392.魔女の弟子とテシュタル真方教会
「だーはっはっはっ!こりゃあ傑作だぜ…なぁおい」
巨大なカトラスを肩に背負い、奴は笑う。そんな高笑いを聞きながら俺は砂浜を踏み越えさざなぐ白波を踏みつけ海辺へと向かっていく。潮風を引き裂きながら奴の領域へと…向かっていく。
それがどれだけ無謀なことかは理解している、けど…それでも。
「まさかお前、海で俺に喧嘩を売ろうってのか?…この海魔ジャック・リヴァイアに」
「ああ、そのつもりだよ」
「クックック…豪胆だよなラグナ、俺ぁお前のそういうところに惚れてんだぜ」
太ももまで海水に浸かった状態で俺はこの海最強の男…海魔ジャック・リヴァイアと向かい合う。対するジャックは揺れる波の上に足を下ろし海の上に立ちながら顎を撫で俺を見下ろす。
わかってるさ、ここでアイツに喧嘩を売る事の危険度の高さを。この海は丸々ジャックの物だ、出来るなら陸に上げて戦った方がまだ勝ち目はある。
だが、それは出来ないし…意味がない。
「そうまでして、お前は守りたいのか?その島を…黒鉄島の秘宝を」
「そうだって言ってんだろ、黒鉄島は俺が守る、テメェにゃ手は出させねぇ!」
この島にジャックを上げるわけには行かない。黒鉄島にジャックを上陸させればその時点で奴の目論見が叶ってしまう、目論見が叶ったらアイツは……。
だから俺はここで戦うんだ、ここで戦ってこいつを倒す。張った意地は押し通す、二度と折ってたまるか。
「手は出させないねぇ、いいじゃないか。やってみろよ…だがな、例え何が立ち塞がろうとも!何が進路を阻もうとも!それを砕いて奪うのが俺の流儀!海賊の掟だ!守ってみろよラグナ!この俺から!世界一の大海賊から!」
刹那、ジャックの咆哮と共に大洋が轟音をあげて鳴動を始める、ジャックの放つ威圧はまさしく海そのもの。ちっぽけな人間一匹が喧嘩を売っていい相手じゃない。
海の上でなら本気の将軍さえも跳ね除ける海魔ジャック・リヴァイア。この広大な海に勝利した唯一の男…野郎の強さは十分に分かっている、確実に俺よりも強いってのも分かりきってる。
(でも、それでも…俺はここから一歩だって後ろには下がれねぇんだよ、ジャック…お前には分からないだろうけどな)
潮風も白波も刃と化したその只中で…俺は一人、上着を脱ぎ捨て拳を叩き合わせる。
「上等だよ、ここで決着つけてやる…沈む覚悟は出来てんだろ!海賊!」
「だはははははは!俺ぁ沈まねぇよ!飲まれるのはテメェの方だ!魔女の弟子ィ!」
押し寄せる波濤、響き渡る怒号、久しく味わう格上との決戦。
今ここに、海洋最強の男と魔女の弟子最強の男の、夢と意地を懸けた最後の戦いの幕が切って落とされた。
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魔女無き国マレウス、魔女という大存在に依存するディオスクロア文明圏に於いて魔女に依存せず自立した生き方を選んだ国々『非魔女国家』の中で随一の巨大さを誇る大国。
エリス達八人の魔女の弟子はそのマレウスにて魔女排斥機関マレウス・マレフィカルムの討滅という無茶振りを師匠達より課され、三年という猶予期間の中で奴らの本部を探す旅に出ることとなった。
最初の一ヶ月でエリス達は冒険者協会へのコネクション…ケイトさんへのコネを得た、ケイトさんの協力の下エリス達は本部を探し…遂に本部があると思われる場所の名前を突き止めたのだ。
それこそが…。
「『黒鉄島』か…」
ガラガラと音を立てながら平原に出来た道を行くエリス達の馬車、改造により内部の空間を押し広げられた快適な空間の一つ、リビングのソファに座ったラグナが腕を組みながら天井を見る。
今エリス達は馬車を使ってとある街を目指している旅の最中にあるのだ。まぁ絵面だけ見たらとても旅の最中には見えませんがね、だってみんなソファに座ったり地面に寝転がったりしてくつろいでるわけですし。
「黒鉄島…って今俺たちが目指してる島の名前だよな?」
「正確に言うなら今エリス達が目指しているのは黒鉄島に最も近い港町、湾岸街ボヤージュですよ」
「あ、そっか」
ふと、アマルトさんが読んでいた本を閉じて黒鉄島の名前を出す。その黒鉄島こそがマレフィカルムの本部があると思われる島の名前であり今エリス達が目指している場所でもある。
ただ当然ながら島というだけあって海に隔てられている以上馬車ではいけない、その為にも湾岸街ボヤージュで船と船乗りを確保する必要があるのだ。その為にこうしてアマデトワールを出て西方地域最大の港町を目指している。
「でさ、その黒鉄島ってどう言うところなんだよ。俺聞いたことないんだけど…」
「黒鉄島は十五年前に海洋調査拠点があった島…ってことしか分かりませんね」
悪魔の見えざる手ロダキーノから得た情報、そこにマレフィカルムの本部があると彼は言ったが実際行ってみないと本当にあるかなんて分からない。だからこうして確かめに行こうとしているわけだが…それ以前に黒鉄島がどう言うところか分からないと言うのだ。
すると。
「では先んじて黒鉄島がどう言う場所か、おさらいしておきますか。不肖メグ、皆様のために先んじて調べておきましたので、ささどうぞ」
「お、サンキューメグ」
「こういうのは私の仕事ですからね。とはいえ黒鉄島に関してはあまり多くの文献が見当たらなかったのでなんとも言えませんがね」
そう言いながらメグさんが広げたのはマレウス近海の海図だ。大国であるが故に領海の範囲も凄まじく広く、デルセクト領海からギャラクシア大河まで間にはもう一つ国を置けそうなくらいのスペースがある。
それより何より気になったのは。
「浮島多ッ!?マレウスの海ってこんなにとっ散らかってんのかよ!?」
「これがマレウス近海に浮かぶ島々…その名も『エンハンブレ諸島』になります」
ラグナが思わず吹き出す。その真っ青な海図の上でクッキーでも食べ散らかしたかのように海図のあちこちに小さな点々が乱立していた。その数凡そ二百とちょっと。数としてみれば尋常じゃない数の島が海いっぱいに広がってる、こんな大量に浮島があったのか…。
「これは仕方がないことなのでございますラグナ様」
「へ?なんで?」
「カストリアとポルデュークの間は本来は海ではなかったからです」
「あ、…そういやここ八千年前は陸地だったんだっけ」
そうだ、カストリアとポルデュークの間にある巨大な円形の海…これは海ではなくただ馬鹿でかいだけのクレーターなのだ。間に海水が流れ込みこうなってしまっているだけで元々海ではない。
だからこの島はある意味その陸地の残骸とでも言おうか。だから他の海に比べて浮島が異様に多いのだ。
「魔女大国の海は魔女様達が『整地』してますからね、だから整っていて穏やかな海でしょう?」
「ああ、ってことは魔女大国の海に浮島が少ないのは魔女様達が同じような浮島を消しとばして回ったから魔女大国の海は穏やかで、マレウスにはその魔女様がいないから…言ってみりゃ庭先に雑草生え放題みたいな感じなのか」
その例えはよくわからないが詰まる所、整備されていない海…ということなのだろう。本来なら海というよりただのでかい水たまりだからこんなにも変な形をしているのかもしれない。
「マレウスの海はこの複雑な島々の乱立により海流が安定していませんし海洋の進出も進んでません。そのおかげもあってかこのエンハンブレ諸島は古くから『海賊の天国』と呼ばれてもいます」
「海流が安定しないから追われても簡単に逃げられるし、隠れ蓑の島も山ほどある。確かに海賊稼業やるならこれ以上の海はねぇな。ってことは…」
「はい、そしてこの海を纏めて仕切っているのが…件の海魔ジャック・リヴァイアでございます」
ケイトさんが黒鉄島と聞いた時難色を示した理由、船乗りを探さなくてはいけない理由、黒鉄島に向かうに当たっての最大の障壁…それこそが海魔ジャック・リヴァイア。海洋最強の名を持つ海賊の中の大海賊だ。
それが、海賊達の天国とも呼ばれるマレウスの海の総元締めか。ある意味納得かもしれない。
「まぁジャックの話は後でするとして、黒鉄島の位置ですが…ここになります」
そう言ってメグさんが指をさすのは、乱立するエンハンブレ諸島の丁度中央に位置する比較的大きな島。それがエリス達の目的地か…。
「意外に遠いな、泳いでいくのは無理そうか」
「いや無理だろどんなに近くても…」
「先程も言いましたが島と島の間には不安定な海流が流れており隠れた岩礁も多数存在しています。現地の船乗りでなければこの黒鉄島に辿り着くのは困難かもしれません」
「なるほど、帝国から軍艦なりなんなり引っ張ってくるってのは無理か」
「どの道巨大な戦艦は八人では動かせませんしね、そして肝心の黒鉄島内部に関しての資料ですが…」
そう言いながらメグさんは懐に手を伸ばす、黒鉄島内部の資料…つまりそこにマレフィカルムの本部があるかどうかの情報、決定的なものでなくとも何かのヒントさえ得られれば。
ある意味最も重要な情報を前にエリス達はゴクリと固唾を飲み、…徐にメグさんはその手を懐から引き抜き!
「何もありませんでした!」
「思わせぶりな態度取るなよ!」
パッ!と何も持ってない手を開いてなんとも嬉しそうに笑うメグさんの顔から、『これがやりたかっただけ』という達成感が滲み出ている。この人は本当に…。
「海洋調査拠点があったことはわかっているのですが、その内部情報は流石に帝国も把握していませんでした」
「まぁ、一応マレウスが主導でやってるプロジェクトだしな、他国が調べられる範囲には限界があるか…まぁこればっかりは行ってみないとわからないか」
ラグナが腕を組み考える、どうやら黒鉄島には行かないとその詳細が分からないようだ。今は藁にも縋る思いで黒鉄島に賭けてみるしかないだろう。
「他にも黒鉄島には人魚伝説などがあり…あ、人魚って知ってます?下半身が魚で上半身が人間なんです、この場合哺乳類なんですかね?それとも魚類?人間の乳があるから哺乳類なのか…魚の産卵器官で卵を産むから魚類なのか、どっちなんでしょう」
「気にするところそこか?」
「もし釣れたらアマルト様、料理してください」
「死んでも嫌だよ」
なんて会議の内容が横道に逸れ始めてきた…その時だった。
『む、むぅ〜きゅ〜〜〜』
外で御者役をしていたはずのナリアさんが突如気の抜けた声を発しながらバターンと後ろに倒れ馬車の中に入ってきて…って!
「ナリアさん!?どうしたんですか!?」
「誰かにやられたのか!?いや…これは」
慌ててみんなでナリアさんに駆け寄ると、何かにやられたというより…これは目を回して倒れてしまったといったところだろう。目をクルクルと回し顔を真っ赤にしておでこから湯気を漂わせている。
「これ、もしかして…熱射病?」
ふと、馬車の外を見ると今日はいつにも増して太陽がギラギラ輝いている。そういえばもう春が終わり夏に差し掛かる日和、陽光の熱はいつも以上に鋭く重く、外はうだるような暑さになりつつある。
こんな中帽子をつけずに御者をやり続けたら…倒れて当然だ。
「ど!どうするよ!?どうしたらいい!」
「えっと!えっと!こういう時は体を冷やして日陰に…!」
咄嗟の事態に全員が慌てる、いきなりの出来事に頭が真っ白になる。そんな中…。
「ッ!メグ!氷と水の用意!エリス!魔術でナリアの体を冷やしてくれ!アマルト!俺とナリアをベッドへ!デティ!治癒魔術でナリアの負担軽減!ネレイドさんは帽子を被って一旦御者交代!近くに街があったらそこに移動してくれ!」
動く、ラグナが咄嗟に指示を出してみんなを取りまとめる。
そこからのラグナの動きはあまりに早かった、テキパキと指示を出し自分もアマルトさんと一緒にナリアさんの体に極力負荷をかけないようベッドへ運び即座に段取りを決めてくれる。
ラグナの指示は人を動かす力がある。指示が人を動かすのではなく人を動かすからそれが指示になるのだ、王としてのカリスマは窮状に陥ってより輝く。倒れたナリアさんの介抱を全員で即座に行った結果。
……………………………………………………
「うう、申し訳ないです。まさか倒れるとは」
ナリアさんは直ぐに意識を取り戻した、今はエリスとメグさんで用意した冷やした濡れタオルで体を冷やし冷えたレモン水を飲みながらベッドの上で申し訳なさそうに座っている。
どうやら対応が早かったお陰で大事には至らなかったようだ。
「いや、こっちも配慮に欠けていた。そうだよな…ポルデュークを旅してたら熱射病になんかならないよな」
ナリアさんは旅の熟練者だ、少なくとも八人の弟子の中ではかなり経験がある方…だからみんな油断していた、ナリアさんなら大丈夫と。しかしポルデュークに夏はない、あそこまで太陽が照ることもない、だから熱射病の存在が頭から抜けていてもおかしくはなかったんだ。
そこを配慮出来なかったエリス達の責任だ。ラグナの方も申し訳なさそうに頭を下げる。
「他国の夏をナメてました。まさかここまで酷いなんて…」
「俺が寒さに弱いように、ポルデューク人たるナリアも暑さに弱いんだろう。そこを配慮すべきだったな」
「いえいえ、でもラグナさんが即座に反応して僕の介抱をしてくれたんですよね?そのおかげで僕もう元気ですよ」
「いや、みんなで動いたからさ」
とラグナは謙遜するが、正直に言うとラグナが居てくれたからここまで迅速に行動できたともいえる。みんなが慌てる中指示を出して統率してくれた、熱射病は放置すると頭に後遺症が残る、それを防げたのはラグナのおかげだ。
「いや実際ラグナの指示は的確だったよ、ほんとはアジメク出身の私がもっとビシィッ!って決めなきゃいけないのに、戦闘の最中だったらこんなに慌てないのになぁ」
「やっぱこう言う時のお前は頼りになるよラグナ、ぶっちゃけ俺なんもしてねぇしおかげでナリア助かったし」
「要救助者を前にした時の対応としては百点だったな、もう少し誇れ」
「い、いや。なんでそんな褒めるんだよ」
普段みんな思ってることだ、彼はいざという時の決断力が凄まじい。決断して指示してそれが正しい道筋であることをエリス達に信じさせてくれる。彼のカリスマ性はそこからくるんだろう。伊達にエリス達のリーダをやってない。
とはいえラグナ的にはもっと早くに気がつくべきだったと後悔しているんだろうが、それならそれでもいい。
「ともかく、これからは夏場になる。御者をする時はなるべく涼を意識するようにしてくれ、…暑さも寒さも人にとって害になる」
「マレウスの夏はアルクカースほどじゃないですけど結構厳しいですからね、帽子を被って小まめな水分補給とかを意識しましょうか」
「ああ、それでナリアはしばらくここで休んでてくれ。というか一旦移動は休憩しよう、この近くに街もあるはずだからそこで息でも抜こう」
「え、でも…」
ナリアさんは気にするだろう、自分の所為で移動が止まってしまったと…そこを察知したのか、ラグナはアマルトさんにパチリとウインクし目配せを行うと、アマルトさんもまた頷き…。
「お!休憩かぁ〜!いやぁありがたいなぁ、馬車の中がいくら快適ったってもずっと居たら肩も凝るしな、街に着いたらショッピングするぞ〜!」
「あー!私も私も!私も買い物するー!わーい!どんな街なんだろう!」
「アマデトワールからここまでずっと移動しっぱなしの強行軍だったしな、ちょっとくらい休憩する時間があってもいいと思ってたんだ、だから丁度いいってやつだよナリア」
「そうですか…、うん!じゃあ僕も頑張って体休めますね!」
「おう!しっかり休め!」
アマルトさんを使い移動の中止ではなく休憩という形を強調する、当然アマルトさんが動けばデティも乗っかる。比較的ノリが軽い二人が騒げばナリアさんも責任を感じることはないだろう、そんな気遣いを受けナリアさんもニッコリだ。
「よし、それじゃあ俺達も…」
『みんな〜、街…見えてきたよ〜…』
すると丁度ナイスなタイミングで外からネレイドさんの間延びした声が響き渡る、その声を受けアマルトさんとデティは『どんな街〜!?』と楽しそうに部屋を出て行く…エリスも見に行こうかな。
(えっと、次の街は…)
そんな風に記憶を呼び覚ますと同時に、隣に立つメルクさんが手元のメモ帳を開き地図を確認する、場所的に見えてくる街といえば…恐らく。
「次の街は『祈りの街オラティオ』…か」
「あら、オラティオと言えばあれですね。テシュタル真方教会が管理する西方唯一の街ですね」
「テシュタル教ですか?」
テシュタル教、魔女大国ではオライオン以外ではあまり流行っていない宗教…しかし非魔女国家では魔女ではなく神に祈る者も多くいる為、このマレウスにも御多分に漏れずテシュタル教が幅を利かせているんだ。そのテシュタル教が管理する街か…きっとオライオンみたいな感じなのかな。
と思っていると、メグさんは首をゆっくり横に振り。
「いえ、テシュタル教ではありません、テシュタル真方教会です」
「……同じな気がしますが、テシュタル教では?」
「テシュタル教とテシュタル真方教会は別物でございます、根っこは同じですが…まぁ行けば分かるかと」
同じテシュタルの名を冠する教会なのに、別物なのかな…?よく分からないが、どうせ街はすぐそこまで来てるんだ、なら行けば分かるだろう。
分からないものが目の前にあるっていうのは、楽しいもんだね。
…………………………………………………………
テシュタル教とは、世界随一の歴史と規模を誇る世界一の宗教組織だ。
始まりは夢見の魔女リゲル様が長く続いたアストロラーベ星教を解体して新たなる宗教組織として再編したのがテシュタル教。曰く原初の魔女シリウスと原始の聖女ザウラクの教えを統合しリゲル様のエッセンスを加えたのがテシュタル教なのだとか。
人を大切にしろ、挨拶をしなさいとか礼儀や礼節に関する教えはザウラク様。
運動しろ、食べ物はあんまり加工するなという教えはシリウスから。
リゲルがそれぞれ師として仰ぐ二人の存在を星神王テシュタルというわかりやすいモニュメントとして作り変えて人々に信仰させているのがテシュタル教だと師匠は教えてくれた。
重要なのはテシュタルという神が居るかどうかとかその信仰に意味があるかとかではなく、なにかを信じる人間の一体感やそれに伴う組織的な秩序を国や世界に広めることがリゲル様の目的なのだという。大勢の人間がたった一つの物を信仰する際生まれる一体感の強さは魔女大国でよくよく目にしたから分かる。
ただその際世界中に分布したテシュタル教は、長い時の間に各地で独自の進化を遂げて同じテシュタル教でも全く形態の異なる組織へと変貌を遂げたらしい。所謂宗派の違い…というやつらしい。
このマレウスでもテシュタル教はオライオンの物とは別個の進化を遂げている。それがテシュタル真方教会である。
リゲル様の教えを独自解釈し王貴五芒星の神司卿クルセイド家が代々管理している教会であり、リゲル様の管理するテシュタル教を『オライオンテシュタル』と呼び我等こそが真なるテシュタルを自称する団体だ。
その規模はやはりマレウスでも凄まじい物で、東方一帯は丸々クルセイド家とテシュタル真方教会の物らしく、レナトゥスもクルセイド家を王貴五芒星に指名せざるを得ないほど絶大な力を持っているようだ。
下手にテシュタル真方教会を無下にすれば、そのまま東方がマレウスから独立して新たな宗教国家として旗揚げしてしまいかねないのだ。国土の四分の一を切り取る権利を持つテシュタル真方教会はある意味国王や宰相相手にも大きく出れる存在と言えるだろう。
…そして、神司卿クルセイドは王貴五芒星としてレナトゥスの下に下る際一つの条件を明示した。それが他の王貴五芒星が管理する地方に一つ…テシュタル真方教会のための街を作ることだった。
そうして作られたのが祈りの街オラティオ。いや…『強引に作り変えられたのが』と言った方がいいかな。
「なにこれ…」
オラティオに着いて、一番最初に口を開いたのは所謂オライオンテシュタルのトップの一人 闘神将ネレイドだ。みんなからテシュタルの街だと聞いて少し浮き足立っていたのに、いざ街の様相を見ると…絶句していた。
「おいおいまじかよ、これ…どうなってんだ」
「まるでその、宿主を殺そうとしている寄生虫みたい…だな、うん」
アマルトさんもメルクさんも絶句する、エリスもだ。
だってこの街は…『真っ二つに割れていた』のだから。
『神を信仰しなさいこの不信者共!星神王テシュタルの罰が降りますよ!』
『テシュタルは出て行け!ここは俺達オラティオ人の物だ!勝手に街を乗っ取ろうとするなー!』
右はテシュタル教らしき黒岩の建造物に神を崇める為の彫像が乱立し、その中に巨大な教会が打ち立ててある。
一方左はマレウスらしい牧歌的な建造物が並びこちらはいたって一般的な作りになっている。
まるで二つの街が一緒になって混ざり合わなかったかのような異様な街、その境目でテシュタル教とオラティオ人が言い合いをしている。完全に二つの属性が反発し合っているのに一つの街に収まっている。なんなんだこの街…。
「これが祈りの街オラティオの現状でございます。三年前神司卿を自分の下に引き入れるためレナトゥスがクルセイド家の条件を飲んだ結果、各地方に一つテシュタル教の街を作ることになったのです」
「の割にゃ…テシュタルの街とは言えないんじゃないかな、少なくとも半分は」
「はい、街を作ると言っても一から街を作っていては人でも金もかかるので、レナトゥスは各地方から選んだ一つの街を強引にテシュタル真方教会に与えたのです。その街の人間の意思など全て無視して。おかげでオラティオの街の人たちはいきなりやってきたテシュタル教徒達に街を半分占領され強引に統治を奪われている状態にあるのです」
なんじゃそりゃ、力技にもほどがあるだろう。一応この街は西方を支配する理想卿チクシュルーブの物だろう、…いやあいつは関与しなさそうだな。むしろ見て見ぬ振りだろう。
街の人たちは信仰もしていない宗教への屈服を強要されているんだ、いやこれ宗教側にも迷惑だろう。本来なら争わなかった両者が狭いカゴの中に入れられ強引に戦わされているようだ。
『誰がテシュタルなんか信仰するか!とっとと出てけ!このインチキクソ宗教!」
「でもテシュタル教…嫌われてんな」
しかしテシュタルも凄い嫌われようだ、インチキにクソまでついてるもん。でもおかしいな、エリスが以前旅していた時はマレウスでもテシュタル教徒が普通に歩いていた。そして街の人たちもそれを嫌がる素振りなんて見せてなかったのに…それともここが特別テシュタル教を嫌ってるだけなのかな。或いはここのテシュタル教が異様に攻撃的なのか…。
『い、インチキクソ宗教だとぉ〜!えぇい!もはや許せん!この街の者共は悪霊に口を乗っ取られている!叩きのめして悪霊を追い出してやろう!棒を用意せえ!』
すると僧侶の中でも一際豪奢な飾りをつけた男がもうすんごい剣幕で激怒する。ブチブチッ!って擬音が聞こえてきそうなくらい凄まじい顔つきでがなり立てると他の僧侶達に木の棒を持って来させオラティオの人達に向かって暴力を振るおうと動き始める。
『望むところだ!ここでおいだしてやる!』
「って住民側も乗り気だぞ!ヤベェぞあれ!」
「ッ……!」
あわや暴動か、そんな騒ぎに発展しそうになった瞬間だった。エリス達の中で誰よりも大きな彼女は誰よりも機敏に、そして早くから動き出し…。
「やめろッッ!!!」
「っなんだ!?」
「巨人が降ってきた!?」
跳躍し、テシュタル教とオラティオの住人達の間に降り立ち、街全土を揺らすほどの勢いで声を張り上げる。やめろ…と。
エリス達がその場に駆けつけた頃には既にネレイドさんは両手を広げぶつかり合おうとしている両陣営を睨みつけていた。
「争うのはやめろ!両者共に一旦落ち着け!ここで無益に血を流そうとも変わることなど何もない!」
神将モードのネレイドさんは理路整然と、そしてハキハキとここでの抗争を止める。別に互いに溜まってるモンがあるならガス抜きがてらに殴り合うくらいはいいと思う、けどそれは両者共に倫理観と道徳観を失っていない場合に限る。
今、テシュタル教側もオラティオ側も目が血走り手には武器を持っている。これじゃあ抗争とかそういうレベルでは済まない、殺し合いだ、戦争だ。下手をすれば街が滅ぶ。
故に止める、だが…。
「お前、その服…シスターか!テシュタルの犬が!お前も出て行け!」
「ち、違う!私は…」
「貴様、その服…真方教会のシスターじゃないな?何者だ!邪魔をするな!」
「ッ私は…!」
ダメだ、オラティオ側はシスター服を見ただけでテシュタル真方教会と思い込み、真方教会はシスター服を見ただけで仲間でないことを理解する。そして両方とも互いの声が聞こえてない…ネレイドさんが集中砲火を食らってる。
助けないと!
「待ってください!エリス達はテシュタルの人間じゃありません!」
「そーだそーだ!ってか普通に棒持って殴り合うとか危ないよ!」
「ここは一旦穏便に…」
エリス達もネレイドさんに加わり両陣営を隔てる壁となる。もしエリス達を押しのけて戦争しようってんなら先にエリスが相手になりますよ!全員かかって来い!
「な、なんなんだよあんた達は、邪魔しないでくれ」
「邪魔じゃありません、ただ落ち着いて欲しいだけです。ここで戦争をすれば街にいる子供達にも影響が出るんじゃないんですか?」
「そ…れは」
しかし街人側は外から冷や水をぶっかけられてやや沈静化を始める、このまま時間を置けばこちらは落ち着くだろう…しかし。
「我等テシュタル真方教会は神より正義を保証されている、そんな我等に歯向かえば神より神罰が下るぞ!この神敵め!」
「うわー、なつかしー…その呼ばれ方」
真方教会側は落ち着く素ぶりさえ見せない。ましてやエリス達を神敵呼ばわりし責め立てる。いやしかし懐かしい呼ばれ方だ…神敵か。
エリス達は昔言われまくったから慣れてるけど、呼ばれた経験のないデティはいきなりの事に驚き、ネレイドさんは。
「神敵…?私が?」
やや動揺する、エリス達の前ではあんまりそういう仕草はしないが彼女は立派に敬虔なテシュタル教徒だ。その信仰は本物だ、なのにそれを否定されれば流石に揺らぎもするか。しかも言ってる相手は曲がりなりにもテシュタル教徒な訳だから。
「そうだ!神が我等に言うのだ!不信者を成敗しろと!それを邪魔するでない!」
「神は…テシュタル様はそんなこと言わない、言わないんだ。神に敵なんていない、誰かを倒すことも望まないんだ。貴方達の神は…慈悲深い存在のはずだろう」
ネレイドさんの言葉には重みがある、実体験から来る言葉の重みがある。神は誰か個人を指して敵だと指し示すほど器の小さな存在ではない。ましてやそうやって彼女は暴走した経験があるから必死に真方教会を止めようとするが
「喧しい!この偽信者め!」
「っ……!」
殴りかかってきた、真方教会は最早見境もつかないとばかりにネレイドさんの頭を木の棒で殴りつけた、殴りつけ…た。アイツネレイドさんを殴った、殴りやがった、エリスの友達傷つけやがったなあの野郎ッ …!
「テメェこの野郎ッ!なにネレイドさんの事傷つけてんだ!ぶっ殺すぞッ!」
「だぁー!なんで止めに入ったお前が一番ヒートアップしてんだよ!落ち着け落ち着け!アウトローが過ぎるわ!」
「よく見ろエリス!ネレイドは傷一つ付いてない!」
「う……」
確かにネレイドさんは傷一つない、そんなヒョロガリが棒で頭を殴ったところでネレイドさんの強靭な肉体に傷なんかつけられるわけがない。寧ろ殴った棒が根元からプラーンと折れて揺れている始末だ。
「…私のことは、どれだけ殴ってくれても構わない。けど街の人たちを傷つけるのはやめてほしい」
「何を言うか!こいつらは神を信じぬ不心得者!」
「何を信じて、何を信じないか、それはどんな人にも等しく与えられる権利だよ。宗教や信仰はその選択肢の一つでしかない…それを他人が強要して決めることじゃない」
「詭弁だ!」
「詭弁でも、私はそう思っている…だから、ここは退かない。テシュタルが何かを傷つけるのは見たくない」
「う……!」
ネレイドさんの威圧は凄まじい、まるで断崖絶壁を目の前にしているかのような閉塞感に襲われた真方教会は後ずさりし引いていく。これを退かすのは不可能だと思ったのだろう。
「くそ、なんなんだこいつ…」
「面倒なのが割り込んできた…」
最終的にはブツクサ文句を言いながら教会の方へと引っ込んで行ってしまう。
「引いた…か?」
「の様でございますね」
真方教会は退いた、ならもう…大丈夫かと皆が緊張を解くと共にエリスはネレイドさんに駆け寄る。
「ッ …ネレイドさん!大丈夫ですか!?傷ついてませんか!?」
「大丈夫だよエリス、私は頑丈だから…」
「でも心は違います!…あんな奴らでも同じテシュタル教徒なんでしょう。それから否定されるのは…きっと辛いはずです」
「…………」
エリスが気にしてる傷は体の傷じゃない、心の傷だ。彼女は傷ついていた、同じテシュタルを信奉する者に否定され、本来なら同志である存在が耳を貸すこともなく殴りかかってきた事実に。
この人は体は丈夫かもしれないが、優し過ぎるが故に精神的に傷つきやすい面もある。だからきっと今のも傷ついて…。
「ううん、大丈夫だよ。私もそこまで精神的に弱くはない」
「でも…」
「まぁ、テシュタルが街の人から嫌われて、テシュタルを信奉する人達が誰かを傷つけようとする様は…見ていて辛いけどね」
ネレイドさんが見上げるのはオラティオの街に打ち立てられた教会、その頂点に輝くテシュタルの象徴たる八つの星が組み合わさったシンボル。それを見上げて悲しそうにするネレイドさんに…エリスはかける言葉もなかった。
彼女の悲しみはエリスが想像している以上に深く、そして彼女はエリスが思っている以上に遥かに高潔だった。
「ってか勢いで絡んじゃったけどどうするんだよ」
「ああ、確実に真方教会側に目をつけられたぞ」
「あの人達の魔力、殺意を帯びてたよ」
しかし、どうするよと皆は話し合う。この街にはただ休憩に立ち寄っただけなのにえらいことになってしまった。
衝突が今ので終わったならそれでいいが、そう言うわけにもいかないだろうしなぁ…。
なんて思っていると…。
「失礼、貴殿ら」
「ん?」
ふと、オラティオ側の住人達を掻き分けて、奥からメガネをかけた壮年の男性がエリス達に向けてズンズンと寄ってくる。その声に反応したエリス達は皆揃って彼を見る…なんか身なりがいいな、もしかしてこの人…。
「あんたは?」
「私はこの街の長ライノという者です、先程は助かりました。あなた方が止めに入っていなければこの街で血で血を洗う凄惨な戦いが起こっていた。結果として凄まじい数の住人達の命が奪われるところだった」
ライノと名乗る険しい顔のおじさんは頭を下げると共にメガネをかけ直す。几帳面そうな仕草と堅苦しい言葉使いで語るのは礼と最悪の未来の展望。確かにあのまま戦っていれば両陣営共に凄惨なことになっていたのは間違いないだろう。
「いえ、別に俺達は…」
「謙遜めさるな、あなた方はどうやらかなり腕が立つ様子…見たところ冒険者ですかな?」
「まあ一応…」
「ならば、依頼を受けてくれますかな?」
「は?依頼?」
住民達がゾロゾロと動き出し、エリス達を取り囲み始める。どんなに鈍感でもどんなに楽観的でも今この状況が良くないものであることは明白。確実に何か面倒な出来事に巻き込まれてしまったのだろう事がよく理解できる。
ライノの語る依頼、それを受けるまで帰してくれそうにない雰囲気の中…ライノは静かに息を整え、覚悟を決めるように目を伏せ、そして…。
「はい、依頼内容は単純…『テシュタル真方教会の討伐』です」
「……テシュタルの…討伐」
ネレイドさんの顔が更に歪む、どうやら…エリス達は立ち寄る街を誤ったらしい。