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393.魔女の弟子と聖なる戦い


熱射病で倒れたナリアさんを休ませる口実を作るため、休憩がてらに立ち寄った街…祈りの街オラティオ。そこでエリス達が前にしたのはオラティオ住人とテシュタル真方教会の凄惨ないがみ合いだった。


一触即発なんてレベルじゃない、両者共に最早相手の存在を容認出来ないとばかりに街の真ん中で二つに分かれて言い合いを始めていたのだ。


それを看過出来なかったエリス達魔女の弟子…そしてテシュタル教徒たるネレイドさんはその争いを止めたのだが、そこで街の長ライノから持ちかけられたのはよりにもよって『テシュタル真方教会の討伐』だったのだ。


「いきなりの事で申し訳ない、ですが我々も切羽詰まっていましてな」


「いやまぁ…うん」


あれからエリス達は強制的にオラティオの街の最奥、街の長と名乗る男ライノさんの自宅へと押し込められていた。木目調のシックで落ち着いた内装の館、そのリビングに通されたエリス達は皆それぞれ椅子に座らされ先程の依頼の話を聞かされている。


あのラグナでさえ二つ返事に『いいよ』とは言えない依頼、そして有無を言わせない相手の態度に返答に困っている。


そんな困り顔のラグナを放ってライノさんもまたエリス達の目の前の椅子にドスンと座ると徐に腕を組み…。


「では強引ではありますが、受けてくれますかな?テシュタル真方教会の討伐依頼を」


「討伐依頼を…って、穏やかじゃないな。一応さっき争いを止めた身としては戦線に参加するつもりはないんだが…それに」


ラグナはチラリと部屋の奥で丸くなっているネレイドさんを見る、ここで『よっしゃ任せとけ!真方教会に明日の朝日は拝ませねぇ!』って膝を打つのは簡単だ。けどネレイドさん的には辛いだろう。


いくら宗派が違うったっても同じテシュタル教。それを積極的に攻撃するのはテシュタルの守護者たる彼女のアイデンティティさえも傷つけかねない。強くて優しい彼女を作ったのは間違いなくテシュタルの教えによる部分が大きいのだから。


だからネレイドさんの事を思うとその依頼は受けられない。


「彼女ですかな?…失礼ですが彼女はテシュタル教徒なのですか?」


「ああ、真方教会じゃなくオライオンテシュタルの方だけどな、彼女的にも同志と戦うのは避けたいだろう、なら俺としてもその話を二つ返事で受ける道理はない」


「なるほど、…この街に住まうテシュタル教徒が皆彼女のように敬虔で真面目であったなら私達としても和解の道があったのですが。いえ…少なくとも三年前までは我等もテシュタル教徒のあり方を認めてさえいた」


「…三年前?」


ラグナがピクリと眉をひそめる。恐らくだがライノさんは嘘をついていない、昔の真方教会はまともで真面目だったんだろう。それはかつてマレウスを旅したエリスが保証する。


以前旅した時見かけたテシュタル教徒は『神に祈りを捧げずとも人々の憩いの場になれるよう教会を解放しますよ?』とか『道に迷っている人を助けるのが我等教徒の役目ですから』と笑顔で言って助けてくれるような人たちばかりだった。


罷り間違っても街の住人を弾圧するような人たちではなかった。それが変わったのは三年前…奇しくもレナトゥスが王貴五芒星を作り、真方教会の神司卿クルセイド家が東方の覇者に君臨した時期と合致する。


「ええ、…長くなりますが聞いていただけますか。我らが名も知らぬ旅人を頼らざるを得ない状況に至ったかを」


「…一応聞いておく」


ラグナの言葉を聞きライノさんはやや力なく笑うと椅子に深く腰を落とし、机の前で両手を合わせるように過去の出来事に想いを馳せ、手繰るように語るのは三年前の事。


「ありがとうございます。…事の始まりは三年前、真方教会のトップであるクルセイド家の当主が老齢の為一線を退き、新たに若い当主を迎えた所から始まります」


「代替わりしたのか?」


「ええ、かつての当主様は慈悲深く敬虔でテシュタルを信奉しない我らから見ても高潔で尊敬出来るお方でした。しかし新たにその座に就いた男…神司卿クルス・クルセイドはその真逆、権力に溺れ自己顕示欲に満ちた最悪最低の男だったのです」


ライノは語る、しみじみと…そして荒々しく変わり果てた真方教会の有様を。


現真方教会の指導者クルス・クルセイドは前当主の祖父とは異なり荒々しい性格と欲求を我慢することが出来ない最悪の人物だった。祖父の時代だったならば絶対に受けなかったレナトゥスの誘いに乗り王貴五芒星入りを果たし国内で盤石の体制を作り上げた彼は…。


全国の教会を強引に変革し、衆生の救いや神の教えではなく信者の拡大にだけ注力する組織へと変えてしまった。この街を占領する真方教会の裏にもクルス・クルセイドの影がある。


手始めにこの街を完全にテシュタルの物に変えチクシュルーブ領を内側から崩し自分の物にすり替えてしまおうと言う侵略にも似た…いやもう侵略に等しい腹づもりで街の占領に乗り出したのだ。


レナトゥスとしてもクルスは手元に置いておきたいコマの一つ、故に彼の願いを聞き届け…オラティオの街はこんな風に歪んでしまったのだと言う。


言ってみればオラティオの街は、レナトゥスの政治的駆け引きとクルスの低俗な欲求の被害者なんだ。


「今の真方教会は信者の拡大と勢力圏の拡大の為なら暴力や非人道的活動にも平気で手を染める最悪の組織となってしまった。奴等は我々を街から追い出すか屈服させるまでああして暴れる事でしょう」


「そんな酷いのか…」


「ええ、毎月毎月彼らの嫌がらせは止まる事を知りません、毎日のように我等に対して攻撃を仕掛け…その嫌がらせに耐えかねこの街の本来の町長は逃げ出してしまいました」


「へ?町長あんたじゃないのかよ、じゃああんた誰だ?」


「私はただこの街を拠点にしていただけの学者です、ただ学があったから住民達のリーダーをさせられているだけで。…とは言え今のテシュタルの行いは見過ごせませんからね」


元はと言えばライノさんも巻き込まれた側なのか。まぁこの街に住んでいたから真方教会の非人道さを目の当たりにしていたから、義憤に駆られてリーダーをやっているんだろうな。


悪い人ではなさそうだな…。


「このままでは我等は追い出されてしまいます。我等は人数的には勝っていますがどうあっても戦闘面においては素人ですから…」


「そりゃ向こうも同じだろ?屈強なオライオン人ならまだしもあっちもただのマレウス人の僧侶で…」


「いいえ、奴等のバックには神将が居ますから。もし彼らを怒らせれば東方から神将がやってきて我等を神敵として討伐するでしょう」


「し、神将!?真方教会にも神将がいるのか!?」


「…………神将…」


神将、テシュタル教に於ける最高戦力であり別名神の刃。その恐ろしさはエリス達も痛いほどに理解している。だからこそちょっとビビる、向こうにも神将がいるのか…と。


だが考えてみれば普通にいるだろうな、真方教会は独立した宗教になりつつある、ならこちら側で独自に神将を立てていてもおかしくない


それを聞いたもう一人の…いや正真正銘の闘神将は顔を上げて、誰にも気づかれないままにゆっくりと立ち上がる。


「ええ居ますよ、争神将オケアノス…別名『巨人殺し』『超攻撃的神将』『想像士』など様々な異名を持つ真方教会最強の戦士が」


「強いのか?そいつ」


「強いです、少なくともレナトゥスが武力をもってして真方教会を屈服させる事を諦めさせる程度には」


「へぇ…」


ラグナの悪い癖が出ている、強いと聞いて何故か嬉しそうに笑う彼の凶悪な顔にライノさんは一瞬ギョッとしつつも話を続ける為一旦ラグナから目を逸らす。


「争神将はクルス・クルセイドの従順な配下です、彼が気に食わないという理由で派遣され街を一つ砕いた事もあります…」


「そして、レナトゥスはクルスを刺激したくないから基本は放置…と、よくもまぁここまで国内を最悪な状況に出来たもんだよ。逆に感心しちゃうな」


「笑い事ではありません!レナトゥスの庇護下にある主要都市ならまだしも!我等のような地方の端にある街に住まう者達は皆テシュタルに虐げられているのです!」


「笑ってねぇよ、逆に笑えねぇよ…臣民にここまで言わせる国のことなんてな」


ラグナは大きく息を吐きながら背もたれに体を預け考える、彼とも長い付き合いだ…彼の考えていることはエリスにも分かる。


感情的に言うなれば助けやりたい、このままではライノさん達は街から追い出される。魔獣が跋扈するマレウスの平原にだ。それは阻止したい。


けど、止めるったってどう止める?向こうは国家宰相と王貴五芒星の後ろ盾がある。大ごとにすれば国軍さえもたたらを踏むような大戦力がいつかみたいな神聖軍を率いてこの街に来るかもしれない。


それははっきり言って状況の悪化だ。助けられもしないのに助けようとして状況を悪化させるなんてのは一番避けなきゃいけない結末。だから助けるための手立てを…考えている。


すると。


「一つ、聞いていい?」


「おや?どうされましたか?」


ネレイドさんが立ち上がり、椅子に座るエリス達の頭の上からライノさんを見下ろし声をかける。その目は…強く、そして頑なな光を秘めている。


「貴方達はテシュタルが嫌い?」


「は?…嫌いですか、ふむ…そうですね、嫌いです」


「そっか、…そうなんだね」


目を伏せ、それでもしかと拳を握るネレイドさんは今度はエリス達に視線を向け。


「みんな、ごめん。…この依頼を受けてもいいかな」


「え!?いや…いいけど、ネレイドさんはいいのか?同じテシュタル教徒だろ?」


「うん、だから…なんとかしたい。私は伝道師じゃないから神の素晴らしさをライノさん達に説く事は出来ない、だけど…せめて、私達の信じる神が信ずるに値する存在であると信じてもらうために…誤った道に進んだ教徒を糾す、間違ってる事は間違ってると言うべき…だと、思ったから」


神を信じさせたいわけじゃない、でもテシュタルはそんな酷いものでないんだよと…ライノさん達に証明する、その為には彼らを傷つけるテシュタル教徒の誤った道を糾すより他ないのだ。


ネレイドさんがそう望むなら、エリス達はそれに乗るだけですよね。だって…友達があんなにも決意を秘めた顔つきをしてるんですから、応援しないと。


「うん!エリスは乗りますよ!ネレイドさん!一緒にやりましょう!」


「ああ、俺も乗る、乗るよネレイド」


「我々でこの街を救いましょう、いいですね。この感じ、旅してるって感じがしてきました、行く先々で悪党とっちめる!エリス様みたいです」


「みんな…ありがとう」


具体的にどうやるか とか、じゃあなにをすればいいか とか、そう言う中身はまるで決まってない。決まってないけど…これでいい、みんなが一つになって問題に挑めばきっと何かいい答えが見つかるはずだから


故にエリスは立ち上がり、アマルトさんもやる気に燃え、メグさんもよくわからない張り切り方をする、デティもメルクさんもラグナも同意見だとばかりに拳を掲げる。


それを見たライノさんもまた…。


「ありがとう…君達なら受けてくれると思っていた」


「取り囲んで家まで連行しといてよく言うよ」


「よければ君達の名前を聞かせてはくれまいか」


「名前も知らないでよく受けてくれるって確信出来てたなお前」


「アマルトさん!いい空気なんですから黙ってて!」


そしてエリス達は黒鉄島…そして港町ボヤージュに向かう前に何やら面倒な仕事を引き受けることになってしまったのだった。


しかし、マレウスのテシュタル教か。頂点に立つクルス・クルセイドのせいとはいえ組織とはこんなにも簡単に変わってしまうものなんだな…。


…………………………………………………………


『神を信じよ!神を崇めよ!信じぬ者は救われぬ!崇めぬ者には天罰が下る!』


「熱心だな…」


ライノさんから『テシュタル真方教会の討伐』を受けたエリス達七人はオラティオの街にて、カフェテラスに集合し街の逆目を見る。綺麗に境界線が敷かれ向こう側はまるでオライオンの街並みのように変化してしまった真方教会側を見れば…。


今も教徒が数人で筒を持って大声で叫んでる。近所迷惑もいいところだよ…こりゃオラティオの人達がキレるのも分かる気がする。これが昼夜問わず毎日続くなら精神的に参っちゃうよ。


「で?どうするんだ?ラグナ、何か手立ては浮かんだか?」


「いーや、何にも。ボコボコにして追い返せばそれで終わりってんなら今すぐ襲撃をかけてもいいが…そう言うわけにも行かないしな」


カフェテラスにてみんなでコーヒーを飲みながら考える。討伐依頼を受けたが討伐したらしたで問題になる、まるで意地の悪いとんちみたいな話だ。


「一番厄介なのは…奴らが宰相の後ろ盾を持ってるって事だよね」


そんな中デティがカフェラテを飲みながらいつにも増して真面目な顔つきで語る…いや、そういえば彼女も統治者側。この手の問題には明るいか。


「もしここで住民達が反発して教会を追い出したら教会の戦力が出てくる前にレナトゥスが出てくるよ。この街を仕切ってるライノさんは住民からは慕われてるけど法的に見れば何の権限も持たない一市民。それが独断で国家的に決められた取り組みに反すれば逮捕だってされかねない。もちろん私達もね?」


「そこなんだよなぁ…、一番いいのは教会側が自主的に立ち退いてくれるのがベストなんだが…あの様子はテコでも動かなさそうだ」


「教会も上…神司卿からこの地方の足がかりになる拠点を確保するように催促されているだろうからな。奴らも奴らの事情で立ち退く事は出来んのだろう」


難しい問題だ、目の前の状況は簡単なのにこの場にいない人間の所為で問題がややこしくなってる。この街の問題はあくまで氷山の一角、全体を俯瞰すれば国単位の話なんだ、そう簡単には解決できない。


「じゃあもういっそ東部に行って神司卿に文句言います?」


「無理だ、言って止まるやつがここまでの事をするとは思えない。それに……ん?何をしているんだ?ネレイド」


「ん…」


ふと、メルクさんが黙りこくっているネレイドさんの方を見る、するとネレイドさんは何やら小さい本を指で摘んで黙読していたのだ。こんな時に読書か!とは言わないよ、彼女は無駄な事をするタイプじゃない、何よりこの問題に対して誰よりも深く考えている人だ。


だからきっと何かあるのだろう、そう全員が思っているからこそ彼女に注目すると。


「読んでた、真方教会の聖典」


「え?聖典?何処で手に入れたんだ?」


「本屋に売ってた、この街で聖典を取り扱うのが法で決まってるんだって…だから買った」


「いつの間に…ってか、テシュタルの聖典って確かもっとデカくなかったか?前帝国でメグさんが出した奴は読む気も起きないほどどデカかったけど」


「うん、テシュタルのものとは全然違う。理念や理屈は似通ってるけどちょっとづつ細部が変わってる。これじゃあ聖典の記述による認識の齟齬がオライオンとマレウスで起こっていても仕方ない。マレウスの真方教会は完全にオライオンのテシュタルとは別物みたい」


「聖典の書き換えって、それってアリなの?」


「ナシ、断じて許されない」


あ、普通にキレてる。彼女はこれでいて普通に敬虔な信徒だ、テシュタルを貶められれば普通にキレる。エリスとネレイドさんが戦ったのも彼女の敬虔な信徒としての性分故だしね。


「でも…大元は変わらないみたい、システムとか用語とかあり方とか」


「ほう、つまり…えっと、どう言う事だ?」


「いい手がある、テシュタル真方教会の問題をなんとかする手立てが」


「え!?」


思わず立ち上がる、あるのか…いやそうか。真方教会も変わり果ててはいるが元はテシュタル教、ネレイドさんが敬虔な信徒ならこの場で最も真方教会の内部に精通しているのは彼女を置いて他にいない。


彼女ならばなんとかする手立てが思い浮かんでも不思議ではない。


「それで何をするんだ?俺たちにできる事はあるか?」


そうラグナが前のめりになって聞くと…。ネレイドさんは何やら複雑そうな表情をしつつラグナの顔をジロリと見ると。


「ベンちゃん…ベンテシキュメから聞いたことがある」


「何を?」


「…ズギュアの森に突如として現れた救いの女神、『夜天の聖女ナリアール』の話を」


「……ナリアール?」


聞き慣れないワードだ、少なくともエリスは聞いたことがない。ズギュアの森っていうとオライオンにあるあの大森林地帯の名前だよな…そこに現れた聖女が、どうだと言うのだろうか。


「そのナリアールをこの場に召喚する」


「え?その人をオライオンから連れてくるんですか?でもそれってありなんでしょうか、他の人を旅に連れてくるのってナシなんじゃ」


「……大丈夫だよ、ねぇ?ラグナ」


「えっと…その…」


「……?」


意地悪そうな目をするネレイドさん、対するラグナとメルクさんは何やら冷や汗を流しながらそっぽを向く、なんで二人はこんなに複雑そうな顔をしてるんだろう。


しかし…ナリアール?ナリアール…ナリアー…る、ナリア?ナリアさん?


ラグナ、メルクさん、ナリアさん、そしてズギュアの森…確かこの三人ってズギュアの森で…。


「まさかそのナリアールって…!」


「うん、ナリア君…彼の力を借りる」


ナリアさんの力を借りるのか、彼の力を使って何をするかは分からないが…まぁ少なくとも今日一日は彼を休ませないといけないから、本格的に動くのは明日になるだろう。


今彼は馬車で体を休ませてるところだからね。取り寄せた医薬品やアマルトさんの健康料理である程度回復してるとはいえいきなり働かせるのは可哀想だ。


「分かった、取り敢えず馬車に戻ってナリアにやれそうかだけ聞こう。ナリアの体調面を考えて彼をこの場に出すかを決める。流石に体調を崩してるのに彼を酷使する事はできない」


「そうだね…うん、分かった。じゃあ一旦馬車に戻って…」


そうエリス達が立ち上がりカフェの支払いを済ませようとすると。


「嗚呼、こちらにいましたが、ラグナ殿 ネレイド殿」


「ん?ライノさん?」


ふと、カフェテラスの向こう側でライノさんが何かを運んでいるのが目に入る。この人さっきから忙しそうに動き回ってるな…。


「何してるんですか?」


「街側の防備を固めてるのですよ、土嚢を集めたり木の板を貼り合わせたりして街と街の間に境界線を引く計画も同時進行で進めていましてね。皆さんに依頼をしてきながら別口の計画を進めているのは申し訳ないとは思いますが…」


ライノさんは後ろに背負った荷車、そこに積まれた土嚢を見て目を下に向ける。なんというか…することがたくさんあると言うより何かしてないと落ち着かない、といった感じだな。

それは惰性の仕事と同じだからやる意味はあんまりない、けど無理もないとも思う。だってこの人元々ただの学者さんだもん。人を率いるタイプの人間ではないのにここまで街に対して何かしようと思えるのはきっと責任感が強いからだろう。


するとネレイドさんは…。


「いいよ」


「嗚呼、ありがとうございま…」


「そんなことしなくていい」


「へ?」


すると片手でライノさんの荷車を引っ張り引き剥がして取り上げてしまう、い…いきなり何するんだ。そうエリス達が呆然とするようにライノさんも唖然とネレイドさんを見上げ。


「な、何をするのですか!?それはせっかく街のみんなで作った土嚢で…」


「これを使って防壁を作ると言っていた、けど…そんなことしなくていい。境界線を引けばそこから先はあなた達の街じゃなくなるよ。貴方達は街を全部取り戻したいって言ってたけど…それでもいいの?」


「それは…」


「防壁は作らなくていい、私が…なんとかする。貴方は休んでいて?顔も疲れてるようだし」


線を引くというのは、その内と外で物事を分ける事になる。防壁を作れば防壁の外側は完全に教会側のものだと認めるようなものだ。そうすれば余計面倒な問題になりかねない。


そんなことせずとも良い方法はあるのだ、いやその内容は知らないけどさ。


「そうですか…、分かりました。思えばここ最近ずっとこの問題に対して掛り切りでゆっくり腰を落ち着けて考える暇もありませんでした」


「動き続ければ人は疲れる、疲れた頭では名案は浮かばない」


「仰る通りで、ハハ…思い起こせば私はこの街に研究をしにきていたのでしたな、最近は全く研究出来ていませんでしたが…これを機に研究資料など纏めて落ち着いてみます」


「そうして、私達は私達でなんとか出来ないか動いてみるから」


「本当に感謝します、流れの冒険者の皆様」


深々と頭を下げて帰っていくライノさんの背中を見送って…思う。そう言えばあの人学者さんとか言ってたけどなんの研究してる人なんだろう。こんな地方の…言っちゃ悪いが片田舎でやれる研究なんてそう多くはないと思うけど。


「じゃあ、みんな…馬車に戻ろうか」


「そうだな、……ん?」


そして、みんなで馬車に戻り始めた中…ラグナが一人足を止めて。チラリと教会側を見て静止する。


「どうしました?ラグナ」


「いや…なんか、見られてた気がしたんだが…」


「見られてた?」


ラグナに続いてエリスも教会側を見るが、教徒達は相変わらず街に向けて嫌がらせのスピーチを行うばかりで特にエリス達に注目している様子はない。


「気のせいでは?」


「…まぁ気のせいにしても何にしても、どうでもいいか。行こうかエリス」


「はい」


………………………………………………


「ええい忌々しい!オラティオの住民どもめ!何故我らの理念を理解せぬ!神の教えの下で生きれば幸せであることが何故理解出来ぬ!」


「ダーラット司祭様!お鎮まりください!」


「喧しい!これが落ち着いていられるか!」


オラティオに打ち立てられた教会の只中で、枯れ枝のような体を隠すような巨大な法衣を着込む老父が激怒する。黄金の錫杖を地面に打ち付け怒りのまま暴れ狂う。


忌々しき不信者達の横暴にこの街を任された司祭…ダーラットは髭を撫でながら文句を垂れ流す。


「ぐぬぬ、奴らがいつまでたっても街を明け渡さない所為で真方教会の西方進出がまるで進んでいない。信者の数もまるで増えていないし…それもこれも全部強情なオラティオ人の所為だ!ええい忌々しい!」


地団駄を踏む、彼がこの街をクルス様より任されて数年。クルス様から任された『教会の西方進出』の任務がまるで果たされていない事に一抹の焦りを感じる。


…当初はダーラットもこの西方で神の教えを説けば民は皆真方教会を前にひれ伏すと考えていた。先代国王バシレウスの失踪と力無き現国王によるひ弱な統治、そして宰相レナトゥスの欲望剥き出しの政権により今マレウス国内は混沌の極致にある。


国民は救いを求めている、その救いを与える者こそが我等テシュタル教なのだとダーラットは本気で考えていた。


しかし、いざこの街に来てみれば現地住民の激しい抵抗に遭い未だ街はテシュタルの物になっていない。故に当然西方進出にも手が出ていない。


そこで遂に先月、クルス様よりお叱りの手紙が届いたのだ。


『西方に神の威光が一切届いていないとの報をこちらで受け取った。お前は怠惰にも迷える民を救う事に力を出し損ねている。人人に救いを与えるためにお前を派遣したのになんたる不手際、民を救えないお前達の破門も今は視野に入れている。私の評価が間違っていると思うのなら働きで示せ』


と…、言ってみれば『早く街を手中に入れろ、出なきゃお前を教会から叩き出す』そう言っているのだ。


それは嫌だ、ダーラットは青年の頃からずっと教会と共にあり神に祈りを捧げて生きてきたのだ。今更神に祈ることを禁じられたら一体何に寄りかかって生きればいいんだ。もう手段は選んでられない、そんな感情が教会に漂い皆余裕を失っている。


今回だってあわや衝突まで行きかけた、いや…あの正体不明の大きなシスターに対しても暴力を振るってしまった。昔の私ならあんなもの許さなかったのに…。そんな罪悪感がまたダーラットから正常な判断を奪う。


「なんとしてでも 街の人間を追い出し街を我らのものにするのだ!西方進出の足がかりさえ作ればクルス様のお心も静まるに違いない!」


「しかし、何やらオラティオ人達が冒険者達を雇い入れたとの情報があります。それなりに腕も立つようで…ここにいる信徒だけでは対応が難しいです」


「ぐぬぬ…」


部下の報告を聞いてダーラットは頭を抱える、もはやここまで来たら実力行使以外ありえないのに…ここに来て冒険者の到来だと?神はどれだけ私に試練を与えれば気が済むのか…。


「ああああ、一体どうしたらいいんだ…」


そうダーラットが頭を抱えていると…。


「お困りかい、神父殿」


「む?何者だ!」


唐突に開かれた扉から…ガシャガシャと甲冑の音が響き渡る。軽薄な声音と確かな足取りで教会に足を踏み入れたのは。


「よっ、お久しぶり」


「あ!?貴方は…クサンテ様!?」


現れたのは鎧を着込んだミドルガイ、髭とシワの刻まれた壮年の男。それが背後に複数の真方教会兵を引き連れて教会にズケズケと踏み入ってきたのだ。


その者の名をクサンテ、争神将オケアノスが率いる三人の配下のうちの一人。


知識の槍クサンテ・アークティック…真方教会の大戦力が何故ここに。


「何故…クサンテ様がここに」


「ンンう?そりゃあお前…クルス様の命を受け怠惰なお前を処分しに来たのさ…」


「ひっ…!」


スラリとクサンテが向けるのはまるで銛のような長物の槍、そいつを殺意を向けながらダーラットの鼻先に向けて言うのだ。処分しに来たと…。


「お!お許しを!お許しをクサンテ様!明日!明日までお待ちくだされば必ずやこの街をテシュタル様の威光の届く聖なる都に変えてみせます!なので!どうか命ばかりは!」


「…………」


跪く、部下達の前で恥も外聞もなくダーラットは泣き喚きながらその場に跪く…すると冷徹な瞳を秘めたクサンテは、ゆっくりと口を開き……。




「な〜んちゃって、嘘だよ〜ん!」


「……は?」


「逃げてきたのよ俺もさ、ほら東部って夏場は地獄じゃん?もう暑いのなんので死にそうだったから涼しい西部に逃げてきたのよ。言ってみれば避暑?旅行よ旅行、今のはちょっとしたおふざけだって、真に受けんなよ?なぁ?俺そんな怖いやつか?違うよな?な?」


跪くダーラットの肩を叩きウインクするクサンテは周りに同意を求めるように見回す。そんな怖い男じゃないよ俺はと。


確かにクサンテは神将に仕える三人の配下の中で最も職務に不真面目で知られている、執行官を務める『思慮の盾』メーティスの様に仕事人でもなく、神将の右腕を務める『隻眼の剣』ヴェルトのように出不精でもない。


クサンテは意味もなく放浪する、そういう事をする男だと知られているのだ。だからそんなクルス様に言われたからと言って誰かを殺しにくるような人ではない…のだが。


「あっはっはっはっ、いやぁもう還暦も間際になると暑いのも寒いのも嫌になってしょうがないね」


「クサンテ様は楽する為なら努力を惜しみませんね」


「そう言う点は未だに活気に満ちてますよ」


「ちょっとお前ら酷くない?」


部下に詰られぶーたれるクサンテを見てダーラットはやや戦慄する。本当に殺す気は無いのか?


…ならなんで部下の兵士は武装しているんだ、何故クサンテは甲冑を着込んでいるんだ。間違いなく誰かを殺しに来ている。


「で?ダーラット司祭」


「へ?はい!」


「なんか困ってるようだったけど、なんかあったの?よければ俺が手ェ貸すけど、丁度兵団も連れてるから荒事も行けるけど?」


この人は、何をどこまで知ってここに現れているんだ。


…………………………………………………………


「ナリアールですか?」


「そう、ナリア君にはオラティオの街を救ってもらいたいんだ」


「なるほどなるほど」


馬車に戻ってきたエリス達はベッドの上で横になるナリアさんに事の顛末を話す。倒れて半日でこんな話を持ってきてしまうのは何やら気が引けるが…。


「大丈夫ですよ、明日になれば万全に動けると思います」


「ありがとう、貴方には万感の言葉では物足りない程に感謝している」


「あははは、そんなに畏まらないでくださいよぅ〜。にしてもナリアールですか…懐かしい名前ですね」


なんてナリアさんがかつての冒険に想いを馳せていると、ふとそれを見守るエリスの裾がちょいちょいと引かれる、これは…デティか?


「ん?デティ?どうしました?」


「ねぇエリスちゃん、そのナリアールって何?」


ああ、そう言えばデティはオライオンの旅の時居なかったからその詳細を知らないのか。とは言えエリスもその場に居なかったしな、エリスは確か当時は獄中だったはずだ。


なので、ここは。


「ラグナ、詳しい話をお願いします」


「ええっ!?俺?…いや俺か、…オライオンを旅してた時テシュタル神聖軍に追われてた話はしたよな。そん時着の身着のまま森の中に放置されてさ、物資を得ながら素性を隠す為ナリアがテシュタル教の聖女に扮して活動してた時期があったんだよ」


オライオンでの戦いの時だ、ネレイドさん達四神将の猛攻に分断されたエリス達は各地で神聖軍の追撃を逃れる事となった。その際ラグナ達はズギュアの森を抜ける為ナリアさんに聖女の格好をさせ聖女として振舞う事で村人達から怪しい目で見られるのを防いだのだとか。


聖女は歌を歌い人々に救いを与えるのが仕事だ、しかしズギュアの森は危険地帯であり聖女も普段立ち寄らないという好条件もあった為上手い具合に村人達を騙眩かせたのだ。


「あったんだよって、上手くいったの?そんな作戦」


「いった、ナリアの演技力は尋常じゃない。こと『相手を思い込ませる』点に関してナリアは世界最高の技術を持ってるといってもいいだろうな」


「まぁ確かにそうかも…、でもさネレイドさん。ネレイドさん的にはナリア君が聖女を演じるのはオッケーだったの?」


「…………………………いいよ」


ダメなんだろうな本当は、めっちゃ複雑そうな顔してるもん。


「でもナリア君のおかげでズュギアの森の人達は救われたのは事実だし、私とローデちゃんとしては正式に聖女に任命してもいいくらい」


「いやぁそこまで褒められると照れちゃいますよ。でもなんか気合い入りますね、久しぶりに人前で歌いますよ。丁度プリシーラさんのライブを見て火がついていたところです…最高の舞台を見せてやりますよ」


おお、ナリアさんが燃えている。この人はこう言う面でな本当に頼りなる、エリスは戦ってぶっ壊すことしか出来ないから…ナリアさんの芸達者なところには本当に憧れるな。


「しかしよぉネレイド、ナリアを聖女にして歌わせるのはわかったけど…それでどうするんだ?どうやって真方教会を追い出すんだよ」


アマルトさんが近くの椅子に腰をかけ頭の後ろで腕を組みながら足を組んで問いかける。実際どうするんだと、そこに関してはエリス達もまだ共有してもらってないから分からない、けどネレイドさんだって考えなしじゃない。


きっと、何か策があるはずだ…。そう信じて彼女を見ると、ネレイドさんは小さく首を振り。


「…ううん、追い出さない」


「へ?追い出さない?」


「うん、追い出さない。私はどれだけ言ってもテシュタルの信徒、私が神の紋章をつけた教会や教徒を排することなど出来ない」


「じゃ、じゃあどうするんだよ…」


「改宗させる、彼らを…テシュタル真方教会からオライオンのテシュタル教へと改宗させる、私達こそが真なるテシュタルであると彼らに信じさせる」


「うぇ…うぇぇ…」


アマルトさんが絶句する、エリスもする。きっと他のみんなもしてる、つまりあれか?あの街にいる教徒全員…テシュタル真方教会からオライオンのテシュタルへと鞍替えさせるってことか?丸々全員?


……出来んの?そんなこと。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  やっぱり展開が読めそうで読めないのが良いですね。これかな? と思ったものが違った……と思ったら実は合っていたりとか……。 [気になる点]  ヴェッ、ヴェルトォォオ! 弟子をほっぽり出して…
[一言] 更新お疲れ様です。 オライオンテシュタル教を基にしたシュタル真方教会のようなものは他の非魔女国家にもあるのでしょうか?あと外文明にはテシュタル教を布教していましたっけ?
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