411.魔女の弟子と迫る赤影の脅威
『昼飯にしよっか』
そう提案するヴェーラさんの言葉に反対する人間は魔女の弟子達の中には居なかった。
ブルーホールでのウインドショッピングを一頻り楽しんだエリス達とヴェーラさんはそろそろ昼頃である事を胃袋から鳴り響く音により気がつき、これからお昼ご飯を食べようかとという話になりまして。
このブルーホールにおいてもレストランは存在する。しかも驚いたことにこの海上レストランで働く料理人達は外文明から来たものが多いのだと言う。つまり外文明の食事が楽しめる数少ない店ということになる。
これは面白いと膝を打ったエリス達は急いでブルーホール唯一の食事処『青海館』へと向かう。
「なんか混沌としたところですね…」
そうメグさんが形容するように、エリス達が今スイングドアを開けて入った店『青海館』は非常に混沌とした…悪言い方をすると変にとっ散らかったお店だった。別に物が散乱してるとかじゃありませんよ?
なんというのでしょうか、一定じゃないんです。右を見ればトツカ風の装飾が、左を見ればリュウカ風の装飾が、正面を見ればディオスクロア風とは少し違う見たこともない装飾が、店の内装が場所によって風味が違うんです。
故に混沌、故に変、されど不思議には思わない。何せここは全ての海から海賊がやってくるブルーホール、海は世界を繋ぐ橋なのだから当然と言えば当然なのだ。
「へぇ、面白い店だな…トツカ風の飯が食えるのかな」
「しかし海上なのにどうやって食材を仕入れているんだ」
「美味しそう…」
「外文明って変わってるんだねぇ」
なんてみんなで話しながら近くのカウンターに座ると、奥から…。
「へいらっしゃい!何にしやしょう!」
「なんでもあるヨ、我等世界美食同盟にかかれば作れない料理無いヨ」
「………………」
奥から三人の料理人がやってくる、一人はトツカ風の格好をして何故か捻りハチマキを巻いたおじさん、もう一人はリュウゾク風のドレスを着たお姉さん、そして見慣れたコック帽を被った見るからにシェフ感満載の多分シェフの男の人。
ユニークな店だ、これだけ多様な人達が一堂に会して料理を作るなんて、きっと世界でここだけだろうな。
「悪いな、俺達あんまり外文明の食事にゃ詳しくないんだが…なんかオススメあるかい」
そうアマルトさんが問いかけると、トツカ風の男は腕まくりをして親指を立てて。
「なら天丼がオススメだね、あっしの得意料理でさぁ!」
「へぇ、寿司は?」
「寿司よりも美味いんで、保証しやす。あっしは十束で一番の天ぷら職人でさぁ」
「ならそれで」
「なら私は辛いのを」
「だったら私が劉蜀風の麻婆豆腐作るヨ」
トツカの職人とリュウゾクの職人は人当たり良く返事をするのに対して、奥のシェフはさっきから微動だにしない。客商売なんだから愛想よくしろと言うほどエリスは厚顔無恥な客ではない、だがさっきからピクリとも動かないと心配にもなる。
「あの、貴方は何を作るんですか?」
「…………」
「ああ、コイツはディオスクロア語が話せねぇんでさぁ」
「え?ディオスクロア人じゃないんですか?」
「ええ、よく似てますがこいつぁレストガルズ王国の人間でさぁ」
レストガルズ…そう言えば外文明の魔女伝説発祥の地だったか。外文明には行った事がないからどんな国かは知らないが、トツカやリュウゾクと違ってレストガルズはディオスクロアに近い文明を持っているのかな。
行ってみたいなぁ、師匠達は外文明を結構軽視してたけど…エリスは決して外文明が劣っているとは思えない。彼らには彼らの歴史がある、それを味わってみたいな。
「ねぇ、レストガルズ人のシェフさん。貴方は何料理が得意なんですか?」
そうレストガルズ人のシェフさんに身振り手振りで何が得意かを聞くと…。
「……ハンヴォルガ」
「ハンヴォルガ…ハンバーグかな、それ!お願いします!」
「おいおいエリス、何かもよくわかんねぇのによく頼めるな。芋虫の丸焼きとか出てきたらどうすんだよ」
「料理人が出すならそれは食べられる料理です、いつもアマルトさんが言ってるじゃないですか」
「そら、…そうだけども」
「じゃあ私もエリスちゃんと同じのー!」
「私も…」
「じゃあ僕もー!」
「おいおいお前らなぁ、まぁ別にいいけど」
「私はメグと同じ物を食べようかな、ちょうど辛いものが食べたい気分なんだ」
「あらメルク様、では一緒にアーンして食べさせあいっこしましょうか」
「断る」
みんなでレストガルズ人のシェフさんに注文を述べると、伝わったのか伝わってないのか…コクリと小さく頷くとシェフは奥の厨房へと引っ込んで行ってしまう。それに続くようにトツカの職人もリュウゾクの職人も奥へと調理に向かい。
包丁がまな板を叩く音や、勢いよく油が跳ねる音が聞こえてきて、忽ち部屋の中に良い匂いが漂い始める。
「いい匂い〜」
「やはり、外文明と言っても同じ人間。美味しいと思う感覚は変わらないのですよ」
「かもな、外文明の飯…上手く覚えられればいいけど」
「作る気か?アマルト」
「そらまぁ、作りたいじゃんか」
「勉強熱心だな、お前は」
さて、一旦落ち着いて息を整える時間が出来た。背凭れに体重をかけて一旦体を休ませる、ここまで歩きっぱなしで若干疲れが溜まってるんだ。戦闘の疲れとはまた違う遊び疲れと言うやつだ。こうして腰を落ち着けているだけで気持ちよくすっきりと疲れが抜けていく。
「では今のうちに私はちょっとおトイレに行ってまいりますね」
「うーい」
「メグ、はしたないぞ。花を摘みに行くと言いなさい」
「海の上で?」
スルリと立ち上がり、バッグを持って店に備え付けられているトイレへとススっとスライド移動で消えていくメグさんを見送り、エリスはヴェーラさんに視線を移す。どうせ料理が来るまで時間があるんだし、お話ししてみようかな。
「ねぇヴェーラさん」
「ん?なんだい?」
「ヴェーラさんって学者さんなんですか?」
ヴェーラさんの知見の深さは相当な物だ、多くの事柄を知る彼の有様はまるで学者のよう、ラグナも彼を指して学者と呼んでいたし…もしかしたらと思って。
するとヴェーラさんは小っ恥ずかしそうに頬をかきながら。
「一時期ね、海洋学者として働いていた時期があるんだ」
「ってことは元学者の海賊ってことですか?」
「違うね、僕は若い頃からジャックと一緒に海賊をやっていたよ。一時期ジャックの船を離れて学者として働いていた時期があったんだ、別に喧嘩したわけじゃないけど学者の仕事に興味があるって言ったら彼は快く引き受けてくれたんだ、だから正確に言うなら元海賊の学者といったほうがいいかな?」
なるほど…そう言う経緯で、しかし凄い経歴だな。ってことはつまり彼は海賊をやりながら学者として働けるだけの知見を得ていたという事。あんな多忙な航海生活の合間に学者になれるだけ勉強するなんて…さぞ熱心に勉強していたんだろう。
「そこで僕は身分を偽って黒鉄島の海洋調査拠点に働きに出ていたんだ。学者の肩書きはその時得たものだね」
「黒鉄島…?ってことは黒鉄島に行ったことあるんですか?」
「そういや前そんなこと言ってたッスね、ヴェーラさん」
「ああ、アマルト君達には言った事があったね」
なんでそんな大事な事共有してくれないんですかアマルトさん…!と睨み付けると彼は舌を出しながら自分で自分の頭をコツンと叩いて『ごめんちゃん』と謝ってくる、許す。
「ねぇねぇヴェーラさん、ライノって学者さん知ってる?」
「へ?ライノ?」
するとデティの質問を受け腕を組んで少し考え込む。ライノさんも黒鉄島の調査拠点にいた学者さんだ、もし彼が本当に黒鉄島にいたなら面識があるはずだが…まぁそれでももう十年以上も前だし、覚えてないかな。
「うーーん、そんな名前の学者もいた気がするなぁ。もう結構昔だからあんまり覚えてないけど…そう言えば黒鉄島に黒い遺跡を見たって言う証言した学者がそんな名前だった気がするけど。海洋拠点には結構人がいたからね、学者だけでも数十人はいたよ…だからあんまり、ね?」
黒鉄島を発見した人物はライノさんで間違いない。ということは彼は本当に海洋拠点にいたのか。疑ってたわけじゃないけどこれで間違いなくなったな。
「ほう、と言うことはヴェーラ殿は一応マレウスの国家機関所属の学者ということになるのか?」
「もうやめたから元だけどね、一応マレウス魔術理学院に名前は置いてたかな」
「通りで、貴方の言葉には知性が感じられる。しかし何故学者をやめたんだ。マレウスの魔術理学院所属となれば給金も弾んだろう。海賊をやっているよりずっと安定もするし儲けもあるはずだが…?」
「うーん、特に意味はないけどなぁ。強いて言うなれば…魔術理学院があんまり信用ならなかったくらいだけど、君たちには関係ないしね。それより僕としては君たちの方が気になるけどね」
「我々?」
「エリス達ですか?」
ふむ、と顎先に指を当て考え込むような仕草を見せるヴェーラさんはチラリとエリス達の顔を順番に眺めるように見つめると、なんでもない事を言うように微笑んで。
「君達、魔女の弟子でしょ」
「え!?」
「いや『え!?』って…、古式魔術使ってたじゃない、特にエリス君」
「あ!」
「無意識だったんだ…」
しまった…そう言えば普通に使ってたじゃんエリス。サミュエルの船沈める時に…、まぁ別に正体を隠す意味はあんまりないけど…黙ってた事だし、バレたのは印象悪いよな。
「まぁそこは気にしないからいいけどさ。君達全員魔女の弟子だとしたらメルク君はあのメルクリウス、ラグナ君はあのラグナ・アルクカース、そしてデティちゃんは…デティフローア…だろ?」
「う…」
「チガウヨ、ワタシ、デティフローア、チガウアルヨ」
「嘘下手だねぇ、ねぇ…君達みたいな超絶大物がなんで黒鉄島なんかにいたんだい?」
「…………」
エリス達はその質問に目を見合わせる、正直に答えていいものだろうか。あの島にマレウス・マレフィカルムの本拠地があるかもしれないと。
…ヴェーラさんは優しい人だ、けど同時に海賊だ。言ってしまえば敵なんだよ今も。そんな人物においそれと目的を話していいのか、…んー?いやちょっとニュアンスが違うか。
敵は敵でもこの人達はマレフィカルムの傘下じゃない、無関係の人だ。エリス達が魔女の弟子だとバレてるならマレフィカルムと敵対してるのは知ってるだろうし…うん。もしかしたら有用な話を聞けるかもしれない。
「実は、エリス達はとある物を探してマレウスに来てるんです」
「ほう、何かな」
「…マレウス・マレフィカルムの本部です」
「ッ…!!マレフィカルムの…!?いや予測は出来たが、なんて事だ。まさかマレフィカルムの本部だなんて…」
ヴェーラさんは予想以上に衝撃を受けた顔で口元に手を当てる。そんなに驚くんだ、てっきり『予測の範疇さ』と笑うかと思ったんだが…。
「…そっか、マレフィカルムか。これも何かの運命なのか…」
「何がですか?」
「…………いや、なんでもない。それより黒鉄島に行っていたと言うことは彼処にマレフィカルムの本部が?」
「そう聞いてます」
「そうか、……僕達はこの海で暮らして長いから海の噂話には聡いつもりだ。その上で言わせてもらうが、確かに黒鉄島周辺で詳細不明の艦船が何度か目撃されたって話は昔聞いた事がある、あれがマレフィカルム所属の船だと言うのなら説明もつくだろうね」
「え!?本当に出入りしてたんですか!?マレフィカルムが!?」
「マレフィカルムかは分からないが、漁船でも商船でも海賊船でもない船が何度も何度も黒鉄島に出入りしていたとは聞いていた。事実僕達学者が黒鉄島に拠点を作った時も何故か無人島の筈なのに人がいた痕跡が至る所で見つかったしね」
「じゃあ…」
「もしかしたら何か見つかるかもね」
朗報だ、僥倖だ、なんと有難い情報なのだろうか。黒鉄島にはやはり誰かが居たんだ、ロダキーノは嘘を言ってなかった。これでもし黒鉄島に向かって奴等の本拠地があればそれだけで目的の八割は達成したと言ってもいい。
別にすぐに乗り込む必要はないんだ、ただそこにいることが分かりさえすれば後は『落とす』事だけを考えればいい。
やはり黒鉄島に行くべきだ…、そう決意を新たにしていると。
「へいお待ち!出来たよ天丼!」
「こっちも出来たヨ!麻婆豆腐二人前!あれ?メイドのお嬢ちゃんは?」
「悪い、少し席を外している」
そして置かれる三つの料理、一つは底の深い皿に敷き詰められた米の上にドンドン乗っかった謎の食べ物、揚げ物のように見えるそれからは海老の尻尾が垣間見えており、なんとも美味しそうな湯気をプンプンと放っている。
二つ目はメルクさんとメグさんの料理だ、これは…ちょっと類似する料理が無いから形容しがたいな、マーボードウフ…だったか、赤々とした色合いにアクセントとして浮かぶ白。煌めく赤金の油の輝きは腹の底から食欲を沸き立たせ音をならさせるに足るものだ。
そして、エリス達の前に置かれたのは。
「ん…」
「ハンバーグだ…」
「普通のハンバーグだね」
「意外…だけど新鮮」
「ちょっと安心しました」
ゴトリと鉄板ごと置かれるその上に乗ったのはハンバーグだ、やはりエリスの予測は間違っていなかったようだ。物珍しさこそ無いが…外文明の料理人が作った、レストガルズ由来のハンバーグ…いったいどんな味なのか。
「頂きます…」
エリスは気になって仕方無いですよ、早速みんなでナイフとフォークを持って其奴を切り分け口に運ぶ、すると。
「ん、美味い…!」
美味しい、弾力のある肉、滲み出る調味料の味わい。エリス達のよく知るハンバーグだ、全く同じと言うわけでは無いがそれでも未知の食べ物では無い。
何より、腕がいい。ハンバーグは硬すぎず柔らかすぎず、いい塩梅で固められている。それにこれ…肉オンリーだ。最近魚ばかり食べていたエリスには有難い代物だ。
「なんか、普通に美味しいハンバーグだね」
「ですね、でも僕が知ってるハンバーグよりも…ちょっとだけ素朴です」
「ん…美味しい…」
「…………」
言葉は分からずともエリス達が美味しい美味しいと言って食べているのをなんとなく感覚で理解したのか、無愛想なシェフはニコリと笑う。にしても不思議だな、エリス達の知るハンバーグと同じものが外文明にもあるなんて。
「ヴェーラさん、なんでレストガルズにもハンバーグがあるんですか?」
「さぁ、ディオスクロアから伝来したかあるいはその逆か、そもそも別物か。その辺の歴史的知見はないからなんとも言えないが…レストガルズはとても歴史の深い国でね」
「え?そうなんですか?」
「ああ、なんでも八千年前の大いなる厄災にて…ディオスクロアを除けば唯一当時から潰えず残り続けた『始原の国』…なんて呼ばれ方もしてるそうだ」
「始原の国ィ?ディオスクロアを差し置いてイキるねぇ」
とアマルトさんは言うが、魔女大国でさえ大いなる厄災の後双宮国ディオスクロアから派生した国なんだ、つまり厄災の後に作られた国なんだよ。シリウスの放った厄災は世界全域を破壊し尽くし外文明も壊滅的な被害を被った…そんな世界を再生させるために魔女様達はディオスクロア文明圏の中でかつての文明を再生させていた。
そんな破壊と死の嵐の中、魔女の手も借りずに八千年前から残り続けているのだとしたら…。始原の国だと名乗るのも納得の格だ、そんな国があるなんて知らなかったな。
「まぁ、行ったことないから真偽の程は分からないけどね」
そうヴィーラさんは肩をすくめるが…そうか、エリスはこのディオスクロア文明圏を余すことなく旅をして世の中を知った気になっていたが。まだまだだな、世の中にはまだ行ったことのない国がたくさんある。トツカ…リュウゾク…レストガルズ。
いつか、外文明の大国達にも行ってみたいものだ。
「そんな事より今は飯だ、というかエリスにその他一同。せっかく見慣れない国の料理を食べられるというのにチキって見慣れたものを選ぶなど…冒険心が足りていないんじゃないのか?」
そう話をぶった切りながらやや変わった形のスプーンを手にしたメルクさんは目の前の地獄の一丁目みたいな料理…麻婆豆腐と睨み合う。まぁ確かにここまで来てハンバーグはなかったかな…、でも怖いよ、流石に。
「私はリュウゾクに興味がある、あの絡繰も用途の面ではアレだったが技術力と創作意欲という点では非常に興味深い、故にリュウゾクの料理を味わい彼らへの友好の意を示す」
「なんじゃそら…」
「頂くぞリュウゾク、味あわせてもらう!」
そう意気込みながら一気に麻婆豆腐をガッ!と浚いグッ!とかっ喰らいモニュ!と咀嚼し、カッ!とその目を見開くメルクさんが口にした第一声は…。
「か、からぁ〜いっ!?」
「だから言ったネ、激辛って」
真っ赤だ、頬を紅潮させ火を噴く勢いでヒーヒー言いながら手で顔を扇ぐ、まぁそりゃ辛いだろ。だって見た目がもう辛いもん。
「ひー!ひー!辛い!水だ!水をくれ!もうこれは辛いというより痛い!」
「ちょっと失礼するぜ」
そう言いながらアマルトさんは小指で麻婆豆腐を少し掬いチロリと舌で舐め味わうように何度か口内で舌を動かすと。静かに頷く。
「トウガラシに山椒か、胡椒にニンニク…すげぇ数の調味料を使ってんだな」
「ウチの国はいろんなものを使って美味しいものを作るのが得意ネ」
「ああ、実際美味いよ。これだけ入れておきながら一つとして邪魔なものがない…まるで薬品の調合に近い、リュウゾク料理か…興味があるな」
「そんなに興味深いならやる!アマルト!お前のと交換してくれ!」
「いやいいよ、辛いし。俺ぁこのエビフライを味あわせてもらうぜ」
ノーサンキュー!と手を出しメルクさんを拒絶すると共にアマルトさんは即座にハシを持ち用意された天丼をガバガバと食べ始める。しかしあの天ぷらという料理…あれも変わった料理ですね。エリス達の知るエビフライなどの揚げ物とは色合いが全然違って…。
「お!うめぇ!天ぷらうめぇ!これエビフライかと思ったら素材が全然違う、ってか揚げ具合も全然違う、なるほど…完全に中に熱が入りきる前に上げて海老そのものの風味と食感を殺してないのか」
「お!兄ちゃんもしかして料理分かる口かい?天ぷらはそこらの揚げ物と違ってすげぇ〜気ぃ使うのさ」
「一朝一夕で出来るモンじゃねぇな、こいつを得意料理と言ってのけるのは正直ちょっとかっこいいよ」
「へへへ!」
「ひー!ひー!まだ辛い〜!」
なんだかんだ騒がしくなってきたな、いつもならここに更にラグナが加わってもっと騒がしいんですが、彼は今頃何をしているのでしょうか。確かここの顔役に会いに行くと言ってましたけど。
「申し訳ございません、ただいま戻りました」
「ん、戻ったか?メグ」
「ひーん!水をくれー!」
するとメグさんがトイレから戻ってきてカウンターへと座る、『行きは空だったバッグをパンパンに膨らませて』…ね。
「あ、私の料理に来てますね、では早速…はむっ、うん、美味しい」
「お前味覚死んでるんじゃないのか…」
「メグさんなんで平気な顔して食べられるの…」
「ひーん!辛い〜!」
「メルク様なんで泣いてるんですか?」
平気な顔でパクパクと麻婆豆腐を食べ進める、彼女が辛さに強いのは今に始まったことじゃないけれど…メルクさんの反応見た後だと平然としている彼女が逆に心配になってくる。
まぁ今はそれよりも…彼女の持ってきたバッグの方だ、先ほどまでは何も入ってなかったバッグに何か入っている。トイレに行って紙でも盗んできたか?と言われればメグさんはそんなことする人ではない。
きっと、時界門が正常に作用して向こうからいくつか荷物を持ってきたんだろう。それはつまりデティの推察が当たっていたことを意味する。今エリス達の近くにピクシスさんがいないからね。やはりエリス達が脱出する時にはピクシスさんの撃破が絶対条件か…。
黒鉄島に向かった後の身の振り方も、そろそろ考えないとな。
もしエリス達が船を降りると言ったら、ジャックさん達は大人しく降ろしてくれるだろうか。もし拒否されたら…ラグナはどんな選択をするんだろうか。
………………………………………………………………
『毎度あり〜!』
「いや〜食った食った」
「うう、唇が腫れている…」
「満足度…高い…」
そして、食事を終えたエリス達は青海館を後にし、パンパンに膨れたお腹を撫でながら満腹感に身を委ねる。幸せだ…、ひさびさに肉汁滴るご飯を食べれて満足だ、やはり人間は牛とか豚とか食ってこそですよ。
「いい食事だったね」
「はい、ヴェーラさんの紹介のおかげです」
「いやいや、にしても支払いはそっち持ちで良かったのかい?」
「構いませんよヴェーラ様、我々も多少なら手持ちがあるので」
「ふぅん」
因みに支払いはエリス達がした、というより正確にいうならメルクさんがした。メグさんがトイレに行っている間に時界門を作動させ…倉庫から物品をいろいろ持ってきてくれたのだ。
その中にメルクさんのポケットマネーもあったんだ、どうやらメグさんはメルクさんのお金の管理もしているらしくいつでも引き降ろせるのだとか、…友達とは言え預金全部メグさんに預けるって凄いなメルクさん。まぁメグさんは勝手に使ったりしないでしょうが。
「さて、これからどうしようか」
「船に戻りますか?ラグナ達ももう戻ってるかもですし」
「いやぁどうだろう、多分アマロとの話は長引きそうだし…」
そうヴェーラさんが首を傾げるのと同時に…、響き渡るのは砲音の残響。ゴウンゴウンと響くような爆発音がエリス達の横っ面を貫通して通り過ぎていくのだ。
「な!なんだ!?」
「砲音!?まさか戦闘か!?」
「え!でも今の音近かったよ!?まさか喧嘩!?でもここで喧嘩はダメじゃないの!?」
デティの言う通りここでの喧嘩はご法度、ましてや大砲まで使うなんて以ての外の筈。だがどう考えても今のは砲音、それも一発二発ではなく大量に連射されている。
何かが起こっている、なら確かめに行かないと!
「みんな!行きましょう!」
「おう!」
「ああ!」
「喧嘩なら止めないと!」
「ちょっ!?エリス君達!?…はぁ〜、すごいバイタリティ。若いっていいなぁ」
なんてぼやきつつも付いてきてくれるヴェーラさんを引き連れて砲音の響く地点を目指す。これ…よく聞いたら海の向こうじゃなくてブルーホール内部から鳴ってないか?つまりブルーホールが何かの迎撃をしてる!?
「こっちだよ!みんな!」
ネレイドさんの先導によってブルーホール外縁を目指せば、既に無数の野次馬が海を睨んで戦々恐々としており、事が始まっているのが見て取れる。様子的に喧嘩じゃない!ならなんだ!
「退いてね」
「うぉっ!?でっかい女…!?」
「見ろ!海で何かが暴れている!」
みんなで野次馬を押しのけその先にある光景を目にすれば、そこにはブルーホールの用心棒達が揃って配置された砲台を使い海に向けて大砲をぶちかましていた。
狙う先には何がいる?海賊船?違う…文字通り海で何かが暴れているんだ、馬車バシャバシャと暴れながら白波を立てて、大砲を食らって蹴散らされる、あれは。
「魔獣…!」
「違う!群れだ!」
アマルトさんが叫ぶ、魔獣の群れだ、ラグナ達がさっき蹴散らした魔獣の群れが一気に雪崩のようにブルーホールに殺到するのをブルーホールの海賊達が総出で片付けている。
戦っているのはブルーホールだけじゃない、停泊している海賊船に乗り込んだ海賊達も砲弾を連射して怪物達を討伐しているんだ。その様はまるで戦争…ラグナ達が倒した群れよりも一層大きいそれはこれだけの海賊達が一斉にかかっても倒しきれない程の量。
なんなんだこれ、どう考えても異常だ。
「なんだこれは、さっきもそうだがこれだけの魔獣が一斉に襲ってくるなんてありえない」
あまりの事態にヴェーラさんが親指の爪を噛む。魔獣がこれほどの群れを形成することはない、小さな魔獣が大きな魔獣に率いられることはあっても大型の魔獣が大挙して襲ってくるなんて事は魔獣の生態系的にありえない。
……だが。
「なぁ、エリス…俺ぁさっきラグナ達が戦った魔獣の群れを見た時から、ずぅーっと引っかかってたんだけどよ…」
アマルトさんは、そんな事例を前にして…嫌なものを見たように眉をひそめる。エリスもそうだ、メルクさんもデティもネレイドさんもナリアさんも…みんな、この光景に見覚えがあるんだ。ラグナ達が戦った先程の魔獣の群れよりも…ずっと前にエリス達はこれを見ている。
そう、これは…。
「なぁ、これ…ヴィスペルティリオやアジメクの皇都の時に似てないか?」
「つまり、…何者かに魔獣が率いられていると?」
そっくりなんだ、アインやタマオノさんが魔獣を率いて攻めてきた時と今の状況はそっくりなんだ。魔獣はより強い者に従う、特に魔獣王やその系譜には無条件で隷従する。その力によって魔獣がありえない量の群れを形成して一気に襲ってきた事は都度都度あった。
特にアインの時なんかは、普通は群れを作らないような魔獣もアインの作る群れの一部として動いていた。種類を問わない魔獣の大行進、それと全く同じ事が今目の前で起こっている。
その時エリスの脳裏に過るのはアインの…いやアクロマティックの去り際の言葉。
『今度は兄妹を連れて復讐に来る』
…まさか、その復讐が今のこれ?五大魔獣達が一斉に海の魔獣を操ってるならこの状況は分かるが…。
「…いえ、似てますけどちょっとだけ違う気がします」
「え?そうか?」
「はい、…魔獣王やその系譜は皆高い知能を持っていました。故に群れからも一種の知能のようなものを感じました、指揮してる奴の頭が良ければそれだけ群の動きも良くなりますからね。…でもこれからはそれを感じない」
何者かに率いられているのは確かだ、だが多分五大魔獣じゃない。アクロマティック曰く五大魔獣は人間を超える知能を持っているらしいし、それならこんな無策特攻攻撃を仕掛けたりしない。
もっと狡猾に立ち回る。前はそれで結構苦労させられましたからね。
「ってことは、アレは何に率いられてるんだ?」
「分かりません、ですが何かに率いられているのは確か…なら。力だけは五大魔獣に匹敵する何かということになりますが…そんなものこの世に」
刹那、ピリピリと脳裏に電撃が走る。『気付き』という名の電流…力だけは五大魔獣にも匹敵し得る存在がいるか?という問いの答え。
……居るんだ、少なくともこの海…エンハンブレ諸島の海には。
「まさか、…実在していたんですか。あの伝説の…」
「伝説の?…まさか、波濤の赤影かい?」
ヴェーラさんが呟けばその通りと頷くより他ない。力だけは五大魔獣に並び得る伝説の存在…オーバーAランクの大魔獣、出現すれば圧倒的な力で破壊をもたらし、その力は魔女大国最高戦力さえ上回り…魔女様が出撃せざるを得ないと言われるあのオーバーAランクだ。
もしそれが実在して、この魔獣を率いてるのだとしたら……。
「事態は、エリス達が思っているよりも悪いかもしれません」
「だな、どうする」
「決まってます!エリスも参戦します!みんなも援護お願いします!」
駆け抜け飛び上がり風を纏って海を征く。魔獣達が何かに率いられてるんなら…この進撃は簡単には収まらない、迫る魔獣を鏖殺し指揮棒を振る輩をぶっ殺さない限り。
ならばエリスが出る、このまま下手を打てば死人が出るかもしれないんだから!
『おう!任せろエリス!こっちはブルーホールの防衛をする!だからお前は…』
『エリス!君は攻めろ!後ろは任せるんだ!』
『行けー!エリスちゃーん!』
仲間達の声を後ろに聞きながら、エリスはブルーホールの目の前にて次々と海から現れる魔獣達を眼下に収める。雨後の筍というやつなのだろうか、こういうのは。
先程から海賊達が大砲を使って魔獣を仕留めているが、数と火力が圧倒的に足りてない。
『ぐぉおおおおおお!!』
「エリスも今は海賊船に身を置く状況にあります、奇妙な縁ではありますが今のエリスは彼らの味方です!行きます!」
海から現れる魔獣達目がけて一気に急降下、落雷の如き煌めきを秘めたまま一直線に加速し、叩き込むのは炎雷の一撃…!!
「『煌王火雷掌』!!」
刹那、海の形が変形する。叩きつけられたエリスの拳とそこから発せられる圧倒的熱エネルギーによって衝撃波が生み出され轟音を立てて海に大穴が空いたのだ。その爆発は如何なる砲弾よりも強く、苛烈で、ブルーホールが揺れるほどの大波が立ち、海の中の魔獣達が雷に食い殺され肉片と化す。
『うぉおおお!すげぇ!!なんだあの嬢ちゃん!』
『メチャクチャ強えのが出てきたな!こりゃ心強い!』
『女の子一人にいいところを持っていかれるなよ!ブルーホールの守り手としての意地を見せろ!!』
その派手な一撃は自ずと周囲の者達を勇気づけ、砲弾による援護の量が増加する。その様はまさしく戦女神、魔獣の大宴の如く発生し続ける魔の海の真ん中で踊る様に風を操り戦い続ける。
「グギャォオオオオ!!」
「邪魔ッ!!」
海原から現れたBランクのウツボ型魔獣アサルトモレイの土手っ腹に蹴りで風穴を開け飛翔し戦いの場全体を見渡す。
(どいつだ、どいつが厄災の赤影だ…!)
探す、きっとこの場で魔獣達をけしかけてるのは厄災の赤影レッドランペイジだ、伝説と呼ばれるオーバーAランクの魔獣がいるのは間違いない。だが…分からない、海の中に隠れてるのか、姿を目視することはできない。
「ピゲェェェェエ!!」
「むっ!」
『気をつけろ!お嬢ちゃん!人喰いサンゴだ!』
海賊の言葉と共に海中から現れるなんかトゲトゲした気持ち悪い魔獣。人喰いサンゴのデビルコーラルだ、傷つけても即座に肉体が再生し人間を食い殺そうと襲いかかってくるんだ。…確かこいつはAランクの魔獣のはず。
本来魔獣達の頂点にいるはずのAランクまでもが動かされるのか、どれだけ絶大なんだ…オーバーAランク!
「ピゲェッッ!」
「フッッ!」
動く岩の様なデビルコーラルがエリスに向けて鋭く尖った槍の様な珊瑚を飛ばし襲いかかってくる、そいつをその場で8の字を描く旋回して回避すると共に…。
「貴方も邪魔!!」
「ピゲェッ!?」
本体を蹴り砕く、バキバキと音を立てて崩れるデビルコーラル…しかし。
「ビギィィィィィイ!!!」
「うっ!?まだ再生するの!?」
砕かれた瞬間即座に再生しニョキニョキと珊瑚が生えてくる。なんて再生速度だ…もう砕いた分どころかそれ以上に大きくなってる。魔術を使うべきだったか!
『死ねぇぇぇ!!魔獣がぁぁぁああ!!!』
「プゲェッッ!!」
「あ!みなさん!」
されどもエリスは一人ではない、目立つやつは的にされる。次々と加えられる海賊船からの砲撃の雨を食らってデビルコーラルが跡形もなく吹き飛んでいく。助かった…!正直今のは危なかった!
「ありがとうございます!」
『油断すんなよ!まだまだ来るぞ!』
「はい!ッ…!」
刹那、海の中で何かが蠢いたのを察知し即座にそこから飛び退けば…エリスが先程までいた空間に向けて、海の底から赤い槍が飛んでくる…違う。
触手だ!鋭く尖った赤い触手が海の中から伸ばされエリスを捕まえようとしたんだ!…これは。
「ォオオオオオオオオオ!!!」
「ッ…タコ?」
海という膜を破る様に、水面を歪め一気に水を爆裂させながら現れたのは…今までで一番巨大な魔獣…、凄まじく巨大なタコだ。そのサイズは海賊船を遥かに上回り一国の城ほどもある。
血の様に赤い代表と血に飢えた瞳、そして伸縮自在とばかりに伸び縮みする八本の触手をウネウネと漂わせながらエリスを狙い…ってやば!
「ォォオオオオオオオ!!!!」
「速い!」
振るわれる剣の如き触手が数度海面を打つ、エリスを狙って触手を振るったんだ。問題があるとするなら…見えなかった。
鞭と同じ原理だ、鞭という武器の攻撃速度、そのトップスピードは剣の何十倍も速い。それを人ならざる怪異たる魔獣が放てば…剣の達人と呼ばれる人間の斬撃を遥かに上回る攻撃速度となるのは必定!
「こ、こいつ強いですよ!」
「オォォォッ!」
こいつ、今まで戦った海の魔獣の中で別格に強い、エリスが旋風圏跳を使えばそれを鞭の様な触手で追いかけて…。
「『風刻槍』ッ!!」
「ビュォッ!」
魔獣を放てば口元から大量の水砲弾を放ち相殺する。攻撃の威力もさることながら反応速度がエグい!中々に強敵だ、少なくともこいつ…Aランクのデビルコーラルよりも強い。
…赤い体表、城ほどもある凄まじい巨体、まさか、こいつが…。
『お嬢ちゃん!そいつはタイラントクラーケンだ!海洋魔獣の中じゃトップクラスに強いAランクの魔獣だ!気をつけな!』
「え!レッドランペイジじゃないの!?」
こいつでもないのか!?
───────そう、エリスが衝撃を受けた瞬間のことだった。
「ォォオオオオオオオ!!!!…ォゴォッ!?」
刹那、城と同サイズのタイラントクラーケンが動きを止める…、いや止めたのは動きではない。
息の根だ。
本当に、なんの前触れもなく…エリスが何かをするまでもなく、タイラントクラーケンは絶命した。理由は単純…貫かれたのだ。
その身を、海の底から生えてきた更に巨大な槍…触手によって。
「え……!?」
再三言おう、タイラントクラーケンはお城と同じサイズだと。そこらの建造物よりもなお大きい城塞と同じレベルのサイズだと。
しかしどうだ、今しがた海の底から飛んできた触手は…ただそれだけでタイラントクラーケンと同サイズ、貫かれたタコの形が押し広げられてパツンと切れてしまうほどに太い。
…なんだこれ、触手一本取っても城よりも大きい?なんだこれ、なんなんだこれ…。
「え?…何、これ…」
見上げる、触手は遥か頭上まで届いて先が見えない。
次いで見下ろす、海を…するとどうだろうか。いつのまにか一面に広がっていた海が…『真っ赤に染まっていた』。
違う、海の色が変わったんじゃない…これは影だ、赤い…影。
「まさか…これが!?」
影が濃くなる、それが浮上してくる、ただそれだけで…エリスが恐怖する。今までいろんな魔獣を殺し尽くしてきたエリスが、ただ見ただけで恐怖しているんだ。
ありえない、ありえないよ、何かの間違いだ。この果てしなく巨大な魔獣が…居るわけが!
『エリスちゃーーーーん!!!離れてーーーー!!!』
「ッ…!!!」
咄嗟に海から逃げる様に空へと高く飛び上がる、デティの叫びに体が勝手に動く。
上へ上へと逃げていけば、海の全容が見えてくる。見えてくる程に分かる…赤い影の巨大さ、こいつ…ブルーホールよりもデカくないか…?
「…ちょっと、これはヤバいかもしれませんね…」
冷や汗が空に落ちる。それと共に影が…実態を海から表す。
二百年前に出現し、沿岸沿いの街々の全てを破壊し尽くし、今の今まで誰にも討伐されることなく今日この日まで存在し続けたエンハンブレ諸島最大の伝説にして…悪夢そのもの。
その名を指して人はこう呼ぶ…『波濤の赤影』レッドランペイジと。
「ッ…来る!」
破裂する海、その奥から現れる天を裂く槍の如き赤い触手…それが一本、二本、三本四本と増え最終的に十本出現した瞬間。
終わりを示す鐘のような…重音が轟く。
『ォォオォォォオオオオ…………』
「これが…波濤の赤影レッドランペイジ…」
文字通り、波濤を起こし海より表出する赤影は、遂にその実態を露わにする。大きい…あまりに大きい、空から見上げてもこの大きさなのか。
先程のタイラントクラーケンが城と同じサイズなのだとしたら、これは島だ…城を建てる土台となる島そのもの。島が動いて敵意を向けてくるこの状況に脳が『もう無理だ、諦めよう』と提案してくる程に圧倒的威容。
海を割り海水を滴らせながら現れたレッドランペイジを見て、目を細める。…おいおいこれって。
「赤影…っていうかこれ、アカエイ?」
レッドランペイジの正体、それはアカエイ…アカエイ型の大魔獣だ。
アカエイってのはあれだ、海を泳ぐ絨毯みたいにペタンコなあの魚だ。あれを数千倍にしてお尻に十本の触手をつけた…いやあれ尻尾か。
あれがレッドランペイジの正体、どれだけ大きいのかと思ったらなるほど、薄っぺらいのか。しかしその面積は変わることなく島と同サイズ。上から眺めても分かるがブルーホールよりも明らかに大きい。
そんな巨大なアカエイが…レッドランペイジが、爛々とした黒い眼でブルーホールを眺めてるのだ。
これ、やばいかも。
…………………………………………………………
「おいおいおいおい!なんだよあれ!魔獣っていうかありゃ怪獣だろ!?」
「いやあれはもう…海神、海そのものだ…」
ブルーホールで眺める魔女の弟子達も思わず口をあんぐりと開ける。大きい…大き過ぎる、アレが二百年この海に居座り続けたオーバーAランクの大魔獣レッドランペイジ!?
「…おっきい、あれ…どうやって倒すの?」
思わずネレイドが口を開く。オーバーAランクの話は魔女様達から聞いている、現れれば数千数万の犠牲はほぼ確定、魔女大国最高戦力でさえ討伐出来ないどころか歯が立たず本来前線に出ない筈の魔女様が直々に討伐に乗り出さないと事態を収拾出来ない世界屈指の大災害。
それが今目の前にいるんだ、誰も彼もがその威容を見ただけで怯え竦んで動けなくなる。
『あ、アレが…波濤の赤影?』
『デカ過ぎる…島くらいあるんじゃないのか…』
『どうすれば…』
『終わりだ…』
海を生きる海賊達でさえ絶望に膝をつく程の威容、見ただけで正気を失いそうなのはよく分かる。だがそんなこと言ってる場合でもない、アイツは今…明らかにブルーホールを狙ってるんだ。
「マズイな、これ…アイツブルーホールを狙ってるよな」
「ああ、魔獣の習性に人が多い場所を狙う…というものがある。奴の視界にブルーホールが収められた時点でもうここは奴にとっての攻撃対象だ」
「ええ!?ど…どうすればいいんですか!?ヴェーラさん!」
「………………」
そんなナリアの声を聞いてヴェーラは押し黙る、どうすればいいか?そんなこと分かっていたら奴は二百年もの間この海にいない。そんな事誰だって分かってる、けどみんな聞きたいんだ。どうすればいいかを。
「っていうかさぁ!?そもそもさぁ!?レッドランペイジって二百年眠ってたんでしょ!?普通は人のいる場所に出てこないんでしょ!?なんで起きてるの!?なんでここにいるの!?」
「落ち着くんだデティ、まず…レッドランペイジは別に二百年間ずっと寝ているわけではない」
ヴェーラは手を開き冷や汗で塗れた自分の顔を拭く、まるで自分に落ち着くよう言い聞かせるように。そうでもしなければ泣き叫んでしまいそうな程に彼の姿は弱々しい。
「二百年間眠っているわけじゃない…?なら…何処にいたの…?」
「別に、普通にエンハンブレ諸島を遊泳している。普段は確かに海底にいるが時折海上に浮上して魔獣の本能として人を襲っているよ…」
「ならなんで、伝説なんて呼ばれて…」
「居ないからさ、生還者が…。奴に襲われて生き延びた人間は殆どいない、皆悉く船ごと沈められて殺されている。だから目撃者もいないんだ…」
出会って見つけた人間は誰も生きて帰ってきていない、だから伝説になってしまった。実在が危ぶまれるほどにレッドランペイジは自らを見つけた者を生きては返さない。
遭遇は即ち死を意味する災厄、それがアレなのだとヴェーラは語る。
「でもおかしい、レッドランペイジの遊泳ルートとブルーホールの回遊ルートは被らないはず…、なのになんで、いや今はそれどころじゃない」
「ああ、アレをなんとかしないと…俺たち纏めて終わりだぞ」
今、この場でレッドランペイジと戦えるのはエリスだけだ。他の魔女の弟子達は海上では戦えない、そりゃやりようはあるが…十全には戦えない。
エリスしか、今はレッドランペイジと互角に戦えないんだ。
…………………………………………………………
(アイツが魔獣を扇動してたのか、いや…あれは扇動じゃないな。純粋にレッドランペイジが怖くて逃げてるんだ、そして逃げる先に船があったから蹴散らして進もうとしただけ…)
魔獣の群れはレッドランペイジに従うそぶりを見せない。むしろ海面に浮上したレッドランペイジから逃げるように四方八方に進み、周囲の船に襲いかかっている。レッドランペイジを倒さない限り魔獣のパニックは収まらない。
逆に言えば、アイツさえ倒せば!
「…『旋風圏跳』!!」
奴を倒せばそれで終わる、故に風を纏い恐れることなく突っ込んでいく。しかし近づけば近づくほど奴の巨大さが際立ち目が回る。エリスは大きな敵と何度か戦ったことがある…が。
レッドランペイジの巨大さは別格だ、アインソフオウルや本性を現したヴィーランドなんかとは比べ物にならない。奴らはそれでも城と同じかそれ以下だった…けどこいつは違う。
エリス史上最大級のサイズを前に近づいてるのかそうではないのか、遠近感覚が麻痺しかけたその瞬間のことだった。
「ッッ!!」
敵意が、こちらに向けられたような気がした。今ようやくレッドランペイジはエリスの存在に気がついたのか。身を貫くような悍ましい敵意が全身を貫き脳天が痺れる。
視線を向けただけでこれか!!
『ォォォォォォオオ……』
「来るッ…!?」
そう本能的に呟いた瞬間、レッドランペイジの超巨大な十本の尻尾が振り払われた。
───当然の事を言うようだが、アカエイと言う魚には本来尻尾は一本しか付いていない、剰えこんな風に自由自在に操れるわけでもない。つまりこんな風に自由自在に操れるということは芯までしっかり筋肉が敷き詰められているということであり。それは即ち重さと速度を生むということであり……。
「ぐぅっ!?」
結果を言おう、直撃はしなかった。だが横を通り過ぎた際生まれた風圧にエリスの風が負けて吹き飛ばされたのだ。ただ十本あるうちの一本が真横を通り過ぎただけで古式魔術を上回る事象を発生させるなんてデタラメな話を前にエリスの勢いは削がれフラフラと空中を漂い…。
『ォォォオォ…』
その瞬間、レッドランペイジの頭上がペリペリと壁紙でも剥がれるように肉が剥げて…内側からウゾウゾと蠢く何かが現れ始めた。あれは…。
「エクスプローシヴレモラ!?」
驚愕の声と共に放たれるのはあの船一つ吹き飛ばす爆雷鮫…エクスプローシヴレモラだ。レッドランペイジは体内に大量の魔獣を飼っているようで皮を剥げばその中には夥しい量の海洋魔獣が跋扈していた。
自然界にも居る、体内にて小型の生物や細菌を意図的に飼育し自らの武器とする生命体が。原理はそれと同じだ、レッドランペイジはその圧倒的体躯の中に魔獣を搭載し武器としているのだ。凄まじい水圧の爆発と共に空中めがけ飛んでくるエクスプローシヴレモラ達…それはエリスを狙い。
「ぅぐっっ!!」
炎を吹いて爆発する。船一隻沈めて余りある爆裂が何度も何度も空中で花火のように輝くのだ。しかもそれが次々とレッドランペイジの中から放たれ連射される。あれじゃまるで迫撃砲…戦艦そのものを相手してるみたいだ!
「でも、大凡の動きはわかった…!」
レッドランペイジの武器はあの触手と体内の魔獣の射出…どちらも破壊力満点だがどうにもならないほどじゃない!行ける!
「ッッーーー『旋風圏跳』!」
『……………………』
さらにもう一段階ギアを上げるように再加速を行いレッドランペイジを目指す。
次々と射出されるエクスプローシヴレモラと同時にレッドランペイジの皺の隙間から顔を出したブラストフィッシュが水砲弾を連射し五月雨の如き弾幕を形成する。が…その隙間をジグザグとした軌道で飛び回り掻い潜る。
凄まじい物量攻撃…だけど!隙間はある!
「ここ!『煌王火雷招』ッ!」
雨のような攻勢の間に隙間を見つけ、そこに一気に体をねじ込むようにすっ飛び、海を変形させるほどの爆裂を秘めた拳をレッドランペイジの眉間へと叩きつける。レッドランペイジからしてみればエリスの拳なんてマチ針の先端にも満たないものだろう…だが。
炸裂する炎雷の光は怒号にも似た爆音を轟かせ、レッドランペイジどころか海全体に波を立たせるほどの衝撃波を作り出す。
「……ッ…!え!?」
しかし、…そう…しかしだ。爆煙が立ち退いたその先に見えたのは。
「無傷…!?」
傷一つないレッドランペイジの体表、…無傷?エリスの渾身の一撃を貰って。そんなバカな…これほどの防御力を持ってるわけが…。
ッ…!違う、今の感触、もしかしてこいつ──────。
「あ…!」
刹那、思考の隙間を突かれ。油断したエリスに向けレッドランペイジの塔のような触手が振るわれ全身に砕くような衝撃を感じながらこの身はいとも容易く吹き飛ばされ……。
……………………………………………………
「嘘だろ…!」
アマルトは戦慄とともに歯噛みする。今しがた見せられた光景を目の当たりにしてもまだ理解が出来ない。
「今、アイツエリスの魔術食らったよな!なんで無傷なんだよ!」
「ありえん、硬いなんてレベルじゃない…!」
レッドランペイジとエリスの戦いを見ていた一同は頭の何処かで『まぁエリスならなんとかする』と思い込んでいた。だが実際はどうだ?エリスの渾身の一撃を貰ったあの怪物エイはビクともしないどころか傷一つ負わずピンピンしてる。
剰え、反撃をエリスに加え。
「ッエリスちゃん!」
「エリスさん!」
「エリス!」
吹き飛ばされた、はるか遠方に居たはずのエリスが一瞬でブルーホールまで飛ばされてきて奥の店を数軒巻き添えに爆音をあげたのだ。たったの一撃でこの威力…!?
エリスの無事を確認するために弟子達が慌てて駆け寄ると…そこには。
「エリスちゃん!大丈夫!?ねぇ!」
「ガッ…はぁ…」
全身から血を流しぐったりと倒れるエリスの姿があった。辛うじて息はしているが…あのエリスが一撃でこれだ。
皆知っている、エリスの魔力防壁がどれだけ強靭であり、そもそもエリスという人間がどれだけタフかを。生半な攻撃では揺らぐこともせず立ち続ける彼女が今血を吐いて気絶を…。
「ッ…デティ…!」
「エリスちゃん!?」
「うぉっ!びっくりした」
かと思えば即座に目を見開き立ち上がり周囲を見回すエリスを見て皆驚く、いや立ち上がれる怪我ではないはずなのだが…そこはやはりエリスと言ったところか。
「大丈夫なの!?エリスちゃん!直ぐに治癒魔術かけるから大人しくしてて!?」
「…メグさん」
「なんですか、エリス様…!」
「直ぐにラグナの所に行ってラグナとジャックを連れてきてください、アイツを倒すには二人の力が必要です」
「エリス様……」
戦慄する、エリスが…救援を優先している。それは自分ではあの怪物が倒せない事をエリス自身が理解している事を意味している。事実として攻撃力防御力ともに普通の魔獣の域を逸脱した…謂わば魔獣の中の『魔女国家最高戦力級』の存在。
人間よりもずっと強力な魔獣にとっての最高戦力だ、その強さは魔女大国最高戦力よりも更に跳ね上がる。
そんな怪物を前にして、エリス様でさえ倒す事を諦めてしまうなんて…。
「分かりました!直ぐに呼んで参ります!」
「早めに…お願いし…ま、ガバァッ!」
「エリスちゃん!?」
「エリスさん!」
「ぐぅっ!ぅぐぅぅううう!体が…割れそう…!」
メグが走りだした瞬間、エリスがその場で血を吐いて痛み悶えて苦しみ始めたのだ。これは傷による痛みか?それとも…。
「ッ…これ、どういう事、エリスの傷が広がってる…!」
「ッ!デティ!君は治癒魔術を使えるか!?」
「つ、使えます!」
するとその様を見たヴェーラが慌てた様子でエリスの顔を見て冷や汗を流し始める。ネレイドが必死に呼びかけようとその体に触れようとすると…。
「やめろ!今のエリスに触るな!…レッドランペイジの尾には毒があるんだ、今のエリスはその身を毒に侵されている!触れば肉が爛れる!急いで解毒魔術を!」
「っ!分かった!」
毒だ、レッドランペイジの尾には毒があるんだ。そもそもアカエイという生き物がこの海において危険な魚として認知される所以こそ尾にある強烈極まる毒針だ。アレがアカエイ型の魔獣だとするなら奴の尾には更に強烈な毒針がビッシリと生えていてもおかしくはない。
一撃で人間を絶命に追いやる毒。それを受け傷口が広がっていくエリスを慌てて治癒するデティを見て…肝を冷やすのは他の弟子達だ。
「……あの野郎…」
苦々しくアマルトは海を見る、そこには今もレッドランペイジが鎮座し勝ち誇るように尾を振っている。
最悪の魔獣と名高きオーバーAランク、Aランクに毛が生えた程度かと思ったら文字通り次元が違う。
体内に無限の魔獣を飼い慣らし、高速で振るわれる十本の巨大な尾には即死級の毒、そしてエリスでさえ抜けない鉄壁の防御。他にも何が出来るか未知数な恐ろしさ…二百年誰も討伐出来なかったのが頷ける。
「どうすりゃいいんだ、あんなの…!」
自分たちにはエリスのように海上で戦う手段がない、なのにアイツは海の上を泳いで今もブルーホールを狙ってる。
明確なまでの絶望が…今、ブルーホールに迫りつつある。




