表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
404/835

362.魔女の弟子と偶像の懊悩


「いやぁあっはっはっ!見事に死にかけました!ありがとうございます!デティ!」


夜帳が落ち、星空で満たされた上空を望むことが出来る夜の森。その一角にて馬車を止め、今日分の移動を終えたエリス達は皆揃って馬車の中で円状に座って会議をしていた…というか、エリスが責められていた。


「無茶しすぎだ、本当に死にかけていたんだぞ」


「デティがいなけりゃ今頃オダブツだったな」


「エリス様はご自身の体に無頓着過ぎます」


「うっ、いやその……すみません」


デッドマンとの戦いで、身を呈してプリシーラさんを守った結果この身に重傷を負ったエリス。結果的にメグさんとデティに助けられはした物の…一歩間違えれば死んでいたと言うか事実にみんな心配してくれて居るんだ。


でも…。


「でもエリス、みんなが助けてくれるって信じてました」


今回の旅はみんなと一緒なんだ、頼りになる仲間が七人も居る。今までの旅では場合によっては戦力になる人間がエリスだけ…なんて場面も都度都度あったが今回は違うんだ。


エリスがダメでも他がなんとかしてくれる、この安心感は凄まじいですよ。


「エリスちゃん」


しかしどうやらうちの治癒担当はそう言う言葉は要らないらしく。


「さっきの怪我はかなり出血が酷かった、それに突き刺さった矢が骨まで達して折れた骨が内臓に食い込んでた。あれがズレて傷口が広がってたら死んでた。なんとか助かったんじゃなくて偶然死ななかっただけだってわかってる?」


「…はい」


「それに治癒魔術も万能じゃないの。治癒魔術は体の状態を元に戻す魔術じゃなくて損傷を修復する魔術だから内部の出血がそのまま体内に残り膿になるケースも確認されてる、もちろん私はそこら辺に対処してるけどそう言う一例もあるからなんでも『治癒魔術で治せばいい』って思考でいられると困るんだよ?」


「…はい」


「さっきの矢は毒性だってあった、相手だって真っ当な奴らじゃないんだから当然毒くらい使ってくるよ。もしその毒性が酷い物だったら治癒するまでもなく死んでたんだからね?そこをわかってほしいかな」


「…はい」


こう言う時のデティは怖い。勿論エリスの事を思っての物であるのは分かるけど懇々と説教をするデティの目はもう見てられないくらい怖い…。


「すみません皆さん、無茶し過ぎました」


「ん、でも無事でよかった」


「ああ、エリスを助けに行くのに遅れた俺の責任でもあるからな。…ともかく生きてくれてよかったよ」


「ラグナ…」


ラグナはあれから真っ先に動いてずっと馬車を走らせてくれていた。聞いた話だと傷ついたエリスを見て彼は激昂しながらも退却を優先してくれたらしい。エリスだったら仲間が同じ目に遭わされたら頭に血が上って一人で突っ込んじゃうのにな。


タンス投げるだけで済ませたなんて、彼は大人だな。


「さて、じゃあ情報の共有を済ませるか…とはいえもう大体出揃ってるけど」


と、ラグナが切り出すのは先程の悪魔の見えざる手の話だ。とはいえ今更共有することはない、一応ここに移動するまでの間みんなの話題はそれしかなかったからね。あれやこれや話をしている間にみんな手に入れた情報全てが出揃ってしまった。


奴らの名前は『悪魔の見えざる手』、幹部は五人でありみんなが接敵した奴らと同じ数だ。三十年前から結成しており一時はマレウス・マレフィカルムの頂点『八大同盟』に君臨していたこともある大組織。


二十二年前にとある事件が起こり、内部分裂によって組織は大幅に弱体化。そこを『魔術解放団体メサイア・アルカンシエル』に付け込まれ同盟の座を引きずり降ろされて以降はマレフィカルムとの関係を断ち切っている。


今の悪魔の見えざる手は謂わば当時の残党。それでも幹部は見たところ当時のままでありその戦力が恐ろしい物であることに変わりはない。


彼らの目的はプリシーラの誘拐。何者かの依頼を受けて彼らにとって悲願とも言える願いを叶えるのが狙いだと言う。


「元八大同盟ね、…初っ端から大物だな」


「ああ、思いの外に奴ら強いぞ…」


「でございますね…。運がいいやら悪いやら」


奴らの首魁とも言えるデッドマンと戦ったエリスは分かる、デッドマンはその辺出歩いてぶつかるような相手じゃない。魔力を用いた技術と特殊な魔術の運用法…どちらも熟練の領域にあった。三年前のエリスじゃ勝てないかもしれないくらい強いんだ。


そんな相手といきなり戦うことになりみんな頭を抱えていると。


「あのさ、俺イマイチわかってないんだけどさ。八大同盟って結局なんなのよ」


と手を挙げるのはアマルトさんだ。エリスやメグさんのように魔女排斥組織と戦っていたわけでもなく、ラグナやメルクさんのようにアド・アストラに所属しているわけでもない彼からすれば八大同盟というものはよく分からないもの…なのだろうな。


その挙手を受け、口を開くのはメグさんだ。


「八大同盟とは、魔女排斥機関マレウス・マレフィカルムの中枢にて幾千もの組織を傘下に置く八つの大組織達の総称でございます。マレフィカルム内部でも魔女排斥組織同士での抗争など日常茶飯事ですが…この八大同盟だけは違います。皆がそれぞれ不可侵の条約を結んでいるのです」


「同盟同士がぶつかれば傘下の組織達もまた敵対することになる。そうなればマレフィカルムは空中分解することになるからな、言ってしまえば烏合の衆たる魔女排斥組織達の纏め役達が八大同盟なのだ」


「へぇ、そりゃあまた…でもさっき言ってたよな、悪魔の見えざる手は引きずり降ろされたって。そういうのもあるんかい?」


「ええ、八大同盟は古来より八つの組織が務めています。七にも九にもならない、同盟と同格の組織が生まれた場合実力で同盟組織を引きずり下ろしその座を奪うこともできます。言ってみればその時最強の組織だけが同盟を務めることが出来るのです」


「その点で言えば内部分裂を起こした悪魔の見えざる手は下からの突き上げに耐えられなくなり、纏め役としての役目を果たせなくなったが故にその座を追われたということだろう。同盟から引き摺り下ろされた組織の末路は悲惨だと言うぞ?」


「まぁ、在野で人攫いしてる辺り…色々察せられるけどな」


「ええ、…マレフィカルム発足当時から存在する八大同盟、常に強い者たちが入れ替わりで務め続ける形式を取り続けています。中でも今の八大同盟は歴代最強とも言える布陣が揃っているとも聞きます」


八大同盟の現在の構成組織は大凡は帝国の情報収集で分かっている。


無意味な破壊と無意味な殺戮を信条とする第一級危険思想集団、至上の喜劇『マーレボルジェ』


メグさんとも因縁の深い世界最強の殺し屋…三魔人が一人空魔ジズが頭領を務める、暗殺一族『ハーシェル家』


悪魔の見えざる手を降し裏世界に君臨した魔術組織、魔術解放団体『メサイア・アルカンシエル』


メルクさんに瀕死の重傷を与えクリソベリアを襲撃した最悪の傭兵団、歩み潰す禍害『逢魔ヶ時旅団』


その一切が謎に包まれており、一説では裏社会を牛耳る王とも言われる、世の見る悪夢『パラベラム』


グリシャが所属しシリウスの使う技を保有すると言われる、死蝿の群れ『ヴァニタス・ヴァニタートゥム』


世界最古にして世界最強の組織力を持つと伝えられる三大組織の一角、魔女抹消組織『ゴルゴネイオン』


一国全てが魔女排斥組織でありながらその影すら掴めぬ、形無き王国『クロノスタシス』


マレフィカルム最強の名を持ちながらたった五人の構成員しか持たない暫定最強の組織、星淵より燻る滅亡『五凶獣』


この八つが今のマレフィカルムを纏める大組織であり、数百年の歴史を持つマレフィカルムに於ける史上最強の布陣とも言われる存在だ。


「一説では魔女に合わせて定員を八つにしているそうですよ」


「なんじゃそら…。でもさ、俺達がもしマレフィカルムの本部を見つけたとしたら…こいつら俺達のところに来るんじゃねぇの?」


「だろうな」


あっけらかんと答えるのはラグナだ、彼はなんでもないような顔で…いや、少々苦しそうな顔でそう述べる。


「でも正直、今の俺達だけで八大同盟の相手はしたくない。連中はたった一組織だけでもアド・アストラを相手取れるような化け物達なんだ。出来れば避けて通りたいな」


のラグナでさえ相手は避けたいと言わしめる程に恐ろしいのだ。この三年間魔女排斥の第一線に立ち続けたラグナでさえ…だ。孤軍奮闘だったとは言えメルクさんも手も足も出なかったし程だし…相手は難しいよな。


「でも、その相手を避けたい奴らと悪魔の見えざる手は一時は肩を並べてたんだろ?やっぱライブを断行するよりもアマデトワールに返した方が良くないか?…なぁ、エリス」


「…………」


アマルトさんはエリスに向けて説得するように懇々と理屈を説く。八大同盟の事を態々聞いたのはその危険性を再確認させるためか。


確かに、悪魔の見えざる手は恐ろしい相手だ。それと真っ向向かって事を構えるならば当然のごとく危険が伴う。その上エリス達にはプリシーラさんをアマデトワールに送還するという選択肢もある。


無理に危険な道を選ぶ必要性はどこにも無い。


けど……。


「ごめんなさい、プリシーラさんのライブを何が何でも最後までやり通して貰いたい。これはエリスの完全なるワガママです、でも偽り無き本音でもあります」


「どうして、そこまで必死になる。さっきの件だって瀕死になってでもプリシーラを庇ったりして…こう言っちゃなんだがそこまで命を賭けるに値する奴には思えないぜ?」


「……被るんです、プリシーラさんが…エリスの母に」


「母?確か…ハーメアさんだったか?」


そうだ、エリスの母…ハーメア・ディスパテル。旅の役者としてマレウスに降り立ったエトワール史に残る女優、そのハーメアと被るのだ。


別に顔が似てるわけじゃ無い、声が似てるわけじゃない、舞台に立つ母を見たことがあるわけでもないし類似点を見つける方が難しいまであるだろう。


けど…とエリスが続けようとした瞬間、はたとラグナが眉を動かし。


「そういや、エリスのお母さんはマレウスで賊に襲われて…それで捕まり、奴隷に身を落とした…って言ってたな」


よく覚えてましたね、三年も前のことなのに。


ラグナのその言葉に皆も合点が入ったのか…驚愕に顔を彩り。


「まさかその賊が悪魔の見えざる手なのか?」


「そのようです、デッドマンがエリスの顔を見て二十年くらい前の旅役者に似てると言っていたので」


「二十年も前って、そんな昔に攫った奴のことなんで覚えてんだ?」


「そこは分かりませんよ、でもなんか恨まれてる感じでした」


「……ハーメアさんが、アイツらに…。お父さん達の盟友が…奴らに」


みんな、エリスの身の上を知るからこそ深刻そうに悩んでくれる。特にナリアさんなんかは瞳に怒りさえ浮かべている。


エリスはハーメアを守れない、ハーメアが破滅したからこそ生まれたエリスにはハーメアを救うことなど出来やしない。だがその破滅から生まれたエリスだからこそハーメアのように舞台に生きるプリシーラを、ハーメアの事を破滅させた悪魔の見えざる手から守れるんじゃないのか?


いや、エリスだからこそ…守るべきなんじゃないのか?


「エリスはもうハーメアのような人間を作りたくないんです、奴隷になって身を滅ぼす人も…悪魔の見えざる手によって舞台を奪われる者も。だからプリシーラの事もプリシーラの舞台もエリスは守りたいんです」


「…なるほどね、よく分かった。エリスにとって大事な事だってのはな」


「うーん、そういう話聞かされると俺、無理にアマデトワールに帰ろうって言いづらいなぁ」


「すみませんアマルトさん、アマルトさんはエリスの事を心配してくれていたのに」


「いやいいんだけどね?俺もワッと言い過ぎだったし…で?どうすんの?ラグナ」


「俺?俺が決めていいの?まぁ、エリスの事情を抜きにしてもプリシーラにライブをしてもらう理由はいくつかあるな」


「ほう?、聞かせてもらってもいいかな?」


ラグナが乗れば、メルクさんもまた興味深そうに彼の話に耳を傾ける。エリスの事情を抜きにしてもやる理由があるならそっちの方がエリスとしてもありがたい。完全にエリスの私情では動けないからね、彼がその理由づけをしてくれるというのはとても嬉しい。


「理由は二つ、まずケイトさんはこの事態を恐らくだが想定していたと思う」


「想定?どゆこと?」


「悪魔の見えざる手がライブに託けて襲ってくることは誰だって予想できる、一回顔見せに来てるわけだしな。んでそこで奴等の戦力について協会側も深く理解していたはずだ、なのにあの場に集められた冒険者は…とてもじゃないが悪魔の見えざる手に対抗出来るような戦力じゃなかった」


「確かに、向こうも冒険者を積極的に襲ってたけど…みんなバタバタやられてたもんね」


デティがなるほどと手を打つ。確かにあの場には百人近い冒険者が護衛として大挙してやってきていた。普通に観客として訪れた冒険も含めれば五百人近い戦力だったが、悪魔の見えざる手の幹部五人に徹底的に叩きのめされていた。


完全に護衛側の戦力が不足していた。本気で守るならあれは四ツ字クラスが必要だったと今ならば言える。


「ああ、これでプリシーラを守るつもりですって方が笑い話なレベルだ。そこで俺達にこの依頼を回したわけだ。俺達の実力はケイトさんも知ってるからな、一か八かで戦力強化に出たんだろう」


「つまり、我々はプリシーラを守り悪魔の見えざる手を退ける事を期待されている…ということか?」


「ああ、つまりここからがこの依頼の本題…少数精鋭でプリシーラを護衛しながらライブツアーを観光すること。ここでアマデトワールに帰ればケイトさんからの評価は大幅に落ちることになる。これからの協力関係の中でケイトさんからの評価を落とすのはちょっとダメだ」


「確かに…、信頼してもらうために依頼受けてるわけだしな」


「そういうこと、もう一つは…純粋に悪魔の見えざる手をとっちめればマレウス・マレフィカルムの情報が手に入るかもしれない」


「情報?」


「例えば、マレフィカルム中枢に食い込んでいた八大同盟だったならば…本部の場所とか知ってるかもだろ?」


「っ……!!!」


分かるのか?いきなり分かるのか?元とは言え八大同盟。マレフィカルムについての情報の精度はそこらの魔女派生組織を大幅に上回る、奴らを捕らえることが出来たなら…エリス達の旅は大幅に前進する。


「プリシーラのライブを続けていれば、また連中はやってくるだろう。都合がいいじゃないか、俺達の欲しい情報を持った奴らがノコノコ向こうからやってきてくれるんだから」


「でも…いいの?ケイトさんからマレフィカルムについて勝手に調べないで欲しいって言われてるけど」


「調べない、ただアイツら締め上げた時にポロっと溢れる情報を偶然聞くだけだから」


「物は言い様だな…」


ラグナそういうところは強かですよね。まぁでもそれで分かればケイトさんとの協力関係も必要なくなるし、別にいいのか?まぁ今度は完全にケイトさんを敵に回すことになりそうだけどね。


「確かにプリシーラを連れて行けば危険を伴うことになる。だが百も承知だろ…危険なことなんて、最初から」


「まぁ、そうだな…。裏社会を牛耳る大組織を潰せと言われたこの旅路が安全に終わるなどと思ってはいない」


「だね、チャンスがあるなら火の中でも手ェ突っ込むべきだよね!」


「ってことは、これからプリシーラと一時的に旅することになるわけか。俺うまくやっていけるか不安だな…」


「大丈夫、なんとかなる」


ライブツアーは観光するべきである。その意見で弟子達の意思は固まり目標が制定される。エリス達の一先ずの目的はプリシーラさんをライブツアーの終着点理想街チクシュルーブまで連れて行くこと。


道中あるであろう悪魔の見えざる手を撃退しつつ、出来れば締め上げて情報を得ておく。


そうすることで、プリシーラは何も奪われずに済む。人としての尊厳も舞台も。


守る事が出来るんだ。


「皆さん、ありがとうございます」


「いいって事さ、それよりツアーの日程とルートを確認しておきたいんだが…」


「その前に、エリスはプリシーラさんの顔を見ておきたいです。彼女はどちらに?」


「プリシーラならあれから女子寝室に籠ってるよ。ルートなら俺とメルクさんで見ておくからエリスはプリシーラに会ってくるか?」


「そうします、では」


エリスが倒れてからずっと女子寝室か、何をしているのやら。取り敢えず顔を見てこないとな…。


「………………」


ルートの確認や残りの作業をみんなに任せてエリスは立ち上がり、右側面に取り付けられた扉のノブを回す。するとそこには馬車の中でありながら一等広い寝室が広がっており、人数分用意されたベッドとデティの作業机…の隙間にて、膝を抱えるプリシーラさんがちっこくなって座っていた。


「プリシーラさん」


「あ、エリッ…ッ…」


エリスの顔を見るなり彼女は顔色を変え、エリスの名を口に出しかけながらも…直ぐに口を閉じて目を背けてしまう。その姿はライブに出る直前の煌びやかな衣装のまま…それでありながら泥やエリスの血で汚れたなんとも言えない格好だ。


そんなプリシーラに歩み寄りながら、エリスは…。


「怪我はありませんか?プリシーラさん」


「…………」


怪我はないかと聞けばプリシーラさんはコクコクと首を傾ける。どうやらエリスの血が付いているだけで彼女自身に怪我はないらしい。よかった、身を呈して守った甲斐があったな。


「…アンタは、大丈夫なの?私のせいであれだけ…傷を負って」


その声は、嗚咽そのものだ。か細く震えて許しを乞うような声音。


視線はエリスの方を見ず、何も直視出来ないとばかりに何もない方へ向けられている。


まぁ、結果だけ見ればプリシーラさんがエリスを見捨てて逃げた上にそのせいでエリスが死にかけたんだ。そこに対して罪悪感を感じてしまうくらいには彼女の感性は真っ当らしい。


「平気ですよ、ウチの治癒術師は優秀なので」


「嘘よそんなの…」


「心配してくれるんですね?」


「……う…」


隣に座り込む。何か言いたげにこちらを見てくるが…嫌悪感は感じない。拒絶はされていないようだ。ならば隣にいてもいいですよね、今の貴方は放っておけませんから。


怪我はないんだね、傷はないんだね、ならいいやさようなら。そんな淡白なことを言えるほど今のプリシーラさんは元気そうには見えない、あれだけの事があったんだ…誰かが側にいてあげたほうがいいだろう。


「…なんで隣に座るのよ」


「貴方が心配だからですよ」


「また勝手に逃げるかもとか思ってるの?だったら捨てればいいでしょ…アンタを裏切った薄情な私のことなんて」


やっぱり気にしてるんだな。けど薄情だとは思いませんよ…。


「薄情ですか…、薄情ならそんなに気にすることもないんじゃないですか?」


「ッ……」


「別に、エリスは貴方に裏切られたなんて思ってませんよ。貴方が逃げなければエリスが言ってたところです…『エリスを置いて逃げてください』ってね」


「貴方は…」


ようやく、プリシーラの目がこちらを向く。涙で濡れたその瞳がこちらを向く。それを真摯に受け止めるように微笑んでエリスもまた体をプリシーラさんの方へ向ける。


「なんで私にそこまでして尽くそうとするの?なんでそんなにヘラヘラ笑ってられるの?さっきの茶髪の男の反応の方がまだ真っ当よ」


「茶髪?ああ、アマルトさんですか?」


「知らないわ、けどその男が言ったように私を責めればいいじゃない。私の首根っこ引っ張ってアマデトワールまで連れて行けばいいじゃない!なのになんでそうまでして私を庇うの?気にするの?…分からないわ」


「別にそんな事しませんよ、さっきみんなと話し合ってプリシーラさんを次のライブ会場までお連れすることで纏まりました。次の目的地はアマデトワールじゃありません」


「なんで…ッ!私は貴方に対して恨みをぶつけわよね!?弾除けだって言って置いていったし傷ついて動けない貴方をも置いて逃げた!私のせいで死にかけもした!なのになんで!?なんでなの…!?」


なんで、そう繰り返す彼女は涙を流しながら訴えかける。エリスの何をも理解出来ないと、エリスに恨まれた方がまだ楽だと。けど…別に意味もなくこんな事やってるわけじゃないんだ。


「…コンクルシオでのライブは残念でしたね、あんな事があったとは言え準備していた舞台が流れてしまってとても残念です」


「え?…」


「貴方の歌が聞ければ、どれだけよかったか」


「…………」


「エリスは貴方に歌っていて欲しいんです、思うがままに舞台の上で踊っていて欲しいんです。それ以外のことはどうでもいい、エリスは貴方の歌が聞きたい」


「ッ……!」


彼女の手を取り、額を当てて、願うように口にする。歌いたいなら歌え、踊りたいなら踊れ。貴方がしたいようにすることがエリスの願いなんだ、それはエリスの自己満足でしかないが…それで貴方が救われるならば良いとさえ思っている。


今は亡き母の願いを叶えられるのはプリシーラさんしかいないのだから。


「わけ…分かんないわ、出ていってよ」


「いいんですか?」


「いいから!」


「……分かりました」


出て行けと言われたならば出て行こう。膝を抱えて蹲ってしまった彼女の側に居続けることは逆効果でしかないから…。


「あ、もうすぐアマルトさんが晩御飯作ってくれますから、一緒に食べましょうね」


「……要らない」


要らないか、まぁいいでしょう。あんな大事件の後で彼女も混乱しているだろうからね、次の目的地まで時間もある。それまでに彼女が落ち着けるならそれでいいんだ。


そうエリスは軽く手を振って女子寝室を後にすれば…、中央のリビングではラグナとメルクさんとネレイドさんの三人が地図を広げてあれこれ会議しており。メグさんとナリアさんは外でジャーニーの世話をし。


…アマルトさんとデティが、扉の前でエリスを心配そうに待っていた。


「どうだった?」


「なんか、逆効果だったみたいです」


「そっか、まぁ嫌な現実ってのは胡桃と一緒だ、噛み砕いて飲み込むまで時間がかかる。それまで待ってやるのもいいかもな」


プリシーラさんに対してやや否定的だったアマルトさんも今は彼女に対してある程度の感情を向けてくれているようだ。…割り切ってくれたのだろうか。


「プリシーラちゃんの魔力、こっからでも感じるよ。かき混ぜた後のラテみたいにぐちゃぐちゃになってる」


「分かるんですかデティ…って、デティ?何食べてるんですか?」


対するデティはなんかボリボリ貪り食ってるんだが…。何?そのピンク色のチップスみたいなの。


「ん?これ?花弁の砂糖漬け」


「それプリシーラさんが買ってきてくれって頼んでたやつですよね。何勝手に食べてるんです?」


「ってかお前、これから晩飯だってのに何菓子なんか食ってんだよ」


「え?あ…いや!これプリシーラちゃんに渡したんだよ!?けど要らないって!何にも食べたくないって!」


だからって…、いやまぁ食欲がないのはそうなんでしょうけども。


「そういえば彼女、晩御飯もいらないっていってましたね」


「えぇー!?晩御飯要らないの?でもあの子昼から何にも食べてないよね」


「はい、ただでさえ消耗してるでしょうに。このまま何にも食べなかったら倒れちゃいますよ」


食欲がないのは仕方ないことだ、だとしても今は生きるために何かを食べなければならない。心的なストレスってのは体を蝕む、それに対抗するにはエネルギーが必要で、そのエネルギーは外部から摂取しなければならない。


つまり、ショックを受けている時こそ飯は食うべきだ。けど…今の彼女にそれを言っても聞いてくれないだろうしなぁ。


「はぁ〜、メンドクセェお姫様だなオイ。雛じゃねぇんだから飯くらい自分で管理して欲しいもんだ」


するとアマルトさんはやや面倒臭そうに頭をかきながら、奥の扉…キッチンへと向かう扉に手をかけるのだ。


「ちょっとアマルトー?どこ行こうとしてんのさ!プリシーラちゃんにご飯食べさせる作戦考えないと!」


「要らねぇよ、そんなもん」


「へ?どうすんの?」


「どうするって、そりゃあお前」


デティの問いに対して、アマルトさんはぶっきらぼうに答えながらこちらを見て…。


「結局のところ、何にも食いたくないって気持ちを覆すほどに…なにか食いたいって思わせればいいって事だろ?楽勝だ、任せとけ」


そう、目をキラリと輝かせてそういうのだ。その身から溢れるやる気と威圧…本気だ。


ウチで一番の料理人であるアマルトさんが、本気になってる。


………………………………………………


プリシーラ・エストレージャ。アイドル冒険者としてデビューして三年…地道な活動が功を奏して一年前、マレウスの国王様の御前で歌を披露する機会を得てより爆発的に大ヒット。


今やマレウスに知らぬ者無しのアイドル冒険者としての地位を確立している…。地位も名声も富も何もかもを手に入れ、彼女が頼めば数百近い冒険者が大挙して動き出す…そんな力さえも手に入れてなお、彼女は。


(馬鹿馬鹿しい…)


そう、思っていた。


エリス達の馬車、何故か馬車なのに豪邸のように広がるその一室で膝を抱えて蹲る彼女は自身の今までの活動を振り返っていた。




私は、アイドル冒険者だ。そう胸を張って言えるつもりはない。だって私はアイドルになりたくてなったわけじゃない。一番最初は名前を売るのが目的だったんだ、そしてその目的を達成するのに一番都合が良かったのが冒険者だったってだけ。


私は昔から歌うのが好きだった、何にも縛られず歌を歌っていたかった。歌を歌って生きていく…その為には自分でお金を稼がなくてはいけなかった。だから冒険者を選んだ。冒険者は一から名声を築き上げることができる唯一の職業。完全実力社会で…私は自分の好きなことを何にも縛られない人生を作り上げるつもりだった。


けど、完全実力社会だからこそ…私に出来ることなんて何も無かった。ただ歌うのが好きなだけの小娘が生きていける世界ではなかったんだ。


剣も振れない、魔術も使えない、長い距離を歩くことも出来ない、こんなか弱い生き物が生きていける世界じゃない。


もう、あの家に戻るしかないのかと諦めかけたその時舞い込んできたのが…アイドル冒険者の話だった。どこかの誰かが聞いていたのか、私の歌を痛く気に入ってくれて私は協会再興計画の一つアイドル冒険者としてメジャーデビューを果たすことになったんだ。


当然簡単な道のりじゃ無かった、最初は誰にも聞いてもらえず私を奇異の視線で見る目は多かったし歌っていたら金を渡され宿屋に連れ込まれそうになったこともある。


世間の受けは悪く協会が経費の削減と言って私のライブ費用を削り、終いにゃ銀貨1枚も渡さなくなっても私は一人で頑張った。路上に木の箱を置いて一人で歌った。


雨の日も風の日も、誰も聞いてなくても歌い、誰も見てなくても踊り、血反吐吐いても歌い、体が悲鳴をあげても踊り。無視されても、蔑まれても、貶められても、裏切られても、アイドルとして立ち続け。一人になっても折れず、諦められても諦めず。どれだけ辛くても笑い、どれだけ苦しくても笑い通して…歌い通した。


全ては歌う事が楽しかったから、私は歌って生きていたかったから。エストレージャの家名に縛られず私は私として…プリシーラとして歌をみんなに届けたかったから。


汚い宿屋で泥のように眠り、ご飯は一日一回パン一個の生活だけど、ある意味望んだ生活が間違いなくそこにはあったんだ。


そして、そんな私の生活が一転したのは…ある日の事。


アマデトワールの一角でいつもみたいに路上ライブを開いていたら、あるお客さんが現れたんだ。私は一目でその人が誰か分かった。


このマレウスを統べる者…ネビュラマキュラの嫡子、即ちこの国の国王様が私の目の前に現れて、こう言ったんだ。


『なんて素晴らしい歌なんでしょうか、もっと聞かせてはくださいませんか?貴方の歌がもっと聞きたい』と…。


国王様は私の手を取って慈しむように笑い、なんと王都サイディリアルでのライブ会場を用意してくれたんだ。そこで私はいつものように歌って踊った。誰も見向きもしていなかった歌と踊りを国王様と王都の人達に披露したら…一変。


私の名は一気に知れ渡りマレウスの国民的スターへと大変身を遂げたのだ。私はマレウスの頂点に上り詰め…真なる自由を手に入れ、歌を歌い続ける生活を手に入れた。





なんて事はなく、大ヒットしたその次の日から…私の歌は色を失い初めて行った。


ずっと無視して私の存在を無かったことにしようとしていた協会が、いきなり私に干渉し始めてきたんだ。


『次の歌はこれを歌え』『次の会場はここ』『衣装はこれ』『キャラ付けはこう』


色んな干渉がなされ私の自由はドンドン失われていった。センスのない歌詞や私の歌を何もわかっていない演出を強要してきた。


まぁ、私だってプロだからね。メジャーになるという事はこういう事でそこにある程度の制約がある事は分かっていた。


けど、そんな私の覚悟を踏み躙る声を…私は聞いてしまった。冒険者協会の幹部と私のプロデューサーが…こそこそ話しているのを聞いてしまった。


『彼女、まさか本当にあのエストレージャ家の子供だったとは』


『ああ、エストレージャ様の機嫌を損ねては叶わん。エストレージャ様の要望通りに動かせ、いいな?』


……私はそこで初めて気がついた。今まで協会が行って来た干渉の全てが私の家によるものだと。私から自由を奪い 私が逃げ出した恐ろしい母…マレウス財務大臣マンチニール・エストレージャの指示であったことを。


協会は最初から母の意向を受けて私を動かしていた事、私が稼いだ金をマンチニールに献上することにより要所要所での活動資金を援助してもらっていた事。私が…結局母にいいように使われていた事。


私は、エストレージャの呪縛から逃れられていなかった事。


『お前は私の道具なのだから、私の思うように動けばいいんだ』


そんな母の言葉がフラッシュバックして…私はその日から、私は歌う事が嫌になった。


歌を歌いたい気持ちと、母に抗いたい気持ち。アイドルとして歌えば私は母の思惑通りに動くことになる…けど歌は捨てたくない。そんな二つの気持ちが衝突してその都度私の心を粉々に砕いていったんだ。


次第に冒険者協会に対して不信感を持つようになった私は、何をされても『それは母の指示か?命令か?』と邪推するようになり、いい事があっても母の影が脳裏にチラつき喜べなくなって、目の前にいるファンさえも母の命令でここに来ているような気がして来て…。



そんな中、現れたのが彼女…エリスさんだ。最初は冒険者協会が寄越した戦力という時点で信頼出来なかったのに、その上私の全てとして育んできたアイドル冒険者を否定した女だ。母と同じように私を否定する女…私はそれを否定したくて、傷つけたくて、思いつく限りの嫌がらせを彼女に行った。


なのにエリスさんはそんな私の手を取り守ってくれた、母の命令でここまで出来るものなのか?冒険者協会からいくら貰ったんだ?…なんて考えるのも馬鹿馬鹿しいくらい彼女は私の味方だった。怒る仲間を諌め、死にかけながらも私を案じ、心からの善意で私を解きほぐしていった。


そんな彼女が言ったんだ…『私の歌が聞きたい』って。私の歌をだ…。私を初めて認めてくれたマレウスの国王様と同じことを言ってくれた。


まさか…あんなにも優しい人だったなんて思いもしなかった、あんな優しい人に…私はなんてことを。


「っ…」


私の手のひらにはエリスさんの血がべったり付いている。私を肯定してくれて私を守ってくれる彼女の血が、私を守ったせいで流れた血が固まっている。


私はなんて浅ましく愚かな人間なんだ。一人で協会と母に怒りを抱いて、一人で大きくなった気になって、一人で見えない何かと戦って…バカな女だ。


こんな私の歌でも、聞きたいと言ってくれるのかな。


「はぁ……」


今この馬車は次のライブ会場に向かっているという。そこにも悪魔の見えざる手は現れるだろう…、そうなったら、私は……。


「……ん?」


ふと、顔を上げる。鼻をくすぐる香ばしい匂いにつられて私は鼻を引っ張られるように扉の方に顔を向ける。扉の向こうからいい匂いがする…。


けど、今は何も食べる気になれない。なにかをする気力なんて…。


「っ…!?」


ふと、お腹が鳴った。ぐ〜と情けない音を立ててお腹が鳴った、そういえば今日は朝からなにも食べてなかったな。ライブの日は緊張でなにも食べれないんだ…けど。


(お腹減った…)


久しく感じる空腹感。私は気がついたら立ち上がって花につられる蜂のように扉に手をかけていた。


ゴクリと生唾が喉を通り、扉をゆっくりと開けると。


「こんにちわ、プリシーラさん」


「ひゃっ!?」


扉の前にはエリスさんが立っていた。その手には湯気を立てるお皿を持って…。


「そろそろお腹が空くかと思って、呼びに来たところです」


「呼びに…来た?」


「はい、さっきも言った通り晩御飯を作っていたので。ほら、ビーフシチュー」


「…………」


エリスさんがこちらに差し出すのはお皿に注がれた茶色の液体…じゃがいもとお肉がゴロゴロ入ったビーフシチューだ。なんて美味しそうなシチューなんだ…溢れた肉汁が黄金色に光って、そこから香る匂いがより一層私を誘う。


…恐る恐る、差し出されたシチューを受け取ろうとすると…、差し込まれるようにエリスさんの手が私の手を掴んだのだ。


「なっ!?」


「何処で食べるつもりですか?せっかくダイニングがあるんですから。そこでみんなと一緒に食べましょう」


「え…えっ、でも…」


みんなと言うと、エリスさんの仲間だろうか。でも他の人達は私の事をよく思ってないだろう。


自業自得だ、勝手に敵視してあんな酷いことしたんだから。嫌われて当然だ…一時の怒りに身を任せた報いだ。だからこそ…そんな人たちのところでご飯を食べるなんて…。


「大丈夫、みんな気にしてませんから」


「え……」


まるで私の心を読んだようにエリスさんは微笑んでくれる。切れるような鋭い瞳が垂れて笑えば、それだけで美しく見えるような綺麗な笑みで…。


そんな顔で笑われたら、逆らえない。


「…………」


「一緒に来てくれますね?」


「……うん」


「よし、じゃあこっちですよ」


エリスさんはきっと私に酷いことはしない。私は酷い事をしたけど彼女は絶対にしない。私とは違う深い度量の持ち主だ…そんな信頼があるからだろうか。私は彼女の言うがまま 手を引くがままに馬車の中を歩かされ奥の扉を潜らされる。


すると、その扉の向こうにはこれまた立派なキッチンダイニングが広がっていた。ここ馬車だよね、字持ちに協会が支給する活動拠点くらい立派じゃない?なにこれ。


「お、出てきたか?」


すると、ダイニングの机に座る七人の仲間…その内赤毛の男がこちらに振り向いて軽く手を振る。確か…ラグナ…だっけ?


一斉に向けられる視線にややビビっていると、私に対して怒っていた茶髪の男…エリスさんがアマルトと呼ぶ彼が徐にこちらに近づいてきて。


「腹減ったか?」


そう聞くのだ、その目には先程までの怒りは感じない。寧ろ慈しみさえ感じる…、エリスさんの言うようにもう気にしてないってのは本当なのかな。あれだけのことをしたのに。


私はアマルトの問いにゆっくりと小さく頷くと、何故かアマルトは自慢げに鼻の頭を指先で擦り。


「だろ?美味い飯の美味そうな匂い嗅げば誰だって正直になるもんさ」


「流石です、アマルトさん」


「流石…って、このシチューあんたが作ったの?」


「おう、まぁ美味いかどうかまでは自分で食って確かめてくれや。お前の分も用意しているしな」


すると皆が囲む食卓の一角に、二席ほど空きがあるのが見える…まさか、私の分も用意してくれて…。


「さ、行きましょう」


「あ……」


呆気を取られる暇もなく私はエリスさんに手を引かれ空席に座らされ、目の前にシチューと焼きたてのパンが置かれ、綺麗に磨かれた銀のスプーンが差し出される。


…えっと。


「食べていいの?」


「寧ろここまでやって食うなって言う人間この世にいるか?」


「遠慮しないの〜!めっちゃお腹減ってるって顔してるしさ〜!」


「アマルトのご飯…すごく美味しいよ」


小さな女の子…デティと大きな女の人…ネレイドが私の肩を叩く、他の人達も軽く微笑み遠慮をするなと言ってくれている気がする。


…あんな嫌な奴だったのに、私。こんな親切にしてもらえていいのかな。


「プリシーラさん、何はともあれ食べましょう。思う事や気になることもあるでしょうが、今は食べましょう、そうしないと元気も出ません」


「……エリスさん」


「ね?」


私の隣に座ったエリスさんは星が飛ぶようなウインクをした後、ゆっくりと手を合わせて綺麗な動作でシチューを食べ始める。


見れば他の人達もシチューにスプーンを伸ばしている。…ここで頑なになって食べない方が悪いか。


遠慮したい気持ちもあるけど、…それ以上にこのシチュー。とても美味しそうだ。


「…………」


ゴクリと唾を飲み込みスプーンを手に取り、怯えるようにシチューに差し込む。色々具材が入っているけど、何より気になるのはこのお肉…一口サイズより少しだけ大きくカットされたそれは続けばプルプルと揺れ、なんとスプーンだけで完全に切り分ける事が出来るほどに柔らかだ。


切り分けたお肉と一緒にシチューを掬い上げ、一口。口の中にシチューを流し込むと…。


「ッ…!?美味しい…!」


美味しかった、アイドル冒険者として売れてきてからはそれなりに高級品に手を出す事もあったし、街の偉い人と会食に行く時は所謂レストランで食事をする事もあった。


が、これはそれ以上。店を持つ料理人さえ凌駕する程にこのシチューは美味い。まろやかな味わいや計算された具材の出汁、全てが均一でありながら一等に旨味を引き出している。


一口食べれば自然と二口目が流れるように欲しくなる、そんな人の舌に合わせた絶品だ。


「だろ?いやぁ今日の朝からずっと肉とかの仕込みしてたんだからまぁ当然だよなぁ」


私が美味しいと口にすればアマルトさんはまぁ自慢げにニタニタ笑って嬉しそうに鼻高々と胸を張る。


でも事実だ、この人凄い料理が上手い…凄い人だったんだ。


「貴方、もしかしてプロの料理人?」


「いや、俺はアマチュアだよ。趣味でやってるだけ」


「趣味でこのレベルってこと…?」


「まぁ、教えてくれた人間がいいモンでね。ってか俺の名前聞いた事ない?」


聞いた事?アマルト…うーん、無いな。というかこのマレウスで人の名前を覚えることほど馬鹿馬鹿しいことはない。街ごとに価値観が違い、街ごとに評価される事が違うこの国で有名になるってのは難しい事じゃ無い。色んな名前が錯綜してるのにその全てなんか覚えてられない。


「知らない、有名な人?」


「いや、そういうわけじゃ無いんだが。まぁ知らないならいいんだ、ほれ食え!無くなるぞ!」


「え?」


するとアマルトさんは机の上、その中心に置かれた巨大な寸胴鍋。レストランが一日かけて売るくらい大量にあるシチューを指差して無くなるというのだ。


どうやったらこれが無くなるのか…と思えば。


「ンめ!ンめ!めっちゃ上手いなこの肉!なんの肉!?」


「牛すじ、一日煮込んで柔らかくした」


「アマルト凄いね、私止まらないや」


「お客いるんだから多少は止まってくれ〜?」


赤髪のラグナさんと巨体のネレイドさんが凄まじい勢いで食べていた。二人だけ巨大な皿を使ってお玉で食べてるというのに物凄い勢いで無くなっていく。


並々とお皿に注いだかと思えば二秒ほどで無くなる。まるで水瓶の底に開いた穴だ。


「ってかもっと味わえや!これ作るのにどんだけ苦労したと思ってんだよ!昨日から煮込んでたんだぞ!」


「味わってるよ!すげー味わってる!」


「喉越しもいいね」


「くそ…!次からもうちょい作るか?おいプリシーラ、あんたももっと食え!おかわりなくなるぞ!ほら!」


「あ…うん」


ラグナさんとネレイドさんの口にパンを突っ込んで時間を稼いだアマルトさんはいつの間にか少なくなった私のお皿の中身を追加してくれる。


「ありがと…」


「ドンドン食えよ、遠慮したらシチュー頭からぶっかけるからな」


「…………うん」


アマルトさんの言葉を話半分に聞きながら、チラリと右を見る…そこにはメルクと呼ばれた青髪の女とメグと呼ばれたメイドが座っている。


「美味い、美味いな。やはりシチューにはパンだな」


「シチューはメルクリウス様の大好物でございますものね」


「ああ、こうやって落ち着いて好物に舌鼓を打てるというのも良いものだ」


メルクリウスさんの所作には何処と無く高貴さを感じる。というか…メルクリウス?まさかこの人メルクリウス・ヒュドラルギュルムじゃないよな、デルセクトの同盟首長にして世界最大の商会の会長…いや、そんな大物がこんなところでシチュー食べてるわけないか。


考えを振り払うように左を見れば、そこにはさっきの小さな女の子デティさんと…私でもびっくりするくらい可愛い女の子のナリアさんがいる


「うまうま、この人参美味しいねぇ!」


「ですね、夜風で冷えた体に染み渡ります」


デティさんはあんなに小さいのに瀕死のエリスさんを瞬く間に治してしまう程凄まじい治癒魔術の腕の持ち主だ。冒険者協会でトップクラスと言われるような治癒魔術師だってそんな芸当は出来ない。


ナリアさんはもしこの人が私の代わりにアイドル冒険者をやっていたらもっと大成してたんじゃないかとさえ思えてくる。…ナリア…名前もあの世界一の大役者サトゥルナリアに似てるし、やっぱ違うな。


「…………」


みんな、私に対して嫌悪感を浮かべる様子はない。私と食卓を囲むことになんの違和感も感じていない。気にしてるの…私だけ?


「みんな気にしてないでしょ?」


「え…」


「みんなそんなに器は小さくないですよ、だから安心しください」


「…………」


微笑みかけるエリスさんの言葉が沁み渡る、…そっか。そうなんだな、…なら…。


「…あの」


「ぉん?」


「どうした?」


「…なに?」


私が一言発すると、みんながこちらを見る。その視線にやや怯えながらも決意する。やらなくてはいけない、言わなくてはいけない、この人達になら…大丈夫。


私は静かに立ち上がり、頭を下げる。


「失礼な事して、すみませんでした」


例え、気にしていなかったとしても必要な事だ。私は彼等を下に見て冒険者協会への不信を八つ当たり気味に押し当てて、必死に守ってくれようとしているのに信頼もせず、結果として傷つけて。


だから、そのことに対しての謝罪は必要なんだ。


「別にいーって謝罪なん…」


「いえ、アマルトさん。いいんです…ねぇ?プリシーラさん?」


ふと、エリスさんが頭を下げる私に声をかける。語りかけるような淡々とした…それでいて私の事を真摯に思ってくれる言葉で。


「なんです…か?」


「エリス達は全力で貴方を守ります、貴方の歌を守ります。だから…プリシーラさんもエリス達のこと、信頼してくれますか?」


任せて欲しい、そう語るエリスさんの手が私の肩に置かれる。信頼してくれ、今はそれが必要だと言わんばかりに。


…事実として必要なんだろう。これからこの馬車は私のライブを遂行するためにマレウスを駆け抜ける、その道中でまたさっきみたいなことがあったら守るどころではない。


ライブの成功のためには必要だ、必要…か。


「…………」


冒険者協会の対応にはもううんざりしていたのは事実だ。奴等がこれ以上マヌケを晒すならもう歌ってやるものかとさえ思ったほどだ。正直モチベーションだって尽きかけていた。


けど、…けど。エリスさん達は私に本気でライブをして欲しいと望んでいる。それはきっと依頼だからじゃない。


私の歌を望んでいるんだ。


「…はい、よろしくお願いします」


「はいっ!お任せを!」


なら歌おう、エリスさんに私の歌を聞いてもらうために…今はただその為だけにライブを遂行しよう。


その為に、私は皆さんに再び頭を下げてお願いする。これからの旅路のことを。



…………………………………………………………


「取り敢えず新しいベッドが工面できるまでプリシーラさんはエリスのベッドで一緒に寝かせますね、メグさん曰く数日しましたらまた一台新しいベッドが工面できるそうなのでそれまで…とのことです」


「まぁ、それが妥当だろうな」


「夜の番が居るったっても完全に安全ってわけじゃないしな、誰かが一緒について寝るのは俺も賛成だ」


食事を終え、みんなで食器を片付け終えた後エリス達はまた明日からの旅路に備えて就寝することとなった。


こうして森の只中に馬車を止めても野営する必要も虫に脅かされる事もなくフカフカなベッドで寝れる幸福に感謝しながらエリスはダイニングの椅子に座り、ラグナとメルクさんにこの後の予定をお話しする。


ちなみに他のメンバーは三々五々、みんな馬車の中に広がる空間の何処かへと散っていった。


すると。


「ね…ねぇ、さっきまで混乱してて特に気にならなかったんだけど…やっぱこれおかしくない?私達今旅してるのよね」


「ん?どうしました?プリシーラさん?」


「いや、私今シャワー浴びさせられたんだけど」


ふと、視線を後ろに向けると。そこにはホカホカと湯気を立て可愛らしいピンクの寝巻きに身を包んだプリシーラさんの姿が見える。うん…さっきまでよりも幾分いい顔をしている、ショックも薄れてだんだん素に戻れているんだろう。


いつまでも申し訳なさそうにされるよりも自然体でいてくれた方がエリス達もやりやすい。


「可愛いパジャマですね」


「うっ…!そ、そうじゃなくて!私だって冒険者よ?旅の過酷さは一応知ってるつもり。けどこれはなに?馬車の中に家があって、晩御飯はホカホカ出来立ての美味しいシチュー!おまけにさっきいきなりメイドのメグさんに連れ出されてシャワーまで浴びさせられた!後なんかサイズぴったりのパジャマもあるし!私今ほんとに旅してるの?」


ああ…そういえばさっきメグさんが汚れたプリシーラさんを綺麗にするとか言ってたな。


恐らくはメグさんがメグセレクション・No.9 『どこでも簡易シャワーセット』を使ったんだろう。人一人入れるくらいの組み立て式の箱の中で温水シャワーを浴びられるという便利な道具があるんだ。


それを外に設置して血と泥で汚れたプリシーラさんを洗ってくれたんだ。一度に出せるお湯の量が決まってるから毎日は使えないけどこういう時こそ使い時と解放してくれたんだ。


そして、帝国から取り寄せた卸したてのパジャマを着させられて…今に至るというわけか。まぁ初見ならびっくりするよなぁ。


「あはは、メグさんは不思議で便利な道具をたくさん持ってるんです」


「そういうレベルを超えてると思うけど…」


「ふっ、違和感を口に出来るくらいには回復出来たかな?プリシーラ殿?」


「不思議なことは不思議だなぁで流す方が人生は生きやすいよ」


元気になったプリシーラさんを見て二人もなんだか嬉しそうだ。そんな二人の屈託のない笑顔に毒気を抜かれたプリシーラさんもまたやややり辛そうに肩の力を抜く。


これなら上手くやっていけそうだな、信頼してもらえなければ守れないからね。


「さて、丁度いいし。ここらでこいつについて聞いておいてもいいか?」


「え?なに?」


さてと…そう口にしてラグナが胸ポケットから取り出すのは折り畳まれた紙、プリシーラさんのライブツアーの日程と場所が書かれたパンフレットだ。こいつはコンクルシオの街中で配布されてたから誰でも手に入る。恐らくラグナはさっきコンクルシオの街を歩いた時に手に入れたんだろう。


「ライブツアーの日程について聞きたい、いいか?」


「ええ、こちらこそお願いしたいわ」


そう言いながら席に座るプリシーラさんを見て、エリスは一人思う。


プリシーラさんは今マレウスをグルリと回るライブツアーの真っ只中だ。そしてそのライブツアーは今終盤に差し迫っている、残った街は後僅か…だが終了直前にこんな問題にぶち当たってプリシーラさんのツアーは失敗の危機に瀕しているのだ。


残っている街は後三 二つほど…、既にラグナはその街の名前とそこに至るまでのルートを赤い鉛筆で地図に書き記しており、確かめるようにそれを机の上に広げる。


「次の目的地はここ…『丘の街パナラマ』そして次が『理想街チクシュルーブ』…だな?」


「ええ、その通りよ。既にその街でのセッティングは終わっているから私が到着すればそのままライブが出来ると思う、無事たどり着ければだけど…」


「そこに関しては問題ない、で?いつまでに着けばいい」


「ライブの日程は隔週よ、つまり街から街へ一週間毎に移動できれば間に合う計算よ」


「そっか、なら今のままのルートでもギリ間に合うか」


ふむふむとラグナは赤い鉛筆を地図上で何度か走らせ少しだけルートの剪定を行う。一応エリスも旅の経験があるので分かりますよ?ラグナが今選んでいるルートは…言ってみれば本来行商人や冒険者が使わない人気のないルートだ。


今エリス達がいる森からそのまま渓谷に入って、渓谷の崖沿いに進んで街の裏手に回っていくルート、魔獣は出るし道は険しいし余程の理由がない限り選ばない方のルートをラグナは選んでいる。


なにもないならこんなルート選ぶ必要はないが、今は悪魔の見えざる手の追走がある。それを思えばこのルートは正解だと言える。


最悪戦闘になっても、周りに人がいないならエリスがもろとも吹き飛ばせる。


「最後は理想街チクシュルーブか…、ということは理想卿とも話がついているのか?」


「というよりそもそもこのライブツアーを企画したのが理想卿サマよ。だからライブを行う為に必要な経費の八割を立て替えてくれたの」


「そ、そんなに?」


確かに、いくら右肩上がりで収益を上げてる冒険者協会とはいえここまで大きなライブを企画するだけの金はまだまだ無いだろう。そこで不足分を理想卿が立て替えてライブツアーを企画してくれたということか。


「理想卿サマは今やマレウスで黄金卿に続く二番目の大富豪。…いや、もう数年したら黄金卿さえ下に見るかもしれないわね」


「そんなに儲けているのか」


「そうね、金を稼ぐ為ならなんでもするってのもあるけど、それを差し引いても元商人の黄金卿をも手玉に取るくらい商売上手なの。デルセクト人みたいな天才的な商業センスでなんでもかんでも時代を先取りして自分で時代を作る…、今回のライブツアーもその一環ね」


「アイドル事業が儲かるかどうかの試金石ってわけか、これが成功したらチクシュルーブからもアイドルが出てきそうだな」


「そうね、まぁその辺はどうでもいいわ」


理想卿チクシュルーブ…、高い金儲けの才能を持ち合わせると言われる『王貴五芒星』の一人。今回のライブを主導している人物でもあるが…それ以上にエリス達はこいつを警戒しないといけない。


あからさまな反魔女感情を隠さない宰相レナトゥスに最も近しい人物でもあるんだ。しかもレナトゥスは魔女排斥機関マレウス・マレフィカルムとも繋がっていそうな気配を漂わせているし。


もしかしたら、理想卿チクシュルーブもまたマレフィカルムとの関わりを持つかもしれない。そいつが治める街に乗り込むのなら…ある程度の覚悟は必要だろうな。


「…憂鬱だわ、一度チクシュルーブ卿には会ったことあるけど…あの人なんか苦手なのよ」


「嫌な人なんです?」


「嫌っていうより、こう…普段から仮面を被って顔を隠してるのがそもそも不気味だし、何より仮面の奥から覗く瞳が…なんか、怖いの」


「仮面?人前に仮面被って出てくんのかよ。どんなイカれ野郎だって」


「そうは言いますがラグナのお兄さんもいつも仮面被ってますよね」


ラクレスさん、いつも鉄仮面被ってるじゃないですか。


「いや、あれはちゃんとした理由があるからね…?あの人だって好きで仮面被ってるわけじゃないから」


それはそうですけども。ラクレスさんは顔がバレると事だから…とはいうが、もうぶっちゃけあの鉄仮面の中身が誰かなんてみんな知ってると思いますよ?それにもう時効でしょう。


「と、ともかく。明日からは丘の街パナラマを目指して、この森を通り抜け渓谷沿いに進んでいく。もしかしたら道中悪魔の見えざる手の追撃があるかもだから注意していこう」


「そうだな、…とはいうがこの鬱蒼とした森の中で態々仕掛けてくるか?我々の居場所も掴めないだろうし、仕掛けてくるならパナラマについてからだろう。プリシーラの移動先は奴らも掴んでいるだろうしな」


「さぁ、そこに関してはなんとも言えん。誘拐組織を相手に立ち回ったことなんかないから、分からないなら警戒は解かないほうがいい」


「それもそうだな…、それに今日の夜の番は私だ。必ず守り通してみせよう」


「流石、頼りになりますねメルクさん」


この名もなき森を進んでいけばいずれパナラマに着く、普通は方向を見失うから森の中を進むなんて危険以外の何者でもないんだが、今はそれを踏破出来るだけの設備があるしね。それを活かしてごり押ししていけばなんとかなるはずだ。


……しかし、エリスの馬車がいつのまにか世界最先端の行軍機構に変形してしまっているってのは、なんだかなあ。嫌じゃないけど…ギャップが。


「…みんな、ありがとね」


「プリシーラさん?」


ふと、プリシーラさんが嬉しそうに俯いてエリス達の会議を聞いていたことに気がつく。自分のために必死になって色々考えて任せろと胸を叩くエリス達を信頼してくれているからこそ、彼女はエリス達に礼を述べるのだ。


「いいんですよ…」


…ハーメアにも、こんな風に味方がいればこんな風にはならなかったのかな。マリアニールさん達と一緒にいれば、あんな悲劇には見舞われなかったのかな。


悲劇から生まれたエリスがどうこう言うべきではないのかもしれないが、それでも…孤独の中で夢を奪われた彼女を思うと、胸が締め付けられる。


プリシーラさんをハーメアのようにしないためにも、頑張らないとな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ