390.魔女の弟子とアイドル冒険者プリシーラ
プリシーラ・エストレージャは出来た人間ではない、ワガママだし思い込み激しいしよく間違えるし頭だって悪い、大事にしてくれていた人たちを裏切るし、最低の人間に部類されると自分でも思ってる。
そんな私にも出来ることがあるとするなら、歌うことだけだ。
小さい頃は小鳥の囀りを聞いて一緒に歌い、耳に入る音全てが音符に見えて、体を揺らして歌った、それがエストレージャを継ぐことを定めづけられた私にとって唯一の自由であり最高の遊びだった。
けど…。
『お前はエストレージャを継ぎマレウスの未来を作る女だ、歌なんて歌っている暇があったら勉強をしなさい』
教鞭を持つ母はそれを否定した、お父さんは私が小さい頃に死んじゃったから私にとって唯一の肉親である母はいつも私を監視した。
歌を歌うな、お前は大臣になるんだ。まるで首に鎖をつけて強制するように私は生き方を決めつけられていた。
……と思い込んできた。昨日まで。
「お母様」
「………………」
昨日、悪魔の見えざる手の本部から救い出された私は、朝早くに母の居る別荘へと連れて行かれた。アマルトさんが『話をしろ、親子の関係ってのは時間をおいて拗れれば拗れるほど謝るのも決別するのも面倒になる。やるなら早めに、後回しにはするな』と言ってくれたおかげで決心のついた私は…再びこうして母の前に立つこととなった。
居た堪れず申し訳なさそうな私、対する母は明らかに機嫌が悪そう…というか怒っている。まぁ当然だった、これだけの事をやって多くの人に迷惑をかけて裏切って…オマケにエストレージャの娘なのに裏で犯罪組織を雇って使ったなんて知られれば厳格な母は許さないだろう。
それだけの事をやらかした自覚があるのに、私の中の幼児性が不機嫌そうに顔を硬らせる母を見て『怒られる』と怯え竦む。後ろでアマルトさん達が見てるけど…出来るなら逃げ出してしまいたい。私にとって母は厳しくて怖くて恐ろしい人だから…。
そんな風に視線を外すと、母はソファから立ち上がりツカツカとヒールを鳴らしてこちらに歩み寄ったかと思えば、その手を広げ…。
「この大馬鹿!」
「っ…!?」
叩かれた、頬を。平手で叩かれた。母は厳しくて怖くて恐ろしい人だけど…決して手を上げる人ではなかった、そんな母が…多分、生まれて初めて私を叩いた。
痛みや恐怖よりも驚きが勝る、声を張り上げ私を叩く母なんて想像もできなかったから。
そんな驚きに突き動かされてその目を母に向けると…。
「なんてことをしたの、犯罪者達を頼った挙句騙されて売られそうになった?私がどれだけ心配したと思ってるの!」
「心配?…貴方が?するの?私の心配なんて…」
「するに決まってるでしょ!こんなに肝を冷やしたのは…貴方が家を出た時以来よ」
「え……」
これもまた意外だった、母は私が家を出ても気にも留めないと…ただ責任を放棄したと怒るばかりで身の心配なんてするわけないと、何処かで思っていたから。そんな母から心配していたとの言葉と。
目に涙を溜めて、今にも泣きそうな顔で決壊しそうな何かを胸の内に秘めた…そんな表情で私を見る母の姿に、私はただただ驚くことしか…。
「何、それ…」
「…私が、貴方の歌を否定したから…ですよね」
「え……」
「私が、貴方の好きな物を否定して貴方自身を否定したから、貴方は私の元を去ったのよね…。私は貴方に大臣として不足を感じることのない将来の為多くの物を押し付け多くの物を奪いすぎた、そんな事に貴方が出て行ってから気がつくんだから…私は確かにどうしようもない母親よ」
「…………」
「けど、…貴方がアイドルとして王から評価を賜り、多くの者達から支持されていると聞いた時。私にそんな資格はないのかもしれなうですけど…嬉しかった。貴方が貴方の道を進めていると聞いて、嬉しかったのですよ」
な、何よ…何よ今更そんな、そんなこと言われても、それに…貴方は。
「貴方は、私の活動を…!」
「邪魔してねぇよ、そりゃお前の勘違いだプリシーラ」
「え?アマルトさん?」
振り向くと険しい表情のアマルトさんが壁にもたれて頭の後ろで腕を組みながらそういうんだ、私の勘違いだって…。
「マンチニールさんはな、逆に…お前の活動の後押しをしてたんだ。お前を使い潰そうとする協会のやり方に真っ向から物申し、最低限のラインを密かに守り続けてた…お前が今も歌えているのは、まぁある意味その人のおかげってところもあるかもな」
「っ…ほんとなの?」
母は目を逸らす。でも…そう言われて合点がいく。協会の人間が裏で語っていた『マンチニールの機嫌を損ねたくない』という言葉は、母に従わないとどうなるか分からない…という意味ではなく、母が私の扱いに異議を申し立ててくれていたから協会側としては聞き入れざるを得なかった…という意味だったのか。
じゃあなによ、私は…ただただ勘違いと思い込みで一人で転がり回ってたって事?
「じゃあ、お母様が…私を守ってくれていたの?」
「……貴方は嫌かもしれない、貴方の歌を一度否定した私には貴方の歌を守る権利もないのかもしない、けど…けど。それでも貴方がようやく見つけた道を…少しでも守ってあげたかった」
「ッ……じゃあ、私は」
勘違いで、何もかもを捨てるところだった…ってことか。なんて…バカなんだろう、母から真意を聞き出す気も持たず、思い込みで全部分かった気に成っていた。
でも、違うの?お母様は…私の歌を、聞きたいと言ってくれるの?私の歌を…否定したのに。
「…プリシーラ、貴方は私のことが嫌いかもしれない。だけど…ううん、だからこそ。私によって築き上げた物を捨てるのはやめて、ましてや…危ないことをするのはもうやめて」
「なによ…私はもう娘じゃないんじゃないの…」
「ええ、貴方はもう…エストレージャに縛られる必要はない、好きに生きていいのよ」
「ッ…くぅ…!」
じゃああの時、冷たく振る舞ったのも、私がなんの遠慮もなく…縁を切れるように、裏でそれだけ手を回していながらも、私の為に嫌われようとしていたって…ことなの。
なによ、そんな…そんな事言っても、もう…私は…。
「だから、歌いなさいプリシーラ。好きなように歌いなさい…貴方の思う歌を」
「…………」
その優しげな言葉に、思い起こされる記憶が…一つある。
あれは、そうだ。誰もいない部屋で自習を言い渡されて…勉強が終わった空き時間に私はいつも歌を口ずさんでいたんだ。
そして、いつも…決まって私が歌い終わると、母が部屋に入ってきて勉強を見てくれた。いつもいつも歌い終わると共に部屋に入ってくる母を見て。『危なかった、もう少しで聞かれるところだった』と肝を冷やしていたけど…。
もしかして…聞いていたの?いつも、部屋の外で…私の歌を。だからいつも…勉強を見てくれている時の貴方の声は…いつも、優しくて。
「ッ…!」
両手で顔を覆い嗚咽を咬み殺す、なによ…どんだけ不器用なのよ。私の歌を否定して、歌うなと言っておきながら貴方は…私の歌を、誰よりも聞いていてくれたの…!?
「お母…様…」
「プリシーラ、ごめんなさい…私がもっと、早く貴方の事を考えていれば。覚悟が決まっていれば…そんなに思い悩む事もなかったのに」
顔を覆い咽ぶ私を母は抱きしめる。優しく抱きしめ頭を撫でてくれる。ずっと私を一人で守ってくれた…たった一人の最初のファンが、私を抱きとめる。
…そうだったんだ、私の歌は…歌う為の歌じゃなかったんだ。好きに歌うんじゃない、自由に歌うんじゃない。誰かに聞かせて、誰かに聞いてもらって歌うから…私の歌は歌になるんだ。
なら、…そうだね。
「プリシーラ、貴方がエトワールに渡りたいというのなら犯罪者の手など借りなくとも私が…」
「いいの、お母様。私分かったの」
「え?…なにを」
「私が、歌うべき場所は…私の歌を聞きたいと思ってくれている人がいる場所。つまり…この国こそが私のステージだったんだ」
私は一体どこを見ていたんだろう。ここにあるじゃないか、私が歌うべきステージはここに。
母に否定され家を出た過去ではなく、自由という虚像を求める未来ではなく、私が見るべきは今だったんだ。過去によって作られ未来を象る今こそを大切にするべきだったんだ。
今に、没頭するんだ。
「プリシーラ…」
「まだ未来のことは分からないし、これからどうなるなんて展望も作れないけど…見てて、お母様。私がどれだけ成長出来たかを…明日」
「…ええ、貴方が許してくれるなら」
「許すなんて…聞いて欲しいの、お母様に。そしてもう一人…」
「もう一人?」
「あ、いやいいの。それよりその…お母様」
それよりも向き合うべき事柄はある。母が私の事を想ってくれているのは分かった、私が誤解をしていただけなんだ。あーあ、よかった!チャンチャン。
で終わらせられるわけがない、母は私に謝った、なら私も謝らないと。
「今まで、ごめんなさい…勝手な事ばかり言って、勝手な事ばかりして、本当にごめんなさい」
「貴方……」
「私まだ、子供だった。それを今回のライブツアーで痛感させられた…世間知らずで常識知らずで、まだまだ小さくて…肩書きが大きくなっただけで自分も大きくなったと勘違いしてた」
「フッ、いいのよ。こうして無事なんですから」
「お母様…、ッ…ありがとう」
エリスさん達との旅路の中、何度も自分がいかに小さくて世間知らずで自分勝手なのかを痛感させられた。だから…これからは同じ轍を踏まないと心に誓うと同時に。
もう一つ、考える。自由のために歌うのではなく、歌う為に歌うのではなく、私はこれから何かのために、誰かのために歌いたい。
そう考えた時、顔が浮かぶのはお母様と…もう一人。
…………………………………………………………………………
(エリスさん…)
「プリシーラさん、そろそろ本番ですが準備はいいですか?」
「はい、大丈夫です!」
鳴り響く歓声の中、私は目を開く。遂に来た理想街チクシュルーブでのライブ。このライブツアーの最後を彩る祭り。既に用意されていたステージの奥で閉じた幕の向こうで私は一人息を整える。
いつもみたいに側にエリスさん達はいない。もう悪魔の見えざる手はいないから護衛の必要がないからだ。だから私はみんなに頼み込んで最後は観客として見て欲しいと…最後の最後までワガママを言った。
でも、私からみんなに返せるものはこれくらいしかないから、だから精一杯歌うよ。私の…新たなる出発を、みんなに。
スタッフが私の周りを慌ただしく走り、最後の調整が終わり…外にナレーションが響き渡る。
『それでは皆様、大変長らくお待たせしました。マレウスの至宝アイドル冒険者プリシーラ・エストレージャのツアーの最後を飾るラストライブ。これより…開演となります!』
「よし、行くぞ…!」
最大で、最高で、最強な私を見せる。みんなにみんなに私を見せる。そう気合を入れて開く幕目掛け歩き出し…今、私の目の前に光が広がり……。
『ワァアアアアアアアアアア!!!』
「───────っ」
私は、絶句する。今までにないくらい大規模なライブっていうのもあって観客席から伝わってくる熱気は今までの比にならない。もう凄まじい数の観客が私を見て歓声をあげて両手を掲げている。
…ステュクスが言っていた。私のライブを楽しみにしてくれている人がいるって、嗚呼…こんなに、こんなに居たんだ。
(お母様…)
そして観客席の奥の屋敷の窓からうっすら見える人影。…お母様だ、誰よりも私のことがよく見える場所で私をじっと見ているのが分かる。
…今まで私の歌を否定してきたあの人が、私のライブを楽しみにしてくれている。
それだけじゃない、観客席の中心にはエリスさん達の姿が見える。今までずっと一緒にいたんだから見間違えることも見落とす事もない、何やら声を上げて応援してくれているのがわかる…。
みんな、ありがとう。私…しっかりやっていくよ。
『プリシーラちゃーん!頑張ってーー!!』
「ッ…その声って」
ふと、観客席の一部を見ると…そこにはピンク色の鎧を着込んだ一団が。あれって…親衛隊のみんな?コンクルシオでやられちゃったと思ったのに…。
見ればその鎧はボコボコで、頭に包帯を巻いて、未だ傷が癒えていないにも関わらず全力で声を張り上げ光るライトを振り私を応援してくれている。
『護衛は出来なかったけど!親衛隊として!プリシーラ様の晴れ舞台は祝わなくてはッ!』
『気合い入れろお前らー!骨が折れてもプリシーラ様を鼓舞しろ!喉が張り裂けても合いの手を!』
『プリシーラ!オレ達の星!貴方が立ち続けるならば!我等葦達もまた強く屹立せん!』
……みんな無事、だったんだ…よかった。本当に…よかった、
『頑張れー!』
『楽しみにしてたよー!』
『最高ー!』
「ッ…嗚呼」
ああ、やっぱり、間違いじゃなかった。私のステージは…私が歌うべき場所は。
ここだったんだ。エトワールに行かなくても、何処からも逃げずとも、私は最初から全部を持ってたんだ。
それを気がつかせてくれた母に、ファンに、親衛隊に、エリスさん達に…私が出来る唯一の事。
それは。
「ッ…みんなー!ありがとー!!」
全力の笑顔を作る、私に出来るのはやはりライブ中の二時間三十分に責任を持つ事だけ。
八十年の人生の中で、最も楽しいと思える二時間を作れるように…歌う事だけなんだ!
………………………………………………………………
『うぉおおおおおおおおお!!』
掻き鳴らすメロディ、響き渡るサウンド、音と光で作り出される楽園の幻影の中で一匹の妖精が歌い踊る。その様に人々は熱狂し中には涙を浮かべる者もいる。
凄いことだよ、プリシーラさん。貴方の歌をこれだけの人が楽しみにしてくれてるんですから。
「うぉー!プリシーラちゃーん!すごーい!」
「何だかんだこうやって我々がプリシーラ様のライブを見るのは初めてでございますね」
「パナラマでは…忙しかったからね…」
観客席の一部を貸し与えられたエリス達はプリシーラさんのライブを観覧する。何故か全身プリシーラグッズに身を包んだデティが席の上に立ち上がり、オペラグラスでプリシーラさんを見つめるメグさんが感嘆の息を零し、後ろの席の人の邪魔にならないようになるべく体を丸めるネレイドさんは感慨深そうに呟く。
「凄いライブだな、観客の熱狂具合も今までの比ではない」
「いえ、凄いのはプリシーラさんですよ。今まで見せたことないくらい真剣に…歌うことを楽しんでいます。何か彼女の中で吹っ切れたんだと思います」
「確かに、今のプリシーラは今までで一番身軽そうだ」
正体隠しのメガネを掛けたメルクさんが顎を撫でる中、ナリアさんはただ静かにプリシーラさんの晴れ舞台を見つめる。彼女の動きにはもう迷いはない、これならきっともう道を間違えることはないだろうと確信するラグナは静かに背もたれに体を預け。
「それで、観たいものは観れたか?エリス」
そう、エリスに視線を向ける。観たいもの…か、そうですね。エリスはこれが観たかったんです。
屋台で買ったグレープエードをストローで啜りながらエリスはプリシーラさんの歌う姿、そしてその歌を祝福する人たちの輪を見て…目を伏せる。
エリスはこれが観たかった、いや…これが欲しかったんだ。
(ハーメアのありえたかもしれない未来、悪魔の見えざる手やレッドグローブに捕まることなく彼女の道を歩み続けた先にはきっとこんな光景が広がっていたんだろうな)
もう潰えてしまった可能性、取り戻せない分岐点。エリスはプリシーラとハーメアを重ねる事でそんなありえなかった物を見たかったんだ。
悪魔の見えざる手からプリシーラを…ハーメアを守ることで、少しでも溜飲を下げたかったから。自分がいればハーメアの未来を守れたんだという確信を得て、少しでも救われたかったから。
けど…。
(これにも意味がないと、アイツは言うんでしょうね)
受け入れ割り切れと叫ぶ弟の声と顔が今もちらつく。チラチラと記憶の端に映る都度若干苛立つが…言ってる事自体は間違いじゃない。
プリシーラはプリシーラだ、これはプリシーラが勝ち得たものだ。ハーメアの得たものではない、だからいくらエリスが重ねても…意味はない。
…けど、この光景自体に意味がないかって言われりゃそうでもないだろ。
だって、これをエリス達が守れたことは事実なんだから。
『未来を求めて!星の輝きの下で空を駆けて!私と一緒に掴もう!夢を!』
楽しげに歌う彼女の顔を、エリス達は戦い抜いて守れたんだ、そこにはきっと意味がある…だからエリスが見るべきはハーメアじゃなくて。
プリシーラさん自身なんだ。
「カッコいいですよー!プリシーラさーん!」
立ち上がり腕をブンブン振り回してエリスは叫ぶ、彼女への賞賛と共にエリスはプリシーラへのエールを送る。
いいものだな、舞台ってのは…やっぱりさ。
「ところでさー」
「どうしました?デティ」
「いや、アマルト居なくね?」
「……あれ?」
ふと、周りを見る。すると一つラグナとメルクさんの間に空席がある…アマルトさんの席だ。
え?居ない?…もう、こんな大事な時にどこに行ってるんだ彼は。
………………………………………………………………
「プリシーラ…」
窓に手を当て奥に映る娘の顔を眺める。別荘の一室はライブ会場を見下ろす形になっているためここからでもよく見える…よく見えることが分かっていたからマンチニールはこの部屋を理想卿に頼み込んで取ってもらったのだ。
このライブツアーもそうだ。彼女に頭を下げてプリシーラにライブをさせて欲しいと願い出た。協会が今もプリシーラを粗末に扱うのは彼女の影響力が小さいからだ。私の庇護なく羽ばたいていくにはそれだけのきっかけが必要だ。
そのきっかけを作れるだけの力を理想卿チクシュルーブは持ち合わせていた、だからプリシーラのライブツアー計画を彼女に編んでもらった。まぁ理想卿殿はそれを反魔女陣営の会合として利用したようだが…この際そう言うのはどうでもいい。
今はただ、プリシーラが大きな舞台で楽しそうに舞っているのが嬉しくてたまらない、ここからでは歌はあまり聞こえないが。あの子から歌を取り上げようとしたくせに…誰よりも彼女の歌を愛してしまった私には、こうやって一線を引いたところから見るのがお似合いで…。
「おーすげー、確かにいい眺めだわ。特等席じゃんよ」
「っ!?貴方は!?」
「おっす、俺アマルトっす、よろしくっす」
ピッ!と指を立てて挨拶をする軟派な青年…彼は確かプリシーラの護衛の一人の。そんな彼がいつのまにか屋敷に入り込み私の隣でガラス越しにプリシーラのライブを眺めていた。
いつのまに、というか彼は何故ここに。
「どうしてここに?貴方の仲間は会場にいるんでしょう?」
「まぁね、けどさ。俺って心配性でさ…外出する時いつもキッチンの火を消したっけ?って気にしちゃうタチなんだよ」
「は、はあ…」
「今回も同じでさ、このライブを一番楽しみにしてたやつがあの会場にいない事を思うとどうにもライブに集中できなくてさぁ。…俺から言わせりゃどうしてここには俺のセリフだよ。なんでアンタあそこにいないんだよ」
真っ直ぐに私を見つめる青年は私を責める。なんで会場にいないのかって…そりゃ私にはそういう資格がないからで。
「全く、親子揃ってアンタら二人とも思い込みが激しすぎるぜ」
「え?思い込み…?」
「アイツがあそこで歌ってるのはアンタの為でもあると思うんだけど?」
「それは、貴方の勘違いで…」
しかし、あそこで歌う踊るプリシーラの意識が…こちらに向けられているように見えるのは、私の勘違いなのか?それも思い込みなのか?
…いや、思い込みでもなんでもいい。あの子が私のために歌ってくれているのならこれ以上に嬉しいことはない。
「歌ってのは、歌う人間と聞く人間が揃って初めて歌になるそうだ。プリシーラの歌を本当の意味で完成させるのはマンチニールさん…貴方なんじゃないのかよ」
「…………私は、あの子の歌を聞いてもいいの?」
「俺にはなんとも言えねー、けど…少なくともあそこにいるプリシーラは『いいよ』って言ってるように見えるぜ?俺の思い込みかもしれんけどさ。行きたいか?」
行きたいか…そう聞かれれはば私の頭が考えるよりも早く首は縦に振られる、聞きたい。あの子がどんな歌を歌うのかを、私に聞かせたい歌ってどんなものなのかを。
それを聞き受けたアマルトは、静かに笑い。
「よっしゃ!じゃあ行くぜ!」
「行くぜって…ちょっと貴方何を…」
刹那、アマルトが腰の短剣を振るう。その一撃が目の前の窓を叩き斬り…は?え?えぇぇっ!?
「なな、何を!?貴方何をしてるんですか!?この屋敷は理想卿チクシュルーブの持ち物ですよ!」
「私はしがない一介の冒険者、責任はケイト・バルベーロウが全て取ります」
「何を言ってるんですか!?」
「それより来いよ!ここよりもいい特等席を知ってる!」
するとアマルトはマンチニールを抱きかかえ…そのまま切り裂いた窓から飛び出して空へと飛び立つ。何をしてるんだ!?あの世からライブを見ろと!?そう口にするよりも早くアマルトは詠唱を呟き。その身を巨大な鳥へと変じさせマンチニールを背中に乗せたまま空へと飛び上がる。
「なんですかこれ!?貴方鳥だったんですか!?」
「そんなわけあるか!そういう魔術だよ!?それよりさ…さっきよりいい眺めだろ?」
「……眺め」
見下ろす、揺れる羽をしかと掴み、下を覗き込む。目が回りそうなくらいの高さの中…プリシーラの姿が見える。さっきよりもより明瞭に…表情が見えるほどに。
(…笑ってる、あの子が)
なんて清々しい笑顔なんだろう、あの子はあんな顔で歌っていたのか…。
美しいとさえ感じる、尊いとさえ思う、プリシーラ…私の光、私の夢。貴方が皆に讃えられながら笑っているのを…私は誇りに思う。
「子供ってのはさ、みんな不器用で。ある時から親に反発したくなるもんなのさ、反抗期とはまた違う…自意識の確立から来る反発は、とどのつまりその子の成長そのものさ」
「あの子は、私の知らぬ間に成長していたんですね」
「そうよ、誰しも勝手にデカくなっていく。そういう意味じゃ親も学校の先生も子供の成長には必要ないのかもしれない、けどさ…」
鳥となったアマルトはチラリと見下ろす。プリシーラをではなくプリシーラを見るために集まった人々とステージの絢爛さを。それを見て表情を綻ばせ。
「それでも、子供の未来を作ってやれるのは大人だけだ。あの子の未来を作ったのは…母親であるアンタだけだ。だから胸張れよ、娘のプリシーラが夢を確立させ、それを叶えられたのは親であるアンタのお陰。娘は…母親のお陰であんなにもデッカくなれたんだぜ」
「ええ…ええ、そうね…その通りだわ」
マンチニールは風に揺れる羽に体を預け、目を伏せる。風を切る羽に紛れて光る涙の輝きは空に消え…今この場には、無上の幸せだけが残り続ける。
あの子の親になれて良かった、あの子が私の娘で本当に良かった。胸の底からそう思う。
『これが私の掴んだ旅路の果て、この景色を貴方と一緒に見たい。今はただ…貴方と一緒に』
「…………」
マンチニールは地上から響くプリシーラの歌声を静かに聞く。愛するその声を…静かに、静かに。
熱狂の限りを尽くす理想街チクシュルーブ。光り輝くステージの中に最早暗澹とした空気はなく。その光に満ちた未来の予感しか…そこにはなかった。
……………………………………………………
「……………………」
パチリ、パチリと一人でチェスを打つ。豪奢な邸宅のダイニングにて灯りをつけず外から差し込む陽光を頼りに男は静かにチェスを打つ。
駒を動かす手に若干の怒りを込めて。
「………………」
その屋敷の座標を知る者は世界に一握りしかいない。誰もが彼を追いかけるのに、誰もが彼の影を掴めぬ所以がそこにはある。
屋敷の名は『空魔の屋敷』、そこでチェスを打つ男といえば一人しかいない。
男の名はジズ・ハーシェル。先程娘から届いた報告を受け、少し…苛立っていた。
「すぅ………」
悪魔の見えざる手が滅んだ、プリシーラを確保する為に動かした駒が消失した。これは完全なる誤算であった、完全に誤算だったのだ。
既に全ての八大同盟には監視をつけてある。同盟に属さない唯一の三大組織である『五凶獣』とマレフィカルムに於けるトップシークレットである『セフィロトの大樹』以外は全て監視してその動きを見張っていた。奴等が私の計画の邪魔をしようとしたら…それなりの対処はするつもりだった。
その中で唯一アクションを見せたオウマは…アイツは使う魔術の性質上監視が極めて難しいこともあり単独での行動は許したが、それでも干渉までは許さなかった。あの男も粗雑ではあるがバカではない。
だから、プリシーラの確保は殆ど決定事項だった…というのに。
「どこの誰だ…」
だが悪魔の見えざる手は撃破され消し飛んだ。アジトも跡形も残っていない、これほどの事が出来る者に思い当たる節がない。まさか王国の実力者が動いた?四ツ字冒険者が動いた?
いや、それらも監視対象だ。プリシーラの護衛に関わっていた『正式な』四ツ字冒険者はレッドグローブだけだ、一つ不確定因子が混ざっていたが…それは今回の事件に関わる姿勢を見せなかった。
しかしそこまでやっても正体不明の一団によって計画が粉砕された。あちこちに目を張り巡らせ最大の緊張感を持って監視していたのに、いきなり視界外から殴りつけられた気分だ。
一体何が起こったのか、どこの誰が悪魔の見えざる手を滅ぼしたのか。監視していたい連中ではどうやっても悪魔の見えざる手を倒すことはできないはず…。
「……………」
チェス盤見る、私の駒は全て揃っている…相手の駒も揃っている、なのにいきなりゲーム外から正体不明の駒が飛んできて私の駒を一つ落とした…不快だ。
あまりにも不快、この際計画を潰されたことはどうでもいい。だが…影である私が見ることさえ敵わない存在が、今マレウスというチェス盤に乗っていることが許せない。
お陰で、総帥…ガオケレナを落とすための手駒が一つ減った。マレフィカルムの謀反計画という完璧な彫刻に…一欠片の綻びが生まれてしまった。
「すぅー…」
完璧主義者のジズは両手で顔を覆い、無表情に凝り固まった顔をほぐすように撫でる。そういえばこんな気持ちを味わったのはあの時以来か…。
マーガレット、今はメグと名を変えよりにもよって魔女に与する裏切り者。奴に私の寿命の数年を割いたというのに…今でも奴の顔を思い出すと、この手で殺しに行きたくなるほどに怒りが沸き立つ。
「ふぅ、私としたことが昔のことを思い出して苛立つとは…。これはミルクでも飲んで落ち着きますか」
そう一言呟くと、それだけでジズの座る机にコップに注がれたミルクが置かれる。彼によって調教された手駒が彼の願いを叶える為に動いて……。
「ストレスは健康の天敵ですよ、ジズ老師」
「────────」
……いたわけではない、ミルクを置いたのはジズの影たる娘たちではない。漆黒の外套を身に纏った黒髪の女…。
セフィロトの大樹に於ける十人の幹部、そしてこのマレフィカルムという超巨大な群体の中で、最強の名を持つ女。
「いいえ、私はもう最強ではありません。最強の座は直にバシレウスに奪われるでしょう」
「知識の…ダアト」
知識のダアトだ、それがまるでジズの心を読んだのように目を覗き込み目を細めている。当然この屋敷への入場を許した覚えはない、ジズが許さなければこの屋敷に駐在する手駒が全力で排除にかかる。
が…それでもこの女はここに現れ、撃退も戦闘も行うことなくここにいる。何故か?…決まっている。
この女は特異体質なのだ、どういう原理かは分からないがこの女は魔力を持たない…一切の魔力を持たない。魔力とは生命力の流れだ、この世の多くの人間が誰に教わるでもなく最初からそれを感じ取って生きている。
だからこそ、一切の魔力を感じることのないこの女の動きは、誰にも把握することが出来ない。魔力に満ちた世界にあって恐らく最も異質な存在。それでいて魔術は普通に使うし…何より戦えば八大同盟の誰よりも強いのだから、ジズにとっては驚き以外の何者でない。
「来ていたのなら、事前に一報くれればご馳走を用意したのですが?」
「結構です、私は三食決められた時間に決められた物しか食べないので」
「それも…健康のため?」
「ええ、そうです。ジズ老師もいかがですか?と言いたいが…貴方の体には必要ないですか?」
これだ、この女はなにもかもを見透かす。その力の正体にはある程度の予測はつくもののそれでも異質であることに変わりはない。
体質も、強さも、あり方も、全てが異質なこの女はジズにとっては不快の権化だ。何もかもが思う通りにいかない…一切の常識が通じないのだから。
「ははは、そうですね。…それで?何かご用ですか?用もなく獣の巣を突つけば…どうなるかなど貴方もご存知でしょう」
「はい、私としても出来ればここにはあまり立ち寄りたくありません、怖いので」
「でしたら…」
「しかし、一つ聞きたいことがある」
その言葉を前にジズは敢えて表情を取り繕わない、下手に隠そうとすれば見抜かれる。故にいつものように笑い首を傾けギョロリとダアトを見遣る。
「なんですか?」
「ガオケレナ総帥はマレフィカルム内部に裏切りの兆候を掴んでおられる。しかも末端の組織が反発しているようなレベルではなく…中枢に食い込む者がこの機関を突き崩そうとしていると。そこでジズ老師に意見を聞きたい…長くこの機関に所属する貴方なら、何か見通せるやもと思いまして」
何をいけしゃあしゃあと、それとも本当に知らないのか?…その裏切り者が私だと気がついているのか。その女は表情が読めない…本当に不快だ。
「中枢の裏切り、かつて悪魔の見えざる手が内部崩壊した時のように何者かが離反や造反を企んでいると?」
「ええ、それは許されないことだ…ですよね?ジズ老師」
「…ああ、その通りだ。私が娘達を使って調査させよう」
「それはありがたい、貴方の目はマレウス中を見通す表も裏も…全て」
「お褒めに預かり光栄だ、しかし私からすれば…私が動くよりも君がもっと大々的に動いた方がいいと思うがね」
「ほう?私が?」
「ああ、万事を見通し凡ゆる虚を見破り実だけを捉えるその瞳があれば…虚飾や虚言など容易く見抜けるだろう」
「私は別に、相手の嘘を見抜くのが得意なわけではありません。ただ識っているだけです、万事を見抜くだけの力は私にはない」
それがどこまで本当なのか、まぁいい。この女は読めない部分があるがそれでも行動は単純だ…寧ろ。
引き入れてもいい、こちら側に。もしこの女が私と共に来れば…或いはそれだけで計画はほとんど成功したとも言えるほどに、この女の存在は大きい。
「そうかい、しかし謀反するということは…何かしらの不満がマレフィカルムにあるのかもしれないね」
「それを私に言ってどうしますか?それらの不満を是正するのは八大同盟の仕事だ」
「耳が痛いね、だが君には無いのかい?この機関への不満が。…マレフィカルムが設立されて既に五百年。未だ人の世が訪れぬ事に憂いはないのかな?」
「………………」
ダアトは表情を変えない、ただし即座に否定することもしない。ただジッと私の顔を見る。すると…。
「論ずる価値もない話題だ、若輩の私には分かりませぬ」
「おや、これはこれは」
私から目を離し、もう用は済んだとばかりに踵を返し壁に立て掛けてあった銀の錫杖を手にして立ち去ろうと歩み去っていく。ここにはただ物を聞きに来ただけか。
全く、小娘が…。私を前にして背中を見せるとは、どこまでも豪胆な女だ。
「答えては貰えませんか」
「ええ、ところでジズ老師」
「何かな?」
「先日悪魔の見えざる手が動きました、元八大同盟だった組織です。それがプリシーラを狙いました…冒険者協会のアイドル冒険者です」
「へぇ、彼ら最近見ないと思ったら今はせせこましくやっているようだね」
「……不可解です、悪魔の見えざる手がプリシーラを狙う理由が不明瞭だ。そうとは思いませんか」
「そうだね、アイドル冒険者なんて言っても所詮その程度の存在だ。命をすり減らして攫うような存在じゃあ断じてない」
「ええそうですね、けどもし…奴らの狙いがマレフィカルムに弓を引くことだったとしたらプリシーラを狙うという一手は存外に悪くない」
「そうだね…」
「…………」
チラリとダアトが肩越しに再びこちらを見る。プリシーラはマレフィカルムにとっての弱点ではない、だがそれでも今このタイミングでプリシーラが消えれば…マレフィカルムにとってマイナスになる。
そしてそのマイナスによってほつれた小さな穴を掘り進め押し広げれば…、突破口になると思っていたんだけどね。
「ジズ老師は本当に読めないお方だ」
「君に言われたくないかな、何があろうとも顔色一つ変えない…ポーカーフェイスでなら人形といい勝負が出来そうだね」
「フッ、それはどうでしょうか。では失礼しましたジズ老師…お時間を取って頂き感謝します」
「いやいや、いいんだよ。また遊びにおいで」
取って頂きじゃなくて、お前が勝手に取ったんだろうに。しかしダアトが嗅ぎまわり始めているか。
ダアトは消してしまうには些か強過ぎる。強過ぎるから暗殺出来ない…ではなく、そんなダアトを暗殺出来る殺し屋がうちにしかいない、やれば間違いなく関与を疑われる。
それは悪手だろう、ただでさえコットンを消すのに少々杜撰な手を打たざるを得なかったというのに。これ以上の悪手は踏めない。
ここからは慎重に動かねば…、そして。
「エアリエル」
「こちらに」
ジズの一言で現れるメイド。ジズが作り上げた最高傑作にして幾多の娘達を見下ろす最強の五人たるファイブナンバーの頂点。水色の髪の真っ赤な瞳を持つメイド…『五黄殺』のエアリエル・ハーシェルが即座に現れる。
先程までのやり取りもずっと影で見ていたのだろう、その上でダアトの動きを注視し何かあれば即座に殺しにかかれる位置で様子見をしていた、そして更にダアトもその事に気がついた上で私と話をしていた…二人の間に緊張の均衡があったからこそ、逆に二人はぶつかり合わなかったと言っても過言ではないだろう。
「迎撃をした方が良かったですか?」
「いやいい、木っ端なメイドはともかくお前がダアトと戦えばダアトも本気を出さざるを得なくなる。随分老朽化した今の屋敷にはちょっと刺激が強過ぎる。君の判断は正しい」
「御意に、それで此度は…」
私がエアリエルを呼びつけることは稀だ、彼女は私に取って虎の子の中の虎の子。任せる案件は最重要案件…確実な成功を求められる場面でしか動かさない。
そしてそれを理解しているエアリエルは察する、自分が動くということの意味を。
「このまま行く、モースとジャックを動かせ」
「……よろしいので?」
エアリエルに視線を向ければ彼女は頭を下げて『出過ぎた真似でした』と謝罪する。まぁ言わんとすることは分かる。今我々は失敗した、曲がりなりにも失敗した。悪魔の見えざる手を頼ると言う失敗を犯した。
だが立ち止まっている暇はない、奴等は所詮…私が作る新たな組織のトップには相応しくなかっただけだ。だからこそ動かすのは私がマレウス・マレフィカルムに引き込んだ…私の手駒。
陸を統べし山魔モース・ベヒーリア。
海を牛耳る海魔ジャック・リヴァイア。
そして、空を覆う空魔ジズ・ハーシェル。
裏社会において畏怖と敬愛を込めて語られる三魔人…世界最強の悪賊達が、動き出す時が来たのだ。