせみんな下半身は魚なのだから。
複数の人魚達がこちらを見ている、そのうちの小さな女の子の人魚が俺を心配して胸元で手をキュッと握りながら注意してくれるんだ。
優しい子だな、俺はその子に軽く手を振った後…。
(フッッ…!!)
『グギャァッ!?』
俺を食い殺そうと飛んできたアバレクマノミを抑える、開いた口の上顎を腕で、下顎を右足でキャッチし、残った左足を大きく扇ぎ波を起こしアバレクマノミの進行を止める。
なんか口の中からイソギンチャクみたいな触手が飛んできて毒針で俺を刺そうとしてくるけど、魔力防壁を貫ける程強くもない為無視する。
(水の中じゃあ動きづらいからなぁ、悪いがこっちのフィールドに来てもらうぜ?)
よっと…と口から水泡を解き放ちながら力を込めてアバレクマノミを水中で振り回し、頭上へと投げ捨て水面から叩き出す。
『グギィィィィ!?!?』
空中に投げ出され、虚空でピチピチと尾びれを振り回し水を探すアバレクマノミ。魚である以上空中に追い出されては出来ることなど何もない。それを見計らい…水の中から飛んでくるのは。
矢だ。
「どぉぉっせぇぃっ!」
『グベェッ!?』
否、矢の如き速度で水面から飛び上がって来たラグナがその土手っ腹を貫き、アバレクマノミを穴の空いた風船のように破裂させる。
一撃、ただの一撃でこの海に於ける上位の存在たるアバレクマノミを葬り去った。その様を見ていた人魚達は思わず口をあんぐりと開ける。
絶対に壊せないはずの檻を壊し、人一人では勝てないはずのアバレクマノミを殺し、あれは本当に人間なのかと。
「よっと、はい!終わり!」
足場に着地しパチンと指を鳴らすラグナ、これにて危機は去った…もう何も恐れる必要はない。とテルミアを見ると。
「あ…ああ、そういやあいつ、レッドランペイジを倒してるんだった…、ひ…拾うんじゃなかったかも…」
「うおぉぉお!すげぇ!なんだあの男!見たことないぞ!?」
「テルミア!彼を知ってるの!?」
「っていうかあいつ、海の中で変身してなかったけど…もしかして陸人?」
「あ、あの、えっと」
あっという間にテルミアが他の人魚達に囲まれていった。どうやら俺が視線を向けたせいで知り合いと勘違いされたようだ。いや知り合いではあるのか?少なくとも他の人魚に比べたら。
あの人は誰、あれは何者と質問されても、テルミアだって困るだろう。なんで俺の名前しか知らないんだから。
すると。
「コリャアテルミアァー!彼奴は何者じゃ!どこからどう見ても陸人ではないか!」
「お…お婆ちゃん!やばぁ…」
すると。人魚達の群れの中から一際大きな声を放って海面に現れるのは…白い髪シワシワの顔そして豪華な服飾を身に纏った老婆の人魚だ、いや人魚があれ?下半身がイカなんだけど…っていうかお婆ちゃん?
「我等海の民に伝わる鉄の掟を、よもや族長の孫娘たるお前が破るとは…オオーン!ワシぁ悲しいぞい!オオーン!」
「ちょっとお婆ちゃん泣かないでよ!これはその…」
チラリとテルミアが俺の方を見てくる、どうやらあのお婆ちゃんが言うに俺たち陸の人間をここに連れてくるのはかなりまずいことらしい。まぁ海賊に追い回されてた歴史を鑑みると妥当と言える。
問題はテルミアの視線が助けを求めている事だろう。まるで泣いているお婆ちゃんをなんとかしてと言いたげだ。それ俺に頼むか?普通…まぁいいけどよ。
「あ〜…落ち着いてください、俺はテルミアさんの依頼を受けてこの島にやってきた冒険者のラグナです」
「ボウケンシャ?なんじゃそりゃあ」
「えっと、…まぁ魔獣退治屋とでも言いましょうかね」
「そ、そうそう!私あのアバレクマノミがこの人魚殿に忍び込もうとしているのを察知してたのよ、私は洞察力に優れてるからね!だから先んじてこの人達を雇っておいたの!」
「だからと言って陸人をここに招くなど…!いや良い。事実として我等が海の民はあのお方に救われたのも事実。礼を言おう、其処なお方よ」
「え、いやどうも…」
触手を伸ばして海面から浮上すると言う謎の挙動を見せるお婆ちゃんに軽く頭を下げる。取り敢えず誤魔化せたぞ、これでいいんだよなテルミア。
「あの魔獣は我等ではなんとも出来ない大物じゃった、もし其処なお方が居らなんだら一体どれほどの惨劇が繰り広げられていたことやら…、これは持て成さねばなりますまい」
「え?いいんですか?俺達陸人なのに…」
「良いのです、どうせここまで来てしまった以上…追い出すわけにも行かぬですからな。テルミア、お前が責任持ってこの方々を歓待するのじゃ」
「はぁ!?なんで私が!だってこいつらはかいぞ…ぞ…なんでもない!分かりました!」
海賊…と言いかけたが、そうすると自分が勝手に海賊を連れてきてはいけない領域に連れ込んだことがバレると青褪めたテルミアはしどろもどろになりながら俺たちの歓待の役割を受け入れる。
少なくともこれで、また檻に入れられることはなくなった。まずは一歩前進…といったところかな。
………………………………………………
「こっちよ、付いて来なさい」
「サンキュー」
「ありがとうございます」
そして、人魚達が水の奥へと引っ込んだ頃、テルミアは俺達を檻から解放し、ペタペタと裸足で歩きながら数少ない陸地を伝って歩いていく。どうやら何処かに連れて行ってくれるようだ。
「はぁ、なんで私が…」
「そう言うなよ、ほんと俺達ここに連れてくるの…まずかったんだろ?」
「まぁそうね、これ全部私の独断でやったことだから。お婆ちゃんにバレたら最悪ここ追い出されるかもだし…」
全部独断かよ、こいつ独断でレッドランペイジ動かしてたのか?どんな行動力だよ。
「…でも礼を言うわ、さっきはマジでやばかったから」
「ん、お安い御用さ。あのくらい」
「でもなんであんな大きな魔獣がこんなところにまで来たんでしょう、お婆ちゃんの口ぶりを聞くにかなり珍しいことだったみたいですし」
「そりゃお前、それが原因だろ」
とアマルトが指差すのは…テルミアの腰だ、その腰には真っ赤に濡れた袋がポタポタと水滴を垂らしている。…この匂いは、血か?
アマルトに指摘されそれを見たテルミアはゾッと顔を青褪めさせて。
「あ!血味玉が水で崩れて溶けてる…。もしかしてアイツ…私を追いかけてここまで?」
「大ポカやらかしてんじゃねぇか」
「う、うるさいわね!誰も怪我しなかったんだからいいでしょ!…いや、あんた達がなんとかしてくれたのか。じゃあ本当にお礼言わないとね。ありがと」
ペコリと足を止めて礼を言うテルミア、その態度は若干偉そうだが…悪い子ではないのかもな。いやまぁやろうとしたことは本当にとんでもないことなんだけどな。俺たちが居なかったら海賊も人魚も纏めて全員死んでた可能性まであるんだから。
「ん、俺達を信用してくれる気になったか?海賊じゃないって」
「…まぁ、そうね。海賊なら私達を守ろうとはしないか。分かったわ、お詫びも兼ねて私が案内してあげるわ!陸人を!私達の街に!」
…うん、ちょっとだけ偉そうでアレっぽいところはあるが、いい子ではあるんだろう…根はな。
むふふと何故か自慢げなテルミアはちょこちょこと歩きながら道とも呼べぬ道を行く。しかし…この遺跡、水が入れてあると言うより本当に外から水が入り込んだような形だな。水没とは言い得て妙だ。
だってさっきからテルミアと俺たちが歩いているのはどう考えても道じゃない。変に細かったり或いは太かったり、なんだったら道が途切れていて水面に少しだけ浮いた足場へジャンプして飛び乗ったりと移動と言うにはあまりに過酷。
まぁ俺達全員鍛えてるから問題ないがな。
「なぁテルミア」
「なぁに」
「俺達はどこに向かってるんだ?そもそもここは何処なんだ?黒鉄島には街はない無人島の筈だろう」
「表向きはね、でも実際にはある…地下にね」
「地下…?」
するとテルミアは両手を広げシュタタッと器用に小さな足場に着地すると。
「海賊達に故郷を追われて…、十年前に私達が見つけたのがここ。黒鉄島よ、ここは昔海洋拠点があったりして近づくのが嫌だったんだけど…なんと!その地下にはこんな広大な施設が眠ってたの!」
「地下遺跡…ってことか?」
「うん、私達が見つけた時には既に壊れてて、その大半が外から流れ込んだ海水に満たされてとても人が使える状態じゃなかった…けど。まぁ私達には都合が良かったのよね」
なるほど、つまりここは俺達が見つけた遺跡同様地下に広がる形で形成された遺跡だったんだ。だが俺たちが見つけたものと異なり既に一部外壁が破損し外側から水が浸入。されどそれが人魚達には都合が良かった。
普通の人間じゃ移動するのにも四苦八苦する状態だが、水の中を自由に動き回れる人魚達からすれば使いやすいことこの上ない…と。
「元々がどう言う形で何に使われてたものかなんて分からないけど都合がいいから私達はここに自分達の村を作ったの」
「なんでここに作ったんだよ、テメェら人魚だろ?海の中にでも村作れば一生襲われねぇじゃん」
「あのね…私達の変身は魔術なのよ?あんたこれから死ぬまで一生魔術使い続けて暮らせるの?無理でしょ?」
「あ…納得」
「私達には陸地の村が必要なの、…その点でいうとここは最高ね。表向きには発見されてないし、魔獣も殆ど入り込めないし、まさしく安息の地よ」
「なるほど…」
それがこの地下遺跡と。…ライノさんが見つけた黒い遺跡ってのはこれのことか?この地下遺跡の一部が地上に表出してて、それを偶然見かけたとか?…うーん?だとすると。
マレフィカルムの本部は何処にあるんだ?
「なぁ、ここ以外にこの村に施設とかってあるのか?」
「ん?無いわよ?地上の島は余すことなく私達が調べ尽くしてあるけど…他に誰も住んで無いわ、そもそも住んでたら私達が暮らせないし」
「たしかに…、じゃあこの島にはマレフィカルムの本部はないのか」
やっぱロダキーノが嘘をついてたって事か?でもアイツが嘘をついてるようには見えないかったし、何よりこの島を態々指定する理由もない。何故奴はここに本部があるなんて言ったんだ?
「あー…でも、昔は人が住んでたみたいよ?」
「ん?海洋拠点のことか?」
「違うわ、この遺跡によ。なんか…水の底の方にいくつか人の骨があるのよね、この遺跡はかなり古いものだけど、その当時の骨が今も残ってるのは考え辛い、多分十年以上前には誰かがこの遺跡にいたんだと思う。それも結構な人数」
「…………」
「なぁ、ラグナ…もしかして」
「……多分な」
多分だが、まだ確定ではないが、恐らくという前提がつくが。
「ちょっと見てくる!」
「あ!ちょっと!」
テルミアの制止を振り切って俺は再び水の中へダイブし、ゴボゴボと音を立てて水の底へと降りていく。すると見えてくるのは水底、遺跡の床にあたる部分だ、そこには大量の残骸があった。
朽ちた机や朽ちた棚、そして沈んだ人骨。それらを一つ一つ改めていくと…分かるのは彼らがここに住んでいただろうということ。そして…。
(あった…!)
水底に沈んだ物の中から発見するのは…人骨の腕に当たる部分に引っかかっていた一冊の本。殆どが水に汚れて形を崩してとても読める状態ではなかったが、これは。
「プハッ!アマルト!」
「あったか!」
「ああ!見つけた!」
急いで水面に浮上してプルプルと首を振って水を振り払いながら、水中で拾った本を掲げる。それに書かれていた文字は。
『魔女大国近況報告書』…つまり魔女大国の近況を纏めた書類だ。
「こんなのがあった!」
「魔女大国の近況報告書…、うーんちょっと待てよ」
俺が水から上がり、ビチョビチョの本を手渡す。するとアマルトは器用な手つきで水に濡れ崩れかかったページを開いて、水でインクが溶けて殆ど読めないそれをふむふむと読んでいく。
「読めるのか?」
「ちょっとだけな、コルスコルピにはこういう崩れかけの文献を扱う技術があるのさ。俺はそれを…少しだけ習得してる的なね」
「お前ほんとになんでもな出来るな」
「キミほどじゃねぇよ、っと…見つけた。ラグナ、ここに書かれてる近況…多分十二から十三年前のものだ」
「ビンゴだな」
「ジャックポット級だぜ」
「え?え?どういうことですか?」
すると唯一状況の分かっていないナリアが説明を求める。俺とアマルトだけで分かった気になっても良くないな。
俺とアマルトは先ほどの話を聞いて一つの考察を互いに立てていた。そしてそれを裏付ける証拠がこれだ。つまり…。
「この魔女大国近況報告書はマレフィカルムの物だ。魔女大国の動向なんか探って得するのはマレフィカルムくらいだろ?」
「あ、確かに…え?なんでそれがここに?」
「決まってる、…人魚がここに来る前、この遺跡が水没する前は…確かにここはマレフィカルムの本部だったんだ」
ロダキーノが最後に本部を訪れたであろう日取りがおよそ十五年前、そしてここには十二、三年前の書類がある。つまりこの遺跡は確かにロダキーノが居た十五年前までは本部として稼働していたということになる。
「だが、多分十三くらい前にこの遺跡はなんらかの事故で損傷。破損し水が大量に流れ込み本部は壊滅、物の見事にぶっ壊れて…転居を余儀なくされたのさ」
「ってことはつまり…ロダキーノは嘘をついていなかったけど、ここはもう本部じゃない?」
「そういうこったな」
つまり、情報が古過ぎましたってオチだ。ロダキーノは真実を言っていた、しかし真実には賞味期限がある。いつまでも真実はそのまま形をとどめておくわけじゃない、これはその良い例だろう。
マレフィカルムだって人間が組織なんだ、本部を移すこともあるし予期せぬトラブルに巻き込まれる事もある、下に相当数の死体があった事を考えるに結構ガチでヤバめのトラブルだったんだろうな。そこに関してはまぁ…同情はするよ。
「じゃあマレフィカルムは何処に本部を移したんでしょうか」
「分からない、このゴタゴタだ。じっくり引越しプラン練って実行というわけにも行かなかっただろうからな。何処へ行ってしまったかは分からない…また探し直しだな」
「…………」
「ん?どうした?アマルト」
すると、何やらアマルトが顎を指で撫でながら考えているではないか。俺がちょっと問いかけると。
「いやな?予期せぬトラブルが起きてってのは分かるんだけどよ。…破損したのか?この遺跡が?」
「あ、確かに」
確かに気になる話だ、この壊れず崩れずの黒い遺跡の外壁が崩れたのか?八千年間ずっとその形を留め続け、今もなお壮絶な硬度を保ち続けるこの遺跡が?言われてみれば妙な話だな。
「だろ?ここが崩れるレベルのトラブルってどんなトラブルなんだ?」
「でも絶対に壊れないってわけじゃないですよね、ラグナさんさっきそこの檻壊してましたし」
「か細い格子と分厚い外壁を一緒にしちゃいけないよ、俺が全力で外壁を叩き続けても壊せる気がしない。俺で数センチの格子一つ壊すのに全力だったんだ、外壁を壊すならそれこそ師範レベルのパワーでもなきゃ壊せないだろう」
「つまり魔女級か、…そこらの自然現象じゃないのはまず間違い無いぞこれは。何があったんだ?んん?」
外壁が壊れ海水が流れ込んだ、そんな事態が発生するには魔女様と同程度の力が必要。そんなエネルギーが自然発生するとも思えない。一体何が起こってここはこんな風に崩れてしまったんだ。
本筋とはやや逸れる話題にはなるが、なんだか放置していい話でもない気がして俺達はみんなで首を傾げ。
「おーい!何してんのよー!置いてくわよー!陸人は水路を通れないんだから早くしてよねー!」
「おっと、案内係が立腹だ。ひとまず急ぐか」
「そうだな」
いつの間にやら遠方から手を振っているテルミアの怒鳴り声を聞いて俺達も急ぐ、一先ずマレフィカルム云々については置いておく。少なくともここには奴等は居ないようだ、この件が終わったら直ぐにまた情報を探さないとな。
………………………………………………………………
「さて、そろそろ着くわよ」
「着くわよって、お前らの村この遺跡の中にあんの?」
「目立つ場所に作れるわけないでしょ」
「それもそーだ」
コツコツと黒いタイルを叩くように歩き、しばらくすると見えてくるのは灯り…この黒い遺跡の奥に火の光が見えるのだ。
それを指差してテルミアはそろそろ着くわよというのだから。恐らくあれが人魚達の村…。この遺跡の中に村を作ってしまうとは、本当にこの遺跡の中で暮らしているんだな。
「おーい、みんなー、連れてきたよー!」
「なんだなんだ、随分時間掛かったな」
「仕方ないでしょ、陸人は水路を進めないんだから」
「ああそうか、不便だね陸のお方」
テルミアが大声で呼べば村の方から何人か人が出てくる。見てくれは普通の人間、だけどさっきアバレクマノミから逃げ回っていた顔もいくつか見える。ってことはここにいる全員が例の現代呪術を使えるってことか。
もう消失してしまったらしいが、この世に残っていた唯一の現代呪術の文献を使って人魚になった一族、それが暮らす村…それが。
「ようこそ、海の一族が暮らす村…マルメーレ村よ。他の人には内緒だからね」
そう言って案内されたそこには、木組みの家がドカドカといくつか建っているんだ、遺跡という建造物の中に更に別の建造物、異様とも言える光景がそこには広がっていたか…が。
そういう異質さを除けばなんとも牧歌的な村だ。元々の用途は分からないがかなり大きな空間に作られた小さな村には小さな子供から大人、果ては老婆や老父までがいて…ここが人魚の村だって言われなきゃ…いや、言われても半ば信じられない。
本当に、ここの人達はただの人間なんだな。
「噂には聞いてるよ、遺跡に入ってきた大型の魔獣を倒した陸人ってのは貴方達だね」
すると、一人の女の村人が俺達に親しげに声をかけてくる。そこで思うのは…。
別にこの人達、俺の事敵対視してないな。テルミアが特別気が強いだけで人魚達はそこまで排他的ではないのかもしれない。
「テルミアが呼んだ冒険者…だよね?」
「ええ、そうですよ」
「流石はテルミアだ、ようやく族長の一族だと言う意識が芽生えてきたか」
「うるさい!お母さんはあっち行ってて!」
「ふふふ、はいはい。母さんが…族長様が待ってるから早く案内してあげてね」
「分かってる!」
あ、この人テルミアのお母さんだったんだ。ちょっと似てなくもないか…というより。
「さっきも気になったけど、テルミアって族長の血筋なのか?」
テルミアの母が去るのを見て、テルミアに問いかける。先程から都度都度出てる族長の家系…、さっき激怒してたお婆さんが族長でその孫娘がテルミア、だとするとテルミアも族長の血筋って事だよな。
「は?そうだけど?まぁ私が族長になるのはさっきのお母さんの後だけどね、なんか文句ある?」
「いや別に…」
「あっそ、それじゃあこっちに来なさい、お婆ちゃんが…族長が待ってるから」
…族長の孫娘がそれはまずいだろ。幾ら何でも軽率すぎやしないか?レッドランペイジを動かしたり海賊船から海賊攫ってきたり、全部独断で動く女が将来的にこの人魚族を纏め上げる?
テルミアが権力を持ったらなんかイルカの軍勢率いて地上に侵攻してきそうな気がする…。
なんてバカなことを考えながらも彼女の案内で俺達は特段大きな家…いや、あれは館かな?そいつに招かれ扉代わりの仕切りを手で押し退け中に入る、テルミアが『ただいま』と言っているあたりここはやはり族長の家…。
中は現代風のシックな館…ではなく、外側だけを立派にしただけで中には麻で組んだ簡素な敷物が何枚か敷かれているだけで家具らしい家具はなく、どちらかというと民族的な様相が広がっていた。
「失礼します」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
それぞれ軽く一礼をしながら入らせてもらう、簡素で質素とは言えここはこの村で一番偉い人の家だしな。こういう礼儀は必要だろう。
そんな俺達の言葉を聞いて頷くのは、家の奥で一際豪奢な敷物の上に座る老婆、さっきのイカの人魚になってた人だ。
「よく来られたな陸の方々、先程は助かったぞ。儂はこの海の民族の族長をしておる…ユバータじゃ」
そこに座られよとばかりにユバータさんは俺達を目の前の敷物に座るよう手で促す。それに対して感謝の意を示しつつ俺はどかりと座らせてもらう。
しかし、やや畏まった雰囲気を感じるな。礼を言う…だけで終わりそうにないなこれは。
「名を聞いても良いじゃろうか」
「俺はラグナです、さっきも言いましたが冒険者…魔獣退治屋をやらせてもらってます、こっちのはアマルト、こちらはナリアです」
「そうか、魔獣退治屋のう。…アバレクマノミを倒した手際は見事じゃった、今この海の民族には戦士が居らぬからな。あのままじゃったら皆食い殺されておった」
「戦士がいない?そりゃどう言う…」
「無論、殺されたのじゃ。海賊達にのう…」
「っ……」
まぁだよな、ちょっと前まで海賊と一緒にいたから忘れがちになるが。あいつらは海の荒くれ者だ、普通に殺すし普通に奪う、それを当然とした輩が海賊なのだ。そりゃあ人魚を見れば殺すだろう。
きっと戦士達は彼女達を守るために勇敢に戦ったのだろう。
「私のお兄ちゃんも!お父さんも!みんな海賊に殺されてるのよ!野蛮な陸人にね!」
「俺に言うなよ…、でもまぁ…その…」
ギリギリと拳を握るテルミアがアマルトを睨む。どうやら彼女の俺達への怒りの根源はそこなのだろう。兄と父の仇を討つために態々レッドランペイジを動かした…か。無鉄砲であることは変わりないが、考えなしというわけではなさそうだ。
「やめんかテルミア、…海賊は我等を勘違いしておる。我等の肉を食えばこの海で無敵の存在になれると勘違いして、我等を殺し、その肉を食ろうておる」
「……そりゃ妙じゃないか?」
「む?何がじゃ」
ふと思う、さっきからテルミアの話を聞いてずっと妙だと思ってたんだ。
だって、テルミアが言うに人魚はそこそこの頻度で海賊に出くわしているようだった、だが人魚はこの海で伝説の存在になっている。目撃頻度と目撃情報の量があまりに比例していない、何より。
「そんだけ人魚が食われてるなら、気がつかないか?誰か、人魚にそんな力がないって」
「……それほどに海賊達に思慮深さがあればよかったのじゃが」
「……?」
「人魚の肉を食ろうた海賊はな、皆自分が不死になったと勘違いして…海に飛び込むのだ」
「は?」
「そして全員溺れ死ぬ、死ぬ寸前まで自分が死ぬことに気がつかない。だから誰も人魚の力の有無に気がつかない」
「そんなバカな話…あんのかよ」
「あるから困っておる」
マジかよ…と衝撃を受けていると、アマルトが腕を組みながら『そういや人魚は船乗りを水底に誘う力があるって噂もあったな』と呟く。つまりみんな死んでるから人魚の肉に海で死ななくなる力が無いことに気がつかないって?
バカか?バカばっかか?海賊は、いやバカだらけだな。…だが事態は馬鹿にできない、そんな信じられないくらい頭の悪い理屈で人魚が殺されまくってるんだ。看過出来ねぇだろ…流石に。
「陸人とは分かり合えぬ、いくら説明しても理解してくれぬ、故にこの村に陸の人間を入れる事を我等は禁じておるのじゃ」
「それは…えっと…」
「テルミアはお主らを招き入れたと言うな、魔獣を退治させるためと」
「そうよ!お婆ちゃん!私の先見の明が…」
「じゃがテルミアがそんな気の利いた事が出来るとは到底思えん」
「なぁーっ!?」
「お主らは本当は、魔獣を退治するために来たわけでは無いのじゃろう?なぁ?ラグナ殿よ」
どうやら、バレてるみたいだな、テルミア…。ユバータさんはお前が思ってるよりずっといい目をしているようだ。
ここで誤魔化すことは出来ないだろう、言い訳や理屈はいくらでも出せるが…ユバータさんはきっとそれを見抜くだろう。そして見抜かれれば俺達は嘘吐きになる。嘘吐きになったら…目的を果たせない、だから。
「…俺達は海賊船に乗っていた人間だった、だからテルミアに攫われたんだ」
「なんと…!やはり海賊か…!」
「ああ勘違いしないでくれ、それでも海賊じゃ無いのは本当なんだ。無理矢理海賊船に乗せられて、そんでついさっき無理矢理海賊船から叩き出されて…テルミアに拾われただけなんだ」
「つまりお主らは…」
「人魚を食う気なんてハナっから無いし、襲おうなんて気もない、魔女の名に誓える」
「…そうか、…ふむ、嘘は言っておらんな」
するとユバータさんは静かに息を吐きシワシワと一回り萎む。どうやら俺達が敵である可能性を考慮して警戒していたようだ。とはいえ戦士のいないこの村に襲撃者が現れればどうにも出来ない、だから最悪…己の身を差し出すつもりだったのかもしれない。己の肉を食い、それで帰ってはもらえぬかと…交渉するつもりだったのかもしれない。
大した御仁だ、己が率いる氏族のために身を捧げる覚悟を常日頃から決めているとは、見習えよテルミア。俺も見習うから、この人の姿勢には俺も襟を正さねばならない。
けど、…悪いなユバータさん。まだ安心するのは早いぜ。
「けどユバータさん、もうすぐここに海賊が来る」
「……なに?」
「海魔ジャック・リヴァイアがこの場所の情報を掴んでいる、今ここに向けて船を進めている最中だ、多分時間はそんなにないと思う」
「なんと…!あの最強の海賊ジャック・リヴァイアが…!嗚呼、なんと言うことじゃ、何故この場所が…」
「そうよお婆ちゃん!ジャックがここに来るの!だからこいつらを人質にしようと思ってたの…けど、ダメみたい」
「そんな…、あの海魔ジャックが…」
ユバータさんは深く項垂れ込み大きく息を吐き、もうダメだとばかりに首を振るう。他との接触を絶っている海の民族にもその名が知れ渡るほどにジャックという男は大きいんだ。この海であいつよりデカい男はいない。
一緒にいたら、等身大に見える…けど一度海を挟めば、やはりジャックという男の恐ろしさを肌に感じる。レッドランペイジが居ようと居まいとジャック・リヴァイアはこの意味で一番恐ろしい存在なんだ。
「こうしちゃおれんわい!テルミア!逃げる支度をせい!」
「逃げるって何処によお婆ちゃん!また何処かの海岸にまた新しい村を作るの!?きっとジャックは追ってくるわ!永遠に!」
「…ああ、ジャックはきっと死ぬまで追ってくるぜ、ユバータさん」
「しかし…だとしても!ここに居ても殺されるだけじゃ!ジャックは恐ろしい男よ!儂もかつてあの男の戦う姿を海の中から見たことがある…彼奴はこの海が産んでしまった怪物じゃ、皆殺しにされる!」
怪物と言うのは、きっとそうなんだろう。アイツ以上に海賊やってる男は俺は見たことないよ、恐ろしいと言うのはそりゃそうなんだろう。俺も怖いからな、でも…。
「ユバータさん、逃げる必要はない。俺がジャックを…ブン殴って止める」
「なに?…お主が?」
「ああ!そうよ!ラグナはね!もうメチャクチャ強いのよ!なんたってレッドランペイジを倒しちゃった男なんだから!」
ああ、お前が呼び寄せたやつな。
「なんと…信じられん、あの波濤の赤影を?そのような事があり得るのか…!?」
「本当だよ、と言っても証明するものはなにもないが…」
「…………!待て、確かめる方法はある!」
するとユバータさんは慌てて立ち上がり、部屋の一角に安置された箱に向かってヨタヨタと走り出し。震える手でその箱をパカリと開けると…中から取り出す。黒い…棒?刃?なんだあれ。
「おお…おお!信じられん、本当にレッドランペイジは死んだのか!」
「ユバータさん?それは?」
「これは我が一族に伝わる家宝、…レッドランペイジの毒針じゃ」
「え!?それが!?なんでそんなもんを」
「大昔にレッドランペイジに挑んだ者が我が一族にも居たのじゃ、結果は悲惨な物じゃったが、その時其奴の体に刺さっていたのがこれじゃ。切り離されても毒を放ち続けるこれを何かの武器に使えるかもしれんと持ち続けていたが…針が黒ずんで毒が死んでおる。と言うことは間違いなくレッドランペイジは死んだのか…」
「へぇ〜…」
なんてアマルトが間抜けに返事をする。…あんなもの隠し持ってたのか、最悪あれを使えば刺し違えることもできるだろうが…そう言った使い方をするまでもなく今日まで残り続けたレッドランペイジの一部が、壊死しているんだ。
それは何よりも、レッドランペイジが死んだ証だ。
「…信じよう、お主がレッドランペイジを倒した事を…、だが何故だ、何故ジャックと戦う。お主達はジャックの船に乗っておったのだろう?思うところもあるはず」
「まぁ思わないでもない、アイツとは付き合いもあるしな…けど、それ以上にアイツを止めなきゃいけない理由が俺たちにはあるんだ」
「そうだぜ、もしこのままアイツの思い通りにさせたらジャックはこの村を襲って人魚を食って、しかもその上で人魚の真実に気がつかないままテトラヴィブロスに行って他の海賊みたいに死んじまうんだろ…?」
「口で説得できるならそれが一番でしょうけど、最後に会ったあの感じ的にそれは難しいでしょう。なら…僕達は戦いますよ、ジャックさんもテルミアさん達も死なせたくありません!誰も死なせたくありませんから!」
「あ、あんた達ぃ…!」
テルミアがジワリと涙を浮かべる、まぁ確かにジャックは人魚を食えばまず間違いなくテトラヴィブロスに向かうだろう。元よりそれが目的だしな、だが人魚を食ってもテトラヴィブロスは克服出来ない。ジャックは死ぬことになる。
このままジャックを好きにさせれば。命の恩人たるテルミア達も殺され、同じく命の恩人であるジャックも死ぬ、結末としては最悪だ。
これ以上ないバッドエンドだ、俺はそんな終わりを容認しない。だから俺達は戦う、この先に至上の終わりがあるなら、例えジャック達が相手でも戦う。
「うぅ!薄汚い陸人なんて言ってごめんねぇ!あんた達がこんなにいい奴だなんて知らなかったわぁ!ありがとう!ありがとう!」
「…ジャックと戦い、撃退すると言うのか?」
「ああ、そのつもりだ」
「……出来るのか?」
「やる、絶対にな」
「そうか…」
ユバータは、静かにその場に座り込む。何度かシワまみれの顔を手で撫で汗を拭うと…。
「テルミア…」
「なに?お婆ちゃん」
「今晩の夕食の準備を、今日はいつもより多めに。…我等が新たなる味方に歓待の意を」
「っ〜!じゃあ逃げる準備は…!」
「せん、今日も…明日も、ずっとずっと…儂らはここで生きていく。ラグナ殿を信じよう」
「ッシャァッ!もう逃げないわよ!ラグナ!よろしく頼むわね!」
「ああ、任せとけ」
こちらもまた深く頭を下げる、信じてくれてありがとう。ここで逃げると言われたら…俺は人魚達を守れない。
この戦いの絶対条件は、人魚達の死守にある。ジャックが人魚の身柄を確保してしまった時点で俺達がいくら暴れても、説得しても、真実を伝えても、意味がなくなる。
何が何でも、黒鉄島をジャック達の手から守らなければならない。それが…俺のやるべき事なんだ。
その為にも、勝たなきゃならねぇ。今度こそ…ジャック・リヴァイアに。
(待ってろよ、ジャック…)
誰も死なせない、その覚悟を秘めて…俺は目を伏せー来たる決戦に備えるのであった。