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414.魔女の弟子と世界を返す男


レッドランペイジ討伐作戦、その内容がラグナの口から公表された時。


誰もが言った…『無理じゃないか』と、他の荒唐無稽な作戦と同じく不可能であると。


他の魔女の弟子達も表情を強張らせながら言った、『流石に無理だと思う』と。


そんな反応を催すラグナの作戦とは『レッドランペイジを魚のように釣り上げ円卓島の上に落とし海水から引き離すという作戦』。


確かに魚型の魔獣も釣り上げることが可能なこと自体は今朝方ヨークが証明してはいる、円卓島はレッドランペイジを乗せても海水と接する面を作らないくらい大きいのは分かる。


だが問題は行程、大型の鯨の群れよりもなお巨大な質量を持った世界一巨大な魚とも言えるレッドランペイジを、人間の腕二本で釣り上げる事が出来るのか…と考える事さえバカバカしい荒唐無稽な作戦。これならまだ超大量の爆薬を用意したりした方が現実的とも言える。


だが、他の作戦とこの作戦の明確な差異があるとするなら、他の作戦はそもそも実現自体が不可能…だがこれは挑戦する事自体は出来るということ。なんせ必要なものはラグナと釣竿だけなんだから。


だがそんなメチャクチャな作戦に乗ってもいいものか…。皆冷や汗を流しながら葛藤する。


「…行けるのか?」


「いや無理だろ…、だってお前、あんなデカイ魚を釣るって?どうやって…」


「マレウスの魔道具とか帝国の魔装とか、そういう大掛かりな仕掛けがないと無理だろ…」


全員が全員、既にラグナを疑う気持ちはない。彼の言う事は人々を奮い立たせる…だがそれはそれこれはこれ、いくらなんでも荒唐無稽すぎる。それでも一蹴されないのはラグナという男が持つ気迫によるものだろう。この男なら或いはと思わせるものがあるからだろう。


だがそれでも、それでも…。


「この作戦は、みんなの命がかかってるんだぞ…!」


大海賊モーガンが机を打つ、この作戦にやっぱり無理でしたは通用しない。一度挑んだからには後に残る結末は二つ、『勝利』か『鏖殺』か…。失敗すれば全員が死ぬ、それを分かっているのかとラグナに吠える。


「分かってる、だから…みんなの命を俺に預けてほしい」


「ぅぐ…預けてほしいって、そんな出来るかどうかも分からない、いやそもそも不可能な作戦に挑む船に俺たち全員で乗れと言うのか!」


「不可能はない、俺が可能にしてみせる…!」


「そうは言うが…」


モーガンは迷う、迷いながら周りを見る。皆モーガンと同じ表情をしている。信じてくれと言うには無理が過ぎるのだ。


「ラグナよ、他に何もないのか?」


アマロが諌めるように問いかける、本当にその作戦でいくのか?まだ時間もあるしもっと詰めてもいいんじゃないか?と。冷静な意見だ、だが。


「何もないわけじゃないんだろう、もっといい作戦はきっとある。けど今の限られた時間と物資の中で出せる最適な答えであると俺は思っている」


「お前は本気でレッドランペイジを釣り上げられると思ってるのか?お前もあの大きさを見ただろう、確かにお前は強いが…それでも押し通せない物はあるんだ」


「それでも…」


押し通せない、現実は岩とは違う。力押しでどうにかなるものではないと語るアマロに対してラグナは迷う。このまま自分の意見を強引に押し通す事はできる。


だがこの作戦は俺一人で出来るものではない、皆の協力が不可欠なんだ。皆の理解が得られないならそれは最適な作戦とは呼べない、みんなが納得出来る形に再度思考を重ねるか?


だが、そうやって意見を引っ込めてもじゃあ代わりに…となる代案が現状存在しない。時間はあるとはいえいつまでも悠長に構えてもいられない、準備時間を考えるともうそろそろ動き始めておきたい。


「…………」


立ちはだかるのは、レッドランペイジが二百年掛けて形成した圧倒的畏怖から来る『諦念』。そして命がかかっていると言う極限状態。この二つが判断を鈍らせる、ラグナの判断さえも鈍らせる。


強引に押し通すか、それとも一旦引き返すべきか。それを思考し始めた瞬間のことであった。


誰よりも早く、誰よりも強く。


───ジャックが、動き出したのは。


「乗ったッ!!俺ぁ乗ったぜ!ラグナ!俺はお前を信じる!」


「ジャック…!?」


アマロは思わず絶句する、膝を叩き立ち上がるジャックの姿に。乗ると言うのだ、この荒唐無稽な作戦に。笑いながら一切の迷いを見せず、誰よりも真っ直ぐラグナを見据えて。


「本気で言っているのか、ジャック」


「冗談言ってる暇はないんだろ?マジだぜ俺は。ラグナならやる…お前らもそう思うだろ?」


「え…?」


ふと、ジャックが目を向けるのはナリアやアマルト…魔女の弟子達だ、彼等も流石のラグナでもレッドランペイジを釣り上げるのは難しいんじゃないか…と。否定はしないまでも肯定するのを躊躇っていた、そこを見透かしたジャックは同意を求めるように魔女の弟子達を見据えると。


皆も、覚悟を決めたのか深く頷き。


「当たり前だろ?ラグナならやるぜ」


「はい!ラグナさんならどんな不可能も可能にします!」


「彼はそうやって何度も危機を乗り越えてきた男だ、今回も何ら特別な事はない。きっと何時ものと同じになる」


「ええ、ラグナ様は世界で一番頼りになるお方なので」


「うん…そうだよ、ラグナの凄いところ…私達たくさん知ってる…」


「そうだー!ラグナならレッドランペイジだろうが山だろうが釣り上げーる!!」


「みんな…!」


信じる覚悟、信じ抜く決意、それを改めて固めた弟子達は拳を握り彼等もまた乗ると宣言する。それを受けたジャックは自慢げに腕を組みながら今度はブルーホールの海賊達、乗組員達を見据えて。


「お前らもよ、一旦ラグナに着いて行くって決めたんだろ?一回乗るって決めたなら、死んでも沈んでも乗り続けろ。それが海の男のあり方ってやつだろうが、何ビビリに散らかしてんだ!」


「け、けどよぉジャック…」


「けども何もねぇ!テメェら夢見たんだろ!レッドランペイジの居ない海を!レッドランペイジをぶっ倒すってデケェ夢を!なら曲げるな!押し通せ!命をかけねぇで手に入る夢は夢じゃねぇ!」


ドン!とジャックは机に押し広げられた海図にナイフを突き刺し…再び歯を見せ笑う。


「こいつはやるぜ、やり遂げるぜ、約束する…この海魔ジャック・リヴァイアが、その名と名誉にかけて誓う」


この海最強の男がそう言った、この海最高の海賊がそう言った、その名と誇りにかけて…メンツにかけてラグナを推したのだ。海賊ってのは見栄とメンツの生き物だ、この二つは命に勝る。


そんなメンツを…ジャックはラグナに賭けたのだ。


「ジャック、お前そこまで…」


「アマロ、お前はどうなんだよ。乗るか?乗らねえか?海賊たるもの、無茶上等で生きてんだろ?それともそんな当たり前のことも寝てる間に忘れちまったか?」


「…………」


アマロは、静かに…目を伏せる。数度小さく息を吸い、煌びやかなサングラスを外し、傷跡残る海賊の形相をジャックに向けて…牙を剥く。


「ナメんじゃねぇよ若造が、上等だ乗ってやる。おうお前らも何尻すぼみしてんだ!こいつがやるって言ってんだ!まだ尻の青いガキがだ!そいつの覚悟を命賭けて後押しするくらいの度胸がテメェらにはねぇのか!」


「ッ…度胸だとぅ!」


「ああ!無茶をやって死んだら上等!そうやって生きてきたんだろう、俺たちは!」


アマロとジャック、二人の大海賊の後押しに他の海賊達も覚悟を決め始める。無茶なのは重々承知、分の悪い賭けなんて説明されなくても分かる。


それでも…男が一匹、やると吠えている以上、それを後押ししてやるくらいの度胸と覚悟を持ち合わせていない奴はここには居ないのだ。


「ああもう分かったぜ!乗るよ!乗ってやる!その作戦!」


「死んでも釣り上げろよ!ラグナ!」


「もし釣り上げられたら、こりゃあ伝説になるぞ!」


「そうだ、俺たちは伝説の目撃者になるんだ!こりゃあ酒場で語る話のタネには一生事欠かねぇな!ギャハハハハハ!」


覚悟は決まった、これより二百年この海に蔓り続けた災厄を…波濤の赤影を討伐する。もうごちゃごちゃ言わない、ラグナの言った作戦に乗る為にここにいる二千人近い乗組員達全員がラグナという船に乗る。目指す先が例え海の底でも水平線の向こうでも、最後まで付き合うだけだ。


「よしっ!みんなありがとう!俺…絶対やり遂げるから!」


「ああ、信じるぜ。俺達の命…全部アンタに託した」


そう言って覚悟を秘めた視線が俺に集中する。全ての海賊たちが…俺に命を預けてくれた。ありがとう…ありがとうみんな。


「任せろ、俺に…!」


「おう!それで俺たちは何をしたらいいんだ?なんか出来ることはあるか!?」


「ある!先ずは…」


そしてラグナは海図を指差しあれやこれやと指示を始める。レッドランペイジ一本釣りの為に必要なものや肯定は多くある、それを説明し早速今から準備に取り掛かる。


時間は限られているんだ、とにかく今は多くの準備を。勝負はここからなのだから。


……………………………………………………


『それじゃあ俺はあっちで物取って来るよ!』


『俺の船あるものは全部使ってもいいからな!』


『ではこちらもラグナの言う通り動くとしよう。メグ、手伝ってもらえるか?』


『畏まりました、では参りましょう』


そして、海賊達が皆それぞれ必要なものを取りに行ったり持ち場につき始める為、会議場を後にし、広場にはラグナと…ジャックだけが残る形となった。


「みんな…ありがとう」


ラグナを信じて作業に取り掛かる為動き出したみんなの背を見送りながら、ラグナは一人…高鳴る鼓動を抑える為に胸に手を置く。


ここからだ、作戦は決まったがまだ戦いはまだ始まってすらいない。ここからラグナはレッドランペイジを釣り上げ、そこから更に奴と戦わねばならない。どこかで作戦が破綻したら、どこかで俺がしくじったら、どこかで俺が力尽きたら、その時点で全部終わり…みんな死ぬことになる。


俺の肩に全ての命が乗っている、そう思えば緊張だってする。


けど、今はそれ以上に感謝と決意で満ちている。やってやろう…!今度こそアイツを倒すんだ!


「ふぅ…」


「お前はすげぇな、ラグナ」


「へ?」


ふと、作業に向かわず、そこらへんの木箱に腰を下ろしたジャックが述べる。お前は凄いなと、…凄いかどうかは分からない。なんせまだ何もやり遂げないんだから。


「そんなことないと思うけどな、さっきもジャックの後押しがなけりゃ上手くいかなかった」


「謙遜も過ぎりゃ嫌味だぜ、そこは大人しく受け取っておけ。お前は俺を動かしたんだから」


「……なぁ、ジャック」


「なんだ?」


こうして話していて、一つ気になった事がある。ジャックは俺がジャックを動かしたと言う。だがそもそも考えてみれば…ジャックはなんで。


「なんで、さっき俺をレッドランペイジから助けてくれたんだ?」


ジャックはあれだけレッドランペイジを恐れていた。なのに助けに来てくれた。ジャックはレッドランペイジに勝てないことを理解している。奴が海水を糧に再生し続ける以上ジャックではどうやっても勝つことはできない。


そこを理解しながらも、どうやっても覆らない相性差を理解しながらも、助けに来てくれたのはなんでなんだろう。レッドランペイジから助けてくれただけじゃない、先程の会議の時も徹頭徹尾俺を助けてくれたし。


「んー…あー…」


するとジャックはやや困ったように側頭部を指でポリポリと掻くと。


「行けると思ったからだ、お前なら」


「俺なら?」


「ああ、お前も知ってる通り俺は真面目な男じゃない。誰かの期待を背負って戦うなんて真っ平だし誰かの為に立ち上がるなんて出来やしない。…でもお前は違う、誰かのために戦える男だ、そういう風に誰かの為に戦う奴は決まって強い…そんなお前なら、賭けてもいいと思っただけさ」


木箱を叩き割り中から酒瓶を取り出したジャックは何やらご機嫌そうに蓋を開け、ガバガバと中身を飲み干す。


俺になら、賭けてもいい。誰かの為に戦う奴は強いから…か。


「そういうお前だって、船員のためになら戦えるだろ?」


「……いいや、戦えないさ」


小さく首を振る、意外だな。こいつは仲間のためなら命を張れると思ってたんだが、それとも謙遜ってやつか?確かに過ぎた謙遜は嫌味だな。


「けどなラグナ、あんまり気負い過ぎるなよ」


「…どういう意味だ?」


「お前は強い、何でもかんでも一人で出来ちまうくらい強い、…お前の隣に立ちたい奴まで遠ざけちまうくらいにはな」


「…別に俺は誰も遠ざけてなんか…」


「お前は船長じゃないんだろ?王でもなければ将軍でもない、ただのラグナだ。俺はそれを…お前に教えたいだけなのさ、ラグナ」


それは間違いだからな…、それだけを言い残してジャックは酒を片手に歩き出し。数歩前に出てから…立ち止まり。


「頼んだぜ、ラグナ」


「…言われなくてもやるよ」


「へっ、相変わらず可愛くねえ」


立ち去る海魔ジャックが、恐れを超えてそれでも託せると俺に言った。みんなも海賊達も…俺に託してくれた。


後は、期待に応えるだけだよな。


「よしっ…」


俺もまた立ち上がる、災厄の魔獣との決戦に向けて。俺も……。


………………………………………………………………



段取りが決まってからの海賊達の動きは早かった。いつも出港の準備を迅速に進めているだけはあり、仕事早く的確で、あっという間に仕事が終わったのな昼過ぎ頃、太陽が真上からやや西に傾き始めた時分に。


「……ッ…」


俺は一人、ブルーホールの外縁に腰を下ろし、最後のひと時を過ごしていた。


ジャックの見立てでは、あと少しでレッドランペイジがここに到着する。残り時間は三十分あるかないかだそうだ。故に…俺はレッドランペイジを釣り上げるため、覚悟を決めて準備をしていた。


普段つけているリストバンドの重りを全部外し、邪魔な上着を脱ぎ捨て、手に包帯を巻いて保護して、息を整える。…決戦だ、必ずやり遂げよう。


「よう、ラグナ」


「集中しているな」


「みんな…」


ふと、声をかけられて後ろを振り向くと。そこには…愛すべき仲間達が揃っていた。アマルト…ナリア、メルクさん…ネレイド、デティ…メグ、みんなだ。みんなが揃って俺の肩を叩く。


「やれそうかい?ラグナ」


「ああ、問題ないよ」


「そうかい、お前は頼りになるな」


「…頼りにしてくれているからな、みんながさ」


そう微笑むと、アマルトは俺の隣に座り込み。俺と一緒に海を眺める。


「…今回俺はお前の助けになってやれそうにない。正直情けないけど、それでもお前ならなんとかしてくれるって信じてるぜラグナ」


「アマルト…」


「へへっ、小っ恥ずかしいな」


ニッと微笑み肩をトントンと叩く。何故か。それが無性に沁みた、…俺は一人で戦ってない…か。確かにそうかもな、俺が立てるのはみんながいるからだ、みんなが居ない俺は…きっと強くなれない。


「ラグナ、我等は皆お前を信じている。故に気負うなよ」


「そうだそうだー!何が海洋最強だい!海より魔女様の方が強いんだから魔女の弟子最強の方が海洋最強より強いに決まってるんだ!」


「うん、…私達は、ラグナの強さを知ってるから…」


「僕達、応援してますから」


「ラグナ様はラグナ様の芯を貫いてくださいませ」


みんなが俺の背中を押すように、アマルトに続いて俺の背を叩く。それがなんとも心強い、如何なる武器を手にするよりも、強靭な鎧に身を包むより、心強く安心出来る。


なんてあったかいんだ…なんて、優しいんだ、みんなは。


「…ありがとな、みんな」


「ヘッ、礼を言う前に…かましてこいよ!」


「ああ、分かってる!」


みんながいるから俺は戦える、守る者があるから戦える、俺の拳と強さはみんなの為にあるのだから。故に立つ…立ち上がる。


「俺、ぜってぇ負けねえよ。この海で一番強いのは魔女の弟子だって…レッドランペイジに教えてくる」


少なくとも、今…魔女の弟子最強を名乗らせてもらってるからには、負けられねぇ。俺の負けは即ち魔女の弟子の敗北なのだから…死んでも負けられない。


例えどれだけ敵が強くってもな!言う通りにかましてくるぜ!そう拳を掲げ…挑むは大洋。


「さぁ、行くぞ。決戦だ…!」


いよいよ、終わらせる時が来たんだ。



…………………………………………………………………………


そして、決戦の準備は整った。決戦の時は来た、船は配置につき、武器を手入れし、持ち場について…全員が迎撃の姿勢を作った頃に漸くそいつは姿を見せる。


ジャックの言った通り、遥か彼方へ押し飛ばされたそいつが…煌めく海の底から再び現れる。


『ォォォオオオオオ…………』


水平線が歪み山のように盛り上がっている、…まるで真っ赤な波濤がブルーホールに向けて迫ってきているように。そいつは徐々に徐々に近づいてくる。


レッドランペイジだ、ジャックによって吹き飛ばされたアイツがまたブルーホールを破壊する為に戻ってきたんだ。


その様を見つめるのは、円卓島にただ一人立つ男…。


「来たか…!」


ラグナだ。円卓島に立ち、上着を脱ぎ捨て鍛え上げられた肉体を陽光に晒しながら気合の鉢巻を頭に結びつけ…大いなる大洋へと挑む。


作戦は既に始まっている、先程のように不意打ちを受けるのではなく全員が全員レッドランペイジと戦う覚悟を決めてこの場に臨んでいる。


作戦の内容はこうだ、出せるだけの海賊船を出して乗せられるだけの海賊を乗せ出港。皆で船の上から血味玉を振りまいて魔獣達の気を円卓島に向ける。


そしてレッドランペイジから魔獣達を引き剥がしつつ海賊船で周囲の魔獣を撃破。その間にラグナはレッドランペイジを釣り上げ…この円卓島にてタイマンを仕掛け撃破する。内容は単純だ、ただ危険であるだけで。


「………………」


周りに目を向ければ既に海賊船が四方に散って円卓島から距離を取っている。今…円卓島にいるのは俺だけだ。


血味玉は既に振りまかれているお陰でレッドランペイジの取り巻き達はそちらに流れつつある。そんな事意にも介さずレッドランペイジは進み続けこちらに向かってくる。


(完璧だ、みんな…)


正直第一関門を超えた感じはある。血味玉で魔獣を引き寄せるのはいいがそれでレッドランペイジまでそちらに向かってしまう可能性はあった、故にレッドランペイジが感知できるギリギリの範囲を各海賊船の船長達が長年の経験と直感で見極めて投下する必要があった。


そこはベテランの海の男達だ、完璧な仕事をやり遂げてくれている。後は向こうに散った魔獣達は海賊船に乗り込んだ俺の仲間達がなんとかしてくれるだろう。


あと、俺がやることといえば…一つだけ。


「よし、やるか…」


砂浜に突き刺さった特注の釣竿を引き抜き肩に背負う。レッドランペイジを釣り上げるんだ…普通の釣竿じゃ折れちまう。


故に、ブルーホールにある物の中で最も強靭な棒…少々胡散臭いリュウゾク人の商人が売っていた『どんなものでも貫く矛』、こいつは胡散臭い謳い文句の割に本当に良質な鉱石を本物とも呼べる最高の職人が技術の粋を詰めて作られたマジモンの良物だった。


それを五本纏めて束ねてメルクさんの錬金術で固着し釣り竿に変えた。そして釣り糸と釣り針だが…これも特別性。魔鉱石製の錨と鎖が売ってたんでアマロに頼んで譲ってもらい取り付けた。


矛と錨を組み合わせた特大の釣竿。こいつを俺の付与魔術で強化して対レッドランペイジ用の釣竿として使う。


「よっと…」


ただこれだけじゃ釣れないのは分かってる。持ち上げた釣竿の先、錨の付近に巻きつけてあるのは…海賊達に教えてもらった疑似餌だ。こいつを使えばきっと釣れる。


「頼むぜ、お前にかかってるんだからな」


『ギェギェギェ』


これまた怪しいリュウゾク人の商人から購入した動く機械人形『囮クン』スイッチを入れるとギコギコ動くこれは血を吐く仕掛けもあるらしい。つまり血味玉と同じく水中で魔獣をおびき寄せる効果があるんだ。


まさしく水中の魔獣を引き寄せる為に作られたとしか思えないこいつを疑似餌とすればきっとレッドランペイジも引き寄せられるはずだ。


「はぁ…後は、俺がうまくやるだけだよな」


緊張してきた、考えてみたら俺…生まれてこの方一度も釣りで魚を釣れたことがないんだよな。海でも川でも一度も。それをここにきて思い出してしまった…。


どうするよ、今回ばっかりはオケラは許されねぇぜ。行けるかな、大丈夫かな。


「ハハ…、ここに来て手が震えてら…」


こんな事今まで一度もなかったんだけどな。ベオセルク兄様やシリウスと戦った時も色んな人たちの気持ちを背負って戦ってたのに、今回ばっかりは無鉄砲ってわけにはいかないしな。


「はぁ〜…ダメだ!」


こんな気持ちでいちゃダメだ!両頬をぶっ叩いて思い出す、師範も言ってたよ。


『不安に思うくらいならやってみろ、ダメなら後で後悔すりゃあいい』ってな!まぁ今回は後悔するだけじゃ済まされないが!よし!


「行くぜ…!レッドランペイジ!」


砂浜を踏みしめて立つ、特大の釣竿とみんなの意思を肩に背負って。円卓島の前を通過しようとするレッドランペイジに向けて、大きく大きく釣竿を振りかぶる…。


頼むよ、食らいついてくれ!!!!


「はぁぁぁっっっ!!」


投げ飛ばすように錨を遥か彼方に投げ飛ばす。方角も位置も申し分ない、レッドランペイジが通過する地点に落ち、その衝撃で機構が作動し囮クンが吐血する。よし!完璧!


「後は…後は、食らいついてくれれば…!」


沈んでいく錨、浮標がそいつを通過点に留め…釣りの姿勢は整う。後はこれがレッドランペイジの探知範囲に入って、食いついてくれれば…。


「…………………………」


そこからは、もう出来ることはない。たださざめく波の音を聞いて、太ももまで浸かった海水の冷たさを感じ、バクバクと鳴り響く心臓の音に耳を傾けながら。


待ち続ける。


ただ、突っ立ってるだけ。


ただ、ボーッと惚けているだけ。


ただ、何もしないでいるだけ。


なのに…。


(キ…キッツぅ〜!…)


キツい、何もしないでいることがキツい、頭が勝手に他の案を考えてしまう。何か出来ることがないかと体が疼く、


今からでもレッドランペイジに飛びかかって俺が素手で引っ張りあげたほうがよくないか?もっと良い手があったんじゃないか?


辛い、辛い、何もしないでいることが辛い。何もせず棒立ちでもしレッドランペイジが何の反応も示さず仲間達の方に行ったらどうする。計画が破綻したらそのリカバーは?今度はどうすればいい。


どうすれば……あ?


「ハッ…!?」


刹那、レッドランペイジが俺の浮かべた錨を無視してブルーホールに直行する、失敗した?見立てが甘かった?やばい…!最悪だ!


そんな風に俺が焦ってももう遅く、レッドランペイジはまだ多くの人々や倒れているエリスを乗せたブルーホールに触手を振るう…。






…………という幻覚を見る。


「はぁ…はぁ…幻覚か…!?」


目をこすってもう一度見るとレッドランペイジはまだ錨を通過してない、ブルーホールにも迫ってない、嫌な想像が嫌な幻覚を見せたんだ。


複数の命がかかった、全てがかかった極限の魚釣り。何も動いていないし俺も何もしていないのにみるみるうちに体力と精神力がすり減っているのが分かる。


こんなにも辛いのか、何もしないというのは。こんなにも厳しいものなのか、釣りというのは。どんな滝に打たれるよりも、どんな山を引っ張るよりも、辛く苦しい…。


歯痒い…歯痒い!泣きそうだ、早く終わってくれ…!


「………………ぅ…!」


刹那、勝手に動きそうになる手を止める。下手に動かせばレッドランペイジに悟られる。何もないように見せかけなければならない、故に下手に釣竿は動かせない。


なのに、常に極限状態にある俺の腕は勝手に力を込めて動こうとする。落ち着け落ち着け…落ち着かないと…!


「…………こんな苦しいのは、初めてだよ」


今まで感じた何よりも苦しい『何もしない時間』。…戦争でも相手が策に嵌るのを待つ為待ったりすることはある、座禅とか組んで精神の平穏を保ったりすることもある。


けど、今までのそれとは段違いの緊張と焦燥は確実に未知のもの。だってこれだけ頭で色々考えているのに……。


「まだ、全然近寄ってきてない…」


まだレッドランペイジと錨の距離は全然縮まってない、もしかして俺の存在に気がついて停止してるんじゃないかと疑うくらい時間の経過が遅い。


……早く終わって欲しい、そんな苦痛が延々と続く。動き出そうとする体と不安に怯えざわめき心を必死に抑える。


そう、それはまるで…。


(武道…か)


思い出す、師範が武術と釣りを似ていると言っていたあの時のことを。船で思い出した以上に…より鮮明に。


───────────────


あれは、俺がアド・アストラの元帥として忙しくしつつも修行に励んでいた時のことだ。


元帥として忙しくとは言いつつも、それでも仕事を爆速で片付けたり信頼出来る人間に任せたりして少なくとも半日は毎日修行に没頭出来るよう時間は工面している。それに最近は転移魔力機構のお陰でどんな場所へも即座に移動できる為、場所を選ばず修行が出来るようになっており。


その日は、アルクカースの荒い海での修行をしていたんだ。


師範が投げ捨てた大岩を海底から拾ってくる苦行と海面ランニング、そして砂浜での型の確認と一通りのウォーミングアップを終えて、さぁこれから修行をするぞと師範に声をかけに行ったんだ。


すると。


「師範、何やってんすか…」


「ん?どうしたよラグナ」


声をかけに行ったら、師範は呑気に棒に糸を括り付けて、岸辺に座り込み釣りを楽しんでいたんだ。俺が苦しい修行をしている最中にやってんだ!とは言わないよ。けど俺は師範に修行をつけてもらってるんだ、自主トレをしに来たわけじゃない。だから色々と動きを見て欲しかったのに…。


そう俺が責めるような視線を向けると師範は悪びれず。


「別にいいだろ、型の確認とかトレーニングの内容とか、今更いちいち見てやる段階でもねぇだろ」


「そうですけど、真面目に修行つけてください」


「ウォームアップくらい自分でやれよ」


そう言いながら師範は海面に再び視線を向ける。…しかし意外だった、師範が釣りを嗜むとは思わなかったのだ。この人の場合狩りとかの方が好きだと思ってたな、一人山狩りとか。


「意外ですね、師範釣り好きなんですか?」


「まぁ暇つぶし程度にゃ嗜むよ。最近じゃ暇を持て余してるからな、そいつを潰すためにまた最近始めたのさ」


「へぇ」


そう適当に返事しながら隣に座る、海面は荒れており師範がどこに釣り糸を垂らしているのかさえ判然としないくらいの大荒れだ。アルクカースの海は大体いつもこんな感じだ、魔女の加護は自然環境にも影響する。アジメクの海が穏やかなようにアルクカースの海も師範の影響を受けてこんな感じなんだ。


「お前もやるか?ラグナ」


「え?俺も?…いやぁ、俺はいいっすよ。前コルスコルピで釣りした時も全然釣れなかったし」


「そりゃお前が下手くそだからだよ」


「釣り糸垂らすだけの作業に上手い下手もないでしょう?」


「あるさ、この世の凡ゆる技術には…良し悪しがある。そこの術理に効率を求められない人間を俗世じゃ不器用っていうのさ」


そう語る師範の姿は、いつになく清廉で…ある種の聖女のようにさえ思える程に安らいでいた。海はこんなに荒れてるのに、当の師範はまるで水鏡のように揺らぎが見えない…。


「ラグナ、釣りってのはいいよな。武に通ずる物がある」


「武に…?釣りがですか?」


「ああ、武だ」


そう言われて腕を組み考える。師範はいい加減な人だが武に対してはこれ以上なく真摯な人だ、きっとこの言葉にも意味があるんだろう。ならば弟子の役目はその意味を汲み取ることにある。しかし…どんな意味なのか。


「あ、心を落ち着かせて明鏡止水となる…的な感じですか?」


「………当たり障りのねぇ答えだな」


「ハズレですか?」


「ハズレだよ、そもそも心を落ち着かせて臨む作業なんて釣りだけじゃねぇだろ。お前いつも荒れ狂って髪搔きむしりながら仕事してんのか」


「別にそんなことはないですが…、じゃあどう言うところが通じてるんですか」


そう問いかけると師範は静かにフッ…と息を吐く。すると…その瞬間。


師範の姿が消えた…………と錯覚する程に、師範の気配が澄んだのだ。まるで透明、ガラスのように向こう側が透けて見えるようだ。


「え……」


「オレ様達の使う無縫化身流の極意とは刑意…自然の模倣にある。時に動物のように時に風のように、この世の全てを武へと転換する流派が無縫化身流だ」


「え?ええ…そうですね」


「それはつまり、自然と一体となることを意味する。荒れる波と吹き荒ぶ潮風、雄大な岩土と動物の鼓動。それら全てを感じ取り自らの動きとするのが模倣の極意…、即ち我が流派の極致とは無意識のまま自然と合一となることにある」


「無意識…」


「没我と言ってもいい、くだらない雑念を捨て心を空っぽにして、ただ目の前の事象に全意識を傾ける。頭で分かっていても簡単に出来ることじゃない、…それを養えるのが釣りって遊びなのさ」


「…………」


再度俺は海を見る、師範の垂らした釣り糸を通じて師範は海を感じ、そして海と一体となっている。そこに気配や意識などは存在せずまるで当たり前のことのようにそこにある。木が根を下ろすくらい当たり前に、岩がそこにあるのと同じくらい当然に。


師範の釣り糸はそこにある。まるで師範が自然と一体になったようだ。


(これが、没我…)


気配はまるでない、けど…同時に何があっても揺るがないほどに今の師範は強固だ。凡ゆる精神の揺らめきが消えているからこそ常に『最大限』を維持している。


これがそのまま実戦だったら、全く意識を感じ取れない師範から岩のように揺るがず風のように柔軟な拳が瞬く間に飛んでくることだろう。なるほど、無我へと至らせる行為こそを武の本懐と捉える師範だからこそ、釣りもまた武に通じると言うことか。


「でもそれって心を落ち着かせて明鏡止水に至るってのと同じでは?」


「あのなぁ…、心落ち着かせるだけじゃなくて、自然と一体になれって言ってんの。わかんねー?」


「分かりません」


「ああそうかいっ…と」


すると師範はヒョイっと釣竿を振るう、まだ釣竿が揺れてもいない、浮きが沈んでもいないのに釣竿を振り上げれば。俺達の背後に針に引っかかった巨大な魚がズシンと落ちる。


え、なんで魚がかかったってわかったんだ…?全く予兆なんてなかったのに。


「これが自然と一体になると言うことさ、自然に適応すれば頭で考えるよりもずっと効率よく動ける。習得すれば…まぁはなまるはやれるかな」


「お、おお!師範!俺にも教えてください!」


「教えてどうにかなるもんでもない、自分でチャレンジして自分で物にしろ…けどアドバイスはくれてやる」


すると師範は立ち上がり、簡素な釣竿を背負いながら…俺を見下ろし。


「いいか、ラグナ。大事なのは体の全てで自然の全てを感じること。視覚や聴覚、触覚や直感に囚われず自然の一部にすること。木や花が何も考えずにそこにあるように…お前もまた自然の一部になるんだ」


───────────────


「自然の…一部に」


俺はマレウスの海を再度見る。師範の教えを思い出せばスッと焦りが消えていく。そうだ、ただ心を落ち着かせるだけではなく…自然と同一となることが武なのだ。


俺は今、変に焦り過ぎて自然の流れに抗い過ぎていた。抗うのではなく溶け込む。最初からここにあったように…。


「…邪魔だ」


視覚が邪魔だ、目で見ていては景色に囚われる。故に目を閉じ波の音を聞く。


聴覚も邪魔だ、触覚も邪魔だ。


削ぎ落とす削ぎ落とす削ぎ落とす、邪魔な物を全て削ぎ落とした中に残るのは…唯一の感覚。『存在』だ…。


(静かだ、あまりにも静か…これほどまで安らいだのはいつぶりか、なるほど…これが師範の言う没我…!)


目を閉じ、ただただ全身で波を感じる。触覚ではない別の何かで波を感じ、漆黒の闇に染まった世界の中…今俺は自然と合一となった。


まだ師範の言う完全なる没我には遠いのかもしれない、まだまだ自然と一体にはなれていないのかもしれない。だがそれでも…さっきまでの状態よりマシだ。


「…………………………」


揺れる波、さざめく波、静かな浜辺に呼吸も忘れて竿を降ろすラグナはまるでそこに立つのが当たり前の木のように動かず。


ただジッと…その時を待つ。


「……………………」


蠢く波、感覚ならざる感覚…そこから感じる、この雄大な海における異物。


それが、今…なんの警戒もなく────────。


「ここ…ッッ!!」


カッ!止めを見開き思い切り竿を引けば…まるで何かに引っかかったように鎖がピンと張る。と…同時に遥か向こうの海の中で何かが荒れ狂う。苦しみ悶えるように十本の尾を振り回し…吠える。


『オォォォォォォォォオォ…………!』


「食らいついた!来た!上手く…行った!」


レッドランペイジだ、奴が無警戒に囮くんを口の中に入れたのだ。あの吸引で錨を吸い込み口の中に錨が刺さった。ラグナの手を通じ自然と合一となった疑似餌をレッドランペイジは本物の餌と見間違えた。それ程までにラグナの呼吸が自然と一体となっていたのだ。


半端な知性しか持ち合わせない魔獣風情じゃ、騙されるも必然!食らいついた、食らいついてくれた!あとは引き上げるだけ…だが!


「ぅ…くぉぉぉぉお!?」


踏ん張ったラグナの足がみるみるうちに海に引き込まれていく、凄まじい力で引かれるんだ。


第一の対決はラグナが制した、レッドランペイジとの騙し合いと言う名の釣り勝負の第一段階はこちらが貰った。


第二段階は単純な力比べ、そして…。


「こっからが…本番か!」


…………………………………………………………


「食らいついたッッ!!」


「おぉぉお!!」


遠方から円卓島の様子を伺っていたキングメルビレイ号から歓声があがる。ラグナがレッドランペイジを釣り上げるまでの間、他の魔獣達が横槍を入れないように引き剥がす役目を負った海賊船達が一斉にワッと声を上げて喜ぶ。


まずは作戦が軌道に乗った、そこを喜ぶべきだろう…だが。


「ラグナ…大丈夫だよな!」


キングメルビレイ号の手摺に手をかけて一人戦うラグナを眺めるアマルト、そしてその隣には。


「レッドランペイジが暴れてるよ!キモォ!十本の尻尾ウネウネすんのキンモォ!」


デティだ、この船には二人の弟子達が乗船している。他の船にはネレイドやメグ、メルクにナリアとそれぞれが別れて魔獣の討滅をする為四方に散っているのが現状だ。


ラグナが円卓島に立った時点でこちらに出来るのはとにかく無限にやってくる魔獣を始末することだけ、あそこでレッドランペイジと力比べに興ずるラグナを助ける手段は今この場にはない。


遠く、微かな景色ではあるものの…アマルトとデティは必死に目を凝らし戦況を見守る。


「厳しいか…!?」


「そりゃ厳しいよ!だってあんな大きいんだよ!?それを釣るって…島一つをテーブルみたいにひっくり返すのと同じだよ!」


あの怪力自慢のラグナが険しい顔をしてレッドランペイジを釣り上げられずにいる。今も全身を使って竿を引いているが一向に距離が近づかない。やっぱり無理か?いやでも…ラグナは不可能を可能にする男だ。


きっとなんとかしてくれる…けど。


「何か出来ることは…ないか」


「ここまで来ちゃったら何もないよ、精々私達に出来ることは祈ることだけ…」


「………情けねえ話だよ」


けど、実際問題自分が彼処に赴いて出来ることがあるかと言えば何もない。ラグナの背中に張り付いて一生懸命引っ張っても邪魔にしかならない。それ程までに超絶した力と力のぶつかり合いが彼処で繰り広げられているんだ。


…ラグナ、行け…やれ!そう静かに心の中で手を組んで祈り続ける。


「ああ!このままじゃ、海に引きずり込まれるんじゃ…!」


「バカデティ!縁起でもねぇこと言うな!アイツはやり遂げる!絶対に!」


「で、でもぉ…!」


「…いや、心配する程状況は逼迫していないかもよ」


「案ずるな、アマルト デティ」


「え?あ…ヴェーラさん…とピクシス」


すると、心配するアマルトを励ますためにか。隣に立ち同じくラグナの戦いを見守るのはヴェーラとピクシスだ。二人もまた険しい顔をしつつも…案ずるなと口にする。


「そりゃ、どう言う意味っすか、ヴェーラさん」


「見てごらんよ、ラグナの位置を。最初こそやや引っ張られたが、今は…」


「あっ!動いてない!?」


確かに、よくよく観察すればラグナの位置はさっきから動いてない。そこから動かず寧ろレッドランペイジを隙あらば釣り上げようと必死に腕を引いている。まさか…渡り合ってる?と言うよりあれは。


「無いんだよ、レッドランペイジにも経験が。二百年と長い時を生きてきて一度として自分が釣り上げられるかもしれないと言う経験が奴には無い、ともすれば考えたことすら無いだろう、故に…奴は今生まれて初めてパニックに陥っているんだ」


「マジかよ、じゃあレッドランペイジは今ビビってめちゃくちゃに暴れてるだけ?」


「そうだ、さながら人で例えるなら…溺れているに等しい状況だ」


パニックになってジタバタ暴れている、それが今のレッドランペイジの状況だ。いくら体が巨大でも目的もなく怪力を振るってもあの状況は好転しない、だからラグナは優位に立てているんだ。


つまり、今は千載一遇のチャンスってことか…!


「だが油断も出来ない、魔獣は賢い、色々と考える生き物だ。ビックリしてパニックになるのも賢いが故…だが、一度そのパニックが鎮まれば、奴は冷静に現状を打破するために力を振るうだろう、方法はいくらでもあるからね」


ゴクリと唾を飲み込む。確かに…溺れている状況ならまだしも、冷静になれば人は容易く水の中を泳ぐことができるようになる。ならば今のレッドランペイジも同じ…、その身に秘められた数多の能力を使い、簡単にあの状態を破壊することができる。


そうなったら終わりだ、パニックになった状態で互角なら、冷静になられたら勝負にもならない。


今だ、今しかないんだ。目に見えない制限時間以内にレッドランペイジを釣り上げられなければ…俺達の負けが確定する。


「ラグナ…、信じてるぞ…お前ならってな…!」


大丈夫、あいつは何とかする。なんたってアイツは…魔女の弟子最強の男なんだぞ!


……………………………………………………………………………


「ぐぅぅぅぅうぅぅぉぉおおおおおおおおおお!!!!」


『ォォォオオオオオォォォオオオ…………!!』


引く、引く、引く、全身を使って思い切り後ろへと引く。手に持った釣竿には既に無数の多重付与魔術を重ねがけしてレッドランペイジとおれとの綱引きにも耐えられるよにはしてある。


だが、それでも動かない…、山さえ引っ張る俺でさえ微動だにさせられない。なんて重いんだ…!!!


「ぐっ!ぐっぅ!逆に引き込まれるッ…!?」


何度も地面を蹴るが砂浜は俺を受け止めるには足らず、逆に崩れ力が入らない。くそッ!だぁぁあ!くそッ!なんてザマだよ俺は!


みんなに啖呵切ったんだろお前!任せろって口にしたんだろ!なのに何腑抜けたザマ見せてんだよ…俺はぁぁぁあああ!!!


「ぐっおりゃぁぁあああああ!!」


歯を食いしばり再度力を引き出す、もうどこから引き出してるのか分からないがとにかく出せるだけ全部出して体を後ろへ後ろへと引き戻す。こんだけやって最初の地点に戻っただけ!マイナスがゼロになっただけ!


こんな不甲斐ないこと許されてたまるか、俺は今みんなの命背負ってんだろ!仲間をみんな守る為に俺は強くなったんだろ!みんなに任せろって口にしたんだろ!なら半端なことすんじゃねぇよ…!


「こっち…来いよ!レッドランペイジ!俺と殺し合おうや…!」


『ォォォォォォォオォォォオオオオ……!』


「ンな事…言うなってッッ!!」


既に古式付与魔術は使っている、魔力覚醒だって使っている、今の俺が正真正銘最大出力なんだ。ここまでやってもまだ均衡、しかも危うい薄氷の上の均衡。


「うぉっ!?」


刹那、レッドランペイジが思い切り体を旋回させたのか、一気に釣竿が持っていかれそうになり一気に引き寄せられる。その拍子に再度強く歯を食いしばったら奥歯が砕けた、ダラダラと口元から血が溢れ口の中があっという間に血でいっぱいになる。


それでも、砕けて尖った奥歯が歯茎に突き刺さってもまだ食いしばって耐える。譲れねぇんだ…譲れねぇんだよ!俺は!


「ぐぅぅぅぅぅ!!ぅがぁぁあぁぁあぁああああ!!」


レッドランペイジ…、お前は一体どれだけの物を背負って今そこにいるんだ。一体なんのためにそこまで争うんだ。


一歩、一歩、後ろに下がり続ける。その一歩に…俺に掛けられた願いがどれだけあるか、お前は知ってるか?


「ぎっ…ごのぉッ!譲っでだまるがぁっ!!」


喉が張りさける勢いで叫ぶ。腕の中で何かがブチブチと握れても、踵が砕けても、譲らない、譲れない。


だって…だって!


『だから頼む…頼む!このブルーホールを救ってくれ、俺達を…助けてくれ!』


そう言って、涙ながらに家族と仲間達の命を託してくれた男がいた。


『ああ、信じるぜ。俺達の命…全部アンタに託した』


そう言って、全てを任せて俺をここに立たせてくれた奴らがいた。


『頼んだぜ、ラグナ』


この海最強の男が、俺にこの場を譲ってくれた。


そして何より。


『それでもお前ならなんとかしてくれるって信じてるぜラグナ』


友が…。


『ラグナ、我等は皆お前を信じている。故に気負うなよ』


友達が…。


『魔女の弟子最強の方が海洋最強より強いに決まってるんだ!』


仲間が…。


『うん、…私達は、ラグナの強さを知ってるから…』


仲間達が…。


『僕達、応援してますから』


俺を信じて…。


『ラグナ様はラグナ様の芯を貫いてくださいませ』


仲間達が!俺を信じて!送り出してくれたんだ!俺ぁ今!ここに!仲間達の意思を託されて立ってんだよッ!仲間の信念と誇りを肩に背負って立つてんだよ!


テメェみたいにただ一匹で完結するほど俺ぁ絶対じゃない、だがな…!!


「ぐぅっ…うぐぉっ…!!」


絶対の存在でなくとも、絶対に負けられない理由があるのなら、人間は…何にも負けないんだよ…!


「ぅぐぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」


『ォォォオォ……!?!?』


思う、思う、思う限りに力が湧く。先程よりも何倍も荒れ狂っていると言うのに自然との合一が何倍も上手くいっている。どう言う原理かは分からないが…今はいい、理由や理屈や理論なんて、しゃらくさいだけだ。


全身で一歩引いて、全力で腕を引いて、全身全霊でレッドランペイジに繋がる釣り糸を手繰り寄せる。


ああそうさ、負けられないんだ…何よりも最初に、俺に任せてくれた奴がいるから。


『エリスちゃんはね、ラグナ』


『アイツを倒すにはラグナの力が必要だって言ってた。あのエリスちゃんが後のことをラグナに託してたの、それだけこの子はラグナの事を信用してる…だから』


エリスが…俺に、みんなを守ることを託したから…だからッッ!!


「負けられ…ねぇぇんだよぉぉおおおおお!俺はぁぁぁぁぁっっ!!!」





───────釣り師は言う、釣り針が水底の岩に突き刺さった時、冗談めいて。


『世界を釣ってしまったよ』なんて。自分の失敗を茶化す決まり文句のようなそれが冗談として成立するのは。それが不可能であるから。


しかし、例えそれが不可能だとしても…『友の為』ただそれだけのために、凡ゆる道理と真理を吹き飛ばし、実現させる者がいるのだとしたら。


或いは、その者をこそ…人はこう呼ぶべきなのかもしれない。


そう…それこそ────────。



『──────────!?!?!?!?』


刹那、レッドランペイジは誕生して初めて感じる『驚愕』に動転する。突然自分の体が陸に向けて引っ張られ暴れ狂いながら抵抗していたのだ、自分の力を全力で振るえば不可能はないとレッドランペイジは本気で思っていた。


だがしかし、その思い上がりは今日、打ち破りれる事となった。


何せ今、レッドランペイジが見ているのは…空だったから、


「ッッッしゃぁぁああああああああっ!!」


『ォォォォォォォォオオオ!?!?!?!?』


雄叫びをあげるラグナ、咆哮を轟かせるレッドランペイジ。そして…割れた海から水飛沫を上げて、後光を照らし…天空へと舞い上げられるは赤影。


今、ラグナという男は…『海を釣り上げる』という不可能を成し遂げたのだ。





「マジでやりやがった!?!?」


その様を遠巻きに眺めていたアマルトは目と口を全力で開いて叫ぶ。今…絶対に動かないと思われていた均衡が崩れ、レッドランペイジが釣り上げられ天へと舞い上げられたのだ。


「キャーーーッ!ラグナー!すごーい!私ずっと信じてた!やるってずっと信じてたー!」


「…………本当に、人間なのかね彼は」


「…ラグナ……」


アマルトに抱きついて叫びあげるデティと、信じていたがそれはそれとして常軌を逸していると冷や汗を拭うヴェーラ、そして静かに状況を見守るピクシス。


他にも海賊船が、全ての海賊船が両手を掲げて吼える。やった、本当にやり遂げた。


ラグナが今、レッドランペイジを釣り上げた!






「ぅぅぅふぅぅぅっ!!」


『ゴォォォオォ…!!』


そんな歓声轟く円卓島に砂埃が嵐のように舞い上がる。超巨大なレッドランペイジが島の中心に落下したのだ。ただそれだけで海さえ揺れるほどの大地震が発生する…だが。


面してない、どこも接してない、あれだけ巨大なレッドランペイジが…完全に海水から切り離され、陸の上に乗っている。


これでもう、こいつは無敵じゃない…!


「さぁ…レッドランペイジ、第三ラウンドだ…!」


『グゴゴゴゴゴコゴ……!!!』


釣竿を捨て去り、デティから預かったポーションを口の中の血ごと飲み込み、千切れた筋繊維と砕けた奥歯を治療し、汗をぬぐって両拳を叩きあわせるラグナは睨む。作戦は成功した…あとは、こいつをぶっ倒すだけだ!


「やろうぜ!赤影!今日がテメェの…最期の日だッッ!!」


『ギシャァァアアアアアアアアアア!!!』


怒りの咆哮が響き渡る、今日が…マレウスの海に永遠と蔓続けた悪夢が、死ぬ日なのだ。



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