402.魔女の弟子と海の魔物レモラ
───俺達がこの海賊船に乗って、早くも一週間の時が経った。
「おーい、新入りー、仕事終わったか〜?」
「はーい」
相変わらず俺達は毎日のように甲板磨きをさせられている。元々何かを教えられることに関しては慣れているからか三人とも直ぐに要領良く覚えヨークの指導もなくなりこれが日常として定着し、あんまり言いたくは無いが俺達もこの船に馴染み初めてきたと言える。
「お、もう終わったのか。流石仕事が早いな」
「ははは…、まぁ毎日やってたら流石にね」
「いやいや、他の新入りは大体船一つ磨き上げるのにバテちまうってのに…すげぇタフだなお前ら」
海賊達が物珍しさから俺達に寄ってくる、どうやらこの海賊船での俺達の評判は上々らしい、そもそもエリス達が最近食堂で重宝され有能だと有名になっているからか俺達もまた評価されているようだ。
「なぁなぁナリアちゃん!またあれ見せてくれよ!歌!」
「え?いいですよ!仕事もひと段落しましたし!」
「やったー!」
「俺演劇なんか見たことなかったけど、いいもんなんだなぁ!」
特にナリアは好かれている、海賊達の前で歌や踊り、演劇を披露して人気を博している。海賊達は基本的に『芸術作品』を『売れる品物』程度にしか思っていない者が多い、そんな中芸術作品本来の美しさを見せつけるナリアという存在は海賊達にとって新鮮らしく毎日のように囲まれて歓声を受けている。
あとは…。
「あ、アマルト君。いやアマルト先生!今日も勉強教えてください!」
「は?いやなんで…」
「船長よく言ってたんだ、海賊として上手くやってくにはキョーヨーってのが必要だって、でも俺小さい頃から泥棒とかしかやった事がなくて…勉強なんかしてこなかったから」
「俺も俺も!字も計算も出来ねぇ、流石にもうちょっと頭いいほうがいいし…」
「やだよ面倒臭い、大体なんでお前らおじさんに…ああわかったよ!ンな顔すんな!」
「よっしゃー!」
アマルトもまたいつのまにか馴染んでいる、そもそも出来る事が多い彼は海賊達からも人気だ。海賊達の間で開かれてるギャンブル大会でも大勝ちして一躍スター扱いだ。
何より、教養がなく賊に身を落とすしか無かった者が多いこの海賊船において彼のような教養ある者もまた珍しい、故にああして人気なんだろう…。
かくいう俺は。
「あ!ラグナさん!こっち手伝ってくれませんか!」
「ん?いいぞ、どうした?」
「帆縄を引くのを手伝って欲しくて」
「ん、任せろ」
絶賛肉体労働で重用されている。海の上での生活は基本的に肉体労働がメインだ、特に腕力が必要とされる場面が多いが故に俺も活躍出来る場面が多い。まぁ俺なら十人単位でやらなきゃいけないような仕事も一人で出来るしな。
そんなこんなで俺達は各々この船で立ち位置というものを得始めて来た。
「よっと!」
「流石ラグナさんだ、すげぇ怪力っすね、俺達より体小さいのに」
「まぁ、一応アルクカースの出なんで」
「アルクカースの!?そりゃあまた…」
パンパンッと手を叩きながら周りを見る、一応俺たちがやらなきゃいけない仕事は終わらせた、ここからは自由時間…ってわけにはいかない、自分の仕事が終わったら別の仕事を手伝ったり或いは新たに仕事が降ったりするのがいつもの事だ。
なので暇になることはないのだが…今のうちに何か出来ることはないかな。
(結局、メグが時界門を使えない理由ってのが分からなかったしな)
俺達はこの船で居場所を得る事ができたが、必要な調べ物は一つとして進んでいない。というかそもそもここの船員達に『なんでメグは時界門を使えないんですか?』なんて聞いたっても分からないしな。メグ自身にもなんで使えないのか分からない訳だし。
…そう思うと、今の俺に出来ることって…殆どないな。何かを今やらなきゃいけないってことは何もない。メグの件に関してだって調べようもないし三幹部の実力が〜とかジャックの力が〜とか色々調べなきゃいけないことを絞り出したけど。
…俺の冷静な部分が囁く…『それ、そんなに重要なことか?』ってな。漠然とした焦燥感に駆られてやらなければならない事を作り出している、そんな気が最近するんだ。
「はぁ、どうすっかな…」
「ん?ラグナさん手持ち無沙汰でなんか仕事探してます?」
「え?いやそういうわけじゃ…んー、ああ、仕事探してる」
俺の呟きを何か勘違いしたのか目の前の海賊は快く仕事を回してくれるようだ、別に今やらなきゃいけない事がないのならここは真面目に働いておくか。
「それじゃあピクシスさんに話を聞くといいかもしれませんよ、多分…『そろそろ』なので」
「そろそろ?何が?」
「まぁ行けばわかりますよ、今の時間は多分雑貨倉庫にいると思うので」
アイツ虫嫌いなくせにいつも倉庫にいるな…、ってか俺アイツ苦手なんだよなぁ、なんか凄い物の言い方がキツイっていうか…まぁ別にいいんだけどさ。
「おーい、アマルトー!ナリアー!まだ仕事があるみたいだ〜」
「ん?そうなのか?あいよー、ってわけで勉強はまた今度な!取り敢えずそこに置いてある計算でも解いとけ」
「はーい!今いきまーす!」
木の板に問題文を書き記し海賊達に渡したアマルトとみんなに愛想よく挨拶をしてこちらに向かってくるナリア、二人を連れてピクシスがいるという雑貨倉庫へと向かう。
「で?仕事って何さ?」
「分からん、けど『そろそろ』らしい」
「そろそろ?なにがそろそろなんですか?」
「行けば分かるそうだ」
「なんじゃそら」
キョトンとする二人を連れて雑貨倉庫室へと向かう、エリスじゃないが一週間も生きていれば船の間取りも大体記憶出来る、故に迷う事なく船の中に入りピクシスがいるという雑貨倉庫を前にし、その扉に手をかけた瞬間。
「おっと」
「おお、失礼?悪いな」
先に倉庫の扉が内側から開けられ何人もの海賊がゾロゾロと倉庫の中から出て来るんだ、しかも全員その手には釣竿…そういや雑貨倉庫にあんな釣竿置いてあったな。
「なんだなんだ?釣竿持って列作って…」
「もしかして仕事って…」
「ん?お前達は…ラグナにアマルト、ナリアか。お前達まで来たのか」
すると、手に紙の束を持ったピクシスが倉庫の中からコツコツと靴音を鳴らして現れる。最初の頃程敵意は感じないが、やはり言い方がちょっとキツイ…まぁ多分これは元々のものなんだろうというのも最近わかってきた。
「仕事があるってんで来ました〜」
「ん、いい心がけだ。この件には人手はあればあるだけいいからな…お前達にも頼もうか、釣りを」
そう言いながらピクシスは倉庫の中から俺達のサイズに合わせた釣竿を取り出し、押し付けるように渡して来る…、いやいやもう少し説明してくれよ。釣り?なんで釣りを。
「釣り?もしかして魚釣るのか?」
「それ以外なにを釣るんだ」
「いや、もしかして…船の食糧事情がかなり悪いのか?」
「そういうわけじゃない、だが魚が豊富に取れる海域に入ったからな。これからの航海に少しでも余裕を持たせたいんだ。本来なら問題なく帰って来られる分の食糧はあったが…いきなり八人も食い扶持が増えたんでな、食料事情は悪いわけでは無いが不安なのでな」
「そりゃ…すんません」
「別にいい、船長が良いといったんだしな。だが魚は釣れる時に釣って食糧を節約したほうがいい、釣った魚はお前達で自由に食べていいぞ?お前ら料理上手いんだろ?船長が自慢してたよ」
「俺達というかアマルトがだが…、なぁほんとに俺たちで釣った魚は俺たちで食ってもいいんだな?」
「あ、ああ。そうだが…」
「鯨とか釣ってもか?」
「はっ、釣れるもんなら釣ってみろ」
よし、文句を言うわけじゃないがここ最近の食事はちょっと質素だったしな、たくさん釣ればそれだけ大量に食べれるってことだろ?エリスやメグやアマルトの料理を、ふふふ。今からヨダレが出てきたぜ…!
「よーし!アマルト!この船沈める勢いで釣るぞ!」
「いやそれはいいんだけどさ、釣り餌は?まさか針だけで釣れってんじゃないよな」
「釣り餌なんかあるわけないだろ、針だけで釣れ」
「はぁ!?釣れるわけねぇだろ…、あ!そこの箱を動かしたらフナムシとか出て来るかな」
「やめろっ!!」
フナムシという言葉を聞いた瞬間やっぱり天井に張り付いてしまうピクシスを見上げつつ思う。こいつまさか釣り餌になる虫が嫌だから針だけで釣りさせようとしてんじゃねぇだろうな…。
はぁ、でもしょうがない。無い物強請りしても出てこないもんは出てこないんだ。
それよりも時間が惜しい、今すぐ釣りに行こう。そんでもって一匹でも多く釣って今日は焼き魚パーティーだ。
「アマルト、それよりも早く釣りしよう釣り、いっぱい釣ったら料理してくれ」
「お前すげー乗り気だな…わーったよ」
「よーし!釣るぞー!」
………………………………………………
と、意気込んで倉庫から走って甲板に出たはいいものの…。
「釣れん!」
釣れない、そりゃそうよ、針だけじゃ釣れないのは以前川釣りした時になんとなく察した。俺とナリアとアマルトで甲板の一角を占領して釣り糸を垂らしているんだけど…もうかれこれ一時間近くかかってるのに、俺は一匹も釣れない、ナリアも一匹も釣れない。
「ナリア、海釣りの経験は?」
「ありません、ラグナさんは?」
「むかーし、エリス達とコルスコルピの海に行った時に少しだけ。まぁそん時も一匹も釣れなかったけど…」
流石のナリアも海釣りの経験はないか。くぅ…甘かったかな、釣竿一つあれば魚なんか取り放題だと思ってたんだけど。
今頃鯨とか鮫とか釣り上げてアマルトに飯を作ってもらってる計算だったんだが…。
「ええい釣れん、なんかイライラしてきた」
「僕もです、なんか魔術陣でいい感じに出来ませんかね…」
「俺も付与魔術で…って無理か」
……そういや、昔師範が言ってたな。いや釣りのアドバイスじゃないんだけど…。
海の上を走る修行をアルクカースでしていた時の事だ、あの人は俺にバカみたいな修行をさせてる最中に魚を釣り上げて一人で焼いて食べてたんだ。
その時…。
『釣りってのはいいよな、武に通ずる物がある』
そう言ってた、その時は『釣りなんかしてないで俺の修行見ろよ…』って思ってたもんだからあんまり真面目に聞いてなかったが…、師範が武に通ずると言えば武に通ずるのだろう。
ということは、どういうことか。
「………………………」
「どうしたんですか?ラグナさん」
「いや、ちょっと試したいことがあって」
武に通ずる…ならば釣りは魚を回収する作業ではなく、魚と俺のタイマン…ってことだ。そう思えば無闇に苛立つ己の愚かしさにも気がつく。
戦いの中で、怒りを覚える事は愚の骨頂。如何なる時もクールに冴えて何事も最適解を目指すことこそ闘争の本質。
冷静に、狡猾に。利口に、残忍に。静かに釣り糸を揺らさず趨勢を見極め己の領域に誘い込む。手の届く範囲に相手が迂闊にも入ってきたら…あとはそう。
───仕留めるだけ。
「ッここだぁっ!!!」
引き上げる、釣竿を振り上げ一気に海から糸を引き抜き…釣り糸の先にぶら下がるそれを見て俺は…。
「釣り針だけ…またハズレか」
「凄い上手くいく雰囲気出してめっちゃ失敗しましたね」
「うるせー!」
おかしいな、これが武ならば今ので仕留められてた筈なのに。やっぱり武と釣りは違うじゃんかよ師範。それともなんか足りないもんがあるのか?いやあるな。確実に釣り餌が足りてない。
「やっぱり釣り餌なしじゃ無理だよ…」
「おうおう新入り、まだオケラかよ」
「あん?」
すると何やら上機嫌なヒゲもじゃの海賊がからかうように俺達に歩み寄り…って!
「うぉっ!すげー魚釣ってる…」
男はその手にバケツを持ち、溢れんばかりの魚がバケツの中から顔を覗かせてる。有り体に言うなれば大漁、そんなバカな。俺は一匹も釣れてないのに。
よく見れば周りの海賊達も確実に十匹近く釣っており、一匹も釣れてないのは俺たちだけだ。そんなバカな、釣る場所だって大して変わってないのになんで俺達だけダメでこいつらだけこんなに連れて…。
「そんなバカな、俺はいくらやっても釣れなかったのに」
「やり方がダメなんじゃねぇの?」
「釣りにやり方も何もないだろ、第一釣り餌もなしになんてどうやっても」
「あははははは!いくら仕事が出来るって言っても初心者だな。釣り餌がなくてもやり方はあるよ、例えばほら…」
そう言いながら海賊は自分の釣竿…いや釣り針を見せてくれる、その釣り針には餌は付いていないが代わりに…。
「赤い布が巻いてある…?」
「ああ、これは疑似餌って言ってな。魚はあんまり目が良くないからこれを釣り針にくくりつけて揺らしてるだけでエビかなんかと勘違いして寄ってくるんだ」
「へぇ〜!」
「すごーい、僕そんなの思いつきもしませんでした」
疑似餌か…確かに薄目で見れば赤い布は海老のように見えなくもない。なるほど魚はあんまり目が良くないのか。まぁ海の中じゃ匂いも何もないからな…、そういうのでも騙せるのか。
しかし赤いのか、俺の髪十本くらい抜いたら疑似餌になるかな。
「これを食堂に持って行ってエリスちゃんに料理してもらうんだ〜」
「俺も俺も!マリナの姉御みたいなガサツなのと違ってエリスちゃんはいつもニコニコしてて清楚で可愛いよなぁ」
「マジでウチの船の女神だよな!どんな事があっても怒らないし、優しいし」
「は?」
「こ、怖い顔すんなよ…別に手は出さないから…」
こいつらエリスに料理させようってのか?させてたまるか、エリスの料理は俺のモンなんだなよ…とはいうが、空っぽのバケツなんかエリスには見せられないし…くぅ!髪だろうがなんだろうが引きちぎって魚釣りまくってやる!
「エリスさんはそんなに優しい人じゃないですよ、可愛らしい人ですが…」
「何言ってんだかナリア君は、それじゃ俺達は先に食堂行ってるぜ!せいぜい頑張りな新入り君!」
「うっせぇやい、…クソ!直ぐにでも釣り上げてエリスのところに行かないと」
「目的変わってません?にしても僕達も疑似餌を用意した方がいいんですかね、アマルトさん」
と、ナリアがさっきから黙ってるアマルトに声をかけると…。
「ん?ああ悪い、話聞いてなかったわ。魚釣ってて」
「え?ええ!?アマルトさんめちゃくちゃ釣ってませんか!?」
「なんだって!?あ!ホントだ!いつの間にこんなに大漁に…」
気がつけばアマルトの足元にあるバケツには大量の魚が山のように折り重なっており、俺達がぼやいている間に山程釣っていたようだ…いやおかしいだろ!俺たちあんなに釣れなかったのに!
「なんでこんなに…」
「ん?ああ、これ使った」
そう言いながらアマルトは腰にぶら下げた袋から何かを摘んで取り出し…ってこれ。
「フナムシ?」
フナムシだ、ピクシスが死ぬほど怖がってるアレがカサカサと袋の中から取り出される。というかよく見てみると袋の中には山程のフナムシが込められており…。
こいつ、ピクシスへの嫌がらせの為にフナムシを集めるとか言ってたけど…マジでやったのかよ。
「掃除の最中見つけたフナムシはこうやって集めてんだ、そいつを針にぶっ刺して餌代わりにしたんだよ。なんかやたら居るんだよなフナムシ…船のどっかで繁殖してんじゃねぇかな」
「ピクシスへの嫌がらせの為に集めたのか?…マジで集めてたのかよ」
「いやそれもあるけどさ、なんかに使えるかなって。事実こうして釣り餌に使えたし、なんでも集めておくモンだな!あはは!」
「ってかそんないいモン持ってるなら俺達にも分けてくれよ!」
「えー、やだー、これ俺が集めたやつだし」
ケチんぼだな!?いやまぁ元々こういう所がある奴ではあるが!釣れない俺たちを横目に自分だけ釣り餌使ってたのかよ!
…仕方ない、こうなったら奥の手を使うか。
「アマルトさぁん…」
「別に俺が釣ってもお前らに料理として振る舞えるし、結果オーライじゃね?」
「それはそれとして僕達も魚釣りたいですよー!」
「そうか?じゃあ一匹使うか?」
「わーい!アマルトさん大好きー!」
「ほれ、ラグナも…」
「……いや、俺はいい」
「え?」
いい、別に意地を張ってるわけじゃない。今からアマルトと同じくらい釣り上げようと思うと時間がかかりすぎる。俺はエリスに恥じないくらい大量の魚が欲しいんだ。それも今直ぐ…こんなわがままを通す方法なんて一つしかないだろ。
……以前、デルフィーノ村でも結局魚が釣れなくて、最終的にこの手を使ったんだ。釣り糸垂らすよりずっと確実な方法を。
「俺、今から海に潜ってでっかい魚取ってくる」
「ええ!?マジかよ…」
「ああ、ここまで来たらなんか負けられねー!」
これは純粋な負けず嫌いだ、海賊もアマルトも大量に魚を取ってるのに俺だけ一匹二匹じゃ格好がつかないしな。だから服を脱いで船の縁に足をかけ眼下の海を見やる。このくらいなら行って戻ってくるくらいは出来そうだ。
「じゃあ行ってくるわ」
「まぁお前なら大丈夫か、せっかくならでっかいの持って来いよ」
「ラグナさん僕の分もお願いします!」
「任せろ…よっと!」
クルリと空中で一回転してそのまま青い海へと飛び込めば、日光の暑さが瞬時に消え、泡と共に全身を冷気が舐める。冷たいというより涼しい…。
(よし、魚取ろうか!)
船の下に並ぶように泳ぎながら魚を探す。しかし…下を見れば海の底が見えない。俺達は本当に大海原のど真ん中にいるんだな…と再度確認しつつ、周囲を見回すが。
(ちっちゃい魚しかいないな…)
俺の探すような大物の姿はどこにもない、魚群がワラワラと泳いでいるだけだ…しかも速い。あれに追いついて捕まえようとすると結構難しいな。俺が全力で泳いだらどデカイ波が起こって船がひっくり返りそうだしな。
どっかに動きが遅くて捕まえやすい大物でもいないかな。
(鮫とか鯨とかいないかな…、いないか)
うーん、目ぼしい魚はいないな、むしろ俺に怯えてどんどん魚が散っていく。これじゃ何も捕まえられず浮上することになる、勇んで海に飛び込んでやっぱりダメでしたはそれこそ格好悪いだろ…せめてなんか捕まえないと。
そう思いいい感じの魚を探していると。
(ん?なんだあの魚、見たことない魚だな…それも大量にいる)
ある箇所に、大量の魚が群れを作っているのが見える。しかもそれなりに大きくて動きも遅い。あれなら簡単に捕まえられそうだな…取り敢えずアイツを全部回収していくか。
そう考え俺は脱いだ上着を網代わりにして『そこ』にいる見たことのない魚をひょいひょいと捕まえ…。一気に浮上…、そのまま海を突き抜け飛び上がり。
「よっと、ただいま」
「もう戻ってきた…、なんか捕まえられたか?」
「おう、なんか船の底にいっぱいいたから十匹くらい捕まえてきたぜ!ほら!」
甲板に着陸すると共に、そう言いながら俺は網代わりの上着をひっくり返し、船の底に大量にいたそれを甲板の上にぶちまける。それを見たナリアはギョッと顔を青くし。
「なんですかこれ!?見たことない魚ですけど!」
「面白い魚だよな、頭に吸盤がついててそれで船の底にくっついてたんだ」
見たことない魚は小さく細長い鮫のような姿をしており、何より面白いのは頭に吸盤がついているんだ。こんな魚見たこともない、もしかしたら新種かな…。
「これ、なんですか?」
「分からん、けど鮫に似てるし鮫だろ」
「そんな曖昧な…」
「これは…」
すると、アマルトはその吸盤のついた小さな鮫を一匹手に持ちジロジロとみると…。
「こりゃコバンザメだな」
そういうのだ、流石は学校の先生、見ただけでわかるなんて博識だな…。
「コバンザメ?って事は鮫ですか?」
「いや、サメなんて名前だが実際は鮫じゃなくてスズキとかの仲間だな。近縁とかでもなく全く関係のないただの魚だ、ただ名前つけたやつがラグナみたいにニュアンスでつけただけ」
「なぁんだ、鮫に似てるから鮫かと思ったのに…ただの魚か」
「こいつらは自分よりも大きな物や魚にくっついて、そいつが溢す物や捨てた物とかを食って掃除してくれる便利な奴らさ、多分船を大きな魚か何かと勘違いしてくっついてたんだろ」
「へぇ、卑しい奴らだな」
「言い方…」
でっかいやつにくっついてお零れをもらおうって奴は人間にもいるが、どうやらそういうコスい奴は海の中にもいるらしい。案外陸も海もあんまり変わらんのかもしれないな。
「でもこれ食べられるんですか?ちょっと気持ち悪いですけど…」
「それに市場でも見かけないよな、取ってきておいてなんだが食べれるのか?」
「美味いぞ、『釣り上げた漁師がそのあまりの美味しさに船の上で全部食べちゃうから市場には出回らない』…なーんて噂があるくらいには美味い、らしい。食ったことないけど」
「ほほう!美味いのか!」
なるほど!漁師が全部食っちまうから売りに出されないってことか!そこは盲点だったな!確かに漁師だって美味い魚が釣れたらそりゃあ食いたくもなる。利益と天秤にかけてなお食う方を取るとは、余程美味いんだろうな。今から楽しみだなぁ。
「よし!アマルト!早速これを料理してくれ!」
そう、俺がいうとアマルトはギョッと顔色を変えながら俺を見て。震える口元を手で押さえ…。
「え?これ食うのか?」
「へ?ダメなの?」
「いや、ダメってことはないけどさ、だってこれ…」
「まさか毒があるのか!?」
「いや毒はない、コバンザメが毒を持つってのは聞いたこともないし、食ってる人間もいる」
「じゃあ食えるだろ?」
「いやまぁそうなんだけど…」
何やらアマルトの歯切れが悪い、食えるには食える、けど食うのは抵抗がある。そんな顔だ…確かに気持ちの悪い魚だがそんなに美味いならこの際見た目なんてどうでもいいだろう。タコとかだって気色悪い見た目してるけど食う奴もいるし、料理しちゃえばそんなの気にならないし。
「僕も食べてみたいです、アマルトさん」
「うーん…まぁ、死にはしないしいいか」
「そんなに!?なんか変な事が起こるのか!?食ったら腹壊すとか」
「腹は…壊さないと思うけどさ、少なくとも俺は食いたくねぇな」
「ええ…」
「どうする?食うか?」
「食べたいんだけど…」
「ん、じゃあシチューにでもするか」
「でもせめて何が問題か聞かせてくれよ!」
「どうせ食いたいなら、聞かぬが花ってやつさ」
そう言いながらアマルトは自分の釣った魚とコバンザメを抱えて食堂へと向かう。何やら気になる物の言い方だったが…。
「なぁ、ナリア…お前も食うか?」
「え、えっと…気になりますけど、美味しいらしいので食べたいです。それに毒があったり悪いことが起きる物をアマルトさんが食べさせるとも思えないので」
「だよな、アマルトが大丈夫って言うのなら…大丈夫、だよな?」
なんか不安だ…。何があるんだ…。
…………………………………………………………
「おーっす!失礼するぜー!厨房借りてもいいよな!マリナ!」
そして俺達はワイワイガヤガヤと釣り上げた魚で一杯やる海賊達が犇めく食堂へと乗り込み、そのままアマルトは魚とコバンザメを抱えたまま厨房へと向かう。
すると、周りの海賊達が俺達を見つけ。
「おう!どうだい新入り君!魚は釣れたか?」
「ああ、海に潜ってあれを取ってきたよ」
「あれ?」
そう言いながら厨房へと乗り込むアマルトの抱えるコバンザメを見て海賊達はほほうて口を開け。
「レモラか、確かに船底に一杯くっついてるもんな」
「レモラ?コバンザメだろ?」
「船乗り達はみんなあれをレモラって呼ぶのさ、まぁ古い言い方だがな。手漕ぎのガレー船の船底に大量にくっつくと何百人がかりで漕いでも船が進まなくなるそうだ、それを海の魔物レモラの所為!ってそんな言い伝えがあるのさ」
「そんな厄介な奴なのか…」
「厄介だな、港に上がった時は船底のレモラを引き剥がす仕事があるくらいだし、ってかお前ら…まさかあれ食うのか?」
「…食うけど」
そういうと海賊達は皆顔を見合わせ表情を歪める、またこの反応だ…何がダメなんだ?そう問いかける前に海賊が身を乗り出し。
「なぁ、バカにしたのは悪かったよ。釣りに慣れてないお前を焚きつけた俺達が悪かった。だからな?レモラ食うなんてやめとけ、魚なら俺達の分けてやるから」
「そんなに!?憐憫されるくらいの魚なのか!?」
「いやそういうわけじゃないんだがな?実際美味いし」
「美味いならいいじゃないか!」
「でもあれ食うの船長くらいだぜ?あの人くらい色々気にしない人間くらいしか食えねぇよ…」
ジャックは食べてるのか?じゃあよくね?気にすることがあるなら憚られるが気にしなければただの美味い魚だろう。
「じゃあいいよ、俺も気にしないし」
「そうか?…まぁ、それならいいけどよ…でもごめんな?俺達は気にするからテーブルじゃ食わないでくれ、食うならカウンターの方で頼む」
「元々そのつもりさ、行こうぜナリア」
「はい、…えっと…コバンザメって評判が悪いんですね」
「ああ、いまいち分からないな」
もしかしたら船乗りの間に食べると縁起の悪い物として伝わっているのかもしれないと考えたが、それじゃあ漁師が船の上で食べることも無い。問題になりそうなことは何もないが…。
そう気にしながらカウンターにつくと。
「あ、ラグナ、お帰りなさい」
「ああ、ただいまエリス」
エリスが出迎えてくれる。エプロンを着ながら仕事片手間に微笑む俺の天使は今日も可愛い。…そうだ、エリスなら何か知ってるかな。
「なぁエリス、コバンザメって知ってるか?」
「え?ええ知ってますけど…」
「それって食べたらダメなやつか?」
「んん?そんなことないと思いますよ、二年くらい前に漁船に乗せて貰った時…漁師の人が大きな魚のお腹に着いたレモラを…コバンザメをご馳走してくれましたがとても美味しかったですし、みんなも食べてましたが…」
「食ってたのか…」
「ラグナも食べるんですか?」
「ああ、船底に一杯くっついてたから」
「へぇ、エリスも見てみたいです」
ますます分からない、食べてる人間は確かにいるのになんでみんなそんな反応をするのか。それにエリスも美味しかったっていうのなら味の方は確かなはずだ。分からない…分からないことは気にしない、とはいうが。流石にみんなあんな反応をしてるとなぁ。
「なんだ?どうした?エリス」
「あ、メルクさん実はラグナがこれからコバンザメを食べるらしくって、船底にいっぱいくっついてたのを取ってきたらしいです」
「何!?コバンザメを!?食べるのか!?」
するとやってきたメルクさんもギョッと顔色を変える。まただ、なんだ…なんなんだ。
「へ?ダメなんですか?」
「いやダメってわけじゃないが、だって奴らは…」
「おーい、出来たぜ〜?コバンザメのシチューだ」
「あ、アマルトさん」
するともうシチューが出来たのか、皿に盛られた芳しい白のスープを覗き込むと。コバンザメの肉と思われるそれらが浮いている。うん…普通に美味しそうだ。
「速いな、もう出来たのか?」
「まぁな、ちょくちょく余った材料で料理しててさ。昨日もシチューの仕込みしてからそいつにぶっこんだだけだ、時間があればもっといいもん作ってやれるぜ」
「おお、これが…」
見た感じ普通のシチューだ、匂いも悪くない、あんなに嫌われる理由が分からない。美味しそうじゃないか。
「普通に美味しそうじゃないか」
「美味しそうじゃなくて実際うまいと思うぜ?俺作ったんだし」
「そりゃそうだ、じゃあ頂くよ」
「いただきまーす!」
一瞬、『本当に食うのか…』と目を見開くメルクさんの顔が目に入るが、正直なことを言うと俺はこのコバンザメに如何なる曰くがあろうとも多分食べることを躊躇しないと思う。
美味い物は美味い、そこに貴賎はなくただ味のみを求めれば如何なる食材でも食べる。美味ければ虫だって食うよ俺は。だから別に意地を張ってるわけではなく、そもそもどの道食べるつもりだったから躊躇しないだけだ。
そして一つ口コバンザメを口に入れれば。
「ん!美味い!」
「思ったよりも、脂っこいんですね」
意外に美味い、コリコリして味も濃いし俺は結構好きな味わいだな。これだけ美味いならいくらでも食べられそうだ、というかこんなに美味しい上に船底についてるならみんなで取りまくれば食料には困らないだろうに…。
細かいことを気にしすぎてるのかもしれない、みんなは。
「美味いか?」
「美味いよ、流石アマルトだ」
「へへへ、そりゃあな?まぁな?へへへへ」
「アマルトも食べるか?」
「いや、俺はいいや」
頑なに食わないな…マジなんかあるのか?こんなに美味しいのに。
「じゃあエリスが貰いましょうかね、コバンザメはとっても美味しいですから」
「あ!いや!エリス!君は料理長から仕事を頼まれていたんじゃなかったかな!?」
「え?ええ頼まれてますけど」
「なるべく早くやったほうがいい、さぁ行け!」
「は、はあ…分かりました、ではラグナ、また後で」
食べようとしたエリスもまたメルクさんの手によって阻止され何処ぞへと仕事に行ってしまう、手をパタパタ振って厨房の奥にエリスが消える頃には既に俺の皿は空になっている。
…うん、美味しかったし、もっと食べたいな。
「アマルト!おかわり!」
「あいよ!」
なんだか気になることは多くあったけど、それでも食べてよかったと思えるくらいには美味かった、漁師が船の上で食べてしまうという噂も強ち嘘じゃなさそうだ。
けど、それを見るメルクさんのなんだが居た堪れない目は…ちょっと不思議だったな。
………………………………………………
「はぁ〜、腹一杯。結局全部食っちまった」
そして食堂で食事を終えた俺は腹を叩きながら外に出る。アマルトはちょっと厨房の手伝いをし釣り上げた魚を燻製にして保存食にしている、ナリアはそのままさっきの海賊達に食堂で劇を披露している。つまり俺だけが暇な状態だ…これから何をしようかな。
「…しかし、なんだったんだ?」
結局、みんながコバンザメに対して向けていたあの視線の正体は分からなかった。あの後海賊達に聞いたら物凄い同情するような目で『いや、食ったなら逆に聞かないほうがいい』と肩を叩かれたし。何か思うところがあるなら教えてくれてもいいと思うんだが…。
まぁいいや、知らぬ方が良いというのなら知らぬままでいよう。寧ろ俺はコバンザメが非常に気に入った、なんなら夜もまた食べたいと思うくらいには気に入った、なので。
「また取りに行こうかな」
もう一度コバンザメを取りに海に潜ろうかな、まだ結構な数いたし、更に二十匹くらいとっても問題ないだろう。海賊船にとっては厄介者みたいだし誰も困らないだろうし。
そう上着のボタンを外しながら海へ潜ろうと歩き出した瞬間。
「おっと!退いてくんな!」
「え?うわっ!?」
目の前をなにかが走り抜け思わずたたらを踏む、見てみれば何かバケツを両手に抱えた海賊が慌てており…、何やらバケツの中から悪臭が漂う。なんだ?
「なんだそれ、すげー臭いんだけど」
「トイレの汲み取りだよ、便所仕事さ」
「ああ、なるほど」
船の上にあるトイレの中を汲み取る仕事か、それは海賊船だろうが軍艦だろうが変わらないらしい。こうやって汲み取りをしないと直ぐにいっぱいになっちゃうからな…つまりあのバケツの中身は、お察しだ。
「ってかそれどこに捨てるんだ?」
「海以外のどこにあるんだよ」
「海に捨てるのか…、海汚くならないか?」
「問題ないよ」
そういうなり海賊はバケツの中身を海へとバシャバシャと音を立てて捨てる、まぁ食うもん食ってりゃ出るもんは出るし仕方ないか。
「こうやって捨てれば魚が全部食ってくれるのさ」
「魚が食うのか?あれを?」
「ああ、魚からしてみればご馳走なんだろうよ」
それだけ言い残し海賊は空っぽのバケツを持ったまま海賊はまた別の便所の汲み取りに向かう、そんな中俺は船の手摺に寄りかかり、海に視線を移す。
コバンザメを取りに海に潜ろうかと思ったけど、気分的にちょっと今は潜りたくないな。いや船は進んでるからあれはもうとっくにどこかに流れてるのはわかってるんだけどもね。気分的にね…。
「しかし、ああいうもんを魚に始末させるって…魚食った後に言われると気分悪いなぁ、流石の俺も食欲が失せ……」
そこまで言って、一つ…思い出す。
アマルトがコバンザメを指して言った言葉。こいつが物にくっつくのは自分より大きな魚にくっつくのはそいつの落し物を拾って食うお零れを貰うためだ。
つまり大きな物にくっつくとコバンザメは得をする、得をするからたくさんくっつく…ってことはさ、この船にくっついてるコバンザメも相応のご馳走にありつけるから、たくさんくっついてるってことだよな。
……じゃあ、アイツら、何食ってるんだ?
「……ま、まさか…!」
手摺から身を乗り出し海を見る、アレを毎日捨ててるってことは!コバンザメが大物の『落し物』を食べてるんだとしたら!つまり奴らが食べてるのは…。
『ダメじゃないけど、食べたくない』
そんな海賊達の言葉が脳に響き渡る、嗚呼…そうか、つまり。
「おぇぇぇぇええええ……!」
「あれ?ラグナ?どうしたんですか?」
「え、エリス?」
知りたくなかった事実に今頃気がついて、自分が食った魚が何を食べて育ったのかを理解して、ゲロゲロと海に向けてコバンザメの餌を提供していると…ふと背後からエリスに声をかけられる。
「船酔いですか?」
「い、いや別にそういうわけでは…」
「そうですか、ラグナの体調が良ければまたコバンザメも取ってきてもらおうかと思ったんですが…」
「え!?エリスもコバンザメを食うのか!?」
「へ?」
コバンザメを食うのか?この船の下にいるやつを?そんな言葉を自分で発した瞬間アマルトの言葉の意味を悟る。エリスが昔食べたやつは魚にくっついてたやつだ、それなら別に食べてもいいが…船の下にいるやつはつまりそういうものを食べて育ったやつだ。
食べたらダメなわけじゃないが気分的に食いたくない。みんなつまりこれが言いたかったんだろう…。
………………じゃあ言えよ!!!!!!!!
「そ、それよりどうしたんだ?甲板で会うなんて珍しいな」
強引に話を変える、これ以上コバンザメの話はしたくないしエリスにあのコバンザメを食べさせるわけにはいかない。それに事実エリスと甲板で会うのは珍しいしな、曰く厨房の外に出ることは許されていないらしいけど今のエリスは完全に厨房から出てきている。まさか抜け出してきたなんてことはないだろうけど。
「嗚呼、実はマリナ料理長に仕事を頼まれまして」
そう言えばそんな事言ってたな、なんて思っているとエリスは手に抱えた紙袋を見せてくれる。中身は…酒瓶が三本ほど。
「これを船長に届けて欲しいって頼まれました、エリスの働きをマリナ料理長も認めてくれたのかこういうお使いくらいなら外に出てもいいそうです、『エリスなら逃げないから大丈夫!』って」
流石はエリスだ、もうマリナさんの信頼を勝ち得て厨房の外への外出が認められているとは…しかし。
「ジャックのところに行くのか?」
「はい、お酒を届けに行くだけですが」
「…………」
エリスがジャックのところにか、別にアイツなら何にもしないだろうけど、だろうけども。
「俺も行く、一緒に行ってもいいかな」
「え?いいと思いますけど」
「なら決まりだな、一緒に行こう」
なんか不安だ、ジャックの事は知ってるいるしある程度人となりも分かっている。けどそれでも海賊のところにエリスを一人で行かせるのは嫌だ、だからついていくと言ってエリスと共に甲板を歩きジャックの部屋へと向かう。場所もわかってるしな、俺なら案内もできるし。
そうして俺はエリスを連れてジャックの居る例の船長室に向かい、そして───。
……………………………………………………
「聞いたぜラグナ!お前コバンザメ食ったんだって!しかも船底にいるやつ!だははははははは!」
──────盛大に笑われた、耳の早いやつ!
「うっせぇ、美味かったから結果オーライなんだよ」
「だははははは、まぁ美味いのは分かるけどな!」
エリスを連れて船長室に行けばジャックはメガネを掛けながら本を読んでいる最中だった、船の上で本を読んで船酔いしないのか気になるところだが。こいつは多分船酔いとかしないんだろうな。
「ジャックさん、お酒持ってきましたよ。後マリナ料理長から伝言です…『酒は一日一瓶まで、飲み干しても三日は追加で渡さない』だそうです」
「おおエリスちゃん、サンキューな?」
エリスから酒を受け取ると、ジャックは紙袋の中から酒瓶を取り出し…水がいっぱいに込められた桶の中に酒瓶を入れる。…なんだあれ。
「それが気になるか?」
「え、いや…」
「これは古代の魔力機構でな、物を冷やす効果があるって分かったから、鉄の桶に入れて酒を冷やすのに使ってるんだ」
ああ、なるほど。鉄の桶に入れて水を冷やし、水と一緒に酒瓶を冷やしてるのか。…意外に便利なものがあるんだな。
「それ、帝国の魔力機構ですか?」
「いや、三百年前に滅んだ国の遺物だよ。帝国とは別アプローチの魔力による道具化を試んだ国らしい、似たようなものは帝国にも作れるだろうが…これ作れるやつはもう何処にも居ない」
「そんなものどうやって…」
「俺が見つけた、具体的に言うならディオスクロア外海の地底神殿の中で保管されてた」
ディオスクロア外海?地底神殿?聞いたこともないぞ、そんな場所。そもそもディオスクロア文明圏の双大陸の外側には殆ど島国も何もないはず…。
「知らないって顔してるな、エリス…ラグナ」
「あ、ああ。聞いたことない」
「そりゃそうさ、俺が見つけるまで数百年手付かずだった文明だからな。魔女でさえ把握してるか怪しいところだ。だはははは」
「え!?ジャックさん新しい文明見つけてたんですか!?」
「おう、ディオスクロア公用語とは別の文字で書かれた本もあったし、多分別文明だ、もう滅んでたけどな、見るか?」
そう言うなりジャックは本棚の中からボロボロの冊子を取り出し俺たちに見せる。何やら見たことのない加工をしているみたいだがもう本としての原型は留めておらず、ジャックが後から施した金具による固定がなければバラバラになってしまいそうなくらい風化したそれに書かれている文字は、少なくともディオスクロア公用語でない事は確かだ。
「なんだこれ…」
「水の都ブラキウムの歴史とブラキウムで使われていた魔術に関する文献だ」
「え?分かるのか?」
「ああ、解読に二年かかったが、文法自体はディオスクロア語と大して変わらんから不可能じゃなかった」
「…解読って、お前もしかして賢い?」
「物の良し悪しを知るには知識が必要だ、そのお宝に本当に価値があるのか…そいつを見極めるための教養くらいはあるってだけさ」
ふと見てみればジャックの部屋に置かれた本棚には本がびっしり、しかもそのどれもが海洋に関する研究書や小難しい論文ばかり並んでいる。…なるほど、ジャックもそう言うタイプか。
師範がよく言っている『強くなるには勉強して知識を得るのが近道』だと。あの人もあれでいてメチャクチャ賢い、それと同じでジャックも普通に勉強して普通に教養を高めているんだ。それ故に部下の海賊達もアマルトに教えを請うているんだ。
「知識はいいぜラグナ、賢ければ酒場でぼったくられる事もないしこう言う未知の宝を見つけた時その価値を知る事もできるし、古代の文献を解読して…オリジナルの魔術を作れる」
「オリジナルの魔術…ってもしかしてジャックの使ってる魔術って…」
「ああ、この文献に書かれていた古式海洋魔術を解析してそれを元に作り上げた俺だけの魔術、それが『マーレドミネーション』だ。魔術導皇だって知らない魔術さ!未承認の魔術使ったり作ったりしてバレたらすげー罰金取られるらしいけどまぁバレねぇだろ!だはははは!なーんてな」
そう言うことか、未発見の文献を元に作ったからデティも知らなかったのか…。ってかそんなのアリなのか?自分で文献見つけて自分で解析して自分だけの魔術を作るなんて聞いたことない。大体は古式魔術を記録した文献はそのまま魔術導皇に大金で売りつけるものだ、そしてその文献を元にした現代魔術が出来上がれば文献使用量も入ってくるし…文献一つ見つけるだけで大金が手に入るのに。
それを自分で使って魔術導皇にも渡さず独占するなんて、ありなのか。
「その文献…売らないのか?」
「ああ?」
「文献に書かれた記録を元に魔術式を組み上げて現代魔術を作るのは知ってるよな、文献に書かれた高度な魔術式を限定的に模倣して魔術を作る…いや文献がなければ作れない、故にこの文献は誰もが欲してる、誰もが欲しているものにはそれなりの値がつく。…あんた海賊だろ?宝は売るんだろ?なのになんでこれを手元に置いたままなんだ」
「決まっている、これは俺が手に入れたものだ、俺が好きにしていい。これを独占するのも売り払う権利も俺にある…その俺が、この文献を世に広めるのはなんか嫌だったから…それだけさ」
「嫌だったか?自分だけ強い魔術を使いたいとか?」
「そんなんじゃねぇ、ただこれが海を知らぬ者の手に渡るのが怖かったからだ」
そういうなりジャックは文献を本棚に仕舞うとともに、静かに酒瓶を拾い上げ蓋を開けると。
「海はそもそも怖いものだ、海で何十年も生きている俺でさえ今でも怖いんだ。こうして海を好きに出来る魔術を得てもなお…な?そんな海を好きに出来る魔術を海を知らない人間が手に入れたらどうなる?」
「…人類は海を克服する?」
「違う、火を操る魔術を手に入れ人は火を克服したか?してないだろ。むしろ半端に理解した気になってどえらいことになってる。それと同じで…海を克服した気になられるのが嫌だったのさ。海は母なる存在だ、恵みも与えれば…罰も与える。そもそも人が好きにしていい物じゃないんだ。だからこんな魔術、本当は存在すべきじゃない」
「……でもお前使ってんじゃん」
「まぁな、そこはそれよ。さっきも言ったろ?好きにする権利が俺にはあるのさ。独占する権利も伝えない権利もな。それが宝を手にした者の権利だからな、だからこの魔術は誰にも教えん…悔しかったらお前らもなんか見つけるんだな!だははははははは!」
勝手な理屈だとは思う、だが同時に的を得た答えだとも思う。海は人には大き過ぎる、ジャックくらい海に対して真摯でなければしっかりとした運用は出来ないだろう。
だから伝えない、海を生きる者として海を守りたいから。けど…それを決めるのはお前じゃなくて魔術導皇のデティだろ…とは思うがな。
「でもなんかいいですね、未知の神殿に未知の魔術ですか…なんかワクワクしますね」
「お!エリスちゃんもわかるかい!このロマン!」
「はい、エリスも行ってみたいです、未知の神殿」
「ああ、だが残念。未知の神殿には連れていけないな…」
「え?なんでですか?」
「なんでってそりゃ、あの神殿は俺が見つけちまった以上、未知の神殿じゃなくて既知の神殿になっちまったからな!」
「なるほど!確かに!」
「…いやどっちも一緒じゃね?」
そう俺がポツリと呟くと…。
「全然違うだろ!」
「全然違いますよ!」
怒られてしまった…、それも二人同時に。ジャックに怒られるのはいいけど、エリスに怒られるのはキツい、失言だったか、反省しよう。
「おほん、それよりジャックさん。次の目的地って宝島なんですよね」
「ん?おう、そうだが?」
「そこに着くまで後どれくらいかかります?」
「さぁ、分からん。だって二、三日前に通り過ぎたし」
「へ?じゃあ今はどこを目指してるんですか?」
「ちょいと寄り道をな…もうすぐ着くと思うぜ?」
「寄り道?」
「ああ、お前達に見せてやりたい景色があるんだ…俺の夢、この航海の果てをな。そしてそれを見せた後…ラグナ、お前に問いたい事がある」
「俺に?…今聞くのはダメなのか?」
「ダメだ、ロマンがない」
なんだそりゃ…そう思っていると、船長室の扉が開かれ新たな来訪者が現れ…。
「ジャック船長、到着しました…む?お前達は」
「あ、ピクシス」
ピクシスだ、俺たちの顔を見るなりやや不可思議そうな顔をしつつも、到着したとの報告をしにくる。つまりジャックの寄り道の目的地へと到着したというのだ。それを受けたジャックはニタリと笑いながら開けたばかりの酒を机へと置く。
「おう、着いたか」
「着いたってどこに…」
「決まってる、…ディオスクロアの海全てを制覇したと謳われるこの俺が、唯一手出し出来ていない正真正銘の未知の海…巨絶海テトラヴィブロスだよ」
「なっ!?」
巨絶海テトラヴィブロス…、ディオスクロアの内海の中心地に存在し、古の時代に魔女達とシリウスの最終決戦の舞台となった爆心地の中央。
そして、入れば二度と出てこられないと言われる…最悪の海、そこに到着したとの報告だった。