368.魔女の弟子とパナラマ防衛戦
そして、無事ライブ会場を整えたエリス達が迎えるのはライブ当日。
マレウスの大スタープリシーラが街でライブを開くとあってか、昨日まで全く人気のなかった街中に活気が溢れ、街人が次々と丘の頂上にある城へと向かう。その面持ちはやや暗いもののそれでも足取りは軽かった。
「ママ、今日はお外に出てもいいの?」
「ええ、…領主様が招いてくださったのだから、折角だからね」
「うん!よかった!」
子供の手をしっかりと握った親は不安そうに周囲を見回し子供を守るように手を引く。もしかしたら街中が戦場になるかもしれない、そうなった場合街人にも被害が出る可能性があるためラグナの提案により街人全員に態々チケットを配布して全員纏めて会場にご招待したのだ。…領主様の名前付きでね。
お陰で本来見に来る予定だった人以上に人が集まり、今ステージの前の観客席は満員御礼を通りして常軌を逸した状態だ。ここまで人が集まる会場を見たのはエイトソーサラーズ決定戦以来だ。
「今日を楽しみに生きてきたんだ、ようやくプリシーラ様を見れるなんて最高だ」
「住民全員分の席とチケットを用意してくれるなんて、やっぱりゴードン様は太っ腹だなぁ」
「私の側を離れちゃダメよ?ね?」
「うん!わかった!ママ!」
「うう…うう…」
隣町から態々見にきた観客、チケットを配られ興奮する住民、大切な子供を膝の上に抱きかかえ守る母親と、それを見て辛そうにしている独りぼっちの親。
集まっている、みんなプリシーラさんを見にやってきている。凄い活気が舞台裏にも伝わってくる。
みんなが見るのはエリス達が作り上げた、ナリアさんデザインのステージ。花を模した木の飾りや豪華な看板と文様の書かれた垂れ幕がかかった豪華なステージ…それを見て皆興奮を高めていく。
ライブ開催の時間はもう間も無くだ…。
そんな中、エリス達は…。
「ひゅー、見ろよ。すげー客が集まってるぜ?」
「満員御礼、集まってくれたお客様一人一人に感謝しないとですね」
閉じられた幕の間から観客席を見るアマルトさんは、舞台裏で待機するエリス達の元に何やら興奮した様子で戻ってくる。
チケットがそれだけ売れているのも住民が集まることも最初から分かってた事だ、けどそれでも集まってくれた人々に感謝するべきだろうとナリアさんは舞台裏で最後の準備を整えながら…見る。今日の主役を。
「で、もうすぐライブですけれど。調子はいかがですか?プリシーラさん」
「だ、大丈夫よ…ナリアさん」
プリシーラさんだ、例のアイドル衣装に身を包みカタカタと震えながらとても大丈夫には見えない顔つきで唇を噛んでいる。…緊張しているな。
「だっはっはっはっ!なんだよお前もしかして緊張してのぉ!?ライブ初めてじゃねぇーんだろ?」
「うるさいわね、じゃあアンタが代わりに立ってみる?」
「い、いやそれは勘弁」
ちょっと今の発言はデリカシーなかったんじゃないですかねアマルトさん。プリシーラさんはコンクルシオの時も酷く緊張していた、緊張から無理な練習を繰り返しそれでも緊張し続けてきた。
今日の朝だって信じられないくらい早くから起きていたし、ご飯も青い顔をして食べてたし、話しかけても譫言ばかりだし。そうやって本番が近づくに連れて彼女の顔はドンドン青くなっていったんだ。
笑っちゃいけませんよ。
「悪いわね、緊張してて…!プロ失格よ!」
「おいおい、荒れんなって」
「うぅ…!」
そんでもって、またしてもコンクルシオの時のように口が悪くなってる。この人ライブの前はいつもこんな感じなのかな。
あの時はエリスしかその場に居なかったから宥めるどころではなかった、けど今は違う。その緊張という感覚を誰よりも理解し共感できる人物がここにいる。
「プリシーラさん、大丈夫」
「な、ナリアさん…」
ナリアさんだ、彼は誰よりもその感覚を理解している。いや彼が本番前に緊張しているところなんか見た事ないけどさ、でも彼だってその重圧を感じないわけがないんだ。
彼は優しくプリシーラさんの手を取りニコリと微笑むと。
「プリシーラさんは今日まで沢山レッスンしてきました。それはなんでですか?」
「え?なんでって…」
「本番で失敗しない為?違いますよね。貴方はより良いものを多くの人に見せたかったから自分を磨いてきたんです。その心を舞台の上でも忘れなければきっと大丈夫、あとはみんなに貴方を見せるだけでいいんですから」
「なり…あ…さん…!」
彼は今日この日まで、プリシーラさんのレッスンを常に見続けてきた。時には厳しく物言いをすることもあったがずっと評価し続けてきたんだ。そんな彼にプリシーラさんは信頼を寄せている…、同じ舞台に立つ者としてのシンパシーをどこかで感じているんだ。
だからこそ、その言葉が響く。響いて涙が溢れてくる。クシクシと目元を擦りナリアさんに優しく抱きしめられて体の震えを抑えていく。さすがナリアさんだ。
「ありがとうナリアさん」
「うん、頑張って!なんて言葉今更不要ですよね。貴方は今日までずっと頑張ってきた、なら後はその頑張りを舞台の上まで持ってくだけでいいんです、気楽にいきましょう」
「はい!…エリスさん!」
「え?エリス?」
ふと、声をかけられてびっくりする。急にエリス?なんだろう…。
なんてちょっと竦んでいると、彼女は徐に立ち上がりズンズンとエリスの元まで歩み寄ると。
「エリスさん、見てて、聞いてて、私を」
「…ええ、しかと」
手を取る、彼女の手を取りしっかり握る。ええ見ますとも、聞きますとも、だってそういう約束ですものね。
潤んだ瞳でこちらを見るプリシーラさんの姿からは、全身から漂う感謝を感じる…でもまだだ、まだ安堵するわけにはいかない。貴方を悲劇から守る…それがエリスの使命ですから。
「よーし!頑張っ…」
と、一つプリシーラさんが気合を入れた瞬間…鳴り響く。
ぐぅー…と間抜けな音が、どこから鳴った?考えるまでもない、プリシーラさんのお腹だ。それを証明するようにプリシーラさんは顔を真っ赤にしてお腹をさすっている。
そういえば、朝は殆ど食事が喉を通ってませんでしたものね。
「お腹…空きました?」
「う、うん…」
「何か買ってきますか?甘いもの」
まだ本番まで少しだけ時間がある、前みたいに何か買ってこようか?と意見するが、それを遮るように動き出すのはアマルトさんだ。
「その必要はねーよ、どーせまた緊張しまくって朝飯食えないだろうってのは予想がついてたからな。軽食作ってきてやったよ」
「え!?ほ…本当!?」
「おう、つっても甘味じゃねぇがな、ほれ」
そう言ってアマルトさんは鞄から水筒を取り出すと共に一緒に持ってきた木のコップにトクトクと中身を注いでプリシーラさんに差し出すのだ。
その瞬間漂う芳醇な香りはエリスのお腹も鳴ってしまいそうなくらい芳しい。なんだこれ…。
「何?これ」
「こちら二十種類のキノコで出汁を取り、六種類の干したキノコを具材として入れ込んだアマルトさん特製のキノコスープでござーい。飲めば瞬く間に体があったまってポッカポカ、運動前にゃもってこいだろ?暖かい物を飲めばそれだけで空腹感も和らぐ、がっつり食うのは終わってからにしな」
「ありがとう…アマルトさん!」
「おう、けどあんまガブガブ飲むなよ?横っ腹痛くなるぜ」
「うん!気をつける!」
そう言いながらプリシーラさんは細かく切り刻まれたキノコが浮かんだスープをコクコクと飲み始め、…もう言葉なんて要らないなと思えるくらいに目を見開いて『美味しい』と述べるのだ。
流石はアマルトさん、これ作るのかなり時間がかかるやつだぞ。きっと昨日から用意してくれていたんだろうな。
「美味しい…」
「そりゃよかった、…でよ?エリス」
「ええ、分かってますよ…ライブまであと三十分、奴等は前回ライブ直前に行動を起こしてきました。来るならそろそろかと」
エリス達はエリス達でやるべきことがある。悪魔の見えざる手の襲撃が予測されている以上エリス達だって気楽に気を抜いていられない。
「ラグナさん達…大丈夫でしょうか」
「大丈夫だろ、ラグナ達でどうしようもない戦力なんてそうそうないからな」
「ええ、でも連中は真っ向から攻めて来ません。何かしらの作戦を立ててこの場に挑んでくるでしょう、ですから…」
そう、口を開いた瞬間の事だ。まるで噂をすればなんとやら…早速事態は動き出す。
突如として鳴り響くのは扉、それをドンドンと激しくノックされ外から衛兵の声が響き渡る。
「ん?どうしました?」
『す、すみません。実は巡回の者がステージ裏に不審なものを見つけたとの報告がありまして。我々では何か判別できない為確認お願いできますか』
「不審な物…?」
ステージ裏に不審な物。勿論ながらエリス達が事前に見回りした時はそんなものなかった…ということは十中八九悪魔の見えざる手が何がしかのアクションを行って来たと見るべきだろう。
しかし、なんだ?全然予測がつかない。確認するしかないか…?
「分かりました、ちょっとエリス行って来ますね」
「おーう、こっちは任せときな」
「気をつけてください」
「チャチャっと終わらせて来ます」
今エリス達は戦力を二つに分けて迫り来る悪魔の見えざる手に対応しようと備えているのだ。敵の目的は分かってる、プリシーラさんだ…それを守るべくここに残ったエリス達と敵を真っ向から迎え撃つべく今現在街に待機するラグナ達。
警戒すべきは悪魔の見えざる手の幹部達とコンクルシオの街長に化けていたと思われる謎多き変身魔術の使い手だ。幹部達はまぁラグナ達がなんとかしてくれるとして…怖いのは変身魔術の使い手の方だ。
何せ変身魔術を使い奴がいそうな気がする…ということしか分かってないんだ、どんな奴でどんな風に動いてそもそも存在しているのかも全てが分からない。もう既にこのパナラマに忍び込んでいる可能性も大だ。
なら、どんな些細な違和感でも見逃さずしっかり確認するべきだろう。
そう考え、エリスは楽屋を出て外で待っていた衛兵さんに声をかける。
「どちらにありますか?」
「ええ、それがこっちに…」
そうおずおずと連れて行かれるのは昨日エリス達が改造した巨大舞台の裏側。その一角へと連れて来た衛兵さんは…『あそこです』とある一点を指差す。
そこにはなんと……。
「あの、何もありませんけど」
何も、なかった。
何もない、何も置かれてない、何も存在していない、不審な物どころかそもそも物が何も置かれてないのだ。
「えっと、不審な物はどこに…え?」
そう、エリスが振り向いた瞬間目に入ったのは…棍棒を振りかぶり、エリスの頭部目掛け振り下ろす衛兵の、不気味な笑みだった。
…………………………………………………………
「ヴィンセント様!街の大門!完全開放完了です!」
「ああ、ご苦労…」
パナラマの守護を任されたルクスソリス家の嫡男 ヴィンセント・ルクスソリスは弟のシーヴァーと無数の兵士たちを連れて大きく開かれた門を眺め不敵に笑う。
今日、この場に街を恐怖のどん底に叩き落とした悪魔の見えざる手が現れる。奴等は相応の戦力を伴ってコンクルシオの街を襲ったという話だ…なら今回もきっと同じだ。
だがそうはさせない、パナラマの街はこのヴィンセント・ルクスソリスが守り抜いて見せると磨き上げた剣を地面に突き刺し敵を待つ。
「ふんっ、かつて戦の申し子とまで持て囃されたゴードン・ルクスソリスが…敵を前にして籠城の構えなど笑わせる、敵がいるなら打って出る…それが誇りあるルクスソリス家の在り方だ」
この門はヴィンセント達が開けるまで、閉め切られていたのだ。閉ざしたのは領主のゴードンだ、彼は敵がこの街に来ることを知っていながらせせこましく門を閉じ篭城の構えを取ったのだ。
そんなやり方で何が守れるというのだ、取り分があるのは勝った奴だけ、逃げ果せた奴に得られるものは何もない。我々は奴等に勝ち取り戻させねばならないものがあるんだ…戦わないで一体どうするというのだ。
「流石兄様です。やはりルクスソリスの当主は勇猛な貴方にこそ相応しい」
「ふっ、この戦いを制した暁には敵の首級を片手に祖父に当主の座を迫るとしようか」
俺はヴィンセントだ、ヴィンセント・ルクスソリスなんだ。ルクスソリスを継げるのは俺だけ、街を捨てた姉でもなければ現役を引退した老人でもない。俺だけなんだ…この街をパナラマを守れるのは。
そんな使命感に突き動かされるようにヴィンセントは一歩前に出て、鏡のように磨かれた剣を高く高く突き上げると。
「今日俺達は下賎な人売り屋組織の魔の手を断ち切り!奪われた子供達と尊厳を取り戻す!皆!俺についてこい!」
「応!!!」
先陣を切り、味方を鼓舞する事こそ軍を治める者の本分である。そう教育された通りヴィンセントは高らかに宣言する。兵士達の愛郷心に火をつけこの戦いの義は己らにある、天も地も神も我らの味方だと断言しながら門を超えて進軍を始める。
戦の申し子ゴードン・ルクスソリス、星砕の神騎エクスヴォート・ルクスソリス。この二人を超えるヴィンセントの覇道が…伝説が幕を開ける音が確かに聞こえた。
「ッ…!兄様!」
「ああ、…いるな」
街の外に出れば、直ぐに気配を感じる。既に敵は直ぐそこにいるようだ。
目の前に見える平原…そこに敷かれたカーテンの様に視界を遮る森と茂み、その奥から揺らめく影が無数に緑を掻き分け現れる。
「おん?聞いてた話じゃあ門は閉じられてる…って話じゃあなかったかなぁ。ボクの目がおかしくなってなければあれ…開いてるよねぇ?」
「プハッ!アハハッ!見りゃわかるでしょあんた、そんなの開いてるに決まってるじゃない!開けてくれたのよ!」
闇の中から現れたのはでっぷりと太った猿顔の巨漢と羽飾りを無数に付けたケバケバしい女の二人組み。いや…違う、二人じゃないもっと居る。
ぬらぬらと闇の中から剣や槍を構えて現れる構成員達、全員が訓練された兵士と同程度の隙の無さを漂わせながら現れた数は数十…いや百にも迫るか?まさかこれほどの規模とは。
「デッドマンも人使いが荒いよねぇ…、合流するなり別の仕事だもんねぇ」
「プハッ!アハハッ!アイツは元々そういう奴ってわかってるでしょ実際、まぁ今回は得意な仕事で良かったじゃないムリキ!」
「そうだねぇ、ボク達人を攫うのよりもぶっ壊す方が得意だもんねぇ」
ヴィンセントとて修練を積んだ一人の武人、相手の力量はある程度はわかる。
今目の前にいる二人、デブの巨漢と羽飾りの阿婆擦れの二人の力量は相当だ。パナラマでは比較対象が見つからないほどに濃密な気配が伝わってくる。
あれはかなり強いな、とすると恐らく奴らが…。
「お前達が、悪魔の見えざる手の幹部か?」
恐らく奴等が悪魔の見えざる手の幹部達と見て間違い無いとヴィンセントは光り輝く剣を突きつけると、巨漢はヘラヘラの笑い。
「幹部ぅ?違うよボク達は幹部補佐。ボクは悪魔の見えざる手ロダキーノ隊の『豪腕のムリキ』」
「プハッ!アハッ!そうそうロダキーノ隊の『翼腕のプハシアナ』なの私!私達揃って幹部補佐、ザンネーン!」
猿顔の巨漢ムリキと鳥のように羽を広げるプハシアナ…二人とも揃って幹部補佐?このレベルで幹部補佐だと?と言うことは幹部のロダキーノは一体どれほどの使い手なんだ。
「プハッ!アハハッ!安心して安心して!今日はここに幹部は来てないから…まぁ代わりに幹部補佐は山程来てるけどね。全員集合なのマレウス中から!」
「ボク達ロダキーノ様から今日は派手にやっていいって言われてるんだ、伝説作ってこいってねぇ…」
敵方の戦力はこちらが予想していたよりも巨大だ、どれだけ大規模とはいえ人攫い屋…姑息な連中とタカを括っていたヴィンセントは驚愕する。
これが悪魔の見えざる手…、いや臆するな。ちょうどいいじゃないか、それだけ大きい相手を倒したのであればこちらが上げる手柄も大きくなると言うもの!
「街には近づけさせん!街の子供達を返してもらうぞ!下郎ども!」
「気合い入ってるねぇ、どーする?プハシアナ」
「プハッ!アハハハハッ!決まってんじゃん!どいつもこいつも叩きのめして倒れ伏す親から泣き喚く子供を奪い去る!それが楽しくてこの仕事やってんだからさぁ〜!アンタ達の大切な人達…みぃ〜んな頂いちゃうから、してよね覚悟〜!」
「皆!行くぞ!敵を撃滅しろ!一切を鏖殺し敵の屍の上にパナラマの御旗を打ち立てよ!」
「応!」
シャナリと甲高い音を立てて兵士達は皆剣を抜き盾を構えて応戦の前を見せる、ここでこいつらを皆殺しにし新たにこのマレウスに『戦神ヴィンセント』としての名を打ち広げる為に。
パナラマとルクスソリスの誇りのために、剣を抜くのだ。
「き〜あいじゅ〜ぶ〜ん!プハッ!構成員しょく〜ん?雑魚ども蹴散らしちゃって〜!」
「おうよ!プハシアナの姉御!」
「叩いて砕いて奪って攫うのが悪魔の見えざる手の流儀、皆殺しにしてやるよ!」
それに悪魔の見えざる手側も応じ街の門を突破する為に茂みから続々と突っ込んできたことにより戦端は開かれる。
ヴィンセントとシーヴァー率いるパナラマ守護兵団の総数凡そ七十名。対するは猿顔のムリキと羽飾りのプハシアナが指揮する悪魔の見えざる手、その総数…不明。森を背後にとっていることで全軍の規模を巧みに隠しているのだ。
自分達よりも多いか少ないかも分からない相手に向けてパナラマ軍は果敢にも立ち向かう。
「はぁっ!!!」
「賊如きに遅れをとるな!行け行け!」
戦の申し子ゴードン・ルクスソリスがマレウス国内の動乱を鎮めた戦道行脚より五十年。パナラマの男は勇猛果敢にして天下無双とまで讃えられた頃よりもう既に数十年を経過し戦から遠ざかって久しいにも関わらず、未だパナラマ男児の果敢さは色褪せず。
次々と迫り来る悪魔の見えざる手の裂撃を巧みに弾き退けていく。そんじょそこらの兵団とは訳の違う練度と装備性能を持つパナラマ兵は例え相手がどれだけ強大でも一歩も引かない。
しかし。
「死ねやオラッ!そン程度で俺達がビビると思うなや!!」
「ぐっ!こいつら…やるぞ」
剣術も道理もないメチャクチャな大振りでパナラマ兵に斬りかかる構成員、その斬撃を盾で防いだパナラマ兵は思わず口を割る。
強い、強いのだ、ただの構成員でさえ悪魔の見えざる手は強い。確かに技術という面では大きく劣るかもしれない…だが、久しく血を見ていないパナラマ兵と違い常に抗争の中に身を置く悪魔の見えざる手の方が圧倒的に実戦経験がある。
それ故に彼らは分かっている、殺し合いは臆した方が負ける。だから臆さず攻め続ける。隣の奴が斬りころされようが自分が斬り倒されようが攻めかかってくる。
その勢いの熱は確実にパナラマ兵の足を止める。
「へへへ!死ねや!若造!」
「フンッ!なにが…!若造だ!」
しかしそんな中先陣を切るのは誇り高きルクスソリス、ヴィンセントだ。
彼はその剣で襲いかかってくる構成員と斬り結ぶと。実戦で白刃を使って斬り合うのは確かに初めてだが…その初めてのために何年かけて訓練を積んできたと思っているのだ。
物心がついた時から超常的な力を持っていた姉に少しでも近く為死ぬ気で鍛錬を積んできたのだ。たまたま実戦経験に恵まれなかっただけで…俺は既に。
「俺は既に!若き日のゴードンを超えているんだよッ!!」
「ぐげぇっ!?」
構成員の剣を横払いで弾きその隙にその胴を袈裟気味に斬り払えば、鮮血が舞い上がり糸の切れた人形の如く構成員がヴィンセントの前に倒れる。
…殺した、殺したのだ。一つ…首を取った、手柄首だ…!
「ふふ、ははははは!!やれる!やれるぞ!俺もやれるんだ!姉さんみたいに!行くぞシーヴァー!俺達で敵を皆殺しにするんだァッ!!」
「はい!兄様!」
やれる、その確かな実感を熱として感じたヴィンセントはその勢いのまま敵の群れの中へと突っ込んでいく。事実としてヴィンセントとシーヴァーの実力は構成員の大攻勢を挫くにたる程の物であり彼らの活躍により兵士達の指揮は着実に上がっていく。
「はぁっ!ぜぇゃぁっ!!」
「さぁどんどん来い!このシーヴァー・ヴィンセントが相手をしてやる!」
「ヴィンセント様とシーヴァー様に続け!押し返せー!」
斬る、斬る、斬る、磨かれた剣が血で汚れる都度一歩前進して切り裂いていく。布を裂くハサミの如く敵の群れを裁断し進むヴィンセントが望むのは一つ。
(敵の将を討ち取る!そうすれば敵は烏合の衆だ!)
狙うのはムリキとプハシアナだ、奴等を倒せばこの戦いは貰ったも同然。指揮系統を失い混乱した敵方を殲滅し俺はこの街を救った英雄となる!
「んんぅ?ねぇプハシアナ、アイツこっちに向かってきてない?」
「プハッ!アハハッ!マジだ本当だ、まさか来てるのかな勝てるつもりで。分かってないのかな力の差」
「みたいだねぇ、あーあ、ロットワイラーが居たらあっという間に終わったのになぁ」
「しょうがないじゃん居ない奴の話しても、それよかどうする?アイツ」
「うーん、相手するしかないかあ…」
「プハッ!アハハッ!じゃあ壊しちゃおっか!」
ゴキゴキと音を鳴らし寸胴のような体を動かすムリキと羽をバサバサと動かすプハシアナは向かってくるヴィンセントに対して濃厚な敵意を向ける。当然のように構成員達よりも強く濃い気配…だが。
(俺は負けない俺は負けない俺は負けない!俺は!ルクスソリスを継ぐ男!ヴィンセントだ!)
「ちょっ!兄様待って!」
走り抜ける、シーヴァーの制止の声も耳に入らずたった一人で敵陣の隙をついてムリキとプハシアナに向かっていき…。
「その首!貰い受けるッッ!!」
踏み込む、裂帛の踏み込みは彼に神速を与え輝くような一閃による横薙ぎにて二人の首を狙う。その首を寸断し手柄首とする。
その一心で振り抜かれた剣は…。
「軽い剣だなぁ…」
「なっ!?」
いとも容易く受け止められた、ムリキの手…いや奴が付けている鉄の籠手によって阻まれたのだ。
そんな、バカな、俺の剣が…片手で…しかも籠手の一つも斬る事が出来ずに受け止められるなんて、あり得ない!
「ぐぅっ!このぉぉぉお!!」
「どれだけ押し込んでも無駄だよ、ボク達の付けてる武具はぜーんぶアルクカースのカロケリ山脈で取れた魔鉱石で作られた特別製だから。どれだけ強く叩いても斬ってもそんな安物の剣じゃあ傷一つつけられないよ」
「な!?魔鉱石だと…」
世界一の武具を扱うと言われるアルクカースの強さの所以…魔鉱石。決して他国との取引に用いないと言われるそれを…武具に使っているだと。そんな…そんなの、無理じゃないか。
「プハッ!アハハッ!ちょっと遅かったんじゃないのそういう後悔した顔するの!」
「ッ!?」
声が聞こえた、頭上からプハシアナの声が。それに釣られるように上を向けば…そこには羽飾りを広げまさしく鳥の如き影を見せるプハシアナの姿がある。今の一撃を跳躍で回避していたのか!?…み、見えなかった。全く見えなかった。
「そぉらぁ!行くよ痛いの!『針山雉筵』ッ !」
「ぐぅっ!ぅぐっ!」
全身の羽飾りを振り回せばその中に仕込まれていた無数の鉄針が鋭く輝きながら五月雨の如く降り注ぎ、鉄の鎧を貫通しヴィンセントの体に突き刺さる。その激痛を嫌い思わず剣を上に向け盾代わりにし少しでも針から逃げよう試みるが…。
「ほら、隙だらけ…ッホォィッ!」
「なっ…しまっぅぐぅっ!?」
続けざまに飛んできたムリキの巨大な拳がヴィンセントを殴り上げる。鍛え上げた体を持つ成人男性たるヴィンセントが鉄の鎧を着込んでいるというのにムリキの拳はボールでも蹴飛ばすかのように軽々とヴィンセントの体を空高く殴り抜き、ただそれだけで彼の着込んだ鉄の鎧を粉々に破砕する。
「がっ…ぁぁ…」
「ムリキ〜!ナイスパース!そぉれ!『円天雉隠』!」
空高く飛び上がったヴィンセントを待ち構えるのは同じく滞空するプハシアナ、まるで鳥のように空中でくるりと体を回転させると共に叩き落されるのは踵落とし。靴底に重石代わりに仕込まれた鋼のヒールがヴィンセントの腹へと打ち込まれ、ミシミシと音を立てて内側の何かを破裂させ…その口から血が吹き出る。
「がはぁっ!?」
「兄様!」
墜落するヴィンセントを心配してシーヴァーが駆け寄る頃には、既にヴィンセントの鎧は砕け、口からは血が垂れ、全身に突き刺さった針から滴る血によって彼は血の海に沈んでいた。
「プハ!アハハッ!見て見てムリキ!アイツ雑ッ魚〜!」
「そうだねぇ、なんであんな弱いのにあんなに意気込んでたんだろうねぇ」
「ぐっ、くそ…!」
「兄様!動いちゃダメだ!誰か!治癒を!」
体を引きずってなんとか立ち上がろうと蹌踉めきながら剣を杖にし膝をつく、…なんて強さだ。この俺がまるで歯が立たないだと…。
しかもこれで幹部補佐?悪魔の見えざる手とはどれほど巨大な組織なんだ。
「だが、負けるわけにはいかない…!」
負けるわけにはいかないのだ、誇りあるルクスソリスの嫡男たる俺が…こんなところでおめおめと敗走など出来ない、例え敵わなくとも何度だって食らいついてやる。
プハシアナとムリキさえなんとかすれば、こっちは勝てるんだ。そう信じて彼は再び立ち上がり剣を構え、もう一度二人に戦いを挑も…………。
「おうおう、もう始まってんのか?悪いな遅刻しちまった」
「ゥラララ〜!!闘争のメロディ〜が聞こえますぅ〜!」
「プハッ!アハハッ !バーカ!大遅刻!もう始まってんよぉ!…あ!紹介するね、こいつら私と同じ幹部補佐なの!」
「は?」
挑もうと構えた瞬間、茂みから現れるのは筋骨隆々のモヒカンとグルグルに巻かれた髭を伸ばした音楽家…その二人をプハシアナは自分と同じ幹部補佐だと称するのだ。
当然だった、彼等は幹部は来ていないと言ったが幹部補佐はいると言っていた。つまりそれはここにいる二人だけではなく他の幹部補佐達もここに集結していることを意味するのであって…。
「だーっはっはっはっ!おうよ!俺はムスクルス隊の幹部補佐!『マッスラー・ドーン』!テメェらが敵だなぁ?俺の筋肉でぶっ潰してやるよぉ!」
「ゥラララ〜!私はラスク隊幹部補佐の『戦う演奏家アジャスター』。貴方の悲鳴で楽譜を書き上げましょう〜!」
「あ…ああ…」
上半身裸の筋肉モヒカンのドーンと歌を歌いながらバイオリンを構えるアジャスター。どちらもプハシアナ達と同じ幹部補佐…そして二人ともプハシアナと同格の気配がする…。
「他の人達は?」
「おう!後からどんどん来るぜ?みんな森の中で迷ってんだなぁこれが」
「そっか、プハッ!ざんね〜ん!まだ増援来るってさ!」
「………………」
あの二人だけで終わりじゃないのか、あの二人だけじゃないのか。これからもどんどん来るのか。
事実として今も絶え間無く森の中から構成員が現れ勢いを増して襲い来る悪魔の見えざる手達によってパナラマの兵士達は着々と追い詰められていく。この上さらに他の幹部補佐まで来たら…終わる。
「兄様!敵の増援が止まりません!どうしますか…!」
「………………ぁぁ…」
「兄様?兄様!」
シーヴァーの声が届かない。何を言っているのか耳が聞き取らない。肩を揺さぶられている気がするがどうなっているのか分からない。
どうすればいいんだ、敵の戦力は思っている以上に強大で、未知数。おまけに幹部補佐は手がつけられないくらい強いのに複数人いる。
どうすれば巻き返せる、どうすれば対処出来る、どうやって切り抜ければいい、まるで分からない。
「ヴィンセント様!押し切られます!指示を!指示をぉーっ!」
「ダメだ!街に入られる!」
「兄様!指揮を!」
「ぁ……あぁ……」
味方が全員こっちを見ている。なんで俺に聞くんだ、どうしてそんな責めるような視線で見るんだ。俺だって誰かに聞きたいんだ、俺だって分からないんだ。それなのに指示なんて……。
(あ…、これが…指揮官なのか)
猛烈に己の愚かさを理解する。そうだ…今俺は指揮官なんだ。かつて旗を振って前線を駆け抜けたお祖父様がやっていたのがこれなのか。
言葉ではなく身を以てようやく理解した、今この場でようやく理解してしまった。指揮官というものがどういうものなのか…、そして今俺がどういう立場にいるのかを。
俺は指揮官だったんだ、それなのに…こんな考えなしに戦いを挑んで…。
『いつまでも猪武者のつもりでいたら、そのうち怪我するぜ』
そこで思い返すのは、あの赤毛の冒険者ラグナの言葉。あれは比喩でもなんでも無くそのままの意味…、指揮官としての立場を理解せず猪のように突っ込んでいたら痛い目を見る、という意味だったのだ。
それなのに俺は…なんて、バカな……。
「兄様!指示をしないと死人が出ます!早く!!」
「ぅ…ぁ…ぁぁあああああああ!!!」
現実味を帯びる敗北、それによってもたらされる被害と損害、兵士が死に民が攫われ街が滅ぶ、全部全部俺のせいで、俺がバカだった…ただそれだけの理由でパナラマが滅ぶ。それが一気に俺の頭に過ぎり正気を保つことが苦痛にさえ思え、頭を抱えて叫び散らす。
指示を仰ぐ兵士たち、指揮を取ってくれと涙ながらに懇願する弟、その全てを置き去りにして俺は蹲り泣き叫ぶ。
た…助けてくれ、誰でもいい、助けてくれ!お祖父様!姉さん…!助けて……。
「ねぇラグナ、もう良くない?」
「かもな…」
刹那、そんな声が…空から響いたのだった。
「なんだ…!?」
「っ!?誰だ!」
プハシアナ達が慌てて空を見る、俺もまた体を持ち上げ空を見る。すると…パナラマを守る門の上に誰かいる。四人の影がずっとこちらを見ていたんだ。
いや、あれは…。
「冒険者達…!?」
「よっと」
ラグナだ、赤毛の冒険者ラグナとその仲間達が門飛び降りてきて、俺達を守るように側に降り立つんだ。…まさかこいつらずっと見ていたのか?あの情けない場面を。く…くそ!
ラグナの呆れ果てた視線と、その背後に立つネレイド メルク メグのなんとも言えない目がヴィンセントのなけなしのプライドを傷つける。
「ぎっ…笑いに来たのか!」
「…笑う?馬鹿野郎、笑えねえよこの有様は」
「ッ……」
「指揮官が何をいの一番に諦めてんだよ、テメェ戦争ナメてんのか」
「うっ…!」
恐ろしい、あまりにも恐ろしい目で俺を見ている。どれだけ馬鹿にした態度を取ってもキレなかったラグナが今激怒している。
俺が馬鹿な真似をしたからじゃない、一人で突っ込んだからじゃない、諦めたから…怒ってるんだ。
「指揮官が指揮を放棄するってのは即ち降伏だ、テメェ背後に故郷抱えてんの忘れたのか?」
「それは…」
「別に無謀に突っ込むなとも言わない、門勝手に開けて考えなしに戦いを挑むなとも言わない、それはあくまでお前個人の責任で完結するからな。だが指揮を放棄し兵士達を無闇に死なせるのは話が違う!テメェは指揮官以前に戦士失格だ!」
「…………ぅ、けど…けど俺には無理だ、もうどうしたらいいか…分からない」
「…そうかい、なら貸せ」
そういうとラグナはやや苛立った様子で俺の手の中の剣を凄まじい剛力で奪い去る。一体…どういうつもりだ?今更返せとも言わない、だがその剣は敵に通じなかった剣だ、そんなもの使ったところで…。
「ムダだ、その剣はアイツらに通じなかった…使うだけムダだ」
「それはお前がこいつの使い方を知らないからだろ」
「なっ、使い方くらい分かっている!剣の修行だって欠かしたことはない!そんな俺の剣でさえ…」
「だから、お前は剣士じゃねぇだろうが…よく見とけ、『指揮官の剣』ってのはこう使うんだ」
するとラグナは戦乱の中にゆっくりと歩みだしながら…剣を高く掲げる。剣士の剣ではなく指揮官の剣を天高く、誰からでも見える位置で輝かせるのだ。
「聞け!パナラマの兵士達!乱心のヴィンセント卿に代わり一時的にこの場の指揮を俺が持つ!」
「は…はぁ?何を言ってるんだおま…」
「聞けッッ!!!」
「は、はいっ!」
指揮を持つという言葉に難色を示したシーヴァーやパナラマの兵士達を一喝で黙らせ、腹の底にズシンと響くような威圧で敵も味方も全員が動きを止めラグナの一挙手一投足に注目する、いや…『注目させられる』
なんだあれは、今から何を言うんだ、何をするんだ。
「パナラマの兵士よ!お前らの背中には何がある!愛すべき故郷が!愛すべき人の住まう街が!お前の親が生まれ子が生まれる場所が!先祖代々守り抜き子々孫々に守り通すべき街がそこにはあるんじゃないのか!」
ラグナが語りかけるのは戦争に対する心構えではない、今から何をするべきかとかそう言う方針の話ではない。彼はもっと曖昧で抽象的で形のないものについて語り聞かせようと戦場の中で吼える。
彼が説いているのは愛郷心。どんな人間の中にも必ず存在する絶対なる正義を掲げ強引にそれを意識させているのだ。
「お前達は誇り高きパナラマの兵士だろう、この街を守るために剣を取った兵士だろう!守りたい何かを持った者達だろう!!ならば守れ!ならば立て!ならば剣を持て!故郷の名と自らの血統に確かな誇りを持つならばお前達に退く道など存在しない!!!」
彼がやっているのは鼓舞だ、だがヴィンセントがやったそれとは根底から違う。ヴィンセントがやった鼓舞は背中を押す前進の鼓舞。
対するラグナがやっているのは…『炎』だ。まるで兵士たちの内側に眠る何かに火をつけ燃え上がらせるような鼓舞だ。勇気に体が震え 闘争本能に剣が前を向き、彼の説く愛郷心に瞳が燃える。
場が完全にラグナの物になった、彼が兵士たちの心につけた火はいつのまにか灼熱の業火となって兵士達を熱狂させる。
熱狂だ、萎えかけていた指揮が爆発して信じられないほどに高まっている。
「案ずるな!俺が勝たせる!俺がお前達の勝利を保証する!故に戦え!お前達が守りたいものはなんだぁっ!!」
「お…おぉっ!おおおお!!!」
打ち震え一歩 また一歩進み始める兵士達の群れを背に、ラグナは高く掲げた剣を…指揮官の剣を正面に向けて振り下ろし。
「全軍ッ!ぶちかませッ!」
「ぅおおおおおお!!!」
「な、なんだこいつら!さっきまでと動きが全然違う!?」
ただの一振りで兵士達が荒れ狂い、迫り来る構成員がバタバタと切り倒される。ラグナは誰も斬っていないのに…今の一振りで戦況が変わった。
人間ってのは簡単な生き物で、心の持ちよう一つでパフォーマンスは大きく変わる。精神状態…戦場では士気と呼ぶそれを巧みに押し上げ相手を上回ることが出来れば、例え寡勢であろうとも 大軍を打ち破ることが出来る。
そしてラグナはそれを成し遂げた、剣の一振りで士気を大爆発させた。あれが…指揮官の剣…。
「どうだ?分かったか?」
「…ぁ?」
ふと、声をかけられる。青髪の麗人メルクがラグナを目にしたままヴィンセントに語りかける。分かったか…と。
「あれがラグナの説うた指揮官のあり方だ。指揮官とは誰よりも愛国心に燃え 誰よりも勝利を渇望し 誰よりも冷静でなくてはならないのだ。当然…誰にでも出来る事ではない、誰にでも出来ないからこそ数百人 数千人の中からただ一人が選ばれるのだ。指揮官とはただ命令をするだけの人間ではなく兵団を一つの刃に変える者を言うのだ」
「あれが……」
まぁあれは些か例外過ぎるがなとメルクは肩を竦める。そりゃあそうだ、ヴィンセントは知らない事ではあるがラグナという男はともすれば白兵戦以上にああいう鼓舞を得意とするのだ。
如何にラグナが強かろうが彼の拳の届く範囲は限られる、故に彼は鼓舞する。兵士全員が何にも負けぬ強靭な刃となれば自国をも守り抜く巨大な盾にも剣にもなることを理解しているから、そして理解した上でそれを実行に移せるカリスマ的強さが彼にはある。
今現在世界を統治するアド・アストラの億単位の全軍の総指揮を取り、三年前のシリウスの決戦にて誰もが彼を総大将に据えるくらいには、彼には軍を動かす才能がある。
その手腕は見事の一言であり、たった今指揮権を握った軍団でも彼は自らの手足のように動かし勝利へと導いてみせる。
「隊列を立て直せ!装備の利はこちらにある!門を背にすれば囲まれることはない!、盾で確実に防御を固めた上で確実に敵の攻勢を挫け!」
彼は前に出ることなく剣を虚空で振り回し、まるで指揮者のように兵団を操る。ヴィンセントの不手際で崩れに崩れた隊列は瞬く間のうちに回復し、むしろ増した勢いによって逆に敵の攻勢を弾き返すまでに至る。
「メルクさん!火砲にて援護を!メグ!負傷した兵士にポーションを!」
「分かった、任せておけ」
「畏まりました、完璧にやり遂げましょう」
そしてラグナの言葉は彼の中にも届き戦況を変えるために動き出す。メルクリウスは錬金術で高台を作ると共に無数の銃砲を錬金し、雨霰のように構成員に向け発砲し敵の進軍を麻痺させる。
その間にメグは高速で戦場を飛び交い負傷した兵士が気がつく前にポーションにて傷の手当てを行う。
(なんて迅速な仕事なんだ…、これが…冒険者…?)
「おい!お前…シーヴァーだっけ?」
「え?あ、はい!ラグナ…さん」
「戦況は、敵の総数の確認は出来てるか?」
するとラグナは動けないヴィンセントを差し置いてシーヴァーを呼び寄せると戦況の詳しい確認を行う…というより、こちら側が敵をどれだけ把握しているかの確認を行うのだ。
「いえ、出来てません。ただ森の奥にまだ援軍がいるようで…」
「ふーん、まぁ敵の言ったことをそのまま鵜呑みにする必要はないが。それでも森を背に持たれてるのは面倒だな」
ラグナはプハシアナやムリキが後ろに構える森を見る。森とは自然の要塞だ、何より敵の総数が確認できないというのはそれだけで面倒なのだ…本当ならあんな森事前に切って見晴らしをよくしておくくらいの下準備をしておくべきだったのだが。
そうも言ってられないとラグナは軽く考え込むと。
「ネレイドさん、頼めるか?」
「うん、部隊を十人ほど分けてもらえたら」
「よし分かった。シーヴァー?今からこの人と一緒に右舷の部隊を指揮して森に向かえ」
「え?僕が?でも…」
「いいから行け、森の暗闇の中にこそルクスソリスの灯火が必要だ。お前が兵を導く篝火になるんだよ」
「ッ…!はい!」
トントンとシーヴァーの背を叩いて右方の兵士達十人と共にネレイドが森の側面に向かって走り出す。
「みんな、森に入ったら二列に纏まって動いてね、先頭はシーヴァーさんで殿は私がやるから、何かあったら一旦私を中心に集合、分かった?」
「はっ!了解です!」
ネレイドもまたラグナ同様軍を率いる者。祖国に戻れば総数凡そ数十万のテシュタル神聖軍の指揮棒を握らされる彼女にとって高々十人程度の指揮など容易いのか手際よく森へと突入していく。
後はネレイドさんが森の中を引っ掻き回して敵の攻勢を完全に挫いてくれるだろう。とくれば…。
「よし、取り敢えず持ち直したな…ほれ、使え」
「あ…う…」
瞬く間の間に全てを立て直した、ヴィンセントがもうどうしたらいいか分からず頭を抱えた事態を汗一つかかずあっという間に元に…いや元のそれ以上にしてしまった。
呆然とするヴィンセントの目の前に彼自身の剣が突き刺さり、ラグナはそれを持つようヴィンセントに目と手の動きで促す。
「武勇を得たいと思うのは男であるならば当然の話だ、誰かを超えたいと思うのは人として当然の欲求だ。だがそれなら立ち止まるな、立ち止まった瞬間お前の今までは全てお前自身によって否定される、そんなの馬鹿らしいだろ?だったら止まるな、立って進め」
「そんな…簡単に言うが…」
「そりゃ簡単じゃねぇよ、ただ難しいだけだ。諦める理由にゃならんだろ」
部下が戦ってる最中に将がいつまでも寝てるんじゃねぇよとラグナは手を軽く振って踵を返し、その視線を敵方に向ける。
戦線は持ち直したが未だに敵は健在、特に現れた幹部補佐達は傷の一つも負っていない。奴らがいる限りこちらがいくら防御を固めたとて無駄なのだ。
「プハッ!なんか来たんだけど!ねぇねぇどうするアイツ」
「んんぅ、あの手腕を見るに多分コンクルシオでロダキーノ様達と戦った冒険者じゃないかな」
「ああ、そこそこやるって噂の」
「ゥラララ〜、ならばここで消しましょう〜、奴等を殺せば仕事の達成はひじょ〜うに楽にな〜る」
全員が動き出す、ラグナを明確に敵として認識しヴィンセントの時とは異なりあからさまに敵意を放つ。その威圧だけでも竦むような冷気を帯びていると言うのにラグナは全く動ずる事なく、ストレッチのように首の関節を鳴らして。
「テメェらがこの場の指揮を取ってんのか?ロダキーノは」
「プハッ!ロダキーノ様はここにはいないよ!あの人は多忙なんだ!別件だよ!」
「別件…ねぇ、ここで連中ぶっ潰せると思ってたんだが…仕方ないからお前らで我慢してやるよ。ほら来い、纏めて叩き潰してやる」
剣を置いて歩き出すラグナは一人最前線に向かう、相手はヴィンセントがまるで歯が立たなかった幹部補佐達四人。そこらの冒険者が敵うわけがない!止めるべきなのかもしれないが。
それでも思ってしまう、思わせてくる。『彼ならなんとかしてくれるのでは』と…ヴィンセントだけでではなく皆が思う。皆が思うから皆彼に任せる、任されるからこそ彼はやり遂げるのだ。
「プハーッ!なんか言ってるよムリキ!壊しちゃおう私達で!」
「そうだねぇ、ここで…ぶっ壊そうか」
「プハッ!アハハッ!『針山雉筵』ッ!!」
歩み寄るラグナに向けて放たれるのはプハシアナの羽飾りの中に隠された暗器。その驚異的な腕の振りにて弾丸の如く飛ばされる鉄針は分厚い鉄の甲冑すら貫通するほどの威力を持つのだ。
それが雨のように、それが『点』ではなく『面』で襲い来る。とても一個人が防げる範囲の攻撃ではない。しかしラグナはそれさえも気に止める事なく…。
「フッ!」
軽い息遣いと共に両手を高速で振り抜く…と。彼のその指の間にはプハシアナが放った筈の鉄針が無数に挟まっている。
まさか…たったあれだけの動きで、今の鉄針全部キャッチしたのか?え?そんな事…出来るのか?普通。
「挨拶代わりの曲芸はいい、早くかかってこいよ。ぶっ壊すんだろ?俺を」
「ぬぁっ!?わ わわ私の針山雉筵が…全然効いてないんだけど…!?」
「ならこっちは…どうかなァッ!!ホァァッッ!」
続いて突っ込んでくるのは巨漢ムリキ。彼は猿叫をあげると共にその巨大な両拳を振り上げ、ラグナに向け突進を繰り出すと共に振り抜く。あの一撃はヴィンセントの鎧を打ち砕いた物と同等かそれ以上。あれを人の体で食らったら一溜まりも…。
「…拳骨の握り方がなってねぇ…」
「は?えぇっー!!!???」
思わず声を上げてしまった、だってムリキの拳を片手で軽々と止めてしまったんだから。しかもムリキの籠手を…魔鉱石で出来た拳を握力だけで砕いてしまった。
何?あいつ人間なのか本当に!?
「拳骨ってのはな…」
「ボ ボクのガンドレッドが!?ってか何こいつ!ちょっ!誰か助け……」
「こうやって打つんだよッッ!!」
「ぐげっ!?」
刹那炸裂するラグナの拳骨、掴んだムリキの手をそのまま引っ張り自分の目の前にその大きな顔を持ってくると共に爆裂するようなラグナの拳が放たれ、一瞬でムリキの姿が消え…代わりに森の木々をへし折り奥まで続く道を作っていた。
一瞬で倒してしまった…俺ではまるで手に負えなかった存在を、一瞬で。
「この!よくもムリキをォッ!『秘剣雉打』ッッ!!」
ムリキを殴り飛ばしたそのの隙をつき、プハシアナは胸の谷間から大振りの針を抜き放つと共にラグナの首目掛け神速の突きを放ち…。
「洒落臭い!」
「ごはぁっ!?」
が、やはり効かない。先にプハシアナが動いていたというのに何故か後から動いたラグナの拳の方が先に相手に到達し、口元から折れた歯と鮮血を吹き出したプハシアナが地面に張り倒される結果に終わる。
「な…ちょっ!なんだこいつ!化け物か!?」
「ゥラララ〜!何故このような化け物がこんなところにぃ〜」
誰も反応できないうちに二人やられた、その事実に驚きながらも咄嗟に構えを取るドーンとアジャスターは…。
「やられる前にやる!マッスルブラスター!」
「死になさい!バイオリンショット!」
隆起させた筋肉を存分に振るい拳を放つドーンと手に持ったバイオリンに仕込まれた銃を放つアジャスター。けどそれが無駄であったことは言うまでもない。
「化け物?テメェら人でなしよかマシだろうが…!」
ラグナの姿がブレる、まるで手で擦った絵の具のように輪郭がボヤけ消えたかと思えば、残った幹部補佐のドーンとアジャスターの背後に現れその手が二人の首を掴むと。
「邪魔だからちょっと死んでろッ!!」
叩きつける、いや…埋めると形容した方がいいか。掴んだ二人の首をそのまま持ち上げ勢いよく下段に押し付ければ二人の頭が…いや上半身が地面に埋まり動かなくなる。まるで泥に稲でも植えるかのように軽々と…アイツ、本物の化け物だ。
エクス姉さんと同じ…本物の。
「はいっ!終わり!」
「な…なぁ!?幹部補佐がもうやられてる!?なんじゃそりゃあ!?」
「ヒィッ!?なんだアイツ!?」
「幹部補佐が瞬殺って!どうしようもないじゃねぇか!」
「もうダメだー!終わりだー!」
ラグナが幹部補佐を撃破すれば、それだけで構成員たちは戦意を喪失する。今回の戦いにおける敵方の指揮官であり切り札たる補佐が手も足も出ないんだ。ここからどんな増援が来ても勝ち目がないとあれほど勇ましかった構成員達が畏れ慄きラグナから逃げるようにバタバタと走り出し街から遠ざかっていく。
「テメェら、逃すわけねぇだろうが…!全員お縄だ!覚悟しろや!」
「ヒィッ!も 森だ!森に逃げろー!」
「街に攻め入るなんてもう無理だー!」
来た道を引き返すように構成員たちは森へと逃げていく、あそこに逃げられては追跡は困難だろう…だが、ラグナは追わない。
彼は知っているからだ、そこが奴らにとって安全な場所ではないことを。
「森に逃げちまえばこっちの…あ?なんだ?」
「なんか、森動いてねえ?」
「まさか魔獣?いやこの森に魔獣なんか…」
逃げ込もうとした森がザワザワと揺れる、まるで巨大な何かが内側で蠢動しているように木々を何かが揺らしているのだ。そのあまりの光景に森の入り口で構成員達は立ち往生している間にも…『ソレ』は動き出す。
「ぎゃぁぁああ!!」
「がはぁっ!?」
「な…なに、この怪物…幹部補佐が…全滅なんて」
森から吐き出される複数人の輩達。既に満身創痍で立ち上がれないとばかりに蹲るそれらを見て構成員達は悟る。『この人達は幹部補佐だ』と…。
そうだ、森で待機していた他の幹部補佐凡そ十人、それが残らず撃破された上で森から吐き出されたのだ。いったい誰がやったのか?
その犯人は木を片手で押し退け、ズシズシと音を立てて木々の葉枝から頭を出す。
「もう終わりか、呆気ないな…」
「な、なんだこの巨人!」
「おい!倒れてるの全員幹部補佐だぞ!」
「こいつがやったのか…!」
「おう!終わったか?ネレイドさん」
「ん、ラグナも?こっちはシーヴァー君のおかげで伏兵全員倒せたよ」
「流石だよ、やっぱ任せて正解だった」
ネレイドだ、少数を率いて森に突撃して内部に潜む戦力を殲滅しに行ったあの巨大なシスターだ。アイツも幹部補佐を…しかも十人も纏めて倒したというのか?
なんなんだ…こいつら…。
「ラグナさん!撃破終わりました!」
「ん、ご苦労シーヴァー君」
「…まだ残党が残ってますね」
「ああ、さて…どうする?お前ら。ここで降伏したら下手に傷つけやしないぜ?」
「う…!」
森が塞がれた、頼みの綱の幹部補佐も居ない。最早勝敗は決したとラグナが構成員達に対して降伏勧告を行う。降伏するなら傷つけない、ただし抵抗するならば戦闘を続行する…そんな二択を迫られた構成員達は…。
「ふさげんな!死んでも捕まってたまるか!どうせ捕まったら全員死刑なんだ!こうなったら散り散りになって逃げるぞ!」
「くそう!こんなことなら来なけりゃよかったぜ!」
「あばよ!クズども!捕まえられるモンなら捕まえてみろ!」
「あ!おい!…まぁた面倒な」
逃げた、森にではなく平原の方にバラバラに散って。四方に散るようにして逃げることで少しでも逃走成功の可能性を高めようというのだろう。例え九十九人が捕まろうとも自分という一人が助かるならばそれでいい。
そんな魂胆が透けて見える逃走劇にラグナは深くため息をつき。
「はぁ、やっぱお前に頼ることになりそうだ…デティ」
指を鳴らす、デティ…その名を呼んで高らかに合図をする。それはこの場にいない五人目の仲間であるデティに出番が来たことを意味しており。
『オッケー、デティ・システム準備出来てるよー!』
「平原の方に構成員が散った、数は百ちょっと。いけるか?』
『全然いけるよ、安心して』
どこからともなく声が響く…いや、これはあれか?拡声魔術みたいなものか?当の本人の姿は見えないが一体どこに。そうヴィンセントは周囲に視線を走らせたことで理解する…。
何かが、こちらに迫って来ていることに。
『私だけ馬車に待機で寂しかったんだからね!その分活躍させてもらうんだから!『ミリオンアローバイト』ッ!』
迫り来る黄金の輝きは天より飛来する。無数に輝く流星群の如き光の矢は的確に逃げ惑う構成員達に降り注ぎ、着弾すると共にその体に巻きつき捕縛していく。
───ヴィンセントは知らない、この光がはるか遠方に配置されたラグナ達の馬車より放たれていることを。魔術を放ったのはデティだ、馬車に搭載された探知機構で敵の位置を把握し馬車を媒介し超遠距離魔術砲として利用し後方支援を行なったのだ。
あの馬車に乗っている限りデティの探知範囲は山の向こうにまで広がる。そして探知出来ると言うことは彼女の魔術は何処に居ようとも当たると言うことでもある。
ロットワイラーとの戦いでラグナが考案した『デティ・システムの運用法』がこれだ、肉体的に貧弱で前線に向かないデティを後方に置きながら援護をさせる。もし敵が逃走したり援軍が来たりした場合デティに砲撃を行うよう事前に師事していたのだ───。
デティの放った高速魔術は街を飛び越え的確に構成員達を捕まえていき、散り散りになるよりも前に全員がまさしくお縄についた。
「な、なんだこの光の縄は!」
「どっから降って来たんだ!?」
「なんなんだよこれー!」
「残念だったな、お前らがなりふり構わず逃げることくらい最初から予測が付いてたんだよこっちはな」
賊の浅知恵などお見通しである。彼らの浅はかな考えなどラグナからしてみれば手玉にとるように理解出来る。故にこうして事前に準備していたのだ。
ただ敵と戦うことだけを考えその中身を何も考えていなかったヴィンセントとはまるで違う。戦うなら最後まで諦めない、やるなら徹底的にやる、そして戦いの決着のつけ方まで全て計算済み。
指揮官としても、戦略家としても、そもそも戦場に立つ者として…ラグナとヴィンセントでは格が違いすぎた。これが…これが。
(これが…大器を持つ者…。俺とは…まるで違う)
街を襲撃しに来た悪魔の見えざる手は全滅、一人として逃さず完全勝利に沸くパナラマ兵団達とは対照的に、ヴィンセントは打ち拉がれていた。
悔しさすら分からないほどにラグナとの差を痛感させらたからだ。
(お祖父様が当主の座を渡さなかったのも頷ける。お祖父様は俺にこうなって欲しかったんだ…なのにその期待を裏切っていたのだから当然か…!)
「いやぁ流石ですラグナさん、即興で指揮を取ってここまで見事に采配を下すなんて。若き日のお祖父様を想起させます!」
「ラグナさん!アンタの指揮すごかったぜ!まるでエクスヴォート様みたい…いやあの人の指揮はクソわかりづらかったからそれ以上か!」
「冒険者なんて言わずこのままうちの客将として街に残ってくれー!アンタはパナラマに必要だ!」
瞬く間に弟や兵団達の信頼を勝ち得るラグナの姿を見て、ヴィンセントは学ぶ。ただ正面で威張るだけではダメ、ただ勇猛なだけではダメ、口だけでは…ダメ。あれこそがルクスソリス家があるべき姿であると彼は項垂れながらも理解する…。
完敗だ…!指揮官として完全に負けた、いやそもそも勝負にすらなっていなかった。
(…もっと精進しなくては)
ヴィンセントは落ち込みながらもたしかに前を見続けるのであった。老いたお祖父様でもなくいなくなった口下手な姉でもなく、ただ招かれただけの冒険者を彼は心底尊敬した。
………………………………………………………………
「あ…ははは、褒めてくれるのはありがたいがまだ仕事は終わってないだろ。倒した敵を全員捕縛し牢に打ち込むまで油断するなよ」
パナラマの兵士達から褒め称えられながらも、俺は一息つく、取り敢えず第一段階は終わりか…と。
悪魔の見えざる手の襲撃があった、これはみんなで予測していた通りの展開で事前に戦力を二分していたこともあり対応は比較的早期に行えた。まぁ本当なら完全閉鎖した門で敵を阻んでいる間に終わらせられる予定だったんだがヴィンセントが開けちゃったからな。
一応奮戦して街の外に留めてくれてはいたが、見たところかなり苦戦している様子だったからついてが出ちまった。目立つつもりも出しゃばるつもりもなかったんだが…ヴィンセントのあんな姿を見せられちゃあな。
別に無謀に挑むなとも言わないし、勝手に門を開けた事にも文句は言わない。けど途中でなにもかも放り出すのは頂けなかった。
あんな事アルクカースでやったらその時点で終わり…いやそもそもアルクカース人にはあんなことする奴なんかいない。一人で突っ込んでやばくなったら怯えて動けなくなるなんて戦争をナメてるとしか言えないだろ。
だから見てられなくなって手が出ちまった。
「ご苦労だったなラグナ」
「流石の指揮でしたよ、ラグナ様」
「戦場に立ってる時のラグナはいつもイキイキしてるよね」
「お、三人とも。サンキュー」
戦いを終え、メルクさん達も合流してくる。あそこまで完璧に被害を抑えて勝利出来たのもみんなのおかげだ。
「しかし拍子抜けだな、悪魔の見えざる手の連中…練度は高かったが指揮系統があまりにも杜撰だった」
「そこは飽くまで人攫い屋集団という事でしょうか、無法者ではある物の彼らは生粋の戦闘集団ではないのでしょう」
パナラマ兵達によって捕縛され始めた構成員達をぼんやり眺めながらメルクさんとメグさんが何か話してる。練度は確かに戦った…というかあれは奴らがそこそこの修羅場を潜り抜けてきたという証拠だろう。
だが一方指揮系統は杜撰、門開けて正面から正々堂々挑んだヴィンセントもなかなかだったが門の前で正面突撃かました悪魔の見えざる手もまぁバカだよな。俺ならもっと上手くやる。
…いや、違うか?違うな。この作戦の指揮を執っていたのはムリキとプハシアナ、二人はあのロダキーノの部下。…そしてロダキーノはアルクカース人。
「なるほど、そういう事か…」
「ん?どうした?ラグナ」
「いや、実は……」
気がついた、ロダキーノがアルクカース人ならば奴はきっと闘争という物を分かっている。そんなアイツが正面突撃だけをするわけがない。これは恐らく…そう自分の考えを述べようとした瞬間。
「プハッ!!アハハハハハッ!バーカ!私達が…囮だとも知らずにノコノコと出てきやがって!」
「何?…囮だと?」
プハシアナが笑う、俺に顔面を粉砕されながらも血を噴いて笑う。自分達は囮であると…。
「そうさ!私達は最初っから囮!もう既に…私らの仲間が街の中に入ってる!私達荒事専門とは違って入り込んだのは実務担当。つまり…暗殺や誘拐を行う本物の悪魔の手さ!」
「なっ!?なんだと!?おいラグナ!」
「問題ないよ、慌てる必要ないさメルクさん。敵がご丁寧に玄関叩いてくるとは思ってない…だから戦力を分けたんだ。向こうにゃエリス達がいる」
だがそもそも予測していたのだ、敵が正面から攻めてくるのは前提としてその隙に忍び込まれることもラグナは予測していた。だから先んじて部隊を二つに分けた。
もし俺達が突破されても、エリス達がなんとかできるようにな。
「おいデティ!街中に敵性反応はあるか!」
『そんな細かいことまで分かんないよ!!でも今のところ街の中に混乱はなさそうかも…ん?』
一応プハシアナの言葉が真実かどうか確認する為に馬車で待機しているデティに声を飛ばすと…帰ってくるのはデティの不思議そうな声。街中に人がいることは分かるがどれが敵かまでは分からない…がしかし、彼女はそんな中で何かを見つけたようで。
「どうした!?ライブ会場になんかあったか!?」
『いや…ライブの方は人が多すぎてよく分からないけど特には何もなさそう、でも…ヤゴロウさんの反応が!』
「ヤゴロウさん?」
そういやあの人今何やってんだ?昨日からずっと姿見てないけど…まさか。そう思いメグさんに視線を向けると彼女はコクリと頷き。
「はい、酒盛りしてます」
「まだ!?」
ずっと酒盛りしてんじゃん!しかも今日ライブ当日だぞ!何やってんだよおい!
「で!?そのヤゴロウさんがどうした!?」
『…死んでる!魔力が!魂の灯火が消えてる気配がする!』
「は?」
何言ってんだ?…いや、もしかして…。
………………………………………………………………
「かぁー…かぁー…」
「くくく、バカな奴。私達が敵とも知らずに酌を受けて上機嫌に酔い潰れて…」
ヤゴロウが借り受けている和風の宿屋。畳座敷の部屋の奥で無数に転がる酒瓶の中倒れふすように眠るヤゴロウを取り囲むのは…この宿屋の女将、に扮した悪魔の見えざる手幹部補佐チクル隊のラメル。
そしてその背後には街人に扮装した悪魔の見えざる手の構成員達が十五人。表向きに活動する戦闘特化のロダキーノ隊とムスクルス隊、破壊工作専門のラクス隊、そしてラメル達チクル隊が専門とするのが…暗殺と誘拐だ。
「どうしますかいラメルの姉御。こいつも縛って売り払いますかい」
「ふんっ、そうさね。トツカ人ってだけで物珍しさがあるから商品にはなるだろうけど…こいつは顔と名前が売れ過ぎてる、下手に振り捌くと利益以上にリスクが出そうだねぇ」
ラメル達がこの街に潜入したのは凡そ一週間前、ここの女将を殺害し成り代わる事で街の情報収集を行うと同時に…プリシーラ誘拐の障害となる存在の抹殺も行うべく暗躍していたのだ。
そう、つまり彼女達の狙いはヤゴロウだ。この街…いやともすれば四ツ字冒険者の中でもトップクラスの強さを持つヤゴロウが本格的に動き出せばさしもの悪魔の見えざる手と言えども太刀打ちが出来ない。
故に彼をラメルの手練手管でここに釘付けにし、態と度数の高い酒を飲ませに飲ませ酔いつぶれさせた。いくら手練れのヤゴロウと言えども酒に酔わせ眠らせてしまえば可愛いものよ。
「じゃあどうするんで?」
「ここで殺す」
「もったいなくないですかい?トツカ人は手が器用とも言いますし」
「なら別のを攫えばいいだろ?、こいつは殺して…そうさね。これだけでも土産に貰うかね」
酔い潰れたヤゴロウの側に置かれたカタナに手を伸ばす。ヤゴロウの故郷トツカ特有の片刃の長剣。やや反った刃が特徴のコイツはディオスクロアの剣と違いあまりに細い…というのに頑強で切れ味も抜群。
カタナは高く売れる。それもこんな剣豪が使ってたカタナならさぞや高く売れるだろうとラメルがカタナを掴んだ瞬間…。
「ッ!?なんだいこりゃ!?」
「どうしたんですかい!?姉御!」
「こ…このカタナ、異常に重いよ…!」
重い、重いのだ、片手で持ち上げようとしたら思わず腰をやりそうになり、咄嗟に両手で掴み引っこ抜くように全身を使って持ち上げようやく浮かび上がるくらいには重い、この剣…鋼を凄まじい密度で精錬しているんだ。これほどの精錬技術…アルクカースでも中々見られないよ。
外来人の癖してこんな上等な剣を…というかコイツ、さっき酒に酔った時この剣を片手で振り回してなかったかい?
コイツ…マジでバケモノかもしれないね。
「四ツ字冒険者にしたってもバケモノ過ぎるだろ…、おい。起きる前にぶっ殺しちまいな」
「へい、まぁ酔い潰れてカタナを取られた侍なんざ怖くもねえや」
まぁ何にしてもヤゴロウは今裸同然。刀を奪われ酔い潰れて起きる気配もない。今なら殺せる、こいつはここで殺すべきだ、さもなきゃ後に禍根を残すことになる。
故にラメルは刀を奪ったまま部屋の隅まで歩み、酔い潰れ眠るヤゴロウに剣を持った部下達が殺到するのを見届ける。
「へへ、悪く思うなよ…!」
「死ねや、外来人!」
「くかー…ここー…」
眠るヤゴロウに突き立てられる無数の剣、それらは一切躊躇することなくヤゴロウに降りかかる。あの侍もこれで終わりだ…そう安堵したラメルはその手の中のカタナをもう一度見る。
一体あの外来人はどれほど上等な剣を持っていたのか、それが気になって…彼女は静かにカタナを鞘から少しだけ引き抜く、すると。
「これは…」
カタナの付け根には、『神割刀』の銘が刻まれていた。
それが何を意味するのか、ラメルはまだ…知らない。




