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366.魔女の弟子と珍妙な再会


「よくぞ参られた!ラグナ殿!プリシーラ!」


ドスン!と手元に掴むハルバードで地面を打ちながら剛毅な老騎士にしてこのパナラマを治める領主ゴードン・ルクスソリスはエリス達を歓迎する。


明後日この街で行われるプリシーラさんのライブ。その警護の為に訪れたパナラマの街にてエリス達は領主ゴードンの歓待を受けていた。


無骨な石造りの来賓室に通されたエリス達の自己紹介とこれまでの旅路を聞いたゴードンは一等豪奢な椅子に座りながら豪胆に笑う。


その両隣に座る彼の孫、ヴィンセントとシーヴァーはあまり楽しくなさそうだがな。


「にしても、ラグナ…か。かのアルクカースの大王と同じ名を持つとはなんとも縁起が良い!」


「あはは、よく言われます」


「マレウスでは魔女大国の評判はよろしくないが、戦と争いが大好きな儂としてはアルクカースはまさしく夢の国よ!ガハハハハハ!」


戦の申し子と呼ばれるだけありゴードンは豪快な人物だ。エリス達の名を聞いては笑い、悪魔の見えざる手の話を聞けば笑い、この街に奴らの手が伸びる可能性があると言えば笑う。


似た様な価値観を持つラグナ的にもゴードンさんの剛毅さは好感が持てるのか、さっきから色々と話し込んでいる。


「しかし、見たところラグナ殿もかなり武勇に優れた様子。その練技は如何程かな?」


「はははは、あんまり大したことないかもしれませんけど…後で手合わせでもしてみますか?」


「ほう!ガハハハハハ!儂を前になんと痛快な物言いよ!気に入った!後で儂特製の練兵場に…」


「お祖父様、それより明後日の話を」


「おっと、そうだったそうだった」


盛り上がって来たところをヴィンセントに刺されゴードンは一つ咳払いをして話を元に戻す。エリス達がここに来たのはプリシーラさんのライブの為、そしてそれを阻止しようとする悪魔の見えざる手を迎撃する為だ。


その事はある程度伝えているのだが、まぁ当のゴードンさんがこの調子だからどこまで理解しててどこまで本気なのかイマイチわからないんですよね。


「ふむ、悪魔の見えざる手…か。そのマレウス・マレフィカルムについては儂もよく分からんが冒険者協会の手練れを纏めて薙ぎ倒してしまうとは。ガハハハ!そんなのが今から我がパナラマに攻めてくるとは久しく血湧き肉躍るわい!」


血湧き肉躍るって…、この人わかってるのか?


「あの、ゴードンさん。相手は人攫い屋ですよ?犯罪組織です。他の領土の兵師団が軍団率いてやぁやぁって攻めてくるのとは話が違うんです。裏で手を回して暗闇を掻い潜って目的を果たそうとするんです。その過程で実力行使も押し通せるほどに強いってだけなんですよ」


「んん?気の強そうな小娘だな」


エリスが軽く手を挙げ意見すれば、聞いてたんだから聞いてなかったんだか。顎髭を撫でながらゴードンさんはエリスを値踏みする…。


悪魔の見えざる手は戦士じゃない、犯罪者だ。この違いがどれだけ大きいかをエリスは理解している、戦士のやる卑怯と奴ら犯罪者が行う卑怯は度合いが違うんだ。


「ガハハハハハ!だが心配する事はない!当日は我が兵団に警備をさせる!それでよかろう」


「いえ、ですから!敵は三ツ字さえ簡単に倒しちゃうような強さで…」


「貴様ァッ!この無礼者がァッ!」


「ちょっ!?」


刹那、机に乗り出し意見しようとした瞬間ヴィンセントが大剣を振り抜きエリスの眼前に突きつけるのだ。い…いやいや物騒な。


「な、なにするんですか!」


「ゴードン様はこの地の領主だぞ!その方がそれで良いと言ったらそれで良いのだ!流れの旅人風情が意見するなど無礼千万!切って捨ててやる!」


いや切って捨てる理由探してたよね貴方!?でも確かに領主様に対する物言いではなかったか…でもでも本気で忠告しないとこの街にも悪魔の見えざる手の脅威が迫るかもしれないんだ。そうなった時今度割りを食うのは力のない民かもしれないんですよ。もっと真面目に考えて欲しいです!


そうエリスが一歩も引かずにヴィンセントを相手に睨み合っていると…、ふとゴードンか。手を差し出し。


「やめろヴィンセント、次期当主にもなろうものが簡単に相手に剣を向けるな」


「ですがお祖父様!」


「儂の物の言い方が悪かった、儂は何も悪魔の見えざる手のを軽視しているつもりもお前達の力を軽く見ているつもりはないのだ。ただ兵団を並べるのは飽くまで保険、当日は門も閉ざすし防衛の構えも取る。お前達冒険者が全力で仕事を出来るよう心配事を減らしたかったのだ」


「え…?」


「お前達には実績がある。コンクルシオからプリシーラを護送し、森での襲撃とやらを退けた実績がある。儂は実績がある者こそを尊ぶ…故にこの場において儂はお前達に最上の信頼を置こう」


ゴードンさんは語る、エリス達が他のことを心配する必要がないように兵団を並べると。飽くまでプリシーラさんの護衛のメインはエリス達だと。今まで守って来た実績を信頼して任せてくれるというのだ。


一気に恥ずかしくなる。エリスは相手の器を見誤って図々しくも意見するなんて…もっとちゃんと話を聞いておけばよかった。


「それで良いな?ラグナ殿」


「感謝します、ゴードン卿」


「ガハハハハハ!良いのだ!…今のパナラマの街にはプリシーラの歌が必要だ。それに悪魔の見えざる手に好きにさせるのも気に食わんしな。存分に働くが良い!ガハハハハハ!」


ぐわっはっはっはっと肩を揺らして笑うゴードンさんは語る。何をしてでも良い、プリシーラを守りライブを成功させて欲しいと。その為にエリス達に任せてくれると。


ある意味強引で無理矢理な豪快さ、されど今はその豪快さがなんとも気持ちいい。小さなことを気にせず力だけを見て評価してくれるというのはこんなにも有難いことなのか…。


しかし、その話に納得が行かない者が二人。


「ッ…お祖父様!まさかお祖父様はコイツらにプリシーラ殿の護衛を任せると!?街の警護を放棄すると!?」


「納得がいきません!何故僕達に任せてくれないんですか!」


血気盛んな二人の若者、ヴィンセントとシーヴァーだ。二人は話の流れに納得がいかない、エリス達に任せるのが納得いかない、この評価は不服である!そう全身から嫌悪感を沸き立たせながら立ち上がり怒鳴り声をあげるのだ。


「プリシーラの護衛を任せたのは儂ではない。ケイトだ、文句ならケイトに言え」


「コイツらは冒険者ですよ!信頼していいはずがない!」


「とはいうがな…」


やや困った様子のゴードンさん、さてどう説得したものか…と考えを巡らせた瞬間だった。


「っていうかよ」


口を開く、うちで一番忖度から縁遠い男…アマルトさんが全員の注目を集め。


「ここはゴードン卿の領地なんだろ?その領主の決定に俺らが文句言うのはダメで、まだ領主でもなんでもないお前らが文句言うのはアリなわけ?」


いっ…言いやがった…、コイツ。エリスも結構なモンでしたがアマルトさんの気を使わない物の言い方もどうかと思うぞ。


事実としてそんな言葉を投げかけられたヴィンセントさんはふざけるな!と言いたげに口をパクパク開閉させ絶句する。何も言い返せないのだ…だってアマルトさんの言う通りすぎるから。


ヴィンセントは次期当主、だが飽くまで次期当主。彼はまだ何者でもない、そこはエリス達と大差ないのだ。


「こ、この…ッ!くそッ!」


「あ!兄様!」


終いには何も言い返せず涙目になって部屋から出て行ってしまう。ちょっとは加減してあげてよ…。


「その、ゴードン卿…すみません、うちのバカが」


「いや、バカはウチの方だ…。別に口論する分には構わん、だが普段は威勢が良くともいざとなったら何も言い返せず退室するなど、嘆かわし過ぎて涙が出てくる」


ゴードンさんはヴィンセントさん達の有様に憂鬱…と言った様子だ。エリスが言うのも何かもしれませんがヴィンセントさん達はなんだかやたら感情的と言うか…物言いに反して幼さが目立つ。


「ふむ、ゴードン卿?ヴィンセント殿達は戦場の経験は?」


「無い、幼い頃より儂が直々に訓練をつけておるが故実力はあるが経験は皆無だ。人は疎か魔獣と戦ったこともない、実戦経験皆無…おまけに童貞だ」


「なるほど、ありゃちょっと血気盛ん過ぎる。まるで功を急ぐ新米兵のようだ」


「おお、分かるかラグナ殿。そうなのだ…誇りあるルクスソリスの当主が新米兵士の様に威勢ばかり大きくなっているなど情けない限りの話よ。悪いが今回の警護に関してはヴィンセント達はあまり頼りにはならんだろう」


ヴィンセント達は冒険者風情などと言っておきながら本人が経験ゼロなんて体たらくなんて、ゴードンさんとしても情けない限りだろう。


或いは、ヴィンセント達は一刻も早く実績が欲しいのかもしれない。もう実績を挙げられるだけの力はあるのにその機会に恵まれなかったからあんな風に荒れているのかもしれない。だから…警備を自分達の手だけでやり遂げたいからエリス達が邪魔なんだろう。


それを見抜いているゴードンさんからしたらいい迷惑だけどね。


「はぁ、こんな時エクスが居てくれたら…」


「ん?エクス?」


ふと、聞きなれない言葉がゴードンさんの口から漏れ出て、首を傾げて復唱してしまう。するとゴードンさんはハッと顔色を変えて。


「いや、なんでもない。それよりも…今回のプリシーラのライブ護衛に当たって、お前達に引き合わせたい者がいるのだ」


「それって、例の四ツ字冒険者の?」


「然り。その件も既に聞いていたか?」


ようやくその話か。ぶっちゃけそっちの方が気になっていた、守衛の人が言うに既に四ツ字冒険者もこの城にてエリス達を待っていると言う話だったが…姿を見せる様子もない。一体どこにいるのかとそわそわしていると…。


「奴は今城の中庭にて日課の修練をしているのだ。熱心な奴でな?気がつけば常に修練を繰り返しており我が城の兵団の誰よりも強い身でありながら誰よりも長く鍛錬を続けておる。ヴィンセント達にも見習わせたいくらいの傑物だ」


「へぇ、ゴードン卿がそこまで言うなんて。余程の人物なのですか?」


「無論だ、あれ程の使い手を見たのは儂も初めてよ。戦に身を置いて六十余年…アレともし戦さ場で対峙しておれば儂もここまで死に損なうこともなかっただろうな」


大した評価だ、豪傑ゴードンたる者がそれほどの評価を述べるなんて…一体何者なんだ。そんなそわそわした心地が弟子達の中に広がる…すると。


カラン…コロン、と不思議な足音が来賓室の向こうから響いてくる。まるで木の棒で地面を叩くような不思議な足音…いや、待てよ。エリスこの音どこかで聞いた気が…。


その答えを出すよりも前に、それは静かに扉を開き…飄々と声を発する。


「ゴードン殿、先程ヴィンセント殿達が何やら凄い顔で走っていかれたが、如何されたでござるか?」


「…なんだありゃ」


ラグナが思わず口にする。部屋に入って来た男の珍妙な風体に見慣れない格好に、思わず目を見開いたのだ。エリス達の着る服とは作りが根本的に違う、まるで羽織るような豪奢な布を体に巻いて、細長い曲剣を腰に差して現れる彼は一瞬でエリス達の視線を奪う。


そんな中、一人…男の姿に見覚えがあるとばかりにメグさんが言うのだ。


「まさか、アレは…サムライ?」


「サムライ?…って確か、トツカっていう国の」


そう、アレはサムライ。極東の国トツカの剣士をそこではそう呼ぶのだ。キモノという服を着てカタナという剣を持つ者達。帝国師団長の一人ヒジコさんと同じサムライ…それが今目の前にいる。


何故トツカのサムライがここに?どうしてサムライが今ここに現れた?そんな疑問が皆の頭を過る中…エリスは立ち上がる。


知っていたから、その人を。合点が入った、なるほどこの人が四ツ字冒険者かと。この人の強さもなにもかも知っているエリスは最早何の疑問も抱かず…彼に向けて名を叫ぶ。


そう、その名は…。


「ヤゴロウさん!」


「む?拙者の名を知ってるでござるか?」


ヤゴロウさんだ!前マレウスに来た時に出会った流れの剣士。トツカからマレウスまで泳いできたという凄まじい身体能力の密入国者のヤゴロウさん!


そんな風に名前を叫び立ち上がるエリスを一瞬怪訝そうにヤゴロウさんは見るものの、直ぐにハッと目を見開き。


「よもや、エリス殿でござるか!?」


「はい!そうです!お久しぶりですねヤゴロウさん!」


「おお…おお!これはまた!ケイト殿よりエリス殿が再び冒険者になったと聞き及んでいたでござるが。こんなにも美人に育っているとは驚きでござるよぉ!久しいでござるなぁ!」


思わず駆け寄り抱きつけば、ヤゴロウさんはそんなエリスを抱きとめて朗らかに笑う。エリスの記憶にある頃からあんまり変わってない、寧ろいい生活が出来てるからなのか血色がいいまである。


よかった、元気でやってるようでよかった。


「やっぱり知り合いか?エリス」


「あ!はい!そうです!この人はエリスの知り合いのヤゴロウさんです。トツカの国の凄い剣士ですよ、ね?ヤゴロウさん」


ラグナ達も一瞬警戒したようだがエリスの対応を見て即座に緊張を解く。まぁヤゴロウさんに関しては警戒も心配もしなくていいだろう。この人は信頼出来る、エリスが保証しますよ。


「たはは、そう紹介されるとこそばゆいでござるな。こちらエリス殿の朋友殿でござるな?拙者ヤゴロウと申す者。エリス殿には昔命を救われた恩があるでござる、どうかよしなに」


「お、恩って…そんな昔のことを」


「いやいや、命の恩は命を以ってしてでてしか返せないでござる。拙者の恩はまだ残ってるでござるよ」


相変わらず律儀な人だな…。ああというか。


「そういえばヤゴロウさん、もしかして冒険者になったんですか?」


「そうでござる、というか…言ってなかったでござるか?」


「仕事を見つけたとは言ってましたが、なんの仕事かまでは」


ヤゴロウさん曰く『用心棒みたいな物になれた』とは言っていたが、なにになったかまでは口にしていなかった。今にして思えば冒険者も用心棒みたいなものとも言えなくもないな、一応冒険者の源流は魔獣に対する用心棒だし。


「ああそうでござったか、いや拙者エリス殿達とサイディリアルに赴いた所冒険者協会本部に立ち寄り、其方で剣の腕を買われ冒険者になったでござる、そこで名を挙げ今では四つツ字『一刀鏖災』の称号も貰ったでござるよ」


「やったじゃないですか!順風満帆ですよ!」


「そうでござるな、魔獣を斬るだけで金子が貰えてその上こうしてエリス殿と再会するきっかけにもなったでござる。今にして思えば天職でござるなぁ」


「おい待て、四ツ字になれたってそんな軽く言うが…エリス、その男は強いのか?」


ふと、メルクさんが疑問を述べる。ヤゴロウさんが強いのか?って?


はっきり言えばクソ強い。当時から既に第二段階クラスの強さを持っており魔獣犇めくマレウスの地をカタナ一本でサバイバル生活し、その上師匠が絶賛した剣の腕だ。


そう、確かあの時師匠は…『これほどの使い手は私も二人くらいしか知らない』とか言ったんだ……ん?


待てよ、今にして思えばその二人って、師匠が知ってる大剣豪二人ってことだよな。それってもしかして…プロキオン様とスバル・サクラじゃないよな。だとするとこの人…。


「下手したら、現行世界最強の剣士かもしれません…」


滅多に人の技を褒めない師匠が褒め称えた妙技。ともすれば八千年前の使い手にさえ迫る剣の腕。それを持ち合わせる彼は…もしかしたら世界最強の剣士かもしれないとポツリと零すと。


「はぁ?そいつが?」


「あ…」


即座にヤバいと悟る。面白くないとばかりにアマルトさんが声をあげたからだ。そうだよな、アマルトさん的には面白くないよな、世界最強の剣士たるタリアテッレさんを義姉に持つ彼からすれば…今のエリスの言葉は面白くない。


「他所から流れてきた奴が、ホイホイディオスクロア最強になられてたまるかよ…!」


「あ、その、ごめんなさいアマルトさん!さっきの言い方には語弊が…」


そう止める声も虚しくアマルトさんはヤゴロウさんに食ってかかる、されどヤゴロウさんは大して気にも留めず。


「おお、貴殿がエリス殿の朋友でござるな?なんとも元気がよろしいことで」


「…お前本当に強いのか?エリスの思い出補正じゃねぇの?」


「ふむ、貴殿…剣士でござるな?」


「は?だったら何ン───」


刹那、にこやかに閉じられていたヤゴロウさんの瞳が…開かれた。と同時に走る一陣の閃光…虚空に引かれた白い線はキラリと一つ輝きを放ったかと思えば…。


「うっ…!」


突きつけられていた、アマルトさんの首元にヤゴロウさんの刀が押し当てられていた。そのまま引けば両断出来る程の勢いで。


全く見えなかった、誰も知覚できない速度で刀の柄に手を当て引き抜きアマルトさんの首元に押し当てた。その一連の動作が前段階から見えなかった…なんて速さだ。


「これでお判りになられたでござるか?拙者と貴殿の差と…エリス殿の言葉に疑う余地がないことを」


「ッ〜〜!速え〜〜?」


まさしく雲泥の差。弟子の中でも最速クラスのスピードを持つアマルトさんが腰の短剣に手を当てる暇もなく制圧された。それほどまでヤゴロウさんは剣士として卓越している。


…アマルトさんの言うとおりタリアテッレさんを世界最強ではないとは言えない。だが…同時にヤゴロウさんがそうではないとも言い切れない。タリアテッレさんとヤゴロウさんの二人が戦ったらどちらが勝つか、エリスには分からない。


「ヤゴロウさん!」


「あー分かってるでござるよ、エリス殿の朋友は斬らないでござる。エリス殿には恩がある故、貴殿も脅かして悪かったでござるな?でも拙者の力は理解してもらえたでござろう?」


「っ!わーったよ!認めるよ。バチクソ強ええなあんた、正直クソ頼りになるよ」


「いやぁ!照れるでござるよ」


ニコニコと微笑みながらカタナを鞘に戻すその一連の動きまで見てエリスは恐怖する。この人…カタナを抜いてから戻すまでの間に何も変わっていない。筋肉が強張ったり殺気が漏れたりもしない。


刀を抜いているかのように普段を過ごし、刀を抜いても普段のままでいられる。彼にとって抜刀は呼吸と変わらないんだ。


「なんかあれだね、やばそーな人だね」


「ま、まぁエリスがこれだけ信頼を寄せているなら悪人ではないだろう」


「……ん、悪い人ならあの時点でアマルトの事斬ってる」



「おっと、拙者エリス殿の朋友殿を怖がらせてしまったようでござるな。反省反省」


仲間達の反応は頼りになる反面ややおっかない人…と言う感じだ。まぁヤゴロウさん自身ずっとディオスクロア文明圏にいたとは言え元はトツカの人間。トツカの価値観がどう言うものか知らない以上彼がいきなり突拍子もないことをしでかさない保証はどこにもない。


そういう意味では怖いが、それでも信じようじゃないか。エリスだけは彼のことを。


「ヤゴロウ殿は少し前からパナラマにて滞在しておってな、最近は兵士達の鍛錬にも付き合ってもらっているが…いや見事なものよ、このゴードン 他人の剣に感服したのはいつ以来か」


「照れるでござるよゴードン殿」


「……それでヴィンセント達は拗ねてたんじゃないか?」


「む、かもしれんな」


ラグナは一つ大きく息を吐く。きっとヴィンセントさん達がエリス達に対していきなり嫌悪感マックスだったのはヤゴロウさんの存在が大きいだろうな。余所者がいきなり当主の信頼を勝ち得て兵士達に鍛錬をつけるまでになってりゃまだ若い二人はそれをよくは思わないだろう。


「ともかく、合流はこれで完了だよな。次どうする?」


「どうする…というとやる事は沢山あるようにも思えるが、外を見ろ。既に空が赤くなっている。何かをするには些か遅くないか?」


この街は基本的に斜面だから暗くなって足元がおぼつかなくなると危ない。取り敢えず挨拶は出来たんだし今日はこれで良しにしませんかね?


「ふむ、せっかく来て頂いたのだ。せめて諸君らの腕前を見てみたかったが…」


「ゴードン殿、そいつは明日にしましょう。俺もパナラマ兵の力を見ておきたいし…何より、ヴィンセントとシーヴァーの実力も確認しておきたいので明日までに部屋から引っ張り出しておいてくれると助かります」


「応、任されよ!ガハハハハハ!しかしラグナ殿はなんというかあれだな!威圧感があるな!どうだ?冒険者などやめて我が軍に入らないか?」


「それもまた明日、俺達の実力見て決めてください」


「んん!益々気に入る答えぞ!明日が楽しみだ!ガハハハハハ!」


ハルバードをドスンと杖代わりに突いてゴードンは立ち上がると共に高笑いを響かせながら部屋を去っていく。…ってことは今日はもうお開きってことかな?


「なんていうか、うるさいおじいちゃんだったね」


「やめないかデティ、あれでも…いや随分立派な領主だったじゃないか」


「プリシーラ様のライブ成功にあそこまで乗り気でいてくれるのはこちらとしても凄くありがたいですからね」


「少なくとも、ヴィンセント達の言う通りコンクルシオの冒険者達よりかは役に立ちそうだ」


良くも悪くもコンクルシオに集まった冒険者達は何処か日和っていましたしね、普段は森や平原で魔獣を狩っている人達だからこそ、どこか『街の中は安全地帯』という意識があったのかもしれない。


それに引き換えゴードンさん達は生粋の戦士達。そういう面では頼りになるし…何より。


「ふむ、しかし夢中になって鍛錬を積んでいる間にもう夕方でござるか。最近は時が進むのが早いでござる」


何よりヤゴロウさんもいる。魔女が絶賛した剣技を持つ無二の男たるヤゴロウさんがいる限り悪魔の見えざる手に対して力負けすることはないだろう。


「そうだ!せっかくエリス殿に再会できたわけでござるから、ここは一つ!拙者に夕餉を馳走させては貰えないでござろうか!」


「馳走?晩御飯奢ってくれるんですか?」


「然り!エリス殿には兼ねてより拙者の故郷トツカの名料理を味わってもらいたいと思っていたござる」


ヤゴロウさんの奢りか、エリス達も今日の晩ご飯は特に決めてないし彼と食卓を共にできるなら!親睦を深めるという意味でもそれも良さそうだ。何より…トツカの名料理か。


って言ったらもう、あれしかないよな。


「も、もしかして…アレを食べさせてくれるんですか?」


「そう!今日は拙者の好物!その名も……」


…………………………………………………………


その後、エリス達はヤゴロウさんが借り受けているという宿へと足を運ぶ。頂上から坂道を下り続け、丘の中腹頃に建てられたその宿は最近マレウスで流行りの『トツカ風』を模して作られた不思議なお宿だ。


フスマと呼ばれる横開きの扉を開けて、タタミと呼ばれる草を編んで作られた床材を素足で踏み越え、異様に低い机と墨で書かれた絵画の立て掛けられたディオスクロアじゃあんまり見ない形式の宿。


そこに招かれたエリス達は、ヤゴロウさん主催の元晩餐を開くことになったのだが…。


そのメニューはなんと…。


「すき焼きでござるよー!」


「スキヤキ…?」


見たことも聞いたこともない料理だった。てっきりスシが出てくる物と思ったら机の上に並べられたのは黒々とした大きな鉄鍋。そこにグツグツと煮えるような真っ黒なスープに薄切りにした牛肉やネギ、キノコや人参など雑多に入った物がどっさり入った謎の料理だ。


そんな鍋がドンドンドンと三つエリス達の前に置かれ、恐らく取り分けて食べる物だろう小皿と正体不明の細い棒二本が皆に配られた。


なんだこれ…。


「なんですかこれ…」


「すき焼きでござる。拙者の故郷の郷土料理で拙者の大好物でござるよ」


「へぇ、これが…。まだグツグツ煮えてますけど調理途中では?」


「これをそのままお皿に取り分けて食うのでござる。我がトツカにはこうして鍋を囲むこともを親愛の証としているでござるよ」


「へぇ〜」


なんかまだお肉が赤い気がするけど大丈夫かな。ちょっと怖いけど…でもこれがトツカの名物なんですもんね。ヤゴロウさんはディオスクロアの食文化に文句をつけず嬉々として食べたのだからエリス達も彼らの食文化に敬意を払うべきだろう。


「なんか美味そうだな。匂いもいい感じだ」


「ふむ、トツカでは一般的な食べ方なのだろうか。異文化の食物とはかくも不可思議とは」


「なんかアジメクの鍋料理に似てるねエリスちゃん」


みんな初めて見るすき焼きに興味津々と言った様子。エリスも興味アリアリなのだが…問題があるとするなら。


「で、どうやって食べるんですか?」


「どうやってって、こうやってでござるよ?」


と言いながらヤゴロウさんは二本の棒を器用に指で挟んで持ちつつ、片手で卵を割って取り皿にイン、そのままかき混ぜ…って!


「何から何までわかりません!その棒なんですか!?え!?生卵そのまま直に行くんですか!?」


「ああ、この棒は『ハシ』というものでござる。トツカではこれで食べるのでござる、そして卵については…すき焼きは溶き卵に絡めて食うのが一番うまいでござる」


「一番美味いって…」


えぇ…肉だけじゃなくて卵まで生なのぉ?ってかなんで態々そんな使いづらそうな棒を指で挟んで使ってるのぉ?ええ?どうやって持つんだろうこれ…。


みんながヤゴロウさんのハシを見て、見様見真似で持ち方を学んでいる中…。


「頂きます」


「あ!アマルトさんずるい!」


なんと速攻でハシの使い方をマスターしたアマルトさんがすき焼きにハシを伸ばすのだ。既に取り皿の中には生の卵が解かれており…ハシで掴んだ肉を躊躇なく卵の中に導入する。


「あ、アマルトさん…それ生の卵ですよ、そのまま食べるんですか?」


「料理出した本人がそうやって食うのが一番美味いって言ってんだ。なら馳走される側はそれに従うのがマナーだろ?」


「そうですけど、怖くないんですか?」


「怖い?…怖くはねえな。それより興味がある。異国の飯に」


その瞳の輝きは、エリスが旅に焦がれる瞳と同じ光を帯びていた。アマルトさんにとって未知の料理とは恐怖の対象にはなり得ない。それが食であるならば食し文字通り自らの糧にする。


彼はそうやって料理の腕を磨いてきたんだ。


「んじゃ、お先に〜」


溶き卵に絡めて黄色に染まった肉をハシで摘んで、彼は開いた大口でパクリと一口肉を食らう。そして全く恐怖も戸惑いもなく二、三度咀嚼し嚥下すると共に、溢れた言葉は。


「ん!美味い!」


まるで太陽が昇るような笑みで美味い美味いとすき焼きを突くアマルトさんの顔を見てると、なんか…怖がってるのがバカバカしくなる。


え?そんなに美味しいの?そんなに美味しいならエリスも食べてみようかな。


「これ美味いっすねヤゴロウさん!」


「ほう、一口でトツカの味が分かるとはアマルト殿は味が分かるでござるな。他に比べ生食文化が根付いたこの国の人間でもやや躊躇する食べ方であるとも言うのに」


「まぁ確かに食中毒は怖いけど、卵も肉も新鮮そのもの。質もいいし余程のことがない限り腹は壊さねえよ。それにさ…こんな美味そうな匂いさせてるのに冷ますなんてもったいないだろ」


「素晴らしいでござる!アマルト殿とは気が合いそうでござるよ!ささ!こっちのネギもいい具合でござるよ」


「んじゃもらいまーす」



「あ!あ!待ってください!エリスも食べます!」


「俺も…くっ!ハシの持ち方ってこれでいいのか?わかんねえ…」


このままじゃアマルトさんに美味しいやつ全部食べられそうな気がしてエリスは慌ててハシを鷲掴みにして、プルプル震わせながら肉を一つ掬い取り、卵を溶いた沼の中に沈める。


生の卵なんて食べたことないけど、…こうして見ると美味しそうだな。


「頂きます!」


「どうぞでござる」


ひょいっと肉をハシに引っ掛け口の中に放り込み、勢いよく噛みほぐすと…なるほど、と言う言葉が浮かんでる。


確かに美味い、あまり食べなれない食感だが味はとても良い。肉の脂っぽさと汁の甘辛い味付け、そしてそれを生の卵が美味い具合に包み込んでいる。トロトロした食感は若干苦手だがとても美味しい…、これがトツカの味かぁ。


「どうでござるか?エリス殿」


「美味しいです、あんまり食べたことない味ですけどとても美味しいです」


「それは良かった、まだまだあるでござるから遠慮なく食べるでござる」


「はふっはふっ、では!」


エリスは食らう、夢中で食らう。肉や野菜、キノコになんか白い四角、いろんな食材を卵に絡めてパクパク食べる。


気がつけば他のみんなもエリスみたいに雑にハシを鷲掴みにしてすき焼きを食べて進めており。


「ん、うめぇ。肉と卵って合うんだなぁ」


「ああ、エリスの言う通り初めて食べる味だが見た目の割に美味い。これがスキヤキか…ふむ、ウチで取り扱ってもいいな」


「生の卵ってこんなに美味しいんだね、国に帰ったらみんなにも教えてあげよ。これならテシュタル教徒でも食べられそう」


「んー!美味しいー!美味しいね!ナリア君!」


「はいっ、あったかいです!」


「美味しいでございます。外文明というのも侮れませんね」


「はははははは!そう褒められるとむず痒いでござるよぉ」


タタミの上に胡座をかいてスキヤキを食べ進め…ふとプリシーラさんを見て見ると。


「ん、おいし」


…意外なくらい普通に食べていた、そこでなんとなく実感する。そっか…この人マレウスの人間だから生食には抵抗がないのか。


生食に対して嫌悪感があるのは魔女大国の人間だけ、魔女様がみんな生食が苦手だから魔女大国では生食は流通していない。流通してないからよく知らない、よく知らないから怖いんだ。


なんか、…価値観の違いを感じるなぁ。


「ところでさ、ヤゴロウさん。あれはないのかい?スシ」


「寿司でござるか?んー…難しいでござるなぁ」


「難しい?内陸地だから海魚が手に入らないとか?」


ふと、アマルトさんがキノコにかぶりつきながらヤゴロウさんに問いかける。寿司はないのかと聞けば彼はなんとも難しそうな顔をして周囲を見回し。


「このお宿は我が故郷トツカの文化を模倣して作られたものでござる。最近はトツカ風というのが流行っているからその流れで…って感じでござるな。けどそれは飽くまで模倣…真髄には至ってないでござる」


「つまり、ニセモンってことかい?」


「然り、すき焼きのような単純な料理ならば作れるでござるが…寿司のような際立った技術を要する物となるとここの料理人には荷が重いでござる」


「ん?待て、スシとはあれだろう?魚の切り身をコメの上に乗せたものだろう?あんなものに技術も何もないだろう」


そこで反応を示したのがメルクさんだ。聞けばメルクさんはマレウスを中心に波及しているスシブームに乗っかってマーキュリーズ・ギルドでスシを取り扱おうと企んでいる…と聞いたことがある。


米の上に切り分けた魚を乗せるだけで完成するなら、どこの誰でも作れて提供出来ると考えたからだ。しかし、それに対するヤゴロウさんのアンサーは。


「違うでござる。単純だからこそ難しいのでござる。魚と米を握り込んで作った物は所詮『刺身の握り』に過ぎない、寿司には到底及ばないのでござる」


「そうなのか?アマルト」


「俺に聞くなっての!でも言わんとすることはわかるぜ。単純な料理だからこそ、その奥深さには際限がない。そこに気がついているかどうかが本物と偽物の違いだな」


「そうなのか、てっきり私は魚の切り身を米の上に乗せれば良いものとばかり考えていたが…違ったのだな」


「一番良いのはトツカの米と釣りたての魚を使って、トツカの職人が握り込んだ寿司が一番良いでござる…けど、それはこの大陸では特別領事街ヤマトでしか味わえないでござる」


特別領事街…確かマレウスがトツカに貸し与えた土地のことか。その地にはトツカ人やトツカの文化が根付いていると聞くが、やっぱり寿司はそこに行かないと食べれないのか。


「彼処には拙者が直々に引っ張って来た寿司職人とトツカから輸入した米があるでござる、普段は拙者もそこに居宅を構えているでござるから何かあれば其方に来てくれれば…なんでも力になるでござる」


「ヤゴロウさん…」


するとヤゴロウさんは手元に置いてあった酒瓶を握り、小さなコップに移し入れ、照れ隠すようにクイっと一口仰ぐと。


「今こうして拙者がここに居られるのはエリス殿のおかげでござる。今こうして力を高め力を振るう事が出来るのもエリス殿が助けてくれたからでござる。ならば今ここエリス殿の為に力を振るう事に躊躇いはないでござるよ」


「そんな、エリスはただ倒れてたヤゴロウさんの介抱しただけですよ」


「それでもでござる、命の恩はその者が生き続ける限り永遠に続くもの。拙者の命はエリス殿の物でござるよ…何より」


酒を飲み続ける。次第にその目は潤んで行き…遠くを見つめる。見果てぬ最果ての先にある故郷を思うように静かに閉眼し。


「故郷には、拙者を助けてくれる者などおらなんだ。まぁ自業自得ではあるのでござるが…それでもいくら強くなっても人恋しさというのは抜けぬ物。あの時エリス殿達に救ってもらった時は…結構嬉しかったでござる」


ニコリと微笑むヤゴロウさんの笑みの裏に、なんだか言い知れない物悲しさを感じて…手放しに喜ぶ気にはなれなかった。彼が故郷で何をしたかは分からないし、どういう事情で遠く離れたディオスクロアにやってこようとしたかは分からない。


一つ言える事があるとしたら、今の彼の居場所はここであり。彼が居場所を得るキッカケにエリスがなれたという事だ。


「律儀だな、あんた」


「そういうラグナ殿達も律儀だと思うでござるよ」


「え?なんで…」


「なんでって…」


チラリとヤゴロウさんの視線がプリシーラさんを見た、本当に一瞬のことだったが何故か脳裏に焼き付いて離れなかった…なんだ、その視線の意味はなんだ。


当のプリシーラさんは卵まみれになったキノコをハシで掴もうと四苦八苦していて気がついていないようだが。


「なんでもないでござる」


「そりゃねぇだろ」


「あっはっはっはっ、そうでござるな!それよりも肉が少なくなって来た様子!次はうどんでも入れるでござるよ!」


「ウドン?」


「女将〜?うどんを頼むでござるー」


久しく会えたヤゴロウさん、一緒にいた期間はラグナ達よりずっと短いけどエリスにとってはかけがえのない友達。そんな彼の健在ぶりを確認しつつも…エリス達は今日彼の故郷の味と共に彼の故郷に思いを馳せるのであった。


極東の国トツカ。彼のような剣士を生んだ国は一体どんなところなのだろうか。


いつかでいい、行ってみたいな。


……………………………………………………


「くそッ、なんなんだ次から次へと…お祖父様は何を考えているんだ。踊り子なんぞの演劇に多大な財や人員を注ぎ込んで。今はそれどころではないというのに」


部屋のロウソクに火もつけず、暗闇の中でヴィンセントは壁を叩く。弟と己しかいない自室の中…悔しさと情けなさに喘ぎ怒りをぶつける矛先すら見つけられずに彼らは怯えた犬のように吠えるのだ。


「今パナラマに必要なのはアイドルなんてまやかしじゃなくて武力です、現実を突き崩せるだけの剣と弓です…ですよね、兄様」


「その通りだ、だというのに…」


ヴィンセントとシーヴァーは暗闇の中誰にも聞かれぬようコソコソと話し合う。罷り間違ってもこの城の主人であり領主たるゴードンへの不満など聞かれてはならないからだ。


だがそれでもこうして漏らさずにはいられないほど、彼らは祖父のやり方に不満を持っていた。


「何が戦の申し子だ、もう何年も前に現役を引退しているのにいつまで武人気取りなのだ。最近のお祖父様は…まるで牙の抜けた飼い犬だ」


「今の当主がお祖父様でなければ、歴史あるルクスソリス家がチクシュルーブなんて新参貴族に頭を抑えられるような事にはなっていなかった…!」


ルクスソリスはマレウス建国時からネビュラマキュラ王家を支えて来た謂わば忠臣とも言えるポジションの一族だ。エストレージャ家やグランシャリオ家、ミュートロギア家やエクリプス家と国の要職に就く家系と同じく国王の剣と呼ばれたこともあるほど誇り高くマレウスにとって重要な貴族。


だというのに、たった三年前突如として現れたチクシュルーブなんてド新参貴族に押し退けられマレウス西部の覇権を奪われてしまった。確かにチクシュルーブは宰相によって取り立てられた一族ではあるが…、チクシュルーブなんて今の今まで聞いたこともない正体不明の貴族の下についていいほどルクスソリス家は安くない。


宰相に安く見られているのも、全て日和見主義のゴードンの所為だと二人は怒りに燃える。もしヴィンセントが当主だったなら激しく宰相に対して抗議し絶対にチクシュルーブの台頭など許さなかったというのに。


「くそっ、…このままではパナラマが死んでしまう…」


「父さんが死んでさえいなければ…、或いは…エクス姉さんが…」


「シーヴァー!その名は口にするな!」


ギョッとシーヴァーが肩を揺らす、驚かせてしまったようだがそれでもダメなものはダメだ。エクス…その名を口にするのは二人で戒めただろう。


ルクスソリスを捨てて、貴族としての立場を捨てて、ただ一介の騎士として王都に逃げた無責任なアイツのことなど、二度と姉と呼んでたまるものか。


「でも…でも実際そうだろ!エクス姉さんにならきっとお祖父様も当主の座を渡していた、そしてエクス姉さんなら…きっとここまで好きにさせてなかった!」


「そんなことはない、アイツにそんな器量はない…パナラマの領主に真にふさわしいのはこの俺だ…、ゴードンでもエクス姉さんでもない」


食い下がるシーヴァーの意見を切って捨てる。その言葉は確たる意見ではない…不確かな祈りのようなものだ。姉さんは確かに強い…けどルクスソリスとしての誇りを持ち合わせないアイツよりも、自分の方が領主に相応しいのだと。


「兄様…」


「必要なのは手柄だ、お祖父様が俺を認めエクス姉さんを認めるのは手柄の有無だ。なら…丁度いいじゃないか」


だがそれも今日までだ、祈りは現実の物となる。今この街を苛む悪魔の見えざる手を撃滅すれば…きっとお祖父様も考えを改め俺に当主の座を明け渡す。


そうなれば即座にチクシュルーブのような新米など引き摺り下ろしてルクスソリスを王貴五芒星の一角に押し上げることができる。


その折角の手柄を立てるチャンスを、あんな冒険者如きに邪魔されてなるものか。


「何が何でも、俺達で手柄をあげるぞ!下賤なクズ冒険者に手番を奪われてなるものか…!シーヴァー!」


「はい、兄様!」


そのためなら、どんなことだってやってる。そう暗闇の中静かに笑う二人の目が見つめる未来は、一体何処か。



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