401.魔女の弟子と航海生活
「すげぇ時間かかっちまった」
ジャックの船長室から戻った俺達はそれから、ジャックと共にヨークの案内する先々を掃除して回ることとなった、何故かずっとジャックが付いてきてヨークが『船長が掃除なんてしなくてもいいっすよ!』と言うがジャックは頑なに俺たちと一緒に掃除をし続けた。
それで…仕事の効率が上がったならいい、人手が増えて掃除のスピードが増加したならいい。けど…。
「だはははは!こんなに時間かかるもんなんだな!掃除って!」
「テメェが行く先々でゲロ吐くからだろうが!!」
完全に酒を飲み出来上がっていたジャックはもうベロベロで、雑巾で床を吹けばそれだけで目を回し、掃除が終わった床にゲロぶちまけやがったんだ、しかも三回も。お陰でクソ時間がかかったんだよ…!昼飯も食い損ねたし!
「あーあ、もうこんな時間だぜ…空見てみろよ、暗くなってら」
「はぁあ〜お腹すきましたぁ〜」
「はぁ、俺も。とっとと飯食いに行こうぜ」
空を見れば既に星が見える、一日何にも食わずにこんな重労働して…よくぶっ倒れなかったよ。
ともかく早く食堂に行こう、エリスが俺の料理を作って待ってくれているんだ。今はただそれだけで楽しみで…。
「あー…こりゃもう間に合わないかもな」
「は?なにが?」
するとジャックは時計を見ながらもう間に合わない…と言うのだ、彼は申し訳なさそうに声を潜めながら頭をかいて。
「もうみんな食い終わって、厨房は完全に洗い物モードに入ってるかも、そうなったらもうマリナは飯作ってくれないんだよ」
「はぁ?アンタ船長だろ?船長権限でなんとかならねぇのか?」
「それがならんのだよラグナ君、船の上じゃ船長の方がえらい!けど食堂じゃ料理長の方が偉いんだ、ってかマリナ怖いし…俺も強く言えないし」
「情けねぇなあんた!」
「うるせぇ!お前マリナがガチ切れしたらどんな顔するから知らねーだろ!ツノ生えるんだぜツノ!そんでもってフライパンでどつき回すんだ!俺船長なのに!」
威厳のない船長だな…。
「ともかく食堂いこーぜラグナ、なんか余ってるかもだし」
「あ、おう」
なんてアマルトに急かされながらも一応急いで食堂に向かう、既にあれだけいた船員達も既に船の中に入っているのか、見張り以外はもう殆ど姿の見えなくなった船の上を走り、食堂の方へと向かい、扉を開けると。
「ま、マリナ〜…飯…ある〜?」
「あ!来たねジャック!色々言いたいことあるけど先に結論言うともう無いよ!」
「そんなぁっ!」
ジャックが恐る恐る食堂の扉を開けると、既に食堂の人間がテーブルの上の皿を片付けて終わっており、仁王立ちしているマリナがもう飯の時間は終わったと怒鳴り声をあげるのだ。
「俺今まで掃除してたんだよマリナ!せめてなんか食わねぇと死んじまう!もうお腹の中空っぽなんだ!さっき全部吐いたから」
「知らないね!飯が食いたかったら飯の時間にここに来な、船員一人のために時間外に作ったらみんなバラバラの時間に食うようになっちまうだろ、ただでさえ少数精鋭で何百人もの馬鹿どもの餌作ってるのにそんなことまでしてたら手が回らないよ!」
「俺船長なのに…?」
「船長だったら率先してルールは守りな!」
「うぅ…」
こりゃ完全にダメだな、ジャックじゃマリナさんには勝てなさそうだ。海の上ではジャックは最強かもしれないが、船の上じゃマリナさんには勝てないようだ。
すると、厨房の方からエプロンを揺らしてエリスが現れ。
「マリナさん、お皿全部洗い終わりましたよ…あ!ラグナ!」
「おう、ご苦労だねエリス、あんたは仕事が早いから助かるよ」
「あ、エリス…その」
エリスは俺の姿を見るにパタパタとタオルで両手を拭きながらこっちに走ってくる。どうやら皿は全部洗い終わってしまったようだ。今から新しくご飯を作ってもらって皿を汚すと彼女の仕事が増えてしまうな。
「ラグナ、どうしたんですか?随分遅かったようですが…」
「どこぞのバカがあっちこっちで吐瀉物ぶちまけ回って仕事が遅れたんだ…」
「そうなんですね…、その…」
「ごめん、せっかく料理作って待っててくれたのに」
「いえいえ、ラグナも大変だったみたいですし…その、マリナさん!今から新しく料理を作ることって出来ませんか!?」
「エリス…いいよって言ってやりたいけど、昼間も言ったように特別扱いはしないのさ。飯は飯の時間に集まって食うのがこの船のルールだよ。そこは新入りも船長も変わらない、悪いけど手料理振る舞うのは明日にしな」
「そんな…ラグナ、う…………ごめんなさい」
「いやいいんだ…」
にしても参ったな、俺は我慢出来るけどナリアやアマルトは飯抜きってのも可哀想だ。遅れる原因にはなったが俺達に付き合ってくれたジャックも飯抜きは流石にな。
なんとかならないもんか。
「はぁ、ようやく皿洗いが終わった…こんなにも肉体労働をしたのは初めてだ」
「私もお皿洗いなんて久しぶりすぎ〜」
「お二人とも大丈夫ですか?おっと、ラグナ様達も帰ってきましたか」
「ん……」
「みんな、お疲れ様」
「ラグナ様もお疲れの様子で、しかし…もうご飯の時間は」
厨房の奥からヘトヘトの様子のメルクさんとデティ、慣れているとばかりに肩を鳴らすメグと相変わらずのタフネスのネレイドも現れ俺達に哀れみの視線を向ける。いくらみんなでもこの厨房を仕切ってるのはマリナさんだ。
マリナさんが良しと言わない限り飯は抜きだろう。
「あぁ〜!お腹すいたよ〜!マリナ〜!」
「ダメなもんはダメ!」
「俺達もお腹ペコペコ〜」
「はぁ〜お腹…すきました〜」
「ほら!そこの二人もこう言ってるし!船員が腹空かしてるのに黙ってられる船長がいるかよ!!!」
「喧しい!!!!何時だと思ってんだい!!!!」
「はい……」
そうジャックはさっきからマリナさんに食い下がるが、それで首を縦に振るような甘い人ではなく、マリナさんは苛立った様子で…。
「そんなに食いたきゃ自分で作って自分で皿洗いな!厨房組はもう店仕舞いだよ!エリス達も疲れてるんだから」
「えぇー!俺が飯作れないの知ってるくせに〜」
と…マリナは言うのだ、ジャックは飯を作れないと喚くのだ、しかし…その言葉を聞いた俺たちは、こう思う。そしてこう言う。
「あ、自分達で作っていいのか?」
と…。特にアマルトは気の抜けた顔から一転、顔を上げ徐に立ち上がる。その姿を見たマリナさんは眉をひそめ。
「ん?なんだい?アンタが作るのかい?別にいいけど言っとくけど厨房燃やすんじゃ無いよ」
「わーってるよ、そんなヘマしねぇよ。うっし!じゃあちょっくら飯作ってくるから待ってろよラグナにナリア、一応そこの船長の分も作ってやるよ」
「わーい!やったー!」
「いやぁよかった!自分達で作っていいなら全然いいな!」
アマルトが作ってくれるならそれでいい、むしろそれがいい。いやぁこれで助かったと俺達はホッと一息つくが…ジャックは一人目を丸くして、
「ん?ん?なんだ?飯作れるの?お前」
「素人だけど、そこそこな」
「そこそこって…、大丈夫か?」
ジャックは知らないからな、アマルトがどれだけ料理が上手いかを。そんなキョトンとした表情で厨房に入っていくアマルトを見送るジャックとマリナさんは…。
「なんだい?あの子、随分料理に自信があるみたいだけど、あんまり料理ってのをナメないでほしいね、むしろ怪我をされても困る…、やっぱりアタシ手伝って…」
「いや、その必要はないと思いますよマリナさん」
「え?そうなのかいエリス」
「ええ、だって彼…エリスやメグさんよりも料理が上手いですから」
「はぁ!?アンタ達よりも!?何言ってんだい、アンタら十分プロ級だよ!?それより上手いって…本当かい?」
マリナさんは弟子達に目を向ける、だがアマルトの料理の腕に疑問を持つ奴なんか俺たちの仲間にいないよ。みんな笑いながら深く頷きそれを見たマリナさんは信じられないとばかりに頭を抱える。
「そんな、何者なんだい…あの子」
「彼は彼ですよ、エリス達のご飯をいつも作ってくれているんです…アマルトさんは」
「へ?…アマルト?」
「え?名前知りませんでしたっけ?」
ふと、マリナはアマルトの名を聞いた瞬間…みるみるうちに顔を青くしながら、ワナワナと手を震わせ。
「アマルトってまさか、まさかあの子…アマルト・アリスタルコスじゃないだろうね…」
「え?知ってるんですか?アマルトさんのフルネームを」
「知ってるも何も!ああ!思い出した!どっかで顔見たことあると思ったらあの子アマルト坊ちゃんじゃないかい!タリア先生の義弟だ!」
ぎゃー!と頭を抱えて叫び声を上げるマリナさんは既に作業を始めた厨房を見て驚愕する。アマルトのことを知ってる?ってかあったこともあるのか?
いや、タリア『先生』か。聞いたことがあるな、アマルトの義姉のタリアテッレさんは昔各地の料理人に料理を教える王餐会なる教室を開いていたと。その王餐会の元メンバーはみんな各地で料理長として君臨し、タリアテッレの料理の腕を世界中に広める一助になったとも言われている。
とするともしかしてマリナさんは。
「アマルトさんに会ったことがある…ってもしかしてマリナさんって」
「ああ!アタシは王餐会のメンバー…タリアテッレ先生の弟子だったんだよ!その時一緒にまだ小さかったアマルト坊ちゃんとも会ったことあるけど、あの子当時からアタシより料理が上手かったんだ…!」
「ええ!?マリナよりも料理上手いってマジかよ!ウチの料理長以上って…アマルトってもしかして、すごいやつなのか?マリナ」
「凄いなんてもんじゃないよ!何せあの子は祖国コルスコルピでは…」
─────とその瞬間、厨房の扉が勢いよく蹴りあけられると共に奥からムワッ!と芳醇な香りが食堂に蔓延し、輝くような霧を纏いながら台車を押してアマルトが現れ。
「おっす、出来たぜみんな」
「アマルト坊ちゃーーーーんんん!!」
台車に大量の魚料理を乗せたまま笑顔で現れるアマルトの顔を見た瞬間、マリナは吹き飛ばされるように走り出しアマルトに抱きつきオンオンと泣き始める。
「おいおいマリナ!ようやく思い出してくれたのか?ちっちゃい頃あんなに仲良くしたのに、顔を見て思い出してくれないなんて…ショックだったんだぜ」
「す、すみません坊ちゃん!でも昔はもっとこう小さくて…」
「そりゃ成長するしな」
「それに、おかっぱだったし」
「髪型くらい変わるだろ、何年前だと思ってんだよ」
「それにそれに!昔は持ったお利口そうで利発っぽかったじゃないですか!」
「悪かったな今はお利口でも利発でも無くてよ!」
どうやら知り合いというのは本当らしく、アマルトに抱きつき懐かしがるマリナをアマルト自身も悪いとは思ってないのか、ちょっとだけ口元を緩ませながらマリナさんに振り回される。
「というか坊ちゃんこんなところでなんで海賊なんてしてるんですか!?この事はフーシュ様やタリア先生は知ってるんですか!?」
「お前らが海賊させてんだろ!あの二人は…まぁいいだろ、もう子供じゃねぇし」
「でも…!あの栄えあるアリスタルコス家の次期当主にしてディオスクロア大学園の次期理事長たるアマルト坊ちゃんがこんなゴミの吹き溜まりみたいなところにいるなんて、アリスタルコスの先祖代々の霊が泣きますよ」
「自分の船をひでぇ言い草だな、でもいいんだよ。死んだご先祖様なんざ泣かせとけ。俺は今自分の意思でこの国にいるんだ…まぁ海賊やるのはちょっと予想外だったけどな」
マリナさんはアマルトがどれほどの人物かをよくよく知っているらしい、というかこういう風に聞くとアマルトもまた大した人間だよな。忘れそうになるけどアイツって大国で一番の名貴族の一人息子で将来は大学園を継ぐことを約束されてる結構な身分なんだよな。
まぁ王族の俺が言うのもアレだけど。
「それよりとっとと食え、あったかいうちに食べろい!そんで洗い物はみんなでやろうや」
「やったー!アマルトさんの料理だー!」
「いえーい!アマルト大好きー!」
「厨房に残ってた端材とか腐りかけのやつとかそう言うのを集めて作ったけど、よかったよな?マリナ」
「え、余り物?アレを使って…これを?」
そう言ってテーブルに並べられるそれはどう考えてもレストランの一級フルコースのそれだ。心なしか輝いて見えるようなそれを余り物だの腐りかけのだのを使って作ったと言うんだから俺も驚きだよ。そしてそう言うのを快く作ってくれるアマルト大好きー!
「はぇ〜すげぇ〜、俺こんな豪華な飯見たの初めてだよ。マリナの飯も美味いけどそれとはまた別のタイプだな」
「まぁアタシのは実用性重視量重視のだからね。アマルト坊ちゃんのはそれこそ一流レストランでシェフしててもおかしくない腕前だよ、流石あの頃から更に腕あげましたね坊ちゃん」
「やめてくれよマリナ、俺は外からやってきた素人であの厨房の料理長はマリナなんだろ?だったらもっと偉そうにしてくれないと素人の俺が肩身がせまいよ」
「そ、そうかい。なんて言うか…立派になったねぇ」
「たはは、さぁ!食え!」
パンパンと手を叩いて自分もまた席に着く、アマルトの作る料理は素材を選ばない、いや選んだ方が美味しいんだけど何で作っても基本美味い。ナイフとフォークを使って細かく切り分けられた魚のソテーを食べれば一日の疲れが一気に癒えるような感覚に見舞われるんだから流石だ。
「うまぁ〜〜い!アマルトサイコ〜〜!」
「んくっ!んくっ!美味しいですアマルトさん!」
「なんか、エリス達ご飯食べ終わってるのに…お腹空いてきますね」
「アマルトの料理は見ているだけで腹が減る、健康に悪い」
「いい匂〜い…」
ガツガツ食う、普段は大人しめに食べるナリアも今日ばかりは鬼のように食う、なりふり構わず食う、ほっぺをリスみたいに膨らませてまぁ食べる。アマルトもまた自分の腕にちょっとだけ酔いしれながらモグモグと口を動かし…。
そして何より、盛大に食うのが。
「んんめぇ!超美味え!!本当にこれ余り物で作ったのかよ!お前神かアマルトぉ!」
「船長さんの口にあったようで何よりだよ」
ジャックも涙を流して大喜びだ、アマルトの作る魚のハンバーグを口に入れて電流が走ったように目を輝かせるジャックは同時に悔しそうに歯を噛み締め…。
「ぐぅ、こんな事ならアマルトを給仕係に回すんだった…」
と、自分の浅はかな判断を悔やむ。男は肉体労働、女は給仕なんてのはジャックの個人的な価値観でしかない。エリスやネレイドはナリア以上に肉体労働に向いているし、アマルトはデティやメルクよりも給仕に向いている。性別では無く得手不得手で物を見るんだったな。
「はははは、性別なんかで仕事割り振るからだよ」
「本当だよなあ、俺としたことがミスったなぁ…」
「ああ、みんなそれぞれ得手不得手があるんだ。アマルトの場合はこれだな」
「えらく詳しいなラグナ、でもそうだな…こればっかりは認めるしかない。じゃあアマルトは明日から給仕係で…」
「ぃいやぁだぴょ〜ん!俺は友達にしか料理を作らないって決めてんの。今回船長さんに食べさせてんのは温情だからな、勘違いすんな」
「マジか、なぁアマルト俺達友達だろ?」
「急に馴れ馴れしくするなよ!?」
魚を一尾丸々呑み込んで、その香しい味付けに満足しながら至福を味わう。アマルトの料理はどこであっても美味いなぁ。
でも、明日はエリスの飯が食いたいな…。
………………………………………………………………
飯を食い終わればその日はもう終わりだ、後は寝るばかり。幸いな事に部屋が一つ余っていた事もあり俺たち三人には一部屋を貸し与えてもらえることとなった、てっきり俺は檻みたいなところに入れられるもんだと思ってたからちょっとびっくりだ。
多段ベッドは人数分寝床があるし、机もあるし、普通の部屋だ、ジャック達は本当に俺たちを船員として扱っているらしい。相変わらず分からないやつだ。
「ふぃ〜!疲れた〜、明日も早いんだしとっとと寝よーぜー」
「はい!こんなに疲れたのは久々ですよ〜」
「…ベッドも意外に整理されてる、部屋にも鍵がある…」
寝転がるアマルトと横になるナリアを一旦置いておいて俺は一先ず部屋の中を物色する。扉には内側から鍵をかけられるようになってる。壁もしっかりしてるし…ベッドもキチンとしたものだ。
「おいラグナ、何やってんだよ」
「警戒だよ、海賊船の中なんだから最低限のことはしないと」
「今更寝込みを襲うか?やるんだったらいくらでもチャンスなんてあったろ?それをしなかったってことはそういうことだろ」
「ジャックさん達は悪い人には見えませんよ?」
「悪い人だよ、だから海賊やってんだから」
「でも略奪はしないって…」
「あんまりしないってだけだ、事実としてあいつは俺達の船を一目で襲ったろ?目の前に商戦があればアイツらも遠慮なく襲う、そしてそれは悪いことだ」
「今日はやけに理屈っぽいな、どうしたよ」
アマルトはベッドの上に座り込み頬杖をついて笑いかける。理屈っぽいというか…そもそもの話だが。
「そもそもの話、二人は警戒しないのか?アイツらが俺達を襲ったのは今日の朝のことだぞ?なのにそんな…」
「まぁそうだけどさ、けど今は敵意はないみたいだし、変に露悪的になってまた敵対する方が怖いだろ?」
「そりゃそうかもしれないけど…」
「僕達から見れば、今日のラグナさんはなんていうか…いつも以上に余裕がないように見えます。いつもはもっと…自信たっぷりというか」
「そうかな…」
どうだろう、少なくとも今の俺に余裕がないというのならそうなのかもしれない。事実として今余裕のある状況じゃないし、それともみんなを不安にさせてしまっているのかな。
うん、確かにアマルトの言うことも一理ある、いくら気に入らないからって反発して何が得られる。そんなもの自己満足でしかない。ジャックが俺を気に入ってくれているなら都合がいいじゃないか。
「…そっか、悪かった二人とも。確かに過敏になりすぎてたかもしれない」
「ラグナさんでもそう言う時があるんですね」
「まぁ俺も人間だしな、そう言う日もあるって事でここはひとつ。さぁ明日も仕事せにゃならんわけだしとっとと寝ちまおうか」
「はい!」
三段に別れたベッドの一番下に寝転がり目を閉じる。
気は抜けない事態だ、失敗に失敗は重ねられない…みんなから任された以上その期待に応えなければならない。だから…だから…。
「んー…ま、いっか」
ラグナが眠りについたの見て、アマルトもまたベッドの一番上で小さく呟き目を閉じる。
そうして部屋の明かりは消され…俺たちの海賊生活の一日目が終わったのだった。
…………………………………………………………
船に揺られて一日、目を閉じれば直ぐに朝が来る。船乗りの朝はなお早く、目を閉じた瞬間朝が来たような錯覚に陥りながら俺たちはベッドから這い出て今日もまた船乗りとしての一日を送ることとなる。
取り敢えず朝起きて一番最初に行くのは…。
「おはよう、エリス」
「おはようございますラグナ」
まだ水平線の向こうから太陽が半分顔を出すくらいの時間から俺たちは食堂に向かう。昨日の反省を活かしてマリナさんが指定する三食の時間を聞いておき、そこに間に合うように三人で来たのだ。
みんなが集まる食堂はいつにも増してごった返しており、こんな早朝だと言うのに眠そうにしている者は一人もいない。そんな中俺たち三人はカウンターでエリス達と顔を合わせ朝の挨拶に興じる。
『おいテメェ今俺の干し肉食ったろ!』
『俺じゃねぇよ言いがかりつけるんじゃねぇ!』
『騒ぐなよ朝からうるせぇな!』
「朝っぱらから賑やかだねぇ…」
「朝からパワフルです…、もぐもぐ、美味しい」
「ん、今日はエリスが作ってくれた奴だな?美味しいよ」
「あはは、昨日は出し損ねてしまったので。美味しいですか?」
船の上だから豪勢なものは出ない、固いパンと貝殻のスープだけだ。だがそこはエリスだ、彼女は限られた食料と道具で最善の料理を出すことに関してはアマルトを超えている。どうやったのか固いパンは俺たちのだけ柔らかくなっており、貝殻のスープは芳醇な味わいを漂わせる。
「ん、確かにうめぇ。なぁエリス、材料は他の連中と同じだよな?どうやったんだ?」
「使える材料は決まってますが魔術は使い放題なので、まぁ言ってしまえば加工の一手間に色々加えた感じですかね。パンを蒸したりとか」
「はぇ〜、こういう時属性魔術は便利だよなあ」
そういうアマルトも余り物だけであんな美味しいのを作れるのは大したものだと思うけど…。
すると、エプロン姿のエリスの奥から他のみんなも現れ。
「うう、私も時界門から材料を引き出せればもっと色々出来たのですが…、倉庫の物が引き出せない私なんてただの美少女有能メイドでございます、よよよ」
「十分だろ…ってかメグ達もおはよーさん」
「おはようございますラグナ様」
「おはよーラグナー!アマルトー!ナリアくーん!」
「お、珍しいなデティ。いつも朝遅いお前がこんな朝っぱら元気なんて」
「朝早くから叩き起こされて仕事してたからね!もう目バキバキよ!」
エリス達も朝から仕事してたのか。なるほど…多分エリス達の朝は俺たちよりも早い、だからマリナさんはエリス達厨房の人間を早く休ませたいから時間外の食事の準備を断ってたんだな。
「メルクさんも大丈夫ですか?」
「大丈夫だよナリア、確かに調理という作業は慣れないが元々働くのは嫌いじゃないからね」
「寧ろメルク…生き生きしてる…」
「ああ、下っ端としてこき使われているとなんだか昔を思い出してな。柄にもなく燃えているよ」
「メルクにも…下っ端との時代があったの?」
「あったとも、寧ろ最近の私はたるんでいた。ここで性根を叩き直すのも悪くないだろう」
…こうして見ていると、エリス達の方もそこまで劣悪な扱いを受けているようでもないようだ。そこに関しては安心だな…、これでエリス達が日に日に衰弱とかしていった暁には…俺どうなってたから分からないよ。
「ん?どうしましたラグナ」
「いや、なんでもない…」
「そうですか?…それより」
するとエリスは周りの様子を見ながら俺達に顔を近寄せると、いつになく…いやある意味いつも通りの鋭い視線を取り戻し。
「この船について何かわかったことはありますか?」
そう聞くのだ、船についてわかったこと…つまりこの船の戦力とメグの時界門を使えない謎についてだ。まあ言っちまえばこの船を脱出する算段についての話だ、それを分かっているからネレイドは俺達を隠すように立ち壁となる。
故に俺もまた周囲の喧騒に溶けるような小さな声で答える。
「ああ、一応この船の三幹部に会ってきた」
「早いですね、共有願えますか?」
「ああ、と言っても名前と役職だけだが…」
そう言って俺は昨日出会った三幹部…ピクシスとヴェーラとティモンについての話をエリス達に教える。メモとか取らなくてもエリスが情報を記憶してくれればそれだけで済むのだから助かるよ。
「三幹部…ピクシスとヴェーラとティモン…ですね、その名前なら食堂でも聞きました」
「え?聞いてたのか?」
「はい、食堂には噂話が転がってきますからね。と言っても『ティモンさんとヴェーラさんはジャックが海に出た時からの付き合いでジャック海賊団の創設メンバー』ってことだけですが」
「なるほどね、食堂でも情報収集か…助かる。出来れば意識的に続けてもらえるか?」
「分かりました、時界門に関しては?」
「すまん、まるで分からん」
「そうでしたか…」
メグが時界門を使えない条件が分からないとなんともな。前例があるとするなら一度羅睺十悪星ウルキによって空間を凝固された時は時界門を開くこともできなかったという例がある。けど今回は時界門自体は開けている…ううむ。こちらは簡単に見つけられなさそうだな。
「そうだ、なんの役に立つか分かりませんが…ジャックの使う魔術について一つ」
「ん?何かわかったか?」
「それが…デティ」
ジャックの使う魔術について、つまり海を操る『マーレドミネーション』についてか。正直あんな膨大な魔術は見たことがない。だって海を操るなんて魔術があれば誰もが使うだろう…が、そんな魔術の存在など聞いたこともない。
そう疑問に思っていると、デティが徐に前に出てきて。
「えっとね、あのねラグナ。エリスちゃんから魔術の名前と効果を聞いたんだけど…『マーレドミネーション』だっけ?そんな魔術…無いんだけど」
「無い?禁忌魔術とかなのか?」
「ううん、禁忌魔術も覚えてるけどそんな名前の魔術はなかったはずだよ。海を操るってのは多分事象操作系になるんだけど…、これは魔術学的な話になるんだけど『水』と『海』は違うんだよ」
「どこが違うんだ?海も水だろ?」
「うん、言いたいことはわかる。海も水だよ?でも魔術的な観点から見るとなんでもない水と海は別物として扱われる場合が多いの、そこの詳しい理屈はまだ発見されてないけど…一番代表的な例があるとするなら『海を作る魔術』なんてないでしょ?」
「言われてみれば無いな」
海を作る…というか塩水を作る魔術なんてのは無い。魔術で作られるのは全て真水だ、海水が作られることはないし海水を作れる魔術もない。それはつまり水と海は別属性ということに…なるのか?分からんがそういうことなんだろう。
「海を司る現代魔術はない、古式魔術にはあったんだろうけど現代魔術にはない、つまり…魔術の元となる文献がいまだに発見されてないってことなんだよね。現代魔術の材料になる古式魔術の文献を読みとかないと現代魔術は作れない」
「つまり海を司る古式魔術の文献が未発見だから海を司る現代魔術も作られることはないと、ならなんでジャックは海を操れてるんだ?」
「分からない、全く見当がつかない。海を操るなんてそんな凄まじい事が出来る魔術なんて…この世にあるわけないよ」
「ふむ、そこについても…一応調べとくか」
優先順位は低いが一応調べてみるのもいいかもな。ってか気になる、魔術導皇のデティが知らない魔術なんて初めて聞いたし、どんなカラクリになってるか気になる。
それに、もし次ジャックと戦う時…何かの役に立つかもだしな。
「ズズッ…、今日も色々調べてみる…けど黒鉄島へは直ぐには行けなさそうだ」
「次の目的地は宝島だってよエリス」
「おお、宝島ですか!」
「そこで宝を取ってから次の目的地をどこにするか決めるらしい、それまで黒鉄島へ行くのはお預けだな」
「まぁなるようになるだろ」
みんなの雰囲気からやや楽観的な雰囲気が漂ってくる、みんなが気にしなさすぎなのか?それとも俺が気にしすぎなのか?いや気にしてないことはないと思うんだけど…。
何か、変なズレのようなものを感じて俺は貝殻のスープを飲み干す。
「さて、そんじゃそろそろ仕事行ってくるよ」
「はい、気をつけてくださいねラグナ。アマルトさんもナリアさんも」
「おう」
「はい!」
「美味しいご飯作って待ってるからねー!」
「ご期待下さいませ」
「ん……」
軽く拳を掲げて俺達は今日も船乗りしての一日を生きる、ジャック曰く宝島へ行くのが先だと言う。そちらへ到着してから次の目的地を決める…ならそれまでにこの海賊団から信頼を得なくては、今はただそれだけを考えよう。
「………………」
歩むラグナの横顔を見て、無言で直ぐに視線を逸らすアマルトは肩を竦めながらラグナについていく。