395.魔女の弟子と戦王の憂鬱
馬の手綱を握り、当たる日を払いのける大きな帽子を被りなおし、俺は前を見つめジャーニーと共にマレウスの道を行く。
オラティオの街を旅立ち、マレウス西部に存在する中で最も大きな港町ボヤージュを目指して馬車を動かし続け旅を続けるエリス達。既に季節的には夏真っ盛りであり強く照りつける太陽の下を行く…そんなある日のことだった。
「ここを通りたければ我等を倒してからにするがよい!」
「なんだ?あんたら」
切り立った崖と崖の間の一本道、西部湾岸へと通じる唯一の道となっているその細道の真ん中をとある一団が占領し道を塞いでいた。
剣、槍、盾、槌で武装した十数人の男達。その日御者番を担当していたラグナは…小さく溜息を吐く。
「山賊か?」
「いや違う、我等を野盗と一緒にするな。我等は崇高な目的…即ち武の求道の為ここで腕試しをしている者だ」
「腕試し?」
「然り、ここを通りたくば我等を倒してからにせよ。無理と言うならば仕方ない、数日分の食料を置いていけば通してやろう」
「そう言うのを山賊や追い剥ぎって言うような気もするが…」
面倒、と言うところが正直な感想だ。彼らの腕試しをしたいと言う気持ちはラグナとしても理解は出来る、だがやり方が気にくわない。やりたいなら迷惑のかからない方法にしろ、手段を選ばないなら日和らず許可など取るな。
「なになに?どったのー?」
「どうしたラグナ、敵か?」
「なんか物騒なのがいますね、エリスが片付けますか?」
馬車が止まれば仲間達も必然気がつく。次々と馬車から顔を出して周囲の様子を探ればなんとなく状況は理解してくれたようだ。
とはいえ、じゃあ仲間達全員で戦いますってつもりもないし、必要もないだろう。
「まぁ敵だ、けどこのくらいなら俺一人で片付けておくよ。みんなは休んでてくれ」
「え?でも敵結構人数いますよ?大丈夫ですか?」
そうナリアは伺いを立ててくれる、相変わらず彼は優しいな。けど問題ない、寧ろずっと座りっぱなしだったから丁度いい運動にもなろう。
「大丈夫、問題ないよ」
「ほう、一人で挑むか…潔し、ならばこちらも一人で戦おう。ここは私が」
すると武人達のリーダーと思われる大柄の男が大剣と共にぬっしぬっしと前に出て勢いよく構えを取る。肥大化した筋肉は一朝一夕で作られた物とは思えない、かなりの鍛錬を積んでいるのだろう。或いはこれもその一環か。
「では参るぞ、きぇぇぇえいいいい!!」
ザリ…と一つ足元の砂利を転がした瞬間、大柄の男は一刀両断。鋭く尖るような斬撃を振り下ろし俺の脳天目掛け叩きつけ…。
「む…!」
叩きつけた剣が…割れた。
(…固い、この男。魔力防壁を使って…いや実際に肉体に直撃している、ならば肉体そのものがそもそも鋼鉄よりも…)
「ボサッとしてる場合かよッ!!!」
「ぬっ!しまっ…ぐばべぇぁっ!?」
刹那飛んできた腕の振りだけで放った拳によって大柄な男は錐揉みながら絶壁の間を乱反射して飛び回り両壁に二十九の穴を開けた辺りで失速し地面に落ち、動かなくなる。
「うっし、で?次は?」
「………………」
剣を砕く頑強さ、一撃で大男を吹き飛ばす膂力、その絶望的な力を見た他の武人達は冷や汗を流し…。
「………………」
目の前で戦いが行われると思い込んでいた弟子達は皆ポカンと口を開きドン引きし…。
「…なにこれ」
その空気にラグナはただ、肩を落とすのであった。
…またか、と。
……………………………………………………
『どうぞお通りくださいませ』そんな言葉とともに結局武人達は結局道を戦うことなく道を明け渡し、馬車は何の問題もなく絶壁の細道を通り過ぎる事が出来た。
細道を抜け、平原に出た辺りで一度移動は休憩として、今は馬車を平原のど真ん中に止めて皆思い思いの自由時間を楽しんでいる…そんな中。
「はぁ…」
ラグナは一人、馬車からやや離れた草原の上で寝転び溜息を吐く。また…ああなったと。
今彼を悩ませる事象は一つ、先程の戦い…いやそれよりも前からずっと悩んでる事。
それは『最近、昔ほどに楽しい戦いが出来なくなってる気がする』だ。
(なんか最近傷の一つも負ってない気がする…)
まぁ俗に言う強くなりすぎたと言うやつだ。これでもラグナは魔女排斥組織との戦いに三年間身を置き続けていたが、結局彼と真っ当に戦える人間に出会ったことがなかった。
まぁ今のラグナは魔女大国最高戦力、そうそう互角に戦える相手に出会うこともないの当然といえば当然の話。それに何より元々は『エリスや仲間達をどんな強力な敵からも守れるように誰よりも強くなる事』を目的にしていたんだ。
その目的が立派に成就し始めている、いい事じゃないか。けど…。
(やだなぁ、暴走してた時の師範の気持ちがなんとなくわかっちまう)
ラグナは国王でありみんなのリーダーであると同時にアルクカース人だ、血湧き肉躍る戦いに焦がれ命と命の張り合いに胸を高鳴らせるアルクカースの益荒男だ。相手がいないのはいないで寂しいしつまらない。
ならいっそみんなと一回本気で戦ってみるかと言う考えが頭の端に過ぎり、思い出す…暴走していた時の師範の顔を。戦いを求めすぎるが故にフォーマルハウト様やレグルス様といった友人達に襲いかかろうとしていたあの人の姿を。
そして、今はあの顔に共感が出来てしまう…。
それは駄目だろう、仲間を傷つけさせないために強くなろうとしていたのにその俺が仲間を傷つけたら。それこそ暴走した師範みたいになっちまう。
(でもなぁ、さっきの武人だってそこそこにやれた奴らだし、覚醒したロダキーノもまるで相手にならなかったし、…このまま世界最強になったら人生面白いことなくなっちゃうのかな)
なんて、傲慢な考えが過るくらいには今のラグナは強い。強すぎるほどに強い。
「どうしました?ラグナ?」
「へ?」
ふと、頭を上げると草原に吹く風に髪を乱されながらこちらを不思議そうに見つめるエリスの顔が目に入る、どうやら俺が一人で黄昏てるのを見て心配してくれたんだろう。
あんまりこう言う風に悩みを表に出すことも最近は無くなったしな。
「いや、別になんでもないよ」
「なんでもない割にはセンチな顔してましたけど…もしかして祖国に想いを馳せていたとか?」
「ははは、そういうのもあるかもな」
本当はアルクカース最強の座に就くべきベオセルク兄様が今は駄目になってるからな。リオスとクレーが戻ればまた持ち直して…また俺よりも強いベオセルク兄様が見れるかもしれない。俺より明確に強い人間が国内に一人でもいればこの悩みも吹き飛ぶんだろうけど。
「ラグナもホームシックになることあるんですね」
「そりゃあな、いやどうかな…割と今の旅生活の方が心地いいところはあるけど、アルクカースに戻っても朝から晩まで仕事で家にも帰れないし」
「普段は多忙ですもんね、思えばラグナは十歳の頃から王様やってるんですもんね」
「まぁ、王族は大体生まれてから死ぬまで王族だしな。苦には思わないけど…やっぱこうのびのび草原で寝転ぶなんてなかなか出来ないし、今が得難い時間であることは分かるかな」
そうエリスと一緒に草原で寛いでいると…。突如、木を破るようなキンとするような鋭い声が響き…。
「やぁー!!」
「えーい!!」
「な、なんだなんだ?」
ふと、甲高い声が聞こえて慌てて体を起こして周囲を見回す。なんの声だと探ってみれば馬車の前でデティとナリアが何やらバタバタ騒いでるのが見える。まさか喧嘩か?いやあの二人に限ってそりゃないだろ…。
「おい二人とも、どうしたんだ?そんなバタバタ騒いで」
「珍しいですね、デティとナリアさんがそうやって遊ぶなんて」
「騒いでない!遊んでない!酷いよエリスちゃん!」
「僕達トレーニングしてるんです!」
「トレーニング?」
ああ、確かに言われてみれば腕立て伏せとか腹筋みたいな感じで気合い入れて体動かしてるけど、と一緒に二人の様子を見に来たエリスと顔を見合わせる。
だってなんか変だろ、二人が筋トレって。そもそも二人の強みは肉体面じゃないと思うけど。
「なんでトレーニングなんか…、二人は筋トレなんかしなくても強いだろ?」
「ラグナさんみたいに強くなりたいんです!」
「え?俺?」
「そう!さっきの山賊達ぶっ飛ばしたみたいに私達もムキムキになりたいの!」
さっきの武人達の一連の騒ぎを見て、その影響を受けたって感じか。いやまぁ鉄は熱いうちに打てとは言う、何かに影響を受けたならその影響が残ってる間に行動したほうがいいってのはある。
けど、二人は筋トレに向いてないと言うか…そもそもスピカ様やプロキオン様が二人にそう言うのを教えていないのは二人にとってそれが必要ないからだ。
けど意味ないからやめろってのもなんか非情だしなぁ…。
「ねぇラグナ!ラグナが普段どう言う風に筋トレしてるか教えて!私達もパワー!が欲しい!」
「はい!体格変わるのは嫌ですけどそれでも動けるくらいの筋肉は欲しいです!」
「普段どんな筋トレって…俺のはあんまり参考にならないと思うけどな」
「それでも!」
うーん、仕方ないか。とは言え俺が言うのもなんだけど俺の普段のトレーニングは常軌を逸してるというか狂気的と言う言葉を超えてると言うか。
「まず最初に山に鎖をつないで引っ張ってランニング」
「天変地異じゃん」
「そのあと深海に沈めた大岩を抱えて戻ってくるトレーニング」
「罰とかでは無く?」
「後は海の上を走ったりもしたな、偶に水面をうさぎ跳びしたりもする」
「どうやって…?」
「地平線の向こうまで畑を耕したりもした」
「…もういいです。すみません、変なこと聞きました…」
「そ、そうか?…まぁ、アルクトゥルス師範はそう言うよく分からん修行が好きだからな…参考にはならないと思うんだ」
自分で言っててもどうかと思うし、それを日課のように毎日こなしてた自分もどうかしてると思う。一番やばかったのは拳風だけで空を飛んで一時間落ちないよう耐え抜く修行だな、落ちたら師範の拳が飛んでくるからこっちも死に物狂いよ。
「じゃあエリスちゃんはどうやって筋トレしてるの?エリスちゃんも凄い筋肉ついてるよね!」
「エリスは筋トレしませんよ、師匠との模擬戦か或いはその辺の魔女排斥組織とかマフィアにカチコミかけて実戦で鍛えてます」
「修羅の生き方だね…」
「じゃあネレイドさんに聞いてみてはどうでしょうか、彼女は職業上鍛えている方なので有益な意見をもらえるかもしれませんよ」
「さっき聞いた、自分より大きな鉄の柱を片手で掴んで投げるトレーニングしてるんだって」
いやネレイドさんに聞くのはダメな気がする。あの人肉体的な面で言えば俺以上の超天才だ、アルクトゥルス師範にも匹敵する潜在能力を持ったあの人のトレーニングは参考にはならない気がするし、なんならその柱のトレーニングも多分ウォームアップ的な軽めのやつだろう。
しかしそれを聞いたデティとナリアはどんよりと肩を落とし…。
「自信なくして来ました…」
「私も、みんな凄いトレーニングしてるんだね…」
「い、いやいや。二人とも無理に鍛えなくてもいいと思うけどな。二人の強さは俺もよく分かってるし…」
「でも、この旅は修行の旅な訳ですし…ちょっと強くならないとコーチに申し訳ないと言うか」
「それに敵はこれからどんどん強くなるんだよ!私達もパワー!アップ!しないと!」
敵はどんどん強くなるか…、事実そうなんだろう。そう思えばワクワクするけど…、もしそいつらにも傷の一つも負わなかったと思うと…。
「ラグナ?」
「ん、悪い。なんでもないよ」
「おうそこの貧弱ボーイアンドガール、楽に強くなる方法教えてやろうかい?」
「え?アマルトさん?」
「何さアマルト!」
すると馬車の中から顔を出したアマルトが何やらニヤニヤと笑いながら親指を立てて。
「強くなる秘訣は美味い肉食ってたくさん野菜食べて軽くランニングして寝る、これでいいのさ。ってわけで昼飯作ったから食うか?」
「わあ!食べたいです!お腹空きましたー!」
「わーい!食べるー!」
「アマルトさんのお昼ご飯ですって。ラグナ、エリス達も行きましょう」
「そうだな、ってか俺も腹減ったー!アマルトー!今日のメニューなにー!?」
「ミネストローネとパンとプロシェット、山ほど用意してるあるから余らせないようたんと食えよ」
まぁ難しいことは後でいいか、それより今はアマルトの飯だ。既に馬車の中からいい匂いが漂ってるし…楽しみだなぁ。
……………………………………………………………………
「ナリアとデティが筋トレ?何故だ?」
「二人とも実力をつけたいんだって、でも俺じゃ力になれなくてさ」
「お前あれだろ、山引っ張ったとかなんとかまた言ったんだろ?」
「うん…」
昼食を食べ終え再び動き出した馬車に揺られ、午後から麦わら帽子を被ったエリスに御者番を交代してもらって馬車のリビングで片腕立て伏せをしながら上に乗ったメルクさんと話し合う、内容はさっき休憩中にあった事だ。
「ところでメルクさんは筋トレとかしてるか?」
「当たり前だ、私が投資して作ったトレーニング施設で毎日三時間ハードに絞り上げてる」
「なるほど、…施設か。つっても旅の最中に行くわけにもいかないしな」
「なんだ?二人に筋トレさせたいのか?」
「そう言うわけじゃないけどさ。二人が不安に思ってるなら何かしらしたいじゃないか」
「別にしなくてもいいだろう、あれで二人とも普段かなりハードなトレーニングをしてるしそこに筋トレまで加えたら壊れかねん」
その通りなんだ、デティもナリアも今現在の状況に納得してないし筋トレも殆ど上手くできていなかったがそれは飽くまで肉体面の話。
デティは普段属性魔術を連射し空中で何度も属性を入れ替えるなんて離れ業をやってるし、ナリアも絵筆を奮って目にも留まらぬ高速で、かつ寸分の違いもなく正確に術式を組み上げる鍛錬をしている。どちらも俺からしてみれば凄い事だ、少なくとも俺には真似出来ない芸当だ。
「二人だって子供じゃないんだ。折り合いくらい自分でつけられるさ」
「……それもそうだよな」
とは言うが、なんかもやっとしたんだよな。なんか凄く悪いことをしてしまった気がしてさ、ナリアとデティのやる気というか覚悟のような物を削いでしまったような気がするんだ。
まぁ、二人だって半端な覚悟で弟子をやってるわけじゃないから大丈夫だとは思うけど。
「それにしてもラグナ…」
「ん?なんだ?」
「いや、お前は……」
そうメルクさんの言葉を遮るように、外からエリスの声が響き渡る。
『すみません!魔獣が出ました!退治当番の人お願いします!』
「ん、俺だな、ちょっと行ってくるよ」
「あ、ああ」
メルクさんを背中から降ろして、立ち上がる。今日の午後の退治当番は俺だ。本来は御者番や夜番と被らないよう気を使ってスケジュールを組むんだが、俺みたいな戦うことくらいでしか貢献できない奴は比較的多めに夜番と退治当番を引き受けるようにしてる。
アマルトが自主的に料理番を請け負ってるようなもんだな。
「何が出た?エリス」
「あれです」
そう言ってエリスは今走っている草原の前を指差す。するとそこにはかろうじて作られた草原の道を塞ぐように大きな肉の塊がドスンと座り込んでいたのだ。
いやあれは…豚か?うーん、アルクカースじゃ見ないタイプの魔獣だな。
「なんだあれ」
「あれは『アングリービックピック』、Fランクのアングリーピッグが肥大化した種で協会指定危険度はCランクです」
「なるほど、冒険者が複数人で狩ることを想定した奴か。うっし!任せろ!」
くるりと馬車から一回転しながら降りると共に目の前で道を塞ぐ巨大な豚、アングリービックピックとやらに近寄る。うーむ中々デカいな…投げ飛ばせばいいかな。
「おうおう、そこ退けや。我らがジャーニー様の通り道だぞゴラァ」
「ブヒッ…?」
ムクリと俺の気配に反応した巨大な豚は起き上がる、鈍重かつ巨満な体に反し足は異様に小さく細い、棒のような四つ足で体を支えくるりと豚は振り向くと…。
「ムギギギギギ…」
「人相悪…可愛げのない豚だな…」
ギラギラと煌めくナイフみたいな目とこれまたナイフみたいな牙を輝かせる面を拝むことが出来た、魔獣というだけあって顔つきは悪く一目で悪党と分かる人相…いや豚相か?
「ムギヤァァァァア!!!」
「喧しい…!」
牙を剥き豚とは思えぬ凶悪な雄叫びを上げ俺を喰らおうと突進を繰り出すアングリービックピックと、それを迎え撃とうと拳を握った瞬間…。
「っラグナ!アングリービックピックは全身贅肉だらけで物理攻撃が効かないんです!」
「え…!?」
もっと早く言ってくれよそれ!と思うや否やアングリービックピックの顔面に俺の拳が突き刺さる…と。アングリービックピックの顔が肉の中に凹み、殴り抜いた俺の拳もズブズブと埋まっていく。まるで水風船を叩いたみたいな感触だ、骨がないのかみるみるうちに俺の腕はアングリービックピックの中に沈み込み…そして。
「プギョッ…」
「あ…」
と、短い断末魔を上げてアングリービックピックが飛んだ。クルクルと空中を回転し遥か彼方に飛んでいく。
物理無効ってだけで吹き飛ばされはするのか。まぁあんな細い足じゃ衝撃には耐えられないだろうが…。
「あ、ああ…飛んでった」
「ラグナの拳を自分の弾力で弾き切れなかったんだと思います。にしてもまた…遠くまで飛びましたね」
あっという間にアングリービックピックの姿は見えなくなり…青い空の向こうへと消えていく。…なんとかなったのかこれ。
「まぁ、退かせたからいいか」
「そうですね、ありがとうございましたラグナ」
「いやいやこのくらい…」
「ああー!もう終わっちまったか!?アングリービックピック!」
すると、馬車に戻ろうとした瞬間、アマルトが包丁片手にキッチンからすっ飛んでくる。どうしたんだろう。
「どうした?アマルト」
「どうしたもこうしたも、アングリービックピックの肉はそこらの豚を遥かに上回るほど絶品って噂なんだよ」
「ええ!?」
「豚と違って養殖も出来ないし…そもそも市場に出回ることも少ないから滅多に手に入らない最高の食材だったのに…」
「いや!でもあいつ魔獣だぞ!?魔獣の肉は固くて食えないって…」
「種によるだろそりゃ、ってかそもそも固いだけで食えないわけじゃねぇよ?魔獣の肉だって調理次第じゃ絶品にもなる、しかし惜しいことしたなぁ…」
「ま、マジかよ…」
確かにアルクカースの一部じゃ魔獣の肉を料理する文化もあるし、なんだったら飼いならす文化もある。そういう意味じゃあいつも食える魔獣だったってことか。しかも肉としては特上の部類…。
早く言ってくれよそれ、それなら吹っ飛ばしたりなんか…ああ。
「ショック、普通にショック」
「まぁまぁ、またどこかで見つかりますよ、その時はしっかり捕まえましょう」
「そうだな…、お?」
ふと、後ろ髪引かれる思いでアングリービックピックが塞いでいた道の向こうを見ると。そこにあった光景に思わず表情が変わる。
「お、おおお?」
「おや、あれは…」
アングリービックピックは巨大だった、俺たちの視界を遮るには十分すぎるほどに巨大だった。故に見えなかった、奴の体で。
その先の光景…つまり。
「海だ!」
道の向こう、遥か先に見えるマレウスの海が。丘を下りきったその先に見える一面の青世界。キラキラと陽光を受け輝き、空の色を移す大鏡。
海だ、海がそこにはあった。
「あれがマレウスの海…」
「わぁ、綺麗……ってわけじゃないですね。どっちかというとやや汚いよりです」
「情緒のない事を言わないでくれよ…まぁ実際そうだが」
おお!と歓声を上げてみたが、実際絶景かと言われるとそこまででもないのかもしれない。いや綺麗には綺麗よ?けどやはりというかなんというかあちこちに点在する浮島や岩礁がかなりの割合を占めておりあんな海を渡航するなんて正気の沙汰とは思えないくらいだ。
魔女大国の綺麗でクリーンな海を見慣れてると、やら汚く感じられてしまう。
「え?海!?海見えたの!?」
「本当か!?」
「わぁ!海見たいです!」
エリス達の歓声を聞きつけデティ達も顔を覗かせる。今俺たちがいる地点はやや標高が高いのか海を見下ろす形になっているため眺め自体はかなり良いものだろう。時間帯もちょうど太陽が真上にあるから陽光に海の青がよく映える。
「あそこが我々の目的地でございますね」
「うん…どれが黒鉄島なんだろう…」
「ここからじゃ島がたくさんありすぎてよくわかりませんね。それに遠くから眺めるから一望出来てますけど…これは相当広く長いですよ」
ここから見て分かることといえば、やっぱり泳いでいくのは無理ってことと、船がなければ話にならない事。その二点だろう。
やはり船乗りは見つけておかないとダメそうだ。
「ところで皆様、良い景色を見ながらでいいので聞いてください。悪いニュースです」
「え?なんかあったのか?メグ」
するとメグが何やらゴソゴソと懐から取り出しながら、悪いニュースがあると言い出したのだ。
そして取り出した紙をバッ!と広げると。
「先程ケイト様から魔伝が届きました、船乗りを探してくれているという件についてです」
エリスがケイトさんに話しを通して、彼女に船乗りを探して欲しいと依頼しておいた件についてだ。これがうまく行っていれば俺たちは街に着いた瞬間から黒鉄島を目指せるわけだが…。
「ああ、進捗があったのか?」
「いえ、届いたのは『無理でした』との事。ボヤージュの冒険者協会支部を使って連日探したり漁師協会に掛け合ったりしたようですが…やはり黒鉄島に行きたがる船乗りは誰もいなかったと」
「…まぁ、だろうなとは思ったよ」
だが答えは『無理でした』の諦めの言葉。メグさんから魔伝で届いた手紙を受け取り中を改めると、事の詳細はこうだった。
つまり、マレウスに生きる船乗り達にとって黒鉄島は不可侵の領域であるとの事。マレウス近海の荒れ狂う波を越えることができる船乗りにも怖いものがある…それこそが海魔ジャック・リヴァイアだ。
黒鉄島に行くということは…いや、ジャックの縄張りに入るということは船乗り達にとって船底に穴を開けて出航するのと同じ意味…つまり自殺行為となる。だから船乗り達は普段ジャックの縄張りに入らないように注意して漁をしているらしい。
だからいくら冒険者協会が船乗りを募っても誰も応えない、黒鉄島に行く…つまりジャックを敵に回したがる船乗りは少なくともマレウスにはいないらしい。
「しかもその際漁師協会に船乗り探しを拒否された上…ちょっと揉めたそうで」
「揉めた?漁師協会を怒らせたのか?プリシーラの時も思ったけどちょっと冒険者協会仕事雑くない?」
「まぁ、頼み方もかなり上から目線でしたので…。書面だけで危険地帯に同行しろ、なんて頼まれても漁師協会としては面白くないでしょうしね」
冒険者協会は飽くまで冒険者達のための協会、権力があるわけではない、なら立場上は漁師協会も冒険者協会も同じ筈。
なのに手紙だけ寄越して『お前ら命かけろや』何て言われりゃ怒るのも無理はないか。なら次はこちらから顔を出し膝を突き合わせ誠心誠意頼み込めば…或いは可能性もあるかもな。
「漁師協会や船乗り達にとってはそれほど大きな問題なのだろう。黒鉄島はジャックの縄張りだからな…当然といえば当然の反応だよな」
「うむ、海賊の縄張りというだけでも怖いのに…その海賊が世界最強の海賊だなんて呼ばれてるんだ。怖がって当然だろう」
「何せ三魔人の一人ですしね、ある意味最も遭遇が容易い三魔人たるジャックに自分から会いに行きたがる人はいないでしょう」
海賊の縄張りに紛れ込んだ漁船の末路は悲惨だ。食料は奪われ物品は奪われ最悪身柄も拘束されて売り飛ばされる。連中は海というある意味最も手の出しにくい閉鎖空間で幅きかせてる人類共通の恐怖対象の一つなのだ。
そんなジャックが黒鉄島周辺を縄張りにしてるのはちょっと障害だな。真っ当な手段では船乗りを集めるのは難しそうだ。
するとそんな中、アマルトがおずおずとグーパーと開閉しながら手を挙げて。
「なぁ、俺あんまり詳しくないんだけどその海魔とか三魔人とかってそんなに怖いもんなのか?」
「え?怖いもんなのかって…、いやちょうどいい機会だから移動がてらいくつかおさらいしておくか。どうせ遅かれ早かれ直面する問題だしな」
「お、ありがてぇ〜」
そう述べながら俺達は馬車の中に戻る、マレウスの雄大な海…そして魔境たるマレウス近海を背にして。
………………………………………………………………
そもそも、三魔人という名称は裏社会において知っていて当然…いや知っていなければダメと言われるほどに絶大な影響力を持つ三人の犯罪者達の名だ。
それぞれ領分とする領域が異なり、その領域に於いて最強と揶揄されることもある。
海を支配し、海を生きる犯罪者達の頂点。凡ゆる海賊の代表であり全ての海賊の憧れと名高い存在こそが海魔ジャック・リヴァイア。軍を相手にしても引けを取らず将軍を相手に逃げ果せたなどの逸話を持ち、海賊たちにとって『海は俺たちの世界なんだ』と思わせるある種の希望だ。
陸を支配し、山を生きる犯罪者の頂点。凡ゆる山賊の王であり全ての山賊の目標と名高き存在こそが山魔モース・ベヒーリア。一撃で山を吹き飛ばし、魔女大国最高戦力さえ叩きのめしたその力は陸の上では無敵とまで称される程であり、山賊達は彼女に習い『山○』などの異名をつける事を好むほどだ。
空を支配し、闇を生きる犯罪者の頂点。凡ゆる殺し屋のお手本であり全ての権威者にとっての恐怖の象徴こそが空魔ジズ・ハーシェル。別名世界最強の殺し屋であり彼に狙われた存在は誰も逃れられず死に絶える。権威者の中には敢えて彼と関係を持ち殺されないように保険を張る者も多くいる為、各国の貴族界隈に絶大なコネを持つとも言われる最悪の存在だ。
この三人に対して恐れと敬意を称して裏社会の人間達は彼等を『魔人』と呼んだ。魔女大国を相手にしても引けを取らない実力を持つ三つの伝説に対して『三魔人』の異名をつけた。
彼らが台頭を始めた頃から各地で賊が激増しており、彼らのようになり彼らのように生きる為賊となるものが増え、世界全体の治安悪化の一助を担っている…そんな悪党達の王様が三魔人だ。
「一応、マレウス・マレフィカルムに所属しているわけじゃないが魔女大国側としては彼等には同程度の警戒と敵意を向けているつもりだ。とはいえ未だに捕まえられていない事を思うに…そういう事だよ」
「海魔ジャック・リヴァイアは帝国の領海内部に出現し将軍を前に唯一逃げ果せた海賊でもありますね」
「山魔モース・ベヒーリアは…、プルトンディース大監獄を脱獄した史上最初の人間で、その際当時の神将であるカルステンおじさんを倒してる人だよ…」
「うへぇ、魔女大国の最高戦力とタメ張るとか化け物じゃん…」
「ああ化け物だ、はっきり言っておこう。これを単騎で打ちのめせる者は世界中を探してもそうはいない…我等でも相手にして勝てるか怪しいところだ」
「いや喧嘩売りたくねぇよ。確かに船乗り達が立ち寄りたがらないわけだよな」
避けて通れるなら避けて通るべき相手だが、そういうわけにもいかないってのは難しい話だ。とはいえ…だぞ?
「まぁジャックはディオスクロア文明圏の九つの海域全てに縄張りを持っていて、いつもいろんな海を回遊してるらしいし、もしかしたらかち合わないかもしれないしな」
ジャックだって人間だ、あちこちを冒険している以上即座に黒鉄島の侵入者に反応してすっ飛んでくることはないだろう。そりゃあ上陸したことがバレれば後々文句をつけに来ることはあるかもだが、黒鉄島でジャックに出会う可能性は低い、よほど運が悪くなければ心配はないと思う。
「それもそうでございますね、それより複雑な海流や船乗りが見つけられない件の方を心配したほうがいいかと」
「それもそうですね、船乗りさん達が怖がってしまっている以上どうにもなりませんし…」
「心配ないよ…って言っても、ダメかな…」
「ダメだろうな、彼らにとって海賊はそれだけ恐ろしいのだ。例え邂逅する心配がなくともな」
腕を組み考える、協会が動いても見つからないということは正攻法で船乗りを動かすことは出来ないということでもある。やり方を考えないと船乗り達は動かない…丁度俺たちもボヤージュの街を目の前にしているし、何か動いてみる方がいいんだろうけど。
うーん…どうするかな。
「なぁラグナ」
「ん?どうした?メルクさん」
「どうする?船乗りを見つける良い方法は何かないか?」
「うーん…」
みんなの視線が俺に向く、俺を頼ってくれている。みんなが俺を頼ってくれるのはとても嬉しい、俺で何か役に立てるなら答えたい。だから一生懸命方法を考えよう。
まず正攻法で無理だというのなら正攻法以外の方法とは何だ、戦争で言うなら正面からの突撃ではなく策に嵌めて相手の方から動かすような方法をいうのだろうか。
ふむ、相手の方から動かすか…船乗りの方から黒鉄島に行くように仕向ける?理想ではあるがそんな事可能なのか?…いや出来るな、出来るぞ。
「うん、方法は思いついた」
「おお!流石だな!」
「でもいきなりそれを実行に移すわけにはいかない、まずはボヤージュの街に着き次第街の様子を確かめる意味合いも込めてみんなで手分けして船乗りに声をかけてみよう。そこで黒鉄島まで送ってくれる船乗りがいればよし、いなければ…ちょっと汚い手を使おう」
「汚い手?脅すとか?」
「脅す?まさか、まさかまさか…フッフッフッ」
「なんか…不穏」
不穏?まぁ不穏かもな、けどこっちもあれこれ気にしてる余裕はないんだ。師範だって言っていた。
『目的を達成する為なら手段を選ぶな、道徳とか常識とかそう言う小賢しいことは気に入らない悪人を嗜める時だけ使え』
ってな。何事も時と場合によるもんさ。
ガラガラと音を立てて進み続ける馬車は近づいていく。俺たちの目的地にして最初の関門…船乗りと漁師の街 湾岸街ボヤージュに。