410.魔女の弟子と秘密島ブルーホール
其れの呼び名はいくつもある、『海賊市場』『海の王国』『海に浮かぶドーナツ』…様々な呼ばれ方をするが、一番有名かつ通りが良いのは『秘密島ブルーホール』だろう。
円形の船のど真ん中に開いた穴、その形を青い穴と称して呼ばれるこのブルーホールの成立は今から百五十年も前の事である。
元々マレウスの一角、港を不法に占領して開かれていた海上市場があった。当時は浮きの上に木材を並べてその上に簡素な小屋をいくつも並べた程度の簡易的な市場であり、主に海賊や船乗りが表沙汰に出来ない取引をするのに用いられていたのだが…。
ある日やってきた嵐によって港と市場を繋ぐ橋が壊れ市場ごと中の人間がみんな揃って海に流されてしまったのだ。
これは漂流生活の始まりだなと覚悟した市場の人間達は揃って海の上での生活を開始した、幸い品物は多くあるし市場を経営している人間の殆どが元…或いは現役の海賊だった事もありノウハウもある。
故に皆海で魚を釣ったり立ち寄った海賊と取引している間に、市場の人間達は思い始めた。
『これ、このままでも良くね?』と…。
普通に経営は上手くいってるし、食い物にも生活にも特に困ってない、寧ろマレウスの憲兵団に怯えたりする事もなく海の上で悠々自適と商売に専念できる状況は最高のものだったと言える。
それがブルーホールの始まりだ、そこから木材を買ったりしつつ増設を繰り返している間に乗組員が増え、その都度更に増設し海賊達に『絶対にバレない裏市場』として宣伝して回ってシェアを確たるものとして盤石にし。
そして百五十年。マレウスの海に集う世界中の海賊達を相手に物の売り買いを行う世界最大規模の海賊団にして海の王国が出来上がったと言うわけだ。
総面積はボヤージュの街を上回り、常に複数の海賊船が顧客として随伴する傍ら護衛を行っており、もし海賊でもなんでもない船が近くを通りかかりブルーホールの存在に気がついてしまったが最後。
取り敢えずチクられても困るのでお仲間に引き入れようとする…、実際船乗りがここで強制労働させられた場合大抵『居心地が良いからここに居させてくれ』と頼み込む場合が殆どで、それ故に一度見たら『生きて帰ってこられない』なんて噂も立つのだが…今は置いておこう。
そんなブルーホールはエンハンブレ諸島の複雑な海流に乗って常に島と島の間を流れるように移動している。何処かに停泊する事は基本的には無く、ここにたどり着くためには海賊同士のツテでルートや何処をいつ通るのかの情報を得るより他ない。
などいくつもの条件が重なりこの島は今も秘密島としてマレウス王宮に知られる事なくひっそりとこの海を我が物としている…と言うわけだ。
『船舶固定完了、もう降りても大丈夫だぞ』
「サンキュー」
そんなブルーホールへたどり着いたキングメルビレイ号とジャック海賊団は早速ブルーホールの外縁に船を停める。常に海流に流され続けるブルーホールに停泊するにはブルーホールと船を連結する必要があり、その固定作業が終わると共にブルーホール側から桟橋が掛けられる。
「さ、行くぜ?全員お小遣いは持ったな!」
『アイアイキャプテーン!』
「無駄遣いはすんなよー!?」
『アイアイキャプテーン!』
「よっしゃ!遊ぶぞー!」
『イェーイ!』
ブルーホールとの連結が終われば後は上陸するだけだ、どうやら今回は全員で行くらしく、全員が全員バッグやら私物を持って旅行のような装いで挑む…のだが。
「俺達も行っていいのか?ジャック」
「あ?」
ふと、ジャックに聞く。俺達…魔女の弟子も一緒に行って良いのかと。一応俺たち捕虜だし…と言いかけるが、直ぐにジャックは手をパタパタ振って。
「当たり前だろ、ブルーホールに来てまでそんな堅苦しい事言いっこなしだ」
「そ、そうなのか?でも一応ほら…周り海賊だらけだし、船に見張りとか必要ないか?」
「必要ない、ブルーホール絶対の掟…この島にいる限り海賊同士の略奪や抗争は絶対に禁止、破れば永久に出禁だ。マレウスで海賊やる以上ブルーホールに立ち寄れないのは生死に関わる。破るバカはいない、あのサミュエルだってここじゃ手出しはしてこなかった」
成る程、この島にはこの島なりの掟があるのか。破れば一生出入り禁止、海賊達にとってこの絶対安全の裏市場の存在は非常に大きい。それを無視してこの島が使えなくなったら今後海賊活動が出来なくなるかもしれないレベルなんだ。
そう思えば、確かにある意味この島は安全か。
「そう言うわけだ、ああでもラグナ…お前は俺について来い」
「え?なんで」
「俺は例の黄金像を売り払いに行く。序でにここの顔役とも挨拶をしたいし…お前も会っておけ」
「なんで俺が、いや…わかったよ。取りあえずみんなにそれを伝えてきてもいいかな」
「構わんよ」
さんきゅ!と軽く礼を言って他の海賊同様、島に上陸する支度を整えている魔女の弟子達の元へと向かう。いつもは暑いから水着にエプロンと言う色々倫理観の壊れた格好をしているエリス達も今はちゃんと服を着ている。と言っても俺たちが着ているような海賊服だが…。
特にエリスなんかは何故か海賊服にプラス拳銃とカトラスを装備し眼帯をつけて完全に海賊になりきっている。エリスの長所でもある『即座に場に染まる事が出来る柔軟性』が悪い方向に発揮されている気がする。
「みんな、みんなもブルーホールに行くか?」
「勿論ですよ、こんな面白そうな所に行かない方が損ってもんです」
「なんか面白そうなもんとかありそうだしな」
「僕も!僕も行きたいです!」
エリスは拳を掲げ、アマルトとナリアもなんだか呑気に構えている。まぁ遊びに行くんだしそれで良いか。
「私も…みんなが行くなら行く」
「マリナ料理長様からお小遣いも貰いましたし、軽く遊ぼうかと」
「私もー!珍しいお菓子とかあるかな〜」
ネレイドもデティも乗り気だ、メグもまた乗り気…と見せかけてこちらに軽く目配せをしてくれる。そうだ、ちょうど良い機会だ…もしかしたらピクシスと離れるチャンスがあるかもしれない。そこで時界門が使えるかどうかだけでも確かめてくれるようだ。
みんなブルーホールに対してワクワクしている様子だ…が、そんな中一人…怖い顔をしているのは。
「ここでマスターの像を売るのか…」
「メルクさん…」
メルクさんだ、すげぇ怖い顔をしてブルーホールを睨んでいる。まぁ彼女はどちらかというと海賊を糾す側の人間。今まではそこを割り切っていたが…師匠の像を売られるとなると流石に文句も言いたくなるか。
「まぁいい、奴等も黄金像なんて持っていても邪魔なだけだろう。直ぐに何処かに売りに出すはず…そこを私が買い付ければ、万事オーケーだ…うん」
「納得してくれてるならいいよ。みんなはブルーホールを楽しんできてくれ、俺はちょっとジャックとここの顔役に挨拶してくるよ」
「は?なんでお前がジャックと一緒に顔役に会いに行くんだよ」
アマルトの疑問は最もだ、だって俺も同じこと思ってるもん、だがジャックが必要だと言ったなら必要な事なんだろう。アイツはいつも無駄なことばかりして遊んでいるが…態々俺に『来い』と言ってまで必要としているのなら、きっと無駄なことはないはずだ。
「なんとなくだ、アイツが必要ってんなら必要なんだろ。だからブルーホールにはみんなだけで行ってくれ、いいな?」
「別にいいけど…」
「じゃそういうわけで」
何か言いたそうにする仲間達に向けて手を差し出し、別れの挨拶をすると共に再びジャックの元へと戻る。さぁ、ブルーホールへ出発だ。
…………………………………………………………
ラグナはこの島にジャックと共に上陸するらしい、という話だけを残して彼はエリス達の元を去った。なんでラグナがジャックと一緒に行かなきゃいけない理由はよく分からないが彼が必要と思うならそうなのだろう。
対するエリス達に何か出来ることはないか聞きたかったが、何も言ってこないということは何もないんだろう。エリス達も何か手伝いたかったが…こればかりは致し方ない。
なのでここは気分を一転、折角なので全力でこの秘密島ブルーホールを楽しむ事とした。中々来れる場所でもないし立ち入れる場所でもないし、貴重な経験であることに変わりはない。
エリス達の七人は桟橋を超えてブルーホールに上陸する…と、その瞬間。木組みの地面を踏んだ感覚にエリスは思わず声を上げる。
「あ、すごくしっかりしてる」
この島は島であって島でない、全てが木で編み込まれた一種の木造船、世界最大の船舶なのだ。足元の木から伝わる僅かな揺れは波の感覚…エリス達は今もなお船の上にいることが分かる。
けど、凄くしっかり作ってあるんだ。並大抵の事では沈まない、そんな力強さを感じる。これを作った人は凄いな…。
「しかし凄いな、本当に船の上に街があるぞ…さしもの私もスケールの大きさで負けた気分だ」
「お?メルクも船の上にゃ街を作った事ねぇ感じ?」
「無いな、そもそも管理も維持も大変だろう」
「そりゃそうか」
ブルーホールに降り立ったエリス達は揃ってその景色をこの目に映す。
一面に広がる木製の大地、海水に濡れ若干フジツボが張った頑丈な床の上に、様々な店が無秩序に乱立している。しっかり壁があり扉を開いている一見屋敷の店もあれば、突き立てた棒に布を被せただけの建物と呼べるかも怪しい代物もある。
規律が存在していないのか、全員が全員好きなところに店を構えているせいで道はグネグネと曲がっており、寧ろ道があると言うより店と店の間にスペースがあるなぁ…と言う具合で色々と密集したそこに海賊風味の男や女が色々と吟味して回っている。
見てくれはあれだがキチンとした市場であることは窺える。しかしこの海のど真ん中で店を見て回ったらあっという間に熱中症になりそうだと思っていると…。
なんと、この街には屋根があるんだ。丸型の街をすっぽり覆うような形の屋根は日を遮り雨を防ぐ、お陰で居心地は意外に良いように思える。
まぁそんな感じの街だからこそ、メルクさんも『スケールで負けた』と口にする。これほどの物を組み上げるのは一朝一夕では無理だ。何年も何十年もかけて増築に増築を繰り返し肥大化とも取れる成長を繰り返した結果が今のブルーホール。
…ここが、海賊達の楽園。
「やぁ、みんなはここに来るのは初めてだろう?よかったら僕が案内しようか?」
「え?あ、ヴェーラさん」
やぁと優男の青瓢箪でありながらジャック海賊団三大幹部の一人として荒くれ達の尊敬を集める風読士ヴェーラさんがエリス達の後ろからヌッと顔を見せると共にニッコリと微笑む。
…見張りのつもりか?とも思いもしたが、見張りのつもりなら別に案内しようかなどと口にせず遠巻きに見る方が効率が良いだろう。なら多分見張り半分善意半分といったところか。
ここで変に拒絶する方が怪しいと言うもの、別にエリス達はやましい事など無いのだから堂々としていれば良いのだ。
「助かります、ヴェーラさんはここによく来るんですか?」
「ジャックとは海賊団発足時から一緒だからね、海賊生活が長ければここにお世話になる回数も長いのさ。この街は変に入り組んでいる上街人も出歩いてるのも全員揃って海賊だからね、あんまり迂闊に歩くの危ないからね」
「そうなんですね、エリスは昔犯罪者だけの街とか行ったことあるので慣れてます」
「おや、そう言えば君は旅の経験があるんだったね。そう言う話も是非聞きたいなぁ…と言うかさ、僕もみんなとお話ししたいのに普段忙しすぎて全然お話しできないからさ、これを機に親睦を深めたいんだ」
「なるほど…」
チラリとデティを見るとコクリと頷く、どうやらこの言葉に嘘はないらしい。であるならばこちらも変に疑って妙な顔色を見せる方が失礼というものだ。
「分かりました、みんなもそれでいいですよね」
「構わんよ、ヴェーラ殿は他の荒くれと違って気品がある」
「失礼だぜメルク…、でも案内は欲しいかもな」
「よろしくお願いします!ヴェーラさん!」
「ああ、よろしくナリア君」
ヴェーラさんはエリス達の言葉を受けニコリと微笑み軽くお辞儀をしてくれる、確かにこの人は他の荒くれ者と違って穏やかで優しい雰囲気が漂っている。変に教養があるところがあるし…元は海賊ではなかったのかな。
「それじゃ、行こうか。案内するよ」
「ありがとうございます、ヴェーラさん」
そう言うなり彼は木製の杖を握ってエリス達を先導するようにブルーホールの街を歩く、その様子は意外に様になっており、幾ら穏健で優しげでも彼は一介の海賊なのだと改めて理解させられる。
「ねぇ、ヴェーラさん…」
「なんだい?えっと…君は、ネレイド君だったね」
「うん…一つ聞いてもいい?」
「何かな?」
すると早速ネレイドさんがその大きな歩幅でヴェーラさんに並ぶ、ちなみに今の彼女の格好はマリナさんが昔着ていた海賊服なのだとか。しかしそれでもサイズが全然足りないのでボタンを全開にした上で使わなくなったカーテンを巻きつけて凄いワイルドなスタイルを晒している。
「さっきから…ずっと周りの海賊達が見てくるけど、放っておいていいの?」
「ほう、よく気がつくね。さては君相当やるね?」
「えへへ」
ネレイドさんが気にしてるのは船に桟橋をかけてくれたブルーホールの乗組員達だ、いやそれだけじゃない、今エリス達がいるブルーホール外縁に屯するブルーホールの乗組員達がみんな物陰からエリス達を見ているんだ。
当然、エリスも気がついている、メルクさんも気がついている、魔力を感じ取ってデティも気がついている…気がついてないのはウキウキ気分のアマルトさんくらいだ。
…別に見てるだけなら文句はつけない、襲いかかってくるなら全員返り討ちにして海に沈めてやるつもりだが。
「大丈夫、警戒しないで、彼らは船渡しの役目を負った所謂用心棒さ。ブルーホールは海賊達の憩いの場であると共に海の富が集まる場所でもあるからね、たまに居るんだよね。ここを我が物にしてやろうと目論んだりここの富を狙って襲ってくる海賊が」
「えぇーっ!?ここ使えなくなったら海賊って凄く困るんでしょ!?そんな襲ってここが無くなっちゃったら困るのは襲った海賊も同じじゃないの?そんなバカなことする人いるの?」
「居るんだよ愛すべきおチビちゃん、バカじゃなきゃ海賊やらないからね」
「チビ言うなやッッ!!」
「だから彼等はそう言うやつらを追い払うために外縁に待機している。君達も新顔だから警戒されてるのさ…まぁ常連の僕が居るからすぐに警戒は解けるはずさ」
「なるほど、そうだったんですね」
よく見ればブルーホール外縁には凄まじい量の武装が搭載されている、大砲から魔力砲…防壁発生機構まで置いてある。きっと襲われても軽く捻るように海賊船を沈めてしまうだろう。
ブルーホールは動く国であり街であり、要塞でもあるんだ。
「ささ、それよりこっちこっち、繁華街を見て回ろうよ」
そう案内されるようにエリス達は雑多なブルーホールの街の中へと足を踏み入れる。すると…そこには。
『アホーイ!酒持ってこーい!』
『ギャハハハハハ!最高ー!』
『トツカの酒ってのは不思議な味だなぁ!』
大はしゃぎ、盛大に酒を飲みながら宴会を楽しむ海賊達が町の其処彼処にいる。後のことも先のことも考えずに酒を飲んで楽しむ為に、この街には大量に酒場があるんだろう。
他にも珍しい生き物を展示する見世物小屋や海賊同士が喧嘩をするための簡易的な闘技場っぽいものがあったり、もう見るからに楽しそうだ。
『はいはいはい!今日目玉!特製錨をご紹介だ!魔鉱石製のこの錨は何があっても壊れない!錆びない!朽ちない!整備要らずの特注品!今なら魔鉱石製の鎖もつけるよ!値は張るが一生モノだろ!』
『格のある海賊ってのは船室も彩るもんさ!というわけでここにエトワールの絵画があるよ!どれも海の雄大さを描いた逸品ばかり!早い者勝ちだよ!』
『オレンジ、ライム、リンゴは如何かね〜。新鮮なキャベツもレタスもあるよ〜、壊血病で死にたくなけりゃ買うんだね〜』
大盛況、半裸の男が手を叩いて客を引き、眼帯をつけた海賊が店主と交渉している。またあるところでは芸術品を売って金にしたりしっかりと商売が成立してる。海賊同士の商いだからもっと荒々しいもんかと思ったけど。…やっぱイメージだけで語るのは良くないね。
「騒がし〜…」
「ほう、意外に品揃えがいいな…」
「世界中の海から品物が揃うからね、扱う品物の幅広さなら陸のマーキュリーズギルド…だっけ?にも負けないと思うよ」
「む…!だが事実か、ここは本当になんでも売ってるようだ」
食料から芸術品、航海に必要な道具からあんまり必要ない道具、果ては珍しい動物まで売ってるんだからステラウルブスよりも良いかもしれない。あそこはどっちかというと娯楽品がメインだったしね。
「へぇ、珍しい物も売ってるんだなぁ。なぁメルク、お小遣いくれ」
「無い、今は引き出す方法がないからな」
「あ、そうだった…」
「ハーイハイハイ!そこ行くお兄さんお姉さん達〜?」
「あ?」
ふと、街中を歩くエリス達に客引きが声をかけ、反射的に振り向くと…ちょっと立ち止まってしまう。なんでかって?そりゃ…客引きの人が見たこともないような格好をしてからだ。
「貴方達新顔ネ?ならウチに寄ってくといいアルヨ」
「な、なんだこいつ…見たことない服装だけども」
「ほんとだ、珍しい…アルヨってなに」
そこに居たのはナマズみたいなヒョロっとしたヒゲを二本垂らした糸目のおじさんだ、特筆すべきはその格好、ディオスクロアでは見かけない緩やかな衣服…感じとしてはヤゴロウさんが着ているようなキモノに似てる気もするが、ちょっと違うよな…。
「おや?みんなは『リュウゾク人』を見るのは初めてかな?」
「リュウゾク…ですか?」
するとヴェーラさんが細くするように述べてくれる、リュウゾク人?リュウゾクなんて国聞いたこともないけど…見た目はトツカ人に似ているような。と首を傾げているとメルクさんがハッと口を開き。
「リュウゾクとはまさかあの東の超大国のリュウゾクか!?外文明の人間だろう!?」
外文明!?ってことはこのおじさんヤゴロウさんと同じ外の大陸から来た人なの!?通りで見たことない服装だと思った。
「言ったろ?ブルーホールは世界中の海から品物が来るって。当然、外文明の船乗りもやってくるのさ」
「まさか…外文明の品物もここでは扱ってるのか!?」
「ああ、トツカのカタナもブレトワルダの彫刻もリュウゾクの絶品料理の数々もね」
「なんと…まだマーキュリーズギルドでさえ達成していない外文明との交流を…こんなところで達成されているとは…」
愕然と項垂れるメルクさん、自分こそが世界の商業を牽引していると思っていたらこんな所で小さな店を開いている海賊達に先を越されていたというのだからそのショックは計り知れないだろう。
しかし、外文明か…エリスも行ったことが無いけど。外文明の人達はみんなキモノを着てるのかな?
「おじさんはリュウゾク人なんですか?トツカ人に似てますけど」
「そうヨ、遥か遠くの劉蜀から来たヨ、よく似てるけど十束とは別の国よ。とは言ってももう故郷には長いこと帰ってないけどネ。こうやって故郷の品物を取り寄せるくらいしかもう交流は無いけど、ここでは故郷の物ならなんでも売れるネ!劉蜀のみんなもここで商売すればいいのに!アハハハハ!」
「にしてもディオスクロア語が上手いですね、いやちょっと怪しい部分はありますが」
「そりゃここでやってくには言葉を覚えるのは当然ヨ、死ぬ気で勉強したネ。ああ…でも最近じゃ故郷でもディオスクロア語が流行ってるらしいネ?詳しくは知らないけど」
「え?そうなんですか?」
ディオスクロア語はこのディオスクロア文明圏の中でなら何処でも通じる言語だ、代わりにその外となると全く通じない筈なのに…今は外文明でもディオスクロア語が流行ってるのか?
すると、エリスの裾をちょいちょいと引っ張るデティが手招きをする。それに合わせてエリスも彼女の口元に耳を近づけると。
「覚えてない?今外文明でも魔術が広まり始めてるって」
「言ってましたね、けど今それとなんの関係が?」
「詠唱はディオスクロア語だよ」
「あ!」
そうか!何の気なしに使ってたけど詠唱は確かに全部ディオスクロア語だ、他でも無い魔術を作ったシリウスがディオスクロア人だったから。だから魔術を使うにはディオスクロア語の履修が必須!そうか…魔術が広まってるってことはディオスクロア語も広まってるって事なのか。
しかし、となると魔術を広めたのはディオスクロア人ということになる。この文明から誰かが向こうに渡ってシリウスみたいに魔術を広めて回ってるのかな。
「そんなことよりウチの商品見てってヨ!今ウチの国では魔力を使わない機械が流行っててネ!今日はそれを持ってきたヨ!是非見てってネ!」
「ほう、魔力を使わない機構…それも外文明の?是非とも興味がある、見せてはくれまいか?店主殿」
リュウゾク人の店主の宣伝文句に興味を惹かれるのはメルクさんだ、技術大国の盟主として積極的に様々な技術を取り込みたいのだろう。それにエリスも外文明の技術には興味がありますしね。是非見たいですと揃って店主に頼むと。
「おお!いい食いつきネ!それじゃあ是非見てってよ!これが祖国で開発されたっていう一品モノの絡繰…その名も」
そう言って近くに置いてあった布をバッ!と取り払うとそこには────。
「これが!劉蜀の絡繰人形『囮クン』ヨ!」
「………………」
そこには、なんか…すごい気持ち悪い等身大の人形が居た。素っ裸で虚ろな目をして歯茎を剥き出しにした角刈りの人形が…。
えぇ、なにこれ…キモい…。
「ここにあるネジを回すと、魔力無しでも動くのヨ。ほら」
そう言いながら背中のネジをぐるぐると回すの人形はまるで意識を取り戻したように動き出し、『ギェギェギェ』と気色の悪い声を上げながら手をバタバタ動かし始めたのだ。その様はさながら人間そのもの。な訳がない、どう見てももうすぐ死ぬ鳥とか寿命を迎える寸前の虫みたいな動きだ。
端的に言おう、キモい。
『ギェギェギェ』
「店主…あの、これは…」
「ふふふふ、言わなくてもわかるヨ、キモいと思ってるネ」
「自覚はあるのな」
「でもこいつの機能はそれだけじゃないヨ!」
『ギェギェギェ』
「取り敢えずそいつ黙らせてもらえるか?」
「まぁまぁ、ねぇそこのお嬢チャン?」
そう言いながら店主が指差すのはナリアさんだ、お嬢ちゃんと言われて一瞬混乱するが…まぁこの中で一番お嬢さんなのはナリアさんだし仕方ないだろう。
「僕ですか?」
「そう、僕ヨ。取り敢えずこの人形のお腹殴ってもらえる?」
「え?いいんですか?」
「いいヨいいヨ?思いっきりネ」
ここを殴れとギタギタ動く人形のお腹を指さされ、ナリアさんは数秒悩む。いくらキモいとはいえ人間そっくりの動いている人形を殴るのには流石に躊躇う。あるいは触りたくないくらい気味悪いかのどっちかだ。
しかし、言われた以上やらねばならぬとナリアさんはラグナの真似をして構えを取ると。
「てりゃー!!」
ポコっと音を立てて人形の鳩尾に一撃入れる。そのへっぽこパンチに一瞬揺れた人形は…何かのスイッチが入ったのか、ギョッ!と音を立てて口を開いたかと思えば…。
『ギェギェギェ…ゲハァッ!?』
「ぎゃぁぁぁあああ!?!?血を吐いたぁぁぁぁ!?!?」
吐血したのだ、口から真っ黒な液体を吐き出し吐血するように口を開いて…って!
「なんですかこれぇっ!?」
「これが囮クンヨ、人間みたいに動いて傷つけられると血を吐く仕組みヨ、中に本物の血を溜め込む機構が入ってるのヨ」
「これ以上なくきもい!」
「これを使えば敵を欺くことも出来るヨ!今なら銀貨二枚!」
「怪しいまでに安い!?」
「正直これ邪魔だから貰って欲しいヨ、仕入れたの後悔してる、キモいし」
「在庫処分をさせるな…」
なるほど、つまりこれはオルゴールと同じ原理。中に歯車が仕込まれててネジを動かすと共に中でそれらが動き手を駆動させる、腹を叩かれると圧力で中の袋が潰れて血が出てくる。
気持ち悪いがかなり手の込んだ絡繰だ、技術力も大したもの。師匠は外文明はあんまり進んでないとは言っていたが…、師匠が知ってるのは一千年前の外文明だ。今どうなってるかまでは分からないな。
「これじゃなくてもいいヨ、ウチは雑貨屋だからネ。ああそうだ!本とか買うかナ?まぁ言語違うから読めないだろうけど」
「そんなもの買ってどうするんだ…」
「そんな事言わないで、ディオスクロアの人達魔女好きでしょ?魔女の本もあるよアルヨ」
「なんだと?外文明にも魔女の本が?是非見てみたいが」
「これヨ」
そう言って店主が続いて出したのは…紫色の不気味な本だ。その表紙には何故か箒に乗って空を飛ぶ悪い顔の女が書き込まれてる。なんだそれ…。
「この表紙の女が…まさか」
「魔女ヨ、まぁウチの大陸で伝わってる魔女だけどネ」
「何故箒に乗ってるんだ…」
「さぁ?そういうもんだからとしか」
外文明の魔女は箒に乗って空を飛ぶのか…、まさか本当にそういう魔女がいるのか?いやいや、居たとしたらこの人ももっと言うだろうし。純粋にそう言う伝承があるだけなのだろうが…。
全然違うよ、魔女は箒に乗らないというか、箒に跨る人はエリス達の大陸では奇人とか変人とか呼ばれると思う。
「外文明の魔女はディオスクロアの魔女とは別物なのさ」
「へ?そうなんですか?ヴェーラさん」
「ああ、この箒に跨る魔女の伝承の発祥は外文明のレストガルズ王国近辺だと聞いている。レストガルズ語をディオスクロア語に翻訳した時…一番当てはまる言語が『魔女』ってだけだよ。翻訳による誤差みたいなものだね、だからこっちの魔女とは完全に無関係さ」
「へぇ〜」
なるほど、あまり慣れない話ではあるが二つの言語の間で擦れた時生まれた摩擦が『言葉の捉え方の齟齬』ということか。いくら翻訳が上手に出来ても場所によって言葉の捉え方は変わってくる。面白い話だ…面白い話だが。
「この本、要りません」
「えぇ!?じゃあ他に何か欲しいものは?絶対に物を貫く矛とか絶対に矛を弾く盾とかあるヨ」
「胡散臭い…、もっと真っ当なのが欲しいです」
「じゃあ売るもの無いヨ、ウチは胡散臭いのしか売ってないから」
「自分で言いますか…」
「ヴェーラ殿、もう先に行こう。ここで話を聞いていたら頭が痛くなってくる」
「そうかい?僕は面白いけどなあ」
外文明の話を聞けたのは面白いけど、面白いだけで欲しいとは思えない。文字通り彼の店に売ってある物は胡散臭いものしかなくこれを買って帰ろう物ならなんか怒られそうな気さえする物しか無い。
ならばウインドウショッピングに留めておく方が健全だろう、それにまだまだ面白そうなものがたくさん売ってるみたいだし、エリスはそれらも見てみたい。外文明の品物も揃う市場…他では味わえない感覚が味わえそうだ。
………………………………………………………………
エリス達や海賊達がショッピングを楽しんでいる一方、別行動しているラグナとジャックは…。
「お前すげぇな、そんなデカい黄金像を一人で抱えられるって」
「お前が持たせてんだろうが」
フォーマルハウト様を象った黄金像を一人で軽々と抱えたラグナとそれを見て凄い凄いと手を叩くジャックの二人は、海賊達の市場の最奥に存在するとある館を目指して歩いていた。
ジャック曰く、この市場を取り仕切る顔役との挨拶に向かうそうだ。ということはそこに見える立派な館はその顔役の物なのだろうが…。
「ってかジャック、お前平気なのか?」
「あ?何が?」
「いや、陸地に上がったら凄い酔い方してたし…見た感じ酔ってないのか?」
「何言ってんだよオイ、ここは一応船の上だろ?」
「あ、そっか」
一歩踏み出せばギシギシ鳴る木の床を見てここが改めて船の上である事を思い出す。さっき見た感じ外縁にも相当な武装を抱えていたし、これもある種の海賊船…ということになるんだろうな。
「さてラグナ、俺たちは今からここの顔役に挨拶に行くわけだが…、相手方のトップと会談する時必要な事って何か分かるか?」
「ナメられねぇ事だろ、お前こそ俺をナメんなよ」
「だはははは、心配いらなかったか。なら行こうか」
しかしなんなんだ?最近のこいつは。まるで先生ぶるようにあれやこれやと…、俺の師匠はアルクトゥルス師範だけなんだよ。何か教えようってんなら余計なお世話なんだが。
なんて心の中で舌打ちしてると、館の扉を前にした瞬間…漂うような殺意を感じ足を止めて。
「待てや、顔見りゃ分かるだろ」
ジャックが扉を前に待てよと手を掲げる。見れば館の前の柱の陰に二人…男が銃を構えて俺達のこめかみに突きつけていた。見張りか?いや守衛か。用心深い事で。
「……何の用だ」
「アマロに会いに来た以外あるかよ、久し振りに来たから顔を見にな。あと前に来た時約束してた物を取りに来た…それ以外に何か言う必要があるか?下っ端ども」
「……通れ」
「言われなくてもな、行くぜラグナ」
アマロに会いに来たとジャックがサメのような眼光で睨めば見張り達はやや臆した様子で銃を引き道を開ける。それを肩を竦めながら見過ごす俺はジャックと共に館の扉を前にする。
今の守衛、中々の腕前だった。殺意が発露する瞬間まで俺が気がつけないレベルで隠密に長けていた辺りを見ると相当な手練れなんだろう。そのレベルが番犬がわりに二匹とはな…。恐らく顔役というのはアマロという人物なのだろうが、そいつもまた。
「アマロってのも海賊なのか?」
「ああ、それも俺よりもずっと前からこの海でブルーホールを仕切ってる大先輩だ、俺が名を挙げる前はアマロこそがマレウスの海の王…なんて呼ばれてた程さ」
「へぇ、ってことは恨まれてるんじゃ無いのか?お前のせいで王座から陥落したんだろ?そのアマロさんってのは」
「アマロはそんな小さい男じゃねぇよ、さっきのはアマロ流の挨拶さ。今のでビビる奴とはアマロは会わない、寧ろ銃口突きつけられて笑ってられる奴としかアマロは酒を飲みたく無いのさ」
鉄火場で生きる男の価値観だな、このブルーホールという巨大な海賊団を率いる男ならば相応の器を秘めているのだろう。銃を突きつけられても笑ってられるか…だから直前に俺にナメられないようビビるなって言ったのか?だとしたら要らない心配だったな。
そんな話をしつつ、ジャックは目の前の館の扉を開く、このブルーホールが海賊船でアマロがそのトップなら、さながらここは船長室…ってことになるのかな。
「入るぜ、アマロ」
そう、挨拶をしながら扉を開けば…中に見えるのは。
一言で言うなら、光だ。
「おお」
俺はアルクカースの国王としてそれなりの財貨は見てきた、黄金なんてしょっちゅう見てるしアルクカースの国庫だってすげぇもんだよ。けど…今の目の前に入ってきた光には思わずため息が出ちまった。
木製の館、陸にもあるような普通の館、戸棚が置いてあってカーペットが敷かれていて…普通の館だ、但し違う点が一つあるなら、其処彼処に黄金が配置されまくっている事だろうか。
「ここまで来れば、悪趣味も芸術の域だろ?」
まるで自慢するように大量の黄金の飾りが置かれまくってる、黄金の像 黄金の額縁に黄金の絵画、それらが全てが燦然とした輝きを放っている。何故か?配置がいいんだ…光源の。
黄金の燭台があちこちに置かれているんだが、この配置がなんとも絶妙。入り口から見た時必ず反射した光が目に入るようにしてあるから輝きが増して見えるんだ。
金そのものの価値ではなく、金そのものの素朴な美しさの演出。金まみれなのに悪趣味さをまるで感じないのはこの黄金を配置した人物の神経質とも呼べる程の繊細な気遣いが滲み出ているからだろう。
「すげぇな、アマロさんってのは金が好きなのか?」
「金が嫌いな海賊がいるならお目にかかってみたいもんだな、男の子はみんな赤と金と黒が大好きなのさ」
「まぁ、否定はしないけど」
俺もそれ系の色は好きだから私服はそう言う色合いだけどさ…。けどここまで金まみれにはしないよ、メルクさんじゃ無いんだから。
「おぉーい、アマロー!俺が来てやったぜー!」
ヘヘッと笑うと共に黄金だらけの部屋の中を歩き、奥の扉を開く…恐らくこの館で一番広い部屋だろうそこへ向かえば。返ってくる、返事が。
『ヒッヒッヒッ、久し振りじゃないのよさ…何しにきたよ』
まるで金属の筒の中で喋ったかのような低い声に通る声、それが扉の奥から聞こえる。声の正体を探るように扉を開けば…またも入ってくる金の光、そして…。
奥にまるでこの世の欲を体現したような光景が広がる。
「何しに来たってひでぇな、友達だろ?俺たちさぁ」
「ヒッヒッヒッ、お前から会いに来るのが珍しいって話じゃないのよさ、ジャックちゃんよぉ」
黄金のソファに横になる男の周りには、裸同然みたいな格好で酒を注いだり果物を食べさせたりと甲斐甲斐しく世話をする美女が全部で十五人。周りには大量の酒が羅列しており、そのどれもが俺でも知ってるような超高級酒ばかり。
金と美女と酒に囲まれたある種の夢のような生活を送るその男は、金縁のサングラスを輝かせモジャモジャの髭に金の飾りを巻きつけ、黒い海賊服を着込んだ肥満体型の大男が一人…ニッと笑えば隙間から見える金歯がキラリと輝く。
「あ?珍しいのを連れてんな…新顔かい?」
「ああ、…紹介するぜラグナ、この欲と夢に生きる豚みたいな男が、アマロ。ブルーホール船長のアマロ・プハゲールだ」
「ヒッヒッヒッ、お前も酷い言い様じゃないのよさ。誰が豚だよジャックちゃん」
アマロ…この男がブルーホールの船長、でっぷりと太った体と確かに下劣とも思える生活をしているものの、ボタンの閉められていない服の間から見える胸元や腹に刻まれた数多の傷とサングラスの奥で額から顎まで走る大きな傷跡がこの男がただの強欲を極めただけの男じゃないことを証明している。
何より気迫がすげぇな、そこらの小国の王なんかとは比べものにならねぇ覇気だ。なるほど、ブルーホールは海賊船でもあり王国でもある、ならば王としての風格を備えていて当然か。
「で?そこの赤毛は?」
「俺はラグナだ、まぁ…色々あってジャックの船に乗ってる」
「フゥン、赤毛に…ラグナねぇ、ヒッヒッヒッ!こりゃあまた!色々探ったら面倒そうなのを連れてるじゃねぇのよさ!」
「ああ、探ってくれるなよアマロ。ラグナは俺の大切な船員なんだからな」
そう言いながらアマロは手を叩いて笑いながらのそりと起き上がり、手で美女達に離れるよう促し。ジャックもまた向かいのソファに座り込む…俺も座っていいのかな、いいや、座っちゃえ。
「フゥ、でよ?ジャック…お前が来たってことは、それくれるのかい?」
「おう、翡翠島で見つけたお宝だ、欲しいと思ってな」
「うぅ〜ん、目も冴えるような美女だが…翡翠島か、ってことはそりゃフォーマルハウトを模した像だな?俺以上に黄金を持ち黄金を飾る黄金の美女…手元に置けりゃこれ以上ない幸せだが、ちょいと縁起が悪いかもな」
「あ?なんで」
「古の黄金海賊を殺した魔女だろ?今の黄金海賊は俺じゃないのよさ、下手に手元に置いたら呪い殺されそうだわ!ヒッヒッヒッ!まぁもらうけどな」
「じゃ、商談成立でいいよな」
「ああ、いつも通り幾ばくかの金銭と…用意出来るだけの食料でいいよな?オマケでここに置いてある酒も好きなだけ持ってけよ、ヒッヒッヒッ!」
「ん、さんきゅ」
あっという間に商談が成立してしまった、もう二人の中ではこれがいつも通りになるくらいには付き合いがあるってことか。ジャックも豪胆な男だが…アマロもまた剛毅だな、だが黄金の像を手に入れるためなら金に糸目をつけないあたりこいつの金好きも相当なもんだ。
「それでアマロ…実はさ」
「ああ待て待て、その話の前にほら、久し振りに会ったんだから酒くらい飲めよ。好きだろ?酒」
「…………」
ん?なんだ?さっきまで二人とも和気藹々とも言えるくらいには良好な会話をしていたのに、急に雰囲気が変わった。特にジャック…変に剣呑だぞ。
アマロはそんなジャックに酒を振る舞うといい、よく磨かれた黄金の盃を美女に持って来させ、鮮やかな紫の葡萄酒を中に注ぐ。一応俺にも振舞われるけど…俺は酒を戒めてんだよなぁ。
「俺とお前の仲も、長いよなぁジャック」
「…俺が新米の頃からの付き合いだな」
「ヒッヒッヒッ!まだ俺が元気モリモリで海の王者やってる時に…お前だけが俺に楯突いた、今まで負けなしだったこの俺に…勝ちやがったチビが、デカくなったもんだ」
そういいながらアマロは顔に走る傷跡をゆっくりと指でなぞる。まさかあの傷ジャックがつけた傷なのか?…そう言えばジャックは海に出てしばらくしてから海洋魔術を手に入れたって言ってたな。
ってことはだ、まだ小さい頃はその海洋魔術が使えない身でありながら海の王者だったアマロに喧嘩を売って勝っちまったってことか?すげぇなジャック。
「あの頃のお前はまだ痩せてたよな、昔はもっとムキムキでマレウスの海最強の海賊!なんて名乗ってたのによぉ、お前に勝ったのは俺の武勇伝の一つなんだぜ?なのにそんなブクブク太りやがって」
「ヒッヒッヒッ!仕方ねぇじゃないのよさ!テメェに半殺しにされて療養生活してる時に、寝転がりながら飲む酒の旨さに気がついちまったんだからよぉ」
「だっはっはっはっ!そりゃ悪いことをしたぜ!」
「ヒッヒッヒッ!海賊なんだから悪いことしてなんぼじゃないのよさ!」
笑う、剛毅に笑う、二人で笑いながら酒を飲み干し、即座に注がれる酒をまた飲み干す。大海賊二人の会談は思っていたよりもずっと円満で、ここだけ見れば場末の酒屋のような…。
「なぁ、ジャック…思い、…思い直せねぇか」
刹那、まるで切り替わるようにアマロが低い声で、酒を仰ぎながらジャックに問いかける。思い直せと。
…さっきから異様だ、この二人の間に走る緊張感は。ジャックはここに来る前にアマロから物を取りに来たと言っていた。それは黄金像の報酬ではない別の何かなのかもしれない。そして…きっとアマロはそれを渡したくないのか。
あるいは、また別の理由か。
「俺は一度言ったことは、自分じゃ曲げられねぇんだわ。悪いなアマロ」
「そうは言うがよ、…お前が俺に憧れていたと言うように、今の海の王者であるお前に憧れる海賊はこの世にごまんといる。お前の船員だけじゃない、お前を夢にしてる奴もいるんだ…夢を誰よりも追いかけるお前なら、分かるだろ、ジャック」
「…………」
ジャックは答えない、アマロの問いかけに答えない。ただ静かに酒を飲み干し…強くテーブルに打ち付けるように盃を叩きつけると。
「くどいぜ…アマロ」
「ッ……!」
───爆ぜるような、気迫の瀑布に部屋は飲まれ。静かに囁いただけなのに鐘でもなったかのような衝撃が部屋中に響き渡り。美女達の顔から一気に血の気が引き、アマロの頬に冷や汗が伝い、俺もまた…安穏な面持ちでは居られなくなる。
何をそんなにムキになってるんだジャック、らしくもない。
「確かに俺は夢こそが最も尊ぶべきものだと思っている。誰かの夢は笑わないし夢を叶える為に動くヤツこそ最高だと思っているよ。だがなアマロよく聞けよ、俺は誰かの夢の為に動くことはない。その夢はそいつだけの物だ、夢とはそいつ個人で完結する物だ」
「だから、他の奴らが何を思おうが関係ないと…テメェの所の船員達の夢も、関係ねぇってか!」
「無い、うちの船員はみんな夢を持ってる…けど、その為に俺が何かをしてやることも何かをやめることもない、夢はそいつ一人の身で叶えなきゃ意味がないからな」
「そりゃ行き過ぎた放任だぜジャック、無責任だ」
「海賊に責任を問うなよ、アマロ」
夢、ヨーク先輩は言った…ジャック船長は人の夢を笑わないと。それはジャックなりの『夢』と言うものに哲学を持っているからだ。でも…笑わないし応援はするが、ジャックは夢はその当人だけのものであり他人が手を貸す必要も何かをしてやる必要もないと言う。
それはある意味正論であり、ある意味…非情とも言えるだろう。ジャックは自分と他人の夢を切り分けて考えているんだ。異様なまでに。
…おかしいぜジャック、お前さっきから。お前もっと…気持ちのいい男じゃなかったのか。
「いいから出せよアマロ、話を引き延ばして何がしたいか分からないが。俺がここに来た時点でもう決まった話だろ。それとも…奪って欲しいか?俺に」
「…やめろよジャック、悲しいこと言うな。分かってるよ…ほれ」
そう言うなりアマロは懐に隠してあった紙筒を取り出す。あの感じは…宝の地図、かな。あれを渡したくなかったのか?
「約束の地図だ、これに…『お前の夢の在り処』がある」
「ん、サンキューアマロ。感謝するぜ」
夢の在り処?ジャックの夢は確か…巨絶海テトラヴィブロスの奥にあると言われる海の秘宝アウルゲルミル。だよな、それを示す地図?そんなものあるわけがない、だってあそこは今まで行って帰ってきた人間なんて一人もいないんだから。
そんな事ジャックだって分かってるだろうに。なんなんだ、話の全容が見えてこない。もっと外様の俺にも分かるように色々説明してほしい。
そう俺が混乱している間にアマロが差し出した地図を手に取ろうとしたジャックの手が、空を切る。
差し出した地図をアマロが直前で引っ込めたんだ。まるでイタズラのようなその行いをしながらアマロは。
「なあ、ジャック…やっぱり」
「はぁ〜、なんだよ直前にイタズラか?本当にお前は、だははははは!」
笑う、笑う、ジャックは大いに笑いながら…。
懐の銃を抜いてアマロに突きつけた。
「なっ…!?」
「アマロ、この件でイタズラや冗談は御法度だって…分からないお前じゃないよな。あんまりくどいと沈めるぞ。ブルーホールごとテメェを」
笑っていた、さっきまで確かに笑っていた筈だ。その直前には二人で和気藹々と話していただろう、付き合いが長いと思い出話もしていただろう。なのにこんな…いきなり銃突きつけて。
何考えてんだ、テメェは!
「おい!ジャック!」
その瞬間俺の手は動いていた、ジャックの銃を掴み上げ銃口をアマロから逸らさせる為に。二人は友達なのにこんなの間違ってるよ!とか銃を突きつけたらダメだ!とか…ンな事が言いてえんじゃねぇよ、俺は。
「ジャック、テメェさっきからおかしいぜ。余裕のカケラも見当たらない、剰え激情して先に銃を抜く?…それがテメェの海賊論か」
「…ナメられたらダメだって言ったよな、ラグナ。手ェ離せや」
「今のお前は三下のチンピラみたいだよジャック、冗談くらい笑って流せ、器が小さく見えるぞ」
こいつがらしくない事をしてるのが許せないんだ。俺が認めたお前はこんな小さな男だったのか?海洋最強の男と呼ばれたお前はこんな簡単な事でキレて銃抜くのか?そんなのお前じゃないだろ、頭冷やせ。
「……お前が言いたいことも分かるよラグナ、けどこれは俺にとって大切な話なんだ」
「なら、…落ち着け」
「落ち着いてるよ、…いや悪い。冷静じゃなかったな、分かったよ、後でちゃんと説明はするから…一旦手を離せ、痛い」
「あ、悪い」
おっと、俺までムキになってちょっと力加減を間違えてたか。危うくジャックの手を握り潰す所だった。危ない危ない…。
俺が手を離すと、ジャックは手を引っ込め…再びアマロに地図を寄越せと手を差し出す。
「アマロ、分かってくれ」
「……ああ、そうだな」
アマロも少し悩んだが、直ぐに決断しジャックに地図を渡す。その地図をジャックは確認することもなく直ぐに懐に納めて目を伏せる。
「そりゃあ俺が総力を挙げて探し出した地図だ。正しいかは分からん、だが…その島に行けば何か見つかる筈だ」
「感謝する、アマロ…お前と飲むの、楽しかったぜ」
「…………」
ジャックは冷静になった…と言えるかは分からない。でも夢を何よりも尊ぶジャックだからこそ己の夢に対して見境がなくなる…というのは少し分かるのかもしれない。
けど、ジャック…お前は何を求めてるんだ。そこまでしてテトラヴィブロスに行きたいのか?というか、なんでアマロはそこまで頑なにジャックを止めたいんだ。
まるで、このまま行かせたら…ジャックは生きて帰ってこないみたいじゃないか。確かにテトラヴィブロスへの挑戦は果てしないものだ、けどジャックは無謀な男じゃない。そもそもジャックの夢はテトラヴィブロスから生きて帰ってくることでもある。
なら、そんな心配しなくとも…そういう算段が立つまでは…、いや、まさか…それ以前の問題なのか。
ジャックがやろうとしていることは、それ以前の─────。
…………………………………………
「急げ!ブルーホールが行っちまう!」
ブルーホールからかけ離れた海のど真ん中、慌てて船を走らせる海賊船が一つ。青い絨毯を引き裂くように波を立てて航海を続ける。
はためく海賊旗がバタバタと音を立てて向かう先はブルーホール。今は円卓島の近くに居るはずのそれを目指して進む海賊達はやや焦っているようにも見える。
円卓島周辺は海流の中継地点ということもあり波が比較的穏やかなのだ。だが翻って言えばそこを越えれば海流は鋭さを増す。
早い海流に乗ったブルーホールとを追いかけるのは少々面倒だ。出来るなら円卓島近くで合流したいと考えた海賊達は慌てて船を走らせているんだ。
「くそ、こんなに時間がかかるとは思わなかった」
「船長、風読士が倒れました!」
「何!?連日動かし過ぎたか…くそ、面倒な。もうすぐ円卓島なのに」
そう歯噛みする船長は船員の報告を聞き舌を打つ。もうすぐ円卓島だ、このまま真っ直ぐ進めばもうすぐ見えてくる。そんな距離にいるはずなのに…そう悔しがっていると。
ふと、異変に気がつく。
「なんだ、波の様子がおかしい…」
揺れたんだ、グラリと揺れる海底に思わずバランスを崩す海賊達。こんな高い波が起こるなんておかしいと慌てて海の方を見ると。
「なんじゃこりゃ!?なんでこんなに大量の魔獣が!?」
「ひぃぃ!?なんだこれ!?」
下に夥しい量の魔獣がいたんだ。そいつらが海の中で暴れ狂いバシャバシャと海面を揺らしている…こんな大量の魔獣が出るなんてどう考えてもおかしい。
群れを成しているのはどれも大型の魔獣ばかり、こんなのが群れを成すなんて聞いたこともない。
「なにが、起こって…ッ!?」
「船長!魔獣の群れの奥に何かいます!」
船長の脳裏に過ぎる、可能性。魔獣は時に強大な存在に率いられることがあるという話を。しかし小型の魔獣が大型の魔獣に率いられる事はあっても、大型の魔獣を率いることが出来る魔獣なんてのはいない。
もし居るとしたら、大型を超える…超大型の魔獣でもなければ。
「まさか、実在したのか…厄災の赤影。レッドランペイジ…!?」
伝説の大魔獣レッドランペイジ…二百年間このマレウスの海に存在し続けたというあの大怪物が、今そこに居るのか。
時折起こると言われる不自然な船の消失、それは回遊するレッドランペイジの仕業という話もある…けど。
「影が…赤い、影が…!」
ぬるりと浮かび上がる、船の下にいる…レッドランペイジが。大型の海賊船を遥かに上回る巨体、島の如き巨大なシルエットは一瞬にして海を赤く染める。こんな大きな魔獣見たこともない…というか。
ヤバい…ヤバいぞ、今レッドランペイジはこの船の下にいる。それも十分ヤバいが…この船は今円卓島に、ブルーホールに向かってるんだぞ。
それと並走しているということは、まさか!
「レッドランペイジは、今…ブルーホールに…向かっているのか!?」
刹那、その言葉に答えるように…海が吠える。
『オォォォオオオオォォォォォ…………』
誰もが己の終わりを悟るような唸り声、まるで角笛を洞窟の中で鳴らしたような果てしない声が海の底から響き渡り…。
その瞬間、まるで道端の小石を蹴飛ばして退けるように…水底から飛んできた槍のような触手が一撃で船底を引き裂き爆裂させた。
「ぎゃぁぁぁあああああ!?!?」
まるで雲にも届くかと思えるほどの巨大な赤い触手を畝らせるレッドランペイジは、既に獲物を見つけたとばかりに進み続ける。
海賊達の楽園を目指して、今もなお進み続ける。
「これで、海賊達もおしまいね…ザマァないわ」
そんな様を遠巻きに見つめる影は、海面から浮かび上がり顔を出す。金色の髪を持った少女はこの海洋のど真ん中にありながら溺れることもなく海賊達の終焉を予見し、静かに笑い。
「馬鹿なことを考えた罰よ、全員死になさい」
その言葉だけを残し、海の中に消える。足の代わりに生える尾びれを輝かせ…。
人魚は、笑う。