394.魔女の弟子ともう一人の神将
「神を崇めぬ者は世の災禍なり、神が認めぬ者は世の不純物なり、神を崇めよ、神の許しを請え、神が目を逸らしたこの世に再び救いの瞳を」
テシュタル真方教会はオライオンテシュタルがマレウスの地に根付いた結果生まれた分派である。
成立は今から二百年前、マレウスの地を訪れた伝道師によって広まったテシュタル教だったが本家たるオライオンは海を隔てた向こうにあり、あまりにも関わりが希薄であった為に独自の活動によって信者を増やすしか生き残る道を見出せなかった結果、生まれた適応進化の果てが真方教会なのだ。
聖典はいつしかマレウス人受けしやすい物に書き換えられ、教えは曲解し、それを崇める信者はオライオンの物とは全くの別物になったと言えるだろう。
それに加え新たに真方教会の教祖に就任したクルス・クルセイドの攻撃的かつ排他的施策により完全にオライオンテシュタルから切り離された別の宗教となった。
「神を崇めよ、神に許しを請え、神を崇めよ、神に許しを請え」
神の教えの下生きるオライオンテシュタルとは異なり、真方教会の根っこにあるのは『神からの救済を求める』と言うものだ、神を尊敬するが故に従うオライオンとは違い神からの救いを求めるが故に従う真方教会のあり方はオライオンの物よりも狂信的だ。
何せ救ってもらうには神の言うことを遂行しなくてはいけない。でなければ神に救って貰えない。故に真方教会の活動は鬼気迫る物になる、狂気的なまでに従順に、盲目的に従順に神へひれ伏すのだ。
「神よ許し給え、神よ許し給え、神よ許し給え」
その狂信的な真方教会のあり方にクルスの攻撃性が加わった結果…今、オラティオの街は真方教会に飲まれかけている。
今日もゾロゾロと現れた信徒達が神言を口にしながらオラティオの街の境界線へと現れ住民達へ神への屈服を促す。でなければ今度は信徒達が救われないから…だから彼らは毎日こうやって飽きることなく住民達に対する嫌がらせを加えるのだ。
救われないのは嫌だから、救われたいから、救いを得る為にはこうするしかないからだ。
「また来たぞ、あいつら」
「クソ、毎日毎日いい加減にしやがれ…」
「…………」
しかしそれを見るオラティオの住民達の反応は冷ややかだ、得体の知れない存在から与えられる救いを必要としない者達から見れば真方教会のあり方は異質にして異常に見えるのだろう。その根底が純粋な『助けを求めているからこそ』と言う部分が分からない。
と言うかそもそも共感出来よう筈もないのだ。何せ教徒と住民の見ているものはまるで違うのだから。
「何故神を崇めないのです!何故神に歯向かおうとするのです!まるで理解出来ない、そんな行いをした先に何があると言うんですか!」
「こっちのセリフだよ!お前らどうかしてるんじゃないのか!?空想の存在に縋って平伏して!それで救われるなら訳ないっての!」
住民達には教徒の考えが一切理解できない、教徒達には住民の考えが一切理解出来ない。
相互無理解を通り越した相互拒絶。互いに互いを理解することのない両者が向かい合えば争うのは必定。
今日もまたいつものように住民達と教徒達は街の境界で言い合いを始める…が。
今日ばかりはちょっといつもと違う。
「静まれぇぇぇえいい!」
「な、なんだ!?」
教徒の海を割って現れる長髭の老父が奇声をあげて錫杖を掲げる。普段この手の言い合いには絶対に顔を出さないはずの司教ダーラットが最前線に現れたのだ。それが物凄い剣幕で怒鳴り散らしながらズケズケ現れたもんだから住民達も何事かと一歩引き下がる。
「司教がなんのようだ!」
「今日は最後通告に来たのだ、お前達の反抗に神も立腹である。故に言う…立退け、でなければ我々としても残念ではあるが、血を見せることになる」
「そんな脅しなんかに誰が屈して…」
「今!教会には知恵の槍クサンテ様が兵団率いて待機している!この意味が分からない者は居まい!」
「へ、兵団!?」
住民達の顔がみるみるうちに青くなる。知恵の槍といえば教会が保有する三つの大戦力の一つ、それが兵士を率いて待機している。武装した兵士相手に住民達の反抗がどれだけの意味を持つか…そんな物言うまでもない。
我々は皆殺しにされる、奴らは皆殺しにする、分かりきった話に住民達は悔しさと共に恐怖を抱き引き下がり始める。
「……それで良い、それで…」
ダーラットは目を閉じる、それで良いのだと。これで良いのだと。ダーラットとて教徒である、無闇な殺戮は好まないし血を見ないならそれでいい、いくら神を信仰しない者達とはいえ神でもない自分が勝手に人を罰していいはずがないのだ。
人を罰するは神が役目、それを神の従僕たる自分が勝手に行う程彼は不真面目ではない…だからこれでいいんだと彼は唱え続ける。
彼が目を閉じ背けた視線は果たして住民に対してのものなのか。或いは……。
『神よ、神よ、我等地上の従僕 星神の下僕、この祈り この意思 この声の全て、貴方への忠誠へと捧げ奉る』
「っ…!?」
刹那、声が響く。いや声なのかこれは。
あまりに美しい音色、上質なバイオリンを一等の奏者が奏でたが如き美麗なる音の芸術、聞いているだけでその場に腰を下ろし聴き入ってしまいそうなそれにダーラットも教徒も動きを止める。
「な、なんだ、なんなのだこの声は…」
『神よ、神よ、我等遍く信徒、星神を信ずる者、その威光 その奇跡 その御姿の全て、我等の救いとなり道を示す』
ダーラットは気がつく、これは…オライオンテシュタルの星神賛歌であることを、それが絶世の音色によって奏でられ我々の耳に入り込み身を縛っているのだ。
最早、この歌声は天変地異だ…。一体誰がこの歌を…。
「…おやめなさい、神が悲しんでいますよ。皆様」
「お、お前は…!?」
その足は優雅に、その立ち姿は典雅に、そのあり方は風雅に、その顔つきは閑雅に。紫がかった髪を風に踊らせる白いドレスの麗人が…従者を引き連れ街の境界線を歩み、両者の動きを止める。
なんだ、これは…。
「あ!お前達は昨日の!オライオンテシュタルのシスター!」
「あれが?…な、何という巨体だ…」
「…………」
白いドレスの麗人の後ろには七人の従者がいる。全員が僧侶服を着込み後ろをついて歩く…まるで今そこにいる白ドレスの麗人が、それほどまでに重要かつ高貴な存在であることを指し示しているようで。
「お前達、全員テシュタル教徒だったのか…!?」
「はい!エリスはテシュタル教徒です!」
「私も!テシュタル教徒!」
「イェーイ!テシュタルサイコー!」
「エリス、デティ、アマルト、黙ってて」
「はい……」
なんなんだこいつら…、しかしオライオンテシュタルの一団だと?何故海を隔てた先にあるテシュタルがこんなところに。
というか、なんなのだ。何も状況がつかめん。
「争い事はおやめなさい、同じくテシュタル様の教えを守りし者として貴方達が非道に手を染めるのを看過出来ません」
「な、何者だお前は!いきなり現れて!」
「控えおろー!このお方に何者だなどと無礼千万!」
すると昨日はメイド服を着ていたシスターがササッと前に現れ白ドレスの麗人を強調するように手をヒラヒラさせると。
「このお方はテシュタル様の創り給うたこの世を救済すべく、万世救民の四つ字を掲げ諸国を放浪せし慈悲深き聖女!『夜天の聖女ナリアール』様でござーい!控えおろー!」
「聖女だと!?」
聖女と言えばテシュタル教に於ける選ばれし者の証左。その歌声で教徒に希望を齎す神の代理人…、だがナリアールなんて聖女は真方教会にはいない。
やはりこいつは…いやこのお方はオライオンテシュタルの聖女か。確かにあの美しき歌声も慈悲深き面持ちも全て聖女であるなら説明がつく。
「こ、これは失礼した。いくらオライオンテシュタルの人間とは言え聖女様に取っていい態度ではなかった…」
オライオンテシュタルは正道から外れた魔女に支配された卑しい教徒だと真方教会は言うが、ダーラットは個人的にはそうは思わないのが本音のところだ。
聞けば魔女リゲルもまた敬虔な信徒であると聞く、教徒であるなら神に恥じる事をするはずがない。ダーラットは神を信じる信徒という存在に誇りを持っている、だからきっと魔女リゲルが教皇として統べるオライオンテシュタルにもそれなりの信仰があるんだろう。
そして、そんなオライオンテシュタルが選んだ聖女もまた我等としては敬うべきなのだ。
恭しく頭を下げるダーラットとそれに従い頭を下げる周囲の教徒を見たナリアール様は。フッと小さく微笑まれる…それがなんと美しきことか。
「状況の仔細はこちらに居る従者達より聞いています。…貴方がこの街の教会の司祭ですね」
「む、そうだが」
「どうか、街の人達を追い出すのをやめて頂けませんか?彼らにも彼等の生き方と暮らしがあるのです。それを不当に奪うなんて…」
「それは、出来ぬ相談ですな」
しかしいくら聖女とは言え受け入れられるものと受け入れられない物がある、この街を手に入れることはダーラットにとって役目とも言える物なのだ。
「何故、でしょうか」
「この街は宰相レナトゥスより神司卿クルス・クルセイド様に統治を任されている。つまりこの街は元より我等真方教会のものだ、我等が追い出そうとしているのではなく彼らが不当にこの街に居座っているだけだ」
「なるほど…」
道理はある、神司教クルス様が良いと言った以上良いのだ。街に住みたいのなら真方教会に平伏すしかない。そう伝えれば聖女は悲しげに目を伏せ。
「それで……良いのでしょうか」
「……なに?」
そう問いかけてくる、それでいいのか…と。その言葉がダーラットの耳に突き刺さる、今一番…言われたくない言葉であったからだ。
「いえ、神はそれを望んでいるのでしょうか。私にはどうにも…そう思えないのです」
「望んでいるに決まっている、神はこの地上にテシュタルの信仰を遍く広めることを是としている。事実として神司卿が…」
「神司卿が…そう言った、それは本当に神の言葉なのですか?」
「…いくら聖女様とは言えその言葉は看過出来ませんぞ」
いくら聖女とは言えナリアールはオライオンテシュタルの人間。それが真方教会のトップを疑うなどあっていい事ではない、そうダーラットが凄むもナリアールは涼しい顔で毅然として顔を上げると。
「司祭、貴方はテシュタルの従僕ですか?」
「無論である」
「ならばテシュタルとはなんですか?」
「む、テシュタルとは…この世を作り給うた神にして我等人が崇め尊ぶべき絶対の存在である」
「ええそうです、…なら貴方がそれに従う理由は?崇め尊ぶべき存在を肯定する理由は?」
「……それは神が信仰を広める事を望んでいるから、そしてその先に信者の救済を神に願い奉る為に」
「そこです」
「は?」
気がつけばナリアールがダーラットの鼻先を指差し瞳を見据える。その無駄のない美しい一挙手一投足にこの場の全員の視線が二人に注がれ、この白昼の只中に『注目』と言う名のスポットライトを作り出す。
今、この状況にあってこの舞台は、ナリアールとダーラットの二人のみを登場人物とした。
「神は信者しか救ってくれないのですか?」
「そ、そうだ。神を信じぬ穢れた不信者を救う義理は神にはない」
「神が義理で人を救うのですか?神は…そんなに狭器な存在と貴方は言いたいのですか?」
「な!?ち、違…」
「神は世の全てを作り上げました、それはこの世に神の愛が満ちている証拠です。神は絶対の存在であるならば人の生き方の全てさえも神の一存によるものではないのですか?信じるも信じないも神が許容した範囲内の事象ではないのですか?」
「だから私は…」
「山を神が作り神は山を愛しました、故に緑が生まれた。海を神が作り神は海を愛しました、故に魚が育みました。ならば人は?人を神が作り人を愛した…その愛を貴方は疑うのですか?」
「うっ…」
そこはもう神智学、神知論の領域の話だ。ダーラットはただの司祭、故にその答えは持っていない。だが一つ言えることがあるとするなら。
「神は、人を愛してなどいない」
断言出来るのはそこだけだ。神は人を愛していない、それは真方教会の聖典にも書かれている。
「魔女によって統治されたこの世は神の手を離れている。神は人を見放している、故に我等は祈りを神に捧げもう一度我等を見てもらう必要がある…我等に今一度救女神レイシアの寵愛と星神王テシュタルの御加護を授けてもらうために」
それこそが真方教会の理念、そもそも第一前提として『神は今の世を見ていない』と言う思想が存在している。
神が今の世を見ていないから魔女が跋扈している、本来の統治者である神が居ないから偽りの統治者が幅を利かせている。だから真方教会は再び神が地上に到来する事を祈るのだ。
全ては無辜の民達を助けてもらうために。
「なるほど、それが真方教会の教義なのですね」
それを受けたナリアールは一歩引いて…否、一歩前へ出て。
「ですが、神は本当にこの世を…貴方を見ていないとお思いですか?」
そう見据える、まただ、また来る。ナリアールの言葉の波が教え寄せる。それを前に一歩引くのはダーラットの方だ。
「何をバカな事を…」
「だって、神がこの世を見ていなければ…あり得なかったでしょう?」
「何がだ…!」
「私が、ここに来るなんて奇跡が」
「……は?」
スラリとした太ももをドレスから覗かせながらナリアールは歩む、教徒と住民の間を割るように歩む。それはまさしくそここそが正道であると言わんばかりに。
「『汝、弱き者虐げる事無かれ。祈りに貴賎は存在せず、神は全てを平等として作った』」
「それは…真方教会の、聖典の…」
真方教会の聖典に書かれている一文だ、オライオンテシュタルの彼女が何故それを。
そう思うと同時に、ダーラットはナリアールから目をそらす。何故ならその聖典の一部が今槍となってダーラットの胸を刺し穿ったからだ。
…自分はその一文を遂行出来ているのか?そんな自問自答が頭を過る。
「貴方は敬虔な信徒です、そんな貴方が…この一文に恥じる行為を喜んでするわけがない」
「ッ……」
「本当は、誰かに止めて欲しかったんじゃありませんか?」
「…何を、言うやら…」
「止めに来たのです、私は神の起こした奇跡によって…貴方達を過ちから救いに来たのです」
後光が差しているようにも見えた。ナリアールが両手を広げ神の慈愛を説く、その様に輝かんばかりの光を───。
(い、いや!?本当に光っている!?そんなバカな!?)
自らの影がぬるりと自分の背後に回るのを見て実際にナリアールが光っている事を悟る。そんなバカな、魔術の詠唱も何もなかったぞ、聖女とはいえただの人間が魔術も使わずに発光するだと?そんな奇跡みたいな真似が…。
(まさか、…まさか、本当にそこに『居る』と言うのか、神が…!)
そうとしか思えなかった、まるでダーラットの内心を見透かしたような口調と清廉なる佇まい、そして光を放つ奇跡…まさか本当に神がナリアールという聖女を使わせ、今彼女の背中を通して見ているというのか。
神が…そこに。
「そんな、バカなことが…」
「あ、嗚呼…奇跡だ」
「嘘だろ、神が…今我等を見ている」
教徒達も『そこ』から神を感じ取ったのか、自ずと地面に膝をつきナリアールを崇める。神がそこにいる、神が我等を見ている、神が…神が…。
「そ、そんなことがあるはずがない!何かの仕掛けがあるに決まっている!」
そんな中、ダーラットだけが首を振る。そんなわけがないんだ、神が我等を見ているなんてそんなことが、でなければ真方教会の教えは間違っていたことになる。だから必死に否定しようとするが…。
ナリアールはなおも余裕の笑みを崩さず。
「司祭様?」
「な、なんですかな?」
「神から聞き及んでいますよ、貴方もかつては高潔に生き弱き者に手を差し伸べる…そんな優しい人物だったことを」
「なァッ!?!?」
何故そのことを、今この場に来たばかりのナリアールが…そのことを知っているんだ。
確かにナリアールの言う通りだった、優しいとか高潔とか自分で言うのは恥ずかしいが…それでも今の自分よりはもっとマシな生き方をしていたと断言出来る。
小さかったが賑やかな教会で、教徒ではない普通の市民達を多く受け入れ。その悩みを聞き、共に泣き、共に笑い、この全てを善行に賭していたあの若き頃の自分が今の私を見れば、哀れみの視線と共に肩に手を置き『何か嫌なことでもあったのかい?』と聞いていただろう。
全て変わったのはクルス・クルセイドが教祖の座に就き信者の増加と教会の勢力圏拡大に力を入れ始めた頃からだ。それから信者達はクルス様から破門の脅し文句を突きつけられながら彼の言うことを聞いて…。
私がこの街に来て住民達を追い出そうとしたのも、全ては破門されるのが怖かったから…神からの救いの手を遠ざけるのが怖かったから。
(なんと、情けない…)
思い出せば涙が出てくる、あれだけ他者のために尽くして生きてきたのに、今の老いさらばえた自分は教会以外に居場所を見つけられず固執して、他者に危害を加えてでもその座に居座り続けようと目論むなんて。
その事を見事言い当てると言う奇跡さえも起こしたナリアールに、ダーラットはもう何もいえなかった。
「神は貴方の行いを見ていました、だからこそ貴方を救おうと私を使わせたのです」
「神は、私を見ていると」
「ええ、勿論。真面目に生きる貴方を神が見ていないはずがない」
「なら、真方教会の教えは…間違っていたと?そういう事なのですか」
「………………」
ナリアールは目を伏せ、何かを溜めるように息を吸い、ワンテンポ置くと…。
「ある意味では正しく、ある意味では間違っていたのかもしれませんね」
「ど、どう言う意味ですか?」
「それはですね、えっとですね、そのね…あのー…」
「?」
急に歯切れが悪くなったナリアールに首を傾げていると、そのうちの従者の一人が前に出る…なによりも大きくなによりも雄大な体を持つ、巨人の女だ。名は…ネレイドだったか?
「聖典とは全てではない」
「何を…」
巨人の女ネレイドはそう言うのだ。聖典が…全てではない?
「聖典は神が書いたものではない、人が描く物だ。であれば時として過ちも記載されるし時として曲解されることもある。問題は聖典から何を受け取るか…そこだけだ」
「何を受け取るか…」
「そうだ、ただ闇雲に聖典を鵜呑みにし自分で考えない者に神の祝福は降りてこない。聖典は飽くまで神が与えた『より良い生を送るためのもの』でしかないんだ、神は神であって王ではない」
「…………」
「神が見ていないと言うのはもしかしたら事実かもしれない、けどより良い生き方を模索する者まで捨て置くほど神は非情でもないと言う事だ、故に…ある意味では正しくある意味では間違っているのだろう」
「つまり、我々は神の御意思を履き違えていたと…」
「そうだ、だから…司祭。その信仰心に恥じない生き方をしなさい、少なくとも君がかつて歩んでいた道は間違っていなかったのだろう」
「…………」
恥じない生き方、今の生き方は果たしてそうなのか。クルス・クルセイドの説く民を救う為の施策は果たして神に恥じない物なのか。
神は今の我等を見て、果たして救おうと思ってくれるのか。先代教祖様が導いてくださっていた頃は少なくともそう思えたが…今は。
「…………」
「司祭様…」
「司祭様、我等は…」
後ろを見れば多くの教徒が不安そうな面持ちでこちらを見ている、これからどうするべきなのかを…未だ年若い彼らは分からないのだ。少なくとも昔の真方教会はこうではなかった。
教祖様はただ大筋を示すだけで干渉はせず、我等に任せてくださっていたから自主性に溢れていた。クルス・クルセイド様の命令で考える事を放棄して動いていた弊害か。
……人は間違える物か、私がこうして間違えたのだ。きっと…今の教祖様も。
「……分かった」
向き直る、強くその場に立ってダーラットは向き直る…住民達に。不安そうにこちらを見る住民達の顔は、かつて私に向けられていた物とは違う。そりゃあそうだ、私はそう言う事をやっていたのだ、それが答えなのだ。
ならば…。
「オラティオの皆々様、申し訳無かった…」
「え!?」
深々と頭を下げる、謝罪をする。頭を下げることは恥ずかしいことではない、恥ずかしいのは己の非を認められないことだ。少なくとも私は胸を張って神にそう言える。だから実行するまでだ。
己の非を認めよう、私は権力に盲従し信仰を見誤った。情けない…上が命令したから動く?私は兵士ではないし神司卿は王ではないのだ。
「聖女様の言葉で…私の行いを見つめ直せた、私は…こんな事がしたいわけじゃない。私は…一人でも多くの者の助けになって、神の素晴らしさを伝導する…そんな信者でありたかったんだ。誰かを害してまで信仰を強要するなんて…間違っていた」
「あ…う…」
「今までの非礼を、詫びさせてほしい。そして言い訳をさせてほしい。真方教会のやり方は確かに間違っていただろうが…テシュタル様は、そんな非道を良しとしない存在であることだけは、言わせてほしい」
そんな資格ないのだろうが…それでもだ、今の私に出来るのはせめてテシュタル様の名前に泥を塗らない事、ただそれだけなのだから。
「…分かった、その謝罪を受ける」
そう言い出すのは街人たちのリーダーであるライノ氏だ、彼は恐る恐る街人たちの前に出て私の謝罪を受け取り深く頷く。
「…よかった、…では我等はこの街を去ろう」
「ええ!?本気ですか司祭様!」
「ですがこの街を手に入れなければクルス様から破門を言い渡されてしまいます!」
街を去ろう、我々に出来るのはこれ以上テシュタルの名を汚さない為にも立ち去るしかない。今の街人たちにとってこれ以上テシュタルを恐怖の対象にしない為にも立ち去るしかない。
我々はやり方を間違えたのだから、またどこかでやり直すしかないんだ。
たとえ…。
「良いのだ、破門されても。私が崇めているのはテシュタル様だけだ、教会にいなければ祈りを捧げられないわけじゃない。皆もそうだろう?神は我等を見ている、なら我等は我等で信仰の形を証明すればいいだけだ。たとえ破門されようともな」
教会に所属しているかどうかはこの際関係ない。教会は飽くまで教徒達の集まりでしかないのだから祈る為に教会に固執する必要はなかったんだ。
「やり直そう、やり直して出直そう。神に恥じない生き方をする為に…」
「司祭様…そうですね、我等は教会に固執するあまり、大切なものを捨てていたのかもしれない」
「そうだ、弱き者に手を差し伸べるのがテシュタル様の教えのはずなのにこんなやり方間違ってる。そんな事にも気づけないくらい我々は固執を…情けない」
「…お前たち、皆なら分かってくれると思っていたぞ」
彼らもまた敬虔な信徒だ、そこは私がきちんと見守ってきている。だから信じられる…。
或いは、神も同じ気持ちなのかもしれない。見守ってきたからこそ信じてくれる…きっと。
「そう言うわけです、我々はこれ以上この街に迷惑をかけない為にも今すぐ立ち去りましょう」
「し、司祭殿それは…」
ライノ氏が何かを言おうと手を伸ばした、その瞬間だった。
「いやいやいや、そりゃあ困るでしょう。神司卿の面目が立たないじゃないのさ」
「ッ…!クサンテ様」
ゾッと背筋が冷たくなる。まるで釣られるように背後に目を向ければ、そこには愛用の銛型の槍を肩に担いだ知恵の槍クサンテ様が兵団を率いて教会から出てきていたのだ。
「やっぱ何年も何年もこの街で成果を上げられないってのは妙だと思ってたら、アンタやっぱやり方甘かったんじゃないの?他所の教会はもっとハツラツにやってるよ?」
「クサンテ様…私は」
「ああはいはい、この街から手を引こうってんでしょ?聞いてたよ。けどさぁそれじゃ困るんだよね、それじゃあクルス坊ちゃんのメンツが丸潰れでしょ。それで怒られるのは近くにいる俺達なんだからさあ、勘弁してよぉ」
「ですが、やはりクルス様のやり方は間違っています。クサンテ様…最も古くから教会に仕える貴方なら分かるでしょう。先代のやり方と今のやり方はあまりに乖離し過ぎている、クルス様のやり方はまるで教徒を自身の兵隊のように使っている。我々は教会でしょう?兵士ではないはずだ」
「うぅ〜ん反論の余地のないド正論、まさしくその通りと膝を打ちたいね。まぁけどさ…よく言うじゃん、今は今 昔は昔って。クルス様が是と言えば是なんだなこれが」
「…私は、神の従僕です。教会のではありません」
「高潔だね、なら殉教と果てるか?」
クルリとクサンテ様の槍が手元で踊る。やはりこの人は私を始末するつもりでここに来ていたんだ、最初からクルス様の命令でここに。
まずい、このままでは…。
「ライノ殿!街人を家の中に!このままでは殺されてしまいます!」
「し、しかし司祭殿は…」
「我々は、…ッ」
最早知恵の槍に睨まれては私は逃げようがない。せめて街人たちだけでも生きてもらわねばならない…彼等は教会の勝手で死ぬ必要はないのだ。
「私はここで、神に我が生き様を示します。今まで間違えていた生き様を正し!神に恥じることのない生を全うする!」
胸を張る、たとえ我が命尽きようとも神への信仰は揺るがない。ここで恐怖によって意見を変えれば私は二度と神に真摯な祈りを捧げられない!私の人生は全て神のためにある!
「あっは〜こりゃ感服つかまつったね、じゃあ上等なまま…死ね」
切っ先が煌めく、我が張った胸に向けて刃が空を割き飛翔し迫る。
嗚呼神よ、せめて我が魂、貴方の御座まで向かうことを許し給え…!
「ッ……!」
──しかし、ダーラットのその願いは聞き届けられることはなかった。
神は、その魂が御座に来ることを拒んだ。神は言うのだ。
『まだ生きよ』と。
「なァ?ちょっ!?お!?」
刹那、クサンテ様の気の抜けた声が響き、強く閉じた瞳をダーラットがゆっくりと開けると…そこには。
「何をする…!」
「そりゃこっちのセリフだよ!ってかデッカぁ…!?」
まるで子供のおもちゃを親が取り上げるように、巨人の女ネレイドがクサンテの槍を掴み上げて引っ張っていた。あの知恵の槍の一撃を素手で軽々と掴んで…。
な、なんなんだ…この女、ただの聖女の護衛じゃ…。
「この司祭を殺すことは許さない、彼はまだ死なせない…」
「は!?いきなり出てきてなんなのかねぇアンタ!ってか…くぅっ!力もえげつねぇ!?俺が押し負けるとか!」
ザリザリと地面に線を残してクサンテの足が引きずられる、槍を掴まれ徐に引っ張られているんだ。綱引き状態といってもいい…いやそもそも勝負になってない。
女の方が強すぎるのだ、ありえない。ありえないだろうこれは。
「き、君は…君は何者なんだ、聖女様の護衛では」
「私は…ネレイド、旅の僧侶だよ」
ネレイド…と彼女は名乗る、その聴きなれぬ名前を聞いて口を開ける周囲の兵士とは異なり、クサンテはギョッと顔色を変える。
「な!?お前!ネレイドだと!?あのオライオンの巨神ネレイド・イストミアか!?なんでそんな大物がこんなとこに…」
「あー…違う、人違い」
「んなわけあるか!誤魔化せるかよその巨体で!大体他に該当する人間なんているわけ──」
刹那、ダーラットの目の前で破裂音が響き渡る。恐らく街の反対側にいても聞こえただろう爆音は衝撃波を伴いダーラットの髭を揺らす。
何が割れたのか?…端的に言うなれば空気だ、ネレイドが片手をブンと鞭のように振るったんだ。
所謂平手打ち、屋根のように大きい手を広げてクサンテ様の体を叩き飛ばしたのだ。それによりクサンテ様の体がその場から消失し…その奥にある家屋の壁が爆裂し大穴が開く。
あ、あの知恵の槍クサンテを…一撃で、倒してしまった。そんなバカなことがあるのか?一介のシスターが…こんな、え?ん?どういう事?
「うるさい…違うって、言ってるでしょ」
むぅと頬を膨らませるネレイドは一撃で知恵の槍を吹き飛ばして一仕事終えたとばかりに手をパンパンと叩く。
こいつ、こんなに強かったのか。もし我々が実力行使に出てたらこの人が住民を守るため我々と戦って…。
「は、ははは…やはり神のお導きに間違いはないようだ」
力が抜ける、やはり神のお導きに間違いはなかったんだと胸を撫で下ろす。
しかし、巨神ネレイド?オライオンテシュタルの教義には明るいが人物はよく知らないな。よく知らないが…。
きっと、さぞ名のある高潔な僧侶なのだろうな。
…………………………………………………………
「っクサンテ様がやられた!?」
「一撃で神将の副官を!?ありえない!」
「これはどう言う事なんだ…理解出来ない」
ネレイドによって吹き飛ばされ家屋の壁の中で倒れるクサンテを見て兵団が慄く。知恵の槍クサンテと言えばかつては知神将を名乗った事さえもある真方教会最強クラスの使い手だ。
それが突如として現れた巨人によって吹き飛ばされ昏倒させられるなんて理解不能を通り越して理解することを脳が拒む。まさか知恵の槍クサンテがやられるなんて…と。
そして次いで浮かんだのが…。
「貴様!許さん!」
報復だ、上官をやられた以上兵士たちとて黙ってられない。未だ状況を半端にしか理解出来ていない状況下で兵士たちは剣を抜いてネレイドを取り囲む。クサンテの述べた『巨神ネレイド』の言葉の意味さえよく理解しないまま。
「……やめておけ、そしてこの街を立ち去れ。そこで寝ている上官を連れて帰れば私は手を出さない」
「ふざけるな!クサンテ様をやられておめおめ帰れるか!」
「神の名において貴様に罰を与える!」
「神の名を、そう簡単に持ち出すなよ…!!」
剛ッ!とネレイドを中心に威圧が飛び兵士達が竦む。ありえないほどの闘気と闘志、ただでさえ大きなネレイドの体がより一層大きく見える…こんなのまるで。
(まるで争神将オケアノス様のようだ…!)
真方教会を守護する最強の信徒。又の名を『巨人殺しのオケアノス』のようだ、何故流浪の僧侶がこれほどの威圧を。
「く、くぅ!怯むな!我らには神の加護があるぞ!」
「はぁ、やるのか…」
「お!喧嘩か!面白え!俺も手伝うぜネレイド!」
「エリスもです!ぶっちめましょう!」
更にそこに赤髪の男やエリスと名乗る女が参加し始める。だが誰であろうと関係ない、神に刃向かう愚か者には破滅の刃を与えるのが我等の仕事!そう兵士達が意気込み剣を構え。
「行くぞォッ!!」
「オォッ!」
「ああー!待った!待った待った!それに喧嘩売るなー!」
「っ!?クサンテ様!?」
しかし、これから開戦の火蓋が切って落とされようかと言う瞬間、吹き飛ばされたはずのクサンテ様がえっちらおっちら戻ってきた。無傷…と言うわけではないがどうやら無事なようだ。
「クサンテ様!よかった…やはりやられてなかったんですね!」
「いやいややられたよ、今ので骨が何本か逝ったし腰も…イテテ、おじさんには辛いよこれは。それより絶対にそこにいる女には手を出すなよ、流石にアレと戦いになったら俺ぁお前ら置いて逃げるぜ?死にたくないしな」
「そ、そんなに強いのですか?」
あのクサンテ様が戦うこともせず退却を選ぶなんて、そんな大物なのか?いや見かけは大物ではあるけども。
しかしクサンテ様の顔つきは至って真面目。ここまで真顔なのは数年ぶりだ…。
「強いに決まってんだろ、何せこの人は…」
「むぅ…」
「あーいや、その…まぁなんだ、俺はこの人の素性に覚えがある、俺が知る中でも特級にヤバいやつだから機嫌だけは損ねるなよ?な?」
何かを言おうとしたようだがネレイドのギラリと光る眼光を受け即座に言い澱み出しかけた言葉を引っ込めネレイドを諌めるようにまぁまぁと手を前に出す。
処世術とでも言おうか、クサンテはなるべく相手を刺激しないように槍を置いて両手を広げたまま巧みにネレイドの懐に潜り込み、周囲の兵士達に聞こえないように小声で話し始める。
「で?あんたオライオンテシュタルの闘神将ネレイドだろ?」
「違うよ」
「なるほど、素性を大っぴらに出来ない事情持ちか。ってぇと周りの連中も…」
「あんまり詮索すると怒るよ」
「わ、分かったよ、俺は何にも知らないし誰にも何にも言わないよ。神将の怖さはわかってるつもりだし、ましてやオライオンテシュタルと事構えようってつもりはねぇよ…だからここは穏便に頼んますわ、な?」
「…………なら条件がある」
「ほう?なんだね」
「この街の司祭達に指示を出している神司卿に嘘の報告をしろ、司祭達は上手くやっている、この調子ならいずれテシュタルの教えを広められるって」
「俺に教祖様へ嘘の報告しろって!?」
「嘘じゃない、見て」
そうネレイドに促されクサンテはそちらを…ダーラット達のいる方角を見ると。
「大丈夫ですか?ダーラット司祭」
「む、いや…私は、彼女に守られたので」
「そうですか、…心を入れ替えたと言うのは本当のようですね。住民を率先して逃がそうとする貴方の姿は…あの頃の、今みたいな強権を振るう前の清々しかった頃の教会のようでしたよ」
「ッ…それは」
「無理な宗教勧誘をしないのなら、私達とて貴方達に街を去って欲しいとは思いません。ましてや昔のような頼りになる教会が街にあるのなら…心強いですし」
「ライノ殿…有難い、ならば神命に誓って我等は教会としての務めに励む。街の人達にまた頼りにされるような、そんな教会を目指して」
手と手を取り合うライノとダーラットの姿があった。無理な勧誘を絶対に受け入れなかったライノが今ダーラットを受け入れている。それはかつて教会が街に頼りにされていたあの頃のような…そんな懐かしい光景が広がっていた。
いや、懐かしいと言うより…本来はこうあるべき姿が、そこにはあった。
「彼等は神に見捨てられたなんてもう思ってない、神の御心を信じるオライオンテシュタルのように…街の人達の助けとなって生きる道を選んだ、これならテシュタルがこの街に根付く。無理に誰かを迫害する必要なんてどこにもない」
「…………」
「宗教とは本来こうあるべきでしょ、人の人生を支える強固で揺るがない大樹として傍にあるべなの。決して誰かから何かを奪うためにあるんじゃない」
「…そらまた、結構なことで。まぁ分かりましたよ、闘神将様に言われたんじゃ飲むしかないかね」
頭をグジグジと搔いたクサンテは何かを認めたように分かった分かったと手を振り踵を返し腰を摩りながらネレイドから距離を取り始める。少なくともここで『いや、それでも始末します』と言えばネレイドが本格的に敵対することを考えればクサンテとしては大人しく引き下がるより他なかった。
ネレイドもまた神将なのだ十年近く前に神将を務めていたクサンテだからこそネレイドの実力の高さとその名前の意味は分かっているつもりだ、喧嘩を売って勝てる相手じゃない。ここは大人しく尻尾巻いて逃げるに限る。
「まぁでもさネレイドさんよ、あんたは確かにオライオンじゃあ神将かもしれないが、マレウスじゃあんまりでかい顔しないほうがいいかもよ、ここにはここの神将がいるからね」
「もう一人の…神将」
「いいや、ここじゃああんたが『もう一人の神将』だ。そいじゃそう言うわけで、悪者は正義の味方に倒されておめおめと退散しますわな…イテテ、腰いてぇ〜。あ〜こりゃしばらく休みもらわにゃならんかなあ」
痛い痛いと腰を撫でながら引き上げていくクサンテとその兵団達を眺めネレイドは静かに目を据える。
(硬かった)
ネレイドは己の手を見る、結構本気で叩いたつもりだったんだけど、クサンテの様子を見るにまだまだ戦えそうだった。もしかしたらあの人…結構強い人なのかもしれない。
そして、それを統べる神将はもっと…。
(争神将オケアノス…一体どんな人なんだろう)
出来るなら、同じテシュタルを崇める者同士仲良くしたいところではあるが、…さてどうなるかな。
……………………………………………………………………
結果を述べるなら、ナリアさんの演技は上手くいって結果オーライの大団円になったと言えるでしょう。
事前にネレイドさんから真方教会の聖典を受け取り、エリスから過去の真方教会の有様を聞いて自分で見たこともない真方教会に対する台本組み上げ完璧に騙し抜いた。
途中ちょっと危ない場面もありましたがネレイドさんのフォローでなんとかなりました、まぁそこを抜きにしても初見の相手に対してあそこまでの演技が出来るのはナリアさんだけだと断言出来る。
本当にこう言う一芝居打つ場面において彼ほど頼りになる人物は他にいないでしょうね、でもアマルトさんは。
『ナリアに嘘つかれたら見抜ける自信がねぇ…、ある意味一番怖いかも』
とか言ってましたね、まぁ…そこについては同意するかも、ナリアさんはあのシリウスさえも騙しましたしね。
まぁそんなこんなでエリス達は司祭ダーラットを説得し、かつての教会のように街の人達と仲良くする方向へ持っていくことが出来ました、オライオンテシュタルに改宗させるとかネレイドさんは言っていたけどそこがどう言う判定になってるかは知らない。宗教的な面はエリスは門外漢なので。
そして。
「皆様のおかげで我々オラティオの街の者達も救われました、ダーラット司祭はかなり古くから教会に所属していた方なのでまた昔のように頼りになる教会としてのこの街の人達の助けになってくれるでしょう」
またライノさんの家に招かれエリス達は依頼達成のお話をしていた。ライノさんの言う通りダーラットさん達はこれからも街に残り続け教徒としての務めに励むようだ。
境界線も取り払われ、どちらかが追い出されることもなく、これからは両陣営手を取り合って生きていく。終わりかたとしては最高のものだとエリスは思う。
事件が終わっても、誰かが悲しんでいたら嫌だからね。
「ネレイド様とナリアール様には一層のお礼を」
「あはは、僕は何にも、話も半分くらいしか分かってませんし」
「ん、でもナリア君はよくやってくれた…流石」
「ん?僕?ナリア君?聖女さまでは?ま…まぁいいか」
ライノさんはやや混乱してるようだが、まぁこれは放置でいいだろう。聖女と思い込んでいるなら思い込んだままでいい。
「それより依頼の報酬の件ですが、街人から募ってそれなりの額を用意しました。どうぞお納めください」
「おお…」
とアマルトさんが声を上げるくらいの額がそこにはある、金貨銀貨入り乱れ袋をパンパンに張った報酬が机にドンと置かれる。冒険者協会からの依頼の中でもかなりの報酬だと言える。こんなに貰える仕事は他にはない…しかし。
「んん、要らない。依頼は真方教会の討伐…私達は何も討伐してないから」
「え?ええ?しかし無報酬と言うわけには…」
「要らない」
ネレイドさんは受け取るつもりはないようだ、まぁエリス達もお金に困ってるわけではないからね。だったらそのお金は街の人たちで使って欲しいよね。アマルトさんは『せっかくなら受け取ろうぜ』って顔してるので肘で突いておく。
「しかし何も出さないわけにはいきませんよ」
「なら、気持ち程度に何かは受け取るけど…どうしよう」
「気持ち程度に、私個人から出せるものがあれば良いのですが…生憎この家には私の研究資料しかありませんしな」
何かを渡したいとライノさんは言うが、見回した限りこの家には本や資料しか置かれていない。学者たる彼の家としては申し分ないのだろうが…ん?
そう言えば。
「そもそもライノさんって何を研究してる学者なんですか?」
そんな感じでふと聞いてみると、ライノさんはなんでもないことのように…いや事実なんでもないことなのだろう。彼にとっては…だが。
「え?ええ、私は海洋研究をしていたものでしてね。十五年前くらいは黒鉄島なんてマレウス海洋研究の第一線で働いていたことも…」
「く、黒鉄島!?!?」
「マジかよ!?ありかよそんなの!」
ギョッとエリス達は立ち上がる、学者って…海洋学者なのか!?しかもあの黒鉄島に居たって言う…こんな偶然があるのか?こんな偶々があってもいいのか?
それとも、或いはこれが…これこそが、神のお導きってやつなのだろうか。神を信じてないエリスでも今ばかりは神を信じて崇めそうだよ。
「本当なのかライノ殿!」
「え?いや…まぁ元ではありますがね?黒鉄島の海洋調査拠点が解体されてからはこちらに移り住み、資料を集めて細々と自己満足のような研究をしているばかりで…」
「俺達これから黒鉄島に行きたいんだ!是非話を聞かせて欲しい!それが報酬で構わない!」
「なんと!…そうでしたか。分かりました、ではお話ししましょう…十年以上も前の話でよければ」
するとライノさんは立ち上がり、一番使い込まれているであろうボロい本棚に向かいそこから一冊の本を取り出す。ただそれだけで煙のような埃が舞い上がりそれをどれだけの期間開いてなかったかが伺える。
「まず黒鉄島というのはマレウス近海に浮かぶ浮島群エンハンブレ諸島の一つで群のおよそ中心に位置する未開の地です、周囲の島や海底に空いたまるでチーズのような数多の穴の所為で海流は安定せず常に海は荒れ狂い、時には不規則に渦潮さえ発生し、おまけに海賊が跋扈する危険地帯…ヨットやボートで向かうのはほぼ不可能と見ていいでしょうな」
黒鉄島周辺の海はやはりかなり荒れているようだ、あちこちに点在する島を避けて通ろうとあみだくじのように波が分かれた結果、あちこちで波がぶつかり合体しを繰り返して海が荒れてしまっているんだ。
魔女様達の戦いの残り香がそんな危険な海を作り上げている。危険度で言えば帰らずの海 巨絶海テトラヴィブロスに次ぐほどだろう。
「ただ黒鉄島周辺の海はそういった事情もあり殆ど研究が進んでいません、あの荒れた海にどんな魚がどんな生態系を作り上げているのか、それは今も全くと言っていいほど解明されていないのが現状です、だからでしょうかね…あんな胡乱な伝説が生まれてしまったのでしょう」
「伝説?…ああ、もしかして人魚伝説ですか?」
マレウスの近海には半人半魚の謎の生命体が住まうとか言う伝説が結構前からあるらしい、しかもその肉を食えば陸に上がれなくなる代わりに海で死ぬことがなくなる…なんて眉唾まである始末。
正直興味以上にドン引きが勝る、どういう神経してんだ。
「実際人魚っているんですか?」
「アッハッハッハッ!いるわけがないでしょう。そりゃあ私も昔は人魚なんて未知の存在に夢を見ていましたが…歳をとれば取るほど現実を知りましてね。居て欲しいという感情以上にいるわけがないという諦めが勝ってしまいましたよ」
「でも居ない証拠は見つかってないんですよね」
そうメグさんがしぶとく食い下がるも、ライノさんは静かに首を振る。
「居ない証拠なんて、居る証拠以上に立証が難しいものですよ」
そりゃそうだ。まぁ人魚の肉を食べたら〜って部分には同意できないが、それでも人魚はいて欲しいとは思う。だって面白くないか?今の今まで誰も見つけられなかった存在がまだこの世にはある事の証明じゃないか。
まだこの世界にはワクワクできることが残ってる、そう捉えることもできるが。ライノさんはもう諦めてしまったようだな。
「あー、それより聞きたいことがあるんだけどさ」
すると人魚の話題をスパッと叩き切りラグナが手を上げて。
「黒鉄島にライノさんはいたんだよな。ってことは…なんか、気になる建造物とかなかったかな」
「建造物?」
つまり…ラグナが聞きたいのは『マレウス・マレフィカルムの本部と思わしき建造物はあったかどうか』。そもそもエリス達が黒鉄島に行きたいのはマレフィカルムの本部があるかどうかを確かめるために行きたいのだ。
だがそれを聞かれたライノさんは首を傾げて。
「黒鉄島は無人島ですよ、密林などはありますが人は住んでません、だから建造物は…」
ない…そう言いかけた瞬間、ハッと何かに気がついたのかライノさんはあご先に指を当て。
「いや待てよ、…建造物と呼んでいいかは分からないが、それらしきものはあったな…」
「ほ、本当ですか!」
「ああ、密林の木々が風に吹かれて揺れたその一瞬、密林の奥に黒い遺跡が見えた事があった。気になって確かめようと密林を調査してみたが結局どれだけ歩いてもその遺跡は見つけられず我々は引き返したんだ…あれは結局なんだったんだ、見間違いだったのか、それとも…」
「あるんですね、建物が」
ラグナがチラリと皆を見る、これは決まりだと皆も深く頷く。ロダキーノがもたらした情報に些かの疑惑はあったが、これはもう無視出来るレベルじゃない。もしかしたら本当にそこに本部があるかもれしない。
本部を叩ければ一気にマレフィカルムを瓦解させられる、エリス達の旅の目的も一気に果たせるというわけだ。うん…これはもう行くしかないんじゃないかな!
「ええ、何かのお役に立てたなら嬉しいです…しかし、黒鉄島。この言葉を口にするのももう随分懐かしいですな」
するとライノさんはやや寂しそうに本を眺める、もう埃にまみれてしまったその本を愛おしそうに撫でると。
「あの島は私の青春でした、毎日のように海に出て海の研究をして、仲間達と語り合い様々な苦難を乗り越え、そうして拠点に戻り…みんなで食べたボヤージュバナナ、美味しかったなぁ」
「ボヤージュバナナ?」
「ええ、黒鉄島に自生していた特殊なバナナですよ。オレンジがかった色合いで他のバナナより一回り大きく、そして食べると砂糖を齧ったように甘い…これが疲れた頭に効くものでして」
「おおー!美味しそうー!」
キラキラと目を輝かせるデティは置いておくとして、ボヤージュバナナという名前はエリスも以前来た時に聞いたことがある。とても甘くマレウスにおいては『甘味の王様』なんて呼ばれるくらい甘いらしい。
けど同時に殆ど市場には出回らず、果実の中では最高級品として扱われる代物、この国の王族でもなければ食べられないと言われるようなそんなバナナを、研究がてらに食べていたのか。
しかも気の合う仲間と一緒に研究に打ち込んでいた。誰にも邪魔されることなくだ…きっと楽しかったことだろう。それを思い出しているからこそ…ライノさんは今、涙ぐんでいるのかもしれない。
「…ふぅ、さて黒鉄島に関しては未だ謎も多いですし私が教えられることは限られていますが…こんな感じで良かったでしょうか」
「最高だったよ!この街に来てよかったと思ってる!」
「それは嬉しい、是非またお越しください。その時は我々住民と教会が手と手を取り合ってよりこの街を良いものにしていることでしょうからな」
はっはっはっと前にも増して快活に笑うようになったのは肩の荷が降りたからなのか。ライノさんは嬉しそうに破顔するとエリス達の旅路を祈ってくれる。
思いがけないところで黒鉄島の情報を手に入れることができたな、まさかライノさんが黒鉄島に行ったことがあるとは…。情けは人の為ならずとはまさしくこのことだ。
「よし、それじゃ…俺達はこれで」
「はい、黒鉄島に行けると良いですね。応援してますよ…きっと貴方達なら辿り着けます」
健闘を祈ります、その言葉を受け取ってエリス達はライノさんの家を後にして…流れる爽やかな風を受けホッと一息つく。なんか…休憩のために立ち寄った街なのにえらい目にあったな。
「全然休憩にならなかったね」
「いやまさか立ち寄った街がこんな混沌としてるとは思わねぇじゃんふつーさ」
「結局ナリアにも無理をさせてしまったしな、体調は大丈夫か?」
「はい!大丈夫です!久しぶりに演技したら逆に元気になりました」
「どういう身体構造でございますか…」
「アッハッハッハッ!でもなんか面白かったな!俺何にもしてねぇーけどさ。でもみんなと事件解決するってやっぱ楽しいわ、なぁエリス」
「そうですね、ラグナの言う通り…エリス達に解決出来ない事件なんてありませんよ!」
でもなんだろうな、この高揚感。みんなとなら本当になんでも成し遂げられそうなこの一体感と万能感。一人で旅してる時には得られなかった感覚だ。
今ならシリウスもダース単位で倒せそうだ。
「ところでネレイドさん、オライオンテシュタルへの改宗とか言ってましたけど…結局あれって改宗出来たんですか?」
「ん、こっそり教会に星神大聖典…オライオンテシュタルの聖典置いてきたから大丈夫、明日にはみんなオライオンテシュタルになってる」
ネレイドさん、貴方多分宣教師向いてないですよ…。なんでそんなに自信満々なの?…まぁでも。
『神が見ているんだ、神に恥じない生き方をするぞ!』
『ご老人!困ってることはないだろうか』
『何?悩みがある?わかった、なんでも聞こう。もちろん誰にも話さないから安心してくれ』
あちこちで活発的に動く真方教会の面々をちらりと見て、…思う。あの感じはオライオンで見た信徒の人達の、誠心誠意神に尽くそうとする様に似ている。
神に見放されてるから振り向いてもらうため必死に祈るのと、神に恥じないよう胸を張って生きるのでは…やっぱり感覚としては全然違う。そう言う面で言えばこの街の信徒達は皆オライオンテシュタルの意思を僅かながらにも受け取ることが出来たのかもしれないな。
改宗とまではいかないんだろうけどさ…。
「…真方教会、今はなにかを間違えてるかもしれないけど…きっと根っこのところはいい人達ばかりなんだと思う」
「そうですね、ダーラット司祭も話してみたらいい人でしたし」
「うん、…だから出来るなら。この旅の何処かでその歪みの根源とも…神司教クルス・クルセイドとも話をしてみたい。一体…どう言うつもりなのかを」
そう言ってネレイドさんが見据えるのは教会…のさらに奥、今回の事件の発端となった人物の一人であるクルス・クルセイド。エリス達のいるマレウス西部とは反対側になるマレウス東部に拠点を置く其奴との邂逅を…ネレイドさんは今から心待ちにしているようでもあった。
まぁ、なんだ。旅を続けてたらいつかきっと会うことにもなろう。
マレウスに限らず、この世界は空で繋がっているんだから、いつか合間見える日も来る…その時は本当の意味で、今回の事件を解決する時が来るだろう。
そんな期待と言っていいのか分からない感情を胸に、エリス達はオラティオの街を旅立ち、また新しく黒鉄島を目指す旅路へと戻っていくのだった。
………………………………………………………………
「ま、マレウス北部での進捗は今月新たに教会を四軒建てるに至っており…」
「王都での信者の数は先月に比べ二十三人増加していまして…」
「マレウス南部では信者を受け入れる体制が…」
───マレウス東部に存在するマレウスの為の宗教。テシュタル真方教会の総本山とも言えるその赤き城の中で、身綺麗なローブに身を包んだ僧侶達がひれ伏しながら目の前の玉座に座る男へと報告を述べる。
「やぁ〜ん、クルス様ったらエッチ〜」
「あ、クルス様、グラスが空になってますよぉ〜」
「クルス様は宝石がとっても似合ってますぅ〜」
そんな僧侶達を地べたにひれ伏せさせながら、玉座に座る男は無数の美女をはべらせ空になったグラスを放り捨て、目の前の机に置いてあった酒瓶を強引に持ち上げトプトプと飲み干していく。
まるで、僧侶達の報告など耳にも入れていないかのように。その様を見た僧侶達は徐に顔を上げ…怯えながらも声を上げる。
「あ、あの。クルス様?報告は以上になりますが…その…」
「ンクンク…ガハァ〜…ああ?」
クルス、そう呼ばれた青年は真っ赤なシャツに黒いジーパンを着込むなんともラフな格好で僧侶達から教祖と崇められる。
そうだ、彼こそがテシュタル真方教会の現教祖にして王貴五芒星の一角…神司卿クルス・クルセイドその人なのだが…、あのテシュタル真方教会のトップというにはあまりに似つかわしくない格好と欲に溺れた姿に恐らく初見の人間が彼を見れば十人が十人『成金のチンピラ』と称するだろう。
ましてや彼は本来テシュタルの信徒が見せるべき慈愛に満ちた笑みではなく眉間に皺を寄せあからさまに苛立ちを強調すると。
「なにが…報告だよこのクソボケ共が!全然成果が上がってねぇだろうが!ナメてんのかっ!」
「ヒィッ!?」
机を蹴飛ばし怒号を響かせる青年、赤黒い髪と漆黒の瞳を持った彼の怒りに僧侶達は腰を抜かして怯え竦む。
横暴、暴虐、邪智、そんな言葉がクルスには似合う。まるで暴君の如き立ち振る舞いやあちこちに散乱する酒瓶と妻ではない女性を多く囲むその様はテシュタル教の聖典でも否定される悪徳そのものとも言える。
だが、この真方教会の僧侶達は誰も彼を諌めない、諌められない。何故なら…。
「クソ無能共が!全員破門にしてやろうか!」
「ひ…ひぃ!そればかりはお許しを!」
クルスは持っているのだ、真方教会の主人として教徒達を破門にする権利を、神に祈る権利を剥奪することが出来るのだ。故に信者は誰も彼に逆らえない…逆らうことは許されない。
彼こそがこの教会の教皇、神の代理人なのだ。
「だったら働け!ドグサレ共!」
教会が集めた寄付金を巻き上げ、信者達が捻出した上納金を吸い上げ、自身の手元において贅沢三昧を繰り広げながらもまだなお更なる権力を欲し他地方への進出を目論む彼の企みは上手くいっていない。
上手く行っていないから苛立っている、これほどまでに贅沢の限りを尽くしていながら彼の心は満たされていないのだ。
「もうクルス様ったら、落ち着いてよぉ」
「クソ阿婆擦れは黙ってろ!おい!西部の進捗はどうだ!いい加減進んだんだろうな」
「そ、それ確認するため知恵の槍クサンテ様が向かわれました…」
「クサンテ!?ダメだあいつは!あいつはまだ俺のクソジジイの配下のつもりでいる裏切り者だ!どうせ適当な理由託けて戻ってくるに決まってる…おい!おい!オケアノスゥッ!!」
クサンテは信用出来ない、信用出来るのは…そこで思いついた名前を、真方教会の最高戦力の名前を全力で叫ぶクルス。
争神将オケアノス…別名巨人殺しのオケアノスの名を。
「……………………」
「………………あの」
「…………え?来ない?」
「お…オケアノスゥ〜ッ…!!!」
しかし来ない、返事がない。その事に激怒したクルスは更に顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいると…。
「ほっ、よっ…ととっ!あははっ!いい感じいい感じ!楽しいなぁ!」
開いた窓の向こうから声がする、音がする、影が舞う。
何やら軽快なリズムを刻みながら庭先で誰かが遊んでいるのが見えるんだ。浅黒い肌と黒い髪、真方教会兵団の鎧を勝手に改造し露出度を高めカラフルな色合いに変更した上であちこちに羽飾りをつけた奇妙な格好をした高身長の女が…弾むボールを踊るように膝で蹴ったり頭で打ったりして遊んでいる。
…あれは、リフティングか?というかあそこにいるのは。
「ッオケアノス!!!俺が呼んだら返事をしろと毎度言ってるだろうが!」
「あれ?どうしたのさボン!そんな真っ赤な顔しちゃってさ!昼間から酔っ払ったのかい?お酒は程々にね!」
「キレてんだよ!テメェにな!」
「あははっ!怒らない怒らない〜!短気は損気のウッキッキー!なんてね!」
「ッじゃかぁしぃっ!」
クルスの事を『ボン』と呼び軽薄にそして快活に笑う彼女こそ、この真方教会の最高戦力…争神将オケアノスだ。やや威厳にかけるもののその実力はまさしく一級品、たった一人で一国の軍に匹敵するとも言われる怪物の一人なのだ。
それが一人でリフティングをしながら遊んでいるのだからクルスもカンカンだ。
「おいオケアノス!そのくだらない球蹴り遊びを今すぐやめろ!目障りだ!」
「球蹴り遊びじゃなくてサッカーだよサッカー、ああ〜そうだ!ボンも一緒にやるかい?」
「やらん!体を動かすなんてバカバカしい、ましてやお前と一緒にサッカーなんてやっても恥かくだけだ!」
オケアノスはその実力とはまた別に、マレウスで一番のサッカーの名手としても知られている。何処にも所属することなく目に付いた野良チームの試合に無理矢理乱入し、その圧倒的身体能力で圧勝する。
それが例えどれだけ弱小のチームに入り込もうとも強豪チームを相手に一人で勝ってしまう。その様からつけられた異名こそ『巨人殺し』のオケアノス。
ありとあらゆる場面から攻勢をかけ積極的にゴールを狙う姿勢と、敵に一切の攻撃を許さず一気に畳み掛ける戦闘法から付けられた異名は『超攻撃的神将』オケアノス。
コートの上で規格外の強さと圧巻のパフォーマンスを見せるその姿と、如何なる場面にも適応する万能の魔力覚醒を持つ彼女をして、誰もが想像せし完璧な英雄…『想像士』の異名を持つなど数多の名を持つ彼女こそが…。
マレウス真方教会成立以来最強と謳われる史上最高の神将オケアノスなのだ。
「アハハハハ!こんなに楽しいのに、恥や外聞を気にしてやらないなんて損だよ。幸せなんて自己完結の自己満足なんだから他人の目なんか気にする必要はない、やりたいようにやろうよ!生きたいように生きようよ!神は平等なんだろう?じゃあ欲しい分は自分で取らなきゃ!」
「お前みたいな恥知らずになりたくないだけだ、それよりオケアノス!今すぐマレウス西部に行ってオラティオの街を滅ぼして来い!」
「え〜!今週末は友達のチームと一緒にサッカーの試合なんだけど〜」
「うるさい!破門にするぞ!」
「別にいいよ〜、私はここに義理でいるだけだからね〜」
「ぐっ!くぅっ…!」
「よっ!ほっ!はっ!あははっ!」
クルス・クルセイドに物申す事が出来る人間はこの真方教会にオケアノスくらいしかいないだろう。彼女は一応テシュタル教の教徒ということになってはいるがそこに固執はしてない、もし破門されれば真方教会どころかマレウスを出てどこぞのサッカークラブにでも所属してしまうだろう。
そうなって困るのはクルスの方だ、彼女の存在があるから今もなお真方教会はレナトゥスにとっての脅威であれるのだ、もしオケアノスが居なくなればレナトゥスに食い殺されるのは時間の問題…。
「チッ、仕方ない、ならヴェルトを派遣するか?だが奴も出不精だし…いやそろそろ拾ってやった恩義を返してもらわねば」
「フッフッー!大技決まり〜!」
「だぁぁぁあ!!!サッカーは他所でやれ!」
それを知ってか知らずかオケアノスは快活に笑う、すると部屋の扉が強引に開かれ…。
「っ!誰だ!」
───訂正しなければならないことがある。真方教会においてクルス・クルセイドに逆らう人間はオケアノスしかいないと言ったが…実際には違う。
もう一人いる、クルスに逆らうことが出来、なおかつクルスに言う事を聞かせられる人間が。
それは、クルスの妻…クルセイド夫人だ。
「ちゅわわ〜ん!クルにゃ〜ん!ただいみゃあ〜ん!」
「おお!オフィーリア!会いたかったぞ!」
金髪の髪とダルダルの袖が特徴的な絶世の美女。彼女こそがクルスの妻クルセイド夫人だ。
そんな彼女がブリブリぶりっ子を決めて猫なで声を出しながら数週間ぶりに城に顔を見せたのだ、それを見たクルスもまたパッと顔を明るくし。
「何処に行っていたんだオフィーリア〜、数週間もいなくなって心配したんだぞ〜?」
「ごめんにゃさあ〜い!、ちょうちょ追いかけてお散歩してたの〜!」
「そうかそうか!…ん?マレウス東部に蝶なんて居たか?まぁいいや!こっちに来いオフィーリア。おい!クソ阿婆擦れ共!とっとと退きやがれ!そこは俺の妻の席だ!ぶっ殺すぞ!」
「んふふ〜!」
クルス様はオフィーリアを溺愛している、彼女の言う事ならなんでも聞くと言ってももいいくらい溺愛している。だが僧侶達はオフィーリアの事を信頼しているかといえば…そうではない。
むしろ怪しんでさえいる、だが怪しめばクルスからの怒りを買うため表向きには信頼しているふりをしているが…。
きっと、偶然なんだろう。レナトゥスからの王貴五芒星入りの話を受け入れたその日にクルスの前に彼女が現れたのは。
きっと、偶々なんだろう。オフィーリアの言う事を聞けば聞くほどレナトゥスにとって都合の良い方向へと話が転がっていくのは。
まるで、王貴五芒星のクルスをレナトゥスがオフィーリアを通じて操っているように見えるのは、きっと偶然なんだろう。
そう思うことにしている、オフィーリアについて深く調べようとした僧侶達が何人も死体で見つかっている以上こう信じるしかない。
オフィーリア・ファムファタールという女を…クルセイド夫人たる彼女を信じるしかないのだ。
「んふふ〜、ねぇ〜クルにゃん?なんのお話してたのぉ?」
「え?ああ、マレウス西部のオラティオへの布教が上手くいっていないからそのことについてその…会議をな?、これから兵士を率いて向かわせるつもりだよ」
「オリャティオ〜?えぇ〜、オフィーリア田舎嫌〜い、もっと都会に行きたいなぁ」
「と、都会?都会…この街以上の都会なんてそれこそチクシュルーブか王都サイディリアルと、後はエルドラドくらいしか…」
「エルドラド〜!ねぇねぇクルにゃん、オフィーリアエルドラド行きたいなぁ」
「はぁ!?なんであんな下品な街に…いやでもオフィーリアが行きたいって行ってるし…。ん?そういや今度エルドラドに行く用事があったな…、なんかあの雑魚女王が言ってた気がする…出席するつもりなかったから無視したけど」
「そ〜なの?じゃあ丁度いいねぇ〜!ハイ!けって〜い!一緒に行こう?クルにゃん」
「そ、そうだな、そうだなぁ!一丁行ってみるか!俺様の威光を直接示してやるいい機会か!あははははは!」
乗せられている、オフィーリアの口車に完全に乗せられている。周囲の僧侶達が呆れたように目を逸らす中ただクルス一人が楽しそうに高笑いをしてオフィーリアを抱き寄せると。
「よし!オケアノス!兵士を揃えろ!マレウス中部に…エルドラドに向かうぞ!」
「嫌だ、一週間後に予定あるから」
「じゃあその試合が終わってから!」
「えー?あー…ならいいよー、また今度そこでもサッカーの試合あるしね。そうだなオフィーリア嬢!君もサッカーやるかい?」
「んふふ、やー。泥臭いのはきらーい」
「あっそう、みんな損してるなぁ」
ポーンとボールを蹴り上げるオケアノスは大きく伸びをする。相変わらず退屈な毎日、相変わらず平凡な毎日。
あまりにも刺激の足りない日常を前に彼女は珍しく神に祈るのだった。
(折角遠出するなら、私と同じくらい強い人と戦ってみたいなぁ〜、サッカーじゃなくて…バトルの方でさぁ〜)
なんて、神に対して…ボソッと呟いてみるのだった。